Coolier - 新生・東方創想話

偶像の肖像

2011/02/10 21:06:49
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 貴方は絵が上手ね。仏画や図面の勉強をしていたの?
 私の下書きをたまたま見つけて、聖は目を柔らかく円くした。何も知らない。こちらの仕事も、毘沙門天様への報告で人物を描き慣れていることも。寺の皆を絵巻物にしてくれないかと、嬉しそうに頼んできた。

「いいよ。仕上がりに期待しないのならば」

 適当に手を抜いて、適度に力を入れた。細筆と削った枝で、大雑把に全員を線描。山の草木と鉱石片で、色を載せていった。
 聖の墨衣に、むらさきの根の気品を。
 一輪には、灰桜の雲を漂わせて。
 ムラサ船長には、群青をならした潮風。
 ご主人様は、お決まりのたんぽぽだった。川辺で摘んで、古い金属と煮込む。使う部位と時間で、黄の濃度を整えられる。入手も保存も楽でいい。上への報せで、毎回塗っていた。もう、彼女は見ずとも絵姿にできた。

 妖怪画の完成を待たずに、聖は消えた。絵筆で紡いだ、数多の妖と共に。
 後には私と、仏神の偶像。ご主人様が残された。
 辞めるのかと考えた。彼女はただの獣、毘沙門天様との特別な縁はない。敬愛する尼公の封印された今、どんな理由で繋がっていられよう。己の役割に、恨みを感じているかもしれない。寺院のお飾りでさえなかったら、仲間と逝けたと。
 続けますと宣言された。聖の願いではない。あの方の罰に怯えてでもない。自棄など起こしていないと。

「でも、貴方のやりかけの作品は見せないでください。甘えて、失くしてしまいそうなので」

 切り捨てるかのような、重みのない言い方だった。私が絵にしてこなかった、主がいた。



 それから千年、二人で生きてきた。たった一人を、真剣に描いてきた。
 寅丸星。私の二番目のご主人様。たんぽぽ色の妖虎。歩く親切。稀代の紛失屋。有能ときどき非常に無能。優しさで損をする。柔軟頑固。仏の立場は曲げない。神様よりも神様らしい。
 隅で観察していた頃と比べたら、彼女に詳しくなった。
 けれども、まだ。集合画に背を向けた日の、ご主人様の心は解らない。大して執着していなかったはずの、務めに対する感情は。
 失せ物は、幾らでも捜せる。形のない気持ちは、私には発見できない。




「ない」

 狭い私室をダウジングで一周し、衣装箪笥と床下を探り、葛籠を確かめて結論付けた。
 情けない。ご主人様や参拝客ならともかく、私がうっかりをやらかすとは。探索杖に寄りかかり、子鼠に慰められた。手下の彼らの餌にはなっていないだろう。見当たらないのは紙、あの山寺絵巻だ。
 ご主人様の冷たさが怖くて、半端なままにしていた。命蓮寺建立後に、聖に一応披露した。是非出来上がりを見たいと乞われた。過去は写真に撮れない、大事なひととまた会いたいと。余裕のあるときに、ひっそり筆を進めるようになった。色の原料を集めて。かつてのご主人様の態度については、黙っておいた。
 あと数体、端の私や動物を彩色すれば渡せた。押入れの竹籠に、きちんとしまっておいたのに。一体何処へ。隙間か天狗か、疑いたくはないが寺の誰かに盗られたか。最近、部屋に他人の入った日は。棒で額を突いて、記憶を辿った。
 二月三日、節分。鬼も平気な生豆撒きをした。全室に満遍なく、弾幕のように。鼠が美味しく食べてくれた。
 六日、快晴。布団干し。一輪と雲山が、問答無用で寝床を剥がしていった。朝から疲れた。
 七日、大安。ぬえが守矢神社から製菓用チョコレートを貰ってきた。バレンタインデーやろうよと勧誘。翌十五日は涅槃会よと叱りつつ、船長も賛成。聖達も加わって賑やかに。

(そのときかな)

 私とご主人様は、外のチョコ文化を教えてとせがまれた。口で説明しても伝わり辛いので、二人の自室で資料を探した。勝手にあちこち漁るぬえを、姉役の一輪とムラサ船長が止めていた。ご主人様は困り顔だった。超人聖が片付けていった。毛屑ひとつなく。
 騒ぎのどこかで、何かの拍子に廊下に逃げたのかもしれない。だとしたら、巡るべきは建物全域だ。
 ロッドよし、ペンデュラムよし、バスケットよし。鼠小隊集合。現在厨房で菓子の特訓中、カカオの匂いに釣られるな。ダウザーの装備を万全にし、晩の通路に出た。植物と岩絵の具の空気が、甘く塗り潰された。
 かと思ったら、弱く戻った。三歩と行かぬうちに、ご主人様と出会った。私達は付き合いが長いから、気が似てきたのだろう。あちらの仏香も、私に少し移っている。
 私と目が合って、ご主人様は沈んだように笑った。丸めた羽衣を、前で抱いていた。

「調理実習はどうしたんだい。失敗して追い出された?」
「そこではうっかりしてません。人数が一杯なのでお暇しました」
「あぁ」

 聖、一輪、縮んだ雲山、船長、翼あるぬえで台所の限界か。

「食堂にいればよかったのに、遠慮してふらふらして」
「あ、貴方こそ、来ればよかったでしょうに。無視して探し物ですか」
「時間は有意義に。甘いものは直に出てくるんだ、私がやらずとも」

 それに、次々試食させられてはたまらない。私も鼠も潰れる。
 ペンダントの青水晶が、早速いい反応を示した。ご主人様の歩んだ方角に、石の光が振れる。客間に紛れているかもしれない。さっさと別れて終わらせよう。
 すれ違おうとしたら、ご主人様が私の前方に回った。

「ナズーリン、あの」

 溜め息を零したくなった。続きは聞かなくても読める、

「手伝わせてください。私の能力も役に立つかもしれませんよ。駄目って言ってもやりますからね、力になりたいんです。邪魔なら床だと思って踏んで抉ってください。そんなところ?」

 ネコ科の円らな瞳が、微かに潤んでいた。

「最後の床以外はそんなところです。よくわかりますね」
「世話焼き癖は見てきたからね」

 思いやりの様を、何百枚と記録してきた。
 善意に燃えると、彼女は梃子でも動かない。目線を私の高さに揃えて、求める物の特徴を尋ねてきた。
 正直に巻物と答えたら、温かさを損ねるかもしれない。目的のない定期業務だと、誤魔化しておいた。実物か手掛かりを捉えて、後で回収すればいい。
 ご主人様は綺麗に騙されて、仏閣巡回を始めた。一筆書きのように、効率よく。


 ダウジングロッドの両端が、幾度も一点に集中した。ご主人様に吸い寄せられるように、はぐれた品が現れた。河童の開発した、水に溶ける色鉛筆。障子の補強に用いていた、一昨年の『文々。新聞』。外界の牛乳瓶。いずれも私の目標ではなかった。至近距離にありそうなのに、望みが外れる。
 柄にもなく焦っているのだろうか。道具を扱う指先が、乱暴になっていたらしい。小さな入門者にするように、ご主人様に手を撫でられた。察しが悪くて助かる。


 甘味に染まる調理場からは、不穏な会話が聞こえた。

「ムラサ、チョコレート切れそう」
「あんたが際限なく湯煎するから! かじるから!」
「残りの材料、宝物庫に入れておきましょうか。見張ります」
「大丈夫よ一輪、魔理沙さんに不思議な茸をいただいたの。粉末にしてかけると、分裂増殖するのですって」

 どの辺りが大丈夫なのだろう。焦げ茶の新生物だ。

「もう一回山登りしてくる。神様は信じてやれば良い奴」

 今回ばかりはぬえの味方につきたくなった。
 小声で励ます私の先で、ご主人様は僅かに肩を落としていた。板チョコの数枚、私にも呼べればいいのにと。

「甘やかさなくていいよ。守矢に任せよう」
「いえ、はい」

 もどかしそうに、彼女は口中で言葉を噛んでいた。毘沙門堂への道中、軽くつついたら明かしてくれた。

「圧倒されてばっかりだなぁ、と」

 幻想郷に移住して、本物の神々に触れて。力量の差を痛感したこと。
 毘沙門天様らしくしたいのに、妖獣の成り上がりだと意識すること。
 自信喪失気味であること。
 雪原の足跡のように、ひとつずつ刻まれた。

「あの方の真似も、虎の本性も私です。頭で認めてはいます。ただ、身体が頷かない。難しいです。湿った愚痴、終わり」
「もしかして、それでカカオ地獄から抜けてきた?」
「愚痴終了です」

 足取りが図星だと告げていた。締まった雪道に、藁長靴がめり込んだ。早歩きで、お堂の門を通る。
 歩幅は私に合っていた。彼女の踏みしめたところは、固まって転ばない。飛んだり、自らの間隔で進んだりもできるだろうに。消沈していても、温情を忘れない。
 私には、それでよかった。

「何でもできるって、過信する方が嫌だよ。あのお方にも、果たせないことはあった。聖を救出するとかね」

 空の本尊壇を見上げる、ご主人様の背中に語りかけた。お忙しいから、信仰不足だったから、あの方と比較してはいけない。か細い反論に、

「正体がどうであれ。努力してきた姿に、優劣はあるのかな」

 くすぐるように言い返した。ご主人様に従ってきた私は、無駄だったのかと訊いてもいい。彼女は絶対に、激しく否定するだろう。
 嫌がられるのを承知で、行方不明の絵を今は広げてやりたかった。山深い寺の昔よりも、彼女は成長している。お仕着せの抜け殻ではない。
 浅く、動作を確認するように。重く、意志を籠めて。ご主人様は、首を下ろしていた。野鼠が彼女を囲んで、一斉に歌って称えた。妙に安心した。自分の一大事が、解決されたかのようだった。

「お礼、は、笑われそうですね」
「よくわかってるね」
「大切な経験上。そうでした、そう決めていたはずでした」
「何を独りで納得しているのやら」

 横を追い抜いて、壇の下に座った。彼女と向き合った、爪先が冷えていた。寒色の振り子は、

「ん?」

 ご主人様に揺れ続けていた。私の行動や、反動の域を超えて。おかしい。ついさっきまで何もなかった、私のいた側なのに。見落としがあったのだろうか。いや違う、鼠隊が彼女を包んだままだ。宝物を感知している。
 あ、あう、と、ご主人様が慌てて本尊台に飛び乗った。
 しもべが揃って、怪しいと喚いた。私も同感だ。
 彼女は、私の目指すものを悟っていて。その上で、私に助力した。では何故、何処に? ご主人様が接近した際、私調合の色彩が香った。着衣の中? 雲山や、飴を隠す子供じゃあるまいし。妖術の仕業? 場にひずみはない。

「と、すると」

 氷の温度の、金属ロッドを構えた。ご主人様が腕で包む、絹羽衣で切っ先が止まった。

「あのですね、ナズーリン」

 逃がすまじ。先端の曲線で布地を引っ掛け、一気に奪った。
 大将大当たり。小鼠一鳴き、絵画が一巻き。更に驚くべきことに、破れて二分されかけていた。
 当初の恐れは爽やかに消滅した。棒で泥棒を捕獲し、

「ナズーリン、これつめたっ、首筋はちょっと」
「ゆっくり話そうか。ご主人様の大部屋にしよう、法力暖房は強力にね。お茶があると猶いい。色々知りたかったんだ」

 取調べの準備にかかった。


 二月七日です。ええ、バレンタインの情報収集の最中。ナズーリンの私室が荒れ乱れて、葛籠の蓋がずれて。見覚えのある、貴方の妖絵がちらりと。無性に懐かしくて、気付いたら手に取っていました。ちゃんと、直視できるかもしれないなって。「盗むな」の戒律違反ですね。
 けれどうっかり、写経の墨で汚してしまって。清めようとしたら、濡れて裂けて。今度と言い宝塔のときと言い、なんで私は肝心なところでぽかを。
 今夜上手く打ち明けて、謝ろうとしたんです。でもいざ貴方と対面したら、臆病の虫が。貴方が巻物捜索をする気だったことは、一目で見抜けました。単なるダウジングにしては、武装が重厚でしたから。魔界に赴くときのようでした。
 強引に同行して、返す機を窺っていました。わかっていない振りをしました。「嘘を吐くな」の戒も台無しですね。
 座布団なしの正座で硬直して、ご主人様は素直に供述した。湯気の去った蓮茶を飲み干し、以上ですと区切った。
 あっけなかった。私が仮定してきた、古絵巻への嫌悪感は見出せなかった。
 拾得物のバスケットを退かして、脚を伸ばした。

「ご主人様も戻して。探し物を偽った、私も嘘吐きだ。五分五分。君は、この絵が嫌いなのかと思い込んでたから」
「苦手だったかもしれません。聖と旧友の思い出に、溺れてしまう。欠けた存在と、無力を再認識する。個人的な不満少々。しかし、私を奮い立たせたのもこれでした」

 山寺での貴方の着彩を、一度覗き見たことがあります。妖怪が排除される、数日前に。絵図の仲間の中心に、私が立っていました。神秘的な、天上の毘沙門天様のようでした。
 円座を引き寄せ、ご主人様は微笑んだ。
 いつもの報告書の、手癖で成したのだけれど。本尊ごっこでお馴染みだった、ぼんやり顔を線にした。彼女の虎眼には、神々しく映ったのか。他者の主観は操れない。

「私の黄色は、たんぽぽでしたね。数段階に彩りを分けていた」
「安っぽくてごめんね。船長には、秘蔵の青鉱を振る舞ったのに」
「いいえ。私は山地の出身です。草木染めの手間は、肌と時で学んでいますよ。慣れれば容易いかもしれませんが、やはり自然の生き物です。御し切れません。一瞬の違いで、技をやり直しにさせる」

 歳月で褪せた色を、ご主人様はいとおしそうに眺めていた。

「貴方の作品は、眩しかった。私の似姿なのに、そうなりたい、なれたらと願いました。便利な張り子の神様を脱して。たとえ皆がいなくても。絵に恥じない私になれたときに、再び見合おうと」
「感動的なこそ泥だね」
「事実ですけど冷笑で刺さないでください!」

 偶像が肖像に憧れるとか、本物を夢見るとか、変だなぁと悩んでいたんですからうわああぁ。猫風に丸まったご主人様は、畳の上を回転往復した。自作の詩集を音読された乙女か。こんな照れ虎の決意に、千年振り回されたのか私は。稀な表情と、言動に化かされた。
 紙が余計に千切れるよと、ご主人様を止めて起こした。

「修復できますか、これ」
「裏を薄漉きの和紙で留めるよ。色粉の繋ぎ液も増やせば、傷は目立たない」

 元々、経年で劣化していたし。
 過去と再会した感想を問えば、

「理想の道は遠いです」

 砂糖抜きの苦笑。編み座のほつれをまとめてねじった。弱気な、鈍いひとだ。既に追い越せているのに。
 ややあって、提案がありますと立ち上がった。書棚の末から、真っ白の大判紙を取り出した。書道紙ではない。寺子屋で使われるような、頑丈な画用紙だ。道具店で購入したのだという。最悪、自力で模写するために。

「簡単に壊れない、厚めの紙が安全かなぁと。こちらに、今日の命蓮寺組を描きませんか。ぬえを入れて」
「いいね。ご主人様の個人的な不満が晴れる」

 仲間外れは、好かない性格だから。

「晴らします」

 希望を織り込むと、意気込んでいた。聖の髪型や一輪の頭巾など、細部にこだわりがあるのだろう。天狗の新聞紙を敷いて、白紙を設置した。
 強い紙相手ならば、絵の具は今宵の拾い物がいい。河童製の、水彩色鉛筆の缶を開いた。白黒含めた十色と小筆、削り器が集っている。牛乳瓶に、お茶の余り水を注いだ。
 委ねられて、私が空間を大まかに人数割りした。縦に六人、上空にぬえ。中央は聖とご主人様になる。構図線は、淡い水色で。ぬえの両翼と聖の経典に混ざって、背景を濁らせない。

「私の部分は、ナズーリンにお任せします。聖をやりますね」
「わかった。惚けた笑顔にしよう、全力で」
「さらりと予告しないでください。貴方らしく、私のなりたい輝かしい」
「お任せされたんだ。私らしく、ありのままを表現するよ。昨今のご主人様は、描いていて愉快だ」

 素肌は純白と橙、赤の混色で。細い交互線に水滴を足すだけでも、大分様になる。しくじっても重ね塗りがある。指は六本じゃない。短い指導をして、和む眼差しに着手した。
 前かがみで、頬杖をついて、腹這いで。隣同士、段々画面にのめり込んでいった。筆や黄、モノトーンが行ったり来たりした。
 ご主人様は至極丁寧だった。人体構造は正確に、ドレスの陰影は滑らかに。巻物の紋様が細やかで、魔力を感じさせた。ポーズが仏像調、顔が漫画式で驚愕したけれど。何だその瞳の星は。しっくり来るのがまた奇妙だった。文字通りの、神の御業か。平面世界の宝塔に、法の光を満たした。

「ご主人様完了。聖の魔術紋を受け持つよ。縁ぼかしでいいんだね」
「速いですね」
「雑にはしていないよ。ご主人様が遅いんだ。このペースだと、ぬえと船長も私が支配してしまうよ」

 位置を移して、色描線を滲ませた。ぬえの素体を作って、ワンピースも着せる。せめてあと一人と、ご主人様がフリルの速度を上げた。可哀想だから、碇の光沢に凝って待つか。
 落書きをする幼児のような、悪戯っぽい目付き。爪。奔放な手足と羽、蛇。片隅に、二人の姉貴分への情。わがままをすることで、仏門の真面目欲を満足させている。わざと妹をしている、成熟した姉なのかもしれない。
 鮮やかな怪翼に、海の武器で対抗。意外と両眼の占める範囲が大きい。脚と腕は健康的、手のひらは華奢。おしとやかであどけない。たまに三女格。日焼けと透明感の両立を。キャプテン帽は斜めに傾け、聖に甘えさせる。
 個々人らしさが、色と形にすっと浮かんだ。彼女達が寄ってきて、私も近付いたのだろう。淡泊ながらも、自発的に。娯楽行事の知恵を、探して授けるくらいには。
 面白かった。古の妖怪夜行は、容姿を思い出しながらの作業。現代のお絵描きは、いい意味での遊びだった。

「二人目行きます」
「どうぞごゆっくり。しばらく緑借りるよ、碇の重厚さがまだまだ」

 肌色セットと、一輪に不可欠の青系色を手渡した。
 鋭い水青が、小さく活躍してお終いだった。細長めの八面体に。
 入道使いには、身長が届いていなかった。
 主体になる色は、白と黒。要所で赤。お花畑のような、少女満開のお目目。

「ご主人様。あんまり訊きたくないんだけど、それ誰」
「え、ナズーリンですよ。ほら紅い瞳、ペンデュラムの青結晶」

 示す指に掴みかかろうとした。反対方向にへし折ろうとした。ご主人様は、片手で悠々と私を阻んだ。

「何するんですか。線が曲がりますよナズーリン」
「描くな放せ。順番から言ってそこは一輪と雲山だ。私はおまけ程度に済ませろ、元はそうだった」
「今は違います」

 貴方が端っこにいるのも、個人的にとても不満でした。貴方は私の右腕でしょう。穏やかな膨れ面で、ご主人様は赤鉛筆を細かく動かした。

「だ、だとしても。聖はともかく私の目をきらきらさせるな、無防備に笑わせるな。私はそんな顔はしない」
「割としていますよ。私が見ています。文句は無しです、私も貴方を妨害しませんでした」

 不公平、だそうだ。彼女も私のように、ありのままの私を写しているという。
 どの命蓮寺のナズーリンが、軟弱に緩んだのだか。手近に鏡がなくて、表情を調べられなかった。ただ、絵描きの彼女は幸せそうだった。私が、肖像に表したように。
 笑っていて欲しい。逃げない努力にも、与えられる祝福にも、嘘はないから。


 尼と入道を二人で仕上げていると、実物が襖を引いた。それぞれ、鼠と虎のマグカップを持っていた。

「ホットチョコレート。失敗作のごた混ぜじゃないわよ、胡桃入りの本格派」
「ありがとうございます。盛り上がったみたいですね」

 聖とお揃いのハートエプロンに、甘い色が飛んでいた。

「そっちもね。芸術の冬」

 味覚の冬の成果を貰った。器部はもちろん、柄も熱かった。チョコのはずなのに、表面はミルク地にココアの模様。

「牛乳の泡に工夫してみたの。貴方達提供の雑誌参考。給仕で崩れたのはご愛嬌ね。完全版は食堂で、雲山の腕が鳴るわ」

 職人雲山は、空っぽの茶器を運んでいった。
 何の絵細工だったのかと、ご主人様とカップを見比べた。放射状に、白茶の波線が広がっている。時計、花火、鉄拳、ユーフォー、

「たんぽぽ?」

 ご主人様の澄んだ声と、私のきつい声が重なった。追って、視線が調和した。
 一秒、二秒。生じた間は、平穏で居心地がよかった。仮の花弁が、溶けて瞬いた。

(いいかな、うん)

 彼女を色付け、導いた花。そういうことにした。
 絵の顔になったと、ご主人様が目元を綻ばせた。

「見間違いだろう。作品と一致しているのはご主人様だ、にこやかにも程がある。私の筆に狂いはなかった」
「ナズーリンだって、笑みがそっくりですよ。私にしては上出来です」
「君の目はとろけたのか、笑顔酔いか。チョコレートを飲むといい、鎮静剤だよ」
「姿見貸しましょうか、ナズーリン」

 意地っ張りめ。

「笑っていてください、できれば私の隣で。幸福は嘘を吐きません」

 聞き手次第では誤解されそうな、恥ずかしい命令をされた。赤面しないのが凄いところだ。寺院特製チョコレートに口をつけて、

「あづっ」

 ご主人様は猫舌に苦しんだ。一撃だった。上はぬるかったのに、なんでどうしてと悶えている。

「ミルクの層が保温しているんだ、下は火傷ものだよ」
「ひた、したが、痛」

 格好いい雰囲気を、数秒で粉砕できるのが凄まじいところだ。

「全く、ご主人様は」

 木の実の素朴な甘さが、のんびり膨らんだ。耳や尻尾や、唇がむずついた。
 悔しいけれど、指示に応えずにはいられない。こうも優しくて、馬鹿馬鹿しくて、幸せでは。
 二枚の軌跡を見遣って、深く頷いた。

 描き続ける。私は、彼女の傍にいたい。
 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
 神様のごろごろしている世界で、神様役を続ける。星の心境はどのようなものかと、考えました。ひとつ、お話を書きたくなりました。これはこれでありかなと、感じてくだされば幸いです。
 マスクをしたままお茶を飲みかけました。危なかったです。
深山咲
[email protected]
http://
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コメント



0.3040簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
いつもありがとうございます。因みに、マスクは気がつくと夏までつけている場合があるのでお気をつけて。
2.100名前が無い程度の能力削除
心地よく読ませていただきました。
4.100名前が無い程度の能力削除
良い空気の作品ですね。
読んでて心地よかったです。
6.90名前が無い程度の能力削除
ホットチョコレートはビターにつくって甘めのクッキーをポリポリやるのが好きなんだが、
これは少しばかり甘過ぎるなあ。
相変わらずのこの雰囲気に乾杯です
7.100名前が無い程度の能力削除
深山さんの描く命蓮寺の空気がとても好きです。
10.100名前が無い程度の能力削除
そこまで感動を覚えたわけではないはずなのに、無性に泣き出したくなってきて、困る。
取り敢えず、粉末のココアでも飲もうかな…。
出来ることなら、パソコン画面を隔てたどなたか、ご一緒してくれませんか?
14.100名前が無い程度の能力削除
読後感がすっきりしてて読んでて安心します
15.100奇声を発する程度の能力削除
>10氏
私でよければ
とても素晴らしかったです
19.100名前が無い程度の能力削除
暖かい雰囲気が素敵なお話でした。
互いを大切に想う二人の姿がひたすらに可愛いです。
20.100名前が無い程度の能力削除
相変わらず良いお話を書かれますね。
ほどよく甘かったです、ごちそうさまでした。
22.100flax削除
個性出てるなあ、と。
こんな文章書きてえです。
情景が脳内でもわもわ広がる、いいお話でした。
24.100名前が無い程度の能力削除
綿密で温かい描写から、二人の描いた命蓮寺をしっかりと“見る”ことができました。
深山さんの作品はいつも文章から色が溢れて、彼女たちを鮮やかに、そして艶やかに彩っているように感じます。
そんな貴方の描く幻想郷が本当に大好きです。
25.80名前が無い程度の能力削除
一足早いバレンタインプレゼントを貰った気持ちになりました。
ありがとうございました。
27.100名前が無い程度の能力削除
うん、いいね。最高の命蓮寺だね。
29.100名前が無い程度の能力削除
なんて鮮やかなSSなんだ・・・頭の中で想像の絵がどんどん出来上がっていきます
聖のグラデーションヘアーは描くのが難しそうだw

そういえば時系列とかどうなってるんでしょう?段々緩くなっていくナズーの笑顔が素敵です
31.100名前が無い程度の能力削除
素敵な作品をありがとうございます。
深山さんの丁寧な情景描写いつも堪能させていただいています。
直接的な表現に頼るわけでもなく、文章の空気やちょっとした言い回しなどから
二人のほんのり甘い関係が伝わってきて本当にお上手だな、と頬をゆるませつつも感心しました。
まだまだ寒さの続く季節ですので、お体にはどうぞお気をつけくださいませ。
34.100名前が無い程度の能力削除
あなたか!
36.90名前が無い程度の能力削除
安心の深山さんクオリティ
37.100金欠削除
あ、あ、あ!やったあ!
毎回この主従には悶えさせられてばかりです。毎度の事ながら美しい文章をご馳走になりました。
40.90名前が無い程度の能力削除
文章がとても綺麗です。読後感も最高でした。
46.100url削除
すげえ……なんというか、圧倒されました。
47.100名前が無い程度の能力削除
会話が読んでいて気持ちよすぎる、頬が緩みますわー
49.100紅川寅丸削除
緊張と弛緩の波に心地よく揺られ、読後、体温が少し上がったようです。

作者様の作品に憧れて投稿を始めた駆け出しモノです。
当初、地の文、会話、構成等の見事さに感心し、なんとか読み解こうと足掻いておりました。
そして亀鑑と思いつつも、次元の違いをようやく理解し、呪縛(?)から脱するにいたりました。
それでも、作者様の「雰囲気の醸成」と「継続すること」は常に念頭に置くようにしております。
失礼な物言いばかりで申し訳ございませんが、感謝の気持ちに偽りはありません。
心よりお礼を申し上げます。 本当にありがとうございました。
51.100名前が無い程度の能力削除
安心の深山ブランドでした。
54.100名前が無い程度の能力削除
この命蓮寺好きすぎる
55.80瓢箪鯰削除
あなたの作品を読むと何故か五感が反応します。懐かしい音楽を聴いたら、その曲がよくかかってた何年も連絡とってない友達の部屋とか、そいつの淹れてくれたコーヒーとか、腰掛けたベットの感触とかが不意に思い出されるような感じです。きっと命蓮寺のホットチョコレートは表面はぬるくて乳臭くて円やかで、下は朴訥とした甘さにほのかな苦味、でもって結構熱いんでしょうね。そば焼酎飲んでタバコ吸ってアタリメ齧ってる身の上には良い酔い覚ましで胃に効く感じでした。でも色褪せたタンポポ由来の染料は良い味出してましたぜ。
56.100名前が無い程度の能力削除
いいなあ。この命蓮寺すごくいいなあ。
57.100名前が無い程度の能力削除
星ちゃんかわいいなぁナズーリンも。いや、みんなかわいい。
素晴らしきかな命蓮寺!
61.100名前が無い程度の能力削除
楽しみに待っていました。
命蓮寺の皆が、特にナズーリンが生き生きと笑っているのが印象的でした。
完成した絵を実際に見てみたいです。
素敵な作品をありがとうございました。ホットチョコ飲んできます。
62.無評価深山咲削除
温かいご感想、ありがとうございます。嬉しくて、なかなか言葉が出てきません。幸せ者です。

>マスクは気がつくと夏までつけている場合があるので
用心します。健康な一年でありますように。

>心地よく読ませていただきました
>読んでて心地よかったです
>読後感
いがらっぽくなかったようで、ほっとしました。ありがとうございます。

>命蓮寺
>一足早いバレンタインプレゼントを貰った気持ちになりました
七者七様の個性が好きです。この状況で誰がどこにいるのかな、何をしているのかなと、想像したくなります。
バレンタイン前の小騒ぎ、心に響くと有難いです。

>少しばかり甘過ぎる
>ほどよく甘かったです
>二人のほんのり甘い関係
物語の味覚が様々で、言い方が変かもしれませんが、ひとって素敵だなぁと思いました。
全員にぴったりの甘さは、きっと出せません。けれど、どこかしら合うと嬉しいです。

>二人の描いた命蓮寺をしっかりと“見る”ことができました
>あなたの作品を読むと何故か五感が反応します
主従の共同お絵描きは、書いていて楽しかったです。自分だけではなく、お読みになる方にも伝わってよかったです。
お話も文章も、好きなようにやっています。浮かんだ感覚や、気持ちのまま。こちらの好きが誰かの好きになるのは、とても幸せなことです。

>そういえば時系列とかどうなってるんでしょう?
(聖封印前)ナズーリン、聖に絵巻物作成を頼まれる
  ↓
(封印後)星の偶像続行宣言、ナズーリンは絵巻物を未完成のまま保管
  ↓
(星蓮船本編・命蓮寺建立後)聖の依頼で、ナズーリン絵巻物彩色再開
  ↓
(2011年2月7日)バレンタインデー情報収集。星、絵巻物を盗む
  ↓
(バレンタインまでのとある晩)作中のナズーリンにとっての現在。絵巻物捜索開始

上のような感じです。ナズーリンの二月の回想部分が、わかりにくかったかもしれませんね。すみません。

>心よりお礼を申し上げます
こちらこそ、恐縮です。ありがとうございます。同じ、東方が好きな者です。
これからも、ここが賑わうといいなぁと願います。
68.100名前が無い程度の能力削除
深山さんのナズ星は素晴らしい。
71.100Admiral削除
一気に読んでしまいました。
読みやすい表現、ほのぼのとした語り口、作者様のお名前を見て納得です。
こんな星ナズを待ってました。
バレンタインにチョコを脇役に、素敵な絵が主役なのが素晴らしいです。
ご馳走様でした。
72.100名前が無い程度の能力削除
一人称で世界を広げていくのが好き
79.100名前が無い程度の能力削除
うーむ、何度も租借したくなるようなこの文体。なんだか癖になる……