Coolier - 新生・東方創想話

心配性なおめめがふたつ

2010/01/24 03:55:03
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 暗い市松模様の床が長く四方に伸び、行き当たりで垂直に折れて壁に変わり、もう一回
折れて天井をなす。この平たい部屋にひとつ置かれた机の上には、散らばった書類、栓が
閉まったままのインキ壺、薄い服に覆われた少女のひじ。
 ひじの上には、幼い顔立ちにおよそ似つかわしくない渋面。左の手のひらも、支えられ
たあごも、人間にしては青白い。幽霊と比べては生気がありすぎる。体を取りまく赤い管
の、胸の前に集まるところに、少女の手のひらに乗りそうなほどの目玉が、同じ赤で包ま
れてじっとしていた。

 あわせて三つの視線は、右手の封書に注がれている。机の上に置かれたり、明かりに透
かされるそのたびに、中で微かな音が立ち、不気味の目玉が後を追う。裏返すと、右下に
「地霊殿のさとりさんへ」と、書いてあった。これが彼女の名である。
 宛名を認めてもなお、この白い封書を訝しげに睨みつけ、中身をあらためんとしていた
が、とうとう頬杖を解いて、封を開けてしまった。
 広げてみると書き出しはこうである。「先達ては取材にご協力頂き……」
 つらつらと並べ立てられた文字の上を、さとりの意識が滑っていく。
 「……同封致します。射命丸 文」と結ばれた一枚の後ろから、二枚目が現れた。さと
りの表情がはっと変わる。

 一枚目よりは小さくくすんだ紙に、活字が整然と連なっている。「地底に棲む妖怪」の
題がついて、あることないことが飾られているが、さとりの注意はただ一点にのみ向いて
いた。
 文字が何も書かれていない一角。数多の点からなる画の中で、少女が二人、こちらを向
いて座っている。手前に大きく写った巫女服は知っている。先日もこの屋敷を訪れた、滅
法強い人間だ。奥にいるのも、知っている。いや知っているだけではない。丸い帽子に、
さとりとよく似た背格好を細いものが取りまいている姿は、見紛うことなく、
 「こいし……」
 さとりは、自らの妹の名を呼んだ。





 冬。
 遠い夕日の影に、天を向く木々が黒くそびえて、山を塗り込めたもうひとつの無彩色と
混ざりながらだんだんとあいまいになっていくのは、地面の上でこそなせる業である。
 地面の下の空間は、雪こそ降れども陽光とは無縁のところ。積もった雪はわずかな地熱
によって解け、浸みだした水は低きへ流れるうちに小川となり、池となり、湖となる。
 水場があれば生き物もいる。堅い岩盤で囲まれたこの世界は、鬼を始めとした数多くの
妖怪たちの住処といって差し支えないだろう。

 怪力で謳われる鬼は街の中核であり、力比べに興じたり、湖で釣り糸を垂らしたり、酒
盛りを始めたり、勝手に騒ぎながら、日がな陽気に暮らしている。普段はめいめいの場所
にいる妖怪たちも、面白いもの見たさに集まってきては、やはりお酒を飲んだり、騒ぎの
巻き添えをくったりして過ごす。
 地上との交流が断たれて久しく、両者を結ぶ縦穴からは風ばかりが入ってくる世界は、
地殻のゆるやかな暖かさの上に独特な社会を築きあげていた。

 その地底世界の、ある街のはずれに、一軒の古びた屋敷が佇んでいる。
 ゆうに三階はあろうかという構えに、ひとつひとつが大きな灰色の石で造られた風貌は、
家というよりもむしろ砦や城に近い。ところどころ錆びた細い鉄の柵が、窓の少ない外壁
を遠目に囲んで、居住地であることを控えめに示している。
 辺りに建物はない。涼やかな地面が広がる先に、旧都の明かりが点となって見える。
 開け放した門から玄関へ真っ直ぐの道を、猫の影がひらりと横切った。

 覚りという妖怪は、他者の心を読むことができる。種族にかかわらず、生けるものもそ
うでないものも、かの妖怪の前にはその心の内を暴かれる。
 この屋敷の主も覚りであるがゆえに、言葉を持たない動物に好かれ、妖怪や人間からは
嫌われている。自然とここには動物たちが寄ってくるようになり、今でも増え続けていた。
 屋敷にはもう一人、主の妹もいる。彼女もまた覚りである。



 地霊殿と呼ばれるこの屋敷のある部屋で、さとりはその妹の名を呼んだ。手にした新聞
の切り抜きに、小さくしわができる。
 こいしが第三の眼を閉じてしまったのは、他者の心の中から自分に向けられた嫌いとい
う感情を直視できなかったためだ。
 こいしは、心を読む力を失った代わりに意識の水面下で活動する力を得た。さとりは、
水の上に立ってただ水中の妹を想うことしかできない。

 こいしが家にいることはほとんどない。ふらりと出かけてしまうと、どこまで行くのか、
しばらくは帰ってこないからだ。帰ってきたかと思えば、またすぐに遊びに行ってしまう。
いつ家にいるかわからないので、姉妹が顔を合わせるのは稀であった。
 さとりがその行動を捉えようと力を尽くしたのはもう昔の話である。こいしが心を読む
力を失ってからというもの、何度試みても、こいしの心をさとりが読むことは叶わなかっ
た。
 こいしの力は、さとりのそれと元を同じにしながら、今や正反対の方に向いている。

 さとりは、机の上の、開けたばかりの封筒に目を遣る。
 地上から奇妙な人間が降りてきたのは一月ほど前のことだ。もとより人間など寄りつか
ないので、やってくるという時点で既におかしいのだが、その人間は都の鬼に勝って、さ
とりすら打ち破るほど強かった。またそうでなければ、地底のさらに底、熱湯が渦を巻く
旧跡からは生きて帰れなかっただろう。
 さとりのペットも関わっていたこの一件以来、人間も妖怪も少しずつ縦穴を通って行き
来するようになったと聞く。
 この封筒が届いたのはいつか知らないが、地上からのものだろう。さとりはそんな見当
をつけていた。
 木製の黒塗りの椅子が後ろにすれて、聞くものによっては不快な音をたてる。かぶりを
ふって立ち上がったさとりは、浮かない顔のまま、部屋の入り口へと歩いて行く。
 扉の横にこしらえられた、壁の、奥に五寸ほどくりぬかれたくぼみには、ペットを呼び
寄せるための鈴。

 さとりは誰かに話を聞く必要があった。
 こいしが帰ってきたぎり外へ出かけなくなってから、一ヶ月が過ぎようとしていた。





 この一ヶ月の間、妹と一緒にいられることは他に代えがたい喜びであった。それに、家
にいることを問うなど、どうしてできただろう。
 しかし、もし、こいしの身の上に地上の何事かが影響を与えたならば。確かめなければ
ならなかった。また、確かめずにはいられなかった。

 ほどなくして、斜めにしておいた扉から、猫が一匹入ってきた。
 地霊殿にいる大小様々な容姿の動物たちは、だいたいがさとりのペットである。
 さとりとてすべてを把握しているわけではない。むしろ、あまりにたくさんいるので、
ペットの管理を別のペットに任せる始末であった。
 ここでは、周りに漂う怨霊を取り込むなどして、動物は力をつけていく。特に力のある
ものは、人の形に変化したり、言語をもって意思の疎通を図ることもできる。
 そのようなペットならば、さとりの記憶にも残っているし、何かの管理を任せるのにも
適していた。

 近づいてきた、斑模様の猫を振り返って、さとりは右手を差し伸べる。
「よい子ね。お燐を呼んできてもらえるかしら」
 この猫は、まだ変化ができない。決して幼いわけではないが、今の用には足りなかった。
 斑模様が尻尾を垂らして部屋を出る。
 後ろ姿を見送ると、さとりは部屋が急に広くなったような心持ちがした。

 兄弟姉妹とは妙なもので、お互いにある種の勘がはたらくものだ。心を読むこととは別
に、不意を打って去来する感覚。長き時間をひとつところに過ごしたからではなく、永遠
の思いを相交わしたためでもなく、滔々と続く大河の一隻に偶然乗り合わせたものでもな
い。
 今日の第六感は、封筒を開けたときにその姿を現した。
 さとりは、机の上に放っておいた雑多な紙を、思い出したように脇へとのける。一枚目
の書簡も、雑多なる山の中に含まれている。まっさらな何枚かが滑り落ちて、そのまま拾
われない憂き目にあった。
 こんこん、と小さな重りが扉を叩く。内側についたその装飾は、誰かが入室することを
伝えるために揺れる。さとりは再び振り向いた。

「さとり様! お呼びですか?」

 呼ばれて飛び出て火焔猫。さとりのペットのうちでもよく育った猫で、こうして人型に
化けて活動することが多い。今は、さとりが呼んだせいであろう。

「ええ」

 手招きをせずとも、お燐の方から勝手に寄ってくる。椅子の背もたれの角に、心地よい
重みが加わった。

「お燐、こいしの様子はどうですか」
「こいし様ですか? うーん、たぶんお部屋にいると思いますけど」

 さとりは妹の様子を訊ねる。
 うーん、という唸りには躊躇いと疑いの色が混ざっている。一つには、お燐もこいしが
出かけなくなったことに気がついている。家から出ても、家の下にある旧跡がせいぜいだ。
二つ目には、こいしには専属のペットがいる。お燐よりそちらに聞くほうがよい。
お燐の心はその言葉に忠実であった。ゆえにさとりにも忠実である。

「見てほしいものが、あります」

 例の切り抜きを見えやすいように右に持ってくると、お燐の三つ編みが真横に出てきた。

「あ、これ、こんなところまで来てたんですか」
「これは、貴方でしょう」

 さとりが指さしたモノトーンの絵の中、こいしの奥に黒猫が半分丸くなっている。

「さっすがさとり様! よくわかりましたね。ちょうどあたいも神社にいたんですよ」
「お燐、よく思い出してください。このとき、何か変わったことはありませんでしたか」
「変わったこと……」

 写真を見つめるお燐の横顔を、さとりが追いかける。
 湯気を立てる湯飲み。天狗のお姉さん。銀色の一つ目お化け。温泉卵。弾幕遊戯。

「弾幕ですか」
「温泉卵を持ってきたお姉さんと、天狗のお姉さんが派手にじゃれてたかなぁ」
「こいしは、弾幕ごっこを?」
「いんや、その前に帰っちゃいましたさ」

 考える猫と飼い主の間に、静けさが灯る。
 家にいるのもまた、こいしの気まぐれ。そう定められるのなら、どんなに気が楽であっ
たか。

「さとり様?」

 いつの間にか、お燐の双眸がさとりを覗きこんでいる。

「こいしは、何か言っていましたか」
「最初は、温泉卵のお姉さんが来たときに『あら、強いシーフが来たわ』って言って……
あとはお姉さんたちの言い争いをしばらく聞いてましたかねぇ」

 お燐の記憶もだいぶぼんやりとした形になっていた。本当に何もなかったのだろう。強
い刺激があれば、それは必ずどこかに爪痕を残すものだ。
 さとりの口から息が漏れる。

「いったい、どうしたものでしょう……」

 お燐の次の言葉は、音より早くさとりの耳に飛び込んできた。

「お燐」

 すぐ隣で、身を強張らせたのがわかる。

「それは、よい考えです。だからこそ、難しいのですよ」





 お燐を送り出してまた一人になった部屋で、さとりは考え続けていた。
 三回目のノック音がして、三人目が入ってくる。
 どうしても、こいしの部屋に行く気は起きなかったのである。

「お姉ちゃん!」

 写真と同じ格好をして、帽子だけは右手に持ちながら、自分目がけて飛び込んでくる満
面の笑みをさとりは迎えた。

「こいし……」
「聞きたいことがあるって、言っていたけれど、何かしら?」

 勢いのまま床を蹴り、椅子の背に乗るようにしてつかまったこいしが、さとりのすぐ上
にいる。
 さとりは、何も言わず、新聞の切り抜きをこいしに手渡した。

「あ、私がうつってる」

 記事を楽しそうに読んでいるこいしには、変わった様子は見受けられない。むしろ、元
気に満ち溢れている。
 さとりが、ゆっくりと息を吸って、

「この日、何か変わったことはありませんでしたか」

 落ち着いた声で、こいしに問う。

「変わったこと? んー、何かあったかなぁ。一つ目の光るお化けには会ったけど」

 一つ目お化け。それはお燐の記憶にもあったものだ。だが、それは恐らく求める答えで
はない。

「それよりも、私はお姉ちゃんが心配だわ」
「はい?」

 予期しないところから出てきた一言に、さとりの返事が上ずる。

「ちょうどこの日から、ずーっとお姉ちゃんのことを心配してたのよ。お姉ちゃんったら、
鈍くて困っちゃうわ」

 息をしなければ、しゃべることもできないだろう。

「でも、もう大丈夫ね! これで安心して出かけられるわ!」

 さとりの頭の中は、床に落ちた白紙のように。
 足をぶらつかせていたこいしが椅子から降りて歩き出したところで、

「……どういう、ことかしら」

 我に返ったさとりが止める間もなく、

「お姉ちゃんに呼ばれたら、また出かけようって決めてたの。だって、もう大丈夫でしょ
う?」

 こいしは、じゃあ行ってくるね、と手を振って、後ろ手で扉を閉めていった。廊下を駆
ける音が遠のいていく。
 確かに、こいしがまた出かけるようになるなら、それは元に戻るだけのこと。
 さとりの不安は、解けたも同じ。

 本当にそうだろうか?

「私を、心配?」

 思い出そうとする動きと、落ち着こうとする働きに挟まれて、さとりの思考が激しく撹
拌されていく。
 そして、泡と浮かんでは消えゆく可能性の嵐の中に、一筋の光明を見いだしたとき。

「待って、こいし!」

 さとりは部屋を飛び出していた。五度目のノック音が乱暴に響くが、それを聞く人はい
ない。
 若干すり減った廊下を飛ぶように走り去った後に、ほかの部屋にいたペットたちが顔を
出し、窓硝子の震える音で首を引っ込める。

「こいし!」
「お姉ちゃん?」

 ステンドグラスのある広間を抜けて、玄関でようやく追いついた。
 こいしは両開きに手をかけたまま、突然出てきたさとりを見て固まっている。
 さとりが歩み寄って、こいしの帽子に手を伸ばした。

「あんまり、心配をかけさせるんじゃありませんよ」

 こいしの頭を帽子の上からやさしく、やさしく撫でる。
 さとりは思う。こいしは、自分で言ったことの意味に決して気がつかないだろう。でも、
それでいいのだと。互いが互いのことを想って、解決をみたのだから。今度からは、言葉
にして伝えれば充分なのだ。
 さとりの眼に、はつらつと応えるこいしの姿が映る。

「うん!」
文「一つ目のお化けとは、もちろんこれのことです」
田之上
http://www.h6.dion.ne.jp/~kerron/blog/weblog.html
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コメント



0.510簡易評価
5.90名前が無い程度の能力削除
地の文章がとても美しくて、かなり好みでした。こんな描写の地底の話をもっと読みたいです。
ただ、話の核心が最後まで明らかにされなかったように感じて、そこがちょっと物足りなかったです。
推測は出来るのですが…こちらの知識か読解力が足りないのかもしれません。
皆まで言わない、曖昧なままにしておく奥ゆかしさも好きなのですが
これだけ文章が綺麗なら明かしてしまっても野暮にはならないんじゃないかと思いました。
9.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい!これは…すばらしい!
先に言及されていますが、地の文章がとても好みです。プチから遡った甲斐があった…!
この雰囲気はこの雰囲気でとても好きです。ふわふわとして、すぐ手にとってしまえそうで、遠い現実感。
もっともっと、あなたの作品を読みたいと思いました。素敵なお話でした!
10.90ずわいがに削除
過保護ってわけでもない程よい匙加減。
純粋に妹を心配する良き姉、その名も古明地さとり、か。
12.90名前が無い程度の能力削除
読み直してようやく一つ目お化けの正体に辿りつけました。

読解力がないせいか最後のほうがよく理解できなかった・・・。
完全に理解できないってわけじゃないから、なんだかこう、もやもやと。

でも、良い文章に酔わせて頂きました。