Coolier - 新生・東方創想話

人間らしく、妖怪らしく 【終】

2009/12/13 16:34:49
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<前回のあらすじ>
 ついに誰かの目的のために起きた騒乱。
 それは幻想郷の中のいろいろな場所に広がって、そして人里ではとうとう彼女が――
【前作 作品集93:人間らしく、妖怪らしく 肆】
 




 彼女は何の抵抗もしなかった。
 
 疲労で重くなった体を力づくで地面に繋ぎ止められ、痛みで小さな悲鳴を上げただけ……
それでも四肢を本気で押さえ込んでくる人間の男たちは、力を緩めなかった。

 暴れる猛獣を押さえつけるように――
 肩を、二の腕を、手首を――
 腰を、太ももを、脛を、足首を――

 大の大人が、6人がかりで押さえつけてくる。
 さらに、それを振り払った後もすぐ取り押さえられるよう、すでに妖怪退治ようの札を取り出した者たちが取り囲んでいた。せめてうつ伏せで押さえ込んでくれれば、こんな残酷な状況を見なくてすんだというのに。
 荒い息を整えることもできず、仰向けで押さえつけられているため――

 自警団の、人間たちの怒りの表情がはっきりと見えるのだ。
 人里を騒がせる化物め、と。
 その冷酷な瞳を向けられているのが、悔しいくらいにわかる。
 痛みからか、それとも悲しみからか。
 潤んだ瞳が映す満月は、酷く霞んで見えた。

「私を……退治するのか?」
 
 問いかけに答える人間はいない。
 その回答の代わりに代表格の男が懐から一枚の札を取り出す。
 そこに書かれている文字は普通の人間ならまったく理解できないはず、知識のない妖怪なら字なのかどうかすらわからない。けれど、彼女が持つ知識はその言語と一致するものがあり――
 それが一体何かというのも瞬時に判断できた。

 幻想的な生物である妖怪の、根本を破壊する。
 強力な術式――『呪詛』

 人間が持つその札は、まさしく呪いそのもの。
 そんなものを打ち込まれれば、札の効力が消えるまでずっと呪いに食われ続けることになる。
 自分の存在そのものを、ずっと貪られ、削り取られる。
 
「――っ!?」

 それがゆっくりと、ゆっくりと。
 彼女に恐怖を味合わせるように、額に近づいていく。
 そんなとき――

 それを静止しようとする、優しい誰かの叫び声が聞こえてきたが。
 もう何もかもが遅すぎた。
 彼女の位置からでは、もう間に合わない。
 子供を抱えているから、炎を使うことができない。
 それがわかっているから、彼女は足を止めて叫ぶことしかできないでいる。

 でも、最後にその声を聞けただけでも……

 ――幸せかもしれないな。

 彼女は薄っすらと微笑みながら、二本の角を持つ妖獣は瞳を閉じて――
最後の一瞬を待つ。
 閉じられた闇の世界で、段々と人間の男の息遣いが彼女の耳の中で大きく響くようになり―― 

 タンッ!

 閉じた瞼の前で、空気が弾けた。
 そして小さな紙の切れ端のようなものが、汗ばんだ頬に張り付く。
 それと同時に、慌てふためく人間たちの声が耳に入ってきて、彼女はゆっくりその瞼を開けた。

 一番最初に彼女の瞳に飛び込んできたのは、破れ、単なる紙屑同然となった呪札。
 次に、男たちが全員、ある一方向を見つめているということ。
 その視線を辿って行けば、そこには綺麗な妖獣がいた。
 長い髪を夜風になびかせながら、こちらを見ている少女。

「あーあ、何やってるんだか……
 同類と思えないほど鈍いのね、あなた。人間如きにいいようにされるなんて」

 面倒そうに、はぁっと軽くため息を付きながら腕を組む。
 そうやって息を吐いた拍子に、頭の上から生える兎のような耳が揺れていた。
 そんな人間とは非なるものの姿を確認した人間たち、慌てて身構え始める。

 今夜の状況なら、間違いなく彼女も犠牲者となりうるのだ。
 だからその場の全員が、一瞬だけ慧音から視線の外し――
 新しく現れた妖怪を見る。
 いや――

『見てしまった』

 直後、人間たちの動きが急に変わる。

 一人は、ふらつき。
 一人は、その場に崩れ落ち。
 一人は、壁に寄りかかったまま寝息を立てる。

 一発目のあの札を破壊した攻撃以外、彼女が何をしたわけでもないのに。
 まるで何かに狂わされたかのように、バタバタと倒れていく。
 慧音を押さえつけていた人間たちも同様で、力なく前かがみに倒れ……

「こ、こらっ!」

 そうやって彼女の胸の上に覆い被さってくる男たち。
 そんな人間が重なり合う山から何とか脱出した慧音は、改めてその奇妙な光景を一瞥する。なぜなら脱出するときかなり強めに体を押しのけたり、引っ張ったりしたというのに。男たちは呻き声一つ上げなかったのだから。
 まるで糸の切れた操り人形のように。

 ただ、慧音が理解できたことといえば。
 自分が、あの見ず知らずの妖獣。
 紅い瞳を妖しく輝かせている彼女により窮地から救われたということだけだった。


 ◇ ◇ ◇




「狂気の瞳、か……」

 ほとんど誰もとおらない真っ暗な路地裏。
 大人が両手を広げたら両側に軽々手の平が付いてしまうほどの細い道の中には月の光すら届かず、そこで輝きを放つものは慧音とウサギの妖獣の瞳程度。後は妹紅が明かり代わりに付けている炎くらいなものだろうか。
 力いっぱい抱きついてくる女の子の頭を優しく撫でながら、慧音は背中を冷たい壁に預ける。
 
「なんだか物騒な名前に聞こえるな……」

 火照った体から熱が抜かれていくような心地よさ。
 それに浸りながら横にいる妖獣の方へと顔を向けると、なんだかジト目で慧音を睨んでいる。

「初対面で物騒とか。
 しかも私助けてあげたよね、あなたのこと。私にとってなんのメリットもないのに」
「あ、すまない。悪気があって口にしたわけじゃないんだ。
 助けてもらったこともちゃんと感謝している」
「え~、ホントかなぁ~」

 後ろで手を組み、目を細めたまま慧音の顔を覗き込んでくる。
 いきなり顔を近づけられて困った顔しかできない彼女をしばらくじっと見ていた彼女は、くるっとその場で方向転換してから、反対側にいた妹紅のところへと歩いていく。

「実は、あんまり感謝してないんじゃないの? 本当のこと言うとさ」
「そんなことは――」

 と、背を向けて遠ざかるその背中。
 そこに否定の声をぶつけようとしたのに、彼女の姿が陽炎のように消える。
 最初から何もなかったように闇を下ろす裏道の中。

「そんなことはない、って?」
「!?」

 ウサギの耳が急に真横から伸びてきた。
 そうやって驚く慧音の顔を見て、彼女は妖艶な微笑を浮かべながら白い手を伸ばす。

「それは、ウソ。
 だってあなた一度、諦めたもの。
 もう自分はどうなってもいいって、諦めたから。あのとき目を瞑った」
「それは! ……そ、それは……」

 頬に触れる冷たい、白い手。
 それを払いのけるように首を振り反論しようとする慧音だったが、言葉が出ない。
 言い返そうにも、言葉が頭の中に浮かばない。
 だって彼女の言うとおり……

 ……生きるのを、諦めたから。

 慧音は何も言わないままぎゅっと拳を握り締め、俯いた。
 でも彼女の味方はすぐ近くにいて――

「先生をいじめるな!」

 さっきまで慧音の足に抱きついていた女の子が、いつのまにか兎の妖獣と大好きな先生の間で大きく手を広げていた。見たこともない、その兎の妖獣が怖いはずなのに。瞳に涙を溜めたままそこから動こうとしない。
 その姿を見つめる慧音の瞳にもいつのまにか涙が溢れていた。

「すまない……馬鹿な先生で……」

 ここまで一生懸命になってくれる子供の前で自分がどれだけ愚かな判断をしようとしていたのか。
 それを思い知らされ、彼女は子供に抱きついて声を押さえることなく泣き始めた。
 それに釣られるように女の子もわんわんと泣き始め――

「……あ~あ、泣いちゃった。
 これじゃ私がいじわるしたみたいじゃないの」
「珍しくお節介じゃない。弱虫兎」
「だれが弱虫よ! 人間くずれ!」

 不機嫌そうに肩耳を跳ねさせてから慧音と女の子の側から離れると、そのままずかずかと妹紅に近づいてくる。赤い瞳を向けながら近づいてくる彼女の妹紅は、ふんっと鼻を鳴らして応じ。
 その場で踵を返した。
 そして何もないはずの空間に手を伸ばして、そのまま地面に振り下ろす。

 傍から見れば、馬鹿げたことをしているようにしか見えない彼女の行動。
 しかし、妹紅の手の中に確かな感触があった。
 その証拠に――

 地面にぶつかるはずの右手が、まるで何かが間にあるように停止していたのだから。

「輝夜から聞いてない? 私にそういう中途半端な類のは効果ないから。熱とか妖力とかでわかっちゃうのよ」
「……聞いてないんだけど」
「本気で掛けようと思えば、引っ掛かるかもしれないけど。
 遊び程度のいたずらじゃ無理よ。残念でした、鈴仙」

 そうやって妹紅が名前を呼ぶと。
 妹紅に迫っていたはずの鈴仙の姿が消え……
 地面の上に大の字に転がされた姿が薄らと浮かび上がっていく。
 何故彼女にこんなことができるかと言えば、それは彼女の能力にある。さっきの人間たちを無力化したのも、慧音を手玉に取ったのも。『狂気』の波長を狂わせ、感覚を弄ったから。
 その能力の象徴が、赤い瞳というわけなのである。
 
 けれど、この妹紅には中途半端な術は効果がなかったようで、
 鈴仙はそうやって妹紅に左肩を抑えられた状態のまま、自慢の長い髪を指で擦る。

「あ~、もぅ。せっかくお風呂は入ってから来たのに、髪の毛汚れたじゃないの。
 あなたもそんな長い髪してるんだから手入れの大変さわかるでしょう?」
「嘘つかないように。出掛けるってわかってて風呂に浸かってくるわけがない。そっちも人里が気になって来た口じゃないの?」

 狂気の瞳による軽い幻術をあっさりと打ち破った妹紅は、いたずらっ子のように笑いながら鈴仙の体を持ち上げて立たせてやる。彼女は服についた汚れを叩いて落としながら、妹紅の方へ耳だけを向けた。

「まあ、ね。私が気になったわけじゃなくて、師匠の命令で。
 実は竹林にも妖怪の集団が現れて大変だったのよ」
「え、本当に?」
「……気付かなかったの?」
「全然。もしかしたら入れ違いになったのかもしれない。ちょうど私が出て行った後に集まり始めたとか」
「タイミングが良いというか悪いというか……
 まあ、ほとんどてゐがいたずらで追い返したからいいんだけど。あまったヤツは私が波長狂わせて終わりだし」

 仲が良いのか悪いのかわからない鈴仙とてゐという兎の妖獣。
 その二人の息が合ったとすれば、あの迷いの竹林でこれほど恐ろしいことはないだろう。物理的なてゐのいたずらに加えて、精神を狂わせる狂気の瞳の重ね掛け。そしてどこに言っても同じ風景が広がる竹林。
 相当気の強いヤツでなければ、あっさりと降参するに違いない。

「その後、師匠が他の場所がどうなっているか見てきなさい。満月が妙な影響を与えているとするなら月が関係しているかも、とか言い出して……」
「それで人里ってわけか。従者っていうのも大変だね」
「余計に大変にしたの、あなたなんだけど……」
「悪気はない。馴染みってことで許してよ」
「どちらかというと敵役っぽい立ち居地だけどね。まあ、こんな状況で争うつもりはないけど」

 一通り身なりを整え終わった鈴仙は、大きく伸びをする。
 眠気を覚ますのと、気分を切り替えるために。

「それで? まだ調査は続けるの?」
「もう十分調べたから、竹林に戻るわ。少しだけ懐かしい思いにも浸れたし」
「なるほど、それで慧音を助けてくれたってことね」
「……え~っと、なんでわかっちゃうの?」
「輝夜が、しゃべってた。自分の家の兎のことについて」
「あ~もぅ、姫様はまた余計なことを……」

 鈴仙は大袈裟に頭を押さえながら、左右に首を振る。
 あまり人に知られたくない過去が、ここまであっさりとばらされているなんて思いもしなかったから。

 彼女は、てゐと同じような地上の妖怪兎に見えるけれどそれは、実は大きな間違い。永遠亭の姫と呼ばれる人物と同じように実は空に輝く月からやってきたのだから。
 ただ仲良くいっしょにやってきたというわけではなく。
 彼女は、逃げてきた。

 人間が月の表の部分に、月の都の結界の外に足を踏み入れたから。
 当時軍人だった彼女は、人間たちとの争いに怯えて――逃げた。
 争ったところで月の技術力なら地上人に勝る。
 そう頭で理解していても、前線に送り出されるかもしれないという恐怖だけが彼女を縛り付けた。

「好意で助けたわけじゃない。単なる同族嫌悪てやつよ。
 ああやって目の前でやられてもらっても気分が悪いし」

 形は違えど自分の立場を捨て、逃げようとした。
 妹紅や女の子が必死で助けようとしているのに。
 自分だけ満足して、この世界から消えようとした彼女を鈴仙は見過ごすことができなかったのだ。
 観客という立場で終わろうと思っていたはずなのに――
 気が付けば指先から妖力の銃弾を放っていた。

「今日のこと絶対姫様には言わないでよ?」
「わかった、わかった誰にも言わないよ」
「絶対だからね! 約束したからね!」
「ああ、わかったからさっさと帰りなさいって」

 家路を急ぐはずなのに、何度も振り返り念を押してくる彼女。
 自分が優勢のときはおもいっきり強気なのに、一度不利な状況に追い込まれると急に挙動不審になるのはいつもどおり。
 そんな小心者の妖獣に向けて。

「ありがとう」

 何も飾らない、感謝の言葉を伝える。
 鈴仙からの返事はなかったけれど、大きく跳ね上がった耳が少しだけ嬉しそうに揺れていた。


 そんな兎を見送ってから、まだ涙を流しつづける大きな子供と小さな子供へと視線を向け。

「泣くときは、おもいっきり泣く。それが一番だよ」

 まるで母親のような笑みを浮かべたのだった。
 
 
 

 ◇ ◇ ◇




 掛け値なしの。本気だった。
 レミリアも、パチュリーも、ただ一瞬のチャンスを見逃さず、絶妙のタイミングで相手の動きを拘束し最大級の魔力を放った。一度、不用意な飛込みを見せ相手の油断を誘うという、危険な行動を取ったのも、この一手のための布石にしか過ぎない。
 レミリアの子供のような外見も相まって、相手はそれを誘いとは受け取らなかった。
 幼さゆえの、勢いに任せた行動、と。
 そう思い込んでくれた九尾を罠に嵌め、手傷を負わせてから――
 それから――ねぐらに追い込み冬眠中の妖怪に対して、本来の計画を実施する。

 そこまで筋書きを作っていたというのに。
 イレギュラーの登場で、すべてが水泡と化す。
 だって、彼女は――

 レミリアの本気の魔力を、腕を横に動かしただけ――
 空間にたった一つのスキマを作り出しただけで、いとも簡単に防ぎきってしまう。
 相手が万全な状態で向かい合わないように、ただそれだけを狙い。冬眠という情報まで利用したというのに。
 
「満月の夜の吸血鬼の力、見せてくれるんじゃなかったかしら?」

 優雅に扇子を遊ばせるその女性が、閉じた日傘を挑発するようにレミリアの方へと向けていた。こんなところにいるはずがないというのに……

「ゆ、紫様! 冬眠されたはずでは……」

 パチュリーの魔法の拘束をなんとか振りほどきながら、藍は自分の主の名を呼ぶ。
 その声がわずかに震えているのことからして、彼女も予想外だったのだろう。
 すると紫は視線だけを藍の方へ動かし、扇子越しに笑い声を漏らした。

「藍、あなた私を何だと思っているのかしら?
 こんな状況で冬眠できるわけがないじゃない。寝た振りに決まっているでしょう?」
「私が覗いたときにはイビキまでかいていらっしゃったような……」
「……演技よ」
「その次の日は、幽々子様の名前を呼びながら、口元からヨダレ――」

 バシッ

「――紫様、さすがに傘の先端で叩くのは酷いです」
「あなたがくだらない事に拘るのがいけないのですわ。
 まったく主の寝顔を堂々と覗くなんて良い趣味をしていますこと」
「……声だけじゃ起きないじゃないですか」
「何か?」
「いえ……なんでも」

 藍の頭の上に置いていた傘をゆっくりと退けながら、攻撃すら仕掛けてこない二人の客人へと向き直る。

「ごめんなさいね、こちらの家庭の事情でお待たせしてしまって。
 あなたがこの無謀な策を実行した主犯。そう思っても差し支えないかしら?」
「そう、この事件は私が起こした。
 今の世界に不満を持つ妖怪たちをまとめてストレスを発散させてあげたの。
 だからみんな楽しそうでしょう?」

 レミリアは、笑う。
 ただ、不適に笑う。
 笑う以外の行動がおもいつかなかったから……
 背筋を凍らせながら、無理やりに口元を歪めた。
 
 各個対処すれば、どうにかなると思っていた。狐の妖獣と同様に隙を付けばどうにでもなると。上手くいけば予想以上の条件を望めると思っていた。
 だが、現実は彼女を突き落とす。
 気配すら感じさせずいきなり現れ、溜めなしで攻撃を無力化する。そんな化物が目の前にいるのだ。

 それだけじゃない。
 レミリアと並んで宙を浮いていたパチュリーが言葉を失っていることから判断して、異常さが伺える。
 無口だからいつもと変わらない、そんな意見もあるかもしれないが……
 冷静なパチュリーが顔を青くして黙るなど、今まで見たこともない。

「……レミィ、逃げられる?」

 青くなった顔色のまま、パチュリーが敗北宣言とも取れる言葉をレミリアに耳打ちしてきた。
 けれどレミリアは答えない。
 境界を、空間の堺を弄れるということは、いったいどういうことか。それを嫌ほど理解してしまったから。そんな何も答えてくれない親友の側で、彼女は早口で言葉を続けた。まるで恐怖に駆られるかのように。

「……私が、気づかれないように張り巡らせた罠用の魔法陣が、一瞬で消されたわ。
 それにあの九尾を拘束したとき、逃がしても場所を特定できるような呪を込めたのだけれど……それもあの傘で解除された。
 あんな力技で消されるなんて……」

 つまり、レミリアの攻撃を無力化すると同時に、パチュリーの見えない魔法を解除したということになる。
 しかも力技ということは、スキマで無理やり魔法陣を引き裂いて……

「あらあら、私を目の前にして内緒話なんてずいぶん余裕ですこと。
 まだ何か奥の手でも隠していらっしゃるのかしら?」
「奥の手? そんなものは必要ない。
 だってそうでしょう? 私はあなたと争うつもりなど最初からないのだもの」
「ここまでしておいて、何をふざけたことを!」
「黙りなさい、藍」
「しかし――」
「私に二度も同じことを言わせるつもりかしら?」
「……もうしわけありません」

 それでも不満は残るのだろう。
 留守を任されているのに、ここまで自由にやらせてしまった自分の不甲斐なさと。
 怒りに任せて戦った結果、容易に攻撃を受けてしまったこと。
『その汚名を返上したい』
 そう訴えるように、紫の後ろに引き下がりながらもずっと金色の瞳をレミリアへと向けている。命令があればすぐその喉笛を掻っ切ると言わんばかりに……
 
「こわいこわい、ちゃんとペットは躾ておいて欲しいものね」
「ふふ、ご忠告感謝いたしますわ。
 では、そろそろあなたのお話を拝聴することにいたしましょう。
 ただし、私の眠りを妨げても良いくらいおもしろいお話であることを切に願うわ。あなたのためにも、ね」
「ええ、心配には及ばない。
 あなたがこの世界の中でバランスを取る立場にあるのなら、私の話はとても興味深いと感じるはずだもの」

 何もない空中で椅子に座るように足を組み、アゴを手の上に置く。
 そして威嚇するために放出していた魔力を抑え、パチュリーに『大丈夫よ』と小さくつぶやいた。虚勢を張っているわけではない、これは彼女なりの確信。
 紫という妖怪がこの事件を警戒して冬眠しなかったのなら……

 なぜ、起きる前に止めなかったのか。
 
 これだけの力があるのだから、自分に都合が悪いことなら必ず止めるはず。
 しかしそれをやらなかったということは、つまり。
 彼女にもなんらかのメリットがあるから――

「私が、この世界で無謀な騒乱を起こしたのは、後の穏やかな日々のため。そう言えばあなたに伝わるはず」
「うふふ、なんのことかよくわかりませんわ。それはどちらにとって、有益なものかしら。
 私たちの世界に波乱を引き起こしただけではなくて?」
「そうよ、私が引き起こしたこの事件のせいで、下級の妖怪たちは知るの。
 何人でかかっても、力ある妖怪たちには敵わないと。そうやって自粛し、無謀な行動を取らなくなればあなたとしては手が省ける」
「あらあら、それは素敵ね。最近頭にすぐ血が上る子たちも多くて」
「紫様……まさか」

 そこで、さすがに聡明な狐も気がついたのだろう。
 扇子で口元を隠している主人の真意、その一部を。
 
「それに私の有用性も気付いたでしょう?
 ああやって妖怪の一群をわずかな時間で騙し、群れを作り。一段となった行動を取らせる。
 この私、レミリア・スカーレットの能力を使えば、力の弱い妖怪など下僕にしか過ぎない。それをあの湖の周辺で発揮してやれば、あの辺りの治安は十分守られる」
「それを引き受けてあげるから、騒動を起こしたのはお咎めをなしにして欲しいとでも?」
「ええ、もう二度と直接的な力で幻想郷の中で暴れない。その条件を付け加えてね」
「あら、それは素敵ねぇ。
 あなたのような力を持った妖怪に暴れられたら正直困りますもの」

 その4人の真下に広がる焼け爛れた黒い荒野。
 夜が来る前は森だったはずのそこは、藍とレミリアの攻撃がぶつかりあっただけで姿をがらりと変えていた。命溢れる緑の場所がたった一瞬で。
 そして妖怪の山でも、文が少しだけ力を解放しただけだというのに……
 それは紫が一番恐れていること。

 力のある妖怪が同時に、複数の場所で暴れた場合。
 それが幻想郷に与える被害と言うのは恐ろしいものだから。
 だから『この程度』の異変など、それを約束できるなら小さいもの。

「でも、それだとあなたたちの束縛だらけになってしまうわね。
 そういう特殊な気のある人であれば、それで満足なのかもしれないけれど。
 もちろん、あるのよね? そちらが欲するものが」
「ええ、もちろん。一つは安定的な食料の要求。
 吸血鬼はどうしても人間を食べる必要がある、それでもあなたが作ったこの世界の決まりごとでは人里の人間を襲うのは不味いことなのでしょう?」
「そうね、あまり特定の妖怪を優遇するのも良くないけれど。
 あなたが大人しくしていると言うのならその条件を飲んでもいいわ」
「……ぇ?」
「……? 何を妙な顔をしているのかしら?」
「い、いえ、なんでもないわ少し埃が目に入った気がしてね」

 レミリアは呆気にとられた顔でしばらく口を開けていたが、慌てて表情を固くする。
 まさかここまであっさり快諾されるとは思っていなかったのだろう。
 説得する必要性があると思っていたのに、一言目で良いと言われて段取りが崩れてしまった。レミリアは誤魔化すように片目を擦ってから大きく息を吐く。次の要求こそが、彼女が一番求めているものだから。

「後一つ、私の館の周辺で家のものが問題を起こした場合、あなたは私の意思確認なしに動かないこと」
「あら、どうしてかしら? 問題児でもいらっしゃるの?」
「少し元気がいいだけよ、それ以外の何者でもない」
「そう、詳しく語らないまま。条件だけ飲めとは随分ですこと。
 それに、意思確認したところで私が危険と判断すれば手を下すかもしれないというのに」
「……構わないわ。
 それでも判断の基準くらいにはしてくれるのでしょう?」

 大切な家族。
 それでも、その少女は無邪気すぎて。
 純粋に、興味本位で力を使いたがる。
 だからもし彼女が少し力の使い方を間違ったとき、このスキマ妖怪がいきなり現れてこの世界からいきなり消すなんてことを言い出さないように。
 少しでも保険をかけたかった。

「……そうね。そこにいる魔法使いも無闇に破壊の魔法を使わないと言うのなら、その条件で飲んで差し上げても構いませんわ。ただし、館の周辺で何か起きれば自己責任で解決する。よろしいかしら?」
「ええ、交渉成立ね」

 レミリアが微笑むと、その後ろで大きく息を吐く音が聞こえた。
 もちろん、その息遣いはパチュリーのもの。レミリアと同様に張り詰めた緊張の中にいたため、安堵した結果もれてしまったのだろう。最終的な目的である二つの要求を飲ませたのだから、二人が仕掛けた妖怪たちの争いは結果的には敗北だが、彼女たちにとっては勝利以外のなにものでもない。
 そうやって淀んだ闇が晴れていく中で、何故か紫の後ろの式だけは一人不満を爆発させる。

「紫様、幻想郷の中の妖怪の作戦行動はほとんど鎮圧されていますが、一番影響のある人里を取り囲んだ妖怪はどうするのです。このままでは人里の中の反妖怪派を調子付かせるだけ、無駄に大きな勢力をもってしまうことになりますよ。
 こんな事態を安易に招いた妖怪をそんな簡単に許すなど! 愚の骨頂です!」
「藍、私情を挟んで判断を鈍らせるのはいけないと言っているというのに……
 その問題を解決すればいいだけの話じゃないの」
「む……わ、私は嫌ですからね! このような! 野蛮な吸血鬼の尻拭いをするなど!」
「誰もあなたにやれっていってないじゃないの……
 いつからそんなに気難しくなっちゃったのかしら」

 すっかりへそを曲げてしまった九尾は主に背を向けてそっぽを向いて、尻尾をぴんっと立ててしまっている。こうなってはてこでも動きたがらないかもしれない。そんな藍の反応を楽しそうに見守る紫の前で吸血鬼の少女は飛び上がり、満月を背にしたまま腕を組んだ。

「こちらの条件を二つも飲んでくれたことに感謝の意を込めて、私が排除してあげましょうか?
 人里の妖怪たちを」
「……あら? あの子たちはあなたのお友達になったのではないのかしら?」
「ええ、そうね。でももういらないもの。
 利用価値がなくなったものを友達とは言わないでしょう?」
「あらあら、素敵な持論をお持ちですこと」

 紅く染まった月の前で、レミリアは右手の中に小さな魔力球を生み出し。
 それを笑いながら握り潰す。
 その魔力球が何に見立てられているのかは明らかであるし、彼女の力なら十分それを達成できるだろう。確かに妖怪が今の人里を救ったという事実を残せば、反妖怪派の動きを少しは抑えることができるかもしれない。しかし紫はそれよりももっと、荒波を立てずに済む可能性を見出している。

 まだ、蕾のまま。
 咲くことすら畏れているようだけれど。

「そうね、それは最終手段にさせてもらおうかしら。
 もし時間があるのなら、少し一緒に見守りませんこと?」

 そう言って、紫は扇子を閉じ。
 それを人里の方向へと指した。

「人と妖怪、その両面を知るものの役割というものを」



 ◇ ◇ ◇



 ナンナノ イッタイナンナノヨ
 オトモダチッテ 
 トモダチニナッタラ タスケテアゲルッテ ソウイッタノニ

 その小さな妖怪たちは、中々うまくいかない作戦というものに苛立ちを覚え始めていた。
 最初は確かに、一人だけ子供を連れ去ることができた。
 それでも、その後がまったく続かない。
 しかも、連れ去りにいったはずの、自分以外の仲間すらも戻ってこないのだから。

 コマッタトキ タスケテクレルンジャナイノ?
 ダカラアノトキ タベモノヲワケテクレタンジャナイノ?

 力の弱い妖怪たちでも力を合わせればなんとかなる。
 そう言ってあの翼を持った妖怪は彼女たちを励ましてくれた。
 だからきっと、大丈夫だって信じて彼女たちは動いた。

 あの、小さな妖怪の――

 アレ?
 アレレ?

 そうやって、一生懸命悩んでいると。
 ふと、あることに気がついてしまう。
 気付いていけないことに、気がついてしまう。

 オカシイナ
 ワタシ
 
 アノコノナマエ シラナイ

 少女は、気付いてしまう。
 ある一つの可能性に。
 
 トモダチナノニ ナカマナノニ ナンデ?
 ナンデ ナンデ ナンデ……

 もしかしたら、自分たちは。
 友達なんかじゃなくて――
 もしかしたら仲間ですらなくて――

 アハ、アハハハ……
 アハハハハハハハハハハハハッ!
 
 単なる、彼女の別な目的の……
 『生け贄』
 その程度の意味しかないのではないか。
 だから、自分たちがこんなに困っていても、助けてすらくれない。
 
 ナラ、モウ……
 ヤクソクナンテ イミノナイモノダヨネ?

 だから彼女は、仲間たちを連れて。
 あの少女との約束を――

 合図があるまで待機という約束を破った。










「慧音、こっち! 早く!」

 先を行く少女が大通りから見える位置で周囲を探ってから、急いで手招きした。
 それを頼りに裏道から、また新しい裏道へと急いで駆け込む緑色の影。人里の中の妖怪はすでに追い払っており、厳重な警戒態勢が取られているのは東西南北の要所だけではあったが、それでも自警団の見回りはまだ続いているため警戒しての行動だ。
 そんな中を堂々とまた慧音が姿を見せると大きな問題になるので、妹紅は一箇所でじっとするのではなく。ある程度時間を置いてから何度か移動するという手段を取っていた。人里で顔の割れている妹紅や、女の子が周囲を警戒して安全を確認してから移動。それをもう何度も繰り返し。
 やっと寺子屋近くの裏路地まで戻ってくることに成功した。
 もしかしたら、慧音を捕まえに反妖怪派の誰かが見張りをしている可能性もあったが、妹紅が周囲を探っても人影すらなく罠の類も仕掛けられていないように見えた。

「やっぱり、外の妖怪たちが気になるんだろうね。こっちはもうどうでもいいってことか。
 それはそれで助かるんだけど……」

 慧音の立場の根本的な解決策にならないのが困ったところだろうか。
 今日をやり過ごしたとしても、こんな大きな妖怪の襲撃が人里の歴史に残らないはずがない。後々まで語り継がれ、人間と妖怪の対立の象徴として扱われるだろう。

「すまないな、妹紅。私がいままで隠していたばかりに……」
「いいんだよ、慧音。頭を上げて。
 それを隠しておきたかった理由、私もわかるから」

 自分も、もう人間という枠を外れている。
 妹紅は自分の手のひらをじっと見つめてから、慧音に気付かれないよう強く握り締めた。
 もう吐き気がするくらい、彼女の想いがわかってしまうから。

「そうだよ、先生は先生だから気にしなくていいの!」
「ああ、そうだな。私は、私だ。気付かせてくれてありがとう」
「えへへ……」

 そうやって、子供を撫でる姿は母親のようにすら見えるのに彼女の頭の上に角は彼女が人間でない証拠。
 迫害の象徴にもなってしまう。
 だから慧音はずっとそれを隠そうとした。
 この事件がおきなければ、ずっと。人里の中で人間として生きられたかもしれないのに。

「こら、妹紅。そっちが注意しておいて何を暗い顔をしているんだ。
 私なら、もう大丈夫。あれだけ涙を流したからもう気分は晴れやかだよ」
「そう、でもさっき難しい顔してたきがするんだけど?」
「アレは、すこし別なことを考えていたんだ。
 さっきあの兎の妖獣の……」
「ああ、鈴仙?」
「そう、彼女が使っていたあの幻というものを応用できないかと思ってね」
「そうなんだ。慧音ってそういう幻術系の能力でもあるわけ?」

 妖獣の多くは、相手を惑わす術を持っている。
 昔、妖怪退治の仕事もしたことがある妹紅はそんな知識を持っていた。妖怪より肉体に比重をおいた妖獣だからこそ、その身体能力の高さを有効活用するため『騙し』の技術がずば抜けているものが多いのである。
 だが、さきほど鈴仙の能力を見て驚いていたことから瞳で相手を惑わせるということもないだろうし、尻尾や体の動きで相手を騙すと言ってもあまり素早い身なりにも見えない。
 
 ――胸とか、動くのに邪魔そうだし。

「いや、恥ずかしいんだが……
 正直まだ私は自分の能力がどんなものか、わかっていないんだよ。
 あまり使いたくもなかったからね。歴史を集めたりするという部分では良く使っている。
 後は、妙に体が頑丈になる程度かな」
「へえ、歴史か。
 なら確かに寺子屋に向いた能力だね」
「ああ、最初はそれだけあれば、先生なんて簡単。そう思い上がっていた部分もあったが、今では毎日が勉強の日々さ」

 その歴史を集めるのと、鈴仙の能力の共通点がどこにあるのか妹紅にはわからなかったが。
 それでも慧音がその能力を知り、少しずつ前に進んでいこうとするのならその手助けくらいはできるかもしれない。

「じゃあ、その能力で試したいことがあったら私が実験台になってあげるよ」
「いや、しかし……」
「心配ないって、私も体だけは『頑丈』だから」
 
 妹紅は、頑丈という部分だけ口調を強めた。
 なぜそこをそんなに強調するのか、慧音にはまだわからなかったが、彼女にとってそれがなんだか重要なことだと察する。だからそれ以上は何も聞かず、ただ――

「ありがとう」

 感謝の言葉だけを返す。
 そうやって二人が微笑み会うのを女の子が不思議そうに見上げ――

 ――刹那


 ガンガンガンガンガン!!


 近くの物見櫓から、暴力的な金属音が響き始める。
 その音は、まるで……
 あのときの。

 妖怪たちが人里に迫ってくるときと、同じような音だった。

 その予想を証明するかのように、見回りをしていたはずの自警団員の多くが慌てて一方向へと走っていく。それに誘われるように……


 一人の、緑色の影が路地裏から駆け出した。





 ◇ ◇ ◇



 
「駄目よ、慧音」

 物見櫓から警鐘が鳴り始めたとき、妹紅は私にそんな言葉をぶつけてきた。
 だから私は、彼女に困ったような笑みを向けるしかなくなってしまう。
 よく見ているんだな、と。
 そんな驚きの感情を込めて。

「あなたさっきからずっと能力を使って、人里に妖怪がいないか探っていたでしょう?
 そんな疲労した状態で何かしようとしても、自警団の足を引っ張るだけよ」

 冷たい言葉で私の行動を戒めようとしてくれる。
 私が、一瞬だけ足に力を込めたのを察して。
 やめておきなさいと、そう教えてくれる。

「ああ、そうだな。
 確かに今の状態じゃ、私は人里に混乱をもたらすだけだ」
「そう、そういうことよ。わかってるのならもう今日は休みなさい。
 妖怪たちは私がなんとかするから」

 そう言いながら、彼女は両腕に炎を巻きつける。
 その膨大な妖力からして、彼女ならそれも可能かもしれないと思えてしまうが……
 それでも、彼女一人で一団となった妖怪を一人も人里へ通さずに撃退するというのは難しいだろう。そうなれば必ず誰かが犠牲になる。
 また、この女の子のように涙を流す人が増えてしまう。

 妖怪を憎む人が、増えてしまう。

「うん、わかったよ。妹紅私はここを動かない。
 だから。お願いがあるんだが……」
「ん、どんなこと?」
「寺子屋の横の私の家。その机の上に帽子があるから、それを――」
「持っきて欲しいの? わか――」

 ドンッ

 すまないな、妹紅。
 私はそんなことを心の中でつぶやいて……

「……子供たちに、返してあげて欲しい」  

 彼女の腹部に叩き込んだ腕をゆっくりと戻す。
 そんな私の行動が理解できなかったのか、少女はその場で固まったまま何もできないでいた。

「慧、音……なにを……」

 ただ、妹紅の責めるような瞳が私の胸に突き刺さる。
 崩れ落ちそうになる体を、どこかに持っていかれそうになる意識をその場に繋ぎ止め。私に向けられるその真剣なまなざしが――

 いままで経験してきた何よりも痛かった。
 深く、深く――
 私の心を突き刺してくる。

 でも、私は試したい。
 もしも、それは馬鹿げだことで成功しないかもしれないけれど、もし私の力が歴史を見ることだけでないのなら、出来るはずだから。


 だから私は、地を蹴り。
 獣の姿をしたまま大通りを駆け抜ける。
 その途中。自警団員を追い抜いたとき、私の姿を見たものが――

 妖怪がいる。
 化物がいる。

 そう口々に私を指す。
 人と違うものがまだ人里に残っていると。
 退治するべきだと口々に言う。

 でも、もう私は止まらない。
 何があっても止まるつもりはない。
 足があればいい、考えられる頭が残っていればいい。
 腕でも、角でも、何本でも犠牲にしてやる。

 そんな思いで、人間たちの合間を駆け抜けていく。
 そうやっている間にも段々と警鐘の音は激しく、大きくなり続け。

 不意に――

 私の脚が止まる。
 前に進みたいのに、足の裏が地面に縫い付けられてしまったように動かなくなる。今前に進まなければ間に合わないのに、まだ間に合うというのに。
 その不可思議な力は、淡い青の光を発しながら私を円状に包み込んでいく。

 これは、結界。
 妖怪の行動を制限するもの。
 きっと私を取り囲む誰かが、使ったものなのだろう。
 外の妖怪よりも先に私を滅ぼそうと。
 身近な人間たちの敵を先に倒してしまおうと。

 だから私は必死に懇願した。
 
 今夜だけでいい。
 私を自由にして欲しい、と。
 もう二度と人里には近づかないから、私を行かせて欲しいと。

 それでも――やはり、人間たちは信じてくれない。
 逃げるつもりなのだろう、と。
 また舞い戻って人里を襲うつもりなんだろう、と。そんな当然の感情のまま私に妖怪退治用の札を向けてくる。その札はもっと別な使い道があるはずなのに――

 もし私が失敗したときの、保険として残しておいて欲しいのに――

 人間たちは私に、それを使おうとする。



 やはり妹紅の言うとおりだった。
 この姿のまま信じてもらえという方が無理なのだから。
 今の私が何を言っても、化物の戯言でしかない。
 きっと、さっきまでの私ならもう諦めていた。
 もう無理なんだと、諦めていた。

 でも、決めたんだ。
 
 もう諦めないと決めた。
 自分からは、決して希望を手放なさないと――
 そうやってもう一度体に力を込めた瞬間。

 私の体が軽くなる。 
 
 その薄く光る、青い円柱が消えたから。
 驚きながらも、それを見逃さず私は地を蹴った。そうやって逃げることなど予想していなかった人間たちの包囲網は軽く飛び上がるだけで簡単に突破できた。
 そうやって空中で体勢を整えようとしているとき、視界の隅に何かが映る。

 誰かが、同じ自警団の胸倉を掴み――怒りをぶつける姿が。

 お前が優先するべきは里を守ることか!
 それとも、目先の欲求を満たすことか!
 今は一匹の妖怪に結界を使っている場合じゃないだろうが!

 怒鳴り声を上げる、男の声が響いてきた。
 その声は、妹紅の友人の一人の。喜助という男の声に似ている気がして――
 
 私は、胸が熱くなる。

 やっぱり私は人間が大好きだ。
 それを再確認して、最後の一歩を踏み出す。
 人里の外へ向けて、迫る妖怪の群れに向かって躊躇わず進み。

 まだ使ったことのない能力を解き放った。







 彼女たちは、愕然とした。
 目を疑い、
 行軍を止め、
 何度も、何度も目を擦る。
 しかし何度瞼を上げてもその光景は何も変化しなかった。

 そこにあったはずのもの、絶対に動かすことができないものが。
 まるで蜃気楼のように消えてなくなってしまったから。
 そしてそれと時を同じくして現れた一人の奇妙な妖獣。
 
 マタ アンタナノネ

 その化物の姿を、妖怪の群れの一人は知っていた。
 人里の中で自分を妨害した、憎らしい妖怪。 
 人間を食べず、人間に味方する。馬鹿なヤツ。
 彼女は動揺する仲間たちの問いを代弁するように、二本の角を持った妖獣へと近づく。

 ヒトザトニ ナニヲシタノ?

 彼女が何かしたのは間違いない。
 それでも何をしたのかわからなかったから、少女の姿をした妖怪は問い掛ける。
 慧音の背中の方にある何もない平原――
 確かに人里があった場所を見つめながら。

「悪いが、少しだけ歴史をいじらせて貰った。
 この場所には確かに人里はある。でも妖怪の歴史の中では、ここに人里はないんだよ」

 ナニヲ イッテイルノ?
 ココニアッタハズ ワタシタチノタベモノガ ココニアッタハズ!

「なるほど、そうやって焦るところを見るとなんとか成功したようだな。
 お前たちにはまったく里の様子が見えない。
 そういうことだな?」

 ワカッタ 
 ヨクワカラナイケド ワカッタ
 マタ アナタガ ワタシノジャマヲシテイルノネ! 

 まったくその場から動こうともしない慧音を前に、妖怪たちが身構える。
 きっと彼女を倒せば、人の里を襲うことができる。
 それだけを理解して……

 月明かりの下、一瞬だけその月が雲に覆われた瞬間。
 妖怪の中から二つの影が飛び出し、一気に慧音に迫る。
 飛びながら爪を伸ばし、左右から一気に。
 それでも彼女は動かない。

 足を動かさないまま、その攻撃を――
 大木すら紙のように切り裂くその爪を二の腕で受け止め――

「っ!?」

 驚きで動きの止まった妖怪の体に一発ずつ。
 妖力を込めた拳をめり込ませた。そのたった一回の攻撃で、二体の妖怪は風に散らされる木の葉のように軽々と吹き飛ばされ、地面を転がされた。
 その姿を見て、残りの妖怪たちは一歩身を引く。

 今の攻撃が、彼女にまったく効果がなかったから脅えたというわけではない。
 現に慧音が攻撃を受けた二の腕から肩にかけては服も破れ、血が滲んでいる。
 だから攻撃は効果がある、その証明になったはずなのに――

 また一歩、妖怪たちはその身を後退させた。

 彼女が、痛みも何も訴えず。
 ただその場に立っていたから。
 燃えるような赤い瞳で、彼女たちを睨みつけていたから。
 向かってくるのなら、容赦しないと。そう訴えていたから。

 タッタヒトリ!
 ミンナ アイテハタッタヒトリナノ!

 自分を奮い立たせるために、そして仲間を束縛から解放させるために少女の姿をした妖怪は声を張り上げた。
 そしてその少女に呼応するように、十近い妖怪たちが一気に彼女の元へと群がっていく。
 一人は腕、一人は脚を。
 飛び込むと同時に掴み動きを封じようとして、振り払われ――
 しかしそこに新たに二つの影が襲い掛かって、慧音の胸と太腿を爪で浅く切り裂いた。それでも彼女は悲鳴すら上げず淡々と拳を振り上げ、その妖怪の後ろから迫ってきていた者へと向けて弾き飛ばした。仲間の妖怪のせいで進行を鈍らされ、連携の取れなくなった妖怪たち。
 バラバラに襲い掛かることになった三体が次々と殴り飛ばされていく中で、その隙を付き二体の妖怪が彼女の腕と肩に噛み付く。
 
「――!?」

 これにはさすがの彼女も一瞬痛みに顔を歪めるが、それでもその場で体の向きを変え――
 肩に噛み付いたものを地面に叩きつけ、
 もう一匹の腕に噛み付いたヤツへは頭の角を向けた。
 そんなもので突き刺されてはたまらないと、妖怪が間合いを取ろうと口を離したところで、
 慧音は大きく、その身を反り返らせ――
 
 頭突きを放つ。

 空気を震わせ、轟音と共に吹き飛ばされた妖怪。
 その体は地面を三回ほど跳ねてから、ぴくりとも動かなくなる。
 
 仲間があっさりとやられていく。
 残る妖怪たちは慧音に飛び掛る体勢のまま身を固め、悲鳴を上げた。

「大丈夫だ……命までは奪ってはいない……」

 一連の攻防で傷を負い、肩を上下させながらふら付く彼女に余力なんてまったく残っていないように見えるのに……
 それでも手加減したという。
 その証拠に、最初に攻撃を加えた妖怪がよろよろと身を起こして――

 ヒッ!

 慧音を見た瞬間、大慌てで逃げ出してしまう。
 これは攻める好機だというのに。
 あの妖獣を倒して、人里を元に戻し、そして人を襲う。
 千載一遇の機会を見逃すなど――

 モドリナサイ! 
 アナタタチ!

 それでも、逃げ出す。
 何度少女が声を張り上げても仲間は逃げ出してしまう。
 まだ攻撃すらしていない二十を越える仲間が、蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまう。
 仲間なら、協力してくれるはずなのに。
 本当の仲間なら……こんなところで逃げ出さないはずなのに。

「……いま逃げるなら私はもう何もしない。だから今夜は引き上げてくれないか?」

 その場に残されたのは、慧音と。
 その妖怪だけになっていた。

 だって、そうだろう。
 人里の姿を消すということをやってのけた、よくわからないが凄い存在。
 そんな化物に何も情報を得ないまま攻撃し続けろという方が無理な話。
 それがもし本当の、心を許せる仲間であったならまた違う局面になっていたかもしれないが。
 
 ただ、共通の『餌』という利益に目が眩んでいただけの者達に対しそれを期待するだけ無理というもの。

 ナニヨ ナニヨナニヨ!
 モウシラナイ! モウドウナッテモシラナイ!

 自棄になったように地面を踏み鳴らてから、最後に残った一人がその場から離れていく。


 ――おわった、か。

 
 慧音は視界から何もいなくなったことを確認してから胸を撫で下ろすが、気を抜いたせいで全身の傷が急に疼きだしてしまう。特に何度も攻撃を受けた腕などは……

「はは……ハクタクの再生能力でも、これは厳しいか」

 まだ持ち上がろうとすらしてくれない。
 もしあのとき、恐怖で妖怪たちが引いてくれなかったらと思うと、正直ぞっとする。
 妖怪たちに全身を切り裂かれ、人里を襲わせることになったかもしれないそう思うだけで、脚が小さく震えてしまう。しかし結果は結果だ。

 なんとか人里を守りきれたことには変わりない。
 
 とっさに思いついた、人里を隠すという方法もうまくいった。
 後は、この隠した状態を元に戻せばいいわけだが――
 こんな傷だらけの姿を晒せば、いらぬ誤解を生んでしまうかもしれない。
 回復するまで身を隠すため、体を引き摺る様にその場から逃れようとしたとき。

 アハハ アハハハハハハッ

 狂気染みた笑い声が周囲を覆いつくした。
 その声は先ほど引いたはずの妖怪の声。

「く、そんな……」

 それが十人ほどの仲間を引き連れて戻ってきたのだ。
 
 ドウシタノ?
 スゴクツラソウネ フフフ ヤッパリガマンシテタンダ
 ソンナボロボロで モウナニモデキナインデショウ?

 しかも弱った慧音の動きも知られてしまっている。
 なんとか右腕は少しずつ動くようになってきたものの、再度波状攻撃を加えられたら耐えられる自信はない。慧音はふぅっと息を吐き、覚悟を決めたように瞳に力を宿す。

 が――

 妖怪の一人が手にしたものを見て、震撼した。

 
 その手の中にあったのは、本当に幼い。
 まだ歩き始めたばかりと言うような人間の子供。
 おそらく人里の襲撃のときに攫われたのだろう。
 その抵抗すらできない存在に対し、一人の妖怪が鋭い爪を向けているのだ。


「人質か……そんな無抵抗な子供をこんな場所に連れてきてまでお前は……
 お前と言うヤツは……」

 ヒトジチ~?
 ハハハハハッ チガウヨ? ナニイッテルノ?
 アンタニソンナモノ イラナイジャナイ
 スグニデモ タオレソウナ アナタテイドニハネ!

「じゃあ、何のためだというのだ……
 人質として使わないなら、早く解放しろ!」

 フフ? ダカラ 『ナニヲイッテイルノ』?
 ワタシタチガ ニンゲンヲドウスルノカ
 ソンナモノ サイショカラキマッテイルワ

 妖怪が、人間に対してやる。
 最初から決まっていること。
 慧音はその行為に心の奥底から脅え、髪を振り乱しながら妖怪に懇願する。

「っ!? ま、待て! やめろ! やめてくれ!」

 アハハ ソノカオダヨ
 ソノカオガミタカッタ!
 ワタシヲバカニシタ アナタノ ソノカオガネ!

「お願いだ! 私をいくらだもいたぶってくれて構わないから、その子だけは――」

 声を震わせ、訴える慧音に妖しい笑みを浮かべたまま。
 その妖怪は子供を抱える妖怪に――

 タベテイイヨ♪

 そう、一言だけ告げた。
 すると眠るように、瞳を閉じた子供の首筋へ向けてその牙が襲い掛かり――

「ああ、あああああああああああ!!」

 紅い、鮮血の華が、月明かりの下を彩って――



 その血に誘われるように、一人の獣が 『覚醒』した。




 ◇ ◇ ◇




 世界が、叫んでいるようだった。
 幻想郷が軋みを上げ、喚き散らしているような。
 そんな違和感すら覚えた。
 たった一人の人間の子供が命を失う。
 そんなもの世界にありふれているはずなのに、世界はそれを認めたくないと泣く。

 いや、泣いているのは世界ではない。

 その事実を認めたくないものが――
 歴史を認めたくないものが叫ぶ。
 
『自分のために、人間が犠牲になるなんてあってはいけない』

 そうやって獣は吼える。感情を世界にぶつけるままに。
 大地を震わせ。
 空を歪ませ。
 その場の全てを捻じ曲げてしまうような、そんな異質な声だった。

 その声が終わるまで、妖怪たちは身動きを取ることすらできない。
 まるでその妙な気配に魅了されてしまったかのように、動くことすらなかった。そしてその中で一番最初に我に返った一人の妖怪が、手元の違和感に気付く。

 さっき噛み付いたはずの、女の子が自分の腕の中から消えている。
 あの声にやられて取り落としたのか、そうやって足元を見ても何もない。
 一歩も、指の一つも動かしていないのだから、近くにないとおかしいのに……

 そうやって妖怪が周囲を探ろうとして。
 ぺたんっと、その場に力なく座り込んでしまう。

 ナ ナンナノ ドウイウコト

 その人間の女の子は、確かに視界の中にいた。
 けれど、その位置がおかしい。
 女の子は先ほどまで妙な声を上げていた慧音という獣の後ろに、横になっていて。

 安らかな寝息を立てている。

 首筋に傷などなく。
 笑いながら、眠っている。
 だからその妖怪も釣られるように笑った。
 乾いた声で、必死に笑った。

 妖怪に生まれて、こんな感情を味わったのは初めてだったから。
 何が起きたのかすら、知覚できない恐怖。
 それを一言で表現するなら――

 『悪夢』

 さっきの柔らかい首筋に牙を通した感触が残っているのに。
 女の子から体温が消えているのが、はっきりと感じられたのに。
 現実はそれを否定する、そんなものはなかったと。
 
 お前の見たものは幻だと。

「……やっと、理解したよ。
 ハクタクの力というものを……」

 ドクン……

 世界が脈を打つ。
 生命体ではない世界が、息吹を与えられたかのように大きく揺れ動く。
 慧音がその傷ついた右手を上げただけなのに、世界はまるで喚起の声を上げるように姿を変えようとする。

「なんて傲慢な力だろうな、自分が望まない歴史を否定し作り変える。
 こんな場面にならないと理解できないとは、はは、なんと未熟な……」

 それだけ、口にすると。
 慧音は取り囲み続ける妖怪を一人ずつゆっくり眺め――

「状況が変わった、今のお前たちでも理解できるだろう?
 お願いだから、引いてくれないか」

 少しずつ体の傷は癒えているように見えるが、まだ満身創痍に近い状況。
 そう見えるのに、彼女の言葉には説得力があった。

「今の私は、少々興奮していてね。手加減できそうにないんだよ」
 
 そう宣言してから、子供に噛み付いた妖怪を睨みつけると彼女は腰を抜かしたまま這うように逃げていく。
 それでも維持になった残りの妖怪たちは、奇声を上げながら慧音に飛び掛かる。
 強がる妖怪を一撃で仕留めるために、ほとんど全方位と言ってもいいくらいに九体の妖怪たちが押し寄せる。それでも慧音は動かない。
 一歩も動かず、わずかに右手の指を動かしてやるだけ。
 そんなふざけた動きをする腕から千切り取ってやろうと、二体の妖怪が爪を振り下ろすが。
 
 すぅっと、その爪が慧音の体をすり抜ける。
 他の妖怪たちも状況は同じようで、いくら彼女を攻撃しても感触がない。
 当たっているはずなのに、なんの手応えもない。

 混乱したまま、何が起こっているのかもわからず一度距離を取り、仲間に意見を聞こうと一人の妖怪が隣を見たとき。何故か、そこには今にも消えてしまいそうな。
 ほとんど透明になり、輪郭だけが残る仲間がいた。
 その横も、またさらに横も。

 いや、すでに消えてしまったものもいるかもしれない。
 だってもうその場所には五体の妖怪しかいなくて、元からいたかずと差し引きすると――

 アレ? サイショ ナンニン イタンダッケ……

 記憶が、ない。
 五人だけのはずがない、頭で理解しているのに思い出せない。
 だって、その自分の両手も、すぐに消えてしまいそうだったから。

「妖怪というものは、信仰やそこにいるという認識によって、生かされている。
 精神の部分により多く比重を置いた生き物なんだ。
 だからお前たちの歴史から、最初の認識を消してやればどうなるか。
 歴史が、お前たちという妖怪がいなかったと否定すればどうなるか。
 その結果を見せてやろう」

 キエル
 ワタシガ キエル

 イヤダ キエタクナイ
 キエタクナイヨ ダレカ ダレカタスケテ!

 空気に溶けるように消えていく仲間たちと、自分の手足。
 それを涙を溜めた瞳で見つめながら、妖怪は意識を失っていき――

 ……エ?

 気がつけば、またあの場面。
 一人の妖怪が逃げて、残り九人の妖怪で慧音へと向かっていこうとする場面。
 混乱したまま仲間の顔色を伺うと、その表情に戦意というものは欠片も残っていなかった。ただ混乱して、自分の体があることに安堵しているだけ。
 そんな彼女たちに追い討ちをかけるように、慧音は静かな口調で告げる。

「次は、本当に消すぞ?」 と――
 
 もう、意地を通せる妖怪などその場にはいなかった。
 我先にと慧音に背を向け、ただひたすらに逃げるだけ。
 格の違う、目覚めてしまった化物から、死に物狂いで距離を取ろうとする。

 
 そんな妖怪たちに向け、ゆっくり吐息を漏らしてから。
 彼女は最後の仕事に取り掛かる。

 この事件と、人里の思い出を消すために――








「……紫、様? これが、あなた様の……」

 ドクン……ドクン……

 再び世界が脈を打つ。
 また大きく歴史が改編されようとしているから。
 そんな中、九尾の狐は自分の判断が全て間違っていたのだと気付いた。もし最初から、自分の主がこれを狙っていたのなら、自分はなんという道化なのだろう、と。
 今まで感じたことのない力の奔流に、動揺を隠さないまま主に問いかける。

「そうよ、藍。
 あなた、あの慧音という子のことを随分と下級の獣のように扱っていたけれど。
 それは大きな間違いなの。あのハクタクという妖獣の力はね。国を、世界を統治しやすいように歴史を集め……
 都合のいいように、歴史を組み上げて平穏を作り出す。
 言わば、傾国の九尾であるあなたと対になるような存在。
 その存在が――
 あなたと同程度か、それ以上の力を有していないなんて、不自然でしょう?」

 紫が人里の監視はしろと藍に命じたのに、直接手を下せと命令しなかったのは……
 指示する必要がなかったから。

「彼女が、本当の意味でハクタクの力に目覚めるのなら。
 人里の安全は守られる。
 一番管理に苦労する場面を、勝手に静めてくれるのよ。
 それはとても素晴らしいことではなくて?」
「それが、紫様の望んだ。
 私たちの、八雲の者の操り人形ではない、人里の姿……」
「ええ、あの力であれば、人と妖怪のつながりを深めることもできる。
 反妖怪派を静めることもできる。
 一つの布石が、いくつもの効果を勝手に生み出してくれるんだもの。こんな楽しいことはないわ」

 これが自分たちが相手にしようとしていた、妖怪の深さ。
 それを見逃すことなく観察したレミリアとパチュリーは、挨拶をすることもなく自分の居場所『紅魔館』へと戻っていった。

「……しかし、紫様。
 あの妖獣は、もう人里に戻るつもりはないのではないでしょうか。さきほどスキマで覗き見をされていたところではそのようなことを口走ってたような」
「そうね、そうなると。新しく人里を丸く治めてくれる人を探さないといけないわね♪」
「…………む」
「あら、どうしたの藍、難しい顔をして」
「まだ何か、私に隠していらっしゃいますね?」
「あら、そんなことありませんわ」
「紫様がそういう軽い口調のときは絶対何かあるって相場が決まっているんです!
 もうこの件で騙されるのは嫌なんですから!」
「もぅ、いつからそんなに堪え性のない子になってしまったのかしら?」

 そう言って、にじり寄って来る藍から逃げるように身を翻すと。
 扇子を口に当てたまま、くすくすと声を漏らした。

「欲望とは、とても恐ろしいもの。
 人間でも妖怪でも、簡単に抗える者ではありませんわ」
「……え、あの紫様?」
「後は自分でお考えなさい。
 幻想郷の治安が回復すれば、あなたもそれくらいの時間はできるでしょう?」
「ああ、もう! ゆ~か~り~さ~ま~!!」

 そうやってスキマを開け、逃げるように消え去る主人。
 それを慌てて追いかけ藍がスキマに飛び込む。

 その場に残された、傾きかけの満月だけが、相変わらず幻想郷の中を照らしていた。
 
 


 ◇ ◇ ◇




「おー、見事に晴れたなぁ」

 妹紅は、寺子屋の窓から空を見上げ。
 眩しい日差しに思わず手の平で傘を作る。
 満月の日と、その次の日。危ないから外出禁止とされている期間が終わり、子供たちがやってくる朝。彼女は新しく赴任した寺子屋の先生と一緒に部屋を掃除していた。

 たった、二日日間。
 そんな短い時間しか、経過していないのにわずかに埃が溜っている場所を見ると時間の早さを感じさせる。
 前任者の先生がきたときは、まだ紅葉が始まった頃だと言うのに、もう人里はうっすらと雪化粧をする季節。屋根に積もった雪を見ていると、もうすぐ雪合戦を始める子供たちの様子が浮かんでくるようで――

「寒くなるけど、子供たちが元気になる季節だよね。
 ねえ、せんせ~? あれ? お~~~~い! どこいったー」

 さっきまで一緒に教室を掃除していた、青い服を着た女性の姿が見えない。
 窓から離れ、長机の並ぶ中を見て歩いてもどこにも姿が見えない。
 忘れ物でも取りに帰ったかなと、廊下を見ても姿はないし、玄関を見ても靴が綺麗に並べられている。どこにいったんだろうと再度教室に戻って、教卓の方を見ると――

 何か、一度見たことのあるような、青い饅頭がはみ出していた。

「……えーっと、慧音?」
「いや、私は妖怪青ぼたもちだ」
「それ現実にあったら気持ち悪いだけなんだけど?」

 新しく人里に赴任した、上白沢 慧音。
 それが何者か、それを妹紅はよく知っている。

 あの満月の夜、彼女は人里の自分の記憶と、人里が妖怪の群れに襲われたという歴史を作り変え、人と妖怪が共に歩めるように、わずかな修正を行ったという。
 それが彼女の中の獣、ハクタクによるものらしい。

 そうやって全てを消してから、傷だらけで戻ってきた彼女を知るものは誰もいない。
 唯一つ、一人の例外。
 藤原妹紅の記憶をハクタクは消さなかった。
 だって、彼女が願ったのは人間の記憶を消すことだけ。
 すでに人間の枠を逸脱した妹紅には適応されなかったということだ。

 もし、慧音のことを誰も知らなかったら、彼女は人里の近くで誰にも知られずに生きようとしたに違いない。
 誰かに知られてもすぐ歴史を消して、自分がいなかったことにする。
 そうやって逃げるように暮らして、人里を守っていきたいと。

 でも、妹紅はその案に首を横に振る。

 誰もあなたのことを覚えていないのなら、もう一度最初からやればいいと。
 自分が納得いくだけのことをもう一度やってみなさいと、彼女が言う。
 すると彼女は、控えめにそれでもしっかり頷いた。
 知っている人に、知らない人扱いされるのは確かに辛そうだったけれど。それでも慧音は笑っていた。

 初めて人里に来たときよりも魅力的に。心から笑っていた。

「……で、どうしてまた机の下なわけ?」
「いや、違うんだぞ。妹紅。
 別に怖いとか、そういうことではないんだ。
 ちょっと筆が落ちてしまってねそれを拾っている間に――」
「拾っている間に?」
「ちょっと詰まってしまって……」
「……太った?」
「うう、面目ない……」

 確かに最初ここに来たときの彼女は、今よりも大分やつれていて顔色もよくなかった気がする。そんな小さな違いを思い浮かべて自然に笑みを浮かべながら、妹紅は慧音の後ろに回り思いっきり腰を引き抜く。
 がたんっという小さな音を残し、出てきた彼女の頭には――


 初見では帽子に見えない、奇妙な物体が。
 小さく自己主張していたという。




 【終わり】
 読んでいただきありがとうございました。

 慧音が幻想郷に入ってきた妖怪だったら。
 そのイメージで書き上げた作品でしたが、やっと書き終えることができました。

 5作品あわせると、もうあれですね。
 200k越えるんですね、、、いやぁ。書きすぎたかな、これ。

 というわけでもしよろしければ。
 作品集92:人間らしく、妖怪らしく 序
 から読んで頂けると個人的に小躍りしちゃいそうです。

 では、ここまでお読みいただいた方々に再度感謝の言葉を申し上げまして、
 あとがきとさせていただきます。

 ご意見、ご感想あればよろしくおねがいいたします。
pys
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コメント



0.1590簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
あぁ、このお話も幕を閉じましたかーーお疲れさまです
ハッピーエンドで寂しいのは、村の子供達にこの記憶がないから、でしょうか?
でもあの帽子の中に、子供達のこの歴史がつめられているんですね。
慧音の、妹紅の、紫の、レミリアの、文の、鈴仙の、
自警団の人々の、大人達の、子供達の、なもなき妖怪達の、
いろんな想いが触れあい、ぶつかり合い、すれ違いあいながら
それぞれの道を進んでいて、そんななかで歴史の欠片を紡いだ物語。
何度でも読みなおしたくなる素敵なお話でした。
10.70名前が無い程度の能力削除
面白かった。色々と考えさせられるところも多かった。

ただ、何といいましょうか……
「序」の頃のほのぼの日常路線のままだったら、もっと面白かったかなぁと思うのです。
15.100名前が無い程度の能力削除
ふわぁ・・・、これ深夜に読むものじゃないですね。夢中になって読んで気がついたら
1:30です。明日平日だよっ!? それでも読んじゃうくらいいい話でした。この作品を書いた貴方にありがとうを送りたい。
18.100名前が無い程度の能力削除
いやぁ久しぶりに夢中になる物語でしたよ。
少し寂しさの残る結末したが、面白かったです。
200kが書き過ぎなんてとんでもない。
もっとやれ
19.100名前が無い程度の能力削除
シリアスにむかっていく展開がよかったです
出来れば次はほのぼのもお願いしたい
22.100名前が無い程度の能力削除
もっと評価されるべき
25.100名前が無い程度の能力削除
終盤にかけて加速度的にひきこまれました。こんな紆余曲折があると考えるのも楽しい。
書きすぎ、ということはないと思います、個人的には丁度よく。
勢いのある、面白いお話でした。
40.無評価名前が無い程度の能力削除
歴史を消すことで人里を認識できないようにした。しかし、人里の存在そのものは覚えていた。なら、歴史を書き換えても事実そのものをねじ曲げることは到底できそうに無さそうだがな。記憶を書き換えることすらできていない。つまり、この作品内の描写考えると、『人里の歴史なんてないはずだから見えるわけがない』と自己暗示に誘導して認識をごまかす程度の使い方しかできないだろ。