曇天に走る雷光が、空だけでなく館も白く染め上げる。
梅雨も明けてしばらく経つが、夏の天気は女心よりも変わりやすい。朝には雲一つない快晴だとしても、それが昼まで保たれる保証など何処にも無いのだ。青く澄んだ上空が、今や灰色の雲で覆われている。
まだ雨こそ降っていないが、時間の問題であろう。どこまでも続く曇天は、今にも水滴を落としそうに思えた。時折思い出したように響く雷音も、それを助長しているかのようで。
レミリアは再び歩き出した。空の様子を窺っているうちに、いつのまにか足が止まっていたようだ。吸血鬼という種族柄、雨が気になるのは仕方のないこと。外を水が覆うなら、自然と館に閉じこめられてしまうのだから。
遠足前日の子供よりも、あるいは照る照る坊主を欲している生き物なのかもしれない。もっともレミリアの場合、そんなものを吊すぐらいなら別の方法を試している。ただ運命に寄りかかるなど、吸血鬼としての矜持が許さなかった。
「ん」
窓を叩く音に、自然と声が漏れた。僅か数秒前の懸念が、現実のものとなったようだ。
せきとめられていた雨は最早止まるところを知らず、ダムが決壊したかのように激しく地面に降り注ぐ。降るか降らぬか中途半端だった空は、いつのまにか雨で濡れていた。
さて、始まったか。
密かに願っていた展開が目の前に広がり、レミリアのテンションも上昇する。俄に小走りとなった速度で、地下室の階段を駆け下りた。瀟洒な従者が見ていれば、はしたないですと注意したことだろう。だが、そんなもの知ったことか。
犬の尻尾のように揺れる背中の羽が、レミリアの気持ちを如実に語っている。傘の妖怪でもあるまいし、雨で機嫌が良くなったわけではない。むしろ雨は嫌いなままだ。
好きなのは、もっと別なもの。雨ではない、だけど夏の雨には女房のように付き従ってくる天空の白光。
重厚で古びた扉を開け放ち、妹の姿も確認せずにレミリアは言い放つ。
「フラン、雷を見ましょう」
子供のようだと、魔女は馬鹿にした。その言には腹を立てたものの、否定するには些か説得力という力が足りない。
確かに子供っぽいと言えば子供っぽい。そうではないか。子供なんてのは苦労も知らずに、とかく台風などが来れば無意味にテンションを上げてみたりする。年が経つにつれ逆に頭を抱えることになるのだが、そんなものは知ったことかと風と雨が暴れる窓の外を楽しげに見つめるのだ。
それと何が違う。
そう問われれば、レミリアに返す言葉は無い。
だけど、だからといって止めるつもりは無かった。例え魔女が馬鹿にしようと、巫女に見下されようと、この楽しみだけは永遠に自分の手元に置いておきたい。
ただ全てを全て独り占めするのも、それはそれで味気ないものがある。だからレミリアは隣に妹を置くことにしたのだ。彼女もまた、長い年月を経た子供。それも外をレミリア以上に欲する子供だ。姉妹でもあるし、きっと趣味趣向は似通ったものとなるに違いない。
そう思ってのお誘いに、フランドールは二つ返事で答えた。いいよ、と。
自分で閉じこめておきながら、外への未練を植え付けるような真似事。フランドールには残酷な仕打ちかもしれないと思いはしたが、当の本人はさして気にしてない様子だった。もっとも覚り妖怪でもないので、その心の底まで見透かすことは出来ないわけだが。
楽しそうに後をついてくる妹に、あまり邪推を向ける気にはなれなかった。
「ねえねえ、お姉様」
「何?」
「雷ってどこで見るの?」
いかにも初心者な質問に頬が緩む。反対にフランドールは頬を膨らまし、拗ねたように唇を尖らせた。
「笑わないでよ。知らないんだから、仕方ないじゃん」
「ああ、そうね。だけどフラン、別に雷なんてのは改まって見るようなものでもないのよ。展望台があるわけでもなし、見るのはそこらの部屋で充分」
「私とお姉様の部屋でも?」
「意趣返しかしら? 私とあなたの部屋に窓はないでしょ」
吸血鬼の部屋だ。当然の造りと言える。
「とりあえずは居ない奴の部屋を借りましょう。さしあたっては美鈴かしら」
「外は雨だよ。美鈴、居ないの?」
門番という業務上、どうしても働く場所は外になる。だから雨が降ったら館の中に戻ってきそうなものだが、それでは門番は勤まらない。
「傘は与えてあるから、きっと大丈夫でしょ。風邪をひくほど柔じゃないし」
「ふーん」
降り止まぬ雨を見ながら、フランドールは気のない返事をした。
やがて、二人は美鈴の部屋まで辿り着く。鍵という単語とは無縁の紅魔館。何の抵抗もなく、二人は部屋の中へと入っていった。
一日の大半を外で過ごすだけあって、美鈴の部屋は実に質素で淡泊だった。武術関連や小説の本が机の上で無造作に散らばっているぐらいで、後は目立った物が一つもない。この部屋で過ごし始めて一週間だと説明されても、全く違和感は生まれないだろう。
そういえば、美鈴は門番の詰め所で寝る事の方が多いと言っていた。割り当てられた部屋で寝た回数など数える程だという。
だとしたら、例え業務でなくとも空き部屋だったのかもしれない。今後の雷観察には美鈴の部屋を使うとしよう。
「それでお姉様、ここで雷を見るの?」
「そうよ。でも、ただ椅子に座って外を見るわけじゃないわ」
フランドールが灯したランプの火を、無造作に吹き消すレミリア。橙色に染まりかけていた室内が、また暗闇に戻される。
「まず灯は消すこと。せっかく雷が薄れてしまうわ」
「それもそうだよね。で、他には他には?」
乗り気が移ったのか、フランドールの口調にも活気が宿り始める。気分を良くしたレミリアは、備え付けられたベッドに、はしたなくダイブした。そしてシーツを身体に被せ、亀のように首を出す。
呆然とそれを見ていたフランドールに、些か厳しい口調でレミリアは言った。
「何してるのよ、フラン。これが正しい雷鑑賞の姿よ」
「それが?」
「そうよ」
疑問顔のフランドールだったが、しばらく天井を見つめて気持ちの整理がついたらしい。わかったよ、と元気な答えが返ってきた。
しかし生憎とベッドの上にシーツは一枚。フランドール専用の殻など有りはしなかった。
仕方なく、レミリアはくるまっていたシーツを広げる。そして隣を示すように、ポンポンとベッドの上を叩いた。
「いいの?」
遠慮がちな上目遣いで尋ねるフランドール。だが何を躊躇う必要があるのだろう。姉妹なのだ。男が女をベッドに誘っているのとは訳が違う。
不敵に微笑み、レミリアは答える。
「当たり前でしょ。むしろ、そのまま鑑賞しようとするなら怒るわ」
「うん!」
姉と一緒に寝られる事が嬉しかったのか、フランドールは喜色満面でベッドに飛び込んだ。主が寝ずともメイドによって整えられたベッドは、埃をあげることもなくスプリングだけが悲鳴をあげていた。
はしゃぎすぎだと叱ろうかとも思ったが、それよりもせっかくの雷。怒ってこの機会を逃す手はない。
無言でシーツをフランドールにかけ、二人はクレープのようにくるまった。
雨が窓を打つ音に紛れ、轟くのは雷の音。大きな石を転がしているような、聞くだけで若干の恐怖を覚えそうな音だ。
だけど安全な所から耳にするなら、これほど心躍る音はない。落雷の音など胸がすく。
不謹慎だと怒る人もいようが、楽しい気持ちを止める事はできなかった。その辺りを指して、まだまだ子供だと言われるのだろう。だけどそれで良い。
なにせ二人とも、永遠の子供みたいなものなのだから。
「なかなか落ちないね」
予兆はすれど、実際に雷は目撃していない。窓から見える範囲は限られている。その範囲内に落ちてくれないと、観察も何もあったものではない。
「慌てる必要はないわ。雷は逃げるけど、逃げる前に大暴れするのよ」
「大暴れしたら私にも見えるかな?」
「妖精にだって見えるわよ。だから心配せずに外の観察を続けましょう。こんな話をしていて見逃したら、それこそ馬鹿らしいわ」
言い切るレミリアとは裏腹に、フランドールは何やら煮え切らない様子だ。視線こそ外へ向いているものの、あーだの、うーだの、意味を成さない声が聞こえてくる。何か言いたいことでもあるのだろうか。
しかし、ここで下手に突けばカタツムリの目玉のように質問が引っ込む。当主として正しい選択肢は、大人しくフランドールが口を開くのを待つこと。白いシーツにくるまった当主は、大人びた笑みを浮かべながらそう思った。
やがてフランドールは考えを纏めたのか、薄紅色の唇が開かれる。
「でもね、お姉様とこうやって話をするのは嫌いじゃないよ」
予期せぬ妹の一言に、思わずレミリアは言葉は失った。それでも視線を合わせることがなかったのは、照れているのか、はたまた目を合わせる事を恐れているのか。それは自分にも分からない。
強く握りしめた部分から、シーツに歪な波が生まれる。
恨まれこそすれ、慕われることはないと思っていたのに。この戯れにも、内心では嫌気が差しているのではないかとも考えていた。
だけどフランドールの気持ちは真っ直ぐで、純粋な心がレミリアの良心を貫いてくる。
「私を閉じこめてる事はこんちくしょうって思うし、気にいらない部分はいっぱいあるけど、無関心でいられるほどお姉様は小さな存在じゃないからね」
「……単純に好かれてる訳じゃなさそうね」
「憎さ半分、好意半分ってとこかな」
その言葉に安堵の溜息を漏らす。閉じこめた相手から見返りのない100%の善意を向けられるなど、到底気持ちの良いものではない。少なくとも、レミリアには理解できない感情だ。
憎しみもあり、好意もある。だから無視することはできない。
それならば、気持ちは分かる。
レミリアとて、そういった相手は幾人かいるのだから。
「だけど、今は雷に集中しましょう。会話は、ほら」
窓の外を指しながら、教えてあげる。
「雷を見ながらでも出来るわ」
姉の教えに、妹は頷く。
そんな姉妹にご褒美を与えるかのように、山の向こうに雷が走った。
門番の部屋の中で、無邪気な姉妹の歓声が上がる。
いくら門番とはいえ、大雨の中で立ち続けるほど職業熱心なわけではない。どこぞのメイドなら忠誠心を糧に傘もささず、仕事をまっとうするかもしれないが。
美鈴にはそれほどのエネルギーが無かった。早々に仕事を切り上げ、門番の詰め所に戻ってくる。
そこで読書でもしようかと思って、ふと気が付いた。咲夜から借りた本を、自室に置いてきてしまったことに。詰め所に置くと汚れてしまうから、滅多に使わない部屋へ仕舞っておいたのだ。
仕方なく、美鈴は久方ぶりの自分の部屋へと戻る羽目になった。せっかくだから、そこで読書をするのも良いかもしれない。
詰め所は過ごしやすい場所だけど、どうにも騒がしい。ゲームをするには最適だけど、読書をしたいような環境ではなかった。
どうせ今日はもう雨が上がるまで仕事をする気にはなれないし、ゆっくり本の世界に浸るの良いかもしれない。
そう決めた美鈴は自室の扉を開け、絶句した。
「……なに、してるんですか?」
返事はない。
紅の姉と紅の妹が、仲良くシーツにくるまりながら安らかな寝息を立てていた。
どういう状況なんだろう。美鈴の頭では一つの推測も浮かばない。
ただ確かなのは、この二人の睡眠を邪魔したらタダでは済まないということ。
「なにしてるんだか……」
呆れたように呟きながら、目当ての本を棚から取り出した。
窓の外では、相変わらず雷が暴れ回っている。遠くの山から届いた白い光が、暗い部屋を照らす。
二人が目を覚ましてはいけない。美鈴はそっとカーテンを閉め、ゆっくりと部屋を後にした。
互いの手を握りしめながら寝ている二人を見て、
「ああ、やっぱり二人は姉妹だったんですねえ」
小声でそう言った。
締めの美鈴もいいなぁ
ごちそうさまです。眼福。
ごちそうさま。
としか言いようがない
「互いの手を握りしめながら寝ている二人を見て」この場面想像したら萌死するかと思った。
雷などになるとテンションが上がるのは同意しますよお嬢様、まあ私もまだまだ10代の子供ですがね