Coolier - 新生・東方創想話

人間らしく、妖怪らしく 参

2009/12/02 00:42:13
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<前回のあらすじ>
 多少問題を抱えながら、寺子屋を始めた慧音。
 その評判も人里の中では中々で、人間が大好きな彼女にとって幸せな時間といえた。
 しかしそんな彼女の暮らしに影を落とすものが、現れ……
 【前作 作品集92:人間らしく、妖怪らしく 弐】
 





 アハハ、オイシイネ!
 ウン、オイシイ!
 ヒサシブリダネ、シアワセッテヤツダネ!

 妖怪たちが人の姿を真似、人の言葉を解するようになったのはいつからだろうか。
 人間と意思疎通を図るためか。
 人間と共存するためか。
 この二つの要因で姿を変えたものは確かにいる。しかしその他、一般的な妖怪たちが人の姿をとるときはある一つの目的に限られる。それを短い言葉で表すなら……

『擬態』

 花に似た姿をした虫が、騙された他の虫を捕食するように。
 可愛らしい女の子の姿を取ることで、獲物を油断させ楽に捕食するため。
 
 想像してもらいたい。もし道端で泣いている女の子がいたとして……
 心配して近づいてたら、逆に命を奪われる恐怖を。
 しかし、その妖怪たちの生活もある出来事によって急激に変わろうとしていた。

 人里を襲わない、そんな決まりごとを無理やりに与えられてから、個々に狩りをし生きてきた低級の妖怪たち。どんなことがあろうと群れることなどなかった彼女たちが、ある特定の集団を作り始めたのである。
 
 コンナオイシイモノクレルナラ、ワタシガンバル。
 ア、タシダッテガンバルヨ。
 ワタシモワタシモ。

 夜よりも深い闇が降りた森の中。
 三つの小さな影が嬉しそうに飛び回る。その見た目だけ見ればまだ10歳くらいの女の子。しかしそれは明らかな異質さを放っていた。
 だってそうだろう。
 人間の子供が、空を飛び回るはずがないのだから。

 そうやってはしゃぐように飛び回る、人とは異なるものの前で、同じく人とは異なる少女が告げる。
 お友達になりましょう、と。

 イイヨ、ナルナル。
 トモダチッテヨクワカラナイケド。
 オイシイモノクレルッテイミジャナイ?

 友達になれば、昔みたいに美味しいモノが食べられるようになるかもしれない。
 その桃色の服を着た少女は、妖しい笑みを浮かべたまま彼女たちを誘う。

 彼女たちは嬉しそうに何度も何度も頷き、おおはしゃぎ。
 森の木々を引っかき、無駄になぎ倒し。木を壊すという遊びに没頭する。



 ――さて、もう少し手駒が必要かしら?



 少女は『友達』になった妖怪を連れ、闇夜の中を大きく飛び上がったのだった。






 ◇ ◇ ◇



 

「むぅ……」
 
 どさりっと 

 畳の上に大事の字に転がった途端、私の口から妙な唸り声が漏れる。
 疲れとかそういう、体の不調から出たものではない。服越しに伝わってくる畳の冷たさで驚いたから出たわけでもない。理由は私の左手、妹紅から譲り受けた前任者の教本にあった。
 私は大事の字に寝転んだ体勢のまま、なんとなく左手で掴んだままの古ぼけた本を見つめて思わず眉間にシワを寄せてしまっていた。
 
「……わかっている。私の教え方が少しだけ問題があるというか……
 ああ、はっきり言えば教え方が上手くないことは理解しているさ」

 畳の上で寝転がったまま、誰に言うでもなく自分に言い聞かせるようにそうつぶやく。
 ここは、寺子屋の隣にある。私の家。
 最近、私はあることで頭を悩ませていた。それは当然寺子屋の授業のこと。
 最初の頃は私もわからなかったから、ゆっくりと教えているつもりだったのだが……
 慣れてきたせいか気がつくと早口になってしまい、子供たちの方から――

『先生、ちょっと早い』

 と、注意されてしまうほど。
 どうして急いでしまうかというと、慣れ以外にも私なりの理由がある。
 その理由の大元が今、畳の上で開きっぱなしのこの教本にあるというわけだ。
 一応寺子屋ではこの本を使って授業を進めるわけだが、一回の授業で大体教本で二枚分ほどの歴史を勉強する。しかし、しかしである。

『この歴史の裏にはこんなことがあったんだよ。
 人間がこんなことをしている間に妖怪は別なことをしていたんだよ』

 なんて、ハクタク状態で見た歴史の裏部分まで説明したくなってしまうので、子供相手に詰め込みすぎな授業になってしまうというわけである。かと言って、これ以上授業の進行速度を緩めると厚さ一寸くらいありそうなこの教本の一部を教えられなくなるという可能性もある。
 でも、言いたい。
 そういう歴史の別の一面を語りたい。

 その感情を押さえられないから、さっきから難しい顔で悩んでしまっているというわけだ。
 教本のとおりに授業を進められればどれほど楽なことか……

「しかし……」

 私は仰向けに寝転んだまま教本を目の前に持ってくると、それを両手でパラパラと捲る。
 書かれた字はとても丁寧で読みやすく、小さな子供で字を覚えていればはっきりとわかる字体。
 こんな綺麗な本なら一人で読んでもある程度知識は蓄えられるだろう。

 ただ、それでもこの教本には圧倒的に足りないものがある。
 それは大人になれば嫌でもわかる、人間というものの黒い部分。人間が妖怪にした仕打ちというのが、ざっとみても半分以上語られていない。ハクタク状態のときに必死でかき集めた知識の中では、人間と妖怪は共存しながらもどこかで対立していた。
 それは時に物理的な強硬手段であったり、話し合いだったりしたけれど。

「やはり人間が悪者扱いされるような事件は、あまり記述がないか」

 空いた時間に一通り目を通してみたけれどやはり人里の人間の生活に最低限必要な部分。つまり妖怪の立場になるような考え方は、あまり授業では重要視されていなかったようだ。
 だからこそ私はそれを授業の中で説明したい。けれどそんな歴史の裏事情を子供たちに話しても、半分以上は理解できないだろう。しかし、記憶には残る。私が妙なことを言っていたという記憶はしっかり残ってくれる。もしそれが将来、少しでも妖怪と人間の役に立つと信じて、私は教え続けるだけ。

 うん、それしかない。
 しっかりしろ、慧音。
 あんな馬鹿な脅しで揺れてどうする。

 ――確かに、多少は。
 半人半獣である私自身のためという部分もあるかもしれないが……

 ああ、ダメだダメだ、堂々巡りの思考ほど無駄なものはない。

「よし、買い物だな!」

 一人でいるとどうしても悪い方向へと考えてしまう。そんな自分に活を入れて起き上がると、気分転換に早めの夕食の買出しをしに玄関まで出る。なんの彩りもない素っ気ないその場所を見ていると、少し前に置いてあった不審者からの手紙を思い出してしまう。
 だから私は少しでもその記憶から逃れるように、足早に家を後にする。
 冷たい外気に軽く身を震わせて腕を組み、大半が露出している腕を摩擦で暖めながら歩くその姿は、まるで背を曲げたおばあちゃんのよう。実際、寒いのだからしょうがない。早ければ今月の終わりにも雪が降るかもと人里で噂されるほど、今年の冬は寒い。
 こんなときに腕の大半を露出した服を着る私の方が問題あるような気はしないでもないのだが……

 半人半獣になってからは、すぐ外気に体が対応するという奇妙な能力を得た。
 少しだけ体をこすってやれば、寒さをほとんど感じなくなるという便利な体質。とは言っても、生命活動に支障のある気温だと調整は不可能だし、それよりなにより冬になっても腕丸出しなんて怪しすぎる。近いうちに温かい衣服を購入しなければ、変人として見られるのは間違いないだろう。

 もしかしたら、警戒しすぎかもしれないが。

 先生として寺子屋を営むようになってから、早一ヶ月半。
 人里の中でも親しい人物は増えてきた。里の中を歩けば、気軽に声をかけらえるようになってきたのが何よりの証拠。子供なんてもっと極端で、出会った瞬間いきなり体当たりをしかけてくるようなヤンチャな子もいる。
 まあ、抱きついたり、ぶつかってくる程度ならまだ笑顔で対応できるのだが……

 さすがにこの前――
 男の子に下半身を覆う布の部分を捲り上げられたときは、笑顔とかそういう反応を返すことすらできない状態だった。ばさりっと空気中を舞う衣服を見ながら、私は自分に何が起こったのか分からず放心状態になり――

「ひきゃぅっ!?」

 理解した瞬間。
 意味不明な奇声を上げながら衣服を両手で押さえ、路上に座り込むことしかできなかった。
 
 うん、俗にいう。男の子がよくやるやらしいいたずら。
 教室内でもしかけてくるヤツがいるので、そういうときは愛の篭った頭突きをお見舞いしてきた。

 しかしだ。
 周囲に他の大人、しかも男性もいるというなかでそれをやられたら……
 もう混乱どころの騒ぎではない。

 潤んだ瞳を上げれば……

 その子の母親が必死な顔で謝っている姿と。
 無理やり子供に頭を下げさせている姿が――
 それから周囲を見渡すと、目が合った瞬間に気まずそうに顔を反らす若者の男性。
 あきらかに、『見た』という反応に加えて、若干赤い顔ときたものだ。

 はっきり言って、その後どうやって家に帰ったかは覚えていない。
 ただ、必死に逃げ帰ったことだけは記憶にある……
 先生というのは、別な意味でつらい仕事だと実感しながら。

 っとと、また脱線してしまったな。

 こほんっ

 とりあえず、そんな三日前の悲劇はどうでもいいとしてだ。
 人里では、ある程度の友好関係を結べていると思っていいかもしれない。あの夜に出会った妙な連中も、一ヶ月以上も手を出してこないしって、また……

「気になるとはいえ、あまり思い出したくないのだが……
 まったく、困ったものだ」

 あの夜の一件。
 妹紅の名前を騙って私を呼び出し、脅しをかけられた事件。
 まず間違いなくあれは、妖怪をよく思わない人による団体か何かなのだろう。しかもかなり重度の。
 そんな狂信的とも言える理念によって動く彼らにより、私は不意打ちされ両腕のちょうど小手の部分に木刀の一撃を受けることとなってしまった。

 しかし、なんと嘆かわしいことだろう。

 攻撃を受けたのが恥というわけではない。
 私がハクタクとの半人半獣だと知らないはずの人間が……私に攻撃をしてきたこと。
 つまり同じ仲間であるはずの人間の女性に対して平気で武器を持ち攻撃できるという事実。自分のことではないのに、その行為を思い出しただけで吐き気がする。
 当たり所によっては、生命の危険すらある凶器……頑丈な私でなければ、いったいどうなっていたことか。
 そう考えただけで、悲しみが込み上げてくる。
 
 知っているはずなのに。
 何度も、何度も体験してきたのに。
 人間の感情の中には、そういう部分が必ずあると、わかりきっているのに。
 
 人間を信じたいという、想いがどうしても前に出てしまう。
 信じたいからこそ、この前の事件を嘘だと思いたくて記憶を必死に消そうとしている。
 
「はぁ……」
 
 気分転換に出たはずなのに、これではなんのために歩いているのかわからない。
 ここは一つ、甘味処にでも行って気晴らしをするしか――

 どんっ

「あぅっ!?」

 そうやって考え事をしながら歩いていたせいで横から横道から小さな影が飛び出してくるのに気づかず、出会い頭で衝突。
 体重差のせいで私は足を止める程度ですんだのだが、もう一方のほうは体勢を崩し転んでしまう。
 慌ててその人影を抱え起こそうと膝をついてしゃがめば……
 視界に入るのは、見たことのあるおかっぱ頭だった。

「すいません、少し急いでいて……」
 
 その少女は私が差し出した手を取り、簪の位置を直しながら恥ずかしそうに顔を上げ……
 見知った顔を見つけ、少しだけ安心した表情になった。

「いや、こちらこそすまない、阿求。私も考え事をしていてね」
「そうでしたか、では痛み分けということにしておきましょう」
「ああ、そうしてくれると助かる。
 里の中でも大事な立場にいるあなたに怪我をさせたらどうなることか」
「もう、またそんなご冗談を」

 彼女は袖で口元を隠し、恥ずかしそうに笑っているが……
 事実、彼女に問題が発生するとこの人里は大きな問題となるだろう。彼女は私よりも古くから幻想郷の歴史を守ってきた家系の一人。そんな重要人物と里でも新参者の私がどうやって出会ったかと言うと、もちろん寺子屋つながりであった。なんとこの少女はあの厚い教本を一人で書き上げたというのである。
 見た目だけでいえば十代半ばの少女が。
 こうやって、照れ笑いをしているところだけ見ると、ただの大人しい子供にしか見えないというのに。

「どうしたんだ、今日は。外出とは珍しいじゃないか」
「……あ~、慧音さん。私のこといつも屋内で生活するような陰湿な人だと思ってるんじゃありませんか?
 これでも健康には気を使って、毎日散歩してるんですから。
 好んで引き篭もっているわけではありません」
「はは、そう怒らないでくれ。そういうことを言いたかったわけじゃないんだ。
 書物の作者は否応にそういう生活になりやすい。それだけのことだよ。かくいう私も、寺子屋以外では好んで外出することもないし」
「あら、そうでしたか。私も暇があれば歴史書を読んでいるので、似たようなものですね」

 うん、阿求。だからそれを引き篭もりと言うんだよ。
 喉から出かかった本音をなんとか止めて、私は阿求の手を引き彼女を起こすと、ばさっという音と共に一冊の本が地面に転がり落ちる。
 なるほど、阿求はこれのためにわざわざ外出したというわけか。
 それにしても……

「ずいぶんぼろぼろだな、借り物か?」
「いえ、今日は月に一度の大市の日ですので、出店に珍しい古書が並んでいたりするんですよ。
 最近は特に掘り出し物が多くて、魔法の森の万屋ならもっと面白そうな本があるかもしれませんけど。こういう催しのときの方が楽しめますし」

 なるほど、自分の足で探しまわる楽しみということか。
 そうやって苦労して、自分好みの本と出会えたときの喜びはいったいどれほどのものだろう。
 私がそんなことを考えていると、阿求は古い本をいとおしそうに拾い、顔の横に持ち上げる。そうやって子供のように無邪気に微笑んでいるのをみると、なんだか胸の中が暖かくなってくるというか。
 もし、その古ぼけた本が可愛らしい小物やぬいぐるみであったなら思わず抱きしめているかもしれない。

「ただ、最近は私の読めない言葉で書かれた本も多くて……」

 阿求が、読めない文字……だと?
 その笑顔を少しだけ曇らせ、彼女は服の中から一冊の本を取り出した。
 
 私はそれを手にとって見るが、別段変わったもののようには見えなかった。
 それは、何の変哲もない一つの絵本。
 小さな子供が夢の世界に入って冒険するという、幻想的な物語。
 だから。子供でもわかるような文字で大きく書かれていた。

 なのに阿求は読めないという。
 私が読めて彼女が読めない。

 その理由は……
 私はそんなことを考えながら、阿求が持つ古本をと絵本を見比べて、やっと理解した。

「ああ、そうか……」

 言語が、違う。
 
 私は外の世界の歴史を多少かじったことがあるから理解できた。
 たったそれだけのこと。
 音楽を知らない人が楽譜を見ても、おたまじゃくしの絵くらいにしか思わないように。阿求は文字なのかどうかすらわからなかったのだろう。

「これは絵本だよ、阿求。少し別な言語で書かれているだけの」

 確か、元の世界で西洋と呼ばれた国の言語。
 私が本を開き文字を指でなぞりながら言葉を訳すと、阿求は食い入るように指の動きを眺めていた。
 絵本というのは、絵と文字を楽しむためのものなのに。
 
 ちなみに、私が開いていた部分にどんな絵が書かれていたかといえば……


『仲のよい姉妹』が手を繋いでいる。

 そんな優しい作風の絵だった。




 ◇ ◇ ◇



 

 
 昔々、とある世界に大きな過ちを犯した少女がおりました。
 少女は、その過ちによる呪いで不老不死となり……
 老いることのないその身のせいで、人間でないもの。
『化生』として扱われてしまったのです。

 そうやって、人でないものとして生きることとなった彼女は人間を避けるようになりました。
 つながりを求め人の中に入っても、親しくなったものはすべて先に死んでしまう。
 優しい、本当に優しい彼女にとって、それはとても耐えられるものではなかったのです。

 だから彼女は、人気のない場所で暮らすことになりました。
 暗く、寂しく、光の届かない場所。
 けれどそれは彼女にとって、唯一心休まる場所で。
 唯一、涙を流せる場所でした。

 けれど、彼女は気づいてしまうのです。
 涙を流しながら、気づいてしまうのです。
 本当に彼女が求める安らぎは、ここにはない、と。


 


「……うん、わかった。わかったから、帰れ」

 なんて愛想のない男だろう。
 この私がわざわざ異変を見つけて人里までやってきたっていうのに。
 開口一番これである。
 アリガトウ! ナンテステキナンダ! モコーサマ!
 と棒読みで言ってくれてもいいくらいなのに。

「え~、面白い情報だと思ったんだけどなぁ」
「ああ、確かにその情報は面白いよ。
 普段個体で活動する妖怪たちが群れを作って一ヶ所に集まることが多く目撃されているのは、こっちも知ってる。確か慧音先生がここに来て、しばらくしてからだから……
 役一ヶ月半ほど前だな」
「ちょっと、慧音の仕業って思ってるんじゃないでしょうね?」
「まっさかぁ~。それを指摘した若い連中の中の一人を十日間ほど先生の家の前に張り込ませるっていう、いやがら――
 じゃなくて仕事をさせた結果、妖怪の集合している時間帯も慧音先生は外出してないことがわかった。
 だから先生はこの件とは無関係、問題無し、はい、さようなら」
「あ~、だからなんでそうやってすぐ返そうとするかな」

 私がいるのは人里にある自警団の本部の一室。
 そういう堅苦しい名前で言うと大きな屋敷にずらっと物々しい男たちが並んでいるような絵を思い浮かべる人がいるかもしれないけれど、決してそんな大袈裟なものじゃない。
 ただ妖怪の対処法や退治の方法に精通した人が主となって里を警備し、ついでに人里のいざこざも取り締まろうというどちらかといえば大雑把な組織なのだから。ただし人里の男の子の中では、なりたい職業の上位3つの中には組み込まれている人気ぶり。
 そんな組織の中で、若頭という実質第二位の立場にいる彼はある意味子供たちの憧れとも取れる。

「あれね、子供たちからチヤホヤされすぎて、傲慢になったね。
 昔はそんなこと言う子じゃなかったのに」
「ええい、幼少時代のことなんてしるか!
 ああもう、少しくらいおとなしくしててくれよ。
 これが見えないのか、これが……」

 そう言いながら、喜助は嫌そうに、やる気なさそうに執務机に置かれた巻物の山を指差した。
 もうその脱力っぷりといったら……
正座を崩し猫背になった状態で頭を執務机に乗せ、そんな状態のまま横目で書巻を開いて読む
 そんな状態だった。

「一応見えてるけど、それがなにか?」
「俺はね、これを全部目通さないといけないわけ。
 今日中に!」
「今夕方だよね?」
「ああ、夕方だな!」
「もしかして、徹夜?」
「間違いなく!」

 なるほど、それでさっきから不機嫌なのか。
 この妻子を限りなく愛する男、喜助にとって一度も家に帰らないまま仕事をするというのは地獄に等しいのだろう。しかし何をそんなに一生懸命読む必要があるというのか。

「ねえ、それってさ。私が見てもいいの?」
「ああ、別にいいぞ。匿名での情報だからな。個人を特定できるわけじゃないし」
「ふむ、そういういい加減ところだけはいつもの喜助っぽい」
「……お褒めに預かり光栄ですよ。
 ほれ、読んでみ」

 喜助は机の上の右側の書巻の中から一本を選んで、それを私に投げてよこした。
 どうやらそこにあるものはすでに読んだものらしい。
 私は遠慮せずその結び目を解き、中の文字に視線を落として――

「……ねぇ、喜助?」

 私の声音の高さが、変わる。
 さっきの冗談じみたやりとりではありえない、底冷えのする何かに変わる。
 しかし、それは彼もわかっていたのだろう。机の上に預けたままの頭を少し起こして『ああ』っと短く返事を返してきた。だから私はその声のまま、言葉を紡ぐ。

「これ、誰が書いた?」
「……人の話聞いてたのか、ば~か。匿名だって言っただろ?」

 なるほど、彼のやる気のなさにはこれも関係しているのだろう。
 自警団に持ち込まれた大量の投書。
 その内容がこれでは……

「燃やしていいよね?」
「いいや、ちゃんと証拠として残す。字の書き方に特徴があるからな」

 私が燃やしてしまいたいと思ったその中身は、寺子屋と。慧音に関わるものだった。
 見ているだけで破り捨てたい衝動に駆られるその内容の一部を短く簡潔に紹介するならこうだ。


『寺子屋に新しく就いた先生は、実は人食いの妖怪で子供を狙っている』

『先生が妖怪だから、妖怪を擁護するような授業しかしない。
 子供の教育によくないから即刻止めさせるべきだ』

『人里の中の裏切り者、上白沢慧音。私はその正体を知っている。
 夜な夜な人里の中を徘徊し、獲物を探しているのを二日連続で見た』
 
 
 なんだ、これは。
 なんでこんな嘘が、出鱈目が書ける。
 あんなに、徹夜までして寺子屋を頑張っている慧音に対して、こいつらはこんなことしか思わないのか。

「……力入れすぎて、破るなよ。ちゃんとした証拠なんだから」
「ああ、わかってるよ。
 わかってる。私は冷静さ。
 冷静だから、この建物ごとこの馬鹿げた物を燃やしたくなるのを我慢してるんだから」

 言い表せない怒りが溢れてくるのは、私が過去を引きずっているから。
慧音には、そういう思いをして欲しくなかったから。
 小さい頃の私より頑張って、悩んで、少しでも人里の人間でいたいと思っている彼女が。
 そんな彼女が報われないなら、私たちのような存在は一体どうすればいい?

 あんなに素直に人里で暮らせることを喜んでいるのに。
 きっと幸せだと思っているはずなのに……
 なんでお前等はそれを認めない!

「妹紅……」

 天狗の、文の言うとおりになったな。
 あの木刀で殴られても痣の残らない違和感から、慧音を妖怪だと決め付けて……
 それでも堂々と正面から言えないから、こうやって匿名の文書で人里から追い出そうとしている。
 
 決して自分の手が汚れないように、自分に危険が及ばないように。
 はは、いつもそうだ。
 汚い人間って言うのは、どこも変わらない。
 こんな奴等なら一思いに――
 

「妹紅……その目はやめとけ。子供が見たら泣くぞ」
「そういう気分だからね、悪いけど」
「お前が動いても、何も変わらない。先生の立場が悪くなるだけだ」
「ごめん、そういう理屈。今は考えたくないのよ。
 とりあえず、今後こういう情報が入ったら私に教えて」
「……ああ、わかった。できる限りな」


 反妖怪派と呼ばれる集団の動きが、水面下でここまで悪化しているとは。
 慧音に対して直接的な嫌がらせがないから安心していたのが間違いだった。
 今は投書だけで済んではいるが、もしこのまま……
 
 あの夜と同じような行動に走る馬鹿がいたら。
 そのときは人間として攻撃するのではなく、妖怪を退治するという名目で行われるはず。
 ならはその激しさは先日の比ではないだろう。
 
 
「だから、そう思いつめるなよ。
 なるようにしかならないんだから。
 ほら、あの湖でも行って、気分を落ち着けてこいよ」
「いやだ、そんな気分じゃない」
「そう言うなって、それに最近の噂じゃ霧の湖の近くに幽霊屋敷が急に現れたって噂だぞ。
 おもしろそうだろ?」
「悪いけど、そういう冗談は今は無理だから」

 そう言って、私はその部屋を後にする。
 その私の背中に向けて――


「冗談で言ったわけじゃないんだけどなぁ……」


 またくだらないことを言っているが気にしてなんていられない。
 だって今夜は、約束の夜。
 あいつと会う夜なんだから。
 

 今夜はいつもより――ちょっとだけ熱いよ、『輝夜』


 私はそうつぶやいてから、夜空に真紅の翼を高く掲げた。





 ◇ ◇ ◇




 
「藍? お願いしてあった仕掛けは万全かしら?」

 マヨヒガの庭に面した廊下の上に、二人の人影があった。
 そのうちの一人はちょうど半分ほど欠けた月を見上げる八雲 紫。長い髪を掻き上げ、月光をその身に浴びながら立っているだけなのにその姿からは気品すら溢れてくる。それを後ろでじっと見つめていたもう一人の人影は、少し間を置いてからこくりっと首を縦に振った。

「はい、抜かりはありません。
 けれど……」

 それでも藍の瞳には迷いがあった。
 頷きにも躊躇いがあった。
 本当にこれでいいのかと、その揺れる瞳は疑問を主の背中へとぶつけていた。 

「これは私が決めることですもの、あなたが口を挟める問題ではないわ」

 自分の式の迷いを叱り付ける様に、紫は背を向けたまま冷たい言葉を返す。
 なぜなら、藍もわかっているはずなのだから。嫌というほど経験してきたことを再度繰り返す。ただそれだけの作業。それを準備するのがいつもより少し早かった。
 たったそれだけのことなのだから。

「何故、今なのですか? そこまで焦る必要がどこにあるというのです。
 紫様ともあろうお方が、何を恐れているというのですか!」
「勘違いしてはいけないわ、藍。
 私は何も恐怖にとらわれているわけではないの。
 ただ、そう感じるからよ。計画を一段階、早める必要があっただけ。あなたにとっては誤差の範囲だと思っていたのだけれど」
「紫様の中の計画と、私が予想していたものはまた別のように感じます」

 いつもなら今のやり取りで引き下がるはず。
 そう思っていたのに、藍は紫の意思を裏切り彼女の本音をぶつけてくる。
 紫はため息をつきながら振り返ると、じっとその顔を見つめる藍の頬に手を添えて優しく問いかけた。

「さきほど、急に命令を変えたことに怒っているの?
 それとも私があの服をあの半人半獣にあげろと言ったことをまだ怒っているの?」
「冗談はやめていただけませんか、私はただあなたの本心をお聞きしたいと言っているのです。
 もう少しコトがうまく運んでからでも、遅くはないはず」

 柔らかい頬を、形の整った顎を、潤いのある唇を。
 紫の指が顔の上で妖艶に動いても、藍はまるで表情を変えない。
 そんな仕草で誤魔化そうとする主に向けて、ただ視線で圧力を加えるだけ。
 しかし紫そんな態度さえ風に揺れる柳の葉ように軽く受け流し、微笑を返すだけ。

「私は、これが最善だと思っているの。その言葉に嘘はないわよ?」
「紫様が最善と思える行動に、私が疑問を持ったまま活動してもそれは本当に最善と言えるのでしょうか」
「ええ、私は自分の式を信じているもの。
 とっても優秀な、誇らしいあなたを」
「……卑怯ですね、紫様は」

 主から、信頼しているという言葉を掛けられながらそれに応えようとしない。
 それは式としてありえない。それをしっかり理解している藍は、帽子の中の耳を力なく下げ瞳を静かに閉じる。

「そう言われたら、私は断ることができない。それを良く知っていらっしゃる癖に……」
「そうでもしないと、あなたが引き下がりそうになかったんですもの。
 では、話もまとまったところですし行動に移すと致しましょう」
「わかりました。紫様のご意志のままに」

 
 両手を胸の前で合わせ、一礼する藍の前で紫は満足そうに口元を緩めると。
 可愛らしい式の頭を軽く撫でてから、自分の部屋へと向かう。
 そこではすでに、全ての準備が整っているはず。

 紫はただ、その流れのままに。
 時計の針を進めてやるだけ……



「じゃあ、いつもより早いけど冬眠してくるから♪」
「……はぁ~~い」
 
 布団が山のように盛り上げられた自室へと欠伸をしながら。
 藍はやる気のない返事を返し……
 
「あ、無駄に私を起こしたら、尻尾が数本なくなると思いなさいね♪」
「……ご命令のままに」

 今年こそはもう少し長く起きていてもらおう。
 そう説得しようとした藍の願いはあっさり聞き流され、最後はいつものように言い包められてしまった。
 
 確かに今年の冬は寒いから早めに冬眠を始めようとする主の行動は理解できる。
 しかし、しかしである。


 人里における反妖怪派の行動を要点に置いた、総合的な監視と行動。
 幻想入りした妖怪たちを含めた、幻想郷の妖怪の把握。
 外の世界からの食料調達。
結界の修繕、管理。
 幻想郷の調律を行うための、異分子の処理。
 などなど……
 
 そして、八雲家の家事……
 さらに橙との時間を取るとすると。
 

「ふふ、ふふふふ……
 おかしいな、どうやって日程調整をしても、寝る時間がない……」

 
 不穏になりはじめた人里の細かな監視だけでも時間を有するというのに。
 一人でこれを全部やれといわれても、到底無理なわけで。
 それとこれに加えて――


「霧の湖の新参者、どう見るべきか」

 
 新たに生まれ始めた案件を思い浮かべて、ただただ重い息を吐いたのだった。
 
 




 そうやって、幻想郷の賢者と言われるべき妖怪が眠りについてから三日目。
 世界の中は、何も変わっていないように見えた。

 慧音はいつものように寺子屋に行き。
 妹紅はいつものように竹林で過ごし。
 文は新聞のネタを集めるのに奔走し。
 藍は大急がしで幻想郷の中を飛び回る。

 そんな日常の中で変わったことといえば。
 最近幻想郷の中の湖の霧がどんどん濃くなっていることだろうか。
 しかもその霧の中に入ってみたことがあるという人物から話を聞くと。

「霧の中に人里の建物とはぜんぜん違う屋敷があった」

 というのである。
 昼間にその霧の中を歩きたくないというのなら。
湖の霧が晴れる夜、暗がりの中で湖の側まで行けば確かに家のようなものを確認できるだろう。

 それでも、建物に関する実害がまったくないことから、特に注視されるものではなかった。
 興味本位で見に行く人間や妖怪がいた以外では、誰もそれを気にしようともしなかった。

 いや、その屋敷について警戒していた妖怪の中の大きな柱は……
 
 
「それで、その情報は確かなの?
 もしそれが不確かな情報であれば、私の計画は全て水泡となる」

 屋敷の中にある椅子とは思えない、玉座とも呼べそうなほど背の高い椅子。
 それに腰掛けて足を組むこの屋敷の主は、ワイングラスに注がれた赤い液体を手の中で遊ばせながら目の前の二人に問い掛ける。

「はい、間違いありません。
 この世界を管理する立場にある八雲という名の付く妖怪が眠りについた後は、その式がその分も働く。それでその式の目撃情報が急に増え始めたのが、三日前ですので。
 頃合かと思われます」

 紺色を貴重としたメイド服に身を包んだ女性は、丁寧な口調で報告し。

「仮説が正しいのであれば、その判断は悪くないわ。
 屋敷の中の食料もそこをついていたころだし、あなたもこれ以上耐えるつもりもないのでしょう?。
 私は紅茶と本があれば、特に困らないけど」

 その横の、本を腋に抱えた少女が消極的な態度で言葉を返す。
 そんな身も蓋もない親友の言葉に、主は少しだけ不満そうに瞳を細めた。

「そう、この屋敷に保管されていた私たちの食料は、すでに9割を失った状態。
 このままだと後一週間もすれば、飢えることになる。
 しかし高い掛け金を払っただけの価値はあると思っているよ」
「ハイリスク、ハイリターン。というものですね」

 この館には、魔法で防腐処置を施してあった食べ物がおおよそ1年分以上は蓄えられていた。
 普通に生活しているば一ヶ月~二ヶ月程度でなくなるはじもない量の。
 ならば何故こうも食料が早く失われたか。

「でも、欲望のみで縛った烏合の衆がなんの役に立つというのかしら?
 ただ混乱を撒き散らすだけ、違う?」

 その要因を知る紫色の髪をした少女は、その作戦の危うさを指摘する。
 それでも館の主は、余裕を崩さず椅子にもたれ掛ったまま自身満々に笑う。

「ふん、当たり前よ。
 その程度のことにしか使うつもりはないもの。
 適度な混乱を与えてくれれば、この奇妙な世界を治める代表格が炙り出されるでしょう?
 それを私たちが各個撃破する。たったそれだけのことよ」
「――私たちの力で足りないようなら、心から賛同する力ある妖怪たちにも協力してもらう。
 ということかしら?」
「そうよ。その結果新しい秩序がこの世界に生まれるのよ。
 私の手によってね」

 自分の言葉に酔うように、自らの右手を目の前の二人のほうへと向ける。
 そう、大量の食料を何に使ったかといえば。
 彼女の言う『新しい秩序』のため。

 一ヶ月間情報収集と食料の配布、そして仲間を探すことだけに集中し。その結果得られたこの世界の管理者の眠りのとき。この瞬間を目指して彼女は自分が進むべき運命を楽しむ。
 力の比較的小さな低級の妖怪には、『友達』という立場で簡単な協力を依頼し。
 力のある妖怪には作戦を細部まで説明し、強力な戦力とする。
 
 この作戦が上手く噛み合えば、一晩ですべては彼女のものとなる。

「あなたとあの子がいれば、大抵のことはできると思うけれど、油断は禁物よ。
 あの子の力、使わせるつもりはないのでしょう?」
「ええ、あの子を危険な目に合わせるわけにはいかないもの」
「ご心配には及びません、お嬢様の敵はこの私がすべて切り払いますから」
「ふふ、頼りにしてるよ」

 そんな頼もしい二人の仲間に支えられるその主――
 永遠に幼い、紅き少女は。
 心から楽しそうに、微笑んだ。

 



 そんな中――

「へくちっ!」

 門番を続けていた女性が、寒空の下で体を震わせていたのだった。



 
 ◇ ◇ ◇


 


 なんだか……
 子供たちの様子がおかしい。

 私がそう感じたのは今日の授業が始まってすぐだった。
 特に雑談をしているわけでもないし、寝たり筆を止めたりしているわけでもない。
 どちらかと言えば、いたずらを考えているような雰囲気に似ている。

「――つまり、この歴史が語るものは、奢れるものはいつか滅びるということであってだな」

 ただ、違う点を上げるとするなら。
 寺子屋の『全員』が、私の隙を狙うようにそわそわしているというところだろうか。
 今まで感じたことのない威圧感に私は戸惑いながらも、今日の分の授業を進めていく。そうやって授業を進めれば進めるほど子供たちから伝わってくる奇妙な感覚は増大していき、もう最後の方は私も何を教えたからわからなくなっていた。
 そして授業が終わったのは、いつもより少し早い昼食時間前。
 明日は満月ということで、今日の授業は早めに切り上げ。満月の日である明日は外出しないように多目の宿題を出すというのが寺子屋の恒例らしい。というわけで、私も嫌がる子供たちの表情を予想しながらも宿題を教卓の中から取り出そうとするが。
 そこで一番そわそわしていた男の子、いつも私の服を捲ってくるイタズラ好きな生徒の一人が私の元に近づいてきた。しかも両手を背中に回して何かを隠すように。

 ふむ、また私を驚かせる気だな。
 今度は何だ? カエルか? それとも蛇の抜け殻か?

 こういうイタズラや遊びの中で、子供たちは大きく成長していくから、いたずらをする前に叱るのはあまりよくない。もしそれが他愛もないものであれば、いっしょに笑い。度を越えたものならしっかり怒る。
 ただし、最初から度を越えているとはっきりわかるものについては、やらせてはいけないけれど。

 そういったことから判断しても、今の仕草から行うのはそんな対したことのないいたずらばかり。
 口では『どうしたんだ?』っとわからない振りをしながら、教卓のすぐ横までやってきた男の子を見つめていると。
 少年の手がすばやく動き、机の上に何かを置いた。
 その置かれたを見て、正直私は目を丸くしてしまう。

 それは、かえるなんかじゃなくて。
 びっくり箱のようなものでもなくて。
 ただ文字が書いてある紙の束。

 その紙に書かれた、不器用な字を見た途端、私はもう言葉を失っていた。
 確かにまだ不慣れな字。だけど、私にはそれが輝いて見えた。
 
 だって……こんな……

 けいねせんせい 
   いつもありがとう

 こんな素敵な――感謝の言葉。
 たったそれだけの言葉で、私は呆然と畳の上で座っていることしかできなくなってしまっていた。
 
 
 そんな、驚く私に対して男の子は大きく息を吸い込み。
 
「い~ち、に~、さ~ん! はいっ!」

 手を叩き、周りの子供たちを誘う。
 すると一斉に子供たちが立ち上がり、まるで教室全体がひとつの生き物のように私を包み込んできた。

『せんせい! いつもありがとうっ!』

 感じたことのない興奮が、私の中を駆け巡った。
 なんだろう、寒気がするわけでもないのに鳥肌が立つような、感じたことのない喜び。
 感動のあまり、五感の一部が壊れてしまったようなそんな感覚さえ覚えた。

 視線を落とせば、教卓の上に並ぶありがとうの文字。
 瞳を閉じれば、まだ耳の奥で響くような、ありがとうという大声の余韻。
 
 昔、生きることを諦めかけた自分が、なんと愚かなのか。
 それを子供たちに教えられてしまった。

 こんな幸福感を得ないまま、自分の人生に線を引いてはいけない、と。
 頑張ればきっと、報われるということを。

「……先生? どうしたの?」
「あ、ああ、いや、なんでもないんだ。
 みんなの言葉が嬉しくてね、びっくりしてしまっただけだよ。
 先生はね、こんな幸せな気分に慣れるありがとうを聞いたのは初めてだよ。
 こちらこそありがとう、みんな」
「へへへ、さっすが俺様!」
「あ~! 私が最初に考えたんだから! 先生にありがとうって言おうって!」
「嘘だね! 俺だね!」
『む~~~~~~っ!!』

 なんだか、誰がこのお祝いの立案者かどうかでケンカが勃発しそうになったので、私は慌てて立ち上がり二人を引き離した。自分勝手な話ではあるが、こんな素敵なことをしてくれた子供たちが争う姿を今日だけは見たくなかったから。
 なんとか二人をなだめ、子供たちを席に戻そうと声を上げる前――

「先生、これ」

 控えめな性格の女の子が、奇妙な物体を差し出してきた。
 箱、というより、何か家のようなものを可愛くしたような……
 それを女の子から受け取って手触りを試してみると。どちらかというと硬い布のようだった。
 大きさは私の頭より少し小さいくらいだろうか。その箱のようなものの中は空洞で、ちょうど両手がすっぽりと納まるくらい。しかし、これを何かと尋ねるのもなんというか、勇気がいるというか。

「……帽子、みんなで作った」
「あ、そ、そうか。やっぱり帽子だったのか!」
「先生、嘘つくのよくない」
「……う、すまない。正直言うと、となんなのかわからなかった」

 子供たちからその経緯について聞いてみたところ。
 どうやらこの帽子を贈るのが本当の目的で、ありがとう、という部分についてはその前段階ということだったらしい。ただお店で買えるような帽子を贈るのではつまらない、と誰かが言い出して――
 歴史だから、やっぱりお寺っぽい建物みたいのにしてみようよ。
 という、斬新過ぎる案が採用されてしまったらしい。

 そしてできた案を、人里の中で帽子や服を作る職人のところに持っていき。
 これを作って、とお願いしたそうだ。

 間違っても、帽子とは思えない落書きのような案を……

 ただ、その職人の人の努力(?)により――
 見た目おもいっきり建物という物体から。
 よくわからない箱のような物体に改善されたのは不幸中の幸いだろうか。

 その一部にリボンが飾り付けてあるのも、良心的だし。

 しかし子供たちもこれで学んだことだろう。
 お祭の準備のときのような気分で無茶な案を出し続けると、後で後悔することになる、と。学習したからこそ、ありがとうの言葉と一緒に出さず自信なさ気に後から手渡した。
 それでも私は、その贈り物が今まで生きてきて一番嬉しくて。
 それを迷わず頭の上に乗せた。

「せ、先生。別に無理してつけなくても……」
「そんなことはない。私は純粋に嬉しいんだよ。
 どんな形であれ、みんな私のことを思ってこんな素晴らしい贈り物をくれた。
 それだけで胸が一杯だ」
「先生……」

 見た目は確かに、変かも知れないが。
 その帽子は私の頭にぴったりで、何故か温かみも感じる。

 ああ、幸せモノだな、私は。

「よし、みんなから素敵なモノも貰ったから今日は宿題なしだ!
 でも、ちゃんと予習くらいはしておくんだぞ! じゃあ、今日はここまでっ」
「はぁ~~~いっ!!」

 私はそんなささやかなお返しをして、元気良く駆け出す子供たちを見送ったのだった。





 そうして、誰もいなくなった教室の中で。
 私は、誰にも気付かれないように嗚咽を零し続けたのだった。





 ◇ ◇ ◇




 
 その日は、秋の終わりを感じるほど空気の冷えた夜だった。
 張り詰めたような空には、大きな丸い月が浮かび。
 眩しい位に闇夜を照らす。

 満月の夜はハクタクに変わってしまう。
 そんな特異体質の慧音にとって、今夜は子供たちのお祝いの余韻をじっくり楽しむ。
 机の上に置いた帽子を眺めて、幸せを感じる一日。

 そうなるはずだったのに……


 全てを受け入れるはずの世界は、それすらも許してくれない。

 
 だって、こんなにも月が……
 紅いから。


 
 
 
 最初の一報は、物見やぐらの音だった。
 普段なら妖怪の接近を知らせるために三回くらいしか叩かないはずの甲高い金属音の合図。
 それが、鳴り止まない。
 むしろ叩き方が激しく、音の感覚が狭くなっていく。
 まるで何かに脅えるように、警告音のはずのソレが人里の混乱を誘っているようにも感じた。

 混乱するのも無理はない。
 いや、冷静でいろというほうが酷というもの。

 なぜなら、その物見櫓の上の自警団員の視界の中で見たこともない光景が広がっていたのだから。
 人里に向かって、群れを成して飛ぶ人型の生命体。
 つまり、妖怪の集団が、一方向から人里に向かって押し寄せようとしているのだ。

 個体で行動するはずの妖怪が、集団で行動するようになったという目撃情報に対しあまり真剣に考えていなかった結果、こんな事態を招いてしまった。自警団の中で妖怪退治の経験があるものは妖怪が来る方向への防衛線を固め始め、人里はもう妖怪対人間の争いが始まろうとしている。

 こんな舞台を誰が整えたのか。
 そんなことを考える余裕すらなく、ただ紅い月の下で。役者として選ばれたものは踊る。
 舞台監督の顔がまるで見えない、そんな奇妙な舞台で。


 そして、また一人。
 混沌とした舞台に、役者が上がる。




 ◇ ◇ ◇



  
 昔々、とある世界に大きな獣に取り込まれた少女がおりました。
 少女は、その獣による呪いで半人半獣となり……
 満月の度に姿を変えるその身のせいで、人間でないもの。
『化物』として扱われてしまったのです。

 そうやって、人でないものとして生きることとなっても彼女は人間でありたいと願いました。
 つながりを求め人の中に入っても、獣の姿を知られただけですべて失う。
 優しい、本当に優しい彼女にとって、それはとても耐えられるものではなかったのです。

 でも彼女は、人のいない場所で暮らすことはできませんでした。
 明るく、光溢れ、それでも不安を抱えて暮らす場所。
 けれどそれは彼女にとって、唯一心休まる場所で。
 唯一、笑顔でいられる場所でした。

 けれど、彼女は気づいてしまうのです。
 笑いながら、気づいてしまうのです。
 本当に彼女が求める安らぎは、ここにはない、と。


 私は、こんなにも人を愛しているのに……


 
 どうなってる。
 何がおきてるって言うの?

 満月の夜にただ、散歩をするつもりだったのに。
 人里の方が騒がしいと思ったら……
 妖怪の集団が迫っているという。

 私は、悲鳴が重なる人里の中を風のように駆け抜ける。
 上から聞こえる警鐘の音も気にせず、ただまっすぐ、慧音の元へと向かう。

 こんな――
 こんな混沌とした状態で、もし慧音の正体が知られるようなことがあればどうなるか。
 もう予想する必要すらない。
 
 間に合って、お願い。

 私はとうとう神様に願いをかけながら地面を蹴り……


 ガタンッ


 通り過ぎようとした民家から、何か物音が聞こえ思わず足を止めていた。
 そんなことをしている場合ではなかったのに、いまの音がどうしても頭の中から離れない。
 急がなければ行けないのに、何故か進む気になれない。

 だから私は、その疑問を解決するために思い切って音がした方の民家に入ってみることにした。
 その入り口はまるで私を誘い込むように大きく開け放たれていて……

 その奥から、何か人の争うような音が響いていた。


 何か、嫌な予感がする。 
 それでも私はその音に吸い寄せられるように奥へ進み。


 目撃してしまう。
 その異質な存在を。


 頭に二本の角を生やし、緑の服のしたから獣のような尾を覗かせる妖怪。
 それが、人間の子供を押し倒すようにして覆いかぶさっているのだ。

 ごぉぅっ

 私は無言のまま、その妖怪を焼き尽くしてやろうと右手に炎を構え素早く間合いを詰めた。
 その音に気付いた妖怪が、緑色の長い髪を振り乱して振り返るけれど。
 もう遅い。

 相手が慌てている間にその身を蹴り飛ばして、この炎をぶつけてやれば――

 
「――!?」


 ほら、相手はまるっきり反応できていない。
 驚いた、見慣れた顔を私に向けてくるだけで……
 逃げ出そうとすら、しない。
 
 ――見慣れた、顔?

 私は、慌てて自分の体を止め。彼女の姿を見下ろしていた。
 そんなことがあるはずがない、そう何度も何度も心の中で言い聞かせて。
 それでも現実は、残酷な事実だけ私に受け入れろという。


「違う、違うんだ! 妹紅!」


 聞き覚えのある声で……
 慧音の声で、必死に首を横に振るその妖怪を見た私は。
 

 神は居ないと、確信した。 





 つづくっ
 読んでいただきありがとうございました。

 本当なら起承転結 転の部分になるようなはなしだったはずなのですが。 
 次回で終わるのかな? 的な長さになりそうで怖い作者でありました。
 40kb程度で入れるには厳しいかなという意味で

 そして前回のコメントで あの事件のこととか帽子のことを言われて。
 あら、先が読まれたカナと焦った私でありましたっノ


 ご意見、ご感想があればよろしくおねがいします。
pys
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コメント



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10.100名前が無い程度の能力削除
様々な思惑が錯綜する中で
巻き込まれた半人半獣の少女は
果たして……

というわけで次回に期待です
このお話が好きなので、
私としてはいつまで続いてもいいのですが。
……っと気軽に永遠に続くなんて言っちゃいけないですね……
色々な思いの錯綜する世界を描けるってのがなんか羨ましいです
むしろ妬ましいくらいに

では改めて、期待
12.100名前が無い程度の能力削除
ほのぼのとした話から一転、面白くなってきましたね。
先が気になります。
13.100名前が無い程度の能力削除
これは面白い。表現にセンスを感じます。
それにしても、毎回続きが気になる終わり方が上手いw
14.100名前が無い程度の能力削除
お嬢様キター!
前回・前々回でもそうでしたが、引き方が本当に秀逸。
ああん続きが気になるじゃないか!

さぁ早く続きを、いやすいませんホント書いて下さいお願いします