Coolier - 新生・東方創想話

『ソラ』と『ウツホ』

2009/11/25 03:34:37
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 「こんにちは、地獄鴉のお嬢さん。あなたのお名前はなんと言うのかしら?」

 あなた、誰?

 「失礼、私は古明地さとり。今日からこの地の管理を任されたさとりの妖怪です。それで、あなたのお名前は?」

 わかんない。無いんじゃないかな、多分。

 「そうですか。それはとても不便なこと、ならば私があなたに名を与えましょう」

 本当!!?

 「はい。そうですね、……うん、今日からあなたの名前は霊烏路空よ」

 ……れいうじ、うつほ?

 「そうです、霊なる烏の路は空。あなたはその名のとおり、自由に空の路を駆ける元気がありそうですから」

 うーん、……ねぇねぇさとり様、『ソラ』ってなんですか?

 「そうか、地底に住んでいるあなたは見たことがありませんよね。空とは、地上で見られる果ての無い天井のようなものです」

 果ての無い、天井?

 「そうです。厳密には少し違いますが、澄み渡った青色が無限に広がり、時には泣いたり曇らせたりとその表情を変える様は壮観の一言に尽きます」

 うにゅ、そんな大それた名前をいただいてもいいんですか?

 「いいのよ、空。出来うることならば、あなたには私の『ソラ』でいてほしいの。きっと私には、もう二度と―――地上の空を目にすることは出来ないだろうから」

 うん、わかった。私は霊烏路空、私は今日から―――さとり様の『ソラ』になる!!












 久しく見ていなかった、さとり様との初めての出会いの夢。
 当時の私はまだ言葉を話せなくて、人の姿になることも出来ず。
 だからこそ、心を読み、私の心を見て名を与えてくれたさとり様に感謝し、同時に嬉しく思った。
 名前の無かった私。その私に名を与えてくれたあの人の力になり、助けとなり、そして彼女の『ソラ』であろうと誓ったあの日。

 けれど、あの時の私は気がつくことができなかった。
 彼女が、どうして私に空という字の名を与えたのか。どうして、彼女が「私の『ソラ』でいてほしい」と願ったのか。
 鳥頭だったから仕方がないと言われればそれまでだけど、あの時はどうして気がついて上げられなかったのか、自分の馬鹿さ加減に腹立たしくなる。



 結局、私がその意味に気付いたのはずっと後。
 人の姿になれるようになり、言葉を覚え、カミサマに核融合の力を与えられて少しした後のことだった。




 ▼△――――――△▼



 『ソラ』と『ウツホ』



 ▲▽――――――▽▲




 春の麗らかな昼下がり。薄桃色に色づいた桜が咲き乱れ、博麗神社の境内は春の匂いで満たされている。
 その博麗神社の縁側に、ぼーっとした様子で空を見上げる一人の少女がいた。

 少女にしては長身だろう背丈は160後半ほど、烏の濡れ羽色の艶やかな、しかし多少ぼさぼさな黒髪は腰まで下ろされ、アクセントには緑のリボン。
 丸々と大きな瞳は赤茶色、肌は碌に日に当たらないせいか色白い。奇妙な赤い目玉の模様が施された真っ白なシャツと、グリーンのスカート。
 彼女は霊烏路空。地獄鴉という地底に住む妖怪であり、皆からは「おくう」と呼ばれ親しまれている彼女は、何も考える様子もなくただ空を見上げるばかり。

 傍に用意されていた緑茶もすっかりと冷めてしまっているが、彼女はそんなことも気にせずにぼんやりと上の空。
 本日は快晴、絶好の洗濯日和。掃除もはかどり我好調と、洗濯物を干していたこの神社の主が彼女を見て呆れたようにため息をついた。

 背丈は160前半といったところか、赤と白を基調とした腋だしの巫女服という奇抜な衣服に身を包み、赤いリボンでポニーテールにされた黒髪はおくうと違って丁寧に手入れされている。
 博麗神社の巫女にして妖怪退治の専門家、博麗霊夢は洗濯物を干し終えると、未だにボーっとしているおくうの頭にチョップを叩き込んでいた。

 ヒュッという風きり音。しなりと捻りを加えたチョップはまるで鞭のごとく、おくうの頭でスパァンと小気味よい音を響かせる。
 「うにゅ!!?」と突然襲ったひりひりする痛みに彼女は額を押さえて蹲るが、そんな少女を見ても霊夢は呆れたように見下ろすのみ。

 「何をぼーっとしてるのよ、アンタは。お茶が冷めちゃってるじゃないの、もったいない」
 「うぅ……、ごめんよ霊夢」

 ヒリヒリと引き攣るような痛みを、手で擦るようにして誤魔化しながら上目遣いに謝る。
 まるで親に怒られた子供のようだという感想を抱きながら、霊夢はそれ以上彼女を責めたりせず、彼女の隣に座り込み、お盆に載せられたお気に入りの湯飲みにお茶を注いだ。
 こぽこぽと湯飲みが薄緑で埋まっていく。その様子を見ながら、おくうは自分に用意されていた湯飲みを持ち、お茶を飲む。
 冷たい。すっかりと冷えてしまった緑茶を喉に通しながら、再び空に視線を移す。

 青く澄み渡る広大な空の海。その壮観な風景を初めて目にしたのは、本当につい最近のことだった。

 おくうは地底で生まれ、今の今までずっと地底で暮らしてきた。
 そこでさとりに出会い、名を与えられ、灼熱地獄の管理を任されて、現状に満足しながら日々を過ごしてきたのだ。
 そんなときに、彼女はある神に八咫烏の力を与えられ、核融合の力を得た彼女は地上への侵攻を思いつく。

 ひとつは、彼女の敬愛する主人を地底へ追いやった地上への復讐。
 そしてもうひとつは―――もう一度、主人にこの青き空を見せてあげたかったから。

 結局、地上の侵攻という計画は博麗霊夢、霧雨魔理沙その両名の活躍によって未然に防がれたが、結果的にそれでよかったのだろうとおくうは思う。
 地霊殿には魔理沙や霊夢がたびたび訪れるようになり、さとりも彼女たちの前ではいつになく饒舌だった。
 自分は悪いことをしようとしたのだと主人に諌められ、火車の友人からは「このお馬鹿!」と、こっぴどくしかられたものだ。
 後々、妖怪の賢者から「もう少し遅ければ、あなたを始末するしかありませんでした。ご友人に感謝するのね」と聞いたときは、さすがに肝が冷えたけれど。

 「おくう、これから買出しに行くんだけどついて来てよ。あんたは荷物もち」
 「ん、いいよ」

 巫女の言葉で、過去に遡っていた思考が現実に戻ってくる。
 自分は、もう少しで取り返しのつかないことをするところだったのだと、おくうは鳥頭なりに重々理解していた。
 だから、自分を止めてくれた霊夢には感謝しているし、友達だとそう思っている。

 ひとつ肯いた彼女は、とんっと庭に立ち、んーっと背筋を伸ばす。
 温かい風が頬を撫でて、桜の花びらがひらひらと舞う光景は、地底では見られない絶景だろう。
 桜色の並木道、少し視界を上げればやはり流れ行く薄雲と共に蒼穹が広がっている。

 「あぁ」と、小さな吐息がおくうの口からこぼれて、春の陽気に解けて消える。
 私は、こんな綺麗な光景の名を与えられたのだと嬉しく思うのと同時に―――どうしようもなく悲しいと、そう思ってしまったのだ。



 ▼



 博麗霊夢が買い物に良く訪れる店のひとつに、香霖堂という場所がある。
 ここの店主、森近霖之助は非常に変わり者で知られており、もっぱら扱うのは幻想郷の外の世界の珍品ばかり。
 中には使える物もあるのだが、大抵は使い道のわからないガラクタばかりなうえ、使い道がわかり便利な物だとわかると店主が非売品にしてしまうのだ。
 オマケに道具のことを語らせれば話は長く、客に対してもさほど愛想も良くはない。

 おおよそ商売に向いていない性格の霖之助ではあるが、霊夢の巫女服を仕立てたり、魔理沙の八卦炉を製作していたり。
 はたまたは、最強クラスの妖怪と名高い風見幽香の日傘の製作に携わっていたりと、その腕前は目を見張るものがあるのも事実。

 そして霊夢はこの店の常連だった。
 暇を見つけてはここに訪れ、気に入ったものは代金を踏み倒して持って帰る巫女は、霖之助にとってはある意味台風に近い。
 そんなわけで、カランカランとドアが開き、巫女の姿が見えた途端に彼が顔を顰めたのは仕方のない不可抗力だったのである。

 「いらっしゃい、客なら大歓迎だが冷やかしなら回れ右をしてくれないかな」
 「相変わらず刺々しいわね。溜まりに溜まったツケ、今日は返そうと思って来たのに」
 「へぇ、それはどういう風の吹き回しかな。君にそんな殊勝な心がけがあるとは驚いたよ」
 「ちょっと臨時収入がね。宝を呼び込む幸運の虎から迷惑料を頂いたのよ」
 「……あぁ、そういうことか。ナズーリンのご主人もかわいそうに」
 「何、あのネズミと虎のこと知ってるの?」

 「まぁね」と肩をすくめた霖之助は、その後何も言わずに本に視線を戻した。
 後は好きにしろ、ということなのだろう。相変わらず愛想のない男だと思いながら、霊夢ともう一人、おくうは店内に足を踏み入れる。

 店内は雑然としていて、とこもかしこもガラクタにしか見えない代物で埋め尽くされていた。
 おくうにとってはこの店に訪れるのは初めてで、物珍しそうにきょろきょろする間に、霊夢はとっとと店内の奥のほうに消えて行く。
 一人残されたおくうはというと、興味深そうにガラクタの山を眺め、何処か楽しそうに店内を歩き回っている。
 その様を、霖之助はちらりと盗み見た。まるで子供のようだという感想を抱いた彼の感性も、あながち間違いではあるまい。

 やがて、彼女の視界に納まったのは一つの箱だった。
 埃かぶったそれを手で叩き、表紙のイラストに目を奪われ、食い入るようにそれを見つめている。
 一面に広がる青空の中を、雲がまるで泳ぐように流れて行く様を表した絵。
 元々は絵画だったのであろう。油絵でうまく表現された蒼穹の濃淡が見るものを引き寄せる。今のおくうのように。

 「それがお気に入りかな?」

 唐突に声をかけられ、おくうはビクッと体を震わせて店主のほうに視線を向ける。
 いつの間にか本は閉じられており、眼鏡の奥の眼がおくうを見据えていて、その声は先程の霊夢との会話よりは幾分か柔らかい。

 「うん、この変な箱の絵、なんだかよくわからないけどすごく好き」
 「正確に言うと、それはジグソーパズルというものだよ。箱を開けてごらん、そこに沢山の小さな板があるだろう?」

 彼の言うとおりに蓋を開けてみれば、それぞれ形の違う小さな板が敷き詰められていた。
 それが何なのかイマイチよくわからず、「うにゅ?」と首をかしげたおくうを見て霖之助は苦笑する。

 「それを一枚一枚うまく組み合わせていくと、その箱の絵と同じものが作れるというものでね、それは五千枚ほどだから、ちょっとした絵画と同じ大きさになるはずだよ」
 「ご、五千枚!? えっと、いち、にぃ、さん……えぇっと?」

 指を使って数え始めたおくうだったが、彼女にしてみればそれほどの衝撃だったのだろう。良くも悪くも鳥頭なおくうには大きすぎる数字だった。
 やがて「あれ、あれ?」と頭が追いつかなくなってきたか、目をぐるぐると回し始めて今にも頭から煙が出てきそうだ。
 そのとき、奥のほうから巫女様ご帰還である。ふらふらと前後不覚になり始めたおくうに視線を送り、彼女は呆れたように霖之助に視線を向けた。

 「霖之助さん、アイツに難しい話でも聞かせたんでしょ?」
 「失敬な。僕はただあの道具について説明しただけだよ。青空のジグソーパズル五千ピース」
 「あぁ、なるほど。その五千って数字に目を回してるのか。鳥頭は難儀ねぇ」
 「うにゅうぅぅぅ、さとり様が一人、さとり様が二人、さとり様が……えーっと、沢山?」
 「落ち着け」

 そろそろおくうの頭が爆発しそうなんで霊夢が止めに入る。もちろん、毎度おなじみ巫女チョップ。
 ガツンッと結構痛そうな音が店内に鳴り響き、「うにゃっ!!?」とこれまた奇妙な悲鳴が地獄鴉から上がる羽目となる。
 それでようやくおくうの意識が現実に戻ってきた。痛む頭を抑えながら、彼女はきょろきょろと店内を見回して、こてんと首をかしげる。

 「あれ、五千人のさとり様は?」
 「いや、キモい」

 おくうの発言に霊夢がばっさりとひどいことを言い放つ。
 言い放ってから少し言い過ぎたかと思って、ちょっと想像して見る。
 部屋いっぱいに敷き詰められた五千人の古明地さとり。「さとりんはサドりん☆」などと行進してくる姿が容易に浮かんだ。
 うん、やっぱ気持ち悪かった。

 「ねぇねぇ霊夢、コレ買って。後でお返しはちゃんとするから」
 「はぁ? アンタがそれ買ってどうするのよ、鳥頭に出来るほど簡単じゃないわよ」
 「わかってるよ。でも、お願い!」

 手を合わせて必死に懇願するおくうに珍しいものを感じながら、霊夢は小さくため息を一つつく。
 こうやって、彼女が自分のことで我侭を言うのは非常に珍しかった。
 鳥頭で忘れっぽくて、そのくせご主人のさとりのことだけは絶対に忘れない律儀な忠誠心。
 とするならば、この我侭の果てにはおそらく地霊殿の主、古明地さとりが関わるのだろうと理解してしまえば、霊夢のようにため息の一つもついて出るだろう。

 「わかったわよ。ただし、コレっきりだからね」
 「うん、ありがとう霊夢!」

 本当にしょうがないといった装いで呆れる巫女をよそに、当の本人は嬉しそうに跳ね回っている。
 もう一度、今度は深いため息をついて自分の買うものと一緒にジグソーパズルを持っていけば、クックッと意地の悪そうに笑う霖之助の姿があった。

 「なるほど、君も子供のような人物は苦手なわけだ」
 「そういう霖之助さんはどうなのよ?」
 「これでも魔理沙とは幼い頃からの知り合いだからね。子供は苦手ではないし、純粋なところは幾分か好感が持てる。今日はツケも払ってもらえるようだし、特別にソレは安くしておこう」
 「ソレは……ね、まったく、相変わらずちゃっかりしてるんだから」

 もともと口で勝てるとは思っていないので、霊夢は早々に会話を打ち切るとゴソゴソと財布を取り出す。
 ふと、後ろを振り向いて見れば相変わらず嬉しそうなおくうの姿を見て、「まぁいいか」と頬を緩ませたのだった。



 ▼



 霊烏路空の一番の親友といえば、それは間違いなく彼女の名があがることだろう。
 火焔猫燐。皆からはお燐と呼ばれる彼女は、赤いお下げが特徴的な火車であり、死体を運ぶことを生業とする。
 もともと黒猫である彼女の耳には猫の耳があり、尻尾は二つに裂け、黒のゴスロリ衣装という奇抜な格好の彼女は、ここ地霊殿でもよく目立った。

 その彼女の視線の先に、幾分か珍しい光景が広がっている。
 友人の霊烏路空と、彼女の部下である地獄鴉が数名。地獄鴉たちはようやく人の姿になれるようなったばかりの者たちで、いわば彼女の補佐役。
 頭の出来は、……残念ながら鳥頭のおくうと同じ種族。是非とも察してほしい。

 「というわけで、私は一週間ほどここをあけるから、その間灼熱地獄の管理は任せたよ」
 「はい、空様!」
 「私達にお任せなのです!」
 「火力が弱くなったら燃料をぽいぽいすればよろしいのですね?」
 「うん、そういうことそういうこと。それじゃ皆、帰ったらお土産用意しておくからお仕事しっかりね!」
 『はいっ!!』

 パンパンと手を叩けば、クモの子を散らすようにワーッと駆け出して行く地獄鴉。
 皆まだ幼い容姿なのはその精神を表しているからなのか、脇を抜けて行く地獄鴉を見送りながらぼんやり考える。
 が、しかし。

 「……いや、そんなわけないか」

 友人の姿を見てその考えを即座に打ち捨てる。
 何しろ霊烏路空という少女は精神は子供っぽいがその体は成長が著しい。簡単に現すなら「ボンッキュッボン!」とかそんな感じ。

 お燐も自分のスタイルにはそれなりの自信があるのだが、この友人はソレに加えて背も高いと、まるでモデルのような要素を持ち合わせていた。
 残念なことに、頭の中にはふやけたパスタが詰まっているんで覚えたことをすぐに忘れてしまうが。
 そんな酷いことを考えられているなど露知らず、おくうはお燐の姿を見つけるとにっこりと子供のような笑みを浮かべてとたとたと駆け寄ってきた。

 「お燐、ちょうど良かった。頼みたいことがあったんだ」
 「頼みたいことねぇ。なんだかしばらくここを空けるみたいだけどさ、あんた一週間後に何があるかわかってんのかい?」
 「わかってるよ。そのことでお燐にも協力してもらいたいことがあってさ、ちょっと耳かしてよ」

 おくうの物言いに、お燐は「はて?」と首をかしげながら彼女に耳を傾ける。
 コショコショと耳元で内緒話。ソレをしばらく聞き入っていたお燐は、ニィッと満足そうな笑みを浮かべてくつくつと笑った。

 「なるほど、鳥頭でお馬鹿のおくうにしては上出来だよ。それなら確かにここじゃ駄目さね」
 「でしょ? こいし様にはもう事情を話して、後でさとり様に私達がしばらく不在な事を伝えてもらうことになってる」
 「いいねいいね、万事オッケーって訳だ。よし、乗ったよおくう! おくう一人じゃ心もとないからねぇ!」
 「ありがとう、お燐! 持つべきはやっぱり友達だね!!」

 ひしっと嬉しそうに友人を抱擁するおくうに、お燐は苦笑をこぼしながら「大げさだねぇ」と言葉をこぼす。

 それにしてもと、お燐は思う。
 これから自分たちは部下に任せて休暇になるわけだが、コレは暢気に休んでる暇はなさそうだ。
 上等である。友人から持ちかけられたコレは、つまるところそれだけの価値があるとお燐は踏んでいる。

 ならば、それに乗らない手はない。この頭の弱い友人一人ではまず不可能だろうし、一人より二人のほうがずっといい。
 善は急げだ。お燐はおくうから離れると、さっそく他の者に事後処理を頼むために奔走する。
 その口元に、うっすらと笑みを浮かべながら。



 ▼



 暖かい陽気が朝の寒さを包み込み、やがて春らしいすごしやすい気温になっていく。
 昼時も過ぎれば太陽の恩恵で快適な温度に様変わり。
 この博麗神社に人がやってくるとするならば丁度このぐらいの時間帯からだろう。
 もっとも、その中に誰一人として参拝客がいないのはご愛嬌というやつではあるのだが。

 「よお、霊夢、お邪魔するぜ!!」

 境内で掃除をしていた霊夢の耳に届いたのは、朗らかな友人の声であった。
 声のした上空に視線を向けて見れば、箒に跨った黒色魔女スタイルの友人がゆっくりと降下するところ。
 明るい金髪を靡かせ、普通の魔法使いの霧雨魔理沙は巫女の前に降り立つと、二カッと少年のような笑みを浮かべるのだった。

 「あら、魔理沙。残念だけどお茶は出ないわよ」
 「つれないこと言うなよ、お前と私の仲だろ?」
 「お茶がほしいならお賽銭。素敵な賽銭箱はあちらよ」
 「おっと、そいつはご利益がなさそうなんでやめとくよ」

 よっと箒を肩に担ぎ、つかつかと神社の縁側を目指す魔理沙にため息をつく霊夢。
 しかし、物は考えようだ。丁度友人が来たことだし、ここいらで一つ休憩を挟むのもいいかもしれない。
 根本的にサボってばかりという問題はさておいて、巫女としての業務も突き詰めては体を壊すというものだ。

 そういうわけで適当にサボる理由を見つけた巫女は、竹箒を持ったまま魔理沙と同じように縁側へ足を向ける。
 そこでふと、彼女が縁側の手前で立ち止まっていることに気がつき、一体どうしたのかと思ったのだが先客のことを思い出して「ああ」と一人納得した。

 「おぉ、お前たちも来てたのか」
 「あ、魔理沙!」
 「やぁやぁ、お久しぶりだねぇお姉さん」

 縁側の先の襖の開いた部屋に、見覚えのある少女二人が魔理沙の声に朗らかに答える。
 先客は霊烏路空と火焔猫燐の二名。面識のある彼女たちに気負うはずもなく、魔理沙はいつものように縁側に座り込み、霊夢もそれに続いて座り込んだ。

 そしてふと魔理沙の目に留まったのが、おくうとお燐が熱中している道具である。
 大きな額縁に不完全な絵、辺りには不揃いのピースが散乱しており、そのピースを選びながら二人してうんうんと唸っている様子だった。

 「ジグソーパズルか、懐かしいな」
 「昨日から泊り込みでずっとアレやってるわ。ま、お賽銭も入れてもらったし、食料も持参だから別にかまわないんだけど」
 「ほうほう、しっかしアレじゃ先は長そうだな」
 「猫と鴉だからね。片方がほぼ戦力外といっても過言ではないわ」
 「うぅ、魔理沙も霊夢も酷いよ……」

 言いたい放題の二人に、自覚のあるおくうが拗ねたようにのの字を書き始める。
 部屋の隅でどんよりと蹲ったおくうを見やり、「あー鬱陶しい」とため息を一つこぼす巫女もある意味容赦がない。

 そんな彼女に苦笑しながら、魔理沙はいそいそと縁側からおくう達のいる部屋に移動すると、二人が現在進行形で格闘しているジグソーパズルに視線を落とす。
 散らばった一ピースを手に取り、彼女はふふんと得意げに鼻を鳴らすと、未だに埋まらぬ一箇所にぱちりとピースをはめ込んだ。
 「おぉ!?」と驚くお燐を視界に納め、ニィッと魔理沙は不敵に笑う。

 「かつてはジグソーパズルの魔術師と呼ばれたこの私だ。何なら手伝ってやらんこともない」
 「おぉ、さすがはお姉さん。おくうと違って頼りになるねぇ!」
 「お燐までッ!!?」

 そろそろ精神的にがけっぷちな地獄鴉。友人にまで戦力外通知を食らったのがよほどこたえたのか、もはや床に蹲っておいおいと畳を涙でぬらす始末。
 あー、畳が傷むからやめてくんないかなぁと霊夢は思ったが、さすがに今のおくうにそれを言うのは刻だと判断したか、縁側で我関せずでお茶を飲む。

 「よーっし、そこまで言うなら私の実力を見せてあげるわ!!」
 「お、さすがだな。復活が早い」
 「ま、おくうだからねぇ」

 なんだか後ろがやかましくなってきたが、部屋の中を壊されなけりゃどうでもいいかと巫女はのんびりティータイム。
 ぼんやりと空を見上げれば、鳥が優雅に舞うように飛び回っている。
 間の伸びた鳴き声が耳に届き、彼女はふぅっと吐息を一つ。

 「平和ねぇ」

 ポツリと呟いた霊夢の言葉は、しかし後ろの三人には聞こえるはずもなく。
 緩やかな陽気の中、背後の喧騒を尻目に巫女はのんびりとお茶をすするのであった。



 ▼



 「一週間ほど家を空ける、ですか?」

 ところ代わりここは地底の奥深くに存在する地霊殿。
 その主である少女は、自身の妹が発した言葉をオウム返しするようにつむいでいた。

 緩くウェーブのかかった藤色は少し長めのショートヘア、同色の瞳はやや眠そうな印象を受け、明るい青い衣服に桃色のスカート。アクセサリーには複数の管がつながった奇妙な眼。
 彼女は古明地さとり。心を読む能力ゆえに地上を追われ、迫害され、地底に流れ着いたさとり妖怪である。

 「うん、そうよ。おくうもお燐も部下に仕事の引継ぎを済ませてるから、心配はないと思うけど」

 さとりの問いに答えるのは、彼女の妹である古明地こいし。
 薄緑がかった銀髪はクセッ毛のロングヘアー。濃いオレンジの衣服にグリーンのスカート、管につながれた第三の目は、姉とは違い閉じられている。
 トレードマークである黒いハットは椅子にかけられ、彼女は嬉しそうにニコニコと笑って席に座っている。

 台所からは姉特性料理のいいにおいが漂ってきており、こいしはその味が待ち遠しくてたまらないといった様子だった。
 吹き抜けになっていて台所からリビングの様子が見えるようになっており、さとりはそんな妹の様子を視界に納めて小さくため息を一つこぼす。

 「それはかまわないのだけれど、何で突然?」
 「さぁ、よくわかんない。何処で何をしているのかわかんないけどさ、まぁ心配要らないと思うよ。二人とも強いし」
 「心配ならしますよ。二人が誰かに迷惑をかけないか気が気ではありませんから」
 「あっはっは、そりゃそうだね。何しろおくうは前科持ちだし」
 「嫌な言い方するのね」
 「事実でしょ?」

 他愛もない会話。他愛もない姉妹の語らい。姉は疲れたようにため息をつき、妹はそれを気にせずニコニコと笑ったまま足をパタパタと動かしている。
 さとりはそんな妹の様子を見やりながら、手際よく野菜炒めをフライパンで掻き回していた。

 相変わらず、妹の考えは読めない。今も昔も、彼女が心を閉ざしたあの日から。
 その彼女に、二人は自身が家を空けることを伝えたということは、それはつまり隠したいことがあるということだ。
 心は、兎角移ろいやすいものだ。その事実を、心を読み取ることの出来るさとりは重々承知していた。
 だから、本当は心配というよりは―――不安なのだ。

 自分のことを母のように慕っていてくれる二人。心を読む能力を知っていてもなお、彼女の傍にいてくれる心優しい従者たち。
 けれどと、さとりは思う。もしかしたら、自分はあの二人に愛想をつかされてしまったのではないかと。

 前述のとおり、心は移り変わるものだ。親の元から子は離れ、いつかは自立して旅立って行く。
 そして親のことを見限り、自由のために離れて行く子がいることも、また事実。
 どんなに取り繕っても、心を読むということはその人物の奥底を暴き立てることと同義だ。
 本人の知られたくない事実を、知られたくない過去を、さとりの能力はたやすく侵略してしまう。
 だからこそ、彼女たち姉妹は地上を追われたのだ。忌避すべき対象として。

 人々の心の移り変わりを、何度も何度も耳にしてきた。
 それが、あの二人に訪れたのではないか? そう思えば思うほど、その想像はとても恐ろしい。
 今までは、他人だったから何とか耐えられた。どんなに蔑まれようと、どんなに忌避されようとも、それが他人であったから。
 けれど、親しい者にその感情を向けられたとき、自分はどうなってしまうのだろう。
 考えてみたけれど、答えが出なくてふるふると頭を振ってその思考を追いやった。

 「ねぇ、お姉ちゃん」
 「ッ!?」

 耳元で呟かれた言葉に、さとりはビクリと身を竦ませて自身が思考に埋没しすぎていたのだと悟る。
 いつの間にか背後から首に手を回す妹の行動に驚きながらも、何とか料理だけは続けることが出来て、日々の積み重ねが大事なのだと改めて思い知らされた。
 内心でほっと胸をなでおろしていたさとりの耳元で、こいしがクスクスと笑いながら言葉をつむぐ。

 「二人に、愛想つかされたと思ってるでしょ?」

 ドクンッと、心臓を鷲づかみにされたかのような錯覚がした。
 妹の言葉が見えない手となってぎゅうぎゅうと心臓を握りつぶそうとしているかのようで、さとりの呼吸が一瞬だけ止まる。
 それを見逃さず、こいしはあいも変わらずクスクスと無邪気な笑みをこぼすのみ。

 「そうだよねぇ、いくら二人でも心変わりするかもしれないものね。私達は今までずっとその心の移り変わりをきいて思い知らされてきたんだもの。
 人の心は不変じゃない。それは妖怪のあの子達だって例外じゃない。心を読むということは他者への侵略に他ならないわ。
 他人の心を暴き、覗き込み、踏み躙る。それが、さとり妖怪の私達の本質。そんな私達が、嫌われないはずなんかないんだもの」

 クスクスと、こいしは笑う。はたから見れば無邪気なその笑顔が、鏡の反射で彼女を見るさとりにはとても妖艶なものに思えて。
 するりと、細い腕が胸の第三の目に伸びた。撫で回すように指で弄び、ギュウッと握り締める。

 「嫌われたくなかったらさ、閉じちゃえばいいんだよ。第三の目を、私と同じように」

 それは、悪魔の囁きのように、甘美な響きを伴ってさとりの耳に滑り込む。
 クスクスクスクス、妹の嘲笑うような声が酷く耳障りで、けれど甘い誘惑だけは脳髄に絡みつくように離れない。
 第三の目を握るこいしの腕に、更に力が加えられようとして。

 「こいしッ!!」

 その力から逃れるように、さとりから叫ぶような声が上がったのだ。
 一瞬、こいしはきょとんとした後、困ったような笑みを浮かべてからそっと姉から離れた。

 「ごめん、お姉ちゃん。ちょっとからかいすぎたかな?」
 「からかったにしては、随分と悪質ですね」
 「うん、自覚してる。本当にごめんね?」

 申し訳なさそうに謝る妹の姿に、さとりは盛大なため息を一つついて頭を抑えた。
 本当に、妹の考えがわからない。
 人の心を読むことに忌避を覚え、人々の心の声に壊れる寸前まで追い詰められ、嫌われたくない一身でその能力を捨てた、あの時から。

 妹は、こいしは、あの時から壊れてしまったのだろうか。
 あるいはもっと以前から、彼女の心はどうしようもないほどにボロボロになってしまっていたのか。
 悔しいことにさとりにはそれがわからなくて、さとりは自分自身がふがいなくて仕方がなかった。
 家族なのに、たった一人の肉親なのに、その心がわからない。これほど、悔しいことがあるものか。

 ふと、リビングに戻るこいしを見送りながら、料理を再開しようと視線を元に戻す。
 ジュージューと音を立てるフライパンの上には、黒コゲになった元野菜炒めが惨めな状態で悪臭を放っていた。



 ▼



 霊夢が目を覚ましたのは夜も遅い丑三つ時であった。
 霊烏路空、火焔猫燐が博麗神社に寝泊りを始めてもう六日がたつ。明日には二人とも地霊殿に帰るつもりらしいので、随分と早いものだと一人呟く。

 喉がからからに渇いていて、もぞもぞと布団から抜け出すと喉の渇きを癒そうと台所に足を向ける。
 ギシギシと床が不気味に音を立てるが、巫女は気にした風もなく白い寝巻きのまま台所まで一直線。
 眠気で半分閉じかかっている眼で暗い廊下を歩いていくと、ふと、淡い明かりのついている部屋が視界に移った。
 そこが誰の部屋なのか思い至って、霊夢は呆れたようにため息をついた。
 無言のままその部屋に近づき、すっと音を立てずに襖を開けば、予想通りの光景が眼前に広がっている。

 「アンタ、まだ起きてたのね」
 「ふぁ~……、ああ霊夢だ」

 呆れたように言葉をかければ、霊烏路空が眠たそうな眼をこすりながらほわっとした笑顔を浮かべた。
 淡い蝋燭の光に照らされた白い寝巻き姿の彼女は妙に色っぽくて、そのたわわな二つの膨らみが谷間という形で自己主張。
 霊夢の不愉快指数を急上昇させるほどのリーサルウエポン。それが原因で泊り込み初日に一騒動あったが、それはさて置くとする。

 おくうの眼前には、やはりというべきか作りかけのジグソーパズル。向かい側にはお燐の姿もあったが、彼女は力尽きたのか夢の住人と成り果てている。
 すーすーと安らかな寝息を立てる彼女には、おくうが気を利かせたようで毛布がかけられていた。
 額縁の中で並べられたジグソーパズルは、あともう一息といったところまで完成に近づいており、その壮観な油絵の青空が形を成そうとしている。

 「霊夢だ、じゃないわよ。今何時だと思ってるのかしら、この鴉は」
 「ごめんよ。でも、もうちょっとで完成なんだ」
 「見ればわかるわよ。大体さ、もうそこまで来たなら明日でもいいじゃない」

 小さくため息をつく霊夢の言葉に、おくうは「そうだね」と困ったように笑みをこぼした。
 けれど、それっきり彼女は霊夢から視線をはずし、真剣な表情でジグソーパズルと向かい合う。

 「でもね、出来るだけ早く完成させたいんだ。このジグソーパズルを」
 「さとりのためって事?」
 「うん、そうだね。そのとおりだよ、霊夢」

 パチリと、ピースが一つおくうの手によって埋まっていく。その表情は何処までも真剣で、まっすぐで、確かな意思が感じられる。
 また一つピースを握り、おくうはそんな表情のままピースがはまりそうな場所を探していた。

 「私ね、さとり様にはすごく感謝してるんだ。あの人はね、名前がなかった私に『空』なんて立派な名前を授けてくれたんだ。
 最初は、『ソラ』ってどんなものなのかイマイチ実感がなかったけれど、地上に出て初めて空を目にして、その壮大さに呑まれちゃった。
 そして、わかったの。私の名前にこめられた意味が」

 ―――出来うることならば、あなたには私の『ソラ』でいてほしいの。

 今になって、その言葉の意味がようやくわかった。
 彼女は、地上の空に恋焦がれていたのだ。それは多分、今もずっと、この地上の果てのない空を見上げたいと、そう思っているはずなのだ。
 それはつまり、地上への羨望だ。もう二度と見ることの叶わぬ土地の象徴が、この果て無き蒼穹なのだろう。
 けれど、それはかなわない。地上を追われ地底で暮らすさとりには空を見ることは叶わないし、仮に地上に上がろうとしても、彼女は地上で傷を負いすぎた。

 「だから、私はこの空を届けたい。私は霊烏路空、さとり様の『ソラ』になると誓ったお馬鹿な地獄鴉。
 けれどさ、こんなに馬鹿でどうしようもない私だけれどさ、届けるぐらいはしてあげたいんだ。
 今も地上の空に恋焦がれるあの人に、偽物だけど本物だと錯覚してしまいそうな、このジグソーパズルの空を」

 自分は馬鹿だ。馬鹿で馬鹿で、あの人の気持ちを少しも理解してやれないことが、酷くもどかしい。
 だけど、馬鹿は馬鹿なりのやり方で、あの人を喜ばせたかった。心のそこから、彼女に笑ってほしいとそう思ったから。
 本物の空を地底には持って行けはしない。そんな力、自分には存在しないことは重々承知。
 でも―――、この本物だと錯覚してしまいそうな、見る者を惹きつけるジグソーパズルの空ぐらい、あの人に届けるぐらいは出来ると思うから。

 パチンッと、また一つピースがはめられる。真剣な顔つきのまま次のピースを握り、おくうはムムムと顔を顰めてしまう。
 どうやら早速行き詰っているらしい彼女を見て、霊夢は小さくため息をついた。
 ズカズカと不機嫌そうな表情のまま彼女の隣まで歩み寄り、ドカリと乱暴に腰を下ろす。
 そのことにキョトンとするおくうをよそに、霊夢は彼女からピースを掻っ攫うとパチリと額縁の中にはめ込んだ。

 「ったく、だからって夜中遅くまでやってんじゃないわよ。手伝ってやるから、とっとと完成させて眠るのよ。風邪なんてひかれたら堪ったもんじゃないわ」

 めんどくさそうに言葉にしながら、霊夢は次のピースを握って当てはまる場所を探している。
 その様子に一瞬キョトンとした様子のおくうだったが、彼女の真意を悟って笑みを浮かべた。

 「ありがとう、霊夢」
 「お礼はいいわよ。さっさと完成させる」
 「うんっ!」

 元気よく返事をして、ピースを一つ手にとって当てはまる場所を探して行く。
 パチリと、音が一つ。博麗神社の丑三つ時、淡い蝋燭の光がともる室内で、ピースをはめる音だけが鳴り響いていた。



 ▼



 地上のやつらが、さとり様を地底へと追いやった。
 地上の連中が、さとり様からこの青空を奪い去ってしまった。

 これほど、怒りに燃えたことがかつてあっただろうか。
 これほど、悲しみにくれたことが過去にあっただろうか。

 私は力を振るう。核融合の力を持って、地上の世界をなぎ払う。
 それがさとり様のためになると信じて、地獄の業火が、地獄の太陽がすべてをなぎ払う。

 だけど、……だけど、その後に広がった世界は目を疑うほどに変わり果ててしまった。

 地上は赤く醜く焼け爛れ、美しかった緑は跡形もなく消え去っている。
 そして、あの人に見せたいと願った空は―――黙々と上がった煙で真っ黒に覆われ赤銅色に鈍く濁り果ててしまっていた。

 あぁ……と、私の喉からか細い声がこぼれ出る。

 違う。違う違う違う違う違う!!
 私が欲しかったのはこんな空じゃない! 私があの人に見せたかった青い空は、こんな空じゃない!

 私はただあの人を守りたかった。あの人を地上に帰してあげたかったんだ。
 あの人にもう一度―――果てのない青空を見上げてほしかっただけなのにッ!!

 私が、私が―――あの人の見たかった青空を、赤銅色の歪な空に変えてしまった。
 何が霊烏路空だ。何がさとり様の『ソラ』になるだ。私がその空を、粉々に砕いてしまったではないか!

 誰もいなくなった世界で、私は蹲った嗚咽をこぼす。
 あふれ出る涙が止まらなくて、胸を締め付ける苦しみが縄のよう。
 後悔しても後悔しつくせない。心臓が握りつぶされてしまいそうで、握りつぶされそうになるたびに瞳からは涙がポンプのようにあふれ出る。

 声なき声が、赤銅色に変わってしまった世界で慟哭する。
 空に吼えるように慟哭した私の視線の先には―――くすみ、濁りきってしまった灰色と赤銅が映っていた。






 コレは夢。私が時々目にする悪夢。
 けれど、決して私はこの夢を楽観視なんかできはしない。

 だってこの夢は、一歩間違えれば起こっていたかもしれない光景なのだと、私自身が理解しているのだから。






 ▼



 雀のさえずりが聞こえたような気がして、おくうは薄っすらと目を覚ました。
 昨日は結局、完成した瞬間に霊夢と共に眠ってしまったようで、おくうの隣には霊夢がすやすやと寝息を立てている。
 ふと、目元がなんだか暖かいような気がして拭ってみれば濡れているのがわかって、自分が泣いていたのだと理解した。
 嫌な夢だったなと思うと同時に、徐々に意識が覚醒していけばようやく完成したのだという実感が湧いてくる。
 「そっか、完成したのか」と、おくうは頬を緩ませてジグソーパズルに視線を向け―――

 「え?」

 その光景に、堪らず呆けた声をこぼしてしまっていた。
 確かに、確かに昨日完成していたはずの大空のジグソーパズルは、しかし、今は見るも無残に散らばってしまっている。
 ぐちゃぐちゃにピースが散乱し、壮大な姿を見せ付けていた青空の絵は面影すら感じられない。
 何で? どうして? と、こうなっている理由がわからずに思考がぐるぐると同じ問答を繰り返す。

 そこで、ふと視界の端に見慣れぬものが映った気がした。
 慌ててそちらに視線を向ければ、僅かに開いた縁側に通じる襖から、一匹の鳥がパズルの一ピースを咥えていたのだ。
 その瞬間、この惨状の理由と、コレをなした犯人を理解する。
 しかし、おくうが何か行動を移すよりも早く、その小鳥が襖から外に飛び出していった。

 「待って!!?」

 コレには堪らず、おくうが慌てた声を上げてつんのめりながらも襖を開けて小鳥の姿を視線で追う。
 しかし、すでに遅い。小鳥の姿は他の鳥たちの影に混じってわからなくなり、やがてそれらはばらばらの方角に飛び去っていく。
 くちばしに、大事なピースを咥えたまま。

 さぁーっとおくうの顔が真っ青になっていく。
 せっかく完成したジグソーパズルが寝ている間にばらばらにされてしまっていた挙句に、大事なピースを一つ取られてしまった。
 これでは、どうがんばっても完成しない。それ以前に、仮に見つけられたとしても今日でなくては意味がないのだ。

 「れ、霊夢どうしよう!! パズルが、パズルがッ!」
 「……うっさいわね、何だって言うのよ?」
 「鳥にピース取られちゃったの! しかもせっかく完成したのにぐちゃぐちゃにされて、今日じゃないと意味がないのに……、うぇ……ヒックッ」
 「だーもう泣くな!! 心配しなくったって、探し物が得意なやつなら心当たりがあるから落ち着け!」

 今にも泣き出してしまいそうなおくうに、霊夢は叱り付けるように言葉にする。
 グスッと何とか涙を堪えようとするおくうを見やり、霊夢は盛大にため息一つをつくとスクッと立ち上がった。

 「とっととソイツ起こして、着替えたらその道具を持って鳥居に集合よ。いいわね!!?」

 未だ夢の住民のお燐を指差しながらそう言葉にし、霊夢は足早に自室に向かいながらため息をつく。
 まったく、自分はあいつらの事を手伝いすぎじゃないだろうかと自問したが、かといって明確な答えが出ずに苛立ってしまう。
 コレはあれだ。あのパズルが完成せずに泣かれても鬱陶しいし、このまま居座られても困るから手伝ってるんだ。
 そう自分を納得させながら、霊夢は足を速める。
 時刻はまだ夜が明けたばかり。頃合にして午前5時ごろといったところか。
 雀がさえずるには少しばかり早い時間帯に、霊夢は眠気を噛み殺しながら自室に急ぐのだった。



 ▼



 「と、言うわけでアンタのネズミをコイツにかしなさい」

 仏門である命蓮寺の朝は早い。早いといってもその時間に訪れる行為が迷惑にならないかといえばそうではないわけで、中には未だ眠っている者もいるだろう。
 そんな早朝に現れた人物の開口一番の言葉がコレである。
 毘沙門天の代理、寅丸星の口をぽかんと開けさせるには十分な出来事であろう。
 黒の混じった金髪ショートヘアを靡かせ、頭痛でも覚えたのか頭を抑えて眉間に眉を寄せる。

 「……すみません、霊夢さん。話がさっぱり見えないんですが?」
 「いいから貸せ。時間がないのよこちとら」
 「わわ、お姉さん落ち着いて!! そんな喧嘩腰じゃ駄目だって!!」

 イマイチ理解が追いつかない星の言葉に、寝起きで機嫌が最悪の霊夢が苛立たしげに言葉にする。
 その理不尽な様子にさすがにお燐が間に入り、彼女に事情を説明し始めた。
 一つ一つ、丁寧に彼女の言葉を聞いた星は、ようやく納得が言ったのかこくりと肯いた。

 「なるほど、事情のほどはわかりました。ナズーリン、聞いていたのでしょう?」
 「まぁ、大まかにはね」

 肩をすくめながら寺の奥から姿を現したのは、銀髪のセミロングにネズミの耳を持った少女だった。
 灰色と黒を基調にした衣服に身を包み、朝早くだというのに眠気も見せずにナズーリンと呼ばれた彼女は腰に手を当てる。

 「彼女たちの力になってあげてください。あなたの力なら、彼女たちの探し物を見つけることも容易でしょう」
 「まぁ、それはやぶさかではないけれどね。しかし大丈夫かなご主人、私がいなくて」
 「もちろんです。私のことは気にせず、お勤めをがんばってください」
 「やれやれ、ご主人の命とあらば仕方ないか」

 肩をすくめ、彼女はおくうの隣まで歩み寄る。
 身長差は約20cmほどあるだろうか? もともと小柄なナズーリンと背の高いおくうではまるで親と子のようである。
 自然、ナズーリンが見上げる形となるのだが、その姿と立ち振る舞いは堂々としたものだ。

 「さ、こちらにおいでよ。君は私と一緒に宝探しと洒落込むとしようか」
 「うん、お願い!」

 冗談めかして言うナズーリンの言葉に、おくうは真剣な表情で頼み込む。
 ダウジングロッドを取り出し、二人は空高く舞い上がり、やがて命蓮寺から見えなくなっていく。
 その姿を見送りながら、霊夢はハァッと小さくため息をついた。

 「まったく、騒がしいんだからあいつは」
 「そう言うものじゃないですよ霊夢さん。それで、まだ頼みごとがあるのでしょう?」
 「さすが毘沙門天の代理、話が早いわ」

 星の言葉ににやりと笑うと、霊夢は袋に包まれたそれを彼女に見せる。
 それで大まかなことは理解したのだろう。「なるほど」と妙に納得した星は、優しく暖かな微笑を浮かべた。
 それがむずかゆく感じられて、霊夢は照れたようにそっぽを向く。

 「わかりました。私でよければ、喜んで力となりましょう」

 クスクスと笑みをこぼす星がなんだか腹立たしいが、それを指摘すると自分が照れていると認めてしまいそうで言葉を噤む。
 まぁまぁと霊夢をなだめるお燐が唯一の救いだろうか。もっとも、二人の様子を微笑ましく思った星の笑顔が、よりいっそう温かくなっただけの話なのだが。

 その視線を振り払うように、霊夢は荷物を持ったままズカズカと命蓮寺に足を踏み入れる。
 その様子を見送りながら、お燐と星は二人で顔を見合わせ、そしてどちらともなく笑いあうのであった。



 ▼



 いつもいつも、どうして自分は肝心なところでポカをやらかしてしまうのだろうと、おくうは思う。
 皆から馬鹿馬鹿言われ続けてきたから、自分がどうしようもないアホたれであることは自覚しているし、考えるのが苦手な自分はどうしても他人に劣ってしまう。

 どうして、あの時寝る前に襖を閉めておかなかったのか。あの時、どうしてもっと早く起きられなかったのか。
 後悔すればきりがない。罪悪感ばかりが募り、タイムリミットが今日だという事実がそれに拍車をかけている。
 今日でなくては意味がない。今日、あのパズルを届けなければ意味がないのだ。
 仮に見つかったとして、一週間もかかったあのパズルを今日中に作ることなんて、出来やしない。

 「見つかったよ」

 そのネズミの言葉に、埋没していた意識が戻ってくる。
 ビクッと身をふるわせて、ナズーリンが指をさした先に視線を向ける。
 ここからでは良く見えず、ゆっくりとゆっくりと降下して行くと、桜並木のはずれの大木に、目的のものがあった。

 「鳥の巣?」

 そう、それはまごう事なき鳥の巣であり、ところどころ崩れかかっているのは襲撃者にでも襲われたのか。
 中には雛がピーピーと鳴いており、パズルのピースはその補強の一部として使われているようだった。

 「そっか、守ろうとしたんだね。自分の家を」

 再び戻ってきた親鳥を見つけ、おくうは小さくかみ締めるように言葉をこぼす。
 この親鳥は、自分の大切な場所を守ろうとしただけなのだ。最初は怒りを覚えはしたが、理由を知ってしまえばどうしても怒る気にはなれなかった。
 だって、この親鳥は自分と同じだ。自分の大切なものを守ろうとしたその気持ちを、おくうは自分に重ね、そして理解することが出来たから。

 そっと、巣を壊さぬようにピースを抜き取ると、何事もなく引き抜けたことにおくうはほっと一つ安堵の息をこぼしていた。
 そんな彼女の様子に、ナズーリンはやれやれといった様子で肩をすくめている。

 「さ、帰ろうか。君のお友達も待っているだろうからね」
 「うん」

 時間は太陽の高さからして昼ごろだろうか。
 今から運よくすぐに作れるなんて思えないが、だからといって諦めるなんてしたくはなかった。
 ナズーリンの言葉に一つ肯くと、おくうは大事にピースを抱えて空を飛ぶ。
 バサリと黒い翼を羽ばたかせ、ネズミの少女と共に命蓮寺へ急いだ。



 命蓮寺との距離は思っていたほど離れてはいないせいか、帰りはすぐであった。
 帰宅した二人は寺に上がり、長い廊下を足音を響かせて歩いていく。

 暗くなりそうな気持ちを頭をふって振り払うと、おくうはむんっと気合を一つ。
 まだ終わったわけじゃない。まだ時間はある。馬鹿は馬鹿なりに、何事も一途になってこそ成果が出せるものなのだ。おくうはそのことを知っている。
 今は失敗のことは考えない。間に合わなかったときのことは考えない。そんなの、考えるより手を動かしたほうがもっと効率的だから。

 ナズーリンが先導し、ゆっくりと襖を開けて本堂に足を踏み入れて。

 「え?」

 その光景に、おくうは間の抜けた声を上げることとなった。
 そこに広がっていた光景は、おくうにとっては余りにも予想外な光景だったから。

 「あらあら、コレは何処かしら?」
 「まったく、聖はこういうの向いてないんじゃない? ほら、ここよここ」

 聖白蓮と封獣ぬえがお互いより沿うように言葉をつむぎ、ピースを片手に悩んでいる。

 「ムラサ、これは何処ですかね?」
 「星、それは多分ここだと思うよ」

 寅丸星が不思議そうに問いかければ、村紗水蜜は苦笑しながらピースをはめていく。

 「雲山、これはそっちね。私が持ってるのは、こっちかしら?」

 雲居一輪がパートナーの雲山と共に、協力しながら適合する場所を探し。

 「えっと、早苗。これってここかな?」
 「そうですね、そこですよ。それにしても、こんなに大勢でパズルなんて初めてですけど、案外楽しいですねぇ」

 多々良小傘が東風谷早苗の膝の上で問いかけて、早苗はのほほんとした様子で苦笑する。

 「おっと、コイツはここだな。ちょろいもんだ」
 「馬鹿、そこは違うわよ魔理沙。もうちょっと頭働かせなさい」
 「人形遣いのお姉さんの言うとおりだね。それは絶対に違うと思う」

 自信満々にはめ込もうとした魔理沙に、アリス・マーガトロイドと火焔猫燐の指摘が入り、「ちぇ」と気まずそうに魔理沙がピースを引っ込める。

 「え、何で、どうして?」

 予想外の大人数が、今こうしてジグソーパズルと格闘している。
 けれど皆楽しそうで、今にも談笑してしまいそうな朗らかさのまま、着実に青空のパズルは完成に向かってひた走っている。
 その速度は、おくうとお燐が二人でがんばっていた時の比ではない。
 もうすでに半分近く埋まろうとしているパズルに呆然としていると、二人が帰ってきたことに気がついた霊夢がおくうに視線を向ける。

 「何をぼーっとつったってんのよ、早くこっちに着てあんた達も手伝いなさい」

 おくうの手を引っ張り、霊夢は彼女をジグソーパズルの前に座らせる。
 突然の事態に理解が追いつかないおくうは、混乱で目をぐるぐると回してしまいそうだった。
 そんな彼女の様子に、早苗がクスクスと言葉をこぼした。

 「ちょっと命蓮寺に用事があったんですけど、懐かしいものをしていましたからね。私達も参加させてもらったんです」
 「まったく、水臭いぜ。こういうときは人を頼るのが鉄則ってもんだ」

 早苗の言葉に続けたのは魔理沙だった。
 相変わらず少年のような笑みを絶やさぬまま、ニッと笑みをこぼしておくうにそう言葉を投げかける。
 不意に、胸の奥から何かがこみ上げてきた。
 悲しいわけじゃない。むしろ嬉しいはずなのに、瞳からは涙が溢れて止まってはくれない。
 ぐしぐしと涙を拭っていたおくうの隣で、ナズーリンが呆れたように肩をすくめた。

 「まったく、お人好しはうちの連中だけだと思っていたけど、存外にまだいたわけだ。
 さて、私一人がサボるわけにもいかないし、せいぜい、君の主人のためにがんばらせてもらうとしよう。
 あぁ、君が気にする必要はないよ霊烏路空。見てのとおり、我が命蓮寺はお人好しの集まりだからね」

 なんでもない風に言葉にして、ナズーリンはピースを握る。
 もう、間に合わないと思っていた。どんなにがんばっても、今日仕上げることは出来ないのだと、そう諦めかかっていた。
 けれど、今この場所はこんなにも暖かい。こんなにも、優しい世界が広がっている。

 「ありがとう、みんな」

 何とか絞り出せた声は、果たして皆に届いただろうかと不安に思う。
 けれど、その考えは杞憂だったようで、皆がお互いに顔を見合わせて苦笑した。
 ごしごしと眼をこすり、涙を拭う。いつまでも泣いてなんかいられないし、そんなの情けない。
 皆がこうやってつなぎとめてくれた可能性を、霊烏路空が手にしなければ始まらない。
 改めて決意を固めて、おくうはピースを一つ取る。
 とっくに昼は過ぎていたが、誰もが間に合うと、そう思いながら目の前のジグソーパズルに時間を費やしていった。



 ▼



 地霊殿の立てかけられた時計が、そろそろ12時を指そうとしている。
 その時計の秒針を見やりながら、古明地さとりは小さくため息を一つこぼしていた。

 「やっぱり、嫌われちゃったのかしら?」

 自嘲するように、彼女は寂しげに言葉をこぼした。
 一度思ってしまえば、その考えは中々思考の外に向かってはくれず、この一週間、ずっと彼女はその恐怖と戦ってきた。
 自身の子供といっても過言ではない二人の従者に、愛想をつかされるという恐ろしい可能性。
 そんな馬鹿なと思っていても、結局その可能性を捨てきれずに悩んでしまう悪循環。

 そんなわけはない。あの子達は自分を慕ってくれていたじゃないか。
 でもそれじゃあ、約束の一週間がたつというのに、どうして帰ってきてはくれないの?

 とても寂しかった。今にして思えば、ここ最近はずっとあの二人が傍にいてくれていたような気がする。
 孤独には慣れているはずだった。嫌われることにも、慣れているはずだった。
 なのに、今の体たらくはなんだろう。一人でいることを寂しいと思い、従者に嫌われることを恐れている自分。
 それが酷く、滑稽に思えた。

 そんな時だっただろうか、スパァンッと玄関のほうで勢いよく扉が開かれた音がして、「ただいまー!」っと元気のいい声が聞こえてきたのは。
 その声に、さとりはビクッと身をふるわせる。聞き覚えのある声に、彼女は懐かしさと恐怖を不意に感じてしまった。
 その声は間違いなく、彼女の信頼する二人の従者の声だったから。

 帰ってきてくれた。けれど、どうして帰ってきてくれたの?
 わからないという言葉が脳裏をぐるぐると回り、思考が乱雑にぐちゃぐちゃにかき回される。
 心が落ち着かない。思考が定まらない。自分は一体いつの間にこんなに弱い妖怪になってしまったのか、心底情けなくなってくる。

 そんな彼女の心情など露知らず、二人の従者がノックもせずに扉を開け放った。

 「ただいまさとり様!!」
 「霊烏路空と火焔猫燐、ただいま戻りました!」

 おくうとお燐が心底嬉しそうに言葉にし、彼女たちの背中にはちょっとした大きさの包みが背負われている。
 心からも拒絶の感情は感じられず、それでようやくさとりの心は落ち着いてくれた。

 「おかえりなさい、二人とも。随分と長い時間外出していたようですが、一体どうしたのですか?」

 言葉にして、自分が普段通りの声だったか自信が持てない。
 けれど、二人はテンションが高くてそのことには気付いていないようで、さとりは内心でほっと胸をなでおろしていた。
 いつも通りのようで、けれど少し違う二人の心の声に、さとりはやはり首をかしげるしかなかったが、二人がお互いに顔を見合わせた瞬間に彼女たちの今までの行動を理解する。

 「さとり様、コレは私達からのプレゼントです!」
 「お気に召すかはわかりませんが、全部おくうの考えたことなんですよ」
 「……そうか、そうでしたね。今日は、あなた達と初めて出会った日なのですね」
 『ハイッ!!』

 嬉しそうに言葉にする二人からプレゼントを受け取り、その大きさに地面に立てかけて布をはがして行く。

 そうして―――彼女はその光景に目を奪われた。

 一面に広がる青空に、奥に流れていくかのような白い雲。油絵で濃淡のつけられたその絵画は、ジグソーパズルで作り出されたもののようだった。
 感嘆するのは、その技術。まるで名画をそのまま切り取ったかのように、その額縁の中に飾られた蒼穹は見る者を惹きつける。
 まるで本物のようで、本当に、地上に戻って空を見上げているような気がして。

 思えば、どれほどの時間、この青空を見上げていなかったのか。
 たとえコレが絵画をパズルにしたものであったとしても、これほど人を惹きつけるのならそれは一つの世界だ。
 世界一つを切り取って、そのまま絵にしたかのような壮観な光景。恋焦がれた―――地上の空。

 「さとり様」

 静かに、言葉をつむいだのはおくうだった。
 おくうの言葉に視界を彼女に移すと、いつになく真剣な様子の彼女がいて、その心の内を聞いて―――さとりは息を呑む。

 「私は、さとり様にこの名を頂きました。あの心を掴む果てのない空の名を。
 私は、あの日に誓いました。私は―――霊烏路空はあなたの『ソラ』になるのだと。でも結局、私に出来たことはほとんどなかったのです。
 それどころか、地上の空をあなたに見せることも出来ないし、私は馬鹿だから地上を壊そうとさえした。さとり様の大好きだった景色もろとも。
 私に出来たことは、こうやって真に迫る空の絵を、あなたに送ることくらいしか思いつかなくて。えっと、それから、それから」

 自分で言葉にして、だんだんと情けなくなってくる。主のために何もしてやれない自分の不甲斐なさが情けなくて、終いにはボロボロと泣き出してしまう。
 そんな彼女を、さとりはぎゅっと抱きしめられた。
 言葉にしなくたっていい。言葉にしなくても、さとりにはおくうの思いが全て理解できていたから。
 彼女は、今でも自分を好いていてくれる。それが痛いほどの伝わってくるから。
 嫌われたと思って、この一週間悩んでいた自分が酷く情けない。
 さとりは、ただぎゅっと我が子を抱きしめるように力をこめる。
 その頬に、涙がツーッと一筋伝う。

 「ありがとう、おくう。あなたの思いは十分に伝わっているから、泣かないで。私も悲しくなってきちゃうじゃない」
 「うにゅ、さとり様もかなしいの?」
 「いいえ、そんなことはないわ。コレはね、うれしいから泣いているのよ。素敵な地上の空を、私にプレゼントしてくれてありがとう二人とも。
 おくう、心配しなくとも、あなたは私にとってかけがえのない家族よ。かけがえのない、地上を追われた私だけの空。
 だから、誇りなさいおくう。自分に自信を持ちなさい、霊烏路空。あなたは間違いなく―――私の空なのですから」

 抱きしめる腕に、自然と力がこもった。後半はちゃんと言葉に出来ずに、嗚咽交じりの言葉だったが、それでもおくうには伝わったようだった。
 少し蚊帳の外だったお燐は何も言わず、何処かくすぐったそうに二人の様子を眺めている。
 けれど、今だけはおくうに主人の腕の中という特権を譲ろうと思う。
 今回の功労者は間違いなく彼女なのだから、友人としては、ここは譲ってやるべき場面だろう。



 ふと、お燐は額縁に収められた皆の努力の結晶に視線を見やる。
 そこに映し出された蒼穹は見事の一言に尽き、その真に迫る人を魅了する一つの世界に、やはり見惚れてしまい彼女の作戦に乗ってよかったと苦笑した。



 ▼



 その日から、さとりの私室に見る者を魅了する青空が飾られる。
 ジグソーパズルでありながら、その名画のごとく人を魅了するその蒼穹の絵画は、ともすれば本物であると錯覚しそうなほどの迫力があった。
 その名画を、さとりの妹が見上げるように魅入っている。
 やがて彼女はにやりと笑い「及第点かな?」などと上機嫌に歌いながら姉の部屋を後にした。

 一つの憧れの形が、こうして絵画のようにして飾られている。
 一人の従者から始まった一つの作戦が、多くの人物たちに支えられてこの絵画へと実を結んだ。

 けれど、やはりこの結末に至ったのは一つの思い。
 彼女の『ソラ』であろうとした、鳥頭でお馬鹿で、だけど何処までも一途な霊烏路空の誓いがあったからだろう。

 ふと、今まで眠っていた部屋の主が目を覚ます。
 眠そうに眼をこすり、ネグリジェのままベッドから身を滑り出して、のろのろと絵画の前へと足を向けた。
 ぼんやりとした頭で、従者からの贈り物を見上げると、その蒼穹は何処までも壮大で、本当に地上にいるのではと錯覚してしまいそう。

 「ありがとう、おくう」

 小さく言葉にした声は誰に聞こえることもなく、さとりは幸せそうに頬を緩ませた。
たとえばおくうの名前をつけたのがさとりだったら、という妄想から始まった作品。
こんな話でしたが、皆さんいかがだったでしょうか?

今回はちょっと長くなりましたが、楽しんでいただけると幸いです。
それでは、今回はこの辺で。

※誤字を修正しました。誤字を報告してくださった皆さん、ありがとうございます。
それから感想をくださった皆さん、まさか6000点を越えるとは、自分自身驚いています^^;
この話を読んで、少しでも感動できたり、優しい気持ちになれたのなら幸いです。
この話を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
白々燈
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コメント



0.8700簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
良い話すぎて全俺が泣いた
自分が読んできた話の中で間違いなく最高の作品でした!!
評価100点じゃ足りねぇくらいだぜw
5.100名前が無い程度の能力削除
みんながジグソーパズルを手伝い初めたところで涙腺崩壊した
12.100名前が無い程度の能力削除
不覚にも泣いてしまったよ
19.90名前が無い程度の能力削除
良かったですね さとり様

>博麗神社の巫女のして妖怪退治の専門家、~
巫女にして、でしょうか
>すっと音を立てずに襖を開けば、予想道理の~
予想通り、ではないでしょうか
21.100名前が無い程度の能力削除
良いお話でした!
25.100名前が無い程度の能力削除
目からフジヤマウ゛ォルケイノが…………
27.100渡り鴉削除
『その世界に、空はなかった』
最初のプロローグでこの言葉が浮かびました…

大切な人への感謝。不器用な自分だけでは叶わない願い…
でも、
自身をもって自慢できる親友。渋々ながなも気にかけてくれる友人。自分の得にならないのに協力してくれるお節介さんたち。
自分は一人じゃない。
大切な人がいて…みんながいて…
みんなで頑張って出来た『ソラ』だから……
本物に負けないくらい、綺麗なんだ

初コメントで妄想ゴメンナサイ...orz
とても暖かい作品をありがとうございます、長文お疲れ様でした!!
28.100名前が無い程度の能力削除
何も言うことはない
30.100名前が無い程度の能力削除
いい仕事じゃ。
31.100名前が無い程度の能力削除
素晴らし過ぎて言葉に出来ない…
とりあえず…感動した!
32.100名前が無い程度の能力削除
あまりの感動に目から雨が。
34.100名前が無い程度の能力削除
空に惚れました。
35.100奇声を発する程度の能力削除
本気で泣いた。
やばい!!!これはマジで最高のお話だ!!!!!!
感動をありがとう!!!
39.100名前が無い程度の能力削除
マジ泣きした。
空とさとりの関係が理想的で言葉にできない。
素晴らしい作品を有難うございます!
48.100七人目の名無し削除
>残念なことに、頭の中にはふやけたパスタが詰まっているんで覚えたことをすぐに忘れてしまうが。
この一文を見て、某作品の金髪美形剣士を思い浮かべたのは私だけですかね?

とても良い作品でした。感動した!!
52.100名前が無い程度の能力削除
素敵な作品をありがとう…これで来年は確実に勝てる…
57.100名前が無い程度の能力削除
感動しました。
62.100名前が無い程度の能力削除
おばかだけど真直ぐなおくうと良き友人のお燐、さとりとの関係が
とても心地よく描かれていたと思いました。
おくうと霊夢の関係も良い感じで、読んでいて楽しかったです。

>あの子達は自分をしたたてくれていた~
慕って~ではないかと。
63.100名前が無い程度の能力削除
ガチで泣いた
素敵なお話をありがとう
64.100名前が無い程度の能力削除
おかしいな……なぜか空が滲んで見えないぜ……
66.100名前が無い程度の能力削除
この世界で生きるしかないとしても
このまま生きるほうが楽だとしても
その先に何があるかわからなくても
知らない方が幸せだったとしても
たとえ世界を壊してしまうとしても

さとり様 空に行こう
67.100名前が無い程度の能力削除
GJ。
68.100名前が無い程度の能力削除
夜更けにいい作品をみつけてしまった。
69.100名前が無い程度の能力削除
毎日ここチェックしてんだから、なんで投稿されてすぐ読まなかったのか…
おくうは鳥頭だけど、けっしてバカなんかじゃないよ!!
75.100名前が無い程度の能力削除
「ふやけたパスタ」のせいで泣き笑いになっちまったどうしてくれる
80.100名前が無い程度の能力削除
読み終えて優しく満たされた気持ちになる快作。
これからも応援してます。
81.100カギ削除
月並みな感想で申し訳ないが、すごくよかった。
途中泣きそうになったぜ
82.100アリサ削除
上にも同じ方がおられましたが……おくうに惚れてしまいましたw 純粋で一途、素敵です。ストーリーも他の登場キャラ達も優しくて感動しました。次回作を楽しみにしてます。
86.100名前が無い程度の能力削除
ええはなしじゃないですか
91.100名前が無い程度の能力削除
全俺が泣いた。いや、、真面目に
92.100名前が無い程度の能力削除
ほろりと泣いてしまいました。
95.100名前が無い程度の能力削除
アレ、目から汗が・・・
96.100名前が無い程度の能力削除
良いねぇ……

実に良い……
104.100名前が無い程度の能力削除
完全に展開は誰にでも分かる一直線。しかし、徹底して期待を裏切らない圧倒的な描写。
それを実行して嫌味のないお空のキャラとも相まって、地SSの完成形を見た気がします。
107.100名前が無い程度の能力削除
何て言えばいいんだよ
108.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。
それしか言えない。
110.100名前が無い程度の能力削除
実にいい話だった
素晴らしい
112.60名前が無い程度の能力削除
良い話でしたが、良い話すぎて妙に違和感を覚えてしまいました。
話が出来すぎというか型どおりというか
でも良い話でした。
124.100名前が無い程度の能力削除
ガチで泣きました
125.100名前が無い程度の能力削除
なんだこれは。最高じゃないかぁ!
空好きの俺超歓喜。非の付け所無しの満点です。ホント、良い話をありがとう!
127.100名前が無い程度の能力削除
もはや何を言っていいか分からないがとにかく泣けた。
兎に角ありがとうって言いたい気分だ。ありがとう。
129.100名前がない程度の能力削除
ああ、空いいよ空
さらに惚れた、純粋でいいなぁ
ガチ泣きです、良い作品をありがとう!
130.100名前が無い程度の能力削除
空好きだったがさらに好きになった
本当、良い話をありがとうございました
141.100名前が無い程度の能力削除
お空が可愛すぎる!
最後まで諦めないお空の姿に泣いた
とても素敵な作品ありがとうございます!
142.100名前が無い程度の能力削除
もうなにもいうまい
152.100名前が無い程度の能力削除
心の中に青い風が吹いた……
163.100オカム削除
良い御話でした…!
何度も読みたくなる御話ですね~。

自分もパズルがやりたくなりました。。
164.100名前がない程度の能力削除
お空に感動しました。
頭が空だから空って名前なのかとか思ってた俺をなぐってやりたい。
166.100ななし削除
すばらしい。 目がうるうるです
おくう良かったね
170.100名前が無い程度の鳥頭削除
イイハナシダナー

そして10000Point越えおめでとー!!
173.100名前が無い程度の能力削除
これは泣ける・・・
でもタイトルが「ソラ」と「ウッホ」に見えたのは俺だけじゃないはずw
174.100名前が無い程度の能力削除
いい話だ
175.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい…
177.90未来削除
良い話だし好きだけど,早苗さんが出てきたあたりからの『苦笑』は表現が微妙かな
困ったように笑った,微笑んだ等,もう少し好意的な言葉に変えたほうが良いかと☆
180.100名前が無い程度の能力削除
いい話すぎて泣いた
空に対するイメージが変わった気がする
まさに貴方が神か


そして>>173、てめぇのせいで泣き笑いになっちまったじゃねぇかw
どうしてくれるw
186.100名前が無い程度の能力削除
貴殿の作品を過去の作品から改めて読み直して居るのですがやはりこの話は泣けますね。
そして今まで点をつけ忘れていたのに気づいたので今更ですが入れさせれ頂きます。
此れからの一層のご活躍を願っております。
188.100名前が無い程度の能力削除
いいお話ですね~
189.100名前が無い程度の能力削除
言葉にできない感動があった。心がとってもあたたかくなる話でした。
191.100ト~ラス削除
下手な妄想垂れ流しやがって…大好きだよ!!

感動が目から止まらなくなった。良き作品に出会えたものだ。
199.100名前が無い程度の能力削除
いやっほー! 2828してしまう。
208.100名前が無い程度の能力削除
この家族も良い話だなー
219.100名前が無い程度の能力削除
よかったです
221.100名前が無い程度の能力削除
さとり様はソラノカケラを手にできたんだ・・・。