本を読むことは世界を識ること。
知らないことを、識るために。
知っていることであれば確認するために。
そこから新たな発見が無いとも限らない。
だから、こうして過ごす時間は決して無益なものではないのだ。
今日もひとり。
昨日もひとりだった。
明日は? 多分、同じことだろう。
この部屋で私は日々のほとんどを過ごす。
時間が幾らでもあったから、たまにはこうした考えを抱くこともある。
部屋の主たる理由。
数々の図書とともに過ごす時間と、その理由。それらはいくつか思い浮かびはした。
けれど、そのどれでもないということ、他でもなく私自身が知っている。
人里離れた館に、果てのない蔵書に埋め尽くされた一室、そして、部屋の主たる私。
どちらが先に在ったのか。
どちらが先に無かったものか。
そうあるべきと決められていたものか、今となっては分かりもしない。
永劫とも思えるべき時の流れの中では、どちらにしろ些細なことだ。
この場所の、
この館の、
この部屋の、主でいるということ。
手を伸ばせば不揃いな背表紙が並んでいる。
表題が掠れて読めなくなってしまっているもの。
きらびやかな装飾のほどこされているもの。
和綴じの本が積み重ねられて、地層のようになってしまっているものまであった。
それらが私を取り囲んでいる。
私はその中心で、おもむろにその中の一冊を手に取る。
そうしなければ、語られることを許されない、この部屋の住人たち。
色褪せて崩れてしまいそうな頁をめくりながら、この書を書き記した者へと思いを馳せる。
彼らは、私よりもずっと短くその生を終えた。
いや、この際、長い、短いは関係ないのだろう。
それこそ永劫という時間の概念からすれば、有限か無限か、というただ一点のみが違うだけなのだから。
生まれながらに有限の生を授けられ、そして潰えるその瞬間まで、彼らは何を思い、何を語るのだろう。
私は彼らになり得ず、彼らも私にはなり得ない。すべてを理解することは不可能だ。
彼方と此方が交わることはなく、その瀬に立つ者たちは、お互いの目の前に横たわる狭間を越えられはしない。
ただ一つだけ出来うることがあるのだとすれば――
「……こんな、ふうに」
頁を手繰ること。触れた指先で文章の一行を撫でながら。
慎重に、注意深く、読み落としたりしないよう。
残されし者が残せし者の言の葉に触れること、くらい。
だが結局のところそれは、私自身が他者を理解した、という自己満足を得るためだけの行為かも知れない、けれど。
私は背なに広がる知識の海を眺める。
主とはいえ、私が知らない間にこの部屋の蔵書は増えてゆく。
水面に浮かぶ泡沫のように、夜空に時折現れる流星のように。
ただ違いがあるとすれば、こちらは増える一方だった。
消えることはなく、いつまでも残り続けていた。
どうした理屈かは、もしかすると彼女ならば知っているかもしれないが、問うたところで、わかるように説明してくれるかは、はなはだ疑問だった。
最近は顔を合わせていないので、そういったことを聞いてみる機会にも恵まれず、私は現状をそのまま受け入れてゆく他なかった。
そうするべき理由がとっさには思いつかなかったけれど、そうしたくない積極的な理由については、もっと思い当たることがない。
つまりは、私は今の、この環境に満足しているのだろう。
見知ったことのないほどの空の青。
吹き抜ける風が頬を撫でる心地よさ。
目のくらむようなまぶしい陽の光。
踊るように揺れる木漏れ日。
紅の空と、足元から伸びる影法師――
それらの情景が記された文章に触れると、心が躍った。
いずれも私が実際には体験したわけではなかったけれど、そのような気分にさせてくれた。目を閉じ、気に入ったフレーズを言葉にすると、よりその風景が目の前に広がっていくようにさえ思えた。
だから、私はやはりこの場所が好きなのだ。
「――パチェ、いるの?」
その声に、私は身を起こす。
と、いっても床に就いていたわけではなく、いつものように天井が知れない本棚の間を気ままに漂っていただけだけれど。
「……久しぶりね。レミィ」
「そうかしら? そうだった気もするけれど、憶えてないわ」
と、いうことはやっぱり、前に来たのはだいぶ前だった、ということにならないのだろうか? 私はちょっとした疑問を抱きはしたものの、そのことよりも優先すべき話題があったので、続けて言葉を交わす。
だが、返ってきた答えはとてもシンプルなものだった。
「この大図書館の造り? そんなの私だって知らないわ。ただ、そうなっていれば良いとは思ったけれど」
「……それだけ?」
「それ以外にどんな答えが欲しいっていうのよ。……案外、探せば成り立ちを書いた本があるかもしれないわね。どこかしらには」
そうして彼女はどことも知れないあたりを見回した。
彼女自身、そうした物があるかどうか、なんて確証を持っているわけではないらしい。
それでいいのか、とも思うし、そういうものか、とも思えた。
どちらでもいいというわけではなく、どちらでもあり得そうだった。
「ところで、なにを考えていたの? 何度か呼んだけど、返事がなかったのよ」
「ん、そう、だった?」
「そうだった」
彼女は紅い瞳でこちらをみつめた。
私は先ほど考えていたこと――私がここにいる理由――を、口にする。
すると彼女はどこかぽかん、とした表情をしたかと思うと、急に笑い出してしまった。
「なにがそんなにおかしいのよ」
「だって、パチェが、そんなことを考えるなんて、思わなかったから」
ひとしきり、途切れ途切れに肩を振るわせる。
ようやく気が済んだのか、彼女は背中の翼を一打ちすると、私の側へやってくる。
そうして、
「そんなの、あなたがこの場所に似合うと私が思ったからに決まってるじゃない」
そうでないと、この館に呼んだりしないわよ、と彼女は言った。
その差し伸べられた小さな手は、他でもない私に向けられていた。
――私はゆっくりと、その手を取り、
「それも、そうね。レミィ」
そう、答えた。
結局のところ。
私が本のそばにいる理由。
この館に留まる理由。
大図書館の主たる理由とは。
――つまり、すべては彼女がいるから、なのだ。
知らないことを、識るために。
知っていることであれば確認するために。
そこから新たな発見が無いとも限らない。
だから、こうして過ごす時間は決して無益なものではないのだ。
今日もひとり。
昨日もひとりだった。
明日は? 多分、同じことだろう。
この部屋で私は日々のほとんどを過ごす。
時間が幾らでもあったから、たまにはこうした考えを抱くこともある。
部屋の主たる理由。
数々の図書とともに過ごす時間と、その理由。それらはいくつか思い浮かびはした。
けれど、そのどれでもないということ、他でもなく私自身が知っている。
人里離れた館に、果てのない蔵書に埋め尽くされた一室、そして、部屋の主たる私。
どちらが先に在ったのか。
どちらが先に無かったものか。
そうあるべきと決められていたものか、今となっては分かりもしない。
永劫とも思えるべき時の流れの中では、どちらにしろ些細なことだ。
この場所の、
この館の、
この部屋の、主でいるということ。
手を伸ばせば不揃いな背表紙が並んでいる。
表題が掠れて読めなくなってしまっているもの。
きらびやかな装飾のほどこされているもの。
和綴じの本が積み重ねられて、地層のようになってしまっているものまであった。
それらが私を取り囲んでいる。
私はその中心で、おもむろにその中の一冊を手に取る。
そうしなければ、語られることを許されない、この部屋の住人たち。
色褪せて崩れてしまいそうな頁をめくりながら、この書を書き記した者へと思いを馳せる。
彼らは、私よりもずっと短くその生を終えた。
いや、この際、長い、短いは関係ないのだろう。
それこそ永劫という時間の概念からすれば、有限か無限か、というただ一点のみが違うだけなのだから。
生まれながらに有限の生を授けられ、そして潰えるその瞬間まで、彼らは何を思い、何を語るのだろう。
私は彼らになり得ず、彼らも私にはなり得ない。すべてを理解することは不可能だ。
彼方と此方が交わることはなく、その瀬に立つ者たちは、お互いの目の前に横たわる狭間を越えられはしない。
ただ一つだけ出来うることがあるのだとすれば――
「……こんな、ふうに」
頁を手繰ること。触れた指先で文章の一行を撫でながら。
慎重に、注意深く、読み落としたりしないよう。
残されし者が残せし者の言の葉に触れること、くらい。
だが結局のところそれは、私自身が他者を理解した、という自己満足を得るためだけの行為かも知れない、けれど。
私は背なに広がる知識の海を眺める。
主とはいえ、私が知らない間にこの部屋の蔵書は増えてゆく。
水面に浮かぶ泡沫のように、夜空に時折現れる流星のように。
ただ違いがあるとすれば、こちらは増える一方だった。
消えることはなく、いつまでも残り続けていた。
どうした理屈かは、もしかすると彼女ならば知っているかもしれないが、問うたところで、わかるように説明してくれるかは、はなはだ疑問だった。
最近は顔を合わせていないので、そういったことを聞いてみる機会にも恵まれず、私は現状をそのまま受け入れてゆく他なかった。
そうするべき理由がとっさには思いつかなかったけれど、そうしたくない積極的な理由については、もっと思い当たることがない。
つまりは、私は今の、この環境に満足しているのだろう。
見知ったことのないほどの空の青。
吹き抜ける風が頬を撫でる心地よさ。
目のくらむようなまぶしい陽の光。
踊るように揺れる木漏れ日。
紅の空と、足元から伸びる影法師――
それらの情景が記された文章に触れると、心が躍った。
いずれも私が実際には体験したわけではなかったけれど、そのような気分にさせてくれた。目を閉じ、気に入ったフレーズを言葉にすると、よりその風景が目の前に広がっていくようにさえ思えた。
だから、私はやはりこの場所が好きなのだ。
「――パチェ、いるの?」
その声に、私は身を起こす。
と、いっても床に就いていたわけではなく、いつものように天井が知れない本棚の間を気ままに漂っていただけだけれど。
「……久しぶりね。レミィ」
「そうかしら? そうだった気もするけれど、憶えてないわ」
と、いうことはやっぱり、前に来たのはだいぶ前だった、ということにならないのだろうか? 私はちょっとした疑問を抱きはしたものの、そのことよりも優先すべき話題があったので、続けて言葉を交わす。
だが、返ってきた答えはとてもシンプルなものだった。
「この大図書館の造り? そんなの私だって知らないわ。ただ、そうなっていれば良いとは思ったけれど」
「……それだけ?」
「それ以外にどんな答えが欲しいっていうのよ。……案外、探せば成り立ちを書いた本があるかもしれないわね。どこかしらには」
そうして彼女はどことも知れないあたりを見回した。
彼女自身、そうした物があるかどうか、なんて確証を持っているわけではないらしい。
それでいいのか、とも思うし、そういうものか、とも思えた。
どちらでもいいというわけではなく、どちらでもあり得そうだった。
「ところで、なにを考えていたの? 何度か呼んだけど、返事がなかったのよ」
「ん、そう、だった?」
「そうだった」
彼女は紅い瞳でこちらをみつめた。
私は先ほど考えていたこと――私がここにいる理由――を、口にする。
すると彼女はどこかぽかん、とした表情をしたかと思うと、急に笑い出してしまった。
「なにがそんなにおかしいのよ」
「だって、パチェが、そんなことを考えるなんて、思わなかったから」
ひとしきり、途切れ途切れに肩を振るわせる。
ようやく気が済んだのか、彼女は背中の翼を一打ちすると、私の側へやってくる。
そうして、
「そんなの、あなたがこの場所に似合うと私が思ったからに決まってるじゃない」
そうでないと、この館に呼んだりしないわよ、と彼女は言った。
その差し伸べられた小さな手は、他でもない私に向けられていた。
――私はゆっくりと、その手を取り、
「それも、そうね。レミィ」
そう、答えた。
結局のところ。
私が本のそばにいる理由。
この館に留まる理由。
大図書館の主たる理由とは。
――つまり、すべては彼女がいるから、なのだ。
ただ、背景が描かれていないままでは特に感じることのないものになってしまうように思います。
いずれにしても先人が作ったものを見るうちに、
書かねば死ぬ。煩悶に腑から喰われて私は死ぬのだ、的な衝動が沸き上がってくるはずなので
それから書き出しても遅くないのではないでしょうか
ただ、ここにいる理由、になんの説得力も感じられなかったのは私の読解力がないからか
>――私がここにいる理由――を、口にする
>――つまり、すべては彼女がいるから、なのだ
どちらの部分でもあまりに唐突に感じました。話の根幹部分だけにこれが効いてきて、なにも感じられない結果に。