Coolier - 新生・東方創想話

チルノのおうち

2009/10/11 04:37:57
最終更新
サイズ
37.12KB
ページ数
1
閲覧数
1188
評価数
3/35
POINT
1680
Rate
9.47

分類タグ

 出汁をいっぱいに吸い込んだ、みずみずしい大根。
 ほんのり甘辛いあぶらげと、とろっとした餅のハーモニーが心地よい、巾着。
 白滝の、口の中でぷりぷりと踊る食感も捨てがたい。

「これで、冬だったら完璧だったのにね」

 早速、リグルから突っ込みをもらった。
 夜とはいえ、そろそろ夏も本番直前という時期だ。それなりに暑い。
 屋台の新メニュー、熱々おでん。
 自信作なんだけど、食べるほうも作るほうも、汗だくだくじゃ敵わない。

「うーん、やっぱり冷たいのが良かったかなあ。素麺とか、冷奴とか」
「ううん、十分おいしいよ。冬じゃないのがもったいないって思っただけだから」
「そう? それならいいんだけれど……」

 問題はやつだ。
 常連客の、もう一名様のほう。
 彼女にとっては、死活問題という次元の話だ。大丈夫だろうか。

「チルノ、えーっと、その……。大丈夫?」
「ん? 全然、へっちゃらだよ。ふーふーすればひんやりだもん」

 冷やしおでんはじめました。……と言うどころか、凍りついてるのは如何なものか。
 チルノよ、今すぐおでんの神様に謝ったほうがいいぞ。
 ほら、リグルを見てみろ。あれが礼儀正しいおでんの食べ方なんだ。
 ナイフアンドフォークで、はんぺんを寸分の狂いも無く八等分してやがるぜ。
 ケーキじゃないんだから。蝋燭乗っけて誕生日でも祝うつもりか、はんぺんで。
 それに比べてチルノときたらどうだ。
 大根って、あんなガリガリ鳴らして食べるものだったっけ。
 あと、ちくわはアイスキャンディーじゃないから。そこんとこよろしく。

「できれば温かいままで食べてほしいんだけど、しょうがないよねえ」
「冷たくてもいいんだって。何ていうの? 白滝の、口の中でバリボリと踊る……」
「それ踊ってないよ!? むしろ複雑骨折してるから!」
「まあまあ、冷めてもおいしいってことなんじゃないの?」
「えー。そういうことになるのかなあ」
「なるって。だから、きっと新しいお客さんも来てくれるはずだよ」

 新しいお客、かあ。今はもう気にしていないのに、この虫むしQったら。
 焼き鳥撲滅だーとか言ってた、オープンしたての頃だったかな。
 その頃はメニューが珍しいとかで、お客さんがいっぱい来てくれてたっけ。
 でも、それっきり。串焼きばっかりだったからか、すぐに飽きられてしまったのだ。
 残ったのはチルノにリグル、あとはルーミアぐらいなもの。
 毎晩のようにどんちゃん騒ぎで、いつの間にやらお馴染みの顔ぶれとなってしまった。
 
「新しい、お客さんねえ……」
「絶対来てくれるって。冷やしおでん作戦で大儲けだよ!」
「ただ、お客さんがちゃんとお金を払うとは限らないよねー」
「むう、それは私が身をもって知っていますー」

 そう。お客が入ったところで、お金になるとは限らない。
 むしろ材料を食べられてしまう分、損なのかしら。
 それにたくさんお客が来ても、私一人じゃ、どうしてもさばききれないってのもあるし。
 お陰で屋台は赤字続き。これからどうやってやっていけばいいのだろう。
 人手不足に、財政困難。屋台、続けていけるのかしら。
 ただ、リグルだけはあてになるのよね。時々、みんなの分まで払ってくれるもの。
 
「じゃあ、みすちーは、何で?」
「ええと、チルノさん? 質問は、はっきりとお願いします」

 チルノが箸を静かに置いて、じっと眼を見てきた。
 会話に、妙に変な間が空いた。
 その目が黒くてぼんやりとしていて、何だか不気味に思えてしまう。

「みすちーは何で、屋台なんかやってるの?」

 鋭く切り込まれて、返事をすることができない。
 むう。私、どうして屋台やってるんだろう。
 焼き鳥撲滅のため? ……八目鰻で対抗しても無駄だって分かってきちゃったし。
 生活の足しにする? ……収入なんて最初から期待していないし。
 歌を歌いたくて? ……屋台なんかなくても歌えるじゃない。
 あれ? うわあ、どうしよう。もう何も浮かんでこない。
 「親父から受け継いだこの店を俺は守る!」とかそういうのが見つからない。
 私、鳥頭だし。何か大切なこと、忘れちゃってるのかなあ。

「……はい、それではリグルさんの回答は?」
「ちょっと、ここで私にふるの!? 駄目だよ、自分のことぐらい分かろうよ!」
「だ、だって。本当に分かんないんだもん!」
「そう。……それじゃあ、今度会うとき、答えを聞こうかな」
「ん、どったのリグル? 今度って?」
「……というわけで、今日はそろそろ、ね」

 見ると、お皿の中はすっかりきれい。手荷物をまとめて、帰る気まんまんスタイル。
 いつもは屋台を閉めるのを手伝ってくれるんだけど。

「あれ? リグル、今日は早いね」
「あ、うん。えーっとほら、準備というか。いや、体の調子がさ」
「え、リグル、死ぬの!?」
「ちょっとチルノ、縁起でもない! ……えーっと、どこか悪いの?」
「うん。ほら、最近は蛍のシーズン、過ぎたから……」

 繁殖期を終えると、蛍は一生の役目を終えてしまう。
 死に行く仲間を見守ることしかできないのは、辛いだろうなあ。
 私も、小鳥なんかが死んでたり、焼き鳥なんかを見るとショックだもん。
 妖怪の健康は心から。
 この時期はリグルにとって、残酷かもしれないなあ。

「そっか。それじゃあ、おでんの代金だけど――」
「ご、ごめん。今日もまだ無理。でも、今度は払えるから」
「そう? それじゃあ、つけとくよ?」
「うん、ありがとね」

 そういえばリグルはここ最近、ずっとお金を払っていない。
 蟲の知らせサービス、辞めちゃったらしいし。
 うーん。何かあったのかなあ。
 何となく心配に思っていると、リグルはもう、地から足を離していた。

「じゃ、私はそろそろお邪魔するよ」
「あ、いつの間に。リグル、お大事にね」
「バイバイリグルー!」
「うん、それじゃあ二人とも、またね!」

 リグルの背中がすうっと宵闇に吸いこまれていく。
 ああ、これが、最後の姿だった。
 この時から私はずっと、リグルを見なくなってしまったのだ。





 リグルがいなくなって、もう一週間になる。
 おかしい。リグルは毎日屋台に来ていたのに、ずっと来ない。
 その辺の妖怪に聞き込みしても、見てないとばかり言われる。
 いよいよ心配になって、ここ三日間探しているのに、見つからない。
 もちろん、リグルんちは隅から隅まで探した。みんなで時々遊びに行く、霧の湖の周りも探した。
 たくさん蜘蛛の巣を見てみたけど、そのどれにもひっかかっていなかった。
 早朝に色んな木に頭突きをしてみたりもしたけど、落ちてきやしない。
 神社の軒の下も、台所の隅も探したけど、駄目だった。
 そろそろ探す場所も無くなってきている。今日はどこを捜索しようか。

「最近は、蛍のシーズン、過ぎたから……」
 
 ふっと、そんな声が頭をよぎる。
 最悪の事態が起きていなければいいんだけど。

「リグルー! リグル、いるー!?」

 足元の石をひっくり返しては、リグルがいないか調べてゆく。
 おかしいな。よく、こういうところに虫はいっぱいいるのに。
 石の裏にもいないとなると、どこにいるのよ。まったく。
 地にいないとなると、空か? そう思って、何となしに見上げてみたら。
 ああ、何かいる。青いの、いる。
 青いの、何か慌てて急降下してきている。

「……みすちー! みすちー! やっと見つけたあ……」
「ちょっとチルノ、どうしたの!? ぼろぼろじゃない!」
「あたい、あたい、リグルを助けようって思ったのに、あたい!」
「ちょっと待て。今何て言った!?」
「リグル、助けたかったのに、できなかった……」

 ええと、チルノはリグルを助けようとしていた。
 つまり、それは……。

「リグルいたの!? 見つかったのね! やったよ、チルノ最強伝説だよ!」
「な、何言ってんの!? 助けられなかったって言ってるじゃん!」
「あ……。え……?」
「今頃、リグルはこーまかんに捕まって、大変なことになってるんだ!」
「え、何? こうまかん?」

 ええっと。リグルが、こうまかんに捕まった?
 何で捕まらなくちゃならないんだ。
 悪いことでもしたのか? あいつ。

「一体何があったのよ! もっとちゃんと教えて!」
「ええとね。あたい、近くで遊んでたの。それで……。そう、あたい、見たの。
 中にリグルが、いたのね。そしたら……。何か、ひどいことされてるの。捕まってるから」
「え、え? 何かされてるの?」
「うーんと……。鞭打ち、とか?」
「む、むちぃ!?」
「あ、違った。えーっと。毒ガス室?」
「大罪人だねリグルったら! 何をやったらそうなるのさ!」
「知らないよ! とにかく、ひどいことされてるんだって!」
「そ、そうなの……!? ど、どうしよう!」
「決まってんでしょ? 一緒にリグルを助けに行こうよ!」

 私の手を取って、今にも飛び立とうとするチルノ。
 ちょっと待たんかい。状況整理がまだ出来てないんだってば。

「助けに行くったって、一体どこに!?」
「言ったじゃん! こーまかんだってば!」
「え……? それ、地名なの?」
「あ、当たり前でしょ! 何と勘違いしてたのよ!」
「てっきり人名かと……」

 広間 寛。四十三歳、独身。
 レタスの開発に携わる。
 近年は妖精との共同作業により、日照時間の調整に成功。
 サニーレタスとして莫大な利益を上げたという。

「そんな名前のやつ、いるわけないでしょ!? みすちーったらこーまかんも知らないの!?」
「じゃあ逆に聞くけど、チルノは知ってるの? こーまかんって何する所なの?」
「え、何するところって言われても……」
「どんなやつがいるの? あんた、ぼろぼろだったじゃん! 強くて怖くて食欲旺盛なやつがいたらどうするの!?」
「だって、あの門番強かったんだもん! 中に入れてくれやしない」
「ほら、チルノ負けたんでしょ? そこ、絶対に危ないところじゃん!」
「でも、リグルが捕まってるんだよ!? 助けなくちゃ!」
「う……。確かにほっとくわけにはいかない、よねえ」

 その危ないところにリグルがいるのだ。放っておくのは可哀想にも程がある。
 でも、このまま突っ込んで行くのは、勇敢というより無謀だ。
 第一、なんて事無いところなら、とっくにチルノ一人で解決しているはずなのに……。

「みすちーと二人なら、絶対門番にも勝てるって! 最強プラスα!」
「さっき負けたのにまだ最強言うか! ……でも、本当に勝てるの?」
 
 私、そんなに弾幕に自信ないし。
 弱い者はいくら束になっても、ただの弱い集団になるだけ。
 でも、何とかしないと。リグルが捕まってるんだし……。
 うーん。こういうとき、まずどうすれば……。

「そうだ、こういう時は、他人に聞けばいいんだよ!」
「……他人に聞く。聞いてどうするのよ」
「ほ、ほら! 強い人は大体、何か弱点があるものなんだよ! 多分……」
「そっか! さすがみすちー、頭いいね!」
「でも残念ながら、誰に聞けばいいのかが分かんないんだけどね……」
「大丈夫、あたい、良いところ知ってるから!」
「良いところ? そんなところ、あったかな……?」
「それがあるの! だから着いてきて、来れば分かるよ!」
「そ、そう? どこだろう……?」

 そんな都合のいいところ、あったかしら。
 この辺で情報屋さんだなんて、聞いたことがない。
 しかもチルノ、人里に向かってるような気がするんだけど。
 いいのかなあ。真昼間から妖怪がお訪ねするなんて。いや、夜に行くほうがいけないのかな?
 でも、今は緊急事態。チルノに着いていく他、選択肢は無いのだ。





「ほら、ここ、ここ!」

 人里の端っこのほうに、黒っぽい洋風の店があった。
 塗装がまだ綺麗だから、どうやら最近建てられたものなんだろうな。
 その店の看板には、やたら斜体のしゃれた字で、こう書かれていた。

「カクテルバー、ムーンライトカクテル……?」

 二回もカクテルって言わなくても。
 よほど大事なのね。

「うん、そうだけど。みすちー、忘れてた? ルーミアのお店だよ」
「いやいやもちろん覚えてたよ! ルーミア、お店始めてたんだよね。うん」
「段々、忙しくなってるみたいだよ。最近はお店のことばっかり」
「あ、それならお客さんから、色々聞いてるかもね」
「ルーミアならこうまかんの上手い入り方、知ってるって」

 ああ、ルーミア、お店始めてたよね。すっかり忘れかけていたよ。
 でも、よりによって飲み屋さんだなんて。何を思って始めたんだ。

「それにしても、中々いい雰囲気の店じゃない? こういうとこに来るの、初めてなの」
「へー。あたいは慣れてるから、どうってこと無いよ。ほら、入ろ、入ろ!」

 よりによって、チルノにエスコートされてしまう。何だ、この劣等感は。
 手をひっぱられて、そのまま薄暗い店内にご招待されることになってしまった。
 店のドアには、「人間お断り」の紙が貼られてあった。





 照明はほとんど点いてなく、窓は高そうなカーテンで覆われている。
 お陰で、昼間にも関わらず、店内はすっかり暗闇であった。
 一歩踏み込むと、近くの席から人相の悪い客がガンを飛ばしてきた。
 ここ、私たちが来るような店だったかな……? ちょっと怖い。
 図体のでかいおじさん、さっきからずっと睨んでくるし。
 ちょっと刺激したら、殴りかかってきそうだよ。
 そしてあの鋭い眼光ときたら、目からビームが出てもおかしくない。
 その近くにいる頭巾の姉さんなんて、夜は何かに乗ってぶいぶい暴走してそうだもん。
 幻想郷的には自転車が限度になるけど。
 
「チルノ。みすちーも。いらっしゃい」
「ルーミア、来たよー」
「久しぶり、ルーミ……ア!?」

 シックな石造りのカウンターに、スポットライトが一つ、点いた。
 ぼんやりと照らされる彼女は、白いシャツに黒のベストと、いつもの服装によく似ている。
 普段と違うのは、胸元で輝く、真っ赤な蝶ネクタイぐらいなものであった。
 だけど、どうしてだろう。
 リキュールのたくさん置かれた棚と、涼しげなカウンターの間に立っていて。
 その物憂げで涼しい表情で、どこか遠くを見つめていて。
 十進法のポーズはどこへやら、グラスを落ち着いた手つきで拭いていて。
 そんな彼女はもう、まさしくバーテンダーであった。
 カウンターの端には、大きなラッパを引っ付けた蓄音機が置かれてある。
 そこから、ムーンライトカクテルがどうたらと歌う、洋楽が心地よいリズムで流れている。
 ああ、私はもうすっかり、この雰囲気に酔ってきたのかもしれない。
 ジャズのリズムに合わせて、ルーミアが白銀のシェイカーをカランコカランコと躍らせる。
 オウ。ヴェリー、テクニシャン。シーイズ、ヴェリーバーテンダー。
 ユー、マストノット、イートミー。イエース。
 
「来店記念の、サービス。ダークアンドホワイト。召し上がれ」
「ジ、ジスイズ? あ、ありが……。センキューヴェリーマッチ!」
「み、みすちーがおかしい……」

 グラスを傾け、まずは軽く、一口。
 オウ、イエス。ビターテイスト。ほろ苦いカフィーの味がまず、舌に広がる。
 アンド、それをカヴァーするように、スウィートなミルクがスプレットドスター。
 カフィーとミルクが見事にイリュージョンレーザーして……。
 うん。完璧にコーヒー牛乳だ、これ。どう味わってもアルコール0%だよ。
 確かにダークアンドホワイトだし、その、おいしいけどさ。
 私のときめきが何処かにさよならバイバイしちゃったよ。

「あの……。あたいはイチゴ牛乳ね」
「そういうと思ったよ。……これをどうぞ、ストロベリークライシス」
「あ、ありがと」
「……ところで、今日は突然、どうしたの? 二人とも」
「……ああ、そうだった!」
「そうだよみすちー! リグルだよリグル!」
「リグルがね、こうまかんに捕まったらしいの!」

 ルーミアの表情が、一瞬険しくなった。
 彼女の紅い目が、一旦ぼんやりと遠くを射て、すっと閉ざされてしまった。
 微かに息を吸って、落ち着いた声で彼女は呟いた。

「そう、なのかー」

 どうしてこう、一挙一動がクールなんだこいつは。
 また、この怪しげな雰囲気に飲み込まれそうになってしまったよ。
 とにかく今は、こうまかんとやらの情報を仕入れないと。

「それで、ルーミアが何か知っていたら、教えてほしいの」
「もちろん。構わないよ」
「お客さんからたくさん、じょーほーってのを貰ってるのよね」
「ああ。ちょっとした雑談から、聞いてはならないものまで、それはもう」

 聞いてはならないことまで知ってると申すか。
 河城にとりの帽子の中身とか、因幡てゐの耳の数とか、秋穣子の帽子にある葡萄の賞味期限とか。
 こういうの、全部知ってるんだろうなあ。ああ、気になる。
 でも、今はぐっと抑えて。リグルのことが第一だ。

「あのね。私たち、こうまかんにリグルを助けに行きたいの!」
「こうまかん……。やつは危険だよ。それでも行くのかい?」
「もちろん! ……で、でもルーミア。やつって?」
「功馬 勘。カリフラワーの栽培に携わる男で……」
「ちーがーう! こーまかんったら場所の名前なの!」
「そう……なのか?」

 ああ、ルーミアがクールから「あったか~い」に変わりつつあるよう。

「ほら、あたいのよくいる霧の湖があるじゃん。あの真ん中に紅いお屋敷があるでしょ?」
「知ってる? 実はそこ、紅魔館っていうお屋敷なんだよ」
「知ってた! あたいでも知ってた!」
「だけど、そこにリグルが捕まってるっていうのは、残念ながら初耳だよ」
「う……そっか。初耳なら、仕方ないか」

 そもそもこのことを知っていたら、ルーミアは先に知らせてくれていたはずだ。多分。
 有用な情報は手に入らないかも、と思いかけたその時。
 ルーミアがにやりと笑った。

「ただ、紅魔館のやつらの弱点なら、知ってるよ」
「弱点、あるんだ!」
「これでやつらもこてんぱんね!」

 何という幸運。
 弱点があるなら、私たち弱小組でも勝機はある!

「いい? 紅魔館は、吸血鬼のお屋敷なの」
「吸血鬼……。確か、すっごく強かったような……」
「吸血鬼のお屋敷というだけあって、その屋敷に住む者はみんな、吸血鬼という噂なの」
「……」

 チルノが黙って俯いてしまった。
 彼女なりに怖がってるのかもしれない。
 それにしてもみんな吸血鬼か。中々おぞましいお屋敷だなあ。

「その吸血鬼の弱点。日光、もあるけど室内じゃ効果的ではない」
「と、いうことは他に弱点があるの?」
「そう。流水と、大豆製品。これを持っていけば、全員に勝てるはず」

 流水と、大豆製品。大豆、製品……。
 ん、大豆だって!? あれなら、いけるのでは!

「……うん。チルノ、行ける。紅魔館に勝てるよ!」
「そ、そうなの!? 何か分かったの?」
「分かっちゃったの! ありがとうルーミア、今度奢ってあげる!」
「お役に立てたようで、何より。……それで、よければの話だけど」
「ん、何?」
「その時は、一緒に料理してもいいかな?」
「え? そりゃ、もちろんいいよ。そっか。ルーミアが手伝ってくれるなら、助かるなあ」
「ふふ。元よりみすちーの為。この店を始めた甲斐があったよ」

 うん? 私の為というと、どういうことだろう。
 むむ、ちょっと気になるけど、今はそれどころじゃない。
 弱点が分かった今、紅魔館へ突っ込みたくて、うずうずしてきているのだ!

「……? そ、それじゃ、急ぐよチルノ! ルーミア、また来るね!」
「あ、ちょっとみすちー! ……ルーミア、偶には遊びに来てね」
「近いうちに。それじゃ、またいらっしゃいね」

 一旦屋台に引き返し、急いで準備をしに行く。
 この作戦なら、吸血鬼を一網打尽にできるはずだ!
 待っててリグル、今助けに行くから!





「だ、誰か助けてくださいー! もう、もう食べられませんー!」
「どう? あたい達の力を思い知った!?」
「早く降参しないと、お腹壊しちゃうよー」

 名づけて流し冷奴大作戦。
 霧の湖をチルノが凍らせ、屋台のおでんの豆腐を乗っける。
 これを大量に相手に浴びせることで、流し冷奴のできあがり。
 でも門番さんは何を思ったか、垂れ流す豆腐全部を食べきろうとしているのだ。

「まだです! このお屋敷には、豆腐の欠片も入れさせない!」
「なかなかしぶといわね……。みすちー、あと豆腐何個!?」
「大丈夫、まだ二百ちょっとはあるよ」
「え!? に、にひゃく……。うぷっ……」

 絶望感からか、門番さんの顔がみるみる青くなっていく。
 これでもよくがんばったってば。もともと、豆腐は五百丁ほどあったんだから。
 ああ、食べるペースがどんどん落ちていく……。

「せ、せめて麻婆豆腐なら、良かった……」
「か、勝ったのね!? あたい達、最強コンビね!」
「いいのかなあ、こんなので……」
「私が駄目でも、咲夜さんならあなた達なんて……。うう、しゃべるとお腹に響く……」
「へへ! 何が来ても、冷奴がある限りあたい達は負けないわ!」
「アイラブ冷奴! ウィーラブ冷奴!」
「お、お嬢様、すみませ~ん……」

 門番さん、地面に突っ伏したまま動かなくなったんだけど、大丈夫かなあ。
 むむ、何てことだ。ゆっくりながら立ち上がったぞ!
 まだ戦えるというのか。何という根性なんだ。
 立ち上がって、私達に向かってくる!
 と思いきや、そのまま私たちを尻目に、お腹を押さえながら館内に戻っていった。
 ああ、ご愁傷様です……。

「チルノ。私達も、行くよ!」
「オーケー!」

 門番さんを追い抜いて、勢いよく正面玄関へ突っ込んでいく。
 振り向くと、ぴったりとチルノがついてきていた。
 何だか、にっこり笑顔で久々にご機嫌モードだなあ。
 遊びじゃないんだぞ、全く。





「あ、ここじゃ水が無いじゃん」
「……ということは、館内じゃ冷奴、流せないじゃない!」

 紅魔館に入ってから、ようやく気がついた。
 早くも流し冷奴作戦、失敗か。

「仕方ない、ここは冷奴投げつけ作戦しかないみたい」

 開いた窓から、さあっと風が吹き込む。
 変に静かになっちゃったなあ。
 真っ赤な絨毯に、真紅のクロス。天井でさえ薄紅色。
 深い紅の空間に、不自然な沈黙が流れた。
 廊下を歩いていると、チルノが何も話さなくなったのだ。
 あっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろと、挙動不審ここに極めり。
 
「チルノ、どうかしたの?」
「……え、何か言った?」
「ちょっと、本当にどうしたの。あんまりそわそわしないでよ」
「べ、別に……。初めて入るから、ちょっと緊張してるだけだよ」
「ふうん? チルノにしては、珍しい……。おっと、誰か来るよ!」

 メイド姿した妖精が不審そうにこっちを見つめてくる。
 すると、チルノは俯いてしまって、バツが悪そうにしてしまう。
 かと思えば、はっと顔を上げて、何か言いたげに唇をかみ締めている。
 しまった。こういう時は、ばばっと物陰に隠れないといけないのに、ばればれじゃない!

「ど、どちら様です……?」
「ばれちゃ仕方無い、問答無用! 豆符『木綿豆腐が割れる日』、くらえ!」
「ちょ、みすちーどうして勝手に!」
「う、うわあああ! 助けてメイド長!」

 ピッチャー、私。
 軸足から指先に向かい、力を豆腐に伝えて行く。
 鞭のようにしなる腕から、重心が乗りに乗った豆腐が解き放たれる。
 渾身のナックルボールが妖精に決まる!
 はず、だったのに。
 消えた。豆腐、消えた。
 うっかり本当の魔球を投げてしまったかしら。

「冷奴一人前、出来上がりました」

 妖精メイドがいつの間にか、長身スリムな人間メイドに入れ替わっていた。
 そして彼女は何やら一皿、こちらに差し出しているではないか。
 投げたはずの豆腐に、ふわふわの鰹節に、青々としたワケギが乗せられている。
 更には、色艶からして上等に見える醤油が、ほんのりとかかっていた。
 味も極めて優秀。さっぱりとした薬味と、醤油の微かな甘辛さがマッチしていて。
 うーむ。美味である。

「絹ごし豆腐だったら、やられるところだった……」
「ちょっとちょっと、何食べて……。うわ、本当の冷奴だ!」
「これ以上お屋敷で豆腐を撒くというのなら、すべて麻婆豆腐にして門番に食べさせてくれるわ!」
「ど、どうしようチルノ! このままじゃ、門番さんが豆腐に飽きて可哀想!」
「どうするもこうするも、こうすればいいのよ!」

 私から豆腐を手にしたチルノは、断続的に冷気を放出し始めた。
 霧に包まれながら、豆腐の姿が段々と変わってゆく。
 ……まさか、チルノ!

「どうだ! 必殺、高野豆腐作りよ!」
「チルノすごい! これなら麻婆豆腐にならな、い?」

 チルノの握る高野豆腐が一瞬で消える。
 と思ったら、またもやお皿の上に乗せられている。

「高野豆腐一人前、出来上がりました」
「い、いつの間に出汁が!」

 しかもさりげなくインゲンまで乗せられてしまった。

「みすちー、いけない! このままじゃ一つ残らず料理されちゃう!」
「ほらほら。遊ぶんなら他のところになさいな。豆腐は間に合ってるから」
「あ、遊びに来てるんじゃないんです! 私の友達が捕まってるって聞いたから!」
「はい? ……そんな覚えはないんだけど」
「そうだよみすちー。リグルが捕まるわけないじゃん!」

 今こいつ、何て言った。リグルが捕まるわけ、ないだと?
 一気に頭がまぜこぜになって、状況が掴めなくなった。
 メイドさんが否定するのはともかく、チルノまで!?
 まさか、私、騙されてた?

「ああ、リグル。彼女ならいますよ。お会いしたければ、これから用意いたしますが?」
「突然不気味に接客モードだあ。ねえチルノ、どうする? 怪しいよ?」
「行くに決まってんでしょ? えーっと。嘘ついてごめんね、みすちー」
「う、嘘? あ、それより。えっと、会います。お願いします!」
「では、案内いたします。客間に着きましたら、中でしばらくお待ちください。こちらへどうぞ」

 メイドさんに誘導されて、長い廊下を歩いていく。
 ああ、ようやく変なテンションから開放された気がする。
 チルノがよく分からなくなってきたけど、一息ついて落ち着いて話せそうだ。





「では、リグルを呼んできますので、しばらくお待ちください。その間、紅茶をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」

 広々とした客間に、大きな机がどっしりと置かれてある。
 その周りのふかふかの椅子に、二人仲良く座らされた。
 メイドさんが部屋から出て行った後、突然チルノが立ち上がった。

「どしたの、チルノ。トイレとか?」
「いや、そのさ。あたい、行きたい場所があるの」
「行きたい場所? 何か面白そうなとこでもあった?」
「さっき、見たでしょ、妖精。メイドの」
「ああ、いたね。あの娘がどうかしたの?」
「ちょっと、知ってる顔だから。また、話してみたいの。いい、かな?」
「うーん? いいんじゃない? 何か面倒を起こさないでよ?」
「もちろんだよ! じゃあ、ちょっと行ってくる!」

 ドアも閉めずに、パタパタとチルノは駆けていった。
 ……今日のチルノ、何か変だな。
 紅茶を頂きながら、今まであったことを整理することにした。
 まず、リグルがいなくなった。
 いなくなったら、チルノが大変だーとか言って飛んできたな。
 リグルを助けようとして、門番さんに追い返されたんだっけ。
 で、私がいれば紅魔館にも入れると思って、連れてこられた。
 でも、リグルは捕まってなんかいない。多分これが嘘だったらしい。
 だけどリグルは、やっぱり紅魔館にいて……。
 そして現在、チルノは友達に会いに行きましたとさ。
 あー。分かんない。私馬鹿よね。お馬鹿さんだ、私。
 色んな事が全然つながって来ない。チルノ、何で嘘ついてたんだ。
 そもそもリグル、ここで何やってたんだ。
 紅茶が半分くらい無くなったところで、ドアがバタンと閉まった。
 そして、コンコンコンとノックが聞こえた。いちいち律儀な。

「そんな改まらなくても。入っていいよー」
「失礼しま……うわ、みすちー!」
「ちょっぴりお久しぶり……ってちょっと、リグル!?」

 紺と白を基調とした、頭の先から足の先までふりふりフリル。
 妙に丈の短いスカートに、ふわふわの純白のエプロンなんかして。
 挙句の果てには触覚におっきなリボンなんかつけちゃってるし。
 何だか恥ずかしそうにしながら、リグルは私の前に座った。
 
「お客さんってみすちーだったの。あの、服はあまり、気にしないでほしいな……」
「気になるよー。リグル、メイドさんにでもなったの?」
「それが、その……。うん、なっちゃったの」

 なっちゃったで御座いますか。
 リグルが、メイドさん、ねえ……。

「ごめんね、黙ってて。ちょっと、言うの、恥ずかしくってさ」
「あ、うん。びっくりしちゃったよ、突然いなくなって。いっぱい探したよ?」
「うう。本当ごめん。でも、嬉しいな。心配してくれてたなんて」
「いいのいいの。無事って分かっただけで一安心。じゃあ、リグルはここで働いてるんだ」
「そういうこと。その、ずっと前から憧れてて、ね。……似合う?」
「ノーコメントでお願いします」
「うわ、ちょっと、お世辞ですらもらえないなんて!」
「だって、私が突然、巫女服着てきて『似合う?』って聞いてきても困るでしょ?」
「ま、まあそうかも。みすちーが巫女服……。ふふっ」
「あ、笑ったなー!」
「だって、あまりにも似合わな……。ごほん、ノーコメントでお願いします」
「うえ、ひどいー」
「へへーん。おあいこ様だって」

 ふう、すっかり和やかムードですな。
 これで今日は一件落着……。
 じゃないような気がしてならない。

「そうだよ! チルノ! チルノのことだ! 今、チルノも来てるの」
「や、やっぱりいたんだ……」
「やっぱりっていうと、何かあったの?」
「それが、ちょっとあってね……」

 和やかムードが一転。
 リグルが苦い笑みをこぼしながら、話し始めた。

「その、ルーミアがお店開いたの、覚えてる?」
「あ、当たり前でしょ! そのくらい覚えてるもん」
「よかった。それで、実はその時、チルノと揉めたんだ」

 むむ? それは本当に初耳だぞ。

「ルーミアがお店やるって知った途端、私から逃げる気なんだーとか言って、チルノが暴れるの」
「そんなこと、あったんだ……」
「だからルーミアと私で、何とか落ち着かせようとしたんだけど、駄目だった。
 最後には、勝手にすればって言って、飛んでいっちゃったの」
「それじゃあ、今のチルノも?」
「多分、そう。メイドなんて辞めちまえって言ってくるよ」

 キリリという音がした。
 ドアがゆっくりと開かれる。
 チルノだ。
 嗚咽を漏らしながら、鼻をすすっている。
 目の下にはすでに、涙の跡があった。
 全身をぶるぶると震わせて、こちらをナイフのような眼差しで睨んだ。

「え、チルノ。……どうしたの?」
「リグルも……だろ」
「ちょっとチルノ? 落ち着こう?」
「リグルも、嫌って言うんだろ!?」

 彼女が叫んだ途端に、耳がじんじんと震えた。
 涙がもう一粒、チルノの目からこぼれる。
 何か言ってあげないといけない。でも、良い言葉が見つからない。
 一番冷静だったのは、リグルだった。

「チルノ。まずは落ち着いて。何が嫌なのか、分からないよ」
「嘘つき! あたいが来んのが嫌だから黙ってたんでしょ! メイド、どうせ辞めたくないんでしょ!」
「……うん。ごめんね、これは辞められない」
「やっぱり! そうやってみんなあたいから逃げようとするんだ!」
「そんなことないよ。いつか、お休みとるからさ。その時、屋台でまた一緒に会おう?」

 リグルが紅魔館にいても、普通に会うことはできるはずだ。
 チルノ、そこまで悲観的にならなくてもいいはずなんだけど。
 何か、あるのだろうか。

「なんで。なんでだよ。そんなむきになって、メイドさんしなくていいじゃん……」
「しないといけないの。みすちーの屋台、誰かが支えないと、大変だよ?」
「屋台? そうだ! みすちー! ほら、みすちーも何とか言ってよ!」
「えっと、ここで私!? リグルに!?」
「みすちー、リグルがいなくて寂しそうだったじゃん! リグルが辞めたら、屋台に毎日来るじゃん!」

 確かに、心配だってした。できることなら、たくさん顔だって合わせたい。
 だけど、そんなことは私の都合でしか、ない。

「……ううん。私も辞めてほしくない。リグル、メイドさんになりたかったんだよね?」
「えっと……。うん。確かに、そうだよ」
「お願い、チルノ。私はよく知らないけど、リグルだって、きっとがんばって夢を叶えたんだよ」

 チルノは唇を噛み締めながら、両手でグーを作っていた。
 何とか、伝わってくれるといいんだけど。

「せっかく叶えた夢を壊されたら、リグルが可哀想だよ。リグルの気持ち、分かってあげて?」

 正直な気持ちを、ぶつけた。
 何とか、伝わってくれると、良かったのだけれど。
 その敵対的な眼差しは全く消えようとしなかった。

「リグルばっかり味方して。みすちーも。リグルも。みんな、あたいを置いてくんだ」
「それは……違うよ。チルノ、違うって!」
「みんなあたいのこと、置いていくんだ!」
「聞いて! そうじゃなくて、あのね、チルノ! ……その!」
「もういい! あたいだってあんた達、大っ嫌いだから!」

 ドアを壊さんばかりに開け放ち、それこそ逃げんとばかりに飛び出してしまった。

「チルノ!」
「みすちー、放っておいてあげて!」
「駄目だよ、追わなきゃ! チルノ、絶対寂しがってる!」

 ルーミアとも、リグルとも、チルノは疎外感を味わっているに違いない。
 チルノの友達に会った時だって、きっとそんな事があったのだろう。
 あの怒りとも嘆きともつかないチルノの行動は、寂しさをぶつけているようにしか、思えなかった。

「だから、行ってくる!」
「ちょっと、みすちー! ……うまくやってね」

 リグルの言うとおり、放っておいてあげるのが正解なのかもしれない。
 だけど、このまま放っておくと、なんだか取り返しのつかないことになる気がするのだ。
 また同じ四人で仲良くお酒を飲み交わす、そんなことが出来なくなるかも知れない。
 ただ、そうなると思うと、嫌で嫌で堪らなかったのだ。
 チルノの気持ちが知りたい。
 その一心で、私は既に空に飛び込んでいた。





「やっぱり、来たね」

 霧の湖の、だだっ広い湖面の上だった。そこに彼女は、いた。
 チルノがそうしているのか、一面に霧が広がっている。
 その水滴の一粒一粒が、夕日をぼんやりと反射していた。
 真っ赤な光は湖にも顔を伸ばし、不気味にくるくると揺れ続ける。
 日を背に浴びるチルノの長い影が、私をつつく。

「来るよ。もちろん」

 飛び出て行ったはずなのに。
 彼女は待ち構えていたかのように、湖上に浮かんでいたのだ。
 おかしいな。もうすぐ夏本番だというのに、薄ら寒い。
 少し、震えが出てきてしまうほどだ。

「チルノ……。教えてほしいよ。あんなに怒っちゃった訳、きっとあると思うの」

 ゆっくりと、穏やかになだめるように尋ねた。
 一番の、根本的なチルノの率直な気持ちが、知りたかった。
 だからこそ、できるだけ刺激しないように、慎重になってしまう。

「せっかく待ってやったというのに、そんなくだらないことを問うんだ」

 だけど、チルノはもう苛立ちを隠せない。
 苦しそうに瞳が歪み、きりきりと歯と歯がぶつかり合っているのが分かる。

「あんた達が、置いてく」
「置いてく?」
「あたいは大人になれないのに、みんなあたいを置いていくんだ!」

 悲痛な叫びが木霊して、湖に波が立っていく。
 でも、これで良かった。
 チルノの心に、ようやく一歩近づくことができた。

「ねえ」

 チルノの冷たい声が、私の脳に溶けていく。
 いつか見た、彼女の真っ黒な瞳が、私を射抜いた。

「みすちーは何で、屋台なんかやってるの?」

 あの時の言葉。
 だけどその意味が、ほんの少しだけ変わってしまった。

「ねえ」

 彼女の言わんとすることは、もう分かってしまう。
 私を、リグルやルーミアの時のように、引きずり込もうとしている。
 だけど、私は。

「辞めちゃおうよ、屋台。それで、あたいともっと遊んでよ。だから、逃げていかないでよ、みすちー……」

 あの時の私とは、違う。
 もう、あの問いに答えられる。

「それは、駄目。辞めるわけには、いかない」
「そう……。みすちーならひょっとしたら、と思ったけど。残念!」

 彼女の手に冷気が込められるのが見えた。
 本能的に体を捻らせる。
 次の瞬間には、氷塊が私の髪を掠めていた。

「大した理由も無いのに、屋台なんか続けてた癖に!」
「理由なら、あるよ!」
「……ふーん。聞かせてよ、あたいなんかより大切な理由ってのを!」

 つい、笑みがこぼれてしまう。
 呼吸を整え、指を思いっきり前に突き刺した。

「理由は……あんただ、チルノ!」
「……はあ?」

 素っ頓狂な声を上げて、睨んできた。

「何で、あたいなんだよ! あたいのためなら、辞めちゃえよ!」
「働くようになってから、リグルとも、ルーミアとも、遊びにくくなった?」
「当ったり前! あいつらの他も、皆そうなっていくんだ!」
「もし新しく友達ができても、また同じ道を辿るかもしれない」
「そ、そうだよ! 何だよ、そんなこと言って。馬鹿にしてんの!?」
「子どもはいつか働き出していっちゃう。今も昔もこれからも、チルノは取り残されていく」
「聞いてんの!? 分かってるんだよ、あたいだって! あたいが一番、分かってる!」

 チルノは妖精だ。
 妖怪とはいつか隔たりができてしまい、散り散りになってしまう。
 同じ妖精同士でさえも、彼女はほとんど交友関係を持っていない。
 妖精として、彼女はあまりに特別な存在だったのだろう。

「でも、私は屋台をやってるよ」
「そうだよ。だからあんたも同じで! あんた、も……!」

 もはやチルノは、うまく言葉を続けることができなかった。
 手にどんどん力をこめて、ぷるぷると震えている。
 虚勢を張るにもほどがあるぞ、チルノ。

「嘘つき。違うって分かっている癖に」
「違う。同じだって。いや、違って同じで、同じが違いで!」
「お馬鹿。屋台を辞めたらどうなるの? もうあんたは私と屋台で馬鹿騒ぎなんて、できなくなるよ?」
「あれ……えっと、あれ?」

 屋台を続けないと、逆にチルノと会う機会は減ってしまう。
 これは、チルノだけの話じゃない。

「それに、リグルもルーミアも、いつか来るって言ってたじゃない。
 屋台がなかったら、二人とも帰ってくる場所、無くなっちゃうよ」

 あの賑やかでうるさい日々。
 私だって、あの時は毎晩を楽しみにしていたものだ。
 また、屋台でいつもの四人で一緒に過ごしたいよ。

「屋台はね、皆のおうちなの。無くなっちゃったら、皆ばらばらになっちゃう」
「……そ、そうなの?」
「私は屋台を辞めないよ。だからチルノ。あなたは、いつでも屋台に帰ってきていいの」

 いつしか、霧が止んでいた。
 湖面は波ひとつ無い凪となり、沈みかけた夕焼けが名残惜しそうに私達を照らしている。
 私も少し興奮していたみたいで、ようやく息が落ち着いてきた。

「置いていかないし、逃げもしないよ、チルノ。同じところに、同じように、私はいるんだから」
「え……。あ、ふえ? ちょっと、待ってよ……」

 ずいぶんと混乱しているのだろう。
 チルノの顔はもう、くしゃくしゃに縮まっていた。
 小さい頭で、精一杯私の言葉を咀嚼しようとしているのだろう。
 
「いいの? よかったの? いつでも、行けて。あたいを置いてかないで、いいの?」
「当たり前よ! あんたのおうちって思っちゃっていいんだから!」
「そっか。そっか! あたいのおうちか! あは、ははは……」

 ぷつっと糸が切れたかのように、チルノは湖に真っ逆さまに落ちていった。
 手を伸ばすが、届かず。パシャアと、心地の良い音が響いた。
 ぷかぷかと湖面に浮かぶ彼女は、安心しきった笑顔を見せていた。
 緊張と不安が無くなって、すっかり緩みきってしまったんだろうな。
 全く手間がかかるやつだ。びしょ濡れじゃないか。
 一通りくつろがせたら、うちでおでんでも食べさせてやるか。





 月明かりも届かない、木の生い茂った獣道。
 真っ暗な道を、紅い提灯がほのかに照らす。
 今日の屋台は貸切コース。
 ほかほかのおでんを相手に、小さなお客さんが奮闘していた。

「あたいだってね。昔はいっぱい、妖精の友達、いっぱいいたのよ」
「どうしたの、突然?」
「だけどさ。メイド妖精募集とか何とかいって、みーんな紅魔館にいっちゃった」
「……そっか」

 慣れない冷酒を飲みながら、ぶつぶつと愚痴られる。
 大丈夫かなあ、チルノ。無理しちゃって。

「あたいも、きょーみはあったの。でも、止めといたよ」
「ふうん? どうしてなの?」
「馬鹿ね。あたい、妖精じゃん。妖精は遊んでなきゃ、妖精って言わないよ」
「遊ぶのが仕事、ねえ。人間の子どもみたい」

 妖精は妖精らしく。
 何だかチルノはそこのところを、頑なに守っているんだな。
 まさにプロ妖精と言ったところか。

「なのに皆、自分から飛びついてって。馬鹿みたい」
「チルノは釣られないで、頑張ったんだね」
「そうだよ。でも、あいつらはもう駄目になっちゃった……」
「そう、なの?」
「見たんだよ。上司だの部下だので、働いてたんだ、あいつら。あんなの、もう妖精じゃない……」

 チルノなりのこだわりがあるんだろうな。
 何と声をかけてあげたらいいのかよく分からなくて、無言でお酒を注いであげた。
 差し出すと、お猪口をいっぱいに傾けて、きゅっと一気に呑み干された。

「今日だって、勇気出して聞いたんだよ。あんた、辞めてまた一緒に遊ぼうって」
「ああ、今日の妖精メイドさんね」
「そしたらさ。駄目だって。他のやつにも、たくさんそう言った。
 でも、仕事仲間っていうの? 立場っていうの? てーさいっていうの? 
 そんなもん気にしちゃってんのよ、妖精の癖に。昔の友達より、そっちのが大事になっちゃってんだよ」

 おっと、まずいかもしれない。
 どんどん饒舌になって、目に涙を浮かべて訴えかけてくる。

「だから、働いてるやつはそうなるんじゃないかって! リグルも! みすちーも!」
「チルノ、大丈夫? ずいぶん酔ってきてない?」
「酔ってないよ! いいからちょうだい!」
「飲んでばっかりじゃすぐつぶれちゃうよ? ほら、おでんもいっぱいあるから、どーぞ」

 今日の主役の豆腐さん。おでんにすれば厚揚げさん。
 出汁は昼に寝かせていた分、旨みが一層増している。
 おでんの暖かさは、冷えた心さえ癒してくれるはずだ。

「ほら、偶には暖かいままで食べちゃってよ」
「いーやーだー! 熱いのはいやなの!」
「大丈夫、少し冷ましてるから。ほら、口開けて!」

 疑いの眼差しを向けながら、おずおずとチルノは口を開けた。
 そこに、ひょいと厚揚げさんを突っ込んだ。
 最初はびっくりしたみたいだけど、すぐにほっぺたが緩んでいた。

「うわ、何これ。おいしい」
「でしょ? これでも随分、研究したんだから」
「うん、いい仕事、してりゅ……」

 ついに酒がまわってきたか。
 ほっぺたをテーブルに乗せて、ふにゃふにゃ言い出した。

「リグルもルーミアも、来るかなあ?」
「今晩はもう無理じゃないかな。でも、いつかきっと来るって」
「そっかあ。良かったー。うん、良かった……」
「帰ってくるんだから。絶対に」

 自分に言い聞かせるように、つぶやいた。
 
「……今日は、ごめんね?」
「いいんだって。気にしないの。今日のことはすっかり忘れちゃいなさいな」
「あたい、最強だから忘れないよ?」
「あはは、それを聞いたらちょっと安心するよ」
「ほんとに忘れたくなーいの。みすちー、変に優しい日だったし」
「そう、かな?」
「そうだよ……。それで、あたいは……。あたいはー……」

 チルノ、とうとう目蓋が重力に逆らえなくなってきている。
 そのままぱたりと、テーブルに寄りかかってしまった。
 今日はこのままお泊りコースですか、そうですか。
 夜はそこそこに冷える。
 チルノは冷やしとけばいいとは思ったけど、可哀想だから薄布くらいはかけてやることにした。

「あたいは、知らないから、よく分かんないけどさ……」

 起きているやら、寝ているやら。
 うとうとしながら彼女が、ぽつんと私につぶやいた。

「みすちーって、お母さんって感じがする」

 心臓がビッグバンを起こした。
 どっきりさせやがって。仕返ししちゃうぞ、この。
 チルノの頭にそっと手を乗せ、柔らかく撫でてやる。
 小さな頭を撫でるたび、彼女がどんどん、か弱い存在に思えてくる。
 ずっとそうしていると、いつの間にか、すうすうと穏やかな寝息が立っていた。
 とろけてしまいそうな寝顔を見ていると、私までほっとしてしまう。
 
「お休み、チルノ」

 上下する彼女の肩を見守りながら、私は紅提灯の灯をゆっくりと消した。

「それから……。お帰りなさい」
 
妖怪って孤独な存在に見えますが、心の中で家族のような繋がりを欲しがっているのかもしれませんね。

――――――――

読了ありがとうございました。
創想話でデビューして一年。
いろんな意味で原点に返ってみました。
愛くるしいみすちーを書きたかったのに、いつの間にかチルノメインになってました。
それでもみすちー、愛してます。
寝言でみすちーと叫んでるのを家族に聞かれてしまうほど。
飛び入り魚
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1430簡易評価
13.70名前が無い程度の能力削除
大ちゃんがハブられてる!?
17.100名前が無い程度の能力削除
不条理ギャグかと思っていたら、中々どうして、よく考えられたいいお話でした。
俺もみすちーのおでん食いたい。
25.80名前が無い程度の能力削除
みんなノリいいのなw
よいお話でした。
28.無評価飛び入り魚削除
こっそりとコメント返し。読んでくださった皆さん、本当にありがとうです。

>>13
そうなんです。
書き終わった後にがっくり後悔。
原点に返るなら大ちゃん出そうよ自分!
こればっかりは申し訳ないところ。
きっと大ちゃんは木陰でチルノをじっと見守っていたのさ!

>>17
不条理ギャグという響きは大好きだけれど、今回もそうなっていたのかー。
確かに冷奴やリグルを探すみすちーは不条理か。
みすちーにおでんを「あーん」してもらいたい。厚揚げ大好き。

>>25
美鈴も咲夜さんもノリノリです。
でもみすちーに油はノリノリじゃないです。