Coolier - 新生・東方創想話

十四・六光年の天体観測

2010/08/24 23:13:12
最終更新
サイズ
9.26KB
ページ数
1
閲覧数
963
評価数
8/20
POINT
1210
Rate
11.76

分類タグ



 雨が、降って来た。 
 嫌な雲が出てきたなと思えば、ぽつりぽついりと、弱々しい霧雨は、いつの間にか大粒の豪雨となって、地表に降り始めた。夏とはいえ、こんな真夜中に水を被れば、風邪くらい引く。私は、用意していた機材を手早く仕舞い、どこか雨宿りが出来る場所を探した。夜の草原。不気味に並ぶ杉林の手前。そこに、人の気の無い小さな小屋がある。一先ず、そこに避難することにした。
 小屋は廃屋だった。あちらこちらに蜘蛛の巣が巣食い、窓の割れた室内は、すっかり風化して、荒れ放題の様相となっている。……気味が悪い。私は、そんな室内の様子を眺めながら、軒下の僅かなスペースに陣をとった。廃屋とはいえ、さすがに堂々と中に入るのは躊躇われる――……いや。それはただの言い訳だ。私は、まだ諦め切れていなかったのだ。
 霊夢は、あいつは結局来なかった。こんな雨だ。来ない方が正解に違いない。
 だが、私は、やはり待つ事を止めれずに居た。背負っていたリュックを下ろし、その中に手を入れると、一枚の写真がある。若い少女が二人。お互い、もう少女と呼べる歳はとうに過ぎてしまったが、私の中の霊夢は、いつもこの霊夢のままだった。
 十四年。私と霊夢が、あの寂れた神社で馬鹿話をしていた頃から、もう十四年以上の月日が流れた。時間の経過は様々な変化を与えていく。霊夢にも、全く会っていない訳では無い。立派な神主様になった霊夢も知っているし、その霊夢が見習い巫女の指導をしている事も知っている。ただ、私はまだ、それを上手く認識出来ずにいた。時間の流れに置いて行かれような。私が今も思い出すのは、まだ頼りなかった霊夢の横顔だった。
 雨音が酷くなった。腕時計を見ると、針は午前二時を差している。屋根の向こうを覗くと、空は暗く、深く、星は何処にも見えなかった。






「ねぇ、織姫星ってどれのこと?」
 柔らかい、どこか抜けたような霊夢の声だった。私は、その声が嫌いでは無かった。
「違う違う。それじゃない。もっと高いところ――あれが織姫星。んで、天の川の反対側の岸にいるのが彦星だ」
 私は、まだ頼りなかった霊夢の手を取り、月の沈んだ夜空に手をかざした。織姫と彦星は、天の川を挟んだ両岸にある。私の説明に、霊夢は暫く困った様に宙を眺めていたが、ようやく理解したのか、ああと頷き納得の意を表した。
「へえ、さすがに詳しいじゃん」
「まあな。一応、星に関しちゃプロだ。星の魔法使いと呼んでくれ。ついでに言うと、彦星のアルタイルと織姫のベガ、そんでもう一つ白鳥座のデネブを結ぶと、大きな三角形が出きる。夏の大三角だ。聞いたことくらいあるだろう」
 宙に大きな三角形を描く。流れる指の動きを、霊夢は、小さな子供の様に繁々と眺めていた。
「……デネブって、何?」
「ベガとアルタイルの間にある星さ。ほら天の川の中州の方にある、そう、あの星のことだ」
 再び、霊夢の腕を持ってデネブの位置を示す。しかし霊夢は、それがどれなのか、イマイチ分っていない風だ。どれもこれも同じに見える。八の字眉毛は、そう悠然と物語っている。しかし、そうこうすると、霊夢は、若干トーンを間違えた声で了解を示す。……絶対分かってない。この分じゃ、織姫も彦星も危ういかもしれない。
「織姫様と彦星様は三角関係だったんだ……」
「言われてみるとそうだな」
「修羅場?」
「かもな。まあ、問答はいいから、取り敢えず仰向けになれよ。星が一番よく見える方法さ」
 私はそう言って、その場に倒れ込むように横になった。これがいい。持ってきた望遠鏡には悪いが、これが正しい天体観測だ。そうして、そのまま星を眺めるていると、向こうの杉林の隙間を抜けて、冷たい夜風が髪を撫でた。乱れた金髪が舞う。目と口と。ついでに鼻と。くすぐったくなって、私はクシャミをした。それに笑う霊夢を見ると、霊夢は霊夢で、まるで明後日の方角を眺めながら、必死にデネブを探していた。ついに何か見つけたのか口元が笑ったが、残念。デネブはそこに無い。
 また、少し風が吹いた。今度は弱い風だった。その風を起こした霊夢は、私の隣で、同じように仰向けになって星を見ている。二人の眺める夜空は、まるで吸い込まれるように蒼く、散らばる無数の星々たちが、少しだけ眩しかった。
「綺麗ね」
「そうだな」
 町中から遠く離れた山の奥。わざわざこんな場所まで来て正解だった。人の灯りがある場所じゃあ、こうはいかないだろう。
 綺麗だった。この夜空の中で、数えきれない星が生まれ、輝き、そして消える。とても綺麗で、眩しくて。それは泣きたくなる様な夜空だった。
「……なあ。霊夢知ってるか、織姫から彦星までの距離。十四・六光年だ。この世で最も速い光の早さでも、それだけの年月が掛かるんだ。織姫も彦星も、七夕のたった一日与えられたくらいじゃ、会えやしないんだよ」
 ついこの前だ。裏通りの古本屋、立ち読みしたカビ臭い革表紙の本に、そんな事が書かれてあった。
 ――遠い。そう思った。しかし考えてみれば当然のことだ。なのに私は、その距離を知って、二人の絶望を思って、とても悲しくなったのだ。
「天帝様もひでーことするよな。絶対に会わせる気なんか無いんだよ。光速で一四年と半分。互いが同時に出発したとても七年と少し。絶望的な距離だ」
 だから悲しいのだろうか。遠いから悲しいのか。願いが叶わないから悲しいのか。しかし、そのどれとも違う気がした。
「……へぇ、そうなんだ。そんなに離れている風には見えないけどなぁ」
「そりゃあな。地球から織姫星までは二十五光年、彦星だって十七光年離れているんだ。確かに地球から見れば、ただの一日の間かもしれない。だけど、実際はとんでもない距離が間にあるんだ」
 離れていればどうなるのだろう? 離れていればどうなるのだろう? 
 私はその答えを知っていた。知りすぎるほど知っていて、嫌と言うほど思い知って、知っているから怖かった。
「……もう、忘れちまうよな」
 距離は。時間は。人間の頭は、それに対応出来る様に作られちゃいない。だから忘れる。思い出は劣化する。愛情は薄れてゆく。実の娘だった者でさえ、日常から外れた途端、過去の存在になる。実の親でさえ、自分の価値観から外れてしまえば、「だった」の存在になる。それが現実。どうしようもない程、自然な現実。私も霊夢も、誰もその現実から逃れられやしない。
 ……天の川だ。まるで天の川だった。幾千、幾万、数え切れないほどの時間が流れる大河だった。織姫だろうが彦星だろうが、一度離れてしまえば、渡って行くには遠過ぎた。
「でもさ。案外二人は寂しくないのかもよ?」
 霊夢の声だった。今まで私の話を聞いていたのか居ないのか、ぽかんと星を眺めていた霊夢は、呟くようにそう言った。
「だってほら。地球からでもこんなに綺麗に見えるんだもん。二人とも、お互いのこと良く見えてるんじゃないかな」
「……」
「だから二人は全然寂しくなんか無いんだよ。うん。そうだよ。きっとそうだよ」
 その頃の霊夢は本当に頼りなかった。言っている事は出鱈目ばかり、次の日には平気で違う事を話していた。縁側に座ってお茶ばっかり呑んで、そうやってぼけっとしてばかりいるから。お気楽で能天気で、ちゃんと考えているのか考えていないのか、それすらよく分からなかった。
「大切な思い出は、ずっと無くならないよ」
 だからそれは安っぽくて、頼りなくて、そんな霊夢の言葉だから、そんな風に思っていたから、
「……そんなに、簡単な話じゃないさ」
 後になって後悔する羽目になるんだ。
 





 ……危うく首から落ちそうになって、私の意識は覚醒した。少し呆けていたようだ。目を擦ると、視界に映る雨は次第に弱まっていき、雨の向こうに杉林が浮かんで見えた。しかし、ざあざあという雨音で、私の耳は馬鹿になったらしく、入ってくる音は酷く不自然に聞こえる。

『星を見に行こう』

 手紙には、それだけ書いた。名前も、場所も、何も書かなかった。或いは、書けなかった。
 私はその手紙を、社務所の机の上に投げてきた。神社は相変わらずシンとして、ただ、境内の裏で箒の掃く音が聞こえていたから、誰かしら居たのだろう。もしかしたら霊夢だったのかもしれない。だけど私は会わなかった。誰にも会わない様に、逃げるようにしてその場を去った。
 時の流れは果てしなく残酷で、私は何時しか臆病になっていた。世間を知れば知る程、自分の小ささを思い知った。考えれば考える程、私の口は重くなった。ただ会いたい。その一言でさえ、私はついに言えなくなった。
 慌ただしく毎日を過ごしていた。その日その日に追われて、何時の間にか私は、霊夢と疎遠になっていた。会おうと思えば会えない事も無かった。ただ、会いに行くだけの理由も無い。些細な事だと思っていた。そうして気付いた時には、もう言葉が見つからない。話したい事は山ほどあるのに、何と言えば良いのか分からない。私たちはもう、過去の、「だった」の存在になっていた。
 だから、最後にもう一度だけ賭けてみた。今更なのは分かっている。こんな私が何を言うかと思われるかもしれない。でも、それ以外に思いつかなかった。今度はちゃんと信じるから、もう一度だけあの言葉が聞きたかった。
 でも、霊夢は来なかった。当然だった。全部私がしてきたこと。何もかも遅過ぎたんだ。
 ずっとずっと探していた。たった一つのものを。ずっとずっと探し続けていた。私は、私の思う中にこそ、私の探しているものはあると思っていた。魔法使い。魔法研究。その中に、このままずっと真っ直ぐ進んで行けば、私はそれを手に入れられると思っていた。
 でも違った。そこには何も無かった。私が本当に欲しかったものは、目に見えるものじゃ無かった。私がずっと欲しかったものは、もう既に手に入れていた。大切なものは、あまりにも近くにあった。近くにあり過ぎて、気付かなかったんだ。
 雨が晴れた。ただの通り雨だったのか、今では雲の隙間から夜空の星々が窺えた。月は無い。ぬるい夜風が抜けると、私の髪はばたばたと暴れまわった。
 ――さあ、そろそろ始めようか。私の、私だけの天体観測を。
 馬鹿かもしれない。間抜けだったかもしれない。手遅れなのも知っている。だけど、せめて嘘にはしたくなかった。私が恋焦がれるあの日々は、確かに私の中にあったのだと。私はその中で、精一杯駆けて来たのだと。それだけは認めてやりたかった。
 後悔してばかりだった。いつも後悔していた。家を出た。一人になって、魔法使いを目指した。そうして夢を叶えたけど、私が本当に欲しかったものは、既に失っていた。本当、後悔してばかりだ。でも、あいつに会えたのは、あいつと友達になれた事は、ずっとずっと忘れない。今ならそう思える。少なくとも、この事だけは後悔しなくても良い。なら、十分だった。
 雲が完全に晴れ、満点の夜空が姿を露わした。織姫も彦星も、二人の距離は微塵も変わる事無く、私をただ見降ろしている。天の川が、相変わらず二人の間を隔てている。でも、今なら正面から見据える事が出来ると思った。
 望遠鏡の準備をしていると、どこか遠くで水溜りが跳ねる音がした。耳を澄ますと、ずぶずぶと重そうな足音が近づいて来ている。胸の鼓動がどんどん速くなっていった。
「――魔理沙っ」
 声が聞こえた。
 その時にはもう、私は駆け出していた。

読了ありがとうございます。

因みに大筋のネタはバンプのあの曲です。
みすゞ
http://
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.520簡易評価
2.80玖爾削除
この切なさは好きだなあ。
惜しむらくは、元ネタ(?)が分からないために最後のシーンが投げっぱなしに見えてしまったことでしょうか。
それを抜きにしても良い雰囲気。
5.90タカハウス削除
この物語のあとは、きっと読者の脳内で想像しろと。
そういうことですよね?という訳で脳内妄想で補完します。
それはさておき、この霊夢のロマンチストさと、魔理沙の現実さがこう、丁度いい2人の間柄みたいですよね。
原作でも霊夢は勘で、魔理沙はちゃんとした思考ですし。
それが2人を丁度いいバランスにしているのだと。
良いお話をありがとうございます。
6.100名前が無い程度の能力削除
なるほど。やはりあの曲ですか。
うん、こういう感じの好きです。
疎遠になってしまった二人だけど、天体観測を終えたあとにはきっと…。
10.100名前が無い程度の能力削除
あの曲ですかー
11.50名前が無い程度の能力削除
どういうふうに疎遠なのかもうちょっと描写してほしかった、魔理沙側。
慌しく日々を過ごしてた、だけだとちょっと実感が。
魔理沙なら魔法使い続けてるなら普通に神社にお茶シバキにいってそうなので。
14.100名前が無い程度の能力削除
コメントなんて何を書いていいのか、いけないのか判らないので、いつもは簡易匿名評価ですませているのですが、私にとってこれはとても良い作品でしたから、五十点では足りなかったのです。
15.100山の賢者削除
遅ればせながらの評価。
あるよなあ、こういうの。
いくら同じ学校で親しくとも、卒業しちまえば朱に交わり赤の他人ってのは身近に感じるところです。
二人の願いが同じでよかった。
17.70ガニメデ削除
魔理沙の独白が自身に重なれば、熱い感情が伝わってくるのでしょうね。
色々と過去の話になっていますが、まだ間に合うはずです。
14年以上ということは、話の魔理沙は大体30歳未満でしょうか。
最後だなどと言うには早すぎる年齢です。
まだいくらでも輝けるはず。
これはたぶん、話のテーマとは重ならない感想だと思いますが……。