Coolier - 新生・東方創想話

全て許される日 その二

2010/01/23 18:54:40
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作品集:97「全て許される日 その一」からの続きです。




4.待ち人来りて

 鳥居をくぐって主賓が到着するより先に、境内ではその日の明るい内から前夜祭がおっ始まった。そもそも文面には「ぼちぼち帰る」としか書かれておらず、いつ何時かははっきりしないのだが、天狗のコマーシャルの効果は劇的であり、続々と集まってきた海千山千の有象無象どもは、霧雨魔理沙の帰郷はきっと今日だ今夜だ、いや今にも帰ってくるに違いない。応。宴を張るなら今時分でなけりゃ間に合わぬ。えいえい応。と勇んでしまい、もう取り付く島もない。酔っ払った馬鹿共に付ける薬は月にもないだろう。
「博麗殿、もっと飲めよ!」
 見知らぬ者でも馴染みの者でも――人妖問わず――そうして呵呵として挨拶に来る度に私はうんざりとし、もう挨拶すら返さずただぐい呑を軽く掲げるばかりとなった。
 鬼、河童、天狗をはじめとした妖怪から見知った魔法使いに、里の人間、月の兎、はては幾柱か神の姿さえあらせられる。昼夜を問わぬ宴は久方ぶりとはいえ、明けても暮れても鯨飲飽きたらぬ様はもはや如何ともしがたい。すでに面倒の範疇である。誰かが寝静まれば誰かがむくりと起き上がり、酒が切れたと瓢箪を投げ捨てればちょうど手土産担いだ新参がやってくる。私はもう好きなだけやってくれと匙を投げては負けじと飲むことにした。
 心持ちいい具合となり、そろそろ誰か本気で潰してやろうか――私の隣に十六夜咲夜が腰を下ろしたのはそう思った矢先であった。
「こんばんは博麗殿」
「それやめてよ」
 私が博麗殿などと無闇に敬われるようになってどれほど経つだろう。旧知の間では笑いの種だが、その冷やかしが何より疎ましくもあり、助けでもある。
「もちろん拝殿には寄ったのよね」
「何かご利益があった試しもないくせに、おひねりを欲しがるなんて随分おこがましいわね」
「浅はかな利益ばかり求めてちゃあ益体もない。そりゃあ神様もそっぽ向くわよ」
「何と言われても酒代を寄進する気はないわ」
「貴方に天罰が落ちますように」
 本殿奥の母屋にある、河童に改めてしつらえてもらった囲炉裏に誘った。あらかじめ灰に埋めてあった徳利から燗を注いでやる。咲夜は手袋と襟巻きをとくと、かき抱くように湯のみを手で包んだ。
「メイド服はもう着ないの?」
「貴方ね、会う度にそれを言うけれど、あれを着てたのは若かった頃だけじゃない。なんなのよ、お嬢様もさっきそうおっしゃってたわ……無茶にも程があるでしょ」
 咲夜が着ているのは黒い細身の品のあるドレスである。似合うがそぐわない。この女の印象はいつでもこまっしゃくれていた頃のメイド衣装である。
「貴方こそあのフリルとリボンがたくさんの可愛らしい巫女服はどこへやったのよ」
「ケッ。あれなんてそれこそ行李の奥でとっくに虫に食われてるんじゃないの?」
「香霖堂の店主にまた作ってもらいなさいよ」
「妖怪どもの笑いぐさになるのは勘弁」
 おかわりを注ぐ。返杯をもらう。咲夜にしてはよく飲む。転がっているありったけの徳利に酒を注ぐと、また灰に埋めた。囲炉裏はとことん飲兵衛の味方である。
「ん? 貴方のご主人は?」
「お出でになってるわよ。今日は紅魔館総出」
「かしずいていなくていいのかねぇ」
「最近、私がお傍にいると厭われるのよ。今は違うメイドが控えているわ」
「あらま」
 咲夜は事も無げに言うが、よくまあ天狗にすっぱ抜かれていないものだ。紅魔館の主従とうとう破局か、なんて私でも見出しを思いつく程である。
「まぁ仕方ないんだけど」
「レミリアも戸惑ってるんでしょう、親しい者との別れを想像するなんて誰だって疲れるわよ。ましてやあんたとあいつだもの」
 咲夜は聞き飽きた、といわんばかりに肩をすくめた。狭い幻想郷では、どうしたって噂話はすぐに回る。
「医者も口が軽いわね」
「その感じじゃあ、他にも誰かから突っつかれたのね」
「お嬢様には直接言われたし、美鈴も何だか気を使ってたし」
「とはいえ今日明日じゃあないんでしょう?」
「まだまだ先よ。ほんと、いい迷惑だわ」
「文字通り死ぬまで続くわよその苦労は。ご愁傷さま」
「その言葉も、私が死ぬまでとっておきなさいよ」
 爆発音と悲鳴が震動を伴って響いた。また誰かが弾幕を張っているのだろう。神社の建物さえ壊さなければ何でもいいというのが、博麗神社で宴会が開かれる時の最初で最後の掟である。
「あぁ、いま気づいたけれど、貴方が死ぬときは私が葬式取り仕切るのかしら」
「神社で葬式なんてできるの? 穢れは立ち入れないはずでしょう」
「出向くのよ」
「大した面倒ね」
「や、まったくだわ。だからまあそん時は勝手によろしくやってちょうだい」
「知らないわよ。私いないんだから」
 考えてみれば紅魔館で榊を叩くというのも全く滑稽な絵である。
「そもそも、葬式なんて必要ないのよ。お嬢様にもきつく申し上げておかないと」
「バカねえ」
 ぐい呑を干した。睨んでおる。咲夜のこういう直情的なところは変わってはいない。
「勝手に死ぬんだから、勝手に弔われることに文句なんて言えるわけないでしょう」
「……それもそうね」
 咲夜はただうなずきを返した。徳利を一本引き抜いた。ぬる燗でも、今は何かを口にしていたかった。
「殺しても死ななさそうと評判の博麗殿は、最近お加減はどうなのよ」
「ぶっちゃけると腰がやばいのだよ」
「あらら」
「この土地に隕石が降ってくる日がきたら、何に代えても永遠亭だけは死守するわ」
 八意永琳のマッサージなくして、もはやこれより先、私の人生はないに等しくなる。
「年ね」
「やかましい」
「蓬莱の薬を頼めば手っ取り早いんじゃない?」
「そうねほんとに」
 幻想郷でなら、不死か、それに等しい限りのない長命となる手段を手に入れることは不可能ではない。それを強く勧めるものも周りにはいた。人間から妖怪に至ったもの、人間のまま不死になったものもいるから、その説得力は中々大したものだった。
 延命の薬を飲むのなら、不死の薬を飲まない道理はどこにもないのである。
 私は私を非難する言葉たちに、逐一適当なはぐらかしを挟んでは逃げてきて、今この腰である。
「飲もうかねぇ。一粒いくらかしら」
「蓬莱の薬って錠剤なの?」
「さて、今度永琳に聞いてみようかしらね」
「その気もないくせに」
 咲夜は笑うが、果たして彼女はレミリアから勧められてはいるのだろうか、と考えた。不死となるのなら吸血鬼に噛まれるのが一番手っ取り早い方法でもある、代償を全くないものとして考えるのなら。当然二人の間では何かやりとりがあったように思うが、私がいちいち混ぜっ返す必要などどこにもないし、無粋、卑怯、根性なしだ。そんなものはやはり私の性分ではない。
 そういえばレミリア・スカーレットは私たちが出会った頃よりわずかに背が伸びたように思う。特にここ最近顕著ではないだろうか。数百年変わることのなかった身体が、たった数年で変わることもあるのかと私は一度、紫に聞いたことがある。彼女はある、と答えた。妖怪の身体は精神に強く依存する。そして精神とは、ただ時の慣性に流されているだけでは培えないのだ、とも。伸びた身長の分だけ誰かを想ったということだ。
 私はまた、ぐい呑を干した。よく酒が進む。飲まずにはいられない夜もある。このまま魔理沙が来なくても、もう構わないとさえ思い始めた。
 そのとき、巫女はどこへ消えた、と大声で騒ぎが始まった。ええい面倒くさい。咲夜は、仕方ない、と言いたげに肩をすくめている。
「外は寒いってのに」
「冷え性には応えるわね」
 渋々、私は一升瓶をかついで境内に戻った。どんちゃん騒ぎはまだまだ衰えを知らない。
「でたぁ。でたよ巫女。ギャハハハ。出たよ巫女が! 巫女が出た!」
「でたでたうるさいねぇ。さぁ、飲むわよ。あんたら覚悟しな」
「博麗霊夢が本気になったぞう!」
 今度は逆に、歩きまわってから馴染みの顔に注いで回った。まず一番やかましかった河童の連中からつぶした。見知った顔はなるほど多い。様々な異変に手を貸してくれたり、また元凶であったり、訳もわからず邪魔をくれた連中であったり諸々だったが、これほど集まるのだから魔理沙の人望というのもあながち捨てたものではない。そしてそれ以上に、何かにつけて飲みたがる馬鹿共のなんと多いことか。
 そうして集まった連中に手当たり次第酒を振舞い何刻経ったか、宴もたけなわ、ややもすると魔理沙の帰郷は今夜じゃあないのか? 前後不覚をまぬがれた者がそう気を配り始めた。だがそれは杞憂に過ぎなかった。霧雨魔理沙は巨大な大八車をお供に、往年の箒にまたがって、とうとう鳥居より現れ出でた。
 時を止めたような静けさが満ちる中、霧雨魔理沙はらしい大喝をくれた。
「あらまたひっでぇな、この酔っぱらい共!」
 境内は再び大歓声の坩堝と化した。
「そら手土産だ!」
 どういう魔法で持ってきたのか、箒からぶら下げた荷物満載の大八車を、宴の中央に遠慮なく落とした。どでかい音を立ててその場にあった酒瓶から肴から妖精たちまで四方八方蹴散らされる。大八車からはここからでも大量に詰め込まれた雑多な品々が見えた。酒瓶、本、よくわからない機械から人形のような物、それに生き物までいるようだ。八雲紫の監査をくぐり抜けられたのかどうかよくわからないが、ここ数年の内でなら最大の移民ということになるのは間違いないだろう。
 その惨状の上に両腕組んで仁王立ち、霧雨魔理沙は記憶の中よりしわがれた声で、記憶の中よりも一層輝かしい瞳で叫んだ。
「幻想郷の馬鹿共よう、元気だったか? 戻ったぜ!」
「開口一番それかい! このスットコドッコイ!」
 へべれけに返したのは鬼の萃香であった。半斗どころか一斗も二斗もとっくに空けた鬼は、さっきまでとうに見境を失っていたはずであるが、てやんでいと背筋をしゃんとした。
「だぁれがスットコだよ! 碌で無しの飲んだくれが!」
「碌でもねえのはよう、おめぇも大して変わんねえだろ!」
 ろれつの回らぬ舌ではそこまでしか聞き取れないが、萃香はなおも悪口を飛ばしながら瓢箪を傾け、飲んでは叫んだ。一句一句ごとにやんやの大騒ぎは広がり、出囃子がごとき賑やかしが辺りに満ちる。
 こうなれば最早止めるものなどいるわけもなく、煽られるがままに二人は、月のない星ばかりの夜空をさらに華やかに彩り始めた。無数の色彩入り乱れる弾幕を重ね合い、冬を控えた夜空に季節外れの玉屋を響かせた。
 私は、ううん、と腰をいたわりながら何とも言えない気持ちとなって仰向けに寝転がった。
 空を舞う彼女が着るのは、往時からの発展を思わせる魔法使い然とした服装。三角帽。跨った五尺余りの箒。そして豊かな金の髪。顔立ちには確かにしわが刻まれているが、紛う事無き霧雨魔理沙であった。
「あいつ何も変わってないじゃん」
 私はぐい呑を干しながら、久方ぶりに腹を抱えて大笑いした。





5.饗宴

 どうも萃香に華を持たされたようだ。
 久方ぶりに描いた私の弾幕ばものの見事に小さな鬼の土手っ腹にぶち当たった。酔った振りというわけではないだろうが、真に前後不覚の泥酔であればあれだけ綺麗な花模様は描けないであろうから。
「お見事」
「さすが霧雨魔理沙。よし、次はあたいだ!」
「まあ待て待て。まずは駆けつけ三杯といってからだ」
「そうだ、そうだ。おうい! 降りてこいよこそ泥魔法使い」
 やんややんやと入り乱れる黒山のたかりだった。私も大声を張り上げなければ声が届かない。
「てめえら、相変わらず無茶苦茶いいやがってえ」
 地上に降りると、まずはそのまま三杯あおってやった。老体とはいえ酒を飲めばごきげんだ。周りのやつらが口々に弾幕の批判と賞賛を浴びせかけてくる。真っ先にやってきたのは天狗の射命丸文だった。
「もうすっかりおばあちゃんなのに、相変わらず無鉄砲な戦い方ですねえ」
 天狗の娘もあの頃のまま、高下駄であぐらをかいて不敵に笑っている。
「お前も相変わらずゴシップ飛ばしてんのか?」
「誰がゴシップなんか。誠実極まりない幻想郷一のジャーナリストに向かって何たる暴言」
「あたいも、あたいも!」
「まあ待て待て」
 せがんでくるチルノの頭をかきまぜてやる。弾幕はまた今度だ。とりあえず今は酒が飲みたい。そして懐かしい顔に挨拶くれて、無駄な話で時間も正気も潰したい。
 私は人ごみをかき分けながら進んだ。本当は一番初めに挨拶をしなきゃいけないのだけれど、いかんせん参内するには鳥居からこっち、全員との顔合わせを拒むわけにはいかない。遅くなってすまないとは思うが、機嫌を悪くせずに酒を受けてくれたら本当に嬉しい。
 博麗霊夢はいつかのように、あのつまらなさそうな顔で腕を組んでいた。
 火照っているのは結構飲んでいるからだろうが、なに、そのせいでちょいと本心が透けてるぞ、巫女よ。
「おかえりなさい」
「いよ。おひさ」
 誰かが二つの杯に酒を注ぐ。二人で一気に干した。霊夢はようやく笑う。ああ、私もあんたにもう一回会えて嬉しいよ。星の泳ぐ夜。懐かしい相棒。この酒、格別、というやつだ。
「いやぁ、美味いね……」
「悪かないわね」
「しかし老けたねえ。老いぼ霊夢だね」
「やかましい。あんただって皺くちゃのばばあじゃないの」
「何をう? さっきの見たろ? この活力! 弾幕だってまだまだ張れるぜ」
「みっともない。歳相応の落ち着きというものを、あなた達はいつになったら備えるの?」
 横槍を入れてきたのは、誰かと思えば十六夜咲夜だった。
「咲夜か、老けたなあ」
 しかし、怪しいまでの美しさの老いだった。それは背筋をわずかに冷やすほど達観した美だった。
「元気そうね泥棒さん」
「懐かしい呼び名だな」
「貴方は相変わらずのようね」
 メイド服ではなく黒いドレスだったが、それはもう私を大いに落胆させた。メイド服着ろよと茶化すと、聞き飽きたという風に眉根を寄せては霊夢に笑われた。
「霊夢のあのやんちゃな巫女服も見たいけどな」
 博麗神社を統べる幻想郷の要石は、まことに地味な出で立ちの巫女服に収まっていた。
「この博麗殿、いつでも自分は棚に上げるのよ」
「文句あるなら有り金全部賽銭箱に突っ込んでから紅魔館帰りな」
「生臭巫女ね本当」
 うるさいと言い捨てると、霊夢は拗ねたように横を向いた。そこで私はまじまじと彼女の顔を眺めた。深いしわがあった。とても深いしわだった。目元から頬骨を迂回して顎から首まである長いしわは、大地を隔てる崖のように窪んだ亀裂は、彼女の目や鼻、髪、声音などよりも断然に彼女を表しているように思えた。
「おいぼ霊夢だね」
 私がいうと、博麗霊夢は驚いた風に目を見開き、次いで不満げに眉根を寄せた。やがて最後にシニカルに表情を歪め、だろう? と誇った。その強さは確かに、誇ってもよいものだと思った。
 さて、ともったいぶりながらよっこらせと壇上に上がると、博麗霊夢は号令をかけた。
「さあさ、前夜祭は今をもって終わり。ここじゃああんまり好かれてなかった盗賊魔法使いが帰ってきたんだ、とことん行こうじゃあない?」
 応、と返事は綺麗に合わさった。こいつら、こういう時ばかり息を合わせるのだから憎たらしい。私は確かに好かれている方じゃあないが、憎たらしく思いながらも飲みに来てくれた連中はありがたく思う。
 よく見ると見知らぬ連中も大量にいるが、便乗で大騒ぎするというのも幻想郷らしい風景だった。その中でぞろぞろと腰を上げて母屋に移動する面々がいたが、そいつらは皆、飯屋ばかりであった。宴会の準備というわけなのだろう。
 さてこの広場には一体何人いるだろう、百は軽く超えている。四方八方で松明が煌々と燃える。影絵はだから無数といえた。その中で甲斐甲斐しく動くもの、あぐらをかいて飲んでばかりいる者がそれぞれはっきり別れているのも、誰がどちらなのかも、二十年前、あの旅立ちの夜の頃と変わらない。
 幻想郷は何も変わることがない、私はあらためて強く実感した。
「さあて、昔馴染みばかり集まったところで、本会を始めますか」
「もう随分酔ってっけどな」
 さあ、と大皿が運ばれてくるが、焼き鳥、焼き鰻はもちろん、秋の蓄えを全部放出してしまったかのような豪勢さに私は目を丸くした。一部をのぞいてはみんな地べたにそのまま座り込んでいるけども、気にしているものは少ないようだ。
「おいおい霊夢。こんだけ豪勢にやっちゃってさ、冬こせるのか?」
 私が冗談交じりに肘を小突くと、霊夢は肩を怒らせながら立ち上がって、ざわざわと宴前の喧騒に大して、バンと一発賽銭箱を殴りつけ、大声でかき消した。
「始める前に一言だけ。今夜のもてなしの費用は、我が幻想郷で随一の品数を誇る雑貨屋、香霖堂が店主、森近霖之助さん持ちだということをお知らせしておきます。皆様今夜はお代は結構でござい」
 いいぞ。男前だ。幻想郷一だ。
 口笛が一斉にこだまし、プリズムリバー三姉妹が操る楽器が空中でファンファーレを鳴り響かせ、森近霖之助――香霖の抗議の声を一瞬にしてかき消してしまった。二十年ぶりの香霖は意外なことに老けているように見えた。ハーフだから年を取るのは比較的早いのだろう。とはいえまだまだ三十代の頃にしか見えない。私は息子のような年格好の、小さい頃からのお兄さんに軽く感謝の手を挙げた。
「さあ、請求書の心配はなくなったところで始めましょう。もちろん乾杯の音頭は当人の仕事だわ」
 私は立ち上がった拍子にたたらを踏んだが、認めたくはないがすでに酔っている証だ。酒に酔ったが場にも酔う。心尽くしにも酔う。何も変わらない、あの時のままの幻想郷で、私は浦島太郎にすらなれなくて、幼く夢に煌めいて日々を駆け抜けていた子供の頃に巻き戻されていく。
 紅魔館の連中がいる。レミリア、背が伸びたか? 美鈴に抱えられたフランが手を振っている、パチュリー・ノーレッジはちょっとだけ口の端を持ち上げる皮肉な笑みを浮かべている。守矢の神社のやつらも、地の底にいるはずのやつらも、竹林の隅っこでこそこそしている宇宙人どもまで勢揃いだ。それに、アリス。
 憎たらしい目で睨んでくるやつもいれば、よく返ってきたと口笛を吹くやつ、こっちを無視してひたすら酒ばかり相手にしているやつと人それぞれ、確かに嫌われ者の魔法使いに相応しい歓迎の会だ。
 ああ、全く愉快だ。二十年やそこらで、この一癖二癖でおさまらない連中の顔を忘れるはずがない。だが私の中にはすっかりくたびれた部分があるようで、その変化のなさを覚悟していたはずが、どうにも上ずってしまい、何だか若い頃に戻ったような気がしたのだった。しかもその幅は十年や二十年どころではなく、四十年も五十年も前、まだまだ幼かった頃の過去に容易く巻き戻っていく。
 下手な咳もやけに響いた。こういう空気は私は得意じゃあないが仕方ない。
「ええ。というわけであらためまして、ただいま戻りました。みんなのアイドル霧雨魔理沙です」
「誰がアイドルだって!? いい年かっぱらっておこがましいなぁ」
 遠慮のない野次に私は怒鳴り返してやった。が、それも見知った顔である。
「にとり! 帽子のデザイン変わったなあ」
「今日のためにの新調よ」
 帽子を傾けながら、くいっとしなを作る河童の娘に、歓声が上がる。
 どちらを向いてもどこかで見た顔だった。こんな愉快な気持ちになったのはいつ以来だろう。そしてこんなにも寂しい気持ちになるのもいつ以来だろう。いや考えるまでもなかった。二十年ぶりだ。幻想郷はここより他にないのだから。
 私はただただ込み上げてくる懐かしさに、悲しみも辛さもない異様なほどに純粋な懐古のために、自分が一体何者なのかを見失いかけた。笑顔だけは消さないまま、ありったけの声で気勢を上げた。
「今日は私のためにこんだけの人が集まってくれて本当に嬉しい。大いに飲もう。乾杯!」
 大合唱が響いたのちに一瞬静まり返るのは、いつでも気持ちがいい。そしてプハアと酒臭い息でのため息はそれの何十倍もたまらない。飲み干した口はすぐさま愉快な笑い声を漏らす。頼んでもいないうちから誰かが杯を満たしてくる。それを飲む間もなく誰かの猪口がぶつかりこぼれてしまう。杯が満ちる。あれよあれよと人が押し合いへし合い、全く落ち着く暇がない。私の服はすぐさましとどに濡れそぼった。
 やがて私は自分が前後不覚になりつつあることを自覚した。過去と現在の境。体と心の境。生と死の境。宴はそれら全てを不覚と成す儀式だ。ここは幻想。あらゆる価値が失われ、求めないことを求められ、永遠を舞台にした相対された世界。私は再び戻ってきたのだ、この囚われのいじらしい夢に。
 幻の跋扈するこの世界で、私は月が隠れるように愉快に自分を見失った。たった一つ、伝えなくてはいけない言葉を残して、風に吹き曝された砂のように、私は私を見失った。





6.悲喜劇交交

 最も長生きのこおろぎが羽を懸命にこする草むら、私は喧騒を背景に闇に立っていた。宴会はいわゆるしみじみのメンバーが残っているだけで、もう燃え尽きる前の熾火のように、そこかしこでちりちりと会話が交わされているだけだった。私も久しぶりに酒を飲んで、顔が火照っていた。食事を取ったのがそもそも数年ぶりということもあるけれど。
 パチュリー・ノーレッジの咳が二度三度と鳴るまで、私は音色に耳を傾け続けていた。
「種族としての」
 もう一度咳が鳴るが、それはあらかじめ配られた楽譜に記されたピッツィカートに従ったまでというくらいに、こおろぎの羽音にそぐうものだった。
「魔法使いと、人間の範疇に留まったままの魔法使い。両者におけるもっとも大きな違いを貴方は何と定義する?」
「衰えること」
 私は即答したが落第であるようだった。パチュリーは草むらを向いたままの私の隣に並んで、視線を揃えた。死を目前に控えた演奏会は苛烈でもなく、悲愴でもなく、ゆるやかに減衰する命の波長をそのまま伝えようとするかのように、穏やかであった。
「そうではないことを、私は霧雨魔理沙を見て知ったわ」
 境内だろう、グラスが砕け散る音がここまで聞こえた。演奏家は気分を害して手を緩めたが、やがてまた音を響かせ始めた。
「魔理沙を見て?」
「ええ。やはり人間のままでは、人間のままでしかいられないのよ」
「思わせぶりなトートロジーなんてもったいぶるじゃない。貴方らしくないわねパチュリー・ノーレッジ」
「貴方は魔理沙から魔力を感じた?」
「ゼロではないでしょう」
「そういうことじゃなくて」
「言わんとすることはわかるわ」
 霧雨魔理沙の魔力の減少は初見から確認出来たが、別段皆無というわけでもない。伊吹萃香との戯れを見てもわかるよう、力自体は残っている。パチュリーの問いは、その魔力がもはや色を失った無色透明のものでしかないのだ、ということを質しているに過ぎない。私だからこそ色と思ったが、パチュリーであれば月水金もしくは他のいずれかの属性を手放した、ないし失ったと表現するだろう。
 方向性を失った魔力はそれ自体ただの力に過ぎない。腕力、脚力などと何ら変わることがない。つまるところ、魔力は目的意識がなければ何ら特別な意味も持たないただの力ということだ。
 魔理沙の魔力は、私の目からははっとするほど、無色透明だった。二十年前は一切そんなことはなかったというのに。
「やはり止めるべきだったのよ。下らないのよ、外の世界を見に行きたいだなんて。ただの好奇心じゃない、そんなもの。好奇心に存在価値を塗りつぶされた魔理沙も、情けないけれど。貴方流に言えば、霧雨魔理沙は魔法使いの形を弄んでいる、ただの人でしかない、わね」
「であるのなら、私たちは人の形を摸し、しがみついているただの現象ね」
「私たちは違う。私たちは選択したのだから。人間であるかの違いは、つまりそこなのよ。私たちでも衰えることはある。けれど目指すことをやめはしない。私たちは選んだから。人間という段階を超え、つまりラクダであることをやめ、己の中の獅子を屈服し、赤子に戻って自分の無力さを噛み締めながらも、目指す高みを求めて力を磨いてきたのだから」
「言葉が多いわね、パチュリー」
 魔法使いはすべからく生きる意味と存在の目的をシンクロさせなければ生きていけない。その在り方こそが魔法使いなのだと言えるだろう。全てを捧げ、擲つことを躊躇うものは魔法使いとはいえないのだ。パチュリーが図書館から外出をしたのは何十年ぶりのことか。私が食事を取ったのは何年ぶりか。私たちは究明し、読解し、開発するためだけに生きている。それが魔法使い。それが妖怪。それが出来ないのが、人間なのだ。
 霧雨魔理沙はついぞ種族の壁を突破することなく、人間であり続けた。あまつさえ外の世界で十分な研究、鍛錬も行うことも出来ず、はっきりと衰えてさえいた。パチュリーはそのことに苛立っているのだろう。裏切られたとさえ思っているかもしれない。そして、そんなことを思う自分にもまた、苛立っている。
「パチュリー。貴方がそこまで人の事に干渉するなんて、初めてじゃないかしら?」
「そうね、帰るわ。酔ったみたい。レミィが勧めるからね。また今週のサバトに私の図書館で会いましょう。さようなら、アリス・マーガトロイド」
 ふわりと、いつもように波に漂うように空に浮かんだパチュリーは、広大な図書館へと戻っていった。眠ることもなく、ただ自分の目指した高みにたどり着くために。やがて、こうろぎの奏でる美しく清らかな断末魔がついえた。演奏会は閉幕と相成った。余韻が一人残された私の耳を聾している。
 私は母屋へと戻ることにした。境内では丈夫な妖怪たちが寒さも気にせず寝転がっている。横切ったとき、八意永琳が入っていくのが見えた。私はそれでいっぺんに入りづらくなって、障子から漏れ出してくる明かりを背中に浴びながら、縁側に腰を下ろした。輪に入り損なった私を飽きさせまいと、人形たちが目の前でダンスを踊り始める。
「あら、おばあちゃん三人揃い踏みなの? 通りで辛気臭いと思ったわ」
「無駄口はいいのよヤブ」
「このまま帰ってもいいのよ? 腰の調子を見なくてよいのなら」
 品がないとは思いながらも、私は障子越しに彼女たちの会話を楽しむことにした。魔理沙と話はしたが、長々と会話をすることが私は得意ではない。特に複数人での集まりで会話がやりとりされるとき、どうしても割って入ることができずに聞き手にまわってばかり。それをいいとも悪いとも思わないが、それならばこうして盗み聞きではないが、隔てられた方が気安い。
「さて。じゃあまずは聞き分けのいい紅魔館ちのおばあちゃんからね」
「よろしく、口の軽い主治医さん」
 二人は隣の襖の向こうに消えていった。
「咲夜、調子悪いのか?」
「さあ。まだ死ぬには早いでしょう」
 十六夜咲夜の体調がよくない、というよりも体の中身のどこかが痛み始めたという話は少し前から口々に言われていた。その言質を取ったというわけではないけれど、真実なのだとあらためて知らされるとやはりいい気はしない。
「あんたも見てもらいなさいよ」
「見てもらう必要なんざないね。自分の体は自分が一番よく知っている」
「何よ、長くないみたいな言い方ね」
「多分」
 霊夢がはっとして黙ったのが障子越しにでもわかった。滑稽なコメディを演じている人形たちを取り残して、私の視界は急にぼやけた。何か話してよ、霊夢。私はこころの中で何度か繰り返し、とうとう言葉として漏れそうになったとき、魔理沙が台詞を継いだ。
「借りてたもんを返すために戻ってきたんだ」
「盗人のくせに」
「盗人じゃないって」
「魔理沙、いってたもんねえ。盗んでるんじゃない。死ぬまで借りてるだけだ! って」
「有言実行の女なんだよ私は」
「じゃあ死ぬんだ」
 魔理沙はそれに答えずに、愉快そうに笑った。
「とにかく、一度家に戻って荒らされてないかを確認しないとな」
「もうあらかた盗まれ返されちゃってたりして」
「それはない。パチュリーとアリスに手伝ってもらってな、笑えるくらい強固な結界張ったんだよ。なんせ勝手にもってかれちゃあ、たまんないからなあ」
「大事な物ばかりだものね」
「ああ、他人様からの預かり物だ。大事だろ?」
「私にも返しなさいよ」
「あれ、何か借りてたっけ」
「忘れないでよ、お金貸してたじゃない」
「おいおい、平気ですげえウソつくなよ博麗殿。私はお金だけは借りてないんだよ」
「そだっけ? まあ帰りしに賽銭箱に突っ込んどいてくれりゃいいから」
「お前マジ二言目にはそれだな。二十年ぶりなんだぜ? 他にあるだろうが」
「二十年分の賽銭よろしく」
「ばかやろう」
 笑い声が途切れるのを待って、背後の影絵はサイレントの幕と相成り、カチャカチャと湯のみやグラス、食器の立てる音だけが別撮りの効果音のようにテンポがずれていた。しかしそれは劇としてはちょうどのよい演出、幕間であったのだろう。魔理沙の声がもっともよく透き通るように図られた、ひどい運命の手腕だった。
「霊夢、私と永遠を生きないか?」
 人形たちのコメディにオチがつく。満場の拍手と笑顔の喝采を期待した小さな小さなコメディアンたちを、私は手を差し伸べて胸にかき抱いた。よくわからない感情が渦巻いて、胸が冷たいと感じた。冬至にはまだ遠いけれど、十分夜が長い季節だった。まだまだ明けない朝が待ち遠しくなり、私は何年ぶりかの眠りを求めて家路についた。


 つづく
朝青龍関おめでとうございます。
ぴーおー
http://www.geocities.jp/psk3233/
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コメント



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2.80名前が無い程度の能力削除
むむ…まさか魔理沙からこの手の誘いが来るとは。
続きを楽しみにしてます
6.100名前が無い程度の能力削除
咲夜さんの老後の姿かぁ……ちょっと想像がつきませんねw
彼女たちがどのような結末を迎えるのか、今から楽しみにしています。
8.80名前が無い程度の能力削除
続きも期待してます。

あと急に朝青龍が出てきて笑ったw
9.80えび削除
宴会の雰囲気に酒気を感じました。こんなふうに気持ちよくお酒飲めたらどれだけ気持ちよくて、どれだけ寂しいのだろう。
続きを楽しみにしていますー。
11.100葉月ヴァンホーテン削除
全三話くらいで終わるのかな? と推測し(勝手に)80点から始まって最後に100点だ! と思っていたのに、もう無理。100点。
老いて猶、美しい彼女たち。
例えるならそれは、上等なヴィンテージもののワインのような美しさ。渋みはあれど、それがいい。
そして、多くのキャラクターを効果的に登場させ、且つ、東方らしさを兼ね揃えたウィットに富んだ掛け合い。
更には、先が全く読めないワクワク感。早く、今すぐにでも続きが読みたいと思わせる構成力、文章力。
どれを取っても一級品で感服するより他にありません。
早く続きをお願いします。私の首の長さがギネスに載る前に。


あと、報告です。
>「誰ががゴシップなんか。誠実極まりない幻想郷一のジャーナリストに向かって何たる暴言」
>私たちでも衰えることはある。けれど目指すことをやめはいしない
13.100名前が無い程度の能力削除
凄い続ききになる!
しかし後書きwww
14.100名前が無い程度の能力削除
次も期待!

朝青龍~w
16.無評価ぴーおー削除
 二日酔いの度にもう絶対呑まないぞと決めて、その同じ数だけまた後悔します。ぴーおーです。皆様コメントありがとうございます。

>2さん
 続き頑張ります。

>6さん
 咲夜さんは老いても綺麗です。むしろ老いてなお綺麗です。マダムです。

>8さん
 あの右四つ→がっぷり→右上手投げの流れは素晴らしかったです。叫びました。

>えびさん
 やはり作者が酔ってるからです。うぃ。

>葉月ヴァンホーテンさん
 100点&ご指摘ありがとうございます。ワインは次の日も残るからほどほどにしないとですね。
 ギネス級でがんばります。ギネスビールはあんまり飲んだことないですが。

>13さん
 今夜の千秋楽も期待が高まるところです。

>14さん
 やはり朝青龍に賜杯はよく似合います。
26.90ずわいがに削除
皆が皆ちゃあんとおばあちゃんしてて、何と言いますか……
続きに期待しときましょう。