Coolier - 新生・東方創想話

向日葵畑

2011/03/07 20:52:13
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 それはある夏の日のこと。

 上白沢慧音は、時を待たずして襲いかかる圧倒的な力の具現へ臨むにあたり、どうすれば彼らを逃がすことが出来るかだけを考えていた。
 思えば、それは必然だったのかもしれない。
 だとすれば、それは思慮が浅かった彼女のミスだろう。

「けーねせんせー…」
 子供達の不安そうな声。
 慧音は何も言ってはいなかったが、彼女の変化を敏感に感じ取ったのだろう。中にはすでに泣きだしそうな子もいた。
 ――大丈夫だ。
 根拠を持たせることはできなかったが、せめて少しでも安心させられればと口にしようとした、瞬間だった。

「御機嫌よう」

 ぞくりと悪寒が走る。
 声は真後ろから聞こえてきた。
 恐る恐る――わざわざ確かめたりせずとも、声の正体は始めからわかっていたが――振り返ると、そこには日傘を差した緑髪の女性が薄い笑みを浮かべて佇んでいた。
 ――風見幽香。
 四季のフラワーマスターの2つ名を持つ彼女が、この辺り一帯の向日葵畑を一人で管理していることはあまりにも有名だった。
 有名にもなるだろう。知らなければ命に関わるのだから。
「今日はいい天気ね」
 日傘をわずかに下ろし、幽香が空を見上げる。
 正確には首だけ上に傾けながら、両の双眸でひたりと慧音を睨みつけている。
「こんな天気のいい日に命を奪われるなんて――可哀想だわ」
「待ってくれ、この子達は――」
「勘違いしないで」
 笑みが深まる。
「人間の生き死にに興味はないわ。可哀想なのは、この子達」
 幽香の視線の先には、広大な向日葵畑が広がっている。
 それはつまり、人間の生死などより植物の方が重要だということだ。
 しかしそれに対して慧音は異論を述べる気にならなかった。慧音の感性はコミュニケーションの中に属しているからこそ生まれてくるものだ、最初から孤独の中に身を置く妖怪とは根本的に考え方が異なる。彼女の言葉が目の前の妖怪に届くことは決してない。
 この妖怪にしてみれば、人間など葉を食い散らかす害虫以下の存在に過ぎないのだから。
 それを理解してなお、慧音は引こうとはしない。
「ねえ、そこの貴女」
 幽香のその言葉は、しかし慧音に向けられたものではない。
 彼女の視線は一人の幼い少女に対して向けられていた。
「……う」
 自分が声をかけられたことは理解できたのだろう。
 しかし幽香から放たれる悪意をどう受け止めたらいいのかわからず、薄く涙を浮かべながら幽香と慧音を何度も見比べている。
 周りの子供達もその悪意には気づいているようで、茶化すどころか身じろぎ一つしない。
「貴女が手に持っている、その向日葵」
 言われ、少女は抱えていた向日葵をさらにぎゅっと抱きしめる。
 その光景を慧音は苦々しい表情で見つめている。
 ――注意は、していたのだ。
 ここに来る前から、決して道や畑に咲いている植物を抜いてはならないと話をしていた。
 また普段からイタズラ好きの少年に関しては常にその動向に気をつけ、植物を傷つけるような真似をしないよう言い聞かせていた。

 しかしまさか、普段大人しい最年少の少女がこちらの目の届かない時を見計らって向日葵を引き抜いてしまうとは思わなかった。

 こちらの意図がうまく伝わっていなかったのかもしれない。
 すべては、もう取り返しのつかないことだ。
 この辺りの向日葵畑は常に花妖精が監視していて、向日葵に害が加われば即座に幽香のところに報せが届くと噂に聞いたことがある。まさかこんな形でそれを確かめる羽目になるとは思わなかった。
 慧音が一人胸中で臍を噛む間にも、幽香の言葉は続く。
「その向日葵の声、聞こえる?」
「ひまわりの……こえ?」
 幽香が笑顔を浮かべてうなずく。
「植物もね、話が出来るのよ。あなた達人間には聞こえないかもしれないけどね」
 少女が思わず向日葵を見上げる。無論、その向日葵から声が聞こえてくることはない。
「その向日葵、泣いてるわよ。痛いって、みんなのところに帰りたいって」
 声の端々から漏れる悪辣なトーンに、少女が体を小さく震わせる。
 とっさに、慧音は叫んでいた。
「もう…もうやめてあげてくれ!」
 幽香の視線が慧音に移る。もう彼女は笑っていない。
「すべては私の責任なんだ! 責めるなら私を責めてくれ!」
「貴女に話はしてないわ。肥料になりたいの?」
 慧音の体を何かが刺し貫いた。
 それが殺気だと気づいた瞬間、全身に鳥肌が立った。
「それで気が晴れるなら構わない! だから子供達のことは許してやってくれ!」
 その言葉に、幽香はしばし黙考してから。
「………………そうね」
 ぱちん、と日傘を閉じる。
「この向日葵畑は私の領域。それを知りながらなおこの地を踏み荒らした罪は、ただ無知であることよりも重いわ。
 ――聞きましょうか。何故、わざわざこの向日葵畑を訪れたの?」
「それは……」
 慧音は言いかけて、しかしやめる。
 その所作に幽香の表情に苛立ちが混じる。
「理由がないとでも? それは私に対する挑戦?」
「……そうだな。理由らしい理由なんてない」
「それなら――」

「ただ、この向日葵畑は幻想郷のどこよりも美しいと聞いていたから、子供達に見せてやりたいと思っただけだ」

 初めて、わずかだが幽香の表情に驚きの色が混じった。
 幽香は慧音を見遣り、次に向日葵畑を振り返った後、もう一度慧音に視線を移した。
 しばらくして、ぽつりと、
「……命乞いとは、受け取らないわ」
 言って、再び日傘を差した。
「そこの貴女」
 少女の体がびくんと跳ねる。
「……う」
「何故、向日葵を摘もうと思ったの? そこの先生から、植物を傷つけないように言われていたはずでしょう。最低限の約束も守れないの?」
 今度は言葉の中に露骨な悪意が籠められていた。
 しかし慧音も何も言い返せない。それは彼女自身思っていたことでもあるからだ。
 少女は決して聞きわけの悪い子ではない。
 面白半分で慧音の言い付けを破るような真似をするとは思えなかった。
 だが、しかし。
 少女は幽香を見据え、向日葵を見上げ、何かを飲み込むようにぐっと歯を食いしばった後、

「……おにいちゃんに、みせるの」

 そうつぶやいた瞬間、少女の瞳から一滴の涙が零れた。

 そこでようやく、慧音は少女の想いを悟った。
 少女には5つ上の兄がいる。いや――兄が、いた。
 慧音もよく知っている子だった。

 ――思いもよらなかったのだ。
 少女が3歳の頃に先立った実の兄のことを、未だにちゃんと覚えていたなんて。

「…………罰は、私が受けよう」
 慧音は少女を抱きしめた。
「どんな罰でも甘んじて受ける。だから――この子だけは」
 我知らず、その頬には涙が伝っていた。溢れ、伝い、地面を濡らしても、その涙が止まることはなかった。
 その一部始終を、幽香は無表情で眺めていた。
 しかししばらくして、
「…………そう、あなたがそう言うなら」
「え?」
 慧音が見上げると、幽香はすでに踵を返していた。
 その背中から声が投げられる。
「言ったでしょう、植物も話が出来ると。つまり植物にも意思があるのよ。
 自ら赴くことを望む者を、引きとめる権利は私にないわ」
 そして少女の方を振り向くと、
「その向日葵、大事にしなさい」
「…………うん」
 少女はまだ涙が残る瞳で、それでもはっきりとうなずいた。

 ――こうして村里の一角に植えられた一輪の向日葵は。
 不思議と夏が終わり、秋彼岸の明けの頃合いを迎えるまで、大輪の花を咲かせ続けたという。
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コメント



0.1450簡易評価
3.90奇声を発する程度の能力削除
優しいなぁ
4.70名前が無い程度の能力削除
無駄なくまとまっていて読みやすかったです。
5.50鈍狐削除
いい話なのですが、いかんせん短すぎる印象です。
起承転結の「起」で終わってしまっているような、そんな感じです。
10.80名前が無い程度の能力削除
全ての物語に起承転結がなければいけないわけではない
しかし、この作品は大きく見れば起だけで終わってるように見えますが、ちゃんと起承転結がありますね
幽香が現れる起
理由を迫られる承
そして少女の転
幽香が許す結

〆のまとまりかたも良かったです
12.70名前が無い程度の能力削除
絵本のような優しい話でした。
14.80とーなす削除
短いですが、余韻を残させる感じが良かったです。
21.100名前が無い程度の能力削除
俺は好きだぜ。こういうの。