Coolier - 新生・東方創想話

神主収録してやんよ! (前)

2010/02/03 23:51:34
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 霊夢の旦那は博麗神社で神主をしている。お酒が大変に好きだそうだ。

 さて、冷静に考えると、博麗神社神主はれっきとした幻想郷の重鎮である。そんな彼の項目を、由緒正しい書籍である幻想郷縁起に、何故掲載をしていないのだろうか――稗田阿求は、そこにスポットライトを当てた。稗田阿礼から数えて九代もの時代を積み重ねて、ようやく稗田家で初めてそこに斬り込んだのである。相手は幻想郷を取り仕切る、押しも押されもせぬ要職者だ。指一本でこの郷を圧縮ファイルに出来てしまう人を、一文字すら掲載しないという選択はどう考えても不適切だと阿求は思った。
 機嫌を損ねれば圧縮されてしまうかもしれない。

「というわけで、神主殿の項目を新たに掲載したく」
「項と目――貴方も結構出来てる人ね」
「うなじとひとみじゃありません、項目です。私は幻想郷の歴史を記してゆく者ですから、重要な人はつぶさに生態系を観察して後世に伝える義務があるのですっ」
「生態系?」

 いぶかしげな霊夢に、稗田阿求は力強く頷く。
 
「博麗の神主は卵を産むのかどうか、とか」
「……まぁ、私は止めないけどさ。好きにやれば良いじゃない」

 やや不承不承といった様子だったが、霊夢は了承してくれた。
 それでもまだ釈然としない顔で、独り言のように呟く。

「……でも、基本的にこっちに現れないからなあ、あの人……」


 *

 
 博麗神社にも神主は居る。
 そして博麗神主の名や存在を知らぬ者は幻想郷においてゼロだが、博麗神主の姿を知る者は幻想郷においてゼロプラス1だ。
 つまり、当該神社でうららかな縁側に寝転がりホウキの柄で鼻をほじりつつ巫女さんを務める博麗霊夢以外の誰もが、創世主たる神主の声も姿も知らないのである。あの八雲紫や神道繋がりの八坂神奈子でさえ、神主本人の顔を直接拝んだことは無いと聞く。悪の気脈を通じて博麗神社を玄関口に結界の外からありとあらゆるものを持ち込み、精力的なマッチポンプの横行で私腹を肥やしている――そんな噂の絶えない悪の枢軸二人だが、悪事の総元締め本人とは地下アジトでの密会すらも一回として無いとのこと。
 そして伝説だけが先走る。
 その実物を誰ひとりとして拝めぬことが余計に、事のミステリアスな伝承に拍車を掛けていた。

 曰く、大変な酒豪らしい。
 曰く、幼少時からあまりのじゃんけんの強さに神童と呼ばれ、クラスメートが病欠すると給食についてくる日本酒は何人でじゃんけんしても必ず彼が勝ち取っていた。
 曰く、彼が汗を拭いたハンカチはアルコール消毒されて雑菌が居ない。
 曰く、その右手をすっと差し出すとビールの海が割れて彼は底を悠然と歩き出した。

 もちろん、それらのすべては何ら信憑性の無い寓話である。幻想郷の人家で義理や義務とは無縁の隠居生活を送る平和なお婆さんが、目と鼻に入れても痛くない一人孫を相手に情操教育として語っているオトナの世界。人生の退役軍人によるご都合主義の出任せ。
 だが、この世界を形作った人間が確かに居ることが認識されている以上人の口に戸は立てられぬ。最初は出任せでも、口伝えを三人渡ればそれが真実になる。結果、誰も知らない神主の人間像は風船のように膨らんでゆくのは必定の道理だった。現時点で博麗神主はいかなる方かと巷に問われればそれはすなわち眉目秀麗のイケメンないしは明眸皓歯の傾城美人、好きな言葉はメア・ピルスナ(mehr pilsner)、阿修羅の如きの腕力と韋駄天もかくやの駿足で千里を走り手柄に掲げた武勲は数知れず、吹子(ふいご)のように幻想郷へ幾千の物語を送り込む人呼んで二十四時間営業のコンビニエンススーパーマン、食事は三食すべて麦酒のみ――と、なっている。どこまで本当かは知らない。

「それで、霊夢さんから見て神主殿はどう思われますか。好きなところとか、不満とか」
「不満ならあるわよ」

 最初の取材相手である博麗霊夢は憮然とし、客人を前にしてこたつに肘つきである。

「あの人が来ると、神社の酒がまばたきの間に無くなるわ」
「まあ……そりゃそうでしょうねぇ」

 うん、と霊夢は深く頷く。
 口に出したことで切っ掛けになったか、そこからは堰を切ったようにしゃべり出した。

「あのさ、確かに神社と言えばお酒よそれは認める。けど、だからって造り酒屋を何軒も抱える大問屋みたいな備蓄なんてある訳ないじゃない。それなのにいきなり赤暖簾くぐる無造作さで赤鳥居くぐって現れて『やらないか』って言われていきなり付き合わされても」
「や……やらないか……?」
「一杯やらないか、って意味よ、何で赤くなってんの」

 ばっ、と掌で頬を隠す阿求。

「いえ何でもありません! …………あの、それで?」
「それでもどうも無いわよ! 水道管が喉渇かしてるみたいな勢いで酒呑んで、彼の抱えてた酒瓶の底には向こう50年ぺんぺん草も生えないのよ!? 私が床下に隠してる自分の分の秘蔵酒までくんかくんか匂いで嗅ぎ分けて床ひっぺ返して呑んで行っちゃったから私ここんところしばらく行灯の油を嘗めて過ごしてるわ! 私の身にもなってよ、絶対いつかお互い身体壊すわよ!?」
「化けネコうにゃーん」
「うにゃーんじゃない」

 なるほど、唾飛ばしながら叫んだその言い分はもっともである。酒にまつわる神主の噂は枚挙に暇がない。
 卑劣なる簒奪のことは内輪もめとして、やはり健康の不安は隠しようもなく頭をよぎるし、正直五十歩百歩ではあるがところてん方式に蝕まれた食生活の損傷具合を鑑みるに恐らく霊夢の方がより早死にするだろう。行灯油はカロリーが高い。
 鬱積した思いをそこまで一息にぶちまけ、上気した頬で鼻息粗く番茶を啜る霊夢。
 そういうのを見ていると、やはりどこの世界でも女というのは、旦那に対する不満を抱えて生きているものなんだろうなあ――と思う。
 
「なるほど、お酒のことで不満ですね……はい求聞持成功。ぴろりん。今のお話は確かに記録されました」
「……ぼうけんのしょみたいな頭してるのね貴方」
「お褒めありがとうございます。それで、それ以外には何かありますか?」

 念のため聞いておく。
 すると、更に霊夢は眉を顰めた。

「……ある」
「はぁ」

 それは?

「……幻想郷にね、変なヤツばっか連れてこないでって何回も何回も言ってるの。なのに本っ当毎度毎度、馬耳豆腐ってやつねあれは」
「嫌ですねそれは……触感的に」

 色つや共に申し分のない黒毛馬の凛々しい耳に、色つや共に申し分のない絹ごし豆腐が阿求の脳内で迫る。

「別にね、何人たりとも連れてくるなとは言わないわ。けど、連れてくる前に一回で良いから私に相談しなさいって言ってるの! なのに毎回毎回、力は大人で頭脳は子供みたいな奴を山ほど連れ込んできて涼しい顔で事後承諾ばっかり。毎年夏になるとお盆の翌日に決まって神社に帰ってくるんだけど、何か知らないけど毎年毎年異様なまでに疲れ果てた顔で現れて状況報告と私の分のCD1枚と酒盛りだけして帰って行くからたまったもんじゃないわ! 実際に幻想郷を取り仕切ってるのは私なんだから、外界の都合で勝手な差配をしないで欲しいんだけどッ!!」

 どかん! と、拳固がこたつを叩いた。
 湯呑みがジャンプする。

「お、落ち着いて下さい。私に噛みつかれましても困りますから」
「――何よいい子ぶっちゃって。取材に来ておいて知らんぷりする気? 耳に豆腐ねじこむわよ」
「や、やめてください! 耳は弱いんですから!」
「ならばっ……っ……」

 まだ何か言いたげだったが――はたとそこで、冷静を取り戻して咳払い一つ。
 ざるの上から転んでいた蜜柑を元に戻す。手にしていた絹ごし豆腐も床に置く。
 深く腰を落ち着けたところで霊夢は、大きく深く嘆息した。冷静が勝った分ストレスが論理的に急台頭したか、激情は収まってもその形の良い柳眉は一層見る影もなく歪むばかりだった。

「……まぁ、要するにどっちの意味にしても、ちょっとくらい気を遣って欲しいってことよ。ったく」
「はぁ」
「で、貴方もその辺ちゃんと書いておいて欲しいの。ペンは剣より強いんでしょ?」
「私は報道記者じゃありません。ですが、事は事として書き留めますよ。阿礼乙女ですからね」
「うん」

 やや胸を張って頷き、求聞持の胸に深く霊夢の言葉を刻み込む阿求だった。ぴろりん。
 その反応に霊夢も満足したのか、大きく頷く。やはりどこの世界でも女というのは、旦那に対する不満を井戸端会議で洗いざらい放り投げたら心身共に軽くなれる生き物……なのだろうか。
 とかくこの世はままならぬ。

 
「とにかく、幻想郷縁起にウチの旦那を収録するというのは注目したい動きね。どんどん悪事を曝いて頂戴」


 霊夢は息巻いて、稗田阿求の突撃取材をそう締め括った。
 どうも幻想郷縁起のことを、二束三文のゴシップ週刊誌や通勤列車専用タブロイド紙か何かと勘違いしている節があるが、取りあえず神主のご令室を敵には回さなかった。
 それどころか逆に、味方に付けることが出来たのだから戦果は上々だ。
 よその夫婦仲に口出しをする気はないが、今後の取材も楽しい物になりそうである。



「でも、それなら霊夢さんから直接神主殿に上申……」
「私が出来る訳ないでしょ? 神主の耳に豆腐を詰め込めると思う?」



 思わない。



 ◆



 次なる取材先として、阿求は魔法の森に歩を進めた。
 あまり危険な場所を一人で歩き回らないでくださいと上層部からのお達しは受けているが、美しく成長した自分はもうママの手やおっぱいが必要な赤子でもなければ保護観察処分中の少年犯罪者でもない。おっぱいは別の意味でほしいが、今は神主の項目を幻想郷縁起に充実させるのが先決だ。事が終わってから牛乳でもマッサージでも何でもすれば良い。
 森の中に一歩踏み入れれば、確かに危険な場所に様変わりする。
 だが、二歩踏み入れれば、その森に住む正義のヒーローが助けに来てくれる保証が生まれる。
 妖怪に襲われるなど有事の際でも、正義のヒーローはお約束として危機に遅れず現れてくれるだろう。ちなみに言えばまったく無根拠な阿求の自信であるのだが、近所に妖怪よりも強い「人間」が住んでいることは、人妖の世界においてこんなにも心強い。
 
 魔理沙の邸宅を訪ねた後は、順次幻想郷の有力な人間達を相手に連続取材を敢行しようと阿求は予定している。
 手始めに霧雨魔理沙を選んだ阿求だが、よく考えてみると霊夢→魔理沙と来ればあとはかつて幻想郷を異変で騒がせた張本人――すなわち、霊夢が憂慮していた外患誘致のかつての張本人ということになる。
 虎穴に入らずんば――と言えば大袈裟かもしれないが、行動原理としては十全である。情に棹さしたような報告をするほど自分は惰弱でないし、矢面に立つ運命にある霊夢の境遇の苛烈さには一方ならず同情も出来る。あれだけ日々の平穏を引っかき回されれば、そりゃ神主の選択に恨み言の一つも挟みたくなるだろう。取材先の紅魔館・白玉楼の2氏以降は特にひどい。
 ここ数年を見てみよう。
 幻想郷の蕾という蕾を一斉にほころばせて貴重な植物たちを頭の悪い春祭りに陥れた是非曲直庁の花咲かばばあ、近代文明が生み出したプライバシーという公明正大な概念に鼻クソつけて蹴飛ばし、報道の二文字に勘違いの換骨奪胎を加えてパパラッチ技術の研鑽に余念がないろくでなしの烏天狗。酩酊という名の素面を誇るぐでんぐでんの鬼。疑う必要のない常識を疑って破天荒な振る舞いのバーゲンセールを打った上にこれぞ常識と正当化、道行く妖怪をからかっては傍若無人に剥き出しの肩で風切って歩く歌舞伎風祝。外界に居場所が無くなって転がり込んできた隠遁の地で神気に飽かせて好き放題暴れ、神職者の生命線でもある貴重なお賽銭の貴重な絶対量を霊夢側からごっそり分捕ってゆく悪神とその手下の幼女(かみちゃま)。その神様の差し金で、そういえば地底からも煩わしいのが来た。読唇術ならぬ読「心」術という人間ではもうどうしようもないお手上げの触手淑女を筆頭に化け猫、馬鹿烏なども色々呼び起こされ、地上を挟んで反対側の天空からもまた別口で頭の軽そうな能天気天人が降ってきてあろうことか神社を全壊させられた。
 そして記憶に新しい前の夏には年甲斐も何も顧みずマジカルコスメティックルネッサンスで若作りした黒魔術まがいのひじき――じゃなかった聖一名とその付き人で宇宙人? ついでに例の神様のせいで巨大ロボットが出現?
 はた迷惑にも程がある。
 さすがに短期間でこれだけの色物が徒党を組んで幻想郷に出現してくれば、諸悪の根源たる人を前にしてどれだけ温厚な人でもそりゃキレるだろう。霊夢は温厚ではないから尚更よくキレる。
 いつも彼女と共闘して異変解決に乗り出しているこの霧雨魔理沙とて、

「そりゃあ、迷惑かそうでないかっつったら、まぁなぁ」

 ……例外ではないのである。
 
「はい……霊夢さんも相当迷惑そうな顔をしてましたしねぇ」
  
 阿求は、霊夢の様子を細かく伝えた。魔理沙は苦笑いでそれを聞いていた。日頃から阿求よりもずっと沢山の愚痴を聞かされているのだろう、どこかしら又聞きにさえさんざめく奥様の怒りの波動も慣れた手つきで取り回す。
 しかし一通り聞き終えたところで一つ頷き腕を組み、二つ頷いてからふと真顔に戻る。

「だがな」
「はい?」
「あれは霊夢にも責任があるんだ」
 
 魔理沙は急に声を潜め、阿求の耳元に口を寄せてきた。
 場所は魔法の森の、彼女の家の玄関先である。静かなものだ。特に誰が傍で聞いている訳でもないだろうに囁き声になるのは、やはり世界の創世主(の奥さん)に対して唾する行為を自覚してのことか。
 普段は屈託無く付き合っているくせに、こういう時に女は怖い。

「そもそも霊夢が出す酒の量がな、少なすぎるんだよ。そりゃ神主だって御機嫌を損ねるさ。そのたびにああやって妖怪変化や魑魅魍魎が大挙して押し寄せてくるんだから、責任の一端は霊夢本人にもある」
「そ、そうなんですか? でも霊夢さんは、神社の酒がいつも払底すると」
「そりゃ絶対量が少ないだけだぜ」

 鼻を鳴らす魔理沙である。

「お賽銭もろくに集まらない神社に、神主を迎えられる酒の貯蓄があると思うか? 思わないだろ? 思う方が思い上がりなんだよ」
「そこまで言いますか」
「あいつは無計画だ。去年の夏なんか神主を呼ぶにあたって一升瓶38本だぞ? 足りると思うか? 雀の涙じゃないか」
「……」

 阿求はしばらく黙り込んでいた。
 検算を兼ねて、わざわざ1.8を掛け算して単位をより一般近代的なものに統一して算出する。
 ……68.4。
 うん、と一つ頷いた。

「足りませんね」
「足りる訳がないだろ? 計算するまでもないさ。突き出しの間すら持たないさ」

 魔理沙は首を振り、やれやれと両手を広げた。呆れたような仕草でこの場にいない博麗霊夢のことを邪気まみれのせせら笑いでからかっているが、普段は本当に仲の良さそうな二人なのである。
 
「……ぴろりん、求聞持コンプリート。ありがとうございます、貴重な情報です。それで、何か神主について他にありませんか」
「いや、私には無いぜ? 霊夢から聞いたと思うが、神主と逢って話をしたことがあるのはあいつだけだ」
「では、神主に対して不満とか、思うところとかは」
「それも特にないな。感謝こそすれ、不満とかは見当たらん」
「感謝?」

 無愛想な受け答えの中に霊夢とは対称的な言葉が聞かれ、阿求はずいっと身を乗り出す。冬の玄関先に立ったままのぶら下がり取材でひ弱な阿礼乙女の身体が冷気に冷やされているが、本を書く者の宿命か、好奇心の急台頭を胸の中に許せば体感気温など手足のように操れる。
 魔理沙は心なしか得意げに胸を反らし、いつも以上に偉そうな仕草で口を開いた。

「ハッハッハ、教えてやろう。お前私のマスタースパーク喰らったことあるか?」
「あるわけないじゃないですか普通に考えて」
「じゃあ見たことならあるか?」
「あ、そ、それは一回だけ……無頼の旅人が無銭飲食を働いて蕎麦屋から押っ取り刀で走り出ていった時に、幻想郷の大通りで偶然居合わせた若い女性が光るソーセージみたいな魔法を一発」
「おぉ! あの時お前居合わせてたのか? 光沢のある挽肉の腸詰め呼ばわりは心外だが、まぁそのソーセージだ」

 単語と古い映像が結びつき、それが知識となって脳の奥底に上書き保存される。

「いやぁあの時は鮮烈に覚えてますよ、格好良かったです。名刀赤鰯が腰に一本だけの蓬髪で無精髭、とうとう無銭飲食するほどに追い込まれてた老いぼれの小汚い侍を更に裸一貫にしましたよね」
「文字通りの意味でな」

 うんうん、と頷く魔理沙。その光景を阿求は求聞持抜きでも鮮明に思い出すことが出来る。男が長いこと生きていれば脛に傷の一つや二つあるのは仕方ない、まして無銭飲食を擁護する気は阿求にもさらさら無いのだが、きつねそば一杯で褌ひとつ残さず吹っ飛ばされた初老の男の姿は見ていて多少憐れでもあった。

「あのマスタースパークだけどな」
「はい」
「あれは神主の実体験から生まれ、私に授けられたものなんだ」
「おお!」

 物凄く興味深い情報に、いよいよ阿求の求聞持が加速する。ようやく取材らしくなってきた。
 霊夢の愚痴をありのまま幻想郷縁起に掲載する訳にはいかないだろうが、こういった情報なら産地直送でコンテンツに充実が図れる。

「それは昔々また昔、神主がまだ一日に30ガロンしかビールを呑まなかった頃」
「大昔ですね」
「ある寒い冬の日だったそうだ……埃っぽいビルの裏側から場末の呑み場に転がり込んだ神主は派手な柄のハンチング帽をカウンターに置きおしぼりで眼鏡を拭いて、ツーフィンガーでテキーラのビール割を八杯立て続けに一献した後にあまりの寒さと押し込められるような小さなバーの埃の中で思わずもよおした」
「――っ!!」
「くしゃみを」
「あ、あ……くしゃみですか」
「何で赤くなってるんだよ」

 それから魔理沙は、まるで往時の記憶を思い起こすように遠い視線をした。彼女が直接その眼で見た訳ではないだろうが、挿話の述懐するところは最初期から使い続けている思い入れのあるスペルカードの来歴である。これにまつわる昔話となれば、たとえ言い伝えでも実体験で見たこと同然に思い入れがあるのだろう。

「我慢しきれずぶっ放した神主のくしゃみに含まれていた霧状のアルコール成分が、頼りなく燃えていた薪ストーブの炎に加勢して爆発的な火力を演出したのさ。それがマスタースパークの始祖だ」
「情景を思い浮かべると迫力ですねぇ……っていやいやいやその店! 酒場の中だったんでしょ!? こぢんまりとしてて場末でテキーラでビールなその酒場はどうなったんですか!?」
「燃え尽きたぜ……真っ黒にな」

 少しだけ肩を竦めて、おどけるように噛み締めるように、魔理沙は話した。
 そして、いつの間にか手に握り締めていた八卦炉を見つめる。
 
「だからこのスペカ……香霖伝いで神主が授けてくれたマスタースパークのことを、私は大切にしないといけないのさ。私は神主に感謝してるし、ステンシル文字の木箱に腰掛けて微笑んでいた五十四歳のマスターの分までがんばらなくちゃいけない訳さ」
「な、なんか話が重いですよ!?」
「ダグラス・イングラム、ミシシッピ州出身で姉が一人の独身AB型。店は即死だったがイングラムは軽傷だった」
「幸運! すごい幸運ですよイングラム!」
「そしてその哀れな酒場のマスターを偲び敬意を表し、スペルカードに「マスター」と名前を残したという訳さ……」
「ってそっち残したんですか!?」
 
 憐察する。路地裏とはいえ男一匹己が城を築いて主に収まり、蝶ネクタイの歪みを毎日気にしながらささやかな夢を謳歌していたミシシッピの快傑、追い続けた磊落なアメリカンドリームをよもやハンチング帽のジパングが放ったくしゃみに焼き払われるとは夢にも思わなかっただろう。
 ファミリーネーム諸共食い扶持を芥子粒に変えられておいて、イングラム一族があまりにも救われない。

「物語には得てして、トゥルーエンドとグッドエンドがある――ってな訳か」

 魔理沙はそこでふっと笑い、懐から似合わぬ懐中時計を取り出す。

「っと。私の話は、ちょうどこれでおしまいだ」


 *


 訊くと、実験の途中だったという。

 思いがけず壮大になってしまった挿話は正真正銘の爆発オチで片が付き、魔理沙はそれでぶら下がり取材を打ち切り家に戻ってしまった。
 もっとも、取材の成果自体はまたしても上々である。
 彼女の言い聞かせてくれた物語は、神主の項目に特筆すべき事項として相応しい。

 言うまでもなくマスタースパークとは、幻想郷の人間が使えるスペルカードとして最も由緒正しく、最も来歴が古い部類に入るスペカの一つ。
 そして、破壊力に長けたスペカの代表格だ。悪逆暴戻なまでの威力でサブミッション的に諫めてきたチンピラ妖怪は数え切れない。幻想郷の安寧秩序の維持には、霊夢の奮闘以外にこの怪力乱神なる彼女の魔法も欠かせないのだ。
 その事実をどう受け止めるべきか?
 閉鎖空間と成り果てて今や創世主の力など残り香も残っていない有り様に見えるが、やはり創世主は創世主としてこの幻想郷に息づいているのだ。今の故事来歴はそれを証明している。神主が香霖堂の店主伝いに魔理沙へと持たせた切り札のスペルカードは、現在の幻想郷の重要なパワーバランスの一翼に堂々と息づいている。

 妖怪と共に暮らしながらもその軍門に下ることのない人間社会は、神主が授けた彼女のマスタースパークによって成り立っている――
 こういう具合に考えると、よく考えられた末の世界秩序であることが窺える。それにしても何と遠大にしてジャストピンポイントの処置だろう。
 鳶の如く空を往き、鷹の如く爪を研いだ悠久の深謀遠慮。阿求達のような凡俗が及びうるものでは到底ない。つまるところイングラムの店の犠牲も決してムダでは無かったということだ。……恐らくは。

 単純に重鎮であるだけではない。
 聡明で思慮深い神主の歴史を紐解くことは、幻想郷に秘められた秘密の鍵を開披することに相当するのだと実感し、身の引き締まる思いを感じていた。
 気持ちも新たに、稗田阿求は次なる取材先へと向かう。



 ◆



「そんなの……良く思ってる訳がないでしょう」

 手際よく通された客間で、不機嫌を顔全体に張り付けて答えたのは銀髪のメイドさんである。清楚に整ったそのかんばせを不格好に蹂躙した質問とはもちろん「十六夜咲夜さん、ずばり博麗神主のことをどう思っていますか?」である。

「ったく。分かり切ったこと聞かないで頂戴」

 その答えはNoだった。しかも即答だった。ほっそりとした柳眉の狭間にグランドキャニオンを刻み込み、端麗なる容貌はマグマのように不機嫌で歪んでいてえもいわれぬ威圧感があった。
 メイドの職業病と言えばそれまでだが、五百歳になる幼児を平素から手を焼き足を焼き相手にしている勲章か、この年齢で早くも疲労と苦労性が膏肓に入っている。そのまま年を取れば六十干支が一回りする前に頭がハゲて死ぬだろう。もう少し肩の力を抜いて、パッドとか取って気楽に生きれば良いものを。

「……殺すわよ」
「肩パッドのことですってば!?」

 明らかに神経過敏で自意識過剰に陥っている取材相手に、阿求はより慎重さを求めねばいけなかった。相手は刃物の使い手なのだ。なまじっか身近な物だけに、魔法力や霊力に比べて威圧感が高い。かっちりと着込んだ羽織と襦袢の間には当然の準備として少年ジャンプを2週間分挟んできてあるが、鋭利な殺意から確実にこの身を守ってくれる保証はどこにもない。先々週号のスラムダンクのスリーポイントシーンが敢えなく散ったその瞬間、稗田家の長く続いた格式高い歴史には唐突な終止符が打たれることだろう。桜木花道を本物の花道にする訳にはいかない。
 命の危機に瀕して尚目の前に置かれる紅茶のカップに興味を惹かれるのは紅茶好きの性として、しかし阿求は襟を正し仕事モードに頭を切り換える。今は仕事中である。末期の紅茶はそれからだ。

「神主のことを良く思わないのは、一体どうしてですか?」

 改めてそれを訊くと、咲夜の視線が少しだけ躊躇に泳いだ。
 何か言葉を選んでいたようだが、やがてぶっきらぼうに呟く。


「――だって、あの人ご都合主義じゃない」
「ひ」


 起伏のないその表情から、唐突にでかいのが飛んで来た。
 瀟洒と書いて後頭部に貼ってありそうな澄ました表情なのに、咲夜が口にしたのはとんでもない爆弾発言だった。聞いていた阿求の方が慄然とする。
 ご都合主義――咲夜ほどの明晰な頭脳と判断力の高い言語野があれば、そんな言葉を選ぶ前に出来ることがあるはずだった。例えば様式美とかお約束とか、他の当たり障り無い言葉を置き換えることは彼女ならいくらでも出来ただろう。なのに、こともあろうに意図的に使った言葉が「ご都合主義」。
 剥き出しの敵意である。何しろそれは口にするのもおぞましい語句、幻想郷においてや口にすることは愚か脳に思い浮かべることすら躊躇われる科白、「強制処理落ち」や「ヒット判定消滅パッチ」とかの類と並び称されるレベルで絶対禁忌の言葉ではないのか?

「だって、ありのままを述べてるだけよ」
「ッ……い、一応、御意見は詳しくお伺いします」
「意見っていうか……貴方も本に書いてると思うけど私ってほら、時を止める力があるじゃない?」
「ええ」
「この力ってすごく都合良いじゃない。この力だけで本当なら世界だって制服に出来るわけだし」
「あ、私セーラーが良いです」
「けど、私はそれを出来ない。世界征服にも興味を持たせてもらえないし、ブレザーにズボンのスタイルこそが健康的な女子高生には至高だと思い込まされているの。使いようによっては物騒なこの能力でも、弾幕ごっこと家事にしか使わないから世界はすべて事も無し。これがご都合主義。あー嫌になるわ、こんなことしか考えられない自分が生温い生温い。これもそもそも、あの博麗神社の神主が思い付いたのよね」
「お」

 蕩々と語る中、またしても初耳の情報が得られた。
 神をも畏れぬ大胆な発言のオンパレードはひとまずぴろりんの上書きの際にランタイムエラーで消えてしまったということにして、襟を正す。改めて求聞持の態勢に入る阿求。
 ……心なしか、さっきも似たような展開だった気もするが。

「神主が授けてくれた能力ですか。詳しくお聞かせ下さい」
「詳しくも何も、この力は元々神主自身の能力だったのよ?」
「うわすごい」

 話は、より惹起的な語句に彩られ始める。
 かつての神主はそうか、時を止めることも出来たのか。

「――もしかして、酒場関連ですか」
「あら、よく知ってるじゃない」
「知っている訳じゃありません。ここに来る前に、似たような神主の武勇伝を聞かされてきただけです」

 阿求は首を横に振る。
 
「続きを」

 阿求がせがむと、咲夜は小さく溜息を一つ零した。

「……外の世界には、ビアガーデンというものがあるわ」

 一拍の間を挟み、咲夜が口にしたのは耳慣れぬ単語だった。

「び、ビアガーデン?」
「ええ。良く晴れた日の夜に、ね。メガロポリスの摩天楼の足許で日中は地を這い砂を舐め、ビル風に叩かれながら社会人同士の心理戦や権謀術数の鍔迫り合いに一日中揉まれ続け疲れ果てた背広の戦士達が、一日の最後に一堂に会し、金色の麦酒を呑み比べに呑み比べて最後のひとりが生き残るまで戦わされるアセドアルデヒド脱水素酵素Ⅱ型の天下一武道会よ」
「簡単に言えば飲み放題ですね」
「ええ」

 さらりと前髪を掻き上げて、粋な仕草で咲夜は笑う。

「けれど、店には残念なことに閉店時間というものがあるの」
「最後の一人になるまで呑むって今言ったじゃないですか」
「神主はいつも遣る方のない憤懣を抱えていたらしいわ。……どうしてこの国の飲み放題には、時間制限なんてものがあるのだろう……! と」
「いやいや」
「最後まで戦わせろ! 仮にも『飲み放題』と称すからには、制限時間すら無いのが真の飲み放題ではないのか! と」
「いやいやいやいや」
「この鉛色の資本主義の国で初めてその矛盾点に斬り込んだのは神主だったそうよ。そして酒場に交渉したけども取り付く島がなく、その対策として神主はこう思いついた。
『そうか、制限時間が無くならないなら時の方を止めれば良いじゃないか』」
「……」
「……」
「なるほど」
「うん」

 思わず、鳥肌が立った。
 さすが神主だ、さすが神主だ。
 そんなことは普通誰も思い付かないし誰も実行しない。まさしくコペルニクス的発想とガリレオ的反骨精神がキスを交わした究極のアクションプラン。要求は呑まれずとも酒は呑む。
 飲み放題というからには制限時間の桎梏すら撤廃すべきであるが、しかしこの要求を呑んでもらえないなら、時の方を止めれば良い。
 理に適っている。
 目的と手段が吸い付くように合致している。
 その光景は驚くほど鮮明に脳裏に浮んだ。世界中の短針と長針が朝刊紙のゴシックフォントのように停止した灰色の世界の中で、博麗神社の神主は一体ぜんたいいかなる量の麦酒を呑んだのだろう――空瓶を数えることなど出来やしない。凍り付いたスカイスクレイパーの御胸に抱かれて生中とピッチャーを膝下に侍らせ、肩を震わせ歓喜に噎ぶ恍惚の神主。真の飲み放題に辿り着き、底を失ったコンクリートジャングルのニライカナイで我が世の春を謳歌する。天を突く勝ち鬨の声。
 知恵と能力が右脳で手を繋ぐと、こんなにも想像を絶する社会が動き出すのだ。
 阿求は素直に感心し、そして思ったことを率直に告げる。


「…………でもそれってズルですよね」
「だから止めちゃったのよ。良心の呵責に苛まれて」


 そこだけ妙に良識的な判断をされている。神主の人間像が急激な勢いであやふやに溶けてゆくが、まあ神主なりに考えがあっての大人の判断なんだろう。
 ふぅ、と咲夜は短く白い嘆息で、その物語を締め括った。

「で、要らなくなった力を私に授けてくれた。それが事の真相よ」
「そう言われてみると、役得のような厄介払いのような……でも、それでこんな能力を手にされたんですからやっぱり神主に感謝してますでしょ?」
「いや? うーん……そうは思わない、かな」

 魔理沙の話を踏まえて問い掛けてみたその質問には、しかし予想を裏切る答えが返された。

「え。感謝しませんか? 普通」
「別に?」

 咲夜はきょとんとして、首を傾げる。
 だがしかし、不便な能力ではないはずだ。
 時間を止めれば、それこそ時間に追われることなく家事が出来るのだから本当に楽だ。弾幕も奇想天外なものが可能だろう。死にそうな目に遭っても安全な場所へ避難するのは簡単だし、ツッパる事がたった一つの勲章な方々に四方をぞろりと囲まれて全方向から鉄拳制裁をお見舞いされたとしても、正しく彼らは屁のツッパりにもならない。せいぜいトイ面に陣取る同輩の汚いツラにスクランブル交叉点のパンチが炸裂するだけだ。
 使い方を間違えなければ冗談抜きで世界征服が可能な能力なのだ、時を止めるというやつは。その肝として、この世に居る他の誰ひとりとして恐らく時間を止めたこと自体に気付かないことが挙げられる。それが決定的に強力なファクターだ。
 一般的な人にとって時間は当然、何を思わずとも規則通りに規則の数だけ六十、六十、二十四、三百六十五と流れてゆく。それはあまりにも普遍的な事象である。雑踏の中に一人二人混じっているレベル4程度ではまず気付かない。時間さえ止めてしまえば、あとは概ね咲夜の天下になる。可愛い女の子が道を行けば時間を止めてめくるのも覗くのも自由だし、今こうしておすましして坐っている阿求だって今この瞬間時間を止められて何かをされたら絶対に気付かない。
 それどころか――実はもう既に時を止められているかもしれない。このスカートは侵略済みかもしれない。完全なる硬直フレームの永続を良いことに無反撃確定をとってのめくり攻撃だ。手取り足取り人間神経衰弱、スカートめくりだけじゃ飽きたらず、上から下まで一度すべて脱がせてあるとこないとこ触りに触りまくってたりなんかしちゃったりしてたって

「……なに赤くなってるのよ」
「い、いえ!」

 気付けばジト目で咲夜に睨まれていた。
 慌てて背筋を伸ばし、腹筋に力を入れてジャンポジ(ジャンプのポジション)を修正する。

「いえしかし、本当に便利な力でしょう。引き合いに出すのも何ですがその、パチュリーさんみたいな……彼女の能力みたいに曖昧で、魔法的な性質に偏った能力よりはずっと実用的じゃないかと、私は思うのですが」
「いや実用性では大差無いわよ」
「あら、そうですか?」
「ええ……」

 順調に喋っていた咲夜。
 そこでふと、


「……ですよね、お嬢様?」


 唐突に背後を振り返った。

 つまり阿求から見て真正面に居た格好になるその人影に、あろうことか、阿求はまったく気が付いていなかった。
 一つには背が小さすぎて、咲夜のシルエットに丸々呑まれていたから。
 そしてもう一つには――明らかに意図的なレベルで、対象が自分の気配を消していたからだ。

「珍しいお客様だね。しかも、私の姿をこうして見つけて、ほとんど怯えないあたりが気に入った」
「えぇまぁ、今のところはジャンポジも良いですので」
「?」

 首を傾げながら、紅魔館当主レミリア・スカーレットは咲夜の隣に寄り添った。ちなみに阿求が怯えない本当の理由について説明すると、日夜強い妖怪を相手に自分のペースで話をし慣れているからであることは言うまでもない。
 咲夜が気高くソファに座りレミリアが雄々しくはにかんでいるせいもあるが、二人並んだ姿はメイドを従えた主人ではなく母と娘だった。やんちゃ盛りの年長児が砂場で女子をいじめていた男の子を3人まとめて逆に泣かせて、向こう六年間の小学校生活で女子全般からの用心棒兼ご意見番としての絶対的信頼を確立させた直後みたいに勝ち誇った顔の幼児だ。

「博麗神社の神主の話を嗅ぎ回ってるらしいね? 今時珍しい気骨のある奴がいたもんだよ」
「う、なんか緊張しますがありがとうございます」
「うちの咲夜んとこに来たってことは、霊夢や魔理沙にはもう訊いた後なんだろう?」
「はい」
「なら大体分かっただろ。幻想郷の連中の能力はみんな神主自身の能力に由来するものばっかりだ」
「え」
「彼にとって要らない能力とか、或いは必要な使い方を終えてもう不要になった能力の捨て場が幻想郷なんだ。つか幻想郷はそのために生まれたんやで」
「えぇー!?」

 そこまでの情報はまだ聞いていない。さしもの阿求も驚いた。椅子を蹴り、高価そうな紅茶のカップが抗議の悲鳴を上げるのにも気付かないで玩具のように立ち上がる。
 神主の話であってもはや神主の話ではなくなっていた。既に自分の居住する世界のレゾンデートルに言及ししかも堂々のゴミ箱呼ばわりで、誰もが憧れる不思議な能力の全てを十把一絡げにして中古品と不良品扱いだし最後の口調は亀田だったしもう混乱が混乱を呼ぶ。さしもの阿礼乙女も、これだけの情報の濁流には木の葉のように翻弄されるより他がない。
 「はいはいどうどう」と、咲夜に宥め賺されて、阿求は渋々着席する。

「うわぁ……そうだったんですか。これはちょっとショックです」
「あぁ。その辺も貴方の幻想郷縁起とやらに書いておくが良いさ。結構統一感があって面白いよ」
「たとえばこの紅魔館もですね」

 暫し黙っていた咲夜が、そこで口を挟んだ。
 快活に喋り続けていたレミリアの血相が変わる。
 ギロリと睨み「……大変失礼しました」と、咲夜がしずしずと項垂れる羽目になった。

「あれれ? どういうことですか」
「ん? ――あぁっ、ほーらもう咲夜が余計なこと言うから」
「粗相をいたしました」
「ったく、粗相も粗相、ジャンジャンの粗相よ。って、何で赤くなってるのよそこのアンタは」
「いえっ!」
 
 すみません、ジャンジャン粗相とか言うからつい想像を……
 いえ、言葉通りの意味ですよね。本当に何でもありません。
 水漏れとか起こしていないならそれで良いです。

「ったく……お前、この屋敷に入ってくる時に気付かなかったか」
「はい?」
「だだっ広い屋敷だが、この屋敷にはそれにつけてもテラスが異様に多い。それに、暮らしてる人間の割には扉が多いし廊下も広いし厨房もでかい」
「いや厨房まで見て通った訳じゃないですが……すみません、つまりどういう?」

 ワトソンに対してヒントを小出しにする推理小説の主人公を嫌味っぽさ三倍増にした感じで、レミリアはいくつかの情報を阿求に与えてくれた。
 しかし、残念ながら雲を掴むような話だ。
 もどかしい思いはお互い様だろうが、レミリアの機嫌が斜陽に入ってきているのがビンビン感じられる中で阿求もうかつな言葉を挟めない。さっきから呼称が「貴方」「アンタ」「お前」と順序もテンポもよくランクダウンしていることに気付いている以上は慎重を期さなければ明日がない。この上更なる地雷を踏み抜いた暁には三分後の呼び名は恐らく「仔羊」である。漢字の読み仮名は任せよう、訓読するも良いし思い当たる筆頭候補の当て字読みでも構わない。
 由緒ある稗田の家系の末路がジンギスカン鍋の鉄板で反り返ってる薄肉になったら、ご先祖様に一体どう顔向けするのかという話だ。

「分からないか?」
「はい。申し訳ありません」

 素直に阿求が謝罪したおかげか、レミリアは渋い顔のまま、深い溜息をついたもののこちらを咎めることはしなかった。
 ただ、機嫌が直ることもない。
 憮然としたまま、彼女は口を開いた。




「この館はな…………元々、新宿にあったビアガーデンなんだよ」




 ……
 な、

「何だってーーー!!??」
「まぁ信じられんだろうな。私だって信じられんさ、昭和の薫りを一掃する宇野海部宮沢内閣の元で土地をコロコロ転がしてあぶく銭を貯め込んだ奴が近未来思想を履き違えて、あろうことかマクドとモスどっちでメシ喰う? みたいな気楽さでこれを建てたのさ。ろくに企画書も図面も引かずマーケッティングも何にも無しに、好きな色は赤で好きな国はヨーロッパだから赤いヨーロッパにしようっつって札束のおもちゃで人の頬っ面叩いてね。そんで平成のブギーポップにそっぽを向かれ弾けるべくして弾けた夢しゃぼん玉の欠片をさ、神主が『あーやっぱ一家に一軒はビアガーデンがほしいよねぇ』っつって買い取った訳だ」
「………………………………あの、」
「買った値段か? まぁ新宿の土地がついてきた訳じゃないし、三百円くらいじゃないの」
「いえそうじゃなくて」
「店主の名前か? ダグラス・イングラムだ」
「そうじゃなくて……あああイングラム! 元気だったのねイングラム! いやでもだからそうじゃなくて!!」

 ミシシッピの清流に抱かれて育った微笑みがひげ面で脳裏を過ぎるが、いい加減な想像図をひと思いに振り払って「取材」の本筋に戻す。どうせ今頃は債務超過で首も回るまい。
 建てたイングラムは過去の人になったとして、それをその後に買ったのは神主だ。
 至極当然の疑問を、阿求は口にする。

「神主がそうまでして買った物が、何故幻想郷にあるんですか? おかしいじゃないですか!」
「うーん、まぁなあ。一応、これは私の想像だが」
 
 その辺の答えはレミリアも把握していないらしい。ただ、予測くらいはつくようだ。 
 眉がくっつきそうに難しい顔をして、レミリアはぽつりと言った。



「……でかすぎて部屋に置いとけなかったんじゃないか?」
「あー」



 なるほど。一理ある。
 疑問も至極当然の疑問だった分か、答えも至極当然の答えであった。
 肩の力を抜いて、阿求は紅茶を再び口にする。もうすっかり冷め…………てない。あれ? 
 ――ああ、咲夜さんが取り替えてくれたのか。
 なんて甲斐甲斐しい。

「んでその結果、この家の連中の能力はみんな、神主がビアガーデンで欲した物ばっかりになっちまってるって訳だ。ほら、咲夜は飲み放題の制限時間を破るためだし」
「うう。えっと、じゃあ紅美鈴さんは? えー私がしたためてますのは……『気を操る程度の能力』」
「簡単なことさ。先にビール瓶の蓋を全部開けておいた時、気が抜けてしまわないようにするためさ」
「……。ん? でもそれが不要になった理由は何なんですか」
「気が抜ける前に全部呑んじゃうようになったからだよ」
「…………。じゃあパチュリー様『火水木金土日月を操る程度の能力』」
「ビアガーデンには七曜すごく重要なんだぞ? その能力を使って、往年の神主は毎日を金曜の夜にしていたんだそうだ」
「……。それが不要になった理由は?」
「月曜だろうが火曜だろうが呑めば良いんじゃんって気付いたからだよ」
「…………」

 いやはや探ってゆくと、こうも幻想郷は色々な歴史に満ち溢れているものである。

 

 「もういいだろう」と鬱陶しそうにレミリアが取材を打ち切り、阿求は何とか五体無事のまま紅魔館の客間を後にした。部屋の外の空気がいやに新鮮に感じる。
 そう思ってよーく観察してみると、なるほど調度品の数も政令指定都市のハードオフ並だし、屋敷に現住する人数の割には部屋の数も明らかに多い。そして広い。かつてどれほどの外界の民が、ここで十年一夜の栄華の夢を貪ったのだろう。
 意味もなく天井にぶら下がったミラーボールも、かつては輝く泡のような陰影を屋敷の壁に映し出していた。その泡が弾けたとき、夢の夜は本当の夢になってしまったのだ。

「さしずめ、このあとは妖夢のところに行くのかしら?」
「あ、はい」
「あそこも結構面白いらしいけどね……うふふ」

 玄関口まで送ってくれた咲夜は、別れ際、意味深に笑みを浮かべてそう言った。

 湖の稜線沿いに歩き、半周してから屋敷を振り返る。
 水鏡に姿を映して、紅い屋敷は不気味に佇む。城趾と深い草木の睦み合い。

 人里離れて静けさに呑み込まれた禍々しい屋敷は凛々しく佇む。しかしもはや阿求の目にそれは、何でもアリだった夢の時代を物語る、ダグラス・イングラムの債務証明にしか見えなくなっていた。


(続)

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コメント



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10.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい
13.100名前が無い程度の能力削除
これはひどい
15.100名前が無い程度の能力削除
これは面白い!久々に膝をうち、唸るお話。文句なしの100点!
21.100名前が無い程度の能力削除
ああ、貴方のその豊富な語彙と発想はどこから出てくるんでしょう。不思議。
23.100名前が無い程度の能力削除
これはすばらしくひどい
24.100名前も財産も無い程度の能力削除
見事。見事の一言に尽きまする。
26.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷って……そうだったのかー……
28.100名前が無い程度の能力削除
これはひどい。これは見事。そんな作品w
33.90ずわいがに削除
神主がマジ神になってるww

いやぁ、「幻想郷のキャラが普通に神主の存在を認識している」というのは、一瞬のネタとしては使われてもそれを主題にするなんて久しぶりに見ました。面白いですw
37.100名前が無い程度の能力削除
ああ、イングラム・・・



これはひどいwww
39.100名前が無い程度の能力削除
ああ、うん、これはひどい。
42.100名前が無い程度の能力削除
すごい。そして色々とひどいw
他に言葉が浮かびませんわwww