Coolier - 新生・東方創想話

少女幻葬物語 第二幕

2004/12/19 02:42:40
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不思議な夢を見た。


底知れぬ暗闇の中を、ただ沈む夢を。


最初は目を閉じているせいかと思って目を開けてみても、真っ暗のまま。


光がないのか、それとも差し込んでいないだけなのか。他には何も見えない。


ただただ、ずっと、暗闇の中を、私は沈んでいく。



けれど、なんだろう。


今私が感じているのは、沈んでいくことへの恐怖ではなく、安らぎ。


すべてを包み込む、慈愛に満ちた何かに包まれて、




――――私は、どこまでも沈んでいく。












第二幕 亡き少女の唄う子守唄












古来より、人も妖達も、様々な形で月に影響され続けてきた。

昔の暦は、月の満ち欠けを利用した太陰暦だったし、呪術等でも、月は欠かすことのできない要因となっている。

何もそれは昔に限ったことではなく、今現在の人や妖達にとっても、同様。


誰も、月の呪縛から逃れることは、できない。






幻想郷全体を巻き込んだ、欠けた満月の騒動。
あまりにも静かに訪れた異変は、人間達にはほとんど気付かれることなく、だが、月の満ち欠けに力を左右される妖怪達にとってはまさしく死活問題であり、早急に解決しなければならない出来事だった。


その中には、当然ながらと言うべきか、魔法の森に住む魔法使いアリスも含まれていた。
魔力は月の満ち欠けに大きな影響を受けるし、しかも彼女は妖怪である。他の者達に比べ、月の影響がより大きく表れる。
日増しに高まる、焦りと不安。

――――まさか、本当に誰も気付いていないの?

表面上は使い魔の人形達と紅茶を楽しみながらも、アリスは思案していた。
当初は、傍観していれば霊夢や魔理沙が動くだろうと高を括っていたのだが、いつまで経ってもまったく動く気配がない。
どちらも月の異変に気付いていいはずなのに、その様子がまったくないのには、流石のアリスも閉口した。

――――私が動くべきなのかしら。

思案を続けたアリスは、ある日の晩、ようやく重い腰を上げることにした。
貴重な魔道書を手土産に魔理沙を動かそう、と考えたのだ。



ちなみに、アリスが決心したその夜、博麗神社の巫女である博麗霊夢と結界の境界に住まう妖怪、八雲紫によって、異変は解決へと導かれる。
それを、何故か体中に絆創膏を貼って訪れた魔理沙に教えられ、アリスは内心で、貴重な魔道書を手渡さなくて良かった、と安堵のため息を漏らした。
もっとも、その後強制的に連行されるとは、思ってもいなかったのだが。








そこは、見た目こそ、ただの古びた神社だった。
だというのに、そこは『視える』者からすれば、その場所に、決して物差しでは計りきることのできない『何か』があることを見抜くだろう。
神社自体が外の世界と内の世界――幻想郷を隔てる境界線の役割を持つ。それ即ち、幻想郷を覆う博麗大結界の構成を担う、最重要な霊場であり、幻想郷の誰しも名前だけなら知っている存在。

『博麗神社』

神社という特殊な場所がそうさせているのか、それともそこに集まる『何か』がそれを望んでいるのか。夜の境内は、不思議な静謐に包まれていた。
まるで本当に神がその場にいて、誰もそれを壊すことを許さないかのように構えているかのように、とにかく静かだった。
神聖ささえ漂う、無音の空間。

だがそれも、彼女達の前では完全に無意味なモノに成り下がる。しかもその中に静寂を守るべき巫女も混ざっているのだから、世話がない。





久方ぶりに見る本物の満月は、禍々しくも綺麗な光で満ち溢れており、その眩しすぎる光は幻想郷全体を煌々と照らしていた。

魔理沙に連れてこられた博麗神社の境内でそれを眺めながら、アリスは上海人形と共に月見酒を楽しんでいた。
その隣では、アリスを連れてきた魔理沙が酒をラッパ飲みしており、既に参加者の中で最も顔が真っ赤だ。お月見を始めて三十分も経っていないのにこの有様である。先行きが不安ね、とアリスは他人事のように呟いた。

そのまた隣では、満月の異変の元凶であろう、初めて見る三人組が座っていた。
一人は、腰まで伸びた艶やかな黒い髪に負けず劣らず、明らかに大きめの服だと分かる、余り気味の袖に地面につくほど長いスカートを着た少女で、上品そうな物腰だったが、時折二人に対して言う我侭がそれを台無しにしていた。勿体無い。

今はとても楽しそうに笑っていたが、アリスはその裏側に、何か別のモノを感じた。それをあえて例えるならば――正気と狂気を併せ持つ微笑みか。
それは空に浮かぶ本物の満月と同じで、とても純粋で、それ故に禍々しいもの。
恐らく、その微笑みだけで多くの者を狂わせることができるだろう。

対するもう一人は、保護者役と言う言葉がぴったりな、知的な印象を与える微笑みを浮かべている女性で、丁度中心で赤と青が見事に分かれ、星座らしき点と線が描かれている上下一体の服に頭には青色のナースキャップらしきものをかぶっており、背中には年季の入った弓矢が携えられていた。そこから推測するに狩人なのかと思いきや、聞くに薬師らしい。まぎらわしい。
最後の一人は、紺色のブレザーに膝上までの長さしかないスカート――俗に言う学校制服を着ており、頭からはぴょこん、と兎の耳が生えている少女だった。このお月見に同行している以上、それなりに地位ある役職についているのだろうが、この中では一番下っ端らしい。二人にからかわれ続けており、既に涙目一歩手前。哀れである。

初めて出会い、自己紹介をされた時、順に蓬莱山輝夜、八意永琳、鈴仙・優曇華院・イナバと名乗り、即座にその場に順応してお月見を楽しんでいた。
ちなみに今は、鈴仙の団子を輝夜と永琳が取り合うといったやり取りを繰り広げていた。被害者である鈴仙からすればたまったものではないだろうが、端から見ると、どうにも笑いを誘う光景であることは否めず、周囲の者達から微笑ましく眺められていた。
そして、異変を解決した当のコンビ――魔理沙曰く『結界組』と呼ばれており、言いえて妙である――博麗霊夢、八雲紫とその関係者はというと、

「月がくるくる回ってます~」
「違うぞ橙、お前が回ってるんだよ。・・・・・・ああもう、おとなしくしなさい」
「あらあら。楽しそうね、藍」
「ちょっと紫、あんたのところの式神は大丈夫なの?」
「大丈夫よ、多分」
「多分・・・・・・」

アリスは初めて会ったことになるが、魔理沙からある程度の話は聞いていたため――魔理沙曰く「ケバい上に歳を考えてない服装」らしく、失礼だとは思ったが一目で分かった――癖のついた金色の髪を腰まで伸ばし、紫色を主体にしたゴシックロリータ風の洋服を着ている『神隠しの主犯』八雲紫を筆頭に、その式神で、道士服を身に纏った金毛九尾の狐、八雲藍。更にその式であり、赤いワンピースを着た猫又少女橙と一家総出で訪れており、博麗霊夢と楽しそうに月見酒を楽しんでいた。
誰も彼も頬がほんのり赤く染まっており、程よくお酒が回っているのが一目で分かる。
その微笑ましいやり取りを横目に、アリスは飲み干した杯にお酒を注ぎつつ、

「久しぶりの満月は、やっぱり良いわね」

杯になみなみと注がれたお酒の水面に映る満月を見て、目を細めて微笑む。
本当は人形達全員でお月見といきたかったが、急に連れてこられたため、同行させることができたのは上海人形のみだった。それが少しだけ寂しかったが、異変は解決しており、何時も通り満月は巡ってくる。
故に、特に急ぐ必要ない、とアリスは思う。また満月になった時、全員集まってお月見をすればいいだけなのだから。

――――なら今は、上海と一緒に楽しみましょうか。

くぃっ、とお酒を飲み干し、ほぅっ、と息をつく。
ちなみに同行した上海人形はというと、アリスの肩にちょこんと座り、抱える程大きな杯になみなみと注がれたお酒を、じつに物珍しそうに眺めていた。
作られてからというもの、見てきた飲み物が紅茶だけであり、お酒自体を初めて見るのだから、無理もない反応である。アリスは上海人形の顔を覗きこみ「それは、日本酒というお酒よ」と教えた。
その言葉に、上海人形はアリスに顔を向けて首を傾げ、再びお酒に視線を戻した。どうやら、お酒そのものが何なのか分かっていないらしい。
――と、そこで何を思ったのか、上海人形は杯に注がれた酒を一気に飲み干した。

「ちょっと、上海。大丈夫なの?」

主の問いに、しかし上海人形は飲み干したままの体勢からまったく動かない。
流石に心配になったのか、顔を覗き込もうとしたアリスだったが、急に杯を取り落とされ、慌てて空中でそれを掴もうとかがんだ。
その拍子に、肩に座っていた上海人形の体がふわり、と宙に浮く。
杯を受け止めたアリスは、慌てて上海人形を受け止めようと体勢を立て直しかけ――唐突に、その動きが止まった。
見ると、上海人形は宙に浮かんでいる。だが、俯いたまま微動だにしていない。

「・・・・・・上海?」

如何の声をあげるアリス。だが、上海人形は答えず、じっと空中に浮かんでいる。
訝しげにその様子を眺めていたアリスは、ようやく異変に気付いた。




上海人形の顔が、真っ赤に染まっている。




次の瞬間、爆竹を鳴らしたような笑い声が響いた。上海人形だ。
空中で顔を真っ赤にしたまま、普段の姿からは想像もつかない大声で膝を叩きながら笑う上海人形に、アリスは受け止めようとした体勢のまま、引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。何がそんなに可笑しいのあなたは。
人形でも酔っ払うことがあり、上海人形はかなりの笑い上戸らしいことを初めて知るアリス。当然、止め方も分からない。

更に言えば、酔っ払いは酔っ払いを呼ぶものである。

「お~い、アリス~ぅ。どうやって人形を喋れるようにしたんだぁ~?」

顔を真っ赤に染め、空の一升瓶を片手にからんでくる魔理沙。既に酔っ払いそのものである。
かなり酒臭い息に顔をしかめつつ、アリスはつっけんどんに答えた。

「企業秘密よ」

アリスにしてみれば酔っ払いを相手にするのは遠慮したいのだろうが、酔った人間に理屈や理論など一切通用せず、相手の心理を理解する程頭が回らない。そういった言動は、むしろ火に油を注ぐようなものだ。
その証拠に――突き放すような言葉に、しかし魔理沙は赤ら顔でにぃ、と笑った。
途端、嫌な予感をひしひしと感じるアリス。

その予感は、正しかった。

「けちけちするなよな~」

意識しているのかどうか分からないが、猫なで声でアリスに擦り寄る魔理沙。
魔理沙から逃れようと、体を浮かせかけたアリスだったが、まるで狙い済ましたかのような正確さで足と腕を絡め取られ、動きを封じられた。

「なっ、ちょっと!」
「な~ぁ」

相変わらず猫なで声で擦り寄る魔理沙に、アリスは思わず狼狽の声をあげた。端から見ればなかなか微笑ましい光景だったが、当の本人からしてみれば、タチの悪い酔っ払いにからまれた気分である。
アリスは冷静に打開策を練り、霊夢に助けを求めようと考えた。思いきり他力本願だが、彼女なら何とかしてくれそうな気がしたのだ。
ふぅ、とため息を漏らし、霊夢に助けを求めようと視線を向け――絶句した。

「霊夢~」
「ちょっ、ちょっと紫!酔っ払うにも程があるわよ!!」

アリスの視線の先では、酔っ払ったのか、赤ら顔の紫が霊夢を押し倒そうとしていた。あっちもか。
ちなみに三人組や式神達は傍観を決め込んでいるらしく、微笑ましげにその光景を眺めている。つまり助ける気なし。薄情である。

「アリス!見てないで助けてよ!」

向けられている視線に気付いたのか、紫と格闘しながら必死の形相でアリスに助けを求める霊夢。
だが当のアリスはと言うと、目の前で繰り広げられているその光景に、どうしようかと思案し始めていた。いい具合に頭が麻痺してきているらしく、自分が置かれた状況をすっかり忘れ去っている。
そんなアリスに、紫の瞳が向けられた。


酔っているとは思えない程物騒な光を帯びた紫色の瞳と、それによって急速に冷静さを取り戻した紅色の瞳が、視線を交差させる。


それは本当に一瞬だけだったが、二人はアイコンタクトをするかの如く視線を交わしあい――やがて、アリスは魔理沙をしがみつかせたまま立ち上がった。
助けてくれるのかと期待した霊夢に、アリスは未だに笑い続けている上海人形を抱えるように持つと、満面の笑みを浮かべて、



――奈落に突き落とす言葉を紡ぐ。



「邪魔しちゃ悪いわね。私はここで失礼するわ」
「なっ!?」
「魔理沙にはこれをあげるわ」

言うが早いか、アリスは素早く両手を自由にすると、どこからともなく取り出した一升瓶の蓋を開け、躊躇いなく魔理沙の口に突っ込んだ。

きゅぽん ごっごっごっごっ

凄まじい勢いで瓶の中身が魔理沙の口の中に消えていくのを、半ば呆れた表情を浮かべて眺めるアリス。
一升瓶の中身がすべて魔理沙の口の中に消えるまで、二十秒程。いくらなんでも速すぎる。

「ふぃ~・・・・・・」

気の抜けた声を出し、服を掴んでいた手を離す魔理沙。そのまま地面に倒れこみ、すやすやと寝息を立て始めた。
再び、紫に押し倒されかけている霊夢に視線を向け、笑顔で言った。

「じゃあ、ごゆっくり」
「ちょまってアリス本当に助け――」
「あの子もそう言ってることだし、私と一緒に楽しいことしましょ~?」
「まさかグル!?ていうか私見捨てられた!?」
「どうかしら?ふふ・・・・・・」

霊夢と紫が寝技の応酬を繰り広げている、その横では、

「皆が回って見える~」
「藍さん、聞いてくれますか~?うちの師匠はひどいんですよ~」
「分かる、分かるぞ鈴仙。紫様ももう少し真面目になってくれればといつも思う」
「あらあら、皆程よく酔っ払ってるわね」
「姫も顔がまっかっかですよ」

ちゃっかり巻き添えをくらわない位置に移動していた残りの五人が、思い思いのお酒を楽しんでいた。

それは、眺める分には十分微笑ましい光景であり、事実アリスは立ち去る間際、宴会に変わりつつあるお月見を眺め、可笑しそうに笑った。


博麗神社の石段を降り切ったところで、上から「あーもう!いい加減酔いを醒ましなさーい!!夢想封印!!」という言葉と共に爆発音が聞こえたような気がしたが、アリスは振り返らなかった。















――――やっぱり、満月の晩は雰囲気が違うわね。

魔法の森の中を歩きながら、アリスは思う。
魔法の森に流れる魔力の大きさも、その速さも、普段とはまったく違う。まったく別物となった空間と空気。


それは最も危険で、最も狂気に満ちて。そして最も静謐に包まれた時。


理由は本人にも分からなかったが、アリスはその危険に満ちた静けさを、とても気に入っていた。特に久しぶりの満月となれば、その静けさも如実に感じられるものだ。
お酒が入っているせいもあってか、自然と、アリスは上機嫌になっていった。

「久しぶりの満月に、久しぶりのこの雰囲気。懐かしいわ」

ぽつりと呟き、腕に抱えた上海人形に目を落とした。
酔いつぶれたのか、頬を真っ赤に染めてすやすやと眠る上海人形に、アリスの表情が自然と綻ぶ。

「やっぱり、静かな方がいいわ。騒がしくなるのは、時々で十分」

今日のは、特に騒がしすぎるような気がするけど。そう心の中で呟き、その光景を思い出したのか、ふふ、と笑い声を上げた。

「どうかしましたか?ご主人様」

可笑しそうに笑っているアリスに、何の脈絡もなく唐突に――森の静寂に溶け込むように静かで、それでも不思議と周囲に響く丁重な声がかけられた。
しかしアリスは声をかけられる前から気付いていたのか、驚くことなく答える。

「何でもないわ。・・・・・・悪いけど、上海をお願いね、京」

何時の間にかアリスの前方に浮かんでいたのは、アリスの使い魔であり、若草色の着物を着こなした京人形だった。
彼女は一旦頷いたものの、すぐに形のよい眉根を寄せて言う。

「畏まりました。ですが――どうか、お酒は程ほどになさってくださいね。こちらまでお酒の匂いが漂ってきていますよ」
「私は程ほどにしたつもりなんだけど」
「酔った人は、必ず否定するものです。自覚なさってください」

眠ったままの上海人形を受け取りながらにべもなく言い放つ京人形に、アリスは苦笑を浮かべた。



春が訪れたあの日、アリスは人形を弔った後、人形達を喋れるようにした。ほんの気まぐれで、その時は深い意味はなかった。
その際に一番苦労するな、と思ったのは『声帯をどうするか』だったが、元々人形達にはアリスと一緒に紅茶を飲むために必要な部位は作られており、そこに多少の改良をするだけで事足りた。初めて声を出したのは上海人形であり、その声を聞いた時、アリスは無類の喜びを感じたものだ。
そしてその結果、アリスは意外なことを発見した。前々から、一体一体の性格が違うのはある程度知っていたが、多少なれども声色も喋り方も違っていることも分かったのだ。
例えば、アリスの呼び方一つでも二派に分かれ、上海人形と蓬莱人形が「アリス」と敬愛をこめて呼び、その他全員が「ご主人様」と呼んでいる風に。


ちなみに京人形は、静かながらも不思議と響き渡る声で丁重な言葉を喋り、人一倍責任感が強い。性格も物静かで落ち着いており、滅多なことで喜怒哀楽を表に出すことはない。


「そうね。久しぶりのお酒だし、思った以上に効いているみたい」
「・・・・・・千鳥足になっていないだけ、まだ大丈夫ですね」

僅かに自嘲の笑みを浮かべて呟くアリスに、京人形は顎に手を沿え、小首を傾げて答える。だがすぐにこめかみを押さえ、両目を閉じた。

「ですが、酔った状態で森を歩くのは危険です。早くご帰宅なさったほうが――?」
「――?」

言いかけた京人形と、苦笑を浮かべていたアリスが、同時に止まった。

何かが、聞こえたような気がしたのだ。

一瞬、空耳かと思ったアリスと京人形だったが、よくよく耳をそばだてて見ると、鮮明に聞こえ始めた。




それは、唄だった。
響き渡り、透き通る声で、誰かが歌っていた。




「・・・・・・誰かしら?」
「分かりかねます。満月の晩、しかも魔法の森の中ですから、人ではないと思いますが・・・・・・ご主人様?」

如何の声をあげる京人形に、しかしアリスは返事をせず、歌声の聞こえてきた方向へと足を進めた。
主の突然の行動に首を傾げつつも、上海人形を背負ったままついて行く京人形。
だが実を言うと、アリス自身も、何故そちらへ向かう気になったのか分からなかった。
自分でも分からない何かに突き動かされるように、アリスは歩を早めて、


突然、視界が開けた。広場に出たのだ。


上空から見れば分かるが、魔法の森にも所々に開けた場所が存在し、そこは薬草の宝庫である。当然魔理沙やアリスもその場所をあらかた知っており、アリス達が足を踏み入れたのは、その中の一つだった。
だが、目に飛び込んできたのは、見慣れた光景とは明らかに違うものだった。



満月の光が、まるでこの場だけに降り注いでいるかのように、煌々と地面を照らしている。

地面に生えた植物すべてが、その光を反射しているかのように光り輝いており、

季節外れの蛍が舞うように、薬草の種子らしき光の点が、地から天へと昇り、



そんな、幻想的な光景の中に、その少女は佇んでいた。



幼さの残る顔立ちから判断して、霊夢達と同い年か少し上、身長はアリスと同じくらいだろうか。フリルのあしらわれた青色のワンピースを着ており、胸元には赤色のリボンをアクセサリーとしてつけてある。両手両足は掴めばすぐ折れそうなほど細く、しかもよくよく見ると裸足だった。
不思議なことに、薬草が生い茂っているとは言え、地面を歩いて傷だらけになっていてもおかしくない筈なのに、その白い肌には傷一つついていない。
しかし、他の何よりもアリスと京人形の目を引いたのは、腰まで伸びた、絹糸を思わせるしなやかな白銀の髪だった。
月明かりに照らされて映えるその髪は、少女が歌う度に、まるで生き物のようにふわりと揺れてなびき、月明かりに反射して、銀色の光の軌跡を生み出す。
その軌跡が、天へと昇る光と重なり、幼い少女が持つ幻想的な儚さを、見る者に感じさせていた。


だがそれ以上に、アリス達を驚かせていた事実がある。

少女が、人間だということだ。


有り得ない、とアリスは小さく呟く。
この地は、人間はおろか妖怪でさえも、並大抵の力では生き残ることはできない。しかも今は満月なのだ。気の高ぶった妖怪達が跋扈しており、ただの人が入り込める可能性など、皆無。
故に、アリスが疑問に思うのももっともだった。

だというのに、目の前の少女は、アリス達が来たことにも気付かず、歌い続けている。

静かに、静かに。少しずつ浸透するかのように。



その歌声に、アリスは聞き入りながらふと、唐突にある単語を思い出した。

――――サイレンの魔女?

理由も分からず、ふとそう思うアリス。だが少女の歌声を聞いている内に、その考えに確信を抱き始めた。


その少女の歌声には、本当に、聞く者を引き寄せる魔力があるかのようだった。
だから――とアリスは思う。久しぶりだから、ではなく、本当に森が静か過ぎるのか。
本能的に引き寄せられる事を察した者達が、その歌声が聞こえない所まで逃げたからなのか。
私は、引き寄せられた哀れな獲物なのか。

「それも、一興ね」

何が可笑しかったのか、アリスはふふっ、と楽しそうに笑う。――但し、その目はまったく笑っていなかったが。
幸いと言うべきか、少女の歌声はどれほど聞いても飽きるものではない。アリスは、少女が歌い終わるまで待つことにした。

何故ここにいるのか。何故歌っているのか。――――私を誘っているのか。
それを問いただすために。





やがて、歌い終えた少女は虚空に向かって一礼し――そこで初めてアリス達がいることを知ったのか、微かに目を見開き、僅かに頬を染めた。
自身が考えていた展開と違う光景に、アリスはやや面食らう。

「あの、えっと・・・・・・」
「・・・・・・あなたは?」

歌声を聞かれたのが恥ずかしかったのか、頬を真っ赤に染めてどもる少女に、怪訝な表情で問いかけるアリス。だがすぐに、少し冷たい物言いだったかもしれない、と思いなおし、

「綺麗な歌声ね」

微笑んで言うと、少女は頬を染めたままぺこり、と一礼した。
割と素直な性格らしい。礼儀正しいその行動にはわざとらしさがまったくなく、好感が持てた。
当初感じていた印象を少し改めつつ、アリスは再度語りかけた。

「ここは、人には危険な場所よ。どうやってここまで来れたのかは知らないけど、はやく帰りなさい」

普段ならば、私には関係ないとばかりに対応するし、聞きたいことがあった筈なのだが、綺麗な唄が聞けたせいか、それとも気が抜けたせいなのだろうか。聞こうと思っていたことも忘れ、珍しく親切に忠告するアリス。
最も、忠告するだけして送ろうとしないあたり、あながち親切とも言えないのだが。


ところが、アリスの言葉に少女はきょとん、とした後、恥ずかしそうに頬を染めて、

「あの・・・・・・実は、帰り道が分からないんです」
「――――は?」

その言葉に、アリスはこの上なく間抜けな声をあげた。








アリスと少女が邂逅した、丁度その頃。
博麗神社の境内では、まさしく『兵どもが夢の跡』という言葉がぴったりの光景が繰り広げられていた。


ようやく静けさを取り戻した境内だったが、惨状は目を覆わんばかりのものだった。まず、整然と並べられていた石畳に不自然に開いた大きなクレーターを始め、辺りには空になった酒瓶が放り投げられており、その光景は、散らかるという度合いを遥かに超えている。歴代の巫女が見れば卒倒しそうだ。
そんな中で、お月見をしていたほとんど全員が地面に倒れこみ、赤ら顔で眠りこけていた。
橙は鈴仙の腹を枕代わりに眠っており、時折寝言で「鰹節もう食べれない・・・・・・」等と呟き、口から涎をたらしながら満面の笑みを浮かべていた。ちなみに枕にされている鈴仙はというと、顔をしかめてうなされており「師匠、重い・・・・・」という寝言から察するに、恐らく重しを乗せられている夢でも見ているのだろう。本人が起きていたら殴られかねない寝言ではあったが。
輝夜は永琳の膝に頭を乗せ、膝枕の状態ですやすやと寝息を立てており、地面に横たわるという行為でありながらも上品そうな印象を辛うじて保っている。永琳はというと、輝夜を膝に乗せた状態――つまり座ったままの状態で眠っていた。
そこから少し離れた場所では、霊夢と魔理沙は並んで寝転がり、実に幸せそうな寝顔を浮かべている。
何故か額に絆創膏を張った紫はそんな二人を膝枕し、髪を梳いたりしながら微笑んでおり、藍はその側に控え、周囲の惨状を眺めてそっとため息を漏らしていた。

「・・・・・・後片付けが大変そうですね」
「あなたがやるわけじゃないでしょう?」
「巫女は必ず紫様に「片付けろ」と言うはずです。どうせ巡り巡って、私がやる羽目になるんでしょう?」
「ご名答」

藍は深いため息と共にうなだれ、紫はそれを可笑しそうに笑いながら眺めている。

「大丈夫よ。言うからには、霊夢も掃除はするでしょうし」

その言葉に、藍は当然だと言わんばかりに頷いて答えた。

「当たり前です、一人でやれと言われたら全力で拒否しますよ。――ところで、もう一人いたはずですが?」
「ああ、あの子ね。確かアリス、と言ったかしら」

鈴仙と主の愚痴り合いをしていた藍には、アリスがいつ立ち去ったのか分からなかったらしい。
首をひねる藍に、紫は霊夢の頬を軽くなぞりながら、さも当然のように答えた。

「あの子なら帰ったわよ」
「・・・・・・いつの間に?」
「あなたが、鈴仙と一緒に私と彼女達の愚痴を言ってた時あたりね」
「・・・・・・」

へべれけに酔っ払って霊夢と戯れているからバレてないと思いきや、しっかり聞こえていたらしい。藍は額に冷や汗を浮かべ、待ち受けるであろう罰に備えて、無意識の内に身構えた。
だが、紫はそれ以上何も言わず、霊夢と魔理沙に視線を戻し、その髪をゆっくりと梳く。
その動作が、藍にとっては逆に怖かった。

「・・・・・・紫様?」

思わず如何の声をあげた藍に、紫は人差し指を口にあて「静かに」と返す。
押し黙った藍に、紫は満足そうに頷くと、魔理沙の頬に手を添え、目を細めてなぞる。
藍は、じっと紫の言葉を待った。

やがて、ひとしきり魔理沙の頬をなぞっていた紫がその手を止め、頭上の満月を眺めながら、ぽつり、と呟き始めた。

「――今宵は、本物の満月が照らす夜」

それは、藍に対して言った言葉ではなかったが、独白とも違っていた。

同じ方向へ視線を向ける藍だが、当然ながら、そこには満月しか見えない。
だが、紫はじっと満月を眺め続けている。まるで返事を待つかのように。
その様子に、藍は奇妙な違和感を覚えた。

――――まるで、紫の視線の先に、彼女にしか見えない誰かがいて、その者に話しかけているような――――

困惑の表情を浮かべる藍をよそに、紫は言葉を紡ぐ。

「あらゆる境界が曖昧となり、あらゆる結界がより強固なものとなる夜。曖昧さは固定され、固定された曖昧さはあらゆるモノに影響を及ぼす。生は死へ、死は生へ。夢は現となり、現は夢へと変わる。交わらぬ筈の交点をも交わらせながら」
「・・・・・・」
「巡り巡る輪廻の輪から外れし者よ。何故、あなたを想う人の前ではなく、あの子の前に現れたの?」
「紫様?」
「心残りがあるの?語りたいことがあるの?どうしてもそうしなければならなかった?――いいえ、違うわね。あなたはただそこにいただけ。満月の光に誘われ、現れただけの存在。心残りも語りたいこともなく、ただ唄を歌いたかっただけでしょう?」
「・・・・・・」
「未練を抱えた者は輪廻の輪より外れる。外れた魂が安息を得ることはない・・・・・・けれど今宵は満月、何が起ころうとも不思議ではない。あなたが思い描く唄を、あの子の前で、存分に歌いなさい」



「あの子を夢境へと誘う子守唄を」












その数分後。場所は、魔法の森の中に建つ、アリスの家の中。
いつも通り、窓際の椅子に座り、使い魔が淹れた紅茶を飲むアリス。この家の主なのだから堂々としているのは当たり前なのだが、いつもなら何かしらの感情を浮かべているその顔には、何の感情も浮かんでいなかった。
ただ静かに、向かい側に座り、出された紅茶を前に縮こまっている少女を眺めている。

「すみません、ご親切にしていただいて・・・・・・ありがとうございます」
「招いたのはこっちだから、あなたは気にしなくていいわ。ついでに言えば、私じゃなくて京が招いたんだから、あの子にお礼を言いなさい」

どこかぎこちない微笑みを浮かべてお礼を言う少女に、アリスはことさら無表情で突き放すように――本人に自覚はないのだが――少女に言った。
ちなみにその京人形はというと、上海人形を寝かせるため、数分前に席を外している。
だが、もし仮にこの場に京人形がいれば「私が招いても、決める権利があるのはご主人様です」と返すだろう。事実、招いたのは京人形だが、それを承諾したのはアリスであり、少女は礼を言う相手を間違えていない。
間違えてはいないのだが、ますます萎縮する少女に、アリスはため息を漏らした。

――――少し、大人気なかったかしら。

最初に感じた印象を大分改めつつ、アリスは苦笑を浮かべた。

滅多に人と話すこともなく、例えあったとしても、一癖も二癖もある者達としか経験のないアリスにとって、目の前の少女はあらゆる意味で難敵であり、また新鮮だった。
だが、アリスがそう感じたのも無理はない。幻想郷は肉体的、精神的にもある程度強くなければ生きていけない。良くも悪くも、弱肉強食なのだ。そのため、ここまで殊勝で気弱な性格の者はほとんどいない。勿論いないわけではないだろうが、他に比べて圧倒的に少ないことだけは確かだ。
故に、アリスが少女のようなタイプの人間を見たことがないのももっともだった。


だが、その点がアリスには引っかかっていた。
何の力も持たない――もしあったとしても、唄を歌う程度の能力なのだろうが――目の前の気弱な少女が、何故魔法の森の中にいたのか。無茶というより無謀極まりないその行為をする人物にはとても見えない。
それに満月の晩、どうやってそこまで無事にたどり着くことができたのか。普通の夜でさえもただの人間には危ない場所だというのに、特に今夜は久々の満月、否が応でも、妖怪達も気が高ぶっている。魔法の森はその巣窟といっても決して言いすぎではなく、目の前の少女は、まさしく餌場に飛び込んだ哀れな獲物でしかない筈なのに。


それに何故、わざわざあの場所で歌っていたのか。


アリスは縮こまっている少女を目の前に、しばらくの間考え込んでいたが、直接聞いた方が早いと判断した。
カップを置き、こほん、と咳払いの後、萎縮している少女に問いかけた。

「ところであなた、何であんなところにいたの?人が容易に入り込める場所じゃないのに」

アリスの問いに、少女はうーん、とひとしきり考え込むと、

「・・・・・・分かりません」
「・・・・・・」

アリスの目が、自然と鋭く細められた。
痛い沈黙と視線。
それに耐えかねたのか、少女は目尻に微かな涙を浮かべて必死に弁明し始めた。

「ほ、本当に分からないんですよ。目が覚める前は、ずっと夢の中にいるような気分で・・・・・・気がついたらあの場にいたんです」
「悪いけれど、俄かに信じがたい言葉ね。夢遊病だとしても説明できるものじゃないわ」
「あぅ・・・・・・」
「・・・・・・もしかして、自分の家も分からないとか言うんじゃないでしょうね?」

呆れたようなアリスの言葉に、少女は慌てて首を振り、必死の面持ちで否定した。

「それは覚えてます!どこにあるかも分かります。けど・・・・・・」
「けど?」

胡乱げに眉根を寄せたアリスに、少女は笑ってみせた。
郷愁と悲哀の混ざり合った、寂しそうな笑みを浮かべて、少女はぽつり、と、呟くように言う。

「・・・・・・もう、戻れないんです」
「?」
「あそこに、私は、戻ってはいけないんです」

言葉の意味が判らず、ますます眉根を寄せるアリス。
おとなしそうな人物は、思いに思いつめた時、周囲をあっと驚かせる行動をとることがある。少女もその例に漏れず、家出か何かをしでかして飛び出してきたのだろうか。
寂しげな微笑みを浮かべる少女を眺めながら、アリスは少しだけ目を細めた。

――――違うわね、恐らく。あの微笑みは、そんな類のものじゃない。本当に帰れない・・・・・・帰る場所がないのかしら。

漠然とした考えだったが、何故かそれが正しいような気がしてならなかった。
そのせいか――気がついた時、自身でも思わぬ言葉を発していた。

「仕方がないわね。今日はここで泊まりなさい」

苦笑が浮べつつ告げられた言葉に、少女は目を見開いて白黒させていた。まさかそう言われるとは思ってもいなかったのだろう。もっとも、アリス自身も内心では驚いているのだが、一度言ってしまったことを取り消すことはできない。
こめかみを押さえながら、ため息混じりに言う。

「こんな夜更けに出て行けなんて言うほど非人道的じゃないわよ・・・・・・人間じゃないけど」
「・・・・・・ありがとうございます」

深々と頭を下げる少女に、戸惑いの表情を浮かべるアリス。お礼を言われること自体に慣れておらず、耐性ができていないらしい。まあ、周囲の人間達のことを考えれば、無理もない話だが。

「そうと決まれば、用意しないといけないわね」

こほん、と気を取り直すように咳払いをして、手をぱん、と叩いた。
決して響き渡るような音ではない。ただ叩いただけに見えるその動作は、しかし見た目とは裏腹に、何らかの作用があったのだろう。
その証拠に、アリスが手を叩いてから数秒後、部屋のドアが静かに開かれ、

「――お呼びしましたか?ご主人様」

ひょっこりと京人形が顔を覗かせた。既に自身も寝る準備をしていたのか、質素な藍染めの浴衣を着ている。
それを見て、丁度いいわ、とアリスは微笑んだ。

「この子の分も寝る場所を用意してもらえないかしら?寝巻きは――多分、私のが合うでしょう」
「畏まりました。ですが」
「うん?」
「どこに用意すればよろしいでしょうか?空き部屋はありませんが・・・・・・」
「・・・・・・あー・・・・・・」
「ご主人様」

初めてそれを思い出した、といった具合の気の抜けた声をあげたアリスに、京人形は軽く息を吐いた。
その声に呆れ等の感情はこめられておらず、ただ単に息を吐いただけなのだが、アリスは微かに頬を染め、気恥ずかしさからかそっぽを向いた。
そんな主人を見て、京人形はそっと微笑んだ。これではまるっきり立場が逆なのだが。

「・・・・・・そうね、寝心地が悪いかもしれないけど、ソファを二つ並べて置けば、ベッドの代わりにはなるでしょう」

そっぽを向いたまま告げる。辛うじて主としての面目を保つ発言に、京人形は微笑んだまま頷いた。

「畏まりました。では早速――」
「あの、アリスさんに、京さん」

躊躇いがちに呼びかけられ、アリスと京人形は少女の方へと視線を向け、ほぼ同時に目を見張った。
アリス達の視線の先では、少女が紅茶のカップを手に、嬉しそうに微笑んでいたのだ。
それは控えめだったが、見ている者達も釣られて微笑みそうになる笑顔に、アリスは見入りながら「こんな笑顔もできるものね」と考えていた。アリスの横では京人形も、少女の笑顔を見つめていた。
少女は微笑んだまま「お礼です」と呟き、席を立った。

アリスと京人形が見つめる中、少女は礼儀正しく一礼し、胸に手を添えて――唄を、歌い始めた。


――綺麗な声で、どこまでも響き渡る唄を。


――その歌声は、アリス達の心の中に、静かに、静かに浸透する。


――けれどそれは、森でアリスが聞いた唄とは違っていて。


――その言葉と音色に込められ、感じるのは、優しさと安息。




――――そう、それはまるで――――




「・・・・・・?」

少女の唄を聞いていたアリスは、閉じかけていた目をこすった。
おかしい。つい先ほどまで何とも感じなかった筈なのに、今はどうしようもなく睡魔が襲ってきている。
隣に浮かんでいた筈の京人形は、いつの間にかアリスの肩に座り、既にうつら、うつらとしていた。


――――まるで、眠りに誘う子守唄のようなな・・・・・・


「・・・・・・だからこんなにも・・・・・・?」

睡魔に耐え切れなくなったのか、アリスの意識はそこで途絶えた。










「―――じ――ま」

――――?

「ご―――ん――」

――――だれ?

「―しゅじ――」

――――ああ、この声は、確か、京?

「ご主人様」

――――何よ、もう。折角人が気持ちよく眠っているのに。

「起きてください、ご主人様」

――――しょうがないわね、もう。


そしてアリスはゆっくりと目を開けて


「・・・・・・・・・・・・え?」


視界一杯に広がった光景に、思わず素っ頓狂な声をあげた。

目覚めたアリスが予想していたのは、いつも見慣れた、あまり飾り付けのされていない白塗りの天井だった。
だが目の前に広がっている天井は、それとは対極――目も眩む程に光り輝くシャンデリアが等間隔に吊るされており、その間からは、色とりどりの鮮やかかつ多彩な模様が描かれているのが見える。
しかも、とにかく高い。正確には分からなかったが、恐らくアリスの二人分でも届かないだろう。
随分と無駄が多いわね、とアリスは内心呟き、上半身を起こした。京人形は真横に座っていたらしく、心配そうな表情を浮かべて主を見上げている。

「私は大丈夫よ」

視線に気付き、そう答えたアリスに、京人形はほっ、と息をついた。
そんな京人形に微笑み、改めて、アリスは周囲を見渡してみた。
どうやら豪華なのは天井だけではないようだ。アリス達がいるのは廊下のようだが、とにかく広く、長い。壁には天井と同じような模様が描かれており、金でできているであろう燭台が等間隔に、遥か向こうの曲がり角までずっと続いている。その間を縫うようにして絵画とドアが交互に並んでおり、それを見るに、この廊下だけでも、部屋数は十以上あった。
奉公人の職務怠慢なのかどうか分からなかったが、よくよく見れば、廊下の隅のほうが薄汚れている。それでも全体を見れば、綺麗であることに間違いはない。
まさしく豪邸。魔理沙に連れられて訪れたことのある紅魔館も似たような光景が広がっていたが、あの場所とは違い、アリスは何か違和感を覚えていた。

「おかしいわね」

眉根を寄せて呟く。最初は漠然とした違和感だったが、すぐにその理由が分かった。

――――何故、人がいないの?

人の気配が、まったくないのだ。これ程大きな屋敷だというのに、明らかにおかしい。
人がいなくなってすぐの屋敷かとも思ったが、それも違う。人が生活していると、必ずその匂いがある程度残る筈なのに、それがまったくない。それは、人がいなくなって久しいことを示す。
だがそれにしては、綺麗さが目立ちすぎる。

「まるで、ここだけ時が止められているようね」

最も有り得ないような気がしたが、同時に最も納得できる答えのような気もした。時を止めるメイドがいるくらいなのだから、似たような力を持つ者がいてもおかしくはないだろう。
その辺にそうそう居られても、それはそれで困りものだが。

「時間の巡りから取り残された館。じゃあ、その住人はどこにいるのかしら?」
「館と同じく、時間を止められている。そう考えるのが妥当だと思ったのですが・・・・・・」
「何か気付いたの?」
「はい」

アリスの問いに京人形は頷き、何でもないことのようにさらりと言った。

「人の声が聞こえました」
「え?」
「廊下のずっと先からだと思いますが・・・・・・近づいてみないと、具体的には何も」
「私には何も聞こえないわよ?」

耳をそばだて、しかし何も聞こえなかったのか、首をかしげるアリスに、京人形は苦笑を浮かべて答えた。

「無理もありません、私にも、本当に微かに聞こえる程度ですから」
「とりあえず、声が聞こえるってことは、人がいるってことね。会ってみましょう。京、案内を」
「畏まりました」

京人形は宙を飛び、アリスはその後を歩いて追う。
だがこの時、アリス達はもう一つの違和感に気付かなかった。

――足音が、まったくしないことに。






アリスと京人形は、廊下に並んでいた扉よりも一回り小さな、こじんまりとした扉の前で立ち止まった。

「ここ?」
「はい。この中からです」

頷く京人形。
確かに京人形が言った通り、扉の向こうから、人の話し声が聞こえてくる。途切れ途切れの会話だったが、声色の違いから、少なくとも四人いる。
小さい声だったので内容までは聞き取れなかったが、雰囲気から察するに、あまり楽しい話題ではなさそうだ。だが、アリスは躊躇いなく手を伸ばし、扉をノックしようとして

――その手が、扉をすり抜けた。

「「は?」」

人はあり得ない事態を目の前にした時、これほどまでに素っ頓狂な声をあげるのだろうか。どちらも人ではないが。
手が扉をすり抜けているという光景に、アリスどころか京人形さえも呆気にとられた表情を浮かべていた。何が起こったのか、咄嗟に理解できなかったのだろう。
呆然とした面持ちのまま、アリスはすり抜けた手を戻し、感覚を確かめるかのように、握ったり開いたりを繰り返す。そして今度は掌を広げたまま、扉に触れようとした。
再びすり抜ける光景を目の当たりにして、アリスは納得したような表情を浮かべ、ふぅん、と鼻を鳴らした。

「成る程ね。京、よく『視て』みなさい。この扉は――いえ、この屋敷全体は人の目で見ると実在しているように見えるけれど、幻視を使って『視る』と、立体的に透き通って見えるわ。・・・・・・目の前の部屋だけは、何故か『視え』ないけれど」
「上海程上手ではありませんが・・・・・・確かに。これは幻ですか?」
「幻みたいだけど、正確には違うでしょうね。床がその証拠よ。透き通っている場所が幻だと言うのなら、何故私は立っていられるのかしらね?」

すべてが幻だというのなら、アリスが立っている床も幻の筈だ。事実アリス達が『視る』と、床も透き通って見える。
ならば何故、何の力も使っていない筈のアリスが、幻の上に立っていられるのか。
幻は、決して掴めず触ることもできないからこそ、幻だというのに。

――それとも、これは幻ではないのだろうか。

「ま、とりあえず部屋の中に入りましょうか。何か分かるかもしれないわね」
「はい」

原理は分からないが、手がすり抜けるトリックは分かった。そうなれば恐れることも驚くこともない。
アリスと京人形は躊躇いなく扉をすり抜け、中へと入っていった。





こじんまりとした部屋の中には、ベッドと椅子以外、何もなかった。そのベッドには一人の少女が寝ており、その周りを囲むように、三人の少女が浮かんでいた。
三人はそれぞれ黒、白、赤と、色違いだが同じ服を着ており、黒の服を着た少女は癖のない金髪のショートで細目、ヴァイオリンを自身の前に浮かべている。白い服を着た少女は癖のついた白銀の髪で大きな瞳が目立ち、トランペットを、黒い服の少女と同じように浮かべており、最後に、赤い服を着た少女は、知的な光を帯びた瞳に栗色のふわふわとした髪で、キーボードを浮かべていた。
三人とも、その表情には僅かな翳りが見え隠れしている。

そして、そんな彼女たちの姿に、アリスは見覚えがあった。
浮かんでいるのは、騒霊と呼ばれる姉妹。黒い服はルナサ・プリズムリバー。白い服はメルラン・プリズムリバー。赤い服はリリカ・プリズムリバーと言ったはずだ。過去に一度、春の騒動の際に見かけたことがあるだけの間柄だったが、色々な意味で印象深かったので、今でも鮮明に覚えている。
そして、ベッドで寝ている少女も見覚えがあった。
痩せこけ、時折辛そうに咳きをするその姿に、最初はそれが彼女だと気付かなかった。何とか気付けたのは、毛布の中に隠れる程長い白銀の髪と、浮かべる微笑みが印象に残っていたからだ。

――魔法の森で出会った、唄を歌っていた少女。

何があったのだろうか。アリスは呆然と、ベッドに寝転ぶ少女を眺めた。
森で出会った時も、自分の力で立っているのが不思議な程に体の線は細く、少し力を入れるだけで折れそうだった。だが今の少女の姿は「痩せている」という領域を遥かに超えている。毛布から出された手は、木の枝と見間違う程に細く、触るだけで折れそうな印象を与えた。
顔も痩せこけており、微笑みを浮かべるその姿が――本人は本当に嬉しそうに微笑んでいるというのに――逆に痛々しかった。

「――姉さん」

ようようと、少女が口を開く。ただ話しかけるだけの仕草に、そのすべての力を注ぐように。

「しゃべっちゃ駄目よ。無理したら、何時まで経っても病気が治らないじゃない」

ルナサの言葉に、しかし少女は緩慢な動きで首を振った。
メルランとリリカは何も言わない。ただじっと、少女とルナサを見守っている。
少女は、ふふっ、と笑って言う。

「ねえ、姉さん。また、お唄を、歌いたい・・・・・・」
「でも」
「お願い、姉さん・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

長い、長い沈黙。その間に、ルナサは何を思ったのか。


少女は分かっていたのだろう。この病気が治らないことを。そして、死ぬ時が近いことを。

だからこそ、ルナサは何も言えない――言えるわけがない。本当に死ぬしかない人に対して、かける言葉などないのだ。

少女の望みを叶えてやること以外、何ができるというのか。

分かっている筈なのに、ルナサは拳をきつく握り締め、ただただ、立ち尽くしていた。


アリス達が見守る中――やがて、ルナサは意を決したのか、ヴァイオリンを目の前に浮かべ、手を使うことなく弾き始めた。それに合わせるかのように、メルランとリリカがトランペットとキーボードを目の前に呼びよせ、同じく演奏を始める。

騒がしいことを好む彼女達らしくない、優しく静かな、穏やかな水面を思わせる音楽。
それに合わせて、少女が唄を歌い始めた。アリス達が部屋で聞いたのと同じ、子守唄のような唄を、ゆっくりと、ゆっくりと、


紡ぐように


語るように


囁くように



まるで、消え去る蝋燭の最期のともし火のように、少女は歌う。



唄を聴きながら、アリスは思う。
恐らくこの唄が終わる時が、少女が死ぬ時なのだろう、と。
漠然とした予感だったが、何故かそう確信がもてた。

そして、それは正しかった。


少女の歌声が、少しずつ緩慢になっていく。
それでも、ルナサ達は演奏を続ける。泣き笑いの表情を浮かべたまま、それでも弾き続ける。吹き続ける。弾き続ける。
何かに憑りつかれたかのように。

そして、少女の歌声が止み、演奏が終わった時、




――少女が手を伸ばし、一番近くにいたルナサの頬に触れた。




――目を見開くルナサに、少女はとても優しげな微笑みを浮かべて、




――少女の口が動き、聞こえない程小さな声で、ルナサに何かを告げて、





――――とさり、と、軽い音が部屋に響き、




「――――レイラ!!」

三人の内誰かの、泣き声とも叫び声ともとれる声が、響いて

それと同時に、アリスの意識は遠のき――――・・・・・・・・・











「・・・・・・うーん・・・・・・」

窓から差し込む朝日があまりにも眩しかったのか、アリスは手で光を遮り、ゆっくりと目を開けた。
机に突っ伏したまま眠ってしまっていたらしい。肩が凝ったのか、とんとん、と叩きながら、ぽつりと呟く。

「・・・・・・夢?」

今でも鮮明に覚えている光景。透き通る大きな館、騒霊三姉妹、そしてレイラと呼ばれた少女が歌い――糸の切れた人形のように、動かなくなる光景。
そこまで思い出して、はっとしたように顔を上げる。

「そうだ、あの子は――――っ!?」

だがアリスが見上げた先――向かい側に居た筈の少女の姿は、どこにもなかった。
まるで幻のように消え去った少女に、アリスは思わず目を白黒させた。

――――もしかして、彼女自身が幻だったの?

ふと、そんな考えがよぎり、アリスは周りを見渡した。
後ろに置かれた、人形達を並べた棚。いつも自分が座っている、窓際に置かれた椅子と机。机の上で、座ったままの姿勢で眠っている京人形。
そして、机の上に置かれた、二つのティーカップと一枚の紙。

――――二つのティーカップと、一枚の紙?

その部分に、アリスは違和感を覚えた。
アリスの目の前に置かれたティーカップ。その向かい側に、もう一つカップが置かれていた。――そう、少女のために淹れた紅茶である。その元に、一枚の紙が置かれていたのだ。
眉根を寄せ、アリスはその紙を手に取り、文章に目を通して――言葉を失った。




『お茶のお礼は、この程度のことしかできませんが、満足してもらえたでしょうか。

レイラ・プリズムリバー』




「――――あの子は、夢ではなかった?あの光景は・・・・・・あの子の昔の記憶を、私が夢として見ていた?・・・・・・けれどあれは・・・・・・それにしては、鮮明すぎたような――――」

信じられない、といった面持ちで、感じた違和感を呟きかけたアリスだったが、すぐに首を振った。

「まっ、いいか。それが夢か幻であっても、私が体験したと思っているなら、覚えているなら・・・・・・それが現実だったと認識しても」


何せ、昨日は満月だったのだから。

満月の晩は、説明できない不思議なことが起こってもおかしくないのだから。


そう思い、アリスはそれ以上考えるのを止めた。
冷えきった紅茶を手に、アリスは朝日差し込む窓の外を眺め、微笑んで呟いた。

「紅茶のお礼にしては、十分過ぎるわよ、レイラ」












――――どこかで、少女が、微笑んだ気がした。





・・・・・・Next Phantasm

初めましての方は初めまして。そしてこんにちは、一ヶ月以上後無沙汰してた楓です。
久しぶりにきて最初にびっくりしたのが、作品集が次に移っていたことと、良作が多く投稿されていたことです。
前者はプチ浦島太郎気分。後者は「うーん、レベル高くなって気後れするなぁー」と思ったのですが、前々から考えていた物語、とにかく書き終えようと思った次第。けれど未だに迷っているのも事実(何に

さて、何故ここまで書くのが遅くなったのかというと、仕事、私事共に忙しくて書く暇がなかっただけという(笑
つい最近、ようやく(ある程度)落ち着いてきたので書く暇ができた・・・・・・といった具合です。本当にようやく二幕目が書けました。



今回のお話は、本物の満月が戻った時のもの。結界組のエンディングをベースにしています。
レイラとアリスを絡ませようと思ったのは、ほんの思いつきから。そこから少しずつ話を広げていって、今回のような形になりました。
レイラの容姿が分からなかったので、かなり適当なことに・・・・・・(汗
本当のところ、どんな容姿なんでしょう?

それと、何故中盤から後半にかけて上海人形ではなく京人形なのかというと、個人的な好みですが、アリスの弾幕の中では蓬莱、上海を差し置いて一番好きだからです。
何度見ても飽きることなく、色とりどりの鮮やかな弾幕美に酔いしれて挑み続け、返り討ちされた事数え切れず(笑
なかなか抜けられない、だけど挑みたい。そんな気にさせてくれる弾幕でした。
むしろ、何故京人形がSSに出てこないのか不思議に思っていたくらいなんですよね。確か、アリスの弾幕の中では二番目の人気だった筈。なのに、京人形の描写が少ないこと少ないこと。
まあそれを言えば、上海、蓬莱以外の他の人形達にも当てはまるんですが・・・・・・よって(?)京人形を書こうと決めました。容姿はやっぱり適当ですが(汗





ここからは余談。本当に余談。別名懺悔と言い訳。

プロットきちんとまとめた筈なのに、書いている内に長くなってしまいましたorz
最初はもっと短くするつもりだったんですけどね・・・・・・書いていると長くなりがちなのが僕の癖らしく。

今考えている残りの物語・・・・・・この分だとどうなることか(汗


それと、次の三幕あたりから色々と飛びます。
何が飛んでいるかは、三幕、四幕あたりで明らかになる予定。予定は未定とも(ぉ
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コメント



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5.60七死削除
前作出だしの感じからオムニバス形式の幻葬短編集を想像していたのですが、これはアリスが主役の長編・・・になるのでしょうか?

後書きを読む辺り、また次回は毛並みがまた変わるとの事ですが、このネクロファンタジァを静かに紡ぐ物語。 こんどはだれ葬送話になるのかを、楽しみに待たせて頂きます。