Coolier - 新生・東方創想話

衣玖さんと幻想郷の夏の一日

2009/08/14 20:22:05
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「なんだよ…あたいの勝手だろ」
「ばっかみたい」
「バカってなんだよ!」
「でもチルノちゃんが悪いんだよね」
「…うるさいなぁ。細かいこといっつも」


うだるような気温の午後。破天荒な彼女の言動につい、口が出てしまった。
いつもどおりといえばそうなのだが、ともかく、太陽がさんさんと降り注ぐ暑さで、さすがに神経がまいっていたのかもしれない。
普段は気にしない、むしろ大好きなチルノのやんちゃぶりが、どうにも気に障ってしまった。


原因は些細なことだったと思う。けど、一度吐いた台詞は飲み込めない。

しまったと思ったときには遅かった。機嫌悪く自分を無視して歩く氷精のあとを追って、湖の縁。
言うのも暴言なら、返ってくるのもやっぱり暴言だ。

夏の湖が陽光を反射してきらめく。
背後にはバカにしてるのかってほど赤い紅魔館が聳え立っていた。一面真っ赤だ。むしろ全面真っ赤だ。バカにしてるのか。
この暑いのに、うっとうしさを増す建物をつくったやつに文句を言ってやりたい気分だ。
きっと悪魔の館だからって真っ赤だとか。血の色だから真っ赤だからとか、そんな安易な発想だろう。
緑の山々連なる日本に、こんな屋敷があるのがどれほど滑稽なのか分かんないんだろうか。近所の妖精たちからなんて呼ばれてるのか知ってるのか。
唐辛子館ってバカにされてる。
そんなことは実際にはないのだか、いま決めた。


「どっか行けよ」

こっちも見ずにチルノちゃんは言い放つ。
思わずむっとなって言い返した。

「わたしはここにいたいからいるの。チルノちゃんは関係ないし」
「へー。大ちゃんはいたいからそこにいるんだ」
「…そうだよ」
「あたい知ってる。あたいは冷たいから平気だけど、ずっとお日様のしたにいるとたおれちゃうんだよね」
「倒れないもん」

夏の太陽が照りつける。

ふいに『大ちゃんたおれちゃえ』って、これ見よがしに聞こえてきた。
もう意地でもここを動いてやるものか。

湖の縁に足を入れて座り込むチルノの背中を、肌に汗をかきながらにらみ付ける。

蝉の声がバカみたいにうるさくて、それでも暑すぎて頭がぼんやりすると、やがて遠くなっていった。













────





湖上ではおおよそそんな戦いが起こっていた。

代わってその下のほうはというと、極めて穏やかだった。




見下ろせば、色とりどりの反物が連なっていた。
緑に赤、黄色に青、幼子にキャンパスの絵の具の指揮を取らせたような、実に好き勝手に自己主張を広げる藻草たちの彩り。
綺麗なものだと、何度も見たこの光景に再び感動をおぼえた。

純粋な藻草の色ではないにしろ、水底にも花畑があるとしたら、ここを指すに違いない。
湖底まで透き通る水を貫いて、陽光が真下に差し込む。
透明度の高さのおかげで、反射を起こした光が色彩を曲げるのだ。金属質を多く含む湖底の岩が、時を経て砂が落ちたおかげだろう。

幾本かの色がゆるやかに円を描きながら目の前に横たわる。水中に虹が掛かっていた。
まるで宝石箱をひっくり返したような湖底の上を、光景を楽しみながら悠々と過ぎていく。
時速はおよそ3ノット。


実にゆるやかに、左を蹴れば右、右を蹴れば左といった風に体を左右にくねらせる。
やがて動力を生む行為は自然な動作で、やはり故郷は良いものだと心安らかに微笑んだ。

こそばゆい思いをして気がつくと、見れば小さな雑魚の類が、周りに纏って付いてくる。
大きい魚のおこぼれを狙ってあとから追ってくる彼らには馴れたものだ。生憎と食事の気はないが、目障りではなく、むしろ快かった。

よろしい。よければご一緒しましょう。


乳白色の衣を広げると、それで波打って前へ進んだ。
長大な洋服の裾は、まるで生きているように後ろに揺れながらついてくる。
さながらリュウグウノツカイのように、衣玖さんは長く長く尾を引いて水中を泳ぐ。




おや。

はたと気付くと見慣れない影が向こうから段々迫ってくる。風変わりな泳ぎ方の魚で、あの大きさは衣玖さんの記憶にはないものだ。
湖は環境が閉じていることが多いから、中々ご新規さんというのは現れない。
天人と地上人が交わってからこの湖の回遊を始めた衣玖さんは、この水場にはあまり詳しくない。もしかしたら、時々しか姿を見せない、この湖の主さまなのかもしれない。
または新しく幻想入りした古代魚か。
そういえばどことなく神々しいような気が、しないでもない。

海の底の底にはとてつもなく大きな魚がいるらしいのだ。
衣玖さんは深海魚だから、すこしばかりこれらの方々にはくわしい。


とかく、なにはともあれ、魚心あれば水心。
登山家が通り過ぎるのに挨拶を欠かさぬように、お互いの顔が見える位置まで近づくと、衣玖さんは挨拶としてそのお方の周りをくるくると泳ぎ回った。
向こうさまもこちらを認めてすいすいと前後に泳ぐ。

どうして、お魚だと思っていたのは、衣玖さんよりだいぶ小さな女の子だった。
衣玖さんは、裾をヒレのようにすっと広げて止まり、今度はちゃんとした挨拶をした。

「がぼがぼがぼ」
「がぼがぼがぼ」

軽くと頭を下げると、相手のほうも同じように挨拶を返してくれる。

口から洩れた空気の泡が、地上に向けてまっしぐらで上がっていく。

ようやく肺から空気が全部出ると、まともな声が出るようになった。いくつか口に含んだ最後の水泡を吐き出して、衣玖さんは帽子を脱いだ。

「こんにちは」

水の中ならではの、独特の発音で、若干高めの声を出す。
相手の方も興味津々といった風に、丸い大きな泡のような飾りが二つついた、綺麗な、しかし趣味の変わった薄い黄土色の帽子を脱いでくれた。
カエル泳ぎをしてきた少女は、珍しいお魚の衣玖さんに会えたのが嬉しいのか、無邪気な笑みでまた挨拶を返す。
遊泳中の出会いというのは心躍るもの。とにかく魚の妖怪というのは地上にくらべ数がすくない。


「がぼがぼがぼ」


ははぁ。

聡明な衣玖さんは、彼女の後ろの、無数の黒い点々を見て悟った。
たくさんのオタマジャクシが彼女に付いてきている。水深の深いここまで浅瀬のものを連れてくるとは。

どうやらお魚だと思っていたのは女の子で、女の子だと思っていたのはカエルで、そしてさらに、カエルの神様だったらしい。
両生類では、水中で喋れなくてもしかたない。成体にはエラがないのだ。
衣玖さんの連れた魚が一斉におたまじゃくしに向かっていき、蜘蛛の子を散らしたように黒い点々はバラバラになっていった。


「がぼがぼがぼ(あっ、たべられちゃう)」
「およよっ」
「がぼがぼがぼ(がんばれー、逃げろー。みんなー)」

それでも賢明な衣玖さんは、読唇術で彼女の言いたいことが分かったりする。
吐き出された空気の振動から読めるのだ。あんまり知られてないけど、水気の妖怪は音にはいっとう聡い。

「とても良い遊泳日和ですね。泳ぎの中途で神への縁に賜るとは光栄で御座います。なにぶん思いもかけぬことにて、名乗りあげもせぬ無礼をお許しくださいますよう…」
「がぼっ(うん、いいよー)
「私、永江衣玖と申します」

衣玖さんはとっても礼儀正しいのだ。言って、再び一礼した。
竜神様に仕えているので、神様を奉ることが自然と身についている。

「がぼがぼがぼ(わたしは諏訪子っていうんだよ。よろしくね)
「はい。お散歩中と見受けますが、如何でしょうか」
「がぼがぼがぼ(うむ、くるしゅうないよ)」

諏訪子様は妖怪の山にたくさんおわす神様の一人のようだ。周囲に気を配る衣玖さんは地上に降りて以来、すこしは世間に耳を傾けている。
失礼ながら、カエルの神様とは随分かわいらしい神様なのだと衣玖さんは思った。
諏訪子様は、わざと偉さを強調するため、両腕を腰にあてて、水の中でふんわり仁王立ち。

その大仰な様子から、どうにもこの神様は壁を作らないのが好きだと衣玖さんは気が付いた。
こぽこぽと泡を吐く女の子に、衣玖さんは手を差し出す代わりに、穏やかに言葉で誘いかける。

「ご一緒してもよろしいでしょうか」
「がぼがぼがぼ(いいよ。一緒に泳ごう)」
「はい。ありがとうございます」
「がぼがぼがぼ(そうだ。ここの水は綺麗だし広い。あとで競争しようよ)」


水の中は涼しくてたいそう気持ちいい。
物静かな回遊が、思わぬ散歩の連れを得たものと、衣玖さんははしゃぐ少女に感謝を送る。

二人してゆったりと並ぶと、湖の向こう側までの道すがら、静かに深みへと潜っていった。

「がぼ……けぷ……(その前に、ちょっとくうき吸わせて)」














カエル泳ぎの女の子と二時間も共に泳いだだろうか。
二人の少女は有意義な時間をすごした。


特に湖一周をかける周回泳ぎはこれ神に負けじとばかり、衣玖さんは魚類の意地を見せた。
優雅なように見えて、これで中々大胆なところがある。

最終的には相手をたててしまうものの、この神様は気負うところなく本領を発揮してお相手することこそ望んでいたので、衣玖さんは雷光のように水中を飛ばした。
僅差での敗北したものの、久方ぶりの心地よい運動だ。あの泳ぎ方でどうやって自分を抜かしたのかは諏訪子様最大の謎。今度、後学のために聞くのも良い。
人が自分に期待する振る舞いをしながらも、そこから自らの楽しみを見つけ出す。
そういうことができる、大人の女。それが衣玖さんだ。


「がぼがぼがぼ(もっと広い海だったら、衣玖のほうがぜったい速いよ)」

とは諏訪子様の談である。

お魚のプライドが守られると、こちらも感心しながら惜しみない賞賛を送る。相手のことを考えられる良い子だ、と衣玖さんは思った。
そうそう。その頃には随分と打ち解けて、さすがの衣玖さんはもう神様をケロちゃんと呼べる仲になっていた。

この後は妖怪の山の湖、魔法の森近くの池、人里近くの沼、そして雲の中と回遊を続ける予定だったが、衣玖さんは大幅にプランを変更する。
ここで過ごす時間をもっと取るほうが良いように思えたからだ。元々の目的はお散歩なのだ、横道にそれることを恐れてはいけない。
臨機応変。衣玖さんは実に何事にも柔軟なのだ。



「おおーい!おおーい」


紅魔館の湖。その真ん中で諏訪子様が疲れて水面にぷかぷかおなかを出して浮いていると、張り切った声が聞こえてくる。
衣玖さんは比重の関係から水上という訳にはいかず、すぐ水面下で日向ぼっこにお付き合いしていた。


「お知り合いの方でしょうか」
「うん。元はここで待ち合わせをしてたんだ」
「約束は守らねばなりません」
「ちょっと待ってー………すぅー。がぼがぼがぼ(あんまり楽しいから、忘れるとこだった)」


そして二人して水の中。
衣玖さんの魚眼レンズは遠くまでも綺麗に見渡す。

なんとも奇妙ないでたちの女の子がこちらに向かってくる。
この女の子もよく似たカエル泳ぎなのだが、こちらの方はなぜか河童泳ぎという言葉が頭に浮かんだ。
空色の衣装に、新緑の海草のようなみどり色の帽子。水気の妖怪のお洋服は、基本的に水の中でも着られるようにできている。
今日は多くの親近を感じられる出会いがある。衣玖さんはささやかな喜びに包まれた。

隣で元気よく諏訪子様が手を振る。



「がぼがぼがぼ(こりゃまた、今日も変わったもの!)」

なるほど。彼女の弁の通りである。衣玖さんは得心した。

こちらに向かってくる女の子は手を長い棒にはめ込んでいる。
いくつかの歯車がかみ合って、やがて仕組みは棒を折り曲げた力を、彼女の背後へ伝えていった。
背中のリュックで木製の板が何枚も重なり合い、彼女が棒を手で引き、伸ばすたびに、ぎっちょんぎっちょんと音を鳴らして回転していた。

河童泳ぎで足をひとこぎ、そして手を引いてくるり回転。
螺旋型の推進器(スクリュー)であろうと衣玖さんは踏んだ。あれによって推進力を得ようという試みらしい。
背中のリュックにしかけられたそれは、体と平行になっている。まるで扇風機だ。

「やっ」
「がぼっ(よっ)」

女の子は会話し易くするために、近くまで来ると立ち泳ぎに切り替えた。
新しい女の子は衣玖さんよりいくらかこじんまりとしているだけだ。

「がぼがぼがぼ(ごめんごめん。遊んでたらちょっと遅れた)」
「いいよ。新しく試すいい機会だったしね」
「がぼがぼ(これ、なんだろ?)」
「よくぞ聞いてくれた!…と、その前に、こちらの人は?」

こちらに、こう、と手のひらを出す。服とおんなじの、空色の髪が特徴的なとてもかわいらしいお方だ。
互いに一通りの自己紹介を終えると、早速、ほんとうに早速、河城にとりさんは自慢のカラクリを紹介してくださる。

「これはね、ほらこうすると」

右手で棒を手前に引く。すると背中の水車が一回転した。

「んで、こう」

左手の棒を押す。するとまた一回転。

「引く、押すの左右四拍子で動かすんだ」
「これは…良き物です。はい、とても感心いたします。私はスクリューだとか、ドリルだとかに目が無いのです」
「そうかぁ、気が合うなぁ!私も歯車だとか回るものにはうるさい口だ。円はいいね、そこには効率の良さが隠れてる」

衣玖さんの言葉に嬉しそうなにとり。
とうぜん背中の水車が回るので、彼女は水面のほうに上がっていった。

「ごぼごぼごぼ(にとりは根っからの発明家なんだ!)」
「発明家っていうよりは、発明屋さ。これで食ってるわけじゃないからな」
「がぼがぼがぼ(おもしろいやつだよ、衣玖も一緒に遊ぼう)
「ふふん、でも今日のほんとの発明はこいつじゃないんだ。すこし場所を移そうよ」

衣玖さんはするすると二人に並んで付いていった。私はお邪魔ですか、などと無粋なことは聞かない。
後ろ姿にカラカラ回る風車を見た。地上の玩具とは縁が無かった衣玖さん。すこし奇抜だが、水の中でさらに加速する仕掛け、というのはなかった発想だ。
新鮮な異文化に触れて、すこし不思議な気持ちになる。
河童のカラクリは多少速度が遅いことを除けば、とても面白い思いつきのような気がした。

「まあ確かに私の場合は普通に泳いだ方が速い」
「がぼがぼがぼ(だねぇ。課題ありだ)」
「これは泳ぎの下手な人間なんかが使ったほうが良いかもしんないなぁ」
「がぼがぼがぼ(早苗は水の中じゃあ息ができないよ)」
「なるほど。確かに要改良だ…」


これは衣玖さんとしたことが、空気を読まれてしまったらしい。














からん、ころん。ぼひゅー。


川の流れに逆らうようにカラクリを湖底に差し込んだ。
ここは渓流と湖が繋がるところで、水練の上手な者でも乱れたこの流れに巻き込まれればひとたまりも無い。
もっとも、もちろん衣玖さん達にとってはそよ風が吹いてるくらいの心持ちだ。

長い棒が正反対からやってくる水流に負けてしなっている。
その先端には、水の流れを中に通して音を出す、丁度地上で言えば笛のような道具がついていた。
ちょうどハチガネの中に竹の欠片も何個も入っていて、絶えず甲高い音を打ち鳴らす。それらがごっちゃになって一つの箱に収まっていて、製作者の名前が外面に刻んであった。

地上じゃあ風鈴があるのに、水の中にあっちゃいけないのかい。
そんなことをにかっと笑っていったにとりは、今回の発明を自慢げに説明してくれた。


「こりゃあひどい音だ」


からから、ころころ。ぼしゅー。

にとりは小石を軽く蹴った。泡がひとつ飛び出して、水面にあがっていく。

「うん、やっぱりひどい」
「私はお一人でチンドン屋をなさっているようで、とても賑やかに思います」
「そりゃあ褒められてるのかなぁ」

ふてくされるように、にとりは渋い顔をつくる。

「とても良い着眼点かと。それに新しいことは何事も、初めの内はうまくいかないものです」
「確かに。生まれたばかりの赤ん坊がなんの役に立つね、って言うのはある科学者の名言だっ」

三人の少女は、湖底に背をつけて真上を見上げていた。
午後の日差しが穏やかに届き、辺りを照らす。

「今度はもっとうまくいくよ。綺麗な音だって出す」
「その時は、ぜひお一つ頂きたいものですね」
「もっちろんだ。雲の上でも使えるようにしてやろう」
「よろしいのですか?」
「友達の友達は、友達さ」

まぁ、と衣玖さんはうれしそうに顔の前で手を合わせる。

周囲はさながらは藻の草原であった。すぐ隣には沢蟹だの貝だのが小さな体で懸命に駆け回る。
水流にゆれる緑が肌をゆすっていく。それがやわらかな布団のようで、一番に小さな女の子はあくびをした。

「ぶくぶくぶく…(ふぁぁ…、なんか眠い)」

両手を頭の後ろに組んでゴロンと岩に頭を置いた。



しばらくそうして、起きているのか寝ているのか分からない時間を過ごす。



あんまり奇妙な水の風鈴の音は、それはそれで、子守唄みたいに作用した。
流れ込む渓流の冷たい水が頬をなでて、髪を凪いで、自然ぼんやりと衣玖さんはとても良い気持ちになった。
淑女たれともう長いこと忘れていた、気を楽にして流れる時間。
すこしはしたないものの、すこし大人気ないものの、海の仲間と子供の時分、過ごした時間を思い出す。

此度の散歩はとても良いものを見つけることができた。思いがけないことは路傍に転がっているもの。やはり遊泳は良い。
こんなことがあるからこそ、衣玖さんは雲海を泳ぎ続ける。天女もこうして衣を失くしたのかもしれない。

ただ、あなどりがたいのはこの二人だ。妙齢の女性に見えて、やはり妖怪の外見などあてにはならないなぁと衣玖さんは思った。
これで衣玖さんより歳を召されているのかもしれない。

若干の気位の高さを失って、衣玖さんは年頃の少女に戻ったような気さえする。





体を投げ出す衣玖さんが、おっと声を出して気がつく。

水の随分上の方から、何やら怪しげな仕掛けが降ってくる。
くつろいで流れに漱ぎ、岩に枕するケロちゃんとにとりも気がついたようだ。

まず一番に好奇心のつよいのが、カエル泳ぎで近づいていく。
おくれた二人は不思議そうな顔をしまま顔を見合わせると、河童泳ぎと衣玖さん泳ぎで後に倣った。



はたして小石と共に沈んできたのは虫だった。
それも甲虫の中でも一番大きく一番強い。夏の主役だ。じたばたもがいているのはカブトムシ。
何事かは分からないが、たこ紐のような細い紐に、重しと共に括り付けられてどんどん深みへ降りていく。
三人の女の子の前で、それは糸の長さの限界を向かえて、ピタリと止まった。

カエルの神様は当然のように大口を空けた。棚からぼた餅とでも言いたげに嬉しそうな表情でカブトムシへと口を迫らせる。
なぜカブトムシが、とか、この水面へ繋がる紐は、とか、そういったことはご馳走を前には些細なことらしい。

「待ちなって」

にとりは手で遮って動きを止める。

「いかにも怪しいじゃないか」
「ごぼごぼっ(あーうー)」
「おや……? 何か聞こえるようですね。上です。水面の上で話し声が」

不満そうなケロちゃんには申し訳ないが、少しおあずけをしてもらう。

「それも物々しい。争いの声のようですね」
「ほほぅ…」

二人して上方に耳を傾ける。

「がぼがぼがぼ(そんなのいいよー。早くたべようよ)」






しかしふくれっ面がやがて、にんまりと悪巧みする顔にかかるまではそうかからなかった。
最初の不満もなんのその、すぐに喜色を露わにして、けろけろと笑い出す。

地上の事情をすっかり盗み聞きすると、これはもうお節介と悪戯をかねてけしかけるしかあるまいと思った。
なにしろこの場この時この場所にいたことこそが、もうやってくれと言っているようなものだ。神様の悪戯、というのだろうか。


にとりは苦く笑った。

「あらあら…こりゃどうにかしないとなぁ。しかし私じゃ少し役に不足だねぇ…」

河童さんはそう言って、バトンを投げる。

「がぼがぼがぼ…ごぼ(わたしじゃ、もっと無理だね。やっぱり…)」

二人は衣玖さんの方を見て、望みを託す。

「頼むよ衣玖!」
「がぼがぼ!(こりゃ衣玖しかない!)」

衣玖さんはというと、名指された自分を困惑することなく受け止めた。

「はい勿論。承りました」

帽子をくるっと被りなおし、すっくと地上に目を向ける。
服の皺を調えて、緋の衣を波打たせた衣玖さんは様になる動きで一礼した。


「それでは少々お待ちください」

あぁ、幾年振りだろうか。
なんだかなんだで衣玖さんも楽しみなのである。


やがて細い手足がヒレに。衣は長い尾に。帽子の飾りは触覚に。鮮やかなヒダと、青白く光る斑点付きの体。
背びれ腹びれとも美しい赤の扇子を広げる。深海の水圧をもろともしない見事な体躯。
妖怪なら元の姿への変化は簡単だ。
長さなんと二十尺。銀色に輝く煌びやかなその身体、場所を場所ならば名だたる海の主となっただろう。

隣でケロちゃんと河童さんが応援してくれる。

「がぼがぼがぼ(がんばってー)」
「行ってきなよ、だれかの友情のためだ!」








───








地上では相変わらず、険悪なムードが漂っていた。
照り返しで熱を放つ地面からはもやが上がっているようで、一刻もの間、そこに立ち続けることはそれだけで強靭な精神力が必要だった。
斜陽を見せない夏の太陽が、体を蒸し焼きにしようと容赦なく降り注ぐ。
もうどれほどチルノの背中を眺め続けているだろう。

膨大な汗が流れ、それが気まぐれな風で乾くと少しの冷涼感。だが再び陽光に身を曝すと、肌が焼けるように喘いだ。
このサイクルが一つごとに、大妖精は体がフラつくのを感じた。段々と足に力が入らなくなってきている。
意地の張り合いもそろそろ終わる頃だろう。それも、自分の敗北で。
あの氷精の背中に張り付けばどれほど気持ちよいことだろう。いや、それだけは絶対にするまい。負けてなるものか。

「……うっ…あ」

気がついた時には、地面がすぐそこにあった。
顔に衝撃を感じるが、痛みはあまりない。本当に、気付いたら横たわっていた。

「あっ…だ、大ちゃ……!」

叫ぶチルノが、口惜しそうな顔をして固まった。
駆け寄ろうとしたのかもしれない。だが、途中でまた後ろを向いて、無視を続ける。
大妖精が自力で、なんとか立ち上がったからだ。
土まみれで五体は衰弱していたが目だけは生きていた。

「なにか、用? チルノちゃん」
「なんでも、ない…」


背中越しに悔しそうな声が響く。





またしばらくチルノは湖の縁で石を投げるのに従事していたし、それを見張り続ける瞳もそれに同じだった。
永久に続くと思われた時間だが、チルノは湖からポチャンと足を引き抜いて立ち上がった。
退屈、と一言呟いて森に消えていく。

「どこに行くの!」
「別に…どこもいかないよ」

いつの間にか、折った木の枝と、ポケットの中の紐を使って、チルノは湖につりざおを投げかけていた。
ぼろぼろの竿にそこら辺にいた虫を括りつけて、揺らぐ糸を垂らした湖面を見つめている。
本当に暇なとき、彼女が人間をまねしてすることだった。この湖でも、何度か人がやって来たのを見かけたことがある。

また居心地の悪い時間に身を浸すより他は無い。

水面で浮いた虫は当初こそ暴れていが、もうそんな元気もないのか、川から入り込む流れに身を任せていた。
チルノは手持ち沙汰だったのだろう。大妖精は暑さで参っていたし、そんなものを投げても何が釣れるとは思っていなかったが、この状況に飽きたのか、つと声を洩らす。

「石…」
「…は?」
「重りつけないと…沈まないよ」

はっと気付くと、チルノはしまったという顔をした。
それでも歯噛みして、ひったくるように小石を地面から拾うと、竿を戻して虫のとなりに結びつける。

「あと、針…」
「もういいよ。うるさいなぁ…あたいの好きにさせろよ」
「なにそれ…教えてあげたのに」

背中を睨み付けても何も返ってこない。
言葉を交わすごとに苛立ちが募った。


大妖精はうつむいた。いつまで続くんだろう、こんなこと。
一言話すごとに心が痛む。大好きだったはずのチルノちゃんに、今は近寄りたくも無い。
心に怒ったときにある何かが溜まっていて、口から出るのはひどい言葉ばかり。

体中汗まみれで暑いはずなのに、体の中の芯の部分はひんやり冷え切ってるようだった。
もう、やめたい。いい加減飽き飽きして、大妖精は口を開いた。

「ねえ……」
「……」
「ねえチルノちゃん」
「…ん?」
「何をつろうとしてるのかな」

チルノは座ったまま無言で、虫と小石を湖に向かって投げた。
ボチャンと音がなり、波紋が広がる。

「何かな?」
「大ちゃんはしらなくていいよ」

ぶっきらぼうな声に、またいけないと分かりつつも、むかっと来る。
だから自分の幼稚さにうんざりしながらも、また変なことが口をつく。

「つれないよ、そんなしかけじゃ」
「ほんと大ちゃんはいつでもそうだよね。いつも無理とかできないって」

チルノのそれは日頃から本当に思っていることのようで、ため息混じりの、実感が篭った喋りだった。

「だってそうだよ。考えればすぐ分かるよ」
「…そんなことない」
「そんなことある」
「あたい、すっごい大きいの釣る。きらきらしてて、すっごいでっかいの……もう口挟まないでよ」

大妖精は呆れた。

「そんな魚、いるわけないじゃん」
「いるし……」
「わたしだってずっとここで遊んでるけど、一回もみたことないよ」
「絶対いる!口ださないでよ!うっさいな!」
「だーかーらー、いないって」

チルノの羽が激しく揺れた。
小ばかにした態度にチルノは怒りを感じた。

「大ちゃんのバカ!いたっていいじゃん!」
「いないよ!そんなの!」

なんだか分かんないけど、もう理由もなく必死で否定する。
彼女がいるって言うから、わたしはいないって言う。真っ赤な太陽の下、二人は罵り合う。

「バカはチルノちゃんだよ!いっつもできないこと言って!!」
「ッ……んだよ!!もしいたらどうすんだよ!」
「そしたら? なんだって聞いたあげるよ!いないものはいないし!」

大妖精は胸を張って挑発した。

「無理っていってたら、なんにもできないだろ……」
「あれ? チルノちゃんが、今まで何かちゃんと最後までできたことあったっけ!」

その一言で、チルノの肩がビクッと震えた。
振り返ったチルノは泣いていた。

「いる、絶対いる!!いるの!」
「あ…そ、そんなの…いるわけ」
「いるの!いるったら…いる…。あぅ……ぐすっ…! いるよぉ……」

目から大粒の涙を落として、チルノはしゃくりあげた。
顔を赤く腫らして、大声で途切れ途切れに声を出す。

そんな顔されたら、大妖精は混乱するしかない。涙と鼻水で表情はぐしゃぐしゃになっていた。
なんで、どうして、とか。そんな言葉が頭をぐるぐるまわる。大妖精にはチルノが何故突然泣いてるのか全く分からなかった。
ただこんな風になっているチルノを見ていられなくて、それなのに全く目が離せなかった。
目の前のこの状況をどうかしようなんて発想は、頭の隅からもすっ飛んでいる。


「いるんだ…いるんだよぉ……」


大妖精が気付いたときにはもう遅い。チルノは嗚咽をもらしながら、子供みたいに何度も同じ言葉を必死に引きずっている。
こっちを見て、正面切って切実に、心底悲しそうな顔で言った。


「もしいたら…仲直りしたい…よ…。もう、もう…こんなの、やだよぉ…だいぢゃ……ん!」


大妖精は言葉を失った。

すぐに、寒くも無いのに手が震える。なんだかすっごく嫌な気分だったのに、途端に何か、何かが逆転した。
そしてひたすら罪悪感がこみ上げてきた。

「チ…チルノちゃ……」

呂律が回らない。

「いる、よぉ……」
「あっ……えと…」

湿ったい顔をこすったチルノを前にして、大妖精は立ち尽くすしかなかった。
何やってんだ。チルノちゃんが泣いている。どうにかしなきゃと、ここにいるわたしにしかできないと、そう理解しているのに、足は動いてくれなかった。溜め込んでいた怒りの分だけ、やりきれない何かが心のうちから溢れてくる。
早く謝らなきゃと思うたび、それと同じくらい体が重くなって進めない。この期に及んで意地を張ってるんだろうか。
ただ圧倒されて、行動に出ることができなかった。

なんて、わたしは嫌な子なんだろう。友達が泣いているのに。



森の木の葉が風に攫われていった。
ざわめきの音も、さっきまであんなにうるさかった蝉の声も、もう大妖精には聞こえない。
青い女の子が水辺で泣いている。
何度も何度も腕で顔をこすってるのが、こっちに顔を見られないように湖面に向いた、その小さな背中から見えた。
二人ともただ無言だった。喧嘩は今まで何度もしたことがあるけど、こんなに居辛いが悪いのは初めてだった。

もういっそ、居た堪れなくなってこの場を去ろうとしたとき、沈黙を破ったのはチルノだった。



「あ…なんか来た……」

見れば、地面に刺したまま、すっかり忘れて去られていた竿がしなっている。
放っておいてもいいだろうに、なんとなくチルノは木の棒を手に取った。

「ん…」

止まった涙をしょっぱく舐めて、チルノは呟く。
予想に反して、竿の引きは大きい。

反射的に、強く手を握る。だが一向に紐は上がってこないどころか、逆に湖に引きずり込まれるほどだった。

「あれ…なんだこれ…」

チルノは腰をいれるために立ち上がった。
傍目からみても、様子がおかしい。

「あ、わっ…やばいっ」

大妖精が不審に思っていると、一気に引きが増した。

「うわ!ちょっ…あ、まって!」
「チルノちゃん!?」

バランスを崩してつんのめりそうになった。
氷精のおおきな瞳が大妖精を見た。振り返って叫ぶ。



「たすけて大ちゃん!」




大妖精はその声を確かに聞いた。

「あ…」

考えもなく駆け出していた。
なんだか助けを求めるチルノの声を聞くと、どうしようもなく嬉しくなった。
段々と、こころのモヤモヤが消えていった。

すぐさま、背中から抱きかかえる。
チルノの手の上から、大妖精も竿を握った。

「ううっ、大ちゃぁん…!」
「前見て…前。転んじゃうっ」


氷精の冷たい身体がふいに、汗を全部すっとばす。夏特有の、冷涼な心地よさが全身を駆け巡った。
大妖精は腕っ節に力を込める。同時に耳元でささやいた。

「仲直り…」
「…へ?」
「仲直り、しよ!」

二人して一緒に、つりざおを引く。
あんまり力が強くって、地面をどたばた駆け回りながら、竿に操られた。


なんだかチルノちゃんはうれしそうに笑っていた。
それを見て、大妖精は、しみじみと思った。やっぱり笑ってるチルノちゃんは、かわいいなぁ。

そこには昨日までの喜びがあって、二人して一緒に遊ぶ楽しさがあった。
さっきまでが嘘みたいに二人は叫ぶ。

「すっごいよ!あたいやばい!」
「くっ…!強い…!」

魚影が見えた。おそろしく大きい影。それが泳ぎ回るごとに、湖の水面が派手に左右に切り裂かれる。
薄黒い影の頭の部分には、頼りない木の竿に結ばれた細い糸の延長が延びる。

「えっ、う……うそだよね!?こんな大きいの!」
「逃がすもんか…このおぉぉ!」


力をかけすぎたチルノがけつまずいた。当然、重なった二人は転ぶ。
だが土にまみれても決して手に握ったものは離さない。

すぐにふんばれる体勢にうつる。
おしりをつけて、思いっきり足で地面のペダルを踏み込む。歯を食いしばって力の限りに竿を引いた。




「引くよ…チルノちゃぁぁん!!」

「うぉぉぉ!いけええええー!!」







湖にすっごいでっかい影。最上級の大物が、湖の水上にジャンプした。


口からは釣竿の紐。赤くて綺麗な尾っぽ。きらきらに飛び散る水。お日様の光を大きく遮って、二人に魚の影がさす。

チルノと大妖精はいっしょに、わぁ、とそれを見上げた。





ほんとに、すっごい、ながくてすっごい大きなさかな。


そして、きらきら、ひかる





「フィーバー!」





バチバチバチバチバチバチ!










衣玖さんは空気を読んであげた。
夏だぁーーーーーーーーーーーー!


と、言うわけで、なんか夏っぽいの!

筆者はもう夏休み終わっちゃうけどね!みんな海に行こう!言いつつも俺インドアだけどね今年!
海中で泳いでる衣玖さんに会ったら美しすぎて圧倒されて気絶しちゃう気がするなぁ…

キャー!イクサーン!バチバチバチバチ
空気読む衣玖さんはとっても素敵だ! そいじゃ、またー

※ あ、ごめん指摘箇所、内緒で手直しした 連絡遅れて誤解が生じた、わるい
アルサ
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コメント



0.1670簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
最後www

ドリルとかスクリューは燃えを感じますよね。
3.100名前が無い程度の能力削除
海中で泳いでる衣玖さんに会ったら美しすぎて勃起するわ
4.100てるる削除
ほのぼのとシリアスとギャグとニヤニヤが入り混じってどうコメントすれば良いか困って仕方がないw

ひたすらにGJ!!
6.100名前が無い程度の能力削除
実に贅沢な夏の一日ですね、がぼがぼがぼ。
8.100名前が無い程度の能力削除
衣玖さんなにしてんだw
いい話だと思ったのにw
10.100名前が無い程度の能力削除
『役不足』の使い方を間違えるとはにとりはゆとりだなあ。

衣玖さん空気読みすぎわろたw
15.90名前が無い程度の能力削除
ほのぼのしてていいですね。水棲生物組というのも新しい。水中でのお散歩、暑い夏にぴったりの作品です。

あと誤字報告をば
×川城にとり→○河城にとり
16.90灰華削除
水中を泳ぐ衣玖さんとは珍しいな。
そしてカブトムシ哀れ。…いや、衣玖さんに食べられるんだったらいいか。
19.100名前が無い程度の能力削除
フィーバー!
22.100名前が無い程度の能力削除
なんというほのぼの! これは最後まで和やかに行きそうだ……と思ったら衣玖さんがビシッと決めてくれました。
キャー!イクサーン!
23.90名前が無い程度の能力削除
呼吸無視して泳げたらなぁとか思いました
28.100名前が無い程度の能力削除
なんか良い。すごく良かった
37.100名前が無い程度の能力削除
衣玖さん何してるんですかwww
42.100名前が無い程度の能力削除
カブトムシ食べようとするケロちゃん……うーむ……
53.100名前が無い程度の能力削除
オチがww