Coolier - 新生・東方創想話

永遠

2013/07/15 01:03:03
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 復讐。


 ただ、あの女を許してはおけなかった。平穏な日常をいともたやすく奪い取ったあの女を。


 復讐。復讐。


 手段があれば、それでいいと思った。過程など関係なかったから。結果的に、目的を果たすことが出来れば、それでよかったから。


 復讐。復讐。復讐。復讐――。


 ――だが。


 そんな自分が間違っていたと知ったのは、もう何もかもが遅くなってからの事だった。


 動き出した時計の針は、誰にも止められない。もはや、私には――。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――





 暗闇。うだるような熱さの中で目を覚ました私を包むのは、底を見通せぬ漆黒だった。思わず呻き声を上げる。今日は、ここ数年でも類を見ないほどの熱帯夜であった。きっと、この地に住むほとんどのものが眠れぬ夜を過ごしている事だろう。――そのせい、かもしれない。熱に浮かされたためかもしれない。酷く、懐かしい夢を見た。……懐かしい、と言っても、それは心地が良いものではなかった。むしろ、悪夢と言った方が幾分正しいだろう。思い出したくもない、唾棄すべき過去。しかし、私の中に深く、深く打ち込まれた、切り離せぬ楔。これは、私の罪に対する罰なのだ。忌まわしき因縁。永遠に続く戦い。その全てが、私の心を徐々に、徐々に殺していく。この夢は、今までにも何度も見てきた。以前に見たのは、十年前か二十年前か。暫くの間見ることのなかった悪夢である。


 なぜ、この夢を暫く見ることが無かったのか。それは、今の暮らしが、とても心地の良いものだったからだろう。幻想郷の環境は、博麗の巫女が今代に代替わりしてから目覚ましい変化を遂げた。スペルカード・ルールによる、人妖の交流の増加。久しく触れ合っていなかった人妖達は、スペルカード・ルールにより再び対等の『敵』としてあいまみえた。妖怪は、焦がれるほどの熱情を持て余していた。人間は、培われてきた劣情を打ち払う機会を求めていた。両者の利害の一致。お互いがお互いを求める時代の再来。外界ではすでに廃れてしまったという、人妖の新たな絆の形が、今ここに再び具現化していた。それはまさに理想の世界。妖怪は人間に退治されるために在り、人間は妖怪に脅かされる為に在る。しかしながら、両者の間には、天と地ほどの力の差があった。スペルカード・ルールは、その穴を埋めるだけに留まらず、幻想郷に様々な恩恵をもたらした。その上、あらゆるものにとっての楽園は、何もかもを受け入れるほどの寛容さを見せた。誰からも追いやられた吸血鬼は、永久の安住を約束された。生まれ持つ力によって疎まれた亡霊は、信頼できる従者と友を得た。かつて人間に絶望した鬼は、再び人と盃を交わせることに歓喜を抑えきれなかった。信仰を失い消滅する運命にあった神々は、隆盛期の力を取り戻しつつあった。――そして、私。そのほかにも、沢山。幻想郷という地に、スペルカード・ルールと言う掟。この二つのどちらが欠けても、人妖達は幸せな日常を手に入れることは出来なかっただろう。


 私も、その恩恵を十分に受けていた。忌まわしき過去は、あまりにも大きな爪痕を私の心に残した。近寄る生き物を見境なく殺していた時もあった。人間たちにずっと追われ続けていた時もあった。様々なことが重なり、ボロボロになっていた私を受け入れてくれたのは、この楽園だった。様々な人妖と知り合った。長い間忘れていた、生き物の温もりを感じた。それだけで、摩耗した心がどんどん癒されていくのを感じた。笑うようになった。泣くようになった。怒るようになった。そんな、当たり前の感情さえ、自分は忘れていたんだということに気付いた時、自然と涙が出た。その涙も、宴会の陽気に中てられて、あっという間に笑顔に変わった。そんな日常に、私は慣れてしまっていたのかもしれない。


「…………っ」


 身体が震える。漠然とした不安が心の底から湧きあがってくる。久しく忘れていた感覚。悪夢を見た後、私はいつもこの感覚に襲われていた。自分の足元が薄氷によって成り立っているかの様な、不安。まるで、深淵の淵を覗きこんでいるかのような感覚。長年の生活によって克服したはずの恐怖が、喉元にまでせり上がってきた。がちがちと音を立てて、歯が震える。溜まらず自分の身体を抱いた。そうしなければ、『自分』が何処かに行ってしまうような気がしたから。しかし、今までとは違い、それだけでは恐怖は消えなかった。立っていられなくなるほど、足が震えた。どっ、と床に座り込む。動悸が治まらない。辛い。呼吸困難に陥ったかのように、私は荒い呼吸を繰り返すことしかできなかった。


「妹紅……?」


 誰、と声を上げそうになり、我に返る。そうだ、私は慧音の家に泊まらせてもらっていたんだ。私の部屋から聞こえる音に気が付いたのかもしれない。慧音は、私の様子を見に来たのだろう。「大丈夫」、と伝えようとする。しかし、私の喉は思うように言葉を紡いではくれなかった。ただ、先程までと同じように、はーっ、はーっ、と、荒い呼吸が繰り返されるだけだった。慧音は、慌てた様子で私に近づくと、心配している様子で話しかけてきた。


「どうした、妹紅。どこか悪いのか?」


 「大丈夫」。その一言が出ない、精一杯笑顔を作ろうとするが、思うように体が動いてくれなかった。慧音はますます慌てて、医者がどうだとか薬がどうだと言っている。そんな慧音を見ていると、少しだけ心が軽くなった。体の震えが、納まった。


「だい、じょうぶ。慧音」
「妹紅!? 本当に、大丈夫なのか? 無理をするんじゃないぞ」
「大丈夫だってば」


 慧音は心配そうな表情を崩さない。本当に、お人よしな奴だ。……だからこそ、自分の事について聞いてもらいたい、と思った。今まで誰にも話したことが無い、自分の過去について。何の気休めにもならないかもしれないけれど。


「ねえ、慧音」
「どうした……」
「話を、聞いてくれないかな。少しだけでいいからさ」
「……ああ。私にできる事なら何でも」
「ありがとう……」


 大きく深呼吸をして、息を整える。誰にも語ったことのない過去。未だ私を縛り続けている鎖。誰かに話せば、少しは楽になるかもしれない。そんな一縷の希望にかけて、私は自らの過去を話し始めた――。




 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――





 今から千数百年も前の話。まだ、幻想郷が存在すらしていなかった頃。私は、都に住むただの人間に過ぎなかった。ただの人間、と言っても、周りの人間たちに比べれば物凄く恵まれている身の上だったことは間違いないだろう。何故なら、私の父は、都でかなりの力を持つ大貴族だったからだ。私は、父の五女として生まれた。母親は、物心がついたころには既に死去していた。私は望まれない子だった。正室の子ではない。側室の子でもない。母親が誰であるかすら、誰も知らなかったのだから。しかし、家族は優しかった。どこの馬の骨ともしれぬ私に、沢山の愛情を注いでくれた。私は家族が大好きだった。だから、私は恵まれた境遇にあったのだ。何一つ不自由しない平穏な日常を、ただひたすらに享受すればよかったのだから。


 そんな日常が崩れ去ったのは、些細な偶然によるものだった。


 あれはいつごろの事だったのか。都に、一つの噂が流れた。――竹林に住む絶世の美女の噂。最近、勢力を一気に増してきた豪族、『讃岐の造』の一人娘。彼が竹林で見つけたというその娘は、この世のものとは思えぬほどの美貌を持っている。透き通るような黒髪。白磁の様な肌。黒曜石の様な瞳。鈴の音の様な声。そんな、物語の中に出てくるかのような美女。名を、……『なよ竹のかぐや姫』と言った。


 父は、そんな噂を聞きつけ、かぐや姫を側室として迎えたいと言い出した。正室、側室、子供たち。初めは、皆がその事に反対した。竹林で拾われた女などと言う、出生も解らぬ者を側室として迎えるなど、面子を大切にする貴族にとっては恥ずべきことだと考えられていたからだ。しかし父は折れなかった。そのような絶世の美女を側室にすることが出来れば、藤原氏は更に格を上げられる。相手の貴賤など気にする必要はない、と言うのが父の考え方だった。家族での長きに渡る話し合いの後、私たちは父の意向に従うことにした。納得のいかない部分も多かったが、父は全く折れる様子を見せなかったので、私たちが折れるしか選択肢は無かったのだ。


 かぐや姫との面会が終わり、帰宅した父は、何やら職人を呼んで会合を始めた。話を聞いたところによると、かぐや姫は自分を娶りたいと言う五人の貴族たちに対して、『五つの難題』と名付けた試練を課したらしい。それはまさしく無理難題だった。『仏の御石の鉢』『火鼠の皮衣』『龍の頸の玉』『燕の子安貝』。そして、父に対しては『蓬莱の玉の枝』を。それらは神話などで語られる神宝の数々である。そんな物は、この日本中の何処を探しても見つけられる筈がなかった。他の貴族たちは、かぐや姫の言う通りに神宝を探しに行ったが、父は元より探しに行くつもりは無かった。職人たちに依頼し、本物そっくりの『蓬莱の玉の枝』を作ることによって、かぐや姫を手に入れる、と言うのが父の考えだった。職人たちは、父の依頼通りに『蓬莱の玉の枝』を作った。それはまさしく完璧な出来だった。金銀財宝を存分にあしらい、本当の神宝が如き輝きを放っていた。私は、これならかぐや姫も認めざるを得ないだろう、と思っていた。


 三年程経ち、かぐや姫との二度目の面会の時が訪れた。父は慎重に慎重を重ねて臨んだ。詩聖の呼び声高い貴族を呼び、『蓬莱の玉の枝』を手に入れるまでの途方もない冒険について綴らせた。こちらも、まるで本当にあった出来事であるかのような出来栄えだった。服装も、大冒険の後の様にボロボロな物を用意させた。貴族が着る様な服装ではない。しかし、その事が余計に、冒険譚の信憑性を高めているように思えた。仕上げに、関係者に対する口止め。誰かが、『蓬莱の玉の枝』について漏らすことのないように、厳重に、厳重に手回しをした。『蓬莱の玉の枝』、冒険譚、口止め。その全てが完璧だった。失敗する要素など、何一つないように思えた。私たちは、成功を確信していた。父が、かぐや姫を手に入れ戻ってくることを、誰もが信じて疑わなかった。


 ――翌日、生ける屍のようになった父が帰ってくるまでは。


 生ける屍、と言っても、別に肉体に危害を加えられていたわけではない。壊れていたのは、心だった。私たちの必死の呼びかけに対しても、何の反応も示さない。ただ、虚ろな瞳を何処とも知れぬところに向けているだけだった。父は、何故こうなったのか。私は、父と共に着いていった従者から、どうにか話を聞きだすことが出来た。


 ――まず、『蓬莱の玉の枝』を持っていくと、かぐや姫は翁と媼を下げさせ、父と二人だけの面会を望んだ。従者は、下がった振りをして聞き耳を立てていたらしい。……かぐや姫は、『蓬莱の玉の枝』について語ってほしいと父に言った。父はすかさず、練りに練った冒険譚を話し始めた。かぐや姫は、その話を時には相槌を打ちながら聞いていたらしい、が。父がその冒険譚を語り終えると、突然笑い声を上げ、こう言った。


『よく出来た作り話ね。無い知恵を捻ったことは褒めてあげるわ。だけど』
『私を騙そうとしたことは頂けないわねぇ』


 何を根拠に、と、父は反論しようとした。しかし、かぐや姫が懐から何かを取り出した瞬間、父の、驚愕に満ちた声が上がった。


『これが、本物の蓬莱の玉の枝』
『その偽物とは比べ物にならないでしょう?』


 父は怒った。よくも騙しおったな、と言い。斬りかかろうとしたらしい。しかし。


『あら、小癪な策を弄したかと思ったら、今度は野蛮にも刀を抜くなんて』
『これだから人間は嫌いなのよ、全く』


 斬ることは出来なかった。謎の光が発せられたかと思うと、父の刀は手から吹き飛んでいた。摩訶不思議な力。


『私に手を上げようとしたこと、たっぷりと後悔させてあげるわ』


 かぐや姫はそう言うと、面会用の部屋よりも更に奥の部屋への襖を開け、父をそこへ引き摺っていった。従者は慌てて襖を開こうとした。が、まるで内部から押さえつけられているかのように開かない。従者が襖の前で途方に暮れていると、不意に、襖が開いた。……その時には、もう父は壊れていた。


『脆いわね。少しの間、生き様を否定し続けただけで心が壊れるなんて』
『人間なんて所詮はこんなものかしら』


 酷く詰まらなそうな顔をして、かぐや姫は父を投げ捨てた。


『ソレを持って帰りなさい』


 従者は、そこから逃げ帰る事しかできなかったと言う。そうして、どうにか藤原の屋敷へと帰ってくることが出来た。……以上が、事の顛末であった。


 結論から言うと、その後藤原氏は瓦解した。父はとても有能な人だった。そんな父が当主だったからこそ、藤原氏は成り立っていたのだろう。その父に代わって、二十に満たぬ青年が当主になったとあらば、すかさず内紛が起こるのは自明の理である。保守派と改革派でぶつかった藤原氏は、徐々にその力を無くしていき、終いには滅亡という憂き目に遭った。仲が良かった家族はバラバラに引き裂かれ、私は広い屋敷を与えられ、そこに歳の近い兄と共に住むこととなったのだ。


 こうして、平穏だった日常は呆気なく終わりを告げた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――





 半分ほど、語り終えた。当時の事を思い出すと、胸が締め付けられるような思いである。父の顔、母の顔、兄弟たちの顔。大好きだった家族の顔が、浮かんでは消える。瞳を伏せて、今は亡き人たちを悼んだ。ずっと深刻な顔をして聞いていた慧音が、ぽつり、と問いかけてきた。


「それで、父上は……」
「……死んだよ。何も口に入れられないような状態だったから。衰弱死ね」
「そう、か」
「ほかの家族がどうなったか、私は知らない。会いに行ける様な心理状態じゃなかったからね。私も」
「それで、その『かぐや姫』と言うのは……」
「……お察しの通りさ。輝夜だよ。蓬莱山輝夜」
「やはり、そうなのか。あやつがそのような極悪非道な真似をしていたとは……」


 慧音が、怒りに震えている。本当にお人よしな奴だ。少し苦笑しながら、声をかける。


「いいんだ」
「でもっ、妹紅」
「いいんだよ。もう、あれから千年も経ったんだ。私は未だに憎しみを消せていないけれど、慧音まで憎しみに囚われる必要なんてない」
「妹紅……」
「私だけでいいんだ。憎しみを背負うのは、私だけで」


 自分に言い聞かせるように、そう呟く。私の話は、後半にあたる部分を残すだけである。……先程まで語っていた所までは、偶に思い返して、家族に思いを馳せたりしていた。しかし、これから語る後半部分は、もう二度と語りたくない、思い出したくない記憶である。自然と、体が震える。私の様子に気が付いたのだろう、慧音がまた、心配そうに声をかける。


「辛いなら、無理して話さなくたっていいんだぞ?」
「ごめん、慧音。私は弱虫だから」
「妹紅」
「思い出すのが、怖いんだっ……!」


 ずっと、心の奥に仕舞ってきた記憶。二度と思い出すまいと、語るまいとしていた記憶。その記憶の蓋を、今開けようとしている。もしかして私は、無駄な行為をしているのではないか。そんな考えが頭をよぎる。体の震えが止まらない。語らなければ。語りたくない。相反する感情がせめぎ合う。その感情を押さえつけるかのように、拳を握りしめた。


 よし、大丈夫。私はまだ、語ることが出来る。体の震えが止まった。


「……話すよ。もう、大丈夫だから」
「ああ、最後までちゃんと聞き遂げてやる」
「……本当に、ありがとう」


 慧音に、心から感謝する。相手が慧音じゃなければ、きっと私はこんな勇気を出すことは出来なかっただろう。


 私は再び、口を開く。真に忌まわしき記憶を、呼び覚ましながら――。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――





 それから、数ヶ月が経った。私は兄と質素な生活を送っていた。兄は、元貴族と言うプライドを完全に捨てて、私の為に身を粉にして働いていた。私は十三ほど。兄は十五ほどの歳だった、と思う。おぼろげにしか覚えていない。しかし、優しい兄との生活で、私は徐々に立ち直っていった。

 
 そんな、ある日の事だった。私はまた、一つの噂を聞きつけた。『なよ竹のかぐや姫』が、月へ帰ったと言うのである。私たちは輝夜を恐れ、できるだけ近づかないようにしていた。しかし、嫌でも噂は耳に入ってくるものだ。時の帝が輝夜に求婚した、と言う噂が流れた一週間ほど後の話だ。あまりにも唐突に、輝夜はこの地から姿を消した。私は輝夜を恐れながらも、同時に憎んでいた。……いや、憎んでいるなんて表現では言い表せない。不倶戴天、と言えばいいのか。この世に同時に存在することすら許せなかった。私の家族を奪い、なおものうのうと生き続けていたあいつが。そんな輝夜が、この地上から消え去ってしまったのだ。だから、兄には内緒で、輝夜が住んでいた家へ行った。何か、輝夜についての情報を手に入れられないか、と思って。


 そこでは、翁と媼が話をしていた。二人とも酷く落ち込んでいる様子だった。輝夜は、彼らにとっては心の支えだったのだろう。意気消沈する二人のもとに、来訪者が訪れた。帝の使いで、『調岩笠』と名乗る男と、それに付き従う兵士たちだった。どうやら輝夜は、帝と老夫婦の元に、何かの薬を送ったらしい。勝手に地上を去った償いと言うことだろうか。しかし、帝はその薬を受け取らなかった。翁と媼も、首を横に振った。私はそれが何の薬なのかは解らなかった。しかし、あの輝夜がわざわざ送りつけるようなものなのだから、きっと何かしらの効力があるものに違いない。そう考えて、私は調岩笠の一団を追うことにした。


 どうやら彼らは、薬を山頂に捨てに行くようだった。近辺の山をひたすら登っていった。当時はただの少女だった私には、険しい山の道程は到底耐えられるものではなかった。疲れ果てて、道中で休んでいると、調岩笠たちに見つかり、そのまま合流した。彼らは、私を迷子か何かだと思っていたらしい。そのまま、山頂まで彼らと同行した。山頂に着いた後、私は疲れ果てて眠ってしまった。彼らは持参した布団を私にかけて、そのまま先に向かってしまった。本当に、いい人たちだった。輝夜に関わっていなければ、きっとあんなことは起きなかったに違いない。……暫くして起きた私が、彼らが向かった先で見た物は、調岩笠たちの無残な死体だった。その惨状の中に、一人の女が佇んでいた。名を、木花咲耶姫と言った。彼女の話を聞いたところによると、調岩笠たちは、この薬の中身を巡って対立し、互いに殺し合ったらしい。しかし、私はそれを信じられなかった。彼らは強い絆で結ばれているように見えたから。しかし、この事態が起こったことはあくまで現実だった。その原因が何であるかなど、考えても仕方のない事だった。咲耶姫は、手に持った壺をこちらに差し出し、こう言った。


『持っていきなさい』


 彼女は、そう言ってこちらに壺を渡したきり、ふっと姿を消してしまった。後に残されたのは、壺を持って立ち尽くす私と、幾多の死体のみ。山頂に残る意味は、もはや存在しなかった。


 その山を下っている間に、私は壺の中身を飲んだ。今思い返すと、酒に似た味だった様な気がする。しかし、それを飲んだ時、その物質が今まで口にしたどんなものとも違ったものであるということを身体で理解した。喉が焼けるように痛い。胃が溶けるかと思うほど熱い。これまでに味わったどんな苦痛よりも辛かった。私は、あまりの痛みに気を失ってしまった。


 どれほどの時が経ったのだろう。目を覚ました瞬間、今までにない感覚が身体を支配していることに気が付いた。身体の底から湧きあがる、異質なチカラ。身体中が炎の様な霊気に包まれていた。ぼやけていた視界が元に戻ると、もう一つの異変に気が付いた。髪が、黒くない。白髪もしくは銀髪。老婆が持っているような白髪とは違い、不気味な艶を放っている。――それを見た瞬間に、理解した。自分は、人間ではなくなったのだと。


 三日三晩、私は山で悩んだ。家に帰るべきなのか。この力を使って輝夜を追うべきなのか。家に帰るとするならば、今の自分を、兄は受け入れてくれるのか。確証は無い。が、きっと兄は笑って受け入れてくれるだろうと思った。……しかし、自分が再びあそこに住めば、兄に迷惑をかけるということは分かり切っていた。異形となった自分が都に現れれば、きっと妖の類として退治されることになるだろう。そうして、兄にまで被害が及ぶことは、絶対に避けたかった。だから、家に書置きを残すだけに留めた。自分は輝夜を追うことになったから、暫く帰れないと。輝夜に復讐を果たしたら、必ず帰ってくると。それしか、方法は無かった。自分の姿について、書く勇気は無かった。……その点では、私は兄を信用し切れていなかったのかもしれない。


 それから、輝夜を探す旅が始まった。とはいっても、何の手がかりもない旅である。何年かかるかなど、予想もできなかった。何十もの土地を転々とした。行く先々で、輝夜について、様々な人間に聞き込んだ。しかし、有力な情報は何一つ得られなかった。旅をしていると、様々なモノと出会った。人間は勿論、妖怪とも知り合った。私が出会ったのは鬼だった。伊吹や星熊の様な、四天王と呼ばれる鬼ではない、男の鬼だったが、彼もまた強力な妖怪だった。当時の私では、全力で戦っても到底適う相手では無かった。しかし、全力で戦った私の姿勢に感銘を受けた様で、彼は私と盃を交わすことを望んだ。酒を飲み交わす中で、私は彼から輝夜についての有力な情報を得ることが出来た。最近、とんでもない強さと美貌を誇る黒髪の女が、京の都近くの竹林に潜んでいると。それだ、と思った。もはや、些細な情報にすら縋り付きたいほどに旅を重ねていた私にとっては、これ以上ない情報だった。


 鬼に礼を言って、竹林へ向かった。輝夜に対して溜め込んできた負の感情の高まりを感じた。対面したら、どんな言葉をぶつけてやろう。どうやって殺してやろうか。黒い思いが頭の中を支配していた。竹林に着くと、果たして輝夜はそこに居た。竹林の近くの小高い丘に立って、月を眺めている。再びあいまみえた、宿敵。私は燃え上がる歓喜と憎悪に動かされて、一瞬、理性を失った。背後から輝夜に飛びかかり、鋭利な刃でその腹を貫いた。殺った。私は、そう確信した。しかし。


「あらあら、品がないこと」


 輝夜は、何事もなかったかのようにこちらに振り向いた。私は唖然とした。確かに、刃は腹を貫いたはず。手ごたえもあった。位置も間違ってはいない。ならば、何故。


「お嬢さん。あなたはどうして私を刺したの?」
「私はっ……、屈辱を受けた、父の無念を晴らすために、お前を殺しに来た!」
「へぇ。……もしかして、藤原の娘かしら? 短絡的で馬鹿っぽいところがソックリ」
「なんだとぉっ!」


 激昂した。何度も何度も、腹を刺す。輝夜は全く動じていないが、そんなことは関係なかった。何度も何度も何度も。家族の無念を、怒りを、憎しみを、全てぶつける様に、ひたすら刺しつづける。数分程、経ったかもしれない。大きく息を乱した私に対して、輝夜は先ほどと全く変わらぬ様子でそこに佇んでいた。


「骨折り損のくたびれ儲け。お疲れ様ね」
「はぁっ、はぁっ、おまえはっ、何者だっ」
「私? 私は――」


 そこまで言いかけて、輝夜は目を見開いた。私の方を見て固まっている。いや、私の方を向いていると言っても、あいつは私の方を見ていなかった。むしろ、私の『ナカ』にある何かに、目を向けている様だった。


「へぇ。貴女、そこまで覚悟を決めているとはねぇ。あの薬を飲んだの?」
「あの薬って」
「私が帝とお二人に送った薬よ」
「ああ、飲んだ。あれは、長寿と不思議な力をもたらす薬だろう?」
「へっ……?」


 輝夜は、心底意外そうな顔をして、再びこちらを見つめた。本当に予想外の事を言われたかのような、呆けた顔だった。……少しして、輝夜は表情を崩した。笑いを堪えているかのような表情に。


「その薬は、飲めば長寿になる薬。貴女はそう思っていたの?」
「違う、のか」
「……教えてあげる。それはね、蓬莱の薬。一口飲めば不老不死の蓬莱人になる、摩訶不思議な薬よ」
「不老不死? そんな……」
「そんなバカな! ありえない! ……そう言いたいんでしょ? 一つだけ言っておいてあげるわ。この世界ではね、『ありえないなんてありえない』のよ。その薬を飲めば、誰よりも長く生きられる。五年。十年。五十年。百年。そう、何年でもね」
「ありえない。……ありえない!」


 認められなかった。自分が人間でなくなったと言えども、多少寿命が延びて、不思議な力を手に入れただけだと、そう思っていたのだ。それが、不老不死などと。輝夜が、遂に笑い声を漏らした。


「千。万。億。あらゆるものが死に絶えても、貴女は生き続けるのよ。死なない? 死ねないというのが正しいわ。不老不死はね、呪いなのよ。兆。京。垓。たとえこの宇宙の星々が消え果てても、貴女は生き続けるのよ。どんなに苦しくても、どんなに死にたくても、貴女と言う存在がこの世から消え去ることは無い。那由多。不可思議。無量大数。無限の時を経ても、貴女は死ぬことは出来ない。意識だけになっても、貴女は生き続けるのよ。それがどれだけ辛い事か……っふふ。くすくすくす! 貴女は、理解できていないでしょうね。大丈夫。百年も経てば、理解できるわ。そして、絶望するのよ……、うふふ、あはは、あはははは! こんなに滑稽なことってないわ! あははははは!」


 コイツは、狂っている。輝夜の、黒曜石の如き瞳。その眼の中には、見通せぬ深淵が宿っていた。長き年月を経た妖怪たちですら、このような眼はしていなかった。輝夜は、その瞳で私を見つめながら、笑い続けている。


「……見るな」
「あははは、あーはっはっは! おーっかしい」
「その目で、私を見るな!」
「あはははははははっ。あーはっはっはっは。貴女、最高よ。本当に」
「見るなぁぁあああああああっ!」


 ――溜まらず、抉った。眼を。吹き出した血が、私の顔を汚す。もう一つの眼も、抉る。もう二度と、あの瞳でこちらを見られないように。


 しかし。


 輝夜は未だ笑い続けている。馬鹿な。痛みを感じていないのか。そんな訳がない。人間ならば、目を抉り出されて、笑っていられるわけがない。人間ならば――。


 ――人間、ではない。


 こいつは蓬莱人なのだ。永遠に生きる死人。永遠を生きる罪の罰として、現世のあらゆる理から外れたバケモノ。


 そして、私も――。


 青ざめた私を『見て』――、輝夜がニィ、と嗤った。ぽっかりと穴の開いた眼窩には、何もない。しかし、あの瞳と同じ、見通せぬ深淵が宿っている。つぅ、と一筋の血が、眼窩から流れ落ちた。輝夜は、笑い続けている。そのまま、口を開いた。私を、絶望の底へ叩き落とす為に。


「こ  れ  か  ら  も  よ  ろ  し  く  ね? も  こ  う  ?」


 ――ずっーと、ね。


 心が、折れる音が聞こえた。私は逃げ出した。


 ――壊れたおもちゃのように笑い続ける輝夜の声だけが、いつまでも、いつまでも響いていた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――





「っ……うああっ……」
「妹紅っ!?」


 語り終えて、私は地面に倒れ込みそうになる。慧音が私を抱きとめた。身体が、これまでとは比べ物にならないほどに大きく震える。不安。絶望。悲嘆。負の感情が、心の中で渦巻く。忌まわしき過去。それを語ることによる代償は、大きなものになるなんて、分かり切っている事だったのに。それでも、耐え切れなかった。涙が溢れる。私は、まるで幼子のように首を振ると、久方ぶりに、弱音を吐いた。


「いやだ……。永遠を生きるなんて、いやだよっ」
「妹紅……」
「私は、そんなことは望んでいなかった。ただ、家族でずっと暮らせられれば、それで良かったのに。……なんで、こんなことになるの?」
「妹紅っ!」
「怖い……。怖いよ……っ。永遠が、怖い」
「すまない……すまない……妹紅」


 馬鹿だなあ。どうして、慧音が謝るの。慧音は何にも悪くないのに。悪いのは、私。復讐に心を支配された、愚かな少女。輝夜への復讐など考えなければ、こんなことにはならなかった。好奇心と、憎悪が、一人の少女をバケモノに変えた。動き出した時計の針は、誰にも止められない。もはや、私には――。


 負の感情で押し潰されそうになった私を、温かな体温が包んだ。慧音が、私を抱きしめたのだ。


「大丈夫だ。妹紅。私は、ここにいるから」
「けい、ね」
「私は、ここにいる。ここにいるから」
「けいねっ……、う、うぅ」
「泣いてもいいんだ。今は、思い切り泣いても……」
「うっ、うぇ、うぁあ。うわあああああああああん」
「よしよし……」


 まるで、母の胸に包まれているかのような安心感。涙が次々に溢れ出てくる。負の感情も、一緒に流れ出ていく。心が満たされていく。


「ねんねん ころりよ おころりよ……」
「わたしっ、こどもじゃ、ない」
「ゆっくりと、眠るといい。悪夢は、いつか覚める」
「けいね」
「ぼうやは 良い子だ ねんねしな……」


 安心。母の胸に抱かれた子供の様な、安心。こうして慧音の胸に抱かれて子守唄を聞いていると、胸に宿る不安すら、消え去っていくかのようだ。まどろむ。徐々に、瞼が重くなる。温かさに包まれたまま、私の意識は夢へと落ちた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――




























 暗闇。うだるような熱さの中で目を覚ました私を包むのは、底を見通せぬ漆黒だった。思わず呻き声を上げる。今日は、いつも通りの熱帯夜であった。きっと、この地に住む『モノ』が居れば、ほとんどが眠れぬ夜を過ごす事だろう。――そのせい、かもしれない。熱に浮かされたためかもしれない。酷く、懐かしい夢を見た。……それは、本当に心地がいい夢。『彼女』の胸に抱かれて、眠りに落ちる夢。私が、本当に楽しい毎日を送っていた時の夢。遥か遠い過去の幻想。――私の中に深く、深く打ち込まれた、切り離せぬ楔。これは、私の罪に対する罰なのだ。忌まわしき因縁。永遠に続く戦い。その全てが、私の心を徐々に、徐々に殺していく。この夢は、今までにも何度も見てきた。以前に見たのは、十年前か二十年前か。暫くの間、この夢を見ることは無かった。


 それは、今の無味乾燥な暮らしに、慣れてしまったからかもしれない。誰も、いない。此処には、誰も。吸血鬼も、亡霊も、鬼も、神も、『彼女』も――。


「うそつき。『ここにいる』って、言ったのに」


 私の周りには、ただ黒洞々たる闇のみが在った。さながら、黒曜石の様な――。


 悪夢は、未だ覚めない。
――ヤァ 妹紅ョ 失ゥコトノ 堪ェ難キ痛ミニモ モウ慣レタカイ?


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


六作目です。今回は妹紅のお話。
 
 『東方儚月抄』内で妹紅が語った蓬莱の薬を手に入れる時の経緯とは、色々と食い違っています。書いてる時気が付きませんでした。すみません。

 なんか夢オチで終わらせてしまって申し訳ない。でも個人的にはしっくりきました。同じ文章が三回も使い回されてることについては、その辺がこの話のキモってことで……。

 永遠を生きる、と言うことは、それだけでホラーだと思うんですよね。親しい人との死別もそうだけれど、『永遠』と言う範囲がどの程度なのか想像も付かない。だから自分は、不老不死には絶対なりたくないです。恐いし。

 書きながら、『とわずの語りをふたつみつ』という作品を思い出しました。まああの作品みたいに妹紅と輝夜が親しいわけではないけど。いつか、仲のいい二人を書ければいいなあ。

 それでは、次回作にて。
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面白かったです。
3.90非現実世界に棲む者削除
おおう...背筋がゾクッとした。
しかし最後が寿命ネタなのはね...
4.90奇声を発する程度の能力削除
ゾクリとしました
5.100名前が無い程度の能力削除
もこたんはかわいいなぁ
輝夜がなんか怖かったです。
6.90とーなす削除
じっとりと嫌な読後感。
これを延々と繰り返すのが蓬莱人なのか、と思うとやはり怖い。
11.100名前が無い程度の能力削除
東方シリーズのキャラで一番恐ろしい存在が「蓬莱人」
ごっこ遊びじゃ済まない永遠の人生
12.10名前が無い程度の能力削除
岩笠…
14.無評価削除
またまた誤字……。修正しておきました。申し訳ない
16.903削除
落として、上げて、また落とす。常套手段ではありますが効果的です。
死ぬのは怖いが無限に生きるのもまた怖い。
この作品の場合は特にこの先の希望がないあたりがもうね。