Coolier - 新生・東方創想話

殴り殴られ蹴り蹴られ

2008/06/20 00:35:01
最終更新
サイズ
63.87KB
ページ数
1
閲覧数
3016
評価数
24/97
POINT
5560
Rate
11.40
※ これだけでも大丈夫だと思いますが、プチ17集の拙作「懐くて熱い、あの日の私」を読んでおいていただけると
   これだけよりも少しだけ楽しんでいただけるようになるかと思います。
※ 遠慮なく顔面殴りあっているのでそういうものが苦手な方には御遠慮いただいたほうが無難かもしれません。
※ 「餓狼伝」と聞いてピンと来る方が一番波長が合うように思います。




「あら、またやるのね」
 朝食が済んだばかりの永遠亭の居間で「文々。新聞」に目を通していた輝夜が声を上げた。
「博麗神社の宴会ですか?」
 輝夜の食器を下げようとしていた鈴仙が輝夜の手元を覗き込む。内容は見事にゴシップ記事ばかりの「文々。新聞」だが、たまにこの手の情報が載っている。普段の内容があまりにもアレなので、見落とされることも多いが。
「そうよ。今夜は盛大にやるんですって。
 何でも新しい参加者がいるとかで、
 面通しの意味もあるから全員連れて来いとかって魔理沙の名前で書いてあるわ」
 輝夜は鈴仙に返事を返したが、言葉自体は同席していた永琳とてゐにも向けられていた。
「それでは今夜は神社ですね。
 お酒や食べ物はについて何か書いてありますか?」
「特に書いてないわね。
 いつも通りの持ち寄りじゃないかしら」
 永琳に言葉を返して、輝夜は「文々。新聞」を鈴仙に手渡した。受け取った鈴仙はざっと文面に目を通してから、
「では裏の竹林からたけのこを採って来ます。
 灰汁を抜いたたけのこを持っていけば、誰かが調理してくれるでしょう」
 輝夜が頷いて見せると、鈴仙は食器を手に姿を消した。
「ずいぶん野生的な食料調達してるのね。
 取り置いている食べ物はないのかしら」
「せっかく神社で宴会するのですから、
 少しでも新鮮なものをというあの子なりの気遣いですよ。
 てゐ、ウドンゲと貴女のにんじんは貴女が用意しておいてあげなさい」
「へーい」
 こっちも永遠亭畑直送の新鮮にんじんを用意しようかな。
 そう考えたてゐも腰を上げると、畑へ出る用意をする。てゐはいつものワンピースを脱いでデニムのズボンに履き替えた。暑くなりそうなので上は脱げるようにTシャツを着てパーカーを羽織っておく。この辺の衣類はすべて鈴仙が外から持ち込んだ文化だ。手軽に着ることができて、動きやすい。しかも頑丈だ。詐欺だけしかやっていないように思われているが、実はそれなりに体を動かす喜びを知っているてゐはひそかに喜んでいる。
「あれ、てゐも出かけるの?」
 着替えたてゐは納屋で籠と鍬を用意していると、鈴仙がやってきた。同じように鍬や籠を用意しにきたらしい。
「うん。私と鈴仙ちゃんのにんじんを用意しておくように言われたからね」
「あ、そっか。私たちの分を忘れてた。
 お願いね」
 てゐは頷きながら、見つけた籠と鍬を手に取った。
「んじゃ、先に行くね。
 鈴仙ちゃん、灰汁抜きにかかる時間を忘れてたけのこ探ししてたらダメよ」
「わ、わかってるわよ!
 さっさと行ってらっしゃい!」
 元軍人の癖に妙なところで暢気な鈴仙が顔赤くして怒鳴る。笑って籠を背負ったてゐは鍬を片手にそのまま出て行きかけて、納屋の戸口で中を振り返った。
 光沢のある長い髪をポニーテールにまとめた鈴仙が見つけた鍬を籠に放り込んでいるところだった。てゐが言うまでもなく鈴仙は整った顔をしている。鈴仙が不美人に部類されるなら、世の九割九分九厘までが不美人だろう。体つきも若木のようなしなやかさと瑞々しさがある。永琳ほど熟れてもいない。だからといっててゐ自身ほど青くもない。その中間にある鈴仙の肢体は長い時間は保てない魅力にあふれている。その外見的な魅力に加え、優しくまじめで素直な性根が加われば血迷った永琳が深夜の襲撃計画を企てていても仕方ないと、てゐも思う。
 だが、だ。
 のら仕事に行くのはわかっているし、それがのら仕事の正装であるというのも重々理解しているが、もんぺはやめてもらえないかと思う。それでは妹紅に角が立つか。いや、きっと妹紅だって上に着るのをジャージ以外にしろと言ってくれるはずだ。
 姫も結婚断るならあの格好して応対すればよかったんじゃないかなぁ。
 ため息をついたてゐは野暮ったさ全開の鈴仙に背を向けると、鍬を引きずってにんじん畑に足を向けたのだった。




 博麗神社はすさまじいことになっていた。
 そもそも博麗神社に集まるのはどいつもこいつも遠慮という言葉を知らない連中ばかりである。
 そんな連中を一度に集めたらどうなるかは自明の理だ。
「今日こそはわからせてみせますよ!」
「ふふん。それはこちらのセリフだな。
 いい加減に認めたらどうなんだ?」
「犬のほうがかわいいに決まってます!
 椛を見てください! 愛らしいだけでなく主人の危機には何をおいてもかけつけてくれる忠義!
 猫にはありえませんからね!」
「何を抜かすかこの腹黒パンツ丸出し露出天狗が。
 愛をもって接していれば危機に駆けつけてくれるのは猫も一緒だ!
 橙を見ろ! べたべたとくっつく犬よりも距離を置こうとして、
 それでも甘えたくて遠くから様子を伺う猫の愛らしさに勝てるものか!」
「ドロワーズ履いてないだけでそこまで言われたくありませんよ尻尾ヤマタノオロチ!」
「私の尻尾は9本だ! 数があっていないぞ阿呆が!」
「八つの又なんだから神話のほうが間違ってるんですよ!
 大体なんですか! そのふわふわのふかふかの尻尾は!
 狐も犬の仲間なんですからちょっと愛でさせなさい!」
「おお、愛でれるもんなら愛でてみろ!
 ふかふか尻尾でもふり殺してくれるわ!」
 途中から言語機能が崩壊して何を口走っているのか理解できなくなった酔っ払いのダメ主人たちがスペルカードを構える横で、狼と黒猫が仲良くおにぎりを食べていた。
「……ぷは」
「おー。河童もけっこういけるクチだね。
 ささ、もう一杯どうだい?」
「あ、どうもどうも。
 まさか鬼の方にお酌してもらうとは思わなかったなぁ」
「んー? あんた意外と上下関係きっちりするやつだねぇ。
 ここの神社にいるとそういうやつ珍しいよ」
「そ、そうなんだ……でも、あっちのメイドさんとか主人を立ててるのに」
「ああ、あの辺とかみたいな個人的なつながりがあるのは別だけどね。
 鬼とか天狗とか神さまとかを蹴散らすような巫女がいる神社だから、
 あんまし種族の上下関係を重視するやつっていないのさ」
「ふぅん……」
「そこであんたと私の登場だ。
 ほれ、鬼の私が入れた酒が飲めねーのかー!?」
「ここまで穏やかにきたのに今更パワハラー!?」
「酒を飲まない悪い子はいねーガー!?」
「さ、酒を飲むのが悪い子じゃ……ごぼごぼ」
 鬼が河童の口に瓢箪をねじ込んだ。きっちり突っ込みを入れている辺り、河童の方もワリと余裕があるらしい。
「あーおいひー。
 宴会やると片付け面倒だけどタダでおいしいものが食べられていいわー」
「相変わらず信仰が集まっていないようですね。
 結局分社も置いていないようですし、
 賽銭のない極貧生活がお好きなようで」
「……ケンカ売ってるのかしら、もしかして」
「別にそんなつもりはありませんよ。
 どの道貴女にケンカを買えるだけの財力があるとは思っていませんし」
「上等だわ。幻想郷の巫女にケンカを売ったらどれだけ高くつくか、
 もう一度その体に刻み込んであげる」
「こちらがスペルカードルールに慣れていない時期に襲撃してきておいて、よくもまあ……。
 いいでしょう、どうしようもない乱暴者にはそれ相応のたいお……きゃあっ!?」
「誰がスペルカードルールでやるなんて言ったかしら。
 うーわ、想像してたよりいい体してるじゃないの。悔しいわ」
「ひゃぅん!? ちょっと、いったいなんのつも……きゃっふ!?」
「ふふ。お札なんかより私の手で直接あんたの体に
 刻み込んであげるだけよ。いい声で鳴いてちょうだい」
「巫女の癖にふしだらな……ぁうんっ!」
「巫女って昔はそういう部分を担ってたりもしたらしいけどね。
 さて、いい感じにギャラリーもいるし……。
 シ ョ ー タ イ ム よ」
「やめなさいこの! ぁうっ……いやぁん! だ、誰か助けてー!!」
「ねえねえ、アレって厄じゃないの?」
「神様たちがうれしそうに縛るのに使いやすそうな細い注連縄渡してたり、
 どう使うのか説明したらいろいろと危険なオンバシラ渡してたりするから、
 むしろ神様の祝福じゃないかしら。私の範疇外よ」
「ふーん。私たちの毒みたいに気軽に集めることができないんだって、スーさん。
 厄って難しいね」
「貴女が早苗ちゃんの言葉の毒を集めていたら
 あんなことにはなってなかったかも知れないけどね」
 蒼白巫女が紅白巫女にのしかかられて半泣きになってる傍で、流し雛と毒人形はそんな会話をしていた。ちなみに蒼白巫女が仕えている神様たちは注連縄とオンバシラを渡した後、酔いどれ天狗からかっぱらったカメラを構えてベストアングルをについて激論を交わしている。
 さらにその横で白黒リリーと今後の出番を賭けて呑み比べしている秋姉妹がいた。日本酒でやり合っているようだが、その酒を準備しながらはやし立てているチルノが次に用意しているのは日本酒ではなく強烈にアルコール度数の高いスピリタスだ。紅魔館あたりから間違って持ち込まれたのだろう。わざわざ手違いで持ち込まれたものを気づかずに飲ませようとしているチルノは間違った意味で最強だ。流石にそれを飲ませたら拙いだろうと、袖を引いている大妖精も気にしない。
「あのブン屋はともかく、ほかの連中もあっさり馴染んでるわねぇ」
 境内に敷かれた御座に座ってそんな様子をなんとなく見ていた輝夜がつぶやくと、隣に腰を落ち着けた永琳も黙って頷いた。
「私たちだってそうだったでしょ。
 自分のことを棚上げするのはどうかと思うわー」
「そうだな。まあ、色々とうやむやになるくらい飲んでみんなで二日酔い、は恒例のことらしいから、いいんじゃないか」
 にんじん畑から戻って普段着に着替えてきたてゐの言葉への返事は永遠亭一行の姿を見つけて近づいてきた慧音のものだった。その後ろに半眼の妹紅が続いている。
「けいねー。別にわざわざこいつらと飲む必要はないんじゃないの?」
「私が永琳殿と飲みたいんだ。
 お互い手のかかる蓬莱人のお守りをやっているんだ。
 たまに顔を合わせたときくらい愚痴りながら飲ませてくれたっていいじゃないか」
「うわ、何か酷いこと言われてる」
 慧音の言葉を聞いていた輝夜は隣に座っている永琳を睨んだ。
 永琳は白々しくそっぽを向いている。
「おや、そちらは一人……というか、一羽足りないな?
 鈴仙はどうしたんだ?」
「あの子なら厨房を手伝いに行ったわ。
 たけのこを持ってきていたから、そのうちそれを使った料理も出てくると思うわよ」
「そうか、それは楽しみだな」
 永琳の答えに頷いた慧音は永遠亭一行の御座に腰を下ろした。
 妹紅はあきらめ悪く、酒の杯を片手に突っ立っていたのだが、実は結構酔っ払っているらしい慧音に足を胸に抱え込まれ、上目遣いに懇願されて屈した。にやにやしているてゐに八つ当たり気味で空の杯を投げつけておいて腰を下ろす。
 妹紅が御座に胡坐をかくと同時に慧音がいつも通りの口調と表情のまま遠慮なくしなだれかかってきた。さらに慧音に煽られ酒を3杯ほど一気飲みしていきなり泥酔状態になった輝夜がネコのように胡坐をかいた膝に頬をすり寄せてきたりと、座ると同時に酒どころではなくなった。
「ちょっと慧音、永琳と話をするんじゃなかったの?」
「うん? 別にこのままでも永琳殿と話をすることはできるぞ?
 なあ永琳殿」
「そうね。まあ別に私は会話なしでも結構楽しんでるけど」
「いや、ぜひ慧音と会話してくれ。
 で、輝夜! お前もごろごろのどを鳴らしてないでちょっと離れろ!」
「えー……いいじゃなーい。
 妹紅のにおいって落ち着くのよー。
 おじーさまとおばーさまのにおいとよく似たにおいがするー」
「そりゃまあ私もかなり年食ってるし、年代的にも似たようなもんだろうけど……。
 つーか、やめろ輝夜! 流石にお乳は出ないって!
 慧音もなんでそこに反応するの……っていつの間に角生やしたー!?」
 輝夜と慧音に胸元めがけて抱きつかれ、流石に支えきれずに御座に押し倒される妹紅。
 生暖かい目でそれを見ていた永琳は視線を傍らのてゐに向けた。
「当たらなかった?」
「大丈夫だったよ」
 てゐの手元に妹紅が投げた杯があった。
 杯はてゐが受け止めるまでもなくそこへ飛んできた。酒も入っている上、かなりいい加減に投げたように見えたが、恐ろしく正確だ。どこぞの館のメイド長のように妙な力を使ったわけではないようだが、狙った場所に完璧にコントロールされている。何かしらの「投げる技術」を持っているらしい。
 てゐは杯を手にとって妹紅に目を向けたが、輝夜と慧音に押し倒された妹紅はばたつかせている足しか見えない。
「貴方が使っておいたら?」
「……そだね」
 てゐが頷くと永琳は近くにおいてあった一升瓶から酒を注ぎいれた。
 一気飲みなどという健康に悪い習慣を持たないてゐは、ちびちびと舐めるように飲みだした。永琳も輝夜が使っていた杯を手元に引き寄せると、一升瓶を片手に手酌でやりはじめる。
 てゐが一杯、永琳が一本空けたところで厨房を手伝いに行っていた鈴仙が戻ってきた。鈴仙も山から戻って普段着に着替えてきたのでいつものブレザー姿だ。だが、いつものミニスカートではなくブレザーと同系色のゆったりとしたズボンをはいている。珍しく髪をがっちり結んでいるのもあって、ぱっと見ると男装しているようだ。
「お待たせしました、お料理いただいてきましたよ……って師匠ったらまたそんなに飲んで。
 いくら酔わないっていっても、お水とアルコールを取り入れているのは間違いないんですよ?」
 戻ってくるなり永琳に小言をはじめた鈴仙は両手に一枚ずつ持っていた大皿を御座に置いた。
 片方の皿には細切りの豚肉とたけのこを一緒に炒めた中華風の炒め物と、菜の花を卵と一緒に炒めたものが均等に盛られてあった。もう片方は菜の花、ふきのとうなど春野菜の天ぷらが満載されていた。どちらも作りたてなのか匂いと一緒に湯気が立ち上っている。
「いい匂い。
 鈴仙ちゃん、お箸は?」
「ああ、それなら」
 永琳に小言を続けていた鈴仙が厨房を振り返ると、美鈴と妖夢が料理を取り分ける小皿と箸を持って近づいてくるところだった。一升瓶を抱えたまま鈴仙に怒られていた永琳がこっそり息をついている。二人が持ってきた小皿と箸を受け取ってそれぞれに料理を食べ始めると、「くけっ!?」とか「けひゅっ!?」という声がして輝夜と慧音に押し倒されていた妹紅も起きてきた。
「私の分のお皿と箸ある?」
「余分に持ってきましたから大丈夫ですよー」
 妹紅も美鈴から小皿と箸を受け取って食べ始める。
 ぴくりとも動かない輝夜と慧音には誰も視線を向けなかった。



「あんたたち、自分ところのご主人さまは完全放置になってるけど、こっちにいていいの?」
 料理を食べながら妹紅が言うと、妖夢と美鈴は頷いた。
「せっかくみんなが集まっているときくらいは好きに遊んできなさいと言っていただきました」
「私のほうはお嬢様の近くに咲夜さんがいれば何も問題ありませんから。
 その咲夜さんから同じように楽しんでくるように言っていただけましたんで、
 お言葉に甘えさせてもらってます」
 二人がうれしそうに言うのに頷いて、妹紅は空になった皿を差し出した。
 皿を受け取った美鈴が大皿から料理を取り分ける。
「私は普段門の前から動けませんし、中々お会いできませんから藍さんにもご挨拶したかったんですけどねー」
「……今日はもう無理じゃないか?」
 美鈴から皿を受け取りながらちらりと視線を向けると、鴉と狐が取っ組み合いをはじめていた。おとなしくおにぎりを食べていた狼と黒猫は主人たちの狂態に困り顔だ。
「そうかもしれませんね」
 美鈴は苦笑すると自分の皿を手に取った。
 その隣の妖夢は知り合いのはずの狐には目を向けずにもくもくと自分の皿の食べ物を口に運んでいる。
「あれ、二人とも呑んでないの?」
 二人の手元に酒用の器がないことに気がついたてゐが声をあげる。
「うん。後で妹紅さんに指導してもらおうと思ってるから、
 お酒飲んじゃうとちょっとね」
「こっちに集まってきたのはやっぱりそれが目的か。
 私は聞いてないんだけどなぁ」
 輝夜を殺すための手段として格闘技を学んだ妹紅。蓬莱人である妹紅は長い生の中でその技を磨いてきた。
 美鈴や妖夢も確かに強い。才能もある。だが、長い時間をかけて練磨された妹紅の技には及ばない部分も多い。
 以前、同じように美鈴、妖夢、妹紅が顔を合わせた博麗神社の宴会があった。そのとき美鈴と妖夢が手合わせしているのを見て、妹紅がアドバイスをしたのだ。それ以後、休みが取れたり宴会で顔を合わせたりするたびに妹紅に指導を受けたいと美鈴や妖夢が教えを請いにくるようになった。
「え……ダメですか?」
「今日は藍もいないしなぁ。
 まあ、適当にでいいならね……」
「ありがとうございます!」
 藍もかなり遣う。特に刀剣類や棒を持たせると強い。
 剣術遣いの妖夢の指導は藍が居合わせれば任せているのだが、今夜はすっかり酔っ払いのダメな人になっている。まったく指導を期待できないどころか藍本人が橙の世話になることになりそうだ。
「わ、私もいいですよね……?」
 遠慮がちに鈴仙が会話に割り込んできた。
 改めて鈴仙に酒の飲みすぎについて説教を食らっていた永琳は、ようやく解放されて大きく息をつきながら一升瓶を手繰り寄せていた。酔っ払ってはいないがダメな人だ。
「好きにしなよ」
「はいっ!」
 妹紅が苦笑して言うと、鈴仙がうれしそうに返事を返した。
 鈴仙は元軍人だ。周りは認めていないが本人は永遠亭の荒事担当のつもりなのか、薬師である永琳の弟子になった今も身体を鍛えることをやめていない。元軍人である鈴仙は軍隊式の格闘術と、多数の武器を満遍なく使いこなす。銃器を使わない前提であれば得意なのはナイフを使った格闘戦だが、素手の殴り合いや組み合っての間接の取り合いもこなし、すべてにおいてそつがない。だが、鈴仙自身は大抵のことはそれなりにこなせるものの、突出したものがないと自分を評価しているため、何か得意分野を身に付けたいと考えていた。鈴仙が訓練に参加したがるのは恐ろしい業の冴えを見せる妹紅や藍に教えを請いたいというのもあるが、美鈴や妖夢のような得意分野がはっきりしているものと一緒に訓練できるのが勉強になると考えている部分も大きい。今回のように美鈴と妖夢の両方がそろうときにはなんとしても参加したい。
「みんな物好きねぇ」
 戦うことに興味のないてゐは酒の杯を片手に自前で持ってきてあったにんじんをかじりながらつぶやく。
「みんななんでそんなに殴り合いで強くなりたいのよ?」
 てゐはほんのり赤らんだ顔と微妙に据わった目を、妹紅を慕って集まってきた三人に向ける。酒が回ってきたらしい。
「んー。強くなって困ることはないと思うけど。
 私なんか門番だから、もっと強くならないといけないしね」
「斬ればわかる。斬れないものがある間はわからない。
 だから斬れるようになる。それだけですよ?」
「私は美鈴さんに近いかなぁ。強くなったら後のことは、強くなってから考えますよ」
 首をかしげながら言った美鈴と、当たり前のことのようにさらりと言う妖夢。鈴仙も笑いながら言葉を口にした。
「ふぅん……」
 それぞれの言葉を聞いたてゐは首をかしげると、妹紅に向かって、
「それで、誰が強いの?」
 急に話を振られた妹紅は口の中のものを飲み込んでから、わくわくした視線を向ける三人に苦笑する。
「別に私が答えるまでもなく、三人の中で結論がでてるんじゃないの?
 今この瞬間に戦いが始まるなら妖夢。
 距離が離れたら鈴仙。美鈴はちょっと分が悪いよね」
 妹紅はそういって腰の辺りと左胸を叩いて見せた。
 妹紅は妖夢の腰にある刀と、鈴仙のブレザーで隠したショルダーホルスターの中の銃のことを言っていた。今すぐ戦闘に入るなら居合いで抜き打つ妖夢が強く、銃を構えて狙いをつけることができるなら鈴仙が有利。武器を持っていない美鈴は二人に比べればどうしても不利、ということだ。
「誰がそんなこと聞いたの!
 純粋に真正面から殴り合いしたら誰が強いのって聞いてるの!」
 べちべちと御座を敷いた地面を叩きながらてゐが怒鳴る。タチの悪い酔っ払いはここにもいたらしい。
「武器を使わずにかい?
 そりゃまあ、状況によりけりだろうけど……」
 困った顔をした妹紅が話題の三人に視線を向けると、美鈴と鈴仙はあいまいに笑って見せたが妖夢は特に表情を変えなかった。
「私じゃないことは確かですね。
 私はあくまで剣術遣いであって体術が専門というわけじゃありませんし」
「そうだなぁ。
 純粋に真正面から殴りあうと妖夢はちょっとつらいものがあるだろうなぁ。
 別に弱いっていうんじゃないんだけど、
 専門じゃないから使える技の数が少ないし」
 妹紅はそう言って口にたけのこの天ぷらを放り込んだ。
 妖夢の言葉と妹紅が補足の補足を聞いて、てゐは美鈴と鈴仙を指差した。
「じゃあこっちの二人のどっちか?」
「まあ、素手にこだわるんだったらそうでしょうね」
 天ぷらの熱さに目を白黒させている妹紅に変わって妖夢が頷くと、てゐは二人に据わった目を向ける。
「で、どっち?」
「え、えーと。鈴仙ちゃんじゃないかな!
 私があんまり知らない組み合ってからの技とかよく知ってるし!」
 慌てて美鈴がそう言うと、てゐは満足したのか頷きかけたが、
「え、でも私が組み付くまでに叩き落せる技が美鈴さんにはたくさんありますよね?
 私がナイフとか持ち出さなければ美鈴さんのほうが強いんじゃないですか?」
 という鈴仙のバカ正直な言葉で台無しになった。
「うぇ!? いや、私がぽかぽか殴っても鈴仙ちゃんに近づかれて腕をとられたりしたらそれで終わっちゃうし」
「美鈴さんのパンチやキックでぽかぽかやられたら私死んじゃってますよ。
 だいたい美鈴さんだって立ったまま間接を極める技も使えるじゃないですか」
「いや、それはそうだけど。
 やっぱり中途半端に覚えたら鈴仙ちゃんの関節技の冴えがよくわかるというか……」
「それを言い出すと、私も美鈴さんの技一つ一つの重さが最近になってよくわかるようになってきましたよ。
 体重移動とか早くて正確で、すごいですよね」
 にこにこしている鈴仙に褒める言葉を片っ端からつぶされて困る美鈴。妹紅は苦笑していて、妖夢は二人がお互いに褒めあっているのに頷いている。「で。
 どっちが強いの?」
 てゐの声が低くなる。美鈴の笑顔が引きつってきた。
「やってみないとわからないんじゃないですか?」
 その言葉は不思議そうな顔をしている妖夢だった。
「私じゃちょっとお相手できませんけど、
 美鈴さんと鈴仙さんならかなりいい勝負になるんじゃないかと思いますよ」
 妖夢の言葉に美鈴と鈴仙が顔を見合わせる。美鈴は困り顔だが、鈴仙は笑顔のままだ。
 鈴仙は笑顔の意図を読めず視線をそらすこともできずにいた美鈴の瞳を覗き込むようにして顔を近づけると囁いた。
「私とやってみませんか?」
 困惑した顔をしていた美鈴が眉を顰めた。
「本気で言ってるの?」
「もちろんですよ。
 お酒は入っていませんし、冗談でこんなことを言ったりできません」
 美鈴は鈴仙の目にある本気を見て笑みを浮かべる。
「加減できないよ?」
「全力が望みです」
「怪我するよ?」
「お互い様です」
「素手だけ?」
「別に何を使ってもいいですよ。どちらかといえば私に有利になりますけど」
 笑顔で会話を続ける美鈴と鈴仙の気配が変わり始める。
「いつ始める?」
「いつでも」
「いつでも?」
「ええ。
 今でも」
 鈴仙の言葉に美鈴が目を細めた。
 正座している美鈴がわずかに前かがみになる。身体の重心を前に動かしたのだ。いつでも地面を膝で蹴って踏み込める体勢だ。
 鈴仙の手にはまだ料理の乗った皿と箸が握られている。素手だけと限定されていれば邪魔にしかならいものだが、何でもありなら話は別だ。ナイフを得意とする鈴仙の手に中にあれば、木製の箸であっても恐ろしい凶器になりえる。攻撃を受け流すには脆いが、人体にある急所に突き刺して破壊するには十分過ぎる。
「ちょっと、私は別にこの場で遣り合って決めろとは言ってないんだけど」
 てゐは展開の速さについていけずに戸惑っていた。美鈴が笑ったあたりで後の展開を予測していたのか妖夢は戸惑っているてゐの手を引いて後ろに下がらせている。しっかり料理を確保しているあたりが幽々子の教育が行き届いていることを実感させた。少し残念そうな顔をしているのは武器込みなら自分も参加させて欲しかったのだろう。
 妖夢がてゐを下がらせたことを気配で感じ取ったのか、わずかにかがめただけだった美鈴の背が、獲物を狙う猫科の肉食獣のように丸められる。鈴仙の手にある箸も、いつの間にか武器として使うため握り締められていた。
「いい加減にしなさい。
 この場でいきなりやりだしたら、せっかくの料理がめちゃくちゃになるでしょうが」
 呆れたような声が飛び掛る寸前だった二人をぎりぎりで留まらせた。
「まったく、盛りのついた犬じゃないんだから。
 相手をしてくれる人を見つけてうれしいのはわかるけど、仕切りなおしするよ」
 割って入った声は妹紅だった。たけのこの天ぷらを口にいれてはふはふやっている間に話が進んでしまって割ってはいるタイミングを失っていたのだが、そのまま始まってしまいそうだったので慌てて声をかけたのだ。
 鈴仙と美鈴は少しだけ妹紅に目を向けたが、すぐにまたにらみ合いに戻ってしまう。二人の目から戦いの気配が抜けていない。
 妹紅が舌打ちして二人の間に割って入ろうと立ち上がりかけたそのときだ。
 すぽん、という気の抜けた音がした。
 何の音かわからずに、妹紅は目を丸くする。気勢をそがれたらしい美鈴と鈴仙もきょとんとして顔を見合わせている。妹紅が目を向けると妖夢とてゐも戸惑った顔をしていた。全員の視線がなんとなく音の出所を探って彷徨って、全員の視線が集まったのは永琳だった。
 4本目の一升瓶のふたを開けた永琳が、視線が集中したことに気がついて愛想笑い。
「……てへ?」
「ししょぅ……」
 鈴仙ががっくりと肩を落とし、美鈴が苦笑を浮かべた。戦いの気配は完全に払拭されていた。
「ほれ、仕切りなおし仕切りなおし。
 やるなとは言ってないんだから、ちょっと落ち着きなさい」
 妹紅はここぞとばかりに言葉を畳み掛ける。
 頭が冷えたのだろう。鈴仙と美鈴は恥ずかしそうに頷いた。
「ちゃんと場所を空けてもらってからはじめなよ。
 下手に料理をひっくり返したら、明日の今頃は兎の中華風鍋にされて亡霊姫の腹ン中よ」
 妖夢は慎ましやかにノーコメント。
「んー、こういうのはやっぱり顔の広い白黒かな。
 ちょっと声かけてくるわね」
 妹紅はそう言いおいて、賽銭箱に背中を預けて酒を飲んでいる魔理沙を見つけて近づいていった。
 入れ替わりにいきなり始まることはなくなったと判断した妖夢が、後ろに下がらせていたてゐの手を引いて戻って来る。
「二人とも物騒だわ。
 ちゃんと開始の合図を待ちなさいよ」
 てゐの言葉に鈴仙と美鈴は苦笑する。
 鈴仙は美鈴に「いつでも始めていい」と言って宣戦布告した。美鈴はそれを受け入れた。
 二人にとって戦いはもう始まっていたのだ。戦いが始まってから不意打ちを食らって「卑怯」などと言っても、それは言い訳にもならない。
 不意打ちは、されたほうが悪いのだ。
「妹紅さんが開始の合図をかけてくれるみたいだし、
 準備運動でもしとこうか」
「そうですね」
 気分を変えて美鈴が言うと、鈴仙も頷く。二人は互いに背を向けて別々に身体をほぐしに去っていった。
「なんで一緒にやらないのかな?」
「準備運動の間だけ今日の体調とか色々わかりますからね。
 相手に見えない場所でやりたいと思ったんでしょう」
 てゐの質問に答えて妖夢は自分の湯飲み茶碗に酒を注いだ。
「あれ。
 この後妹紅に剣術を見てもらうんじゃなかったの?」
 てゐの指摘に妖夢は湯飲み茶碗に口を付けてため息をついた。
「どうもそんな時間なくなりそうですから、
 私も観客になってしまおうかなと思って」
「ふむ」
 妖夢の返事にてゐは中途半端な返事を返した。
 訝しく思った妖夢が目を向けると、何かを思いついたのかてゐがにんまりと笑みを浮かべている。
「ねねね。ちょっと耳を貸してくれない?
 鈴仙ちゃんが絡んでるんだし、今日は騙したりしないから」
 てゐはあからさまに警戒する視線になった妖夢を見て慌てて言葉を付け足した。
 てゐの言葉の内容よりも、慌てた様子を見て信頼た妖夢は首をかしげながらてゐに耳を近づける。
「あのね……」
 宴会では酒を飲め、とでも言うように順調に飲み続けている永琳が、飲み干した4本目の一升瓶が転がした。



「本当に椛は可愛いですねぇ、特にこの尻尾が。
 あれ、いつの間にこんなに尻尾が増えたんですか? さわり心地がいいから増えるのはうれしいですけど」
「橙はやっぱり可愛いなぁ。それにしても、いつの間に着替えたんだ。
 ミニスカートもよく似合っているが、あんまりほかの人たちにこのすべすべの太腿を見せ付けるのは関心しないぞ」
「もうやめておけ?
 あんまりケチ臭いこと抜かすと尻こ玉引っこ抜くぞオルァ!」
「しまった、コイツも酒癖悪かったー!?
 って、手も早いなオイ! まて、わかったからパンツに手をかけるなー!」
「おーにのパンツはいいパンツー♪」
「私を差し置いて夜に歌うなんて、
 夜雀という種族に対する挑戦と受け取ったわー!」
「ほんとにもうやめて……
 ごめんなさいするから許してぇ……!」
「あぁん? 聞こえんなー!」
「幻想郷の巫女って鬼畜なのねー」
「早苗にも幻想郷に馴染むためにあの鬼畜さを身に付けてもらわないと」
「でもそれって私たちの身が危なくならない?」
「だったら鬼畜を相手にしても悦べるマゾっ気を身に付けてもらわないといけないかねぇ」
「ねぇねぇ」
「しっ! 見ちゃダメ!
 あそこの神さまたちと目が合ったらロクでもない教育を施されるわよ!」
「ふーん。でも、永遠亭でも同じような会話を聞いたことあるんだけど」
「ああ、穣子ちゃんがたくさんいるー。
 うふふふふふ……夢にまで見た穣子ちゃんの穣子ちゃんによる私のための酒池肉林がここに!」
「姉さんがいっぱい……姉さんの口がいっぱい……
 ああ、ごめんなさい、たべないでぇ……」
「黒ちゃん、負けてられないよ。
 ここに春を呼んでやりましょう! もちろん百合な意味で!」
「あー……なんか今日はもう抵抗するの面倒だからいいかー……。
 白ちゃんいらっしゃーい」
「え? く、黒ちゃん?」
「私がその気なのになんでそんなに戸惑ってるのよー。
 さっさといらっしゃいよー。こないならこっちから行っちゃうわよー」
「こ、こんなの私の黒ちゃんじゃない!
 黒ちゃんは私が抱きついたら赤くなりながら必死で抵抗してくれるのが楽しいのに……ってきゃー!?」
「ああぁぁぁぁぁ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!
 チルノちゃんが別な瓶を持ったときに私が止めていればこんな悲劇は……!!」
「あたいが渡したお酒で4人とも潰れちゃった。やっぱりあたいったら最強ね!」
「……あのお酒飲んだら、私も勇気だせるかな」
「どしたの?」
「え!? な、なんでもないよ! ホントに何でもないんだよチルノちゃん!」
 そんなあちらこちらで百合の花が咲き乱れる博麗神社の境内に絶叫が響き渡る。
「レェディィィィス!
  ェーンド!
   ガァァァルズ!」
 驚いた酔っ払いたちが視線を向けると、しゃもじをマイク代わりに魔理沙が境内の真ん中で叫んでいる。
「ただいまより
 紅魔館所属 紅 美鈴と永遠亭所属 鈴仙・優曇華院・因幡による
 エキシビジョンマッチを行います!」
 その魔理沙の言葉がアルコール漬けになっている頭に浸透するまでしばらく時間がかかったのだろう。
 ほんの一瞬の間、すさまじい喧騒が満ちていた境内に沈黙が降りる。だがそれは本当に一瞬だけのことで、爆発するような歓声が取って代わった。基本的に「気に食わない」とか「興が乗った」程度の理由で弾幕ごっこを吹っかける連中がほとんどだ。どんな内容で戦うのか理解していないが、とりあえず戦いだ騒いでおけ、という理屈で歓声をあげる。無論、自分の館の門番がそんなことをするなど聞いていなかったはずレミリアも歓声を上げていた。永遠亭の主はノックアウトされていて今は夢の世界。実質の主である永琳はここぞとばかりに一升瓶の空き瓶を量産している。
「お前のその手は何のためにある! 目の前の敵を打ち倒すためにあるんじゃないのか!?
 お前のその足は何のためにある! 目の前の敵を蹴り砕くためにあるんじゃないのか!?
 今宵のお前の身体は、ただ目の前の敵を倒すために躍動するのだ!」
 魔理沙は無駄に熱い歓声を浴びながら懐から八卦炉を取り出すと、鳥居に向かって構えた。
「ぅあぉぉぉおおおぉおぉおおコォォオォォナァァァアアァァ!
 お前はこっち側の仲間だろポンド、勝手におっきくなったら制裁だぞキログラム!
  永遠亭所属!
   レイセンンンンン・ウドンゲイン・イナアァァァァバアアアアァァァ!!」
 そして放たれるマスタースパーク。放たれたそれが、鳥居の下にたたずんでいた人影と鳥居の間を抜けていく。
 その鳥居の下にたたずんでいた人影が、マスタースパークの青白い輝きに照らし出される。
 魔理沙の絶叫アナウンスの通り、照らし出されたのは鈴仙だった。すでに上着のブレザーを脱ぎ去り、ショルダーホルスターとネクタイをはずして胸元をくつろがせた鈴仙はバーカウンターの中にいても似合いそうな出で立ちだったが、体重を知らないからと適当にでっち上げた魔理沙の言葉を聞いて胸元を押さえて微妙な顔をしている。
 魔理沙が放ったマスタースパークを避けて人が散っていたので、境内に向かう花道ができていた。魔理沙のマスタースパークが細っていき、その花道だけを浮かび上がらせるようになると、鈴仙が境内に向かって歩き出す。
「いつかの花の日に弾幕を使って戦ったものは多い。だが、その格闘の技術を知るものは少ない。
 その手にある技は!? その足にある技は!?
 その穏やかな顔からは測りきれない何かを宿しているというのか!?」
 花道をゆっくりと歩いてきた鈴仙が魔理沙の元にたどり着く。
 鳥居から境内まで歩いてくる間だけで、すっかり戦う顔になってたどり着いたいた鈴仙を見て魔理沙はにやりと笑みを浮かべると、再びマイク代わりに持っているしゃもじを口に近づけた。
「ぅあかぁぁあああぁぁコゥォォオォォナァァアァアァァ!
 いったい何をくったらそんなにでかくなるんだポンド、引きちぎっちまうぞキログラム!
  紅魔館所属!
   ホンンンンンンン・メイィィィィリンンンンンンン!!」
 同じように現れた鳥居の人影を、今度は赤い輝きが照らし出す。
 鳥居の下で腕を組んでいる美鈴を、その背後で翼を広げた不死鳥が照らし出していた。美鈴は普段通りの民族衣装だ。中にきているシャツが短いものらしく、腕は肩の辺りまでしか覆われておらず二の腕まで露出しているほかは、珍しくズボンをはいている。
 魔理沙のアナウンスに苦笑いを浮かべていた美鈴は、背後の不死鳥が甲高く一声上げると歩き出す。
「いわずと知れた紅魔館門番! 弾幕はアレだが格闘の評判は上々の紅 美鈴!
 次々に紅魔館の門に現れる挑戦者を倒し続けるその実績は赤コーナーを背負うに十分だ!
 そして今宵! 新たなる挑戦者が現れた!
 ならば受けてたとうではないか! 私の得意分野で挑戦するおろかさを、その身に刻みつけてやろうではないか!」
 鈴仙が先に通った道を通り、美鈴も魔理沙の元にたどり着いた。
 その顔に浮かんでいた笑みが、苦笑から不敵なものに変わっている。魔理沙に向かって頷いてみせると、魔理沙をはさんで鈴仙と反対側に立った。
「ルールはもうみんなわかってるな!?
 格闘だ! 相手を倒すという心を拳に乗せて叩き込め! もちろん関節技もありだ!
 反則は目突きと弾幕の使用だ! ああ、当然だが結界を使った防御も禁止だぞ!
 見るのが面倒になるから空を飛ぶのも禁止だ!」
 魔理沙の言葉を聞いて、鈴仙と美鈴の顔がわずかに動いたが、感情らしいものが浮かぶ前に元の表情に戻った。
「決着は戦意の喪失、気絶、降参だ!
 一応審判を付けて一方的になりすぎたら止めるけど、そうなる前に降参しろよ!?」
 魔理沙はそう念を押して、美鈴の後から花道を使わずに境内に入ってきていた人影に声をかけた。
「そして審判!
 よろしく頼むぜ!」
「あいよー」
 気の抜けた返事を返して、妹紅がひらひらと手を振る。美鈴の入場の際の演出は妹紅の炎だった。
 審判なら私だと騒いで死神に押さえつけられている閻魔に苦笑しながら、境内に戻った妹紅は鈴仙と美鈴に笑いかけた。
「悪いね。今日だとこうでもしなけりゃ遣り合うスペースが確保できなくてさ」
 その言葉に美鈴が首を横に振る。
「いえいえ、構いませんよ。
 たまにはこういう観客がいるのも悪くありません」
「そうかい? それならいいけどさ。
 さあ、それじゃあんまり長々と話していてもしかたないしね。
 魔理沙、実況席へ行きなよ。鈴仙と美鈴はちょっと離れな」
「おう」
 返事を返した魔理沙はそれまで酒を飲んでいた賽銭箱の隣に向かう。境内全体が見渡せる場所なので実況に便利なのだ。だが、たどり着いてみると先客がいた。
「何やってんだ」
「いえ、私も観客のつもりだったんですが、
 解説がいたほうが盛り上がるでしょう?」
 ちょこんと正座しているのは妖夢だった。
「お前がこういうのに乗ってくるのは珍しいな」
「せっかく試合をやるなら解説がいたほうが盛り上がるだろうとてゐさんに言われました。
 私も楽しみなんで、できればいい場所で観戦したかったですし」
「なるほど」
 妖夢の言葉に頷いて、魔理沙は賽銭箱を背に腰を下ろした。境内を見てみると酔っ払いたちは御座や料理と一緒に境内の隅にまとめて転がされてあり、鈴仙と美鈴の戦いを観戦するつもりになっている連中は鳥居の上や、木の上、本殿の縁側など思い思いに場所を確保している。いつの間にか、狛犬や樹などを除いて境内で鈴仙と美鈴の動きを阻むものは何もなくなっていた。
「どいつもこいつも、こういうときは協力的だなぁ」
「発端の癖に何を言っているんですか」
 つぶやいた魔理沙を妖夢が容赦なく切り捨てた。
「そういえば、お前をたきつけたてゐはどこ行ったんだ?」
「……握るらしいですよ」
「ほほぅ」
 てゐの姿を探してみると、観戦組の間を飛び回っている。
 鈴仙と美鈴のどちらが勝つかを聞いて回っているのだろう。
「ならこっちもそれにあわせた会話にするか?
 解説の妖夢はどっちが勝つと思ってるんだ?」
「……正直なところ、わかりませんね。
 何度か一緒に稽古をしたことはありますけど、自分の手の内を全部見せてしまうわけじゃありませんから」
「私は美鈴が殴りあいに強いって程度しか知らないんだが、
 鈴仙も強いのか?」
「強いですね。
 それも人間……というか、人型をした相手と戦うことを前提に鍛え上げられていますから、
 門番として人型以外の妖怪と戦うことも考慮して鍛えている美鈴さんよりも、
 人型のものと戦うときは慣れているはずですし、その部分では鈴仙さんが有利でしょう」
「ほうほう」
「てこの原理を利用した関節を極める技術もすばらしいものがありますし、
 美鈴さんも組み付かれたらかなり辛いでしょう。
 特に寝技に引き込まれたらその時点で決着と思ってしまってもいいと思います」
「へえ、そんなに強いのか。
 でも妖夢はそれだけで鈴仙が勝つとはいえないんだな?」
「貴方も知っているように、美鈴さんも強い。
 美鈴さんは門番ですから、紅魔館を襲おうとする四足歩行の獣型の妖怪などの相手もしなければいけません。
 下手に組み付くと獣型の妖怪は四肢の力が強い上に、牙の分だけ攻撃手段が多い。
 だから自然と相手に組み付かれる前に打撃を与えて叩き落すような戦い方になります。
 そしてそれが非常に強い」
「そうすると……アレか。
 組み付くまでは美鈴有利。
 組み付いてしまえば鈴仙有利。
 そういうことか」
「そうですね。
 ただ、鈴仙さんは打撃もかなりやれますし、目がいい。
 難しいところですが、必ずどちらかに有利をつけろといわれれば私は6:4で鈴仙さんが有利だと思います」
「ふむふむ、なるほど。
 いやぁ、思った以上にしっかり解説してくれてるな」
 魔理沙が感じ入ったように声をあげて、妖夢の背中をばしばしと叩く。
 妖夢は鈴仙に有利を付けた理由をすべては語っていない。特にわざわざ「目がいい」と表現した部分を伏せている。
 魔理沙が気軽に設定したルール。そこに「能力の使用禁止」は含まれていない。
 つまり、鈴仙の狂気の瞳は使用を禁止されていないということだ。
 鈴仙の使う関節技を含めて考えれば、狂気の瞳を使って作る一瞬の隙があれば一気に勝負を決めてしまうことはそんなに難しくない。
「まあ、実際に始まってしまえば、
 そんなに解説することはないかもしれませんけどね」
 妖夢は魔理沙にそう返して、妹紅の開始の合図を待つ鈴仙と美鈴に目を向けた。


 妹紅の「はじめ」の声がかかる。
 観客のほとんどが始まると同時に乱打戦になることを期待していたが、それに反して立ち上がりは静かなものだった。


 美鈴が構える。
 萃香がやらかした異変のときとは違いどっしりと腰を落とし、足を左右に広げて踏ん張る。左手を肩の高さのままひじを曲げて軽く突き出し、右手は腰の高さに留め置く。すべての四肢が余裕を持って配置され、鈴仙の動きに応じて即座に動きをとることができるよう構えられている。
 つま先を外側に開くことで横方向に動きやすくした、受けの姿勢だ。
 それに対する鈴仙の構えは両手を握り締め、胸の高さでひじを曲げて構えている。足は前後に開きつま先も美鈴と対照的に内側に閉じている。近づいたり離れたりがしやすくなっていた。美鈴の受けの構えに対応するように、鈴仙は攻めの構えを取っている。
 二人とも左肩をわずかに前にした右構えだ。
 二人は構えを維持したままじりじりと距離をつめていって、二歩分の距離を置いて向かい合った。それだけの動きに間に、もどかしいほどの時間が流れている。だが、酔っ払っているはず観客から、野次は飛ばない。二人の間に張り詰める緊張感に気づけぬほど、生存本能が鈍磨したものはいないからだ。
 どちらからともなく足が進められ、距離が更に半歩縮まる。踏み込めば、手が届く距離。
 手を出すことなく駆け引きが始まる。
 鈴仙が肩を動かすとパンチを意識した美鈴の視線が動き、美鈴が足の位置を変えると蹴りを警戒した鈴仙がじわりと立ち位置を変える。
 幾度となく小さな動きのやり取りがあり、だがそれでも打撃のやり取りは始まらず、鈴仙が構えていた両手を下げて一歩後ろに下がった。何度か軽い跳躍を繰り返して体をリラックスさせる。動くことなくじっとそれを見ていた美鈴も一歩後ろに下がると、両手を下げる。緊張が弛緩したのを感じて観客も息をつく。
 その瞬間にほとんどのものが戦う二人の姿を見失った。
 見失ったものがもう一度目が二人を捕らえると、美鈴は左手をぶらぶらと振っており、鈴仙は口元から赤いものを細く流していた。
「え?」
 そんな声がいくつも聞こえてくる。
「かっ、解説の妖夢さん!」
「間合いを外して一度緊張が解けた瞬間に踏み込んだんですよ。割とよくあるフェイントです。
 まあ、あの速度でやられるとそうそう反応しきれませんけど。
 いくつかやり取りはあったんですが、美鈴さんの掌打が顔に入りました。
 美鈴さんが手を振っているのは顔に入れた掌打を引き戻すときに手首を取られかけたためです」
 魔理沙の慌てた声に妖夢が解説していると、鈴仙が口元の血をぬぐい構えなおす。
 手を振っていた美鈴も構えなおすが、美鈴の構えは最初に見せたものと違う構えになっていた。左を前にした半身で右手を拳で胸の前に、左手を低くして相手に向けた、萃香が異変を起こしたときの構えになった。
「鈴仙さん、拙いですね」
「そうかぁ?」
 妖夢の言葉に魔理沙は否定的だ。実際にあの構えの美鈴とやりあった経験が魔理沙にそう言わせている。実際、あの異変のときの美鈴はあまり良い結果を残せていない。
「……あの時、貴方は美鈴さんの攻撃にどう対応しましたか?」
「そんなの結界張って防いだに決まってるだろ」
 妖夢は頷いた。
「私もそう対応しました。弾幕を使うことが前提にありましたしね。
 ただ、今回はルールで結界を使った防御ができない。飛ぶことも禁止されている。
 その上であの美鈴さんの打撃を捌ききれますか?」
 咄嗟に言葉を返せなかった魔理沙の沈黙を、妖夢は頷いて肯定する。
「最初に今と違う構えを取っていたのは、鈴仙さんの打撃技術がわからなかったのと、
 投げられたり押し倒されたりして寝技に持ち込まれるのを嫌ったためでしょう。
 不意に組み付かれてもどっしりと腰を落として構えていれば、ある程度対応できますから」
「じゃあ、なんでその構えをやめて、前と同じ構えにしたんだ?」
「簡単なことですよ」
 妖夢の言葉に背を押されるように、美鈴が体勢を低くして流れるように鈴仙との間合いを詰める。
「組み付かれることなく打撃で押し切れると確信を抱いたからです」
 間合いを詰めたのは美鈴だったが、先手を取ったのは鈴仙だ。鋭い呼気と一緒に左のパンチが美鈴の顔面をめがけて放たれる。
 美鈴は軽く首を振っただけで踏み込みながらその一撃を避けると、鈴仙の胸元向けて右拳を走らせた。
 牽制で出した左パンチは避けられることを折り込んでいたのか、鈴仙は胸に叩き込まれるはずだった美鈴の右拳を右腕で受け止めた。だが、受け止めたはずの美鈴の右拳の勢いに負けて腕の上から胸を叩かれる。
「ぁぐっ!?」
 今まで加減していた力を遠慮なく叩きつけてきたのだろう。とんでもない腕力だ。しっかりと防御したのでダメージはなかったが、右腕の上から胸を叩いた美鈴の右拳に大きく体勢を崩される。美鈴の拳を受けることになった上半身が衝撃で仰け反らされて後ろに流れていて、拳を受けていない下半身がそれについていけていない。この体勢からでは防御も反撃も碌なものにならない。
 鈴仙は一度美鈴の攻撃範囲から逃れようと必死でバックステップするが、完全に逃げ切れなかった。
 美鈴が追撃の前蹴りを打ち込んで来た。今度はその威力を正しく理解している。鈴仙は両腕を交差させて美鈴の蹴りを受け止め、その蹴りの勢いを利用して更に大きく後ろに飛んで、一息つく。
 鈴仙に許されたのは一息だけだった。美鈴が冷静になる時間を与えまいと突っ込んでくる。
 低い体勢から牽制の左拳。次に右拳……と見せかけて、更に踏み込んで左の肘。返しの右膝蹴り。一つ一つの攻撃が恐ろしく重いせいで、避けきれずに受け止めるたびに鈴仙の腕や足にダメージが蓄積されていく。
 だが、鈴仙は冷静さを失っていなかった。美鈴の打撃を受けて後ろに下がりながら距離を測り、美鈴の拳を受けると同時に足の裏全体で押すように蹴りを入れる。ダメージは与えられないが一瞬だけ美鈴の動きを止めることができた。その一瞬で鈴仙は大きく横に動く。
 先刻と同じように即座に強引に近づいて攻撃を続けようとした美鈴だったが、踏み出そうとした足を止めて笑う。
「やるわね」
 美鈴と鈴仙の間に障害物……狛犬があった。それなりの大きさの石の台座に鎮座した狛犬だ。これでは真っ直ぐに近づけない。
 攻撃を受け続けて痺れた腕を振りながら、鈴仙も笑っている。
「そりゃあ、あのまま押し切られるようじゃあ美鈴さんを失望させてしまいますし、
 こっちだって必死ですよ」
 狛犬を間にして近づいてくる美鈴を牽制しながら笑った鈴仙は痺れた腕の状況を確認すると、両手で自分の頬を張って気合いを入れなおした。
「よしっ!!」
 鈴仙が足を止めて構える。
 今度は鈴仙が足を大きく開いた左右に動きやすい構えになった。だが胸の前辺りで腕を曲げて構えているのはそれまでと同じだったが、拳を構えていた両手が、今度はゆるく指を曲げた状態で開かれている。相手に手や足を掴んで組み付く構え方になった。
 美鈴も笑顔を消して構えなおす。美鈴は構え方を変えていない。打撃を重視し、攻撃力で押し切る型のままだ。
「どう見る?」
「これまでの戦いから離れていると美鈴さんが有利なのは明白です。
 鈴仙さんが組んで戦おうと構え方を変えたのは正しいと思います。
 問題は、鈴仙さんが組み付けるかどうかですね。
 美鈴さんの突きや蹴りに対応しきれていない鈴仙さんが、美鈴さんを捕まえられるかどうか……」
 それまでと同じように、動き出すのは美鈴から。狛犬を迂回した美鈴が構え方を変えた鈴仙に踏み込む。
 牽制の左拳もまったく同じ。だが鈴仙にそれまでと同じ状況を作るつもりはない。美鈴が打ち込んできた左拳を肘打ちで迎え撃った。
「っつ!」
 美鈴も拳自体を鍛えてはいるが、肘と拳では骨の強度が大きく違う。驚きと拳に走った痛みで美鈴の動きがわずかに鈍る。鈴仙は大きく足を振り上げて美鈴が踏み出していた右足の膝を思い切り踏みつけた。
 何の対応もせずまっすぐ踏ん張ったまま地面に足を付けていればその一撃で美鈴の膝を蹴り砕くことができたはずだったが、美鈴は咄嗟に膝を曲げて鈴仙の蹴りを受けた。
「なんて物騒な攻撃を……うあっ!?」
 ルール違反でないことを承知の上で文句を言おうとした美鈴を、蹴りつけた左足を前面に残したまま側面に回り込んだ鈴仙が、右足で美鈴の背中を押すように蹴ったのだ。咄嗟に押された方向に足を出して踏ん張ろうとするが、前面に残った鈴仙の左足がそれを許してくれず、美鈴はうつ伏せに倒れる。両足とも宙に浮かせた鈴仙も蹴り足の勢いで半回転してうつ伏せに倒れこんだ。
 美鈴と同時に倒れた鈴仙は美鈴の右足に自分の足を絡めながら、美鈴の右足の踵を掴む。鈴仙は掴んだ美鈴の右踵を脇にがっちりと抱え込み、美鈴の膝を絡めた足で固定してそのまま身体を捩じって美鈴の膝関節を壊しにかかったが、鈴仙が完全に身体を捩じりきる前に美鈴の左足での蹴りが先に入った。それも、狙えるはずない場所にあった鈴仙の顔面を正確に蹴り抜く芸術的と言って良い一撃だ。ダメージはそれほどでもなかったが、鼻面を蹴られた衝撃で鈴仙の手が緩む。美鈴はその機会を逃さず鈴仙の手から右足を引き抜いて立ち上がった。
 立ち上がった美鈴の前で寝転んだ状態になった鈴仙は慌てて距離を取った。
「うおおお! 倒した倒した……ってあっさり離されたな」
「そうですね」
 残念そうな魔理沙の声に妖夢も頷いたが、相変わらず不敵な笑みを浮かべている美鈴の背中は冷たい汗が流れていることだろう。
 相手の突きや蹴りを肘で迎撃する「肘受け」や相手の膝関節に蹴りを入れる「関節蹴り」、最後に見せた関節技の「ヒールホールド」にしても、普通の試合や訓練では殺傷力が高すぎるために使用禁止にされているものばかりだ。一つ間違えば拳や膝が砕けてしまう。特に、最後のヒールホールドはほぼ技に入りかかっていた。あと少し蹴りが遅れていたら、美鈴は今頃膝を抱えて悶絶することになっていたはずだ。
「でも、もう立場は逆転していますよ。
 鈴仙さんのほうが有利です」
「そうなのか? 見た目は鈴仙のほうが痛々しいけど」
 鈴仙も蹴られたときに零れた鼻血を拭って立ち上がる。
 鈴仙の攻撃はすべて美鈴の右膝に集中している。美鈴は笑っているが、技に入りかかっていたヒールホールドの影響が皆無とは考えにくい。ダメージはどの程度のものだろうか。痛みで踏ん張れなくなっていたら、美鈴の打撃の威力は激減するはずだ。
 立ち上がった鈴仙は構えなおしながら、じっと美鈴の目を見つめている。妖夢と同じことを考え、美鈴のダメージを表情や動作から推し量ろうとしているのだ。鈴仙の意図を理解している美鈴は笑みを深くしただけで、手を伸ばせば届く距離にある狛犬を乗せた石の台によりかかることなく構え直した。間違いなく膝にダメージはあるだろうが、それでもそれまでと同じ攻撃的な構えを取っている。
 鈴仙は長く迷わなかった。美鈴はダメージがないように振舞っているが、決してゼロではないだろう。それなら自分が持っているものをすべて投入して押し切ってしまえ。
 そう判断した鈴仙は瞳に力を込めると、戦いが始まってから初めて、美鈴に先んじて動き始める。
 カウンターをあわせられない距離で牽制に左右のパンチを一つ、二つ。そして一歩左にステップしてから身体を低くして両手で美鈴の足を抱え込むタックルに行く。美鈴はそれを右足を使った膝蹴りで迎撃。やはりダメージの影響があるのか、両腕を交差させた防御を突き破るほどの威力はない。だが、鈴仙は美鈴の膝蹴りの勢いに逆らわずに後ろに下がった。
 鈴仙の予想通り、下がった鈴仙を追って美鈴が追撃してくる。
 爆発的な踏み込みからの左正拳突き。力強い震脚で得た力を纏絲勁で正確に運用された、必倒の一撃。
 だがそれは避けようとも防御しようともしなかった鈴仙の身体を捉えることなく、拳一つ分の距離を残したまま止まった。
「……え?」
 美鈴の口から呆然とした声が漏れた。
「空振り!?」
「違います! 間合い狂わせたんですよ、鈴仙さんが!!」
 美鈴は鈴仙の瞳にある力を正確に理解していなかったために、まったく無警戒だったのだ。
 幻影でも見せられていたのか、当たるはずの拳を空振りさせた美鈴が驚きに固まる。
 鈴仙にはそれを逃さず、無防備に突き出された左腕を引き込みながら、左手でその手首を掴み、右手を肘にそえた。目的は肘関節の破壊。呆然としていた美鈴も我に返って技を解きにかかる。
 技に入りかかった関節技から逃れる方法はいくつかある。先刻のようにダメージを与えて振りほどく方法や、強引だが力任せに振りほどく方法もある。だが、今回は打撃を入れようにも体勢が悪い。また、ほとんど技に入った関節技を力任せに振りほどけるほど、美鈴と鈴仙に腕力の差はない。
 関節技は「てこの原理」で「本来曲がらない方向に力をかけて折る」技だ。
 今、鈴仙がかけようとしている技の場合は、美鈴の肘に手を添えて「てこ」にし、手首を掴んだ手で外側に力をかけて折るのだ。であれば、肘に添えられた「てこ」をずらすことで力がかからなくなれば、技から逃れることができる。格闘技を知らないものから見れば技に入りかかっているのにそんなことができるのか、という理屈だが、鍛錬すればできなくもない。
 簡単に言えば、相手に掴まれている部分を中心に、身体を回転させてしまえばいいのだ。肘の外側に「てこ」を当てられているのであれば、回転して肘の内側に「てこ」が当たるようにすれば、それは別に問題でもなんでもない。人の腕が内側に曲がるのは当たり前のことだ。
 美鈴はこの手段を取った。関節技を成立させようとする鈴仙に腕を引かれて振り回されつつ、地面を蹴って前方に回転する。この時点で鈴仙の関節技はもうほとんど意味を成さない。
 だが、美鈴が関節技から逃れようとしているこの状況こそが鈴仙の真の狙いだった。
 「てこ」として意味を成さなくなった右手を美鈴の肘から離し、回転中でほかの動作ができない美鈴の後頭部を掴む。滑りにくくするために指を髪に絡めるのも忘れない。
 そして、掴んだ美鈴の頭を回転の勢いも利用して、関節技を成立させよう振り回している振りをして近づいておいた狛犬の石の土台に叩き付けた。

 ごずっ、いう鈍い音が境内に響く。
 更にその音が消えぬ間に、ぶちっという何かを引きちぎるような音がその場にいるものの耳に飛び込んできた。

 鈴仙が美鈴の顔を石の土台に叩きつけ、まだ掴んでいた左腕に改めて関節技をかけて破壊したのだ。
 境内のあちらこちらから悲鳴が起こる。
 叩きつけられた頭を石の土台に預けたまま、美鈴が力なくうずくまる。土台を掴み、跪いていないのがせめてもの美鈴の抵抗だろうか。だがまだ壊したりないとでも言うように、鈴仙が美鈴の首に腕を絡める。
「おいおいおい、やりすぎだろ!
 土台に叩き付けた時点でもう決着付いてただろうが!
 常識的に考えろ!」
 魔理沙が鈴仙を止めようと立ち上がる。境内のあちこちから同じように声が上がる。
 視界を銀色の輝きが抜けていったのは、咲夜が構えたナイフの反射だろう。
 声は聞こえているだろうに動作を止めようとしない鈴仙を見て、魔理沙が八卦炉を構えようとする。妖夢も腰の楼観剣を抜いた。
「妹紅もいい加減に止めろよ!」
 魔理沙の言い分は正しい。
 ただしそれは常識的に考えた場合だ。
「動かないでください」
 妖夢は魔理沙の首に刀を突きつけた。
 同じように咲夜がレミリアに行動を掣肘されている。
「バカじゃないのかお前ら!? 美鈴を殺す気か!?」
 妖夢の刀に動きを止められても口を止める気はない魔理沙が怒鳴るが、首筋の刀はぴくりとも動かない。
「そんなつもりはありませんよ」
「じゃあアレ止めろよ!
 どう見たって殺人の現行犯じゃないか!」
「まあ、常識的に見たらそうでしょうね」
「誰がどう見たってそうだろう!!」
 だが、武を通じて美鈴と知り合った妖夢は知っている。

 紅魔館の門番は常識の範疇には収まらない。


 鈴仙は何が起こったのか理解できなかった。
 理解できたのは背を向けてうずくまっていた美鈴に「何か」をされて吹っ飛ばされたことぐらいだ。
「かはっ!?」
 身体の中を通り抜けたはずの衝撃が、身体の中に残っている。
 息ができない。
 美鈴に叩き込まれた衝撃に息を吐かされて肺の中は空っぽだ。必死に新しい空気を吸い込もうとしているのに、身体の中に残った衝撃に阻まれて上手くいかない。
 苦しい。
 自分がどうなっているのかわからないまま、胸を押さえて悶える。押さえた胸も痛い。いや、それよりも空気だ。空気が欲しい。
 吐き気がする。
 そうじゃない。吐きたいわけじゃない。息が吸いたいんだ。
 視界がゆがむ。
 そんなのはどうでもいい。とにかく息を。
「……っはぁ! あぐがあぁぁぁぁ!」
 美鈴に叩き込まれた衝撃を飲み下し、ようやくできた一呼吸。
 だが息苦しさから解放されると、今度は美鈴に「何か」をされた胸が痛む。
 とんでもない激痛だ。せっかく吸い込んだ息を絶叫で吐き出してしまった。もう一度息を吸おうとすると、また痛みが走る。
 我慢すれば呼吸はできるが、息を止めてしまいたいと思えるほどの激痛が呼吸のたびに走り抜ける。
 だが呼吸を止めてしまうわけにいかない。鈴仙は浅く荒い息をしながら、痛みに震える手で何箇所か胸に触れてみる。
 肋骨が折れていた。おそらく一本だけで済んではいないだろう。何をされたのかはわからないが、美鈴の打撃をまったく防御せずに食らってしまったのだ。折れた骨が片手で数えられる程度で済んでいたら、僥倖だと考えるべきだろう。
 鈴仙は寝返りを打って地面に手をついた。身体に力が入らない。それだけの動作だけで、酷く体力を消耗する。
 吐き気がして咳き込む。酷く湿った咳だ。するたびに胸も痛むし鬱陶しい。
「鈴仙」
 ぐらぐらと揺らぐ視界に、不意に銀色が降りてきた。
 うつ伏せの鈴仙の前に、妹紅が膝を突いた。
「まだ、続けるかい?」
 確認の言葉を聞いて、鈴仙は妹紅を見上げた。
 鈴仙を黙って見下ろしていた妹紅はしばらく同じ色の瞳を合わせていたが、しばらくして「そうか」とつぶやくと身体を起こした。
「……続行!」
 ここまで大怪我をしたのはいつ以来だろうか。
 おそらく、幻想郷に来てからはなかったはずだ。
 いつかの夜も弾幕で怪我をしたが、今ほど命にかかわる怪我はなかった。
 永遠亭に拾われた、あのとき以来だ。
 月の戦場で戦って、怪我をして、心ならずも逃げ出したあのとき以来だ。
 鈴仙と同じく兵器として生み出された姉妹たち。
 数少ない成功例として狂気の瞳を持って鈴仙を、姉妹と受け入れてくれた姉妹たち。
 鈴仙は必死に戦った。狂気の瞳を持たずに生まれ、失敗作として処分されるはずの姉妹たちを守ろうと、ほかの成功例たちよりも多くの敵と戦い、蹴散らし続けた。
 だが、鈴仙一人で戦況をひっくり返せるほど、戦争は甘くない。
 怪我をして命からがら逃げ戻った鈴仙に、姉妹たちは微笑んだ。
「今までありがとう」
 怪我をして抵抗できない鈴仙を、全員で地上に向けて押し出しながら、姉妹たちは笑顔で手を振った。
「あとは私たちが戦うから」
 あのときもっと私が強かったら、みんなを守れたんじゃないのか。
 訓練のたびに思う。
 どうにか立ち上がった鈴仙は顔を上げる。
 美鈴はすでに立ち上がっていた。足元はふらつき、鈴仙が折った左腕はあらぬ方向を向いてしまっている。石台に叩きつけられてざっくりと割れた額から流れ出た血が、痛みに歪む顔を真っ赤に染めている。
 それでもその瞳がまっすぐに鈴仙を射抜く。鈴仙の瞳の赤さを映したように、紫の輝きを帯びた美鈴の瞳が鈴仙を見据えている。
 美鈴は門番だ。名高い紅魔館の守り手だ。
 この人に勝てたら。
 強くなれたと実感できるだろうか。
「あああああぁぁぁぁぁぁ!!」
「はあああぁぁぁぁぁぁ!!」
 どちらからともなく駆け寄って、お互いの拳がすれ違う。
 鈴仙の拳が美鈴の眉間を叩き、美鈴の拳が鈴仙の鳩尾を抉る。
 傷口に追い討ちを食らった美鈴の膝が砕けかかる。折れた肋骨近くを叩かれて激痛と衝撃を再現された鈴仙の腰が落ちかかる。
「ぁ……がああぁぁぁ!!」
「うああああ!!」
 それでも踏ん張った二人の拳がまたすれ違い、傷ついた互いの身体に突き刺さる。
 鈴仙は顔といわず身体といわず、ろくに狙いも定めず叫びながら、ただ殴る。
 防御など考えず、ただ目の前にいる相手を打ち倒したくて。美鈴もそれに応じるように、鈴仙の攻撃をもらいながら反撃してくる。
 美鈴さん、強いなぁ。
 美鈴の拳にあごを跳ね上げられながら思う。
 どうして強くなれたんだろう。
 美鈴の顔面に拳を返しながら、そうも思う。
 勝っても負けても、終わったらゆっくり聞いてみたいな。
 鈴仙は殴りあいながら、折れた左腕を後ろにして半身に構えた美鈴の左足が引かれていることに気が付いていた。
 構えている角度から、おそらくは鈴仙のこめかみを狙う上段回し蹴り。右腕だけで両腕健在な鈴仙と互角に殴り合っているが、決着をつけきれないと判断して蹴りを出そうというのだろう。
 美鈴の意図を読んだ鈴仙は、覚悟を決めた。
 決着をつける。

 そんな風に考えた瞬間に美鈴の拳が鼻下の急所に入った。途切れ途切れだった意識が吹っ飛びそうになる。
 ありがたいことに次の美鈴の拳は折れた肋骨に入った。暗い場所に転げ落ちていく寸前だった意識が、激痛で強引に引き戻された。
 目が覚めた鈴仙は殴れた場所をかばって胸元の防御を固めるふりをする。それを見た美鈴が身体を引いた。

 来る。鈴仙の意識が胸部の防御に向いたと判断した美鈴が放つ、左の上段回し蹴り。
 これを受け止めて、蹴ってきた左足を折る。右足は十分にダメージを与えてある。左足が折れたらもう立ち上がれないだろう。

 これで決着だ。

「はあああぁぁぁぁぁ!!」
 美鈴が軸足になる右を踏み込んだ。力強い震脚。そして美しい弧を描くため、上がり始めた左足。膝の角度も鈴仙の予測どおり。
 右腕を曲げて頭に付け、腕全体で守る。
 歯を食いしばり、腕と首で美鈴の蹴りを受け止めるために踏ん張りなおす。
 だが予測したタイミングで蹴りが来ない。

 背筋を冷たいものが走り抜けたのと、衝撃が鈴仙の腹に叩き込まれたのは同時だった。
「がっ……は……!?」
 全身がその衝撃によじれる。美鈴を絞め落としにかかったときにもらった打撃と比べても遜色のない、恐ろしい衝撃。
 その衝撃は美鈴の回し蹴りで叩き込まれた。左の回し蹴りは頭を狙った上段ではなく、腹を狙った中段だった。美鈴が上げ始めた膝の角度は間違いなく上段を狙う角度だった。上段を狙っていたものを途中から中段に切り替えてこの威力を出せるとは思えない。美鈴の意図を読んだつもりで、読まれていたのは鈴仙だったのだ。
 いや、そんなことは後でも考えられる。下がってしまった頭を上げろ。防御のために腕を上げろ。
 まだ美鈴は目の前にいる。
 腰が落ちる。背を伸ばして立っていられない。膝が震える。腕が上がらない。
 身体が意思を裏切って、美鈴の追撃に備えられない。
「……ああぁあぁああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 今度こそ上段を狙って放たれた美鈴の左足が、鈴仙のこめかみを叩く。

 その一撃が鈴仙の意識を身体から蹴り飛ばした。


 美鈴の左足が鈴仙の頭を蹴りぬいた。
 蹴られた時点で意識はなかっただろう。鈴仙はそれでも美鈴の足を掴もうとして……そのまま頭から崩れ落ちた。
 美鈴は一歩引いて拳を構えなおす。
 ぴくりとも動かない鈴仙に妹紅が駆け寄って、即座に手を振った。
「勝者、紅 美鈴!!」
 美鈴もその場に倒れこんだ。


 鈴仙が目を覚ますと、見覚えのない天井が目に入った。
「……あれ?」
 思わず呟きを漏らすとがらがらとした声が出ると同時に、とんでもない痛みが胸に走る。見れば昨日着ていた服を脱がされ、浴衣に着替えされられている自分の胸が包帯でぐるぐる巻きにされている。ついでに殴り合いで砕けてしまったらしい両方の手の甲にも厳重に包帯が巻いてあった。全身あちこちに違和感があるのは包帯とガーゼのせいだろう。
「……ったたたた」
 胸に負担がかからないように起き上がると、額に乗せられていたらしいタオルが落ちて、てゐと永琳が座ったままもたれ合って眠っているのが目に入った。眠っているてゐのまぶたの辺りが腫れている。鈴仙と美鈴が遣り合う発端になってしまったてゐは試合の後半から鈴仙が傷つく原因になってしまった自分を責めて泣きながら見ていたのだが、てゐが泣いた理由に思い至らなかった鈴仙は首を傾げただけで、二人を起こさないように布団から抜け出した。
 縁側に出て風景を見て理解する。どうやらここは博麗神社の一室らしい。ちょうど朝日が昇ってきたところだった。
 視線を室内に向けると、てゐと永琳はぐっすりと眠っている。喉が渇いた鈴仙は水をもらおうと思い、ふらふらと縁側を歩き出した。
 土間に向かう途中で博麗神社の境内を見ながら、鈴仙は首を傾げた。
 博麗神社はこんなに見通しがよかっただろうか。
 土間の水がめで口を潤した鈴仙はてゐと永琳が眠っている部屋に戻る途中で、賽銭箱のあたりで大きな人影と小さな人影を見つけた。
「美鈴さん」
 名を呼ぶと、大きな人影が振り返った。
「鈴仙ちゃん」
 鈴仙が近づくと、左腕を吊るし、顔といわず全身包帯だらけの美鈴が苦笑する。
「酷い顔」
「お互い様ですよ」
 苦笑をつき合わせていると、小さな人影から声をかけられた。
「お二人とも呆れるほど頑丈ですね。
 あれほど激しく殴りあったというのに、もう起き上がれるのですね」
 小さな人影のほうは稗田 阿求だ。人里に薬を売りに行く鈴仙は面識はあるものの、彼女が博麗神社の宴会に参加しているとは思っていなかったので驚いた。素直にそれを口に出すと、
「いえ、新聞を持ってきてくれた天狗の記者さんに
 『ネタは自分で探すから面白いのですよ!』と力説されまして。
 それならちょっと一度参加してみようかなと思った次第で」
 という返事が返ってきた。
「慧音さんに無理を言ってつれてきていただいたのですが、ただの人間があの魑魅魍魎の中にいると、中々怖いですね。
 弾幕も使えませんし、誰かに少しでも狙われたら死亡確定ですから」
「それなら早めに引き上げてしまえばよかったのに」
「慧音さんが早々に潰れてしまいましたからね。
 ほかに人里まで送ってくれそうな方も思い浮かびませんでしたし。
 まあ、そのおかげで興味深いものも見学させてもらえました」
 口元に笑みを浮かべた阿求が鈴仙と美鈴を等分に見やる。
「ほかの阿礼乙女たちも知らぬ、肉体を使った言葉のやり取り。
 存分に堪能させていただきました」
 頭を下げられて、照れた鈴仙はそっぽを向く。
「堪能してもらえたんならいいけど。
 貴方のような知識人があんな殴り合いにそういう感想を抱いてくれるのは意外ですね」
「私はそういうことをするには身体が弱いだけで、嫌いじゃありませんよ。
 その後も結構楽しませていただきましたし」
「ああ、そこですよ。結局私も気絶しちゃって覚えてないんですけど、
 何かあったんですか?」
 美鈴がそういって境内を指差す。その動きにつられて境内に目を向けた鈴仙は驚いた。
 何もない。
 入場に使った鳥居もなければ、美鈴をぶつけた狛犬もない。ついでに埋まっている樹はほとんどが根っこだけを残して幹が消し飛んでいる。石畳もほとんどがひび割れており、酷いことになっている。
 美鈴の質問に、阿求は「ふむ」と頷いて口を開く。
『いい戦いだったわ……若いっていいわねぇ、お互いがいるだけで熱くなれて』
『年増は戦う理由を探すのにも苦労するのね、ご愁傷様』
『……あぁら、くだらない理由でケンカを吹っかけて回るどこぞの枯れススキよりは若くてよ?』
『上等だわ、ちょっといらっしゃい。誰が一番強いのか教えてあげる』
 以上、西の空で繰り広げられた隙間と花の一幕。
『あの、そちらの……刀をお持ちの方』
『私ですか?』
『はい。私、射命丸様にお仕えする犬走 椛と申します』
『これはご丁寧に。私は……』
『存じております。白玉楼の魂魄 妖夢様で相違ありませんね?』
『ええ。それで、ご用件は……と、あの戦いを見た後で帯剣していれば聞くまでもありませんか。
 いいですよ。私も色々と疼いていたところです』
『ありがとうございます。それでは一手ご指南頂戴します』
 以上、東の空で火花を散らせた半人半霊と狼の一幕。
『むぅ……最近妖夢が私のことを放り出して行っちゃうことが多くなっちゃった……』
『いいじゃん、それが成長ってもんでしょ。
 まだまだ成長する若木なんだから、あんまり手をかけすぎると根腐れするよ』
『それというのも、あんたが余計な騒動を起こして
 妖夢を紅魔館の門番と知り合わせたのが……』
『ちょっとちょっと、流石にそれは言いがかりじゃにゃー!?』
 以上、南の空で咲いた桜と今日は踏んだり蹴ったりの鬼の一幕。
『アリス! やらせろ!!』
『はあ、たぶん言ってくると思ったわよ。
 北の空が空いているからそっちでいいわよね?』
『おう!
 びみょんなニュアンスで言ったのに
 そういう受け取り方を微塵もしてくれないアリスをボコボコにしてやるぜ!』
『何よその説明的なセリフ。
 うん? 魔理沙、なんで半泣きなの?』
 以上、北の空で百合を咲かせ損ねた魔砲使いと人形遣いの一幕。
「更に西の空に『あたいったら最強ね!』と氷精が宵闇の妖怪や夜雀や蛍の手を引いて乱入。
 『私も疼いたから混ぜなさい』と紅魔館の主が東の空に乱入。
 更に『椛に何をしてるんですか!』と酔っ払って状況を理解していない新聞記者が乱入。
 南の空には紅魔館の主の妹が『最近美鈴がおやすみのときに遊んでくれずに出て行っちゃうのは貴方のせいー?』と乱入。
 『流石にあんたらが結託したらかわいそうじゃない?』と意外といい人の不死鳥が鬼の支援に乱入。
 『魔理沙! やらせなさい!』とさんざんに弄り回された蒼白巫女が鳴かされ疲れて寝入ってしまい、暇になった霊夢さんが北の空に乱入。
 『ウチの娘を放り出して別の女に走るとは何事かー!?』とお山の神さまたちも後を追って乱入。
 そして流れ弾幕がバックミュージックを奏でていた騒霊楽団や
 弾幕の輝きのせいでチカチカして本を読みにくそうにしていたパチュリーさんと、一緒にいた小悪魔さんを直撃。
 弾幕を食らっても楽しそうにしていた騒霊楽団はともかく、
 本をダメにされて怒り狂ったパチュリーさんが
 『そう。実験台希望なのね。ふふ。うふふ……』とか高らかにほくそ笑むという難しいことをしながら乱入。
 後はもう好き勝手に乱入していって、めちゃくちゃですね。よく幻想郷が滅ばなかったものです」
 随所に物まねを混ぜて説明する阿求。無駄によく似ている。
「ほんとによく滅びませんでしたねぇ……」
「見事に恐ろしいメンバーが勢ぞろいした弾幕バトルロイヤルですね……誰か止める人は居なかったんですか?」
「博麗さんや八雲さんが参加しちゃってましたしねぇ。
 四季さまなら説教してくれるかと期待してたんですが、
 審判にできなかったことに腹を立てて飲んだくれた挙句に小町さんの乳枕で眠っちゃってましたし」
「け、慧音さんは?」
「妹紅さんが鬼の味方に行ったときには目を覚ましていたんですが、
 どうやらそれが気に入らなかったらしく角をはやして大暴れ」
 美鈴と鈴仙は苦笑を浮かべた。
「まあ、それでも美しい空でしたよ。
 この先私があれほど美しい夜空を見上げることはもうないでしょうね」
 言い置いた阿求が境内に足を進める。
「あれ? どこ行くんですか?」
「もう日が昇りました。妖怪の時間もおしまいでしょう。
 一足先に里に戻らせていただこうと思います」
「そんな。きっとこの後、雑炊とか炊くと思いますよ。
 食べて行きませんか?」
 朝日を背に振り返った阿求が微笑んだ。
「いえ、せっかくあれだけのものを見せていただいたのです。
 忘れないとはいえ、早く筆を取りたいと思いましてね。
 慧音さんによろしくお伝えください」
 ゆるゆると阿求が去っていく。
 黙ってそれを見送った鈴仙は阿求の姿が見えなくなると、同じように阿求を見送った美鈴に目を向けた。
 視線を感じたのか、美鈴が振り返る。
 顔中見事に包帯だらけだ。包帯の場所にあざがあると考えると、包帯を取ったら顔中でこぼこだろう。
「頭、大丈夫でしたか?」
 聞きようによっては失礼な質問だが、美鈴は笑って頷いた。
「うん。今も気持ち悪くなったりしないし、大丈夫だと思う。
 ……鈴仙ちゃんも、おなか、大丈夫かな」
「大丈夫だと思います。師匠が眠っているということは、問題ない証拠でしょうし」
「そっか」
 鈴仙は賽銭箱の脇に腰を下ろした。美鈴も右足を庇いながら腰を下ろす。
「右足、結構ダメージあったんですか?」
「うん。最後の出した蹴りで本当に限界だった」
「そういえば、私を吹っ飛ばした技はなんだったんです?」
「ああ、あれ。背中でぶち当たる体当たりみたいな技よ。
 ああいう技があることを知ってなければ背中を向けたら油断して近づいてくるし、いい技でしょ」
「ええ。思い切り食らっちゃいましたよ」
 鈴仙と美鈴は賽銭箱の左右にそれぞれもたれかかって、ぼんやりと昇っていく朝日を見ていた。
 二人以外に起きているものはいないらしく、早起きな小鳥たちの鳴き声以外は物音一つしない。無残な境内に延びる影が、朝日が伸びるにつれて短くなっていく。

 朝日を見ていたら、不意に涙がこぼれ出した。
 止めようと思う間もなくこぼれ出したそれは、頬に張り付けられていたガーゼにしみこんでそれ以上伝うことはなかったが、寝起きでまだ動き出していなかった感情の呼び水には十分だった。
 悔しい。
 勝てなかったことも悔しいが、負けてしまったことで、お前には何も守れないと突きつけられたような気がした。
 そんなものは勝手な思い込みで、誰もそんな風には思っていない。それは頭では理解できているが、そんなに簡単に感情はついてこない。
 どうしようもなく悔しい。

 ずいぶん長い時間をかけてようやく感情を落ち着けた鈴仙は、またぼんやりと朝日を見上げていた。鈴仙が必死に感情を落ち着かせようとしている間、賽銭箱の向こう側に美鈴は一言も発さなかった。鈴仙にはその沈黙がありがたかった。勝った相手からのへたな慰めはいらない。受け取れない。
 沈黙が続く。
 気まずさは感じなかった。涙を流したせいか、妙に脱力してしまって虚脱状態だ。穏やかな空気もあって、鈴仙はもう一度このまま寝てしまってもいいかと思い始めたが、戦いのさなかに感じた疑問を思い出して口に出した。
「美鈴さんは、どうして強くなろうと思ったんですか?」
 突然の質問に言葉を選んでいたのか、美鈴から答えが返ってくるまで少し時間があった。
「私ね、門番やってるくせに、守りたいと思ったものを守れなかったことがあるの。
 だから、強くなりたいんだ。今度こそ、守りたいものを守れるように」
 美鈴の答えは宴会でてゐが聞いた内容とは別の内容だ。宴会で聞いたときよりも、声に真摯さがにじんでいた。

 美鈴も同じ思いを抱えていることを知って、少しうれしくなった。
「また、戦ってもらえますか?」
「うん」
 鈴仙が聞くと、美鈴は最小限の返事だけ返してくれた。

 もっと強くなろう。
 鈴仙は思った。
 もっと強くなって、もう一度自分をぶつけてみたいと思えるようになったら、力いっぱいぶつけさせてもらおう。
「いつかまた、お願いします」
「うん」
 美鈴の声が笑みを含んで緩んでいた。
「鈴仙ちゃんごめんね、私があんなこと言い出したから怪我することになっちゃって。
 手が不自由な間は私が鈴仙ちゃんの手になるから、何でも言いつけてね」
「てゐ、それは師匠である私の役目よ。不肖の弟子の世話も師匠の勤め」
「えーりんどいてよ。鈴仙ちゃんの世話は私がするの」
「それはこっちのセリフよ。てゐこそその場所を私に明け渡しなさいな」
「フシャー!」
「キシャー!!」
「……」
「イナバ、私が世話してあげようか?」
「……お願いします」


お読みいただきありがとうございました。
別で連続させてるのを止めて書いてんじゃねぇ、というツッコミは自分でさんざんやりましたので勘弁してやってくだせぇ……。

戦う理由があって強くなる人、理由はなくても強くなる人、そもそも最初から強い人。
いろいろいるけど、鈴仙・美鈴あたりは理由があって強くなる人かなーと思ってこういうお話になっています。

ちなみに、えーりんの酒の飲みっぷりは「薬が効かない」から。
「酒を飲んでも酔えない」なら酔えなくて面白くないから飲まないか、
味が気に入って飲みまくるかのどっちかだろうと思ったのであんな感じになっています。
二日酔いを気にせず飲めるってうらやましいね!

楽しんでいただけましたでしょうか。
ではでは。

6/20
誤字指摘ありがとうございます。
って、うわーい、抜けてたキャラがいたー!?<騒霊楽団&図書館組
一覧表までつくってチェックしたのに……。
ありがとうございます、加筆いたしました……。
FELE
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.3290簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
この連中だったら幻想郷が滅びかねん事さらりとやるんだろうね(笑)
しかしえーりん、なんて羨ましい体質なんだ…
6.100名前が無い程度の能力削除
熱かった
板垣顔と筋肉の美鈴とレイセンが目に浮かぶw
10.90コマ削除
己が故を拳に問う、ですね。
美鈴も鈴仙も、未熟だからこそ出来ることがある、と。
いや、いいものを見させていただきました。

それにしても鈴仙、もんぺジャージはあんまりな……それはそれでイイな。
12.100名前が無い程度の能力削除
途中から刀牙になってしまった。
15.90名前が無い程度の能力削除
>板垣顔
俺も目に浮かんだw

とりあえず某御柱と狐とあややと(以下多すぎるので省略)は色々と自重するべきだw
17.80名前が無い程度の能力削除
図書館組と騒霊三姉妹も欲しかったかな
19.100名前が無い程度の能力削除
熱いな!
スカッとした。
23.90煉獄削除
ゆったりとした時間が流れるような宴会かなぁ・・・と思ったら
一転して美鈴と鈴仙の対決になって
終わりにはほぼ全員が入り乱れての大乱闘騒ぎとはw
面白かったです。
色々な場面で色々と笑いを誘うネタが練りこまれていて良かったです。
24.100名前が無い程度の能力削除
何だか、久しぶりに読むのに体力を使うSSを読ませて頂いた感じです。ご馳走様でした。

ガチの殴り合いを見てたらお腹空いたので、次の作品はご飯描写多めでお願いします(ぇ
26.100Huey-An Leu削除
GJ!
34.100名前が無い程度の能力削除
誤字:美鈴の入場の際の演習は
脱字:ただの人間があの魑魅魍魎の中いると

芋の美鈴の技を思い出しながら読みました。迫力あるバトルが素敵でした。
神社がこうなってしまうと霊夢が怒っているのが目に浮かびます。みんな自重しろ。
メイン二人はもちろん、背景の永琳と映姫が気になります。そして妖夢かっこいい。
35.100名前が無い程度の能力削除
内容全部無視して感想を言わせてもらいます。

早苗さんが!!
36.100名前が無い程度の能力削除
熱いぜとっても。
あと、鈴仙元軍人だからってエグすぎる。
37.100名前が無い程度の能力削除
もふり殺されました。
44.60名前が無い程度の能力削除
戦闘の描写や、戦闘に入るまでの日常は非常によかったんですが、美鈴と鈴仙のキャラが今の公式と全く違う辺りが残念です。
鈴仙は妖獣としちゃ鈍いとされてますし、美鈴は一年中門の前で寝てるだけ(鈴仙もその横を通ってる)なので……
戦闘開始以降は、わざわざ東方でやらずオリジナルでもよかったのでは?というのが一読者としての感想です。
47.90名前が無い程度の能力削除
お師匠様かわいいなぁ。
そして、鈴仙と美鈴がかっこいい!
とても楽しく読ませていただきました。

あと、アリスさん冷たいw
53.80名前が無い程度の能力削除
鈴仙の格闘技術の意外な高さにビックリさせてもらいました。
55.100名前が無い程度の能力削除
なんというか・・・久々に某格闘技漫画を読みたくなりましたw(主に最大トーナメントの辺りを)
56.100名前が無い程度の能力削除
あれっ?何故か美鈴の顔がガングロに……そして髪型が弁髪に見えてくる……

注意書きでガチ殴り合いバトルを想像していたので宴会の部分で退屈させられ……るわけないですw みんなの酔いっぷりがめっさ面白かった。これだけで作品として成立する気がします。
で、散々引っ張られた末の格闘ですが、かなり緻密で素晴らしかったです。
ですがそれよりも個人的にキたのは、終わった後のみんなの盛り上がりようです。熱い戦いを見せられて黙っていられない餓狼の血を持つ少女達に、極めて強い共感を抱かざるを得ませんでした。
漫画版でF巻・H川がしていた、喜びを隠し切れないあの表情をみんなしているんだろうなと、そして読んでいる自分もそうなっているなとw
70.100名前が無い程度の能力削除
戦いのことに対しては皆さんが言ってるので一つだけ。
百合の花万歳!!!
72.100名前が無い程度の能力削除
いや、なんというか…GJ!
79.100名前が無い程度の能力削除
ね、熱いぜ…!
81.100名前が無い程度の能力削除
なんというフィスト・オア・ツイスト!
88.90名前が無い程度の能力削除
こういう熱い拳と拳の語り合いもなかなか良いものだと思いました。