Coolier - 新生・東方創想話

夜狩りの為のソナタ

2012/04/06 00:56:14
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鳥目なのだという。
鈴仙・優曇華院・イナバは永遠亭に運ばれてきた三人の患者を目の前にして溜息をついた。

三人とも同じ症状であった。
三人はそれぞれ同業者で、森の木々を伐採し加工して販売する業者であった。
何時ものように仕事場である森に入り、日が暮れて家路に着こうとした際に突然視力を失ったのだという。
突然の失明にどうする事も出来ずにすっかり取り乱している所を偶然通りかかった者に発見され、
難病だという事で永遠亭に運ばれてきたのであった。

原因は不明。
鳥目とは要するに夜盲症である。
夜盲症とは暗部の視力が著しく衰え、目がよく見えなくなる病気だ。
基本的に先天性の夜盲症でない限り後天性の夜盲症の原因は栄養不足であり特にヴィタミンA不足が主な原因だ。
暗部の視覚を担当するのはロドプシンと言う物質であり、
ロドプシンはヴィタミンAと補体から成るのでヴィタミンA不足は暗部の視力低下につながる。

けれども運び込まれた患者達は健常者であり、収入も人並みにあるそうで毎日の食事に事欠く訳でもなかった。
ヴィタミンAは様々な食品に含まれており特定の食品に含まれる特別な栄養素ではない。
一般的な人間が満足に食事を行なっている分には不足する筈もない栄養素である。
脂溶性ヴィタミンという性質上水溶性ヴィタミンのように急速に体内から失われる事も考え難かった。
試しにヴィタミンAを摂取させてみたが症状が改善する事は無かった。
依然暗部においての視力は失われたままであり、日常生活に支障を来す事は明白であった。

医学的に解釈するのならば全く解明できない症状であるがここは幻想郷だ。
突発的な夜盲症を幻想的に解釈するのならば何らかの呪いという結論に行き着くのだと思う。







「呪いねえ」

八意永琳は永遠亭の診療室で鈴仙・優曇華院・イナバの所見を聞いた。
それは妥当な所見であったけれど、しかし何も解らないという事態が改善された訳ではない。

「目的は何かしら」

当該する能力者にとって他者の視力を奪う事は様々な利点があるだろう。
人間を捕食しようとするのならば有用な能力に違いない。
けれども患者達は特に危害を加えられる事もなく長時間に渡って助けを求め続けたという。

厄介な問題は当該する能力者が無目的に能力を行使している場合である。
もっと悪いと自らに能力がある事を知らずに他の者に呪いを与えているケースも想定出来る。
その場合はお手上げだ。
下手をすると原因不明のまま幻想郷中の人間が失明する事もあるのではないだろうか。
あるいは未知の疾病か。
最初八意永琳はまずそれを疑った。
本音は今すぐにでも患者達をバラして調べたかった。

「どうしようかしら」

「患者を解剖するので?」

「まだ死んでもいないのに?」

「そんな事が問題ですか?」

そう、それは大した問題ではない。
こんな怪しげな竹林の薬師の手にかかろうというのだ。
殺されてもそれは迂闊であっただけだ。

八意永琳は薬師である。
決して医者ではなかった。
薬学は医学に通じているので医者の真似事が出来るというだけであって、
本心として自らが医者であると思った事は無い。
ただ、医者の真似事をしていると何かと都合が良かったのだ。

満月の異変以降、永遠亭の時は再び動き始めた。
永遠の中にあった際は退屈を退屈と感じる事もなかった。
日々が繰り返し、その流れの中に身を置くだけであり、それはよくも悪くもない普遍的な時間であった。
けれど、穢を再び受け入れる事を姫が決意してからは永遠亭の内的時間は進行を始めた。
それと同時に可逆的な時間は失われ、様々な事に対して取り返しがつかなくなった。

それは良い変化とは言い難かった。
特に永遠を生きる身として変化とは恐怖に他ならないだろう。
昨日と同じ明日が訪れない恐怖を誰に説明出来るだろうか。
永遠と須臾の中にあればそんな心配もなかっただろう。
けれどあの日々は戻ってはこないのだ。
いや、あるいは姫の意向次第だろうが暫くの間平穏は失われる事になる。

仕方が無いので八意永琳は押し寄せる日々を処理する為に人里と関わりを持つ事に決めた。
具体的には診療所を開設し人間の患者を受け入れるという事だ。
永遠の時間が失われると同時に彼女の中に好奇心が蘇った。

知的好奇心を並外れて持ち合わせる者としては幻想郷というか地上の疾病に俄然興味が湧いてきた。
そして幻想郷という土地柄は非常に都合が良かった。
外の世界から幻想となったり忘れ去られた様々な病も幻想入りする為である。
幻想郷は難病奇病の宝庫であり、その事に思い至ると地上の暮らしも悪くはないと考えるようになった。

月は穢の無い世界だ。
病により死亡する事は決して無いだろう。
死亡原因の殆どは他殺であり寿命であった。
故に医学の目指す究極は寿命の克服つまり不老不死であり、それは達成してしまった。
けれど、本当に死が克服されると常人の精神はそれに耐えられないものだ。
ほとんどあらゆる出来事に取り返しがつく世界を生きる事とは実は辛い事だ。
誰も彼もが永遠を生きてしまう世界を少しでも想像してみると良い。
それは限りないディストピアだろう。

故に蓬莱の薬は禁薬として指定された。
使用者には重い処罰が下されることになる。
けれど永遠を得てしまった者に一体どんな処罰を施すというのだろうか?
具体的には地上への追放であった訳だがその話は割愛させて貰う。

ともあれ八意永琳は好奇心を取り戻し様々な難病奇病と向き合う機会に恵まれる事になった。
原因不明の鳥目もその一つという訳だ。







医者と薬師の違いは明白だ。
医者は患者の治癒を義務付けられているが薬師は別に患者の治癒を決して義務付けられた訳ではない。
少なくとも八意永琳が定義付ける医者と薬師の関係は上記のものであった。
故に八意永琳は自らを薬師であると定義付けていた。
人間共からは竹林のお医者様等と呼ばれているが正確には違うと何時も思っていた。
けれど違いを説明する事の不毛も知っているので誤解を放置していた。
その方が都合が良い為だ。

可能な限り多くの症例と巡り会いたいと八意永琳は考えていた。
それに対応する薬を生み出す機会に恵まれるからだ。
そうして対応していると時が流れている事を意識する事もなくなるだろう。
最近ではそういった状況を随分受け入れている事を意識するようになった。
それは良い傾向であると評価していたし、あるいはそう思う心持ちこそが穢なのだと思うようにもなった。

「やはり呪い主を特定するしかないわ」

「バラすんじゃないんですか?」

「伝染性の病にしては症状が特殊過ぎるし、仮にそうであったとして臨床検査に何も引っかからない所をみると可能性は薄いと見るしかない。患者が一人であるのならばともかく複数同時となると特殊で特別な事例で解決出来ない。するとこれはやはり貴方の言う通り何らかの呪いか能力者の仕業と考えるのがまあ妥当なのでしょう。」

「そうなりますか」

「結局呪いの本質が解らないとバラして精密に調べたとしても無駄になる可能性の方が高い。まだ私達は信頼を得た訳ではない」

八意永琳は月とは違うのだと鈴仙・優曇華院・イナバに諭した。
月であるならば玉兎共を幾らでも献体として使用する事が出来た。
月の頭脳の権力は絶大で、研究の為であるならば何匹殺そうが咎められる事もなかった。
けれど此処は地上であり月の威光は届かない。
濫りに人を殺してしまっては永遠亭に誰も寄り付かなくなるだろう。
里の信頼を失えばその日から退屈に蝕まれるだろう。

「優曇華、貴方も切り替えなければならないわ。よくやっているとは思いますけどね」

永遠亭に運ばれた患者はまず優曇華の簡易診察を受ける。
本当に永遠亭でなければ治癒不可能な重病であるかどうか判断する為だ。
まあ、こんな所までわざわざ来る患者なのでよっぽど重篤であるのだが、
中には肝試し的な目論見で訪れるものがいない訳ではない。
そういった冷やかしを追い返す為にも必要な処置であった。
鈴仙・優曇華院・イナバは永遠亭のあらゆる雑事を一身に引き受けていた。
実際優曇華のような存在がなければ診療所を開設しようとは思わなかっただろう。

ところで人間が永遠亭に足を運ぶことはそれだけでリスクである。
迷いの竹林を突破しなければならない為であるが、何のアテもツテも持ち合わせない人間では辿り着く事は出来ないだろう。
あるいは幸運なるモノに恵まれれば到達するかもしれない。
件の三人の患者達がそのような幸運に恵まれていた訳ではない。
いや、このような特殊な疾病を永遠亭で治療して貰える現在の状況は十分幸運であると思うのだが、
そういう事ではなく彼らを此処まで運び込んだ者が居るのだ。
名を藤原妹紅という。

「で、お二人さん。これからどうするんだい?森の中を探索か?」

藤原妹紅は先程から診療所で暇そうに茶を飲んでいた。
彼女と永遠亭の関係を話していたら日が暮れるので割愛する。
訳あって彼女も蓬莱の禁薬を服用した永遠の住人だ。

今日藤原妹紅を呼んだのには訳がある。
患者達を発見した当時の様子を詳細に聞き込む為だ。
患者本人にも聞いてみたが、全く要領を得なかったので致し方ないのである。

「それを含めて色々決めなければならないわ。それでどんな状態で貴方は患者を見つけたのかしら?」

「どんなって・・・まあ無様な格好だったな」

藤原妹紅によると発見時彼らは地べたに這いつくばってひたすら助けを求めていたらしい。
無理もないだろう。

幻想郷の住人ならば夜の森の恐ろしさは誰でも知っているだろう。
まして彼らは森を仕事場にしているので尚更である。
どんなに遅くても日が暮れる直前には仕事を終え家路に着くことは生存の基本であった。
けれどもその日は少し仕事が溜まっていたらしく普段よりも帰宅が遅れたらしい。
あたりはすっかり夕暮れで日の光が弱まったと思ったら唐突に視力を失ったそうだ。
それはどれ程の恐怖であろうか。
何も見えないから一歩も歩く事が叶わなかったそうだ。
何かに触れていなければ気が狂いそうであったそうだ。
故に最も確かなもの、つまり地面に身体を密着させていたのだという。
そして同僚と身体を密着させていたという。
それは客観的にみて酷く滑稽な光景だと評価されても致し方ないのかもしれない。

「いい歳こいたおっさんがさあ有り得ない位取り乱していてねえ。流石の私も足を止めたって訳さ」

基本的に藤原妹紅は人里と関わりを持たない。
永遠の住人以外の者と知り合う事を極度に恐れている為だ。
何故ならば関わった者たちは例外なく妹紅よりも早く死ぬ為だ。
そういう情緒的な死を弔う事をしたくないそうだ。
気持ちは分からなくもない。

「それで此処まで運んできたと・・・ご苦労な事ね。それで当時彼らは何か言っていたかしら?」

「何かって、まあ、真っ暗になっちまったとか、助けてくれとかそういううわ言みたいな事しか・・・あ、そうだ」

「?」

「歌が聞こえたって言っていたな」

「歌?」

「ああ、何処かから小さな歌声が聞こえたらしいんだ。で、目が見えなくなったんだと」

「・・・歌ねえ」

実は患者達の聞き込みの際にも同じ話を聞かされた。
その時はまだ何らかの疾病であると疑っていたから無視していたが、原因が呪いか能力の類であるとするならば無視出来ない情報であった。

「森の中で歌を歌う妖怪はどれほどいるのかしら?妖精でも良いのだけれど」

「歌を歌う妖怪だって?そんなのそこら中にいるじゃないか。幻想郷の妖怪は何故か陽気だからね。森が完全に自分たちの世界なもんだから好き勝手にやってるよ。妖精に至ってはそれこそ言うまでもないだろうさ」

やはり歌という要素は偶然であるのだろうか。
けれども今のところ手掛かりらしい手掛かりはこれだけだった。
これだけの材料で優曇華を森に行かせる事には気が引けたが現段階では他に手立ては無かった。







鈴仙・優曇華院・イナバは藤原妹紅が患者を見つけたという場所に実際に赴いてた。

案内してくれた藤原妹紅はもう居ない。
当該地に着くなりあっさりと帰ってしまった為だ。
彼女は誰かと一緒に居る事が苦手なのだろう。
ここまでの道中も会話らしい会話が無かった。

ひとりきりで森を探索しなければならない。
けれど何の不都合もなかった。
何故ならば優曇華は何時も独りであったからだ。
誰かと一緒に動く事は苦手であった。
そういう意味では藤原妹紅の気持ちはなんとなく分かるのである。

元々は月の高官に飼われていたペットであった。
ペットと言っても愛玩用ではなく使用人に近い扱いであったが。
訳あってそこから逃げ出し現在の状況がある。

地上は月で言われるほど悪い場所ではなかった。
息が詰まりそうな月とは違い地上は猥雑な生命に満ちていて刺激的であった。
それらに積極的に関わろうとは思わなかったが、傍から見ている分には非常に魅力的だとも感じていた。

地上は様々な匂いに満ちていると思う。
無味無臭の月とは違い有機的で濃密な生命の匂いが地上に特に森には立ち込めていると思った。
森を構成する木々一つとっても溢れるほど生きており、時にはそれだけで圧倒されそうになる。
偶に自分はこの木々よりも生きていると言えるだろうかと思う事もある。
今まであまりにも目的無く生きてきた為にそのような感慨さえ浮かんでしまうのだ。

「それにしても」

まるで手掛かりがなかった。
見渡す限り似たような風景が広がり、それは森の中だから当然なのだけれど早くもうんざりしてきた。
正直適当に散策して手掛かりなしと報告しようと思っていた。
お師匠すなわち八意永琳はこの調査自体に余り期待していないような素振りであったし、特にがっかりされる事もないだろう。
大体こんな森の何処に鳥目の手掛かりがあるというのであろうか。
仮にこの鳥目事件が何らかの能力者の仕業だったとして、その能力者がこの場に留まる事などあり得るだろうか?

それにしても分からない事だらけだ。
何故その能力者は人間を捕食しなかったのだろう。
そいつはあるいは自覚もなく他者を鳥目にしているのだろうか。
それとも何か別の目的があるのだろうか。
そもそも能力者の仕業という前提が間違っているのだろうか。
全ては憶測であり確かな事は何もなかった。

取り敢えず夕暮れを待つことにした。
あと数刻は此処で待機しなければならない。
現場を当時の状態に再現する為には仕方のない事であった。
夕暮れを越え夜になって何も起こらなければ帰ろうと思っていた。
それまでは待機だ。

何かを待つ事は得意だった。
というか待つ事しかしてこなかった。
ペットなのだから主人の帰りを待ち続けるのは当然の事だ。
それに待機は使用人の基本であった。
何時でも控え続け、用事が出来れば即応する。
そのように教育を受けてきたし、基本的に命令という物がないと動くことが出来ない。
玉兎は元々軍用であり優曇華も軍事教育を受けて育った。
優曇華は同種の玉兎よりも容姿秀麗に育ち月の高官に見出されペットとなった。
自主性なんてものは育つはずもなかった。

だから今思うとよく月から逃げ出したものだ。
自分が思うよりも、もしかしたら自我が強いのかもしれない。
あの時は無我夢中だった。
何かに導かれるかのように地上へと降りた。
その事を後悔しているだろうか。
満月異変の最中は月に帰りたくて仕方が無かった。
きっと状況が整えば月へ帰っていたと思う。
後先なんて考えた事はない。
ただ一時の感情に身を任せて来ただけだ。
なぜならば狂気の兎であるからだ。

あと数刻は待機しよう。
日が暮れるまで待機しよう。
様々な事象を見逃すことなく集中して待ち続けよう。
待機は兵隊の基本だ。







あの兎は何者だろか。

ミスティア・ローレライは先程から縄張りを彷徨く兎を注視していた。
兎はある場所から全く動く事をしなかった。
その場所の因縁は良く知っている。
先日人間共を鳥目にして遊ばせていた場所であった。

ミスティア・ローレライは夜雀である。

件の兎から何か張り詰めた雰囲気を感じる。
不自然なんてものじゃあなかった。
あれは明らかにこちらを探っているのだろう。

これは憶測だけれども、あの兎は多分人間に雇われた妖怪兎だ。
きっとこの間鳥目にしてやった人間共の意趣返しに違いない。
けれど、それが誰の仕業か解っていないのだ。
それを探る為にも取り敢えず現場に来てみたという所だろうか。
きっとそうだろう。
そういった動機でもなければなんでもない森の一角に、
それもあんな場所に長時間留まり続ける事もないだろう。

幾つかの選択肢がある。

まず、無視する事だ。
最も安全で妥当な選択。
こちらを狩る気満々の奴をわざわざ相手にする必要が何処にあるというのだろうか?

2つ目は返り討ちにする事だ。
日が暮れてから奴を鳥目にして自慢の爪でズタズタに切り裂いてやるという寸法で、
今夜は兎肉の串焼きがメニューに並ぶ事になる。
まず不意打ちならば負けないと思うが、あの兎が一匹だけかという懸念がある為迷う。
あの兎が囮であった場合、自らの姿を晒すことはそのまま敗北へ繋がるだろう。
現段階で状況に対して優位性を保てているのは、鳥目の犯人が不確定であるという事実があるからだ。

3つ目は説得を試みるという事。
お互い妖怪なのだから、どんな事情があったか知らないが人間なんかに担がれる必要はないし、
むしろ人間共を更に誑かしてやろうと共謀を持ちかける事である。
魅力的だが相手が説得の余地が無いものであった場合即座に退治される危険がある。
これも憶測だけれど正面きって遣り合えば、多分勝つことは難しいと思う。
あの兎の挙動には隙というものが全く見当たらなかった。
彼我の力量差は明らかであった。
きっとあの兎は戦闘に特化した何らかの能力を保持していると考えるのが妥当だろう。
そしてこの案も姿を晒す事により自らの優位性が消失する。

どう考えても無視するのが得策だと思えた。
相手は様々な意味で疑心暗鬼になっている筈だ。
このまま何も起こらずに長時間が経過すれば諦めて帰るに違いないだろう。

だが、しかしである。
さてさてどうしたものだろうか。
正直あんな物騒なのが縄張りの中に居る事は非常に厄介であるし、
他の妖怪につけ込まれる口実になるかもしれない。

森の妖怪にとって縄張りとは非常に重要な要素であった。
縄張りは目に見えてはっきりとした境界がある訳ではない。
大雑把にこの辺りからあの辺りまでといった範囲があるに過ぎないが、
その範囲内の一切の出来事を管理出来なければ固有の縄張りとは言い難かった。

縄張りとは要するに勢力圏であり、その妖怪の力そのものであった。
縄張りの中であるならば人間を誑かそうと脅かして食おうと勝手であり当然商売しようとも自由な訳であるが、
そういった縄張りの保持には力が必要で、自分よりも明らかに強力な妖怪が縄張り内に侵入したとして、
それを追い払う事が出来なければ他の森の妖怪たちがこれ幸いと事態に介入してくるだろう。
そして縄張りの割譲を迫られるだろう。
今の現状はまだ誰にも知られていないが、仮にあの兎が執念深い性格だったとして、
あの場所に留まり続けれたとしたら隠しておくことは難しい。
結果訪れる未来の事を考えると憂鬱になる。

それであるならば・・・







そろそろ日が暮れるだろうか。

状況としては人間達が鳥目になった当時の状態を再現したことになる。
昼なお暗い幻想郷の森であるが、夕暮れともなれば一気に闇に包まれる。
申し訳程度の夕日が地面をギリギリ照らしているかどうか。
成る程、この状況で人間が視力を失えばパニックとなるのも頷ける。

いくら気乗りしないとは言っても状況を想定するくらいの事はする。
つまり万が一自らが鳥目となった場合の対処法だ。
薬理的な対処が不可能である以上、無視界戦を考慮しなければならない。
その為にまず普段は折り畳んである耳を直立させた。

月の戦闘は無視界戦が多い。
有事ともなれば都の外で戦いが行われるが、多くの場所は陽が当たらず一面暗闇である。
そういった中でも戦闘を継続しようとする場合を想定して玉兎は進化してきた。
様々な実験と交配の末現在の形がある。
つまり集音と発音を同時に行える耳の獲得と性能の向上だ。

耳は元々集音の為の器官であるが、両耳を振動させる事による発信も可能とした。
耳の可聴域は広く、それはむしろ耳といういうよりは受信機に近い物である。
極超短波からマイクロ波に至るまでおよそ宇宙中で発せられる波を聞きとるないし感じ取る事が可能であり、
同時に波を発する事も可能だ。
故に月との交信も可能であり、この地上にあって幾度か交信した実績がある。

優曇華は月の高官のペットであり使用人であったから玉兎の中でも優生種の生まれである。
そこいらの兵隊より明らかに様々な事が先天的に可能であった。
無視界戦を想定しての機能は非常に高く、両耳から発せられる特別な音波を利用して周囲数百メートルの状況を見通す事が可能だった。
音の反響から周囲に何が存在するか目を閉じ正確に描くことが可能であり、その音波を継続して発することが可能である。
故に無視界であろうとも、あたかも真昼のような視界を確保する事が出来た。
それらの情報をたえず仲間の玉兎と共有する事により無視界の状況であろうとも戦況を優勢に進める事が出来る。
最も現在は独りきりであるから情報の共有は必要ではないけれども。

取り敢えず優曇華はテストがてら目を閉じ周囲に向かい音波を発した。
周辺の状況を探るためには常に音を変えて発し続ける必要がある。
音波数変調連続波という訳だ。
対象からの反射波が受信される時には送信波の音波数が変化している。
常時この発信音波と受信波の音波数の差を測定し、反射波の時間の遅れを測定することで対象までの距離を知ることができる。
これらの反射状況を常に頭の中で演算しながら周囲の状況を把握するのだ。
すると脳内には現実の視界と変わる事のない、あるいはそれよりも多くの情報を元に周辺を描く事が可能であった。

優曇華の他にこの地域に居る大型の生き物は此処から約10メートル程先に居る鳥のような生き物だけであった。
優曇華の背後に位置している。
基本的には死角であり、視界を頼りにしていては見つけられなかったであろう。
鳥の割には大型で、人のような形をしている。
あれは妖怪だろう。
先程からこちらの状況を伺っているようだ。
あれがいつ頃からこちらを注視しているかは分からない。

あれが今回の件の本命かどうかは不明である。
幻想郷に来て日が浅いとはいえ森の妖怪の事はなんとなく知っていた。
そこに固有の縄張りがある事も知っている。
きっと周辺にそれらしい妖怪が一匹しかいないのは、要するにこの場所があの妖怪の勢力圏だという事であろう。
妖怪は闖入者たる優曇華を訝しがっている。
事を構えたくないけれども縄張りで好き勝手して欲しくないといった所か。

優曇華は随分長時間この場に留まっている。
奴がそれを好意的に受け取っていない事は明らかだ。
それが証拠に奴はこの数分間こちらを注視するのを止めなかった。
奴は完全にこちらを意識している。
そして気が付かれないであろう位置取りを保ち続けているのだ。
それはこちらに気が付かれたくないという配慮であろう。
そうする事により先制の優位性を保っているという訳だ。

つまり相手は慎重ないしは臆病な者であり戦意は低いとみた。
好戦的な者ならば既に一戦交えている筈で、そういった意味で相手は理性的な存在だ。
そしてやはり戦闘には自信がないのだろう。
仮に戦闘に自信があり慎重な性格で尚且つ理性的な者であるならばこちらと接触を試みる筈だ。
何が目的か聞き出そうとする筈である。
そのうえで相手と妥協ができない場合は戦闘に移行する。
それは戦闘に自信がある者がとれる態度である。
けれども奴にはそんな甲斐性はないのだ。
あるいはどうしようか必死に考えているないし悩んでいるのだろう。

それであるならば優曇華は取り敢えず一撃加えてみようと思った。
もしかすると奴が時間の経過と共に有利になる要素があるのかもしれない。
それを待つが故に仕掛けて来ないという理屈だ。
そういう要素も考慮するならば一刻も早い攻撃、すなわち先制攻撃が必要であった。

あれが今回の件の首謀者かどうかは不明だが、
締め上げて鳥目の下手人を吐かせるのは良い案だと思った。
あるいは仲間の情報を聞き出すのだ。
ここが奴の縄張りならば事の一部始終を目撃しているのかもしれない。
もちろん奴自身が下手人の可能性もなきにしもあらず。
人間を撃つ訳ではないから誰に咎められる事もないだろう。
それに相手が戦闘に自信がないのならば尚更である。
つまり何をしても構わない訳だ。
荒事は玉兎の専売特許だろう。
こんな場合きっとお師匠も手段を選ばないに違いない。

優曇華は指を銃のように構えて突如として振り返り、
ホバリングしている鳥の妖怪に向かってエネルギーを凝縮させた弾丸を発射した。
仮に奴が真実臆病者でこの場から逃げ出したとしても構わなかった。
その場合は帰宅し原因は分からなかったとお師匠に報告するまでだ。
やはり撃つという選択は悪くない。







奴の耳が立った。
それを確認した時点で能力を発動するべきだったのだ。
迂闊といえば迂闊だがこうなっては致し方がない。
やはりあれは戦闘に特化した凶暴な妖怪だったのだ。
そしてこちらを狩る気十分だったのだ。

奴が振り返ると同時にビクついた自らの肝の小ささに救われた。
反射的に動いた為に奴の弾丸のような光の弾を躱すことが出来た。
恐ろしく正確に狙われた事が功を奏したのだ。
脇腹を多少抉る程度の損傷で済んだ。

腹は痛むが飛べない程ではない。
ミスティア・ローレライは取り敢えず高度を上げ、森上空を旋回し始めた。
兎は立て続けに弾丸を発射する。
やはり狙いは正確だ。
ランダムに飛び続けなければ被弾していただろう。

本当にどうしたものだろうか。
これだけ派手にやられてしまったのだから他の妖怪は当然こちらの異常を嗅ぎつけている筈だ。
虎視眈々と介入の機会を伺っているに違いない。
やはり困難ではあるが兎を排除しなければならないだろう。
これからも森で生きていくと決めているのだ。
負けはすなわち存在の否定だ。

ミスティア・ローレライは他の妖怪の手前、
何より自らの縄張りの為に穏便なる解決を模索してきたが既に限界である事は明白であった。
この期に及んでは森の妖怪の縄張りに飛び込んできた無作法な兎を後悔させるだけであった。

要するに奴を鳥目にしてからどうするかという話であった。
既知の情報によれば、あの兎はどういう理屈であるか不明であるが死角であった筈の自らの位置を完全に把握していた。
一度も奴の視界に入ること無くだ。
つまり、奴は何らかの特別な能力により視界以外の情報から他者の位置を把握する事が出来るのだ。
そういった敵を相手取るのは初めてであった。

「するとやはり」

あの長い耳を用いてこちらの位置を把握しているのだろう。
耳とは音を感じ取る器官である。
もしかすると羽の音を探知しているのかもしれない。
問題はそういった相手に対して鳥目にする攻撃がどれほど有効であるかという話だ。
通常、夜間において視力を失う事は深刻なダメージだ。
特に今夜のように月明かりが殆ど差し込まない夜には致命的となるダメージである。
現在この夕暮れは既に闇夜に近い。
森の中は真っ暗だ。
森に光源が存在しない以上極僅かな視覚的情報を頼りに森を進むしかないだろう。
そのうえ視力を奪われては大半の相手はパニックに陥る。
そこを狩るというのがミスティア・ローレライの森での基本的な振る舞いであった。

夜雀という本来それほど強力ではない妖怪であるが、能力の活用により森の有力妖怪へと上り詰めた。
鋭く研いだ爪が主な武器だ。
人間程度の柔肌ならば撫でるだけで引き裂くことが出来る。
当然あの兎であろうとも触れることが叶うのであれば一撃で葬る事が可能だと思われた。
何せ本気を出せば老木であるならば縦に引き裂くことだって出来るのだから。

ミスティア・ローレライは自分の弱点も十全に把握していた。
幾ら妖怪化したといっても所詮鳥である。
相手からの直接的な攻撃は残念ながら即致命傷であった。
それは人間共を相手にした場合も同じで、奴らの金属から成る武器をまともに受ければ即死は免れないだろう。
だから、相手の視力を奪う事は近接戦闘を宿命付けられている身には必須の過程であった。
けれども今回は例外的な相手となる為注意が必要だ。

鳥目にしたと安易に考え迂闊に飛び込むと痛い目に遭いそうだ。
奴には目以外の優秀な探知器官があり、こちらの動きを全て察知していると考えると非常にやりづらい。
色々と考えてみたが、けれどもまずは能力を発動しようと思った。
あるいは考えているほど優秀な探知器ではない可能性もある。
もしかすると奴は長年の勘とやらで私の存在に気づいたという推論も無くはないからだ。
その場合は当初の予定通りパニックに陥るだろう。

ミスティア・ローレライは歌を歌い始めた。
そして歌いながら同時に不安になった。
奴はきっと恐らく人間共の意趣返し。
それであるならば当然鳥目の事も把握している筈だ。
周囲に奴の仲間らしき大型の生き物は存在しない。
それであるにも関わらず、つまり単独で森に入ってきたのは何故だろうか。
普通に考えれば鳥目をものともしない者であればこそではないだろうか。

やはり迂闊に攻撃は出来ない。
継続して観察が必要だ。
既に自らの能力により奴は鳥目に陥っているはずだ。
そして歌が聞こえる全ての範囲の生き物の暗部への視力を奪っている。
これで執拗な光弾攻撃が止むとよいのだけれど。
それでも奴が怯まなかったらどうするべきなのだろうか・・・







鈴仙・優曇華院・イナバは目を静かに閉じた。
何か歌声が聞こえたと思いきや突如として視力が無くなった。
想定していたとはいえ少しだけ動揺してしまった。

対空戦闘は苦手であった。
あの鳥を一撃で仕留められなかった時点で苦戦は必至だったのだ。
月では浮遊物を射撃する訓練などしてこなった。
空中を機動する目標に対して有効な射撃方法を会得する機会がなかった為この苦境がある。

師匠の言うとおり歌声が原因であった。
奴の特別な能力で、如何なる理屈によるかは不明であるが奴が発する歌声を聞いた者は鳥目になるのだ。
現に暗部においての視力を失った。
陽は既に落ちているので今は聴覚のみで世界を把握している。
無視界戦は御家芸であるけれど、本格的な飛翔体を相手にする事は珍しい経験であった。

なにせ視界があり、狙いを定めても完全に命中しなかったのである。
既にそこに居る目標を見て射撃しても効果が無い事は重々承知している。
それは対象が地上に居ようと同じだ。
あくまで対象の動きを予測して未来位置に向け射撃しなければ命中しない。
ただ、空を舞う相手に対して射撃を行う場合、それも今回のように軌道が安定しない者を対象とする場合、
自らの経験の足りなさから見越し射撃の精度が著しく低下している。

当初の想定通り視界を喪失した事は驚かない。
けれども月と地上の差異が優曇華を苦しめていた。
地上に降りてからというもの、本格的な無視界戦を想定する事はなくなった。
なんのかんのと地上には光源があり、そして僅かな光源があればそれを頼りに周囲を把握する事はそれほど困難ではなかったし、
玉兎は眼も特別製で取り分け優曇華の眼には幾つもの仕掛けがあった。
それだけに地上においての本格的な無視界戦を考慮してこなかったツケが今まわってきているという訳だ。
月と地上との差異。
月には森の木々に代表されるこんなに多くの障害物は存在しなかった。

音の反響を頼りに世界を把握するというやり方は殆ど障害物が存在しない月においてはじめて有効であったのだ。
当然落ち着いた状況で周囲を把握出来るのであればこの程度の障害物は何も問題ではなかったが、
現在は戦闘中であり状況は目まぐるしく変化する。
音の速度は非常に遅い。
光という情報と比べるならばその差は歴然であった。

音の反響を根拠とした情報を用いての戦闘が月にて一般的であった理由の一つに相手側も視力に頼れないという前提があればこそだ。
相手側が光の情報すなわち視力を確保している場合やはり不利は免れないだろう。
つまり現在は非常に劣勢であり、その事を戦闘が始まってから気が付く迂闊さに動揺もしているが、
けれどもまず必要な事は落ち着くことであり、精神の統一であった。
幸い優秀な耳はヤツの位置を正確に捉えている。
それは奴程の大型の生物が空中を移動する際に発する大きな空気の振動を捉える事に成功しているからだ。
そして本日は風も穏やかで空気も乾燥している。
そういった環境情報は有利な材料であった。

落ち着いたことで判明した事がある。
奴には飛び道具が無い、ないし有効な武器ではないという事実だ。
仮に奴が飛び道具持ちであった場合、殆ど現在地を移動しない自らを攻撃する事は簡単であるにも関わらず何もしてこない。
つまり奴は飛び道具が無いのだ。
これも有利な材料。

しかし攻撃の手段が今のところないにも関わらず奴は未だに上空を旋回し続けている。
この状況から逃げるつもりも無い事が分かる。
それにどんな意味があるだろうか。
要するに伺っているのだと思った。
あるいは時期が整うのを待っているのだ。
奴は必殺の一撃を繰り出すタイミングを図っているに違いない。
きっと近接戦に持ち込むつもりだ。
飛び込んでくるのならば好都合だ。
奴を耳が捉え続ける限り自らの身体に接触する直前に弾丸を撃ちこむ事が出来るだろう。

優曇華は耳先と指先に最大限のエネルギを送り続けた。







大切な縄張りを自分で荒すのは気が引けたがどう考えてもこれしか方法がないだろう。
こういう相手、つまり人間共の意趣返しであるという仮定の者を相手取るという事は安易に追い払う事は出来ない。
何故ならば相手側にはこちらを討伐するという明確な目的があり、単に行きずりや成り行きで戦闘を行なっている訳ではないからだ。
要するに徹底的に相手を痛めつける事で向こうの戦意を挫く必要があり、諦めさせる必要がある。
自分たちが雇った強力な妖怪が逆に返り討ちにあった。
あの妖怪には手が出せない。
そういった印象を人間共に抱かせる事は恐れの形成に繋がり、妖怪としての格も上がるというものだ。
この厄を福に昇華する位の意気込みが必要だ。

鳥目の能力を発動してからというもの奴はめっきり大人しくなった。
当てずっぽうの砲撃は止んだ。
そういう事は無駄だと悟ったのだろう。
あるいは弾数に制限があるのかもしれない。

奴は視力を失ったにも関わらずこちらの位置を把握し続けている。
それが証拠にこちらの旋回に合わせて身体の位置を微妙に動かしているからだ。
そして奴はある時から大木を背にこちらの動向を伺い始めた。
大木を背にする事で背後の安全を確保するつもりだろう。

そしてこの時を待っていたのであった。
大木を背にする安心感によって後背180度の自由が失われるのである。
その不利を当の本人は意識する事が出来ない。
視力を失った者たちは等しく同様の行動を採るものだ。
つまり何かを背にしたくなるものだ。
人間共はそれを地面に求め、兎は大木に求めた。
背後が安全だと確信してからというもの、その安心に依存するあまりその場からいよいよ動けなくなるものだ。
しかしこの爪は大木であろうと貫通する事が可能であり、つまり大木ごと奴の真後をぶち抜くが出来る。
妖怪化しているとはいえ所詮は兎。
一撃で致命傷を与える事が可能だった。

ひとつ、気になる事があるとするならば目を閉じていた筈の奴が目を開けた事についてだ。
大木を背にする少し前から奴の赤々とした両目が開かれ不気味に輝き始めた。
森の中が暗闇であるから余計目立つ。
そして上空からも確認できる程に強力な輝き方であった。
あの目にも何かあるのだろうか。
例えば自ら輝く事により視界を得るといった効果があるのだろうか。
けれども、もしもそのような機能が備わっているのならば最初から使用しなかった理由は何か。

ミスティア・ローレライはまたも攻撃を躊躇した。
何かある。
臆病者の本能が危険だと告げていた。
あるいはブラフはったりの類か・・・
それであるならばその目論見は成功している。
現に今攻撃を躊躇しているからだ。
よく考えてみるならば目が光っただけで特にどうという事もないのだ。
奴は依然鳥目状態にある。
と、思う。
それを何らかの方法で確認しなければならないだろう。

真実奴が未だに鳥目で光る眼は単なる威嚇という仮説を確かめる為にも予定通り攻撃に移る事を決断した。
兎の周囲にある三本の木を奴に向かって倒すのだ。
鳥目であるかないか。
その避け方ないし反応を見れば判明するだろう。
そして耳の性能も分かるに違いない。

奴が羽音を聞いて位置を把握しているのであれば周囲に強烈な騒音を発生させれば良い。
視界がなければ対応できないし、咄嗟に反応出来ないものだ。
仮に反応したとして、それは幾分チグハグしたものとなるだろう。
それは鳥目の証拠でもあるし、それが判明した時点で奴の背後に回り込み背中をぶち抜く。
その時、奴の背に木があるかどうかは問題ではない。
仮にあたかも視界があるかのような反応を示した場合は無理をせず仕切りなおしだ。
その場合にも備えて急上昇して回避するイメージを持ちつつ行動する必要もある。
あるいはいよいよ切り札を使う時が来たのだろうか。
これだけの強敵だ。
出来る限りの事をする必要がある。

ミスティア・ローレライは兎目掛けて急降下を開始した。
急降下であるならば羽根音を立てる事もないだろう。



10



奴が大きく羽ばたいたかと思うと急降下を仕掛けてきた。

ここまでは目論見通りだろう。
木を背負う事は多くの自由を制限する事に繋がるが、けれども隙を見せないことには何時まで経っても状況が動かない事も分かっていた。
あの鳥は恐ろしい程慎重だ。
目を開けこちらの能力をそれとなく発動したがその事を非常に警戒している。
そんな気配が反射映像からも伝わってくる。
こちらの能力の本質に気がついただろうか。
けれどもそんな事はないだろう。
何故ならば現在は準備段階であり未だ本格的に発動していないからだ。

優曇華の目は発光する仕掛けがある。
優生種だけの機能で優曇華は特に顕著に発現した例であった。
暗闇の中での月面防衛戦には発光する目等只の標的でしかないだろう。
しかし目から発せられる特別な波長の光線は、それを視認した相手の感覚器を尽く狂わせる事が可能だ。
暗闇の中で発光物体があれば否応なしに注目する事になるだろう。
リスクがあるとするならば味方をも巻き込む危険性があり、相手側が何らかの対策を企てていた場合単なる的になってしまう事だ。

優曇華の目は発光するが、その光により照らされた灯りを自らが視認する事はない。
何故ならば自分自身の感覚器も狂わせてしまうかもしれないからだ。
優曇華の眼球は自身が発光する光線を視認する事が出来ないように調整されている。
故に現在の盲人状態を打破する切り札には成り得ない。

けれども最後の最後で優曇華が自らの勝利を強く信じられるのは特別な目を持っているという自負からだ。
こういった隠し札がある事を相手はどうして予見出来るだろうか。
そして可能であるならば使用したくはなかった。
誰に見られているか分からない。
切り札や隠し札は隠蔽しているからこそ意味があるのだ。
こういう切り札があると森の妖怪に知られる事は今後の事を考えるとリスクであった。
けれども能力に頼らなければ此処で殺されてしまう可能性もある以上出し惜しみを避けるのは当然であった。

奴はここら一帯を縄張りとする妖怪だ。
そこいらの十把一絡げとは違うのだろう。
鳥目にさせる以外にも何かしらの武器があるに違いない。
飛び道具ではないとするなら、あとは近接攻撃しかないだろう。
受ければきっと一撃で致命傷となる程の強力な攻撃である筈だ。

奴はその攻撃に自信を持っている。
いや、その攻撃を繰り出す以外に状況を打開出来ないのだ。
だから何が何でも攻撃を繰り出す他ない。
こちらが苦しい時は相手も苦しいのだ。
本格的な戦闘の場合、どちらか一方が圧倒的に有利である事は非常に少ない。
何故ならば状況とは常に不安定であるからだ。

有利不利とは経過状態であって結果ではない。
次の瞬間立場が入れ替わる事は戦闘中ではよくある話である。

優曇華は今有利だろうか。
あの鳥は不利だろうか。

実はそれは観察者の印象に過ぎない。
本来そんな要素は戦闘には存在しない。
実際に存在するのは不安定で不確定な様々な思惑だけである。
どちらの描いた絵がより鮮やかであるか。
その違いが勝敗を分けるのだ。

奴は周囲にある比較的細身の木をこちらに向かって薙ぎ倒してきた。
三本ないし四本か・・・
奴の一撃は少なくとも木々を倒壊させる程には強力であるのだ。

周囲に木が崩れてくる音が満ちる。
この騒音を隠れ蓑にして奴は姿を晦まして得意の一撃を加える目論見か。

優曇華はあたかも錯乱したかのように周囲に向かって弾を当てずっぽうに発射し続けた。

倒壊する木々の音を聞く限り、木はこちらに向かって正確に倒れてくるようであった。
ここは奴の縄張りだ。
どの木がどんな性質を持っているか知っているのだろう。
こちらに向かって木を倒す事にどんな狙いがあるだろうか。
答えは簡単だ。
大木から引き剥がしたいのだ。
周囲の木を三ないし四方向から囲むように倒す事によって退路を限定し、その退路上に待ちぶせて一撃を加えるつもりだろう。
そして大木から引き剥がしたい理由はきっとあの大木を貫通して攻撃する程の威力がないからだ。
もしも奴の攻撃にそれ程の威力があるのならば既にそのようにしているに違いない。
大木ごと貫通して背中を打ちぬくといった攻撃を・・・

これら一連の流れを引き出す為に大木を背負ったのだ。
ここまでは予定通り。

優曇華は弾を正面に撃ち続けながら倒れてくる木を躱すために、木々の隙間を走り続けた。
周囲の反射音の分析は騒音の中でも十分機能している。
音が返ってきた時には対象物は既にその位置にはないが、その速度を計算により補正する事によって限りなく真実に近い映像を頭の中で構成する事が出来る。
しかしそういった複雑な処理の代償は探知範囲の大幅な縮小であった。

既に周囲4m程度の情報しか得られていない。
それも途切れ途切れであり、正確な状況は不明であった。
悪いことに奴を捉える事も出来なくなってしまった。

探知範囲外に居るか、あるいは障害物に紛れ身を隠しているか。
あるいは偶然障害物に紛れ探知できないかのいずれかだ。
現在は倒れてくる木を躱す事に集中しているので、通常耳に入ってくる様々な幅広い情報をカットしている。
周囲の状況を映し出すためには致しかたない処置であるが拙い事には変わりない。

優曇華は前方への断続的な砲撃を止めた。
それにより少しだけ能力に余裕が生まれた。
羽音と空気の振動を感じようとしたが無駄だった。
という事は奴は既に移動してはいないのだろう。
探知範囲外の何処かで一撃を加えようと静かに伺っているのだ。
想定が全て正しいのならば奴は前方の何処かに伏せていて、対象が通りすぎるのを待っているのだ。
そして通り過ぎた直後、静かに忍び寄り素早く背後に強力な一撃を加えるつもりなのだ。
敵が真実慎重な者であるならば最後の最後までリスクの無い攻撃を企てるだろう。

この仮説が正しいならば奴はこの前方の何処かに必ず潜んでいる。
探知能力の全てを其処に集中した。
もしも奴を発見したらあえて見えない振りをして走りぬけよう。
背後に回られた瞬間に指を気取られること無く何気なく後方に向けるのだ。
その意図に気が付いた時に既に手遅れ。
そこまでして初めて慎重な奴を討ち取る事が可能なのだろう。



11



奴の耳は予想外に優秀であった。

やはり目は見えていないのだ。
それが証拠に倒れる木々から逃げる動作のひとつひとつが酷くチグハグであった。
あれは盲人の動きだ。
目以外の感覚器で世界を捉えている者特有の動きである。
けれども盲人と違う所はそれでも世界を把握している点である。
明らかに死角からの木々の倒木をも躱しながらこちらに向かって走り続けている。

やはり切り札を使うしかなさそうだ。
奴の背後は死角ではない。
背中を直接攻撃する事は今や自殺行為だった。
どんな理屈で背後をも把握しているか皆目分からないが、あの耳を奪う事が出来れば勝利は確定したも同然だろう。
あの耳さえ奪えるならば奴は世界を把握する手段を全く失うのだ。
つまり一撃で仕留めるのではなく段階を踏んで仕留めるのだ。

本来防御という事に関して全く自信の無い者が近接戦闘を行う場合一撃離脱以外の方法は論外であった。
理想は中距離の飛び道具を保有する事だが、残念ながら夜雀である自身にそのような能力は備わっていない。
鳥目の歌声はそれに相当するが、それだけでは相手を撃滅する事は叶わないのでどうしても敵に接近する必要がある。
そこで苦心惨憺の末ミスティア・ローレライが獲得した武器とは短距離の飛び道具。
すなわち爪弾である。

自らの鋭い威力ある爪を相手に目掛け発射するのだ。
破壊力は相当なもので、それこそ大木をも貫通する事が可能だが当然リスクもある。
それは激烈な痛みだ。
一弾発射するだけでその手は暫く使い物にならなくなるし、下手をすると痛みだけで失神しかねない。
もしも口を開けながら発射しようものならば舌を噛み切る事必至であった。
そして爪弾を発射した指からは血が溢れ出し暫く止まらないであろう。
爪が再生するまで実に半年以上も必要だ。

これだけのリスクを負う事を覚悟の上で奴に爪弾を発射しなければならない。
けれども森の妖怪の誇りが奴を打ち負かせと囁いていた。
ここで発射しなければ終生後悔する事になると告げていた。
あらゆる手段を用いて奴を排除すると決めたのだ。
縄張りを守ると決めたのだ。
腕の痛みには耐えてみせよう。
けれども試射の際に味わったこの世のモノとは思えぬ痛みを全身が思い出し平静を保っていられない。
恐怖の余り歯の根も合わない。
けれども不用意に音も立てれない。
奴は何を元にこちらの位置を割り出しているか分からないからだ。

奴は前方に向かって滅茶苦茶にあたかも錯乱したかのように赤く光る眼をギラつかせながら乱射している。
けれどもそれが嘘だという事は分かっていた。
あれだけ世界を把握する者が、戦闘という事に長けている者がこの程度の状況で錯乱等する筈がないのだ。
これで判明した。
奴は背後から攻撃される事を明らかに誘っている。

だが、奴にはひとつ思い違いがあったという事だ。
奴は既に4m程の距離の中に居る。

ミスティアは兎の進路上の側道の大木に身を隠している。

きっと自らの位置を奴は既に把握しているに違いない。
これは憶測だが、きっと兎は何くわぬ顔をして横を通り過ぎるつもりだろう。
そしてわざと無防備な背中を晒すのだ。
自らが直接背中を攻撃する刹那を奴の指弾が零距離で発射される仕組みだ。
けれども撃ち抜かれのは奴の方だった。

今、奴の思惑を上回っている自信がある。
けれども、この期に及んで不安と疑心が吐きそうな程胸の中に渦巻いていた。
それはあのギラつく赤い目の問題が何も解決されていない為だ。

相手の思惑を上回る切り札を自分は持っている。
相手はどうだろうか。
兎も何か思いもよらない、こちらの思惑を完全に上回る何かを隠し持っているのではないだろうか。
あるいは耳を奪う事よりも直接背中を爪弾で撃ち抜く事の方が効果的ではないだろうかと焦れる。
ダメだ!
この時になって焦りは禁物だ。
爪弾は一発しか発射出来ないのだ。
いや、原理上十発発射可能なのだが二発目を発射する段階で間違いなく痛みで死んでしまうだろう。

万が一奴の背中に何か特別な防御機構が備わっていた場合せっかくの爪弾が無駄になってしまう。
あるいはそういった何かがあるから背中を晒らす事が出来るのかもしれない。
けれども、あの大きな耳にそのような機構は見当たらなかった。
あの耳は優秀な探知器だ。
故に何かで覆う事は出来ないし、優秀な代償として幾分脆いのではないだろうか。
そして、あの両耳のうち片方を破壊する事に成功すれば探知能力は激減し流石に背後は死角となるだろう。
少なくとも動揺する筈であるし、そこを突いて必殺の一撃を加えるまでであった。
如何に奴の背中に仕掛けがあろうと、その全てを打ち抜いて兎を撃滅する自信がある。
ならばやはり耳を撃ち抜くしかないだろう。
しかしあの目だけが気がかりであった。
一体どんな切り札を奴は持っているというのだろう・・・



12



4m先に奴を見つけた。
側道の大木に身を隠しているつもりのようだ。
読みは正しかった。
やはり近接攻撃しか攻撃の方法を持っていないのであろう。

これならば切り札を見せるまでもなく戦闘は終結するに違いない。
永遠亭に奴を持ち帰る必要があるし、能力を解析する為にも殺す訳にはいかない。
奴を仕留めたらてゐに連絡しよう。
流石に迎えが必要だ。

大木という障害物がある為、奴が居る事は分かるのだが奴がどのような態勢で待っているか、
そして何をしようとしているかという詳細は分からない。
あくまで音の反射によって世界を把握している為、そして速度の補正に関してもこちらの期待値に過ぎないから実際の光景とはやはり若干のずれがある。
全てを把握出来る訳ではないところが月面と地上との取り分け森という障害物地帯の特徴であった。

全ては思惑通り進んでいるだろうか。
けれども何か疑問があろうとも此処で引き返す事は出来なかった。
此処で視力がある振りをすれば奴は警戒を新たにして飛び上がり再び上空を旋回しながら次なる一手を練り始めるだろう。
その長丁場に付き合う事は不可能だった。
何故ならば既に体力と能力の使用状況が限界に達しつつあるからだ。
月において単独の任務等ありはしなかった。
何時でも数名で行動していたし、各々の役割は明確に決まっていた。
基本的に生存訓練は受けているがそれにしても限度がある。
月の戦闘のように探知だけしていれば良いという事もなく様々な事に気を使わなければならない。

想定以上に能力を使用している現在の状況からこれ以上の戦闘の継続は不可能だった。
幾つかの不確定要素があるがこのまま状況を進めるしかなさそうだ。
実際問題として弾も尽きかけている。
実は一弾撃つだけで体力を著しく蝕むのだ。
奴を仕留めるほどの威力ある一撃をあと何度繰り出せるだろうか。

そんな事を考えながら奴の真横を通り抜けた。
その刹那両耳を撃ち抜かれたのだ。



13



声にならない絶叫を発して兎は地面に転がった。
奴の優秀な耳はちぎれ飛び後方に転がっている。

段取りを変え奴が真横を通った瞬間に大木ごと奴の耳を狙い撃った。
結果は見ての通りだ。
奴の両耳を一度に撃ち抜くにはこの方法しかなかった。
大木を撃ち抜かなければならなかったから、相当の覚悟を持って爪弾を発射した。
その甲斐あって凶暴な兎を森の夜雀が討ち果たしたのだ。
後は奴の身体をもう片方の爪で引き裂くだけだった。

けれども、それはもう少し後になりそうだ。
大威力の爪弾の代償は大きく、少し、いやかなり後悔している。
意識が飛ばなかったのが不思議な位だ。
左指の爪を発射したから当然左手の感覚は無い。
もう何をしても言うことも聞かなければ腕を上げる事も、指を僅かに動かす事も出来はしなかった。
指先からは止めどなく血が垂れていた。
歯を強く食い縛り過ぎて口からも多量の血が漏れる。
足は衝撃を受け止めることが精一杯でまともに立ってはいられなかった。

貴重な時間が過ぎていく・・・
奴が耳を失った衝撃でパニックになっているこの貴重な時間が!
此処だ、この時に奴を仕留めなければあるいは何らかの切り札を奴に使わせてしまいかねない。
兎とは2mも離れていないのに奴に触れる事が叶わない。
奴が正気を取り戻す前に仕留めなければならない、何としても!!

ミスティア・ローレライは右手を兎の方へ向け、二発目の爪弾の発射態勢に入った。



14



優曇華が他の玉兎と決定的に異なっている点は自らが狂気の兎であると自認している点だ。
優曇華は狂っている。
それは生まれからしてそうであったし、彼女の生き様はその内なる狂気を肯定しながらの生であった。
だからこのどうしようもなく不利な状況を心底面白いと感じていたし、至って冷静であった。
優曇華は冷静に狂っているのだ。

まだ、両耳が千切れただけだ。
奴の姿が完全に見えなくなっただけだ。
たったそれだけだ。
それがどうしたというのだろう。

大袈裟に転がってみせたし、わざとらしい悲鳴も上げてみた。
奴は兎がパニックに陥っていると錯覚しているだろう。
この期に及んで出し惜しみは無しだ。
ここまでの状況に追い込んだあの鳥への敬意から最大限に苦しませて殺してやると決意した。

奴は飛び道具を持っていた。
それも強力な奴をだ。
そこを見誤っていた。
けれど連射してこない。
受けた衝撃の感覚からして実体弾であるようだった。
きっと爪か何かを飛ばしたのだ。
鳥という動物の生態を考えるにそれは妥当な推論だろう。

奴は爪弾の代償できっと大きく傷ついているのだ。
今の今まで飛び道具の使用を控えていた理由はその発射に関して相当のリスクを覚悟しなければならないからだろう。
あれだけ大きく厚みのある大木を貫通する程の威力を有する実体弾を発射するとなれば身体への負担は如何程のものであろうか。
きっとヤツも生命を賭けての一撃であったに違いない。

耳はちぎれ飛んだが何も聴覚を全て失った訳ではない。
人間が普通に有する耳そのものは優曇華にも備わっている。
現在の優曇華の可聴域は人間のそれと同等であった。
だから聞こえるのだ。
奴の苦しい息遣いが。
口から何か液体が溢れそれが地面に落ちる音が。
きっと血なのだろう。
奴も相当に無茶な攻撃をした。

息遣いから推測するに奴とは2mも離れていなかった。
奴は無茶な攻撃の代償でまともに動くことも出来ない。
そうでなければ、この機に畳み掛けるように攻撃を繰り出さないのは不自然だ。
この期に及んであれこれ考えはしないだろう。
どうみても奴が連続して攻撃してこない理由は様子を伺っているのではなく単にそれが出来ないからだ。

あの鳥も此処まで頑張ったがどうやらこの辺が終局なのだろう。
鳥の癖に厄介な奴であった。
どうせ今頃もう一撃同じ攻撃をしようと企てているのだろう。
そんな事をすれば奴自身生命を保たせられるかどうか分からないにも関わらずだ。
命知らずは好きだ。
特にその一撃に生命を賭けれるような奴が大好きだ。
それは狂気だろう。
つまり同類だ。

鈴仙・優曇華院・イナバはミスティア・ローレライが居るであろう方向に顔を向け目を見開き怪光線を発射した。
視界が皆無である事が唯一の気がかりだった。



15



きた、赤い光の攻撃だ。
奴がこの攻撃を企ている事は分かっていた。
だが今のところその光線を浴びても身体が溶けることも目が見えなくなる事もなかった。

二発目の発射にはそれなりの時間が必要だった。
まさか此処までの身体的負担を強いられるとは思いもよらなかった。
過去の試射の際もこんな大出力で発射した事はなかったから、このダメージを想像する事が出来なかった。
全く戦闘は何が起こるのか分からない。

その赤い光りの攻撃にどのような意図があったにせよ、これで終わりであった。
奴も何かしら振り絞っての攻撃だったのだろが、残念ながら不発に終わったのだ。
あるいは耳を失った事は相当のダメージであったのかもしれない。
あの赤い光線は本来こちらを焼き払う程の出力があったかもしれないし、
もしかしたらもっと複雑な意図があったかもしれないが、現に何の被害も認識出来ない以上奴の攻撃は不発だったのだ。
つまり全てを失い苦し紛れに一撃を加えてみたといったところか。
こちらを凝視したまま微動だに出来ない兎を哀れだと思った。
きっと奴は内心失意と落胆とパニックで一杯に違いない。
そういった内心を一切顔に出さないのは立派だと思った。

ミスティア・ローレライは渾身の力を振り絞り右手から二発目の爪弾を発射した。
不思議と痛みは感じなかった。
あるいは自分は既に死んでしまったのかもしれない。



16



八意永琳は呆れ顔で鈴仙・優曇華院・イナバを見つめていた。

「それでこの有り様なのね・・・」

優曇華は深夜永遠亭に帰ってきた。
土産にズタボロの夜雀を抱えて帰ってきた。
右手に夜雀、左手に自らの耳を持ちながらの帰宅であった。

「多少手間取りましたが仕留めました」

「多少・・ね」

狂気の瞳をマトモに凝視した夜雀は爪を発射したと勘違いしながら気絶したのだという。
特にこれといった身体的ダメージを被った訳ではない優曇華は、
気絶している夜雀をしたたかに痛めつけ憂さ晴らしをした後永遠亭に持ち帰る気分になったという。
そういう事を屈託なく報告する辺りが狂気の兎と呼ばれる所以だろう。
だからどうという事もないのだが、自制を覚えされる事は既に諦めていた。
何故ならばこの兎は何時でも冷静であるからだ。

「それで今視力はどうなっているの?」

「こいつが気絶した途端に視力が回復しました。やはり術者次第だったのでしょう」

「・・・まあそんな事だろうとは思っていたけど」

優曇華はちぎれた両耳を弄んでいた。
明日手術してやる必要がある。
接合自体は難しい技術ではなかった。

「歌だと言ったわね」

「はい、奴の歌声が能力のトリガーだったようです」

「どんな歌だったの?」

「そうですね・・・戦闘中に感じる事ではなかったかもしれませんが引き込まれる美しい歌声だったと思います」

「ふうん」

「奴は上空を旋回しながら歌を歌い続けていたんです。悲しいような喜ばしいような複雑な旋律だったような」

「歌に引き込まれたら鳥の思惑通りなのね」

「厄介な奴でした」

「永遠亭は森を敵に回したわね」

「それが何か問題でも?」

大有りだと思ったが気が立っている兎と議論したり諭したりする事は不毛だった。
こいつは下手したら相手が誰であれ自分の立場や状態がどうあれ牙を向きかねない。
後先を知らない者を敵に回すのは骨が折れるだろう。
それに永遠の暇つぶしはまだ始まったばかりであるし、永遠亭は常に人材不足であった。

「一度気付けさせて尋ねたんですよ」

「・・・」

「なんで人間を鳥目にしたのかって。そうしたら人間たちの悲鳴が聞きたかったらなんて言うんですよ。ねえ、お師匠変ですよねこいつ。人間の悲鳴は新しい曲を生み出すのに必要な発想をくれるのだそうです」

「まあ動機ってのは犯人だけにしか納得出来ないものね」

「お師匠もそうですか?」

「兎・・・あまり舐めた口を利くと容赦しないわ」

優曇華は顔を青ざめながら寝所へと退散した。
さて、この夜雀をどうしようか。
そんなに美しい声で鳴くのならば永遠亭専属の歌手にしてもよい。
夜毎鳴いてもらおうか。
人の絶望を喰らって生み出される曲とは如何なるものだろう。
とりとめもなく好奇心が湧いたので瀕死の夜雀に気付け薬を嗅がせてみた。
どんな声で鳴くか楽しみだ。
姫の退屈が地上の歌程度で紛れると良いのだけれど・・・



(了)
どうも春日傘です。
五作目です。
PCが飛んだり色々あって投稿が遅れました。
それはともかく・・・

もこたんが助けにくる展開もあった筈なのですが二人の戦いに水を差したくありませんでした。
こういう戦闘モノは難しいですね。
初めてこういう形式のモノを書きましたが刺激的で面白かったです。
今後に活かせればと思います。
春日傘
[email protected]
https://twitter.com/#!/haruhikasa
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お互いの読み合いや、鈴仙の狂った感じがとても良かったです
4.90名前が無い程度の能力削除
精神面でつよい優曇華がかっこよかった
7.100名前が無い程度の能力削除
狂犬うどんげイイネ・
8.40名前が無い程度の能力削除
楽しいがくどい
14.90名前が無い程度の能力削除
最後まで緊張感が失われなかったことに好印象。
もうちょっと遊び心というか、余裕があってもよかったかもね。
18.100名前が無い程度の能力削除
支持!
19.80名前が無い程度の能力削除
中弛み感がかなりありました。
説明が多すぎるというか、冗長というか、まだ進まないの?的な感想を受けました。

文体は読みやすくてよかったです。
20.100愚迂多良童子削除
手に汗握る戦闘シーンが最高でした。互いの状況がじりじりと交錯していく様は引き込まれた。
結構殺伐としている永琳と優曇華院の関係も、これはこれで面白いですね。この中にあって、てゐはどんな感じなんだろうなと気になったりも。
そして爪弾が出た瞬間、スティールボールランのあれを想像してしまったw
>>自制を覚えされる
憶えさせる?
21.100リペヤー削除
永琳黒い……
単なる弾幕戦とは一風変わったバトルでおもしろかったです
24.100名前が無い程度の能力削除
まさにスナイパーvsスナイパー
お互いに読み合ってる戦いは大好物です
ラストまでどちらが勝つのは読めなくて楽しめました
春日傘さんの書くキャラクターはものの考え方が論理的なので
このような作品は合っていると思います
出来ればまた氏の書く戦闘を読んでみたいです