Coolier - 新生・東方創想話

少女にとり ~ 3rd arm

2009/09/21 01:58:00
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「のっびるアームびろーん!」

妖怪の山を流れる川に、一人の河童の声が響く。
てっぺんに行ったお天道様に向けるがごとく、高らかでいて朗らかに。
太公望なら釣りでもしてそうないい感じの岩に乗っかって、河城にとりはがちゃがちゃと機械いじりに勤しんでいた。

「こんにちは、にとりさん。随分ご機嫌みたいですね」
「おや、これはこれは天狗様」

そんないつもと変わらない光景にかえって興味を惹かれたのか、がらくただらけのにとりの傍にふわりと天狗が舞い降りる。
今日の文は珍しいことに手帖もカメラも手にしていなかった。

「どうしました今日は。またカメラの修理かな」
「いえいえ、偶然近くを通りがかったのでなんとなく。今日は何の発明をしてるんですか?」
「ふふふ。まあ見ていてくださいよ」

あぐらをかいたにとりが腰のあたりにあるボタンを押すと、背中のリュックがにわかに騒がしくなる。
するとそのリュックの側面からばりーんと二本の腕が力任せに飛び出してきた。

「わあ、びっくりした」
「はっはっは、驚いたでしょう。一発芸『カイリキー』とでも呼んでください」
「かいりき……? 収納してある機械の腕を一気に伸張させる発明ですか。
 でもリュックサックを突き破るなんて、なかなか頑丈に出来てるんですね」
「そうでしょうそうでしょう。私がコイツをここまで鍛えあげるのにどれだけ苦労したことか!
 もちろんアーム自体のパワーだって申し分無いですよ、全力を出せばおにぎりを握るのにピッタリの握力なのです」
「なんともまあ、微笑ましい怪力ですね」

誇らしげなにとりの後ろではバックダンサーのごとく二つのアームがうねうねと蠢いている。
どちらかというと機械というより植物みたいだな、と思ったが文はなんとなく黙っておいた。

「あややや、にとりさん?
 そっちに置いてある化粧箱みたいなものは、もしかして携帯ゲーム機というやつではないでしょうか」
「流石は天狗様、なかなかお目が高い。その通り、これは外の世界から流れ着いてきたもんですよ。
 香霖堂の店主に泣いて頼んで譲ってもらったのです」
「そんなに面白いんですか? それ」
「そりゃー無茶苦茶面白いですよもう。どういう仕組みで動いてんのかとか、どうしてこういう形に落ち着いたのかとか。
 それを考えるだけでワクワクしてくるからね!」

まるで子供のようにきらきらと目を輝かせながらにとりがそう答える。
もちろん文としてはそういう意味で言ったつもりはなかったのだが、にとりの気持ちに水を差すのも悪いと思ったので、
これまた苦笑いを浮かべるだけに留めた。

「……しかしまあ、今に始まったことではありませんが……にとりさんには本当に色がないですねぇ」
「ありますよ。七色」
「い、いや。そういう意味ではなくてですね」

にとりの背中からがしょん、と色とりどりののびーるアームが追加で姿を現した。

「色っていうのはそういうことじゃなくて、その……女の子らしさってことですよ。
 いくら幻想郷広しといえども、日がな一日機械いじりをしてるのはにとりさんくらいのものです」
「まぁまぁ、いいじゃないですか。私の恋人はいつだってこのマッシーンたちなんですから。
 それにお言葉ですが天狗様、そういうあなたのほうだって……」
「文さまーっ!」
「ん?」

にとりがそう口を開きかけたその時、どこかから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ああ、椛ですか」
「もう! 一体どこをほっつき歩いてたんですか。今日はお休みの日なんでしょう?
 次の休みの日は私と一緒に遊びに行くって前から約束してたじゃないですか。取材ならまた今度にしてください」
「はいはい、わかってますって」
「それじゃ、早速行きましょう! 私、人里に美味しい料理屋さんができたって聞いたんです。
 なんでも幻想郷には珍しい洋風のお店だとか……」

傍らにいるにとりには目もくれず、椛はぱたぱたと尻尾を振りながら文の手を引っ張っていく。
その隣で文は一瞬にとりのほうを振り向いて、少し恥ずかしそうに頭を下げてみせた。

「……なんだい、ありゃ」

ぽつりと呟いたにとりを取り残して、二人の天狗は手と手を取り合ったまま里の方角へと向けて飛び立っていった。
すると見計らったかのようなタイミングで風が吹き、適当な石ころに立て掛けてあったスパナがかちゃんと情けなく倒れ込む。
背中のどぎつい千手観音も時間経過と共に元気をなくしてしまった。

いつから私は椛の中で窒素が八割酸素が二割の存在になったのだろうか――
そんな物悲しさに科学者思考を加えた中途半端ににとりらしい感想が一瞬頭を過ぎる。
しかしにとりはすぐに気を取り直して、そこらじゅうに散らばっている機械のパーツをリュックに詰め込み始めた。

「ま、いいか。今日は私も相棒と散策に出るとしよう!」

暇ができたら椛と大将棋でもしようかと思っていたが、その椛がいないのだから仕方がない。
大きなリュックをどっこいしょと背負いなおすと、がちょん、というメカニックな相槌ちが聞こえる。
相棒が自分の意思に応えてくれたことに気を良くしながら、にとりは軽やかなステップで川へと飛び込んでいった。





いつもの岩場を離れたにとりは、そのまま水面に浮かび上がって川の流れに身を委ねていた。
本当はにとりはきれいな水中が見えるうつぶせのほうが好きなのだが、
以前どざえもんと間違われて水中で見えない涙を流したことがあるため、今日は仕方なしにお天道様とにらめっこをしていた。
真夏を過ぎたとはいえまだまだ日差しは強いものの、山から流れる水の冷たさはとても心地が良い。
妖怪の山はいつの間にやら秋の装いに近づき始めていて、一面の緑色の中にわずかながらも紅葉色が溶け込んでいる。
ふと森の中に目をやれば、秋の神様が二人で仲良く踊っている姿が見えた。

「他にすることないのかなあのふたり……」

にとりがあまりにも無機質な感想を持つと同時に、葡萄の帽子が木の根につまずいて派手に転ぶ。
慌てて静葉が手を差し伸べると、穣子はすぐさま元気に起き上がり、再び笑顔でくるくると踊りはじめた。

「そういえばあいつらも、いっつも二人だよなぁ」

秋穣子と秋静葉。
姉妹である二人が一緒にいるのは当然といえば当然だが、この幻想郷にはどうにも二人組、もしくはそれ以上が多い。
紅魔館や白玉楼などにいる主従たちだってそうだし、山にやってきた神様たちも三人揃っていることが珍しくない。
それに引き換えにとりはというと、山に籠もっている時間が長く、あまり人付き合いが良いとは言えなかった。
先程文に言われたことも、そう考えてみれば一理あったかなぁ、という気になってくる。

「だからー、違うって言ってるでしょ!」
「おや?」
 
そんな風に深い緑の景色をぼんやりと眺めていると、今度は川を挟んで反対側からそんな声が飛び込んできた。
仰向けを立ち泳ぎに切り替えて水面から顔だけを出すと、周りの色と同じく緑の頭をした妖怪が目に入る。
いつの間にやら妖怪の山を抜け、霧の湖に通じる森の辺りまで流れてしまっていたらしい。

「何も私は、リグルが嘘つきだと思ってるわけじゃないんだけどねぇ」
「そーそー」

河の近くの森には蛍と夜雀に宵闇氷精、とめでたい頭が勢ぞろいしていた。
年中頭が春模様な妖怪たち。リリーホワイトが居着かないのが不思議なくらいである。
一体何を話しているのだろうと、にとりはポケットからイヤホンとマイクを取り出して、ちょっとだけ聞き耳を立ててみた。
 
「本当なんだってば。幽香さんってああ見えてすごく優しい人なんだよ!」
「……なんと」
 
一際大きな声をあげる緑っぽい妖怪の姿を見て、にとりは思わずそう呟いた。
今の幻想郷というやつはどうやらあんな面子でさえも色気づいているらしい。
 
「この前だって私が一人で遊びに行ったら、優しく出迎えてくれたもん」
「ええ~、嘘だぁ」
「リグルはきっと騙されてるんだよ。そうやって相手の油断を誘うのがアイツの作戦なんだって。
 私達が揃ったところでいっぺんに仕留めちゃおう! っていう」
「意外と見つからないなー。カエルのやつ」
 
遠巻きに様子を見る限り局面は三対一。
正確には二対一プラスオマケ一人か。
多数の側は言葉こそ否定的なものの、茶化すような口調の中には話の続きが気になるという様子がありありだった。
 
「そんなに言うなら今から私と一緒に行って嘘かどうか確かめてみればいいじゃん!」
「え……いやー、わ、私は屋台の仕事があるし。悪いけどパスね」
「ルーミアもパスー」
「んじゃあたいシュート!」

にとりは焦った。
あんな童のような連中でもいわゆる恋バナで盛り上がっているというのに、自分には全くそういった色香の類がない。
このままではあの氷精と同じ扱いをされてしまうことになる。
仮に馬鹿だと言われるにしても、機械馬鹿と呼ばれたいのがにとりの本音だった。

そのまま川流れを続けて霧の湖に到着したところで、にとりは本日初めての水泳で水底へと向かった。
この湖の底は邪魔が入らないので、思索に耽るにはもってこいの場所なのだ。
以前もこの場所であれこれ新発明のアイディアを考えて、結果新しいアイテムを作り出したという実績もある。

「もしかすると私ゃ、俗に言う『ぼっち』ってヤツになってしまったのかね……」

仄暗い湖の底に辿りついたにとりがそう呟くと、近くにいた魚が猛スピードで逃げて行ってしまった。ついに魚にさえ嫌われたか。
そしてその魚でさえも、群れの中で友達を見つけて魚同士仲良く暮らしている。
にとりは今更ながらに心がさみしくなった。
自分には姉妹も兄弟も恋人もいない。文と椛とは友達であることに間違いはないが、あの二人はお互いそれ以上に仲が良い。
妖怪の山には河童連中もいるが、あれはみんな自分と同じような性格なので、事務的な付き合いしかしたことがない。
他に会う機会が多いのは魔理沙くらいのものだが、あれは魔理沙の顔が抜群に広いだけであって、これまたとりわけ親交が深いというわけではない。
それに魔理沙のような人物なら、文と椛のようにきっと相思相愛の誰かがいるに違いない。
こうして考えてみると、姉妹や家族といった関係を持たない者は、みんな誰かパートナーを見つけているように思えてくる。
つまり時代は恋。そういうことなのだろう。幻想郷の流行に乗るためには、恋というものについて学ぶ必要がある。
結論に辿り着いたにとりの目の前をクジラみたいなサイズの鯉が横切った。

そういえば。
恋という話題に一つ思い当たる節があって、にとりは背中のリュックをどすんと自分の目の前に置いた。
確か文々。新聞によると、この湖のすぐ近くにある紅魔館にはそれはそれは仲の良い二人組がいるらしい。
うろ覚えだが名前をなんとか咲夜と、なんとかなんとかと言ったはずだ。うろ覚えというレベルではなかった。
疑心を確信に変えるため、にとりはごっついリュックの中をがさごそと漁った。
空中だろうが水中だろうがいつでも新聞が読めるよう、にとりはご丁寧にもビニール製のファイルに新聞を綴じておいたのだ。
自分の用意周到さに少しいい気分になりながら、にとりはようやくリュックの中から分厚いファイルを見つけ出した。
しかし意気揚々と取り出したファイルにはドーナツみたいな穴が空いていた。
さっきの一発芸のせいだった。にとりは静かにリュックの口を閉じた。
 
「うぅん、よくわからないぞ」

辛うじて取り出した一枚のビニールに綴じられた新聞には、そのなんとか咲夜と門番のツーショットが写っていた。
しかし文字が水で滲んでいて全く記事が読めない。ついでに門番の顔には大穴が空いてしまっている。
メイドのほうはどこかぶぜんとした表情をしているので、これでは本当に仲がいいのかどうかもわからない。
仕方がなしににとりは自分の全身、もとい全身についている各ポケットに手をやって、現在の持ち物を確認した。
光学迷彩スーツ。準備OK。
無指向性マイク。さっき使ったから大丈夫。
予備のバッテリー。予備の予備まで完璧に持ってる。
キュウリ。忘れた。
大雑把な確認作業の末、にとりの脳内で点ったのは緑のランプ。
すなわちGOサイン、である。
にとりは意を決して紅魔館に侵入することを決心した。
本当は吸血鬼のいる館なんて怖くて行きたくないが、今の武装はあいにく万全だった。
それにこのまま時代遅れのかっぱっぱーとして妖怪の山に引き返すだなんて、河童としてのプライドが許さないのだ。

「だいじょうぶだいじょうぶ、何も悪いことをしに行くわけじゃないんだ。
 それにこれは、私の発明を試すチャンスじゃないか」

自分に何度もそう言い聞かせながら、にとりは胸に片手を当てて深呼吸を繰り返した。水がおいしい。
覚悟を決めたにとりはきゅっと唇を噛み締め、そのまま水面へ上がろうと水底を蹴る直前、
やっぱり念のため遠くから回り込もう、と紅魔館とは全くの反対方向に泳いでいった。




 
紅く大きな門と隣り合わせに建てられた、一応紅魔館の一室である美鈴の部屋兼門番詰め所。
その殺風景かつあまり広いとはいえない空間は、本日に限って少しだけ華やいでいた。
 
「ほらほら、美鈴はいいから座ってなさい」
「そんな。なんだか悪いですね、咲夜さん」
 
密室となっているその部屋にいたのは、メイド長である十六夜咲夜、それに門番である紅美鈴の二人だった。
久々に二人きりの時間が取れたことが嬉しいのか、咲夜は瀟洒の肩書きが霞むほど上機嫌な笑顔を見せていた。
やや落ち着かない様子で席についている美鈴をたしなめながら、うきうきという効果音が聞こえてきそうな動作でお茶会の準備を進めていく。
山盛りとまではいかないまでも、程よいボリュームの焼きたてクッキー。
白いクリームに赤くて大きな自己主張が映える、イチゴの乗っかったショートケーキ。
当然ながらどれもこれも咲夜のお手製。傍から見たら誕生日かなんかと勘違いしそうな装いである。

「ミルクとレモンとストレート、今日の気分は何かしら? 美鈴」
「咲夜さんが淹れてくれるなら何でも構いませんよ」
「まぁ美鈴ったら。ふふふ」

相変わらずでれでれとした笑みを浮かべながら、咲夜は小洒落たカップに程よく温もったレモンティーを注いだ。
そこに美鈴の好みに合わせてミリ単位で調節した砂糖を加え、さらに全く同じものをもう一つ作る。
最後にカップの中身をティースプーンで優しくかき混ぜると、その片方を美鈴の前へと差し出した。

「はい、お待たせ。お味はどう?」
「うぅん、やっぱり咲夜さんの紅茶は美味しいです」
「うふふ。どういたしまして、美鈴」

美鈴が紅茶に口をつけると、その直前だけ引き締まっていた咲夜の表情がまたしても緩む。
咲夜も残った片方の紅茶に口をつけ、改めてその味を脳裏に深く刻み込んだ。

「それにしてもお嬢様の気まぐれも大概ですよね。
 突然無理難題を吹っかけるかと思えば、今日みたいに珍しく咲夜さんをお休みにすることもあるし。
 それに毎日振り回されてる咲夜さんは本当に大変です」
「何を言ってるの、美鈴」

かちゃり、と咲夜のティースプーンが音を立てた。

「お嬢様にはお嬢様のお考えがあるのよ。
 一見何も考えずに私たちで遊んでいるように見える時もあるけど、お嬢様には私たちの行く先々の運命が全て把握できてるんだから。
 私たちが今こうしてここに在ることができるのも、全てはお嬢様のお導きなのよ」
「咲夜さん……」

くどいようだが、咲夜はにっこにこの笑顔である。

「それじゃあ、私たちはお嬢様に感謝しなくちゃいけないんですね」
「その通りよ美鈴。だから今は、お嬢様に言われたとおり精一杯休暇を楽しみましょう」

美鈴がそうですね、と相槌ちを打ち、こちらにもようやく笑顔の花が咲く。
そしてその一部始終を窓際から見守っていたのが、我らが河城にとりであった。
 
「なるほど、これが恋愛というものか……」

光学迷彩に身を包んでいるというのに、にとりは目から上だけを窓枠から出してこっそりと室内を覗き込んでいた。
いくら光学迷彩とはいえ間近で見つめられたら居るのがばれる。
自分の発明に自信があるとはいえ、それを鼻にかけて無謀になるほど愚かではないのだ。てゆーか彼女はびびりだった。
室内にいる二人の視線が窓際を掠めるたびにモグラ叩きのモグラになりつつも、にとりは先ほどまでの疑心を今度こそ確信に変えた。
この二人は本当に仲が良いようだ。ついでにいえばちょっとだけうらやましい。
窓が閉められているので会話は聞き取れないが、まさか笑顔でけなし合いをしているということはないだろう。

そしてこれからの課題は、どうやって自分もこの二人のように幸せな時間を過ごすか、である。
そのためにもこの二人が何を話しているかを知りたいが、壁に耳を当てても笑い声さえ聞こえてこない。
こうなりゃ道具に頼るまで、とにとりがポケットからマイクと間違えて予備バッテリーを取り出した、その時だった。
 
「んぐっ!?」
 
突然背後から口を塞がれ、にとりはものすごい力で首根っこを引っ張られた。
そのまま十数メートルほどもぽいと放り投げられ、門から続く城壁のようなものに背中を打ち付ける。
がちゃん、とのびーるアームたちから悲鳴があがった。
 
「いたたたた……」
「ちょっと、あなた」
「ひゅいっ!?」
 
痛む背中をリュックサックの間からさするにとりの視界に、小さくもどこか力強いシルエットが現れる。
地べたに座り込んだにとりの前に仁王立ちしていたのは、永遠に紅い吸血鬼、レミリア・スカーレットだった。
 
「えー、あ、アイアム ア キューカンバーパペット……」
「日本語は通じるから安心なさい。というか外人と思われたのはこれが初めてだわ」
 
にとり渾身のジョークも通じず、目の前の少女がニヒルに微笑む。
最悪の事態だ。そんな何の捻りもない思考がにとりの頭を支配した。
よりによっていきなり紅魔館の主に会ってしまうとは、ハードラックもいいところである。
 
「私は紅魔館の当主レミリア・スカーレット。以後お見知り置きを……と言っても、以後があるかどうかは貴女次第だけどね」
「し、知ってるよあんたのことは。紅い館の吸血鬼って二つ名で有名人だもんな。
 確かあんた、霊夢と魔理沙の友達の咲夜ってやつが仕えてる吸血鬼の妹の姉なんだろう」
「余計なループを挟まないで貰えるかしら。
 そんなことより貴女……誰に断ってうちの従者たちの覗きをしていたのかしらね。
 返答次第ではただじゃおかないわよ」
 
びきびき、とレミリアの爪に力がこもる。
いくら童顔に幼い表情が張り付いているといえども、流石に剥き出しになった刃からはちょっぴり畏怖が感じられた。
 
「ち、違うんだ。私はなにも、あの二人の邪魔をしようとしたわけじゃ……」
「邪魔するとかしないとかそういう話は関係ないの。
 私は貴女が二人の甘美なひとときを横から味わっていたことが許せないのよ。
 ふふ、でもまだ大丈夫。そんなに怯えなくてもいいのよ。私だって鬼じゃないからね、貴女に最後のチャンスをあげる」

嘘つけ。吸血鬼だって鬼じゃないか!
にとりは思わずそう叫んだ。あくまでも心の中で。
 
「誰だって魔がさす、っていうことくらいはあるものね。
 紅魔が誇る美しい二人を見て、その眼を奪われてしまうのも無理のない話かもしれないわ。
 だから猛省の証としてあなたが身につけてるそれ……それを置いていくなら許してあげなくもないわ」
「だ、駄目だよ! こいつは私の命なんだ! ここまでフル可動する関節を作るまでどれだけ苦労したと……」
「ああ、いや、その。そっちじゃなくてね。その、ホントに今、身につけてるほう」
「へ?」
 
言われてにとりは自分の体を見た。
しかし見えなかった。
レミリアに引っつかまれた拍子に頭の部分だけ迷彩が解け、にとりはゆっくりしていきそうな感じになっていた。
つまるところ宙に浮かぶ生首。
この日なんとなく地下室を出ていたフランドールが偶然その光景を見かけてますます引きこもりになってしまうのだが、それはまた別のお話である。
 
「ははーん、さてはあんた……出歯亀だね」
「なななななんのことかしら!?」
「目がクロールしてるよ。お嬢さん」
 
動揺のあまりスロットのように目を白黒させながら、レミリアは背中の羽根を激しくばたつかせた。
いつの間にやら立場は逆転、慌てまくるレミリアに対して今度はにとりがニヤリと笑う。
 
「なんだいあんた。人様に偉そうに説教たれといて結局は自分も同類かい。
 残念だけど私の発明はそういうヨコシマな目的には使わせられないね」
「ふ、ふふ。なかなか言ってくれるじゃない。
 でもあなたがそのつもりならいいわ、タダでとは言わないから……。こいつと交換よ!」
「うっ……そ、それは!」
 
にとりの視線がレミリアの右手に釘付けになる。
一体どこから持ってきたのか、レミリアの指と指の間には三本のキューカンバが緑色に輝いていた。
 
「そ、そんなものに私が釣られうめぇ!」
 
ここでキューカンバにかじりついてはレミリアの思う壷、とばかりににとりがファイティングポーズをとる。
しかし無意識のうちに背中ののびーるアームがキュウリを口まで運んでいた。
 
「あはは、やっぱり大好物の誘惑には勝てなかったみたいね。
 さあ、光学迷彩スーツをよこしなさい!」
「パリポリ……!」
 
ぎりり、とキュウリを噛み締めながら、にとりは渋々迷彩スーツをレミリアに差し出した。
 
「ふふん、最初から素直にそうしてればいいのよ。
 ……ってなにこれ。スーツっていうからもっと服らしいものを想像してたけど、どっちかというとカッパみたいね」
「……スーツ形式だと全身が隠れないからね。それよりどうだい、着心地のほうは」
「ぶかぶかだわ」
「うん。見えない」
 
ごそごそと衣類が擦れ合うような音を立てながら、へーとかほーとかレミリアが感嘆の声を漏らす。
もちろん姿は透明なまま。
小さな子供がぶかぶかの服に身を包む瞬間など、見る者によっては鼻から流血ものだろう。見えないが。
いずれにせよにとりは全く関心がなかったので、貰ったばかりのキュウリをもう一口かじった。
 
「しかし、なんであんたはこんなに用意がいいんだ。まるで私が来るのが分かってたみたいじゃないか」
「愚問ね。私の能力を持ってすればこのくらい朝飯前よ。
 そのキュウリたちは今この瞬間、貴女の手元にある運命だったんだから」
 
恐らくニヤリと笑ったであろうレミリアを想像して、にとりは愕然とした。
まさかこの幻想郷に『ここぞの場面でキュウリを用意する程度の能力』なんてものが存在するとは。
いやいやもっとシンプルに『キュウリを操る程度の能力』の持ち主なのだろうか。
そうだとしたら大変うらやましい。にとりは胸が高鳴るのを感じた。これが恋か。
 
「つまり私にとってのキュウリが椛にとっての天狗様だったってわけか……」
「何を訳のわからないことを言ってるのよ。
 それにしてもこんな日に限ってネギが鴨背負ってやってくるなんてね……。さすがは私の豪運、ってところかしら」
「随分器用なネギだねそりゃ。それにこんな日、ってのは一体どういうことだい?」
「貴女もさっき見たでしょう? 咲夜と美鈴が仲むつまじくお茶してるところを。
 あれは私が二人のために作った親睦を深めるためのチャンスなのよ」
「親睦を深める? 二人は仲が悪いの?」
「逆よ逆。あの娘たちはそれなりに仲が良いんだけど、もう一歩関係が深くならなくてね。
 それで私はそのサポートをしてあげよう、と思ってるってわけ」
「サポート?」
「だってあの娘たちったら見てるこっちがやきもきするほど進展がないんだもん。
 ここはやっぱりなんらかのアクシデントが必要じゃない? 例えば、偶然咲夜が転んで美鈴を押し倒すとか」
「そんなのどうやって?」
「どうするも何も……姿が見えなくなってるんだからやりたい放題よ。
 直接二人の間に入り込んで咲夜に足をかけてやってもいいし、ロープかなんかで罠を作ってもいいし」
「今、何問目?」
「ぶつわよ」
 
キュウリの後半をむさぼるにとりの頭を透明な手がすぱーんとひっぱたいた。
 
「でもあんた、あのメイドのご主人様なんだろう?
 それなら隠れたりせず堂々と部屋に入っていけばいいじゃないか。
 それともあのメイドは主人の命令に逆らうようなやつなのかな」
「分かってないわねーあんた。それじゃ二人きりってシチュエーションが台無しでしょ。
 それに咲夜はあれでなかなかツンデレ気味なところがあってね、私の前だと美鈴に甘えようとしないのよ」
「つんでれ……なんだいそれは」
「本当は相手のことが好きなのに素直になれなくてつい意地悪な態度を取ってしまう、っていう乙女特有の恋の病よ。
 恥じらいがあるのか主人である私の前だからなのかはわからないけど、咲夜は私の前だと美鈴に対して素直になれないの」
「へぇ。そんなものがあるのか」

先程素晴らしい笑顔を見せていた咲夜の姿を思い出し、にとりは一人で大いに納得した。
新聞に写っていた咲夜が不機嫌そうだったのは、二人きりというシチュエーションに文という邪魔が入ったためなのだろう。

「とにかく、二人が離れないうちに私はもう行くから。
 これ以上私の邪魔立てをするなら今度こそ八つ裂きにされると思ってなさい。
 そもそも、なんで河童がうちの敷地にいるのよ」
「ああ、そうだった」

一本目のキュウリを完食して、にとりはごほんと一つ咳払いを入れた。
残弾数は2か。ペース配分には気をつけなくてはならない。

「私は色というものを勉強しにここまで来たんだ。
 天狗様の書いてる新聞のおかげで、ここにそういうものがあるって話は聞いてたからね」
「色……ああ、それで美鈴のところに来たのね」

ストレートに言うのがちょっと恥ずかしいので、敢えて文と同じ遠まわしな表現でレミリアに尋ねる。
それでもレミリアはにとりの質問の趣旨を理解したのか、親指を立てて自分の背中のほうを指差した。
つもりなのだが迷彩のおかげでやっぱりにとりには見えなかった。

「それなら美鈴よりもっと話の通じるやつがいるわよ。アリス・マーガトロイドっていう人形遣いなんだけど。
 確か地下の図書館でお茶してるところだと思うから、あなたも混ぜてもらったらどう?」
「成る程、そいつはいいや。ご丁寧にどうも!」

レミリアに帽子を取って一礼をして、にとりは軽やかな足取りで館の入り口へと向かった。
怖いと思っていた吸血鬼も話せば意外と分かり合えるものだ。
質問の趣旨を瞬時に理解して客人を導く辺り、頭の回転のよさと気品が伺える。
恋人にするならそういうお高いやつもいいかな、なんてことを考えながら、にとりは地下への階段を目指してずんずんと突き進んでいった。

一方咲夜たちの元へ一人でこっそりと向かったレミリアは、窓際で一生懸命背伸びをしながら満足そうに呟いた。
 
「まあ、同じ七色でもあっちのほうがいいわよね」
 
 
 

 
単身紅魔館の地下に乗り込んだにとりは、予想に反して広い地下の様相に感嘆していた。
地下というと狭くて息苦しいというイメージしかないが、ここの地下は全くそんな雰囲気がない。
むしろ先の見えない廊下の奥から風すら吹いてきそうな雰囲気さえある。例えるとするなら洞窟か。
壁紙・インテリアなどの内装がことごとくシャア専用なのは、やはりスカーレットの名から来るお嬢様のこだわりなのだろう。
ただ全体的に灯かりの乏しい空間とあって、視界が悪いという点だけは唯一イメージ通りだった。

暗い廊下をひたひたと、一人の河童がのし歩く。
これだけ語ればなかなか妖怪としての威厳が感じられるシチュエーションなのだが、
地下に降りてから装着した暗視用のゴーグルと右手のキュウリのせいで大事な何かが失われていた。
 
「なんでこんなに広いんだろう、ここ」

ゴーグルの倍率を調整しながら、無駄に広い天井やら廊下の先やらを首をぐるぐる回して一通り眺める。
にとりとしてはどうして広くしているのか、というよりもどうやって広くしているのか、というのが気になるポイントだった。
普通はこれだけの空間を地下に作れば上階が崩れそうなものなのに、この地下通路は澄ました顔をして延々と存在している。
廊下は続くよどこまでも。流石に野を越えたり山を越えたりすることはないだろうが。
とはいえあんまりドタバタすると、突然天井が崩れて生き埋めになってしまうかもしれない。
そう思うとあまりいい心地はしなかった。
さらに風の噂によると、この地下にはレミリアよりもずっと恐ろしい吸血鬼が住んでいるらしい。
にとりは純粋にそれが怖かった。
常日頃からいろいろなシチュエーションに備えて機械製作をしているものの、流石に対吸血鬼用の発明をしたことはない。
十字架やニンニクなんて持ってないし。
にとりはとりあえず携帯ゲーム機の十字キーを頼りにすることにした。
 
「どっかに変な奴でもいるんじゃないだろうな」
 
顔にはゴーグル右手にキュウリ、左手でゲーム機を振りかざしながらにとりがそう漏らす。
そのセリフそっくりそのままお前に返すわ。と紅魔館は思った。
いちいち呟く独り言やキュウリをかじる音が意外なまでに反響して、そのたびに心臓の鼓動が早くなる。
けっこうな距離を歩いたはずなのになかなか図書館とやらの入り口は見えてこない。
どのくらい進んだのか後ろを振り向けばわかるはずなのだが、それすらも怖くてにとりは前方ばかりに目を遣っていた。
やはりこう考えると光学迷彩スーツを手渡してしまったのは痛い。
が、そこは命あっての物種である。
吸血鬼の逆鱗に触れかけてしまった以上、あの場面はああする他生き延びる道は無かったのだ。
山に戻れば迷彩スーツのスペアはある。それで安息が買えるなら安いものだろう。
しかし自分にそう言い聞かせても、実のところにとりの気分はあまり優れなかった。
理由はどうあれ自慢の発明品を強奪されるという屈辱を味わわされたことに違いはないのだ。
同じ味を今も口に含んでいるが。
 
何もない廊下にぱりぽりがちゃがちゃと他人には真似できない音を響かせつつ、にとりはようやく図書館の前にやってきた。
しかし、そこで足が止まってしまった。
 
「うおぉぅ……」
 
松明に照らされた赤茶色い扉は、来客者に向けて無言のプレッシャーを放っている。
にとりはごくり、とキュウリを飲み干した。
ただでさえ中にいる人物と面識がないというのに、何があるかわからない所に足を踏み込むのはなかなかに恐いものがある。
そして何よりもこの扉、デカい。
ついでに押せばいいのか引けばいいのかも分からない。
自然と中に入っていけるのならまだしも、開け方を間違えて派手な音を立ててしまって、
中にいる人物の注目を惹いてから入りなおすというのは恥ずかしい。
にとりはどっちかというと人前に出るのが得意なほうではなかった。
意味もなく扉の前をうろうろしながら、気持ちを落ち着かせるためにとりあえず三本目のキュウリに手をつける。
いったいどうしたものか、まさかこんな不測の事態に陥るとは思わなかった。
元々こんな所に来るはずじゃなかったとはいえ、やはり味噌くらいは持ってくるべきだったか。
さすがに三本目ともなれば好物といえども飽きが来る。あれ? 論点ずれてね?
 
そんな風ににとりがなんだかんだできゅうりの下端を口の中に押し込んだその時、目の前の扉ががこん、と音を立てて開かれた。
 
「あら……」
「!!」
 
開かれた扉の隙間から件の人形遣いが姿を現して、にとりの心臓がまたしてもどきんと鳴る。
しかしその胸の鼓動は、今度は驚きと言うよりもむしろ高鳴りに近いものだった。
 
「(え……?)」
 
目の前にある人物の姿に、思わず目を奪われる。
よく手入れされたさらさらの金髪に、コバルトブルーの澄んだ瞳。
間近で自分を見つめる視線に含まれた無機質ささえも格好よく感じられる、そんな感情。
まさしく、一目惚れというやつだった。
 
「何よ黙っちゃって、一体――」
「あ、あぁ……」
 
どう見ても変質者ですと言わんばかりのオプションに身を包んだにとりを見て、アリスが怪訝そうな顔つきをする。
しかしその言葉さえも耳に入っていないのか、にとりは弱々しく両腕を伸ばしたままふらふらと前進した。
幻想郷でも無二の存在、それに気を惹かれないほどにとりは鈍感ではなかったのだ。
明らかに異質なにとりの様子を見て、グリモワールを抱きかかえるようにしてアリスが身構える。
しかしにとりはそれにも構わず、ついに堪え切れなくなって思い切り抱き着いてしまった。
 
上海人形に。
 
「なんだこれ! すげえぇええ」
「ちょ、ちょっと! 離しなさいよ!」
 
思い切り上海を抱きしめるにとりを見て、その意図に気付いたアリスが無理矢理両者を引き離しにかかる。
しかし目の色をスパナに変えたにとりは簡単には引き下がらず、二人は上海の両腕を線対称に引っ張る形となった。
 
「浮いてる! 動いてる! しかも可愛いいいい!!」
「やめなさいよこのっ……手を放しなさい!」
「イタイヨーアリスー」
「しゃべったーー!!」 
 
分解したい。バラしたい。両目のスパナがますます輝く。
確か古い文献によると、偽者の母親と本物の母親が子供の手を引っ張った暁には、本物の母親のほうが手を放すものらしい。
そういうことなら勝算アリだ。
にとりはどこまでも狡猾だった。
 
「騒がしいわね。一体どうしたのよ」
「パチュリー!」
「おおお!?」
 
悲鳴とも歓声ともつかない叫び声を聞いて、今度は図書館の主が姿を現す。
同時ににとりが掴んでいた上海の右腕がもげて、勢い余ったにとりはごろんごろんと後転しながら闇に吸い込まれていった。
 
「ああっ、上海大丈夫!?」
「オマエノメハフシアナカー」
「あんまり耳元で大きな声を出さないで。
 それよりもさっきのあれって、もしかすると妖怪の山の河童じゃない?」
「え、ええ? そう言われればそうかも……」

パチュリーの手から小さな炎がほとばしり、扉のところに備え付けられていた明かりが力強さを取り戻す。
その光に照らされたにとりはヨガみたいなポーズで静止していた。
 
「大丈夫、あなた……すごい体勢になってるみたいだけど。
 それは一応アリスのものだから、返してもらえるかしら」
「あ、ああ。いうえお」
 
すごいポーズで固まったままのにとりにパチュリーが右手を差し出す。
転がりすぎたせいで目を回しながらも、にとりはどうにか体勢を立て直しパチュリーに上海の右腕を手渡した。
しかし未だに両目はスパナのままだった。このままではパチュリーがバラされそうな勢いである。
 
「ふぅん、あなたがねぇ……」
「ん、なんだい、私がなにか?」
「いえ、なんでも。とりあえずいつまでもそんなところに座ってないで、中へいらっしゃい。歓迎するわ」

パチュリーはそれだけ言い残すと、にとりを待つこともせずさっさと図書館に戻ってしまった。
にとりもその後を追うようにして慌てて起き上がり、閉まりかけた扉の取っ手をすんでのところで掴む。
そして扉が押しても引いても開くタイプであることを確認し、これで帰りも安心だとほっと一息をついてから、にとりも図書館へと足を踏み入れていった。




 
「こちらへどうぞ」

司書と思わしき悪魔スタイルの人に中に通されて、にとりはおずおずと紅い絨毯を踏みしめた。
出迎えてくれたのは廊下よりもさらにクレイジーな広さを持つ空間。
理路整然と本棚が並んでいて、ドミノ倒しをしたら大変爽快そうである。
きょろきょろと辺りを見回していると、いつの間にかこの司書さんと二人きりになっていることに気がついた。
さっきの図書館の人、名前は忘れてしまったが仮にパジャマ氏ということにしておこう――は
この司書みたいな人に指示を出してどこかへ行ってしまったし、一方のアリスもまた図書館から出て行ってしまった。
一体どういうつもりなのだろう。いずれにせよあまり歓迎されてはいないようで、にとりは気分が落ち着かなかった。

そのままたっぷり五分ほど図書館を歩くと、ぽっかりと広がった空間に本が山積みにされた場所と、さらに小さなテーブルが見えてくる。
室内でひとつの部屋を五分も歩いたのはにとりにとって初めての経験だっだ。ますます何かがおかしい。
そして案内された席について待っていると、有無を言わさずハーブの香りが漂う紅茶が出てきた。
本当は緑茶が飲みたい気分だったが仕方がない、郷に入っては郷に従えというやつだ。
さっきのメイドと門番も同じようなものを飲んでいたから、ここではこういうものが流行っているのだろう。

「紅茶のおかわりなら用意できますから、気軽に声を掛けてくださいね」

紅茶に手を伸ばそうとした瞬間司書さんにそう言われ、にとりは慌てて頭を下げた。いちいち間が悪い。
さっきのパジャマ氏にこあくま、と呼ばれていた司書さん。
でもそれって名前じゃなくて種族なんじゃないかな。
あのパジャマ氏はもし犬を飼ったら『いぬ』という名前をつけるのだろうか。
どんなに優れた発明だってネーミングが良くないと有名にはなれないのに。
そんなことを考えながらにとりが小悪魔さんの背中を見送っていると、今度は入れ代わるようにして人形遣いのほうが戻ってくる。
手にはシルク生地っぽいハンカチ。そうかお手洗いか。きれいな指をしてるなとにとりは思った。
先程人形を強奪しようとしたのが気に触ったらしくアリスは仏頂面で、にとりには一瞥もくれず黙って席に着いた。
じっとしているのもかえって気まずいので、ここぞとばかりに腰のボタンに手をやる。
おめでとうにとりはカイリキーにしんかした。しかしアリスにはこうかがないみたいだった。
一発芸が受けなかったことにショックを受けつつも、にとりはほのかな甘い香りとともに湯気を立てるカップに口をつけた。
慣れない西洋のカップを使うので火傷をしないように慎重に紅茶をすする。
ずず、と音を立てたら今度はアリスに睨まれた。無作法で悪かったな。
なかなかさっきのパジャマ氏が戻ってこない上にアリスも喋らないので、仕方なしに薄暗い図書館の様子を見回す。
この地下にある図書館というやつはカビくさい上にとても古めかしい。
にとりのお眼鏡に留まりそうなインテリアも、強いて挙げればというレベルで古時計ぐらいしかなかった。

「待たせたわね。今日はうちのメイドがいないから何かと不便なのよ」

あさっての方向に視線をやっているうちにさっきのパジャマ氏が戻ってきて、どすん、と無造作に本をテーブルに置く。
その振動でにとりのカップから紅茶がちょっとだけこぼれた。

「自己紹介がまだだったわね。私はパチュリー・ノーレッジ、一応この図書館の管理を任されているものよ。
 管理と言っても、ただ一日中この部屋にいるだけなんだけど」
 
パチュリーの口から『ぱ』という単語を聞いた一瞬だけ、本当にパジャマという名前なのかと期待してしまった。
しかし世の中それほど甘くない。気を取り直して紅茶をすする。こちらは甘い。

「それでこっちの金髪がアリス・マーガトロイド。
 さっきあなたも見たと思うけど、人形を操るのが彼女の能力よ。
 そして河城にとり。あなたの名前は魔理沙から聞いたことがあるわ」
「お、おお。そいつはどうも」
 
あまり表情がなく早口で捲くし立てられるので、にとりは内心ちょっとどきどきしていた。
こういうタイプの人物は苦手である。同じ感想をレミリアとアリスにも持ったが。
 
「私、一度あなたと話をしてみたいと思ってたのよ。
 魔理沙がよくここに来てあなたの話をするから、一体どんな奴なのかってね」
「私も同感ね。こうして姿を見るのも初めてだから、どういうやつなのか知っておきたいし」
「い、いやいやそんな。私は品定めされるほど出来た人格者じゃないよ」
「人格者だかなんだかはどうでもいいの。気になるのはあなたの魅力よ」
 
にとりが思わず目を逸らしたくなるほどの熱視線をアリスとパチュリー両名が送ってくる。
ほとんど初対面の二人に見つめられて、にとりの心拍数は上がる一方だった。
何せ魅力がどうだとかそんなことを言われたのはこれが初めてなのだ。
しかしその割には口調といい態度といい、決して好意的とは思えない。
そしてそれよりもさっきからいちいち魔理沙の名前が出てくることが気になる。
ここは思い切って聞いてみるべきか。にとりはなけなしの勇気を振り絞ってそう決心した。
このまま黙っていると主導権は二人分けになってしまう。
 
「な、なあ。あんたたちはその、魔理沙となにか特別な関係でもあるの?」
「……べ、別にそんな。あいつと私は犬猿の仲だもの」
「私もよ。毎日のように本を持っていかれてるんだから、こっちはいい迷惑だわ」
「あらら。そ、そうなんだ」
 
一転してぷいとそっぽを向いてしまった二人を見て、にとりは首をひねった。
出無精な自分でも分かるほど顔が広い魔理沙も、幻想郷の全員と仲が良いわけではないということか。
あいつはややお調子者の傾向が見られるから、こいつらみたいなお堅い相手とは相性が悪いのだろう。
 
「そういうあなたはどうなのよ。魔理沙のことはどう思ってるの?」
「いや、私は別にそのへんはなんとも……。人間の知り合いが珍しいってのはあるけどさ」
「ふぅん。それじゃあなたは魔理沙には興味がない、ってことね」
「興味が、ない?」
 
オウム返しにそう言ってしまってから、にとりはふと考えた。
興味が無いという表現はいささか乱暴ではないか。別に魔理沙のことが嫌いなわけではない。
魔理沙は変人寄りの自分のところにもよく遊びに来てくれるし、実際話をしてみてもいい奴だった。
ここで突き放してしまうのは、第三者を介入するとはいえちょっとばかし可哀想だ。
だからにとりは、率直な気持ちを二人に述べた。
 
「あーいや、魔理沙の奴は嫌いじゃないよ。むしろ、好きなくらいだ」
「ッ!!」
 
瞬間、部屋の空気が凍りつく。
同時ににとりの顔面から汗が噴出した。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
にとりは暖かさを求めて手元のカップに両手をやった。
 
「そ、そう……。薄々そんな感じじゃないかとは思ってたけど、まさかストレートにその、……なんて言えるとはね」
「ええ。なかなかどうして、大胆じゃない」
 
ハンカチを噛んだら簡単に引きちぎれそうな勢いで歯軋りしながら魔女たちがそう言う。
もしや、と思ってにとりは改めて室内を見回した。
しかしにとりの予想は外れた。橋姫はどこにもいなかった。
アリスとパチュリーはまるで見計らったかのように同じタイミングで紅茶に口をつけている。
何がそんなにショックなのだろう。
魔理沙のことを悪く言っているくせに、私が魔理沙を好いていることには問題があるらしい。
これではまるで――
 
「……あっ」
 
改めてそこまで考えて、にとりはようやく合点がいった。
これまでの道のりで見てきたもの。それらと今の状況を照らし合わせれば、容易に答えが現れる。
そういうことだったのか。
いくら私が恋愛に疎くて鈍くてビギナーとはいえ、それくらいは気がつく。
心なしか頬を赤らめている二人を見て、にとりは今度こそ確信した。
こいつら二人は、好意を抱いているのだ。

私に対して。

「私だって人前でそんなにストレートな気持ちを言ったことなんてないのに……」
「全くだわ。ずるい女ね」
 
だからこの二人は私が魔理沙を好いているのがショックなのだ。
そりゃあそうだ。私だって椛にスルーされたときは心がさみしくなった。
いったいいつの間にここまで名前が広まってしまったのかわからないが、きっと魔理沙から私の話を聞いて興味が生まれたに違いない。
それか私の発明の素晴らしさに気がつける話のわかる奴らなのか。
最初につっけんどんな態度を取っていたのはさっき聞いた『ツンデレ』というやつなのだろう。
あらかじめ勉強しておいて本当によかった。
さすが、紅魔館ほどの当主になると頼りになる。

「ごめんごめん、私ニブちんなもんでお前さんたちの気持ちに気がつくのが遅れちゃったんだよ」
「あ、あらそう……。でも別に構わないわよ、あなたの気持ちがどうあろうと私の気持ちは変わらないもの」
「ええ。状況には何も変わりがないわね」

引き攣った笑みを見せながら、アリスとパチュリーが悔しげに言う。
その姿ににとりは感銘を受けた。
なんと健気な心の持ち主なのだろう。
私が裏切りにも等しい発言をしたにも関わらず、二人はこれまで通りに私を想ってくれるというのだ。
感動のあまりちょっとだけ俯いたら予期せず視界がぼやけた。紅茶の湯気だった。そういやゴーグルつけっぱなしだ。

「……でも、あなたがそのつもりなら仕方が無いわ。
 何もあなたに魔理沙を好きになる権利が無い、だなんて言うつもりはないし」
「これで私たちは三角関係ならぬ、四角関係になったわけね」
「ああ、そういうことになる……のかな?」

四角関係。ここまでの話の流れを総合すると、こいつら二人と私が繋がっていることは確実である。
しかしそうなると魔理沙の位置が訳の分からないことになってしまわないだろうか。
さっきも言ったとおり私は魔理沙が嫌いなわけではない。
なんだかんだあいつとは仲良くなったし、よく物を壊すようなので面倒を見てやりたい気持ちはある。
でもここで余計な口出しをしたら二人の機嫌をますます損ねてしまいそうだ。
にとりは仕方なく脳内で描いた四角形に自分だけ対角線を一本入れることにした。

「どうやら話し合いの余地はないみたいね。いいわ、あなたの覚悟が分かっただけでも十分よ」
「今日はこの辺りでお開きね」
「おや、もう終わりかい? ……まあ別に構わんけど」

これまた見計らったかのようなタイミングで二人が同時に席を立つ。
にとりは残りの紅茶を飲み干しながら、こっそり一人で愛好を崩した。
今日は久しぶりに友達、もしくはそれ以上が二人も増えたのだ。気分が悪いわけがない。
これが色というものの正体か。自分が当事者になってようやくその味がわかったが、これは素晴らしく美味いものだ。

「まあ、あいつみたいなぽっと出のエンジニアに負けるほど私は落ちぶれてないけどね。
 永夜の異変の時だって、私と魔理沙の息はぴったりだったもの」
「あらあら、出戻りのあんたと違って私と魔理沙は紅霧異変の時からの仲なのよ。そういう意味ではあんたよりずっと……」
「こあくまさーん、紅茶のおかわりください」
「はいただいまー」

今日という日のこの味を、しっかりと頭にインプットしておこう。
去り行く二人の会話には耳も貸さず、にとりは高らかに紅茶のおかわりをオーダーした。




 
にとりが図書館を後にして地上に出てきた頃には、もうすっかり陽が傾いていた。
門の前では美鈴とアリスが立ち話をしている。美鈴は片足立ちになっていて、右足に包帯らしきものを巻いていた。
 
「あら、噂をすれば」
「ああ本当だ、私が見たことのないお客さんですね。休みを貰ってる時に限ってこうなんだもんなぁ。
 ごめんなさいね、えーと……河城にとりさん。何の案内も出来なくて」
「いやいや気にしなくていいさ。それよりもその足、なんで包帯なんか巻いてるの?」
「いやー、それがさっき休憩中に咲夜さんとサッカーの話をしてたんですけど、シュートの素振りをしたら何かにぶつけちゃったみたいで……。
 狭い室内でしたからねー。その拍子にぐにっと足首を変な方向に捻っちゃったんですよ。
 でもおかしいなぁ、足元には何も置いてなかったはずなんだけどなぁ」
 
首をかしげる美鈴を見て、にとりも同じく首をひねった。
そういうSF的な超常現象の類には興味がある。世の中科学で解明できないことはないのだ。
だって、見えなかっただなんてまるで光学迷彩……あ。
すぐに比較的新しい記憶の中から思い当たる節を見つけた。冷や汗がナイアガラになった。
 
「それじゃ、話の腰も折れたことだし私は帰るとするわ」
「はい、それではまた。にとりさんもお帰りですか?」
「お、おお! 生きてたらまたいずれどこかで!」
 
出来る限りの遠まわしな再会フラグを立てつつ、にとりは精一杯の笑みを作ってみせた。
恐らく二度と紅魔館に足を踏み込むことは無いだろう。命が惜しい。
 
「ねぇ大丈夫、あなた? 顔色が悪いみたいだけど」
「いやいやいや気にするな。なんてことはないさ」
「あんまり強がらないほうがいいと思うわよ。
 ここの地下っていろんな魔力が混ざり合って存在してるからね、それに中てられたのかもしれないわ」
 
慌てて取り繕うにとりの顔色をアリスが覗き込む。
間近にアリスのやや心配そうな表情が迫ってきて、にとりは思わず視線を逸らした。
お人形のような人形遣いの顔は、間近で見ると確かに美しい。
 
「……今更だけど、あなたって本当によく分からない格好をしてるわね」
「ああ、このリュック? 汚れてるのは気にしないでおくれよ。洗ってないわけじゃなくて、オイルが落ちないんだ」
「リュックとかそういう問題じゃなくて、服のセンスからして変わってると思うんだけど……
 すごいポケットの数。あなたみたいな格好をしてる人なんて他に見たことがないわ」
「まあまあいいじゃないか。みんながみんな同じ格好をしてても面白くないだろう?
 せっかくなら珍しいものを使いこなして見せるほうが、俄然気勢が上がるってもんさ」
「そりゃあ見る人が見たらあがるでしょうね。奇声」
 
他愛のない会話を繰り返しながら、二人並んで帰路に着く。
我ながらなかなかいい雰囲気だとにとりは思った。
しかし今のにとりにとっては、その雰囲気よりももっと大事なことがあった。

「(アリスには悪いけど、やっぱりこればっかりは諦められないね)」

アリスの半歩左斜め後ろを歩きながら、にとりは横目と上目遣いの中間くらいの目でアリスの顔色を伺った。
にとりよりも少しだけ背の高いアリスの視線はまっすぐに目の前の夕陽に向けられている。
チャンスは今しかない。
 
「なぁあんた、知ってるか?」
「何よ、藪から棒に」
「見てみなよ。あの夕陽を」
 
湖の前で立ち止まり、アリスの左肩に右手をかけて、左手で沈んで行く夕陽を指差す。
眉間にしわを寄せながらも、アリスは嫌々ながら夕焼け空を見上げてくれた。
 
「お天道様がああやって沈んでいくのはなぁ、地球が回ってるからなんだよ」
「当たり前じゃないそんなの。天文学なら勉強したことがあるから知ってるわ」
「人の話は最後まで聞きな。そうやって地球が回ってるあいだ、他の惑星たちはその周りを回ってて……」
 
にとりの話にアリスが気を取られているうちに、にとりの第三の手、のびーるアームが動き出した。
のびーるアームはこっそりとアリスの斜め後ろにいた上海を鷲づかみにし、しゅるしゅるとリュックに収納されていく。
アリスはまだ気が付いていない。
よしよし、もう少しだ。にとりは内心でほくそ笑んだ。

「……だから、織姫と彦星が七夕の日に年に一度だけ出会うってのは、実際問題宇宙戦争の引き金みたいなもんで……」
「さっきから支離滅裂よ。あなたの話」
「アリスー!」
「なっ!! 上海!?」
「ああっ、しまった!」
 
しかしのびーるアームが何事もなかったかのようににとりのリュックに収納されようとしたその瞬間、上海から助けを求める声が上がった。
当然アリスもにとりの犯行に気が付く。
自分の浅はかさににとりは舌打ちした。そうだこいつは喋る人形だった!
 
「この泥棒河童……! 油断も隙もないわね。手癖の悪いところは魔理沙にそっくりだわ!」
「おっと! 泥棒だなんて人聞きの悪い。別に盗むわけじゃないよ、ちょっとだけ借りるだけさ!」
「最後のセリフまで統一するなー!」
 
アリスが慌てて伸ばす手を間一髪のところでかわす。
スペルカードを使われる前に、とにとりはこれまた腰の辺りをまさぐった。
もちろん求めているものはのびーるアームではない。今はおにぎりなんて握らなくていい。
にとりが探していたものは、背中のロケットの点火スイッチだった。
 
「悪いがこいつはテイクアウトだ!」
 
そしてにとりはテイクオフした。
背中のジェットから噴煙をあげつつ、こっそり自力で空を飛ぶ。
残念なことに河童の技術力を持ってしても、まだ人一人を飛ばすだけの推力は開発されていないのだ。
強いて言えば黒い煙が煙幕代わりとなっているのが唯一の救いだろうか。
派手な演出のわりにそれほどスピードが出ないまま、湖の方角へとにとりは飛んでいく。
煙の中を強引にアリスが追ってくるかもしれないが、問題はない。
何せ人質兼相手の武器ははすでにこちらの手の内なのだ。
人形がなくては何もできまい――にとりはそうほくそ笑んだが、それはあまりにもリサーチ不足といえる感想だった。

「咒詛『蓬莱人形』ッ!」
「うおわぁっ!?」

煙の中から突然、鋭く光るレーザーがいくつも飛び出す。
油断たっぷりだったにとりはその一撃で大きくバランスを崩し、いとも簡単に打ち落とされてしまった。
真っ逆さまに湖へと落下する途中、アリスの周りに別の人形たちが取り巻いているのが見える。
アリスの手持ちは上海人形一体だけではなかったのだ。
煙幕を張りながら空を飛んだにとりは新しい人形達に気がつかず、何も手を打つことが出来なかった。
策士策に溺れる。水に溺れないにとりが溺れるのは実に珍しいことだった。
 
「くそ、失敗した……っていたたた」
「あら、もう浮かび上がってきたのね。そのまま沈んじゃえばよかったのに」
 
けっこうな高さから落下したせいもあって、思いのほか深く沈んだにとりがやっとのことで水面に顔を出した。
その頭を空中で待ち構えていたアリスの足がぐりぐりと踏みつける。
そこそこ厚底のブーツなので、あざでもできそうなほどおでこが痛い。
泳いでいるとけっこう水深がある場所なのだが、空を飛べる幻想郷の住人には全く関係のないことだった。
 
「いたたたた、やめておくれよ。私が悪かったからさ」
「ふん、嘗めた真似をするからそういう目に遭うのよ。気を使ってやって損したわ」
「なんだい、そんなにツンツンしなくたっていいじゃないか。
 せっかく二人きりになったんだからデレデレしてくれたっていいのに」
「はぁ? 馬鹿じゃないの、なんで私があんたみたいなやつにデレなくちゃならないのよ」
「え……」
 
まるで先ほどのレーザーのように鋭い視線を浴びせられ、にとりは言葉を失った。

「あれ、でも、さっき……」
「何を勘違いしてるのか知らないけど、私が興味あるのは魔理沙のほうよ。
 つまり、私とあんたは対立関係にあるってわけ。あんたは私の敵なの」
 
冷たく言い放たれた言葉が、ぐさりと心に突き刺さる。

「魔理沙もなんでこんなやつと付き合ってるんだかね。
 二度とこんな変態に近づかないほうがいい、って忠告してあげたほうがいいかしら。
 さぁ、行くわよ上海」
 
アリスはそのまま空中でスカートを翻して、水面のにとりを見下しながら飛び立っていった。
そのアリスを追いかけて、びしょ濡れになった上海が同じくふらふらと水面を離れていく。 
しかし今のにとりには、その上海を再び捕獲するような気力はなかった。

――あんたみたいな、へんたい。
 
最後にアリスに言われた言葉が何度も頭の中で反響する。
せっかく友達が増えたと思ったのに、どうやら全て自分の勘違いだったらしい。
 
「はは、馬っ鹿みたいだな、私……」
 
仰向けに水に浮かんだにとりの視界がまたしても霞んだ。今度はゴーグルはつけてなかった。





妖怪の山へと帰ってきたにとりは、出かける前に陣取っていた岩の上ではなく、滝の裏側の洞穴へと戻ってきた。
滝に入るところで頭から水をかぶったので、全身からびちゃびちゃと水が滴る。
普段は気にならない衣服の濡れも、今日はひどく重苦しく感じられた。

「おーおー、派手にやられたなぁ」

最後のアリスとのやり取り、というかやられただけの弾幕ごっこのせいで、ロケットのエンジン部分は見るも無惨に破損していた。
爆発しなかったのは不幸中の幸いだろう。すぐに水の中に落ちたのが良かったのかもしれない。
取り出すというよりは脱がせるという形で、リュックの中からロケットとアームのメイン部分を取り出す。
さっきのレーザーが貫通したせいか、こっちのリュックもぼろぼろになってしまった。
外部からの損傷とは思えないほど大きな穴が左右二つも空いている。

「……穴、か」

にとり自身にも聞こえないほど小さな声は、滝壺に流れ込む激しい水音で簡単にかき消されてしまった。
今日は意気揚々と散策に出かけたのに、結局いろいろなものが壊れるばかりだった。
紅魔館のお嬢様にはいいように利用されて、その後会った魔女二人、特にアリスのほうには大いに嫌われて。
そして恐らく、その影響で今度は魔理沙からも軽蔑されることになるのだろう。
周りに置いていかれるという焦りから慣れない遠出をしてみたものの、とんだ勇み足だった。
やっぱり私は山に引きこもって機械の相手をしているのがお似合いらしい。

「駄目だ駄目だ。落ち込んだって、しゃーない」

自分にそう言い聞かせながら、適当にぶちまけたリュックの中身から作業を始めるための工具を探す。
が、適当に辺りを手探っても見つからない。視界がぼやけてよくわからない。
カラクリが好きなのは事実だけど、人が恋しいというのもまた事実なのだ。
あんな風に人に突き放されて、悲しくないはずがない。

ふと、顔をあげてみる。
しかし当然周りには誰もいない。にとりは今、一人ぼっちだった。
孤独に包まれているという悲しい安心感から、胸のなかへと熱いものがこみ上げてくる。
今なら大声で泣いたって、誰にも咎められたりしない。元より咎めるような人物がいるはずもない。
こんな心境だというのに、顔には笑みが張り付いていた。

本当に泣き出す寸前になって、背を向けている滝から風穴の開く音が聞こえてくる。
この場所を知っている人物は限られているから、文か椛のやつが戻ってきたのだろう。
慌てて袖で目元を拭い、にとりは泣き笑いになって顔を上げた。
すると案の定背中から誰かの足音が聞こえてきたので、にとりは努めて自然に後ろを振り向いた。
しかしそこに見えたのは、文の姿でも椛の姿でもなかった。

「おーっすにとり。探したぜ」
「ま、魔理沙?」

にとりの目の前にいたのは、見紛うはずも無い、いつもの白黒に身を包んだ魔理沙の姿だった。

「いやー、滝の裏側にこんな洞窟があったなんてな。どうりで見つからないわけだぜ」
「魔理沙、ど、どうしてわざわざこんなところまで……?」
「聞いたぜ、お前さ。アリスのやつに喧嘩吹っかけたんだろ?」
「……っ!」

言われて思わず、視線を落としてしまう。
ありす、という単語を耳にしただけで胸が痛くなった。
魔理沙はアリスの話を聞いてからここに来たのだ。
アリスは自分のことをどう話したのだろうか。勘違い女の変態河童。そんな風に表現されたかもしれない。
魔理沙はそれを冷やかしに来たのかもしれない。あるいは叱りに来たのかもしれない。そう考えるとますます辛い。
もう、あんな惨めな真似をするのは御免だ。
そう思って逃げ出そうとしたにとりの耳に聞こえてきたのは、豪快な笑い声だった。

「あっはっは! 馬鹿だなーお前。
 私もアイツとは長い付き合いだけどさ、さすがに人形を強奪しようとしたことなんてないぜ。あー面白い」

魔理沙はひーひー言いながら、笑い涙を目に溜めてにとりを見ている。
思い切り笑いものにされていると言うのに、にとりはなぜか嫌らしさを感じなかった。

「しっかしアリスもアリスだよなー。ちょっと借りようとしたくらいであんなに怒らなくてもいいのにな」
「な、なんで魔理沙は笑ってるの……?」
「なんだよ、そんなに落ち込むようなことじゃないだろ?
 次は私が一緒に行ってやる。これで第二ラウンドの勝利は約束されたようなもんだぜ」
「そ、そうじゃなくて! 魔理沙はあいつと仲がいいんでしょ?
 そんなことしたら魔理沙だって、私と一緒に、嫌われちゃうんじゃ……」
「何を言ってるんだ水臭い。要らん心配をするなー辛気臭い顔をするな!
 第一最初に盟友とか言ってくれたのはお前のほうだろう。ありゃ、ウソだったのか?」
「そ、それは……」

時折白い歯を見せながら、底抜けに明るく、それでいて優しい口調で魔理沙が語りかけてくる。
それとは対照的ににとりは自分の声が震えているのがわかった。

「私のことなら気にするな。どうせ会ったって喧嘩ばっかりなんだから。
 アイツと私は、犬猿の仲なんだよ」
 
嘘だ。
魔理沙の言っていることは無茶苦茶だ。
だからにとりは、今度こそ魔理沙の真意に気がついた。

「ほら、何なら今日人形を奪おうとしたのも私のせいにしてくれたって構わんぜ。
 そう落ち込むなって! 元気出せよ」

勇気を出して、視線を上げる。
がっしりと肩を組んできた魔理沙はどこかがさつな口調とは裏腹に、とても優しい瞳をしていた。
やっぱりそうだ。
にとりはついに堪えられなくなって、思い切り声を上げて泣き出した。

「ぶえぇ……まりさ、ありがとう……」
「泣くな泣くな! 今日は霊夢んとこ行って、酒でも呑んで盛り上がろうぜ」
「神社は鬼がいるから……イヤだ……」

すぐ近くを流れる滝のように、にとりの瞳からだばだばと涙がこぼれる。
隣にいてくれる魔理沙には悪いけれど、この涙はすぐには止まりそうもない。
ただひたすらに感謝の念を覚えながら、にとりはいつまでも涙を流していた。







「よーしもう一回、河童『のびーるアーム』!」

それからちょうど一週間後、にとりはいつもの川辺にリュックを背負って、直ったばかりの相棒のテストを繰り返していた。
絶好調ののびーるアームはひらひらと舞う木の葉を華麗にキャッチし、笹舟もどきを作っては次々と川に流していく。
目にも留まらぬ早業に大きな川もあっという間に賑やかになり、さながらマラソン大会のスタートのごとく船たちはひしめき合った。

「ふっふっふ。我ながら今回は完璧な出来だ」
「あれ、にとりさんじゃないですか。お久しぶりですね」

大満足のにとりが仁王立ちで葉っぱのタイタニックを見送っていると、すぐ近くを飛んでいた文から不思議そうな声がかかった。
にとりはあれからしばらくの間大破した相棒の修復に集中していたため、川辺に出てくることが殆どなかったのだ。
以前までのにとりなら何かが故障したときものんびりと作業を進めていたのだが、
今は一刻も早くのびーるアームの修復を終わらせたかったのである。

「どうです天狗様、今度は頑丈さに加えて器用さも取り入れましたよ」
「相変わらず機械を扱わせたらピカ一ですねにとりさんは。
 そうそう、そういえばさっき椛がにとりさんを探してましたよ、なんでも大将棋の相手を探してるらしくて」
「ありゃ、それは椛には悪いことをしたな。残念ながら今日は先約があるのです」
「あややや、そうなんですか。でもにとりさんがお出かけなんて珍しいですね、どこへ行くんですか?」
「魔理沙のところですよ」
「まっ……」

文は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。鴉なのに。

「こっ、これは!! 私、めくるめくスクープの予感を胸に抱きつつこっそり後を付けさせてもらってもよろしいでしょうか」
「あはは。ついてくるのは構わんですけど、天狗様が期待するような展開にはならないと思いますよ」
「いえいえそんな!
 魔理沙さんのところ、なんて言い方をするということは、この間の私のアドバイスを参考にしてくださったんですよね。ね!?」
「さあ、どうでしょうね。悪いけどお先に失礼しますよ!」

興奮した面持ちの文をほっぽって、にとりはがちょん、と立ちあがった。
秋の空へと飛び立つ寸前、あの時に会った魔理沙の笑顔を思い出す。
人が目の前でびーびー泣いているというのに、魔理沙はずっと笑顔のままで、顔色一つ変えなかった。
それは魔理沙が私が泣くことを想定していたからだろう。
つまり魔理沙は、アリスの話を聞いてわざわざ私を慰めに来てくれたのだ。

人の視線を惹き付ける、不思議な魅力を持った恋色魔法使い。
私が知らない恋と色。
あの白黒魔法使い、彼女はその両方を持っているのだ。

「先走るなよ盟友! 第二ラウンドのゴングを鳴らすのはこの私だぁっ!」

飽くなき探究心と好奇心を持って、河城にとりは今日も行く。
大部分の方はじめまして。またしても半年振りの投稿となります、gomaというものです。

今回はにとりをメインにした物語を書いてみました。
風神録をプレイした感じだと、霊夢や魔理沙の登場に驚いてるあたり「にとりってけっこう人見知りなのかな?」
というイメージがあったのに、どっこい地霊殿では急に強気になったように感じました。
もしかするとにとりと魔理沙の関係になんらかの変化があったのかもしれない。
そんな想像で生まれたのがこのお話です。
つまりこのお話、風神録と地霊殿の間の出来事ということになりますね。

にとりみたいな不思議ちゃんは捉え方によって性格もぜんぜん変わってくると思うんですけど、
私の中のイメージではこんな感じでした。ちょっと抜けてて恥ずかしがりや。
でもそういう周りを気にする人って、実は他人に好かれやすい性格なんじゃないかと思ってます。

……と、いつまでも語っているとあとがきがあまりにも長くなりそうなのでリンク先にまとめてみました。
お話の中で気になる部分があれば、そちらを読むと疑問が解決する……かもしれません。

ご意見・ご感想など頂ければ幸いです。
goma
http://eastgomashio.blog8.fc2.com/blog-entry-80.html
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コメント



0.1680簡易評価
3.80名前が無い程度の能力削除
うーん?
最初は恋愛物だと思って読んでたらイキナリ上海萌えで、これは上海を巡ってコメディになるのか?
と思ったら魔理沙との友情物だった、というw
ちょっとテーマがブレてる気がしてモニョってしまいましたが、文章が丁寧なのでスルスル読めました。
にとりのキャラに毒気がないのが良いですね。
12.100名前が無い程度の能力削除
タイトルに負けて読み、内容も面白かったです
お嬢様は大丈夫なのかw
17.10名前が無い程度の能力削除
不法侵入⇒覗き⇒強奪⇒他者所有物破損⇒再度強奪。
勘違いとか関係なく、全て自業自得なのでは。
そしてこの手の話を読むたびに感じる違和感が、「幻想郷では窃盗が“悪い事”として認識されていないのか」という事です。
他人の物を奪い取ろうとした上に壊しておいて、「嫌われちゃった、ぐすん」じゃねーだろ、と。結局謝ってすらいないし。
初対面から一日として経っていない赤の他人から強奪行為を働かれたアリスに対し、「ちょっと借りようとしたくらいであんなに怒らなくてもいいのにな」とほざく魔理沙のキチガイっぷりが気持ち悪い一品でした。
最後までナンセンスギャグで押し通していたら良かったのに。
18.90名前が無い程度の能力削除
内容も面白いですが、文章の書き方がまた良い味出してますね。
やはり言い回しというのは大事ですね。
21.90名前が無い程度の能力削除
え・・・米17は何言ってるの・・・・
頭大丈夫かしら・・・
22.100名前が無い程度の能力削除
こーいう話好きですよ。
でもフランちゃんかわいそす…
28.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです b
35.100名前が無い程度の能力削除
あまり小説に関する知識はありませんが、
面白かったですよ!!
38.100名前が無い程度の能力削除
表現の言い回しがとても面白かったです。
人付き合いとかしたこと無くて、相手の気持ちが考えられず
独りよがりのにとりがよく想像できました。
そんなかわいそうなにとりの数少ない理解者の魔理沙の掛け合いにジンと来るものがありました。
読後に”私が知らない恋と色”とあるけど、実はもう恋をしてて気づいていないだけではないかなって考察も進みます。
いずれにしてもこんな子がいてもいいというのが幻想郷なんだなって、ほっこりします。
現実社会では激しく嫌われそうですが・・・アリスがしたように・・・
42.90名前が無い程度の能力削除
にとり、頑張れよ!