Coolier - 新生・東方創想話

FLOWERING NIGHTMARE

2012/07/12 03:48:46
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   その夜お嬢様に読み聞かせたのは、古典的な御伽噺でした。

    お姫様が魔王に連れ去られ、お城に監禁されてしまい。やがて魔王の友人である魔女や、魔王が雇った守衛がお城に住み着くようになりましたが、彼女たちが姫を助けてくれることなど、到底あるはずもなく。哀しみに暮れた姫の元に、勇敢な騎士が訪れます。

    騎士はとても果敢なひとでした。しかし、圧倒的なちからを持つ魔王のもとに、なす術もなく敗北してしまいます。騎士はそのまま魔王のお城に捕らえられ、そして……

    「あら?」

    ページを捲っていたメイドさんの手が止まります。

    「申し訳ございません、お嬢様。この絵本、最後の数ページが破れて読めなくなっていますわ」
    「あら、それは残念ね。ならば、続きは夢のなかでみることにするわ」
    「あら、ずるいですわお嬢様。私もこの物語の続き、知りたいですのに」

    では、今朝はこの絵本を枕の下に敷いて眠ることとしましょう。
    そう言って、メイドさんはぱたりと絵本を閉じ、じぶんのベッドへ潜り込みます。

    本を枕元に敷いたことによる、微妙な寝心地の悪さが。
    深い眠りから遠ざける代わりに、夢の世界へと彼女を誘います。

    これは、その朝メイドさんがみた、悪夢と呼ぶにはあまりにリアリティの欠けた夢のおはなし。







          FLOWERING NIGHTMARE





    とある村で、幼い少女がひとり失踪しました。
    また吸血鬼の仕業だと、村人たちは騒ぎ立てていました。先週も、その前の週も、村の者が被害にあっていたのです。吸血鬼にすっかり血を抜かれ、真っ青な状態で発見される被害者たちは、決まって器量良しの若い娘ばかりでした。今回失踪したのも、金色の美しい髪を持つ、人形のような顔をした少女でした。
    少女自身、ひとりで歩いているときに茂みから不気味な声が聞こえてきたときには、自らの死を覚悟していました。しかし気づくと、少女はなぜか、やわらかいベッドの上に寝かされていました。服も、お気に入りの白いワンピースから、真っ赤な服に着替えさせられています。
    恐ろしくなって、少女はあたりを見回しました。広すぎる部屋には、中央に置いてある天蓋つきの豪華なベッド以外、何もありませんでした。窓さえなく、誰の姿も見あたりません。
    震える両手で、少女は自分の首筋に触れてみました。そして、たしかめるように、そのまま肩に向かって指先をすべらせていきます。

    ずき、と。鈍い痛みを感じたのは、首のつけ根に近い、左肩のあたりからでした。
    もう一度、そこにやさしく触れます。

    やはり、そこには小さいけれど深い、穴のような傷口がふたつ、存在していました。

    「あら、起きていたの。気づかなくてごめんなさいね」

    鈴の音のように高く美しい声が、どこからか聞こえてきます。

    少女の全身に鳥肌がたちました。目線を動かし、声の主の姿をたしかめる勇気も湧いてきません。硬直した顔面に、いやな汗が伝いました。
    かつかつと、歩く音。だんだんこちらに近づいてきます。音が止まり、じぶんの真横に気配を感じたとき、高鳴る心臓の音で鼓膜が潰れてしまうのではないかと、少女は思いました。

    「緊張しているの?」

    少女のほほに、つめたい手の感触。長く鋭い爪が突き刺さり、やわらかいひふに、ほんの少しばかりの痛覚が広がります。

    隣にいる"彼女"はくいっと、少女の顔をじぶんのほうへと向けました。まっすぐ前を向いていた少女の目線が、視界に入ってきたその姿を捉えます。

    血の気のない白い肌と、血のように紅いひとみ、それから銀色の髪を持った、おんなのこ。
    少女よりもいくぶん大人びて見えるものの、背格好はさほど変わらないその姿をたしかめると、少女の緊張感はごくわずかに緩みました。噂に聞いていたおぞましい、怪物のような吸血鬼の姿とは、大分かけ離れていたからです。

    それに、さきほどじぶんの肩に見つけたあの傷は、吸血鬼に襲われた被害者たちのからだについていたものと、恐らくおなじものでした。
    つまりじぶんはもうとっくに、この吸血鬼から血を抜かれているのです。けれどじぶんはまだ生きている、すなわち吸血鬼に襲われても運よく生き延びた生還者であり、吸血鬼がまた血を欲するときまでに逃げだせば、おうちに帰ることが可能。少女はそう思い、希望を見いだしていました。

    「あなた、名前は?」

    質問を無視して吸血鬼の機嫌を損ねるわけにはいきません。答えなければ、と少女は口を開きました。

    「……ふ、フラン…ドール」
    「フランドール?」

    ぴくりと、吸血鬼の眉が動きます。

    「ファミリーネームは?」
    「あ…ありません。わたし、家族…いなくて」
    「そう。なら、私の妹になればいいわ」

    吸血鬼の思わぬひとことに、少女は耳を疑いました。目をぱちくりさせている少女に向かって、吸血鬼はにっこり微笑みかけます。

    「今日からあなたは、フランドール・スカーレット。私の可愛い妹よ」


            *


    少女の部屋には時計も窓もなかったため、知りたいときに時間を知る術がありませんでした。
    けれど吸血鬼が毎日きっかりおなじ時刻に食事やお菓子を届けてくるので、時間の感覚が狂うことはありませんでした。扉は厚く重く、少女ひとりのちからではぴくりとも動きません。そんな扉を毎回片手で軽々と開いてやって来るのですから、どんなに華奢なからだをしていようとそこはやはり吸血鬼、人間離れした腕力を持っているようでした。
    食事にしてもお菓子にしても、吸血鬼は決まってふたりぶんの量を運んできました。はじめはベッドの上にトレイを置いていたのですが、ある日思いついたようにちいさなテーブルとちいさな椅子を持ってきて、以来そこに座って食事をとるようになりました。吸血鬼は人間しかたべないと噂に聞いていましたが、決してそんなことはなく、少女とおなじパンやシチュー、ケーキやクッキーを美味しそうにたべていました。
    吸血鬼は思いのほかお喋り好きでした。じぶんについては多くを語らないものの、少女のことは興味深そうになんでも質問してきました。

    「それで、フランドールは何色がすきなの?」
    「白……ええ、白がすきです」
    「敬語は使わないようにって、何度言ったらわかるのかしら」
    「あ…、ごめんなさい、お姉さま」
    「まあいいわ、徐々に慣れていってくれれば。それにしても、白ね、なるほど」
    「お姉さまは何色がすきなん……すきなのかしら?」
    「紅よ。紅がこの世でいちばん美しい色だもの」

    この紅茶はぜんぜん紅くないけれどね、と、ミルクティーをくちに含みながらわらう吸血鬼。普段はすました顔をしているけれど、こんな場面でわらうときには、あどけなさの残る笑顔を見せてきます。

    そうして毎日会話しているうち、少女のこころから、恐怖はどんどん薄れていきました。むしろ、吸血鬼との会話をたのしめるようにさえなりました。けれどまだ警戒心は解いていませんでしたし、元いた家に帰りたい、という意志も捨ててはいませんでした。

    赤ん坊の頃に家族を失った少女にとって、幼い頃からいっしょに暮らしていた老夫婦は、血のつながりなど全くない赤の他人でした。まだ幼い少女をあくせく働かせるような、冷めたこころを持った老夫婦でしたが、それでもその夫婦がじぶんを拾ってくれたおかげで、いままで生き抜くことができたのです。
    晴れてこの部屋から解放され、元いた村に帰ることができたなら、いままで姿を消していたぶん、たくさんたくさん働こう。働くのは大変だけれど、同時に生きているという実感を得られるから。ふつうの人間としての生活に、はやく戻りたいと、少女は内心思っていました。

    けれどその願望は、すぐに崩れ去ってしまいました。

    「ほんとうに綺麗な髪を持っているのね、フランドールは」

   少女の髪を丁寧に梳かしながら吸血鬼が言うので、お姉さまの髪だってとてもきれいよ、と少女は返します。

    「ありがとう。でもね、私の髪はくるくるしていて、結ったりするのが難しいの。その点あなたはストレートだから、アレンジしやすくて羨ましいわ」

    ほら出来た、と手を離し、少女の正面へ回りこむ吸血鬼。

    「まあ、すごく可愛いわよ! 紅いリボンで結んでみただけなのに」
    「そうなの?」
    「ええ、とっても素敵。私もお揃いの髪型にしたいけれど、これはちょっと無理そうね」
    「じぶんでは見えないからわからないわ。お姉さま、鏡を持っていないかしら?」
    「あらフランドール、なにを言っているの。鏡なんか見たって意味がないでしょう」
    「え?」

    そのときようやく、少女は思い出しました。
    むかし、なにかの本で読んだことがあったのです。吸血鬼に血を吸われた人間の末路は、二通りしかない、と。
    血を抜かれすぎてそのまま死んでしまうか、あるいは。

    「"私たち"のからだは、鏡には映らないのよ」


    みずからも吸血鬼となり、数百年の時を生き続けるかの、どちらかしかなかったのです。


            *


    時間の感覚も、体内時計も狂ってはいません。からだが不調を訴えることもなく、少女は常に健康でした。
    けれど、数年経っても、数十年経ってもなにも変わらないじぶんのからだを、少女は不気味なものとしか思っていませんでした。正確にどれくらいの年月が経ったのかは、数えていないのでわかりません。しかし育ての親である老夫婦はとっくに亡くなっているでしょうし、じぶんが攫われた何年もあとに生まれた子どもたちですら、すっかり老けこんでいる頃でしょう。

    初めの数年間はたのしく思えた吸血鬼とのお喋りも、今では吸血鬼のほうが一方的に話しかけてくるだけになっていました。少女からはすっかり笑顔が消え、無気力になっていました。じぶんはこの部屋から二度と出ることなく、あと何百年もこうして生き続けなければならないのだと、少女は諦めきっていました。

    そんなある日のことです。少女がベッドの上でぼうっとしていると、物音が聞こえました。特に気にもせずそのまま座っていると、今度はもう少しおおきな音が。こんこん、とノックするような音が、扉の外から聞こえてきたのです。
    この扉がノックされたことなど、今まで一度もありませんでした。吸血鬼はいつも、フラン、入るわよ、とひと声かけてから部屋に入ってくるのです。
    ならば、たった今無言で扉を叩いたのは、いったい誰だというのでしょうか。
    考えていると、扉がゆっくりと開きました。

    「……やけに重い扉ね。魔法を使わなければ開けられなかったわ」

    現れたのは、見たことのない、紫色の長い髪をしたおんなのこでした。

    「正面玄関もそうだったし、このお屋敷にあるどこの扉もこんな感じなのかしら。せめて図書室くらいは直して貰……いえ、また軟弱者と馬鹿にされそうだからやめておきましょう」

    おんなのこが小指を動かすと、扉は自動的に閉まりました。吸血鬼は毎日嫌というほど見てきましたが、魔女なんてものを実際に見るのは、これがはじめてです。
    最近ろくに口を開いていなかった少女ですが、このおんなのこについては疑問が湧いてきたため、いくつか質問してみることにしました。

    「あなたはだれ?」
    「私? 私は見ての通り、魔女よ」
    「お姉さまとはどういう関係?」
    「友人、かしら。ここには沢山の本があるから住み着いていたの、そしたらいつの間にか、あの子が話しかけてくるようになった」
    「住みつく? いつから?」
    「ほんの十数年前よ。あなたと直接話すのは今日で初めてね、そういえば」

    小声で、早口で、時折咳きこみながら話す魔女の言葉は、注意深く聞いていないと上手く聞き取れませんでした。

    「その紅い眼、本当にあの子とそっくりね。生まれつきのものではないんだろうけれど。羽根はまだ生えていないの?」
    「羽根……?」
    「あの子の背中には生えているでしょう? 黒くて立派な羽根が」

    そういえば、たしかに。
    気にしたことはありませんでしたが、おなじ吸血鬼なのに、少女の背にはなぜか羽根が生えていません。

    「色々な吸血鬼を見てきたけれど、あの子みたいに黒い羽根を持った者が圧倒的に多いみたいね。元人間の、後天的な吸血鬼だと、生えてくる羽根の色や形に精神状態が現れることがあるって聞いたことがあるわ」
    「精神状態……」
    「そう。あなたにはどんな羽根が生えてくるのか、楽しみね」

    言うだけ言うと、魔女は抱えていた本を開いて、読みはじめました。どうしてここで読むの? と尋ねると、あの子が出掛けている間あなたの子守りを頼まれたのよ、との答えが返ってきます。

    その日から、吸血鬼はたびたび、外へ出かけるようになりました。今までも、食糧を調達するために時折外出していたのでしょうけれど、毎日のように出掛けては魔女に留守を預けるようになったのです。魔女は魔女で、話したいことがあるときは一気に捲し立てるくせに、それ以外の時間は黙って本を読んでいるだけでした。

    「お姉さまは、何のために夜な夜な出掛けているのかしら」

    ある夜、少女がつぶやくと、本から目線を離さないまま魔女は言いました。

    「家来が欲しいって言っていたわ、護衛役にね」
    「護衛? 誰の?」
    「あなたのよ。あなたまさか、あの子が何の理由もなくあなたをこの部屋に閉じ込めているんだと思っていたの?」
    「私が逃げ出さないために、でしょう?」
    「あのね、あの子は運命を操るのよ。あの子曰く、あなたがここから逃げられる運命などもう存在しない。だからわざわざ閉じ込める必要性なんてないの」
    「だったらどうして……」

    そのとき、魔女はじぶんのくちびるの前で、そっとひとさし指を立てました。
    静かに、という意味なのでしょう。少女は口をつぐみます。

    耳を澄ませてみると、どこか遠くのほうで、誰かが走っているような足音が聞こえてきました。
    少女が攫われてきた日、ここはおおきなお屋敷で、ひとりぽっちで住んでいたのだと吸血鬼から聞いていました。その吸血鬼が外出している今、この建物のなかにいるのは、じぶんと目の前にいる魔女だけのはず。ならばあれは、いったい誰の足音なのでしょうか。

    「あれはね、退治屋よ」

    扉に、いえ、恐らくその向こう側に目を遣りながら、魔女は言います。

    「吸血鬼ハンター。奴らは対吸血鬼用に特化された妖怪退治屋なの。独自の戦法やら武器やらを持っている上、組織で動いているから、なかなか手強いみたいよ」
    「そんなひとたちが、いつも屋敷内をうろついているの?」
    「あの子が派手に動き過ぎたから棲み家がばれちゃったのね。門番も居ないし、奴らなら楽に侵入出来るわよ。あの子はとんでもなく強いから鉢合わせても問題ないけれど、あなたみたいな新米吸血鬼だったら、何も分からないうちに仕留められてしまうでしょうね」
    「もしかして、私が外に出してもらえなかったのは……」

    ようやく気づいたの? と、ふたたび本に視線を落とす魔女。

    「だからあの子は、探しているのよ。あなたを部屋の外に出しても安心していられるような、信頼の置ける護衛役をね」


            *


    いったいどんなに真面目で忠実な護衛役がやって来るのかと思っていましたが、吸血鬼が自信満々に連れてきたのは、少し抜けた印象のおんなのひとでした。
    よろしくお願いします! というあかるい声が、廊下に響きわたります。そのひとに会釈しながらも、少女はきょろきょろと、はじめて見る部屋の外の景色に興味を示していました。

    「フランドールさまは、部屋の外に出るのがはじめてなんでしたっけ?」

    おんなのひとは、隣に立っている吸血鬼や魔女とは違い、とても人間的なわらいかたをするひとでした。人間なのかな、とはじめは思いましたが、どうやられっきとした妖怪のようです。

    「ええ、そうだけど……」
    「なら私と一緒に、まずは屋敷内をひととおり歩き回ってみましょう。私も今日足を踏み入れたばかりで、この屋敷のことをよく知らないのです」

    少女専属の守衛となったそのひとは、少女の手を引きながら、長い廊下を歩きはじめました。気をつけてね、とだけ告げて、手をふり見送る吸血鬼たち。

    廊下には窓がなく、外の景色を見ることは叶いませんでした。代わりにいくつもの扉が延々と続いています。これらの扉の向こうにはじぶんのいた部屋と同じような空間が広がっているのか、それともじぶんの部屋だけが特別広いのか……逆に狭いのか。気になりましたが、守衛の歩調が早く、扉を開けてみることがなかなかできませんでした。

    「ち、ちょっと、そんなに速足でどこまで行く気?」

    息を荒げて尋ねると、守衛は立ち止まらずに振り向きました。

    「どこまでって? ……あ、特に考えてなかったです」
    「屋敷内を一周するにしても、こんな広いようじゃあ、かなり時間がかかるでしょう」
    「そうですねー……そういえば、フランドールさまはあまり体力がないんでしたよね。そこ忘れてました」
    「そうよ、だから目的地もなく歩き回るのはやめて。疲れるでしょう!」

    少女はそう叫びながら、じぶんもこの数十年でずいぶんと口がわるくなったなあ、と内心驚いていました。育ての親からどんなに小言を食らおうと、なにひとつ口ごたえしなかったじぶんなのです。
    こんなところにずっと閉じこめられているストレスが原因なのか、もしくは年をとったからなのか。どちらにせよ、すべてはあの吸血鬼のせいなのだ、と少女は思いました。

    うーん、と考えこんでから、じゃあこうしましょう! と言いだす守衛。

    「今日はとりあえず、体力づくりということで。ウォーキングと致しましょう!」

    なぜかたのしそうに、さらに速い歩調で歩きはじめる守衛。待ってよ、せめてもっとゆっくり歩きましょう! という少女の声も、どうやら聞こえていないようです。

    厄介な護衛役がやって来てしまったなあ、と、少女はため息をつきました。


            *


    計画性なし、猪突猛進なその性格は少女とどうにも合わなかったものの、護衛役としてはたしかに頼もしいひとでした。
    毎日少女を部屋から出しては、廊下を歩き回るのですが、侵入者が襲ってきたことに少女が気づく前に、いつも相手を瞬殺してしまうのです。瞬殺といっても、いのちまで奪うわけではありません。武器を使わず、体術だけで相手を気絶させるのです。そしてそのあとは、そのままそこに放っておくのです。

    「数時間後には目が覚めるでしょうから、これでいいのですよ」

    ぱんぱんと服をはたきながら、守衛は言います。

    「まあ、その前にお嬢さまに見つかってしまったなら、話は別ですが」
    「お姉さまはきっと、ほんとうにころしてしまうでしょうからね」
    「フランドールさまの前では、そんなことしないと思いますよ」
    「どうして?」
    「あのこには決して血を見せることのないように、と。私はそう命じられていますし、そもそも一滴の血も流さずに退治屋を蹴散らすことが出来るから、数多くの護衛役候補のなかから、私が選ばれたのだと聞いています」
    「お姉さまは私に、血を見せたくないってこと?」
    「そうです。出来ることなら私も、あまり血は見たくないですしね」

    にっこりとわらう守衛。この屋敷のなかでは浮くほどにあかるい笑顔が、少女の目の前でぱっとかがやきます。
    そして、ほら歩きましょう、と守衛がふたたび手をさしのべてきた、

    その瞬間でした。

    差しだされた手がぐいっと斜め下にずれたかと思うと、守衛はそのまま、少女の真横に倒れこんできます。

    なにがあったのか咄嗟に理解できず、少女はひとみをまんまるくして、うつぶせに倒れている守衛を見下ろします。どうやら気絶しているようで、名前を呼んでも返事がありません。

    少女は恐る恐る、前を見ました。

    マスクで顔を覆っている、黒い服を着たハンターが、少女にナイフを突きつけていました。

    「……最期に、神に祈る時間を与えてやろうと思ったけれど」

    ナイフの先端がぎらりと不気味にひかります。

    「あなたたちは悪魔ですもの。祈るどころか、最期の最後まで、神を冒涜するのでしょうね」
    「あ、あくま……?」
    「私は悪を排除する者。正義のために、消えてもらうわ」

    ハンターは顔色ひとつ変えずにそう言うと、ぐっ、と少女の喉笛にナイフを近づけます。
    少女は声も出せずにめを閉じました。

    ああ、じぶんはこれからしぬんだな、と。
    真っ白になりそうなあたまでそう考えながら……

    「…………、?」

    いつまで経ってもナイフの感触がないので、少女は恐る恐るまぶたを開きます。
    ハンターはなおもナイフを向けてきていましたが、その顔は、なにか疑問でもあるかのような複雑な表情をうかべていました。

    「あなた。……死が怖いの?」

    少女は精いっぱいうなずきました。

    「そう。……変わった吸血鬼ね。今まで倒してきた吸血鬼はみな、死を恐れてはいなかったわ」
    「し…、しぬのはだれだってこわいでしょう?」
    「特にこの屋敷に住まう吸血鬼は、かれこれ千年近く生きていると聞いていたから。死を前にしたところで、こんなに情けない顔をするなんて思わなかったんだけれど」
    「……千年?」
    「それにしても、不思議ね。あなたと対峙するのは初めてのはずなのに、その顔、どこかで見たような……」

    そこまで言うと、ハンターは唐突にめを見開きました。

    そして少女の手をとると、なぜかそのままその場から走り去ります。なにがなんだかわからないまま、少女はただついてゆくだけしかできませんでした。

    いまじぶんたちがいた場所を振り返ると、そこにはいつのまにか、あの吸血鬼が立っていました。
    しかし、様子がおかしいのです。
    右手を前に突きだし、一点を見つめたまま、まるで銅像のようにぴくりとも動かないのです。

    ますますわけがわからなくなった少女は、混乱しながらも、ハンターといっしょに走りつづけました。
    守衛のおかげで最近すこしずつ体力がついてきていたものの、いつもより速いスピードで走ったため、数分ほどですぐに息をきらしてしまいます。

    限界がきたところで、少女は立ち止まり、ハンターの手から離れそのまま倒れこんでしまいました。
    おどろいた様子で振り返るハンター。

    「……え? まさか疲れたの? この程度で?」

    信じられない、といった顔をしています。

    「だ…って、仕方…ないでしょう。わたし、体力…な……」
    「そういえばさっき、黒い羽根を持った吸血鬼がいたみたいだけれど。もしかして、千年を生きたというこの館の主は、貴方じゃなくて彼女なのかしら?」
    「……よく、わからない…けど。ちがうと……おもう、わ」
    「? そうなの?」

    少女は十数秒程度の間をおいて、そのあいだに息を整えました。吸血鬼の癖にへんなの、とでも言いたげな目線を浴びながら。

    「ふぅ、よし……回復」
    「さっきの吸血鬼が主でないとしたら、この館の主はどこにいるっていうの?」
    「いえ、その…館の主っていうのは、お姉さ……さっきの吸血鬼のはずだけれど。たぶん」
    「たぶんって……。でも、さっきは違うと思うって言っていたじゃないの」
    「それは、なんというか。このお屋敷の主は、たしかにあの吸血鬼で正しいんだけれど、あなたの言っている"主"とは別物な気がして……」
    「どういう意味?」

    ハンターは眉をひそめて聞いてきます。

    少女が引っかかったのは、ハンターの口にしていた「千年」という単語でした。
    吸血鬼は何百年もゆうに生き永らえるものだと聞いていますから、特に強力な吸血鬼ともあれば、千年以上を生きていてもたしかにおかしくはありません。けれど、あの、少女が姉と呼んでいるあの吸血鬼は、まだそこまで年をくっていないはずなのです。

    「あの吸血鬼が千年もの歳月を生きているわけがない、と?……そんなわけないわ。この館に棲まう吸血鬼は、千年以上前から、この辺りの人間…特に若い娘を捕らえては、喰らうことで有名なのよ。そういう記述が残っているもの」
    「でもそうなると、お姉さ…あの吸血鬼の話と、辻褄が合わなくなってしまうわ。その記述とやらが間違っているんじゃなくて?」
    「それは絶対にあり得ない。黒い羽根を持った吸血鬼、名前は……」

    ハンターは、千年以上生きているというこの館の主である、吸血鬼の名を口にしました。
    そこで少女は、初めて気づきます。今まで気にせず過ごしていたのが信じられないほど初歩的なことを、彼女が未だ知らずにいたということを。

    もう何十年も、お姉さまと呼び共に暮らし続けているあの吸血鬼の名を、少女は知らずにいたのです。
    知っているのは、スカーレット、というファミリーネームだけで。

    「……。それが、このお屋敷の主の名前なの?」
    「え?まさか知らなかったの?」
    「考えたこともなかったわ。そういえばわたし、魔女や守衛たちの名前も聞いたことなかった」
    「……そう。……ああ、思い出したわ。あなたは確か、数十年前にここの吸血鬼に攫われた被害者のひとり、フランドールね?どうりで見覚えがあると思った」

    ハンターは懐から小さな冊子を取り出し、ぱらぱらとめくっていきました。

    「まさか生きていたとはね……。しかも、完全に吸血鬼にされてしまっているようだし」
    「あなたは元人間のわたしをもころすの?」

    尋ねる声が震えます。
    吸血鬼としての生活を始めてからというもの、価値観がふつうの人間のそれと大分ずれてしまっていた少女でしたが、死に対する恐れはまだ持っているようでした。

    「そうね、……何十人もの吸血鬼を退治してきた私だから判るけれど、あなたはさほど有害な吸血鬼でもなさそうだし。殺さずにいても良い気がしてきたわ」
    「気がしてきた、って……そんな適当な」
    「でも、この館の主は。あの吸血鬼は駄目ね。人に害為す存在は駆除しなければ」

    ハンターの右脚に仕込まれたナイフたちが、ぎらりと鋭くひかります。

    このハンターは、一体どれほどのちからを持っているのでしょうか。あの強い守衛すら一瞬でのしてしまうほどですから、かなりの手練れなのでしょう。けれど、あの吸血鬼を倒せるほどの力量を持ち合わせているのかはわかりません。このままいけば返り討ちにあい、ハンターがころされてしまうかもしれない、と少女は考えました。

    止めようか、と少女は思いました。このハンターを説得して、あの吸血鬼と対峙させる運命を回避させようか、と。しかし、開きかけたくちをすぐに閉ざしてしまいます。

    遠くのほうから、足音が聞こえてきたからです。
    かつん、かつんと、わざとらしく響き渡る音が。

    運命を操る吸血鬼から、逃れる運命を選ぶことなど、到底不可能だったのです。

    「……来たわね」

    ハンターは顔を上げ、何本ものナイフを右手に握り締めていました。
    その緊張した面持ちとは対照的に、気怠そうな表情を浮かべた吸血鬼が、ふたりの前に現れます。

    「まったく、あの守衛も役に立たないわね。こんな人間ごときにやられてしまうだなんて」

    腕を組みながら、吸血鬼は言います。

    「とにかく。あなた、面倒だからさっさと出て行って頂戴」
    「そういうわけにはいかないわ。あなたを退治するまではね」
    「はあ……どうしてこう、面倒事が絶えないのかしら。フランドールの前でこういう輩に出くわすだなんて、今日は特に運が悪いわね。血を出させずに人間を倒すのって、すこしだけれど骨が折れるのよ」

    呑気にため息をつく吸血鬼。
    黙って攻撃の機会を伺うハンター。

    と、少女がひとつ瞬きをした瞬間に、ハンターがじぶんの目の前から消えていました。
    どこにいったのだろうと探してみると、いつの間にか、吸血鬼の背後にいたのです。

    いくら高速で動けるとしたって、たった一秒ほどであの距離を移動するなんて、少女には信じられませんでした。
    まるで手品のようでした。

    ハンターがナイフを吸血鬼の喉にあてがった刹那、吸血鬼は逃げも隠れもしませんでした。
    ハンターに背を向けたまま、ナイフを持つ手の手首をきゅっと握りしめ、そして。

    ハンターは、ぱたりとその場に倒れこみます。

    一瞬の出来事でした。


            *


    吸血鬼に捕らえられたハンターは、手枷と足枷をつけられた状態で、部屋に隔離されることになりました。
    このまま放置して衰弱死させてもいいんだけれどね、と言いながらも、吸血鬼は彼女に食事を与え続けました。手首や足首につけられた枷も、鎖の部分がとても長く、室内なら自由に歩き回れる程度のものでした。
    守衛に扉の外を見張らせつつ、少女はよく彼女の部屋へ遊びにいくようになりました。「私が新しい名を与えたから、あのハンターの運命も変わった。フランやわたしに害を与えることはもう出来ないはずよ」と吸血鬼も言っていたので、少女は安心して彼女に接することができました。

    「咲夜。あそびに来たわよ」
    「ああ、こんばんはフラン。……その呼び名、なんだかまだ慣れないわ」
    「元の名前で呼んだほうがいい?」
    「別にいいわよ。吸血鬼ハンターにとって、名前なんて、あって無いようなものだったから」

    咲夜という名を与えられたハンターは、色々なことを話してくれました。
    ここ数十年で、人間の歴史がどう動いていたのか。ハンターとして一人前になるまで、じぶんがどれほど苦労してきたのか。今までどんな人間や吸血鬼に出会い、どんな経験を積んできたのか……。

    どれも興味深い話題ばかりで、彼女の話を聞くことが、少女の日々のたのしみになっていました。特に、彼女が時間を操る能力を手に入れるまでの経緯はとても面白いものでした。おやつをふたりで分け合いながら、お喋りし合う時間はとても速く感じるものです。

    「あら、もうこんな時間」

    首から下げた懐中時計に目を遣りながら咲夜は言います。

    「何時?」
    「18時。そろそろあの吸血鬼も起きてくる時間じゃないかしら」
    「ああ、もうそんなに経ったのね。たのしい時間は速く過ぎてしまうものね」
    「そろそろ戻ったほうがいいわ、フラン。また"お姉さま"の機嫌を損ねるかもしれないわよ」

    吸血鬼は、少女が咲夜と親しくすることに不満を持っているようでした。つい先日も、あまり通いすぎないようにと注意されたばかりなのです。

    残念だわ、と思いつつも、じゃあまた明日ね、と言い残し立ち退く少女。外で待っていた守衛に「おまたせ」と声をかけます。

    「ありがとうね、いつもいつも」
    「そんな、とんでもないです。フランドールさまを外敵から守るのが、私の役目なんですから」
    「今日は何人倒したの?」
    「五人ですね。最近、侵入してくる吸血鬼ハンターが多くなってきているような気がします。一層身を引き締めないといけませんね」

    宙に向かって、脚を素早く蹴り上げるようなそぶりを見せる守衛。この守衛は、いつも明るく元気そうな様子です。

    「でも、咲夜さん、でしたっけ。あの人には負けてしまいましたからね。あんなに強いハンターが大量に来られては、私も流石にお手上げですが……」
    「咲夜はちからもあるし、物知りだし。人間離れした能力も持っていて、すごいわよね」
    「だからこそ、彼女はころされずにいるんですよ。機会をみてこの館の使用人兼用心棒にしようと、お嬢さまはお考えになっているみたいです」

    それを聞いて、少女の顔がぱっと明るくかがやきました。

    もしも咲夜がこの館の使用人になれば、今よりももっと多くの時間を過ごせる。たくさんの話を聞くことができる。少女にとっては、それがとても楽しみで、とても嬉しかったのでした。

    と、そんなことを思っていたとき、少女は守衛の腕に傷があるのを見つけました。剣で斬られたのでしょうか、ちいさいけれども深そうな傷でした。

    そして、そこから見える紅い血を覗き込んだ瞬間に。
    少女は、全身がざわっと震えるような感覚に陥りました。

    「? どうかしましたか、フランドールさま?」

    守衛が不思議そうな顔で尋ねてくるので、なんでもないわ、と少女は返しました。
    差し出された手を握り、いつものように手を繋ぐこともしようとせず、守衛に背を向け歩き始めます。

    吸血鬼が少女に血を見せようとしなかったわけが、解ったような気がして。
    少女は途端に、じぶんが恐ろしくなったのでした。


            *


    その日を境に、少女はじぶんの部屋へ引き篭もるようになりました。
    あのときのように、また少しでも紅い血を見てしまったなら、今度は平静でいられないだろうと思ったのです。吸血鬼としての本能を抑えきれず、守衛や、昨夜や、魔女を襲ってしまうかもしれない。そう考えると、じぶんがとても怖かったのです。

    しかし、吸血鬼とは今まで通り、ふつうに接することができました。吸血鬼同士で血を吸うことはあまりないから、なのかもしれません。
    引き篭もり続ける少女の元へ、吸血鬼は毎晩やって来ました。

    「どういう心境の変化なのかは知らないけれど。こうして妹を独り占めできるのは、嬉しいものね」

    少女の悩みをよそに、吸血鬼は愉快そうに笑います。

    「何かにつけて咲夜、咲夜。あなた、ずっとそればっかりだったでしょう。姉である私よりも、あの人間にばかりかまけて」
    「咲夜はいろいろなことをお話してくれるのよ。すごく物知りなの」
    「物知りなら、うちの館にも元々いたじゃない。図書館に篭りっきりだけれど」
    「あの魔女は、声もちいさいし早口だからなにを言っているかわからないわ。知識があっても、人に伝えられなきゃ意味ないわ」
    「あら、手厳しいのね。ふふ」

    吸血鬼のほほが緩みます。
    少女とこうして会話しているときの吸血鬼は、いつも楽しそうでした。

    しかし、楽しいティータイムも、少女の一言で崩れ去ってしまいます。

    「そういえば、咲夜が言っていたんだけれど。お姉さまの名前って、とてもきれいな名前なのね」

    紅茶を飲んでいた吸血鬼の動作がぴたりと止まります。

    「………。私の名前?」
    「ええ。珍しくはあるけれど、すごくきれいな響きよね。ほんとうにすてきな名前、ブ……」
    「違う!」

    大きな音が、部屋じゅうに響き渡ります。
    それは吸血鬼がじぶんのティーカップを、床に落とした音でした。中に入っていた紅い液体が白い床を濡らしていきます。なぜいきなり大声で怒鳴られたのか理解できず、少女は目をぱちくりさせました。

    「……違う。違うわフランドール、それは違う。私の、名前じゃない……」

    吸血鬼は肩を震わせながらつぶやきます。
    その紅いひとみは、焦点が合っておらず、虚空に話しかけているようにも見えました。

    「お、お姉さま……?」
    「違う、違う。その名前は私じゃない、私は……スカーレット。私は……」

    全身が小刻みに震えだした吸血鬼に、少女はぎゅっと抱きつきました。何が起こっているのか全くわかりませんでしたが、無意識のうちに、そうするべきだと判断したのです。吸血鬼は呼吸を荒げながらも、力なく少女を抱きしめ返してきました。

    「……フラン。フランドール……」
    「わたしはここよ、お姉さま。だいじょうぶよ、落ち着いて……」
    「フラン。……違うの。私の名前は、そうじゃない。私の本当の名前は……」

    抱きしめていたからだを、吸血鬼はそっと離します。そして、じぶんの額をこつん、と、少女の額にぶつけました。

    「……教えてあげるわ、フランドール。とうの昔に決められていた、"私たち"の運命を……」

    少女の視界が、突然ぐにゃりと歪みました。そして濁流のように駆け巡る極彩色のなにかが、少女に向かってやってきます。

    その濁流が、少女の胸を突き抜けたとき。
    少女は、それが、吸血鬼の記憶だということを知ります。

    頭のなかに直接流れ込んできた吸血鬼の記憶は、今から数百年前、彼女がまだ幼かった頃からのものでした……。






    人間としてこの世に生を受けた彼女には、生まれながらにして父親がいませんでした。
    代わりに、彼女の家にはよくおとこのひとがやって来ていました。母親はそのひとと仲を深めていき、正式な夫婦となりました。その直後に母親が身篭った子供が生まれてきたとき、彼女はひとりっ子から姉となったのでした。
    父親が別の部族出身の異邦人だったということもあり、生まれてきた子供は、とても珍しい顔立ちをしていました。肌は極端に白く、髪は金色で、父親似の器量良し。誰からも愛されていたそんな妹が、彼女にとっては誇りでした。
    しかし、妹が生まれてすこし経つと、義父は忽然と姿を消してしまいました。まだ幼かった彼女には詳しいことがわかりませんでしたが、母親は悲しみに暮れ、毎日毎日泣いていました。娘たちの世話はするものの、それ以外のことは殆どせず、ぼうっと壁を見つめながら過ごす日々が続きました。
    そんな母親を、彼女はある日散歩に誘いました。少しでも気分を紛らわせてあげようと考えた結果でした。母親は虚ろなひとみのまま頷き、服を着替えて外に出ました。
    そしてその夕方、悲劇が起こります。
    妹を抱きかかえ歩いていた母親が、吸血鬼に襲われてしまったのです。一瞬のことでした。大量に血を抜かれた母親はその場に倒れこみます。しんでいることは、いくら幼い彼女でもよくわかりました。
    彼女は叫びながら逃げようとしました。無我夢中でした。しかし背後からからだを持ち上げられ、そのまま、吸血鬼の棲み家へと連れ去られてしまいます。
   とても中性的な格好をしていたため、彼女はその吸血鬼の性別を判断できませんでした。吸血鬼はブルーと名乗り、彼女の名前を聞いてきました。彼女が正直に名乗ると、ブルーはこう言いました。
    「ファミリーネームは無いの?」
    首を縦に振る彼女。
    「そう。……それでは、私と同じ、スカーレットというファミリーネームを与えましょう。君は今日から、私の娘だ」
    その日から、彼女とブルーの、奇妙な共同生活が始まりました。
    危険だからと、彼女は密室に隔離されていましたが、ブルーが毎日頻繁にやって来てくれたおかげで、退屈はしませんでした。ブルーはなかなかの話し上手で、彼女は毎度話に引き込まれてしまっていました。母親の仇であるはずのブルーを、なぜか彼女は、受け入れることができたのでした。
    彼女にはやがて羽根が生え、立派な吸血鬼となりました。しかし、彼女の成長と反比例するかのように、ブルーの身体は弱まっていきました。彼女が密室から出られるようになった頃には、ブルーは歩くこともできない状態になっていました。
    そして、最期の日が訪れました。身体の半分が灰と化し、生命力を失いつつあるその紅いひとみが、彼女を捉え微笑みます。本当の娘のように可愛がっていた彼女のちいさな手を、ちから無い両手で握りながら、ブルーは静かに、逝きました。
    ブルーがしんでしまってから、彼女はブルーがじぶんを家族として迎えた訳を、ようやく悟ることとなりました。その理由はとても単純、淋しいからです。ブルーがいなくなってからというもの、彼女は胸がからっぽになったような感覚のまま時を過ごしていました。
    それから数ヶ月経った頃、彼女は思いつくのです。ブルーがじぶんを攫って来たように、じぶんも誰かを攫ってしまおうと。誰でもいいという訳ではありません。じぶんの家族として迎えるに相応しい、妹のように可愛がれる娘を……。
    そこで、彼女はひらめきました。
    じぶんには、元々妹がいたのです。
    その妹を連れて来てしまうのが、いちばんいいのではないかと。
    彼女はすぐに行動に移しました。じぶんが生まれ育ってきた村へと駆り出し、妹の面影が少しでも見られる娘を認めては、捉えて名を尋ねるのです。しかし、妹の名を名乗る娘はなかなか現れませんでした。そのたび彼女は哀しみに暮れ、娘の血を吸い気を紛らわせていました。血の味は好きではありませんでしたが、それほどまでに、彼女は妹を見つけたくって仕方が無かったのです。
    そして彼女は、ついに見つけます。数年前に生き別れてしまった妹の名……フランドールという名を持つ、幼くも美しい少女に。
    彼女はすぐに、少女の身体を吸血鬼のそれにしてしまいました。これでもう、淋しくない。たったひとりの私の妹、フランドールがついているから……。






    少女の視界がうっすらぼやけ、やがて現実の風景へと戻ってゆきます。
    目の前には、あの吸血鬼。少女が生き別れた実の姉、レミリア・スカーレット。

    混沌とした記憶から開放された少女は、ぼうっと天井を眺めました。
    やがてその背から、ばきばきと何かが生えてきます。それは、あまりにも鋭い水晶のかたちをした、極彩色の羽根でした……。


            *


    とてつもない破裂音で、咲夜は眠りから目覚めました。

    何事かと思い部屋の扉を開けようとしますが、足枷が邪魔で扉のもとまで辿り着けません。壁を叩きながら、咲夜は叫びました。

    「フランドール、……フランドール!ねえ、何かあったの?」

    しかし返事は返ってきません。それでも咲夜は、叫び続けました。

    「今の音はなに?ねえ、フランドール!」

    すると、ぎいい、と鈍い音を立てながら、重い扉が開きます。
    その瞬間、咲夜は驚きのあまり目を見開きました。

    「……そ、…その格好はなに?フランドール……」

    そこに立っていたのは、赤黒い血で服を染めた、フランドールでした。
    その背には、様々な色をした水晶をぶら下げた、羽根のようなものが。

    フランドールは答えずに、ただ微笑んでいるだけでした。
   その微笑みが何を意味しているのか、咲夜には解りませんでした。

    「……繰り返すのよ。ブルーがお姉さまにしたことを、お姉さまがわたしにしたことを、わたしもいつか、繰り返す」

    フランドールはにっこり笑って話しはじめます。

    「淋しさは連鎖する。……ならね、わたしがその連鎖を断ち切るわ。ぜんぶ、ぜんぶリセットする。ぜんぶ壊してゼロにする」
    「? 一体何を……」
    「ねえ、咲夜。あなたと過ごしたほんの少しの期間、わたしはほんとうにたのしかったのよ。あなたはまるで、わたしを救いにやって来たナイトみたいだった。……でも、だからこそ、危ない。このままじゃあわたしは、あなたの運命をも狂わせてしまう……」

    フランドールのからだから漂う血のにおいが、一体誰のものであったのか。訊きたくても、訊けませんでした。

    「だからね、わたし、考えたの。ぜんぶ壊して、わたしたちの現実も、壊しちゃえばいいんだって。そうすれば、夢のなかだけで生きられるでしょう?」
    「フランドール……?」
    「今からわたしは、現実を破壊する。残るのは、しあわせな夢だけ。どんな夢がいいかしら……そうね、こんなのはどう?お姉さまとわたしが仲良く暮らしていて、たまに図書館から魔女も顔を出してきて。明るくて元気な守衛兼門番もいて、専属の使用人である咲夜が、毎晩紅茶を淹れてくれるの。ああ、素敵、とっても素敵な夢だわ……」

    フランドールは、あどけなさの残るその顔で、じっと咲夜を見つめます。

    そして、その手を開いてゆっくり伸ばして。

    「じゃあ、また夢のなかで会いましょう。ばいばい、咲夜」

    右手をきゅっと、握りしめました。












   その夜お嬢様に読み聞かせたのは、古典的な御伽噺でした。

    お姫様が魔王に連れ去られ、お城に監禁されてしまい。やがて魔王の友人である魔女や、魔王が雇った守衛がお城に住み着くようになりましたが、彼女たちが姫を助けてくれることなど、到底あるはずもなく。哀しみに暮れた姫の元に、勇敢な騎士が訪れます。

    騎士はとても果敢なひとでした。しかし、圧倒的なちからを持つ魔王のもとに、なす術もなく敗北してしまいます。騎士はそのまま魔王のお城に捕らえられ、そして……

    「あら?」

    ページを捲っていたメイドさんの手が止まります。

    「申し訳ございません、お嬢様。この絵本、最後の数ページが破れて読めなくなっていますわ」
    「あら、それは残念ね。ならば、続きは夢のなかでみることにするわ」
    「あら、ずるいですわお嬢様。私もこの物語の続き、知りたいですのに」

    では、今朝はこの絵本を枕の下に敷いて眠ることとしましょう。
    そう言って、メイドさんはぱたりと絵本を閉じ、じぶんのベッドへ潜り込みます。

    本を枕元に敷いたことによる、微妙な寝心地の悪さが。
    深い眠りから遠ざける代わりに、夢の世界へと彼女を誘います。

    これは、その朝メイドさんがみた、悪夢と呼ぶにはあまりにリアリティの欠けた夢のおはなし。
こんにちは、めりえるらんどです。

描写不足でじぶんでももやっとしたため、UPしようか迷っていた代物です。
ほのぼのとした紅魔館もだいすきなのですが、こんな紅魔館もありかなあ、って。

現実はとうに破壊されたもので、現実だと思っていたものが、創られたゆめだとしたら。
それは、しあわせなことなのでしょうか。
めりえるらんど
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コメント



0.330簡易評価
6.100名前が無い程度の能力削除
私的にはレミリアを殺したフランの心理はちょっと理解できなかったけど、すっごく素敵。
こーゆの好きです。読めてよかった。
7.90奇声を発する程度の能力削除
この雰囲気は良いですね
10.90名前が無い程度の能力削除
少し混乱したけど面白かったです
12.100名前が無い程度の能力削除
現実だと思っていた「現実」は既に誰かの夢で。
なら、夢だと気が付いたとき。

どうなるのでしょうね。
少しばかり読み辛い個所がありましたが
内容は興味が持てたので楽しく読めました