Coolier - 新生・東方創想話

流れ行くまま

2014/02/03 17:26:39
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 うらぶれた、行燈の紙も脂でくすみ、光さえ煮凝っているよう。周りに飛び交う濁声は、平素なら聞くに耐えない程喧しく感じるだろうに、どうにも遠くに聞こえるのは、珍しくも蛮奇が酩酊の域に入っているからか。
 寂れた酒場に相応しい、染み付いた酒と、煙草の灰で粗びた卓の上には、徳利が六つ、いや七つ。二合入る徳利であるから、連れ合いと均等に分けたとしても、都合四合以上飲んだ計算になる。蛮奇は然程酒に強い性質では無いから、成程酩酊状態になるのもむべなるかな。
「おうい、蛮奇ちゃん、杯が乾いっちまってるじゃないか。ほらもっと飲め飲め」
 蛮奇の正面に座している、でっぷりとした――然し肉体労働で鍛えられた筋肉の上に、厚い脂肪が乗っているのが見て取れる――五十絡みの親父が、蛮奇の杯に酒を注いだ。
「ああもう親っさん、蛮奇さんは結構酔っ払っちまってるみたいですぜ。幾らなんでも女性にそんな飲ますもんじゃあないでしょう」
 親父の横に座っている、此方は引き締まった精悍な体つきをした、快活そうな三十手前の青年が嗜めたものの、「今宵は蛮奇ちゃんの送別会なんだ、主役が飲まねえでどうするや」とどこ吹く風。蛮奇は苦笑しながらも、唇を湿らせた。

 妖怪、赤蛮奇が何故このような人間との酒盛りに参加しているかというと、それは彼女が人里に紛れ込んで生活するを是としている事に起因する。
 人里で暮らすにあたって、自給自足の生活というのは甚だ難しいものである。妖怪らしく人を喰う訳にはいかぬが、飯を食わねば腹が減る。腹がくちくなれば眠くなる。草木生い茂る今の時期は、柳の下を借り暮らしの宿とするのも趣があるが、寒くなれば其れも厳しい。また、たまの贅沢にと酒も飲みたくなるし、煙草の香りも楽しみたい。別段蛮奇は仙人の様な霞を喰らう生活がしたい訳ではないのだ。
 結果として、日銭を稼ぐ必要が出てくる。身分の照会だなんだと面倒臭い事は御免被るので、日雇いの簡単な仕事、若しくは短期で稼げる手伝い程度の仕事位しか行える事が無くなってくる。
 女性で手っ取り早く金を稼ぐ方法となると、春を鬻ぐだの、花を売る仕事だの、そちらの方を意識する方もおられるやも知れないが、赤蛮奇は妖怪である。妖怪で無かったとしても、それは矜持が許さない。
 残された道は、肉体労働か内職位なもの。今回はそのうち、地主が豪邸を建てると言うので、急募された人足として口に糊したと言う次第である。
 最も、今回の場合は些か勝手が違った。普段ならば、肉体労働の中でも穴を掘ったり、材木を運んだり、荷車に載せた土を延々と牽いたりだとか、単純明快な作業ばかりだったのであるが、この時に限って、初日に測量の間違いを指摘してしまったのが運の尽き。現場の監督役不足に頭を悩ませていたこの五十絡みの親父は、即座に蛮奇を指揮役監督役として大抜擢した。それが結果として納期を半月ほど縮める形に収まった。
 実力は有ったが、実際は門前の小僧何とやら。妖怪としての永い生の中、ウン十年に渡って様々な現場に潜り込んで居れば技術の一つや二つ身にも着く。が、其処をしっかと見抜いて、然る可き役職へと着かせた親父の慧眼見事成り、と言うべきか。
 閑話休題。そんな蛮奇の活躍もあって、恙無く施工を終えたその邸宅は、依頼主たる地主も顔を綻ばせる、大層見事な出来に仕上がった。その工事限りの契約で雇われた蛮奇は、給金を受け取ったらさっさと御暇し、安酒でも買って独りゆるりと仕事の疲れでも癒そうか――と思うていたのだが、人は少ねえが打ち上げだ、今日は奢ってやるぜ、との親父殿の言。並びに青年の貴女も勿論来るんでしょう、と言いたげな笑顔を喰らっては折れるしか無い。人付き合いは苦手だが、交流を厭う程人擦れしているなら、友人の一人や二人出来ている。
 ――つまりは、独りの打ち上げも寂しいから、多少なりとも付き合いのある、仕事仲間からの誘いに流された訳である。

「しかし蛮奇ちゃんよお、本当勿体無えな。あんた程の技術があって、こんな数合わせの人足に応募するってのは。あんた程の技量がありゃあ、一端の職人になれるだろうぜ」
 見目も麗しゅう御座って、タケ坊ですら懸想しちまうくらいだからな、と冗談めかして笑う。が、青年は慌てて、親っさん酔っ払いすぎですよ! と口を挟む。蛮奇は嗚呼、青年の名は竹某と言うのだっけか、と取り留めもなく考えた。
「ま、ま、蛮奇ちゃんにその気が無いのなら仕方あるめえ。また働きたくなったらいつでも言ってくんな。蛮奇ちゃんの為ならいつでもポストは空けておくからよ」
 その日の飯に困るようなら、と蛮奇は曖昧な答え。どちらかと言えば自堕落な性格の蛮奇である。飯の心配が無くなれば、後は日々をのんべんだらりと過ごすか、偶に酒場へ繰り出すだけである。監督役として働いた分、割増でお足を頂いたのだから、普段よりは永らく怠惰な生活を行う事であろう。
「そういえばよ、話は変わるんだが」
 親父殿は急に声を潜め、
「最近、この辺りに妖怪が出るっちう噂は知ってるかい」
 と囁いた。
 蛮奇は内心どきり。すわ、雨戸の戸締りはしっかと確認しているはずだが、よもや寝ている時に覗かれでもしていたか。寝返りをうっている時に首が取れるのはよくある話で、その姿を見られてからは、人一倍留意していたつもりなのだが。
「へえ、妖怪ですか。そいつは一体どんな化けもんで」
 それがよお、と語り出した親父殿の妖怪像は蛮奇とかけ離れていて胸を撫で下ろしたが、蛮奇以外にもこの近辺に妖怪が住んでいるとは聞いたことがない。最も、妖怪付き合いも希薄な蛮奇であるから、存じなくても無理の無い事だろうが。
 曰く、その妖怪とやらは、夜更けに道を歩いていると、密かに忍び寄ってくるらしい。明かりといえば手持ちの提灯程度。其れも足元がかろうじて確認できる位の、なんとも心許ない。その光が当たらぬ、昏く淀んだ影の中から、
  ずるぅり
  ぺちゃり
  ひたり
 と水気を帯びた、形容し難い、足音とも言えぬような、不快極まりない、怖気催す音を立てながら近づいてくるのだそうな。明かりを掲げてよく見れば、其れには脚が無い。両手を頼りにしながら、躰を引きずって現れるのだという。
 そして人を見つけると、にちゃり、と粘性帯びた音させながら、耳の辺りまで裂けた口を歪ませ、笑いかけてくる。
「俺の聞いた話は此処までだ。いやあこんな人里にまで、よくよく妖怪なんぞが出張ってくるもんだ」
 語り終えた親父殿はにやり、と笑って二人を見る。視線向けられた青年はぶるり、と一つ震え、蛮奇は余り興味無さげに、紙巻煙草へ火を点けた。
「なんだ、蛮奇ちゃんはこういった話は平気か。其れに比べタケ坊、おめえは怖がり過ぎだろうよ」
「親っさん、俺がそういう話苦手なの知ってるでしょうに。だいたいそれ、妖怪じゃなくって、もっと恐ろしい怨霊だとか、その類の話でしょう」
 嗚呼おっかない、と言って青年は杯を乾した。
「ま、そうかも知れねえな。さて、と、そろそろ良い時間だ。もう帰るとするかい」
 何時の間にか店の中は空席が目立つようになっていた。店主も暖簾を内へ仕舞い、後に残るは酒に汚い輩どもが長っ尻。煙草を点けたばかりなのだけどな、と思いながら、席を立った。

 親父殿に馳走になり、外へ出る。 夜気が酒に火照った躰を心地よく包んでいる。
「じゃ、俺は明日があるからとっとと帰るが、タケ坊、お前さんは蛮奇ちゃんを確り送ってやんなよ」
 妖怪が出たら大変だからな、と言い残して親父殿はふらふらと歩き出す。御馳走様でした、お元気で、と声をかけると、振り返らずに手だけひらひら振って消えていった。
「じゃあ、蛮奇さん、親っさんもああ言ってましたから、送りますよ。女性の夜道は、危ない」
 妖怪は怖いのに、夜道は平気なんですね、と冗談を言うと、「ははは、話が苦手なだけで、実際人里近くにそんなのは居ないって分かってますから」との答えが帰ってきた。妖怪たる蛮奇の自宅にまで付いて来られても正直な所ありがた迷惑なので、からかった事に憤慨して何処かへ行ってくれれば良かったのだが、この青年生真面目な上に実に鷹揚な所がある。酒精に塗れた脳髄では上手い断り文句も思いつかぬ。結局、青年の推しに流された。

 蛮奇の住まいは、人里から些と離れている。吸血鬼が住むと言われる、紅に染まった洋館、其れが建つ湖の畔から林を挟んだ反対側。自宅へ向かって四半刻も歩を進めれば、周りは鬱蒼と茂った木々で、物寂しい。
 先程までは月が煌々と輝いていたが、其れも雲に隠れがちに。じめりと、淀んだ空気が肌に纏わり付いて、気を抜けば脚を絡め捕られてしまいそう。
 蛮奇には慣れた道筋だが、青年にとっては世にも恐ろしげな、黄泉の国へと続いているようにも感じられた事だろう。
「はあ、蛮奇さんは随分と辺鄙な所に住んでらっしゃるんですね」
 あまり喧騒は得意じゃないから、と嘯いた。実際は眠る時位気兼ねなく過ごしたいと思っているからなのだが。
「いやあ、其れにしたって、なんだかこの雰囲気は一寸違う。静かで落ち着いたってよりは、何かが息を潜めて機を窺っている様に感じられて――」
 ――ぺた
 青年思わず息を飲み込んで。
「何か――聞こえませんでしたか」
 ――ぴた
 蛮奇にも確りと聞こえている。水気を帯びた何かが立てている足音。後ろから迫ってきている。青年は完全に固まっている。月は雲の中へと隠れていた。
 提灯を高く掲げ、後ろを振り返る。妖怪たるものの眼力で、朧気ながら人影らしきものを認識できた。
「誰だ――!」
  ぺたぺたぺたぺた
  びたびたびたびた
  ばたばたばたばた!
 最早ばれたのならば仕方が無いといった風か、躙り寄る様な足音を完全な走り寄る其れへ変えて、何者かが迫り来る。蛮奇が戦うのも已む無しか、と覚悟を決めた時。
「おいタケ坊、蛮奇ちゃんを送り届けるっちう絶好の機会なのに何色気のねえ話ばかりしてやがるんでえ! 口説き文句の一つでも言ったらどうだ!」
 明かりの中へ入ってきたのは、先程別れたはずの親父殿であった。
「やあ蛮奇ちゃん、すまねえな、つけるような真似しちまってよ。タケ坊が蛮奇ちゃんに随分とご執心って塩梅だから色々気を効かせてやったのによ。全く唐変木もいいところだぜこいつは」
 ぺしん、と青年の頭をはたく親父殿。
「畜生め、焦れて近づきすぎたのは失敗したなあ。ま、そもそも酔っ払った状態じゃ尾行なんざ無理って話か」
 と言って親父殿はがははと笑った。
 青年は予想外の人物の登場に暫時呆けていたが、ぶるりと一つ頭を振って。
「親っさん! なんで此処に居るんですか! そ、其れにあの気色悪い水音混じりの音はなんだったんですか! あれの所為で俺、噂の化けもんが出て来たのかと!」
「ああ、おめえそりゃさっき足引っ掛けた水桶の所為だな。いやはや靴ん中が濡れて張り付いて不快だのなんのって」
 些か要領を得ない発言は酔った頭で尾行なぞと言う気の使うことをして、かつ走って近づいてきたからだろう。よく見れば足元も覚束無い。快活に笑う酔っぱらいの親父と、慌てふためく青年の対比が何やら面白くって、思わず蛮奇は笑みを溢した。
「お、蛮奇ちゃん笑ったな。いい笑顔だぜ、仏頂面してるよりもそっちの方がよっぽど良い」
 一体何処の伊達男か。青年と蛮奇の恋路を応援していると言いながら、まるで口説いている様なその口調に、また蛮奇は口角を上げた。


    ひたり


 親父殿に文句を垂れていた青年が口を閉ざす。にやにやと諧謔に富んだ笑みを浮かべていた親父殿の目が見開く。自分の聞き間違いでは無かったようだ。水音の、先程とは比べ物にならない、感覚的に恐怖を覚えそうな、 ひたり と言う音が――。

 林の中で、影が蠢く。不自然な程に緩慢な動きで、此方へとにじり寄ってくる其れは、獣にしては可怪しく、まるで足が無いようだ。


  ぺちゃり


 姿を表した其れには、脚が無い。だというに其れは、手を使わずに上半身を上げ、未だ大部分が影に覆われた顔から、にちゃり、と唇を吊り上げるのが見えた。
「うわああああっ! ば、化物!」
「あっ! まって下さい親っさん!」
 親父殿と青年は、お互い縺れ合いながら遁走の、蛮奇は其れをきっ、と睨みつけた。

「あら、ねえ貴女、そんな怖い顔なさらないで。知ってるわ、貴女、妖怪退治の巫女に前退治されたでしょう。私もなのよ。あの時は何かしらね、不思議な感情に包まれて、強気になっちゃったのよね。普段はそんな事無いのに」
 其れから掛けられた言葉は存外に親しみを帯びていて、蛮奇はやにわに脱力した。なんとも気さくなその化物は、わかさぎ姫、と名乗った。
「貴女、蛮奇さんよね、人里に紛れ込んで暮らしてらっしゃるっていう。羨ましいわ。私、人間の方と仲良くしたくって、時々人里近くへと遊びに行くのだけれど、不便な躰よね、この鰭は」
 近くにあった切り株へと腰を落ち着けて、本来脚が有るはずの、そこに生えた鰭をぱたぱた。憂いを纏った表情は実に可憐で、動作の一つ一つが愛らしい。
「そうだわ、ねえ貴女、私とお友達になって下さらない? 色んなお話を聞きたいわ。それに人間のお友達を紹介して下さると嬉しいわ。ね、良い考えでしょう――」
 夜は更けてゆく。蛮奇は気ままな姫に流されてゆく。まあ、偶には人に流され行くままなのも面白い。友人の居らぬデュラハンは、人慣れしていぬろくろ首は、流れ流れて友人を得たようだ。
 六作目です。
 アイ 様作、「赤蛮奇、月を眺めて考える」に影響を受けました。
 わかさぎ姫は姫との名の如く、一寸自分本位な所があったら可愛いと思います。
常浦
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コメント



0.380簡易評価
2.100絶望を司る程度の能力削除
って、お前かい!
3.100名前が無い程度の能力削除
まぁ確かに濡れてたり生臭かったり?足なかったら怖いよな
5.100名前が無い程度の能力削除
そうか、紅魔館の建つ湖。やってくれます。一本取られました。
8.100奇声を発する程度の能力削除
これはw
9.100名前が無い程度の能力削除
やっぱりばんきっき可愛いな
10.100名前が無い程度の能力削除
地の文の雰囲気良いなぁ…ばんきちゃんもかわいかった
12.100Admiral削除
いいですね
オチにほっこりしました