おねえちゃんを、つくってほしいの。
アリスは驚きました。人形を作るのは大変だけど、不可能ではありません。でも人を作ることなんて、出来るのは一部の神様ぐらいです。そしてアリスは神様ではありませんでした。
こいしのお姉ちゃんは古明地さとりと言います。人間じゃなく妖怪でした。だからといって作れるはずもなく、アリスは断ろうと決めたのですが
「お姉ちゃんのね、人形が欲しいの!」
それはアリスの得意とするところです。ちょうど研究も行き詰まっていたことだし、アリスは快く彼女の依頼を引き受けました。こいしは花のように咲き笑い、頭を撫でようと背伸びをするのです。
身長はアリスの方が高いから、当然こいしは背伸びするだけでした。それが可愛らしくて、ちょっとした微笑みすら隠すことなんて出来ません。代わりにこいしの頭を撫でて、「任せておいて」と言ってあげました。
こいしは笑顔で頷き、地霊殿へと帰っていきます。可愛い子だと、アリスは居なくなってから呟きました。
姉の人形が欲しいなんて、何と可愛らしいお願いなのだろうと。
こいしの真意を確かめもせずに、アリスはそう思ったのです。
妹の奇怪な行動には慣れっこのさとりでしたが、最近のこいしの行動は理解という言葉で捉えきれるものではありませんでした。
アリスに人形を作って貰うようお願いしたのは分かります。こいしだって年頃の女の子です。むしろ、そんな普通の少女が願うような思いもあったのかと新しい感動を覚えたぐらいです。
それがさとりの姿をしていたのも、気恥ずかしくはありましたが納得できるものでした。家族愛ぐらいなら、ひょっとして抱いてくれているのだろうか。そう思ってしまうほどに、それはさとりの心に甘いものをもたらしたのです。
しかし、それも長くは続きません。
「ねえ、お姉ちゃん。ホットケーキ作ったんだけど、食べてくれる?」
こいしのホットケーキ。そんなもの、さとりは食べたことがありませんでした。
食べられるものなら食べてみたい。だからさとりは間髪入れず、答えたのです。
「ええ、食べるわ」
しっかりとはっきりと、さとりは答えました。食べますと。
「えー、良いじゃない。可愛い妹が作ったんだから、食べてよ」
「……こいし?」
さとりは食べると言いました。でも、こいしはそんなさとりの言葉など聞こえていないかのようです。距離は歩いて五歩もない。聞こえないはずも、ないのに。
よく見れば、こいしはさとりに話しかけてはいませんでした。彼女が話しかけているのは、さとりそっくりの人形です。
テーブルの上へ乗せられたさとり人形は、笑顔のまま固まっていました。
「やったー、お姉ちゃんありがとう!」
飛び跳ねて喜びを表したあと、ナイフとフォークがホットケーキを切り分けます。それをフォークに刺し、人形の口へ押しつけました。当然、人形は食べ物を食べません。
糸で縫われた粗末な口が、ホットケーキの生地と蜂蜜でべちょべちょに汚れていきました。それでも、こいしは手を休めることなく、次々とホットケーキを駄目にしていきます。
「お姉ちゃん、美味しい?」
などと訊きながら。
目の前に姉がいるのに、こいしは人形に話かけてばかりです。さとりの声が強くなるのも、至って自然な流れだと言えます。
「こいし!」
ピタリと、こいしの手が止まりました。でも、目は相変わらずさとり人形へ向けられたままです。
やがて、再びこいしは人形にホットケーキを押しつけ始めました。
これはもう、何を言っても無駄だ。
そう悟ったさとりは、こいしを無視することにしたのです。
こいしにとってのさとりとは、アリスに作ってもらった人形のことを指します。
だから一緒にお風呂へ入ったり、一緒に寝たり、一緒にお出かけするのも違和感のない自然なこと。だって、二人は姉妹なのだから。仲が良い姉妹であれば、それはとても普通のことなのです。
だけど、所詮は人形でした。
人間と同じではない。
何日も厳しい扱いをしているうちに、段々と人形は薄汚れていきました。それでも、こいしは手を休めることがありません。
朝は一緒のベッドで起き、朝食を食べて散歩に出かけ、昼食を食べて散歩に出かけ、夕食を食べて夜の散歩に出かける毎日。
人形は相変わらず人間扱いされたままで、とうとう一週間後に悲鳴をあげることもなく布きれの塊へと変わってしまいました。
トーストを押しつけられた頭が、ころころとゴルフボールのようにテーブルを転がっていきます。
お燐やお空は人形遊びの一環だと思って、こいしを不思議に思ったりはしませんでした。でも、さとりだけはずっとこいしの奇行を訝しく思っていたのです。
だから、これを誰よりも喜んだのはさとりでした。
もう人形はいない。だからきっと、こいしも私を見てくれることだろう。
血の繋がった姉妹。その片割れから無視され続けるというのは、思ったよりも辛い毎日でした。
「こいし……?」
恐る恐る、さとりは尋ねます。
しばらく首のとれた人形を見つめていたこいしは、顔をあげ、、久しく見せてくれなかった笑顔をさとりへと向けたのです。
「なに、お姉ちゃん?」
心の中で、花の咲く音が聞こえてきました。
やっぱり、あれはただの気まぐれなのだ。こいしにとっての姉はただ一人。この古明地さとりなのだから。
人形相手に勝ち誇っても仕方がないのですけど、さとりはとても自慢げでした。
こいしは首のとれた人形をコミ箱に放り投げ、代わりにトーストを手に取ります。
「ほら、お姉ちゃん。あーん」
普段ならば、恥ずかしくてやりません。
でも今は、ちょっとだけ嬉しくて、こいしの言うことを聞いてあげたい気分でした。
だからついつい口を開いて、言い返してしまのうです。
「あ、あーん」
おやすみ、と自分の部屋へ戻ろうとしているこいし。
だけど、さとりはどうしても訊きたかった事があるのです。ついつい呼び止めて、尋ねてしまいました。
「ねえ、あの人形は結局何だったの?」
こいしはキョトンとした表情を浮かべて、当たり前のように言いました。
「あれはお姉ちゃんだよ」
「……あれは人形よ」
「うん、知ってる。だからあれをお姉ちゃんだと思いこむようにしていたの」
心の底からあれを姉だと思っていたなら、数々の奇行にも頷ける部分がありました。
ただ、肝心の部分が闇の中です。
「だけど、あなたの姉は目の前にいるのよ。わざわざ人形を作る必要なんて無いじゃない」
あはは、とこいしは笑いました。
どうして笑うのか、さとりには分かりませんでした。
「ただ確かめただけだよ。お姉ちゃんの事を好きだったとして、私はどれぐらいお姉ちゃんの死にショックを受けるのかって」
実験でした。
それならば人形を使ったのも当然です。だって、たった一人の姉に死んで貰うことなんて出来るはずもないのだから。
あれ?
さとりは考えました。
もしも、あの人形をさとりだと思っていたならば。
そして、あの人形が壊れてしまったとしたならば。
それは、つまりさとりが死んだのと同じこと。
だったら、こいしのとった反応はさとりが死んだ時の反応であって。
「だから安心して良いよ、お姉ちゃん」
あの時、こいしはどんな対応をしただろう。どんな表情をしていただろう。
それを思い出せる自分が嫌で、それを笑顔で言えるこいしが何よりも恐ろしかった。
「私、お姉ちゃんが死んでも何とも思わなかったから」
ゴミ箱へ捨てられた人形は、焼却炉で燃やされて灰になって消えました。
Amen。
最初はほんわか話かと思っていましたが、最後のセリフには中々ゾクリとさせられました
>それを思い出せる自分が嫌で、それを笑顔で言えるさとりが何よりも恐ろしかった。
こいし?
内容は面白かったです
こいしはサイコホラーでしょうか
続きが見たい。
是非書いてくれさい!
…真夜中に読むんじゃなかったorz
短くも面白い内容でした。
少し歪だけれど丸く収まったかと思いきや……ぞわりとした。
作品云々ではなく主義主張としてこの点数とさせて頂きます。
しかし、この引き込まれるような文章とラストのゾッとするような感覚は、しばらく忘れられそうにありません。
ひさしぶりに背筋がぞっとするような感覚を覚えました。
文章の読みやすさや流れも秀逸ですが,それにも増して発想がすごいと思いました。
やっぱりこいしの狂気はこんな感じが一番良いなあ。
そうなってしまった原因は無意識の存在になってしまったからでしょうか?
どうもそんな感じではなく、話の都合で理由もなくそういうこいしに設定しただけに見えます
こいしは無邪気で残酷だなって思ったしゾッとした。
でも、それだけだった。
貴方の作品のオチは毎回何が起きるか分からない。
今回の笑顔で答えるこいしオチは、何となくギャグだろうと思って読み始めた俺の脳はひどくシュールなオチなんだと認識されました。
「うはww不謹慎ww」とか思ったコンマ数秒後に背筋がゾクッと。
久々の100点が贈呈されます。
こいしとさとりの関係についての設定云々はあんまり気になりませんでしたよ。
こういう一期一会性も、八重結界氏の作品の味の一つだと思うので。
それってつまり…
・・・否、すっごくこわかったです
こいしならやりそうな実験ですね
ゾクゾクが増しました
まさかこいし・・・
"好きだったとして"
それって今は好きじゃないってこと!?
さらになんとも思わなかった...
こいしは恐ろしい.....
でも腑に落ちないので
やはりこいしちゃんは人間とは認識の次元が異なる位置にいる存在だな。