Coolier - 新生・東方創想話

夢現万華鏡

2009/12/07 21:26:47
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 呼ばれた気がした。
 ぱちりと目を開けた霊夢の目の前には八雲紫の唇があった。至近距離から視線を交わし合い、触れる寸前で止まった唇から吐息がふきかかる。甘い匂いのするようだった。霊夢はするりと右手を挙げて、会心のでこぴんを紫の艶やかな額へとお見舞いした。ぴちん、と乾いた音が喧噪の中に霧散した。
「いたーい」と間延びした声を上げて紫は一歩退く。甘く薫る雨に蒸れた花のような匂いが、離れていく紫から霊夢へと届いた。慣れた匂いと言えばそうであって、ここが夢の最中でないことを霊夢は紫の匂いで知った。
「何してんのよ」
「眠り姫を起こす上策といえば決まっているでしょう」
「あ、やっぱり寝てたの、私」
「ぼんやりうつらに夢現、ねんねんころりよおころりよ、という感じだったわ」
「何それ」
 よくわからない、と霊夢は言いかけて、未だに自分がいまいち現実に足のついていないふわりとした心地にいることに気がついた。ゆめうつつ、が全身を薄皮の一枚向こうで包んでいるような感じだ。眠気があるというわけではないのだが、夢からまだ抜け出せていないみたいに、視界ははっきりしていてもそれを処理する頭の中に夢が蔓延っている。
「やっぱりちゅーする?」
「でこぴんより玉串で突かれたいの?」
「ほら」ぺろんと紫は前髪をめくった。「赤いでしょう? もう勘弁よ。痛くない愛が欲しいわ」
「酔っぱらってるだけじゃないの?」
「酒気を額に昇らせるほど飲んではいないわ。まあ、あそこの辺りで伸びているのはそれぐらい飲んでいるのでしょうけれど」
 あそこの辺りと紫の指さした方に目を向けてみても、酒を飲んでいる奴らばかりでどれのことを指しているのかわからない。宴会をすると声をかけたのは数人のはずであるのに、どこから聞きつけるのか地底の住人から天人まで集まり、幻想郷を縮めてしっちゃかめっちゃかにしたようになっている。
 冬を迎える宴会をしましょうと、一方的に話を進めたすきま妖怪は霊夢の前で手を振っていた。
「何よ」
「ぼんやりしすぎよ?」
 してないわ、と言いかけた霊夢の頬に柔らかな感触がついと刺さり、それが紫の人差し指であると遅れて理解する。
「ほら」
「すきま使っておいてよく言うわ」
 掴もうとした指先は鼠のようにすばしっこくすきまの中へと引っ込んだ。視界の端に捉えたすきまに紫の指が沈む刹那、すきまが水面の様に波紋を残したように見えた。内に点在する無数の瞳は霊夢を全く捉えてはいないのだが、世界の全てをその黒い目玉の中に捉えているように思える。紫が妙に知ったかぶるような仕草が多いのも、ここら辺に理由があるのかしらん? と霊夢はまたとりとめのない考えをこねくり回していた。
「ふむ、重傷のようね」と紫は溜め息をついた。
「誰がよ」
「馬鹿は風邪を引かないのではなくて、風邪に気づかないから馬鹿なのよ?」
「喧嘩売ってる?」
「あら、売れば買ってくれるのかしら」
 くつりくつりと薄い笑みを紫は浮かべて、霊夢は口にするまでもなく首を横に振った。つっかかっても、つっかかられても、どちらにしろ面倒なことにしかなり得ないことは十分身に染みていた。
 紫はまたひょいと指先を動かしてすきまを広げた。少し警戒した霊夢に「何もしないわ」と言って、広げた境界へと手を突っ込む。しばらくごそごそとしてから、一杯の水の入った杯を取り出した。
「はい」
「……ありがとう」
「それ飲んで、少し風にでも当たってなさいな」
 ぼんやりしたまま生き残ってる蟒蛇に絡まれると大変よ、と自身もその蟒蛇の一人であることを棚に上げて、紫は霊夢の元から離れ、宴の中へと舞い戻っていく。霊夢はその後ろ姿を眺めながら一口水を嚥下した。水の気配が喉を通り、お腹の辺りからじわじわと全身に染みこんでいくような感じがして、杯の中の水は普通の物かと確認するように視線を向けた。
 音も立てずに霊夢の口元に残っていた水滴が杯の中に落ち、円形に波紋を広げた。縁に当たった波が混ざり合い、小さな円がぽこりぽこりと現れては消える。揺らめいた水面に映る自分の顔に気がついた霊夢は、波紋が収まるのも待たないまま、更に一口を飲み込んだ。


   ○


 霊夢が水を受け取ったのを見届けてから、紫は大騒ぎし続ける群れの中へと戻る。どこに混ざったものかと思案しながら、宴をかき分けるように進み、自分の服の裾を引っ張る手のあることに気がついた。
「どうしたの紫、一人で」
 のぞき込むような角度で西行寺幽々子は紫を見上げる。さっと身を退けた従者のお陰でできた空間へと、紫はゆったりと座った。差し出された酒を受け取り、かちんと杯をお互いに合わせる。
「相手が少し、酔いを覚まさないといけないようだから」
「じゃあ、しばらくは私がお相手するわ」
 ふふと笑った幽々子の表情を見た瞬間、既視感のような妙なざわつきが紫の脳裏によぎった。今行われているこの宴が、どこかで見たことのある光景であるのはもちろんのことで、博麗神社で行われる宴会など数限りがない。その中では幽々子とも杯を何度も合わせているのだから、既視感が起きてもおかしな事はない。
「どうしたの?」
「ちょっと、いつかどこかで見た昔が、ひょいひょいと顔を出してきたものだから面食らっただけよ」
「既視感、ということかしら?」
「察しが良くて助かるわ」
「私とあなたで何年一緒にお酒を飲んでると思っているのよ」
 紫の言ったことが心底おかしな事であるように、幽々子は大げさに破顔して紫を見た。その表情もまたいつかのどこかの幽々子と重なるような感じを得ながら、紫は杯を傾けた。飲み干して戻したときに、空になったまま置かれた杯のあることに気がついた。
「妖夢は飲まないのかしら?」
「いえ、もう頂いたので、これ以上は」
「妖夢ったら、お堅くていけないわよね」
「宴会なんだからあれぐらいになっていいのよ」
 紫の指さした先では、黒白の魔法使いが寝転がってへばっている。大方、誰だか知らないが大酒飲みと競い合って、いつも通りに自分の方が先に潰れたのだろう。妖夢は少し顔をしかめてから、ふるふると小さく頭を横に振った。
 姿勢を一度正してから妖夢は俊敏に立ち上がった。どうしたの? と口には出さないままに幽々子が訊ねる。
「おつまみがなくなったようなので。何か、いる物はありますか?」
「いいえ」と紫は微笑んだ。「妖夢の趣向に任せるわ」
 必要以上に応えることもなく、妖夢は一度頭を下げてから廊下の方へと歩いていった。離れて行く背中から視線を切って、幽々子と紫は同じ調子で喉を潤した。
「従者の鏡ね」
「あげないわよ?」
「もらわなくても、うちにもしっかりといるもの」
「そういえばそうだったわ」
「あげないわよ?」
 くすくすと笑い合う最中にも、紫はしつこくまとわりつく既視感を得ていた。万華鏡をくるりと回して覗き込んで、同じ柄ではないのに前にも同じ柄を見たことがあるような、些細なずれに彩られた世界を見ている気分だ。
「何だか良い調子ではなさそうね?」
「そうみたい」
「紫でもそんなことあるのねえ」
「幽々子はいつでも同じ調子ね」
「まあ、亡霊ですから」
 自嘲気味な言葉でありながら、これといって気後れされるような調子ではなく幽々子はそんなことを呟き、流れる時間の濁流にも飲み込まれず、河原に転がる小石のように摩滅されて丸くなることもなく、時のすきまをぼんやりと漂いてこそ亡霊と、言葉を続けた。惹きつけられるように幽々子の話を聞いていた紫へと、揺らめくような笑みを投げる。
「ある意味、天上とかにいるらしい神様みたいね。違うところは世界に手を下すことが出来ないところかしら」
「春を引っかき回したことがあるのによく言うわ」
「あれは妖夢に集めてもらったのよ。集めたかったのは私だけれど」
「妖夢も大変ね」
「あなたのとこの藍だってこれから大変でしょう。境界の管理はしばらくあの子がやるんだから」
 冬は紫にとって眠りの季節だった。動物たちが冬を越す前に食料を集めるように、眠る前に幻想郷を見て回ることはもうすでに終えていた。後は冬眠するばかり。春が来て、目を覚まし、迎えてくれる幻想に何か変化があればすぐにわかればいいと、記憶のすきまにその姿を染みるほどに写した。
「藍には式を被せてあるのだから、問題はないわ」
「私にも式、つけてみたらどう? 実は境界には詳しいのよ」
「そんなこと初耳だわ」
「境界に立っているようなものよ、亡霊って。生と死の境界に立って世界を見る、なんていうと少し格好良いかしら」
 巫山戯たような軽い口調でこねくり回し、幽々子はお酒を飲む。その亡霊から見ると今回の宴会はちょっとねえ、と濡らした唇で囁き、紫を見るでもなく、宴に居るでもなく、虚空がその視線の先には佇んでいる。
 ねえ、と幽々子は其処に語りかける。


   ○


 妖夢はさてこれだけ食い散らかされた後に何が残っているだろうかと考えながら、仕える主人から離れ、縁側の廊下へと出た。阿鼻叫喚とは言わないまでも、外からの冷気がぬめりと覆い被さろうとする廊下に出ると、火にかけられた釜の中にいるような宴の熱気が恐ろしくすら思える。鬼が飲み、神が笑い、人間も聖者も忌まれる妖怪もが入り乱れるこの場所は、あるいは阿鼻叫喚と呼んでも差し支えないのかもしれない。半身の幽霊が熱に当てられたように妖夢のそばでふらふらと揺れる。
「あら」
 妖夢の向かおうとしている先から現れた十六夜咲夜は、氷を思わせるような静かな声で言った。手には一杯の水を持っている。エプロンの裾は垂れ下がり、頭に乗せたフリルのついたカチューシャが少しだけ、その凛とした姿に不似合いにも感じる。
「こんばんは」と妖夢は言った。
「こんばんは」
「誰か、酒に飲まれでもしましたか?」
 咲夜の手に持った水を見ながら、吸血鬼が果たして飲みつぶれるようなことはあるのかと疑問に思い、思わず妖夢は訊ねる。咲夜は少し愉快そうに首を横に振り、その視線の先を追ってみると、黒白の魔法使いがトレードマークの帽子を顔の上に乗せ、大の字になって伸びていた。その側ではなんてことない顔で吸血鬼と魔女が酒を飲んでいる。
 くすくすと笑って咲夜は言った。
「吸血鬼に挑んで痛い目を見るのは、いつも人間と決まっていますわ」
「お酒が好きなのにあまり強くないとは……可哀相に」
「お嬢様が強すぎるだけで、魔理沙が弱いわけではないのだけれどね」
「ふむ」と妖夢は頷いた。「主人が強いと、従者としては諫めるのも大変ですね」
 あらあら、と態とらしい表情を覗かせて、それはお酒だけの事かしらん? と咲夜は訊ねる。「いろいろ」と妖夢は溜め息と共に答えて、咲夜と一緒になってくすりと口元を崩した。幽冥の長に、夜の王。お互いに仕える相手は人間には有り余ると言って間違えではない。
「何か台所に用事?」と今度は咲夜が訊ねる。
「つまみが切れてしまって、何かないものかと探しに行くところです」
「もう少し料理も作っておけばよかったかしら……。うちは飲んでばかりだから――いろいろと」
 そう言った咲夜の首もとへと、思わず妖夢は目を向けてしまう。エプロンドレスに包まれた肌に、黒く牙の穿たれた痕のあるのを少しだけ想像して、思わず自分の首筋に手を当てた。熱気を浴びていた肌は普段よりも少し火照っているような気がした。
「いえ、十分でした。あまり甘やかしてもいけないですし」
「厳しいものね」
「あなたのところが自由に過ぎるだけです」
「不自由なお嬢様なんて私が見たくないもの」
「そうですか」
「そうなのよ」
 わからないでもないでしょう、と口には出さないが咲夜は妖夢に表情で伝える。少しだけ考えるような振りをして妖夢は咲夜の主である吸血鬼を一目見、八雲紫と楽しげに飲む自分の主を視界に入れる。おつまみまだー、と子どものような声が耳に届くようだった。
「ここにいると、中の熱気が嫌と言うほどわかるわ」
「まあ宴会ですから。外は冷たい分、夏にやるよりはましかもしれません」
「冬を迎える、とはよく言ったものだけれど、こんなに熱くては冬も逃げてしまいそう」
 そうは言っても、秋になって紅葉をしていた木々の葉はすでに地に落ち、身ぐるみを剥がされた枝は寒そうに風を耐えている。何より秋の神様である姉妹が宴の隅の方で飲んだくれている以上、冬は遅きにも早きにも必ずやってくるのだろう。咲夜も秋の神たちの飲みっぷりに気がついたようで、微苦笑を浮かべた。
「あ」と咲夜は口を開いた。「お嬢様にちらりとこちらを見られてしまったわ」
 それじゃあ、としなやかに踵を返して咲夜は吸血鬼の方へと向かい、妖夢もまた台所に向けて歩みを進めた。その横面を、吹き込んできた風が前髪を持ち上げながら撫でて通る。ふと立ち止まって外に視線を向ける。初雪が降りそうな、そんな気配を感じた。
 もうすぐ冬が来て、どうせすぐに春になる。そして今度はお花見と銘打った宴会が開かれるのだろうと、今度は宴会を見て思う。自分たちを乗せる地面がぐるぐると回っていると聞いたことがあるが、四季もこれだけ巡るのだから不思議な事ではないのだろう。
 めぐりめぐりて――今は此処。
 寒気と熱気の境界となった廊下を歩きながら、妖夢はそんなことを考えた。


   ○


 杯に入った水に一つの波も立たせることなく歩き、咲夜は宴会の中へと戻った。
 大爆笑していたり、大粒の涙をこぼしたりしている輩もいたりで場は乱れに乱れている。年の瀬に騒がしくなるのは仕方がないことではあると思いながら、自分の主、レミリア・スカーレットがその幼げな容姿と似つかわしい無邪気な様子で飲み遊んでいるのを、目を細めて少し眺める。
 レミリアは新しい飲み相手を見つけたらしく、場をすでに移していた。咲夜の視線に気がついた彼女は、ちょいちょいと咲夜の足下に転がる霧雨魔理沙を指さして、そして自分はまた飲み始めた。
「ほら」
 声をかけながら咲夜は座り、魔理沙の頭の上に置かれていたかくかくと先の折れた黒い帽子を横に除ける。唐突に光の戻った視界が眩しかったのだろう。魔理沙は妙なうめき声を小さく漏らしてから、目元を二度ばかり擦り、ゆっくりと瞼を開けた。
「眠くは、ないな」
「気持ち悪くは?」
「……わからん」
「とりあえず、水を飲みなさいな」
 深呼吸するように一度瞼を閉じた魔理沙は、開けると同時に一気に上半身を起こした。咲夜の差し出した水を受け取り、口に付けてこくりと喉を鳴らす。両手で包むようにした持ち方が子どもらしくて、平素の勝ち気な口調との反動があるのか少し可愛く見えたものだ。
 吸血鬼相手に文字通りに何を血迷ったのか、魔理沙は飲み比べを挑み、そして見事に負けて現在に至っていた。そもそも人間が次元を異にすると言ってもいい妖怪の類にそんなことを挑む時点で阿呆らしい。そうでなければお馬鹿ではあるが、一つ覚えに箒で館に突っ込んでくるところを見るとそちらでも誤りではないのだろう。
「ちょっとすっきりした。さんきゅ」
 魔理沙の顔色は確かに横になったときよりも良くなっていた。水を飲んだからというよりはしばらく横になって休んでいた効き目が出たのだろうが、「どういたしまして」と澄ましたふうに咲夜はひとまず答えておいた。普段あまり素直に礼など言わない魔理沙から零れた言葉だ、受け取っておいても損はない。
「よし、飲もうぜ」
「無茶しない方がいいんじゃないの?」
「無茶かどうか、それは私が決めることだな」
「面倒を見てるのは私なのだけれど」
「うむ、背中は任せた」
 そんな厄介なものを任されても困るのだが、むやみに元気な魔理沙の声音で言われると言い返す前に呆れがくる。言ったところでどうしようもないのだろうと諦めばかりが来るのだから仕方がない。咲夜は答えの代わりに溜め息をついた。
「溜め息とは失礼だな」
「あなた、やっぱり一眠りすれば?」
「今寝てたら宴会終わっても寝てそうだから無理だな。勿体ない。どうせ寝るのなら宴会終わってから泥のように丸一日眠る」
「自由ねえ」
 にしし、と魔理沙は笑って、咲夜の分も酒をついで差し出した。どうやら本当にもう大分回復したらしい。よく考えれば宴会がある度に魔理沙が伸びている姿を見る気はするが、最後には起き上がってもいる。新陳代謝は悪くないのだろう。飲む量がそれを遙かに超えているだけで。
 視線を周りに動かしてみると、伸びているのはもう一人いた。霊夢の膝を枕にして完全に眠っている様子のその人物も、また同じように巫女だった。巫女同士で飲んでいたりしたのだろうか。先ほどまで霊夢は八雲紫と飲んでいた気がするが、紫の方は今は白玉楼の亡霊たちと飲んでいるらしい。
「ほら、あなたも寝たら? 酔って寝れると気持ちいいわよ」
 もちろん、酔いつぶれた連中が気持ちよく寝られる分だけ、素面で起きている者たちへとしわ寄せがやってくる。それでも酔って正気ではない連中に場を引っかき回されるよりは、幾分かは楽とも言える。素面でも酔っていても引っかき回すような人間には、寝させておくのが一番だ。
「遠慮しとくぜ。寝ている間に何されるかわかったもんじゃないからな」
「わざわざ、寝ているあなたに何かしようとする暇なやつはいないわよ。みんな飲んでいる方が楽しげだわ」
「いやいやわからん」と魔理沙は力強く首を振った。「これでも私は大分、恨みを買っていておかしくない女だからな。全く、罪な女は辛いぜ」
「普通の乙女なのにねえ」
 ぶほう、なんて爆発めいた音ともに魔理沙は酒をむせ返らせた。強めのお酒をそんなふうに逆流させたら酷いことになると咲夜が思うと、やはり予想通りに魔理沙の顔には再び酔いが回ってきていて、熱のある子どものように頬やら額に紅が差していた。寝ちゃいなさいな、と言う咲夜の語りかけに、うなされるように抵抗しながらも結局は素直に魔理沙は上半身を倒し、向かい合って座っていた咲夜はぱっと時を止めて魔理沙の頭をその柔らかな太腿で受け止めた。
「悪い夢見そうなんだよなあ」魔理沙は呟く。「よりによって、運命を操るデーモン・ロードまでいるっていうのにな」
「大丈夫よ」
 声をかけながら咲夜は魔理沙の半開きの瞼の上にそっと手を被せて、光を遮った。夢見るかはわからないが、魔理沙は次第におとなしくなり、規則正しくお腹を膨らませたりへこませたりして呼吸をするようになった。
 悪い夢を魔理沙は見るだろうかと咲夜は思う。あるいはすでに見始めているのだろうか。それは魔理沙にとっては悪い夢かもしれないけれど、別の誰かにとっては悪い夢ではないかもしれない。夢は選べないし、見れるとも限らないし、救われるわけもない。夢は夢だけど、夢の中にいる魔理沙は夢を現実のように思うのだろう。眠りは緩やかに、ゆめうつつの境界を渡る。
 咲夜はふと手を乗せた魔理沙の寝顔を覗ってみると、幸せそうに緩んだ目尻がそこにはあった。


   ○


 あーあ、魔理沙も潰れてる。と誰に言うでもなく零された博麗霊夢の言葉を、早苗は両耳でしっかりと聞き取った。霊夢に膝枕されて看病されている現状では、そんな小さな呟きも早苗の頭の中にすらすら入ってくる。潰れているのは自分だけではないのだと思うと何だか妙な安心感が早苗を襲い、ふうとつい一息ついたところで霊夢から「あら?」と話しかけられた。
 早い段階で鬼に絡まれて潰されてしまい、それからずっと寝ていたお陰で意識はだいぶすっきりとしてきている。最初は畳の上にそのまま寝ころんでいた気がするのだけど、いつの間に霊夢の膝の上に移動していたのか、早苗にそれらしい記憶は残っていなかった。
 寝たふりし続ける理由もなく、早苗はゆっくりと上体を起こした。
「もう大丈夫なの?」
「すいません」と早苗はようやく声を出した。「何だかよくわからないのですけれど、お世話になってしまったみたいで」
「気にしないでいいわ」
「いえ――」何事かを言いかけた早苗の上体はぐらりと揺れて、またすとんと霊夢の膝の上へと戻った。紅の袴の上に、白い早苗の着物が沈むように混ざる。
「無理しないでいいわよ。強くないのは知ってるんだから、って別に弱いわけでもないのよね」
「でも、現に潰れてますから」
 これまで何度かあった宴会でも、早苗はいつの間にやら潰れていた。
「あんたの場合は、潰れた後にちょっとでも良くなったらすぐにまた宴の中に戻ろうとするのがいけないのよ。だからまたすぐ潰れる。それで結局潰れっぱなし。大体、酒なんてそんなに頑張って飲むものでもないわ」
「嫌いではないんですけれど、お酒」
「まあ、ここにいる奴らが蟒蛇過ぎるのもあるんだけどね」
 霊夢がそう言うと、早苗は視線を伏せるようにして霊夢を見上げるのをやめた。会話が止まり、二人の周りを宴会の騒音が壁のように迫ってくる。しばらく何事かを考えていた早苗は、ぴょいと勢いよくまた上体を起こした。
「強いはずなんです」ちらりと、自分の先祖にあたる神を早苗は見る。「子孫、なんですから。あれぐらい飲めてもおかしくないと思うんです」
「それはどうだろう」
 霊夢は渋って答えた。人間と神が飲み比べして勝てるかと言われれば、まあまず人が負けるだろう。酒に弱い神もいるにはいるが、あれはあくまで神に効く酒を飲まされた者たちだ。平生がどうかと考えれば、宴の現状をご覧あれということになる。
 早苗のところの神様二人といえば、地底の妖怪たちと何やら話し込みながら飲んでいるようである。また良からぬ事を思いついてなければいいと霊夢は思った。
「ああ、でも、あんたは現人神か」
「現人神も、こちらに来てからは普通というか、何だか重しがなくなったような心地はします」
「それでいいんじゃない?」
 飲む? と霊夢が早苗に勧めると、少し考えたようにしてから早苗は杯を持った。こくりと喉を鳴らした際に通っていったものは酒ではなく、頭を芯から覚ますような冷たい水だった。だから無茶しない、と視線で訴えられたように思って、早苗は決まり悪そうに肩を竦めた。
 酒の入った自分の杯を傾けて、現人神であるということは一つの境界に立つことかもしれないと霊夢は考える。神と人の間に立ち、自らの身そのものが境界に成り果てるようなものだ。早苗が語ることも、神の二人が何事かを酒と共に漏らすこともないが、幻想に入るまでの変遷はうかがい知れない。
「まあ、飲みなさいな」
「はい?」
 空になった早苗の杯へと、とくとくと音を立てて霊夢は今度こそ酒を入れる。乾杯はとうの昔に済ませてしまっているから、二人は視線を合わせただけだった。
 杯から口を離すと、早苗が首を横に向け、入り口にと開けられた戸の方を見ていた。外に雪でも降っているのかと思ったがそうでもなく、しかし――霊夢もそちらの方を射るように見つめる。
 杯を置き、霊夢はするりと袴で音を立てて立ち上がった。


   ○


 霊夢は立ち上がり、宴会のなかをすり抜けるように戸の元へと向かう。幽々子と話す紫と目が合い、どこからか戻ってきた妖夢が歩いているのも視界に映し、咲夜の膝枕を頼りに伸びきっている魔理沙の横を通っていく。開け放たれた戸からは冬の気配が流れ込んでいる。夜は随分と更けて、宴会の揺れる影は天井や畳に揺らめいて濃く色を残している。霊夢に浴びせられる灯りは真っ直ぐに目の前へと影を落とさせ、先は外の夜と融け合って一繋がりの暗がりを作っている。明暗の境は酷く儚げに霊夢の瞳に映る。
 霊夢が一歩進めばずにゅりとでも音のしそうな気さえする。およそ上半身の影が全て外に融け合ったところで、霊夢は足を止めて、一度中を振り返った。宴会は何も変わる気配もなくどんちゃらと騒がしく続き、開かれた戸からはそれは愉快げな雰囲気の漏れていることだろう。
 静寂と喧噪の真中にいることを霊夢は強く意識した。
 だからといって何が起こるでもない、終わるでもない。宴はまだまだ続くだろうし、冬はもう少しでやってくる。例え一足先に春が来たところで困りはしない。春は夏、夏は秋、秋は冬、冬は春へと続く循環の中へと、秋が春に飛ぶような事があっても楽しげだ。楽しげだ、などと思ってしまう辺り、どうやら酔いが回ってきているのかもしれないなと霊夢は少し自分を鑑みる。
 風の音がして、霊夢の首筋を冷たく撫でる。肩を叩いて呼ばれたかのように、霊夢は中から外へと向き直った。冬っぽいなあと感慨もなく思いつくままに思い、よく見るとどうやら初雪らしい。真っ暗にゆるりゆるりと白い筆先を動かすように、雪の欠片は空を舞って落ちてくる。
 内で酒を飲み続ける連中も誰かが気がついたのか、雪だ雪だ誰か走り回ってこい、いや炬燵が先だなどと騒ぎがますます大きくなっている。
 おうい霊夢、雪だー、と少し宴から離れたところにいた霊夢にも呼び声が次々とかかる。声を聴く限り、どうやら魔理沙も眠りから――夢から此処へと覚めたらしい。
 はいはい、と霊夢は答える。
 振り返って外に背中を見せようとした刹那、霊夢は足を止める。明と暗、熱と寒の境界が確かに今自分にのしかかっている心地を感じながら、気持ちよさげに微笑む。そして体は内に向けたまま、頭だけで外を振り返り、肩越しに様子をうかがうように言うのだ。


 あなたは、来ないの?


   ○


 呼ばれた気がした。


 ぱちりと目を開けたメリーの目の前には宇佐見蓮子の唇があった。至近距離から視線を交わし合い、触れる寸前で止まった唇から吐息がふきかかる。甘い匂いのするようだった。メリーはするりと右手を挙げて、会心のでこぴんを蓮子の艶やかな額へとお見舞いした。ぴちん、と乾いた音。
「おおう」と妙な声を上げて痛い痛いと蓮子は悶える。しかし炬燵からは出ようとはせず、暴れた分だけ炬燵に置かれた飲み物や食べ物がぐらぐら揺れる。
 倒れる前にメリーはコップに入った麦茶を飲む。側に置かれた、すでに食され骨だけになった秋刀魚の香りが少しだけ鼻をついた。秋刀魚はメリーが来る際に調達してきたものだった。秋の風情を感じる食べ物ではあるけれど、炬燵に入ったりして暖を取っていると、もう秋というよりは冬だよなあとメリーは思う。
「何するのよ」とメリーは針のような口調で言った。
「私をぼっちにして気持ちよさそーにメリーさんが寝ていらっしゃるから、ここは一つ起こしてあげようかと思っただけよ。眠り姫を起こす切り札は決まっているでしょう?」
「蓮子を眠り姫にしてあげることなら私にも出来そうだわ」
「遠慮するわ……。何だか、うん、たぶん永遠に起きれなそう」
 みすったあ、と叫びながら蓮子は仰向けに倒れ、その拍子に伸ばした腕が部屋に積まれた本を倒す。蓮子の部屋は本棚に入り切らなくなった小説や、専攻関連の論文の載っているらしい書物が積まれ、あまり人のいられる場所がない。時々、妙なタイトルのついた本の見えるのは、あるいはそこら辺から秘封倶楽部の活動に必要な、秘封倶楽部的情報を得ているのかもしれない。
「メリー」蓮子はすくりと起き上がった。「何だか随分と気持ちよさげに寝ていたみたいだけど、夢でも見ていたの?」
「夢? ……ええ、見てたわ。夢、よね?」
「いや、私に聞かれても困っちゃうというか、メリーどうしたのそんなに難しい顔して」
「宴会、をしてたのよ」
 今のこと? と一度は茶化すように蓮子は合いの手を入れて、メリーが夢のことを語ろうとしているのだと知ると静かに押し黙った。炬燵の温もりがあたたかさを通り越して、過度の熱気になっているようにメリーは感じた。
「宴会をしていて、何だかやたらに楽しげで、お酒に飲まれているのもいたりで、まあ普通の宴会よね。でも、何だか不思議な宴会だった気がするわ。お酒……いや、私は飲んでいないわ。雪を見た気はするけれど」
「雪?」
「たぶん、降ってたと思う。それで最後に、そう、呼ばれた気がして」
「どこに呼ばれるのよ」
「……宴会、じゃないかしら?」
「参加してたんじゃないの?」
「そんな気もするのだけど、でも私、たぶんお酒は飲んでないわ」
 うむむ、と蓮子が唸りながら考えるのにつられて、メリーも思考をぐるぐるとこねくり回す。
 宴を外から眺めていた気はする。おそらくはそうなのだろうけれど、何となくそれだけでは落ち着けず、内から雪を眺めたようにも感じる。雪だ、雪が降っていたのは確かなことだった。宴の熱気と外の冷たさに知らん顔をするように、空からふわりと雪は降っていた。
 しかし、それをどこから見たのか。内か、外か。それとも、その間からだったのだろうか。
「ふむ」
 メリーの考えがまとまるよりも先に、蓮子は何か思いついたような調子で頷いた。
「お酒を飲みましょう、メリー」
「どういうこと?」
「よくわからないから、お酒飲んでもう一度夢を見ればいいんじゃないかしら。まあ、夢の中でも現実でもお酒を飲むメリーは少し欲張りだなーとは思うけれど」
 はい、とからかった調子でお酒をつぎ、蓮子はメリーの前へコップを差し出す。澄んだ日本酒がメリーの瞳に映るが、そのお酒を受け取ってもメリーに笑うことは出来なかった。
 窓を見る。白いものが落ちていったような気がして、たぶん雪なのだろうなとメリーは思う。
 お酒を一度置き、炬燵から抜け出してメリーは立ち上がる。蓮子に何か言われるよりも早く移動し、窓の外に確かに雪の降っているのを確認して、蓮子を少し横に押しのけ、無理矢理に一つの方向から並んで炬燵に入り込んだ。
「メ、メリー?」
 狼狽した蓮子のコップにも新たにお酒をつぎ、ふうとメリーは一息をつく。炬燵に入った半身は熱気に晒され、上半身はそれよりは寒い部屋の空気にまみれる。隣にいる蓮子と、澄んだ日本酒だけが間をいくような温度で存在している。
 促して蓮子にもコップを持たせ「乾杯」とメリーは言う。もうさっきすでにしてしまったことだけれど、やってもおかしな事ではないように思えた。
 一人で眠るのが怖い、と言うほどには正直にはなれず、メリーは蓮子と一緒に一気に酒を流し込んだ。





  
 そして夢を見る。誰かに呼ばれた気がして、そっと覚める。


 読了ありがとうございました。宴会の時期、ということで。


 コメントにレスポンスさせていただきますー。

>1さん
 楽しげな宴と見ていただけたようで嬉しい限りです。ふと冷静になって周りを見たとき、今まであんな子いたかしらん? と思えるくらいの宴を思い浮かべていただけたら幸いです。読了、ありがとうございました。

>14さん
 面白いと感じていただけて嬉しいです。或いは夢が夢、ということもありうるのやもしれません。
 頂いた誤字報告なのですが、連体形の動詞の主語に付く助詞は「の」にしてもよいとのことで、この場合は誤字とはならないようです。もちろん「痕がある」にすることもできるのですが、今回は修正せず、一文字から宿る文章の雰囲気を優先させて頂きたいと思います。誤字指摘、そして読了ありがとうございました。

>15さん
 その一言が頂けて本当に嬉しいです。ありがとうございます! 成人したらほどほどかつ楽しめる面子とお酒をどうぞ。ゆめうつつの境界は其処に開くかもしれません。
 読了、ありがとうございました。

>17さん
 切り替えの繋ぎの処理が眼目の一つになっている作品でしたので、場面転換が上手く行っていたようで何よりです。
 読了、ありがとうございました。

>19さん
 楽しんでいただけたようで嬉しい限り。境界の曖昧を少しでも感じていただけたら幸いです。蓮子ならきっと傍にいると思います。ひっふー。
 読了、ありがとうございました。
えび
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コメント



0.720簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
幻想的で良き宴のあり方です
騒がしいなかで、ふと冷静をとりもどして、周りをみやる
皆が楽しむ様子を見て、それを肴に酒を呑む
ときに夢に、現に、酒に、呑まれてみるのもいいかもしれません。
それぞれの視点から描かれているため、宴がより一層たのしげに見えて。
すこし懐かしい気がするそんな作品でした。
14.100名前が無い程度の能力削除
よく分からないけど面白かった
うつつは夢なのか、夢がうつつなのか
なにはともあれ、良い雰囲気でした

誤字報告
>黒く牙の穿たれた痕のあるのを少しだけ想像して、
痕があるのを
15.100名前が無い程度の能力削除
ただ一言だけ。
とても、よかったです。
成人したら、こんな風になんとも楽しくお酒飲みたいなぁ・・・・・・。
17.100名前が無い程度の能力削除
場面転換がうまいですね。読了感が心地良い作品でした。
19.100名前が無い程度の能力削除
視点の移り変わりと宴会の雰囲気がお見事!
境界線が終始はっきりしない、どこかぼんやりとしたとした心情描写や情景にこちらまで心地よくほろ酔い気分になれました。
それとオチがとても好きです……また夢と現が揺らぐときには相棒が傍にいればいいねメリー。
20.70名前が無い程度の能力削除
宴会の空気。夢の中のような雰囲気。そのあたりの演出がすごく上手だと思いました。
22.100非現実世界に棲む者削除
幻想の世界の宴は何があっても終わらない。
良い雰囲気でした。