「れら。わーしはアリスにゆってやったわけら!」
「うわっ」
酒瓶が僕の頭上を通り過ぎていった。魔理沙はバランスを崩して転ぶものの、
「おんそくがおそいぜ! ってな」
構わず話を続けている。
ここが居住スペースで本当に良かったと思う。もし店内でこのようなどんちゃんを起こされた日には、僕は霧雨魔理沙と名のつくものすべてを出入禁止処分にしていただろう。
殻になった瓶を傾けて、酒がでないのを不思議がっている様子はどこから見ても立派な酔っ払いだ。
「あんだあんだこうりん、れんれんろんへないじゃないか!」
「僕は元からそんなに酒を飲む方じゃないし、飲みたいとも思わない。君の痴態を見ているとますますその思いが強くなっていくよ」
「ちっぱい? なんろそれ、くえるのか? うふふふふ」
正体を失くした幼馴染の魔法使いの姿は、いよいよ見れるものではなくなってきた。けたけた笑いながら、新たな酒を求めて匍匐前進を始めた。
「とんだ飲兵衛だな……年頃の女の子とは思えない」
「おらーさけらーさけもってこーい」
「……」
ぎょっとする。酒瓶は反対の手に回されていて、徒手空拳だった方にミニ八卦炉を握っていたからだ。
急いで魔理沙へと駆け寄り、それを没収する。ついでに酒瓶も。
「あんらあにすんあー?」
「足元すら覚束ない状態で、弾幕ごっこでもしようってのかい君は」
「てんじょーぶちぬいて、みるきーうぇい! ほしみほしみ! だーらもんらいない!」
大アリだった。というか破壊活動だった。
……まあ、すでに今日の安眠は破壊し尽くされたわけだが。
「まったく、魔理沙だけでもとんでもない散らかり具合だな」
いつもは僕を宴会へ引っ張っていこうとしている彼女が、今日はひっそりと飲みたいと言うので、快くここで飲めばいいと許可してしまった自分の行動が悔やまれる。これが霊夢やら紫やらが入り混じる宴会だと考えたら、背筋に氷柱を突っ込まれた気分になる。
夢の世界に旅立った魔理沙は穏やかに寝息を立て、先程までの暴れっぷりはどこへやら、行儀よく寝ている。
「……手間ばかりが増えていく」
ここで放っておくのはいい手だが、正気に戻った時が怖い。ちゃんとした寝床まで運んでやらないといけないようだ。
小さな体躯を抱え上げると、左腕がだらりと垂れた。それでも手にはミニ八卦炉が力強く握られている。
「君が普通の魔法使いではなく、普通の女の子だったら、僕は安眠できただろうに」
今更言っても詮無いが、言わずにはいられなかった。
「……う」
頭の中から外に向けて、金槌で殴られているような痛みだ。
昨夜は飲みすぎたようで、途中からの記憶が薄い―――というか、無い。
香霖堂に押しかけて、一刻ほど酒を水のように呷ったのは覚えているが、その先のことは―――?
「うぐぐ……頭痛が痛いぜ。水を一杯貰おうかな……」
迎え酒という手段もあるにはあるが、わたしはあいにく酒狂いではない。素直に水を飲むことで事態の収拾を図ろう。
「おーいこーりーん……」
「君もそろそろ自制を覚えたらどうかと思うんだが」
水を要求してみたら、出てきたのは窘めの言葉だった。ここは店なのに、客に対するサービス精神の欠片もない。
「ここは店なのに、客に対するサービス精神の欠片もない……いたた」
「おや、どこに客がいるんだ? 僕の視界には、自業自得と顔に書いてある普通の魔法使いしかいないのだが」
「……釣れないぜー」
と言いつつも、湯のみには水が注がれている。
紫曰く、外の世界ではこういう回りくどい奴を「つんどら」と呼ぶらしい。
いつもは突慳貪としているが、極稀に叩かれた銅鑼を間近で聞いた時のようにしびれる真似をするのが由来らしい。もしも本当ならば、外の世界はその由来通りに回りくどさが溢れ返っているに違いない。
そういう面倒な世界に自分が身を置いたら、と、頭が勝手に考えた。瞬間、酔いが若干醒める。
水を一気に呷った。冷たさが喉に心地良く、酔った血管に透き通った水が染み込んでいく。
「まったく素直じゃないなぁ香霖は」
「商売柄、実直でいて且つ斜に構える必要があるからね。今のは素直に褒め言葉として受け取っておくよ」
それは素直と呼んでもいいのだろうか。
ちょっとだけ考えようとしたが、小さな矛盾は考えれば考えるほど巨大になっていくものだ。思考地獄に陥りそうなので、香霖が言うように自制しよう。
「水、ありがとな香霖。今度パチュリーの本をいくつか持ってきてやるぜ」
「……幼馴染として忠告するが、盗人稼業からは足を洗った方がいいぞ」
「稼業とは心外な。言っておくが、わたしは普通の魔法使いで、そして本は永久に借りているだけだぜ」
溜息を吐かれた。物分かりが悪い奴め。
「さってと、そろそろ帰るかなー」
「そうか。神社や白玉楼では構わないが、二度とうちでは飲まないようにしてくれ」
返事はせず、入り口に立てかけてあった箒を手に取る。軽く手を振って扉を開いた。
後ろ手で扉を閉める。軽い音がし、外と内が遮断された。
「うーん、大分良くなったけど、まだちょっとだな。帰ったら気が済むまで寝よう」
箒に跨り、空へと飛―――
魔理沙が出て行くのを見届け、さて、今から香霖堂の営業が始まる。
今日も本を読みつつ、客が来るのを待つとしよう。昨日、魔理沙が押しかけてくる時まで読んでいた本が途中だったので、早速開く。
「…………」
この本は、八雲紫が持ってきた外の世界のものらしい。まあ確かに幻想郷にはこういった類の書物はないし、外の世界の物には間違いないだろう。
が、彼女の言葉にはいくつもの側面があり、簡単に信用してはならない。むしろ警戒するに越したことはないのである。
もしかしたら特定のページを開くと外の世界の風景が―――
「……無いな」
以前、外の世界に飛び出そうとした僕だったが、八雲紫に押し戻された経歴がある。
幻想郷は幻想でなくてはならない。外界に染まってしまっては存続の危機だ。
あくまで外界は、知識もしくは、多大な影響が出ない程度の小物に留める必要がある。
自分に備わっている能力で判るのは、これが本だという事実のみ。何らかの仕掛けがあるかどうかは把握出来ないが、あったとしても発現してみないとどうとも言えない。ここは彼女を信じ、素直に読み進めるとしよう。
「ふむ―――」
扉の向こうから轟音が響いてきたのは、その直後だった。
「……」
「…………」
顔から地面に突っ込んでいる魔理沙を見たのは初めてだった。シュールな光景である。
酔いがまだ回っているのか、飛んだと思ったらこうなったのだろう。
「魔理沙、大丈夫か」
「……う、うう」
抱き起こすと、魔理沙は涙目だった。
あれだけの音を立てて地面へと突入したのだ。痛くないはずがない。
「立てるか?」
「う、う……」
何が起きたのか正確に把握出来ていないらしく、顔を土塗れにしていても、それを拭おうとすらしない。ただただ、顔に走る痛みしか知覚できていないのかもしれない。
「まだ酔いが醒めていないんだろう。顔を洗って、しばらく店の中で休んでいくといい」
いつもの元気な姿とは打って変わって、こんな魔理沙は新鮮を通り越して不安を覚える。
とりあえず手で顔に付いた土を払い、立てない彼女を背負う。
「……ちっ、違うんだ香霖」
歩き出した矢先、魔理沙が言った。
「違う? 何が違うんだ?」
焦燥感に溢れた声だった。魔理沙らしくもない、萎びた声だ。
「痛いから泣いたんじゃなくて……いや、ちょっとあるけど。本当は」
「本当は?」
店の中に入ると同時に、仰天するようなことを言われた。
「飛べないんだ。だから、わけわかんなくなって」
「魔法が使えなくなったぁ?」
煎餅とお茶をたかりに来た博麗の巫女は事情を知ると、目を白黒させて訝しげな視線を魔理沙に向けた。
「な、なんだよその目は」
「アレじゃないの? 変なキノコでも食べて、魔力が封印されてるとか」
「いや、その線はないな。非常に残念ながら、今の魔理沙は貧弱な一般人と大差ない」
「貧弱言うな。お前覚えてろ」
むくれる魔理沙はさておき、話を続ける。
「封印されていて外に出せないだけなら、体内の魔力の流れすらなくなるのはおかしいからね。それに解呪や解毒の効果があるアイテムも数点試してみたが、なんの成果もない」
「つまり、今の魔理沙は貧弱で貧相な一般人なのね」
「一言余計だぞ」
「あら、なんのことだか?」
霊夢はしれっとそっぽを向く。今日もやはりあらゆるものの宙に浮いていた。
「ま、長い魔法使い人生、そういう経験もあるのかもしれないわね。とりあえず、お茶でも飲む?」
「それはうちの売り物なんだが」
「細事、細事」
気にするなとでも言いたいのだろうか。手馴れた手つきで霊夢はお茶を煎れ、三人分を持ってきた。
……なんだか、博麗神社による侵略の度合いが日々強くなっている気がする。
「で、どうするの? 原因がわからないんじゃあ、手の打ちようがないでしょ?」
「とりあえず、魔法図書館に行ってみるぜ。あれだけ本があれば解決策の一や十は転がってるだろうし。うん、きっとある! なんとかなる! 迷わず進めよ行けばわかるさ!」
「ふーん、魔法図書館……」
何やら含みを持ったような霊夢に構わず、魔理沙は前向きな言葉を紡いでいる。
ややあって、霊夢の視線が僕へと滑ってきた。そしてにやりと笑う。
本能が僕に告げる。碌なことにならないと。
そして霊夢の口が動き、爆弾を投下した。
「行くのはいいけど、今の状態であそこの警備を突破出来るのかしらね」
「…………」
明朗に喋っていた魔理沙が押し黙った。
弾幕はパワーと言って憚らない魔理沙のことだ。門番や妖精メイドを蹴散らして紅魔館へと突入している光景がありありと想像できる。
そんな前科持ちの彼女が「ちょっと図書館で調べ物させてください」と神妙に言ったところで「わかりました」と快諾を貰えるはずがない。いつものように弾幕ごっこが始まって、しかし魔法が使えない魔理沙は抗う術を持たず、哀れ重症患者が一人出来上がるだけだ。
「ま、まあ何とかなるさ。今までだって何とか」
「顔が引き攣ってるわよ」
「うぐ」
「それに、魔法使いっていう前提があったからよねそれ」
「あべし」
「今のあんたじゃ、精々妖精メイドと相打ちね」
「ちくしょうお前は馬鹿だ」
やいのやいの、けんけんごーごー。二人が言い合いを始めてしまった。
「……霊夢がついていってやれば、万事解決じゃないか?」
事態が紛糾している最中、とりあえず解決策を提示してみる。店の中で騒いでもらいたくない、というのもある。
「そ、そうだぜ! お前も一緒に―――」
「ごめんねまりさわたしこれからやみけいのようかいたいじのしごとがあって」
「棒読みだー! 抑揚なしだー! 絶対嘘だー!」
天を仰ぎ、頭を抱える魔理沙。しかし霊夢は意に介さず、「ホホホ」と囀りながら、笑顔を貼りつけたまま店内から去っていった。
「ま、待ってくれ霊夢! れーいむ! かんばーっく!」
「……」
魔理沙は力なく床に崩れ落ち、一生懸命腕を空へと伸ばしていた。
しかしすでにその姿はどこにもない。
「……」
「…………」
気不味い沈黙が幾許か続いた後、魔理沙がゆるりと動いた。
その緩慢な動きは、見る者に危機感を齎すものだった。
「おい香霖」
「……な、何かな」
「お前、咲夜とかと仲良いよな?」
「い、いや。良い悪いではなく、客と店主といっただけの間柄で」
「それだけあれば十分だ。少なくともわたしよりかはずっと警戒心が薄い」
先程の霊夢の笑みが思い出される。こうなることを見越していたに違いなく、天使のようなあの笑顔が悪魔のそれに思えて仕方ない。
「そうだ。常に力尽くで押し通るとは限らないんだ。たまには話し合いで平和的に解決策を導き出すのも大事なんだ!」
「急に悟りを開いてくれて僕個人としては非常に喜ばしいが、なんと間が悪い」
「そういうわけで行くぞ香霖!」
「……嫌だと言ったら?」
「元に戻った時が楽しみだな」
完膚無きまでの脅迫だった。
「なんだよ、か弱い女の子が頼って来てるのに見捨てるのかー。これでわたしが死んだら毎晩呪ってやるからなー」
「……はぁ、仕方ないな。今回だけだぞ」
僕が肯くと、当然と言わんばかりに魔理沙は笑った。
「あら、闇系の妖怪退治はどうなったの?」
「よく考えたら今は昼間だし、魑魅魍魎の時間じゃなかったわ。だから神社で時間を潰してるのよ」
「素直じゃないわねえ」
「それは今度、魔理沙と霖之助さんに言ってあげるといいわ」
湯呑みを傾け、香霖堂から持ってきた煎餅を手に取る。
「で、霊夢。何か心当たりは?」
「さっぱりよ。原因が不明だもの。そういう紫はどうなのよ」
「わたしは魔理沙が魔法を使えなくなった、という事しか知らないわ」
いけしゃあしゃあと言い放つスキマ妖怪を軽く睨めて、煎餅を齧った。
「何よ、同じじゃない」
「ところがそうじゃないのよね。あなたはそうなってしまった魔理沙を実際に見ているというアドバンテージがあるわ」
「……アドバンテージになってないような気がするんだけど」
「細事、細事」
自分の言葉を繰り返される。こいつ、絶対どこかで見ていたに違いない。
「じゃあ原因はこの際すっ飛ばして、解決策を考えましょうか」
「あんた頭悪いわね。原因がわからないのに解決方法が出てくる訳ない」
「それはどうかしらね。意外と見落としている視点があるやもしれませんわ。よく言うでしょう? 『灯台でも暗しー』」
「それを言うなら『灯台下暗し』でしょ。何よ、『でもくらしー』って」
「灯台でも照らせない部分があるってこと。つまり身近なところにヒントがあるのよ」
言いたいことは判るが絶対違う。
最後の煎餅を齧りながら、スキマを侍らせる妖怪を一瞥した。
「まあ、身近なところってのは一理あるけど」
「そうそう、言われてみれば『そういえば』ってね」
続く
間を空けている場所も、場面の転換を除いて不要に見える
内容は読めるし、オチが見えそうな伏線も逆に先の展開が気になる材料になっていて面白いと思う
実はこの空白は後編で非常に重要な意味を持つとかなら話は別ですけど多分ないと思いますし。
特に最後の続くの前の空白とか何の意味があるの?
続きを期待しています。
続編に期待大。