Coolier - 新生・東方創想話

『幻想に生きた大男の話。』(前篇)

2009/12/08 23:10:39
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 周りを見れば、早足で歩く人間が数百人。
 一人一人違う表情をしているが、どの人間も共通しているのは「急いでいる」ことだろう。
 何に急いでいるのか分からない。
 でも、その光景を見るたびにこう思うのだ。
 
――何をそんなに生き急いでいるのだろうか?

 もしかしたら、生き急いでるわけでは無いのかもしれない。
 ただ、今目の前にある物だけのために自分の足を精一杯動かしているのかもしれない。 
 その後には何が待っているのだろうか?
 もしかしたら、その後にはゆっくりとした生活が待っているのかもしれない。
 しかし、次の日もその次の日も――いつも見えるのは早足で歩く人間ばかりの光景である。

――本当につまらない。

 自分は目の前の光景にそれしか思い浮かべられない。
 しかし、自分が彼らを愚弄する権利があるのだろうか?
 現実から逃げ、職を失い、家族を失い――自分に残されたものなど何もないのに。
 自分の姿を見降ろしてみる。
 両肩までかかる長髪は何日もまともに洗わず傷みに傷み、たまに公園で水浴びをするだけの身体は不健康な色合いを肌にうつし、服はくすんだ灰色の屑が全体にくっ付いていた。
 その自分の周りには段ボールの山が積み上げられ、生活感の感じられない『家』がそこにはあった。
 誰もが自分をそこにはいない存在とみなし、自分の周りだけぽっかりと空いた空間が広がっている。

――俺は、こんな世界にいても……誰も受け入れてはくれない。

 そして、目の前の世界から逃げるかのように目を閉じた。
 誰からも忘れ去られ、見捨て、見捨てられ……生きることにとうとう疲れてしまったのかもしれない。
 自分は周りとは違う、もうあんなに急いで歩くこともできない。
 その権利すらも……無い。
 それを実感してしまうと、目の前に広がるくだらない世界が、手が届かないほど遠くにあるように思えるから不思議である。
 だから、自分はつい甘えたくなってしまったのだ。
 こんな俺も受け入れてくれる場所はあるのだろうか――いつからかそう思い始めたのである。
 そんな場所はあるはずがないと昔から気付いていたはずなのに。
 それでも、しばらくして目を開けてみると……そこには人間も何もない、ただ真っ白な世界が広がっていた。

――――?
 
 突然の出来事に、何が起こったのか理解が追い付かない。
 いや、理解するほうが無駄なのかもしれない。
 とりあえず周りを見渡してみる。
 自分の『家』も無い。
 それよりも、見下ろしても自分が見えない。
 手を握る感触はある、しかしその自分の手が見えない。

――ハハハ……。

 とうとう自分は世界から見捨てられたらしい。
 生きる者の異物として捉えられたのだろう。
 死ぬ権利すらも奪われたように感じられた。

――もう、俺は俺じゃなくなった……。

 聞こえない、話せない、臭いが無い、何も感じない、何も――自分というものが分からない。
 それなのに……自分の声すらも気こえないのに、『女』の声が不釣り合いなぐらいはっきりと――真っ白な世界に響いた。

「貴方は、誰からも忘れられてしまった」
――前から分かっていたことだ。

「もう、あの世界に貴方の居場所はどこにもない」
――そんなこと……前から分かっていたことだ。

「貴方は、貴方を受け入れてくれる世界があると言われたら――信じるかしら?」
――そんな世界……あるわけがない。

「どうしてそう思うのかしら?」
――俺はもう、俺では無くなった。

「なら、生まれ変わりなさい。幻想に生きる人間として、幻想になった人間として」
――俺に居場所をくれるのか?

「私の愛する幻想郷は、全てを受け入れ、愛し、認めてくれる世界よ。居場所が無いほうが不自然だわ」
――――……。

「だからおいでなさい。そして、幻想に生きる者として恥じない新しい人生を歩みなさい」
―――――――…………。

 そして『大男』は幻想郷へとやって来た。



―◇―



 朝、目を覚めると俺は自室に横になっていた。
 窓から入ってくる風が心地いいが、今日も寝汗を少しかいていたので多少の気持ち悪さもある。
 軽く身支度を済ませた後、キッチンへと向かうと妻が家族の朝食を作っていた。
 妻に「おはよう」と声をかけ、妻も「おはよう」と返してくれた。
 新聞を広げて他愛もないニュースを読んでいると、今度は後ろから娘が「おはよう」と言ってくれた。
 そして俺も「おはよう」と娘に返し、その頭を撫でてあげた。
 その間に妻が机の上に朝食を並べ、家族三人席に着いた。
 そして皆で「いただきます」と言った後、娘の嬉しそうに話す言葉に耳を傾けながら朝食を口へと運んで行く。
 そんないつも通りの……当たり前の朝の風景。
 この生活が、これからも永遠と続くと俺は信じて疑わなかった。



―◇―



 とても遠い昔の夢を見ていた気がする。
 それは懐かしく、心地よく、それでいて自分の全てだったと思う。
 しかし、その夢の内容がよく思い出せない。
 何か喪失感が胸の中に広がっているが……思いだそうにも、中々脳は動いてくれない。
 ふと身体のの周りを見てみると、どうやら俺は布団の上に横になっていたらしい。
 見上げるとそこに見えたのは、古びた板の敷き詰められた天井。
 所々黒い染みが見え、お世辞にもきれいとは言い難い印象がついた。
 そんなことを考えながらぼんやりしていると、横から突然声をかけられた。

「起きました?」

 突然声をかけられ、反射的にそちらを見ると……そこには若い少女がいた。
 後ろ髪をひもで縛り、手首に巻いたブレスレットが印象に残る、大人しそうな少女である。
 しかし、その視線はとても好奇心にあふれていたので少し戸惑ってしまう。
 顔を見てみると美少女と言ってもいいだろうが……可愛い少女のほうがしっくりくるかもしれない。
 でもそれ以上に……なぜか、遠い昔に会ったような……そんな感じのする少女だと思った。
 
「えっと……大丈夫ですか?」

 少女は、好奇心にあふれた視線が一変して、不安そうな視線を向けてきた。
 声の調子も、先ほどに比べて少し落ちた感じがする。
 これ以上不安にさせても仕方ないと思い、俺は「大丈夫」と一言だけ告げた。
 少女は嬉しそうな表情で「よかった!」と元気そうに喜んでいた。
 なんだかそんな少女を見ていると、不思議と安らぎを覚えたから不思議である。
 
「あの……一つお尋ねしてもいいですか?」

 少女が可愛らしく首を傾げて、つぶらな瞳でこちらを見上げてきた。
 俺は「なんだい?」と軽い調子で言うつもりだった。
 しかし、考えてみると今までどのように会話していたかすらも思い出せない……普通に話せばいいのに、つい戸惑ってしまった。 

「……どうした?」

 気付けば、思ったよりも重く静かなで暗い調子で言ってしまった。
 自然と口から出てきたから、素が出てしまったと言うほうが正しいかもしれないが…………。
 しかし、少女は特に気にすることもなく言葉を続けた。

「あの……今朝、いつも通り家から出ると貴方が死んだかのように倒れていたんですよ。それで、どうかしたのかなーと思いまして」
「…………」
「仰向けで倒れてたんですよ。それはもう、熊が大の字で寝ているのかと思ってしまいました。正直、あまりにも大きかったので困ってしまいましたよ。家の中に引き摺りこもうとしたらもう大変だの何の……」

 思ったよりもフランクな少女らしい……口調に騙されるところだった。
 だがそれ以上に、一人で家の中に連れ込んだと言った少女の言葉に引っかかりを覚えた。
 一人で住んでいるのか?

「まて」
「はい?」
「お前、親とは一緒に住んでないのか?」
「一人ですよ? 私、親のことはよく分かりませんから」

 特に気にした感じもせずに、本当にそれが当たり前かの様に言う少女。
 この少女に何があったかは分からないが、現実から逃げた俺なんかよりも強――……ん?
 現実って……何だ?
 冷静になってよく考えてみると……俺は今まで何をしていた?
 目の前の少女が言っていたじゃないか、家の前に倒れていたって。

「……? どうかしました?」

 じゃあ、何で俺は倒れていたんだ?
 それが全く思い出せない。

「…………あのー? もしもーし」

 むしろ俺って何だ?
 ……ちょっと待て、名前も何も思い出せない。

「………………ぐす」
「……え?」

 思考の泥沼にはまりかけていた俺は、目の前の少女が涙目になっていることに気付いた。
 泣きたいのはこっちであったが、家の前で倒れていたらしい俺を介抱してくれたのに、自分のせいで泣かしてしまっては心から申し訳ない。
 ……自分のことはいったん置いておこう。
 とりあえず男は少女を宥めて、今自分のいる場所について聞くことにした。




「幻想郷?」
「はい。ここは幻想郷って言って……「外の世界から忘れ去られたモノがある世界」と言ったほうが分かりやすいですか?」
「外の世界?」
「んー……私も詳しくは分からないんですけど、どうやら幻想郷の外には別の世界があるそうです」
「ほう」

 少女を宥めることに成功した俺は、今現在、この場所……というより世界について説明を受けていた。
 ここは幻想郷。忘れ去られたモノが住まう世界。
 要は外の世界から「幻想」となったモノがたどり着く場所らしい。
 そしてここは人里と言って、人間が生きる場所なようだ。
 人里から出ると妖怪たちがいて、むやみに出ていくと襲われてしまうこともあるという。
 たまに妖精や妖怪が人里にも来るが、どうやら人里では人を襲ってはいけないというルールがあるようだ。
 
「そういうわけです。妖怪や妖精、それにここにいる人間たちは外の世界に忘れ去られたモノみたいなんです」
「なるほど……それじゃ、特に記憶もなく当てもない俺は幻想になってこの郷に来た人間かもしれないな」
「そうかもしれないですね」

 にわかには信じられない話だし、信じたくない話ではあるが……それ以外に考えられなさそうだ。
 幻想になってしまうと昔の記憶も自分自身も失ってしまうのかもしれないが、もしかすると一時的なショックで忘れてしまっているのかもしれない。
 考えられることは、今俺はここで生きるしかないということだが…………。

「あの……お名前は無いんでしたっけ?」
「分からない。どうしても思い出せないんだ……」
「では、私と同じですね。私も名前が分かりません」
「そうなのか?」
「私も、気付いた時にはこの家にいたんですよ。もう数年前の話になりますけどね。里の守護者である慧音様からお話を伺って今の現状に納得したんです」
「そうか…………」
「一緒に住むならお互い呼び合わないと不都合ですよね……では、私は『貴方』と呼びます。貴方は私のことを『お前』とでも呼んでください」
「……分かった」
「では、今日からよろしくお願いしますね」
「ああ。よろし……は?」

 考える暇もないマシンガントークでペースを握られていたが……今何て言った? 一緒に住むだと?

「ちょっと待て。見知らぬ男と二人でいきなり暮らして大丈夫なのか?」
「だって……私の家の前に倒れていましたから。きっと何かのご縁かもしれません」
「でもな……」
「それに、今までずっと一人だったんですよ」
「…………」
「まさか、いくら可愛いとはいえ自分よりも年下の女の子をむやみに襲ってしまう性癖の持ち主なんですか? 俗に言うロリータコンプレックスですか? 寺子屋の子供たちを見て鼻息荒く吟味する趣味でもお持ちなんですか? ああ、まさか見境なしに人を襲うなんて何て穢れた人なんでしょうか」
「お前はどう見ても成人位だと思うけどな」
「襲うんですか?」
「そんな度胸は無い」
「なら大丈夫ですよ」

 本当に気の強い少女の様だ……胆が据わりすぎて逆に怖い。
 とりあえずそれからスラスラと出てくる言葉に呑まれ……一緒に住むことが決まったのである。
 ちなみに、俺は少女を呼ぶ時は「お前」、頭の中で考えるときは「アイツ」と呼ぶことにした。
 こうして、俺とアイツの二人暮らしが始まったのである。



―◇―



 いつものように満員電車へと乗り、やっとの思いで駅から降りて会社へと着いた。
 途中、数人の同僚が暗い顔で自分とは逆方向に歩いていたが……勤務中なのに、帰りたくなるほど上司から何か嫌味でも言われたのだろうか?
 軽い疑問を覚えながら中へと入ると、同僚が何人か頭を抱えているのが見えた。
 近くにいた仲のいい同僚に「どうかしたのか?」と聞くと「ホント、不景気は嫌だよな」と言いながら去ってった。
 本当なら一言だけ残して去った同僚に嫌味を覚えたかもしれないが、『不景気』という言葉を聞いて多少の焦りが出てきたのかもしれない。
 頭の中を整理していると、さっき呼び止めた同僚が真っ赤な顔で怒声を上げていた。

――俺達の家族はどうすればいいんだ!
 
 その一言が出た後、先ほどの言葉の意味を整理していた頭がフリーズした。
 その後、気付かなかったが前のほうに人だかりがあるのを見て……その前方から多くの怒声が聞こえてきた。


――解雇何て聞いてないぞ!

――どうやって生きていけばいいんだ!

――俺達を見捨てるつもりか!


 俺には何を言っているのか分からなかった。
 周りにいた同僚たちもそうだったと思う、何故なら俺の周りにいた数名もその場で首をかしげていたのだから。
 だが、前方から紙切れが回されると、それを手に取った全員が大きな悲鳴を上げていた。
 その紙は俺の手にもやってきて、二つの文字が目の前に見えたのである。

『解雇』

 初めは、その意味がよく分からなかった。
 まだまだ仕事は残っていたし、実際今のプロジェクトに関する資料も今日まとめて提出するつもりだった。
 やれば出来ると、上司に言われたことだってある。

――俺には関係ない話じゃないか?

 そう思った。
 思いたかった。
 しかし、下のほうを見ていくと……そこには残酷な表示が書いてあった。

『●月●日に、今年度入社した社員全員を解雇する』

 あり得ないと思った。
 こんなの夢に決まっている。
 しかし、周りを見ると――泣くやつ、叫ぶやつ、茫然と何も出来ないやつ。
 それが今いる場所が現実だと教えてくれた。



―◇―



 嫌な夢を見ていた気がする。
 身体は汗だらけで、息も乱れている。
 心臓は高鳴り、落ち着かせるのにしばらく時間がかかってしまった。
 しばらくして落ち着くと、一人分の隙間を開けてアイツが横になって寝ていた。
 どんな夢を見ているのかは分からないが、とても幸せそうな寝顔だからきっと良い夢を見ているんだろう。
 俺は、特に寝る気も起らなかったが……夜が明けるまでまだまだ時間がある。
 気は進まなかったが、仕方ないとばかりに再度眠りに就いた。




 今度は特に夢も見ることなく朝を迎えた。
 夢を見ないと眠りが浅く感じられるから不思議である。

「おはよう、よく眠れました?」

 声のほうを見てみると、あいつが台所で朝食の準備をしていた、
「おはよう」と返した後、俺はそのまま裏にある井戸から汲み上げた冷たい水で顔を洗いに行き、そして戻ってきたころには机の上に料理が並べられていた。

「うまそうだ」
「ありがと。召し上がれ」
「いただきます」

 そして、今日もアイツと二人一緒に料理を食べた。
 他愛もない会話をしながら話す時間は、なんだか楽しくて飽きなかった。
 そして気付いたことには全て食べ終わり、「ごちそうさま」の合図で食事は終わった。
 今度はいつも大事につけてるブレスレットについて聞いてみようか?
 俺は一人、そんなことを思いながら家の横にある小さな畑を耕しに向かおうとしたところ、アイツに呼び止められた。

「大分ここの暮らしにも慣れたみたいですね」
「まあな、住まわせてくれて感謝してるよ」
「半分は私のわがままでしたけどね」
「9割ぐらいだと思うけどな」
「後悔してますか?」
「今も言ったろ。とても感謝してる」
「それは良かったです」

 そんないつも通りの会話。
 会った当時は多少の気まずさもあったが、今となってはそんなこともなくなった。

――あれから一年か。

 幻想郷に来て、アイツと出会ってからもう一年。
 月日が過ぎるのはあっという間で、アイツとの気まずさが無くなってきてからはほとんどの毎日が充実していたと思う。
 一人でもしも暮らそうとしていたら、きっと幻想郷にすら忘れられる存在となっていたかもしれない。
 だから俺はアイツに感謝しているし、これからも一緒にいたいと思う。
 あえて変わらないことがあるとしたら……お互い名前も思い出せなければ外の世界にいた頃も思い出せないことだ。
 でも、そんなことはどうでも良いだろう。
 だって、今の俺の暮らしは本当に充実しているのだから。
 そして俺は、行ってきますとアイツに告げ、そのまま畑を耕しに向かった。
 


 
 さらに数年後。
 アイツは幼さの残る女性ではなく、男なら誰もが振り返るほどの綺麗な女性へとなっていた。
 人里の住人達との関係も良好になるにつれて、アイツへと求婚を申し込む男も増えてきた。
 最初は満更でもなさそうな表情をしながら断っていたが、次第に口をとがらせながら俺のほうを見るようになったのである。
 俺はと言うと「アイツが幸せになるなら」と思い全部アイツの判断に任せていたが……正直、アイツを渡すつもりは全くなかった。
 娘を想う親の気持ち、というわけではなかったが。
 ある日、またアイツが婚約を申し込まれると「貴方は私がどこかへ行っても良いんですか」と言ってきた。
 それも、求婚してきた男がいる目の前である。
 俺は「勝手にしろ」と言いたかったが、どうしてもその言葉を紡ぐことはできなかった。
 それどころか「お前はどう思っているんだ?」と聞き返してしまった。
 
「私は貴方が一緒にいてくれたから、貴方と出会ったから、今の幸せな生活を手に入れることが出来ました。その幸せを手放すことはできません。それに……もう、私は子供じゃないですよ? 立派な女性になりました」

 そんな感じで俺に言って来た。
 昔「ロリコン」だの「むやみに襲う性癖の持ち主」だの言ってた女とはとても思えない。
 勿論、俺だって手に入れた幸せを捨てるほど酔狂な人間じゃない。
 俺はアイツの目の前に立って「違いない」と言って……そのままアイツに不器用な口づけをした。

――求婚して来た男が泡吹いて倒れていたことについては、触れないであげよう。



―◇―



 家に着くと、妻が「おかえり」と出迎えてくれた。
 その後「早かったわね、どうかしたの?」と言われ、俺はしばらく沈黙した後……「解雇された」と、一言だけ告げた。
 妻は驚いた表情を見せた後、少しの間をおいて「そう」と一言だけ返した。
 外からは元気な子供の声、鳥の鳴き声、白い太陽の光。
 ある物すべてが俺の五感へと伝わってくる。
 そんないつも当たり前で……俺自身好きだったものが、今では全て邪魔な存在に思えた。



―◇―



 嫌な夢を見ていた気がする。
 身体は汗だらけで、息も乱れている。
 心臓は高鳴り、しかし手を握ってくれているアイツの存在を知ることで、すぐに落ち着くことが出来た。
 横には、前とは違って一人分の隙間もない……同じ布団にいるアイツが横になって寝ていた。
 どんな夢を見ているのか不思議に思ったが……いつも通りの幸せそうな寝顔だからきっと良い夢を見ているんだろう。
 俺は、特に寝る気も起らなかったが夜が明けるまでまだまだ時間がある。
 大事なものを手放さないように、あいつの手をしっかりと握り返して……俺はそのまま眠りに落ちた。



 
 朝、俺が起きるとキッチンのほうから楽しげな二人の声がした。
 一人はブレスレッドを腕に巻いた綺麗な女性、もう一人は背丈が俺の腰ぐらいまでしか無い少女である。
 まあ簡単に言えばアイツと……俺とアイツとの間に生まれた娘だ。
 俺は二人に「おはよう」と言うと、二人とも俺を見て「おはよう」と返してくれた。
 そのまま裏の井戸で冷たい水で顔を洗い、意識が覚醒した後家の中へと戻った。
 すでに机には三人分の料理が並べられていて、腹をすかせた娘が「おとーさん、はやくー」と急かしてくるので、頭を軽く撫でてやってから席に着いた。
 アイツもそのまま席へと着き、三人で「いただきます」と言った後、他愛もない話をしながら食事を始めた。
 笑顔で話す娘の口周りが汚れていたらアイツが布巾で口周りを拭いてやっている。
 そんな幸せな世界を見ていると、俺はどうしても顔がにやけてしまうのである。
 今がものすごく幸せなんだな――と、俺自身実感しているみたいだ。
 
 余談ではあるが、アイツと俺は少し前に婚約をした。
 里の人間たちが結婚式を挙げてくれた時は、しっかりと盛装したアイツを見て……柄にもなく照れ過ぎて直視することが出来なかった。
 そのまま俺が顔を真っ赤にして視線を反らしていると、急に背中を叩かれたのでびっくりして後ろを振り返った。
 そして見たのは怖いくらいの笑顔だったアイツの表情、視線を外し続けたのが癪だったのだろう。
 しかしそれも一瞬のことで、アイツの顔がすぐに少し照れた表情へと変わった。
 可愛いなあ――と俺が思った瞬間、視界全体がアイツの顔で埋め尽くされた。
 その瞬間「わああああああ!!」という断末魔の声と、「きゃあああああああ!!」という歓声が沸き起こった。
 それが永遠とも似たように感じられたが……アイツが離れた後、俺は里の男達に血走った眼で睨まれながら取り囲まれた。
 里の男達から「若奥様を泣かしたら殺すからな」と笑顔で忠告された時には胆が冷えたが……そんなことしたら、俺が俺を殴っても気が晴れないだろう。
 ちなみにアイツと俺には名前がないため、アイツのことを若奥様。俺のことを大男と里に人間たちは呼んでいる。
 俺が無駄に大きいからついたあだ名らしい。
 それはさておき……。

「ちょっと良いか?」

 食事も終わり、アイツが後片付けの終わった頃を見計らって俺はアイツを呼んだ。
 ちなみに、娘は寺子屋で勉強中である。
 アイツは俺の呼びかけに応じて「どうかしました?」と言いながら、俺と向き合うようにして席に着いた。

「実はな……ボランティアをしようと思うんだ」
「ボラ……何ですかそれ?」
「ボランティアだ。慧音様から前に聞いたんだが……外の世界で行われている行事らしい」
「どんなことをするんですか?」
「人のためになることをするようだ。皆で祭りの準備を手伝ったり、畑仕事を手伝ったりとかじゃないか?」

 人のためになることをするとは聞いたが、特に内容までは決まってはいなかった。
 なので、憶測からの発言となってしまったが、他に出来ることもないだろう。
 アイツもそこまで突っ込んでは聞いてこなかったので、内容にはそこまで触れずに会話は進んだ。

「でも、何でまた急に」
「何て言うのかな。俺も最初はお前たちもいるしボランティアをするつもりはなかったんだ。時間もなくなるし、家を空ける時間が増えるからな」
「はい」
「でもな、今俺たちがこうやって平和に過ごしているのはこの里の……皆のおかげだと思うんだ。だから俺は、受け入れてくれた人里の皆……いや、この幻想郷への恩返しにならないかと思ってな。だからやってみたいと思うんだ」
「はい」
「でもな、俺だけの問題じゃない。俺が今ここで平和に生活できているのはお前のおかげでもある。だからお前の考えも聞きたいんだ」
「…………」
「駄目か?」
「……貴方の幸せが私の幸せであり、幻想郷の幸せは私たちの幸せです。駄目って言うわけがないじゃないですか」
「…………」
「やるからには一生懸命……最後までやり通してください。でも一人で背負いこもうとしないで、私にも出来ることがあったら言ってくださいね」
「ありがとう」
「はい」

 そして俺達は、また新しいスタートラインに立った。 
 あの日出会った時とは別の……不安ではなく、高揚感の溢れる気持ちを持って。
 幻想郷――何より、俺たちのために頑張ろう。

「それじゃ、俺たちの幸せのために……幻想郷の幸せのために頑張るか!」
「はいっ!」 

 俺たちは手を取り合って、そのままお互いを見つめあった後口づけをした。
 今ある目の前の幸せを確かめるかのように。
 そのせいだろう。
 外から俺たちへの……アイツへの殺気をこめた視線に、俺たちは気付くことが出来なかった。




 ボランティア活動に集まった人間は数人程度だった。
 ほとんどの人間は他に仕事を持っていたし、給与が出ないこともあったのだろう。
 慧音様は最初、誰も来ないことを懸念していたようだったので、俺達数人が来ただけでも見たものが惚れてしまいそうになる花が咲いたような笑顔をしていた。
 でもアイツのほうが可愛いぞ、これだけは慧音様でも譲れない。

 最初のボランティアは寺子屋の簡単な整備だった。
 本当は今後の方針を決めるためだけの集まりだったが、折角集まったので寺子屋のもろい部分の補強をしようと考えたのだ。
 慧音様は申し訳なさそうな顔をしていたが、普段子供たちが世話になっている場所である。
 全員一致で作業することに決まったのである。
 寺子屋の机は、生徒たちが暇つぶしに削ったかのような跡が多くみられたので、使い辛そうなものを取り換える作業をした。
 新しい机を作るのは非常に困難で、慣れないことをしたせいですっかり腰が痛くなってしまった。
 それでも、完成した机を見るとその疲れもどこへやら……子供たちがこの机を見て興奮するのを想像して、ついつい笑顔がこぼれた。
 これは他の人間もそうだったようで「一個だけじゃ文句言われそうだな!」と一人が叫んだので、他の人間も新しい机を作る作業を続行した。
 日が暮れるころには新しい机に、勢いで作ってしまった椅子を並べてその日の作業は終了した。
 最後の最後まで慧音様は申し訳なさそうな顔をしていたが、それでも子供たちの笑顔を想像しているようで終始にやけていたと思う。
 慧音様が「折角だから夕食を準備しよう」と言ってくれたが、俺はアイツの元へと早く帰りたかったので丁重にお断りした。
 他の人間はそのままご馳走になるようだったが、そのまま笑顔で送り出してくれた。
 
「よし、早く帰るか」

 そのまま俺はアイツと娘が待っている家へと、息が切れるのも構わず駆け出した。
 だからその途中、その視線に気づくことが出来なかった。
 民家の陰から俺を見ていた、その人影に。




「それじゃ、行ってきます」
「気をつけて下さいね」
「パパー、頑張ってねー」

 初めてのボランティアから数ヶ月後、俺達はその大きな体を活かして多くの人々のために動いていた。
 今日の仕事は、簡単ながらも新しい暮らしを求める若者のための家づくりである。
 骨組みは昨日のうちに終わらせたので、今回は外装を作ろうとしていた。
 しかし、最近はどうにも暑くて身体が思うように動かない。
 最近は雨も少なく、日照りが続き地面には小さな割れ目が見られている。
 アイツと娘に見送られ、さて今日も頑張ろうと意気込んで来たが……さすがに体力に限界を迎え、日が登りきるころには全員が柱を背にして座りこんでしまった。

「さすがに暑いな…………」
「俺もう限界だわ」
「……なぁ、ちと休憩しないか?」

 休憩するかという提案が出ると、全員が身体を起こしてそのまま日陰へと移動した。
 聞くまでもなく、全員が同じことを考えていたようだ。
 俺も例外ではなく、棒のようになった足で汗まみれの身体を日陰へと引き摺り、今度は大の字で寝転んだ。
 そうすると周りにいた全員も同じように寝転がり、そのままたまにやってくる風の涼しさを感じながら長めの休憩を取ることにした。
 そして数時間後。
 長めの休憩のおかげと言うべきか、その後は全員意気揚々と仕事にとりかかった。
 全員が張り切っていたおかげで予定よりも早く終わったので、内装にも取り掛かったほどだ。
 だが、計画性もなく気分的に始めてしまったので、もう日が暮れてしまった時に今日のボランティアは終わりを迎えた。
 予定外の行動に身体がよく付いてきたとは思うが、終わってみれば疲労が溜まりに溜まっていたおかげで、昼間のように全員が座りこんでしまった。
 このときは全員が達成感の様な表情を浮かべていたが。
 俺は早く帰ってアイツと娘に早く会いたかったが、それでも今日は身体がまだ動かない。
 だからその日は、俺たちの仕事が終わるまで見ていてくれていた慧音様の家へとお邪魔し、少しの休息をとることにした。



 
「ただいま、遅れて悪い……って、こんなんじゃ聞こえないよな」

 あれから数時間後、俺は自宅へと戻ってきていた。
 さすがに家族のこともあるから泊まるわけにはいかなかったし……といっても、疲れた身体よりも会いたいという気持ちのほうが高かったのが本音である。
 すでに家の明かりは消されていたので、アイツも娘も寝付いているのだろう。
 だから俺は、家のドアを開ける前に小さな声で詫びて、それからなるべく音をたてないようにドアを開けた。
 その瞬間――

「…………!」

 中から出てきた空気は、いつも通りの慣れ親しんだ臭いではなく、錆びた鉄の様な生温かい異臭が溢れ出てきていた。
 不信を感じて行動するよりも早く、その異変に身体が反応していた。
 起こさないようにと注意を払っていたことなど忘れたかのように、俺は大声でアイツと娘を呼び掛けた。
 気が動転していたのだろう。
 足元に注意を払わずに周りを見ていたものだから足に何かぶつかった瞬間、俺は大きく飛びのいてしまった。
 一瞬のことだったが……『ソレ』は柔らかくて、それでいて大きな物だった。
 注意を払いつつ、目を凝らして『ソレ』を見る。
 すると――

「――――」

 俺は声にならない声を上げていた。
 そして、俺は『ソレ』を急いで抱き上げる。
 暗闇の中でも、俺は『ソレ』が何であるかを確信していた。
 だが、同時に本当に『ソレ』であるとは思いたくなかった。
 それでも…………。

――月明かりに照らされていたブレスレットが、その持ち主が誰であるのかを物語っていた。
 

 


~前編終わり~

 
お久しぶりです、ぜくたんです。

今回はオリキャラを中心として書かせてもらいました。
意外と長くなったので前編と後編に分けますが、実はまだ後編が書きあがってないので先の投稿となりました。


尚、この話は作品集90の『狸寝入り。』に出てきたキャラの過去話となっております。



どうぞ、今後ともよろしくお願いします。
ぜくたん
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コメント



0.270簡易評価
5.80名前が無い程度の能力削除
お、ぉお。
ここまでオリキャラがメインなのも珍しいですね

……あぁ!
あの時の大男でしたか

ほぼオリキャラになるのでしょうけれども
だからこそ、これからに期待してます
6.90名前が無い程度の能力削除
前の話しの延長みたいな感じ何ですね

オリキャラ主体の話も好きなので期待
9.70名前が無い程度の能力削除
後編に期待