Coolier - 新生・東方創想話

文明の終わる日

2009/12/26 06:02:34
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 はあ……
 っとため息をひとつつく、猫妖怪の姿を見かけた昼下がり。
「あのー、お掃除の邪魔よ」
 声をかけられたことに気づいたその妖怪はしばらくじっと早苗の顔を見つめて、ぷいっと横を向いた。ただし両耳は早苗の方に向けたまま。やっぱり猫なんだなあと深く納得する東風谷早苗であった。
「なにかお悩みのようですけど。ダイダイちゃん」
「ダイダイ? ちがっ、チェンだよ、チェン!」
 いきり立って反論する橙の姿に、早苗はつい微笑んでしまう。
「あらま。ごめんね、チョン」
「チョンでもない」
「じゃあ、チャン? 武器は鉄球ね」
 わけのわからぬからかいを受けた橙はすっくと立ち上がり、境内の掃除中だった早苗に背を向ける。
「あ、ちょっと、冗談よ。ちぇえええん!」
 大声で呼びかけられると、橙はふくれっつらで振り向いた。
「ったくこの巫女は。藍様みたいな呼び方しないでよ」
 不満たらたらのその横顔を見ながら、早苗はなにやら考え込んでいる。
「橙色と、藍色と紫と……間にミドリちゃんとかがいそうね、配色的に」
「は?」
「リューイーソーの『リュウ』 ……なんだか強そう。そっちのほうがよかったんじゃない? あなたの名前」
 橙の唇がどんどん尖っていく。頭の中が半分神の国に旅立っているこの女の言うことはよくわからないけれど、主人からもらった大切な名前を馬鹿にされては黙っていられない。
「ミドリちゃんはあんたでしょ。緑巫女、偽巫女、ええと、ルイージ!」
「る、ルイ……」
 早苗は腰にたばさんだ御幣を抜き、その先を橙に向ける。手元がやや震えていた。
「世の中には、言っていいことと悪いことがあるのよ。教育してあげます、悪童妖怪!」
「やれるもんならっ」
 こんな子供の口げんかのような理由で、妖怪と人間の激闘が始まってしまうのが幻想郷という所である。
 目端の利く天狗たちがまっさきに彼女らの戦いを発見して、すぐさま風の速さで仲間に触れて回った。化け狐やら化け狸やら、あるいは木霊やら入道やらといった山の妖怪が神社の周りに集まって、二人の戦いを観察しはじめる。
『現在、早苗ちゃん1.1倍、猫又4.5倍だよー。穴狙いに賭けるやつはいないかー』
 いつのまにか河童の用意した電光掲示板に、二人の賭けの倍率が表示されている。
「まあ早苗が鉄板だろうね。終わったらこんど私が出ようか」
「やめときなさいって。どっちが負けても面倒でしょうに」
 フランクなふるまいで定評がある、この神社の神様たちまで縁側に陣取って酒を酌み交わし始めた。
「なんだか見世物にされてる気が」
「よそ見してるひま、あるのっ」
 橙はめまぐるしく空中を跳ね回り、ありったけの光弾を周囲にばら撒く。妖怪としてはまだ年若くとも、伝説の妖狐に力を分け与えられている彼女である。主の支援がなくともそこらの雑魚になら負けない程度の自信があった。
「晴明紋の弾幕? 意外と気が合いそうね」
 紙一重のところでこれをかわした早苗がすばやく御幣を振る。彼女の周囲に二重の五芒星が描き出され、それがさらに五つに分裂してじわじわと橙を包囲する。
「あ、あ、う……翔符、飛翔帝釈天っ」
 ややおぼつかない手つきで、橙は懐から呪符を取り出して力を解放した。とたんに彼女の動作がぐんと加速し、霊弾の囲いを強引に突っ切って早苗へと迫る。
「帝釈天ねえ。その名を冠するというなら、こちらだって」
 早苗はすっと息を吸って目を閉じ、意識を集中して薄目を開く。

――神火「インドラの矢」――

 橙が目を覚ましたとき、すでに日は落ち始めていた。境内ではまだどんちゃん騒ぎが続いている。
『諏訪子様、八人抜きー。さあ次なる挑戦者は、ありゃ、いないの? いないんなら十人抜きあつかいになるよ。配当は――おっとぉ、黄桜。九番手は河童の黄桜女房だあ』
 勝手に堂本を買って出た河童が、拡声マイクでがなりたてている。今度はここの神様が何連勝できるかで賭けが始まっていたらしい。
 うるさいなあと思って寝返りしようとして、自分がなにか柔らかいものに頭を乗せていることに気がつく橙。真上を見上げると、早苗と目があった。
「にゃっ、な、なにを」
 あわてて飛び起きる。その拍子にお互いの頭がぶつかりそうになったが、早苗がひょいと身を引いたのでことなきを得た。
「なにって、おひざまくら」
 すました顔で答える早苗の頭には、小さな帽子が乗っている。それを橙が指さす。
「私の!」
「はいはい。おっこちてたのを拾ってあげたのよ」
 手渡された自分の帽子を、橙はぎゅっと握りしめる。早苗はそれを見て、ひざをはたいて立ち上がった。
「ご一緒にお茶でもどうですか、あっついのを」
「あっついのはヤ。わかって言ってるでしょ」
 くすくすと含み笑いながら早苗は母屋の方へ立ち去る。膝立ちになっていた橙はぺたんと縁側に座りこんだ。
 なにがどうなったんだっけ。さっき、そうだ、とっておきのスペルカード発動中だったのに、早苗の放った鋭い閃光に射抜かれて……そこまでしか記憶がない。
 惨敗、という二文字が脳裏をよぎる。そもそも、早苗が本気を出していないのは戦っている時からわかっていた。まともに相手にもされず、そのうえ敵に情けをかけられて。
 いつのまにか手の中の帽子がしわくちゃになってしまっていた。あわててしわを伸ばす。この帽子も、着ている衣服も、それどころか自分の今の肉体もみな主人たちに与えられたものだ。あと何年ぐらい修業すれば自分も彼女らの領域に到達できるのだろうか……少なくとも千年はかかりそうだ。それまで、あの厳しくも優しい主人たちは待っていてくれるのだろうか。
「どうぞ、あっつーいお茶」
 意外なほど早く早苗が戻ってきた。この短時間で湯がわくとは思えないけれど、手にとった湯飲みは嫌がらせかと思うほど熱々だった。なにか外の世界の道具でも使ったのか。
 ふうふうと吹きながら、少しずつ飲み物を口に運ぶ橙。その様子をわずかに微笑んで見守る早苗。
「なによ」
「いや、お子様だなあと思って」
「人間に言われたくないよ。あんたの何倍生きてると思ってるの」
 眉をひそめて抗議する橙に、早苗はまったく動じずに言い返す。
「人間は放っといても勝手に老化しますけど、あなたたちは違うんでしょ。見た目のお歳頃は、心のお歳頃で決まるように見えるんだけど」
 橙は目を合わせず、ちぇっと軽く舌を打つ。さっき実力の差を見せつけられたばかりなので、表立って反論するのは少し怖かった。
「うちの諏訪子様にしても、ほら」
 早苗は斜め上方向を指さして苦笑いする。その先にいた神様は、ややてこずりながらも九人目の挑戦者を打ち倒した所だった。観客たちからどっと歓声があがり、またもや別の命知らずが名乗りをあげる。
「御歳何千歳か知りませんけど、久しぶりに本気の弾幕ごっこができるからってあんなにはしゃいじゃって」
「あ、うん。言われてみると藍様の方がお姉さんのような」
 橙はそうつぶやき、自分の主の主、神々に等しい力を持つ大妖怪、八雲紫の姿を思い起こす。少女と言っても通じるし、妙齢の御婦人と言っても通じる不思議なオーラの持ち主である。
「紫様……はぁ……」
 見るからにしょげた様子になって、橙はまたひとつため息をついた。
「ん? ともかく、本当の歳はどうあれ心では私がお姉さんなのよ。あんまりその、言わないでちょうだい……ルイージとか」
 突然その話題を蒸し返され、橙は小首を傾げた。同時に早苗もあごに手をあてる。
「ところで、なんで幻想郷のひとが知ってるの。あのヒゲおじさんの名前なんて」
「え、ひとの名前だったんだそれ。知らなかったけど、紫様がそう言ってたから。早苗のこと」
 早苗の手が小刻みに震え、湯飲みから少しお茶がこぼれる。
「あんのおばちゃんが……」
「わ、わ、だめだよおばちゃんとか言っちゃ。もしかしてかなりの悪口だった?」
 早苗はふと我にかえり、橙の目の前で片手を横に振る。
「別にそんなことないけど、ちょっとルイージにはつらい思い出が」
 また不思議がる顔になる橙。ひとくちお茶をすすって目を伏せて、早苗は語りだす。
「私が小さいころ、よく諏訪子様と一緒に……えーと、マリオっていう遊びをして。私はいつもルイージで、それはいいんだけど、諏訪子様すごく上手だからずーっとマリオを使いっぱなしで、いつまでたっても私の番が回ってこなくて」
「ああ。たまにいるよね、そういう空気読めないお子様って」
 早苗の話だけではそれがどんな遊びなのかわからないが、ここの神様が見た目以上の悪ガキだというのは理解できた。
「あうー、人聞き悪いなあ、もう」
 ついさっき、見事十人抜きをやってのけた洩矢諏訪子がすとんと縁側に降り立った。衣服があちこちほつれているが、本人はいたってぴんぴんしている。
「そういうルールなんだから仕方ないでしょ。あ、マリオ3なら順番にできたよね、早苗」
「でも私が上を通るとき、諏訪子様いつもAボタン連打してました! 宝島のアイテムも全部取っちゃって」
「いや、それもそういうものだし」
 言い訳を重ねる諏訪子と、より不機嫌になってしまった早苗。
「あ、はいはい、私知ってる――」
 ついていけない話題に蚊帳の外におかれていた橙が、勢いこんで手をあげる。
「ジャイアン、って言うんでしょ。こういう奴のこと」

――

 なぜか、この日の守矢一家の夕飯には橙も同席することになった。
 理由はそれぞれ。妹ができたようで嬉しいという個人的感情もあり、彼女を経由して八雲主従との友好度を高めておこうという政治的判断もあり。だがそもそものきっかけは、橙がなんだかんだと理由をつけて帰ろうとしなかったためだ。
「ともかく私は、諏訪子様より大きくなったらゲームは卒業すると心に決めたんです、あの時」
「いや卒業とかおかしいわよ。いくつになっても遊びは必要だから」
「あんたは限度ってものを知りなさい。朝から晩までファミコンなんて異常でしょうが」
 わいわいと言い合いながら鍋をつつく神々プラス現人神。熱い食べ物が苦手な橙にこのバトルロイヤルはちと荷が重い。新手の嫌がらせかよ、と思っていたら早苗と目が合った。彼女は無言で新しい小鉢を取って、野菜少なめ肉多めに具を取り分けて橙に差し出す。
「神奈子はゲームを全部ファミコンって呼ぶひとだからなあ」
「あんなピコピコ鳴ってる機械なんてどれも同じよ。ったく、そんなのいいから夕飯ぐらい顔出しなさいって何度言ったか」
 神奈子のこの詰問に、お肉を吹いて冷ましていた橙がぽろりと箸を取り落とす。
「あっ……なんでもない。ご飯ぐらい一緒に食べようよ、諏訪子様」
「う、はあい。こいつにまで説教されるとは」
 やや不満げな表情で――その態度が半分ぐらい演技なのは、神奈子にも早苗にもわかっていたけれど――ご飯をぱくつく諏訪子。
「私もね、こっち来てだいぶ更正できたってのは認めるわよ。今日みたいに、正体を隠さないで派手に力を使っていいなら、神社の奥に引きこもってる必要もないんだけど」
「ずいぶん引っかかる言いかたするねえ」
 薄笑いを浮かべて挑発する神奈子に、諏訪子は箸を置いてどんと卓を叩く。
「やっぱり電気ぐらいは欲しいね、って言い出したのは神奈子じゃん。そんで結局核融合で地熱発電してさあ、炊飯器もポットも使えるようになったじゃない。ならなんで私のゲームはみんな置いてきちゃったの」
 どうやら、外世界から来たこの三人の言う『ゲーム』とは、それ自体で遊ぶための機械のことを指しているらしい――というぐらいのことは橙にもわかった。
「そういうの紫様が嫌がりますよ。お洗濯する機械とか、ご飯を炊く機械なら別にいいと思うけど。遊びまで機械でっていうのは、うーん、幻想郷の文化的に」
 『ゲーム』とは南蛮語で『遊び』を意味する言葉だと思っていたけど、外の世界では違うらしい。遊び用の機械で遊ぶこと、それがゲーム。すでに言霊が変質している。
「さすがにわかってるわね、八雲殿は。子供の遊びはいつでも本気、原初の神遊びに通じている――」
 わらべ歌、じゃんけん、けんけんぱあ。もとはその手の他愛もない遊びから、託宣の技、結印や反閇の技といった呪法が生まれた。
「それがここ何十年かで、古きよき遊びはすっかり破壊されてしまった。それで私は、この国にゃもう未来がないって確信したんだよ」
「でもさ、その破壊のあとに新しい信仰が生まれるかも知れないじゃない。漫画の神様ならすでにいるんだし、そのうちゲームの神だって出てくるわよ」
「そんな新参に大和を任せられますかっての。私だってもとの世界に未練がないわけじゃないよ。でも今はまず、この幻想郷で足場を固めなおさないと」
 互いに触れ合わんばかりの距離で箸をつつき合わせ、自分たちの今後の方針について議論を始める神様たち。
「いいの? 止めなくて」
「いつものこと。そのうちお酒が回れば、難しいお話なんてどうでもよくなってくるんだから。それよりどう、うちのお鍋は」
 橙は器に目を落とし、やっと冷めかけてきたお肉をひときれ口に運んだ。
「おいしい……」
 料理自体の味もさることながら、こうやって皆で食卓を囲んで食事をとるのは久々だった。やや甘めに味付けられたすき焼きが、じんわりと胃袋に染み渡る。
「……ん、ぐ」
 橙はうつむき、嗚咽を漏らしはじめた。小さな肩が小刻みに震えている。食べ物をのどにつまらせてしまったのかと思い、早苗は彼女の背中を軽く叩く。
「あ、もう。ゆっくり食べないと」
 橙は何も答えず顔をそむけた。その頬を一筋の水滴が伝っていく。箸をぐっと握りしめる彼女の右手の甲に、ぽたり、ぽたりと涙が落ちる。
「早苗……さなえー」
 さっきまで論戦を繰り広げていた神様たちは、早苗に抱きついて泣きだした橙の後ろ姿を驚いた顔で見る。
「おっと、どうしたの。泣かせちゃった?」
「私じゃありませんって。ああもう」
 胸元に顔をすり寄せてくる橙の肩をつかみ、やや押しのける。至近距離で目が合った。
「お昼どきから、なんか様子がおかしかったわよね、あなた」
「別に。だって藍様も紫様も、その、だから」
 まるで会話が要領を得ない。泣きだしたついでに橙は鼻水をこぼしかけていた。早苗から何枚かちり紙を渡されて、顔を横に向けてちんと鼻をかむ。
「えっと、ごみ箱」
「台所よ。こっち」
 少しお話ししてきます、と小声で神奈子にささやいて、早苗は橙をつれて厨房へと移動した。

「ちゃんと手を洗ってね。ついでに顔も」
「水に濡れるの苦手なんだけど」
「少しぐらいなら平気でしょ。鼻かんだ手でご飯食べちゃいけません」
 口うるさく注意されて、橙はしぶしぶ言いつけに従う。ひとしきり泣いてやや気分が落ち着いたようだ。
「水が駄目ってことは、お風呂とかどうしてるの」
 早苗は橙の頭に顔を近づけ、においをかいでみた。これといって異臭はしない。
「猫に戻って、にゃんこ仲間に毛づくろいさせてる」
 その手があったかと早苗が感心しているのにも気がつかず、橙はまたつらそうな顔色になる。
「藍様のすぐそばなら濡れても平気。だからよく、一緒に洗いっこして。でも最近……」
「またそれ? なにがあったの」
 精一杯の空元気で取り繕ってはいるけど、主人たちのことを思い出させるとすぐにしょげた顔になってしまう。橙は口をつぐみ、じっと早苗の目を見ている。
「言いたくないの? それとも私たちには言えないの」
 何をしてるんだろ私。早苗は内心でそう自嘲する。
 こんな妖怪ごときが何を悩んでいようと、神に仕える自分が気に病むようなことではない――と、普段からそういうスタンスでいたはずなのに。どうしてだか今の彼女を放っておけない。
 橙はしばし考え込み、ちらちらと周囲の様子をうかがってから小声でたずねる。
「早苗は、んーと……もしあの神様たちが、こっそり引っ越しの相談をしてたらどうする?」
「へ? また唐突な」
 馬鹿馬鹿しい質問だ。橙にからかわれているのかと思ったが、彼女の瞳は真剣そのものだった。
「私を置いて、お二人だけでどこかに行くってこと? ありえません。なにかの聞き違いじゃないかって、まず自分の耳を疑うけど」
「でもっ。じゃあさ、二人ともこのごろ妙に冷たくて、なんか変だなあって思ってるときにそんな話を聞いちゃったら。それでもまだ空耳だって思える?」
 必死に食い下がってくる橙。どうしても早苗の答えが聞きたいらしい。
「そのときは。そのときは、あー」
 あの二柱の神々にとって自分がいかに大切な存在か、今の早苗には理解できている。愛情だとか絆だとかいう精神的な要素以前に、祀ってくれる者がいなくては神の力を振るえないのだから。
 だけど昔の、まだ外にいた頃の自分にとってはどうだったか。
「一緒に行かせてくださいって頼んでみたら? 私は、そうしたから」
 学校の友達にも、先生にも、近所の人たちにも内緒だけど――言っても絶対に信じないだろうけど――うちの神社に居候しているあの二人、実は神様なのだ。あの神々に仕えるために私は特別な力を持って生まれてきたのだ。という信念が、幼いころからの早苗のプライドだった。
「私にとっては昔の事なんだけど。あのお二人とも、いつかこの世からいなくなってしまうんだって聞かされたことがあってね」
 両親にそう言われたのは、自分がいくつのときだっけ。その日の夕飯にお赤飯が出たのは覚えている。もう『神童』ではなくなったから、事実を知らせることにしたのかもしれない。
「なにそれ。神様なんてそう簡単に死ぬもんじゃないでしょ」
「ええ、信じる者がいる限り。だから神奈子様は人間の国を離れて、妖怪の国に行って信仰を集めるつもりなんだって教わって。それで私すぐに、自分も連れてってくださいってお願いしたの」
 そのあといろいろと悶着はあったけれど、最終的には両親にも自分の考えをわかってもらえた。もう二度と会えないであろう家族や友人たちの顔を思い出して、少ししんみりした気分になる。神々と早苗をいっぺんに失ったあちらの東風谷家には、もう現人神の血族の力は残されていない。これからは普通の職業神主として生活していくのだろうし、それでいいのだと思う。
「怖く、なかったの」
「なにが?」
 橙の言いたいことはおおむね察しがつくけれど、あえて聞き返してみる。
「別についてこなくていい、とか言われたらどうするの」
「考えなおせとは何度も言われたけど。親にも、神奈子様にもね。だけど私、あのお二人のそばにいない自分なんて想像もつかないから。守矢の風祝であってこその私なの」
 穏やかにそう語る早苗の顔を、橙はまじまじと見つめている。やがて、うんと深くうなずく。
「そう、だよね。逃げたって始まらないもんね。今日はご飯、ありがと」
「いえいえ、お粗末さまで。頑張ってね」
 やや頬を赤らめて橙はまたうなずき、早苗に背を向けて廊下に出た。

「どこへ行こうというのかね」
 演説がかった口調でそう言って、玄関へ向かおうとした橙の行く手をさえぎる諏訪子。
「頑張ってねじゃないでしょ早苗。私らにとっても大問題じゃないの」
「まあまあ。ご飯ぐらいゆっくり食べていきなさいな、ほらこっち」
 居間から神奈子も手招きする。橙はやや戸惑いながら、さきほどまで自分のいた席に戻る。
「ええと、ここで帰しちゃまずかったでしょうか」
 中身の減りかけていた二人分のコップにビールをお酌しながら、少し申し訳なさそうな口調で早苗が問う。
「ほかの奴なら気にしないけどね。あのスキマ妖怪の動向に関してはちょっと放っとけないわよ」
「あんたのお肉、すっかり冷めちゃったわよ。取り換える? いいの?」
 柄にもなく世話を焼く神奈子。優しい態度を見せて懐柔しようという魂胆が見え隠れしている。
 実はけっこう腹をすかせていたらしい橙が一皿と一膳を平らげるのを見届けて、神奈子は本題を切り出す。
「悪いけど聞かせてもらった。あんたのご主人たちが、幻想郷を見捨てる算段をしてるってのは本当かい」
 橙は目を丸くして、この場の三人の顔を眺めまわす。
「いや、そうとしか思えないじゃない、その話しぶりだと」
 箸をおいてやや目を伏せ、どう答えるべきか思案する橙。
「わかりません。でも、そう聞こえるお話をしてました。藍様と」
 神奈子は腕を組み、難しい顔をする。
「奴らがねえ。ちょっと信じがたいけど。そもそもこの土地を妖怪の楽園に仕立てあげたのも八雲紫だろうに」
「実際、どんな事言ってたの」
 諏訪子が急に身を乗り出すと橙は驚いて身を引き、たどたどしく語りだす。
「んっと、確か……外の文化の圧力が大きすぎて、境界がどんどん押されてるんだとか。それで、このままだと飲み込まれちゃうから早く脱出しないといけない、って」
 ああ、と言って早苗は手を打つ。
「このあいだ、麓の神社でも似たような話を聞きました。ここ最近、幻想郷の結界にあちこちガタが来てるそうです。八雲のひとたちがサボってるんじゃないかって怒ってましたけど、彼女」
「ただごとじゃないわね。そこまで危機的状況とは」
 見込みが甘かったか、と神奈子は内心舌を打つ。神々が大手を振って歩けるこの地すら終焉の時が近いというなら、自分たちはどこへ行けばいいのか。
「でも脱出といったってよそに行くあてなんか。どうする予定か聞いてる?」
 橙はやや躊躇したのち、口を開く。
「……別の星に行くそうです。自分たちだけで」
 その『自分たち』のうちに、橙はカウントされているのかいないのか。彼女の最大の関心事はそこなのだろう。
「やつら、地球ごと捨てるつもりか」
「なにかどんどんスケールの大きな話に。星といっても、織姫とか彦星とかいろいろありますけど」
 んーと、と唸って橙は考え込む。
「聞いたこともない名前だよ。アルバイト・ケンタッキー……違うなあ。でもなんかそういう響きの」
「アルファ・ケンタウリ?」
「そう、それ」
 正解を言い当てた神様に驚きの視線が集まる。
「知っているのか諏訪子」
「まあね。太陽系に一番近いと言われてる星の名前。今の科学でもまだまだたどりつけないはず」
 これもゲームから得た知識なのだけど、それを口にしたら『やっぱり』という顔をされそうなので黙っておく諏訪子であった。
「しかしその話だけでは、むこうさんがどのくらい本気なのか読めないわね。いつもの悪ふざけという可能性もなくはない」
 苦い顔でビールをちびちびやりながら神奈子がぼやく。
「私だって、なにかの冗談ならいいなって思います。でも藍様が、最近ちっともお夕飯に誘ってくれなくて。こっちから会いに行っても、紫様のお相手で忙しいからって追い返されちゃって――」
 妖狐、八雲藍のことを橙がいかに敬愛しているか、そして藍の橙に対する猫可愛がりっぷりいかほどのものか。ここの三人は、以前の宴会でそれを嫌というほど見せ付けられた。
「どうしてそんなに私のこと避けるのかなって思って。なにしてるのか聞いても、私が知っちゃいけない事だって言って教えてくれないし。それでこっそり紫様のお部屋の前に隠れてたら、お二人で、そういうお話を……」
 橙は下唇を噛んで、また泣き出してしまいそうなのをじっとこらえる。神奈子は空になったコップをかたんと卓に置いた。
「決まり、だね。正直言ってあいつらには失望した」
「まさか、いやまさかなあ。ん、なんでもない。これは本気で幻想郷の危機よ、早苗」
 真剣な瞳の二柱に見つめられ、早苗はびしりと背筋を伸ばす。
「はっ。今こそ妖怪退治ですね。相手にとって不足はありません」
「え、ちょっと、なに言ってんの、退治なんて」
「さあ、あなたの元主人のところに案内して」
 すがりついて引き止める橙には目もくれず、早苗は玄関へと向かおうとする。
「おーい、なにも力づくで叩きのめせとは言ってないよ。というかいくら早苗でも手に余るでしょ、あいつらが相手じゃ」
 諏訪子に引き留められ、やや表情を曇らせる早苗。
「う……まあ確かに、ではご一緒に」
「私たちが直接乗り込んだら、本当に戦争になりかねないわ。だから早苗、まずはやつらの真意を確かめなさい。その上でどうするかはあなたの判断に任せる」
 早苗は深くうなずき、まだ戸惑っている橙の手を引いて外へ駆け出していった。

「こっちだよ……ねえちょっと、その子らにかまってる場合じゃないでしょ」
「ごめん、つい可愛くて」
 橙のねぐら、マヨヒガ。別名猫の里。彼女に案内されてここについた早苗は、所狭しとたむろする三毛猫やら斑猫やら虎猫やらと戯れていた。
「ここにあのひとたちが住んでるの?」
「この先だよ。ちょっと待って」
 オンキリキリウンケンソワカ、と橙が古式の呪言を唱えると、二人の目の前の空間がゆらりと歪んで異界への通路が開く。
「おっと。意外とやるわね」
「私の力じゃないよ。藍様が仕掛けてくれた扉」
 ふうん、と早苗はものめずらしそうに『扉』をつつく。以前見た、紫の操るスキマとはまた別の術のようだ。
「あなたにいつでも会えるように、ってこと?」
「うん。これも閉じられてたらどうしようかと思ってたけど」
 早苗は首をひねる。
「藍さんの考えがわかんないわね。止めてもらいたがってるのかな」
「きっとそうだよ! だって藍様、しかたなくつきあわされてるって感じだったもん」
 会ってみればわかるでしょ、と思い、早苗は躊躇なく扉をくぐる。あわてて橙もついていく。
「それで、どっち」
 ほんの小声で早苗が尋ねると、橙は無言で先導する。
 八雲家の中は、わりあい普通な和風のお屋敷だった。もっと悪の秘密基地めいた内装を期待していた早苗は少し拍子抜けしてしまう。
 いちおう足音を忍ばせて歩いているけど、きっと無駄だろう。隠れ身の技なら早苗より橙の方が上手だろうし、それでもここの二人の耳と鼻を欺けるとは期待できない。
「あっちの、明かりがついてるのが紫様のお部屋」
「んー。もうとっくに私たちに気づいてるんじゃない?」
 橙は軽く首を横に振る。
「それがね、お二人とも心ここにあらずって感じで」
 明かりが漏れ出ているその部屋の前まで何事もなくたどり着き、二人は聞き耳を立てる。室内ではかすかに音楽が流れていた。穏やかだが、どこか不吉な曲調。
「これで船の完成の目処も立ったわけですが……紫様。紫様」
「え? うん、なんだっけ」
「もう。本当に続けるつもりですか、こんなこと」
 藍の口調には、あからさまに非難の色が混じっていた。
「あと少しなんだからつきあって。この調子だと、冷凍睡眠室が完成するころには打ち上げ可能ね」
「はあ。成功率は八割ってところですけど」
「しかたがないわ。万全に準備したかったけど、これ以上時間をかけても破滅が待っているだけよ」
 紫の声色からは、いつもの嫌みたらしいほどの余裕が感じ取れなかった。ひどく憔悴しているようだ。
「そのへんのご判断は、私が口出しすべき事じゃありませんけど……」
 はっきりとしない物言いで言葉を濁す藍に、紫は鼻で笑って答える。
「言いたいことはわかってる。そう簡単に逃げ切れるはずがない、でしょう?」
「ええ、まあ。打ち上げが開始されたら、各勢力とも紫様を袋叩きにかかりますよ。それを跳ね返せる戦力がありますか」
 部屋の外で、ほとんど四つん這いの格好になって聞き耳を立てる橙がつぶやく。
「やっぱりなんの役にも……私なんか……」
 すぐそばにいる早苗にも聞き取れないほどの小声だったけれど、彼女が何を気に病んでいるのかは痛いほどわかる早苗だった。そっと橙の頭をなでる。
「どこもかしこも無駄に武力ばかり拡大しちゃって。調整役に回ったのは失敗だったかしら」
 そう語り、ふわあとひとつ大あくびをする紫。
「自滅覚悟でも、今の方針でいきますか」
「冗談。やりかた次第でまだ十分に勝機があるはずでしょう。さあ、次に進めて」
 しばらく沈黙が続く。相変わらず奏でられている音楽にまぎれて、金属を打ち合わせるような音や、どこの国の言葉ともつかない叫び声がかすかに聞こえてくる。中の様子が見えないので詳しくはわからないが、二人でなにかの術式を展開しているらしい。
 唐突に藍が言い出す。
「この局面から逆転するとなると、やっぱりアレですか」
「ん? ふふ、そうね。あとさき考えなければ最強の力だもの」
「私は抵抗がありますけど。核兵器なんて」
 早苗の体がびくりと震える。
「核ですって……」
「カク?」
 言葉の意味がわからない橙はやや戸惑っている。扉一枚隔てたむこう側で、紫は得意げに語る。
「宗教屋って本当に扱いやすいわ。技術を盗まれたことにも気がつかないで、この力をたかが発電所なんかに使って安心している」
「まあ単なる抑止力とは思ってませんでしたが。いつ使うおつもりで」
 藍に問われて、紫はまたひとつあくびをして答える。
「ちょっと休むから、その間に状況を進めておいて。ロケットの完成直前になったら起こしてちょうだい」
「その後の方策は」
 紫は少し考え、説明する。
「やられる前にやる、それだけよ。私に敵対しうるあらゆる勢力に戦線布告。同時に重要拠点にありったけの核を打ち込んで、奇襲部隊で焼け跡を殲滅……ってとこかしらね。その程度で滅ぼせる相手じゃないけど、時間稼ぎには十分」
「環境へのダメージははかりしれませんよ。五千年もの労力の結果がそれですか。いったい何度文明を創りなおせば気がすむんです」
 すべてを諦めたように言う藍に、紫がほくそえむ。
「もうどうでもいいわ、こんな惑星。また新しい星で、二人で遊びましょ」

 ばんっと音を立てて、襖戸が勢いよく開く。
「そこまでよ!」
 紫も藍も、驚いた顔で早苗を見る。
 藍のいくつもの尻尾の先では、ゆらゆらと炎が揺れていた。その狐火のそれぞれから光が放たれ、室内に置かれた真っ白いついたてを照らしている。その表面にはどこかの地図らしき画像が描き出されていた。
「あなたたちの企みはお見通しよ。おとなしく神の裁きを受けなさい」
「あらま。早苗、どうしたの」
「橙、お客が来てたなら教えてくれ。橙?」
 うつむき、肩を震わせる橙がゆっくりと顔をあげる。
「私、やっぱりいらない子なんですね。役立たずだもんね、わかってます。でも、でも」
「なにを、ちぇ……」
 藍は絶句する。橙が落ち込んだり、悲しんだりしているのならいくらでも慰められる。しかし今の彼女の顔は、まるで。
「らんしゃまなんか、だいきらい!」
 それだけ言って、橙は膝をついて泣き崩れる。藍は顔をひきつらせ、言葉にならぬうめき声をあげ、脱力するようにその場に座りこんでしまった。予想外の光景に紫は狼狽している。
「なんなのよ。あ、まさか、そういうこと? あのね早苗、きっと誤解が」
「問答無用! わが血脈と祭器に依りて、おいでくださいませ、守矢の二柱!」
 早苗の髪飾りが淡く光りだす。脈動するように明滅して、やがてまばゆい輝きとなり部屋じゅうを照らす。
 『祭器』といっても、単に早苗が手作りしたアクセサリだ。たいして上出来でもない。しかし幼いころの彼女は、ただ神々を喜ばせようとしてこの蛇と蛙の髪留めをこしらえた。そして神々は彼女の献身を褒め称えた。この宝物こそ、神と人との契約の証。
「今までご苦労、八雲殿。幻想郷はこれから私が守る。あんたは閻魔にする言い訳でも考えておきなさい」
 まばゆい後光を背負って、八坂神奈子は言い放つ。
「待って八坂さん、違うの、聞いて」
「ずいぶん弱腰じゃないか!」
 神奈子は右手を高く掲げる。この狭い空間では、最大の武器である御柱が使えない。一気に力を解き放ち、八雲邸の天井をまるごと吹き飛ばす。
「あ、あ、そんなぁ」
 ぱらぱらと材木の破片が降りかかる中、紫は呆然としてへたりこむ。
「なんの演技だい。さあ、あんたの最期の遊びをしようじゃない」
「無理言わないで、私ほとんど寝ていないの。力が……藍、藍ってば」
 主の呼び声など、今の藍には届いていない。ただうつろな瞳でつぶやき続ける。
「嫌い、嫌う、嫌われ、きら……ああっ」
 頭を抱えてうずくまり、またひとりごとを再開する。その目の前に諏訪子が歩み寄り、首ねっこをつかんだ。
「ねえ。おーい……だめだこりゃ」
 諏訪子は手を振り上げ、かなり遠慮なしの力で藍の頬をひっぱたいた。一発だけでは終わらず、二発、三発と。
「ちょ、へぐっ。わかった、やめ、あうっ」
「これ気持ちいいかも。じゃなくて、もう一回映してちょうだい、さっきの地図みたいなの」
 そう言って手を離し、諏訪子はあたりを見回す。その辺に倒れていた襖の一枚を引っ張り出してきて、垂直に立てた。
「よいしょっと。早苗、橙、これ押さえといて」
 橙は早苗に手を引かれて立ち上がり、言われるがままに二人で襖をまっすぐにささえた。ぼぼっ、と音を立てて藍の狐火が灯り、襖の表面に先ほどと同じ画像が映し出された。
 地図、と呼ぶには少々奇妙な絵面だった。海や街や丘がフルカラーで描かれているが、ひとつひとつの図柄がアイコン化されて整然と並んでいる。画面の端のほうには何かのデータらしき数値がいくつも表示されている。
「なんかこれ、ゲームっぽいですね」
「うん。まさかとは思ったけど……本当にシヴィライゼーションとは」

 神奈子は何度か瞬き、じろりと紫をにらみつける。
「ゲーム、ですって?」
 紫は眠たげな目つきで眼をそらす。代わりに諏訪子が答えた。
「そ。原始時代から文明を育てて、世界制覇するか宇宙に脱出すれば勝ち、っていうルールの」
 あっと声をあげる早苗。
「どこかで見た画面だなって思ったけど、これ前に諏訪子様がやってましたよね」
 ああ、と神奈子もうなずく。
「あんたがずうっと引きこもってしてたやつ? ったく、忌々しい」
 まだ外の世界にいたころ、寝食を忘れて趣味に没頭していた諏訪子。その姿は神奈子の目には自暴自棄のふるまいとしか見えなかった。神遊びの廃れた世界に嫌気がさして、毒薬を自ら飲み、緩慢な自殺を試みているのではないかと胸を痛めたものだった。
「そんなに面白いの、このおもちゃが」
 神奈子に問われて、紫はしばらく口元をひきつらせる。よく見ると彼女の髪はパサついてあちこち跳ねており、目の下には隈ができていた。
「これほどの魔力とは思わなかったの。外の人間たちの遊びなんてさほど興味なかったんですけど、たまたま拾った本に、これが一番面白いって書いてたからちょっと始めてみたら……全然やめられなくって」
「いつのまにかどっぷりハマっていたと。わかるよそれ」
 腕組みしてうんうんとうなずく諏訪子が、ふと首をかしげる。
「そういや、これウィンドウズ版よね。パソコンはどこなの」
 きょろきょろとあたりを見回す諏訪子をちらりと見て、紫は藍を指さした。
「私が演算しています」
「は?」
 さきほど我に帰ってから、ずっと無表情のままの藍が説明する。
「このゲームを構成する式――プログラムを暗算して、処理結果を表示しています」
 守矢家の三人は、この言葉を聞いてぽかんと口をあける。
「計算、早いんだね」
「ええまあ、ひとつひとつの式は極めて単純ですから。秒間で億単位の回数なのでちょっと骨が折れますけど」
「さすが藍様」
 ぽつりと橙がつぶやく。その瞬間、藍は表情をこわばらせて目をそらした。
「んー。原理はわかるけど、どうやってインストールしたんですか」
「……ああ。紫様が調達してきたCDの、反射面の凹凸を読み取って。あれは目が疲れる作業でした」
 もはや感心を通り越して呆れ顔になる早苗。
「無駄にハイスペックなひとね……おっと」
 早苗の支えていた襖が急に傾いた。橙が手を離したためだ。彼女はゆっくりと藍に歩み寄って、動きを止める。
「まだよくわかりません、けど。全部そういう遊びだったんですね」
 じっと橙に見つめられている藍。まだすわりこんだままの彼女は、視線を斜め下に向けて押し黙っている。
「私、本当に捨てられちゃうのかと」
「そんなのこいつにできるわけないでしょ。馬鹿ねえ」
「あなたは黙ってて」
 むつくれた顔で愚痴る紫に、早苗がぴしゃりと言い放つ。
「私なんかただのペットなのかなって。お二人のお邪魔なのかなって、そう思って」
 藍は拳を床に押し付け、腕をぶるぶると震わせている。橙はもう一歩前に、互いに手を伸ばせば触れられそうな距離に近づく。
「それで……ひどいこと言っちゃいました。ごめんなさい、藍様」
 はっと顔をあげる藍。そして理解した。橙が怒っているのは、自分自身に対してだと。あやふやな情報に惑わされて主を疑ってしまったことを恥じて、せいいっぱいの謝罪をしているのだと。
「ちぇええええええん!」
 絶叫とともに藍は飛び起き、力の限り橙を抱きしめる。
「悪くない、おまえはちっとも悪くなんかない。謝るのは私だ、すまない橙。すまない、すまない……」
 滂沱の涙に濡れる頬を、藍は何度も橙の頭にこすりつける。
「らんひゃま、あの、苦しいです」

「橙、そして皆さん。お騒がせして本当にすみません」
 一時の熱狂から覚め、冷静さを取り戻した藍が深く頭を下げる。
「まあ別に、この件で実害をこうむったのはおたくの式だけですし」
「うわ。ここんちを星空が見えるお宅にリフォームしちゃったのは誰だっけ」
 諏訪子の混ぜっ返しに、紫は顔をあげて神奈子に非難の目を向ける。しかしすぐに睨み返されて、床にのの字を書きはじめた。
「紫様」
 橙はちょこんと紫のそばにしゃがみこむ。
「藍様と遊ぶのもいいんですけど、たまにはお夕飯にも誘ってください」
 紫はまた顔をあげ、首をかしげた。
「おゆはん……ねえ、最後にこの子とご飯食べたの、いつだっけ」
「二カ月近く前です。ちなみに、それが最後のまともな食事でもあります。ったく袋菓子ばかり食べて、お肌荒れてますよ」
 そう聞いて早苗がまじまじと紫の顔面を見つめる。紫は両手で顔を隠した。
「だって、このゲームやることが多いんだもの。次はどういう編成で攻めようかなーとか、市民の配置はどうしようかなーとか、誰と技術交換しようかなーとか考えてるとあっという間に時間が」
「うん。うんうん。気がつくと朝になって夜になって、また朝になってるよね」
「この放蕩者どもが……」
 苦々しい顔で神奈子がつま先をとんとんと踏み鳴らす。早苗も険しい顔で紫に詰めよった。
「それで、どうするんです。これからも橙をのけ者にして泣かせるんですか。紫さん」
 早苗は橙の左肩に手を置き、心底からの軽蔑の視線を紫に送る。こんな眼つきもできたのかこの小娘、と内心で毒づく紫。
「まさかそんな。橙、寂しい思いをさせてごめんなさいね」
「本当ですよ、紫様」
 橙は口を尖らせて怒った顔をつくってみせたが、すぐに表情が崩れてにんまりと笑う。
「ああぅ。あなたの可愛らしさってたまに胸に刺さるのよ……そうだ、次は一緒に遊びましょう、藍で」
「冗談じゃないっ!」
 空いている橙の右肩をつかみ、藍は叫ぶ。
「こいつまで気が変になってしまったら、私は生きていけません。もう限界です、つきあいきれませんよこんなの」
 柄にもなく激高する藍に、涙目になる紫。
「あ、あなたまで私を責めるの? けっこう面白がってくれたじゃない」
「そうですね、はじめの三日ぐらいは。ここ数カ月間の総起動時間、秒単位で言いましょうか。とっくに七桁に達していますよ」
「だってだって、このところ暇なんだもの。ちょっと異変っぽいことが起きてもみんな勝手に解決しちゃうし、あんまり私の出番がないから、それで」
 ぐちぐちと誰にともなく訴え続ける主から目を背け、藍は橙の手をとった。
「さあ、そろそろ結界の修繕でもしないと。一緒においで。おまえにも私の仕事を覚えてもらいたい」
「あっ……はいっ、藍様っ」
 橙も両手で握り返し、二人は紫に背を向ける。
「ねえ、せめて今のプレーが終わってから」
 追いすがる紫の肩を、ぽんぽんと諏訪子が叩く。
「ゲームオーバー。歴史の終焉だよ、ゆかりん。夜のある世界に帰ってきなよ」
 髪を乱し、首をふるふると横に振る紫。
「いいじゃない、別にいいじゃないの、そのくらいいいじゃない……」
 藍にここまで本気で拒否されるとは思っていなかったのだろう。我を忘れて小声でつぶやき続けている。
「カリスマのかけらもありませんねえ」
「やはりゲームは害毒だ」
 藍は悲しげな目をして一度だけ振り返り、また視線を夜空に向ける。そして橙と二人でゆっくり浮かび上がった。
「待って! あと1ターン」
 その目の前に神奈子が立ちはだかる。コンピューターゲームにはまるで興味のない彼女だが、かつて諏訪子が口走った言葉の中で、少し気に入った言い回しがあった。
「そういや思い出したよ、そのゲームの決め台詞」
 さっと神奈子が手を挙げる。夜空のかなた、守矢神社の方角から何本もの光柱が飛来してくる。
「貴公の首は――」
「あ、ちょっと、いや」
 そしてその手が無情に振りおろされた。まばゆく輝く極太の閃光が、ほとんど無抵抗の紫の頭上に次々と降り注ぐ。
「御柱に吊るされるのがお似合いだ!」
 華々しく開戦ファンファーレの幻聴が鳴り響く中、猛烈な弾幕に打ちのめされて紫の意識は途切れた。
おまけ、「東方文明ごっこ」に続きます。

ここ一年以上、東方とシヴィライゼーション以外のゲームをほとんどやった記憶のない作者です。
某動画サイトの影響というのがまるわかりですね。

なんだか紫様がダメな人すぎますけど、今回のトラブルメーカー担当ということでひとつご容赦を。

ちなみに、これとおまけを書いているうちに、とっくに秋が終わって冬になっていました。
クリスマス・お正月ネタ真っ盛りの中じゃ浮くよなあ、とは思いますが、できてしまったので。

追記:

ご感想ありがとうございます
後日談のほうは趣味全開で暴走していますので、気分としてはこっちが本編です。

>>藍様の口調
気になったので調べなおしてみました。
妖々夢Exで、魔理沙や咲夜相手に橙のことを『あいつ』と呼んでいましたね。
基本は『橙』と名前で呼びますが、たまに『こいつ』と言うぐらいは不自然ではないと思います。

>>宗教屋
イザベルを想定していました。
ガンジーは油断しきってるところで刺してくるタイプのイメージが……

本文の中で書こうか迷って、結局削ったのですが、紫様がプレイしているのは天帝の上を行く『天狐』モードです。
単純な難易度では『貴族』だけど、AIがものすごく賢くなってます、たぶん。
FoFo
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コメント



0.2570簡易評価
6.80名前が無い程度の能力削除
橙かわいいよかわいいよ橙。
はっ!あまりの可愛さにそれしか見てなかった。
ただ藍が橙をこいつ呼びしたのが残念。-20点
9.80名前が無い程度の能力削除
同じ信仰を持っている兄弟には親しみを感じているぞ(+1)

宗教家ってガンジーの事か?よく先制核攻撃喰らわなかったなwww
10.80名前が無い程度の能力削除
あなた親しみを感じている

調整役にまわったら戦争煽んないとねぇww
宗教基地ったらイザベルですかねー
12.90名前が無い程度の能力削除
藍様ハイスペックすぎだろw
14.100名前が無い程度の能力削除
実体験にもとづくと生々しい、というか二重の意味で生々しい…
橙のパーソナリティが確立されてるのが、手放しで褒め殺したいくらい素晴らしい
16.100名前が無い程度の能力削除
OS NineTail
20.100名前が無い程度の能力削除
貴公はマンサ・ムサの悪夢を思い出させたのだぞ!(-5)
23.100ずわいがに削除
この廃妖めww
にしても真面目にストーリーが凄く良かったです。
26.90名前が無い程度の能力削除
橙のためなら死ねる。
29.100名前が無い程度の能力削除
藍様すげええええ!
妖怪までも虜にするゲームの魔力、恐るべし。
面白かったです。
34.90名前が無い程度の能力削除
暗算んんんん!!
39.90名前が無い程度の能力削除
藍様ハイスペックすぎるw
48.100Admiral削除
「防衛協定はわれわれの友情の証だ」+4

まさかこんな話が創想話で見られるとは…
東方とCiv4がコラボって最強に見える。
FoFo氏の執筆スキルはA+といったところかな。
すばらしいすばらしい。
55.80八重結界削除
大妖怪ですら抵抗できないのだから、私がはまってしまったのも仕方ないことですね!
だけど紫はある意味では助かったのかもしれない。それ以上はいけない。
57.80名前が無い程度の能力削除
神奈子さま完全にオカンだw
テレビゲームを全部「ファミコン」って言っちゃう人だったのか…