私の妹は気が触れている。
簡単に言うと、ちょっとおかしい。
でも私は、そんな妹を愛しているのだ。
何故かって?
そんなことは決まっている―――。
重たく閉ざされた地下室の扉を開ける。
薄闇に浮かぶ、二つの眼が赤く光る。
それは私を捉えると、たちまちに敵意を剥き出しにした。
うむ。
今日も元気そうで何よりだ。
「……何しに来たの」
唸るような声がする。
私は不敵に素敵な笑みを作って、答える。
「愛しに」
「……誰を」
「貴女を」
「……ハッ!」
瞬間、炎が視界の右端を埋めた。
同時に、私の右腕が灰と化す。
「――まいにち毎日ィ。よぉくそんな戯言が言えますねぇ? お姉様――?」
ゆらりと、黒い影が歩みを踏み出す。
だがその足取りはおぼつかない。
まるで、行くあてを求めて彷徨うゾンビのようだ。
私は何事も無かったかのように右腕を再生し、影に言葉を返す。
「戯言は戯れに放つ言葉。本心からの言葉は、戯言とは言わないよ」
「……ハァ――? お姉さま、あんたが何言ってンのかァー、ちーっともわかりま」
影が消えた。
刹那、背後に殺気。
「せん」
左胸に鈍い痛み。
迷わず心臓を狙ってきたか。
「……ふん」
私は自分の胸を貫いている腕を掴んだ。
見た目にはとても華奢で、強く握ったら折れそうな細腕。
でもこの腕が鋼よりも頑丈なことは、他ならぬ私が一番よく知っている。
「――放せッ!」
ズボッと音を立てて、腕が勢いよく引き抜かれた。
私は胸に開いた風穴を一息で埋めると、背後を振り返り、影に視線を向けた。
「今日もいい感じね。フランドール」
「――あァ?」
狂気。
そう呼ぶに相応しい笑顔で、フランドール―――私の愛する妹は口元を歪めた。
「くくっ。そういうお姉様こそぉ―、相変わらずですねぇ?」
ふらふらと左右に身体を揺らしながら、いつものように私を挑発してくる。
「――そろそろ本当のこと、イッちゃってもいいんですよぉ?」
「何のことかしら」
「――本当は、私のことぉ―、ブッ殺シたくて、仕方ナイ、って――」
言いながら、フランドールは再び私に炎を投げてきた。
でも今度のはただの威嚇。
炎は左肩を掠めただけ。
肉の焦げた臭いが鼻につく。
「馬鹿。妹を殺したい姉が、何処に居るっていうの」
「――こ・こ・に」
にやにやと笑いながら、私を指差すフランドール。
「……やれやれ。じゃあ仕方ないから、証明してあげるわ」
「……何を?」
「少なくともそんな姉は―――ここにはいないと」
「…………」
また、フランドールの姿が視界から消えた。
と思った瞬間、私の世界が回転した。
激しい衝撃とともに、壁にぶつかる私の身体。
上下が逆転した世界の中で、変な方向に曲がった首を元に戻すと、右足を高く掲げたままの妹の姿が目に入った。
「――いつまでェ―、イイコちゃんぶってるンですかァ――?」
その虚ろな瞳はまだ私を見ていた。
よかった。
私はまだ、あの子の全てを受け止める存在として、認識されている。
――さて。
私はゆっくりと立ち上がる。
準備運動は、もうこのへんでいいだろう。
首をゴキゴキと鳴らし、口の中の苦いものを吐き出す。
そして、なるべく妹の逆鱗に触れるような口調で、言う。
「来な」
「……あ?」
妹は両腕をだらりと垂らし、前傾姿勢を取っている。
「愛してやるよ。全力で」
「…………」
妹の瞳孔が開く。
「かかって来な。―――マイシスター」
「……ッ!」
妹が飛ぶ。
今度は私も。
空中で、骨と骨が軋み合う。
妹の顔が狂気で笑う。
私の顔は歓喜で笑う。
「……レミリア。いつまでこんなことを続ける気だ」
今から百年ほど前。
私はある日、父から唐突にこう言われた。
「こんなこと、とは?」
「……フランドールのことだ」
「ああ」
私が至極あっさりとした返事を返すと、父は額に手をやった。
「ああ、じゃないだろう。いいか。こんなことを繰り返していたら、いつかそのうち――」
「……私があの子に殺されてしまうんじゃないか、って?」
「…………」
父は無言で頷いた。
「……いいか。レミリア」
そして、諭すような口調で続ける。
「お前は私の亡き後、このスカーレット家の当主の座を継ぐ者なんだ」
「…………」
「そのお前が、あんな、無意味な殺し合い―――ましてや実の妹との―――で、命を落とすようなことがあっては……」
「……スカーレット家の歴史に泥を塗ることになる、ですか」
「!…………」
父が目を見開いて私を見る。
だがすぐに、いつもの口調で続けた。
「……ああ、そうだ」
「…………」
「こう言っちゃなんだが、あの子は……フランドールは、出来そこないだ」
「…………」
「力ばかりが余りあって、感情がそれに追いついていない」
「…………」
「あの子は我が家に害悪をもたらすことはあっても、利潤をもたらすことはありえぬ」
「…………」
「だからレミリアよ。もうあの子に関るのはやめて……」
「お父様」
私は静かな声で、父の言葉を遮った。
そして、強い口調で問う。
「……私があの子に関らなくなったら……誰が、あの子を愛してやるのですか。誰が、あの子の愛を受け止めてやるのですか」
「……何?」
「お父様は先ほど、私とフランドールのやりとりを、殺し合い、と形容された」
「…………」
「でもそれは違います。私とフランドールは殺し合っているのではない。愛しあっているのです」
「……何をばかな」
「貴方にとってはばかでも、私もあの子も、まじめにそうしているのです」
「……理解の外だ」
父は大袈裟に肩をすくめてみせる。
しかし構わず、私は続ける。
「あの子は愛し方を、愛され方をしらない。だから、ああするしかないのです」
「……じゃあ何か。あの子の破壊衝動が、愛情の表現だとでも言う気か」
「ええ。言う気です」
「…………」
「あの子の破壊衝動は、愛したいという気持ちと、愛されたいという気持ちの現われ」
「…………」
「だから、あの子の気持ちを満たしてやるには、あの子の愛を全力で受け止めて、そして同じくらいの愛を全力でぶつけ返してやるしか、ないのです」
「…………」
「私があの子に関らなくなったら、あの子の愛を受け止める者も、あの子に愛をぶつけ返す者も、いなくなってしまう」
「…………」
「そうなれば、今度こそ……あの子はただの破壊者に成り果ててしまうでしょう。たった一人の世界で、永遠に―――得られるはずのない愛を求め、受け止めてもらえるはずのない愛をぶつけ続ける、悲しき破壊者に」
「……そうなるのを防ぐために、お前は毎日、あの子と殺し合いをしているというのか」
「愛しあい、ですわ」
「…………」
父は額に手を当てたまま、無言で首を横に振った。
そして溜め息混じりに、私に語り掛ける。
「……レミリア」
「はい」
「……それは全部……お前の思い込みではないのか」
「…………」
「あの子の破壊衝動にそんな意味があるとは、私には到底思えぬ」
「…………」
「私には、お前が―――妹が無意味に破壊を繰り返している、という事実を認めたくないがために―――無理にでも、そう思い込もうとしているようにしか見えない」
「……そんなことはありません」
私はきっぱりと答えた。
「あの子に、直に向き合っていれば分かります」
「…………」
「あの子の声が、叫びが、聞えるのです」
「…………」
「もっと愛したい。もっと愛されたい。―――そんな、心の叫びが」
「…………」
「…………」
会話が途切れ、場は沈黙に包まれる。
やがて父が、それを破るようにぽつりと呟いた。
「……お前の」
「?」
「お前の能力で、どうにかできないのか」
「……と、言いますと」
「あの子の運命を操って……自発的にこの館から出て行くように、仕向けるとか」
「…………」
「あるいはいっそのこと、あの子の寿命を――……」
「…………」
「なあ、レミリア。出来るんじゃないか。お前の能力なら、そのくらい――」
「……そうですね」
そのとき私は、自分の右手の掌を、父の方に差し向けていた。
「……何を、している?」
「いえ。少々――ああ、大丈夫。お時間は取らせませんわ」
……その日、父は私にスカーレット家の当主の座を譲ると宣言し、そのまま何処かへ隠居した。
「―――あぁッ!!」
妹の咆哮が轟く。
同時に、巨大な炎剣が私を襲う。
その剣は酷く歪な形をしていて、それは妹の感情をそのまま表しているように思えた。
「―――神槍」
私も瞬時にそれと同サイズの槍を放ち、空中で相殺させる。
閃光。
半瞬遅れて、爆風が部屋全体を揺らす。
「ぐッ……」
両足で踏ん張って、全身をびりびりと襲う衝撃に耐える。
「!」
息つく暇も無く、砂煙を突き破って影が飛び出してきた。
掴んだものをあまねく壊す、悪魔の手。
「がぁ!」
私はその手を、真っ向から受け止めた。
右手と左手。
左手と右手。
みしみしと、腕の節々が嫌な音を立てる。
やがて血管が切れ、噴き出た私の血が妹の顔を紅に染めた。
それをぺろりと舐めて、妹は笑った。
「……楽しい……楽しいよ……お姉様……」
「……私もよ。フランドール」
私には、分かる。
フランドールの狂気が、徐々に薄らいでいることに。
「……私、ずっとこうしていたい。お姉様と、ずっとこうして」
「……私もよ。フランドール」
私の言葉に、フランドールは一瞬、邪気の無い笑顔を浮かべる。
――しかし、次の瞬間。
「―――ぅあ」
再び、その表情は狂気に染まった。
「ッ!?」
同時に、私の腹に妹の右足がめり込む。
「がっ……は」
身体が浮き上がる。
しかし両手は妹に掴まれているため、空中で私の体は一旦静止し、振り子のように揺れて、再び妹の方へと近付く。
「……やってくれる」
私は首をやや後ろにそらし、その反動を利用して――、
「オラぁ!」
「!?」
その勢いのまま、妹に頭突きをかました。
ドゴン、と鈍い音がした。
「………ぐっ」
視界が白くなり、一瞬、意識も遠くなる。
「う……あ」
流石の妹もこれには堪えたらしく、掴んでいた私の手を放した。
支えを失った私は、そのまま床に落ちる。
「……い……いった……」
両手で頭を押さえ、うずくまる。
ちょっと無茶をし過ぎたか。
今妹に襲われたら、私はほぼ確実に死ぬ。
運命を視るまでもない。
……しかし、妹は来なかった。
朦朧とする意識の中、彼女の方を見ると、私と同じように頭を押さえて、ふらふらと揺れていた。
「う……ぐ……」
妹が呻いているのは、どうやら、私の頭突きのせいだけではないようだった。
そう。
妹が戦っているのは、私だけではない。
彼女は、自分の中の狂気とも、必死に戦っているのだ。
永遠に勝敗の着くことのない相手と、彼女は毎日―――戦っているのだ。
愛したい。
愛されたい。
その強い衝動は狂気を生み。
彼女を破壊へと駆り立てる。
彼女はそれを抑える術を知らず。
ただただ、狂気の赴くままに暴れるのみ。
正気と狂気の狭間で。
妹は毎日、自分を必死に保とうとしている。
ならば私にできることは、ただ一つ。
その衝動を。
その狂気を。
全て―――受け止めてやることだけだ。
私の全力の、愛を以って。
「……くぁ」
やがて妹は頭から両手を放し、そのまま大の字に倒れた。
一時的に満たされた狂気は、彼女に暫しの休息を与える。
それは彼女の精神を薄皮一枚で保持させるための、神の気まぐれなのかもしれない。
……妹はまもなく、すぅすぅと寝息を立て始めた。
そんな妹の様子を見届け、私は安堵の溜め息を吐く。
「……やれやれ」
兎にも角にも、今日も死なずに済んだらしい。
私は自分の強運に感謝し、妹と同じ体勢で寝転がった。
―――意識が、薄れる。
夢と現のさかいめで、ふいに、いつか父に言われた言葉が蘇る。
もしこれが、全部―――私の思い込みだったとしたら。
妹は、愛したいとも愛されたいとも思っておらず、ただただ、無意味に破壊を繰り返しているだけだとしたら。
その事実を認めることが怖くて、私が勝手に、妹の行動に意味付けをしているだけだとしたら。
そうだとしたら―――狂っているのは、実は私のほうなのかもしれない。
狂った妹を無条件に愛し続ける、狂った姉。
……ふん。
仮にそうだとして、何の問題があるというのか。
妹のためなら、私はいくらだって狂ってやる。
何を引換えにしようが、喜んで狂気を買い取ってやる。
だってそうだろ?
姉が妹を愛するのに、何の条件が要る。何の理由が要る。
本当のところがどうであろうと、私は妹を愛することをやめないし、信じることもやめない。
……何故かって?
そんなことは決まっている―――。
「うぅ……」
―――まどろみの中、小さな呻きが聞えた気がした。
どうやら、妹が目を覚ましたらしい。
やれやれ。
それなら私も、起きないわけにはいくまい。
……目を開くと、先程とほとんど変わらない光景が、私の視界に飛び込んできた。
「……っち……」
瓦礫と硝煙の中で、半身を起こしたフランドールが顔を歪めている。
その顔は煤と埃でまみれているものの、どこか生気に満ちているように見えた。
「……うぅ……ん」
そのすぐ傍で、私も、悲鳴を上げる全身に鞭を打ち、ゆっくりと上体を起こす。
そして、溜め息混じりに呟いた。
「……あ~あ。またお洋服が台無しになっちゃったわ。せっかくお気に入りだったのに」
壊れた肉体は再生できても、破れた服は元に戻せない。
吸血鬼も結構不便だ。
「……はは。いい気味」
愚痴をこぼす私を見て、フランドールは無邪気に笑う。
そこにはもう、先ほどまでの狂気の色は無い。
無垢で純粋な双眸が、きらきらと輝いている。
「……あんたこそ。随分いい顔になってるわよ」
「……ふん」
私がからかうように言うと、フランドールは照れたようにそっぽを向いた。
「…………」
「…………」
暫しの沈黙。
やがてそれを破ったのは、フランドールだった。
「……お姉様」
「ん?」
「……また、明日も来てくれる?」
少し不安げな面持ちで、フランドールは私に尋ねる。
そんな彼女に、私はそっと微笑み掛ける。
「……もちろん。だって貴女は――」
私の妹は気が触れている。
簡単に言うと、ちょっとおかしい。
でも私は、そんな妹を愛しているのだ。
何故かって?
そんなことは決まっている―――。
「―――私の、たった一人の妹ですもの」
そう言って私は、歓喜に笑った。
それを見て妹も、歓喜に笑った。
了
簡単に言うと、ちょっとおかしい。
でも私は、そんな妹を愛しているのだ。
何故かって?
そんなことは決まっている―――。
重たく閉ざされた地下室の扉を開ける。
薄闇に浮かぶ、二つの眼が赤く光る。
それは私を捉えると、たちまちに敵意を剥き出しにした。
うむ。
今日も元気そうで何よりだ。
「……何しに来たの」
唸るような声がする。
私は不敵に素敵な笑みを作って、答える。
「愛しに」
「……誰を」
「貴女を」
「……ハッ!」
瞬間、炎が視界の右端を埋めた。
同時に、私の右腕が灰と化す。
「――まいにち毎日ィ。よぉくそんな戯言が言えますねぇ? お姉様――?」
ゆらりと、黒い影が歩みを踏み出す。
だがその足取りはおぼつかない。
まるで、行くあてを求めて彷徨うゾンビのようだ。
私は何事も無かったかのように右腕を再生し、影に言葉を返す。
「戯言は戯れに放つ言葉。本心からの言葉は、戯言とは言わないよ」
「……ハァ――? お姉さま、あんたが何言ってンのかァー、ちーっともわかりま」
影が消えた。
刹那、背後に殺気。
「せん」
左胸に鈍い痛み。
迷わず心臓を狙ってきたか。
「……ふん」
私は自分の胸を貫いている腕を掴んだ。
見た目にはとても華奢で、強く握ったら折れそうな細腕。
でもこの腕が鋼よりも頑丈なことは、他ならぬ私が一番よく知っている。
「――放せッ!」
ズボッと音を立てて、腕が勢いよく引き抜かれた。
私は胸に開いた風穴を一息で埋めると、背後を振り返り、影に視線を向けた。
「今日もいい感じね。フランドール」
「――あァ?」
狂気。
そう呼ぶに相応しい笑顔で、フランドール―――私の愛する妹は口元を歪めた。
「くくっ。そういうお姉様こそぉ―、相変わらずですねぇ?」
ふらふらと左右に身体を揺らしながら、いつものように私を挑発してくる。
「――そろそろ本当のこと、イッちゃってもいいんですよぉ?」
「何のことかしら」
「――本当は、私のことぉ―、ブッ殺シたくて、仕方ナイ、って――」
言いながら、フランドールは再び私に炎を投げてきた。
でも今度のはただの威嚇。
炎は左肩を掠めただけ。
肉の焦げた臭いが鼻につく。
「馬鹿。妹を殺したい姉が、何処に居るっていうの」
「――こ・こ・に」
にやにやと笑いながら、私を指差すフランドール。
「……やれやれ。じゃあ仕方ないから、証明してあげるわ」
「……何を?」
「少なくともそんな姉は―――ここにはいないと」
「…………」
また、フランドールの姿が視界から消えた。
と思った瞬間、私の世界が回転した。
激しい衝撃とともに、壁にぶつかる私の身体。
上下が逆転した世界の中で、変な方向に曲がった首を元に戻すと、右足を高く掲げたままの妹の姿が目に入った。
「――いつまでェ―、イイコちゃんぶってるンですかァ――?」
その虚ろな瞳はまだ私を見ていた。
よかった。
私はまだ、あの子の全てを受け止める存在として、認識されている。
――さて。
私はゆっくりと立ち上がる。
準備運動は、もうこのへんでいいだろう。
首をゴキゴキと鳴らし、口の中の苦いものを吐き出す。
そして、なるべく妹の逆鱗に触れるような口調で、言う。
「来な」
「……あ?」
妹は両腕をだらりと垂らし、前傾姿勢を取っている。
「愛してやるよ。全力で」
「…………」
妹の瞳孔が開く。
「かかって来な。―――マイシスター」
「……ッ!」
妹が飛ぶ。
今度は私も。
空中で、骨と骨が軋み合う。
妹の顔が狂気で笑う。
私の顔は歓喜で笑う。
「……レミリア。いつまでこんなことを続ける気だ」
今から百年ほど前。
私はある日、父から唐突にこう言われた。
「こんなこと、とは?」
「……フランドールのことだ」
「ああ」
私が至極あっさりとした返事を返すと、父は額に手をやった。
「ああ、じゃないだろう。いいか。こんなことを繰り返していたら、いつかそのうち――」
「……私があの子に殺されてしまうんじゃないか、って?」
「…………」
父は無言で頷いた。
「……いいか。レミリア」
そして、諭すような口調で続ける。
「お前は私の亡き後、このスカーレット家の当主の座を継ぐ者なんだ」
「…………」
「そのお前が、あんな、無意味な殺し合い―――ましてや実の妹との―――で、命を落とすようなことがあっては……」
「……スカーレット家の歴史に泥を塗ることになる、ですか」
「!…………」
父が目を見開いて私を見る。
だがすぐに、いつもの口調で続けた。
「……ああ、そうだ」
「…………」
「こう言っちゃなんだが、あの子は……フランドールは、出来そこないだ」
「…………」
「力ばかりが余りあって、感情がそれに追いついていない」
「…………」
「あの子は我が家に害悪をもたらすことはあっても、利潤をもたらすことはありえぬ」
「…………」
「だからレミリアよ。もうあの子に関るのはやめて……」
「お父様」
私は静かな声で、父の言葉を遮った。
そして、強い口調で問う。
「……私があの子に関らなくなったら……誰が、あの子を愛してやるのですか。誰が、あの子の愛を受け止めてやるのですか」
「……何?」
「お父様は先ほど、私とフランドールのやりとりを、殺し合い、と形容された」
「…………」
「でもそれは違います。私とフランドールは殺し合っているのではない。愛しあっているのです」
「……何をばかな」
「貴方にとってはばかでも、私もあの子も、まじめにそうしているのです」
「……理解の外だ」
父は大袈裟に肩をすくめてみせる。
しかし構わず、私は続ける。
「あの子は愛し方を、愛され方をしらない。だから、ああするしかないのです」
「……じゃあ何か。あの子の破壊衝動が、愛情の表現だとでも言う気か」
「ええ。言う気です」
「…………」
「あの子の破壊衝動は、愛したいという気持ちと、愛されたいという気持ちの現われ」
「…………」
「だから、あの子の気持ちを満たしてやるには、あの子の愛を全力で受け止めて、そして同じくらいの愛を全力でぶつけ返してやるしか、ないのです」
「…………」
「私があの子に関らなくなったら、あの子の愛を受け止める者も、あの子に愛をぶつけ返す者も、いなくなってしまう」
「…………」
「そうなれば、今度こそ……あの子はただの破壊者に成り果ててしまうでしょう。たった一人の世界で、永遠に―――得られるはずのない愛を求め、受け止めてもらえるはずのない愛をぶつけ続ける、悲しき破壊者に」
「……そうなるのを防ぐために、お前は毎日、あの子と殺し合いをしているというのか」
「愛しあい、ですわ」
「…………」
父は額に手を当てたまま、無言で首を横に振った。
そして溜め息混じりに、私に語り掛ける。
「……レミリア」
「はい」
「……それは全部……お前の思い込みではないのか」
「…………」
「あの子の破壊衝動にそんな意味があるとは、私には到底思えぬ」
「…………」
「私には、お前が―――妹が無意味に破壊を繰り返している、という事実を認めたくないがために―――無理にでも、そう思い込もうとしているようにしか見えない」
「……そんなことはありません」
私はきっぱりと答えた。
「あの子に、直に向き合っていれば分かります」
「…………」
「あの子の声が、叫びが、聞えるのです」
「…………」
「もっと愛したい。もっと愛されたい。―――そんな、心の叫びが」
「…………」
「…………」
会話が途切れ、場は沈黙に包まれる。
やがて父が、それを破るようにぽつりと呟いた。
「……お前の」
「?」
「お前の能力で、どうにかできないのか」
「……と、言いますと」
「あの子の運命を操って……自発的にこの館から出て行くように、仕向けるとか」
「…………」
「あるいはいっそのこと、あの子の寿命を――……」
「…………」
「なあ、レミリア。出来るんじゃないか。お前の能力なら、そのくらい――」
「……そうですね」
そのとき私は、自分の右手の掌を、父の方に差し向けていた。
「……何を、している?」
「いえ。少々――ああ、大丈夫。お時間は取らせませんわ」
……その日、父は私にスカーレット家の当主の座を譲ると宣言し、そのまま何処かへ隠居した。
「―――あぁッ!!」
妹の咆哮が轟く。
同時に、巨大な炎剣が私を襲う。
その剣は酷く歪な形をしていて、それは妹の感情をそのまま表しているように思えた。
「―――神槍」
私も瞬時にそれと同サイズの槍を放ち、空中で相殺させる。
閃光。
半瞬遅れて、爆風が部屋全体を揺らす。
「ぐッ……」
両足で踏ん張って、全身をびりびりと襲う衝撃に耐える。
「!」
息つく暇も無く、砂煙を突き破って影が飛び出してきた。
掴んだものをあまねく壊す、悪魔の手。
「がぁ!」
私はその手を、真っ向から受け止めた。
右手と左手。
左手と右手。
みしみしと、腕の節々が嫌な音を立てる。
やがて血管が切れ、噴き出た私の血が妹の顔を紅に染めた。
それをぺろりと舐めて、妹は笑った。
「……楽しい……楽しいよ……お姉様……」
「……私もよ。フランドール」
私には、分かる。
フランドールの狂気が、徐々に薄らいでいることに。
「……私、ずっとこうしていたい。お姉様と、ずっとこうして」
「……私もよ。フランドール」
私の言葉に、フランドールは一瞬、邪気の無い笑顔を浮かべる。
――しかし、次の瞬間。
「―――ぅあ」
再び、その表情は狂気に染まった。
「ッ!?」
同時に、私の腹に妹の右足がめり込む。
「がっ……は」
身体が浮き上がる。
しかし両手は妹に掴まれているため、空中で私の体は一旦静止し、振り子のように揺れて、再び妹の方へと近付く。
「……やってくれる」
私は首をやや後ろにそらし、その反動を利用して――、
「オラぁ!」
「!?」
その勢いのまま、妹に頭突きをかました。
ドゴン、と鈍い音がした。
「………ぐっ」
視界が白くなり、一瞬、意識も遠くなる。
「う……あ」
流石の妹もこれには堪えたらしく、掴んでいた私の手を放した。
支えを失った私は、そのまま床に落ちる。
「……い……いった……」
両手で頭を押さえ、うずくまる。
ちょっと無茶をし過ぎたか。
今妹に襲われたら、私はほぼ確実に死ぬ。
運命を視るまでもない。
……しかし、妹は来なかった。
朦朧とする意識の中、彼女の方を見ると、私と同じように頭を押さえて、ふらふらと揺れていた。
「う……ぐ……」
妹が呻いているのは、どうやら、私の頭突きのせいだけではないようだった。
そう。
妹が戦っているのは、私だけではない。
彼女は、自分の中の狂気とも、必死に戦っているのだ。
永遠に勝敗の着くことのない相手と、彼女は毎日―――戦っているのだ。
愛したい。
愛されたい。
その強い衝動は狂気を生み。
彼女を破壊へと駆り立てる。
彼女はそれを抑える術を知らず。
ただただ、狂気の赴くままに暴れるのみ。
正気と狂気の狭間で。
妹は毎日、自分を必死に保とうとしている。
ならば私にできることは、ただ一つ。
その衝動を。
その狂気を。
全て―――受け止めてやることだけだ。
私の全力の、愛を以って。
「……くぁ」
やがて妹は頭から両手を放し、そのまま大の字に倒れた。
一時的に満たされた狂気は、彼女に暫しの休息を与える。
それは彼女の精神を薄皮一枚で保持させるための、神の気まぐれなのかもしれない。
……妹はまもなく、すぅすぅと寝息を立て始めた。
そんな妹の様子を見届け、私は安堵の溜め息を吐く。
「……やれやれ」
兎にも角にも、今日も死なずに済んだらしい。
私は自分の強運に感謝し、妹と同じ体勢で寝転がった。
―――意識が、薄れる。
夢と現のさかいめで、ふいに、いつか父に言われた言葉が蘇る。
もしこれが、全部―――私の思い込みだったとしたら。
妹は、愛したいとも愛されたいとも思っておらず、ただただ、無意味に破壊を繰り返しているだけだとしたら。
その事実を認めることが怖くて、私が勝手に、妹の行動に意味付けをしているだけだとしたら。
そうだとしたら―――狂っているのは、実は私のほうなのかもしれない。
狂った妹を無条件に愛し続ける、狂った姉。
……ふん。
仮にそうだとして、何の問題があるというのか。
妹のためなら、私はいくらだって狂ってやる。
何を引換えにしようが、喜んで狂気を買い取ってやる。
だってそうだろ?
姉が妹を愛するのに、何の条件が要る。何の理由が要る。
本当のところがどうであろうと、私は妹を愛することをやめないし、信じることもやめない。
……何故かって?
そんなことは決まっている―――。
「うぅ……」
―――まどろみの中、小さな呻きが聞えた気がした。
どうやら、妹が目を覚ましたらしい。
やれやれ。
それなら私も、起きないわけにはいくまい。
……目を開くと、先程とほとんど変わらない光景が、私の視界に飛び込んできた。
「……っち……」
瓦礫と硝煙の中で、半身を起こしたフランドールが顔を歪めている。
その顔は煤と埃でまみれているものの、どこか生気に満ちているように見えた。
「……うぅ……ん」
そのすぐ傍で、私も、悲鳴を上げる全身に鞭を打ち、ゆっくりと上体を起こす。
そして、溜め息混じりに呟いた。
「……あ~あ。またお洋服が台無しになっちゃったわ。せっかくお気に入りだったのに」
壊れた肉体は再生できても、破れた服は元に戻せない。
吸血鬼も結構不便だ。
「……はは。いい気味」
愚痴をこぼす私を見て、フランドールは無邪気に笑う。
そこにはもう、先ほどまでの狂気の色は無い。
無垢で純粋な双眸が、きらきらと輝いている。
「……あんたこそ。随分いい顔になってるわよ」
「……ふん」
私がからかうように言うと、フランドールは照れたようにそっぽを向いた。
「…………」
「…………」
暫しの沈黙。
やがてそれを破ったのは、フランドールだった。
「……お姉様」
「ん?」
「……また、明日も来てくれる?」
少し不安げな面持ちで、フランドールは私に尋ねる。
そんな彼女に、私はそっと微笑み掛ける。
「……もちろん。だって貴女は――」
私の妹は気が触れている。
簡単に言うと、ちょっとおかしい。
でも私は、そんな妹を愛しているのだ。
何故かって?
そんなことは決まっている―――。
「―――私の、たった一人の妹ですもの」
そう言って私は、歓喜に笑った。
それを見て妹も、歓喜に笑った。
了