Coolier - 新生・東方創想話

『文と椛の現界漫遊記』

2008/06/20 00:03:49
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・友人に『Coolier・東方創想話』を紹介されてお邪魔させてもらいます。
・東方好きが高じて自分の好きなキャラを、自分の好きな世界を展開し、そこで遊ばせる話ばかり書いている私です。
・長めの作品ですが、みなさんよろしくお願いします。

・この作品は私のオリジナル要素が多いですが、特に博麗大結界と妖怪の関係に対して大きいですので、その点をご承知の上で楽しんでいただけると幸いです。

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幻想郷で山と言えば、天狗と河童が多く棲む妖怪の山を指す。
いつものように侵入者がいないか山の周りを哨戒していた犬走椛は、連絡役の鴉から伝言を受けると慌てて大天狗の住む屋形へと向かった。
木が生い茂り、上空から見たのでは何処に建っているのか分からない屋形だが、天狗である椛は迷うことなく辿り着いた。
昼なお暗き山の奥にあって、不思議なほど日当たりと風通しが良い。そんな屋形の奥では、大天狗の他に射命丸文がいた。
堂々たる体躯を上等な和服で包み、座敷の上座に座っている大天狗の横に、試験を受けると言い残してここ一週間ほど姿が見えなかった文が居たことに椛は笑顔がこぼれそうになるが、慌てて気を引き締めると膝をつき挨拶をする。
それに対して重々しくも型通りの返事をした大天狗は、咳払いを一つした後に言葉を続けた。
「犬走椛よ。われら天狗の一族には『現界』に出て『大きな記事を手に入れてくる』という修行があるのは知っているか」
「はい、存じております」
もっとも椛が知っているのは噂程度だ。まだまだ半人前の椛は『記者』として活動して新聞を出すことは認められていない。
山の哨戒や他の天狗が新聞を作る時の手伝いしかしたことがない半人前の椛には、関係のない話である。
「今回、それにこの射命丸文が選ばれた。よって、おぬしはその監査役として現界に同行せよ」
全く予想していなかった大天狗の指示に椛が驚いて顔を上げると、視線の先では文が満面の笑顔を浮かべてこちらをみていた。
文がこんな笑顔を浮かべたときは碌な事が無い。今までの経験上それを身に染みて理解している椛だったが、それでいてこれから起こるであろう何かに胸が高鳴っているのも、また確かであった。

『文と椛の現界漫遊記』

境界を切り裂く、スキマを作る、世界をくっつける。妖怪によって表現は異なるが、山の奥底に隠されている博麗大結界を通って文と椛は現界に姿を表した。
大天狗から指示を受けて数日間、現界に来た経験が数えるほどしかない椛は各種の講義を受けて休む間も無く今日という日を迎えたのだった。
椛はゆっくりと呼吸を整える。
博麗大結界を越えることは強靭な妖怪の体を持ってしても負担が大きい。ふらつく頭を抑えて椛は呼吸を整える。その横で素早く視線を動かして現在地を把握しようとしている文はさすがに慣れているといえるだろう。
「第二次世界大戦前の日本ね。あそこに涼雲閣があるから場所は東京の浅草、それも大震災前の大正時代か。ちゃんと言われた時代と場所に飛んでこられたようね」
あたりの様子を伺っていた文が独り言のように呟く。
「椛、ぼっとしてないで姿を消す術をかけて」
「あ、はい」
文に催促されて椛は初歩の妖術である幻視の術を自分たちにかけて、人間には姿が見えないようにする。
建物と建物の間に現れたので、今のところ誰にも姿を見られはいないはずだった。
「よし、それじゃあ行くわよ」
すたすたと歩き始める文を慌てて椛は追いかける。物陰から表通りに出てみると、とたんに視界一杯に人が飛び込んできた。
擦れた羽織に麻の袴の学生、銘仙の和服に身をつつんだ女性、西洋風のスーツを着た勤め人、真っ赤な頬の少年少女、それらの人がみなしゃべり、怒鳴り、笑い合っている。
弾幕合戦でも起きなければいつも静かで、落ち着いた雰囲気に包まれている幻想郷とは比べ物にならないほど賑やかだと、椛は現界に来たことを実感し始めた。
「この時代の担当天狗は神保町の太郎さんよね。まずは先立つ物も欲しいし挨拶に行きましょうか。そういえば、椛はこの時代に来たことはあるの?」
「いえ、ありません」
「そう、知識としては?」
「すみません、この時代のことは全然知りません」
そう言ってうなだれる椛に、文はくすくすと笑いかける。
「そうなんだ。でもそういうのも新鮮で楽しいかもね」
大正時代の東京は、古き江戸明治の名残と、新たな時代の息吹が重なりつつも共存していた活気のある時代である。
特にこの浅草は、西に東京の玄関口である上野があり、そこから流れてくる地方の人間、少し南の銀座から気晴らしに足を伸ばしてくる若者達、浅草近郊に住む下町っ子、浅草寺や鷲神社にお参りにくるご隠居たちと人がとにかく集まってくる。
妖術で姿を消しながら歩いているが、もし文と椛がそのまま歩いていても大して注目されないかもしれない。それほど多様な人が集まる場所であった。
「折角だから市電に乗りましょう」
文の指差した先には、張り巡らされた電線の下を走る、車体に沢山の人を乗せた路面電車があった。
地下鉄という物が無いこの時代、都民の足はとにかく路面電車である。チンチンと鳴る鐘の音を楽しみながら、姿を隠している文と椛は素早く滑り込みただ乗りをする。
「文さん、とりあえず大天狗様が仰っていた時代に無事に来られたんですね」
「どうやらそのようね。良かったわよ。誤差が出て大戦中なんかに放り出されたら困っちゃうものね」
視線の先は木造の家屋敷から、綺麗なレンガ造りの街並みに変わってゆく。上野駅が近づいてきているのだ。
妖怪が博麗大結界を越えるときに特殊な現象が発生する。
空間軸を越えるときに、時間軸をも越えることができるので、現界に来るときに時間として前後数百年の移動が可能なのだ。
文などは西暦でいうと千五百年頃から二千三百年ほどまで現界の各地を見たことがあり、記者の常識として急にどの時代に行くことがあっても大丈夫なように、各時代の出来事を知識としてほとんど頭に入れてある。
それでは妖怪は簡単に歴史に介入し、過去を改竄し未来を変えることが出来るのではないかと、妖怪のこの能力に気づいた博麗の巫女が博麗大結界をより固くしようと提案したことがあったが、結界を管理する大妖怪は『妖怪は人の歴史を傍観するだけであって、変えることなどに興味は無い』という言葉に引き下がったのであった。
しかし不可抗力で歴史に介入することが無いとは言えないので、原則として妖怪は現界に来ないし、文のように理由があってくる妖怪は妖力を封印され、それだけでなくいざという時の対処のために監査役が付いているのであった。
そのため今の文は非常に弱い妖力しかなく消耗も激しいので、幻視の術のような初歩的な術ですら椛にやらせているのである。

文と椛は終点である上野駅で路面電車を下りた。そこは浅草のような華やかな賑やかさはなかったが、途方も無い活気と人に満ち溢れていた。
視線の先には風呂敷一つを手に持った人たちが何十人も集まっている。早口で話し合っているのを聞くと、どうも青森から一旗上げに来たらしい。
視線をどこに動かしても、多くの人は着の身着のままで東京に乗り込んできましたという感じで変わりは無い。そして誰もが希望と活力に満ちた目をしている。
ふと横を見ると、文はそういった人たちを次々にカメラに収めていた。
「あの、文さん」
「んー、どうしたの?」
「人間って、あんなにぼろぼろな服装でも元気そうな顔をしていますよね」
「そうね、妖怪と違って大して力も無ければ寿命も短い、でも一生懸命よね」
「なんであんなに元気なんでしょう?」
「それはきっとね」
そこまで言ったところで文はカメラから目を離して椛を見た。
いつものようなおちゃらけの笑顔でも、椛を困らせる悪戯を仕掛けるときの微笑でもない。
椛が尊敬してやまない新聞記者としての文の表情。
鋭い視線を椛に向けながら、文はゆっくりと言葉を続ける。本人が気づいているか知らないが、本当に伝えたいことを言うときの文の癖だ。
「しばらくはこっちの世界にいるんだから、それを考えるのを椛の課題にしたら良いんじゃないかしら?」
「は、はい。そうします。自分で考えます」
椛は恥ずかしさから顔が真っ赤になっていることが自分でも分かった。
真実は深淵の底で眠っている。だから安易に答えを求めてはいけない。記者を志す者として最低限の心構えの一つである。
「さて、悪かったわ、道草くっちゃって。早く目的地に行かないとね」
文と椛は違う路面電車に乗り換えると、目的地である神保町へ向かってゆく。
流れる街並みを眺めながら、椛はぼんやりと考える。文は目的があって現界に来た。自分は、その監査役であり補佐役だ。でも、それ以外の目的を自分で作ったって良いはずだ。
そう思うと、目の前の風景が何か新しい事を教えてくれる宝石のように思えてくる。
「雷門から、上野公園、広小路とくりゃ、次は秋葉原」
隣で文は節をつけて、呟いている。
「と言いたい所だけど、秋葉原なんてまだ有名じゃ無いのよね」
目の前にある『旅籠町』という表札を見ながら、文は一人首を振る。
「どうかしましたか? 文さん」
「べーつーにー。火除けの神様を祭ったから秋葉原ってね」
木造の商家が立ち並ぶ町並みを見ている文の瞳の奥に浮かび上がっている、たった百年後のこの場所の風景など椛の想像の及ばないものであろう。
その旅籠町で降りた二人は、温かな風と、それが運んでくる材木の香りに包まれながらそのまま歩く。
人で賑わう神田明神を抜け、木々に囲まれ喧騒の中でも静謐な雰囲気を失わない湯島聖堂を過ぎ、御茶ノ水の聖橋を渡ればロシア風ビザンチン様式の荘厳な建物が目に飛び込んでくる。日本ハリストス正教会、通称ニコライ堂である。
色彩豊かな石造りの建物は、遥か海を越えてきた伝教者の砦として、そこにあるだけで神の教えを人に感じさせるのだろうか。
妖怪である文であったが、興味深そうな表情をしてカメラを構えると、素早くファインダーを切っていく。
「あ、どうですか? 大天狗様が認めるような記事になりそうな場所なんですか?」
「あのね、天狗がわざわざ現界にきて、このレベルで記事ですなんて報告できるわけ無いでしょう」
文は苦笑しながら答える。
「でもとても綺麗だから、この写真は記念にしましょう」
そして再び歩き始めた二人は、澄んだ色の水が流れている外堀通りを西へ進む。視界の端では腕白小僧が水遊びをしていた。
「そういえば今は何月なんでしょうね?」
「周りの風景からみると五月か六月ってところかしらね。この国では過ごしやすい良い時期よ。でももうすぐ梅雨が来ちゃうわね」
「梅雨ってなんですか?」
「ずーーーと、雨が続く時期よ」
「えー、雨季のことですか」
椛は嫌そうな顔をする。空を飛びまわり、千里の彼方を見つめる天狗にとって雨は天敵である。そもそも椛は水自体が苦手だった。
「そういえば、あなた子供の頃に私の家に預けられていたことあったじゃない。その時お風呂に入るのを凄く嫌がっていたわね」
「な、なんで、そんなこと急に思い出すんですか」
「頭が洗えないと泣いていたから、私が一緒に入ってあげたじゃない」
昔のことを持ち出す年長者に勝ち目が無いのは人間も妖怪も一緒である。わざとらしくやれやれと首を振る文に、椛は顔を真っ赤にするが何一つ反論することはできなかった。
そんな会話をしながら外堀から離れて坂を下ってゆけば、独特の神保町の町並みが目に入る。
「あ……文さん?」
「どうかした?」
「こ……ここは、いったい、何処ですか?」
体を震わせ、必死に興奮を抑えているのが目に見える椛に、文はわざとらしく冷静に返事をする。
「ここは神保町。この時代も、次の時代も、そのまた次の時代も、この国最大の古本屋街よ」
天狗は空を飛ぶことから開放的な性格に思われるが、記者を志すからには知識も豊富でないといけないので非常に読書量も多い。実は、何年も自室から出てこない天狗というのも少なくないのだ。
そして、そんな天狗の一族の中でも椛は本好きで有名だった。
店の外を歩いていても分かる少し埃っぽい書の匂い。書架からはみ出し道を塞ぐ文庫本。少し店を覗き込めば綺麗に並んでいる古書。
「えっと、文さん。しばらくこの時代にいるんですよね」
「しばらくはね。自分の仕事を忘れなければ、楽しんでも構わないんじゃない?」
椛はそれらを眺めながらうっとりとしている。
ふらふらと古本屋に吸い込まれそうになる椛を連れて、交差点を曲がって小さな路地に入ったところで、おいしそうな匂いがしてきた。
「あった。あそこに古本屋でありながら店先に『太郎ラーメン』って書いてある店があるでしょう。あそこが天狗の太郎さんのお店。古本の他にも、学生たちに安くておいしくて、ボリュームたっぷりのラーメンを出すのよ」
「へー、そうなんですか」
文や椛のように誰かが現界にきた時に、お金や住む所、必要な道具などの便宜を図るために天狗の一族は各時代の要所に住み着いている者がいる。
「太郎さんはもう幻想郷より現界にいるほうが長いんじゃないかしら?人間が好きでずっとその行く末を見守っている風変わりな天狗よ」
文はそう説明しながら店の引き戸を開ける。
そして一歩足を踏み入れたところで、文と椛は吸い込まれるように落下した。

外から見た限りでは普通の古本屋だった。だが、今は薄暗く、視線の先には無機質な石造りの壁しか見えない。
体には下から引っ張られるような力が纏わりついていて、普通に飛び降りた場合の半分ぐらいの速さで落ちている。
幻術と妖術を組み合わせた初歩的な罠であり、これぐらいで動揺するようでは哨戒天狗になれるはずも無い。
椛はすぐさま空中で体勢を立て直すと、そのまま注意深く様子を伺いながら下に落ちるにまかせている。
「あやややややや」
その声に横を向くと、文が両手をばたつかせ頭からまっさかさまに落ちている。
天狗にあるまじき無様な姿に、椛は文がほとんどの妖力を封印されていることを思い出した。このままでは床に頭から激突してしまう。
慌てて椛は自分の落下速度に加速をかける。石造りの床までそう時間はかからなかった。着地すると両手を広げ、上から落ちてくる文を受け止める。
その体は椛が思っているよりはるかに華奢で、易々と抱きかかえられる。
「いやー、迷惑をかけるわね」
「そんなこと無いです。妖力がないですからしょうがありませんよ」
明るく言う文だったが、抱きかかえている体は汗で濡れていた。外を歩いていて軽く汗をかいたという感じではない。本当に冷や汗をかいているのだろう。
いつも自分の前を飄々と歩いている文が、低級妖怪程度の力しかないことを改めて認識して、椛は少しずつ動揺し始める。
その時に、何かの気配を感じた。
哨戒天狗としての本能が、認識するよりも先にそれが危険だと告げる。
目を上げてみると無数の、それこそ百を越えそうな本が浮いていた。そして次々と開いてゆき、開かれたページからは小さな光の玉が現れる。目を凝らしてみれば、石造りのこの部屋は書棚が数え切れぬほど並んでいた。
以前、文にくっついていって紅魔館の大図書館に椛はお邪魔したことがあったが、それに勝るとも劣らない。
奥から壁がほんのりと光り始める。火を嫌う図書館では良く使われる妖術だ。しかし妖術が施された空間、空を舞う書籍、ここは現界では無かったのだろうか。
「何をしているの、走りなさいっ」
文の鋭い言葉に意識を取り戻した椛は、即座に走り出した。一瞬遅れて放たれた弾幕が、いままで文と椛がいた場所を打ち抜く。
耳を叩く轟音と、僅かに石の床が焦げる臭い。椛としては、しばらくぶりの弾幕合戦の始まりだった。それも、現界であるのだからスペルカードルールの制約が無い本気の戦いである。
進むごとに弾幕を張る本は増えてゆくが、文を抱えている程度で走る速度が落ちるような甘い鍛え方を椛はしていない。
次々と放たれる弾幕を避けながら、椛は部屋の中を駆け巡る。赤、白、青、黄、緑と色とりどりの弾幕が視界に迫るが、本気で走る天狗の速度を捕らえることなど出来はしない。
全てを紙一重で避けながら椛は視線を動かし、妖術によって空間の大きさを無視した広い図書館を走り抜け、上への階段を見つけ走りこんだ。
階段の踊り場まで来たところで後ろを振り返るが、空を舞う本たちはそれ以上追うことも弾幕を放つこともなかった。
もっとも諦めたというより、次に待ち受ける者たちに任せたといったほうが正しいのだろう。
「椛、もう十分だから降ろして」
「あ、はい、どうもすみません」
「謝ることは無いわよ。むしろこっちがお礼を言わないとね」
そっと足から踊り場に降りた文の太ももには、椛がつけた手の跡がくっきり残っていた。全力で走っているうちに興奮して、相当強く抱きしめていたのだろう。
「何処を見ているのよ。この非常時に」
からかうような文の言葉に、椛は顔を上げて真っ赤になる。
「いったい、これはどういうことでしょうか?」
小さく呟く椛に文は力なく首を振る。
天狗の一族が住むはずの場所にきたら、罠にかかって弾幕に襲われる。
「前に来たときは少し違う時代だったけど、こんな事なかったわ」
「その、太郎さんという天狗はどうなったのでしょうか」
続けざまの椛の質問に、文はもう一度首を振る。
「ただ一つはっきりしているのは、全ての罠を潜り抜けて上に行くことでしか真実を掴むことはできないということね」
覚悟していたその言葉に椛は頷くと。服の袂から愛用している刀と盾をとりだした。
「きっと次は、もっと増えますよね」
「少なくとも減ることはないでしょうね」
「では、私が先に行きます」
「よろしくお願い。自分の身ぐらいは自分で守るから、頼りにしているわよ」
階段を上りきり、勢い良く扉を蹴り破るとそこではすでに山のように本が臨戦態勢で待ち構えていた。放たれる弾幕に椛は臆することなく飛び出すと、片っ端から切り捨ててゆく。
切られた本は砂のように消え去ってゆき、本好きの椛としては断腸の思いだったが、次々に増えてゆく本と迫る弾幕は悲しんでいる余裕など与えてはくれない。
下の階よりも数も増え、密度を増した弾幕であったが、椛はこの戦いぶりだけで新聞記事になるのではないかと思うほど素早い動きで弾幕を避け、無駄の無い太刀筋で敵を葬りながら駆けめぐる。
幻想郷の妖怪たちはともすれば忘れがちになるが、博麗の巫女が規格外なのであって、多くの妖怪たちは現界にくれば、個の存在で伝説に残るほどの強さを持っているのである。
半分以上を切り捨てたところで、椛は文の様子を伺う。
手に天狗の扇を持ち、隙をみては本を叩いて消滅させている。風を碌に巻き起こすこともできず、飛ぶこともままならない体でありながらさすがだと椛は思ったが、いつものようなキレも迫力も無い。
額には大粒の汗を浮かべ、あんなにも余裕の無い表情の文を、椛は初めて見るほどだった。
もう一度部屋を見渡したところで、椛は精神を集中する。
「文さん、伏せてください」
その一言で察した文は床に転がる。その瞬間、椛は刀に溜めた妖力を開放した。
刀をのの字に旋回させて弾幕を張る椛の必殺技の一つである。
轟音と共に次々と本は消滅してゆき、二人の前に道が開けるとそこにめがけて走り出した。
文を先に走らせて、椛は迫ってくる左右の本を切り捨ててゆく。そして奥の階段まで一気にたどり着いた。
長い長い階段を上りながら、最初に落下した距離を思い出して椛は検討をつける。
「きっと、次が最後ですね」
「私もそう思うわ。それに、そうあって欲しい」
息を切らせながら文は返事をする。心配そうな顔をする椛に笑い返しただけりっぱなものと言えるかもしれない。
「文さん、少し休みますか?」
「心配してくれてありがとう。でも、何があるか分からないから早く先に進みましょう」
そう言って走りつづける文に、椛は頷いて従う。自分の妖力はまだまだ十分残っている。いざとなったら文を抱えて弾幕を張りながら走り抜ければよいのである。
決して油断していた訳でも楽観していた訳でも無いだろうが、次の扉を開いた瞬間、椛の考えは即座に砕かれた。
今までと違って書棚は一つも無かった。障害物は何も無い広々とした空間に、たった一匹の敵。
そのシルエットはまるで蛇、ただしその大きさは視界の端から端までを覆うほどである。
全身を緑に輝く鱗に覆われており、玉を持った手と輝く角が生えているのが蛇との違いだが、何よりもその全身から圧倒的な威圧感を放っている。
それが真っ赤な瞳をこちらに向けて睨み付けている。見逃してくれる気が無いことは、肌を刺す殺気が無くても一目で感じられた。
正体を自分の知識と照合する必要など無い。数多の妖怪が住む幻想郷ですら伝説の部類に入る存在。目の前にいる敵は竜だった。
「椛、竜を相手にしたことは?」
「無いです。そもそも見たのも初めてです」
文の声が震えている。そして椛の返事も囁くようにかすれていた。
「じゃあ教えてあげる。拡散型の炎と、光の属性を付けた指向性の炎が攻撃の中心で、それと尻尾による物理攻撃も威力が高いから油断しちゃいけないそうよ。こちらの攻撃が効かないわけじゃ無いけど、回復力が桁外れだから、戦っていると無限に近い生命力を持っているように感じるそうよ」
「文さん竜と戦ったことあるんですか?」
「まさか、全部博麗の巫女の受け売りよ」
返事をしながら、それでも文は不敵に笑った。
「そして、唯一の弱点は眉間よ。あそこだけ弱いんだって」
流れるような前髪をさらりと払い、真っ白な自分の額を文は人差し指で突付いた。
「どう椛? 眉間を一刺し出来る?」
「む、無理ですよ」
椛が情けない声を出した瞬間に、竜が火を噴く。一瞬にして視界を埋め尽くす拡散型の炎だ。
文と椛は弾けるように右と左に分かれる。相手は一匹だというのに、無数の本を相手にするより激しく猛々しい攻撃にさらされながらも、椛は剣を振るって弾幕を起こす。
だが炎の間を潜りぬけて竜の身体を叩く弾幕は、力なく弾かれ全く効いているように見えない。
横目で見ると、文も必死で避けながら扇を振るって反撃を試みるが、巻き起こしたつむじ風は竜の身体に届くことすらできずかき消されてしまう。
最初の弾幕をなんとか避けきり文と椛が一息入れようとしたところで、竜が大きく息を吸ったかと思うと、次の瞬間に鼓膜が破れるかと思うほどの轟音と、視界が焼かれるかと思うほどの光が飛び込んできた。
これが咆哮なのか、それとも放たれた力が大きすぎるために空気が振動したのかはわからない。だが巨大な閃光は圧倒的な力を撒き散らしながら走り抜ける。
素早く空を飛ぶことでなんとか避けた椛は、刀を振るって蓄えた妖力を開放する。
予想通り大きな攻撃を終えたばかりの竜は隙が出来ていて、椛の放った弾幕が直撃する。
炸裂音と無数の閃光に、椛がやったと拳を握り締め喜んだのも一瞬のことで、落ち着いて見てみると竜の表情に変化は無く、僅かな火傷の跡は十を数えるまでも無く治ってしまった。
「これが、竜ですか」
椛が絶望的に呟いた瞬間、次の弾幕が襲い掛かった。撒き散る炎を避けながら椛はひらりと床に下りる。
「この程度の速度なら怖くはあっても、当たりはしない」
手に持つ刀に力を込めながら椛は自分の心を落ち着かせる。自由自在に動き、わざと竜の意識を引き寄せることで、ほとんど弾幕が向かっていない文は今のところ無傷である。
竜を前にして不安を拭いきれない椛はできれば文の側に居たかったが、二人一緒になって弾幕が集中するようなことになっては、文を危険な目に合わせてしまう。
続いての攻撃は再び拡散型の弾幕だったが、竜もさすがに疲れてきたのか今までより数が少なく、速度も鈍かった。
左に右にそれを避けながら、椛は考える。
自分の妖力は連続して数回弾幕を放てば無くなってしまう。だが、その程度では竜の再生力を超えることができるとは思えない。
弱点であるという眉間に、遠距離から攻撃を与えることはできるだろうか?
しかし、自分の弾幕は命中精度という意味ではそれほど正確ではない。
「椛っ!!」
突如自分の耳に飛び込んできた文の声に椛は意識を集中する。
その時になってやっと気付いたのだった。先ほど竜が放った弾幕は、戻り弾幕だったのである。避けきって後ろに流したと思った弾幕が、輪を縮めながら後ろから迫ってくる。

……戻り弾幕は、苦手なのに……いや……得意という妖怪に会ったことなんて無いけど……

いまさら妖力を溜めて弾幕で相殺する余裕は無い。数瞬後に自分を襲うであろう熱さと衝撃に身を固めた瞬間、横から別の衝撃が椛を襲った。
飛び込んできた文が、椛を突き飛ばしたのである。
床を転がるようにその場から離れてゆく椛の目の前で、全てがスローモーションで過ぎてゆく。
紅く燃え盛り迫る戻り弾幕だったが、素早く態勢を立て直した文は舞うように地面を走り、小さな火傷を負いながらも一つ、また一つと避けてゆく。
いつものような目にも止まらぬ速さは無いが、流れるような動きはさすが幻想郷最速を誇る天狗にしか成し得ないものだった。
だが、視線の先では標的が変わってしまったことに不満げな表情をしながら、竜が口を開き大きく息を吸った。
それに気付いた椛が叫び声を上げるよりも先に、轟音が耳を打ち、巨大な閃光が走る。
そして文の姿は光に包まれた。
「文さんっ!!」
走り抜けた閃光の、僅かに横の壁際に文は倒れこんでいた。
慌てて飛び起きた椛が駆け寄るが、服はボロボロであり、全身は焼け焦げ、何より左足の火傷が酷く膝より下は赤を通り越して黒ずんでいた。
人間と違い驚異的な再生力を持つ妖怪でも、これだけの怪我はすぐには治らない。特に、妖力のほとんど無い今の文では尚更だろう。
「大丈夫ですかっ。文さん、文さん」
「心配しなくて良いわと言いたいけど。そうはいかなさそうね。ちょっと酷いかしら」
「私をかばったりするから、だから、こんな酷い怪我を」
涙ぐんだ声で椛は訴える。
いつもこうだ。この人に憧れて、少しでも手伝いたいと思いながらも、結局足を引っ張って笑われてしまう。
いや、笑われて終わるならそれで良い。でも、その笑顔に甘えつづけた結果がこの有様だ。
自分のせいで、これほどまでに文を傷つけてしまった。
いつの間にか泣いていた椛の頬を、文はそっと右手を伸ばして撫でる。
「体が勝手に動いちゃったのよ。気にしないで」
頬を撫でる文の手は、火傷で皮がめくれてささくれだっていた。いつもの、包み込むような優しい柔らかな手ではない。
それがさらに椛の涙を誘う。
「私にもう戦う力は無いわ。だから、お願い。あなたが、あいつを倒して」
頬を離れた手が指差す先では、状況を正確に理解しているのだろう。余裕ありげな表情で竜が文と椛の様子を伺っている。
その竜を椛はにらみつける。
文をこんな傷つけた憎い相手。
だが、その姿を見ていると体の奥底から震えが込み上げてくる。
「だめです。無理ですよ。文さん」
「あなたなら出来るわ。だから自分を信じなさい」
「そんなの無理です。自分のことなんて信じられません」
大事な人を守るどころか、足を引っ張って傷つけてしまう自分のことなど、いったいどうやって信じろというのだろう。
「そう。それじゃあしょうがないわね」
そう言って文は瞳を閉じた。その呟きの冷たさに、椛の心に悔しさと悲しみが広がる。
呆れ果てられたのだろうか、見捨てられたのだろうか。だが、所詮自分はその程度なのだからしかたがない。
「ねえ椛、あなたは私のことを信じてくれる?」
ぽつりと呟く文の言葉に、椛は即答する
「はい、私は誰よりも文さんを信じています」
その言葉に、文は再び瞳を開いた。そして激痛に顔を歪ませながらも上半身を起こし、椛と向かい合うと、一言一言ゆっくりと告げる。
「文さん、無理をしてはいけません」
「私の身体なんて良いの。それより聞いて。私は椛がどれだけ努力をしているか知っている。毎日必死に妖術の修行をして、夜遅くまで机に向かって勉強して、何よりも、時間があれば刀を振るって皆を守るために腕を磨いていることを知っているわ」
言葉を話すだけでも激痛が走るのだろう、しかし、脂汗を流し真っ青な表情をしながらも文は言葉を続ける。
「だから、私は、椛を信じるわ。椛ならあんな竜だって倒せるって信じている。だから椛が自分を信じられないなら、椛を信じている私を信じなさい」
そこまで言い切ったところで緊張の糸が切れたのだろう、ふらりと倒れこむ文の体を受け止めながらも椛は呆然としていた。

ずっと、邪魔といわれるのが怖かった。
ずっと、その背中を追うので精一杯だと思っていた。
その相手が、自分のことを見ていてくれたのだ。
その相手が、自分のことを信じてくれるというのだ。
ならば、
私は、
それに応えないといけない。

文と椛の様子を見ていた竜だったが、待ちきれなくなったのか拡散型の弾幕を吐き出す。
紅く燃える弾幕が迫るのを背中で感じても、椛が焦ることは無かった。
「風よ、守りなさい」
その呟きに盾から巻き起こった風が、文と椛の二人を包み弾幕を消し去った。
文を床に寝かせた椛は、迷いの無くなった笑顔で決意を告げる。
「もう少しだけお待ちください。すぐに、決着をつけますから」
その横にそっと盾を置くと、そこから風が巻き起こり文を守るように包み込む。
それを確認した椛は勢い良く空を飛び、真正面から竜をにらみつける。今までと打って変わった雰囲気を感じたのだろう、拡散型の弾幕を椛一人に向かって集中して放つが、針を通すような隙間しかないその弾幕を一陣の風と化した椛はすり抜けてゆく。
それに気付いた竜は、一気に吹き飛ばそうと大きく息を吸う。その瞬間、椛はさらに前へ進む速度を上げた。
天狗の速度は幻想郷最速。それは竜の予測をはるかに凌駕していた。慌てて光を放つ竜だったが、それは今までの半分程度の太さだった。それを熱さと衝撃を肌で感じるほどのギリギリで避けながら椛は竜に迫る。
そして力を出し切って隙をみせたところに、愛刀をしっかりと両手で構えた椛が踊り出た。
次の弾幕を放つ時間は与えない。
全ての妖力を刀に込めると、眉間の一点に狙いを定め身体ごと飛び込んで突き刺す。
両手に走る鈍い衝撃、それと同時に何かを突き抜ける感触と、一瞬送れて竜が咆哮をあげる。それは、断末魔の叫びだった。
声が萎んでいくと同時に竜の身体も小さくなってゆき、気づくと革張りの非常に豪華な装丁の一冊の本となった。
それが床に落ちていくのと合わせて、空を飛ぶ気力も無く、ふわりと自由落下した椛は床にへたりこむと肩で息をしている。
動こうにも力を使い果たした身体は鉛のように重くて動かない。
何とか呼吸が落ち着く頃には、すぐ側まで文が左足を引きずりながら来ていた。
「文さん。お体は大丈夫ですか」
慌てて跳ね起きた椛に、文は笑顔を返す。その自然な笑顔に椛は心の底からほっとする。
「歩くことはもう大丈夫。左足も十分もすれば動くようになると思うわ」
そう言いながら文は床に落ちた本を手に取る。
「この竜、本物じゃなくて魔術師が作った物だったのね。まあ、本物の竜だったとしたら私達が相手になる訳無いか」
歯を出して笑う文に椛も笑顔を返す。
「それでも、これだけの力を持つ魔術道具はめったに無いわ。もらっていきましょうか」
懐に本を隠す文を見て、椛はあることに気がつく。
「そんな本が現界にあった。ということだけでも記事になりませんかね?」
「それはどうかしらね?」
椛の問に、文は曖昧に笑った。
そして二人は部屋の奥の扉を開き、階段をゆっくりと上り終えると今までのような装飾のある扉ではなく、ごく普通のドアを見つけた。
「それじゃあ、行くわよ」
文の言葉に椛が頷く。そしてそっと文が扉を引くと眩しい光と明るい声が飛び込んできたのだった。

「はい、おめでとーございます」
二人を包んだのは殺気でも弾幕でもなく、窓から差し込む温かな光と、和やかな空気に祝福の言葉だった。
目の前には壮年の男が一人。もっとも文と椛には気配から天狗と確かめるまでもなくわかった。そしてその周りには使役しているのだろう、真鍮製の招き猫が五体手を叩いている。
呆然とする椛の横から文は前へ進むと親しげに声をかける。
「太郎さん、しばらくぶり。何十年ぶりかしら」
「おう、俺に取っちゃ数年ぶりだがな。でも随分綺麗になったじゃないか」
「お世辞はいいからお腹減った。ラーメン作って」
「その前に魔道書を返せ。持っていこうとしたってそうはいかんぞ。中の様子はずっと見ていたし、そもそもそれは大天狗様からの借り物なんだから」
「あ、やっぱりばれた」
文は舌を出すと、懐から例の魔道書を取り出して太郎と呼んだ男の手に渡す。
「それじゃあ、そこに腰掛けてまっていな。それとおい。ぼっとしてないで文ちゃんの手当てをしてやれ」
勝手知ったるという感じで椅子に座る文の両脇に二匹の招き猫が近寄ると、素早く治療の妖術を始めた。
「太郎さん。ラーメンは普通盛りでお願いします。大盛りを食べられるのは化物です」
「人間だって食べる人はいるけどなぁ」
そう呟きながら太郎は暖簾を潜り、厨房へ行くと水を張った鍋に火をかける。すぐに温かな蒸気が広がり始めたが、本屋側には流れてこなかった。本が傷むことが無いように風を操って遮断しているのである。
なるほど、古本屋なのにラーメン屋を兼業するにあたって、気を使うところは使っているのだなとぼんやりと椛は思った。
「実技が終われば、筆記試験です」
わらわらと残る三匹の招き猫が手に手に分厚い紙の束を持って文を取り囲むが、厨房から太郎が声を上げる。
「文ちゃんに筆記なんて無駄だよ。全部満点だ」
「常に新しいことを求める新聞記者が古き事を知らないようじゃ話にならないものね」
「その通り、もっともそこまで言える天狗も減ったがな」
どうやら、あの太郎という天狗も昔は新聞記者だったらしい。それに文は普段の様子からは予想もつかないほど頭が良い。それは近くにいる椛が良く知っている。
ぼんやりとし続けていた椛だったが、やっと呆然とした状態から元に戻った。
「文さんっ。これはどういうことですか」
「あら、やっと状況が飲み込めたの?」
「全然っ飲み込めません。今までの戦いと、この和やかさはどう繋がっているんですか」
詰め寄る椛に文が答えるより先に、太郎が口を挟む。
「その子が今回の監査役かい?」
「ええそうです。犬走椛。若いけど見所ある天狗よ。まだ、哨戒天狗だけど」
「そうかそうか、良く分かってなかったのか。随分熱血だったから、わざと監査役の役目を放りだして腕試しでもしているのかと思ったよ」
スープの味を確かめながら太郎は文と椛を交互に見る。
「椛、あなた出発前の講義をほとんど理解できてなかったんでしょう?」
椛の態度から感じていたのだろう、文の指摘に椛は小さくなる。
「あの、その、みなさん早口で、それでこちらが質問しても『向こうに行けば分かる』で大体話をまとめられてしまいまして」
一生懸命だが要領の悪い椛が、事務的に物事を進める担当の天狗の前で大汗をかいている姿が文には簡単に予想がついていたのだった。
「しかし良い腕だな。幾ら本物では無いとはいえ、竜を倒すなんて中々できる天狗はいないぞ」
言葉を繋ぐように椛に向き直った文は、笑いながら告げる。
「椛、今までのはね。試験なの」
「試験?」
「そう。現界に来た妖怪が、妖力を封印されている状態でいかに困難を切り抜けるかを見る試験なの」
「そんな、それじゃあ、私が手伝っちゃダメだったんじゃないですか?」
「いざというときに手伝うのも監査役の勤めよ。そのために側に居る訳だし。だから力を借りたって問題ないわ」
説明されればよく出来た試験である。妖力を封印された状態でどこまで出来るかを見定めると同時に、そもそも無数に居る天狗同士、監査役と知り合いとは限らない。困難な状態でこそお互いを分かり合えるというものだろう。
だが、今回の場合はどう考えても文が椛を利用しまくったようにしか感じられなかった。
「あの、文さんは、全部分かっていたんですよね?」
何度も現界に来ている文が知らないはずが無い。椛が少し恨めしそうな口調で質問すると文は素早く切り返す。
「何事も言葉より行動で経験するのが一番じゃない」
満面の笑顔が眩しくて危うく納得しそうになるが、さすがに今日は引き下がる訳には行かない。
「ごまかさないで下さい。私を騙したんですか?」
いったい、どこまで嘘だったのか。自分が必死に頑張ったのは、どこまで届いたのだろうか。文の言葉は信じて良いのだろうか。
「私はいつだって椛には、本当のことしか言わないわよ。私が椛に嘘をついたことある?」
笑顔でしれっと言う文を椛は上目遣いにじっとみている。
もしかしたら、今、自分の瞳は軽く潤んでいるかもしれない。大好きな文の笑顔。でも、何を考えているか、いつだってさっぱり読めない。
「ねえ椛」
沈黙を破るように文は話し掛け、それと同時に傷の癒えた右手を伸ばす。
「なんですか?」
「これから色々と大変だろうけどよろしくね。頼りにしているわよ」
つるつるとした手の平で優しく椛の頬を撫でると、そのまま頭の上に持っていってよしよしと何度も髪を撫でる。この笑顔と、この感触。結局の所、椛はこれに弱いのだった。
「分かりました。分かりましたよ。文さんが意地悪なのはいつものことですから」
「あら、私はいつも正直なのに椛は捻くれ者ねえ」
そう言いながらも声色から椛の心を理解した文は、もう一度嬉しそうに椛の髪を撫でたのだった。
「文ちゃん、盛り上がっているところ悪いけどラーメンできたよ。ところでその子にはいらないの?」
「頂きますね。椛の分は後で作ってあげて」
椛から手を放し、太郎からどんぶりを受け取りながら文は招き猫に話し掛ける。
「この子はこの時代のこと何も知らないから、私の変わりに色々教えてあげて」
その言葉に、五匹の招き猫の目が光った。真鍮製の顔が、なぜか嬉しそうに笑ったように見える。そして全身から金属音を鳴らしながら椛を取り囲んだ。
「えっ? えっ? ちょっと文さん」
「勉強が終わったら、おいしいラーメンが待っているわよ~」
のんびりとラーメンをすすりながら、文は椛に声援を送る。
「名前は?」
「あ、はい、犬走椛です」
「では、こちらの椅子にお座りください」
律儀に返事をして指示に従ってしまうのが椛らしい。良い香りのする木製の机と椅子。机の上にはよく削られた鉛筆が三本並べられていた。
「それでは試験を開始します。監査役相手の特例ということで点数が何かに影響することはありませんで、気軽に応えてください」
「全部で一万問、合格は九割以上ですが先ほども言ったとおり監査役殿は成績に気になさらなくて結構です」
手に手に問題が書かれた書類を持った招き猫が椛を囲み次々に語りかける。
「では第一問、マルかバツかでお答えください」
「えっと、私、西暦の時代って得意じゃないんですよね」
容赦なく次々と投げかけられる問題に、言い訳をしながらも必死に椛は答える。
「では次の五十問目からは、マルバツでは無く答えを述べてください」
「ま、マルバツだけじゃないんですか」
「きちんと理解しているかを知るには、マルバツだけでは足りませんから」
しばらくして百問目を椛が答えた頃、ラーメンを食べ終えた文は太郎が差し出した書類などを眺めていた。
「こっちが用意した家とその付近の地図。それと当座の資金だ」
「下町?」
「文ちゃんが好むような下町の家だよ。今回は何年位いるつもりなんだい?」
「さてね。気が済むまでいるつもりよ。人間は見ていて飽きないし。それに」
そこで言葉を切って、文は視線を椛に向ける。
「今回は、一緒にいて飽きないのが相方だからね」
頬杖を突きながら穏やかな視線をおくる文に気付くことなく、椛は半分泣きながら招き猫の出す問題を解いているのであった。


時は大正、場所は帝都、文明開化の明治維新からもうすぐ半世紀が過ぎようとしているこの時代。
町には電車が走り、浅草には雲を越えるかのような寮雲鶴十二階がそびえ立ち、空には飛行機すら姿をみせている。
その絢爛たる帝都の一角に、妖怪が住んでいるとは誰が信じることだろうか。
その妖怪の名は、射命丸文と犬走椛という。
東京は上野の北東、浅草の外れには一旗上げようと上京してきた人々がそのまま流れ込むための長屋が立ち並んでいて、年がら年中人が出入りし賑やかである。
ここでは妖怪の一匹や二匹紛れ込んでも分かりようが無いのかもしれない。その妖怪のうち、一匹はのんびりと寝転んでいる。
「文さん、ここに住み着いてもう半月ですけど、のんびりしすぎじゃないですか。何か特ダネを探しに行きましょうよ」
「そうそう転がっていないから特ダネって言うんじゃない?」
「でも、外に出ないと始まらないじゃないですか」
「そうねえ。じゃあとりあえず椛の作ったご飯が食べたい」
「分かりました。じゃあすぐに用意しますから。食べ終わったら外に出かけましょう。約束ですよ」
周りの住人に怪しまれないように、椛は耳や尻尾を隠し袴姿の和装である。草履に足を通すと、外に買出しに出かけた。
昨日の残りのご飯がおひつには残っている。八百屋に行って野菜を少し買ってこよう。
道を歩きながら、椛は自分の右手を見る。
刀の振りすぎで豆をつくり、その豆を潰した上にまた豆を作ってしまうごつごつした手。
文は真剣な顔をして、自分が努力していることを誉めてくれた。
ご飯を食べ終えても、文が動き出すのには相当時間がかかるだろうから、その合間に素振りでもしておこう。
いつ、また戦うことになるのか分からないのだから。
見上げた空は雲一つなく青い。ふと、鴉がのんびりと飛んでいた。
気持ち良さそうな滑空に少し羨ましくなったが、まだまだ当分続くであろう文と一緒に地に足をつけて記事を探す日々も、それはそれで楽しそうだと心の中で呟いた椛は、視線を戻すと軽い足取りで歩き出したのだった。
作品を読んで頂きお疲れ様でした。本当にありがとうございます。
初投稿なので勝手も分からず、空白の行などを特に作らず送信してみましたが、どのようになるか自分でも興味深いです。いかがだったでしょうか?

よろしければ今後も投稿させていただきたいので、ご感想等いただければ幸いです。

※1 作品を一部修正して、注釈を最初に入れました。ご指摘ありがとうございます。

※ 6月21日追記
  沢山のコメントありがとうございます。
  温かな意見から、厳しい意見まで非常に勉強になりました。
  短い期間にいろんな方からコメントがいただけることに、コツコツやっていた身としては正直驚きました。
  読んで頂けるだけで、本当に嬉しいです。
  また、お邪魔すると思いますので、その時もよろしくお願いします。
九遠寺
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コメント



0.620簡易評価
3.90名前が無い程度の能力削除
悪くない
次も期待してる
4.無評価名前が無い程度の能力削除
まず冒頭で博麗大結界ではなくオリジナルの結界が敷かれている幻想郷であること
その結界は妖怪ならば紫や霊夢の手助けなく簡単に通れる結界であること
さらに狙ってタイムトラベルできる結界であること
それらのオリジナル設定使った作品であることを断ったほうがいいと思います
博麗大結界の設定は東方と幻想郷を語る上での根幹の設定ですので、これを変更すると読む人の中にはそこが地雷に当たる人も出てきます
なので注意書きをしたほうが無用なトラブルを避けされ作品を気持ちよく読んで貰えると思いますよ
5.60名前が無い程度の能力削除
点数付け忘れたorz
個人的には話の筋は悪く無かったと思います
が、地雷は地雷でしたのでその分はマイナスでこの点数です
7.100名前が無い程度の能力削除
オリジナル設定満載だけど、これは面白かったです。
ストーリーもしっかり創られてるし、描写も細かくて光景が目に浮かぶようでした。

人によって評価は分かれるだろうし、たぶん叩く人も出てくるだろうけど、あまり深刻には気にしないで。
創作というものは、まず物語を創る本人が楽しめないとダメですから。
私は、やはり作者が楽しんで書きあげた作品の方が好きですね。
経験上、作者が「好きなんだなぁ」と読んでいて分かる作品は、面白いものが多いので。

これからも楽しみながら書き続けて下さい。
陰ながら応援してます。
8.90名前ガの兎削除
上手い事面白い話を作ったもんだ。
あえて言うなら文字がつまりすぎていて読み辛いと言う人も居るかもしれない、ってくらいかな。
続きがなくても続きを想像させるような話をかけるアンタは良い書き手だと俺は思うね。
9.90名前が無い程度の能力削除
自分としては一部ニヤニヤしながら楽しんで読むことが出来ました。
各種描写も自分好みな点も多々あり、とても面白かったです。
何となく台詞回しに違和感を覚える箇所があるのは、
筆者と自分とで思い描くキャラ像の差である、と捕らえれば
誤差の範囲内という感覚なので、評価に影響するものではありません。

個人的に改行ポイントが感覚として合わず、読みづらい箇所がいくつかあったため
確かに面白かったのだけれど、90点とさせていただきました。
この場への投稿目的だとすると、並んでいる文字のバランスも考慮すべきと思う次第です。
少々息苦しい、、かな? と。

まぁ逆に考えれば、それ以外は良かった、って事ですね。
おー…、つ、、続きが読みたい、、! と、少なからず思ってしまうこの作品とそして筆者に
そのように思わせてくれたことへの感謝を。
11.90名前が無い程度の能力削除
面白い。
秋葉、神保町周辺を歩いた事があるので懐かしい気分になりました。
本好きには堪らない地域ですよね。
弾幕描写も自分好みですし、椛と文の遣り取りも見てて小気味良いです。

次も楽しみにしてます。
13.90名前が無い程度の能力削除
改行の面で見づらいと感じることもありましたが、内容的な読み応えは十分でした。
次にも期待という意味を込めて、あえて満点では無いということで。
14.無評価名前が無い程度の能力削除
他の人が書かれている通り、面白いですが地雷設定過ぎです。
流石に(数少ない)設定資料のあるものを改変してしまってるってのは二次創作としてはどうかなぁと……。

話自体は面白いし、強いて言えば改行の点で読みづらいというのも、他の方の意見と丸かぶりなのですが。
いつもの自分なら20点あたりをつけて、ログ削除してはい終わり。なのですが、
話自体は面白いのであえてRateの動かないフリーレスとさせていただきます。
15.90名前が無い程度の能力削除
読み応えあり。独特の世界観も個人的にはOK。
確かに地雷でもあるが、それこそが二次創作の面白いところでもあると考え、
個人的満足度からこの点数とさせて頂きます。

今回の履く品は枠にはまらない作者の心意気を評価したいと思います。
18.20名前が無い程度の能力削除
オリジナルで書いたものに椛と文というパーツを付け足すことで無理繰り二次創作にしている感じです。
21.70無刃削除
そういえば幻想郷縁起の「妖怪の山」の項目に「結界に穴をあけて外に通じさせている」という噂が載っていますが…
22.90名前が無い程度の能力削除
読み始めたら面白くて長さを感じませんでした。
続きがあるのかわかりませんが、期待しています。
24.90名前が無い程度の能力削除
レトロな世界観いいですね~。
飄々としているあややもいいけどキリッとした射命丸もいいもんだなぁ。
25.100名前が無い程度の能力削除
続きが期待できる展開ですね。
地雷だと言う方もいらっしゃいますが、自分は気になりませんでした。
こういう二次創作の作り方もあるのかと眼から鱗の気分です。
史実も混じっているのが作者さんのこだわりでしょうか。
楽しく読めました。次の作品も楽しみにしています。
30.100名前が無い程度の能力削除
懐かしい気分になりますね。。。