/流星観測会
「おお、アリス、見ろ!」
「見てるわ。あなたの横でさっきから」
―――この白黒魔女が、私の家へ静かにやってきたらそれはそれで慌しい。
慌しいというのは私の精神状態の話であって、恐らくその後に起こる様々な出来事の事だ。
本当に台風のようなこの少女が大人しい時は、まさに嵐の前の静けさである。わかりやすいことこの上ない。
だからこそ、魔理沙がドアを吹き飛ばす勢いで(比喩ではない。以前に数回あった事例だ)ご自慢の箒を走らせてきた事には、大きなため息とともに微量の安著を感じている。
作りかけの真白い人形の服用のフリルも、糸も針山も、積んであった資料も見事に部屋の隅へ飛ばされてしまったが、
これは小爆発だ。これぐらいの規模ですんでよかったと思いつつ目の前の爆弾を睨みつける。
「どういうつもりかしら」
「こういうつもりだぜ」
ずい、と目の前に突き出されたのはカンテラだった。
磨かれたガラスの中に囚われているのは火ではなくて、青白い光を放つ星だ。
「何よ、これ。こんな時間から探検でもするつもり?」
「こんな弱い灯りじゃすぐ落とし穴におっこちまうぜ。
さあ、流星狩りだ。いい感じに日も暮れてきた」
「流星狩りですって?」
全く、人間というのは突拍子もないことを言うのが好きなものだ。
そもそも、私は彼女とそんな約束をした覚えもない。が、よくよく考えてみると、薬草採取に付き合わされた時も、
キノコ狩りに嫌々ついて行った時も、宴会でうっかり飲みすぎた夜も、事前のアポイントメントなんてあっただろうか。
ないことはないが、非常に稀である。深い息を吐いた。きっとこれからも、変わらない関係なのだろう。
憂鬱であり、しかし、こそばゆくもあった。
私は席を立ち、ケープを羽織る。夜では、外はまだ肌寒い。
温かい紅茶でも持って行こう。そんなに遠くまで行かないなら冷めずに飲めるはずだ。
火の始末と戸締りをして、箒で飛ぶ魔理沙に並ぶ。
先程まで薄紫を漂わせていた空はしっとりと黒に染まっている。
「流星狩りって言っても」
魔理沙がカンテラを揺らす。ぼんやりとした光が彼女の瞳を泳いだ。
「本当に流星を捕まえるわけじゃないぜ。いくら星が群れているといっても、網をかけて捕まえられるものじゃなかろ。
星を見に行くんだよ。とびきり綺麗だからな」
「あら、あんたならやるかと思ったけど」
「私はもう間に合ってるんでね」
白く滑らかな指先から飛んだ鮮やかな星屑を手で受け止める。
確かにこれくらい賑やかならば、退屈はしないかもしれない。爆発でも起こすかと思ったけれどどうやら、
弾幕ごっこで使うものとは違うようで、強く握ればパリ、と音を立てて夜に溶けた。
連れてこられたのは小高い丘の上だった。
少し温くなった紅茶を飲んで、寝転がって流星の群れを待っていた。
今の状態でも空は恐ろしく綺麗だ。瞬きをするのが勿体無い。
「多分さぁ」
発したのは魔理沙だった。
「んー?」
「あー…なんでもない」
「あらそう」
鳥目とは呼べないほどには暗闇に慣れたが、カンテラの中の星はもう消えてしまったようで魔理沙の表情は見えない。
途中でぶつけて割れてしまったろうか。魔理沙が消してしまったろうか。
青白い光はもう見当たらない。燃え尽きて死んでしまったかもしれない、と私は思った。
その時隣から あ、と声が上がる。
横を見れば魔理沙はもう半分起き上がって上を見上げていた。私もそれに続く。
「凄い」
どちらの口から出た言葉かよくわからない。私かもしれないし、魔理沙かもしれない。
それほどの光景だった。
星が落ちてくる。黙ったまま零れそうに輝いていた星が流れてゆく。
小さな星々を繋ぐようにピン、と一本線を引いていく。いくつも、いくつも、重ねられていく。
願い事をしようとは思わなかった。私は魔法使いだ。願いは自分で叶えるものだと思っている。
だがそれ以前に、気を抜けば飲み込まれてしまいそうで、少しだけ怖かったのだ。
「…多分、さぁ」
やわらかい声だった。まどろむような。仕方ない、きっと正常に脳が機能していないのだ。
私も、彼女も、この夜も、きっと誰も正常でなどない。星だけが、規則的に流れてゆく。
「流星になりたかったんだ、私は」
静かに放たれた言葉はしばらく宙をさまよったけれど、夜空を星がまばらに通り過ぎるようになった頃、
何故か私の中にしっかりと落ち着いた。憧れだけでない、苦さが滲んだ声がくるくるとまわる。
魔理沙は変な奴だ。迷惑な奴だ。だが、それだけでないからこそ、私はこうして星空を眺めている。
ひどく負けず嫌いで、はぐらかしてばかりだけれど、真っ直ぐな性格だ。
私はこの言葉を逃がしてはいけない。投げ出してはいけないのだ。
彼女の弱音ともとれるこの言葉を、彼女の代わりに、捕まえててやらなくてはならないのだ。
頬に触れた風を感じながら、そんなことを考えた。
「……ああ、ねぇ、星が綺麗ね」
聞こえなかったふりをして息を吸いなおした。
魔理沙の表情はやはり伺えない。けれど、きっと帰りには何時もどおりに意地悪い笑みを浮かべているはずだ。
流星はもう降り止んでいる。
明日はよく晴れるだろう、と満天の星をもう一度焼き付け、目を閉じた。
/おやすみなさい、よい夢を
春というものはユウウツだ。
あんなに寒くて素敵だったのに、ぽかぽかと暖かくなってくる。
そして何より、冬まで一番遠い。秋は涼しいし美味しい物も多いからいいけれど、
夏といったら暑くて熱くてやってられない。でも、通り越さなければ冬はやってこないのだ。
「うー、つまんない、つまんない、つまんない!」
湖の水面ぎりぎりを滑空し宙返り。
今日は皆用事があって遊んでくれない。枝の先の蕾を凍らせてまわるのも飽きてしまった。
以前神社まで行って賽銭箱を凍らした事もあったが、その塊を以て巫女が襲いかかってきたのでもうやめにした。
今でも思い出すと寒気がするほど恐ろしい顔だった。
そのままばしゃばしゃと水を蹴り上げていると、草の陰から一匹の蛙が顔を出した。
「おおっ、エモノだ!」
蛙は地面をぴょこぴょこと飛び回っている。冬眠から目覚めたばかりなのかもしれない。
手をかざして力を込める。蛙は逃げる間もなく凍ってしまった。
透き通る氷の塊。時が止まったような蛙の姿。こうまかんのメイド長もびっくりね。
こうやってあたいに凍らされたものはすごく綺麗だと思う。
曇りひとつないどこまでも透明な氷は自慢だ。その辺の安物みたいに簡単に砕けたりしないし。
眠ったように氷の中におさまって、光をうけてキラキラ輝く姿は、「げいじゅつ」。
それに、氷の中で眠っていてしまえば、怖いものはない。
ずうっと眠っていてしまえば、とうても幸せに違いないのだ。
だのに、どうしてだめだと言うのだろう。
幸せなのにどうしていけないと言うのだろう。
「なんでだろうなあ」
「何がですか?」
ひとりごとに突然の返事。辺りを見回すと、若くて綺麗な女性がこちらを見上げていた。
ニンゲンのようだが、到底見覚えがない。素通りする巫女でも、轢き過ぎる魔法使いでもない。
「あんたニンゲンー?」
「はい」
「あたい知ってるわ。ずばり、迷子ね!」
「いいえ」
あっさりと答えられる。女性はニコニコと笑っていた。
少し痛んだ長い髪を背中に流して、やわらかな生地のワンピースを一枚纏っている。
薄い灰の色の瞳があたいをしっかりと見つめている。怖がってはいないみたいだった。ちょっと悔しい。
ニンゲン相手に弾幕を飛ばすと巫女に叱られるので、ゆっくりと傍まで下降する。
「あなたが氷精さん?」
「そうよ。あたいに氷で敵うやつなんていないんだから。
見て、綺麗でしょう。あたいが凍らせたのよ!」
「ほんとう」
凍らせた蛙を細くて綺麗な指がなぞる。
「綺麗」
「でしょう、そうでしょう!あんたわかるやつね!」
手をとってくるくるとまわる。
このニンゲンはあたいの氷を綺麗だと言った。単純に嬉しい。
話を聞けば、メイはあたいに会いに来たのだそうだ。
(メイというのは、先程二人で考えた名前だ。名前を忘れてしまったと言うので、仕方ないから考えたのだ)
わざわざ、人食いだの、辻斬りだのが出るという噂もある森を抜けて。ますます嬉しくなる。
森を抜けた湖に、凄く綺麗な氷を作る妖精がいると聞いてやってきたらしい。
メイはまだ凍り漬けの蛙を眺めていた。見惚れている様子さえある。
そうして時々、泣きそうに笑っていた。
「昔、里のお祭りで、氷像を見たんです」
手の内の氷を愛しげに撫でながらぽつぽつと呟く。
「即興のショーだったのかな。削り出された氷は確かに表情を持っていて、びっくりするほど綺麗だった」
そしてそのまま指は、薬指の付け根をなぞった。あまりにも自然な動きで。
「氷精さん」
「私を、凍らせてくれませんか」
メイはひどく柔らかな笑みを称えたまま、氷の中で眠っていた。
今日も氷の美しさに狂いはない。ヒビもないし、曇りもない。
メイの長い髪が彼女の身体を包むようにまとわりついている。
一緒に閉じ込めた桜の枝の蕾は、薄い桃色で氷像を更に美しく彩っていた。
思わず息をのむ。
今まで見てきた中で、この氷が一番綺麗だと思った。
メイは、自分を凍らせたら、そしたら、湖に沈めてくれと言った。
「じゃあ、メイは泳ぎが上手なのね。沈めたりなんかしたら、氷が溶けて目が覚めた時に上まで泳がなきゃならないのにさ」
と言ったら、メイはぽかんとして、それから突然笑った。
「ええ、ええ、そうね。大丈夫、河童程ではないけれど泳ぎは得意ですよ」
こんなに綺麗なものを湖の底に沈めるのは残念だ。
でも、約束したから。
座り込んで話してしまえば、もうただのニンゲンではなかった。友達だと思っていた。
だからこそ、願いをきいたのだ。
メイを閉じ込めた氷は、すぐに沈んで見えなくなる。浮かんでは消える泡沫を、姿がなくなってもなお、眺めていた。
これでいい。
これでメイは幸せだ。
ニンゲンはいっつも怖い顔ばかりしている。(例外はいるが)
痛いことばっかり。
嫌なことばっかり。
メイだって笑顔の隙間に、悲しい顔をしてたでしょう?
でももう安心。
氷の中で眠ってしまえば素敵。
あんなにメイは幸せそうだった。綺麗だった。
ねぇ、素敵でしょう?
幸せでしょう?
「しあわせ、でしょう?」
なのに。
何で涙が出るんだろう。何で笑えないんだろう。
ぼろぼろとこぼれ落ちる涙で視界が歪む。
「ふぇ…ぁ、うー……」
おかしいなあ。何を泣くことがあるのだろう。
───今一人の友達が、幸せになったというのに。
波紋を浮かべたままの水面に映る月と、ぐちゃぐちゃの顔で見上げた月は、おんなじ形をしていた。
夫を亡くした美しい女性が、里で失踪したという事件が新聞の片隅に載るのはまだ、先のことになる。
/世界が終わる日まで
彼女の声を聞き間違えたことは無い。
これからも聞き間違えるつもりは無い。
どこまでも届くのではないかと思うほど通る、澄んだ音の粒。
このぐうたら巫女といつから一緒にいたかははっきり覚えてないが、それでも、かなり幼い頃だったと思う。
何故意気投合したかも忘れたが、喧嘩して仲直りして、何かよくわからないうちにこんなところまできてしまっていたのだ。
私は霊夢が何をしたいのかは大体分かるし、霊夢も何も言わず意図を汲んでくれる。
おそらく「腐れ縁」というやつだった。ただし、もう色んな物が腐れて落ちてしまったと思われる。配慮とか。
「魔理沙ってば。あーもう、寝てるのかしら」
「寝てるのはお前の頭じゃないのか?」
「ああ、起きてた。ほら、冷める前に」
日差しがあたたかい。ちょうどいい温度だ。
縁側に体を横たえてまどろんでいたところを霊夢が覗き込む。体を起こして、頭を振って眠気をとばす。
ふうわり、と鼻の先を湯気が撫ぜていった。ふむ、確かに茶の匂いだ。
だが、匂いがするからといって本物がそこに存在するとは限らない。
湯飲みの中では私が思い描く茶よりワントーン、いや、それ以上に薄い液体が揺れていた。
「霊夢…よく見ろ。これは茶と言わない、湯だ」
「あんたもまだまだ未熟者ねえ。心の目で見るの、心の目で」
「私はさとりじゃないぜ」
「あら、奇遇」
霊夢は何事もないようにずるずると茶を啜った。
「私もよ」
仕方がないのでそのまま湯飲みを傾ける。悲しきかな、慣れ親しんだ味がした。
家では紅茶や珈琲を飲むものの、たまにはこの薄い茶が啜りたくなるのも事実だ。
何がそんなに恋しくなるのだろう、未だにわからない難題である。
横を見れば霊夢が盛大な欠伸をしていた。体をめいっぱいに伸ばしぷるぷる震わせている。猫か。
そしてそのままどさり、と縁側に倒れこんだ。
風に揺れたつややかな黒い髪からは椿油の匂いがする。
「いい天気ねー」
「また寝んのか?多分アレだ、そのうち寝ながら異変解決するんじゃないか」
「いいなぁ。それ」
割と本気な声だった。危ない。
上を見上げるとやわらかな白をした太陽が天辺へのぼっている。
誰もいない境内は静かで、かすかな風の音と、隣から聞こえる呟きだけが耳を打つ。
視界の隅で遊んでいた白い足が前後に動いたかと思うと、
「うおぁっ!?」
反動で起き上がった霊夢に首根っこを掴まれ、そのまま後ろへ引き倒された。
ごつん、という音が自分の中から響くように骨から骨へと伝っていく。
文句のひとつでも言ってやろう。
鈍い動きで横を向いた瞬間、やはり同じように鈍い動きでやさしく目を塞がれた。
ただふわり、と手のひらを乗せるだけの目隠し。私はため息をついた。
こうなったらもう駄目だ。何を言ってもかなわなくなってしまう。彼女の手のひらはいつだって同じようにやさしくて、同じように愛しいのだ。
太陽が眩しくて眠れない、と言ったのは私だった。
もともと昼寝のお誘いを断るための口実だったが、霊夢は珍しくうんうんと考えた後、急に私の目を塞いで。
じゃあ、こうしていてあげる、と言ったのだ。
それがいつの間にか、昼寝の合図として定着してしまったらしい。
それからというもの、眠たくなると信じられないほどやさしく、霊夢は私の目を塞ぐのだった。
あんまりにも、あんまりにもやさしいから。
跳ね除けて逃げ出すことも出来ない。私らしくもないけれど、これは不可抗力だ。
白い太陽を遮る小さい手を、認識できないほど間近で確認した後やれやれと目を閉じる。
「おやすみ」
滑らかな空気に投げ入れられたその音は、やはり凛として、けれど何を乱すこともなく拡散する。
多分私はこの声が好きなのだ。だから、絶対に間違えない。
どんなに擦れても、泣きそうでも、私が拾ってあげればいい。誰かに拾われたら、やっと言葉になれるのだ。
意味のないことが、確かに意味を持って息づくのだから。
そこまで考えて、彼女のそんな声はきっと聞くことは酷く困難だと気付いた。
どんな異変が起こっても、そんな素振りすら見せたことが無い。いったいいつになったら見れるだろうか。
にやにやと顔が笑っていた。目隠しはされたまま、心ばかりが不似合いに躍る。
「―――ああ、……こりゃ」
世界が終わる日まで、こいつを見てなきゃならないなぁ。
すやすやと寝息が聞こえる。涎でも垂らしていることだろう。
気の長い話だ、と思いつつ手探りで掴んだ帽子を巫女の顔に押し付けた。
「おお、アリス、見ろ!」
「見てるわ。あなたの横でさっきから」
―――この白黒魔女が、私の家へ静かにやってきたらそれはそれで慌しい。
慌しいというのは私の精神状態の話であって、恐らくその後に起こる様々な出来事の事だ。
本当に台風のようなこの少女が大人しい時は、まさに嵐の前の静けさである。わかりやすいことこの上ない。
だからこそ、魔理沙がドアを吹き飛ばす勢いで(比喩ではない。以前に数回あった事例だ)ご自慢の箒を走らせてきた事には、大きなため息とともに微量の安著を感じている。
作りかけの真白い人形の服用のフリルも、糸も針山も、積んであった資料も見事に部屋の隅へ飛ばされてしまったが、
これは小爆発だ。これぐらいの規模ですんでよかったと思いつつ目の前の爆弾を睨みつける。
「どういうつもりかしら」
「こういうつもりだぜ」
ずい、と目の前に突き出されたのはカンテラだった。
磨かれたガラスの中に囚われているのは火ではなくて、青白い光を放つ星だ。
「何よ、これ。こんな時間から探検でもするつもり?」
「こんな弱い灯りじゃすぐ落とし穴におっこちまうぜ。
さあ、流星狩りだ。いい感じに日も暮れてきた」
「流星狩りですって?」
全く、人間というのは突拍子もないことを言うのが好きなものだ。
そもそも、私は彼女とそんな約束をした覚えもない。が、よくよく考えてみると、薬草採取に付き合わされた時も、
キノコ狩りに嫌々ついて行った時も、宴会でうっかり飲みすぎた夜も、事前のアポイントメントなんてあっただろうか。
ないことはないが、非常に稀である。深い息を吐いた。きっとこれからも、変わらない関係なのだろう。
憂鬱であり、しかし、こそばゆくもあった。
私は席を立ち、ケープを羽織る。夜では、外はまだ肌寒い。
温かい紅茶でも持って行こう。そんなに遠くまで行かないなら冷めずに飲めるはずだ。
火の始末と戸締りをして、箒で飛ぶ魔理沙に並ぶ。
先程まで薄紫を漂わせていた空はしっとりと黒に染まっている。
「流星狩りって言っても」
魔理沙がカンテラを揺らす。ぼんやりとした光が彼女の瞳を泳いだ。
「本当に流星を捕まえるわけじゃないぜ。いくら星が群れているといっても、網をかけて捕まえられるものじゃなかろ。
星を見に行くんだよ。とびきり綺麗だからな」
「あら、あんたならやるかと思ったけど」
「私はもう間に合ってるんでね」
白く滑らかな指先から飛んだ鮮やかな星屑を手で受け止める。
確かにこれくらい賑やかならば、退屈はしないかもしれない。爆発でも起こすかと思ったけれどどうやら、
弾幕ごっこで使うものとは違うようで、強く握ればパリ、と音を立てて夜に溶けた。
連れてこられたのは小高い丘の上だった。
少し温くなった紅茶を飲んで、寝転がって流星の群れを待っていた。
今の状態でも空は恐ろしく綺麗だ。瞬きをするのが勿体無い。
「多分さぁ」
発したのは魔理沙だった。
「んー?」
「あー…なんでもない」
「あらそう」
鳥目とは呼べないほどには暗闇に慣れたが、カンテラの中の星はもう消えてしまったようで魔理沙の表情は見えない。
途中でぶつけて割れてしまったろうか。魔理沙が消してしまったろうか。
青白い光はもう見当たらない。燃え尽きて死んでしまったかもしれない、と私は思った。
その時隣から あ、と声が上がる。
横を見れば魔理沙はもう半分起き上がって上を見上げていた。私もそれに続く。
「凄い」
どちらの口から出た言葉かよくわからない。私かもしれないし、魔理沙かもしれない。
それほどの光景だった。
星が落ちてくる。黙ったまま零れそうに輝いていた星が流れてゆく。
小さな星々を繋ぐようにピン、と一本線を引いていく。いくつも、いくつも、重ねられていく。
願い事をしようとは思わなかった。私は魔法使いだ。願いは自分で叶えるものだと思っている。
だがそれ以前に、気を抜けば飲み込まれてしまいそうで、少しだけ怖かったのだ。
「…多分、さぁ」
やわらかい声だった。まどろむような。仕方ない、きっと正常に脳が機能していないのだ。
私も、彼女も、この夜も、きっと誰も正常でなどない。星だけが、規則的に流れてゆく。
「流星になりたかったんだ、私は」
静かに放たれた言葉はしばらく宙をさまよったけれど、夜空を星がまばらに通り過ぎるようになった頃、
何故か私の中にしっかりと落ち着いた。憧れだけでない、苦さが滲んだ声がくるくるとまわる。
魔理沙は変な奴だ。迷惑な奴だ。だが、それだけでないからこそ、私はこうして星空を眺めている。
ひどく負けず嫌いで、はぐらかしてばかりだけれど、真っ直ぐな性格だ。
私はこの言葉を逃がしてはいけない。投げ出してはいけないのだ。
彼女の弱音ともとれるこの言葉を、彼女の代わりに、捕まえててやらなくてはならないのだ。
頬に触れた風を感じながら、そんなことを考えた。
「……ああ、ねぇ、星が綺麗ね」
聞こえなかったふりをして息を吸いなおした。
魔理沙の表情はやはり伺えない。けれど、きっと帰りには何時もどおりに意地悪い笑みを浮かべているはずだ。
流星はもう降り止んでいる。
明日はよく晴れるだろう、と満天の星をもう一度焼き付け、目を閉じた。
/おやすみなさい、よい夢を
春というものはユウウツだ。
あんなに寒くて素敵だったのに、ぽかぽかと暖かくなってくる。
そして何より、冬まで一番遠い。秋は涼しいし美味しい物も多いからいいけれど、
夏といったら暑くて熱くてやってられない。でも、通り越さなければ冬はやってこないのだ。
「うー、つまんない、つまんない、つまんない!」
湖の水面ぎりぎりを滑空し宙返り。
今日は皆用事があって遊んでくれない。枝の先の蕾を凍らせてまわるのも飽きてしまった。
以前神社まで行って賽銭箱を凍らした事もあったが、その塊を以て巫女が襲いかかってきたのでもうやめにした。
今でも思い出すと寒気がするほど恐ろしい顔だった。
そのままばしゃばしゃと水を蹴り上げていると、草の陰から一匹の蛙が顔を出した。
「おおっ、エモノだ!」
蛙は地面をぴょこぴょこと飛び回っている。冬眠から目覚めたばかりなのかもしれない。
手をかざして力を込める。蛙は逃げる間もなく凍ってしまった。
透き通る氷の塊。時が止まったような蛙の姿。こうまかんのメイド長もびっくりね。
こうやってあたいに凍らされたものはすごく綺麗だと思う。
曇りひとつないどこまでも透明な氷は自慢だ。その辺の安物みたいに簡単に砕けたりしないし。
眠ったように氷の中におさまって、光をうけてキラキラ輝く姿は、「げいじゅつ」。
それに、氷の中で眠っていてしまえば、怖いものはない。
ずうっと眠っていてしまえば、とうても幸せに違いないのだ。
だのに、どうしてだめだと言うのだろう。
幸せなのにどうしていけないと言うのだろう。
「なんでだろうなあ」
「何がですか?」
ひとりごとに突然の返事。辺りを見回すと、若くて綺麗な女性がこちらを見上げていた。
ニンゲンのようだが、到底見覚えがない。素通りする巫女でも、轢き過ぎる魔法使いでもない。
「あんたニンゲンー?」
「はい」
「あたい知ってるわ。ずばり、迷子ね!」
「いいえ」
あっさりと答えられる。女性はニコニコと笑っていた。
少し痛んだ長い髪を背中に流して、やわらかな生地のワンピースを一枚纏っている。
薄い灰の色の瞳があたいをしっかりと見つめている。怖がってはいないみたいだった。ちょっと悔しい。
ニンゲン相手に弾幕を飛ばすと巫女に叱られるので、ゆっくりと傍まで下降する。
「あなたが氷精さん?」
「そうよ。あたいに氷で敵うやつなんていないんだから。
見て、綺麗でしょう。あたいが凍らせたのよ!」
「ほんとう」
凍らせた蛙を細くて綺麗な指がなぞる。
「綺麗」
「でしょう、そうでしょう!あんたわかるやつね!」
手をとってくるくるとまわる。
このニンゲンはあたいの氷を綺麗だと言った。単純に嬉しい。
話を聞けば、メイはあたいに会いに来たのだそうだ。
(メイというのは、先程二人で考えた名前だ。名前を忘れてしまったと言うので、仕方ないから考えたのだ)
わざわざ、人食いだの、辻斬りだのが出るという噂もある森を抜けて。ますます嬉しくなる。
森を抜けた湖に、凄く綺麗な氷を作る妖精がいると聞いてやってきたらしい。
メイはまだ凍り漬けの蛙を眺めていた。見惚れている様子さえある。
そうして時々、泣きそうに笑っていた。
「昔、里のお祭りで、氷像を見たんです」
手の内の氷を愛しげに撫でながらぽつぽつと呟く。
「即興のショーだったのかな。削り出された氷は確かに表情を持っていて、びっくりするほど綺麗だった」
そしてそのまま指は、薬指の付け根をなぞった。あまりにも自然な動きで。
「氷精さん」
「私を、凍らせてくれませんか」
メイはひどく柔らかな笑みを称えたまま、氷の中で眠っていた。
今日も氷の美しさに狂いはない。ヒビもないし、曇りもない。
メイの長い髪が彼女の身体を包むようにまとわりついている。
一緒に閉じ込めた桜の枝の蕾は、薄い桃色で氷像を更に美しく彩っていた。
思わず息をのむ。
今まで見てきた中で、この氷が一番綺麗だと思った。
メイは、自分を凍らせたら、そしたら、湖に沈めてくれと言った。
「じゃあ、メイは泳ぎが上手なのね。沈めたりなんかしたら、氷が溶けて目が覚めた時に上まで泳がなきゃならないのにさ」
と言ったら、メイはぽかんとして、それから突然笑った。
「ええ、ええ、そうね。大丈夫、河童程ではないけれど泳ぎは得意ですよ」
こんなに綺麗なものを湖の底に沈めるのは残念だ。
でも、約束したから。
座り込んで話してしまえば、もうただのニンゲンではなかった。友達だと思っていた。
だからこそ、願いをきいたのだ。
メイを閉じ込めた氷は、すぐに沈んで見えなくなる。浮かんでは消える泡沫を、姿がなくなってもなお、眺めていた。
これでいい。
これでメイは幸せだ。
ニンゲンはいっつも怖い顔ばかりしている。(例外はいるが)
痛いことばっかり。
嫌なことばっかり。
メイだって笑顔の隙間に、悲しい顔をしてたでしょう?
でももう安心。
氷の中で眠ってしまえば素敵。
あんなにメイは幸せそうだった。綺麗だった。
ねぇ、素敵でしょう?
幸せでしょう?
「しあわせ、でしょう?」
なのに。
何で涙が出るんだろう。何で笑えないんだろう。
ぼろぼろとこぼれ落ちる涙で視界が歪む。
「ふぇ…ぁ、うー……」
おかしいなあ。何を泣くことがあるのだろう。
───今一人の友達が、幸せになったというのに。
波紋を浮かべたままの水面に映る月と、ぐちゃぐちゃの顔で見上げた月は、おんなじ形をしていた。
夫を亡くした美しい女性が、里で失踪したという事件が新聞の片隅に載るのはまだ、先のことになる。
/世界が終わる日まで
彼女の声を聞き間違えたことは無い。
これからも聞き間違えるつもりは無い。
どこまでも届くのではないかと思うほど通る、澄んだ音の粒。
このぐうたら巫女といつから一緒にいたかははっきり覚えてないが、それでも、かなり幼い頃だったと思う。
何故意気投合したかも忘れたが、喧嘩して仲直りして、何かよくわからないうちにこんなところまできてしまっていたのだ。
私は霊夢が何をしたいのかは大体分かるし、霊夢も何も言わず意図を汲んでくれる。
おそらく「腐れ縁」というやつだった。ただし、もう色んな物が腐れて落ちてしまったと思われる。配慮とか。
「魔理沙ってば。あーもう、寝てるのかしら」
「寝てるのはお前の頭じゃないのか?」
「ああ、起きてた。ほら、冷める前に」
日差しがあたたかい。ちょうどいい温度だ。
縁側に体を横たえてまどろんでいたところを霊夢が覗き込む。体を起こして、頭を振って眠気をとばす。
ふうわり、と鼻の先を湯気が撫ぜていった。ふむ、確かに茶の匂いだ。
だが、匂いがするからといって本物がそこに存在するとは限らない。
湯飲みの中では私が思い描く茶よりワントーン、いや、それ以上に薄い液体が揺れていた。
「霊夢…よく見ろ。これは茶と言わない、湯だ」
「あんたもまだまだ未熟者ねえ。心の目で見るの、心の目で」
「私はさとりじゃないぜ」
「あら、奇遇」
霊夢は何事もないようにずるずると茶を啜った。
「私もよ」
仕方がないのでそのまま湯飲みを傾ける。悲しきかな、慣れ親しんだ味がした。
家では紅茶や珈琲を飲むものの、たまにはこの薄い茶が啜りたくなるのも事実だ。
何がそんなに恋しくなるのだろう、未だにわからない難題である。
横を見れば霊夢が盛大な欠伸をしていた。体をめいっぱいに伸ばしぷるぷる震わせている。猫か。
そしてそのままどさり、と縁側に倒れこんだ。
風に揺れたつややかな黒い髪からは椿油の匂いがする。
「いい天気ねー」
「また寝んのか?多分アレだ、そのうち寝ながら異変解決するんじゃないか」
「いいなぁ。それ」
割と本気な声だった。危ない。
上を見上げるとやわらかな白をした太陽が天辺へのぼっている。
誰もいない境内は静かで、かすかな風の音と、隣から聞こえる呟きだけが耳を打つ。
視界の隅で遊んでいた白い足が前後に動いたかと思うと、
「うおぁっ!?」
反動で起き上がった霊夢に首根っこを掴まれ、そのまま後ろへ引き倒された。
ごつん、という音が自分の中から響くように骨から骨へと伝っていく。
文句のひとつでも言ってやろう。
鈍い動きで横を向いた瞬間、やはり同じように鈍い動きでやさしく目を塞がれた。
ただふわり、と手のひらを乗せるだけの目隠し。私はため息をついた。
こうなったらもう駄目だ。何を言ってもかなわなくなってしまう。彼女の手のひらはいつだって同じようにやさしくて、同じように愛しいのだ。
太陽が眩しくて眠れない、と言ったのは私だった。
もともと昼寝のお誘いを断るための口実だったが、霊夢は珍しくうんうんと考えた後、急に私の目を塞いで。
じゃあ、こうしていてあげる、と言ったのだ。
それがいつの間にか、昼寝の合図として定着してしまったらしい。
それからというもの、眠たくなると信じられないほどやさしく、霊夢は私の目を塞ぐのだった。
あんまりにも、あんまりにもやさしいから。
跳ね除けて逃げ出すことも出来ない。私らしくもないけれど、これは不可抗力だ。
白い太陽を遮る小さい手を、認識できないほど間近で確認した後やれやれと目を閉じる。
「おやすみ」
滑らかな空気に投げ入れられたその音は、やはり凛として、けれど何を乱すこともなく拡散する。
多分私はこの声が好きなのだ。だから、絶対に間違えない。
どんなに擦れても、泣きそうでも、私が拾ってあげればいい。誰かに拾われたら、やっと言葉になれるのだ。
意味のないことが、確かに意味を持って息づくのだから。
そこまで考えて、彼女のそんな声はきっと聞くことは酷く困難だと気付いた。
どんな異変が起こっても、そんな素振りすら見せたことが無い。いったいいつになったら見れるだろうか。
にやにやと顔が笑っていた。目隠しはされたまま、心ばかりが不似合いに躍る。
「―――ああ、……こりゃ」
世界が終わる日まで、こいつを見てなきゃならないなぁ。
すやすやと寝息が聞こえる。涎でも垂らしていることだろう。
気の長い話だ、と思いつつ手探りで掴んだ帽子を巫女の顔に押し付けた。
咲マリに期待してもいいという事ですね>後書き
主題は「眠り」ですか
しかし咲マリ分がないのは解せん
まるでパイナップルが入っていない酢豚のようだ
>ずわいがにさん
気がついたら皆寝てました。
>煉獄さん
楽しんでいただけたなら幸いです。
>7さん
チルノは馬鹿というより無知だと思ってます。っていうお話。咲マリ…だと…!
>11さん
気がついたら皆寝て(以下略
酢豚にパイナップルはいらねえぇ!でも咲マリは必要だと思います!
>13さん
切ない、と感じていただけたらもうこれ以上はないですね。ありがとうございます。
評価だけの方もありがとうございました。