Coolier - 新生・東方創想話

ray of change

2009/11/14 00:42:56
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 夜と、満天の星と。
 大の字に、仰向けでぶっ倒れて眺めていたそれから、目を離すために上半身だけ起き上がる。
 起き上がりながら、放り出していた足も胡坐に組み直して、妙に神妙な気持ちで新たな視線の先を見据えた。
 その先には、こちらを見る、紅白の服。墨を垂らしたような髪。呆れたような目で、こちらの視線を受け止める女、巫女。

「……」

 こいつだ、と、思った。ずっと探していたものが、やっと見つかったような、そんな感覚と共に、確信していた。

「なあ……」
 自然と、口角が吊り上がっていくのを感じた。笑っている、そうだ、これこそが私の笑顔だ。

「こんなお遊びなんかよりさ……今度は本気で、私と――」

 こらえ切れずに声に乗る喜色を意識しながら、ぬめったような音で言葉を紡ぐ。
 その途中で、ぶった切るように遮られた。

「んなことよりさぁ」
 かっ、と、いった感じでおよそ年齢相応の少女とは思えぬ息を吐きながら、目の前の紅白は気だるそうに肩を叩いて。

「久々に頑張ったせいで疲れたのよ。折よくさぁ、宴会の準備も整ってることだし」
 けらっと笑うと。
「酒でも飲むとしようじゃないの、一緒に、さ。どうせまた、あんたが今夜も萃めるんでしょう?」

 多分、何か、石でも飲みこんだような顔をしていたのだと思う。あんまりに突飛な言動に、紡ぐ言葉の続きも、忘れていたのかもしれない。
 ぱくぱくと、それでも必死に何かを問いかけようとするその口を見て、巫女は呆れたような笑顔に変わり。

「ああ、だってさ、そんなことやるよりは、きっと、こっちの方がずっと――」
















 布団から、上半身だけを起こして、その瞬間に何となくわかってしまった。
 朝の陽射しが障子から淡く入り込んで、薄暗い部屋を多少眺め易くしている。
 たいして彩りもないその部屋を見渡しながら、とりあえず溜息と共に掛け布団を足の先の方へとうちやって。
 布団の上で胡坐をかいて、腕を組み、ひとまず視線を己の体へ移す。
 寝間着代わりの白い襦袢が、もうすっかり骨と皮だけに近くなってしまった、纏うそれに劣らず白い肌を包み込んで。
 それから、腕を、己のすっかり真白になった頭髪へ伸ばして、梳くように指を通してみる。
 まあ。

「こんな風になってしまったら……仕方ないわよねぇ、それも」

 自然なことか。
 思い切ってみると、ようやく少し笑いがこみ上げてきた。
 外へ漏れないように、軽く口を歪める程度に笑んで、毎朝の日課を待つとした。












 薄く透けるような茶の直ぐ髪を垂らし、未だ花は実らぬ季節の桜の木、その一本太い枝の上にごろんと肘をついて寝転びながら。
 二本角の生えた、童子のような体躯の鬼は、眠たげな目でその朝の廊下を眺めていた。
 視線の先には、何やらころころと表情を変えながら盆を運ぶ、墨を垂らしたような黒髪の紅白姿。
 その、うんうんと唸りながら、考え事をほとんど顔に出す少女を呆れた目で見やり、鬼は欠伸を一つ打った。




 そんな、自分を何やら馬鹿にしたように眺めているモノの気配など知らずに、黒髪紅白の少女は、依然心中を垂れ流しにしながら、のろのろと廊下を進んでいた。
 その、悩ましげな顔が思うのは。

「今日もちゃんと、薬飲んでくれるといいんだけどなぁ……」

 一人ごちて。描く回想は、まったく毎回うるさく言わないと、それを飲むのを、「めんどくさい」と、逃げるようにサボる姿。

「子供じゃないんだから」
 とはいえ、今日の具合はどうなのだろう。

「……」

 盆に乗せた湯呑と、紙に包まれた薬に視線を落とす。
 本当は、こんなもの飲む必要がない方が一番いいなんて、わかりきっている。
 それでも、もう、今は飲むのが一番いいようになってしまったから。

「よし!」
 気合いの声を一発。

 だったらせめて、すんなりと、明るい雰囲気で、冗談でも飛ばしながら飲めるように。

「先代―!!」

 思わずその向こうの人物が顔を顰めるような大音量と共に、紅白少女は襖を勢いよく開け放った。






「永琳に作らせた薬をぉぉ!!」

 襖を開けて同時、盆をその室内の中空へふわりと走らせ。

「お持ちしましたぁぁ!!」

 同時に、自身はごろんとでんぐり返りを一回。
 一回転で片膝をついて頭を垂れる姿勢へ移行して止まり、すっと差し出した両手へどんぴしゃりに盆が落ちてきた。
 がっしりと掴み、湯呑の白湯も、薬包みも、ぶちまけるようなヘマは当然しない。
 完璧だ。下げた頭の下、にやりと少女は口を歪める。
 完璧に、くだけた雰囲気で薬も飲みやすい、はず!
 期待の眼差しと共に、顔を上げた少女の見つめる先は、呆気にとられたというか、呆れたというか、そういった顔でこちらを見る、白く長い髪の老女。
 胡坐をかいて布団の上に座り込み、腕を組んでのその姿勢。老いているとはいえ、身体は今でも崩れず真っ直ぐ、呆れるほどに頑強なその姿。
 そんな白髪は、そうしてまた視線を半目に、溜息を一つ吐いて。

「いや、薬はもういらん」

 えー、と、その返答に表情で抗議を示す少女を、存外に真面目な顔に戻って、白髪は真っ直ぐと見つめ。

「今朝起きて気づいたんだけどねぇ、もう死ぬよ、私は」
「へあ!?」

 言葉を受けて、あまりの唐突さに、紅白少女は一瞬もやっと、顰めるような、よくわからない顔になって。

「し、死ぬって、そんな軽々と……いつですか、一体?」
「んー? 明日明後日辺りかねぇ」



 襖の奥へ消えた時の、馬鹿丸出しな動きをそのままきっちり逆に行いながら少女が飛び出して来たのを見て、流石の鬼も、瓢箪を口につけたまま、飲もうとしていた酒を盛大に吹き出した。













「うわぁぁぁぁん!! ゆがりぃぃぃぃ!!」
 紅白の少女は、自分よりかなり背の高いその人物、白い導服、紫色の掛けの胸元に顔を押しつけて、周囲に響かせんばかりに泣き声を張り上げる。

「ああ、はいはい、よしよし……割と本気でみっともないから、いい加減泣きやんでちょうだいな」
 そんな少女を軽く抱き寄せ、黒髪の頭をぽんぽんと優しく叩いて落ち着かせようとしながら、金色の長いクセ髪の、ゆがり――こと、八雲 紫は呆れた声を出した。

「らっでぇぇぇ!! ぜんだいがああぁぁぁ!!」

 いやいや、と、埋まったそこに擦りつけるように首を振る少女。
 涙でちょっと湿ってきた感触と、何やら粘着性の液体もついてそうで、紫は、うっ、と少し硬直。
 仕方なしに、よしよしとあやすのは続行しながら、傍らに立って、それを面白そうに見つめている白髪の老女へと視線を移す。

「まったく……ねえ、いつまでも、どころか、問題事を二倍にするのは勘弁してほしいのだけどね……霊夢」

 霊夢、そう呼ばれた老女は、何も答えずに軽くにやりと笑うだけ。ほぅ、と、紫は諦めの吐息をついて。

「それで、本当なの? 死ぬって」
 一つ、真面目な顔でそう問うた。

「ええ、まあ、悪いけどね」
 霊夢は笑顔を少し緩めて、何でもないことのようにそう答えた。

「……そう。まあ、あなたがそう言うのなら、本当なのでしょうね」
 ……寂しくなるわね。優しく、そう言って。

 一度目をつぶると、開いて紫は、仕方なさそうに軽く笑った。諦めと、淋しさと、少しばかりの祝いを込めて。
 受けて霊夢は、一瞬すまなそうな顔を、しかしこらえて、笑顔を返す。
 二人の交わしたものは、ただそれだけで。

「じぬならなんでもっどはやぐいっでくれないんでずかぁぁぁ!! ぜんだいのばがぁぁぁ!!」

 湿りかけた場をぶち壊すように、さらに湿った声が響いて、見合う顔は一瞬で呆れに歪み、そして心底楽しそうな笑いへ。

「だって、仕方ないでしょうが。今朝気づいたんだって」
 近づいて、その黒髪の頭をぽんぽんと叩く霊夢。

「ごめん、ごめん」
 埋まった顔は、反応を返さない。が、どうやら、しゃくり上げる声は少しずつ弱まっていった。

「まあ、もっと早く言って欲しかったのは同意かしら」
 だって、と、紫はにやりと笑って。

「こんな素敵な情報、幻想郷中に広めなくては酷ですわ、ああそうでしょう」
 謳うように。

「盛大な葬式でもやって、派手に騒ぐ機会だもの。彼の世から羨ましがるような送り方をしてあげましょうか?」
「勝手にしてちょうだい、どうせ私がいなくなった後のことでしょ。精々あんたらが馬鹿やってるの馬鹿にしながら、小町に舟漕がせとくわよ」

 にやにやと笑う紫へ、霊夢はぶすっとした表情を送る。

「ええ、ええ、勝手にやらせていただきますとも」

 そしてようやく、この場でその報を最初から聞いていたもう一人へと。
「ねえ、萃香?」

 紫が視線を移してその先、木の枝の上、幹に背をもたれさせて、ぼーっ、と、何をするでもなく虚空を眺めていた鬼へ問いかける。
 老いた白髪もつられて見上げる、その鬼の。

「……」

 答えはなかった。じゃら、と、腕にはめた鎖を一度鳴らして。
 瞬きの間に、一陣の風が吹いて、枝の上のその姿は消え去っていた。

「……まったく」

 紫はまた、仕方のないといった笑顔を一つ。

「……?」

 それから、ぐずぐずと鼻を鳴らして、ようやく顔を離してこちらを見上げる、涙やらなんやらで湿った少女に、何でもないという風に笑顔を向けて、抱き寄せていた手を静かに前に持ってくると。

「あいたっ!?」

 その額をぱちんと指で弾く。

「何すんのよー!!」

 少女が体を離して、こちらをぽかぽかと殴りつけてくるのを適当にあしらいながら、空を見上げたまま難しい顔をしている老女のその横顔を一度見つめて、紫も空へと視線を移す。
 風の吹き抜けて行った、もう秋も近い、晴れたその空を。













 ああ、そうか。
 四肢を疎として風に吹かせ、空を漂うように行きながら、鬼はおぼろげに思う。

「霊夢が、死ぬのか」

 呟きは、空へ零れて、また疎となった。















『博麗 霊夢、一両日中に死亡宣言!!』

 その報は、噂好きな天狗の手も手伝って、瞬く間に幻想郷中に広まった。
 が、その報を聞いて、大半の誰もは悲しむわけでもなく、あの女ならさもありなんと頷き。
 そして、そうか、あの女もようやく死ぬのか……と、しみじみ謎の感慨に耽っていたという。








 それは、この紅い館でも。

「――そう、霊夢まで逝くのか。年々寂しくなるよ、まったく」

 夜の空を、庭を、己が部屋から見つめながら、小さな吸血鬼は一人。

「だ、そうだが、お前はどうするんだろうね」

 呟きは、今も裏門に座り込む誰かへと。



















「まったく、いつまでそうしているの?」
 金色の髪の問いかける先、透く茶の髪についた鎖が、少し揺れて音を鳴らす。

「……霊夢は、死ぬんだな」
 問いかけに背を向けたまま、頂、そこで、遥か連なって広がる夜の山を見下ろしながら、鬼は誰に聞かせるわけでもなく呟く。

「ええ、自己申告を信じるならば……大分長生きだったわね、あの子も」
 紫は、目をつぶって懐かしむように。

「そうだね……」
 鬼も、ふっ、と、言葉に少しの笑みを混ぜて。

「いつまでこうしているか……ってね。いや、もう決めたよ、決めていたのさ。ああ、そうだとも」
 それから、一気に捲し立てるように、音量を上げて答える。

「霊夢と、あいつと、殺し合ってくるよ」

 震えもせず、笑いもせず、淡々と、鬼は、伊吹 萃香はそれだけを告げた。
 それを受けて、しばしの間。紫は息を吐くと。

「あなた達は、それでいいのかしら?」

 呼びかける先は定めない、大きく広がったその声。

「大将がそうするってんなら、私らに文句はないさ」

 それに反応するように、横手の木に背を預けている一本角の鬼の姿が、火が灯る様に浮かび上がった。
 その姿へ、紫は視線を向ける。赤い一本角の、金に鈍く光る長髪の鬼を見て、その視線を誘う。
 それに乗って、相手から向けられたその瞳は、暗い決意の混ざった色で。
 それを確認して紫は、視線をまた、萃香の背中に向けた。

「……ならいいわ。まあ、自由におやりなさいな」
「止めないのか?」

 さらっと放たれた紫の答えに、萃香は訝しげな声を返す。

「止めるってもね、どうせ放っておいてもあの子は死ぬし……それに」
 くすりと笑って。

「あの子は私の……弟子みたいなものよ? 信じているもの。とにかく、何かをやってのけるってことだけはね」
「ははっ」

 その言葉に、萃香は声を上げて笑い、もう一匹の鬼は、感情のない視線だけを紫の女へ向ける。

「いいじゃないか、それこそ私の求めているものだよ、さあ」

 萃香は笑い混じりにそう言い放つと、両手を大きく広げ。

「昔々の鬼退治」
 ばちん、と、山中へ響き渡らせるように打ち鳴らす。

「伊吹 萃香が最後の百万鬼夜行、とくと御覧あれ」

 振り向いて、紫を見つめる二本角。
 そして一斉に灯る、その鬼の背後、その山々を、埋め尽くすような鬼火の輝き。
 鬼共の首魁は夜空を見上げ、天を割るような咆哮を放った。






 星明かりの照らす部屋、遠吠えのようなその声を聞いて。
 泣き疲れた黒髪の少女に抱きつかれながら眠っていた老女は、一人目を開ける。

「やっぱり来るか」

 ほぅ、と、溜息をつくと、静かに笑って、また目を閉じた。








 明けて翌日。
 からっと晴れた秋空の紅い、紅い館へ、ふらふらと近づく影一つ。
 偉丈夫の如き体躯に、陽を反射して鮮やかに光る金の髪、額に突き立つ真っ赤な一本角の鬼。
 手に持った杯からぐいぐいと酒を飲みながら、その館の正門へと近づいて行く。
 と、そこへ。

「こらー! 止まれー!!」

 近づく鬼の行く手を遮る様に、ぞろぞろと小さな人影が正門から集まってきた。

「わわっ!? 明らかにヤバそげな奴!!」
「ひ、怯むなぁ! 隊長が休憩中の今は私達が門を任されてるんだから!!」

 しかし、相手の姿を確認して、先程までの威勢のいい警告とは裏腹に、声が震え出すその影、小さな小さな、紅いメイド服の妖精達。
 一方鬼も、その己の膝までくらいしかない姿達を見て、にやりと笑みを一つと共に、歩みを止める気配はなし。

「ひっ!? わわ、ストーップ!! ストップー!! 止まってー!!」

 どすんどすんと、踏み鳴らして近づく鬼に、慌てて声を張り上げて、目の端に涙を滲ませる。
 が、それでも止まらぬ鬼の歩が、妖精メイド達の頭上に影を作って。哀れ半泣きの彼女達が目をつぶって、ひっし、と、身を寄せ合った。

「――っ!? ……?」

 瞬間、どん、と、踏み落とされた足が、その小さな集団の一歩前で地を揺らしたところで、ようやく鬼は止まっていた。

「よう、小さい侍女さん達」
 恐る恐る目を開けた妖精メイド達の目の前に、ぐん、と、屈んだ鬼の顔が現れる。

「お前達の御主人に、ちょっと取り次いでくれんかね」

 そう言って、見た目通りの豪快な笑顔。何となくそれにほっとしたような気分を得たメイド達は、動きを合わせてゆっくり首を縦に振った。










「ふーむ、じゃあ、元々ここにはちゃんとした番人がいたわけだ」
「そうなの!」

 胡坐で座り込んで盃を傾けながら、これまたその対面に座り込んで得意げに喋る妖精メイド達の話を聞きこむ鬼。

「すっごく強いんだから!」
「鬼さんにも驚かないよ!」
「ほう、そいつはすごい。じゃあ、今はどこに?」

 飲み干して、ぶはぁと酒臭い息を吐きながら問い返す鬼に、妖精メイド達の顔は若干曇る。

「あのね、もんばんちょう、ずっと裏の門で空を見てるの」

 自分でもよくわからない悲しさを顔に滲ませて、妖精メイドはぽつぽつと喋る。
 今もあそこに座り込んだまま、空と遠くを見つめたままの、紅髪の門番のことを思いながら。

「昔はね、ずーっとそこに立ってて、でも、たまーに居眠りしてて、それでも、すっごいすっごい元気で、強くて、かっこよかったの」

 眠っていても、自分達のことをちゃんと見てくれてた、その人のことを思いながら。

「でもね、今はダメなんだって。いつか、絶対、ぜーったい、ここに戻ってくるけど……今は、今だけはまだ、ダメなんだって」

 そういう風に、今にも泣き出しそうな笑顔で言って、自分達のことをぎゅっと抱きしめてくれたその人のことを思いながら。

 妖精メイド達のその語りを聞いて、鬼はまず空を見上げ、ふぅ、と、息を吐いた。
 青天を見ながら、目をつぶり。

「そうかい、聞かせてくれて、ありがとな」

 顔をメイド達に戻すと、一人一人その頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
 撫でられた妖精メイド達は、まだ少し悲しくても、それでも嬉しそうに笑った。それを見て、鬼も満面の笑顔をくれてやる。
 と、そこへ。

「あー、悪い悪い!! 待たせたわね、客人希望だっけ!? 角の生えてすっごいデカいのって……鬼じゃん!?」

 妖精メイド達に急かされて、門前へ走ってくる影が驚きの声を上げた。
 青色の服、空色の髪と、見た目から冷たそうな外見に、アンバランスな深い緑色の帽子を頭に乗せた、他の妖精達より半身大きなその姿。背中から生えた、氷でできたような透き通った羽を持った氷精。

「そりゃ、鬼だろうさ。んー? お前さん、どっかで会ったっけかね?」

 飯の途中だったのか、まだおにぎりを片手に持ったままの慌ただしい氷精に、苦笑して立ち上がりながら尋ねかける。

「だっけ? 覚えてないわね……」

 その言葉に首を傾げて考え込む氷精。片手に持ったおにぎりをとりあえず一口食べる。

「ま、いいさ。それより、お前さんが門番かい? 休業中だって聞いたがね……」
「ん? いや、それはまあ合ってるっちゃあ、合ってるわよ。あたいはアルバイトなの」

 こっちも考えるのが面倒くさくなったのか、話を変えてきた鬼に、氷精もむしゃむしゃ口を動かしながら合わせる。

「あるばいと?」
 聞き慣れぬ言葉に顔を顰める鬼。

「ああ、まあ、用心棒ってとこね」
 氷精は胸を張って答える。

「ふーん、それにしちゃ、実力が見合ってないように思うが」

 鬼の見下ろす、得意げな氷精の頭の上、その深緑の帽子についた星型のバッジには「見習」と書いてあった。

「うっ……うるさいわね! まだまだ発展途上中の身の上なのよ! それより!」
 指摘に少し頬を染めて、声を荒げて弁解しつつ、氷精は顔を真面目に戻し。

「この館の主人に、会いたいんだってね」
「……ああ、会わせてもらいたい」

 鬼も、真面目な顔に戻って、それに向き合う。

「……どうしたって?」
「どうしたって、会う必要がある」

 睨むようにこちらを見上げる氷精に、見下ろして退かない鬼。
 しばらく、息を呑むような雰囲気のまま、お互いの目を覗き合って。
 そして。

「……わかった。取り次いでみるわ。まあ、館の中には入れても、ここの主人は気紛れだからね、会えるかどうかは運次第かもだけど」

 ふぅ、と、息を吐くと、氷精は先に視線を外しながら、そう静かに言い放った。

「あっさりと、通してくれるじゃないか。いいのかい? 自分で言うのもなんだが、こんな素性の知れない鬼を」
 拍子抜けしたような表情で、鬼はその青い門番へ問いかける。

「うーん……まあ、あんた、どうしたって会うんでしょ? あたいがあんたを力づくで止めるのは、相当骨が折れそうだし……それに」
 緊張した空気を抜くように、氷精は手に持っていた残りのおにぎりを空中に放り投げて、口でキャッチする。

「別に、通しても問題なさそうだって思ったのよ」
「なんだそりゃ」

 真面目な顔で聞いてた鬼が、その一言に素っ頓狂な声を上げる。それに対して、もぐもぐと口を動かしながら、氷精は真面目な顔で。

「あたいの勘」

 返答に、一瞬心底驚いた顔をして、次に鬼はそこら中に響き渡るような大声で笑いだした。

「あっはっはっはっは!! そうかいそうかい、そいつはありがたいね! なら、遠慮なく通らせてもらうとしよう」

 道を開ける氷精と、それに従うようにその周りに集まる妖精メイド。開いたそこへ真っ直ぐ歩を進めながら。

「ああ、そうだ。来客者が鬼の名は、星熊 勇儀さ。門番見習、お前さんは?」
「みなら……いや、まあ、そん通りだけどさ……名前? あたいは……」

 通り過ぎる瞬間、視線を流してこちらを見やる鬼へ、にやりと笑いながら。

「あたいは、チルノさ。ようこそ悪魔の館へ、御客人」












「忙しそうですね」

 そう言った、墨のような黒い黒い真っ直ぐな長髪のメイドの視線の先。
 卓に置いた羊皮紙に向って羽ペンを時々振るい、またはその羽で顔を掻いては考え込み、と、忙しなく動く小さな人影。

「そりゃ忙しいよ、人が一人死のうってんだから」

 傍らに立つメイドに向けて軽く言い放つのは、青白い波打つクセ髪の、薄赤いドレスを纏った白い肌の少女。

「こんな時にやってられることなんて、まあ、これくらいしかないからね」
 ふぅ、と、息を吐いて、少しだけ笑う、吸血鬼、レミリア・スカーレット。

「――では、先ほどから何を?」

 少し前に目の前の主のお呼びを受けて、すぐさまこの部屋へとやってきた黒髪のメイドは、その主の感傷混じりの声を聞いて、多少労わる様な表情をしながら、用向きを受ける前にそう尋ねる。

「んー? 霊夢の葬式の企画をね、練っているのさ」
 質問に、くふふ、と、悪戯っぽい笑いを響かせて吸血鬼。

「盛大に騒いであげないとね、どうせ最後なんだから。それに」

 ここでレミリアは初めてメイドの方を見た。
 見やる方向、予想の斜め上な返答に湿っぽい気持ちがすかっと乾いたメイドは、ずるっとこけそうになった体勢を気合いで耐えつつ、主の言葉の続きを促すように疑問の顔。

「葬式経験があるのは私達だけだもの。あの子の時のノウハウを生かして、うちが主導してやらなきゃねぇ」

 悪戯っぽい笑いはそのままに、真っ直ぐその目を見たままそう告げる。
 その視線を受けて、メイドは少し頬を染めて姿勢を正しつつ。
 ……果たして、棺に縋って館の全員で三日三晩大泣きしただけのあれにどんなノウハウがあったかしら……、と、少し考え。

(いかんいかん)

 軽く首を振って変な思考を振り払うと、改めて主へと向き直る。

「それで、呼び付けの御用向きは?」
「うん? ああ、そうそう、パチェの開発したインチキ臭い道具やらの中に、確か白幕に映像を映せる水晶があっただろ。あれで、私と霊夢の激闘の記録を、弔辞読む時に背後に映そうかと思ってさ」

 一瞬で構築されたメイドの苦悩を集めて煮出したような渋い表情を意図的に無視しつつ、紙束を無造作に掴んで、レミリアは、ほれ、と、差し出す。

「そんなわけで、詳細はこれに書いておいたから。この企画書を魔女様の図書館へ持って行って、手渡しといてちょうだいな、頼むよ」

 渋い顔のまま、機械的な動作で紙束を受け取るメイドに、爽やかに笑いかける主。
 と、そこへ。

「伝令でーす!!」

 盆に何やら機械を乗せて、そこから伸びた黒い紐のようなもの束にして抱えながら、慌てた様子で小さな妖精メイドが駆け込んできた。

「……入ってくる時は静かに、それと、伺いと礼を忘れず」
 自分の腰までくらいしかないその妖精メイドへ、黒髪のメイドは呆れながら注意を飛ばす。

「す、すいませーん!! で、でも、お嬢様へ緊急でして……」
 息を切らしながら、泣きそうな声で弁解する妖精メイド。

「いいわよ、別に。大体において、素敵な頻度で私への不敬を瀟洒にぶちかましてくれるんだから、うちの使用人共は……今さらそれくらいの失礼で一々怒ってられん」
 主は溜息をつきつつ、その妖精メイドを手招きする。

「緊急なんだろう? 貸しなさい」
「は、はい!」

 妖精メイドがとてとてと走り寄って差し出す盆の上、その機械にまた紐のようなもので繋がった漏斗のような形の金属を二つ両手で取り、片方を耳にあて、片方を口の前へと持ってくる。

「はい、こちらあなたのレミリア・スカーレットよ、どうぞ」
「ああ、お嬢様?」

 耳に当てた方から響くそいつの声に、思わず顔を顰める。

「お前か……で、何だ?」
「そうそう、お嬢様に御客様です」
「客? そんな予定あったかしら?」

 顔は顰めたまま。

「ないと思うけど……まあ、通しても問題ないって思ったから、通しておいた」

 思わず返答を忘れて、呆気に取られた顔になるレミリア。

「……ああ、まあ、それならそれでいい。お前がそう思ったんなら、悪いことにはならんだろう」
 レミリアは諦めて、眉間の辺りを押さえながら返答する。まったく、こいつは。

「そう思ってくれると助かるわ。一応、そいつがそっちに着く前に伝えておこうかと思ってね」
「一応も何も当たり前だろ……とりあえず了解よ。まったく、お前を雇ってよかったよ、チルノ」
 精一杯の皮肉を込めて。

「それも思ってくれると助かる。それでは、お嬢様」

 見えてはいないが、相手も同じ表情であろうことを思いながら、主も笑う。

「ああ、御苦労。門番見習」

 軽く放り投げるように漏斗を盆に戻して、伝令を切った。

「さて、客が来ることになった」
 一つ息を吐いて主がそう言った瞬間。

「悪いが、もう来てる。邪魔するよ」

 主の発言に反応する間もなく、次の驚愕へ振り向くメイド二人と。

「――ああ、そうか。お前みたいなのが来るっていうんなら、会わないわけにはいかない……わよね」

 声の聞こえた部屋の入口を見やって、その姿を認めて納得したような声を上げる吸血鬼。
 その射抜くような視線の先には、一本角の鬼、星熊 勇儀。

「ま、そういうことなら仕方ない。なあ?」

 ようやっと硬直から解放された黒髪のメイドが、己を呼ぶ主の声へ向く。

「は、はい、なんでしょう」
「さっきの頼みは後回しでいいから、とりあえず酒を持ってきてちょうだい。一番いいやつを頼むよ。私に、鬼の端くれに、恥をかかせないでくれるようなのを」

 そう言って、久々に怖い笑顔で微笑む主に、メイド二人はぞくりと身震いして。

「はい! 今すぐに!」

 しかし同時に何やら嬉しいような気分も感じてしまうのであった














「機は熟した!」

 頭から小さな鳥の羽を生やした少女……の姿をした鳥妖が、ダン、と、手に持った自分の背丈より長い棒きれの上に平たい板を張り付けた、看板のようなもの、その尻を地面に叩きつけながら叫ぶ。

「今こそあの巫女に復讐の時なのよ!!」

 再度叩きつける。その看板の板部分には、お世辞にも綺麗とは言えない文字で、『博麗 霊夢被害者の会』と書いてあった。

「そうだそうだ!」
 鳥妖の周りを囲む、二、三体の似たような少女妖怪達もそれを囃し立てる。

「今まで……今まで私達は、あの巫女に、数え切れないほどの苦渋を舐めさせられてきた!」

 そうだ。鳥妖もまた、この神社までの長い長い石造りの階段の中腹に集まってくれた同士達を見回して、思い返す。
 家畜泥棒を敢行してはバレてぶっ飛ばされ、どんちゃん騒いでたら「うるさい」とぶっ飛ばされ、子供を脅かしたらぶっ飛ばされ、神社の宴会に参加して酔って喧嘩してたら乱入してきてぶっ飛ばされ……。

「思いだすだに、あまりの無法っぷりに寒気がしてきた……」

 身震いして、二の腕の辺りを温めるようにさする。
 鳥妖の周りの妖怪も嫌な事を思い出したらしく、中には頭を抱えてしゃがみこんでしまっているのもいた。

「し、しかし! あの無法巫女も遂に寄る年波には勝てなかったようよ!!」
 心的外傷に折れかける心を奮い立たせるために、鳥妖はまた演説を再開する。

「奴が瀕死の床に伏せっている今こそ、これ以上ない好機!!」
「お、おお……!」

 その言葉に、怖気づいていた妖怪達も、再度沸き立った。

「今こそ、これまでの無法の報いを受けさせてやるのよー!!」
「おおー!!」

 最後の鼓舞とばかりに、拳を突き上げる鳥妖に、周りの皆も同じく叫びながら追随する。
 そうだ、もはや博麗 霊夢恐るるに足らず。
 妖怪達の胸に熱い希望とお茶目な復讐心が燃え滾ってきたところで。

「ほーう、何やら面白そうな話をしてるじゃないか」

 へ?

 と、自分らの背後からいきなり響いた見知らぬ声に、ゆっくりと妖怪達が視線を向け。

「しかし、悪いけど先約があるのよね」

 その視線の先に、風に巻かれるように霧が集まって、何か人の形のようなものを作っていくのを、最後まで見届ける前に。

「アッ――!!」

 妖怪達はしばらく地面と平行に飛ぶほどの力でぶっ飛ばされて、そのままごろんごろんと着地した石段を一番下まで転がり落ちていくこととなった。















 遠くで絹を裂くような音が聞こえて、白髪の老女は、はぁ、と、疲れたような溜息を吐きだす。

「馬鹿ばかりよ、まったく」
「へ?」

 呟きに、不思議な顔でこちらを見上げる巫女の少女の頭をぽんぽんと叩いて、何でもないと伝えた。

「ところでさぁ」
 現在縁側に座っているその老女は、己の視線を庭から真下に移して。

「いつまでそうしてるつもり?」
 その先にいるのは、自分の腰にしがみつくように抱きついたまま密着して離れない、隣に座るその紅白巫女。

「ずっとです!! 今日は一日、ぜーったい離れませんからね!!」

 老女を見上げるその顔が、少し怒ったように眉を上げ、大きな声で叫ぶ。
 老女はまたも溜息を吐き。

「どうしても?」
「どうしても!!」

 鼻息荒く、しがみつく力を強める少女。仕方ないといった風に、老女は視線をまた庭へ外すと。

「はぁ……しかし、ああ、こんな天気のいい日は、里のあの店の羊羹が食べたくなるねぇ」
「ううっ……!?」

 ぽろっとこぼれて聞こえたその言葉に、少女は少しうろたえる。

「だ、駄目ですよ、そんなこと言っても!! それに、うちの神社にそんな余裕はありません、ありませんとも!!」

 表に出てしまった狼狽を吹き飛ばそうとするように、少女はまた大きな声を出した。
 一度で術中にはまらなかった相手に、老女は軽く舌打ちして、思案顔になる。
 うーむ、と、しばらく考えた後。

「ううっ!?」

 突如うめき声をあげて、苦しそうに下を向いた。

「ええ!? ど、どうしたんですか!?」
 その様子に、がばっと身を離して先ほどよりも慌てる少女。

「ううう……どうやらそろそろみたいね……ああ、口うるさい閻魔のお迎えが来る前に、あの羊羹が食べたかった……!」

 ごほごほと途中で咳込みながら、絞り出すような声でそうこぼす老女。
 おろおろとその背中をさすりながらそれを聞くと、巫女はがばっと立ち上がり、居間へ飛び込み箪笥から財布を取り出して。

「す、す、す、すぐ買ってきます!! だからそれまで頑張ってください!!」

 だだっと、助走と共に縁側から外へ飛び上がり、そのまま空へ浮き上がって、猛スピードで人里の方角へ飛んで行った。

「うー、ごほごほ……」
 咳を段々と小さくしながら、すぐに見えなくなったその姿を確認すると。

「ほんとに、馬鹿ばかりだよ」
 ふぅ、と、少し嬉しそうな顔で、そう微笑んで。

「さて……そして、馬鹿がもう一人」

 立ち上がり、庭の先の神社へと視線をやって、静かに呟いた。

















 卓と酒を挟んで、向き合うは一本角の鬼と吸血の鬼。

「まあ、駆けつけ三杯くらいはやってちょうだい」

 館の主自ら酒瓶を手に取ると、対面の鬼の差し出すその盃へ注ぐ。
 にやりと笑っている吸血鬼の目をまっすぐ見たまま、盃を受けた鬼はゆっくりと口をつけ、心底で味わうように喉を鳴らした。

「――いい酒だ」
「だろ? 酒好きの館だからね、こういう上物の清酒や果ては珍しい洋酒まで、何でもござれさ」

 自分の杯にも手酌でついで、小さな吸血鬼、レミリアも楽しそうに酒を呷る。

「まあ、最近は飲む面子もままならないような状態だがね」
 そう、軽く飲み干してから、口を離すと自嘲気味に呟いた。

「だから、お前が何を目的に来てるのか……まさか、只酒飲みに来ただけってこともないだろうがね、たとえそうだとしても、私としては久しぶりに飲む相手が増えて大歓迎よ」

 軽く笑って、もう一杯酒を注ぎながら問いかける先、鬼も――勇儀も、新しく自分で注いでいた酒を一気にくっと飲み干して。

「――博麗の巫女が、死ぬらしいじゃないか」
 問いかけには答えず、逆にそう言い放った。

「ああ、寂しいことだけど」
 レミリアも、しかしそれを咎めずに、応える。

「会いたいかい?」
「しょっちゅう会ってるよ」
「――最後に、会いたいか?」

 ふざけたようなレミリアの言葉を取り合わず、勇儀は低く、唸るような問いかけを続ける。

「最後……ね。まあ、それもいいかもしれないわ。あの縁側で、茶でも飲みながら」

 今頃満員かも知らんが、と、続けながら、レミリアは静かにあの巫女を思う。懐かしそうに笑いながら。
 それを見て、勇儀も初めて、仏頂面に固めていた顔をふっと解す。

「満員はないだろうさ。どれだけ、あの巫女を慕っている者がいたとしてもね。そして」
 見せたその笑顔は、少し哀しさを混ぜたような色で。

「そうだとしても、会うのは無理だ」

 その言葉に、レミリアは、ふぅ、と、息を吐く。

「――それを決めるのはお前じゃないだろう」
「いいや、私らさ」

 勇儀は笑顔を続けながら。
「巫女の最期に会えるのは、私らが大将、伊吹 萃香だけだよ」

 その笑顔に、反対に笑みを消しながら、レミリアは向かい合って。

「私は会えない、と」
「ああ、あんただけじゃない、この館の全員も、会わせるわけにはいかない」
「無理にでも行こうとしたら」
「だからこうして私がここに来ているのさ」

 睨み合う。吸血鬼もその顔に、にぃ、と、笑みを取り戻しながら。

「まるで門番気取りじゃないか。有能なのは欲しいとこだが、生憎と枠は埋まっているのだけれど」
「今日一日だけのあるばいとってやつさ、多めに見て欲しいとこだよ」

 睨み合ったまま、同時に酒を飲み干す。

「他のところも?」
「会えるのは一人だけだと言った。あの巫女に会いに来るであろう者がいるところ、その全てに鬼が、あの大将につき従う者達が向かっている。私のようにな」

 睨み合いと、笑顔はそのままに、二人はまたぐいっと注いだ杯を呷り。

「……伊吹のが、そこまで霊夢が好きだったとはね」
 刺し合う視線をしばらく続けてから、ふっ、と、レミリアは力を抜いた。

「妬けるじゃないか、配下を使い、誰も彼もを閉じ込めて、そうまでして霊夢と二人っきりになって」
 注いだ酒の水面が映す景色へ、なんとはなしに視線を移しながら。

「何が狙いかしら。あの娘の膝の上は、それは心地よいものではあるけど」
 ああ、思い返すは、猫のようにじゃれついたあの肢体の感触。その数秒後に投げ飛ばされたわけではあるが。

「お前さんが何を想像してるのかは知らんが……鬼と人とが出会ってすることなんて、ただの一つしかないだろう」
 呆れた顔を一度向けてから、勇儀はくすりと笑って言葉を紡ぐ。

「ただの決闘だよ。純粋な、遊びなんかではない……な」











 同じ頃、館の地下、薄暗い大図書館、その最深部で、何かを物色するような音が響く。

「ああ、もう! お前のとこほどじゃないにせよ、私も相当蒐集家だわね、まったく……」

 紫色の長い長い髪を垂らした、不機嫌そうな目をした少女が、机の脇に広がるガラクタのような、よくわからない物で出来た山を発掘するように探りながらそう叫んだ。

「本も含めりゃお前に負けるさ」

 その不機嫌そうな少女の机真向かいに椅子を置いて座りながら、静かに本を読んでいる、とんがり帽子をかぶった金髪の女が相槌を打つ。外見から見てとれる歳は、紫髪の女より数十は上といった感じの、落ち着きはらった女である。

「しかし、ま、そんな懐かしいガラクタ共今さら引っかき回して、何しようってんだ?」
 本からしばし視線を外して少女を見やり、とんがり帽子が尋ねかける。

「あのわがまま当主がね、巫女の葬式で自分が送り出す時に、背景にあれとの美しい戦いの記録を映したいってご要望なのさ」

 ふぅ、と、一息ついて視線を声に向ける先、回答を得たとんがり帽子の女の表情は、何とも苦いものでも飲み込んだような複雑な表情だった。

「私だってその旨書いた書面の届いた時は、そんな顔だったわよ」
 陰気な笑いと共に、紫髪の少女も疲れた声を出す。

「……そいや、大分前にそんなもんも作ってみたよな、映像を投影する水晶だっけか」

 またガラクタを引っかき回す作業に戻った少女を見続けながら、女は昔を懐かしむような声を出す。

「ああ、河童も協力してくれたんだったかしらね……お、あったあった」

 ようやく目的の物が見つかり、体半分ほどガラクタの中に突っ込んで半ば潜り込むようだった体勢から、ぐいっと引き抜く。
 引っ張り出した、その顔ほどもあるデカさの水晶へ、息を吹きかけて埃を飛ばしつつ。

「まったく本当に懐かしい、この水晶も、あの巫女も」
 思い出すような笑顔に目を細めて、それを見つめる。

「そうそう、これ以外にもう一つ報告もあってね……上に、鬼が一匹来てるらしいわ」
「へえ……」

 視線を流してこちらを見つめる少女に、女は意外でも何でもないと言ったような声で応えた。

「……お前は、会わなくていいのかしら? そのつもりなら、協力してあげないこともないけれどね」
「ははっ……気持ち悪いな、お前に無償の申し出をされるなんて」
「――あれ以来ね、大分感傷的になってしまうのよ、齢ってやつかしら」

 少女は寂しそうな笑顔で。そんな顔を見て、声を聞いて、女は帽子を少し目深にすると、また本へ視線を戻す。

「……今更、告げるような別れもないさ」
 そう、呟くように言い放ってから、次の言葉は小さな笑みと共に。

「まあそれに、あれで相当悪巧みが好きだからな、あいつも」














 真白い白衣と、真っ紅な袴に身を包んで、石畳の参道の真ん中に座す白髪の巫女。
 背後には本殿、目の前には鳥居を置いて、薄く目をつぶり、静かに何かを待ち続けている。

「珍しい、正装じゃないか」
 鳥居の先から声が響いた。

「引っ張り出して来たわよ、色々とね。めんどくさかったけど」
 響いた声に、少し笑んで、巫女は立ち上がりながら目を開く。

「だったら、往時の衣装もついでに引っ張り出してくりゃよかったのに」

 開いて、見据えるその先、声と共に、二本角の小さな鬼が、石段から跳び上がりながら現れて鳥居をくぐった。
 中空で一度回転し、よっ、と、声を出して着地する。

「ありゃあ色んなとこが寒くて、婆さんにはちとキツイのよ、年齢的にもね」
 巫女はからからと笑いながら。

「好きだったんだけどなぁ、あの姿が」

 鬼も笑う。しかし、その笑顔は。

「譲ったもんよ、衣装も、地位も、とっくに」

 その笑顔は、周囲を押し潰すような威圧と共に放たれている。しかし、巫女はその威圧を軽く受け止めながら。

「もうここにいるのは、今にもおっ死にそうな、枯れた婆さんがただ一人だけさ。それを目の前にした態度じゃないと思うんだけどね、今のあんたは」
 ねえ、萃香。
 その問いかけに、鬼は、伊吹 萃香は、何かを思い出すように目をつぶって。

「……いつかの続きを、やろうじゃないか」
 なあ、霊夢。
 目を開いて、真っ直ぐと睨みつける。

「いつのいつかよ、それは。この齢になると、物忘れが激しくてね」
 それをがっつりと受け止めながら、霊夢は軽く言い放つ。

「私だけが覚えているいつかさ。それでいい、覚えていようがいまいが、やることなんて全く変わらないだろう?」
 萃香もそれを軽く流し。

「私がお前を殺す。だから、お前が私を殺せ」
 拳骨で己の掌を打つと、全身の鎖を、じゃら、と、鳴らし。

「さあ、鬼退治をやろうじゃないか」

 にぃ、と、笑った。その笑顔を見て、霊夢も笑う。

「ははっ、張り切ってるじゃないの、ねえ、萃香? でもね、あんたのやる気がどうだろうが、何をどうする気だろうが、私にとっちゃあ普段と変わりない。あんたの言う通りよ、やることなんて、全く変わらない」
 巫女は、ぱん、と、拍手を一度打つ。

「いつも通り、馬鹿な妖怪をぶん殴って、ぶっ飛ばして、言うこと聞かせるだけってね!」
 構えて。

「はははは! そうか、そうかい……だったら」
 鬼も腰を落として構え。

「いつも通りに、やってみろ!!」

 地を蹴って、飛びかかる。

















 そうだ。
 放つ拳が、腕を掲げた霊夢の張る防御結界に阻まれる。
 そうだ、私だけが。
 が、止まらない、二撃目で決壊を殴り割り、強引に進む。
 私だけが、お前を殺す。
 三撃目を、巫女は舌打ちをしながら横に避けて、避けながら符を放つ。
 だから。
 が、鬼は飛んでくる符を避けようともしない、強引に巫女のかわした方へ向きながら、飛んでくる符を。
 だから、お前が。
 真正面から、防御もせずに受け止める。笑いながら、心底嬉しそうに、楽しそうに笑いながら。
 お前だけが、私を。
 符着弾の煙の中から、鬼が現れる。拳をまた振りかぶり。
 私を。
 打ちつける先、今度は重に張られた結界を割りながら、進む。
 私を、殺してくれ。
 鬼が、笑いながら、拳を振って進撃する。



















 吸血鬼は、一息を置いて呟く。

「しかし、わからんね……殺し合いだなんて」
 鬼と人の遊びを、胸に描きながら。

「手前らの頭目だろうに、何でそこまで死地に送り出したがるのかしら」

 対面の鬼は少し意外そうな顔をして、それからまた口の端だけで笑顔を作る。

「……いいや、お前さんならわかるだろう、わかるはずだ」
 酒をくっと呷りながら、勇儀は続ける。

「私らは、生き始めたその日から、こうなっちまったその日から、ずっとずっとそれを望んでいるんだ、望み続けているのさ、なあ?」

 殆ど睨みつけるように、相手の瞳を覗きながら。
「こんな、こんな私達を」







「こんな自分達を殺してくれる存在を」

 金色の髪を揺らしながら、胡散臭い雰囲気を漂わせた妖怪が、静かに言葉を吐き出す。

「罪を犯し、人を殺し、戦い、戦い、そうやって永劫に近い時を生きながら、その瞬間を望み続ける」





 それが、鬼だ。
「人を殺す、殺し続ける、だからそうされたくなかったら、本気で私を倒してくれ」





 本気で、こんな化け物を、打ち倒してくれ。







 拳を、蹴りを、結界で防ぎながら、巫女は思い返していた。

「それこそが、鬼と人間の関係で」
 それだけが。

「って、そんな馬鹿な関係だけが、あるわけないでしょうが!!」

 馬鹿みたいに笑いながら暴れる鬼に向かって、叫びながら、拳を打ちつける。

「っは……効かない、ぞっ!」
「っ!?」

 しかし、殴られながらも鬼は、さらに蹴りを返してきた。
 間に合わない結界を介さずに直接腕で防御するも、吹き飛ばされ。

「いっつ……!」

 何とか着地する、その間も、鬼は迫ってくる、笑いながら、笑いながら。













「そうだったな、そうだよ、私達はそんな、どうしようもない化け物で」
 思い出したように、吸血鬼は笑いながら、パンパンと手を叩く。

「どうしようもなくそれを望んでいる。ああ、そうよねぇ。それで」
 くつくつと笑ったまま、睨み返して。

「それだけかしら? 親分の本懐を果たさせてやろうと、それだけのことで動いているのかい、お前達は?」

 その言葉に、不意に笑顔を外して、勇儀は。

「私らは一度、その本懐を果たさせてやれなかった」




 思い返す、その光景を。


 諦めたように笑う、自分達の首領を。






「ここいらが潮時だろう?」

 ふざけるな、こんな、こんな卑怯な手で。こんな、騙し打ちを、馬鹿みたいに信じて。

「それで、ここで死のう……ってか」
「死にたくなきゃ、どこへなりとも逃げればいいさ」

 私は、もうここだよ、と、二本角の鬼は呟く。
「ここだ、ここでこそ私という存在が果てられる。卑怯な手だろうが、騙し打ちだろうが、それが、ただの人間の考えたことで、ただの人間の行うことなら、私にもう、文句はないさ」

 集まった鬼共を見渡して、その後ろに迫る火の手と人の軍勢を見て、鬼は疲れたように笑った。

「ふざけるな!」

 その時、その近くにいた一本角の鬼が、その鬼へ掴みかかった。

「私は、私は、こんなもので死ねない、死んでやれないんだよ、こんなものじゃあな!! こんな風に死ぬために、こんな化け物に、鬼に、成り果てたわけじゃあないんだよ!!」
 その剛腕で、締め殺しでもするように胸倉を掴み上げて。

「お前はどうなんだ!? お前が、私より、私達より、上の鬼が、こんなところで果てるためにこうなったって言うのか!?」
 びくっと、掴まれる鬼の体が震えた。

「お前は私達の頭目だぞ!! 親分なんだよ!! そのお前が、私が、私らが、死ぬに良しとしない場所で、死のうっていうのか!?」
 そして、見た。縋る様に自分を見つめる鬼達を、自分の仲間を、自分の手下を。

「頼むよ、萃香……きっとお前にも、私にも、もっともっと相応しい末路があるはずなんだ……!! それまで、お前が私達を率いないで、誰がそうするんだよ……!!」
 泣くような目で自分を見つめる、一本角の鬼を。

「私が……」
 そして、思う。

「私、か……」
 ここではない、結末があるのなら。仲間が、それがあると信じているのなら。

「そう、だな……」
 その上に立つ私が、諦めていいはずがない。

「う……あ……」

 そして、鬼は。

「うあああああああああああ!!」

 己の体を裂いたような、吼えるような、叫び声を上げた。










「私は、私らは一度、己が身のかわいさに、あいつの死地を奪ってしまったのさ」
 寂しそうに、そう笑って。

「だから、今度は、今度だけは絶対に止めない。そして、誰にも邪魔はさせない。そう誓ったんだよ」
 そう言って、また酒を飲む。

「ふーん」
 そして、聞き終えて吸血鬼は、気の抜けたような声を出した。

「ふーん、て……」
「いや、大体の事情はわかったわ。そんで、この話の筋……運命って言ってもいいか、それも見えてきたよ」

 苦い顔をする勇儀に、レミリアはその声のまま返事をする。

「一体何が見えるって言うんだい」
 ぶすっとして問いかける勇儀。

「お前が見えないか、伊吹が見えていないか、あるいはどっちも見て見ぬふりをしているようなこととか、まあ、色々だな」
 吸血鬼はにやりと笑う。

「説明してやろうか?」















 そうだ、これこそが私の望んでいた。
 鬼は拳を振るって、弾幕を張って、巫女を追い詰める。
 私の望んでいた、死に場所だ。

「くぅっ!」

 懸命に防御する巫女、しかし結界は次々と割られていく。














「そりゃ、確かに霊夢は、あの子はいいよ。あいつに殺されるなら、死に様としてはこれ以上ないだろうな」
 止まっていた手を動かして酒を注ぎ。











 望んでいたんだ、ずっと望んでいたんだ。
 あの時から。
 死に損ねた昔を思い出し。
 あの時から。
 地底に追いやられた過去と。
 あの時から。
 地上に出てきて、出会った。



 結界を割り、攻撃が届く、呻きながら吹き飛ばされる巫女。
 そうだ、だから早く。
 しかし、かすかな違和感が。
 早く、私を。
 鬼の胸を過る。










「鬼すら殺しきる力もあるだろうさ、そいつは保障してあげるわよ。何度も煮え湯を飲まされてきたからねぇ」
 何だか嫌な記憶も蘇りつつ。
 それでも。









 殺してくれよ、私を。
 荒い息をつきながら、鬼の見据える先、咳をしながら、懸命に立ち上がろうとする巫女。
 そうだ、巫女だ。霊夢だ。
 早く立ってよ。立って、いつものように向かって来いよ。
 鬼の中の違和感は膨らんでいく。
 違う、それは最初からあったもの。目を、背けていたもの。









「でもね」
 吸血鬼は何故だか、悲しそうな笑顔になって。

「私が今話して、あいつが今望んでいる霊夢は、今の霊夢じゃないんだ」









「こんの、馬鹿鬼……! ごほっ……かかってきなさいよ……っ! まだ、私は……」

 巫女がようやく立ち上がって、こちらを睨む。
 その髪は真っ白で、その顔は皺だらけで、その体はもう痩せ細って。

「霊夢……」
「萃香……!」

 それでも、博麗 霊夢なのだ。
 そうでなければ。

「霊夢ぅぅ!!」

 鬼は何かを振り払うように叫び声をあげながら、霊夢へ突っ込んでいく。













「あの頃の、出会った頃の、あの巫女の少女なら、確かに殺してくれただろうさ。鬼を、こんなどうしようもない化け物を」

 でも、もう違う。

「もう、あの頃の霊夢じゃないんだ……」
 遠くを見るようにそう言って。

「お前がここに来た理由も、わかっているよ」
 少しだけ、泣くのをこらえるような顔で、笑う。

「だって、こんな気持ち……鬼同士でしかわからないものなぁ」

 その声に、勇儀も笑う。泣きそうな顔で。
















 巫女の攻撃が当たる。符が当たる。針が刺さる。陰陽玉がぶつかり、結界が阻む。
 それでも、その攻撃をいくら受けても、傷はつけども、鬼を倒すには到らない。
 殺しきるには到らない。

 鬼の攻撃は当たる。拳が当たる。蹴りが当たる。投げも、叩きつけも。
 結界に阻まれても、それを割って進み、そこへ到達する。
 その結果へ到達する。
 致命傷へ、命を奪うことへ、巫女を殺すことへ。

 あと、何発もいらない。目の前の巫女は、鬼と対峙する巫女は、傷ついて、疲れきって、今にも死にそうだった。

 だったら、それでいいじゃないか。
 悲願を達成すればいいじゃないか。
 殺し合いたかったんだろう?
 巫女を、自分を殺せる人間を、自分へ向かってくる人間を、倒したかったんだろう?

 違う。
 本当は違うんだ。
 戦って、戦って、その果てに、自分を打ち倒してもらいたかったんだ。
 こいつなら、それが出来ると思っていた。
 こいつとなら、それがやれると思っていた。

 だったら。

 だったら何で、それを今やろうとするんだ?

 それは……こいつがもう、死んでしまうからだ。いなくなってからじゃ遅いだろう、死ぬ前にやってもらわなきゃ。

 馬鹿だな、お前は今何て言った。私は何て言った?

 もう死んでしまうような人間に、お前を、私を、打ち倒す力なんてあるはずもないだろう?残っているはずもないだろう?

 なら、どうして。

 どうして、私は……。













「だから、こんなものは、今あの神社で行われているのは、きっと盛大な茶番なのさ。こうなる前に、決着をつけるべきだったんだ」

 そう言い放って、ふ、と、レミリアは気づいて、訂正する。

「いや、違うな。そう出来なかった時点で、決着はついていたんだ」
「……どういうことだ?」
 その言葉に、勇儀は疑問の表情を。

「わからないかしら? そうか、そうよね……ああ、まったく馬鹿らしい」
 それを横目に、何かに思い当ったレミリアは子供のように大笑いを始める。からからと笑いながら、少し出てきた涙を拭って。

「だって、そうだろう?」

















 鬼の振るった拳が巫女を打って、その体を地面に倒す。
 そうだ、そんなこと、わかりきっていたはずなのに。

「どうしてだよ……霊夢」

 近づいて、胸倉を掴んで、ほぼ無理矢理その巫女を起き上がらせているようにしながら、萃香は叫ぶ。

「どうして、お前がこんなに弱いんだ!!」

 どうして。

「どうして、私を殺せないんだよ!!」

 睨みつけるその視線を、眼光だけはまだ負けないように睨み返しながら、咳を混じらせて霊夢も言い返す。

「ごほっ……っさいわね……弱い弱いって、ぶん殴るわよ……!!」
「やってみろよ!」

 さらに叫び返す萃香に、霊夢はよろよろと腕を振り上げ。

「んのっ……!!」
 胸倉を掴まれながらも、萃香の頬へ拳をぶち込む。なけなしの霊力のおまけをつけて。

「っ……!!」

 しかし、それを受けても、萃香は衝撃に顔を動かされただけだった。流し込まれた霊力も、雀の涙ほどの威力すら与えてくれない。
 欠片の容赦もなく妖怪達を殴り飛ばしていた時の威力なんて、力なんて、その拳には丸っきり残ってはいなかった。

「そんなものが効くわけ、ないだろ!!」
 胸倉を掴んでいた両手から片手だけを離して、叫びながら霊夢を殴り返す。

「っつ!?」
 顔面で受けた霊夢はそのまま少しの距離を吹っ飛んで、転がるように地に着いた。

「げほっ……ったいなぁ……!! あんたちっとは加減……」
 倒れ伏した体勢から、上半身だけを起き上がらせながらついていた悪態は。

「……」

 目の前の萃香を見て、詰まった。

「どうして……」

 追撃を加えるでも、吹っ飛んだ霊夢を追いかけるでもなく、その鬼は、ただその場に立ち尽くし。

「どうして……!!」

 顔を両手で覆って、細い、細い、か細い呟きを。











 どうして。
 覆った鬼の視界に、いつの頃かの光景が流れていく。



















「待てぇぇ!! 今日こそ、今日こそお前退治するぅぅ!!」

 ほぼ半泣きで叫びながら符やら何やら振り回したり投げ回したりして追いかけてくるその巫女少女にうんざりしながら、鬼は廊下を走って逃げる。

「あーもー、鬱陶しいねぇ。羊羹食べられたくらいで怒ってたら巫女は務まんないよ」
「務まるわぁぁ!!」

 叫びと共に全力投球された陰陽玉をひょいっと避けたところへ。

「うっさいなぁ、お前達ちっとは静かにしぶっ!?」
 老女が襖を開けて顔を出し、そこへ吸い込まれるように陰陽玉がぶち当たった。


「お前ら待てぇぇぇ!!」
 鬼も文字通り裸足で逃げ出す形相で追いかけてくる婆さん。軽口も叩かず、巫女の少女と鬼は必死で逃げる。












「何……その子供……」

 訝しげに見つめる先は、所々白髪の混じり始めた黒髪の巫女に連れられた、むすっとした無表情の幼い女の子。

「隠し子?」
「んなわけあるか」
 鬼の半目を睨み返して巫女。

「次の巫女よ。私もそろそろ歳だしねぇ、拾ってきた」
「……んな、犬猫みたいに……」
「あら? 私もそうしてこの神社に来たんだけどね」

 ふふっと笑う巫女に溜息をつき、鬼は少し近寄って、無言のままの女の子をじっくりと見つめる。

「……こんな子に、お前の次が務まるのかな? どうなんだい、お嬢ちゃん?」
「……」
 顔をぐいっと近付けて、酒臭い息を吐いて問いかける鬼の顔を、ぶすっと見上げたまま女の子はやおら手を動かして。

「あいひへへへへ!? なひふんは、いへへへ」

 ぐいいっと、鬼の片頬を掴んで引っ張っていた。間抜けな声を出しながら手を離させようとする鬼に、巫女はこらえ切れずに大声で笑いだす。










 とぼとぼと石段を登りきって帰って来た黒髪の女性の視界が、鳥居をくぐった瞬間にぱっと明るい光に包まれた。
 ついで、何だ何だと目を細める女の周りから、割れんばかりの拍手の音と、騒霊の奏でるちんどんの音が響き渡る。

「な、何よこれ!?」
「いや、霊夢、おかえりおかえり。さあ、宴の準備は整っているぞ」

 ぱちぱちぱちと拍手を続けながら、集まって笑顔を向けている人妖達の中から二本角の萃香が出てきて、霊夢の手を引いて輪の真ん中へ引っ張っていく。
 状況を飲み込めない霊夢に、萃香が指さす方向、本殿の辺りにでかでかと。

『博麗 霊夢 十五回目のお見合い失敗記念 残念宴会』

 と、書かれた看板が掲げられていた。

「な……!!」

 呆気に取られた顔をする霊夢の前へ、人垣をかきわけて、小さな吸血鬼が悠然と歩み出た。

「私と、ここに集まってくれた全員のプロデュースよ、霊夢。よくもまあ、十五回も失敗出来たもんよね、幻想郷中の男全員から断られるつもりかい?」

 演説ぶった大声を出しながら、吸血鬼は言葉を続ける。

「しかし、それは運命なのさ!! お前が紅魔館に嫁ぐというね!! さあ、霊夢、お見合い失敗おめでとう!! そして私の妾にならないか!?」

 一部予定と違う台詞が入ったことに、方々から怒りの声と、飛び出しそうになる姿を「落ち付いてください紫様!」と押しとどめる動きが見られる中、吸血鬼がばっと腕を広げて言い切った。飛び込んでおいで霊夢と言わんばかりのその表情に。

「あ、あんた達……」
 霊夢は意外にも、感動したようにしおらしい声を出して下を向いた。周囲が予想と違う反応のパターンに疑問符を出そうとした瞬間。

「キャオラッ!!」

 恐ろしい速度の飛び蹴りが吸血鬼の顔面に突き刺さっていた。
 ごきごきと、スローに嫌な音を頸の辺りから鳴らしながら吸血鬼は吹っ飛んで、その後ろにいた従者達とその他を巻き込みながら地に倒れ伏す。
 あまりの出来事に、固まってしまった周囲が動けない中を、霊夢はふわっと飛び上がり、看板を引っ掴んで着地。そのまま。

「ふんっ!!」

 手で叩きつける動きと、膝を振り上げる動きで合わせて、ベキッとそれをへし折った。

「あんた達」
 そして、そのまま本殿の方から集まった馬鹿達を見下ろしながら、霊夢はにこっと笑い。

「一人たりとも生かして帰さんぞぉぉぉ!!」

 一瞬で憤怒の形相になると、どこからか現れた陰陽玉やら針やら符やらが嵐のように馬鹿達へ射出され。

「う、うわああぁぁぁ!!」

 境内は和やかな宴会ムードから、瞬時に阿鼻叫喚の様相と化した。













「おー、博麗神社から温泉が噴き出したってのは本当だったみたいだねぇ」

 手拭いで申し訳程度に体を隠しながら、早速露天風に改造された温泉の中へと鬼が足を踏み入れる。

「へへ、いい拾いもんしたでしょー。やはり天は私に味方してるわ、最近の異変続きを解決したご褒美ってやつかしらねぇ」
 すでに先に湯につかって上機嫌な霊夢が、萃香に相槌を打つ。

「ははは、言ってろ。しかし、賑わってるなぁ、先客さんが多いね。失礼しますよ、と」

 ちゃぷんと湯に体を入れながらそう言う萃香に、霊夢は不思議そうな顔をして。
「ん? 何言ってんのよ、さっきから私しか入ってないわよ」
「そっちこそ何言ってんのさ、湯煙で目が遠くなったか? ほら、お前と私の間に今も……」

 と、萃香が顔を向ける先、二人の間にはおぞましい叫び声を出しながら湯の上に漂う、骸骨のような顔の霊魂が。

「怨霊じゃねえの!?」



「もう天なんて信じないわ!!」
 暗い竪穴を高速で潜りながら、やけくそで叫ぶ霊夢。

「つべこべ言うんじゃないよー、これがお前の役目なんだから」

 その横を追随する陰陽玉から、苦笑と共にそんな声が響いた。





 地底の異変を解決して。







「こう、刺客に襲われた時にさぁ、寝室の掛け軸の裏が回転して逃げられるような感じにできない?」
「どこの大名!?」




 天人の地震で、壊れた神社を立て直して。








 そして。





 そして、あの。





「酒でも飲むとしようじゃないの」

 目の前の、黒髪の少女が笑う。巫女が笑う。







 あの、宴会の異変で。














 顔を両手で覆ったまま、鬼は叫ぶ。

「どうしてだ……!!」

 どうして。

「どうして私はあの時、お前を殺さなかった!! どうしてお前に殺されなかった!!」

 どうして、あの時から。

「どうして私は、お前と一緒に……」
 嘆きのような、か細い叫びが。







 それを、目の前のその、童のような鬼を見て、巫女は、ふ、と、笑う。
 笑って、そして、よろよろと、大分限界に近い体を無理やり起こして立たせた。

「ごほっ……萃香……あんた、泣いてんでしょ……?」

 立ち上がると、身体はふらつきそうになりながらも、しっかり地を踏んで、ゆっくりとその鬼へ近づいていく。

「私は、私は鬼だぞ……!!」
 まだ顔を覆ったまま、萃香は震える声を出す。

「鬼が、泣くわけ、ないだろう!!」

 叫んで、近づく霊夢の、目の前に来ているその体へ、腕を振るう。
 攻撃にもなっていない拒絶の動作、近づくなと言わんばかりのそれを、ぱしんと弾いて、倒れ込むように巫女は。

「あー……っつ、限界だわ……」

 地に膝をついて、もたれかかるように鬼の背中へ手を回し、その顔の横、相手の肩へ自分の顔を置いて、やや不格好な感じで抱きついた。

「……っ!?」
 そうされて萃香は、びくんと体を震わせると、その重さをどこにも放り出せずに、ただ呆然と立ち尽くすだけ。

「ねえ、萃香」
 回された手が、ぽんぽん、と優しく背を叩く。

「あんたは私を殺すだの、自分を殺してくれだの、物騒なことばっかり言ってるけどさぁ……」
 子供をあやすように、それを続けながら。

「こう言っちゃなんだけど、全部あんたの一人相撲よ……だってさ」
 巫女は目を細めて、思い返すように。

「あんたのこと、随分と昔に、最初に出会ったその時に、私が殺してしまったもの」

 また少し、萃香の体が震える。どういうことだ、と、尋ねるように。

「どういうことか、ってね……私が殺したのは……」
 それを、なだめるように優しく背中をさすって。

「鬼としてのあんたよ……誰とも生きられなくて、一人でずっと、打ち倒されることばっかり考えてる、馬鹿な鬼としての、伊吹 萃香」











「だって、そうだろう?」
 くくく、と、吸血鬼は笑いながら。

「鬼が、こんなどうしようもない化け物が、それでも誰かと……ましてや、人間なんかと、一緒に生きていきたいだなんて」
 ああ、そうだとも。吸血鬼は笑いながら、思い返すように。

「そんなことを思ってしまうなんて、こんなもの、鬼としては殺されてしまったようなもんじゃないか」

 そんなレミリアを見て、勇儀は静かに問いかける。
「なら、お前さんも……そうだったのかい……?」

 問いかけに、笑いを静かに取り去りながら、レミリアは視線を外してぼやくように答える。
「さあて、どうだったかしらね……もう、忘れてしまったわよ」

 でも、と、もう一度にやりと笑って。

「ただ、今の私は、まだまだ当分死ぬ気はないって……わかっているのは、それくらいさ」

 その言葉に、勇儀も笑う。笑って、二人は酒を飲む。













「……でも……それでも……そんな、生きていたいと願う私になれたとしても……」

 萃香が、ようやく震える声で、か細い声で、言葉を紡ぐ。

「お前が、もういなくなるじゃないか……私を殺した、お前がいないじゃないかぁ……」
 小さく体を震わせながら。

「……駄目だよぉ……私は……お前が、お前がいないと……」

 一緒に生きたいと願った人が、もう傍にいないのなら。
 萃香の腕がゆっくりと動いて、自分の服の背中の辺りを強く掴むのを感じながら、霊夢は笑う。

「何言ってんのよ、私はもう、十分あんたと生きたじゃないの……」
 小さく咳をしながら、霊夢は言葉を続ける。

「まあ、それでもまだ、あんた一人くらいなら、最後にぶん殴ってわからせるくらい出来るかなって思っていたけどね……やっぱり、相当きつかったわ、限界だわよ。私には出来るのはもう、これくらいが精一杯ね」
 背中に回っていた腕をゆっくりと上げて、頭の後ろの辺りを、ぽんぽん、と、優しく叩く。

「それに、あんたと生きてきたのは、私だけじゃないでしょう?」

 色んな顔を、思い返して。

「ここにはもう、私がいなくたって、あんたがまた馬鹿なこと言いだしたら、ぶん殴って、殴り合って、そうやって止めてくれる奴なんて、たくさんいるじゃない」

 声を出して笑いながら。

「そんな奴らばっかりよ、ここにいるのは。だからね……これからは、ううん、これからも、そういう奴らと一緒に、私に殺されたあんたとして、楽しく生きていきなさいな」

 最後に優しく頭を撫でて、霊夢はゆっくりと体に力を入れ、もたれるように抱きついていたのを離していく。

「……あんたに最初に会った時のことね、よく覚えてるわ」

 少し離れて、真っ直ぐ見つめ合った萃香の顔は、子供のように、目を腫らすほどに泣きじゃくって、涙と鼻水で塗れた顔で。
 巫女は少し苦笑する。

「だって、私には……あんたが最初から、誰かと遊びたくて、それでも、誰にも仲間に入れてもらえなくて、泣きじゃくるガキにしか見えなかったわよ」


 いつかの少女の目の前で、鬼はずっと泣き続けていた。


























 暮れていく空を見上げる、館の裏門の上に立ち続けている紅い髪の女。
 日傘をさした館の主が、立っている女の真下まで来て、その門にもたれかかりながら、同じ空を見上げた。

「止まるのはやめたって……随分前に聞いたと思うんだがね」
 主の声は、自分の直上へ。

「……進み続ける理由が、よく、わからなくなりました」

 返ってきた、呟くようなその声に、主は仕方ないといったように息を吐いて。

「もう一度歩く理由は、まだ、見つけられないかい?」
「……」
「誰かに……ことに、ここに来る人間に会うのをやめて……」

 見上げる空に青が混ざっていく、しばらくしたら傘もいらなくなるだろう。

「知ってるかい、霊夢が、あの巫女が、もう死んでしまうんだってさ」

 唐突に告げられたその事実に、紅い髪の女はびくっと一度震えて。

「……そう、ですか」

 絞り出すような声で、そう返した。

「最後の機会だろうね、それでもまだ会う気は、動く気はないのかしら?」
 なあ、と、問いかける主に。

「……」
 紅髪は、ただ無言をもって答えとするだけ。

「……それもいいさ、お前の選択ならね。いや、その方が良かったわよ」

 自分の真上の従者を一度睨みつけて、主の吸血鬼は、ふっ、と、笑う。

「さっき報せがあった……もう死んでしまったよ、あの子は」
「……!」

 慌てたように空から視線を己の背後、その真下へ移す紅髪。
 しかし、そこにもう主はいなかった。傘をたたみ、振り返らずに歩き去りながら。

「通夜は今夜だ、それくらい参加してやれよ。知らぬ仲ではないんだからな」
 なあ、美鈴。

「……はい」
 呼びかけられたその従者は、呆然とした表情のまま、そう呟くように返して下を向いた。















 発見者の八雲 紫によって各人に伝えられた霊夢の死。
 その内容はすなわち、死の床からきまぐれに最後の散歩へ出かけた彼女は、その途中である妖怪に襲われそうになっている子供をかばって致命傷を負い、そしてその妖怪と刺し違えて死んだ……。
 しかし遺体は、霊夢が今わの際に何事か叫びながら天に拳を突き上げた瞬間にそこへ雷が落ちたと同時に灰となってしまい、そうして霊夢は天へ帰っていった。
 と、こういったものであった。
 結局その報はまたも衝撃と共に迎えられ、やっぱりあの巫女ならそんな死に様もさもありなんと変な納得ともに受け入れられ。
 ならば通夜をやらなきゃいかんだろうと、誰も彼も笑顔でそう考えた。
 そして、その報せが入った夕方から数時間経った夜の神社で、彼女の神社で、しめやかに通夜が開かれる。

















「博麗 霊夢」

 拡声器へ向かって、吸血鬼が厳かな声を発する。

「故人と私の関係は、今では何と呼んだものやらよくわからない」

 そして、彼女の背後には白幕が張られ、彼女の前方に置かれた水晶がそこへ、少女だった頃の巫女が吸血鬼に綺麗な卍固めをかましている光景を投影している。

「友か、はたまた恋人か、愛人か……」

 重苦しいスピーチを発する吸血鬼の眼前では、今の巫女である少女がさめざめと泣きながら。
 泣きながら羊羹を齧っている。その周りには、妖精やら小さな妖怪やらが「羊羹だ! 羊羹だ!」と、おこぼれにあずかれないものかと集まって囃し立てている。

「ただ、これだけははっきりと言える関係は、彼女は間違いなく、我が終生の宿敵の一人であり」

 そして、集まった人妖達は一様に、しんみりと泣くわけでもなしに酒樽を囲んでどんちゃん飲み騒いでいる。
 地獄鴉はしこたま酔っているのか、何事か喚いては空に光線をぶっぱなし、それを周りがやんややんやと煽るものだから、ますます気を良くしてはぶっぱなし、鴉の主と友は溜息をついて酒を呷るばかりである。
 山の神社の神二柱は何があったのやら互いに仇を目の前にしたような表情で飲み比べをしており、それを見物する観衆へ緑色の髪をした巫女の少女が好機とばかりに自分達を信仰せよとの演説を一席打っている。

「強敵……そう書いて友と呼ぶ間柄であったのだ」

 船頭の死神は仕事帰りか上司と対面で飲みながら、「それにしちゃ、うちにあの巫女まだ来てないっすね」と話しかけ、「そういえばそうね」とその上司も不思議がりながら、とりあえずはぐいいと酒を呷る。
 竹林の姫は、相も変わらずいつも通りに周囲に妖怪兎と銀髪の従者をはべらして、うっとりとしながら酔っている。

「そもそも、私と彼女との最初の出会いは、この郷を恐怖のどん底に陥れたあの霧の異変の時であり……」

 天人はいい加減鴉のぶっぱなす光線のウザさにぶちギレて飛び蹴りをかましにいく。
 今スピーチをする主の友である魔女はといえば、ぶすっとした顔でとにかく酒を飲んでは干し飲んでは干ししながら、周りに集まった下僕悪魔やら愛しの妹やらを呆れさせている。
 寺からやってきた尼はといえば、普段通りのおっとりした調子で酒を飲みながら、「あの子の戒名ってこんな感じでどうかしら」などと寅柄髪の妖怪に尋ね、「いいんじゃないでしょうか」と返されてうんうんと納得している。

「であり……あり……」

 そう、つまりは。

「お前ら人の話聞けぇぇぇぇぁぁぁ!!」

 いい加減ブチギレた吸血鬼が叫びながら拡声器を地面に叩きつけた。
 つまりは、いつも通りの大宴会であり、そしてこれが博麗 霊夢の通夜であった。










 そんな、人妖芋洗いに入り乱れ、馬鹿騒ぎしながら故人の思い出話などしながら過ぎていく通夜の場に、ある妖怪の集団がいた。

「うう……ひっく……」
「うええ……」
 それは、めそめそと泣き続ける数人の妖怪達と。

「うおーん、れいむー!!」

 人目もはばからず豪快に泣き叫ぶ、どこかで見た鳥妖であった。
 ご丁寧にまだ『被害者の会』の看板を持ったまま、全員泣きながら酒を飲んでいた。

「まさか、まさか子供を助けて死んでしまうだなんて……」

 涙と鼻水を垂らしながら、鳥妖が叫ぶ。

「なんて立派な奴だったんだー!!」
「そうだ、そうだー!」

 周りの妖怪達も意を同じくする声を上げる。

「うう、悲しいけれど、いい奴から死んでいくのよね……復讐なんて考えていた自分が恥ずかしい……」
 くうっと腕で涙を拭きながら。今夜の酒はいやに沁みる。

「ふーん、そんなに立派な奴だったんだねぇ、博麗 霊夢ってのは」

 ところで、この妖怪達は酒と人とでごった返す神社の外れ、鳥居の辺りで呑んでいたのだが、その真後ろからいきなり誰かの声がかけられた。

「ああ、今思い返してみれば……そんなでもない気がしてきた」
 声につられて思い出せば、やっぱり色々被害にあった記憶も蘇り、少し顔を顰める。

「おい……ま、いいや、とりあえず私にも酒ちょうだい」

 また真後ろから声がかかる。鳥妖はふりかえらずに、酒の入った杯を後ろに差し出した。

「ん、今日の酒は全員で持ち寄ったから、真ん中辺りにいけばもっともらえるはずだよ」

 ありがと、と、声が杯を受け取って、ぐいっと飲み干し。
「ああ通りでやっぱり、酒がいつもの宴会より二段くらい上等なやつじゃないのよ」

 飲んで、突然怒ったような声でそう聞こえた。ここでようやく、鳥妖は後ろの声の正体を考え始める。誰なんだあんた一体……、というか、何というか、聞き覚えのあるような声に、恐る恐る振り向いて。

「ぎゃああああ――!!」

 宴会の喧噪の何もかもを貫いて神社中に響き渡ったその叫び声に、全員の視線が集まる。
 集まって、全員が発見した。気づいた。目玉が飛び出るほど驚いて。

「れ!」
 第一遭遇者の鳥妖がまず一文字。

「れっ!?」
 続く二言目は、拡声器を持っていまだスピーチを続けていた吸血鬼。

「れぇぇぇ!?」
 三発目を人妖全員で声を合わせて。

「れいむぅぅぅぅ――!?」

 神社中から、一つになった叫びが、鳥居の下に悠然と仁王立つ白髪の老女へ向かう。

「いえーす、あいあむ! ……ってのが、この場合洒落た返し方だったかしらね?」

 その女は、霊夢は、それを受けてにやりと笑うと、何でもないようにそう言い放った。








「おまっ、お前、死んだはずじゃ……!」

 とりあえず、一番声のよく通る機械を持っていた吸血鬼が、全員を代表して、震える声で問いかけた。

「あー……ま、なんつーかねぇ……私が死んだら、こういうことになるってのは大体予想がついてたのよ。つまりまあ、この馬鹿騒ぎってことだけど」
 それに対して霊夢は、ぽりぽりと頬をかくと、静まり返る神社へ声を響かせる。

「で、私がいない時にそんなことやられるってのは、気分はよろしくないわよね。思った通り、あんたら普段の宴会で持ってくるのより、数倍いいもん持ってきてるみたいだし」

 そして、ごほんと咳を一つして。
「それで……つまりまあ、一発吹かせてもらったってことさ。そろそろ死ぬってのは事実ではあるけど、まあまだまだ……明後日辺りかしらね」

 端的な、非常にシンプルなその説明に、全員がぽかんと大口開けて固まったまま、声一つ発せなかった。
 ただ、そこから除かれるのは、笑いをこらえている共犯者の紫と、「ほれ、やっぱりな」と得意気な顔で魔女に話しかけている魔法使い、そして。

「……」

 霊夢の横に立って、どうにも入り込むというか、どうすればいいのやらわからず立ち往生な二本角の鬼。

「あ、そだ、萃香も遅刻してたから連れて来たわよ」

 と、そこへついでとばかりにさらっと言う霊夢。おいい、と萃香は慌てて横を向いて抗議の視線を向ける。

「あ? 何よその目、ついでに迷惑かけた全員に今謝っとけば?」

 幸い全員揃ってるみたいだし、と、見渡せば鬼も溢れかえるほど参加して、全員神妙な顔で大将を待ちながら酒を飲んでいたらしい。

「何言ってんのぉぉ!? 最後の百万鬼夜行とか、かっこつけた手前すっごい出て行き辛いのわかるだろうがぁぁ!?」

 萃香がなるべくひそひそ声で、しかし叫ぶように霊夢に突っ込む。今ので全員が、「あ、萃香もいたんだ」と、気づいて視線を向けてくるのがなんというか、とても、つらい。

「ああん? なーに鬼が肝のちっちゃいこと言ってんのよ!」
「お前が肝太すぎるんだよぉぉ!!」

 最早、二人の壇上と化したような鳥居付近。相変わらず全員の注目が集まる中、霊夢はほれほれと萃香を自分の前に出そうとし、萃香はやめろやめろと抵抗する、その中で。

「れいむぅぅぅぅ!!」

 突如、鳥居対岸の本殿、その前でスピーチをしていた吸血鬼、レミリアが声を上げた。

「よくぞ生きてた我が宿敵! そして勝手に宴会やるのが我慢ならなかったってか!? そりゃ全員騙せて参加できてよかったなぁ!!」
 鳥居までの道のりを色々吹き飛ばして猛然と走りながら、一気にレミリアはそう叫ぶ。

「満足ついでに、今度こそ私が! 終生のライバルのこの私が冥府に送り返してやるぁぁぁ!!」

 その表情は完全にプッツンという顔つきであった。ほぼ全員の気持ちを代弁したまま、走り抜けてきた勢いそのままに、ばぁっと飛び上がり。

「ほら、迷惑かけてすみませんでしたってさぁぁ!」
「どっちかというとお前だろうがぁぁ! ちょ、押すな、押す――」
「あ」

 飛び上がって、霊夢へ向かって放ったはずのドロップキックは、タイミングよく霊夢に押し出された萃香の顔面へと。

「ぬっふぅぅぅ!?」

 綺麗に吸い込まれてぶち当たった。
 そして、蹴りの勢いそのままに後方に吹っ飛び、着地したであろう石段をごろごろ転げ落ちていく音だけが、静まり返った神社に響く。

「……」
「……」

 蹴りの体勢から見事に霊夢の目の前に着地したレミリアも、思わぬところで蹴りを回避した霊夢も、互いに見つめ合ってしばらく気まずい沈黙を保ち。

「れ、れいむー! 今度こそ私が冥府に送り返してやるー」
「なかったことにする気だぁぁ!?」

 若干棒読み気味に再度放たれたレミリアの台詞に、その場の全員のツッコミが飛んだ。

「あー!? 聞こえんな! というわけで、霊夢、かくごぉ――」

 と、それを意図的に無視しながら再度拳を振りかぶるレミリアと、同時にがんがんと何かが石段を打って登ってくる音が響いて。

「何さらしとんじゃこのどチビ吸血鬼がぁぁぁ!!」
「のうふっ!?」

 ばぁっと四段飛ばしくらいで飛び上がって現れた萃香が、不意打ち気味にレミリアの顔面へ飛び蹴りをくらわせていた。
 そして、受けた勢いでぐるぐると回転しながら、神社の真ん中辺りまで吹っ飛ばされて、べしゃっと倒れるように着地するレミリア。
 またも突然の展開に静まり返る神社、萃香の荒い呼吸だけが響く。そこへ、しばらくしてから、倒れ伏したレミリアの辺りから不気味な笑い声が聞こえてきた。

「うふふふふ……上等だ、このクソチビ鬼がぁ!! まずはお前から先にあの世に送ってくれるわぁぁ!!」
 がばっと起き上がり、叫びながら萃香へ突進するレミリア。

「やってみろやこんダボハゼぐぁぁ!!」
 同時、萃香も突っ込んでくるレミリアへ向かって、走りだす。

 こうして、ぶつかり合い掴み合い。

「ばーか! 死ねチビ!」
「うっせーチビ! 私の方が背高いし!」

 この段になって、ようやく神社の全員も状況を把握した。つまりは、いつもの酒のつまみであり。
「いいぞー!」
「やれえ! そこだぁ!」

 ただの酔いどれ同士のけんかであった。宴会は一気に熱を取り戻し、無責任な喧騒が響き渡る。











「こうなるってこと、最初から知ってたのかい?」
 一本角の鬼、勇儀が、突如始まった鬼と吸血鬼の喧嘩を呆れた目で見ながら、横の紫へ問いかける。

「そんなわけないわよ、流石にここまで馬鹿みたいな……まあ、いつも通りね。そんなことになるとは思ってなかったけど……」
 今の混乱に乗じていつの間にか観衆に紛れて酒を飲みながら、二人に向かって野次を飛ばしている霊夢を見ながら、紫は苦笑する。

「けどね、ただ、あの時にも言ったでしょ? こんな風な結末になることは、信じていたもの」
 だって、霊夢ですものね。心底楽しそうにそう言われて、勇儀も苦い笑いをこぼす。

「まったく、敵わんじゃないか……真面目に色々考えてたことが、馬鹿らしくて、恥ずかしくなってくるよ」
「そうね……そして、そうなって良かった……でしょう?」

 視線を流してこちらを見る紫。勇儀はそれに視線を合わせ、次に酒を飲みながら大将の応援をしだす、いつも通りの鬼達を見て。

「ああ、そうだな……良かったよ、本当に」

 ふっと笑うと、美味そうに酒を呷った。










「ちょ、れ、霊夢!」

 いつの間にやらあっさり宴会に溶け込んでいた霊夢の前まで、人ごみをかきわけつつようやくやってきたのはチルノだった。

「お、あんたが来るとは珍しいね。どう? 驚いた?」

 酒を飲みなら楽しそうに問うてくる霊夢に、チルノは顰め面をしながら。
「つーか、呆れたわ! あたいが言うのもなんだけど、あたい呆れさせるなんて大したもんよ……って、そうじゃなくて、ほら!」

 一人でぐるぐると表情を変えながらも、ようやく目的を思い出して、片手で引っ張って来た人物を霊夢の目の前に押し出す。
 押し出されたのは、引っ張って来なければ動けないほどに、呆然としている紅髪の。

「霊……夢……」
「――久しぶりじゃないの、美鈴」

 気の抜けたような表情をしている美鈴を見て、霊夢は笑う。
 その後ろをちょいと見れば、真っ先にこっちまで走って来てもよさそうな当代巫女は、まさしくぼろぼろ泣きながらこっちに走って来ようとしているのだが、「ほれ、美鈴おばあちゃんに先を譲ってやれ」と、魔法使いと魔女に両側からがっしり掴まれて止められていた。

「……会うつもりなんて、なかった……」
 いまだ驚きから抜け出せていないような声で、美鈴はぽつりと。

「会いたくなかったって、酷いわね」

 また霊夢は笑う。皺くちゃの顔に、もっと皺を増やして。
 それを見て、美鈴も笑った。無理矢理に、作りだしたような笑顔で。

「怖かったんだよ……誰かが死ぬのが、とても怖くなった……知っている誰かが、笑い合った誰かが……」

 あの時から。
 そうしていつも通りに、誰かに会って、霊夢に会って、日々を刻んでしまったら、きっとまた、私は泣いてしまう。
 一度知ってしまった痛みが、とてつもなく怖くなった。
 だから、そうなるくらいなら――

「会わない方が、よかった?」

 優しい笑顔と共に、霊夢はそう問いかけた。
 美鈴の作り笑顔が、歪む。そんな。

「そんなわけ……ない……」

 今、霊夢に会って、そして、よくわかった。

「そんなわけないじゃない……!」

 美鈴は歯を食いしばって、それでも涙を流して、ぼろぼろと、ぼろぼろと泣きながら、霊夢を抱き締めた。
 さっき主に霊夢の死を告げられた時と、今を比べてみて。
 やっぱり悲しくても、痛くても、涙が止まらなくても、それでも、会えないより、会わずに別れるより、よっぽど良かった。会えて、良かった。

「……仕事、サボってるらしいわね」
 霊夢も優しく抱き締め返して、まわした手で優しく背を叩きながら。

「あいつに会えたらさ、よろしく言うと同時に、告げ口しておくわよ?」

 笑ってそう言う巫女の体を、そっと離して、美鈴は真っ直ぐ見つめ合う。

「それは、怖いわね」

 涙で濡れて、真っ赤な顔で、それでも門番は、今度は作らず自然に優しく笑った。














「ぜんだいぃぃぃ!!」

 そして今度こそ、行っていいぞとばかりに開放された巫女の少女が突進してきた。
 うんうんと、満足気な顔で美鈴の背中を叩いていたチルノを。

「よかったわね、めいり――のわぉ!?」

 どこかへ突き飛ばしながら、霊夢の老体へ飛びかかる。

「うおお!? ちょっと、お前、私実際本当にもう死にかけの体なんだけど!」
「ぜんだい! ぜんだいのばがぁぁぁ!! ほんどうになんにも言わないで死んじゃったかと思っだんでずよぉぉ!!」

 飛びかかって、抱きついて、顔を押しつけながらそう叫ぶ少女を、何とかこらえて受け止めながら、溜息をつく老女。
 それを見て美鈴はくすっと笑うと。

「ま、邪魔しちゃ悪いわよね……ひっさしぶりに、酒でも飲んでくるわ」

 じゃあね、霊夢。そう言って、入れ換わりに少女の走って来た道を戻っていく。
 その先には、珍しく嬉しそうな笑顔をしている魔女と、戦う姉に中々キツイ野次を飛ばしているもう一人の吸血鬼、そして。

「……」

 その白黒の、金色の髪をした魔法使いを見つめて、巫女は何も言わずにただ笑いかける。
 同じくこっちを見つめていたその魔法使いも、ふっと笑うと、帽子を目深にかぶって、持っていた杯をそっと掲げた。言葉はなかった。

 そして、霊夢は空を見上げる。いまだ抱きついて泣いたまんまの巫女少女をあやしながら、夜を見て、星を見て。

 もう、このまま――

 少しだけそう思った所へ。

「霊夢――!!」

 また怒ったような声で自分の名を呼ぶ声に、がくっと興をそがれた感じで嫌々振り向いた。

「何だか場の勢いに流されてたけど、よくよく考えたらこれ復讐の好機だった!!」

 立ち上がって、霊夢へ叫ぶのは、『被害者の会』の看板を掲げる一同と、ずびしと指を突きつけるあの鳥妖。

「あんたが生きていたならこれ幸い! 死ぬ前に数々の無法の報いを受けさせてやるわ!!」

 若干二番煎じ染みた台詞を叫びながら、ばっと構える鳥妖。なんとなく全員の注目も集まるそこへ。

「フンハァー!!」
「ぬぉぉ!?」

 いまだ繰り広げられていた鬼と吸血鬼の喧嘩の現場から、ぐるんと回り込んで突き飛ばす感じで吸血鬼をぶん投げた鬼。

「かくごぉぉぉののぉぉぉ!?」

 そして、ちょうど鳥妖が霊夢へ向かって突進しようとしたどんぴしゃのタイミングで、投げられた吸血鬼が飛んできて、真横からその体へぶち当たり、巻き込みながら明後日の方向へ吹き飛んで行った。
 霊夢はしばし、そのあまりの展開を呆然と見つめて。

「ふっ……あっはっはっはっはっは!!」

 不意に吹き出し、大声で笑い始めた。
 ああ、本当に。止まない喧騒と笑い声の中で。
 本当に、馬鹿ばっかり。

「最後の最後まで、死ぬのが勿体なくなるわね」

 巫女は静かにそう呟いた。























 博霊 霊夢は、それから三日後に、眠るように息を引き取った。
 その死に顔は、悲しむのが馬鹿らしくなるくらいの、満面の笑顔だったという。


























 それからいつかの、紅魔館正門前。

「まあ、んなわけで今日の仕事はー」

 メイド妖精達の前で、門番見習が声を張り上げる。周りの全員より少しだけ高い背丈には、緑の帽子を乗せて。

「大雑把に、庭仕事と、警備と、まあ適当でいっか……な、正門はあたいが立っとくし」

 真面目に体勢をきっちりして並んでいたメイド妖精達が、ちょっとずっこけた。

「結局いつも通りじゃないのそれー」
「もっとちゃんとしてよチルノたいちょー」
「副長が門番長やった方がよかったんじゃないのー?」

 次々と飛ぶ文句に、チルノはうんざりした顔で。
「うっせー! 副長は随分前に館内業務に戻って忙しいから仕方ないでしょうが! いつも通りで何が悪いってのよ!? そんでちゃんとこの館は回ってんだから!」

 ぶーぶーと沸き起こる不満を封殺しつつ、チルノは負けない大声を張り上げる。

「さ、全員揃ってるなら仕事するよ! 今日も頑張って働こうじゃない」

 と、その途中へ、割り込むように。

「ごめん、待ってよ、まだ全員揃ってない」

 チルノの後ろから、少し恥ずかしさを混ぜたような声が聞こえた。
 そして、目の前のメイド妖精達の顔がまず驚きに歪んで、次に、こらきれない喜びに変わるのを見ながら、チルノは振り向かずに、笑う。

「ちょっと遅刻しちゃったわ」
「かーなーり、ね!」

 自分の横へ歩いて来て並んだ、ずっと背の高い、紅い髪のその門番。
 チルノはそれを横目で見て、紅髪は顔を向けて見下ろしながら、笑い合って。

「おかえり、美鈴」
「ただいま」

 美鈴がそう言うと同時に。

「おかえりなさーい、門番長!!」

 それまで我慢していたメイド妖精の全員が、祝砲のような大声を張り上げた。


「ありがとう……で、みんな」

 しばらく好き勝手に喜びを表していたメイド妖精達を、美鈴はたしなめて。

「長い間サボって、すみませんでした」

 深々と、全員に向かって頭を下げた。

「本当に、どの面下げて帰ってこられたもんかと思うわよ」
 呆気に取られた顔をしているメイド達に代わって、チルノが憎たらしく笑いながら。

「まあ、ね……でも、いつまでもサボってたらさ、あの子達にも怒られちゃうから」

 少しだけ寂しそうな笑顔でそう言って空を見上げる美鈴に。

「まあ、あいつらなら、本気で怒って何かしてきそうって感じよね……」

 チルノも一緒に、笑って空を見上げた。




「あれ? でもさあ」
 バトンタッチした美鈴の、仕事の振り分けと挨拶が終わった後で、メイド妖精の一人が疑問の声を。

「門番長戻ってきたら、チルノ隊長ってどうなるの?」

 美鈴の横に立って、なるべく偉そうな顔をしていたチルノが、一瞬疑問の顔になって、次に青くなった。

「用済み?」
 別のメイド妖精が首を傾げ。

「用無し?」
「クビ?」
「解雇?」
「リストラ?」
 次々と不穏当な単語を発するメイド妖精達。

「ちょ、ちょっと待てい! そんなわけは……」

 チルノは嫌な汗を吹き出しながら、美鈴の方を向く。
 すがるような視線を向けられた美鈴は、困ったような笑顔を作りながら。

「まあ、あんたはこんなとこでおさまる器じゃなさそうだし……ねえ?」

 そんな。

「あたいの三食昼寝付き生活がー!?」

 チルノは雷に打たれたような顔になって、叫んだ。







 我が館、我が部屋のバルコニーから、楽しそうに、嬉しそうにその光景を眺めていた吸血鬼、館の当主。
 何やらチルノが焦った叫び声を上げている状況になったのを見てから、そっと視線を外して部屋の中へ戻りながら。

「まあ、あいつは……これかな」

 とんとんと、自分の首の辺りを軽く手刀で叩きながら、くすっと笑った。
 そうして卓に向かうと、すっかりあの頃とは違った味に慣れてしまった紅茶を飲むために、今日も従者を呼び付ける。






















 そろそろ落ち葉で溢れだした境内を掃く、巫女の少女。
 掃いては葉を集め、そんな単純作業をしながら、一人には広すぎる神社を見て。

「……っ」

 まだあれからさほど経ってない今だから、少しだけ思い出してしまう。
 箒を動かす手を止めて、それをぎゅっと掴むと。

「先代……」

 絞り出すような声で呟いて、目の端に溜まった滴を溢す。

「当代、博麗の巫女ぉ――!!」

 そんな湿っぽい雰囲気をバリバリとぶち壊しながら、馬鹿の叫び声が響いた。

「霊夢が死んでしまった今、積もりに積もった怨恨は巫女の地位と共にあんたに引き継がれたことになった!!」
「というわけで、要は霊夢の代わりにあんたをしばいて憂さ晴らさせてもらうって寸法よ!」

 茂みから飛び出して、ずびしと指を突きつける鳥妖と、他の妖怪の面々。
 巫女は無表情にそれに向かい合って。

「いざ、覚悟ぉぉ!!」
「ヒャッハー!」

 妖怪の集団が突進する。




「ちにゃっ!」
 突進して、次の瞬間には針やら符を投げつけられて刺さったまま貼り付いたまま、ぶっ飛ばされて石段を転がり落ちていくこととなっていた。




「思い出に浸る暇もない……」

 ごしごしと目の辺りをこすりながら、妖怪共を追い払った巫女はうんざりとそう呟いた。

「おいおい、先代は、思い出に浸ったりしながら、襲ってくる敵をぶちのめしてたぞ」

 くすくすと笑い混じりの声が聞こえたら、風に巻かれた霧が集まって、二本角の鬼が木の枝の上に現われていた。

「何よ、あんたもさっきの妖怪達と一緒の目的?」
 自分の上から見下ろしてくる、その姿を睨みつけながら、巫女は不機嫌そうな声を出す。

「だったらどうする?」
 鬼は笑って、瓢箪から酒を飲みながら。

「どうするって? 先代ならどうしてたか、思い出してみなさいよ」
 好戦的な笑いを向けてくる巫女。紅白の、黒髪の、博麗の巫女。

「やれやれ……久しぶりに、稽古でもつけてやるとするかな」

 欠伸と共にそう言い放って、鬼も笑って立ち上がる。











「はい、私の勝ちー、ってね」

 鬼が笑って酒を飲む。
 立ったまま見据える、今度の視線の先は、ぼろぼろになって仰向けに倒れる巫女。

「うー……負けたぁ……」
「まだまだ、先代には及ばんねぇ」

 悔しそうにそう呟く少女に、鬼はやれやれと溜息をついた。

「うっさいわねぇ……そんなん、自分でもわかってるし」
 空を見上げながら、巫女は思う。

「わかっているから……きっと、まだまだこれから先も、私は巫女でいられるわ」

 ゆっくりと上半身だけ起こして、静かに笑ってそう言った。
 それを見て、鬼も静かに笑う。

「そうだな、まあ頑張って、さっさと強くなってくれよ」
 そして。

「強くなって、私を――」

 そこまで言ってから、不意に鬼は言葉を止めた。

(いや、違う……な)

 不思議そうな顔をする巫女に、鬼は手を差し出して、満面の笑顔でこう言うのだ。


「私に――」



 お前と一緒に生きたいと、思わせておくれ。



















 見上げる鬼の目の前で、巫女が笑う。
「だって、きっと、こっちの方がずっと楽しいでしょう?」
求めたモノはただ一つしかないから




そんなわけで、鬼が笑うお話でした
文字通りの意味と、鬼が笑うくらい未来のお話というわけでした
今回、鬼という化け物の悲哀を書くというコンセプトで挑んで練っていった結果
どうしても人間が死ぬ展開を書かなくては通れなくなってしまい
それはそれで仕方がないけれど、あんまり湿っぽいのも嫌いなので
この話を読んで泣くよりは、読み終えて笑っているような話を目指してみました
どうだったでしょうか、笑顔でこのあとがきを読んでいただけているなら、何よりも嬉しいことです


水樹奈々さんの曲に「ray of change」というものがあるのですが
今回それをテーマソングというか、イメージソングというか
そんな感じにして話を膨らましていった側面もあります、タイトルもパクリました
興味がわいたら、一度聞いてみてください
すでに知っている方は、聞きながら読んでみると何となくテンションアップするかもしれません


さて、ここまで長々と読んでいただきありがとうございました
自分もここまで長い作品になるとは考えていませんでした…(作中の季節は書き始めた季節と同期しているのですが、それから考えると…)
次回もまた頑張って書いてみたいと思います、では
ロディー
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コメント



0.2540簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
長い作品でしたが自然と最後まで読んでいくことができました。
人が死ぬ話ではありましたが読了後の嫌な感じはせず、お涙頂戴でもなく。
非常に幻想郷的な人の死だと感じとてもさわやかでした。
よい作品をありがとうございます。
8.100名前が無い程度の能力削除
……この話を読んだ後、私は泣けばいいのか笑えばいいのかどっちか迷いました。
が、笑ったほうが良さそうですね。
おやすみ霊夢www
11.100名前が無い程度の能力削除
文句なしの100点です。
15.100名前が無い程度の能力削除
こんないい話なのに魔女の愛しの妹が一番気になる自分が残念。
27.80名前が無い程度の能力削除
シリアルなのに所々に北斗ネタが…www
スイカかわいいよスイカ
28.100名前が無い程度の能力削除
マジでウルッときました。点数が足りん。

軽いヒラコー節がまた堪らない。
化け物を倒すのは何時だって人間ですねぇ……良い話でした。
29.100名前が無い程度の能力削除
ウルウルしながら笑わせてもらいました。じんわりをありがとう
30.90名前が無い程度の能力削除
安心のロディークオリティ。
しかし、今が永遠に続けばいいのに…
寂しさには慣れそうも無い。
32.100名前を忘れた程度の能力削除
無言で杯を掲げる魔理沙がかっこよすぎる。
ああ、あの2人には確かに、言葉なんていらない。

・・・実は私はレイマリも好きだったりする。
33.100irusu削除
今まで読んだ中で一番良かった作品でした。
34.60名前が無い程度の能力削除
チルノ+(門番隊-美鈴)とレミリア最高!

鬼に関して首を捻るところがあったけど
36.90名前が無い程度の能力削除
自分に終止符を打って欲しい気持ちも分かる。
大事なものが失われる恐怖、大事なものを失ったことによる諦めで、
不貞腐れて、落ち込んで、みっともない事をしてしまう気持ちも分かる。
本人が糞真面目だということも痛いぐらい分かる。
けど霊夢のように、他人からすればなんだか下らなく感じてしまうんだよなぁ。
視野の狭い広いで括る事ではないけど、どうしてなんだろうなぁ。

通夜する意味が無くなって、宴会になるっていう話をどっかで読んだことがあるので、
妙なデジャビュを感じてしまったのでこの点数で。まぁ、それは自分が悪いんだけどw
44.100名前が無い程度の能力削除
さっぱりしててすごくいい
45.100名前が無い程度の能力削除
点数が足りませんなぁ
雰囲気が良くて、読み終わりたくないけど
次が気になり…
面白かったです。
47.100名前が無い程度の能力削除
ロディー氏の書くキャラも好きですが、キャラの生きる幻想郷が大好きです
のんびりとしつつもどこか真剣な幻想郷を次も期待しています
51.100名前が無い程度の能力削除
最高の作品だった。
52.100名前が無い程度の能力削除
鬼ってのも因果な存在ですね……。
53.100名前が無い程度の能力削除
後書き読みましたよ!
泣くよりも笑ってだと!?ぼろ泣きだばかやろー\ToT/
私は涙腺がボロクソよわいんだー、けど最後は笑顔で読めました
れみぃとすいかの喧嘩のくだりなんて泣きながら吹いてモニタが大惨事に・・・
蛇足 吹いたあとに鼻をかんだら鼻血まで混じっててびっくりしました。まる。
55.90ishii削除
欲をいえばもっとこの幻想郷に浸っていたかった。
上辺は殺伐としているけれど根底の温かみが隠しきれないほど溢れている。
こうやって感想を書くまで10分ぐらい目を閉じて、思い返してくすりと笑って。
素晴らしい作品でした。
66.100名前が無い程度の能力削除
感無量。
これ以上言葉を紡ぐことが難しくなるほどの、感動でした。
充実していて、そして素敵な一時をありがとうございました。