一日中、空をふよふよと漂っている妖怪がいた。
楽しいわけでもなく、嬉しいわけでもなく。
彼女は毎日をそんな風にぽわぽわと過ごしていた。
ただ、ぼーっと漂っているだけだった。
ある日、いつものようにヒトが云う。
「妖怪だ。喰われてしまうぞ」
そのヒトはその背中に背負った重い荷物も気にせずに、仲間と二人去っていく。
一人残された妖怪は、変わらずふよふよ浮いていた。
その日、彼女は珍しく木の枝に止まって、その身に巻きつけた闇を解いた。
久方ぶりに浴びた太陽の光に少し目がくらんだ。
(そう云えば、こうして日の光を浴びたのは何年振りだろう」
そう考えたこと自体久方ぶりだった。
******************************
いつの日だったか、まだ私がふよふよと漂っていなかったころ。
まだ、私が物事をはっきりと考えることができたころ。
確か私はもっと大きな暗闇だった。
もっともっと体も大きくて、もっともっと怖かった。
私を見ると誰もが離れて行った。
私を見ると誰もが声を荒らげた。
そんな時、私はどうしていたのかな。
きっと私のことだから、ぱくりと食べてしまったのだろうな。
一つ食べたら二つ来て。
二つ食べたら四つ来て。
そんな時、私はどうしたのかな。
たぶん私のことだから、お腹一杯になるまでぱくぱく食べてしまったのだろうな。
一杯食べて。
お腹一杯になって。
満足したのかな。
覚えてないや。
それから、どうしたっけ。
あぁ、なんかあまり思い出したくないなぁ。
思い出そうとすると、嫌な気持ちになる気がする。
それなのに、どうして出てきてしまうの。
思い出しちゃったのは、やっぱり嫌なこと。
確か私は、私より怖いモノに食べられてしまったんだ。
でも、私はここにいる。
ということは、食べられそうになったんだ。
食べられたくなかったから、私は逃げた。
でも逃げる場所なんてなかったんだ。
だって、みんな私を食べようとするのだもん。
私は暗い方へと逃げたんだ。
走って逃げて。
頭はくらくら。
飛んで逃げて。
体はふらふら。
太陽は嫌い。
だから暗い方へ、暗い方へ。
その方が安心するから。
だから暗い方へ、暗い方へ。
そしたら、あぁ、そうだ。
ずっと暗い方に進んで行ったら、あった。
神様の家みたいだけど、そうじゃない家。
神様みたいだけど、そうじゃないヒト。
そのヒトは変なヒトだった。
どこが変かは、あり過ぎてぐちゃぐちゃ。
とにかく変で。
変だった。
そのヒトは私を食べなかった。
そのヒトは私に食べて良いモノをくれた。
そのヒトは私を名前で呼んだ。
だから私は、そのヒトを食べなかった。
外はうるさくて。
あのヒトは静かで。
外は静かになって。
あのヒトは笑ってた。
ずっとここにいたいと思った。
(うちにいなさい)
あのヒトは云ったから。
だから、私はずっとここにいた。
暗い隅よりここが良かった。
あったかいここが良かった。
暗い穴よりここが良かった。
ふたりぼっちなここが良かった。
ずっとずっと。
長い間ここにいて。
ずっとずっと。
このままが良いと思った。
それでも太陽は昇って、また沈む。
黒髪は白に。白肌は黒に。
あんまり動かなくなったあのヒト。
動き出して、手招き三回。私を呼ぶ。
あの人は私の頭に何かをつける。
(これはなに?)
(おまじない)
そう云って、あの人は笑う。
(そうなのか)
と私が云うと、
(これでちょっとは可愛くなったわね)
と、あのヒトはまた、笑う。
小さな手。
冷たい手。
綺麗な顔。
白い顔。
何かしようと思った。
何か云おうと思った。
わからなかった。
だから、できなかった。
それから、どうしたんだっけ。
あんまり覚えてないや。
思い出したいんだけどな。
何にも考えてなかったのかな。
私のことだから、そんなことなかったろうな。
私のことだから、きっとまた真っ暗にしたんだろうな。
頭が痛い。
忘れれば痛くなくなるかな。
頭の中がぐちゃぐちゃ。
頭の中がくるくる回る。
こっちに来ないで。暗いままが良い。
わからなくなっちゃったら、それが良い――
******************************
ぱしっ。
そう乾いた音がして、妖怪は我に返る。
気がつくと正面に紅白の巫女が自分と同じ高さに浮いている。
そしてその手に持った幣で、自分の頭を叩いていた。
「何やってんのよ」
彼女はそう云いながら、執拗に幣で妖怪の頭を叩き続ける。
妖怪は、その姿をこれまたぼーっと見つめる。
今まで考えていたことを忘れてしまった。
そのことを思い出して、少しやきもちするような、安心するような。
自分の問いかけにいまいち反応しない妖怪、そんな彼女にため息を投げかける巫女。
手は腰に、幣は肩にかけて、彼女は云う。
「暗闇妖怪が昼間にいるって聞いたから飛び出してきたのに」
「ただ、ぼけーっとしてただけみたいね」
やれやれ、といった具合に肩をすぼめる巫女。
「せっかく気持ち良くひなたぼっこしてたっていうのに」
ぶつぶつと文句を云いながら、巫女は妖怪に背を向ける。
その袖を、妖怪が不意につかんだ。
巫女は自分を後ろから引っ張る力を感じ、また妖怪の方を振り返る。
妖怪は大きな瞳で、じっと巫女を見つめていた。
「なによ」
と巫女は尋ねるが、妖怪は答えない。
妖怪は巫女を見つめながら、考えていた。
(このヒトに何か云いたいことが、私にはある気がする)
しかし、いくら見つめてみても、頭の中はぼんやりするばかり。
結局何も云い出せず、巫女の袖を離した。
ますますわけがわからない妖怪の様子に、巫女は困り果てた。
捨てておいても良いのだが、博麗の性分からか、それができなかった。
(ほっておいたら、また里の人間が怯えるんだろうなぁ)
そうして仕方なしに、巫女は妖怪に云った。
「うちに来る?」
巫女の言葉に、妖怪は顔を上げる。
「レミリアの所みたいに人間味のお菓子は出ないけど」
「普通のお菓子なら、たくさんあるわよ」
妖怪には、云った意味がよく分からなかった。
差し出された巫女の手を、見つめる妖怪。
恐る恐る重ねてみると、いきなり巫女はその手を強く引っ張る。
「ほら、いつまでもぼさっとしてないで。自分で飛べるんでしょ? 飛びなさいよ」
強引で、誠意の欠片もない、無愛想な巫女のエスコート。
あのヒトと違う手。
あのヒトと違う熱。
それなのになぜか、いや、そうだからか。
不思議で、変なヒトだと、彼女は思った。
手を引かれながら、神社へと向かう途中。
巫女は妖怪に向かって云った。
「あんたさ、かわいい顔してるんだから隠れてないで堂々と顔を見せてれば良いのよ」
妖怪の方を見る巫女。妖怪の目は点になっていた。
「……なによその顔は、当り前のことじゃない。やっぱりあんた、何も考えてないのね」
怪訝そうな表情を浮かべ、またひとつ、大きなため息をつく巫女。
「見えないものを怖がるっていうのが、生き物の性ってものなのよ。これは万国共通」
巫女は空いている方の手で、妖怪を指さす。
「だからルーミア、これからは白昼堂々としていなさい」
自分を見つめ、「これは命令よ、ルーミア」
と、何度も自分の名を呼ぶ偉そうな巫女。
結局、何もかもがあやふやのまま。
それなのに、妖怪は――
「そーなのかー」
――ルーミアは少し幸せだった。
〈了〉
楽しいわけでもなく、嬉しいわけでもなく。
彼女は毎日をそんな風にぽわぽわと過ごしていた。
ただ、ぼーっと漂っているだけだった。
ある日、いつものようにヒトが云う。
「妖怪だ。喰われてしまうぞ」
そのヒトはその背中に背負った重い荷物も気にせずに、仲間と二人去っていく。
一人残された妖怪は、変わらずふよふよ浮いていた。
その日、彼女は珍しく木の枝に止まって、その身に巻きつけた闇を解いた。
久方ぶりに浴びた太陽の光に少し目がくらんだ。
(そう云えば、こうして日の光を浴びたのは何年振りだろう」
そう考えたこと自体久方ぶりだった。
******************************
いつの日だったか、まだ私がふよふよと漂っていなかったころ。
まだ、私が物事をはっきりと考えることができたころ。
確か私はもっと大きな暗闇だった。
もっともっと体も大きくて、もっともっと怖かった。
私を見ると誰もが離れて行った。
私を見ると誰もが声を荒らげた。
そんな時、私はどうしていたのかな。
きっと私のことだから、ぱくりと食べてしまったのだろうな。
一つ食べたら二つ来て。
二つ食べたら四つ来て。
そんな時、私はどうしたのかな。
たぶん私のことだから、お腹一杯になるまでぱくぱく食べてしまったのだろうな。
一杯食べて。
お腹一杯になって。
満足したのかな。
覚えてないや。
それから、どうしたっけ。
あぁ、なんかあまり思い出したくないなぁ。
思い出そうとすると、嫌な気持ちになる気がする。
それなのに、どうして出てきてしまうの。
思い出しちゃったのは、やっぱり嫌なこと。
確か私は、私より怖いモノに食べられてしまったんだ。
でも、私はここにいる。
ということは、食べられそうになったんだ。
食べられたくなかったから、私は逃げた。
でも逃げる場所なんてなかったんだ。
だって、みんな私を食べようとするのだもん。
私は暗い方へと逃げたんだ。
走って逃げて。
頭はくらくら。
飛んで逃げて。
体はふらふら。
太陽は嫌い。
だから暗い方へ、暗い方へ。
その方が安心するから。
だから暗い方へ、暗い方へ。
そしたら、あぁ、そうだ。
ずっと暗い方に進んで行ったら、あった。
神様の家みたいだけど、そうじゃない家。
神様みたいだけど、そうじゃないヒト。
そのヒトは変なヒトだった。
どこが変かは、あり過ぎてぐちゃぐちゃ。
とにかく変で。
変だった。
そのヒトは私を食べなかった。
そのヒトは私に食べて良いモノをくれた。
そのヒトは私を名前で呼んだ。
だから私は、そのヒトを食べなかった。
外はうるさくて。
あのヒトは静かで。
外は静かになって。
あのヒトは笑ってた。
ずっとここにいたいと思った。
(うちにいなさい)
あのヒトは云ったから。
だから、私はずっとここにいた。
暗い隅よりここが良かった。
あったかいここが良かった。
暗い穴よりここが良かった。
ふたりぼっちなここが良かった。
ずっとずっと。
長い間ここにいて。
ずっとずっと。
このままが良いと思った。
それでも太陽は昇って、また沈む。
黒髪は白に。白肌は黒に。
あんまり動かなくなったあのヒト。
動き出して、手招き三回。私を呼ぶ。
あの人は私の頭に何かをつける。
(これはなに?)
(おまじない)
そう云って、あの人は笑う。
(そうなのか)
と私が云うと、
(これでちょっとは可愛くなったわね)
と、あのヒトはまた、笑う。
小さな手。
冷たい手。
綺麗な顔。
白い顔。
何かしようと思った。
何か云おうと思った。
わからなかった。
だから、できなかった。
それから、どうしたんだっけ。
あんまり覚えてないや。
思い出したいんだけどな。
何にも考えてなかったのかな。
私のことだから、そんなことなかったろうな。
私のことだから、きっとまた真っ暗にしたんだろうな。
頭が痛い。
忘れれば痛くなくなるかな。
頭の中がぐちゃぐちゃ。
頭の中がくるくる回る。
こっちに来ないで。暗いままが良い。
わからなくなっちゃったら、それが良い――
******************************
ぱしっ。
そう乾いた音がして、妖怪は我に返る。
気がつくと正面に紅白の巫女が自分と同じ高さに浮いている。
そしてその手に持った幣で、自分の頭を叩いていた。
「何やってんのよ」
彼女はそう云いながら、執拗に幣で妖怪の頭を叩き続ける。
妖怪は、その姿をこれまたぼーっと見つめる。
今まで考えていたことを忘れてしまった。
そのことを思い出して、少しやきもちするような、安心するような。
自分の問いかけにいまいち反応しない妖怪、そんな彼女にため息を投げかける巫女。
手は腰に、幣は肩にかけて、彼女は云う。
「暗闇妖怪が昼間にいるって聞いたから飛び出してきたのに」
「ただ、ぼけーっとしてただけみたいね」
やれやれ、といった具合に肩をすぼめる巫女。
「せっかく気持ち良くひなたぼっこしてたっていうのに」
ぶつぶつと文句を云いながら、巫女は妖怪に背を向ける。
その袖を、妖怪が不意につかんだ。
巫女は自分を後ろから引っ張る力を感じ、また妖怪の方を振り返る。
妖怪は大きな瞳で、じっと巫女を見つめていた。
「なによ」
と巫女は尋ねるが、妖怪は答えない。
妖怪は巫女を見つめながら、考えていた。
(このヒトに何か云いたいことが、私にはある気がする)
しかし、いくら見つめてみても、頭の中はぼんやりするばかり。
結局何も云い出せず、巫女の袖を離した。
ますますわけがわからない妖怪の様子に、巫女は困り果てた。
捨てておいても良いのだが、博麗の性分からか、それができなかった。
(ほっておいたら、また里の人間が怯えるんだろうなぁ)
そうして仕方なしに、巫女は妖怪に云った。
「うちに来る?」
巫女の言葉に、妖怪は顔を上げる。
「レミリアの所みたいに人間味のお菓子は出ないけど」
「普通のお菓子なら、たくさんあるわよ」
妖怪には、云った意味がよく分からなかった。
差し出された巫女の手を、見つめる妖怪。
恐る恐る重ねてみると、いきなり巫女はその手を強く引っ張る。
「ほら、いつまでもぼさっとしてないで。自分で飛べるんでしょ? 飛びなさいよ」
強引で、誠意の欠片もない、無愛想な巫女のエスコート。
あのヒトと違う手。
あのヒトと違う熱。
それなのになぜか、いや、そうだからか。
不思議で、変なヒトだと、彼女は思った。
手を引かれながら、神社へと向かう途中。
巫女は妖怪に向かって云った。
「あんたさ、かわいい顔してるんだから隠れてないで堂々と顔を見せてれば良いのよ」
妖怪の方を見る巫女。妖怪の目は点になっていた。
「……なによその顔は、当り前のことじゃない。やっぱりあんた、何も考えてないのね」
怪訝そうな表情を浮かべ、またひとつ、大きなため息をつく巫女。
「見えないものを怖がるっていうのが、生き物の性ってものなのよ。これは万国共通」
巫女は空いている方の手で、妖怪を指さす。
「だからルーミア、これからは白昼堂々としていなさい」
自分を見つめ、「これは命令よ、ルーミア」
と、何度も自分の名を呼ぶ偉そうな巫女。
結局、何もかもがあやふやのまま。
それなのに、妖怪は――
「そーなのかー」
――ルーミアは少し幸せだった。
〈了〉
こういうお話し大好きww
ルーミアには笑顔が似合いますね
ぬくもりは受け継がれて……