Coolier - 新生・東方創想話

ラストスペル

2009/12/25 20:10:05
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緑が映える夏の盛り。
日差しに陰りを見せる薄暗い森の中にて。

最近、人がよく出入りしているこの森は多々良 小傘にとって絶好の狩り場でもあった。
この場所で何度もお腹を満たしてきた小傘は今日も、人間を驚かせるために木の枝に座り、眼下を探っている。
午前中だけで二人を驚かせた。
これでしばらくは、ひもじい思いはしないのだけど、後一人だけ驚かせて命蓮寺にでも行こうと考えていた。
次に出会った人が驚くことを前提に、午後の予定を立てていれば、いつのまにか小傘の見下ろす先に誰かが背中を見せて歩いていく。
白を基調とし、袖口を紅く染めた着物の男性だった。白髪の男は左手に刀を握っている。

今日は順調だった。
過去幾度と無く人に驚いて貰えず、あげくには巫女に退治された記憶はすでに消え去っていた。
そして、その男が触れれば火傷するかのように、憤りを露わにしていた事に気がつかなかった。

小傘は木から降り、ふわふわと、音を立てないよう宙を浮かびながら近寄っていく。

回り込んで、うらめしやー!と、言うべきか?
それとも、肩に抱きついて耳元で騒いだほうが良いだろうか?

驚かせ方を決めかねていると、男の足取りがピタっと、止まる。
気づくのに一瞬遅れ、小傘が手を伸ばせば、すぐに触れられる距離だった。

やっぱり、背後から驚かせよう。

そう思った小傘は手を伸ばして、風鈴の音色を鋭くしたような音が生まれた。
ふわり、と小傘の前髪を柔らかい風が撫で上げる。
次いで周囲の木が一斉にバラバラになって崩れ落ちていった。

「へ?」

男が首を捻り、小傘を夜色の瞳で睨んでいた。
小傘は男の視線に気づいて、全身に冷水をかけられたかのように喉から悲鳴を搾り出した。

「ひッ!」

なんて、―――――――冷たい眼。
背筋から凍り付いていく気がした。全身が震えて、逃げたい!と、思っても願っても体は言う事を聞いてくれない。
男がゆっくりと小傘に向き合う。
かちゃり、と男の左手に握られた刀が鳴いた。

なんの価値も見出していないような瞳で小傘を見つめ、鞘から銀色の刃を抜いた。

「き、斬らないでッ……!」

歯の根を震わせ、小傘が精一杯の声で懇願する。
願いは聞き入れられなかったのだろう。
ゆるやかな軌跡を残して刃が小傘の首筋に当てられた。

小傘は逃げれなかった。
体が言うことを全然聞いてくれないから。
そして、ようやく小傘は理解した。

これが殺気なのか、と。

自分よりも強い妖怪は沢山いる。だけど、今までこんなに凍りつくような殺気は初めてだった。
虎の尾を踏んだ。なら、後は噛み殺されるだけ。
そんなのは嫌だった。死にたくない。妖怪である小傘は何故か、男の刀に斬られれば絶対に死ぬと直感していた。
よく見れば、刀身は薄っすらとした炎のように紫色の妖気を纏っている。
男も刀も静かなこの空気も何もかもが、恐ろしかった。

博麗の巫女なんて比べ物にもならない。

「私の名は魂魄 妖忌。お前の名は?」

静かで重たい声が小傘の鼓膜にゆっくりと浸透していく。
男の質問を理解するのにしばらくの時間が掛かった。
それでも男は身動ぎ一つせずに小傘の言葉を待っていた。

何がキッカケで斬られるのか、わからない。
小傘は脅えながら自分の名前を単直に告げる。

「多々良っ、小傘」
「ほう。見たままだな、さらに一つ尋ねるが?」
「え?あ、うん、どうぞ」

男の眼から冷たさが消え、柔らかい光が生まれた。
突然、小傘は全身が軽くなった気がした。
一気に逃げ出したい気持ちが生まれると同時に、反射的に両肩を抱いて我慢する。

脳裏に背中から両断された自分の姿が浮かんだからだ。

「足の無い女の亡霊を知っているか?」
「―――知らない」
「そうか。手間を取らせたな」

男は世話話が終わったかのように踵を返して、立ち去ろうとする。

「待って!」

あれ?
今、誰が呼び止めた?
理由もなく、理解もせず、小傘は咄嗟に呼び止めたのだ。
その事実に戦慄する。

「なんだ?」
「あ、えーと……」
「……?」

何で呼び止めたのだろうか?
内心で自分の行いを悔やんでも、男が訝しげに小傘を見つめている視線が逸れる訳でもない。
何か言葉を発しないといけない。

「なんで、その人を探してるの?」

その質問がやぶ蛇だったのかは分からない。
思いついたのがソレだけだったのだ。
男は思案気に顎を撫で、口を開く。

「友人が探しているのだ。その女の亡霊はこの地を目的としてるらしく、朝から探しているのだが一向に見つからん」
「私、最近この森によく居るけど、見た事無いよ?」
「……ふむ。じゃあ、ここにはまだ来てないのだろうな」
「まだ?」
「いやいや、流石にそこまでは語れんな。探しても無駄ということか」

男が森の中に視線を移すと、丸い霊魂が飛んで来て、男の傍に並んだ。

「それって何?」
「これは半身だ。私は半分だけ人間。半分だけ幽霊だからな」
「……?」

小傘は首を傾げる。
男は「流石に魂魄家は知らんか」と、柔らかく笑んだ。
小傘は首を傾げたまま、何かを覗き込むように腰を傾けた。

「嗚呼、老人の独り言だ。気にするな」

苦笑いを最後に、男は今度こそ踵を返して小傘の視界から去っていく。

「半分人間で半分幽霊って……結局、人間なの?幽霊なの?」

果たしてアレは本当に何だったのだろうか?
ふと、男が尋ねてきた言葉が独り言のように洩れてしまう。

「足の無い女の亡霊って………見つけたらどうするつもりなの…?」

自問自答。
いや、男の冷たい眼が雄弁に語っていたじゃないか。
冷たい水で研いだ刀のような眼で。
刀は研ぐのは、―――――人を斬り易くするためだ。

「別に誰が何をしようと、関係ないけど」

でも、この事を誰かに話すだろう。
だから、小傘は予定としていた命蓮寺に行くのを躊躇ってしまう。
聖はなんて言うだろうか?
あの剣士の手から、見ず知らずの亡霊を守ろうとするかもしれない。
良い人と安易に表現するのは難しく、上手い言葉が見つからないけれども、きっと聖は母親のような人だから。
誰にも優しく、妖怪にも穏やかで、小傘のような付喪神にも手を差し伸ばしてくれる。

「聖は駄目。でも、話して迷惑を掛けられる人なんて」

―――――嗚呼。
脳裏に浮かんだ人間なら大丈夫だろう、そう確信して小傘は飛び立ったのだった。



























「んで、迷惑かけても大丈夫そうな私のところに来たってわけね」

馬鹿にしてるの?
そう言いたげな顔で霊夢は小傘を睨みつける。
霊夢は内心呆れながら思う。
茶の間に上げたのが間違いだった。
境内の掃除をしていたら、何かから逃げてるような慌てた表情で来たから仕方なく、話を聞いてしまった。

霊夢の対面で、小傘はズズ、とお茶を啜りながら長方形をした卓袱台の中心に置かれている硬い煎餅をバリボリバリボリ―――。
小傘が六枚目の煎餅を求めようとして、伸ばした手を霊夢は叩く。
遠慮っていう言葉を体に叩き込んでやりたくなったのだ。文字通り。

「アンタ何?お茶しに来たわけじゃないんでしょ?」
「ううん?世話話とお茶しに来たんだよ」
「だったら手土産の一つぐらい持ってきなさいよ」
「だーかーら、土産話。聞かせてあげたじゃん」

溜め息を吐いて霊夢はそっぽを向く。
その隙に再び、バリボリバリボリ。聞くだけで顎が疲れそうな音が響き始める。

「あんたねぇ…」

霊夢の不機嫌そうな視線は小傘に向けられるが、小傘は物凄い勢いで首を横に振っていた。そして、隣の存在に気づかれないよう、人差し指をソイツに向けていた。
嗚呼、いつのまにか面倒な奴がそこには居た。

「お、久しぶり。その様子じゃあ昔と全然変わってないみたいだね」

ソイツは口に咥えた煎餅を咀嚼しながら、星の刺繍を誂えたトンガリ帽子を取ってニンマリ笑う。
真夏だというのに暑苦しい深緑色のマントを羽織った女性を、霊夢は知っている。
知り合いなの?そう言わんばかりに、小傘は何度も霊夢と隣の女性を見比べていた。

「嗚呼、嗚呼。自己紹介がまだだったね。見りゃあ、傘の付喪神みたいだけど名は何て言うのさ?」

はい?と、小傘が首を傾げて閉口する。
代わりに霊夢が嘆息混じりに言葉を紡いだ。

「今まで何してたか知らないけれど、何処で挨拶の常識を忘れてきたのよ」
「…いや、…病院だったかなぁ、それとも実験室だったかねぇ。ま、忘れてきた場所さえも覚えてないんだから常識なんて無視無視。んん?もしかして………私が先に名乗るべきなのか?」
「え、うん。まぁそうだと思うよ」

小傘がどうして良いのか分からずに、ただ困惑して流されるままに答えていた。
別に困ってても妖怪だから、霊夢には助ける筋合いも無い。
しかし、昔馴染みが誰彼構わずに迷惑を掛ける様は見ていて、凄く苛々するのだ。

「小傘。それは魅魔っていう怨霊よ。ちょっと古い奴だから頭の中身がオンボロなの。ソイツの言葉は適当に聞き流しなさい」
「ははは!酷い酷い!ほんっとうに昔から私を楽しませるのが上手だ。ご褒美に飴ちゃんでもあげようかい?ついでにお茶の一杯でも出してくれりゃあ、寝る時に絵本でも読んでやるよ」
「は?なにそれ、子供扱いしてるつもり?」
「つもりじゃなくて、子供扱いしてるのさ。私みたいな奴からすれば、たかだか二十年も生きてない人間は子供と同じ。成人とタバコに酒は二十歳からって言うだろ?」

ぴりぴりとした緊迫感が場を包み込む。

「そんな話聞いたこと無いわ。それで?今更、なんで此処に来たの?その理由を聞いたら根絶丁寧に退治してあげるから」
「霊夢はまだ子供だからねぇ」
「あぁ、他に言い残す言葉は無いようね……!」
「お前達はまだ子供だからね。―――――――心配だったんだよ」
「ふざけないで。ソレを、どの口が言うの」

今にも殺してやるとばかりの鋭い視線を魅魔はやんわりと受け止めて、くくっと笑った。
最悪の睨めっこだった。一方的な殺意と、挑発的な悪意が交差していた。
何故か、見ているだけの小傘が一番脅えている。

「魅魔。今まで何処に行ってたのよ」
「外の世界へ」
「博麗大結界はどうしたの?」
「タベチャッター」
「……昔の私と思ったら、瀕死程度じゃ済まないわよ」
「そうかい。私は昔と比べたら弱くなったからねぇ。きっと一瞬だろうね」
「お茶。出涸らししか出さないわよ」
「最近はカフェインが入ってる飲み物しか口にしてないからねぇ。たまに飲むお茶なら美味いのが飲みたいと思わないかい?」

霊夢は両手を卓袱台に叩きつけ、立ち上がった。
「ッ!」と、小傘が鬼を見るような眼で霊夢を見上げている。
その隣で魅魔は、マントを巻くって、深緑色の表面に右手を呑み込ませた。
「んー、何処だっけなぁ」
魅魔は視線を虚空に這わせていた。ふと、口元に笑みが浮かべ、マントの中から白い箱を取り出して、卓袱台に置く。
厚そうな紙で出来た箱を開いて、魅魔は小傘に自慢げな視線を向ける。
その箱の中に何があるのだろう?
疑問を解消すべく、小傘は身を乗り出して箱の中を覗いて、驚きの声を洩らす。

「綺麗。苺の形の宝石?これってケーキ?」
「さすがにケーキぐらいはこっちにも有るか。これはフルーツタルトって言ってね。正真正銘、果物の苺だよ。光沢があるのはゼラチンを塗ってあるからね」
「……ゼラチン?」
「へぇ、苺以外にも沢山果物が乗っけてあるなんて贅沢なケーキね」

魅魔と小傘の頭上から霊夢が覗き込んで、呟いていた。

「それ、魅魔が作ったの?」

コト、と魅魔の前に湯気を昇らせるお茶を置いて、霊夢は二人の対面に腰を下ろした。
魅魔は卓袱台の中心に箱を置きなおし、四隅の角を指で千切って箱を広げていく。
丸いフルーツタルトが八つに切り分けられた姿を見せた。

「まさか。私の知り合いが作った物を貰ってきただけさ。嗚呼、それと此処に来た理由は呼ばれた気がしたからだよ」
「………呼んふぇ無ゐふぁよ」

口一杯にケーキを頬張った霊夢が、リスのように膨らんだ頬を揺らしていた。
魅魔が「はっ」と、破顔して笑みを見せる。

「もっと落ち着いて食べなって。んな、急いでも無くならないよ」
「んぐ、……。ん、後ろ」

指で示された背後を魅魔は訝しげに眉を沿わせながら、振り返る。
その瞬間を見計らっていたかのように、魅魔の左右を二本の手が通り過ぎた。

片方は空間が裂けており、そこから伸ばされた手。
もう片方は魅魔に寄りかかる形になりつつも、その小さな手でケーキを掴んでいく少女。

「わーい♪」

声音がやけに落ち着いた歓声と、童女のような素直に嬉しいのだな、と聞いて分かる声が重なった。

「って、アンタは喜ぶような人じゃないだろ!?」

魅魔がとある妖怪の生み出した裂け目に突っ込んだ。
しかし、裂け目は何も聞かなかったとばかりに閉じて、消えた。

「ふーん?あんた、紫と知り合いなの?」

まるで当然のような顔をして、ケーキを齧りながら二本の角を生やした少女が尋ねた。
いやいやいや、と魅魔はそんな突然現れた少女を無視して霊夢を見やる。

「ここ神社だったろ?アレ何?っていうか、これも何?」
「あはは、これって決まってるじゃない。それとも知らないの?私は鬼だよ」
「んなぁことは知ってるよ!!アンタには答えも期待してないし尋ねてもないから黙ってな!!」

火を吐くような勢いだった。
少女は言われた通り、口を噤んだ。ついでに、肩を落として暗い表情を見せた。
霊夢が「ああ、萃香。素面だったのね」と魅魔の質問には答えずに居る。

「霊夢。いつから此処はあんな大妖とか鬼のくつろぐ場所になった?」
「昔からでしょ。常に害意を持った怨霊と境内を花だらけにしていく奴らに比べれば、まだマシよ」
「そういう事じゃない。私と幽香程度なら問題も無いさ」
「問題有り有りよ」
「幻想郷の調律者に、地上から失われた鬼の一人だ。……とんでもないのに眼を付けられてる自覚ある?」
「悪さすれば退治するだけ。私に出来る事は最初から決まってるじゃない。そんな事も忘れてたの?あと、もうケーキ無いんだけど」
「いや、忘れてはないけど……、っていうか本当にケーキ無くなってるし」

誰だ、このやろう!と、魅魔の視線がさ迷う。
霊夢から鬼の少女へ。しかし、少女は瓢箪に入っている自棄酒を煽っていた。
だとすれば―――。
自然、小傘に視線が向けられる。

「………んぐ、…美味ぁっ……あはっ!」

汚れるのも気にせず、両手にケーキを持って幸せを噛み締めてる付喪神。
一心不乱で子供みたく、嬉しそうにケーキを頬張っているのだ。
さすがの魅魔も、声を掛けるのを躊躇ってしまう。

「魅魔。布巾」
「あ、ああ。分かったよ。……傘っ娘、置いとくよ」

小傘の前に手を拭くための布巾を差し出しておく。
すると、小傘は魅魔に笑いかけた。

「ありがとうっ!」

再び、ケーキに夢中になる姿を魅魔は呆然と見つめ続けた。

「なに?どうしたの?」

霊夢の問いかけに目頭を押さえて魅魔が呟くように、小さな声で答えた。

「今時の奴らもこれぐらい素直だったならなぁ」
「……?まぁ、良いけどね。…萃香。こっちに座りなさい」
「れーむは優しいねぇ。今、私は世間の冷たさに身を震わせ、凍死寸前だったのに」

指示通りに萃香は隣に腰を下ろす。

「はん。馬鹿言うな。鬼がそんなんで死ねば人間は嘘を付かなかったさ」
「む。そういう鬼よりも儚いアンタは誰?」

ようやくアルコールが回ってきたのか、本調子を取り戻した萃香は魅魔を下から舐めるような視線で見上げる。
ふふん。と、鼻を鳴らして魅魔は面をわずかに上げて、萃香を見下す。

「悠久を漂う怨霊、魅魔さ。それで?人を見捨て、人から忘れ去られた鬼は何故、此処に?」
「新しい橋を造りに。対岸から眺めているだけの生活に飽きちゃったからねぇ。ちょっとだけ、また人と交流を始めたいと思ったの」
「無謀だね」
「ばっさり切り捨てるね、気持ち良いぐらいに。でも、鬼は自分を曲げないのさ」
「曲げれないの間違いだね。一つ、道を提示するならば………人に混じれば良い。人として少し生きてみな。嘘が嫌いな鬼からすれば苦行かもしれないけどね」
「無理。人は嘘をついて笑うと、不細工だからね。あんな顔は見たくない」
「まー、そうだよなぁ。鬼だもんな。人に対して許せない所があるからこそ、そうなったのに。私も目玉焼きにソースかける奴は気に入らないよ。見てて縊り殺したくなる。っていうか、実際に呪ってやったよ、ふん!」

うわぁ、と誰かが口にした。
その誰かを特定する事はとても難しい。
小傘も霊夢も萃香も。
まるで不可解な物を見るような視線が三つ。魅魔に集められたのだ。
堰を切ったように萃香が笑い出す。

「あははははっ!普通、人と目玉焼きを一緒にする?」
「一緒さ一緒。酒も人間も食べ物も。どれもこれも嗜好品みたいなモンだろ?人間は観察するぐらいが一番良いのさ」
「私たち鬼は人間と接した楽しさを、繋がっていた絆の心地よさを知ってるからねぇ。あんたみたいに浮世離れした奴には私たちの気持ちが分からないさ」

萃香は寂しげに笑う。
その表情だけで、鬼の気持ちを知ることは出来ないが、予測する事は出来る。
霊夢は無関心な顔でお茶を啜っている。

ふと、小傘が卓袱台の下から茄子色の傘を取り出し、広げた。一つ目と長い舌が萃香に向けられる。

「………なにしてんの?」

萃香が淡々と告げた。
えへへ、と小傘は片目を閉じて、舌を出す。

「ほら、湿っぽいから傘が必要でしょう?」

霊夢は首を傾げるけれど。
言わんとしてる事を理解した魅魔は眼を丸くし、萃香は嗜めるように告げる。口元に柔らかい笑みを浮かべて。

「大丈夫だよ、このぐらいじゃあ雨は降らないから」
「そうだねー。でも、晴れてたって傘は差しても良いんだよ」
「今日は日差しが柔らかい。気持ちだけ受け取っておくよ」

霊夢がおもむろに口を開く。

「ここ、室内よ」


無言の静寂。

外から雀の鳴き声が聞こえてくる。
今度は霊夢が三人の哀れむような、痛々しいものを見るような視線を集めた。
しかし、博麗の巫女が今更、蔑視されるぐらいで揺らぐはずも無く。
無造作に萃香の頭を掴んで揺らす。

「あんまり甘やかすとコイツ、酒が美味しく呑めるとか言って、そこら辺から人を萃めて勝手に宴会始めるんだから止めてよね」
「あー。そういえば最近、宴会してないよね霊夢!宴会、宴会!お酒っ、お酒っ!」
「理由も無く宴会なんてしないの。それに主催をしろって事でしょ?私は片づけでいつも手ぇ一杯なの」
「……理由ねぇ…。理由ならあるけどどうする?」
「魅魔、余計な事を」
「やるっ!!じゃあ、宴会だ!今日は勇儀も誘うよ!良いよね、霊夢!?」

辟易とした表情で霊夢は閉口する。
もう何を言っても手遅れだと気づいたのだろう。

「それじゃあ、ちょっと魔理沙の所まで行って来るよ」

立ち上がりつつ、魅魔の告げた言葉に霊夢は口調を慌てさせて尋ねる。

「宴会の理由に魔理沙が関係あるの?」
「ああ。今日はアイツの誕生日だからな。――――知ってたかい?」
「……知ってるわけないじゃない」
「お前ねぇ。もっと他の人に興味を持ちなよ」
「私は博麗の巫女だもの。誰にも肩入れはしないの」
「………」

魅魔には足が無い。幽霊の尾がユラユラと、揺れている。
それは形骸された典型的な幽霊のイメージだ。
襖を開き、暖気が地上から滲んでいる景色が広がる。ふわふわと、魅魔は居間から出て行く。
その間際に、魅魔は裂けた笑みで牙を覗かせる。

「くだらないねぇ」

唾棄された強い言葉。
誰が聞いても分かる。とびきり鋭い棘を持った言葉だと。
しかし、霊夢は何も言わない。怒っている素振りもせずに、ただ目を閉じる。
ふと、空に昇っていく魅魔の背中を萃香が追いかける。
くるりと、右足を軸に体を回転させ、楽しそうな笑みを見せ付けた。

「私も行ってくるよ」
「ぇ、うん。いってらっしゃいー」

黙り込んでいる霊夢の代わりに小傘が送り出す。
萃香が飛び立って姿が見えなくなるのを確認してから、小傘は心配気な表情を浮かべる。

「霊夢?」
「……なによ」
「なんか今日、変だよ。ううん、いつもの霊夢らしくない。さっきから、なんか苛々してるよね」
「妖怪のアンタには分からないけど。人間には親や兄弟姉妹が居るものなの」
「?……うん、知ってる」
「でも、私には居ないわ。親も知らない。兄弟も姉妹が居るのかどうかも知らない」

そこには、虚ろな目をして霊夢は淡々と語る姿があった。
小傘にしてみれば、喜怒哀楽のはっきりした霊夢らしからぬ行為に思えた。
わだかまりを吐露されている。
ただ静かに耳を傾けることしか許されないような、身動きの出来ないぐらいに重たい空気だった。

「魅魔は昔からいつも私にちょっかいをかけて来たわ。さっきの目玉焼きだって、アイツが醤油じゃなきゃあ許さないって私に言ってたのよ。親代わりじゃない。姉でもない。そもそも、そんな存在を知らないからアイツがどんな存在だったのかも知らない。でもねぇ………いきなり居なくなられると困るのよ」

ある日の朝を境に、魅魔は姿を消した。
気配が感じられなかったけれど、どこか行ってるのだろう。と、当時の霊夢は思っていた。

小傘も含め、妖怪であれば本能的に霊夢に対し、恐怖心を抱いてしまう。

妖怪は人間に倒されないといけない。

覆せない不文律。幻想郷に定められたルール。
忠実に再現するために、博麗の巫女が居る。

しかし、今の霊夢には恐怖心を抱けない。目の前に居るのはただ、悩みを吐露している少女に過ぎない。
小傘は博麗 霊夢の言葉が胸の中に浸透していくのを感じた。

「霊夢は」
「……何?」
「魅魔さんが大事だったんだね」

霊夢の目が、石を投げられた湖水のように揺れていく。
胸の内を震わせ、だけど霊夢はすぐにニッコリと、見る者全てに嫌な予感を抱かせる笑みを浮かべた。

「小ー傘?なにか言った?」
「いや、何も言ってないよ、うん。ホントだよ」
「そうね。私は何も聞かなかった。アンタは何も言わなかった。世は事果敢無し。何もなければ平和な一日が送れるでしょうね」
「……巫女がそれで良いのかなぁ」
「良いの。―――アンタ、宴会来るの初めてでしょ?お酒とつまみを持って来なさいよ」
「じゃあさ!」

嬉しそうに背筋を跳ね上がらせ、そのまま立ち上がった。

「聖達も宴会に誘っても良いよね?」
「良いわよ。あいつ等にも適当に料理と酒を幾つかお願いって言っといて」
「オッケー、オッケー任せてよ。腕によりをかけた吃驚団子作ってきてあげるっ!」

なんのなのよ、それ。
そんな霊夢の呟きを聞かずに小傘も直接、空へ飛び立っていった。

「あ、」

一人残された霊夢はお茶を飲もうとするが、中身はとうに飲み干してあったのだった。

























今日が気だるいのは、毎年の事だった。
魔理沙は何処にも行く気がしなかった。
静かにそっと、家の中で身を潜めていよう。
静かにそっと、ベッドの中で目を閉じよう。
静かにそっと。
静かにそっと。

静かにそっと―――、泣き声を洩らそう。

換気が不十分で、埃に塵が宙を舞う寝室。
しかし、大気の汚れに無頓着で、魔理沙は顔を枕に埋めている。

普段、明け透けな元気を振りまく魔理沙とは正反対の状態なのだろう。
見る人が見れば、何か魔法の失敗でもしたと思うかもしれない。

嗚呼と、魔理沙は悔恨を噛み締める。

人生最初で最後の、どうしようもない失敗が未だ心に根付いているのだから。
取り返しが付かない失敗だった。

恐らく、そこからが失敗の連続だった気がする。

魔理沙の現状は、親に勘当され、一人で迷いの森に住み着いている。
昔から変わっていない事実だ。

勘当されたキッカケは沢山あった。
その中でも取り分け、”痛かった”景色が脳裏に浮かんでくる。

『なんだ、その格好はっ!!』

実家にある箪笥の中に、自分が可愛いと思った衣服があったから、それに着替えて父親に見せた時の言葉だった。
すぐさま掌で打たれたのだけども。
記憶を探っただけなのに、魔理沙は今、叩かれたような感触に頬を触る。

「……くそ親父…」

未だに自分の父親が気に入らなかった。

色々と足りないのだ。魔理沙はそう結論付けていた。

怒ったのなら、その理由を。
殴るのなら、その意味を。

長年の回想で得た結論を反対にして読み取るともっと酷い。

好きだったなら、その感情を。
褒めるのなら、その言葉を。

いつだって、魔理沙は父親の傍に居たいと思っていた。
だけども。
父親は魔理沙に対し、どう思っているのかを終ぞ、口にしなかった。

『二度と顔を見せるな。……この馬鹿娘が』

いつも怒鳴り散らしていたハズなのに、勘当された時ばかりは静かな声だった。
静かで―――――とても重たい言葉だった。
今でも胸の奥へと、減り込んでいく程に。

「嗚呼……」

枕から顔を上げ、寝癖で跳ね上がった髪を無造作に掻き始めた。

「なんだかなぁー。あー面倒い、面倒い。……何年前の話だっつーに」

後ろ足で布団を蹴り上げ、腰を滑らせ、床に足を着く。
強い力で目を二度程、擦って寝室を出る。
廊下を挟んだ向こうにロビーとキッチンがある。
一日を寝て過ごすには、空腹による苦痛が耐えられないから、テキトーに紅茶とトーストでも焼いて食うかと、玄関の靴入れの上に置いてある時計を見る。
時刻は正午三時に至る頃合だった。

「起きるのが遅かったか。はっ、今日だけは都合が良いな、私」

開けっ放しの扉を通り、ロビーを横切って、キッチンへ。
調理台の上に八卦炉を仰向けで寝かせ、その上に水の入ったヤカンを置く。
火を使うよりも早く、一分も経たずに沸騰できる。
その間に一斤のパンを包丁で二枚、切り分け、バターをたっぷり塗って、その上に苺ジャムを重ねていく。

魔理沙が屈むと、正面に小さな釜戸がある。戸を開けると金網が敷かれており、その上にトーストを置いていく。
一つ、指をくるくる回すと、答えるように火が生まれ、トーストを熱し始める。

元気一杯に口から蒸気を吐き出すヤカンに気づき、慌てるでもなく、ノロノロと茶葉を用意する。

「魔理沙ー、居るー?」

唐突に誰かが魔理沙の名を呼んだ。

「あー……?」

パチン、と指を鳴らすと八卦炉の熱が収まっていき、釜戸の火もゆっくりと小さくなって消える。
玄関から何度も五月蝿いノックが響いていた。

「はいはーいっと」

鍵を開け、扉を開けると角が見えた。それも二本。

「なんだ、萃香かよ」
「その鬼っ娘じゃ駄目なのかい?じゃあ、私はどうだい?」

萃香の背後に立っていたのは、魔理沙にとって、馴染み深い人物だった。
それでいて、突然行方を眩ました人であり、更に補足をするのならば。

「……魅魔様……?」

霧雨 魔理沙に魔法を教えた師匠でもある、魅魔がそこには居たのだった。


























沈んだ空気も、活気が湧けば明るくなるものだ。

「悪いね。はっ、魔理沙の紅茶も久しぶりだ」

テーブルの席に着いた魅魔の前に魔理沙は紅茶を置いた。
萃香の前には炒めたキノコと肉が盛り付けられた皿。

「え、なんのキノコ?これ」
「カエンタケ、シロタマゴテングタケ、フクロツルタケ、マツタケ、…………っぽい感じなキノコ。まぁ良いじゃん。さぁ、喰え!」
「………今、松茸っぽい感じって言ったよね?」

萃香の不安げに揺れている視線から、魔理沙はそっぽを向いて逃れる。
紅茶を口にしながら、魅魔はあっさりした表情で二人のやり取りを見ていた。
魔理沙の気持ちは分かる。
人が口にすれば死ぬようなキノコばかりだけど、鬼ならばどうだろうか?
口元に苦笑が浮かぶが、実際に食わせるわけにはいかない。
弟子の邪魔をするわけでもないけど、今日に限って厄介事は一つでも減らして起きたかった。

「鬼っ娘、それ猛毒だよ。もし全部食いきったら全身が焼かれるような感触に、重度の吐き気と嘔吐、汗腺からポツポツと珠のように血が溢れて体が軋むような痺れに襲われるね」
「魔理沙ーー!!」

ドン、と萃香が椅子を跳ね除ける前に、テーブルへ一升瓶が置かれる。
しかし、それを横目で一瞥して、萃香は魔理沙を睨みつける。

「これがなにさ?」
「それで勘弁してくれ。はしゃいだのは良いが、持続させる気力が無い」

魔理沙は溜め息を付きながら、猛毒キノコの肉炒めをキッチンへと持っていく。
その姿を見て「らしくない」と、萃香は思った。
それに、今日は誕生日なのではないのか?

萃香の知る誕生日とは、浴びるほどに酒を飲んで、喉が潰れる位に大笑いをするものだった。
湿っぽさとは無縁な、カラカラと乾いた青空のような爽快な宴会だ。

だというのに、ソレが楽しくないのだろうか?
人間の割には強く、そしてユーモアのある魔理沙ならきっと自分と変わらない誕生日を送っていたと思っていたのに。

「やっぱり、まだ駄目か」

誰に聞かせるでもない魅魔の呟きに、萃香が反応した。

「どういうこと?」
「私の話せる内容じゃあない。魔理沙に聞きな」
「……魔理沙ぁ。今日って誕生日だってねー?」

キッチンの隅にまで届くよう、萃香は声を張った。
「おーう?そうだぜぇ」と、気だるげに間延びした返事が返ってくる。
トーストをのせた皿とティーカップ片手に魔理沙が戻ってきて、淡々と告げた。

「それで、私の母親が死んだ日でもある」
「……それって」

萃香が知る誕生日と魔理沙の過ごしてきた誕生日の差異が明確になった。
わざとらしく、魔理沙は口元を歪めて席に着く。

「鬼の癖にそんな顔すんなよ。物心付く前の話だ、覚えちゃあ無いよ」
「魔理沙はそれで良いの?」
「良いも糞も無い。人は死んだら次へ行くんだ、それが悪い事か?」
「ああ?んじゃあ幽霊の私は良くないってことなのかい?」
「何を当たり前な事を。魅魔様は悪い霊なんだから、良くないに決まってるぜ」
「別に悪い霊じゃないだろ。怨霊で、博麗神社の祟り神なだけだよ」
「なるほど、それは悪くないな。でも、良いとは限らないけど」

堅いトーストの端を齧りながら、魔理沙は様子がおかしいと感じている萃香を見る。
なにか、小難しい事を考えているのだろうか?
家に上がってから、萃香が酒を口にした姿は一度も無く、呼吸をするかのように酒を飲む普段の姿からはかけ離れていた。

「萃香。ところで今日は何しに来たんだ?」
「え?あー……、魔理沙が誕生日って聞いたから、それを口実に宴会開こうって誘いに来たの。だけど、今日が魔理沙のお母さんの命日なんだよね?」

どこか歯切れが悪い。
いつもの萃香だったら、「誕生日だって?じゃあ宴会開こう!今日もお酒が楽しく呑めるー」って、開けっ広げに告げるだろう。
魅魔の様子を窺うが、完全に傍観者の風を装って、ただ紅茶を口にしているだけだった。
仕方ない、と魔理沙は思う。
はっきりしない口調の萃香なんて、見ててもつまらないのだから。

「良いぜ、宴会やろう。それと、萃香は仲間で誰か死んだ奴って居るのか?」
「大酒喰らいが一人、居たよ」
「それじゃあ、その鬼の弔いっていつもどうしてんだ?」
「お酒が好きな奴だったからね。アイツの代わりまで腹が膨れるぐらいにお酒を呑んで一日を過ごすよ」

はっ、と魔理沙は軽快に笑い出す。

「それいつもの萃香じゃん」

魔理沙の笑顔に、萃香も笑みを浮かべて応えた。

「じゃあ尚の事、宴会をやってくれ。それで、ついでに私の親も弔ってくれないか?」
「……良いの?」
「良いさ良いさ。私も顔すら知らないんだ、そんなんだから弔う人が増えれば少しはマシだろ」
「ふふん。じゃあ、今日は頑張って呑むよ」
「応っ、呑め呑め。誰にも負けないぐらい呑んでくれ」

ははっ、と笑う魔理沙の声が、ゆっくりと途切れていく。
それで良い、と思った。
母親の顔なんて知らないんだから。父親の心なんて知らないんだから。
親不孝者だろうか?
だけど、魔理沙にとって遠い距離感を抱いている両親よりも、身近な友人達の方が大事なのだ。

そんな魔理沙を、魅魔は淡々と見つめていたのだった。
























しばらくして、魔理沙の身支度を待った後に三人は家を出る。

「うわ、マジかよぉ」

玄関を出て開口一番に魔理沙は苦々しい表情を浮かべた。
萃香はそんな魔理沙を見て、そして、前方に佇んでいる白髪の男に視線を移した。
男は精悍な顔つきだ。白髪さえ覗けば、外見はまだ人間にしてはまだ若い方だろう。
腰には長い一振りの日本刀が差してあった。
まるで、近寄れば問答無用で斬り殺さんとばかりの威圧感を発していた。

「魔理沙」

厳かな声で名を呼ばれ、魔理沙は鋭い舌打ちをした。
そして、赤の他人の名を呼ぶように男の名を口にする。

「顔を見せないんじゃないのかよ。――――霧雨 昭栄」
「そんな事はどうでもいい。用があるのは、そこの怨霊だ」
「ああ?魅魔様になんの用だよ?アンタには関係ないだろう」

魅魔の前に一歩、庇うように進み出た魔理沙を、昭栄と呼ばれた男は冷たい視線で見据える。

「お前にこそ関係の無い事だ。黙ってこっちに来い」
「――――ッ」

魔理沙は強く噛み締めた口から、ぎちり、と歯軋りを洩らした。

昔から変わっていなかったから。
いつだって、ソイツは自分勝手だった。
何が黙って来いだと?
燻っていた火種は油を掛けられたように、燃え広がっていく。
腹の底から焼け付いた吐息を深く吐き出して、魔理沙は箒を構える。

「生憎と、こちとら親に勘当された身だ。アンタみたいな見たことも無い奴の言うことをはい、そーですか。なんて素直に聞くと思ってんなよ」
「お前は私の娘だ」
「はっ、知らねぇよ。お前はお前の娘を勘当したんだろ?なんでここに居るんだよ」
「確かに私はお前を勘当した。だが、――――――縁まで断ち切ったつもりはない」
「言葉は便利だぜ。内心でどう思ってようが、どうにでも取り繕えるんだからな!今更、自分に都合の良い事ばっかり言うなよ!!」

迷いの森に怒声が響き、騒がしく鳥達が木々から飛び立っていった。
その後、訪れたのは完全な静寂。
風さえ無い空間に、昭栄は黙って魔理沙を見据え続ける。

「まずここに来た理由を述べろっ!お前なんか信用してないんだよっ!んな奴の指図を誰が受けてやるもんかっ!!」

憤りと嘆きが混じった叫び声は萃香に耳に、強く響いて余韻を残す。
正直、いつ魔理沙の逆鱗に触れたのか萃香には分からなかったけれど、何故だろう。魔理沙が懇願しているように思えた。

「…………、一々喚くな馬鹿娘が。黙って下がってろ。怪我をしない内にな」

端的に告げると昭栄は刀を抜いて、ゆっくりと近づき始める。
一切の隙を殺した歩みを前に、魅魔が滑るように向かっていく。

「魔理沙はそこで見てな。絶対に手を出すんじゃないよ」
「魅魔様?」

魅魔は両手を広げ、先端に三日月を模した杖が空間からにじみ出るように現れ、その手に握られた。
近寄りあう二人。
三歩、……二歩分の距離だろう。
昭栄は刀を上段に構え、銀色の軌跡を描く。
甲高い衝突音が響いた。
杖を振り上げ、魅魔は刀を受け止め、宙に浮く体を少しだけ沈めた。
クン、と魅魔は杖を持った右手を離し、刀を受け流すが、昭栄は地を這わすように刀を滑らせた。
大きく円を刻み、魅魔の首へと刀が迫る。
しかし、魅魔は昭栄の眼から視線を逸らさない。杖に付いた三日月の腹を昭栄の喉へ、突き出していく。

「つっ」

昭栄の口から苦し紛れの舌打ち。
刀の軌道から魅魔の首を外し、突き出される杖を弾き飛ばした。
そのまま魅魔の腹部に前蹴りを放ち、押し飛ばす。
出応えを感じさせないように、ふわりと魅魔は後退していく。

「――――ふ、ん」

苦しげも無く、魅魔は口元を歪めた。

「立派な刀だねぇ。……妖刀か。名はなんて言うんだい?」
「お前を斬る事が出来る刀だ。必要なのはそれだけだろうが」

上半身を屈め、昭栄は駆け出した。
魅魔の中腰へと刀を振りぬく。見え透いた手だった。
杖を盾に、刀を受け止める。
魅魔の予想通り、刀は杖と衝突し、――――――だが、すぐに離れてもう一度、追撃が繰り出された。
いや、一度ではない。
雨のような連撃が、杖ごと叩ききろうとする気迫のままに襲い掛かる。

「っ、くっ、っ」

乱雑に見えるが、刀の連撃は的確に三箇所を限定されていた。
攻防に必要な武器の破壊を目論んだのだろう。
魅魔はどうにか逃げ出せないか、と隙を窺うが、どうにも斬撃は速過ぎる。
思い通りにいかず苦しげな表情を浮かべるが、相対する昭栄の顔はそれ以上に苦しみを飲み込み続けているような鬼気迫る表情だった。

ミシリ、と杖が鳴いた。
打ち据えられている真ん中の部位からだった。

杖の綻びを見逃す訳も無く、昭栄は一気に杖を斬り壊す。

二つに折れた杖を離し、弾かれたように魅魔は距離を取る。
追撃は無く、決定打と見たのだろう。昭栄は肺に溜め込んだ息を吐き出していた。

「ふん、これでもう終わりだな」
「………まだアンタは私の事を恨んでいるのかい?」

魅魔は首を捻り、魔理沙を一瞥して昭栄と向き合う。

「あの子に魔法を教えた事を。あの子の娘である魔理沙にも魔法を教えたことを」
「そうだ。お前が妻に余計な入れ知恵さえしなければ良かったんだ。そうすれば」

魔理沙には何のことだか分からなかった。
自分の父親と魅魔が告げた言葉の意味が、理解出来なかった。

「妻は死ななかった」
「………だってさ、魔理沙。アンタはどう思う?」
「いや、どう思うって」

魅魔の所為で母親が死んだ?
その母親に、魅魔は魔法を教えていた?

「訳が分からないぜ……、どういうことだ…?」
「嗚呼、だろうねぇ。コイツはそんな事も教えてなかったのか。アンタの母親は妖怪に襲われたんだよ、それも腹に子を宿していた時にな」
「魅魔様。ソレ、初めて聞きました」
「それで何の力も無い人間だったら逃げるのが普通。だけど、生憎と立ち向かうだけの力を私が教えてあった。その結果、瀕死の状態で里へ戻り、医者を呼んで無理やりに腹を裂いて魔理沙を産んだのさ」
「そうだ。お前の所為で……。逃げれば無傷で済んだのかもしれないのに」
「でも、親子諸共死んでた可能性が高いだろ?だから、あの子は戦ったのさ」
「それでも死んだ。お前の所為でな」
「馬鹿を言うなよ。あの子は魔理沙をしっかり守ったじゃないか、その意味すら無為にするつもりかい」

魅魔はゆっくりと人差し指で魔理沙を示した。

「アンタ、あの子の守った者に嫌われてるみたいだけど?それで良いのかい?」
「黙れ、何を言われようがお前を斬る事には変わりない」

カチャリ、と刀を握りなおし、昭栄は魅魔との距離を縮めようとするが、すぐにその足は止まった。

「………」

萃香が魅魔の前で腕を組んで、立ち塞がったからだ。
その隣に魔理沙も並び立つ。

「はっ、これでも斬るつもりかい?」
「……鬼が阻もうと、お前を斬る」

断固とした決意は最初から覚悟していたのだろう。
萃香の視線さえも真っ向から受け止め、昭栄の瞳は山のように揺るがない。
だけど。

「格好悪いよ」

小さな呟きだった。
魔理沙の言葉は、まるで湖水に投擲した小さな石のようだった。
初めて、昭栄の眼に宿っていた冷たい光が濁る。

「今、なんて言った……」
「格好悪いって言ったんだよ。なんだよ、なんなんだよ、それは!そんなの魅魔様関係ないじゃんか、ただの逆恨みだろ!」
「お前には関係ない」
「だったら、私にも、魅魔様にも関係ないだろうがっ!なんて、恥ずかしい事してんだよ……!」

昭栄は苦々しく顔を歪め、だけど口は堅く閉じている。
それでも、やはり刀を強く握り締める。自分の娘に何を言われても、否定されてもやらないといけない事があるかのように。

「この不細工っ!」

唐突な罵声だった。
誰も彼もが、眉を顰めて言葉の主である萃香を見やる。
魔理沙には意味が理解できない言葉を吐き捨て、萃香は昭栄に歩み寄っていく。

「アンタは知らないの?鬼はねぇ、嘘が嫌いなんだよ」
「黙れ、っ―――!」

無造作に刀を掴んで、右の拳で昭栄の頬を打ち貫いた。
面白いように昭栄は全身を跳ねらせ、二回、三回と転がっていく。
呻き声を上げながら、昭栄は肘を付いて起き上がろうとする。
苛立ちが募っていたとはいえ、萃香は手加減したつもりだった。
それでも萃香自身、昭栄が立ち上がろうとする姿に驚きを隠せなかった。

「ぁ……っ」

しかし、昭栄の膝は震えて、そして崩れ落ちる。
苦悶を洩らしながらも、昭栄は面を上げて萃香を見た。いや、その背後に居るであろう魅魔の姿を。
その瞳は揺るがない。
萃香にはどうしても、昭栄が魅魔に対しての恨みだけで此処に居るとは思わなかった。
理由が弱すぎるのだ。
それ以上に、萃香の眼には昭栄が何かを隠しているように見えた。

「それじゃあ、もう刀を握れないだろう。……魔理沙、行こうか」

魅魔の言葉がキッカケだった。
昭栄が吠える。

「ふざけるなぁっ!!誰がっ!」

嗚呼、やっぱり。と、魅魔は呟いた。
昭栄の立ち上がる様に萃香は眼を瞬かせる。
立ち上がった事が不思議だったのだろう。しかし、本当に不思議だったのは次の言葉だった。

「誰がっ、魔理沙を連れてかせるものかぁっ!!」
「―――――」

魔理沙は思考が停止した。
萃香は昭栄の執念の根源を垣間見て、胸を焦がしていた苛立ちが瓦解していくのを感じていた。
すぅー、と魅魔は二人の合間を通り、昭栄の刀の先が届く間合いにまで近寄った。

「アンタまさか、私が魔理沙を外の世界へ連れ出すと思ってないかい?」
「…………違うのか?」
「違う、ただの勘違いっていうか、なんでそんな事を?」

言葉を返さず、代わりに舌打ちを残して昭栄は踵を返した。
足取りは重たい。
魅魔は苦笑を浮かべながら、呆けたような顔で硬直している魔理沙に視線を向ける。
どことなく嬉しそうに見える能面のような表情で萃香が魔理沙の背後へと回る。
右手を広げ、ニヤリ、と笑みを浮かべて背中を叩いた。

「いぅっっ!?」

魔理沙は、突然の衝撃に驚いて背後を振り返るが、萃香が満面の笑みを浮かべて人差し指を突き出した。
勿論、その示す先にはゆっくりと去っていく背中がある。

「分かってるよ」

帽子を左手で取り、右手で頭をガシガシと掻きながら、魔理沙は声を荒げた。

「待てよ!!」
「………なんだ」

不機嫌そうな表情で振り向く自分の父親に、魔理沙は箒を手にとって投げつけた。
魔力の込められた箒はまるで投げ槍のように地面に突き刺さる。
そして、地震でも起こしそうな、荒々しい足取りで魔理沙は近寄って行き、目前で立ち止まる。
昭栄は自分の娘に淡々とした視線を向けている。

「昔から言いたい事があったんだよ。あのさ、まず何をするのか話してくれよ。怒るのならその理由を。暴れるならその理由を。そうすれば今回みたいな事にはならなかっただろ」

無言のまま、昭栄は魔理沙の頭に手を載せた。

「大きくなったな」
「……十年ぶりのマトモな言葉がそれかよ」

それだけだ、と言わんばかりに昭栄はまた背中を見せて、立ち去ろうとする。
魔理沙は魅魔と萃香を振り返るが、二人は呆れた風に笑って、手の甲を払っていた。良いから行けよ、と言外に告げられたのだ。

「待てよ」

小走りで駆け出し、箒を通りすがりながら引き抜いて昭栄の隣に並び歩く。

「こんな所まで、どうやって来たんだよ」
「………」
「また、だんまりかよ」
「いや、鬼が居るからまだ話せない」
「んん?まぁ、良いや。案内してやるぜ」

それだけ答えると会話は途絶える。
魔理沙が自分の親であるこの男を毛嫌いしていたのは事実だった。
それでも、勘違いとはいえ、怨霊と鬼に歯向かってまで、自分を救おうとした事には変わりない。
嫌いだ。根底で覆せない思いはあるけれども。
今回は魔理沙を思っての行為だと分かってしまったから、せめて、その分の恩は返すつもりだった。

森の中で薄暗い茂みの中を歩き続ける。

「母さんの命日ぐらいは帰って来い」
「……分かったよ」

途切れ途切れにも、会話が少しずつ生まれていく。

「なぁ、いつのまに髪の毛が真っ白に?そんなに店が大変なのか?」
「………」

自分の娘が心配げな表情を浮かべている事を横目で見て、鼻で笑う。

「ただの歳だ。店は、別に今更一人二人増えた所でなんも変わらん」
「あーそうですかー」
「だから、こっちは気にするな」
「はっ、だったら私の方もそんなに気にしないでくれ」
「それは無理だ」
「は?」
「お前はいつまで経っても私たちの娘だからな」

魔理沙はそっぽを向いて舌打ちをする。
妙な居心地の悪さと、こそばゆい気持ちに耐え切れないのだ。
場の空気を変えようと、魔理沙はさっきから気になっていた質問を口にする。

「そういやー、なんでさっき鬼が居ると駄目って言ったんだ?」
「ああ、それは―――――」

大きな遠回りだったけれども。
恐らく来年の今頃は、憂鬱さが消えているのだろう。
魔理沙は涼しげな風を感じているかのように、父親の言葉に耳を傾けたのだった。























魅魔が博麗神社に戻ったのは夕刻過ぎだった。
気が早い者はすでに酒を楽しそうに口にしている。そして、境内に集まる人妖の数は異常だった。
それこそ、八雲 紫や伊吹 萃香の一人や二人ぐらいは大した意味を為さないように。
取り分けて、目に付く者達は強大な妖怪の代名詞みたいな奴らばっかりだ。
賽銭箱へ進む階段に魅魔は腰を下ろして、苦笑いを浮かべる。

「魅魔。どこに行ってたの?」

手に一升瓶をぶら下げた霊夢が魅魔の隣に座り込む。
霊夢の表情は何の感慨も覗かせない。
魅魔の目に映る景色が、霊夢にとっては常識なのだろう。

「アリスが居たからね。ちょっと話が弾んだんだよ」
「魔理沙はどうしたのよ」
「ああ、実家に帰省中。その内、来るだろうさ」
「実家ねぇ。ま、主賓が居なきゃしまらないって思うけど、この様子じゃあねぇ」

魔理沙の誕生日という名目で開かれた宴会だった。
つい、魅魔はその事を忘れていた。果たして、迷いの森で地底に向かうと言って別れた萃香は覚えていただろうか?
覚えていようが、いまいが大した問題じゃないのは明白だった。
宴会の様子を見れば分かる。
誰も彼もが、楽しそうな表情を浮かべているからだ。

「じゃあ、アリスも来るのね」
「ああ。あと、幽香にもう一人も来るみたいだね。なんか紅色の中華ドレスを着た妖怪が」
「なんで、アイツがそんな所にいるのよ」
「はっ、私が知るもんか。お、鬼っ娘も来たみたいだな」
「本当に勇儀も連れて来たわね」

萃香が境内に至る階段から昇ってきた。
隣には額に一本の角を生やした鬼である勇儀と、箒でゆっくりと並走している魔理沙の姿が見える。
誰かが、主賓が来たわね、と告げた。
津波のようにざわめきが広がっていき、沢山の妖怪から魔理沙は声を掛けられる。
時には不敵な笑みで答え、時には嬉しそうに照れ笑いを浮かべていた。

「……ふん。なんだい、心配する必要なんて無かったねぇ」

自分の弟子をどんな胸中で見つめているのか?
霊夢は魅魔の穏やかな微笑を浮かべた横顔を見て、両肩を竦めた。

「ま。アンタも呑みなさい」

袖口からお猪口を取り出して魅魔に手渡した。
こぽこぽ、と酒を注がれ、魅魔は空いた左手を軽く振り払う。すると、桜色のお猪口が握られており、霊夢に差し出した。
霊夢はそのお猪口で魅魔から返杯を受ける。

「随分ここも様変わりしたもんだねぇ」
「それは違うわよ」

ん?と、魅魔は訝しげに霊夢へ視線を向けた。

「異変解決する度にアンタみたいなのが増えた、それだけのことよ。なぁんにも変わってないわ」
「はっ。そうかい、じゃあ今日は――――酒で潰すよ」
「あのねぇ、私がどんだけ酒を飲んでるのか魅魔知らないでしょ」
「ふふん、是非教えてもらいたいもんだ」

霊夢は魅魔の突き出すお猪口に、自分のお猪口を合わせたのだった。




















境内の中心で勇儀と紅 美鈴が対峙していた。
傍から見ていた魔理沙には、なんでそんな事をしているのかサッパリ理解不能だった。
それ以前に、魔理沙は正常な判断さえ危ういぐらい、酒に酔っていた。
周囲の野次と共に身勝手な声援を送り続けた。
勝敗には興味がない。
だけど、魔理沙は今日の宴会に心地よさを感じていた。
鬼と華人妖怪の対決から目を離し、遠くでレミリアに酒呑みで勝負を仕掛けている萃香を見つめた。
まるで呼吸をするかのように飲み続けていた。
辟易とした顔でレミリアが、あっち行け、とばかりに手を払っている。

「勝ったーー!!」

万歳するかのように両手を挙げ、萃香は雄たけびを上げた。
そして、獲物を探す狼のように辺りを見渡し始めるのだ。
魔理沙は大きく手を振って、萃香は魔理沙の元へ近づいていく。

足取りも危うく、だけどしっかりと辿り着いた萃香は魔理沙の隣に倒れこむ。

「見てたー?ふふん、吸血鬼なんて私がその気になれば余裕ーだよ」
「おー、見てた見てたー!はっ、萃香に酒飲みで勝てる奴なんて居ないだろ。勇儀もあんなんだしなぁ」

魔理沙の見つめる先で勇儀が楽しそうに牙を覗かせていた。
美鈴が素早く勇儀の懐に入り込んでいた。美鈴の間合いで、同時に勇儀の間合いでも有る。
軽々と殴り飛ばされる美鈴。歓声と野次があがった。

「へぇ、意外と頑張ってるじゃん」
「そうか?美鈴殴られすぎだろ」
「そうだね。勇儀にあれだけ殴られて、よく立ってられるよね」
「体だけは頑丈だな。ってアレ?」

空を見上げれば、魅魔の背中があった。
星々が浮かぶ夜空と交じり合うような暗い服装だ。魔理沙も数秒見つめて、ようやくはっきりと認識したのだった。
魅魔は何処へ行くのだろうか?向かって行く方角は東。
そして、博麗神社は幻想郷で最も東よりに位置している。あとは、少しばかりの森と博麗大結界だけしか存在しない。

「魅魔ってさ、なんで幻想郷に戻ってきたんだろうね」

萃香が独り言のように告げた。口元には笑みがある。
嗚呼、答えを知っているのか、と魔理沙は思った。

「魅魔様は昔、最っ高に性格悪かったんだぜ。でも、無駄に面倒見が良い所は変わってなかったなぁ」
「ふーん?じゃあ、魅魔はもうアレだろうね」
「多分な。一応、挨拶しとくけど……霊夢は?」
「霊夢は家の中に戻って行ったね。その間に魅魔が……」
「……霊夢怒るだろうなぁ」
「やっぱりそうなんだ。でも、口を出すのは無粋だよねぇ」
「萃香はどうする?私はちょっと魅魔様の所にまで飛んでくけど」
「いや、良いや。後で霊夢と紫から話を聞ければ十分だよ」
「そっか。とりあえず行ってくるわー」

ふらり、と頭の中が揺らめいても、箒を杖に魔理沙は立ち上がった。
箒に跨り、空へと。

今日の事は思えばタイミングが良過ぎた。と、疑問を抱いていた。

なぜ、自分の父親が魅魔が来る事を知っていたのか?
誰かが直前に、魅魔が人攫いの為、外界から訪れたと言ったに違いない。

じゃあ、それは誰なのか。
父親の言葉が未だ、耳に残っている。鮮明に繰り返される音声はしっかりと”答え”を告げたのだ。

「魅魔様ー。そっちにはなんにも無いぜー?」

ふわふわ、と浮いていた魅魔は苦笑を浮かべ、振り返る。
魔理沙が何をしに来たのか、魅魔は分かっていた。

「なんだい?どうしてこんな所に来たんだ?」
「どうして?なんで?それはこっちの台詞だ。師匠は結局の所、アレだろう?やり残しの宿題を片付けに来たんだろ」
「嗚呼。子供じゃあないんだ。気づくよな普通。正解だよ、それでどうしたんだい?」
「アンタを殴りたい」

きょとん、と魅魔が呆けたように目を丸くする。
ニカっと魔理沙は笑って、握った拳を突き出す。

「殴って、目を覚まして欲しい。私達は強くなったんだから、寝ぼけ眼じゃなく、しっかりとした眼で視て欲しい」

外の世界から来た理由。
それは弟子である魔理沙が心配だったから。それが真実ならば、過小評価も甚だしい。
魔理沙はそう思っていたのだけど。

「はっ。何言ってるんだい。魔理沙は私の弟子だ。強いに決まってるだろ」
「――――っ」

あっさりと。魔理沙の不満をたった一言で覆してしまった。
魅魔の端的な言葉に、魔理沙は心の底から納得させられてしまったのだ。
つい、頭を抱えて空を仰ぎ見てしまう。

「はっ、はは!うわぁ、なんてずるい言葉だ」
「別にお前らが弱いなんて思ってないさ。ただ、私が心配だった。それだけのこと」

話は終わりだと、魅魔は踵を返して、ふわふわと上空に昇っていく。

「今日の事も含め」

魔理沙の声に魅魔の進行が留まった。
ただ、振り返ってはくれない。魔理沙は、背中で聞いてくれているのだな。と、思った。

「今までありがとうございました。帰り道にお気をつけください」

はっ、と笑い声を張ったような声で、答えてくれた。

「はいはい。魔理沙も人生、慎重に進みなよ?」
「それは無理だぜ。だって、アンタの弟子だからな」

魔理沙は魅魔に背を向け、境内へと戻っていく。
魅魔も魔理沙に背を向けたまま、元の世界へ戻っていくのだろう。

今が人生の岐路だった。

二度と会えない事を予感しながらも、魔理沙の口元には満足気な笑みが浮かんでいたのだった。





















外の世界へ戻る為に、八雲 紫が結界を開けてくれる手順だった。
宴会場に紫の姿は無かった。
先に待ち合わせた場所で待っているのだろう。

「あら、遅かったわね」

悠然とした笑みを浮かべて紫が告げた。
空間に亀裂を走らせ、その上に腰を掛けて足を組んでいる。―――――――その隣に、霊夢が居た。
巫女の役目は幻想郷の守護。外界から幻想郷を守る博麗大結界に穴を開けようとするのを見過ごすハズがない。
空気が冷たいのは、この場所が高度のある上空だからではないのだろう。

「魅魔。ここから先へは行かせないわ」

感情を覗かせない無表情。人間味が完全に失せた無機質な雰囲気を纏っている。

「はっ。なんだい、そんなに傍に居て欲しいか?」

霊夢は抑揚の無い淡々とした口調で言葉を紡いでいく。

「居なくなるんだったら何処へでも。ただし、この結界を害する事だけは許さないわ」
「いや、ちょっとだけさ。すぐに終わる」
「そのちょっとの間に何かが起こるとは限らない」
「何かが起きたら、対応してくれる為に来たんじゃないのか?」
「……私が手伝いをする?博麗の巫女が怨霊を助けるはずがないじゃない」

紫はしばらく話を聞いていようと思っていたけれど。
頑なな霊夢の意思を感じ、座っていた隙間を広げて体を落とす。次いで、隙間を使って魅魔の隣に並び立つ。

「だったら、妖怪である私が巫女の言う事を聞くはずがないでしょ」
「アンタも邪魔するの?」
「邪魔ねぇ…。何をそんなに怒ってるの?」

異変が起きた時の霊夢はもっと自分に素直だった。
紫の目には、霊夢が逃げているように思えた。
博麗の巫女という名前はさぞや、便利だろう。

だって、正々堂々と魅魔の邪魔が出来るのだから。
魅魔が外の世界へ行くのを止める事が出来るのだから。

「ねぇ、霊夢。そんなに魅魔が居なくなるのが嫌なの?」
「意味が分からないわ。言った筈よ、何処へでも行けばいいと」
「ずっと前も勝手に居なくなった。そして、今回も同じように……。それが気に入らないだけじゃないの?」
「まずはアンタから黙らせないといけないみたいね」

巫女服の袖口から三枚の符を取り出し、霊夢はすぅ、と眼を細くする。
紫は微笑を浮かべながら、嘆息した。ふと、魅魔が紫の肩に手を置いた。

「はぁ、魔理沙は大丈夫だと思ったけど。霊夢はまだ駄目だねぇ。これじゃあ、この先が心配だ。仕方ない、今しばらく幻想郷に残ってやるか」
「何よそれ……?言ってる意味が分からないわ」
「違うだろ。お前が理解しようとしないだけだ。薄々、気付いてるはずさ。それに、最初に言ったと思うんだけどねぇ。お前達が心配だから戻ってきた、と」

魅魔のやり口に紫は感心する。この手法は私には出来ないわね、と思ったのだ。
霊夢が小さく、「……邪魔なのよ」と、呟く。

「ん?何か言った?」

魅魔には聞こえていた。勿論、紫にも。
言うならば、今の霊夢は下り坂の途中で転げないようにしている足の付いた丸い石だ。
魅魔の言葉は支えていた足を払った。
すると、石はゆっくりと転がっていく。そこで再び、堪えるのか、それとも斜面に身を任せるのか。魅魔の一言で恐らく決まる。

「邪魔って言ったのよ!今更、アンタなんかに心配される筋合いはないわ、さっさと消えてよ」
「そりゃあ無理だね。だって今の霊夢、楽しくなさそうな顔してるんだから」

―――――楽しくなさそう?
霊夢は、ぴしり、と心に亀裂が生まれた気がした。
口内に苦い味が広がっていく。それは苦くて、とても不味い。とても不味いから霊夢は吐き出した。

「当たり前よ。つまらなくさせてるのはアンタでしょうが…!」
「そうかい。そりゃあ、悪かった。で?私がなんで、つまらなくさせてるんだ?」
「分かってる癖に…!」

無表情が瓦解する。
苦々しい表情で霊夢は魅魔を睨みつける。

「嗚呼心配だね。すんごい心配。嗚呼、心配だ」

霊夢の目の前まで魅魔は近寄っていった。

「心配心配って五月蝿いのよ」
「だったら、少しは楽しそうな面を見せてみな」

魅魔がニヤリと嫌らしい笑みを浮かべて、むにー、と霊夢の頬を摘んで伸ばす。
後ろで紫がくすくす、と笑っていた。
霊夢は笑えない。こんな状況で笑えるはずも無く、だから呆れた風に大きく溜め息を付いた。

「ほれ、笑って笑って」

軽い破裂音と共に。霊夢は魅魔の手を打ち払う。
嗚呼、からかうのが楽しい。
ケタケタと笑い声を上げながら魅魔は紫の隣へと戻っていく。

「さぁて、一つ聞くけど霊夢は人生楽しいかい?」
「………」

霊夢は腕を組んでそっぽを向く。
聞く耳を持たない、とワザとらしいポーズを取った。

「なんだい。じゃあ、つまらないのか?」
「……魅魔の質問に答えたくないだけよ」
「はっ、そりゃ重畳。楽しそうでなにより」
「もう良いわよ。私はもう寝るわ、じゃあね」
「未だだよ。これじゃあ、まだ心配だ。どうすれば良いと思う?」

魅魔の一言は、飛び去ろうとする霊夢を呼び止め、訝しげな表情を浮かばせた。
隣に居た紫はいつのまにか、随分と遠くに移動していた。
なんだろう?
霊夢は眼で魅魔に尋ねていた。

「弾幕ごっこだ。霊夢が勝てば一つ、言うことを聞いてやる。私が勝てば向こうへ行くのを見送って貰おうか」
「……良いの?帰れなくなるわよ」
「へぇ、自信たっぷりだね。掛かって来な!―――って、言いたい所だけど一つ条件がある」
「なによ?ハンデでも欲しいの?」
「はっ、舐めるなよ。全力を惜しまずに来な。条件っていうのは、一スペル勝負だ。分かりやすくて良いだろ?」
「……分かったわ」

魅魔は人生楽しいかって聞いてきた。
一つ返事で、楽しいと言える程、人生は単純じゃない。
良いことも悪いことも含めて、それで楽しかったと言えるのなら、それは素晴らしい事だと思う。
霊夢も理屈では、頭では分かっている。
正直、魅魔がまた勝手に消えようとした事に怒りで頭が真っ白になった。
紫が迎えに来てくれなければ、境内に戻った時に慌てて魅魔の姿を探したのかもしれない。

魅魔のした事はとてもじゃないけれど、許せない。

今日終わるまで不機嫌なのは確実だろう。でも、明日はどうだろう?きっと、それは今から決まる。
明日じゃない。自分が死んでいく時かも知れない。
いつか。振り返って、すんなりと受け止められるようにしたい。

その為には―――。

「魅魔。覚悟は出来た?」
「いつでも良いさ」

博麗 霊夢は全力を出し切るべきだろう。
その結果、勝っても負けても魅魔の結末は変わらないけれど。
少なくとも今までの人生は色々あったけど、楽しかった。そう言える。
つまらない顔を見せたのは恥ずかしい事だった。
だから、今からはすごい楽しいって事を見せ付けてやろう。

霊夢は小さく呼吸を整える。
小さくて白い花が咲いているような、穏やかな笑みを浮かべて。
スペルを唱える。



「”無題”空飛ぶ巫女の不思議な世界」




























神社の縁側に萃香と紫が座っていた。
こぽこぽ、と酒の入った瓢箪を口につけ、萃香は水のように呑んでいた。
昨日一番お酒を呑んでいたはずなのに、けろりとした顔で今日も浴びるほど呑み続ける。

「結局のところさー。魅魔は魔理沙と霊夢の顔が見たかっただけなんだよねー」
「ああいう手合いを親バカって言うのよねぇ。昨日実感したわ」
「それで事態をややこしくした紫は愉快犯~!」
「楽しい一日でしたわ」
「ホント、紫って人生楽しそうだね」

霧雨 昭栄に嘘を吹き込んだのは紫。
ただ、昭栄が妖忌と知り合いだったのは誤算だった。
紫はタイミングを見計らって昭栄を魔理沙の家の前に案内しなければいけなかった。

「ま、良いけどね。とりあえず魔理沙ん家に行って来るよ。じゃあね」

縁側から跳ね降りて、萃香の姿が霧になって風に乗って、消えていった。

「新しい橋を作る、ねぇ。魔理沙は偽ってばかりだけど、萃香はこれから何を思うのかしら?」

未来は窺えない。
けれど、紫は楽しそうに笑い出す。
ふと、縁側の床が軋む。
紫の隣に誰かが歩いていき、座り込んだ。

「アンタが楽しそうな顔してる時って大抵がロクデモない事ばっかよね」

まるで、紫が元凶だと言わんばかりに、棘のある言葉を霊夢は吐いた。
風を受ける柳のように紫は笑顔を崩さない。

「まさか。舞台の上じゃあ劇が楽しめないじゃないの。少し噛んだくらいが一番、話の筋が分かって楽しめるのよ」
「紫ってさりげなく最低よね。あ、妖忌っていう人がアンタの事探しに来てたわよ?」

紫の笑みが一瞬だけ、硬直した。
妖忌は昭栄の友人なのだ。なら、紫が嘘を付いたと知ってしまうのも時間の問題だった。
紫の親友は幽々子。
親友の従者だった妖忌の事を勿論、紫は知っている。
幽々子を守るためなら、鬼を斬るのも躊躇わないような人物だ。
義理堅く、愚直な性格。それでいて、愚直を貫き通せるだけの実力を持っている。

従者としては、かなりの優秀さを誇る。
幽々子と一緒に、紫も説教を受けた事が何度もあった。主だろうが、その親友だろうが、構わずに妖忌は拳骨を落とす。
紫にとって、ある意味で閻魔よりも恐ろしい存在だった。

「え、ええ。霊夢は勿論、知らないって言ったのよね?」

紫が口元を震わせ、冷や汗を浮かべていく。
珍しいと思いながらも、霊夢は持てる限りの最高の笑みで頷いた。

「そうよね!霊夢が私の事を裏切るはずが――」

すーっと紫の目の前を白い霊魂が通っていった。
紫の全身が凍りついた。
霊夢が人差し指で紫の背後を示した。

「――――」

紫は人形のような硬い動きで首を捻らせ、背後を見やる。
冷たい眼でじーっと、妖忌が見ていた。紫が恐怖心で笑顔を引きつらせた。
気配も無く、音も無い。
傍から見てる霊夢でも、紫が脅えるぐらいの人物だと直感できた。

「嗚呼、結界の修復をしないと大変だわ!急がないと」

縁側を降りてすぐ目の前に、隙間を作り出し、紫は隙間へと駆け込もうとする。
そんな慌てて去ろうとする紫よりも早く、妖忌は隙間の隣へと一瞬で移動した。

妖忌は隙間の頭に右手を乗せ、――――――地面へと押し潰した。

「嘘!?」

霊夢はつい叫んでしまった。
滅茶苦茶だった。なんなのよ、それ!と、霊夢は吃驚し過ぎて、絶句してしまう。

妖忌は紫の前に立ちはだかる。
紫は笑顔を浮かべようと、試みるが見事に失敗をしている。
そもそも、笑顔で誤魔化せる相手じゃないと分かっているはずなのに、隙間が潰されてしまった今、紫に出来ることはそれだけだった。

肩を強く押され、紫は無理やり縁側に座らされる。

目元に涙を溜めて、震える視線と声音で霊夢に助けを求める。
ただ、霊夢の眼は紫を見ていなかった。

「お茶を用意しておきますので、終わったら声を掛けてください」

霊夢の言葉に妖忌は、穏やかな笑みを浮かべて一つ、頷いたのだ。

「いや、霊夢!冗談でしょ!?今此処で妖怪が虐げられようとしているのよ!異変よ!」
「あー?それはどこぞの魔法使いに頼みなさいよ」

冷たく言い放ち、霊夢はその場を立ち去っていく。

「この馬鹿が、昔から一向に変わっておらんな?」
「くっ……、ふぅ。妖忌も相変わらずね。私はあの魔理沙」
「何を余裕ぶった顔をしておるかぁっ!!お前は昔から悪さばっかりしおって―――」
「ちょ、話を聞い――ぃ、いや!拳骨はやめ、きゃ、助け――――」

世にも珍しい紫の叫び声が境内に響き渡っていく。
その声を聞くだけで霊夢は笑い出してしまう。

何処からともなく、鴉天狗が空を翔けて来た。

今の紫の姿が新聞に載るのだろうか?



「明日も楽しくなりそうね」



霊夢は唄うように言葉を紡いだのだった。
読んで頂いた方、ありがとうございます。

少しでも楽しいと思っていただければ、幸いです。
設楽秋
http://whitesnake370.blog52.fc2.com/
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コメント



0.1750簡易評価
8.無評価名前が無い程度の能力削除
最初の妖忌の殺気がすごかっただけにラストが…w
15.100名前が無い程度の能力削除
とても素晴らしかったです。
16.100名前が無い程度の能力削除
シリアス部分からコミカルな部分まで、全てが最高でした。
20.100名前が無い程度の能力削除
最高です。妖忌とゆかりんはツンデレな仲がいいと思うよww
22.90名前が無い程度の能力削除
うまいですね。織り成す中軸のストーリーに、小傘や萃香が寄り添ってくる感じが。
魔理沙や霊夢の揺れる感情が、大妖たちにかこまれて娘らしく際立っていたと思います。
25.80名前が無い程度の能力削除
毎作品注目してます。
28.無評価設楽秋削除
読んで頂いた方、ありがとうございました。
コメントを書いて頂いた方、なんだか、凄い事になっている……!?
これは、何処かで私を褒め殺す為の組織が存在しているとしか思えないです。嘘です。
さておき。
楽しんで貰えた方が一人でも居るならば、私的には大満足です。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
29.100名前が無い程度の能力削除
これは面白い。親父つぇーwww
30.100名前が無い程度の能力削除
み、魅魔さまぁぁー!
31.無評価設楽秋削除
面白いと、その一言で気分は有頂天です。ありがとうございます。
娘の身を案じる父が強いのは世界共通です。だから、鬼は人攫いもしていたのではないかと思います。
魅魔様には別の作品でまた出演してもらいたいですねー。
32.90名前が無い程度の能力削除
あ、紫と妖忌のコンビもすごくいいなあ。
キャラクター達がそれぞれ自分達の個性を生かしていて、とても良い雰囲気を織り上げていたと思います。
言葉で語りきらずに態度で示す部分を多くすることで、一人ひとりに異なった人格があることのリアリティーが見事に描写されていたように感じました。
感服です。
33.無評価設楽秋削除
紫と妖忌のコンビ……。
二人が肩を揃えて共闘したならば、きっと凄く格好良いのかも、って思えました。
前作ぐらいからですね、行動で感情を表せるような描写を書き始めたのは。
感服とまで言ってもらえるのなら、とても励みになります。

さて、生産力が限りなく低いくせに、小説も書き始めては断念したりと、大体一作につき一ヶ月の時間が掛かってしまってる現状。
技量を研鑽するのは当然、生産力も鍛えたいと思います。
しかも、過去作の再編と続編もまだという体たらく。
こんな私ですが、来年も宜しくお願いします。―――それでは、良いお年を。
45.80非現実世界に棲む者削除
「魔法の森」と「迷いの竹林」がごっちゃになっているのだろうか。
少なくとも今現在でも、「迷いの森」は幻想郷には存在しません。
内容が素晴らしいだけに、単純な誤字が非常に残念に思えます。
48.100名前が無い程度の能力削除
霊夢さんと魅魔様の最後の決闘に痺れました