Coolier - 新生・東方創想話

ペン・パル

2015/12/28 19:39:12
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序.
 手紙なんて、書くのはいつ以来だろうか。
 そもそも私は手紙などというせせこましいものは好かない。面と向かえばいいことだし、そうするだけの力がある。紙切れではなく自分が動けばよいではないか。仕方なく書かねばならぬ時でも、昔は部下にいた筆まめな奴らに任せていた。もっとも、あいつらは何を捏造するか分かったもんじゃないので、最後は私が検分したわけだが。
 本当に自らが筆を執って書いたのは、数百年単位の昔日だろう、きっと。もはや覚えていない。その頃と今とではわけが違う。手紙をしたためる為に呼ぶ部下はいない。そんな下らん上下関係からは逃げてきた。
 ああ、昔を振り返っている暇はない。今夜はかつて共に暮らした旧友と飲むんだった。それまでに終わらせないと。
 それにしても書く気が起きない。直接会って話に行こうか。いや、それでは約束を破ることになる。それに彼女と面会するのはあまり気乗りしない。ここは、手っ取り早く要件だけを書こう。拝啓やらなんやら、面倒くさい前置きは抜きだ。
 「そういや、筆と墨はどこに仕舞ったっけか…。」
一.
 欄干にふっと息を吹きかけると、薄明りの中埃が広がり舞うのが目に入った。息をかけた場所を手で撫でて掃き、木の色が少々はっきりしてきたところで腕を欄干と平行に組んで乗せ、体重をそちら側、前に少しかける。
 眼前には真の闇が、大口を開けている。長さ百米はありそうな大橋の両端には尽きぬ灯が灯っており、向こう側の橋の先には街の明かりがほのかに照っているのだが、それらの光もお手上げのようだ。何かが潜み蠢いているのか、誰も知る由がないのだろう。少なくとも、生物、こと話が通じるようなものの気配は全くない。あるのはただ、こうこうとする風の音のみ。それが安寧につながる。
 頭上には洞穴の黒とは少し異なる茶色がかった粒々がびっしりと並んでいる。夕方になると、この点々は地上を目指して一斉に動き出すのだ。こいつら蝙蝠のおかげで、陽の光など全くないこの場所で、時計さえ持っていなくともだいたいの時間はわかる。街の奴らには時計があるらしいが、まあ、ここに住むうえで時間はさほど重要ではない。
 時間といえば、ここに来てどれくらいになるのだろうか。毎日ずっと闇を見つめ続けている平凡な生活のため、感覚が麻痺しきっている。相互不可侵の協約とやらのため、街からこちらに来る奴などほぼ皆無だし、その逆、地上からの来訪者に関してもまた然り。橋の守護なぞ任されてはいるが、全くといってよいほどその任に当たることはない。巷では椀を貸す橋姫なども存在するらしいが、生憎そんなに心が広くはないのだ。他人と話すこともほぼなく、数十日くらいか、そのくらいの頻度でぶらつきに来る土蜘蛛とつるべ落としの二匹と他愛のない会話を交わすくらいなものだ。旧都にもたまに行く程度で、そこまでの付き合いがある人もない。
 いや、数月前に巫女が来たっけか。幼子の声がする小さい玉を持って、間欠泉がどうの霊がどうの喚いていた。人間相手なので規則とやらで仕方なく弾幕というやつを使ってみたが、不慣れなこともあってあっさり負けてしまった。何か重大な事件が起こっていたらしいが、関係のないことだ。あの数日後、橋の通行の許可を認めるようにと言われ、一々通る奴のことを認知しなくなった。大抵は橋の遥か上を飛んでいくので、気に留めさえしなければどうということはない。だが事実、橋を通る生物が増えた気がする。
 時間のことに考えを戻す。いつからここにいたのだろう。人間だったころの最後の記憶は遠い向こうでかすんでいる。しかし忘れはしないだろう、川の水の冷たさ、星空の色、鉄輪の上の蝋燭の火のゆらめき、顔に塗った朱の乾いて固まった感触、愛していた男の顔。それが最後だった。次に覚えているのは、冷たい刃による痛み。既に人ならざるものと成り果てていた時だ。あれで我を取り戻すまで、夢と現の淵を彷徨い歩いていたはずだ。何を考えていたのかは全く思い出せないが、思っていたより温かい、それでいて柔らかい肉の触感、その奥にある初めは灼熱のごとき熱さにも関わらずすぐに冷え切ってしまい、一見堅そうでもこりりと容易く折れてしまう骨の手触り、濡れて重たくなってしまった着物を引きずり歩いたときの地面とのこすれる音、口が極限まで吊り上がっていたに違いないであろうがための頬の筋肉のこばわり、だらしなく垂れなめずりまわしていたらしい舌の冷たい空気に触れ唾液が蒸発していく乾きといった五感についてはひどくこびりついて離れることがない。今でもまざまざと思い出せる。
 あの痛みの後、都を落ち延びて山中に迷い込み、そこからはあまり覚えていない。幾日を放浪に費やしたのか、人に出会ったのが何回でそれらを屠ったのが何回か、どこをどう歩いたか。着のみ着のまま、裸足で藪を走り回り、初めは枝や草で身体を切ってしまい、血を流すこともあった。なにせ人の頃は室内に一日中座っている生活だ、いくら魔鬼となろうとも瞬時に適応できるわけではない。慣れるころには地底に堕ち、この橋の上に立たされていたと記憶している。あたり一面、空からも地からも数え切れぬほどの目にねめつけられていた、という奇怪な経験があった気がする。何かの話をし、その結果何らかの契約を交わしたこともあったはずだ。おそらく橋の守護の契約なのだろう、と解を出して以来、ずっとここに住み着いている。
 腕を組み替え、再び飲み込まれそうな闇を見つめる。多分これからも、永劫ここに住むのだろう、と思いを巡らす。自分には居心地のいい場所であるし、移る理由はない。他人がいないというものは非常に良いものだ。対象がなければ、嫉妬の矛先を向けようがない。自己にはこの長い時の間とうに向けきっている。橋を通り過ぎていく奴らも、無視をすればいい話だ。
 そう考えに耽っていると、街から大声が聞こえてきた。今の時間帯は朝を迎える半刻前、といったところか。どたどたと五月蠅い足音が一人分聞こえてきた。泥酔してふらつき歩いて橋へと来た阿呆かと思ったが、会話が聞こえてきたので二人いるらしい。どちらも女の声で、喉が酒でつぶれかけた中、声を張り上げている。不快極まりない。
「あー、自前の盃以外で飲むなんざ久方ぶりだったよ。違う味を長く飲んでいなかったから不覚にも酔っちまった。しかもこいつぁ安酒だった、臭ぇんだよ、臭ぇ!」
「んだと、この瓢箪の酒を馬鹿にしてんのかぁ?そっちの盃こそ、馬鹿みてぇに度が高いじゃんか。ぜんっぜん気持ちよくなれないんだよ!」
「そーかいそーかい、昔のお山仲間との久しぶりの再会だってのに、とんだ宴会になっちまったねぇ!こうなったら拳で語り合うしかないんじゃあないのかい?」
「いーともさ!あの橋の上でどうだい!腸ん中、全部ぶちまけさせてやらぁ!」
 こちらに近づきつつ、耳が吹き飛びそうな声でそんなことを言っている。これは敵わない。面倒事は沢山だ。仲睦まじかった友情が酒で壊れる様は是非ともお目にかかりたいものだが、こちらが巻き添えになっては元も子もない。橋の下に拵えてある小屋に帰ることにした。閉塞感の絶えない薄汚い小屋で、自前だけれどあまり好きではない。体を休めるのに時たま使う程度だ。そのくらいの頻度でしか使わないからさらに汚くなるのだが。この機会に掃除でもしようか。
 さっさと下に飛び降り、小屋の中に入る。上からはさらに大きな声でがなっているのが聞こえる。なるたけ聞かないようにしつつ、掃除を始めた。まもなく声の代わりに、殴打の音が聞こえてきた。橋は大きく丈夫なので壊れないはずだが、いささか心配ではある。好みの場所なのだ。そう思いつつ掃除へと気を向ける。
 幾時か後、喉の奥から何かを絞り出す声が数回聞こえ、その後に屋根に何かが落ちる音がした。しばらくして部屋の中に酸っぱい、むかつかされるような臭いが充満してきた。黄色いそれも、屋根板の隙間から部屋へと染みてきた。
最悪だ。睡眠など必要のない無駄なものだが、目を閉じねばならない。

地上では昼過ぎであろう時間に橋の上へ戻ると、昨日の騒ぎが嘘のように静かであった。橋には目立った損傷は無く、ただ風が地上へと吹くこうこうという音のみが響く。少し安堵した。いつもの場所へ行き、欄干の表面を手で掃いてから腕を組んで乗せようと考え歩を進めていると、カサッという音が足元からした。
見ると、一枚の和紙を踏みつけていた。和紙は折りたたまれて橋の木材同士の隙間に無造作に挟まれており、意図的にそうなされたように見えなくもない。宛名は書かれていないようだ。もしかすると常にここに佇んでいる自分に向けたものなのか。
その和紙を開いてみると、勢いのある、不恰好だがどこか整った、でたらめさと理知さが同居しているような独特の字体でこう書かれていた。
『どうしてずっとそこにいるんだい?たまには街に飲みに来なよ。 
                                   星熊勇儀』

二.
 旧地獄の街からかなり外れた僻地に地霊殿は位置している。重厚な煉瓦による外壁は、どことなく鏡を思わせる。地下特有の湿り気が煉瓦の表面を覆い包み、暗がりに慣れた夜目にはてらてらと光り、ぼんやりとした中で外壁が一枚に繋がっているように見える。鏡の後ろ、自分の像を映し出す金属と硝子の合わせ板の背後にある、見ることの適わない空間、若しくは壁。館の内部はまさにそれのようだ。向こうからは心まで覗かれているのに、こちらは向こうの感情を読み取ることすらできない。
 酒に溺れ単純な勝負を好む彼女は、ここは好きではなかった。他人に頼まれた用事のために、仕方なし混じりで来たのだ。
 薄明りに照らされてますますぬめり輝き荘厳さを増している門をくぐり、建物へと続く庭を少しぶらついていると、草の合間をガサガサと動く音がした。見ると黒猫が緋色の眼を二つ、じっとこちらに向けている。彼女は立ち止まり、その猫に声をかけた。本人には小声のつもりなのだろうが、通りのいい声のためか、はたまた生来の性質か、それはかなりどすの効いた声となって庭に響いた。
「おい、お前!」
その調子のままさらに続けて、
「人型に変化できるのは知っているんだ。ちょっくら話がしたい。」
 それを聞いた猫は短く鳴くと草陰に入った。と、
「なんだい鬼さん、さとり様なら奥にいるから、直接会いに行けばいいじゃないか。何度かここに来たことはあるはずだろう?道筋も知ってるはずだよ。」
 黒い服に身を包んだおさげの赤髪の小柄な少女が草をかき分けて出てきた。先ほどの猫との外見の類似点はほぼ無いが、緋色の眼は変わらずらんらんと、こちらを見据えている。声にはあっけらかんさに包まれながらも、少々の不信。
「いやーすまんね。直接会うには時間がないんだ。」
「ぶらぶら歩いてきていたくせによく言うよ。心が見透かされるのが怖いんだろう?」
「あれが怖くない奴がいるか。というよりそっちが自ら遠ざけているんじゃないか。」
「まあね。だからあたいたちが飼われているわけだけど。」
猫だった彼女はゆっくりと一歩一歩、こちらに近づいてくる。呼吸音が聞こえるまでの距離になる。身長の差のため、こちら側は視線を下げざるを得なくなり、見下ろす形となった。彼女は反対に顔を上げて話す。
「ん?今は酒臭くないね。一っ風呂でも浴びたのかい?」
「ああ、…ちと悪酔いしてな。でだ、渡したいものがあるんで、ご主人に届けておいてくれないか?」
「ああ、いいよ。どれ?」
「えーっと……。」
 スカートについているポケットに手を入れる。何百年も着け慣れているとはいえ、腕の鉄輪はこういう時には邪魔だ、そう考えていると、あるべきはずのカサッとした紙片に指が触れないことに気が付き、不可解さを覚えた。そんなはずはない。昨晩萃香と会った、その場で手紙を書き、このポケットに入れたはずだ。あの時、酒はまだ入っていなかったためその時の記憶は鮮明である。手紙がないはずがない。
 知らない間に顔に出ていたのだろうか。変化に気が付いたのか、少女は訝しげな目つきを強め、顔を近づけてきた。
「どうしたんだい?」
こちらはしどろもどろになりつつ、
「ん、あー、えっとだな…。その、無い。」
「は?」
 少女は目を少しだけ大きく開き、おいおい、とため息をついた。それを見て、頭を掻きつつ、
「多分来る途中に落としたんだな…。すまん、出直してくる。」
「あ、そう?まあいつでも来なよ、最近は仕事も暇だからここいらにいるよ。」
「すまんな、迷惑かけちまって。」
「大した負担じゃあないんだし、気にすんなよ。それより時間無いんだろ?早く行きなよ。」
 少女はにやりと笑って言った。
「あ、ああ、すまん。それじゃあ。」
軽く頭を下げて謝罪と別れを告げ、踵を返して門へと向かう。後ろからがさごそと草音が聞こえた。猫に戻ったらしい。彼女には悪いことをしたな、と思いつつ門をくぐった。街の明かりが微かにちらついた。
風の音に混じって猫の声が聞こえた気がした。空耳かもしれないが。

さて、どこで無くしたのだろう。酒を飲み交わし始めてからの記憶はあまりに曖昧すぎる。思いだせる記憶の糸を辿っても、途中で途切れてしまう。酔いつぶれて寝たのだろうか、起きて吐瀉物の悪臭に辟易して一人で風呂に行ったのはなんとか思い出せる、たしか旧地獄街道の正門を見た気がする…。
はて、と気がつく。どうして街の外から中に入るときに見る景色である正門を見たのか?街の外に出ていた?目が覚めてから萃香と話した記憶がないということは、あいつはもう地上に帰っていたのだろうか?
もしかして、見送りに行っていたのかもしれないな、と合点をつける。とりあえず、来た道を引き返して手紙を探しつつ、そのまま街の外まで行ってみようと思い立った。

三.
 後悔していた。指に挟んだ紙片をぼやけさせる視点のまま思う。
 なぜ返事など書いてしまったのか。妙な場所で茶目っ気が出てしまったのか。それとも手紙の内容に反論しないと気が済まなくなったのか。あの手紙はそもそもなんだ。ここに住み着いて何百年と経っているのに、なぜ今更出てこいなどとのたまうのか。この間の異変とやらが原因なのだろうか。
 差出人の名には聞き覚えがあった。星熊勇儀――旧都にて飲んだくれ騒いでいる妖怪たちの首領だ。妖怪の山にかつては覇権を奮い、四天王の座にいたとか。旧都に行くと彼女の武勇伝はさまざまな方向から聞こえてくる。彼女が破壊したと云う粉々になった家屋や石垣もちょくちょく見た。しかし未だに会ったことはない。鬼など人間だったころに都で噂を小耳にはさむ程度だ。
 彼女がどうして自分にこの手紙を置いていったのか。もしかして落としてしまったものなのか。そうなると、自分は落とし物に生真面目に返事を書いた幸せ者だ。阿呆すぎて嫉妬すら起きない。
 橋の下の小屋、埃でうっすら白くなった木張りの床に寝転び、天井を見上げる。この間落下してきた物体が作ったしみは、まだ消えてはいない。天井板を取り換えたほうがいいかもしれない。
 昨日掃除をしたが、そのために却って埃を出してしまったらしい、鼻がむずむずしている。橋の上に行って風にあたろう。この陰鬱な部屋で考え事をしても、解決にはならない。もう済んでしまったことだ、成り行きに任せよう。橋の上に手紙をおいてわりと時間が経ってしまっているが、彼女が手紙を持ち帰っていなかったらすぐに処分しよう。
 足に力を込めて起き上がり、下駄を履いて戸を開けた。この戸も建付けが悪くなってきており、軋みがだんだんと響くようになってきた。旧都で替えを見繕おうか。
 
 橋の上はいつもどおり静寂に包まれていた。見た目に変わったところは無いように見えた。それで多分、安心したのだ。しかしすぐに不安に駆られるものを見た。自分が木組みの隙に差し込んでおいた紙が無くなっていた。風に飛ばないよう、石を置いていたため、間違いなく故意によるものだ。表には宛名を書いていた。
 妙な確信。彼女が持ち帰ったのだ。

四.
 初め、橋の上に置いてあった手紙を見つけたとき、素直にほっとした。懐に紙片を突っ込み、やはりここにあったか、萃香め次に会ったら酒の肴代全て払わせてやるなどと考えつつ自宅に帰った。
 そこまで広くはない質素な部屋の中央、妖怪の山にいた時から使っていた虎皮の絨毯に散乱する酒瓶や肴の屑を手で払いのけ、どっかと腰を下ろす。行灯に火をともしほのかな明かりが部屋を満たすのを待ってから、しげしげと手紙を眺めた。ここで気づく、どうやら自分の書いたものではないと。紙の大きさ、紙質は同じだが、古明地さとり宛の手紙だったものが、星熊勇儀宛になっている。手紙の中を見て、自分が落としたものであると知り、また橋において置き自分に返してくれたのか。表に自分の名を書いたのは、自分以外の他人が持っていかないようにするためだろうか。ありがたいことだ。
 しかし、これではさとりに渡せない。封筒は使わず、一枚の紙に宛名と本文を書いて折りたたんでいるためだ。紙を変えて書き直さねばなと考えつつ、ぴらりと中を見ると――
『忠告はありがたい。しかし貴方に言われる義理はない。貴方に会ったことがないだけで、旧都に出かけることはそこそこにある。酒は好まない。                                    
水橋パルスィ』
 薄暗い行灯のみが照らす部屋の中、勇儀は軽く唸った。手紙がすり替わっている。いや、返事が書かれている。自分の書いた手紙にさとりの宛名は書いていなかったのか?萃香との飲みに気を急かれて、書き忘れたままだったかもしれない。この水橋パルスィとかいう人物、勘違いをしたのだ。
 さて、どうしようか。さとりへの手紙は書き直すとして、パルスィにも事情を説明する手紙を書かねばなるまい。この人物がどこに住んでいるかも分からない以上、連絡手段は橋の上に同じように置いておくのがよかろう。
 昨日から机に放置されている紙の束から一枚取って、筆の先を舐めつつ文言を考える。きちんと季語から入るべきだろうか。いや、こちらもあちらも堅苦しいことは書いていないのに、いきなり改まるのはおかしくないだろうか。単刀直入に勘違いを伝えよう。酒に悪酔いして橋の上で朦朧としてしまい、別の相手に送る手紙を落としてしまったのだ、と。
 だいたいの構成が決まり、墨を擦っていると茶目っ気が頭をもたげてきた。向こうさんの返信はなかなかそっけないものだったが、文面を見るかぎりあまり活動的ではないようだ。しかし宛名のない手紙に一応とはいえ返事を寄越すあたり、対外的なつきあいに無関心というわけでもあるまい。袖振り合うも何とやらということもあるし、せっかくの事、繋がりを切らないのも一興ではないか。
「よし、思いついた。」
 筆を墨に軽く浸し、すらすらと書きだした。

五.
 ほんの一瞬の隙を突かれた。いつも通り欄干にもたれ、ひんやりとした擬宝珠を手で撫でていたときのこと、ふと頭に小屋の戸のことがよぎった。どうせすることも特になし、今日付け替えをしてしまおう。どこが悪いのか調べねば。そう思い橋の下に降り、扉を開け閉めしつつ蝶番の動きを見ていたとき、この時に違いない。
 そんなに長い時間ではなかった。問題点はすぐに分かったからだ。小屋の中に入って念のためにそれを書き留め、すぐに橋の上に戻った。旧都にはもう少ししてから行こう、今は橋の上で風にあたっていたい、そう考えつつ。しかしその考えは橋板の隙間に挟まれた一枚の紙片によって途切れざるを得なくなった。
 思わずあたりを見渡したが、下に降りる前と変わった点は何もない。橋の下には闇がひしめき、おびただしい数の蝙蝠は夜の外出へと向けて壁に張り付き休んでいる。あたりを照らすには薄すぎる明かりは単調に揺らめきを続け、旧都へと続く街道はぼやけつつも眩しく光っている。
 驚きがにじみ出て幽かにだが震える手で紙片を取り、中を開く。外側に『水橋パルスィ様』と書いてあるのを目端に捉え、さらに訳が分からなくなる。この前の手紙は間違いではなかったのか?そうなるなら、なぜ私を誘うような手紙を突然置いていったのか。前と同じ議論を脳内で繰り返しはじめようとしたが、その前に手紙の文面を読みはじめていた。
 内容はほぼ予想していたものだった。酒に酔わされ、乱闘騒ぎを起こした際に別の妖怪に渡す予定だった手紙を落としてしまった。もしかすると宛名を書いていなかったかもしれず、そのために貴方は自分に宛てられた手紙であると勘違いしてしまったのだろう。申し訳なかった。ここまではなるほど迷惑な輩だと思いながら読み進めていた。自分もたいがいだ、とひとりごちながら。
 しかし最後に思いもかけない文言が綴られていた。前と同じ勢いのある字体で、
『…酒は好まないと言っていたが甘酒くらいならいけるだろうし、酒がなくとも肴は進んでいくもの。橋から街道を入ってすぐの店など行ってみてはどうか。貴方はあまり旧都に来ないということだし、疎いことも多かろう。酒に関しなくとも私はそれなりに精通していることも多いから、なにか知りたいことがあれば気軽に聞いてくれ。顔は広いほうだ。返信を待つ。
                                   星熊勇儀』
 どうしたものか、この鬼は些細な誤解から始まった文通を続ける気でいるのだ。なぜ自分なぞとそんな酔狂なことをしようとしているのか。自分が人間だったころの京でならいざ知らず、どちらも妖怪、しかもあちらは元四天王と来ている。直に会えばいい話ではないか。旧都の実力者、その気になれば自分の居場所など簡単に割り出せるだろう。こちらはそんな気はさらさらないが。向こうからしたら遊びくらいの感覚なのだろう。嫌な性格をしている。
 黙殺してしまおうか。無視を決め込んだからといって、流石に殺しにくるようなことはいくら鬼といえどもあるまい。しかし、返信を待つなどと書いている。橋にちょくちょく様子見に来るかもしれない。それは困る、橋の上で一人風にあたりつつ闇を見つめるのはここに来てからの数少ない習慣なのだ。
拒絶の返信だけ書いて、近づかぬように釘を刺しておこう。それが最善だろう。

六.
 自宅に切れていた今晩のあてを買いに行った帰り、様子見に橋までぶらぶら歩いていくと、街道の明りをほんのわずかに受けた橋の上、ほんの少しだけ期待していたものが、想像の画どおりに置いてあったためかえって驚いた。自分で書いておいてなんだが、返事がくるとは思っていなかったからだ。黙殺されるのがオチだろうな、と。今日覗きに行って、無ければもうあきらめるつもりでいた。手紙にかいた店は自分でも割と気に入っている店だったため、少し行きにくくなるな、と思いつつ、まあ会ったこともないし店内にいたとしてもそこまで問題ではないだろう、と気楽に構えて店に来ていたのだった。
 嬉しい予想外の出来事に急かされて早足で自宅に戻り、肴を床に放り投げて行灯を灯し、盃に酒を注いで飲み干した後、手紙を開いた。しかし、中身は冷え冷えとした、簡潔な文章だった。
『ことの概略は分かった。早とちりの返信、申し訳なし。店の紹介もありがたい。しかし文通をこれ以上続ける気はない。これに返信は不要。
                                  水橋パルスィ』
 読み終えた瞬間、考える間もなく筆を取っていた。理由は分からない。返事、というだけで喜んでいたときとの落差に腹を立てたのかもしれない。酒のせいもままあるだろう。このまま済ませてたまるか。酔いに任せて紙を破らん勢いで殴り書きをし、文面を書き終えるとがさつに折り畳み、鼻息荒く行灯を付けっぱなしのまま部屋を飛び出した。

七.
 橋の上に来ると、手紙が橋に置かれている光景を見るのが半ば当たり前になってきていた。返信は不要と書いたにもかかわらず懲りない差出人に怒りを覚えつつ、小屋の中で開いて読もうとする。が、
「……読めない。」
 あまりに殴り書きすぎて解読できない。墨が乾いていないうちに折ったのだろう、折り目を線対称に同じ模様のようになっている部分が何か所もある。何かの呪いの類だろうか、などと勘繰ったりもしたが、自分の知る範囲では合致するものはないし、紙から邪気を感じることもない。よく見ると書いてある文章の中には街道の店の名前や最奥にあるさとり妖怪の住む建物の名前などが書いてある。普通の手紙のようだ。
 ここにきて、諦めの感情が生まれてきた。押しには弱い性格なのだ。まだ拒絶を示し続けるほど強情でもなければ、そこまで労力を割く事案でもない。気を抜いて適当にあしらい続けていこう。降参だ。仕方ない、乗せられてやろう。ただし条件付きでだ。
 大きくため息をつき、つい前日にもう当分は使うまいと引き出しの奥に仕舞った筆と硯を手探りでつかんだ。すらすらと書き綴っていく。
『先日置かれていた手紙は字が汚く読み取ることができなかった。文通をする気があるなら相手に読める字で書くべきではないか。もう一度綺麗に書き直して置かれたし。
 毎日は無理であるが、週に一度程度なら付き合わないこともない。橋の欄干に木箱を取り付けておくから、そこに投函するよう。…』
 ここまで書いて、そういえば、と思い出す。まだ扉の建付けを直していなかった。木箱も買わねばなるまい。せっかくだ、このことを話題にしてしまおう。いつも使う店は決まっているが、なにか新しい情報を得られるかもしれない。
 全く甘いものだ、と自嘲気味に上を向く。天井のしみはほぼ消えかけていた。この際だ、屋根も変えてしまうか。
 新規の関係を構築することはあまり好きではない。今繋がっている関係は、なんやかやで腐れ縁といってもいいくらいの年月を経ている。ここに来てすぐのころからの付き合いがほとんどだ。どれも、一定の距離を保ちつつ行っている。
 この鬼はかなり強引なところがありそうだ、注意して付き合おう。自分の安寧の為にも、周りのためにも。そう言い聞かせた。

八.
 水橋パルスィからの返信が来てから今まで、我ながら変なことを始めているものだ、と思ってしまう。酒に任せて殴り書きした手紙が、さらに言えば萃香との喧嘩がこんな方向に転がるとは。
 彼女は几帳面に週に一度、手紙を木箱の横に添えておく。自分はその日橋に向かい、手紙を受け取り、四日後に木箱に投函しに行く。その三日後、また向こうが木箱の横に手紙を置く、という具合。取りに行く時間、投函する時間はいつも同じ、地上で陽が落ちるころだ。蝙蝠が合図してくれる。
 内容は随分と変化に富んできた。大昔に人間の都にいたときの話、こちらに来た時の話、普段の生活、些細な事ばかりである。文章の量も少しずつではあるが増えてきて、そろそろ紙が二枚必要になりそうだ。文章を書くのにも随分となれた。
どちらもあえて深くに踏み込むことは避けている。それでいい、と思っているし、そうであるように気を付けている。
あちらの事情など特に気にしてはいない。なぜ文通をしているかなど考えることもない。こういう付き合い方もあるだろう、ということだ。
 向こうがどのような人物なのかはよく分からない。妖怪ということは地底にいることから分かっているものの、どのような能力を司っており、どのような性格なのかはあまり伝わっては来ない。文面ははっきりとしているが、感情を表に出す書きぶりではなく、全てを整えてから並べたような文章である。
ところが最近は自分の提供できる知識が少なくなってきたので、自然と雑談に偏り始めており、そうすると自分の考えを表明するうえで性格が出てくる。向こうの性格は思ったよりも激情的なところがあり、ときに鋭い文言を投げかけてくる。しかし普段は落ち着いており、そこそこに快活な部分もあるように思える。結局、全体像はつかめていないのだが。それでもなかなか楽しいものだった。
会おうと思ったこともないわけではないが、会うにはあまり乗り気ではない。それは向こうも同じようだ。今の関係がちょうどいいという感想は向こうも同じなのだろう。
 酒に酔っていると綺麗な字が書けないこともあり、週に一度は素面で文机に向かうようになった。周りの鬼たちには、家から素面のまま出てくる自分を不思議がられる。
 さて、今回は何を書こうか。

九.
いつもの時間が来た。少しばかりの期待を胸に、建付けを直し滑らかに動くようになった戸を開けて小屋を出る。
 橋の上につくと、いつもの場所へと目をやる。橋の真ん中あたり、木材の少し欠けた部分へと。ここ数月ですっかり癖になってしまった。
 はたして期待は裏切られなかった。いつもの風景があった。あまり目立たないように、それでいて見過ごされることのないようにそっと、木箱に開けられた隙間に差し込まれた紙片を見つけ、少し嬉しくなる。折り畳まれた紙片を抜き取って懐に仕舞い、吹き上げる風にあたるのもそこそこに、小屋に戻った。
 紙片を開くと、いつもと同じようなことが書かれていた。最近の生活、旧都の様子、おすすめの場所。こちらが前回出した手紙への返答。後半にはこちらへの質問がいくつか織り込まれている。いつも通りの事だ。手紙には毎度舌を巻かされる。思いもかけないことばかりが紙面に踊っている。自分の知らない、彼女が歩く旧都はさぞかし綺麗なのだろう。次に旧都に行く機会があるときは、手紙に紹介されている場所に行ってみようか。おそらくこのままだと数日中に文具屋に出かけることになりそうだ。
 以前より幾らか多く貯めてある白紙の束から一枚取り出し、前よりか埃が落ちて鮮やかに石の黒さが表れるようになった硯を机に置く。筆が墨に馴染むのもいくらか早まった気がする。

 返事を書いていると、ふと頭をよぎる考えがある。関係というのは終わるものだ。これをいつまで続けるつもりなのだろう。これもいつも思うことだ。しかし、日増しに強くなっていく。
 分かっているのか、私は橋姫だ。人としてはとうの昔に命果てている。嫉妬のみを糧に生きている低級な、堕落した存在だ。この身を焦がす妬みの火種は何度飛び火したことか、何度周囲を焼き尽くしたか。そして決まって最後には、私は灰の中心で口角をわずかに上げ、歪んだ笑顔で立ち尽くしていたではないか。嬉しくなんて微塵もないくせに!
 それでも、と思ってしまう。今回は一対一の関係だ。相手は人ではない、かつては四天王の一角と言われたらしい鬼神である。階級から能力からすべてが違う、妬みなんて起こりようがない。
 いつか終わるものだ、それをあえて早めることもあるまい。そう一笑に付すことにした。
 不安は拭えないが、いままで的中したしないに関わらず、拭えたことのある不安などなかった。そういうものだ。

十.
 文通を始めて半年ほどになっただろうか。だいぶこなれてきたものだ。
 前にもましてやりとりを面白く感じるようになった。パルスィという人物は自分ほどではないだろうがかなり長寿の部類のようで、経験や知識が多く蓄積されている。彼女の視点を通して語られることは新鮮だった、自分の知っていることであっても自分の知らないことのように思えて仕方がなかった。
 ただ近頃、少しの違和感を感じ始めてもいた。文面から、多くの事を読み取れなくなってきたのだ。以前なら、普通に比べれば少ないが今よりももっとはっきり感情を表していた。今はほとんどどのように感じているか分からなくなっている。他人ごとに関してはまだわかるが、一対一の話になると、つまり自分の話になると口をつぐむのだ。
 こちらに伝えたくない感情もあるだろう。隠したいこともあるだろう。だが、彼女の文面は明らかにやりすぎだった。いくら文字を追いかけても、彼女の言葉がにじみ出てくることはなかった。
 なにか彼女に心境の変化があったのだろうか。心配になったが、手紙で深く追及することもよくないと思い、少しばかり体調を気遣う台詞を記すに留めた。
 手紙を渡すのは明日の夕刻だ。今夜は酒でも呑みに行こう。最近はしっかり酔うこともあまりない。手紙の相手の心配を常にしているわけではないが、仲間から最近の自分は竹を割った性格が少しばかり薄れたと言われる。彼女の考えが少し伝染してしまったのだろうか。
こんな時は酒に身を委ねるに限る。酒は裏切らない、裏切るとしたら悪いのは自分だ。

十一.
 まただ、この感覚は何度目だ。
 おかしい、今回は気を付けていたのに。どこで間違えたのだろう。
 彼女は明日の夕刻、蝙蝠が飛び立つころに訪れる。またいつもと同じ、明るい手紙を置いていくのだろう。
 彼女は私の感情に気付いているのだろうか。初めは強引な、他の気持ちなど分からない奴と思っていたけれど、文通を初めてからは彼女の繊細さを節々で感じるようになった。最近は私を気遣う言葉を混ぜてきている。おそらく、はっきりとはいかないまでも、変化には気付いている。
 はっきりと分かっているのは、もう私は持たないということ。この関係を続けることはできない。
 今度の返信でそれを書くつもりだった。だが、数日さえも持ちそうにない。耐えて明日が限度だ。
 直接会って伝えるしかない。文通の掟破りであるが、これしか方法はない。彼女と距離を置けば、もう関わりをきっぱりと絶てば、収まってくれるかもしれない。収まらずとも、人知れぬところへと葬ることはできるはずだ。
 明日の夕刻が早く来ることを祈りつつ、小屋で一人、ぼうっとへたり込んだ。

十二.
 いささか昨晩は飲みすぎたかもしれない。久しぶりだったため限度を見誤った。
 街道を橋のほうへと歩きながら思う。足取りは何とかしっかりしている。手紙もきちんと懐に納めた。手紙を出すだけなら問題はない。
 今回の手紙はいつもより少し短めにした。だが、心配の文言は多めに入れている。なにか彼女の助力になれればよいのだが。
 そう思いつつ橋のたもとまで来て、視線を足元から上げると、橋の真ん中に一人の女性が佇んでいるのを目にした。背は少し低めで、短めの金髪に緑眼を光らせ、和服とスカートの折衷のような黄土色の服を纏い、両腕に腕巻きをしている。
 直感で、彼女が文通の相手、水橋パルスィと分かった。あちらもこちらを見て感づいたに違いない、近づいてくる。
 なぜ突然姿を現したのか、測りあぐねていた。実際に会うということは手紙では一度も話題に上らなかった。しかしそれを熟考する暇はなかった。二人の距離はほんの数米に縮まり、なにより水橋パルスィから感じる妖気は尋常ではなかった。
 緑眼を通してこちらへと向けられるごちゃごちゃとした、それでいて濃密な感情の泥。こちらはただ止まらざるを得ない。
 パルスィは少し俯き、緑眼を閉じ、独り言のように喋りだした。か細いが、はっきりと聞き取れる声で。

十三.
「人間として生まれた赤子の時から、いつもそうだった。私が好感を持つ人は、初めは離れたところにいた。私は近づこうと努力する。時には、今までできていた関係を断ち切ってまでも。その人に比べれば、ほかの人は取るに足らない、私の足を引っ張るだけの存在に見えた。私はその人しか見たくなかった。その人の周りにいる人に対しては嫉妬しか抱けなかった。その位置を奪うことをいつも考えた、一緒に仲良くなんてはなから考えちゃいない。」
「そうして憧れの人と近づき、仲良くなってきた。日に日に深まる仲に希望を見出した。私にはない才能を持ち、私にはない考えを持ち、私にはない経験を持ち、私にはないものばかり、自在に手にしているように見えた。それを知るたび、私はさらに憧れた。その人みたいになりたい、そう願った。その人に並び立ちたい、そう感じた。」
「でもいつもそう、ある日小さな綻びを見つけてしまう。相手にではない、自分の中に。幽かに、ほんの幽かに、その人への反抗心を持ってしまったことに。しかもその反抗の矛先は、ついさっきまで憧れていたものなんだ。なぜなんだろう、切欠はちょっとしたことなんだ。時間のせいなのかもしれない。でも、一度気づいてしまうと、憧れて憧れて憧れた、その人の才能、その人の考え、その人の過去の経験、その人が持ち私が持たないすべてへとその反抗心、羨み、妬みが広がっていく。紙に垂らした一滴の水が全体に滲みていくように、一つを見つけ、自覚してしまうと、もう止まらない。その人が私と会っていない時間、生まれた時から今までのその人が過ごした時間全て、その人の現在を作り上げている全てがずるく思えて仕方ない。いや、私と会っている時でさえも、心の中は何を思っているか知れたものじゃない。私がその人を埋め尽くせない限り、たまらなくその人が私の上にのしかかっているようにしか思えなくなってくる。」
「多分私は、私以外のすべてが羨ましいんだ、それはつまり私以外のすべてが妬ましくてたまらないんだ。これは私の、私との戦いなんだ。私の中に蠢く化け物、緑の眼をした怪物との。抑えようとしても、絶対に負ける戦い。」
「そして今、私は橋姫になった。妬みがなければ生きられなくなった。もはやあの怪物は私なんだ、髪の先から足の爪の先まで、皮膚の上から骨の髄まで。」
「あなたに対してもそう。手紙の中のあなたは、初めは粗忽な、ずかずかと入り込んでくる嫌な奴だった。でも文通を続けるうちに、あなたの過去、友人関係、趣味、信条を分かっていくうちに、だんだんとあなたへの憧れが募ってきた。憧れというよりは、尊敬かもしれない。私とは何もかもが違う、世界の見え方でさえ。あなたが見る世界は私の見るそれとはまったく異なっているようだ。手紙の書きぶりからそんなことも想像したりした。なんたってあなたは鬼の四天王で、怪力乱神。あなたに敵うものなんて何もない。そんなあなたの考えることなんて、到底私には理解できない。この溝がある限り、尊敬はしても、羨むことなんてあるはずがない。あなたみたいになろうなんて微塵も考えなかった。あなたを別次元のものとして整理をつけて、それなりの距離を保って付き合い続けることができる、そう思っていた。」
「でも結局は駄目だった。どこまでもいつまでもあくまでも、私は嫉妬狂い。すべてが羨ましくて仕方がない。その先には何もいいことなんてないのに、あなたからとことん奪いたくなってしまう。ここまで来てしまったらもうどうしようもないの。」
「ごめんなさい、全部私のせい。もうこの文通は終わり。こんなくだらないことはさっさと切り上げるべきだった。あなたが何をしても、私には届かない。あなたは力を以てして私なんて簡単に殺せるだろうから、そうしてくれたって構いはしない。もう前みたいには戻れないって、それだけを伝えに現れたの。これ以上金輪際私とは縁を切りなさい。」
彼女の長台詞がとうとうと発される間、怪力乱神を轟かせた鬼は、何度も口を開こうと試みていたが機を見つけられなかった。腕輪から下がる鎖が風に揺れる音も耳に入らなかった。
「それじゃ、さよなら。」
 そう橋姫が言い残して欄干に足をかけ闇の中へと落ちていこうとしたときにようやく、鬼は言葉を口の外に押し出すことができた。
「待て。」
むこうの返事を待つこともなく、鬼は橋姫のそばに歩み寄り、右腕を腕巻きの上からぐいと掴んだ。橋姫の表情など気にせず、そのまま、
「おい、」
 こちらに思いきり引き寄せた。橋姫は体を捩って抵抗したが、鬼の力に敵うはずもなく、橋の真ん中あたりまで引きずられるようにして連れてこられた。鬼は橋姫を自分の側に向けさせようと力を込め右腕を引き、橋姫は逆方向に逃れようと、腕を振り回す。橋姫の左腕が鬼の肘に当たり、一瞬右腕を掴む力が抜けたところで橋姫は思いきり腕を引き抜く。そのとき鬼は力を込めなおしたが調子が合わず、腕巻きだけを虚しく掴み、橋姫の腕から抜き取った。右腕が露わになった。そこで時が止まった。
 鬼は右腕を凝視していた。橋姫もまた、普段隠しているために自らもあまり見ていなかったのだろう、自分の右腕を見つめていた。
 丁度腕の真ん中あたりに腕をぐるりと囲むように一周、赤黒い線が走っていた。もとは真っすぐな線を描いているが、その周囲には蚯蚓腫れのような紋様が散乱していた。肌は色白で滑らかであったが、その線の周りだけはおぞましい色をしており、小さな窪みや腫れが無数にできていた。線はかさぶたとなってはいるがいつか消えるようなものではなく、かつては腐敗した血液が滴り濁っていたのであろうと想像するのは容易だった。最後に、その線を境にして腕が少しずれていた。肉の付き方がどこかおかしいのだ。醜かった。橋姫の容姿には酷く不釣り合いな傷跡が、まざまざと両者に突き付けられた。
 このような傷跡を鬼は何度も見てきた。人の世に住んでいたころ、同胞が武士との戦でこの傷跡を付けられた。力を信条とし、人間ごときに負けることを恥とみなし馬鹿にしてきた鬼同士の間では、この傷跡は生き恥を晒すことと同義だった。
「腕を切られて…付け直したのか…。」
 その呟きに橋姫の体はびくんと跳ねた。肩をかすかにいからせ、小刻みに震えた、刹那、鬼は圧に吹き飛ばされ橋の袂に跪いた。鬼が顔を上げると、橋は淡い緑色に染まっていた。橋の真ん中では橋姫が此方を爛々と緑に光る、血走った眼でねめつけている。どす黒い涙が目尻に浮かんではこぼれ、浮かんではこぼれ、橋の上に滴っては焔を上げる。顔はくしゃくしゃに歪んでおり、口は裂けんばかりに引きつっている。体の周りは緑に発光しており、視界すべてを照らしている。口を開き、ただ一言、
「消えて。」
 鬼は何か言おうとしたのだろう、だが橋へと歩を進めようとした瞬間、橋姫は目を瞑り、口をこれ以上ないほど見開き、咆哮した。
「消えろ!!」
 周囲を覆う緑色の気体が飛散した。鬼は避けるまもなく真っ向からそれを浴び、旧都へと続く街道を飛ばされていった。欄干は全て吹き飛び、粉々に砕け散って闇へと落ちていった。橋の上に落ちた黒い涙はさらに細かくなって散り散りに広がり、火の手は橋全体に回った。轟々と音を立てて橋は燃え落ち、ひと段落した後には橋姫はどこにも見えなかった。

十四.
「ほう、鬼の四天王ともあろうものが随分とご傷心じゃありませんか。酒も喉を通らないと見えますね。考えていることが実に真っすぐ伝わってきます。
 まずなぜここに来たのかをお聞きしましょうか。まあ、聞くまでもなく分かりますが。地上の妖怪に頼まれたのでしょう、私をこの地霊殿から引きずり出すように。そんなきつい言い方ではなさそうですが。地上の妖怪は私に何をさせたかったのでしょうね?あなたには伝えられていないようですが、どうせ私の能力を使って黙っているものの口を割らせようとしたのでしょう。で、あなたは私と会ってその企みを見抜かれることの無いよう、手紙を書いて渡そうとした、と。」
「それはずっと前の出来事なはずです。うちのペットが言いに来てくれましたからね。それがなぜ今更いらしたのですか?え、忘れていた?これだから単純な鬼は…。まあいいでしょう、それに今回の来訪は別の目的のほうが比重が大きそうですがね。橋姫について。でしょう?」
「彼女はもともと京の都に住む貴族の娘です。とある女を妬み、その嫉妬が膨れ上がって貴船神社に丑の刻参りをし、そこでのお告げに従って宇治川にて二十一日異形の姿で浸かり、橋姫となりました。三十七日ともいわれていますが、そこについては本人に聞いてください。
 そして彼女は妬んだ女を殺した後も、ほぼ無差別に殺して回りました。そこで名高い源頼光の配下の源綱という男が退治をするわけです。あなたも頼光にはご縁がおありでは?まあいいでしょう。
 綱は橋姫の腕を切り落としました。腕は別のところで保管していたわけなんですが、まあ橋姫が幻想郷に入ってきたのだし、腕もこちらにきていてもおかしくないでしょう。それを彼女が見つけてくっつけた、と。」
「こんなところですかね。他に言うことはなさそうです。ああそう、別に彼女は死んだりはしていませんよ。元の木阿弥に戻っただけです。橋ももう元通りになっているでしょう。まあ、あなたは近づくべきではないですが。」
「最後に、些細なことですが付け加えておきましょう。丑の刻参りは、時刻さえ合えばよいというものではありません。祭神が国土豊潤のため、丑年丑月丑日丑刻に降臨されたことから始まったものなのです。現在は一般的に時刻しか流布していませんが、それでは本当の効果は得られないでしょうね。
 そしてもう一つ、丑の刻参りでかなえられる願いは呪いだけではありません。もっと広範囲なことも願えるのです。」
「彼女も、何か真に願いたいことがあったかもしれませんね。」
年末に間に合わせようとしたやっつけ。続かないはず。
一二三
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コメント



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この前同じもの投稿してませんでしたか?消えてるけど
3.70名前が無い程度の能力削除
前の作品はたしか三.までだったと思う。
続きが読めたのはうれしいが、これ以上続かないのは残念。
4.100名前が無い程度の能力削除
よかったです。
5.70奇声を発する程度の能力削除
面白かった