Coolier - 新生・東方創想話

すい星の美味しい季節

2009/12/05 06:04:54
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 秋が散る。
 色づいた葉はくるくると、枝を離れた勢いで回りながら、やがて地面までの短い旅を終える。
 三角形の葉は大きく、楕円の葉は小刻みな円をえがいて。
 一枚を手にとり、たわむれに静葉は、それをスカートに重ねた。虫食いの穴もそのままに、赤い葉をあしらった柄にとけこみ、すぐに見分けがつかなくなる。
 秋はただ、上から下へと絶え間なく流れていく。消えていくことそのものが秋なのだ。
「まあ、お茶でもいかがですか」
 にこにこと、稗田の娘が細い手で差し出した椀の中身は、落ちた楓の葉よりも赤い。
「あら、紅茶?」
「お、ご存知でしたか。これが案外わるくない。私の体には、普通の茶よりこっちの方が合うような気がするのです」
「ひー、最高だぜー!」
 なにか降ってきた。
 乱暴に落ち葉を蹴立てて着地した魔理沙は、傾いた帽子をくいっと直して鼻先をこすった。
「なあなあ阿求、あれって本当に空のてっぺんを飛んでるのか?」
 魔法使いの黒い靴はさくさくと、乾いた枯葉を噛み砕いていく。
「ええ、そうです」
「月よりは近いんだよな? さすがに、神様の力を借りたロケットなんてそうそう用意できないぜ」
 魔理沙はちらりと静葉を見、静葉は黙って紅茶をすする。あたたかい。阿求が持ってきた筒型の水筒は、魔法瓶というらしい。冷たいものはつめたく、熱いものはあつく保つという。なんでも魔法、便利なものである。
「ほうき星は、星とはいいますが実際は天蓋に沿って駆け抜けていくものです。あなたのその相棒が伊達じゃないのなら、きっと追いつけるはず」
「言うじゃないか」魔理沙は背中で箒をくるりとまわした。「じゃあ見てろよ。この魔理沙さんに飛べない空はないし、入り込めない屋敷もないのさ」
「山は越えられなかったみたいですが」
「お前がいたからだぜ」
「あれ、ほうきなの?」
 箒に跨りかけていた魔理沙も、自分の分の紅茶を注いでいた阿求も、きょとんと静葉を振り向いた。
 先に動いたのは魔理沙だ。
「なるほど。……なるほどな! なんで気づかなかったんだ。名前にもついてるくらいなんだ、ありゃとんでもない箒にちがいない。なにしろあんなに派手に煙を噴いて飛んでるんだからな! こりゃますます、手に入れないわけにはいかないな」
 間欠泉のように枯れ葉が舞い上がる。思わずかばった目を空にむけたときには、帽子と箒の見分けがつかないくらい、魔法使いは遠くなっていた。
 なかば葉を落とした梢のおかげで、山はひろびろと見晴らしがいい。あかるい青空の真ん中を分けるように、白いふっくらした筋が伸びている。今朝からみえているそれを、変わった雲だな、というぐらいにしか静葉は考えていなかった。
「ねえ。あの子に教えたこと、本当なの?」
 空を見上げる阿求の、含みのある横顔が気になったのである。
「そういう説も、かつてはありました」
「じゃあ、実はたどりつけないわけ?」
「さあ、どうでしょう。彼女の頑張りしだいじゃないですかね」
 手近な大木の根っこの、ふかふかしたあたりを選んで阿求はごろりと横になる。
「意地悪ね」
「意地悪にもなりますよ。朝も早くからいきなり押しかけられて引っ張り出された身にもなってください。遅くまで執筆していて、ろくに寝ていないのに」
 そして大あくび。山鳩が杉のてっぺんでくるくると鳴く。風はすこし肌寒いが、日差しはあたたかく、山の秋は今日もおだやかだ。






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「メリー、私ね、彗星の尾が進行方向と逆に出ている噴射炎じゃないって知ったとき、大人への階段を上ったんだわ」
 マエリベリー・ハーンは宇佐見蓮子が好きである。
 怒っている蓮子が好きなのである。
 とりわけ絶品なのは義憤だ。自分以外の誰かのために燃焼している蓮子は、肉の薄い頬からあごにかけてしだれ桜が咲いたみたいになって、目線は高く、瞳は澄み渡っている。
 とはいえいつもそう上手く彼女の社会正義を刺激するネタなど転がってはいない。仕方ないので自力で怒らせるほかなくなる。ところが普段の蓮子はどちらかといえば暢気で、細かいのはメリーの方なのだ。気がつけば、待ち合わせに遅れた彼女を待ってイライラしていたりする。
 くらい街角を並んで歩いて、どうも今夜は望み薄だぞと臍を噛む。さっきから蓮子はご機嫌なのだ。ひとつ怒らせてやろうと企んで、時代おくれのプラネタリウムなどに誘ったというのに。
 蓮子は星をみるだけで、正確な時刻を知ることができる。ニセモノの星空を見せられるなんて、侮辱されるようなものではないだろうか、と考えたのだが。
「マロングラッセ彗星なんて、ロマンチックな名前よねえ。お腹をすかせた子供が考えたのかな」
 ああ、ろまんちっくなんて、いつもなら絶対口にしないのに。
 プログラムのメインが、過去にやってきた大彗星の仮想シミュレーションだと聞いてから、ずっとこんな調子なのである。
「忠実に訳すと『甘酸っぱいマロングラッセ彗星』らしいわよ。名付けたのはイギリスの天文学者で、70を超えたおばあちゃんだったはず。マロングラッセって甘いばっかりで、どこに酸っぱさがあるのか私には見当がつかないけどね」
「メリー、なにをぶすっとしてるの。怒ってるの?」
「怒ってなんていないわよ」
 ずんぐりしたドーム状の共同墓地の前庭を横目に、二人は橋を渡って川べりを降りていく。
 はるか南方の海上には台風がきているらしい。熱くしめった風が京都を囲む山々を越えて流れ込み、嵐山の街はごうごうと音をたてている。首筋がじっとり汗ばむ。そうでなくとも、今年の秋は暑いのだ。暦ではすでに夏より冬に近いというのに、寝苦しい夜が終わらない。
 飛ばされないよう蓮子が帽子を押さえる。長い通りで一軒だけあいている店の青白い明かりに、彼女の影が伸びている。ポールに立ったのぼりがはげしくうねっている。コイン一枚で買える即効性の避妊薬から最新式のコンピュータ・ユニット、はては株式売買までも取り扱うコンビニエンスである。
「雲がはやいわ」
 きれぎれの雲をはさんで、まばらな星がひっきりなしにまたたく。「そうね」と生返事の蓮子は目を細めて空を見上げている。はだけた首元には風が運んだのだろう枯れ葉がへばりついている。きっと彼女の不思議な目は、眼球は、視神経は、脊髄は脳髄は……この瞬間にも星の位置関係をみえない糸で結び、たった今の時刻を「感じて」いるのだろう。
 あわせた肌からつたわる体温みたいに。
「で、いまや将来を嘱望される蓮子さんにとって、彗星についての正しい説明なんてお手の物なんでしょうね」
「当然よ。あれは宇宙人の魔法使いが乗る箒。常識だわ」
「エイリアンなのか魔女なのか、どっちかにしなさいよ」
 いつものように「今何時何分」と蓮子は言い出さなかった。市街の中心にむかう裏道は、ぐねぐね入り組んで折れ曲がっている。街路図のホログラムが壊れて点滅している。タイルは重油を流したように光り、前をゆく蓮子の白い靴下をうつす。どうやら足取りまで軽いらしい。
 たった今地上に生まれ落ちた仔鹿みたいにかろやかな彼女を、どうしてやろうかと画策しながら、老婆の魔術師のようにメリーはついていく。






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 いつのまにか、阿求の姿が消えている。魔理沙が降りてきていぶかしげな顔で見回して、静葉は軽く焦った。
「そういや今日は、芋っぽい妹はどうしたんだよ?」
「あ、今ちょっといないみたいなの」
 阿求のことを聞かれたのではないと、答えてから気づいた。「えっと、今年はわりと豊作だったから。お米から踊りから、奉納されるものを片っ端から受け取ってまわらなきゃいけないの。あの子は忙しいのよ」
 忙しい妹に申し訳なくて、早口でつけくわえる。里の豊作にも、豊穣の神である妹のことも、森に暮らす魔法使いにはあまり関心なさそうだ。どさりとあぐらをかき空を見上げ、ふくらませた頬をすぐすぼめて髪を撫で付ける。
 沈黙。
 風がやみ、落ち葉は回転の向きをかえてゆるやかに降ってくる。赤や黄色の服を着た妖精が、スカートのすそを摘んで着地する姿を、静葉は幻視する。
 青みを増した空には、白い軌跡が変わらず流れている。山の頂に先端を埋めて左下から右上へ、徐々に薄くなっていく様子は、先ほどから寸分も動いた様子はない。
 隣の息遣いが気になる。彼女は、とくに親しい人間というわけではない。
 里で有名な知識人を連れて、魔理沙が静葉たちの社の近くに降ってきたのは今朝のことだった。一度は山頂を目指したというが、阿求と一緒では哨戒の天狗たちを振り切れなかったらしい。それで適当な山すそに下りてきただけで、べつに秋の神に用事があったというわけではないだろう。
「おや、もう音を上げたんですか。だらしがないですね」
 赤い実をつけた南天の枝をがさがさかきわけて、阿求があらわれる。への字に曲げた唇を帽子で押し隠し、ぴょんと立ち上がって黒いスカートを払った魔理沙はにやにや笑っている。
「シエスタである。邪魔をしてはいけない」
 見栄っ張りなのね。静葉は思う。痛みも怒りも、きっと誰にも見せたがらないのだろう、この娘は。
「ばっちり起きてるじゃないですか」
「お前こそ、はばかりだからってあんまり遠くへ行くなよ。冬眠前の熊はなんでもモリモリ食うぜ?」
「乙女になんということを。それに今年は山も豊作ですからね。熊もこのあたりまで下りてはこないでしょう」 
 ね、と阿求は静葉へうなずきかける。魔理沙は阿求の魔法瓶から無断で紅茶を一杯飲み干し、ようし、と帽子をかぶりなおす。日差しをうけてきらめく金髪の美しさに、静葉は目をみはる。
「よし、もう一度チャレンジ」
「行ってらっしゃい」
「かなりな高さまで飛んだつもりなんだけどな。全然近づいたような気がしないんだよなー」
 エプロンドレスのあちこちに手をつっこみ、魔理沙は立ったままどさりどさりと小物を足元に落としていく。火打石に、鍵束に、ガラス瓶に、香木の枝に、その他よくわからない小道具のようなもの。どこに入っていたのかと思うほど、大量に。
 なるべく軽くしようとしているのだなと、静葉にもそのぐらいはわかった。
「なあ。あれ、ひょっとして龍神か蛇神のたぐいじゃないの?」
 自分に聞かれていると思わず、静葉は魔理沙の目を見たまま反応が遅れた。
「そういう説もあります」
 魔理沙の持ち物から、分厚い本を拾い上げた知識人が、むずかしい顔でページをめくりながら返事をする。
「するとあの長い尻尾は、そのまんまってことか」
「そういうことですね」
「なら、近くまでいって弾幕でもぶつければ気づいてもらえるかもな。うん!」
 そしてまた枯れ葉が舞い、魔法使いは地上から消える。
「話は最後まで聞きなさいっていうんだけどなあ」
 やれやれと隣で膝を折った阿求のつぶやきが、静葉はまた気になった。
「どういうこと?」
「まあまあ。その話は彼女が無事に戻ってからということで。ところで秋神さま」
 どこか物騒なことをいいながら、彼女は女袴のポケットをさぐり、ハンカチにくるんだものを取り出し、結び目をといた。
「よさげな松林が見えたので、無断で拝借しておりました。お詫びといってはなんですが、ご一緒にいかがでしょう」
 膝の上にひろげたのは、小ぶりながらしっかりと傘にふくらみをたくわえた、数本の松茸だった。






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 道に迷って、蓮子に住所を教えて案内してもらう羽目になった。入ってみると、8時からのプログラムはすでにはじまっていて、薄暗いホールの奥でなんとも古めかしい、大昔のソユーズ地球帰還船みたいな光学式装置がのそりと頭をもたげていた。
「なんだかなつかしい味だなあ」
 といいつつ、蓮子は小瓶ごと注文した安酒を手酌でぐいぐい減らしている。
 斜めになった天井でプログラムが切り替わる。週末に親子連れがおしよせる科学館ではなく、「星が見られる」をウリにしたバーなのだ。レトロな機材も見世物のひとつである。
 機械音声の解説が流れ出す。
 ――C2012M1、通称マロングラッセ彗星は、観測史上最高の光度を記録した大彗星です。神亀の遷都前の東京都心で、平日の昼間でも西の空にみることができたと伝えられ、――
 人工の青空が広がり、新宿の高層街を模したシルエットにかかるように、かすかに白い光跡がうかびあがる。
「聞いてる? 蓮子」
「聞いてるわよメリー。せっかくだから星をみようよ」
「文明に毒されているのよ。研究者として、危機感をもつべきなのよ」
「ぶんめい、ねえ」
 合成ノシイカを、蓮子はぐいいと噛み千切る。
「あの人たちのやっていることはね、顕微鏡観察をやるとするでしょ、まず顕微鏡を棚から取り出す役、それからそれをテーブルにのせる役。サンプルをスライスする役、プレパラートをつくる役、それをセットする役。ピントをあわせる役、顕微鏡を覗く役――そしてスケッチしたり記録する役まで、ぜんぶ別々にしましょう、といってるようなものよ。そりゃ今は何事も分業の世の中だけれど、精神分析の場においては」
「悪いけどそのたとえ、よくわからない。ね、メリー、熱くならないの。ほら、彗星がひかるよ?」
 子供を諭すみたいに優しく見つめられて、メリーは我に返った。
 どうやら映画館を改装したらしい、階段状にならぶシートと同じ角度に斜めになった天井に、広大な夜がひろがっていく。ネガポジ反転するように星が輝き出す。
 すべての天体を圧するように、おかしな名前の彗星は力を取り戻していく。昼間には一筋だった尾は三つにも分かれ、夜の半分を埋め尽くす勢いだ。
 なにをやっているのだろう。こっそりとメリーはため息をこぼす。猫背の蓮子は帽子を膝に抱き、細い首をかしげて人造の夜を皮膚にうつしている。
 所属する研究室でちょうど盛り上がっている議論を持ち出したのは、怒っているフリだけでもすれば、蓮子の感情も釣りだせるのではと考えたからだ。メリー自身はどうでもいいと距離を置いていた方法論なのに、いつの間に本気で熱くなって、どうする。
 ほしがひかるよ。
 天井の彗星は少しずつかたちを変えていく。三又の尾はゆらゆら揺れながら、女の髪を水に流したようにからんで膨らみ、薄れていく。それと別に、青いイオンの尾が定規でひいたような直線をくっきり斜めに延ばしている。
 ――11月15日に近日点を通過後、22日にはその長大なダスト・テイルの内側に、地球がすっぽり入り込みました――
 映像がとまる。
「彗星の尾って、猛毒なんだよね」
 頬杖をついて、蓮子。
「シアン化合物でいっぱいなんだって。むかしハレー彗星の尾に地球が入ったときには、それで大騒ぎになったんだってさ。みんな死んじゃうーって。パニックよね」
 ボックスシートの客の手元で携帯端末の画面が点滅する。メリーの気に障ったが、蓮子は頓着していない。
「どんなことが起きたのかな。お金持ちは、ぱあっと散財したのかもね? 恋人たちは別れて、せつな的にパートナーを探したのかもしれない。神様とか、悪魔とか、いろんなものに祈った人も、少なくなかったかもね?」
 夢見るように蓮子は喋る。まばたきをした瞳がうるんで、猫みたいなあくびがでる。なんだか馬鹿馬鹿しくなって、メリーはテーブルにだらしなく半身を投げ出して、静止画の宇宙を指した。
「で、蓮子。これは何時何分何秒の、夜なのかしら?」
「さっぱりわかんない」
「え?」
 満面の笑顔だった。思わず身を起こしたメリーに、蓮子はやわらかく肩をくずして寄り添ってくる。
「なんでかなあ。彗星が強く光ってると、時間も場所もぜんぜんわからなくなるの。だから好きなんだ、彗星の夜」
 そしてあっけにとられているメリーの袖をつかんで、誘ってくれてありがとう、などというのだ。






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 山で火をつかうこと。
 そのために美しく色づいた葉をいくらか燃やすこと。
 阿求はこの二つについて、とても丁寧にゆるしを求めたから、静葉も悪い気はしなかった。火を焚くのに適当な川べりまで案内してやったくらいだ。
「毒ですって?」
 魔理沙の道具を使って、阿求は器用に火をつけた。松茸は遠火で炙るように小枝に刺して立てた。
「ええ猛毒です。大の大人でも、下手すれば妖怪でもコロリといくような」
 魔理沙の持ち物には小さな岩塩まであったらしい。縦に裂いた松茸に、阿求は氷砂糖のようなそれを、軽くこすりつけるようにする。
 ぱちりぱちりと、落ち葉に混じった団栗が火の中で爆ぜる。数日つづいた曇り空のあととは思えないほど火の勢いはよく、立ちのぼる煙は白く透明で、切れ目なく漂っていく。
「すだちでもあれば、なおいいのですが」
「じゃなくって、危ないでしょう! どうして教えてあげなかったの、今頃あの子」
 興奮して、静葉は立ち上がって空を指差した。焚き火の煙に被さって、ほうき星の尾は長く延びている。阿求のいうとおりなら、その白い雲は毒の粉なのだ。そのうち窒息した鳥がたくさん落ちてくるかもしれない。
「あの魔法使い……」
「くっそー、力およばず」
 静葉の背後の斜面を踏み越えて、ひょっこり魔理沙が姿をみせる。乱暴な足取りで焚き火の傍に寄ると、阿求の隣でどさりとあぐらをかき、手近の松茸をひとつ手にしてかぶりついた。
「まだ焼けてないでしょう?」
「わかってないな。肉と茸は生焼けなくらいがちょうどいいんだぜ」
 ぐいと口をぬぐうと、指についていたらしい煤が彼女の頬に残る。ふき取ってやりたくなりながら、煙の反対側に静葉は腰を下ろす。
 火熱を浴びた松茸は白い肌にしっとり汗をかいている。
「だいたい、黙って場所を変えるなよ。探しちゃったじゃないか」
「空から煙が見えたでしょう」
 頭を低くして焚き火の根元を枝でかきまわしていた阿求が、煙でも吸い込んだのか軽く咳き込んだ。
「ふん」
 大の字に寝転がった魔理沙の顔が静葉の横にくる。口はまだ茸を噛んでいる。ふたつの眼差しはまっすぐ天をさして、今の彼女は、不機嫌を隠そうともしていない。
「ちぇー……。香霖はとりあわないし、霊夢は異変じゃないっていうし。せめて尻尾の切れ端でも持っていって、驚かしてやらないと、あいつら」
 夏より水量の減った川の流れがこぽこぽ音をたてる。水底まで、あざやかな紅葉がいっぱいにしきつめられている。静葉は身を乗り出し、濡らした手のひらで魔理沙の頬をぬぐってやった。
 魔理沙は静葉にちらりと目をくれただけだ。ただくすぐったげに片頬をゆらす。
「なるほど、だから私を連れ出したんですか」
「おまえの知識は出鱈目ばっかりで、役に立ってないけどな」
 阿求が両手に、松茸の刺さった枝を差し出してくる。静葉が片方をうけとると、もう一方に手を伸ばした魔理沙の手をかわして、茸を口にくわえて引き抜いた。
「お酒がほしくなりますね」
 日に透かすと小豆色の髪をかきあげて、どうみても子供の背格好なのに苦みばしった横顔をするので、静葉はおかしくなってしまう。
「なんですか、静葉さん」
「ううん、なんでもないの」
 顔をそむけた小川の水面に、いきなり水柱がたつ。
「やや、なんだかいい匂いがするじゃないか!」
 と、静葉も顔なじみの谷河童が顔を出すのと、
「ちょっと魔法使い! あなたさっきからうっとおしいのよ、目の前をちょろちょろして!」
 ずしり、と地震のような衝撃とともに、巨大な岩の塊が川原に突き刺さったのは、ほぼ同時だった。






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 地下からの階段をあがっていく蓮子の手には小さなガラス瓶がある。呑み切って空にした酒瓶を、「綺麗だから」と店員にたのんで持ち帰ることにしたのだ。店員は気前よく一度厨房に戻り、瓶のラベルを剥がして渡してくれた。
 鴉みたいに光物を集める癖が、蓮子にはある。家に持ち帰ると関心がなくなるようで、冷蔵庫の上やら本棚の隙間などに放り出されるのが常なのであるが。
 いびつな気泡の浮いた、ハンドメイド風のガラスは青くかがやき、それは人通りの絶えた商店街で唯一といってもいい色彩だった。
「雨だいじょうぶかな」
 アーケードを抜けて蓮子が空を見上げる。夜ふけてなおのこと暑くなったようだ。強い風の通り道は高所に移ったらしく、メリーと蓮子の歩く川べりはふやけた空気が漂い、首筋の汗が乾かない。
 山の方では降水があるのか、水位をあげた黒い川は勢いよく流れる。前を歩く蓮子が振り返り口を動かしたが、水音で聞き取れない。メリーは、曖昧に笑った。
 ――マロングラッセ彗星は。
 もう帰ってきません、と、そこだけ感傷的に響いたナレーションを、メリーは思い返している。その周期は15628年と実に遠大であると判明したのは地球に最接近した数ヶ月後。わずかその数日あと、衛星軌道上の宇宙望遠鏡はつよい輝きをとらえ、それ以降地球から遠ざかっていたはずの彗星の姿は、忽然と消え失せた。他の天体と衝突したか、なんらかの原因で核が消滅したものと、当時の学者は結論づけた。
 途方もない未来の再会でも、二度と会えないことにくらべれば、はるかにましなのだろうか。奇しくも大彗星の消滅が観測された日に、その名をつけた老科学者は、自動車の事故で亡くなったという。
「蓮子」
 橋をわたる蓮子にメリーの声は届かない。朱塗りの欄干の上を、彼女は手にした小瓶をすべらせて、夜を見上げている。川の水は橋げたにその身を裂かれ怨嗟の声をあげている。
 煮立ったシチューみたいな雲があとからあとから湧き出し、いまや星は完全に隠されている。蓮子のおだやかな横顔は、メリーには遠く感じられた。彗星の夜とおなじく、この夜は彼女にメッセージをあたえない。蓮子は自分の特別な能力を、うとましく思っているのだろうか? プラネタリウム・バーでいわれたことが、メリーの中でまだ尾を引いていた。星をみて時刻を告げる彼女は、いつもどこか誇らしげだったのに。
 そのとき蓮子の、ハイカラーシャツのはためく首筋に、まだ貼り付いたままの落ち葉をメリーはみつける。バーに入る前からくっついていたのに、気づかなかったらしい。鏡でもみなかったのかと思い出してみると、化粧室を使ったのはメリーだけだった。
「蓮子、そこに……」
 手を伸ばしかけたメリーを、悪寒めいたアイデアが通り過ぎる。首をかしげた蓮子は立ち止まって、近づいてくるメリーを待っている。
 橋のちょうど真ん中だ。
「どうしたの、メリー?」
「じっとして」
 指がふるえたのは、演技ではない。メリーは、こと自分の能力のことで蓮子に嘘をついたことはなかった。
「あなたの体に重なって、境界の裂け目がみえるの」
 蓮子の表情が固まった。川に沿った糸杉がざわざわ揺れた。
「え、え? なにを言ってるの、メリー」
「言葉どおりの意味よ。動かないで、蓮子」
 首筋に縦に乗っかった落ち葉は細長く、ともすれば境界のようにみえなくもない。メリーの全身は、汗でぐっしょり濡れていた。
「こんな境界の見え方ははじめてだわ。とても小さな裂け目だけれど、蓮子、この中を覗いたなら、いったいなにがみえるのかしら。ねえ? もしもこの境界が私が覗くことで変化するのなら、それは蓮子の中の決定的なものまで変えてしまうのかもしれない。性格とか、記憶とか、あるいは細胞にたくわえた情報だって。……それは、考えすぎかしら」
 悪魔のような声が出る。蓮子は端正に眉をしかめた。少しばかり腹をたてたのかもしれない。場違いに、メリーは喜んでいる。そして失敗の目算が高い実験のように、期待している。このまま近づけば、蓮子ははっきり苛立たしさをみせて、メリーをはねつけるかもしれない。あるいはメリーの、境界を見るなんていう、おぞましい能力をも、きっぱりと。
 指先が、蓮子の皮膚にとどいた。わずかにめりこんだ指の腹に、彼女の心臓が頭蓋へおくる血流のつよい鼓動が、規則正しくつたわってくる。
「なんてね。嘘。嘘よ嘘! 蓮子」
 メリーは逃げ出すように枯れ葉をつまみあげた。血の気をうしなった蓮子の唇が、きゅっと引き絞られる。
 水の喧騒を割って、金属音が反響した。欄干をささえる柱に当たっても割れないまま、青いガラス瓶が川へ落ちていく。濁った波に呑まれ、すぐに見えなくなった。
「……ごめん、メリー。先に帰る」
 橋の下をのぞきこんでいて、メリーは蓮子のつぶやきを理解するのに遅れる。顔をあげたときには、暗い街をつなぐ橋の上に立っているのは、メリーだけだった。






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 どうしてこんな流れになったのか。静葉にはわからない。
 売り言葉に買い言葉が飛び交って、その言葉尻にもついていけずにいるうち、気がつけば魔理沙ともう一人はふんぞりかえって睨みあっている。
「んじゃ、勝負といくか?」
「ふふん、まあいいわ。つきあってあげましょう」
 色あざやかなスカートについた落ち葉を払う手つきは大儀そうだったが、青い髪の娘は心底楽しげだった。静葉もはじめて会う、彼女は空のはるか高みに暮らす、天人だという。
 魔理沙が焼き松茸の取り分について、あとからやってきた二人に絡んだのがいけなかったのか。
 天子と名乗った天人が、にとりの持ってきた山の酒を気に入って、大徳利の大半を一人で呑み干してしまったのがいけないのか。
 どうにも経緯が思い出せない。天狗たちの小競り合いなんかもいきなり始まるけれども、しばらくはなごやかに火を囲んでいたはずなのである。
「ルールは簡単、先にあのほうき星の尾っぽにタッチして戻ってきた方が勝ちだ。そうだなー、尻尾の一部でもちぎって持ち帰ってくれば、なおいいぜ」
 びしり、と魔理沙が指をさした空の一角で、紡錘形の白い姿は、わずかに色を増したように感じられた。
 早々に我関せずをきめこんだにとりは、徳利を抱きかかえてにやにやと二人を見上げている。空になった魔法瓶に川の水をくんできた阿求が、火の始末をはじめる。
「ゴールって魔理沙あなた、届かないから天界のあたりをウロウロしてたんでしょ?」
「三度目の本気だぜ」
「ああいえばこういう。石に漱ぎ流れに枕すは人の愚かさよ。しょせん魔女の箒は庭を掃く道具だって、思い知らせてあげるわ」
「ちょ、ちょっと」
 思わず静葉は魔理沙のスカートの裾に手を伸ばしていた。阿求の話は眉唾だともうわかっていたが、危険があるかもしれないことは、教えておかなければと思ったのである。
「お? 一緒にいきたいのか?」
「え?」
 なのに、ひょいとその手首をつかまれて引かれた。あれよあれよという間に、傾けた箒に跨らせられる。
「スピード出すから、しっかりつかまってろよー」
「ちょっとちょっと、なによそれどういうつもり?」
 自分も腰を落として跨った魔理沙の前に、手を振って天子が立ちふさがる。
「ハンデだ。なにしろ天人様は、どんくさい岩の錘とご一緒だからなあ」
「いってくれるじゃない。そっちがそうなら、こっちは」
「へ? なになに、なんだよ」
 つかつか歩みよった天人は、徳利をちびちびやっていた河童の襟元をつかんでひょいと持ち上げると、自分の乗ってきた大岩の上に軽々と放り投げた。
「わわわ、ちょっと待って待って!」
「大丈夫、私の要石はあんなひょろひょろ竹と違って、乗り心地いいわよ?」
 天子が優雅に腰をかけると、地面に刺さっていた岩はふわりと浮き上がる。にとりは逃げようとするが、背中のリュックをがっちりつかまれている。
「なんで私? ほら人間の娘もいるじゃん!」
「あの子は、体が弱そうだしね。空も飛べないんでしょ」
「ええ。冗談じゃありませんよ」
 にこにこと歩み寄ってきた阿求が、へっぴり腰で岩にしがみついたにとりに向かって、ぐっと親指をたてる。
「いってらっしゃい」
「は、薄情者ー!」
「ああ、でも」
 ――ひとりじゃ置いていけないな。
 静葉は、腰に手をまわした魔理沙の背中を見上げた。はじめて聞くような、彼女の声だった。
 静かな秋の山でも、人間の娘が一人でいていい場所ではない。静葉はけっして、力の大きな神ではないけれど、多少なりともその周りでは、あまり奔放に振舞わないよう、遠慮するものなのである。人間と、力のつよい者たち以外なら。
 魔理沙が自分のところへ阿求をつれてきたのは偶然ではなかったのかもしれない。
「山のお土産が人肉のハムになったりするのは嫌だぜー?」
 どうだろう。魔理沙はけろりとして、静葉は一抹の不安を感じる。
「大丈夫、だと思いますよ」
 当の阿求は、あっけらかんとしている。その指につままれてくるりと回されたのは、光沢のある黒い鴉羽根だ。
「いつも神出鬼没なあの方にしては、めずらしい。水をくんでいたら、川面に落ちてきました」
 魔理沙が敏感に目をぱちくりさせる。
「やーい。阿求ごときに見つかってやんの」
「別に私が人間を守る義務なんてないんですけど」川原で一番高い杉のてっぺんに、細身のシルエットがひらり降り立つ。「まあ阿求さんは知り合いですからね。里の有名人でもありますし、ここでなにかあっては私の新聞の売り上げにも影響がね、少なからず関係するのは間違いないわけで」
 射命丸文は羽団扇で口を隠し、肩にとまった一羽の鴉にめっと睨みをきかせる。静葉たちを一瞥したときには、その唇には倣岸な笑みが浮かんでいた。
「無様に負けたどちらかを、記事にしますからね?」
「上等ね。それじゃ、これが落ちたら」
 大岩の上に立った天子が、手にした小石をゆるやかに投げ上げる。不安げにその腰にしがみついたにとりも、その軌跡を目で追う。
「おっけ、スタートだな!」
 魔理沙の手が自分の腹の前で組んだ静葉の指に、たしかめるように重なってくる。
 かさり、と乾いた音がくっきり聞こえた。竜巻のように立ち上がる枯れ葉の渦の中心に、静葉はいた。
 前触れもなく、魔法使いの体が猛烈な勢いで進み、全身が引っ張られる。あわてて、腕全体に力をこめてしがみついた。
 風が眼球をたたく。それでも無理にこじあけて、魔理沙の黒い衣の肩口にあごをくっつけ、かがやく青空のてっぺんが迫ってくるのを見逃すまいと、耐える。
 こんな速度で飛んだのは、静葉ははじめてだった。






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 その日ゼミのあとでメリーが、いつもはつきあわないゼミ生たちとのお喋りにくわわったのは、めずらしく数日、蓮子に会っていなかったからかもしれない。
 油でといたような夕陽が学食の半分まで入り込み、女生徒たちは酔ったように陽気だった。
「宇佐見さんってさ、なんか違うよね」
 誰かがいった。その当人も、まわりにいたはずの生徒たちも、メリーにはよく顔を思い出せないのだ。
「ハーンさん、知ってる?」
 誰かのうちの一人が、メリーにたしかめた。黙って愛想よく微笑んだのが、今思えば一番の裏切りのような気がしてならない。
「ウサミレンコ」
「そうそう、ウサミレンコだった」
 紙カップのまずいコーヒーを飲み干して、メリーは座っていた。
「あの人ね、以前理研の教授にくってかかったことがあるの。私見たんだ、えらい剣幕だった。『科学は人を幸せにする』って」
 そうではない。
 どっとあふれかえる笑い声の中でメリーはだまって訂正する。蓮子は「人は科学を幸せにしなかった」といったのだ。
「へー、格好いいんだ」
 誰かがまぜ返し、はじめてメリーはつよい嫌悪を感じた。
「あれ、ハーンさん、よく一緒にいる人じゃあ……」
 今度は気まずげにささやかれ、メリーは答えなかった。神経痛みたいな笑みが頬にはりついていた。言いだしっぺの誰かは、予想外の反応のよさに気をよくして、薄荷の煙草をふかす。
「こんな時代にさー。あんなこといえる人、私ある意味尊敬するわ。そう思わない?」
 賛同と同調と、あとは無関心。メリーはそっと席をたってその場をあとにした。おぞましい笑みはまだはがれない。学部棟の通路から出てきた蓮子と、ばったり出くわした。
「およ。メリー、ご無沙汰じゃない?」
 メリーは、蓮子の顔をみられなかった。はっきりと背後の集団は静まった。今までの雑談を聞かれたのか、メリーは気になった。こちら側には自動ドアがないから、入り口で聞き耳をたてていればじゅうぶん耳に入るだろう。蓮子はけっして、そういうタイプではないけれども。
「……蓮子が三日、遅刻しただけでしょ」
「ありゃ、なによそれ。約束してたっけ?」
 腕をからめて、メリーは蓮子をその場から引き離した。
 その晩から雨が降り続いている。あげくに今日は台風だ。
 明かりを消した部屋でスカートを脱ぎベッドに寄りかかって、メリーはバックライトの消えた携帯電話の画面を、じっと眺めていた。
 窓の外で風がうなる。橋の上で別れてから、蓮子からは連絡はない。
 どうして、あんな嘘をついてしまったのだろう。
 どうして、かけがえのない彼女を、弁護してやれなかったのだろう?
 片頬を何度もゆがめてみる。あの日の愛想笑いが、呪いのように刻みつけられているようで、気味が悪いのだ。
 蓮子はきっと、メリーたちの雑談を聞いていなかっただろう。聞いていたにせよ、大して気にもしていないだろう。ずっと気にしているのは、メリーなのだ。気にしているのに直接たずねられなくて、怒らせてみようなどと、したのだ。
 特別の能力があっても、なんにもならない。たとえあの橋の上で、本当に蓮子の体に境界の隙間がみえていても、彼女の心までわかるわけではない。末来だってわかりはしない。あたりまえだと思っていたことが、急に怖くなった。蓮子と、いつまで一緒にいられるのかなんてことまで、考えてしまった。
 雨がざぁっと窓にかかる。蓮子はもう、アパートに帰りついただろうか。口実にして電話できると知りながら、メリーの指はパネルの上で、ぴくりとも動かない。
 真っ暗な窓をしたたる雨は墨汁のようだ。あと数分で、日付けがかわる。


 そしてそれから一時間もしないうちに、メリーは蓮子に手をひっぱられて、雨の中を疾走しているのだった。
「ちょ、ちょっと待って蓮子、止まって、ちゃんと説明してよ」
 なにしろ、突然の訪問から、ほとんど問答無用なのである。
『怪奇よ! 異変よ! 超常現象よ! メリー、秘封倶楽部の出番だわ!』
 来客用のテレビモニターの中で、蓮子はカメラを見上げて、待ちきれないように足踏みしていた。かろうじて傘だけは持って出たものの、風であおられて直す暇も与えてもらえず、結局役にも立っていない。
 北へ向かう直線道路には二人の靴音だけがこだましている。濡れた長いスカートは腿をしめつけて、何度もメリーはつんのめりそうになる。そのたびかかる体重すら気にしていない様子の、蓮子の力強さ。
「待たない! これは一刻を争うのよ!」
 彼女のもう一方の手には青い小瓶が握られている。見間違えでなければ、橋の上から川へ落としたはずの、あの酒瓶だ。どうして蓮子が持っているのか、そのあたりにメリーが連れ出された理由がありそうだが、蓮子はずっと振り向かない。
 信号が次々青に変わる。正面に横たわる山脈から、押し流される雲を透かして、夜光虫のようにつらなる光の明滅がメリーたちと行き違い、長く尾を伸ばして、消えた。
「蓮子、今の見た?」
「なに?」
「空よ、空」
「えーなに? どうせ星はみえないって!」
 稲光か、月の明かりだったのだろうか。






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「お、あったあった」
 声とともに、天も地もわからない加速が、やっと緩んだ。
 いつのまにか閉じていた目をおそるおそるあけると、箒の柄を手で押さえて旋回した魔理沙が、ふわふわと降りてくるものをキャッチするところだった。
「なに?」
 肩に手をかけてのぞきこむと、「ああ、これはな」と魔法使いは得意げに、持っているものを静葉につきつけた。
「さっき上がってきたときにさ、ほうき星めがけて、全力で撃ちこんでおいたんだ。魔法にのっけてな。尻尾のかけらでも入っていれば、万々歳って……」
 声は不自然に立ち消える。赤くつややかな筒を手にして、魔理沙はしきりに首をかしげていた。筒の先には、ひも付きの帽子を思わせる三角形の布がだらりと垂れている。
「どうしたの?」
「おかしいな。確かに私の打ち上げたのはガラスの瓶だったはず……。こんな鉄でできた容れ物じゃなくて」
 魔理沙が指ではじくと、筒はカンカンと硬い音をたてる。
「中身は入ってるの?」
 毒かもしれないと、箒の上で及び腰になりながら、静葉はたずねる。
「蓋がされてる。蓋なんてしちゃ、なにも入らないだろうに……。でもこの落下傘は間違いなく私がつけたものだな。どういうことだ? うーん」
 ほとんど独り言になっている。
「まあいいや。持ってて」
 いきなり渡されて、その筒の冷たさにもおどろいて、大きく吸い込んだ息も氷のようで、思わずくしゃみが出てしまう。
「寒いか? 寒いよな。私も寒い」
 かくいう魔法使いも頬をあかぎれのようにしている。なるほど冬は空の上にあったのかと、静葉は思った。夏も春も、用のないときはきっとどこかへ隠れているのだろう。
 地平線はゆるく弧をえがき、そのふちは青から緑、黄から赤へと変化している。こんなところに一人でいればどれだけ不安になることだろう。それができる魔法使いに、羨望と、かるい嫉妬を静葉はおぼえる。
「じゃあ戻るか。結局とどきそうにもないしな。ああ、くやしいぜ」
 静葉は真上を見上げる。ほうき星は、山で見た姿とたいして変わりなく、藍色の空に音もなく浮かんでいた。
「くやしいなー」
 名残惜しげに、魔理沙の箒はぐるぐる周回する。花びらのような雲を破って、小さな影が静葉の足の下から近づいてきた。
「よう、遅かったじゃないか」
 静止した静葉たちの横に、仁王立ちの天人をのせた岩が、ゆっくりと上がってくる。魔理沙のにやにや笑いに、天子は頬をふくらませて顔をそむけた。
「あれ、にとりはどうした。振り落としたのか?」
「知らないわよ」天子は行儀悪く、岩の上であぐらをかく。「飛び上がってすぐいなくなったんだから。おかげで、手を抜いてあげるしかなかったじゃないの」
「おーおー。負け惜しみ」
「うるさいわね。……それはなに?」
 天子が帽子のつばをはねあげて興味を示したのは、静葉の持つ金属の筒だ。
「聞いておどろけ。これがなにを隠そう、ほうき星の一部なのだ」
 ゆるゆる下降しながら、魔理沙は胸をはる。
「うっそ。じゃああなた、あの穂垂れ星まで行ってきたってこと?」
 岩をかたむけて、天人が追いすがってくる。
「ふふん。まっ、そういうことかなー」
「ちょっと見せなさいよ」
「うわちょっと待て、神様それ渡すなよ」
 魔理沙は向きを変えようとしたが、少し遅かった。伸ばした天人の手が、静葉が持つ筒から伸びた布を絡め取る。紐の結ばれた、輪になった突起がくいと持ち上がる。
 枯れ竹を踏んだような音がした。
「あっ」
 静葉の手を離れかけた筒を支えようと、三人は顔をつきあわせる格好になる。その上から、なにやら水滴が降り注ぐ。それは筒の上部にできた隙間からはげしく噴き出しているのだ。
「ぶわっ」
 魔理沙が顔をかばうが、首元から頬にかけて濡れてしまう。液体は茶色がかっていて、嗅いだことのないにおいがしていた。阿求の話していた毒だ! と、静葉は身を固くする。
「なあに、これ」
 天人が、手首のあたりについた液体をくんくんと嗅いで、ぺろりと舐めた。静葉も魔理沙も、固唾をのんで見守る。
「……なんともないの?」
「不思議な味。お酒かしら。でも酒精の気配は、しないわね」
 静葉の目を見たまま、天子はもうひと舐めする。自分の頬をぬぐった魔理沙が、指についた液体をじっと眺めて、おもむろに口に含んだ。
 あ、と止めようと喋りかけた静葉の下唇に、鼻先から一滴、奇妙な感触がしたたる。思わず舐めとって後悔したが、もう遅い。
「……甘いぜ」
「酸っぱい」
 二人は顔を見合わせて、違った感想を口にした。それは味というより刺激そのもので、舌の上ですぐ立ち消えた。
「なるほどね。つまりこれがほうき星の味なわけだ」
 箒に横座りになって、魔理沙は静葉とともに後ろを眺めている。
「甘酸っぱいのね」
 後ろ向きに飛びながら天子もうなずく。三人の視線の先で、よくみればほうき星は、一本の長い尾の両脇にうっすらと、もう二本の尾を光らせはじめているのだった。






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 前からは雨、背中は汗でびっしょりだ。蓮子がようやく足どりをゆるめたのは、彼女のアパートにほど近い、川沿いの道端だった。
「さあ、メリー。結界の裂け目がみえるはずよ。目を凝らして、教えてちょうだい!」
 自信満々に、蓮子は両手を広げる。荒い息をととのえて、メリーは深呼吸をしてから、口を開いた。
「そんなもの、どこにもないわよ」
「嘘ー!」
「嘘じゃないわ」
 今度は。
 そこに立っているのは、古ぼけた自動販売機だった。三叉路の角で、蓮子はアパートへの帰りがけ、よくここでコーヒーを買うのだという。
 メリーと別れたあと、蓮子は今夜もこの機械の前に立ち止まった。喉が渇いていたから、あまり買わない大きな缶のコーラのボタンを押したら、取り出し口に出てきたのが、例の青い酒瓶だったわけである。
「確かにおかしな話だけれど、超常現象っていうほどじゃないでしょう。同じお酒のビンが、手違いで紛れ込んだんじゃないの」
「そ、そんなはずないわ。ほら、ラベルを剥がした痕まであるし……。えーと、確かこれだったわよね」
 硬貨を投入口に入れ、ボタンを押す。待ちきれないように取り出し口にしゃがみこんだ蓮子は首を振り、缶を地面に立てて、もう一度くりかえす。缶をたしかめて、もう一度。チャリンチャリンと小銭を入れて、リズムカルにボタンを押す。ゴロンゴロンと次々に、同じデザインの缶が転げ落ちてくる。
「もー、なんでよりによってこんな年代モノなのよ、硬貨しか使えないなんて! メリー、私大通りに出て両替してくるから、あなたも持ってるだけの小銭を投入して」
「ええ!? そもそも私、お財布持ってきてたかしら……」
 それから、メリーも一度両替に出かけ、かわるがわる二人で買い続けた。古い自動販売機は快調に、上欄の見本どおりの赤い缶を吐き出し、やがて「売り切れ」のランプを点けて沈黙した。入れ替わりに、隣の家に明かりが灯り、おそらく音で起き出したのだろう、住人が出てこようとする気配があったから、二人はありったけのジュース缶を抱えてそそくさと逃げ出した。
 蓮子のアパート手前の橋を渡るとき、メリーの広げたスカートにのせていた缶が一本転げ落ちて、流れの落ち着いた川の中へと飛び込んだ。それは一度も水面に浮き上がらなかった。
 気づけば雨は、すっかり上がっていた。


 メリーのついた嘘で、蓮子が傷つかなかったのか、それはわからない。メリーはまたしても、たしかめられずに過ごしてしまう。蓮子も二度と、橋の上での別れのことは口にしなかった。
 それが後ろめたい反面、メリーはどこかで満足している。その小さな傷口は、二人をつなぐ共通の秘密であるかのように思えるのだ。何度もメリーは、自身の底に沈んだその傷口を見おろして、それが乾かないよう努めた。たとえいつか、開いた傷口を本格的に縫合しなくてはならないのだとしても。
 蓮子が持ち帰ったガラス瓶は、玄関脇の靴箱の上に、早くも家主の関心から解き放たれて、無造作に放り出されていた。そのまま蓮子のアパートに泊まったメリーが目覚めると、勤め人が出かけたあとの町の静けさに、玄関の暗がりの奥で酒瓶はほのかに青く発光していた。
 そこらへんに大量に転がったコーラ缶の一本を拾い、昨夜のシャツのままベッドで寝息を立てる蓮子を起こさないよう、玄関に戻ってプルトップを引いて、ふとメリーは気がついた。確かに昨日は空だったはずのガラスの底に、青になじまない色彩がみえる。
 とりあげて窓に透かすと、それはふちまで綺麗に紅く染まったモミジの葉だった。
 その日を境にして、長く京都に居座っていた蒸し暑い空気はどこかへ去り、山の上から麓をめがけ雪崩れのように葉が色づき、本格的な秋がようやく深まったのである。


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 下りてくるにつれ、馴染んだ山の風景がはっきりみえてくる。山肌にあたためられた空気が静葉たちを、足元からじわじわと包み込んでいく。
「みろよ。にとりのやつ」
 愉快そうに魔理沙が指さした先には、また細く煙が立ちのぼっていた。先ほどの川原ではもう一度火が熾されて、阿求の傍らには里から帰ってきたらしい穣子が立っている。その向かいでは河童が、なにくわぬ顔で魚を焼いていた。
 隣の文に突っつかれてこちらに向くと、にこにこと手を振る。
「ちょっとあなた、いったいどういうつもりよっ」
 天子がぐいと岩の方向を変えて下降していく。声に顔をあげた妹が、魔法使いの箒にしがみついた姉の姿に、ぽかんと口をあけた。
「こいつは、もうしばらく宴会だなあ。紅葉も見ごろだし、ちょうどいいかもな。ああ、誰か酒の追加を持ってきていれば、いいんだが」
 口ではそういいながら、魔理沙はまだ名残惜しげに空の彼方を見上げている。にわかに癪にさわって、静葉は目の前の黒い帽子を、力任せに引っ張った。
「うぉおい。なんだよ」
 のけぞった魔理沙が、抗議するように振り返った。
「ほら、山だって綺麗でしょ」
「ん? あーあー、そうだな。去年より一昨年よりいいのか、って聞かれると困るがな」
「いいから、ちゃんと見てよ」
 折りしも、黄金色の西日が一面降り積もった葉を染め上げて、秋の山は血色よく躍動している。風はつめたく乾いているが、その光景は生命の終焉というより、はじまりのようだった。
「見てるぜ」
 そそくさと降りようとするのを、箒を上向かせて邪魔をする。目も口も細くして、魔理沙は髪をかきむしる。「おいおい、まだなにか――」
「綺麗、っていって」
 文句をあげかけた唇がもごもご動いて、やがて押し黙る。もう一度それが開くまで、静葉は辛抱づよく待っていた。
「……綺麗だな」
「よくできました」
 ぺろりと頬っぺたを舐めてやると、あのほうき星の甘味が一瞬、静葉の舌先によみがえる。人間の娘はぎょっと身を固くし、眼下の妹が尻餅をついた。


 




<了>
けれど、合成ノシイカと天然松茸の差は、あんまりだと思う。


ウロウロと書いているうちに、街ではクリスマス・イルミネーションが点りはじめて、情けないやら焦るやら、でした。今さらの秋ですが、台詞のない穣子様に免じて? 大目にみていただければと思いますー。

ここまでのお読みくださって、ありがとうございます!
鹿路
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コメント



0.1360簡易評価
6.80名前が無い程度の能力削除
>頬をあかぎれのように
 頬をしもやけのように?
しもやけかは分かりませんが、あかぎれでは無いんじゃないかと
13.90名前が無い程度の能力削除
合理的な説明は無いけれど、そういう話ではないんでしょう
なんだか急速に静葉様が好きになりそうです
14.100名前が無い程度の能力削除
今回も素敵な雰囲気を堪能させていただきました。
18.100名前が無い程度の能力削除
雰囲気が素敵すぎる。
20.無評価鹿路削除
お付き合いくださり、有難うございますっ。

あかぎれは、しもやけのちょっとひどくなった程度のものというイメージでしたけれど、調べてみると確かに、(魔理沙には)少し可哀想だったかもしれませんね。
>静葉様が
書くたびにどんどん好きなキャラが増えていきます。嬉しいやら困るやら。いや困りませんけれど。
そして雰囲気と挙げてくださって感謝です。自分ではなかなか、感じにくい部分ですので……。
21.100名前が無い程度の能力削除
もし京都の夜に台風がきてなかったなら、メリーには夜空を横切る巨大な境界の裂け目がみえたのかな、と思いました。

それにしても、相変わらず言葉の端々まで緊張感に満ちた文体が素敵です。その魅力について語り出したら長くなってしまいそうなので止めますけれど、一文一文が本当に大好きです。
多分創想話じゃあんまり受けないような作風なんだろうなぁとは思うのですが、鹿路さんの作品をずっと読んでいたいので、書き続けていただけると嬉しいです。
23.100名前が無い程度の能力削除
>たった今地上に生まれ落ちた仔鹿みたいにかろやかな彼女を
この表現は生まれたてのヨタヨタした小鹿が思い浮かぶんですがw

不思議な感じのお話ですね。蓮子が落とした瓶を魔理沙が手に入れ、魔理沙が投げた瓶はコーラの缶となって戻ってくる。幻想となった彗星も、幽霊のように外の世界に影響するのでしょうか。
いま一つ消化しきれてません。が、好きな類の話です。お話の全部に説明がつくことが、必ずしもいいことではないですしね。
おもしろかったです。
31.90名前が無い程度の能力削除
幻想サイドと現実サイド、どちらも素敵でした
表現の仕方が特に好きなのかもしれない
メリーが怒っている蓮子が好きであること、その時の表現の仕方が脳裏にまざまざと想像出来るといいますか・・・・・・言葉選びが素晴らしいんだと思います
32.100euclid削除
お山の面々はいい感じだし、メリーはちょい黒カワイイし、
最高ですね、もう。
特に最後の静葉様の振る舞いが恋する少女のようでいて、
しかし何故かその中に妙に神様を感じてしまって、何かよく解からないドキドキが……!