Coolier - 新生・東方創想話

ゆめまぼろしのLoveless

2010/02/08 05:14:50
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 彼女の耳に届いたのは、空気の破裂に良く似た、「パンッ」という乾いた音だった。



 閑散とした室内に、弾けた音が解けて消える。
 屋敷の主の趣味なのか、それともさしたる意味はないのか、広く洒落た室内で二人の少女が立ち尽くしていた。

 一人は金紗の髪をポニーテールと、雪のような色白の肌。白をイメージできる衣服に身を包み、背には純白の翼。
 もう一人はメイド服に身を包み、金の髪は少し眺めのショートヘア、顔立ちは翼の少女とそっくりで、血の繋がりを強く認識させる。
 翼の少女は幻月、メイド服の少女は夢月。二人は正真正銘、双子の姉妹であった。

 突然のことに、呆然とする。
 頬が熱を持ったようにヒリヒリとして、ソレはやがて痛みとなって自己主張を繰り返す。
 無意識のうちにか、痛みを伴った頬に手をやって、何度も何度も確認するように指でなぞる。
 それで、ようやく幻月は自身が頬をはたかれたのだと理解した。

 「なんで?」「どうして?」そんな言葉がぐるぐると頭を巡って、答えの出ない自問を繰り返す。
 長い時間を生きていた彼女にも、こんなことは初めてだった。
 だから、何を言葉にすれば良いのか、なんと反応すれば良いのか、ソレがわからない。

 ああ、いや。わからないなんてことは、ないはずだ。
 やるべきことはきっと、とっくにわかっているはずなのに、彼女の口は凍りついたように動いてくれなかった。
 ソレはもしかしたら、目尻に涙を浮かべて彼女を睨み付ける妹の姿が、ソレほどまでに信じられなかったからなのか。

 「姉さんの馬鹿ッ! 大嫌いッ!!」

 あらん限りに叫ばれた激情の言葉は、彼女の耳に荒波のように打ち付けられる。
 言葉の一つ一つが心を打つ刃となり、言葉に込められた感情がぎりぎりと心を締め上げていく。
 初めて泣かれた。初めて叩かれた。初めて―――大嫌いだと拒絶された。

 踵を返して走り去っていく妹を止めようと、伸ばされた腕が空を切る。
 「待って!」と言葉にすることも出来ぬまま、妹はドアを壊しそうな勢いで開けて飛び出していった。
 キィキィとドアの軋む音が酷く間抜けで、彼女はただ呆然と立ち尽くす。



 まるで胸に穴が開いてしまったかのような虚無感。浮かぶ感情が、その穴から流れ出ていくかのような錯覚。
 そんな彼女の耳に、妹の拒絶の言葉がいつまでも残り続けていた。






 ▼―――――――――▼

 ゆめまぼろしのLoveless

 ▲―――――――――▲






 真っ青な空はまるで天井のようだと、ぼんやりと思考しながらただただ見上げ続ける。
 白い雲が泳ぐように流れていくのは中々壮観なもので、嫌な気持ちも少しはやわらいでくれた。
 ソレが一時のものであったとしても、気が紛れてくれるならそれでいい。

 ざぁっと、風が吹く。
 若草の香りが風に運ばれ、太陽の日差しがソレを一層引き立たせる。
 たまにはこうやって寝転がって、ぼんやりと空を眺めているのも悪くない。

 太陽の畑と呼ばれるくらいの場所なのだから、きっとこの場所が最も太陽の恩恵を受けられる場所なのだろう。
 だからこそ、夏にはこの場に大量の向日葵が咲き乱れるのだ。
 もっとも、今はまだ春と呼ぶにはまだ早い時期。多くの向日葵は芽を出すこともなく土の下。
 今の彼らは我慢の時期であるのだ。この場の太陽光は、少なくとも幻月の独り占めだ。

 そんな幻月を覗き込むように、ひとつの人影が現れる。
 深い緑のセミロング、赤い瞳が呆れたように寝転がる少女を覗き込み、そして小さくため息をついた。
 大きな日傘をくるくる回してゆっくりとかがむと、ピンッと幻月にデコピンをひとつ。

 「ここで何やってるのよ、幻月。あなたがここにいるなんて珍しいわね」

 日傘の少女―――風見幽香は本当に物珍しそうな声で、寝転がる友人の頬をつんつんとつつく。
 ソレに抵抗するでも、ましてや不機嫌になることもなく、ただぼんやりと幻月は幽香を見上げ続けている。
 その様子に、幽香は盛大なため息をひとついた。

 「で、なんかあったの? いつもは夢幻館から出てこないアンタが、なんだって太陽の畑にいるのよ。花見なら時期違いよ」
 「んー、ちょっと色々あってさ」

 どこか元気のない友人の言葉に、幽香はまたひとつため息をつく。
 何があったのかは知らないが、こんなにも無気力な幻月を幽香はかつてみたことがない。
 いつも朗らかで明るくて、あらゆる意味で子供のような性格をしているのが幻月という少女だ。
 陽気で気分屋、子供特有の残酷性。見た目こそ天使のような姿であるが、その実は親の腹の中に道徳という二文字を綺麗さっぱり忘れてきたクリーチャーである。

 そんな少女が普段とは違い憂鬱になっているのだ。
 「憂鬱? 何ソレおいしいの?」とか本気で言いかねないあの幻月が、である。
 コレは想像以上に根が深いらしい。そんなことを思いながら、幽香はニィッといつもの笑みを浮かべると友人に言葉を紡いでいく。 

 「ほら、とっとと言いなさい。あんたがそんなんだと、私の可愛い可愛い向日葵達が花を咲かせなくなってしまうわ」

 ほれほれと口にしながら、ぷにぷにと頬をつつく。
 少し華奢なイメージの外見である幻月だが、頬をつついてやるとコレが意外に気持ちがいい。
 マシュマロでもつついているような、奇妙な心地よさに気を良くした幽香は、ぷにぷにと指で頬をつつき続ける。

 むーっと、上目遣いに恨めしそうな視線を向けてくるが、幽香はそんな友人の視線など何処吹く風だ。
 もうそろそろ我慢できなくなったのか、むくっと幻月が体を起こして重々しくため息をつく。
 そんな彼女を見て、幽香は心底満足げな笑みを浮かべるのみ。
 幻月はしばらく恨み言のひとつでも紡ごうとして、言ってもしょうがないと思ったのかもう一度ため息をついた。

 「夢月にさ、大嫌いって言われちゃった」
 「……は?」

 ポツリと紡がれた言葉に、幽香が間の抜けた声を上げてぽかーんと硬直する。
 驚いた。何に驚いたって、口では色々言うがお姉ちゃん大好きな夢月がそんなことを言ったことにも驚くけれど。
 ソレに何より、その妹の一言に幻月がここまで落ち込むという事実に、意外すぎて驚いてしまった。

 「なによ、その反応」
 「別に。貴女にも人並みの感覚があったのだと驚いてるところよ」

 「ひどいなぁ」と力なく笑う幻月をみて、あぁ、コレは重症だと幽香は悟る。
 彼女とは非常に長い縁で、言ってしまえば腐れ縁といってもいい。その長い間に、彼女のこのような表情はとんと見た覚えがない。
 幻月も幻月で、妹にはとことん甘い。その上、妹にべったりでどっちが姉なんだかわからないこともしばしばだ。
 そんな幻月が、妹から直々に「大嫌い」である。彼女の様子を見るに、よっぽどその一言は堪えたのだろう。普段の明るさは微塵も感じられない。

 ここまで聞いてしまえば、後は放っておくという選択肢はなくなった。
 何処とも知らぬ他人なら「あとはがんばれ」などと、無責任な一言を残して立ち去っていただろうが、幻月は幽香にとって大事な親友である。
 力になれるかどうかは微妙なところだが、それでも相談に乗るくらいは出来ると思う。
 つんっと、彼女の額を軽くこついた幽香は、苦笑を零して言葉を紡ぐ。

 「話しなさいよ幻月、あんた達姉妹に何があったのか。私でよければ相談に乗るわ」
 「うわ、幽香が珍しく優しい。明日は雨かな」
 「明日は雨で結構よ。アンタが落ち込んでるだけで明日は槍が降るわね」

 そんな言葉を交し合って、お互いに可笑しくなって苦笑した。
 ソレで少しは気が紛れたのだろう。ようやく、いつもの友人らしい笑顔が戻ってきたのをみて、幽香は内心でほっと一息つく。
 底抜けに明るい友人が落ち込んでると、こっちも調子なんかでやしないのだ。とっとと元の幻月に戻ってもらわなきゃ困る。

 くしゃくしゃと、不器用に幻月の頭を撫でてやる。
 何分、こういうことは初めてで勝手がよくわからなかったが、それでも友人は目を細めて心地良さそうにしていたから、まぁいいかと撫で続けた。
 えぇい、嬉しそうに羽をパタパタと動かしおってからに。可愛いじゃないのコイツ! と内心幽香もご満悦だったが。

 「ほら、とっとと話しなさい。私の気はそんなに長くないわよ」
 「……うん、ありがとう幽香」

 とにもかくにも、このままじゃ話は進まない。もうちょっと頭を撫でてやっててもいいのだが、いつまでも問題が解決しないのはいただけない。
 ここら辺が潮時だろうと話を促せば、彼女は少し悲しそうな笑みを浮かべて礼を言う。



 そうして、彼女はぽつぽつと語り始めた。
 事の始まりは一週間前、幻月が妹の奇妙な変化に気付いたころから、話は語られる。



 ▼



 ここ最近、夢月の様子がおかしい。しかし、それはよく見ないとわからないほどの変化でしかなかったから、夢幻館の住人は気がつかなかっただろう。
 本来、幽香の従者であるエリーやくるみにはやっぱりわからなかったようで、幻月のその言葉に彼女たちは首を傾げるしかない。
 やはり、長い時間を共にすごした姉妹だったからなのか、幻月の目には妹の些細な変化が妙に気になった。

 具体的に言えば、何処か嬉しそうなのだ。
 妙にウキウキしているというか、まるで遠足を待ち望むの子供のよう。
 数日後に楽しい出来事が控えていて、ソレが訪れるのが待ち遠しい、そんな表情だ。

 加えて、ここ最近の妹は外出することが多くなった。
 いつもは夢幻館で半ば趣味とかした家事に大忙しの彼女が、毎日一度は外出して、そのたびに嬉しそうな表情を覗かせていたのを幻月は知っている。
 そのことをさり気なく聞いてみたのだけれど、夢月はうまくはぐらかして答えてはくれない。



 それで、妹に男が出来たのではないかなんて、そんな予感が脳裏をよぎった。



 そんな馬鹿なって、最初は自分の予感を笑い飛ばした。
 けれど、その予感は嫌なほど脳裏にこびりついて、絡みつくように張り付いて離れない。
 私達は二人で一人前。私には夢月が必要で、夢月には私が必要なんだって、半ば意地になってその予感を振り払った。

 けれど、妹は幸せそうに、毎日のように外出を繰り返す。
 時には遅くなることもあって、理由を問いただそうとするのだけれど、その嬉しそうな表情に何もいえなくなる。
 外出の多くなった妹。その理由を隠す妹。そして、外出するたびに、何処か嬉しそうな妹の表情。
 嫌な予感ばかりがどんどん募っていく。日に日に大きくなっていく、見えもしない男の影。

 正直に言ってしまえば―――怖かったのだ。
 いつも一緒にいてくれた妹が、自分の手の届かないところに行ってしまうかもしれない。
 自分の大切な妹が、何処の馬の骨とも知れない誰かの元に行ってしまうかもしれない。
 そんなの嫌だ。夢月は私の、大事な大事な妹なんだと、心が張り裂けそうな悲鳴を繰り返す。

 けれどもと、幻月は思う。

 いつかは、こんな日が訪れるんじゃないかと、心のどこかで思っていた。
 何しろ、夢月は家事の出来ない自分とは大違いの出来た女の子だ。
 掃除も料理も紅茶の入れ方も、何をとっても一流に引けを取らない。
 少し素直じゃない性格だけれど、そこは世間で流行のツンデレというやつだし、顔も可愛らしいタイプの美人だから、もてない方がオカシイのだ。

 妹は、自分とは違う。
 自分のように道徳観念をまるごと置き去りにした破綻者じゃなくて、種族こそ悪魔だけれどそれ以外は普通の女の子なのだ。
 普通に恋をして、普通に誰かを好きになって、普通に誰かと添い遂げる。
 そうなったとき、きっと自分は姉として彼女を祝福して上げなきゃいけないのだ。
 「おめでとう」って、笑顔で彼女の幸せを祝福してあげるのが、きっと妹にとっても一番いい。

 それでも、幻月はそこまで考えて頭をふった。
 そんなことあるはずがないと自分の予感を否定するように、その嫌な予感を胸の内に深く閉じ込めるように。
 何も考えないように、耳を塞ぎ、心の内に鍵をして、そうして一物を抱えたままいつもの「幻月」を続けることしか出来なかった。

 そして、事が起こったのは今朝のこと。
 夢月の部屋に本を借りに訪れたとき、彼女は部屋におらずシンとしたものだ。
 仕方がないと思いつつ、幻月はいつものように妹の部屋で面白そうな書物を物色し始めた。
 その時に、見つけてしまったのだ。
 机の上に置かれた、丁寧に包装されたプレゼントを。

 包装紙に包まれ、リボンで可愛らしく纏められたソレを見て、幻月の胸の内から不安が再燃した。
 塞がれた鍵をこじ開けて、不安と恐怖がぐるぐると脳内を駆け巡る。
 思い出したくなかった。気付きたくなかった。嘘だと言ってほしかった。

 けれど、事実はそこにある。
 どこか待ち遠しそうな妹の顔。いつも楽しそうに外出する妹の姿。そのことを聞いてもはぐらかす妹の言葉。
 そして―――誰かに送られるであろう、丁寧に包装されたプレゼント。
 ここまでご丁寧に証拠がそろってしまえば、いくら子供っぽいと言われる幻月でもわかってしまう。
 けれども、ソレを認めてしまうには幻月の心はまだ大人にはなりきれなくて、それ以上に彼女にとって夢月は何物にも変えがたい宝だった。

 天使のような翼を持って生まれた異端児。
 道徳観念なんて綺麗さっぱり置き去りにして、同じ悪魔どころか実の親にすら疎まれた天使の皮を被った悪魔、ソレが幻月だ。
 そんな彼女にいつも寄り添っていてくれたのは、双子の妹の夢月だ。
 何をするにも二人は一緒だった。どんなときでも二人は一緒で、二人でいれば何も怖くはないと笑いあった。
 「私達は、二人で一人前ね」なんて、そんなことを言ってはお互いに笑い合う。彼女たちなりの信頼の形がそこにあって。
 他には何もいらない。他のものがどんなに壊れても、どんなに離れていっても、夢月さえいてくれれば自分は「幻月」でいられるのだと。

 その彼女がいなくなる。自分の元から離れていってしまう。
 それが怖かった。恐ろしかった。自分の傍に夢月がいなくなるなんて、そんなの考えられない。
 そんなのは嫌だ。誰にも妹はやらない。私から夢月を攫ってしまう奴なんか許さない。夢月は私の大事な大事な―――たった一人の妹なんだから!

 不安と恐怖は、やがて妹を攫おうとする見えない誰かへの憎悪に取って代わる。
 ぐつぐつと恐怖が溶かされて、変わりに燃え上がったのは怒りと憎悪の激情の焔。
 プレゼントを無造作に掴み取る。ソレを感情を隠さぬままに、彼女は目に付いたゴミ箱に叩きつけるように投げ入れて―――。



 ▼



 「それを、夢月に見られたわけだ」

 こくりと、幻月は力なく項垂れたまま肯いた。
 頭痛が襲ってきたのを隠しもしないまま、幽香はこめかみを指でほぐしながら盛大なため息をひとつつく。
 あぁ、珍しく喧嘩したんだと思って聞いてみれば、なんだそのドロドロな喧嘩内容。
 予想以上に重苦しい喧嘩内容に、幽香は内心でややこしさを痛感しながら空を仰ぐ。
 まずい、相談に乗ったのはいいけれど、コレは完璧に自分では役者不足だ。正直、うまい解決方法が見つからなかった。

 「それにしても、夢月に男ねぇ」

 確かに、幻月の話を聞く限りそう考えるのが妥当って言えば妥当なんだろう。
 ただ気になるのは、あの男嫌いの気がある夢月に男って言うのも、正直信じがたいというのも幽香の意見だ。
 しかし、友人の話を聞く限りはそうとしか思えないのもまた事実な訳で。
 ……いけない、慣れないことをしたせいで頭痛が酷くなってきたとため息をひとつ。

 「とにかく、どっちが悪い事をしたかはわかってる?」
 「うん。……私が悪いのよね」
 「その通り。コレで素っ頓狂なことを言ってたら向日葵の養分にしてたわ」

 ポンポンと頭に手を置いて、なるべく優しく言葉を投げかけてやる。
 言葉は酷く物騒だったが、ソレはソレ、風見幽香にとっての性分だ。
 今更この言い回しも変えられるものではないし、幻月もソレがわかってるから「怖いなぁ幽香は」なんて力なく笑った。

 さて、友人の精神状況がこれ以上にないくらいにやばいと再確認した幽香は、どうしたものかと思考をめぐらせる。
 何しろ、内容が内容だ。幻月の予想が大当たりだったのなら、ソレは本来ならば祝福してやるべきことだろう。
 だから、アドバイスをするならば幻月が夢月に謝って、そうして彼女の幸せとやらを祝福してやればいい。
 しかし、今の幻月にソレは酷な話だ。ただでさえその不安に押しつぶされそうになっているというのに、ソレを認めるのはとても難しいこと。
 様々な思いと感情が綯い交ぜになって、思考がうまく纏まってもいないだろう彼女に、ソレを求めるのは酷な話だ。

 ならば、どうしたらいいだろう?
 そう考えたところで、やはり思いついたのは幻月の気持ちの整理をつけさせることだった。
 正直に言えば、こういう悩みに対してもっとも効果的な答えというものが幽香にはわからない。
 だったら、その答えを知っていそうな連中に、そのことを聞けばいい。
 そうして話を聞いていくうちに、彼女の心の整理がついていけば、少しはマシな解決法も見つかるだろう。

 「さて、本来ならアンタは真っ先に夢月に謝りに行くべきなんだけど、まだ気持ちの整理がつかないんでしょ?」
 「……うん」
 「だったら、私以外にももう少し話を聞いてみなさい。私の知り合いに少し相談に乗ってくれそうな奴がいるから、そこでじっくりと考えてみるのね」

 「だからさ」と、ため息をつきながらも幽香は幻月の頭を撫でてやる。
 今にも泣き出しそうな表情の友人の頭を、不器用に、それでも少し気が紛れてやれるように。

 「アンタも、そんな顔をしない。アンタがそんなだと、私のほうも気が滅入っちゃうわ」
 「……うん、ありがとう幽香」
 「ほら、笑えこの馬鹿。しおらしいアンタなんて、不気味に思ってエリーとくるみが竦みあがっちゃうじゃないの」
 「むー、幽香は酷いわ」
 「何言ってんの。酷くない私なんて、ソレこそ天変地異モンでしょうが」

 なんだか自分で言ってて空しくなったが、まぁいいかと幽香は思う。
 こうやって「それもそうだね」なんて友人が笑ってくれるなら、自分の少しの傷心なんて安いもんだ。
 さて、そうとなれば善は急げだ。心当たりは一応あるにはあるが、それで解決するような問題でないのも事実。
 少しでも、友人の気持ちが整理がつくようにと願いながら、幽香は友人の手を取って、太陽の畑を後にする。
 目指すは人里。おそらく、あいつならこの友人にも的確なアドバイスをくれるだろうと、そんなことを思いながら。



 ▼



 人里の寺小屋には、上白沢慧音という人物がいる。
 蒼色のメッシュが入った銀の長髪、瞳は青色で、女性らしいメリハリのついた体つきに白い肌。
 子供達を導く教師という役柄であり、ワーハクタクと呼ばれる半人だ。
 ソレでいて人里の人々からの信頼も厚く、その生真面目で誠実な性格の彼女の元に相談に訪れるものも少なくない。

 幽香が幻月を引き連れ、訪れたのもこの場所だった。
 幸いにも寺小屋は休みのようで子供達の姿はなく、代わりに慧音は子供達に出題する問題の製作中。
 そんな最中に訪れた幽香と、見知らぬ妖怪に目を細めた慧音だったが、「相談したいことがあるの」と一言要件を告げると、彼女は何も言わずに中に通してくれた。
 幽香は堂々と、幻月はというと何処かおどおどと、しかし物珍しそうに中に入って客間に案内される。

 そこで座布団を用意され、慧音が一時退室する。
 二人はその間に用意された座布団に座り、しばらく慧音を待っているとすぐに彼女は戻ってきた。
 お茶と菓子を用意し、綺麗な動作で正座した慧音は、真剣な面持ちで彼女たちに視線を向ける。

 「それで、相談したいこととは?」
 「あぁ、私じゃないわ。相談があるのは私の友人、名前は幻月っていうの」

 そういって幻月を指差した幽香の表情は、いつものようにシレッとしたものだ。
 いつものようににこやかな笑みを崩さぬ幽香とは裏腹に、未だに気持ちの整理がつかない幻月は何処か緊張した面持ちだった。
 その言葉に、意外そうな表情で慧音は目を瞬かせる。

 「……驚いた。友人がいたのか、お前」
 「あら、ソレはどういう意味かしら?」
 「言葉通りの意味だ。普段の行動を考えてみろ、お前の何処に友人の影があるんだか」

 そういわれてしまえば、確かにその通りかと一人ごちる。
 もともと自身に近づくものは限られているし、その内知っているものといえばせいぜい、幻月とも面識のある霊夢と魔理沙ぐらいだろう。
 幽香自身も、自身の友人関係については口にしたことはなかったし、そりゃ驚かれるかと納得した。

 「さて、幻月さん……と言ったかな? 私でよければ相談に乗るし、出来る限り力になろう」
 「えっと、いいの? 迷惑とかじゃない?」
 「寺小屋の教師でもあるが、一応それなりに相談を受ける身でね。私に相談することで、君の問題が解決できるのなら、ソレは私にとっても喜ばしいことだよ」

 「だから遠慮なく話してくれていい」と言葉を続けて、慧音はやわらかい笑顔を幻月に向ける。
 少しだけ、彼女に相談していいものなのかと考え込んで、一度だけ幽香に視線を向けると、彼女は一度だけ肯いてくれた。
 それで決心がついたのだろう。彼女は慧音に向き直ると、ぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。



 一つ一つ、出来るだけわかりやすいように言葉を選びながら、自分の悩みを吐露し続ける。
 その言葉の一つ一つを、真剣な表情で慧音は聞き、肯き、彼女なりに幻月の状況と悩みを噛み砕いて理解しているのだろう。
 幽香は、ただその様子を見守るのみ。緑茶に手を伸ばし、その味を楽しみながら、それでも友人と慧音の様子に注意を払ている。



 そうして、幻月が全てを話し終えたとき、「そうか」と呟いて慧音は静かに目を閉じた。
 もともと説明の余りうまくない幻月は、ちゃんと伝えられただろうかと不安そうに慧音に視線を向ける。
 普段なら、そんなことちっとも思わないだろうに、やっぱり「大嫌い」発言は彼女に相当の痛手を負わせているらしかった。
 傍目から見れば、明らかな自業自得。ソレは、おそらく幻月自身にもわかっていることだろう。

 やがて、慧音が静かに目を開いた。
 その瞳に宿る感情は一体どういう類のものだったのか、生憎と幽香にはわからない。

 「正直、この話に関しては私がしてやれる助言はそう多くない。君には、自分が悪いことをしたという自覚があり、ソレを謝りたいとも思っている。
 けれども、妹が自分の知らない誰かの元に行ってしまうのが嫌で、怖くて、踏ん切りがつかないと」
 「……うん」
 「まったく、まるで年頃の娘を持つ父親だな。違いは娘じゃなく妹ということだが……やはり、これは君自身が自分の気持ちに整理をつけないといけない問題なのだと、私は思う。
 君は、妹のことが大切か? それとも、君の妹が選んだ相手が気に入らないからと、それで妹が悲しい思いをしてもいいのかな?」
 「違うっ!! そうじゃない、そうじゃないの!!」

 少し、意地の悪い質問だったという自覚が、慧音にはあった。
 そうして帰ってきた反応は、慧音が予想していたよりも激しいものだ。
 頭を抱えて屈み込み目を見開いて、何かから逃れるように声を荒げる姿は、どこか異様な空気さえ感じられるほどで。

 「私達はずっと一緒だった。私が一人にならないように、あの子はずっと私の傍にいてくれた!
 こんな忌むべき翼を持った私を、あの子はずっと幻月としてみてくれた! 私のことを愛してくれていた!!
 あの子さえいれば、私はなんだって出来る! あの子さえ傍にいてくれれば、私は何処にだって行ける!
 私は、あの子さえ傍にいれば何もいらない! あの子さえ傍にいれば、私はどんなに壊れたってかまわない!!
 だから、私があの子を幸せにするんだってずっと思ってた!
 でも、でも―――あの子が私の傍を離れてしまうなんて、そんなの嫌だ! 私は、私達は二人で一人前なんだ!! だから、私はッ!!」



 ―――姉さんの馬鹿! 大嫌いッ!!



 あの時の言葉が脳裏をよぎる。それだけで、頭が漂白されたように真っ白になって、世界がガラガラと崩れるような錯角がした。
 本当は、わかってる。ソレが自分のわがままでしかないことに、幻月だって気付いている。

 けれど、怖かったのだ。
 妹に、自分以外の大切な誰かが出来ることが。妹の気持ちが、他の誰かに移ってしまうことが、怖くて怖くて仕方がなかった。
 妹から愛されなくなってしまうなんて、そんなの想像しただけで死んでしまいそうで。彼女から自分への愛がなくなってしまうことが、どんなことよりも恐ろしかった。

 彼女が自分を愛していてくれたから、私はずっと「幻月」でいられた。彼女が自分を愛してくれるなら、自分はいつまでも「幻月」でいられるから。
 みっともない嫉妬だとわかってる。自分のやるべきことも、本当はわかってる。
 でも―――理屈ではわかっていても、心のほうが納得してはくれないのだ。

 一種の狂気にも似た依存。ソレが、幻月が実の親に疎まれていたがゆえの反動なのか、家族からの愛情に飢えていたからなのか。
 まるで錯乱したように取り乱す彼女の頬に、慧音の手が優しく添えられる。
 ソレに驚いて顔を上げた幻月の表情は今にも泣き出してしまいそうで、カタカタと震える体がとても弱々しい。

 ソレは、幽香も初めて見る友人の一面だった。
 いつもは我が侭で気分屋で底抜けに明るい彼女が、こんなにも妹に捨てられることを恐れてる。妹が離れていくことを、こんなにも恐れてる。
 ともすれば、自分にも匹敵する力を持つというのに、今の彼女はこんなにも脆く、触れば折れてしまいそうな不安があった。
 まるで親に捨てられそうな子供のようだと思って―――今の幻月は、まさしくその心境なのだと今更のように思い至る。

 だから、幽香は何もいえない。言葉を、紡げない。
 ただ固唾を呑み祈るような思いで、彼女たちの成り行きを見守ることしか出来ないでいた。

 「すまない、私の質問が意地悪すぎたな。君が妹さんを大切に思っていることはよくわかった」

 申し訳なさそうに謝って、慧音は彼女を優しく抱きとめた。
 こうやって密着してみると、彼女の息遣いがよくわかる。まるで発作のように荒い息と、ソレに混じる嗚咽に似た声。
 抱きしめた体はこんなにも華奢で、力を込めてしまえば儚く折れてしまいそうで。

 「けれど、君の言葉の通りなら妹さんは君の元を離れてしまうかもしれない。けれど、君への愛情がなくなってしまうかもしれないなんて、そんなことはないよ」
 「でも、でも……夢月は、私のこと大嫌いだって……」

 涙が、頬を伝う。絞り出た声は掠れ震えたもので、嗚咽交じりのソレはもはや言葉になっていたのかすらも疑わしい。
 けれど、慧音は子供をあやすように抱きしめる腕に力を込める。頭を撫でてやりながら、優しく、そして諭すように言葉を紡いでいく。

 「それは、喧嘩をしてしまったからだろう? 家族だって一度や二度は喧嘩するものだ。でも、私達は言葉を持っていて、ソレを使って意思を伝えることが出来る。
 嫌われたままにしてしまうのか、それとも仲直りして、一度しっかりと話してみるのかは君しだいだ。
 私としては、一度ちゃんと話し合ってみることをお勧めするよ。ちゃんと面と向かって話してみて、君の気持ちに整理をつけてみるといい。
 それに―――妹以外には何も要らないなんてのはいただけないよ。君にはほら、君のことを大事に思っていてくれる友人が、すぐそこにいるじゃないか」

 困ったように言葉にする慧音の言葉に、はっとしたようにここに連れてきてくれた友人に視線を向ける。
 呆れているんだか、それとも怒っているのか、微妙に判断のつきづらい表情で、幽香は幻月の額をツンッとつついた。
 それから、わしゃわしゃと不器用に頭を撫でられる。その手のぬくもりが暖かくて、心地よくて、不意に涙が溢れてきて、ソレからはダムが決壊したようにぽろぽろと零れ落ちて行く。



 ソレからは、もうほとんど覚えていない。ただ、まるで赤子の様に大声を上げて泣いてしまう。
 気持ちの整理はまだつかない。けれども、やるべきことへの決心だけはついてくれた。
 ワンワンと泣きはらす少女の声は何処までも悲しげで、友人はそんな泣きはらす彼女を不器用にも撫で続けていた。



 ▼



 さて、ここで少し昔話をしよう。
 幻想郷が出来るよりもずっと以前、とある双子の悪魔の話だ。

 双子のうちの妹は活発で明るいものだったが、対して双子の姉のほうはそれはもう大人しい子だった。
 少なくとも、今の「彼女」を知る人物は、この事実にもれなく驚くだろう。あの「自称最強の妖怪」でさえ驚きを隠さなかったぐらいだ。

 当時の姉は妹と違って両親にあまりかまってもらえなかった。
 それ以上に迫害に近いものを受けて、遠ざけられていたといったほうが正しいのだろう。
 原因は、悪魔にあるまじきその純白の翼と、それに反して備わっていた強大すぎる力のせい。
 双子の片割れが悪魔の常識を丸ごと腹の中に忘れてきたんじゃないかって言う姿をして、生まれながらに両親より強い力を持っていたのだ。

 それは、姉妹の両親が姉だけを遠ざけるには十分すぎる理由であり、だからこそ余計に姉は孤独の時間を日々過ごす羽目となった。
 でも、まいったことに彼女達は双子で、仲がよくて、そんな両親の内心を知るにはまだ子供でしかない。

  ―――私達は双子、二人で一人前よ。だから、私は姉さんを見捨てない。だって、私はこんなにも姉さんのことを愛してる。

 ソレは、両親の愛情に飢えていた子供にとって、どれだけ救いのある言葉だったか。
 当時の妹はただ姉に笑ってほしくて、元気になってほしくて、そんな思いで頭が一杯だった。
 彼女達は双子。隣り合って当たり前の存在で、共に歩んでいくのが当然だと思っていた、子供だった二人。

 けれど結果的にその救いの言葉が、姉の生きる理由になった。
 その救いの言葉が、妹に依存する姉の楔となって深く深く突き刺さったのだ。
 それがいいことだったのか、悪いことだったのは、彼女達にはまだ判断がつくはずもない。

 しかし、ソレは二人の愛情の表れであり、二人だけの確かな絆。
 たとえソレが極度の依存に引き込まれていたとしても、きっと彼女達に後悔なんてなかっただろう。
 その言葉から何百年とたった今も、二人は一緒にいるのだから、その言葉は確かな思いのカタチだ。

 妹は姉のために傍に寄り添い。
 姉は妹のためにとその力を振るってきた。

 彼女達はずっと一緒だった。姉が一人にならないように、妹はずっと姉の傍に寄り添った。
 忌むべき翼を持った姉を、妹はずっと「姉」として見続けた。 姉のことを愛し続けていたのだ。
 妹さえいれば、姉はなんだって出来ると、妹さえ傍にいてくれれば、姉は何処にだって行けると信じてた。
 妹さえ傍にいれば何もいらない。
 妹さえ傍にいれば、姉はどんなに壊れたってかまわないと思った。
 ソレは狂気にも似た愛情の形。



 とある悪魔の姉妹の昔話。ソレはどんなカタチであろうと、きっと悔いのないだろう双子の過去のお話。



 ▼



 果たして、この館に帰ってくるのはいつ以来だろうと、幽香はぼんやりと思いながら辺りを見回した。
 しばらく見ないうちに変わった調度品やシャンデリア、赤色のカーペットなんかはおそらく夢月の趣味なのだろう。中々どうして、たいした腕前だと感心する。
 帰ってきて早々、くるみやエリーに泣きつかれるように喜ばれて、幽香は思わず目を瞬かせたものだ。
 思ったより自分に人望があったことに驚いたが、彼女達は自分が帰ってきたことを夢月に伝えるといって駆け出していってしまった。
 好都合といえば好都合なのだが―――夢月の名前が出たときに、幻月の肩がビクッと震えたのを幽香は見逃さなかった。

 「アンタ、大丈夫なんでしょうね?」
 「だ、大丈夫。うん、大丈夫!」

 ぜんぜん大丈夫そうには見えなかった。ガッチガチに緊張して、顔には未だに恐怖が張り付いている。
 まったく、妹のことになるとこんなにも弱くなってしまうとは、正直予想外にも程がある。
 前々からシスコンだと思ってはいたのだが、……コレはそんななまっちょろいレベルじゃないのだと再認識する羽目になった。

 思わず、ため息がひとつこぼれてしまう。
 果たして、コイツ妹離れできるんだろうかと思考して、きっぱり無理だろうなと結論が出た。
 それでも、彼女は自分の友人なのだ。ただでさえコミュニケーション能力ゼロなのだから、自分がフォローしてやらなければ仲直りできるものも出来なくなってしまいそうで恐ろしかった。

 胸中でそんな不安を覚えているとき、廊下の奥からカツカツと足音が聞こえてくる。
 そちらのほうに視線を向けてみれば、随分と久しく見ていなかった少女の顔がそこにあった。
 肩口で切りそろえられた金髪を揺らしながら、夢月は幽香と幻月の姿を見て、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに能面のような表情に戻ってしまう。
 はっきり言おう、ものすごく怖かった。ソレはもう、自称最強の妖怪が、思わず素足で駆け出そうと回れ右してしまいそうなほどに。

 「お帰り、幽香。アンタが帰ってくるなんて珍しいわね」
 「え、えぇ。ちょっと暇が出来てね、自分の家なのだから、たまには帰ってきてもいいじゃない」
 「ま、そりゃそうなんだけど」

 肩をすくめて言葉にした夢月は、傍目から見ればいつも通りの彼女に見える。
 ただし、姉の存在を丸ごと無視しているということを除けばの話ではあるのだが……。
 冷や汗をかきながら、幽香は恐る恐る幻月のほうに視線を向ける。
 あぁ半ば予想通りって言えば予想通りだったが……すでに目尻に涙をためて決壊寸前だった。

 「あ、あのね夢月!」
 「何?」

 勇気を振り絞って言葉にした幻月の言葉に、鋭く冷たい刃のような言葉が夢月からすべり出た。
 まるで極寒の雪山に放り込まれたかのような錯覚。辺りがブリザードに見舞われているような幻覚が見えるとはこれいかに。
 はっきりとした夢月の「喋りかけんな」オーラに、幻月はもうすでに泣き出してしまいそうだ。
 幽香ですら、彼女のその様子に絶句するしかない。あのお姉ちゃん子の夢月が、まさかここまではっきりと拒絶の意を示すとは正直予想外であった。

 一瞬、幻月は泣き出しそうになった気持ちを必死に押さえ込むと、勢いよく頭を下げた。
 その姿に、夢月も幽香もキョトンと目を丸くする。そんな中、彼女は大きな声で。

 「ごめんなさい!!」

 ただ、すがりつくような声で、謝罪の言葉を吐き出していた。

 「え、ちょっと姉さん?」
 「ごめんなさい! ごめんなさい!! ごめんなさい!! 私がくしゃくしゃに捨てちゃったプレゼント、弁償でもなんでもする。だから、だから―――」

 ―――私のこと、嫌いにならないで!

 果たして、最後のその嘆願はうまく言葉に出来ていただろうか。
 謝罪の途中ですでに泣きじゃくってしまっていた幻月には、うまく言葉に出来たかどうかはもうわからなかった。
 呆れてしまっただろうか。愛想をつかされてしまっただろうか。それともやっぱり、嫌われてしまっただろうか?

 そう思うだけで、何も考えられなくなる。思考が真っ白に洗い流されて、感情の整理がうまくいかずに涙が後から後から溢れてしまう。
 妹に嫌われるのが怖かった。妹に嫌われてしまったら、一体誰が異端児としてではない「幻月」を見てくれるのだろう?
 百歩譲って、自分の元を離れてしまうのは我慢する。けれど―――嫌われてしまったままなんて、そんなのだけは嫌だったから。

 小さく、ため息をつく気配がした。
 たったそれだけのことなのに、幻月はビクッと怯えたように震えて、頭を下げたまま顔も上げない。
 「姉さん」と、一言だけ言葉がかかる。

 その言葉には先ほどのような剣呑なものではなく、呆れながらも何処か温かさのあるものだった。
 ゆっくり、恐る恐るといった風に顔を上げる。そして顔を上げた先には、どこかで見たことのある包装紙のプレゼントを片手に持った夢月の姿だった。

 「あ」と、小さな吐息がこぼれ出る。
 包装紙こそ新品に換わっているものの、その大きさも形も、間違いなくあの時に幻月が投げ捨てたプレゼントだ。
 ツカツカと姉に歩み寄ると、夢月は彼女の腕を取り、手のひらに載せるようにプレゼントを置いた。

 「姉さんの口からごめんなさいが聞けただけで十分よ。これは、もともと姉さんのためにと買ってきたものなんだから、大切にしてよね」
 「……え?」

 今のは、果たして聞き間違いだったのだろうか? 幽香が「どういうことよ」といった風な視線でというかけてくるのだけれど、ソレは幻月のほうが聞きたかった。
 思考がぐちゃぐちゃにかき乱される。コレは、貴女の大切な人に送るものじゃないの? とか、コレが私のためのプレゼント? だとか、とにかく思考がうまく定まらない。

 「む、夢月、これ……本当に私に?」
 「姉さん以外に、誰にプレゼントするって言うのよ」
 「だ、だって。ここ最近、夢月ずっと出かけてて、いつも嬉しそうにしてたし、聞いてもはぐらかすし。だから、私はてっきり、彼氏でも出来たんだと……」
 「はぁ? 姉さん、私が男嫌いなの知ってるでしょ? ……あぁ、そういうこと。今朝のアレもこのプレゼントをその居もしない彼氏のものだと思ったわけか。
 ……なるほど、コレは確かに私も悪かったわ」

 あちゃあといった風に額を押さえ、夢月は小さくため息を零す。
 ここまでくれば、第三者の幽香にだって話の全貌は見えてきた。
 つまり、全ては幻月の早とちりだったのだ。でも、夢月もソレらしい怪しい行動をとっていたことは事実な訳で、結果的に見ればお互い悪いということになるのだろうか。

 「いい、姉さん。毎日出かけてたのは、姉さんのプレゼントを選ぶため。
 嬉しそうだったのは、姉さんのプレゼントを選ぶのが楽しかったから。それで少し遅くなっちゃったこともあるけれどね。
 姉さんに聞いてもはぐらかしてたのは、当日にプレゼントして、姉さんをびっくりさせようと思ったからよ」

 そっと姉の頭を撫でてやれば、それだけでビクリと体を震わせる。
 その姿が、小さい頃の大人しかった姉の姿と重なって、夢月は困ったように眉を寄せて言葉を続けた。

 「でも、それが姉さんをこんなに思いつめさせるなんて思わなかった。ごめんね、姉さん」
 「……夢月は、私のこと好き? 嫌いに、ならないでくれる?」
 「なるわけないでしょ。朝はカッとなった弾みでああ言っちゃったけど、私達は二人で一人前なのよ? 私の隣は姉さん以外にありえないわ。
 だから、そんなに泣かないで姉さん。今の姉さん、昔の姉さんを見ているみたいで、私まで泣いてしまいそうだわ」
 「な、泣いてないわよ。これはただ、嬉しくて泣いてるんだもの」

 結局泣いてるんじゃない。そう思いはしたけれど、ソレは指摘せずに夢月は優しく笑って彼女を抱きしめた。
 いつの間にか幽香は居なくなっていたけれど、彼女なりに気を使ってくれたのだろう。
 今頃は、エリー達がこちらに来ないように気を配っていてくれることだろう。ソレは正直に、ありがたいと夢月は思う。

 自分の腕の中で、姉がわんわんと泣いたのは何時以来だろうか。
 もう遠い昔のことだから、良くは覚えていないけれど。それでもずっとずっと昔のことだ。
 まるで母を求める子供のように、姉は妹を強く抱きしめる。
 妹はただそれに応える様に、ただただ優しく抱きしめて、彼女をあやすように頭を撫で続けていた。



 ▼



 「姉妹そろってご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

 人里のカフェの一角に、珍しい組み合わせの四人組が席に座っていた。
 そのうち一人である妹が頭を下げ、姉がソレを見て慌てたように頭を下げる。
 そんな彼女達の様子に苦笑しながら、対面に座る女性―――上白沢慧音は苦笑を零していた。

 「いや、私はそうたいしたアドバイスは出来ていないから、そう頭を下げなくてもいいよ。私としては、君たちが無事仲直りできて安心してるからな」
 『……お恥ずかしい限りです』

 慧音の苦笑の言葉に、姉妹そろっておんなじ答えを返していた。
 その様子を見てくすくすとおかしそうに笑うのが、姉妹の友人である風見幽香である。

 「本当、あの時の幻月のおちこみっぷりったらもう。しかも勘違いだって言うんだから、こっちはいい迷惑よ」
 「よく言うわ。あの後しっかりとからかってきたくせにさ」
 「もちろんじゃない。こっちの手間を取らせた分はきっかりと清算してもらわないと」
 「やっぱり幽香は酷いなぁ」
 「何を今更」

 そんないつも通りのやり取りに、幻月はケタケタと可笑しそうに笑う。
 ソレにつられるように幽香も笑い、対して夢月は小さくため息をつくばかり。
 けれども、夢月の表情にほんのりと笑みが浮かんでいたのを見て、慧音はたまらず苦笑する。

 「お姉さんは、いつもはあんな調子なのか?」
 「えぇ、子供っぽいところばかりが残ってしまって、妹としては大変だわ」
 「ふむ、とすると今の状態が素な訳か。なるほど、私のところに来たときはよほど落ち込んでいたらしい」
 「そんなに?」
 「正直、大人しくておどおどしていてな。今とはまるで別人だ」

 そんな彼女の正直な感想に、夢月は満足そうに笑う。
 ソレを見て、もう大丈夫そうだとあらためて安心した慧音は、注文していた紅茶を口に含む。

 その瞬間、見せの奥から「食い逃げだ!」という店主の声が聞こえてくるのと同時に、一人の男が走り去っていく。
 ソレを追いかけようと慧音が腰を浮かせかけたところで―――。

 「待ちなさい、食い逃げ犯!!」

 その声が、唐突にかかって犯人がまさかといった様子で上空に視線を向ける。
 そこに居たのは、太陽を背後に浮かぶひとつのシルエット。

  「卑しき人の業を背負いし者よ。さぁ、我が姿を見るがいい。そして恐れ、震えよ!! この私がいる限り、どんな悪事も許さないわ!!
 魔法少女マジ狩るフラン、ここに推参!!」

 ビシッとかっこよくポーズを決めた少女が朗々と宣言する。
 赤と黒のゴスロリファッションに、手にはいつものスペードをかたどったような歪な杖と、日光を防ぐための日傘が握られている。
 太陽をバックにした決めポーズのできももはや文句なしといったところであっただろう。

 だがしかし、そんな素っ頓狂な人物の登場を目の当たりにして夢月はずっこけた。そりゃもう盛大にずっこけた。
 よく見れば幽香もおんなじ反応だったようで、呑みかけていたのが災いしたか紅茶を遠慮なく噴出しているところだ。
 慧音のほうは彼女の存在を知っていたのか特に取り乱すでもなく、「あ、もういいか」と適当に納得して椅子に座りなおした。
 周りのほうも「待ってましたー!」だの「フランちゃんかわいいー!!」だの野次が飛ぶ始末である。

 「……何、アレ?」
 「あぁ、最近現れた魔法少女だよ。最近はもっぱら昼間も営業中なんだとか。最近じゃすっかり子供達のヒーローだよ」
 「へー」

 えらく落ち着き払ってる教師に聞いてみれば、そんな返答が帰ってきて夢月は頭痛が襲ってきたような錯覚を覚える。
 いや、錯覚なんかじゃなくて実際にコレは頭痛だろう。正直、あんな素っ頓狂な存在が有名な吸血鬼の片割れだとか思いたくない。
 しかし、彼女の姉のほうはというと目をきらきらと輝かせ、食い逃げ犯をとっ捕まえる魔法少女に釘付けであった。

 「かっこいい~!!」
 『えッ!!?』

 驚愕の声は夢月と幽香の両方から。慧音は我関せずと紅茶を味わうのみ。
 幻月は楽しそうな笑顔を浮かべると、席を立って一目散に騒ぎの中心に駆け出して行く。

 「ちょ、ちょっと姉さん!!?」
 「私も混ざってくる!! あんなに楽しそうなことに混ざらないなんて、コレを逃す手はないわ!」

 制止の声を聞く気もない。楽しそうに駆け出す姉の姿を見て、仕方ないかと苦笑しながらため息をついた。
 もともと、ああいう性格なのは知っているし、そんな姉が大好きなのだ。
 そのことで苦労はするだろうけれど、そこに後悔はない。
 だって、自分たちは二人で一人前なのだ。姉には自分が必要で、自分には姉が必要なのだ。



 楽しそうに走り去る姉の姿を見送る。姉の首下にかけられた翼のネックレスが太陽の光に反射したのを見て、夢月は満足そうに笑みを零したのだった。
今回は幻月と夢月中心のシリアスな話。
最後にはちょっとした遊び心でゲスト的な人物が出てきたけど、にやりとしてもらえたなら作者はとても嬉しかったりします。
ソレはさておき、今回の反省点はまったくといっていいほど幻月らしさが出せなかった事につきます。
物語の構成上、幻月にはどうしても落ち込んでもらわないといけなかったのですが、作者の予想以上にしおらしくなってしまいました。
もしかして誰コレ? とか言われてしまうレベルかもしれないです。申し訳ないです。
ただ、たまにはこんな幻月もいいんじゃないでしょうか? たまにしおらしい幻月さんもソレはそれで可愛い気がします。
そして彼女達の過去に関しては完全に俺設定になってしまったため、多くの批判を浴びるのではないかと内心びくびくものです。
今回の話、もしかしたら最初からオチが見えた方も多いのではないでしょうか?
自分でも少し強引かと思う話のつくりだったので、未だに反省点は多いです。

それでは、今回はこの辺で。
前回の話にコメントを下さった皆さん、評価してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

※前後の文と矛盾する表現があったので修正しました。投稿してさっそく申し訳ありません。
白々燈
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コメント



0.1870簡易評価
3.100マンキョウ削除
サディスティックじゃない幻月は新鮮ですね。
なんだかんだで、ゆうかりん母親してるかもw

あと……何故、マジ狩るフランを出したしwww
8.100名前が無い程度の能力削除
ちょwwなんでマジ狩るフランだしたしww
10.100煉獄削除
まさかマジ狩るフランが最後に出てくるとは思いませんでしたねぇ。
幻月の心情や幽香、慧音の会話など面白かったです。
14.無評価名前が無い程度の能力削除
いい話だったのに…
マジ狩るフランに全部持ってかれた気がする笑
15.100名前が無い程度の能力削除
点数つけ忘れ
すみません
16.100名前が無い程度の能力削除
オチは読めたがいい話。
そしてまさかのマジ狩るフランwwww
19.100名前が無い程度の能力削除
夢幻姉妹の絆の強さや友人として幻月を心配する幽香の優しさ等が感じられるいい話でした。
そしてマジ狩るフランwwwwww
22.100名前がない程度の能力削除
幻月らしさと言われても公式設定がほとんどないから違和感はなかったです。
あと犯人逃げろwww フラン&幻月の最狂コンビで生き延びれるわけがないwwww
23.100名前が無い程度の能力削除
↑最狂コンビwwwwこれはwww

慧音も幽香も夢月も幻月も大好きな自分にとって最高の話でした。
落ち込んでる幻月もクールな夢月もすごく魅力的。良いなぁ
27.80名前が無い程度の能力削除
これはいいかわいい悪魔。ただ道徳心がないということを描くのなら、もうちょっと
爆発物的な恐さも持たせてあげられたら良かったかと思います。むしろ道徳心がないという
設定が足を引っ張った印象が。
31.100名前が無い程度の能力削除
夢幻姉妹キタコレ!いやとっても面白かったです
フランちゃんはまだチェーンソーじゃない時か…
36.100ジャッカス削除
こんなに普通の人間らしい幻月は初めて見ますね。やはり最凶だとかの印象が強い幻月ですから今回のような話がとても新鮮で、大変面白かったです。

また夢幻姉妹や幽香様が好きでして、前々からこんな作品を見てみたいと思っておりましたので、この度は楽しませていただき誠にありがとうございます。


誤字の指摘ですが、書き出しにて夢月の容姿を現す際に「眺めの~」となっておりましたが、恐らく誤字だと。
41.90名前が無い程度の能力削除
食い逃げ犯\(^0^)/
素晴らしい姉妹愛でした


誤字?
>その瞬間、見せの奥から
店の奥では・・・?