最初は痣かと思った。
手の甲に浮かび上がったのは、縦横無尽に走り回る赤い線。まるで何かの模様のように見えるけれど、この段階では判別も難しい。
悪戯しようと飛び回っていたフランドールを追いかけるうちに、いつのまにかぶつけていたのだろう。なにぶん、相手が相手だ。この程度の痛みに気を取られていたら、一時間後には紅魔館が灰燼と帰す。
ペロリと舌を這わせ、舐め取る程度で治療とした。どうせ吸血鬼。放っておけば、そのうち治るさ。
さして気に留めることもなく、一分もしないうちにレミリアはその痣を忘れようとしていた。
思い出したのは、翌朝のこと。
「あら……」
シーツをはね除ける手の甲には、相変わらず謎の痣が浮かび上がっていた。しかも、昨日よりも色濃い。
判別不能だった模様は、幾つか候補が絞れる程度になってきている。
吸血鬼の回復能力でも追いつかない痣など、自然に付けられるものではない。呪いの類か、あるいは銀食器で叩かれでもしたか。いずれにせよ、何か人為的な臭いを感じる。
頭の中に幾人かの相談相手が浮かび、永遠亭の薬師や胡散臭い大妖怪に×の字が覆い被さった。残るのはいつも通り、大図書館に陣取った親友の魔女。あれの知識ならば、大概の質問には答えが返ってくるのだ。
咲夜に服を着替えさせ、赤いドレスを翻しながら地下の大図書館へと飛んでいった。善は急げと言うし、レミリアは暇なのだ。この程度の怪奇現象ならば、むしろ喜んでその身に受けよう。
勿論、首謀者にはそれ相応の報復を覚悟して貰わないといけない。退屈が紛れるからといって、反撃を遠慮するつもりはなかった。吸血鬼を攻撃するのだから、当然の報いは受けて貰わないと矜持も傷つく。
「あなたはいつも、ここに厄介事しか持ち込まないのね」
「紅茶とお菓子も持ってくるでしょ」
「それはメイドの仕事。あなたじゃない」
「メイドの仕事は主の手柄。咲夜がやったことならば、善悪問わず私の所行でもある」
功績だけを掠め取るようでは、誇り高き当主とは呼べない。稼いだ金貨を奪うのならば、泥を被る覚悟が必要なのだ。
「だから教えてちょうだい。これは、何?」
「手、あるいは手の甲」
「自分でも笑えない冗談は嫌いよ。この痣、昨日から付いているんだけど今日になっても消えないのよ」
レミリアが吸血鬼であることなど、館だけでなく幻想郷中に広まっている。今更、そこから説明する必要などない。
「ただの痣でないわ」
「やっぱり呪い?」
しばし痣を眺めていたパチュリーが、難しそうな顔で頷く。生憎と呪術的なことは専門外で、詳しい知識は皆無だった。せめて西洋の呪いならば頭の片隅に引っかかるものがあるのだけれど、東洋のものとなれば無知に等しい。
その点、パチュリーには膨大な知識と広大な書庫が控えている。西洋だろうが東洋だろうが、この魔女に限っていえばそんな敷居など何の意味もない。どちらも同じ学問だ。
「これは私も初めて見るタイプだわ。呪いの書物にもある程度は目を通しているつもりだけど、こんな珍しいものは見たことがない」
「流行の最先端ね」
「流行ったら困るけれど」
タトゥーではないのだからと、呆れたように魔女は手を離した。そして視線が手の甲から書物へと移る。関心が薄れたわけでもあるまい、何か手がかりを探しているのだろう。
こうなるとレミリアが出来ることはなかった。ただ親友が何かしらの答えに辿りついてくれることを祈りながら、紅茶の味に舌鼓を打つぐらいだ。
図書館の業務は殆ど小悪魔が担当しており、運び込まれた茶葉から紅茶を生み出すのも小悪魔の仕事だ。咲夜と比べれば劣りこそすれ、ティーカップを握りつぶしたくなるほどではない。
まだまだ精進が必要がだけれど、あと十年もすれば咲夜が此処へ訪れることも無くなるだろう。
可能性に満ちた味を愉しみ、本を捲る音だけが図書館に広がっていった。
ティーカップが空になった頃、パチュリーが話しかけてきた。タイミングでも見計らっていたのかと、思わず疑いたくなる。
「間違いなく、それは呪い。ただ、誰の仕業なのかは全く分からないわ」
「そこまで期待してないわよ。そちらについては私が調べるから。問題は、この呪いにどういう効果があるのか。まさか、ただ痣が出て終わりじゃないんでしょう?」
痣だけならば、子供だましですらない。確かにみっともなくはあるけれど、さして実害もないのだから。
パチュリーは俯き、視線を合わせようとしない。重病を抱えた患者の前に立つ医者ならば、きっと同じような反応を見せてくれるだろう。それほど言いづらい効果なのかと、平静を装っていても内心では動揺を隠せなかった。
やがて恐る恐る、魔女は真実を口にする。
「その痣は数字になっていて、零になったらあなたの右腕が爆発するわ」
時限爆弾。いや、正確には条件付きの爆弾と呼ぶべきか。
「どうすれば数字が減るのか、それはまだ分からない。ただ、減ればどうなるのかは明らかになっている」
「……ちなみに、今の数字は?」
「5」
天井を仰ぎ見た。何とも微妙な数字だ。うっかりすれば一瞬で消えそうなほど短く、さりとて多少の猶予は残されているように思えた。これを仕掛けた者は、きっと性格が悪いのだろう。
「せめて時をかけてくれるのなら、もうちょっと大事にしても良かったのだけれどね」
「ラベンダーの香りを嗅いだのなら、その可能性もあるわよ」
他愛ない馬鹿話でもしなければ、とてもじゃないがやってられない。いわば、右手に爆弾を抱えているようなものだ。爆発したところで、吸血鬼を殺すことは出来ないだろう。
だが、痛いものは痛い。回避できるのならば、それに超したことはないのだ。
「分かったわ。仕掛けた奴はこちらで探す。だから、あなたはこの数字が減る条件を調べてちょうだい。それが分からないことには、こっちだって対策の立てようがないのだから」
「ええ」
優秀な魔女のこと、おそらくあと一時間もあれば条件を発見してくれるだろう。ならば、自分に出来るのは犯人を探すこと。パチュリーの努力が水泡に帰すかもしれないが、早々に犯人を見つけ出して痛い目を見て貰わなければいけないようだ。
気が付けば、唇は凶悪なまでに歪んでいた。それを敢えて表現するならば、愉悦。
この状況下にあっても、心のどこかではまだ愉しんでいる。
「酔狂ね、まったく」
呆れるほど馬鹿らしい自分の性質を実感しながら、大図書館を後にした。
しかし、どうしたものか。名探偵でもあるまいし、この程度の情報で真犯人を言い当てることなど出来るはずもない。かといって、心当たりもなかった。レミリアを怨んでいる者は数あれど、ここまで強力な呪いをかけられそうな相手には心当たりがないのだ。
フランドールならばレミリア並の能力を秘めているけれど、あれはやるならば真正面から挑みかかってくる。フランドールの仕業とは考えにくい。
あるいは、地下に住むという妖怪共の仕業か。地上の妖怪と違って、あそこには忌み嫌われた妖怪共が封じ込められているという。恐ろしい呪いをかけられる奴だって、一人か二人ぐらいはいそうなものだ。
窓の外を見遣る。空は絶好の天気。今日は日傘を差さずとも、外を思う存分飛び回れそうだ。
「お嬢様、どちらへ?」
「ちょっと地下まで、モリアーティを探しに」
勿論、滝の前で決闘などするつもりはない。ちょっとばかり、自分が誰なのか再確認して貰うだけだ。
飛び立とうとした主を、再び従者が呼び止める。
「お待ち下さい、お嬢様」
何度も何度も呼び止められては、あまり良い気分だってしない。咲夜を見る目は次第に、睨み付けるような鋭いものへと変わっていった。不機嫌な主に慣れている従者は、それで動揺なんてしない。
ヘッドドレスをはためかせながら、丁寧な仕草で頭をさげた。
「わざわざ地下まで行かずとも、お探しの者でしたら此処におります」
「ああ、こいつは驚きね。助手が犯人だったとは、意外意外」
茶化すような口調にも、咲夜は決して顔色を変えない。
「しかし、ここでネタ晴らしとは往生際が良すぎるな。せめて、パチュリーが殺されてからでも遅くはない」
此処に親友がいたならば、勝手に殺すなと抗議をしていただろう。生憎と席を外しているので、そういった指摘を入れられる者はいない。
「これが連続殺人事件でしたら、そういう方向も有りかもしれません。しかしながら、お嬢様。これはそういう事件ではないのです」
「ふむふむ、だったら聞かせて貰おうかしら。言っておくけど、つまらない理由だったらあなたの業務に妹の遊び相手という予定が組み込まれるから、そのつもりで」
「でしたら、面白おかしく脚色を交えてお教えしましょう」
「いや待て。やっぱり普通に言え」
なにしろ、相手は瀟洒だけれど惚けた従者。話の途中で、南米のUMAがタップダンスを踊り始める可能性だってあるのだ。迂闊な言質は彼女を増長させるだけだ。
「あれは、そう一週間前のことになりますか。私はいつも、寝る前に読書をしているのです」
「へえ、それは初耳ね」
レミリアも読書はよくしている。主な比率は漫画が占めているけれど、たまに小難しい本も読むのだ。とにかく意味もなく分厚い本など重宝している。あれが有るおかげで、どんな夜でも快眠することが出来るのだから。
「あの日、私が読んでいた本は『十代ならば誰にだってできるおまじない特集!!』という本でした」
「うんうん、……ん?」
何やら話がきな臭くなってきた。
「私とてうら若き乙女。蝶や花に育てられてきたわけですから、そういったおまじないに憧れるのも無理からぬことです」
咲夜の過去を知る者は少なかったが、親指姫のような生活を送っていたとは知らなかった。その割りに身長が大きいのは、成長期という奴だろうか。
「私は試してみたくなりました。おまじない、というものを」
嫌な予感がマッハで近づいてくる。
「それがまさか、こんな結果になるだなんて……」
悔しげに唇を噛みしめ、拳を強く握りしめる。咲夜の目尻には涙が潤んでいたのに、何故かレミリアの心には冷たい風が通り抜けていった。
「私はただ、吸血鬼で赤くて幼い主の右手を爆破させるおまじないを試したかっただけなのに!」
ピンポイントにも程があった。むしろ聞きたい、その条件でレミリア意外の該当者がいるのかと。
悪意すら感じる呪いだ。
「申し訳ありません、お嬢様」
「いや、それは謝って済むような問題でもないでしょ」
「ではお嬢様が謝ると?」
「何でだ、この野郎」
論点のすり替えどころか、何か大切なものもすり替えようと必死だ。さすがは手品師と言ったところだが、些か強引すぎる。
「ひとまず、あなたの悪意は置いておきましょう。それより、仕掛けた本人ならば分かるでしょ。この数字、何をしたら減るのよ」
まさか、かけた側も知らないなんて馬鹿げた話があるわけない。
先程まで泣きかけていた咲夜は、いつもと変わらぬ表情で答えた。あれは目薬だったのではないかと、あらぬ疑いをかけたくなるほどの変わり身だ。
「簡単なことです。その数字は、お嬢様のカリスマが崩壊する度に減っていくのです」
「カリスマが?」
「ええ、カナスワが」
カップリング論争はさておき、数字の秘密をようやく知ることができた。同時に、レミリアの心に安堵が広がっていく。カリスマなら、さして問題にもならないだろう。
これまで数字が減っていないことから分かるだろうが、カリスマとレミリアは切っても切り離せない関係で結ばれている。それが切れるなんてことは、そうそうあるものじゃない。
「だったら、さして問題はないわね。この通り、私のカリスマは全く崩壊してないわ」
「呪いの効果も、あと一時間ほどで消えるでしょう。安心しました。少なくとも、これでお嬢様の可愛らしい右手が爆発することはない」
焦って損をした。
あと一時間もすれば、全てが終わる。
結局、終わってみれば退屈な出来事だった。せいぜい、このメイドにどんなお仕置きをすればいいのか考える時間が残されているぐらいだ。
「変顔」
「ぶふぅ!」
「ほら、カウントが1減りました」
「何で実際に試した! 何で試した!」
整った美人の変顔ほど、笑いを誘うものはない。
くってかかるその手の甲には、4という数字が浮かび上がっている。確かに変わった。わざわざ確かめる程のことでないのだけれど。
「たとえこの命を賭してでも、確かめたいことがあるのです!」
「賭してるのは私の右手だ!」
「トステムキッチン!」
「意味わからん」
時々、このメイドはニュアンスだけで喋る。名前が似てるからという理由だけで、美鈴に風鈴の差し入れを持っていくような奴だ。そもそも理解しようと思ったのが間違いだったのかもしれない。
「叫んだら喉が渇いたわね。お茶の用意を」
「畏まりました」
ただ、メイドとしての能力は高いのだ。それに何だかんだと言いながら、信頼もしている。だからこそ、紅魔館から追い出すわけにもいかない。今となっては、彼女を抜きに紅魔館は成り立たないのだから。
振り返った咲夜が、とても楽しそうな笑顔で言った。
「今日のお茶請けはプリンですが、こんな幼稚な食べ物などカリスマを暴落させるだけですから。責任持って、私が食べますね」
メイド服を着た鬼がいた。
それは奇妙な光景だった。メイドが泣きながらプリンを頬張っている。
「せっかく作ったプリンですけど、これをお嬢様に食べさせるわけにはいかないのです! 本当、このカスタードとか最高の出来なんですけど、なんで食べさせてあげられないかなぁ……」
スプーンは淡々とプリンを切り分け、咲夜の口の中へと運んでいく。その無慈悲な動作には、レミリアに対する忠義など欠片も感じられなかった。
「私のプリンが……」
歯がみしたところで、右手の数字を減らすわけにもいかない。カリスマ溢れる紅魔館の当主が、頬を緩ませながらプリンを食べることなど出来ないのだから。こうして見ているしか手段はなかった。
咲夜は自分の腕を褒めちぎりながら、カラメルとカスタードを絡めて味を愉しんでいる。
「美味しいのに、美味しいのに! どうしてでしょう、こんなにもしょっぱい!」
「うぐぐ……」
「変顔」
「ぶぶっ!」
「カウントがまた1つ……」
「今のは悪意あったでしょ!」
素知らぬ顔で咲夜はプリンを頬張った。腹立たしいやら、腹立たしいやら。結局の所、腹立たしかった。
もしもこの手にグングニルがあったら、躊躇うことなく放り投げていただろう。
今日の夕食だとか、ベッドメイキングなど知ったことか。くしゃくしゃのシーツで寝ることになろうとも、あのメイドだけは始末しておかなければならない。空っぽになった皿を見ていると、邪悪な衝動が沸き上がってくる。
「申し訳ありません、お嬢様。あまりにも美味しかったので、つい夢中になってしまいました」
「いや、感想とかはいいから。それよりも、私の紅茶は?」
放っておいたらグルメリポーター並のリアクションでプリンの美味しさを語りかねない。殺意を抑えるのだって限界があるのだ。
口元を拭きながら、食器を運んでいく咲夜。
「私の紅茶……」
涙を堪えながら寂しげに呟いた瞬間、右手の数字は2へと変わった。
「咲夜」
「おう」
何故にため口。
「一時間まであと何分かしら?」
当初は余裕と思われていた制限時間が、今となっては待ち遠しい。瀟洒な従者の妨害もあって、カウントダウンはいよいよ蟹でも数えられる程になっていた。
咲夜は懐から銀の懐中時計を取り出す。
「時刻がありません」
「蓋を開けろ」
使い古されたネタに、つっこむのも面倒くさい。
言われるがままに銀製の蓋を開けた咲夜だが、その顔色は一向に優れなかった。元から色白という説もあるけれど、それにしたって感情の機微ぐらいは分かる。なるべく無表情に徹しようとしている節はあるものの、何となくは理解できるのだ。
首を傾げながら、懐中時計をこちらに向けた。
「失礼ですが、お嬢様。今が何時がお分かりになりますか?」
「馬鹿にしてくれるわね。時計ぐらい読めるわよ」
懐中時計を覗きこむ。長針と短針は正常に機能しており、秒針は忙しなく動き回っていた。目を細め、盤面の文字を読み取る。珍しいことに、書かれているのは数字ではなく文字だった。
上から順に、
「ぎ、ゃ、お、ー」
カウントが1になった。
驚いた顔で咲夜を睨み付ける。
咲夜も驚いていた。何故だ。
「まさか、こんな事になるだなんて……」
「いやいや、咲夜。確かめてたじゃない。さっき見てたわよね、盤面」
気付かないはずがない。
そそくさと懐中時計を仕舞い込み、悪びれた風もなく頭を下げた。
「十六夜咲夜、一生の不覚。これは私の責任です。お嬢様は悪くありません」
従者の責任は主の責任だと豪語したものの、この場合も何か違う。だからレミリアに責があるとすれば、うっかり最後まで読み上げてしまったぐらいで、大半は咲夜が悪いのだが。いつのまにか泥を被る役にのし上がっていた。
この手練手管を駆使して、今の地位まで這い上がってきたのだろう。年功序列が激しい紅魔館。若造の人間如きが当主付きのメイドになるなんてのは、余程の苦労がなければ不可能だ。
その手腕は評価するが、肝心の当主に向けられては困る。クーデターでも企てているのかと、疑われてもおかしくない。
「ん? 咲夜、それ何?」
頭を下げた拍子に、スカートから落ちる一枚の紙切れ。咲夜は時を止めたらしく、気が付けば紙切れは無くなっていた。
「何でもありません」
力強く断言される。
一瞬のことでよくは見えなかったが、一番上に大きく書かれていた文字だけは覚えていた。
「今の、生命保険の申込書よね?」
「いえ、お嬢様が死んだらお金が貰える魔法の紙です」
「要するに生命保険よね!」
「ご安心を。いざとなれば妹様がお嬢様を抱えて空に飛んでいきますから」
姉妹ともども葬る気らしい。右手だけでは飽き足らないと言うのか。
次はどこを爆発させるつもりなのか、問い正したくもあったが答えはしないだろう。変なところで口が堅いのだ、このメイド。
「もういいわ、頭が痛くなってきた。時間が来るまで眠るから、絶対に起こさないでよ」
「はい、フリですね」
「違うわ!」
強調すればするほど逆効果になる。これ以上は何を言っても仕方ないと、痛む頭を押さえながらレミリアは自室へと帰っていった。
無理矢理に寝ようとすれば、どうしても目覚めが悪く、そして寝付きも悪かった。
朦朧とした意識で時計を見れば、あれからまだ15分しか経っていない。仮眠ならば充分だろうけれど、レミリアの辞書にその二文字は存在していなかった。吸血鬼たるもの、寝るときは寝る。この切り替えがお肌の潤いを保つ秘訣なのだ。
欠伸を噛み殺し、乱れた髪の毛を整えようとする。頑固な癖毛は咲夜ばりの反抗を見せ、なかなか元には戻ってくれない。
「さくやー」
名前を呼んでも、メイドは一向に姿を現そうとしなかった。起こすなとは言ったものの、部屋に入ってくるなとまでは言っていない。
また何か、よからぬ事でも企んでいるのか。
仕方なく、レミリアは自分で身なりを整えてから咲夜を探すことにした。制限時間まではあと五分。出来れば部屋で大人しくしていたいものの、心のどこかでは呪いに屈したくはないという反逆心が暴れ回っていた。
ホラー映画ならば確実に最初の獲物となるタイプだろう。自分では自覚しているのだが、自制するつもりなど毛頭無い。むしろ、それでこそ吸血鬼。妖怪はあくまで、驚かす側なのだから。
「あ、お嬢様」
「ちょうど良かったわ、美鈴。咲夜を見なかったかしら?」
門番業務の傍らに、ちょっと休憩をしに来たのだろう。魔法瓶と一緒にバスケットを握っている。
「咲夜さんでしたら、庭の方で見ましたよ。ほら、あのプール跡地」
紅魔館ほどのお屋敷だったら、プールの一つや二つぐらいは必要だろうと咲夜が言いだし、勝手に建設し始めた。
言ってしまえば風呂の延長線上であり、流れる水という制限にギリギリで引っかからない。だから吸血鬼だって入れるはずだと豪語していたものの、そもそもレミリアは泳いだことがなかった。
こうして当主の強い反発もあり、計画は中止と相成った。残されたのは、四角形に掘られた穴だけである。
あんな所に、一体何の用事があるのか。
ただ一つだけ分かっているのは、どうせロクでもない用事だということ。
美鈴と別れ、早速問題のプール跡地へと足を運んだ。
冬も本番を迎えた季節となり、吹き下ろす風が肌に厳しい。出来ることなら早めに見つけて、耳でも引っ張りながら館へ戻りたいものだ。
願望を抱えながら到着したレミリアが見たのは、プール一杯に注ぎ込まれた大量の泥だった。
なるほど、咲夜の意図が面白いように理解できる。こんな海に突き落とされようものなら、確実にカリスマの一つや二つは失ってしまうだろう。なにせ、泥まみれの吸血鬼だ。青春スポーツ漫画にありがちな、雨の日の試合ではない。
陳腐な発想に溜息が漏れだしたところで、ふと聞こえてきた声に眉をひそめる。
「っお、じょ、まっ!」
声は途切れ途切れで、何を言っているのかは分からない。咲夜の声に間違いないのだけれど、これも罠の一環なのか。
耳を澄ますレミリア。断続的に聞こえる声は、泥の中から漏れだしてきているようだ。
よく見れば、プールサイドに白いヘッドドレスが落ちている。
「お嬢様!」
「咲夜!」
必死の抵抗を続け、浮かび上がってきた泥だらけの咲夜。しかし粘度によって奪われた体力は、そうそう回復するものではない。再び、泥の海へと沈んでいった。
おそらくレミリアを罠にはめようと計画し、何かの弾みで泥の中へと落ちてしまったのだろう。それで足でもつったのか。時間を操る能力を使えば、この程度の泥など簡単に抜け出せると言うのに。混乱しているらしく、咲夜は無駄な抵抗を続けるばかりだった。
このままでは、窒息死の可能性すらある。あれを演技でやれるほど、咲夜も命知らずではない。
飛び込もうとしたレミリアだったが、大切なことに気が付いた。
この泥に飛び込めば、カリスマは確実に失われる。残された1というカウントは、すぐさま0へと変わるだろう。そうなれば右手の爆発は間違いない。
しかし、躊躇ったのは一瞬だった。
すぐさま、レミリアは泥の海へと飛び込んだ。粘度との激しい戦いを制し、咲夜の元へと辿り着く。混乱した咲夜はレミリアへと縋り付き、危うく二次災害が発生するところだった。
プールサイドまで引っ張れたのは、ひとえに吸血鬼の身体能力があったおかげだろう。見た目通りの力だったら、今頃は泥の中で二人とも死んでいた。
「っげほ! げほっ!」
むせるように、口から泥と唾液を吐き出す咲夜。呼吸もままならないらしく、しばらくは喋ることも出来なかった。
薄紅色のドレスは、すっかり泥で汚れてしまっている。腕白な少女に着せたところで、ここまで汚くはなるまい。顔も腕も、泥にまみれていない部分などなかった。出来ることなら、一刻も早くシャワーを浴びたい。
「お、お嬢様!」
引き留めたのは、悲しげな従者の声。ただ名前を呼んだだけなのに、そこには複雑な感情が入り乱れていた。
「申し訳……ございません」
今までの巫山戯た謝罪とは違う、誠心誠意の心からの謝罪。見れば、目尻からは綺麗な涙がこぼれ落ちていた。
「泣くことはないわよ。ただ、気が付いていたら助けていただけのこと」
「しかし、それでは右腕が!」
腕を伸ばし、咲夜の言葉を遮った。0という数字が、手の甲に刻まれている。
「私の右腕なら、目の前で泣いているわよ」
意味不明で、反抗的で、瀟洒なのかどうか疑問符すら浮かんでくる従者。それでも、大事な右腕に違いはなかった。
立ち上がったレミリアを見る咲夜の目からは、堪えきれなかった涙が量を増していく。
「すみませんでした、本当に、すみませんでした!」
「もういいわよ、その気持ちを大切にしてくれるのなら。ああ、こんな馬鹿げた事をした甲斐はあったのかもしれないわね」
立ち去ろうとしても尚、右手は爆発する様子を見せない。
あるいは、呪いすらも認めてしまったのか。
例え泥にまみれたところで、失われないカリスマがあるのだという事に。
数字は減っても、大切なものは何一つとして減っていなかった。
「あ、でもルールはルールですから」
「え?」
こうして、レミリアの右手は見事までに爆発したのだった。
それならもう解決したらか→したからでは?
何はともあれ楽しく読ませていただきました。GJ
あと、自分はろくな変換してねえと思った。
一番の出来でしょう
タイミングが良かった
なんという信頼の爆発オチ……
これはスレのやつかな?
しかも咲夜さん本人に自覚なしww
最後いい話で終わるのかと思いきやww
何の脈絡も無い咲夜さんが大好きだw
多分作者名補正がかかっていたせいだと思う。
これだから貴方の作品は素敵だ。
誰か早くなんとかしろw
>「おう」
この咲夜さんジャージだろ
それにしてもこの咲夜さんはひどいw
何この格好いい切り返し
>いよいよ蟹でも数えられる程に
なめんな!両手全足使えば12までいけるわ!≪‘Д’#≫
これ、普通に咲夜最低としか思えない。
話の面白さとかそういうの全部かき消されて、ただ不快でした。