「ああ、もうこんな時間。私はもう帰りますね」
「いつものことながら、あんたは忙しいわね――まあ、また来なさい」
「はい。ありがとうございます」
また来なさい。そう言われることはとても嬉しかった。
霊夢さんは引き止める言葉こそ言わないものの、帰る時にはそんな言葉を言ってくれたから。
また来てもいいのだと、私はここに来る言い訳を探すことができたのだ。
◆
「上機嫌だね」
神社に帰って来て、おゆはんを作っていると諏訪子様に話し掛けられた。
つまみ食いをしようとする手をやんわりと諌めながらそんなことないですよ、と返す。
諏訪子様がきょとん、と無防備な子供みたいな表情をした。
「あるけど? んー……ああ、ないのか。いつも、そうだから」
「いつも?」
博麗神社に行った後はいつもそう――つぶやかれた言葉に思考が固まる。
その隙にひょい、と伸びてくる手。あ、と声を出す前に諏訪子様は一歩後ろに飛んだ。
「諏訪子様」
咎めるように名前を呼ぶと、へにゃりとした笑みを浮かべられる。
「へへー。早苗のご飯も、いつも、おいしいね」
「諏訪子様」
「縁側で、ご飯待ってるから」
まったく、何がしたいのか。
諏訪子様の考えていることは、私にはよく分からない。
分からないけれど、言いたいことは掴めるところにある気がした。
きっと、それは驚くほどに単純で、呆れるほどに簡単な答えだったのだろう。
きっと――私はその複雑で、難解な答えを知ることを望んでいなかったのだ。
◆
近頃の私はおかしい。
なにしろ、おかしいところが分からない。
「明日は、行ってもいいのかな」
博麗神社に行こうか考えることが多くなっていて、気付けば、
行こうかな、からどんな理由で行くのか、に切り替わっている。
行きたいなら素直に行けばいいと自分でも思う。
理由なんかなくても、霊夢さんはいつも通りに迎えてくれるだろう。
そういう人だ。そういう人だからこそ、何度でも行きたくなる。
けれど、理由無しに行くのもどうか、という自分もいて、そんな言い訳を用意しているのだ。
「ああ、明日は紅茶を差し入れてみよう」
考えを適当に巡らせて、ぴんときたそれを声に出す。
私も霊夢さんも緑茶党だけれど、たまには違ったことをしてもいいだろう。
文句を言うだろう霊夢さんを想像して、頬が緩んだ。
◆
「あら、いらっしゃい。何しに来たのよ」
最近は珍しい客だと言われることもなくなって、そう聞かれるのがお約束になっていた。
手元の荷物を見つめられて、それを持ち上げながら苦笑する。
「今日は紅茶の差し入れに来ました」
「紅茶? どうせなら緑茶がよかったのに」
想像通りな反応に、今度は苦くはない笑みを浮かべる。
何よ、と眉をしかめる霊夢さんに袋の中身を取り出して見せた。
「紅茶に合うお菓子付きです」
「むー……なら、いっか。早苗が煎れてよ」
そう言うのも予測済みだ。
はいはい、とわざと呆れたように言ってみせると、霊夢さんが言葉を付け足す。
「紅茶は分からないし。台所にはティーセットもあるから」
誰が持ってきたのかは知らないけどね、と付け足してお菓子の箱を眺めている。
お茶を煎れるのも私の役目になっているけれど、そこは言わないのもお約束。
そんなことより早く煎れてきてあげるべきだろう。お腹が空いているみたいだから。
「はい、どうぞ」
煎れてきた紅茶を渡す。ありがと、と言いながら霊夢さんは紅茶を口にした。
ドキドキしながら味はどうですかと訊ねてみる。
「咲夜とかに比べると、あれね」
「……紅茶はあまり飲まないんですよ」
率直な意見は嬉しいけれど、本業と比べるのはどうかと思う。ちょっぴり凹むなあ。
「でも、」
その言葉に顔を上げる。
照れたように頬を赤くして、微笑む霊夢さんが見えた。
「私は好きよ。この味」
その表情に、その言葉に、私は、言うべきことを見失ってしまった。
「――そう、ですか」
「うん。差し入れありがと」
どういたしましてなんて軽い言葉も言えなくて。
私も顔を赤くして、頷くことしかできなかった。
二人して黙り込む。うう、なんだろうこの空気。
口にしたお菓子が甘い。今度は霊夢さんの要望通り渋すぎるお茶を持ってこよう。
「ねえ、早苗」
「はい?」
ちょっとした反省をしていると霊夢さんが控え目に私の名前を呼んだ。
こうして、意味ありげに話し掛けられるのは珍しい。
なんだろうと顔を向けるとあー、と困ったように頬をかく。
「今度はいつ来る?」
甘ったるかったお菓子の味すら飛んでいきそうな衝撃。
霊夢さんは目線をあちらこちらにさ迷わせて、らしくないわよねえ、と独り言ちた。
「あんた、理由ないと来ないし。来る回数自体は多くなってるんだけど」
「そうですかね」
混乱した頭を空回りさせながら、とぼけてみる。
理由がないと来ないというのはあってるけれど間違いだと思う。
差し入れなんて、理由にもならない言い訳だから。
「そうなのよ。だから、約束」
約束? 言葉を頭の中で噛み締めつつ、オウム返し。
意外だ。霊夢さんは人と約束をする人ではないと思ってたから。
道端でばったり会うくらいの、それくらいの距離が好きなんじゃないか、と。
なんだか緊張してるのか怒っているのか分からない顔で、霊夢さんはさ迷わせていた視線を私に向ける。
「明日の夜にでも来なさい。二人酒でも飲みましょう」
「はあ。……はあ?」
いきなりとんでもないことを言われた気がする。
夜ということは暗くて、二人酒ということは二人きり。当たり前。
何を言ってるんだろう。この人は。
「……異物を見る目ね。どうせ変なこと言ったわよ」
「あ、いえ、そうじゃなくて、混乱してるんですよ」
どうしてそうなったのかとか。
私は何かしたのだろうかとか。
最近は諏訪子様も暗躍はしていないようだし、
特に怒られるようなことはしていなかったはずなのだけれど。
「他意はないわよ」
「え、そうなんですか」
じゃあ、なんだろう。
霊夢さんの考えは読める気がしない。
……私の周りはよく分からない人ばっかりだなあ。
「うーん、まあ、あれよ。あんた、酒飲まないじゃない」
「お酒は不得手なんですよ」
こっちに来るまで、飲んだこともなかったのだし。
幻想郷の人達に合わせろというのも酷な話ではないかと。
「宴会なんかでも、神様の相手ばっかだし。そもそもこっちの宴会はあんまり来ないし」
「それは、当然でしょう」
風祝だし。神様に仕える存在なのだ。
ほっぽらかして遊ぶなんてできない。
こっちの宴会に来るのだって、お二方が来たがった時だけだ。
霊夢さんがため息を吐く。心底呆れたような表情をされてしまった。
「だから、約束」
「どうして、だからに繋がるのか分からないんですが」
「…………」
そんな面倒臭い人を見るような目をされても。
私には霊夢さんの考えていることがまったく分からないのだ。
説明くらいは、してほしい。
言葉を探しているのか、唸る霊夢さん。
こうして悩むのを見るのは珍しいなあ。
ほほえましい気分になって、その姿を眺めていると、考えることに飽きたのか、
うがーと腕を振り上げる。
「とりあえず、酒を飲めば、全て解決するのよ」
「極論ですね」
霊夢さんが言うなら、そういうことなんだろうけれど。
目的が分からないというのは少し、不安になる。
……解決って何だろう。
「まあ、いいですけど。明日の夜ですね」
「昼から来ても、いいわよ」
「はあ」
曖昧に返して、甘すぎるお菓子を口に入れる。
今日の霊夢さんは終始そわそわしていて、何だか落ち着きがない感じだった。
◆
明日の夜は博麗神社に行ってきます。
お二方にそう伝えると、嬉しそうな顔をして行ってらっしゃいと言われてしまった。
何がそんなに嬉しいのかは分からないけれど。
お泊りセットを用意されても、困るというか。
泊まりじゃないって、何度も言ったのになあ。
普段からケンカばかりなのに、どうしてこうも息がぴったりなのか。
どうして新しい下着とかの場所を完璧に把握していたのかは、聞かないことにしよう。
◆
「いらっしゃい。早かったのね」
「いろいろありまして……」
ううう、二人でお酒を飲むだけだってちゃんと言ったのに。
少しは人の話を聞いてくれないかなあ。ああ、肩と荷物が重い。
いろいろ? と首を傾げる霊夢さん。
不思議そうな顔をされるけれど、説明が難しいので笑ってごまかしてみた。
「……ま、いいか。よーし、今日は飲むかー」
分からなければ、分からないですっぱり切り替えられるのが霊夢さんの魅力だと思う。
「ちょっと、あんた大丈夫?」
「大丈夫です」
少し呂律が回っていない気がするけれど。
景色が回っているような気がするけれど。
「そうやって主張するのが一番厄介なの」
そんなに弱いとはなあ。困ったように霊夢さんがつぶやく。
本当に大丈夫なのに。
「私だって神奈子様のお相手くらいしたことありますから」
神奈子様はそれはもう水のようにかっぱかっぱと飲まれるのだ。
それこそウワバミのように。
「あんま関係ないでしょう。ああもう。水持って来るから」
酔っ払いの面倒を見る気はないわよなんて言いながら水を持って来てくれる。
それを受け取って飲み干す。幾分か頭がさっぱりした気がした。
「霊夢さんは、なんだかんだで優しいですね」
「私はいつだって優しいわよ」
「あー、そうですね」
最後には何でも受け入れてくれるところとか。
しかめっつらをする霊夢さんはちょっぴり面白い。
飲み過ぎているせいか、霊夢さんの頬がますます赤くなっているように見えた。
「……否定、しなさい」
「する理由が見つかりません。どうしましょう」
霊夢さんはとびきりに嫌そうな顔をして、私の頬を引っ張った。
痛い、と訴えてみるけれど、ちゃんとした言葉にはならなくて。
「酔っ払いめ」
私はきっと、へにゃりとした笑みを浮かべていただろう。
酔っ払いだなんて、霊夢さんが飲ませたのに、酷いなあ。
「それで、全ては解決はしましたか?」
「まったく」
肩を竦めて首を振られる。
知らないうちにされてても困るけれど。
私には、なにがなんだか分からないのだ。
納得いかなさそうに見られても、どう反応したらいいものか。
「ええと、とりあえず、今日のところは」
何だか不穏なものを感じて立ち上がろうとする。
そろそろ帰らないと、心配されてしまうだろうし。
「ああ、もう帰るの? それじゃまた――」
来なさい、と言われかけたところでべしゃりと崩れる私。
あれー、おかしいなあ。足に力が入らないなあ。
訝しげな顔をした霊夢さんに顔を覗き込まれる。
半眼でちょっと怖い。明らかな飲み過ぎを咎めているんだろうか。
「大丈夫?」
「大丈夫、なはずです」
「泊まってく?」
「…………」
神奈子様達に帰ると言ってあるから、帰らないのは悪い気がする。
それに、それは流石に甘えすぎではないか。
「頑張って、帰ります」
「……ばか」
む、罵倒されてしまった。
どうやら今の返答はまずかったらしい。
細めていた目をますます細くして、霊夢さんは私を睨んでいる。
「泊まってきなさい」
疑問ではなく、命令で。
どこか威圧するような雰囲気に思わずはい、と答えてしまった。
「ん。よし」
霊夢さんは満足げに頷いて、私の頬を引っ張った。
さっきは酔っ払いの面倒なんてみないと言っていたくせに。
実は結構面倒見がいいんじゃないか、この人は。
「で、着替えとかどうする? 私のじゃちょっと小さいわよね」
「ちょっときついとは思いますが――あ」
お泊りセットがあった。
もしかして、神奈子様達はこれを読んで……は、ないか。
あれは完璧におもちゃを見つけた子供の目だった。
「あの大荷物に入ってるんで、心配ないみたいです」
あははー、とごまかして笑ってみる。
何かを察したのか、大変ねぇ、と言ってくれた。
「まあ、それならいいか。早苗、立てる?」
「……あー、ちょっと、無理ですね」
「それでよく頑張るなんて言えたわね」
ちょっとご立腹っぽい。またしても頬を引っ張られてしまった。
さっきから、何かアクションをするたびに頬へ攻撃するのはなぜだろう。
そろそろ本気で痛いのでやめてほしいのだけれど。
「私の頬に、何か恨みでもあるんですか」
「なんか伸びるから、つい」
だからって、こう何回もされると参ってしまう。
眉尻を下げながら申し訳なさそうに笑う霊夢さんは新鮮であったけれど、腑に落ちない。
何か、仕返しはないものか――
そう思った瞬間、私の唇は霊夢さんの頬に触れていた。
きっと、これは、俗にいう酒の勢いというものだろう。
思考はこんなに澄んでいて、何も問題ないのになあ。
頭の中に描いたことに、行動が伴わないというのは不思議なものだ。
肩を震わす霊夢さんは何だか嵐の前の静けさのようで。
慌てなくちゃいけないと思っているのに、実に冷静な私。お酒すごい。
「あんたは、何してんのよ……」
力が抜けているのか、入っているのか分からない声色で霊夢さんが問う。
自分にも分かりません、ごめんなさいと言いたいけれど、それは怒られる気がした。
「お酒の、勢いで?」
なので、最初に思ったことを口にしてみた。
かなり大きなため息が聞こえる。うわあ、これは怒っていらっしゃる。
霊夢さんの手が私の頬に伸びてきて、またしても引っ張られる。
「ああもう、あんたは訳分かんない」
そんなことを言われても。
私からすれば、霊夢さんの方が分からないのだけれど。
「ねえ、早苗」
「はい?」
意味ありげに名前を呼ばれる。
昨日もこんな感じに呼ばれたなあ、とのんきな感想を抱いて続きを待った。
戸惑ったような表情。言葉を選んでいるのだろうか。
一瞬の逡巡のあと、霊夢さんがようやく口を開く。
「解決しそうにないから、また飲みに来なさいね」
……どんな大事なことを言うのかと思えば。
次の約束の話なんて、霊夢さんらしくない。
誘われたなら、いつだって来るのになあ。
そもそも、今日はまだ一緒にいるというのに。
「こんなていたらくで、よければ」
でも、嬉しかったので、そんな返事をしてしまった。
ちょっぴりほっとしたような霊夢さんの顔。
霊夢さんのそんな顔を見るのは珍しくて、なぜだか頬が緩んだ。
ああ、私はきっと。
私はきっと、霊夢さんのこういうちょっとした表情を見るのが楽しいのだろう――。
もごもごと戸惑ってお酒の席の勢いに任せようとして失敗したのですね、そうですね
きっと両思いなのにずるずると先延ばしにされる二人の関係がもどかしい
素敵なお話ありがとうございました
頬がゆるんで仕方ない俺きめえ・・・w
できることなら続編をお願いします、うん、
後書きの魔理沙とアリスの会話なども面白かったです。
霊夢がいちいち可愛い
ニヤニヤが止まらんw
最初から最後までずっと顔がにやけてて読み終わった後に
戻すのが大変でしたw
続編あると嬉しいな。
レイさなごちそうさまですwww
口から蜂蜜でそうです
相手のちょっとした仕草や表情を気にし合っているふたりが素敵です。
良いレイサナをありがとうございました。
おいしいレイサナごちそうさまです。
表情筋破壊させるつもりなの……
ごちそうさまでした