Coolier - 新生・東方創想話

阿求の一日幻想郷一周旅行 下

2009/07/19 17:40:43
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(阿求の一日幻想郷一周旅行 上)の続きです。こちらは下巻。 
 二次設定・オリキャラが混ざっています



 お経みたいな、長くてありがたいお説教……を予想してはいましたが、実際はそんなに長くはなかったのですよ。私はちゃんと聞きました。藤原や小町は、宙を見ている目つきが怪しかったけれど。
「今日は私達も、あなた達も忙しいようですから、細かい事は言いません」と結んでお説教は終わる。
「ありあえー」と、舌のまだ治らない小町。
 (ありがてー)と言ったのだろう。閻魔様は呑気な顔をした小町を睨みつける。
「小町は仕事をさぼって一体何をしていたのです」
 あれ。私達が小町を連れまわしていたのが閻魔様に知られているように、小町のたこ焼きの件も、知らないはずはないのに。もしかしたら、わざと知らないふりを?
「ひえ、あにも。ふらふらしえましたよ」黙っていると約束した藤原を横目で見る。
「ぼけぼけしてたから連れ出した」と。ぼけぼけ……
「まったく、いつも叱っているのに変化がありませんね。さあ、早く戻りますよ……」
「待ってください。本の好みを聞いてまわっているのです」
「そうでしたね。私の愛読書は即興詩文です」
「へぇ。あんがいおとめみたい……しまった、舌が治ったっ。きゃん!」
「私も聞きたい事があるんだけど」と藤原。閻魔様は振り返った。
「生きた人間の犯した罪は死んでから罰せられる。私の罪や、死なない奴の罪は?」
 少し長めに答えてくれるらしい。閻魔様は咳払いして話し出した。
「あなた達の場合は、全て現報です。あなたが荒れていた頃、身の回りに幸福は一つもなかったでしょう」
 藤原は頷く。
「行動が成功しないのも、関わった人に災いがふりかかるのも、みな現報です。あらゆる形で不幸になって、あなたの身に返るのです。報いのない罪はありません」それから、藤原に近寄って、耳近くこう言ったのが聞こえた。
「今そこにいる稗田氏や上白沢が、あなたと関わっていて何ともないのは、あなたが近頃罪をつくらないからです。しかし罪をつくればどうなるか、これまで何度も見てきたでしょう。そしてさらに罪を作るような泥沼には、もうならないよう気をつけなさい。辛くても解決できない事はないはずです」
「うん。そんな気がしてた……ありがとう」
〔四季映姫・ヤマザナドゥは、即興詩文〕

 まだ日は高いけれど、懐中時計を開くと16時だった。
 ひぐらしが鳴き始めるにはまだ早くて、みんみん蝉の盛んな声で森はいっぱい、少しの静けさの入り込む余地もなく、たまに鳥が短く鳴いて異色を添える。
 お喋りの小町がいなくなったとたん、辺りのそういう音が耳に入ってくるようになったのだ。小町の言う事に、言い返して楽しそうにしていた藤原も、また物静かになってしまったのは、正直寂しかった。
 この人は私にはあまり話をしてくれない。元から口数は多くないらしいと思っていたし、護衛を誰にしようか今朝考えていた時、お喋り好きでない事も条件の一つではあったけれど。
「藤原さん、本当は無口ではないのでしょう?」
「ん。無口のつもりは、そもそもないんだけど」
「あぁ。そうでしたか。では、もしよかったら、私にいろいろと話をしてくれませんか。私は小町さんみたいにおもしろい事を言ったり、たくさん話したりはできませんけど。話してくれたら嬉しいです」
「あいつは口数が多すぎるんだよ。ま、私も話す事って、あんまりない」
「上白沢殿とは、どんな話をするのです?」
「なんで慧音?」
 単純に答えてはくれずに、どうして上白沢殿なのかと問い返したので、何となくわかった気がする。……なんてお決まりの言い回しで、事情を察知するより一瞬早く感じた失望をごまかすつもりだったものの……
 真っ暗闇にくるまったルーミアが現れた。感傷ぶち壊し。まぁ、こんなもの早く忘れてしまいたいから、この場合のぶち壊しは天の助けかと思った。
「ルーミアさん!本の好みを教えてください!」
「うわ、びっくりした。そこに人がいるの?」
「中から見えないんですね」こちらからもルーミアの姿は見えない。
「うん見えない。本も見えないんだよー」
 なるほど。
〔ルーミアは、読まない。ではなく見えない?〕

 さて。藤原が調べたところ、地下への入り口はこの近くにある。もう時間が遅いから、急がないと。
 地底は駆け足で。
 まず洞窟、黒谷ヤマメに会う。「通さないよ!」と立ちふさがる。
「しかじか」
「ふうん。向こうへ行っても暴れたり、何も持ち帰ったりしないなら、行ってもいいけど。私、いつもここにいるから、本なんて読めないよ」
「そうですか。確かに暗いですね」
 帳面に書こうにも、手元は闇で何も見えない。藤原が小さい火をつける。
「わっ、まぶし!火なんかつけないでよ!」
「あぁ。ごめん。」
〔黒谷ヤマメは、読まない〕 

 水橋パルスィ。なんだかすごい顔で睨まれた。
「あんたのためにあたいは死んだ。恋愛写真。あたいの女を紹介します。内科室、夜行警察、湯船の白梅……女系図」
「悲恋物ばっかりだな」と藤原。
「そういうのが好きなのか?」
「別にそうでもないけど。読んだらスカッとするわぁ。あと、舞媛に、白菊の墓、利根川心中とか」
「何か、嫌な思い出でもあるのですか?」そういうのばかりを読むということは?
「さぁ。あったとしても、思い出したくないような事を。まったく呑気ねぇ。妬ましいわ」
「ごめんなさい」
〔水橋パルスィは、悲恋物?〕

 一角の鬼、星熊勇儀。
「本を読むよりは、芝居でも見に行くほうが好きだね」
「歌舞伎なんかかい」
「そう。でも、あんたらが知ってるようなのじゃない。妖怪や、ここらの霊がやる歌舞伎さ」立って片足を振り上げ、地面を踏みつけると、辺りがぐらぐら揺れ、瓦や吊り提灯なんかが軒並みからがらがらと落ちてきた。
「危ない、危ない」建物の屋根の下へ、藤原に背を押される。勇儀は手を突き出し、歌舞伎でよく見るあのポーズだ。
「切り合いなんか本気でやるよ。血や折れた刃が飛ぶから、前の席の客には傘が配られる。客のほうで、飛んできた刀が刺さってぶっ倒れる事もしょっちゅうさ。妖怪の歌舞伎を見たら、人間の歌舞伎は見られなくなる」
 お酒を飲んでいるから、ご機嫌なのだろうか。
「せっかく来たんなら、観に連れていってやろうか?」
「遠慮する」
「私も……」人間にはかえって、妖怪の歌舞伎は見られたものではなかろう。
「ま、里に帰って見る歌舞伎がつまらなくなっちゃ、せっかく良いものを観たって損だね。それより、そこの妖怪みたいな人、あんたは皿屋敷の百合子さんの役が似合いそうじゃないか。一枚、二枚って、九枚まで言ってみなよ」
「どこが似合うんだよ。殺されて井戸に捨てられるのなんか嫌だ。つまらない男を祟るのだって、バカバカしい」
「へぇ。結構、やりたがる女の多い役だけどなぁ」
〔星熊勇儀は、読まない〕

 そして、地霊殿。主だと言うこの人は……
「古明地さとりです。急ぐのなら、ここのみんなの好みを私が教えてあげます」
「!?」
「そんなに驚かないで。メモする用意をしなさい」
 一体なんの事?
「どうして私達の目的を知っている?」
「心が読めますから。……あぁ、合理的に考えますね。藤原妹紅。その通りです」
「え?あの、どうなっているんですか」
「人の心が読めるんだってさ。だから用事がわかってたんだよ。説明しなくてもいいから時間が省けて楽だって考えてたら、それも読まれた」
「そうでしたか。では、教えてください」
「まず、お燐は、ハートフェルトファンタジーなんて面白がってたわね。火焔猫燐よ」
「はい……」
「霊烏路空。あの子、本なんて読むかしら。お空ー……」
「うにゅ?」と、大きい羽で飛んで来た。
「お空、最近読んだ本はなに?」
「えっ。本ですか。ええと、実は……」
「……とてもやさしい微積分」
「そうです。内容はまったくわかりません。なんの事が書いてあるんですか?」
「本が本でも、読んだからって、かっこいいとは誰も思ってくれませんよ。ちゃんとわかる本を読んで勉強しなさい」
「ひえぇ。わかりました」顔を赤らめる。
「こいしは何かしら。どうせ帰ってこないだろうし、お空、こいしの部屋へ行って、本棚を見てきなさい」
「はい」と言って、戻ってきたものの、「あれ……何だっけ」
「……はぁ」
 さとりが深いため息。
「さとり様、ちゃんと見てきましたから、心を読んでください」
「あなたが全然覚えてないのに、読んだってわかりません。まったく……お燐ー」
「はい?」今度は火焔猫燐を呼ぶ。
 同じ言いつけをし、燐を行かせる。
「見てきましたよ。異国人とか、吐き気とか、ありました。作者はガムと、吐き気のほうは砂糖だったかな。まぁお空が忘れちゃっても仕方ないですね。難しそうな本でしたし」
「お燐、うっさい!」
「二人とも静かにしなさい。こんなところですよ。わかりました?」
「ええ。ところで、あなたは?」
「くるみ割りとドブネズミのお話。……お話は子供しか読んではいけないなんて、誰か言いましたっけ?」
「ん?そんな事考えてないけど?」と藤原。
「言い逃れは通用しません。……見た目がなんですって!あなただって小さいじゃないですか!でも歳は……」
「げえっ。稗田、逃げるぞ」
「え、ちょっと、何ですか?」
〔古明地さとりは、くるみ割りとドブネズミのお話。古明地こいしは、異国人、吐き気。
 火焔猫燐は、ハートフェルトファンタジー。霊烏路空は、とてもやさしい微積分?〕

 地上へ戻る途中、再び通った洞窟で、大きな桶が降ってきた。
「おっと」藤原が受け止めたのを覗くと、中に人が小さくなって隠れていた。おびえているように縮こまって、上目でこちらを見ている。そういう様子も、髪型も、とても可愛い。
「どうしたの?私達、何もしませんよ」落ち着かせたくて声をかけると、桶のふちを掴んで、顔を出した。
「これ……」
 小さい声で、差し出したのは薄い本。暗くて表紙は見えないけれど、たいぶ痛んでいるらしいのが手触りでわかった。
「それは?」と藤原。
「ハッピー・プリンス」桶の子が言った。
「なんだって!」
 驚いた声があたりに反響する。どうしたのか、私はわからない。
「とうぶん、幻想郷には来ないと思ってたのに。どうして持ってる?」
「ひろった……」
「あの、どうしたんですか?」
「その本。良い本だから。外の世界のだけど」
「……たくさんの人に読まれるといいと思う。だから、あげる」
「そうか。良い子だね……ありがとう。この本を最初に読めて、幸せだね。書き写してから必ず返しに来るよ」
「うん」
「名前は?」
「キスメ」
 外へ出てから書き付けた。
〔キスメは、ハッピー・プリンス〕

 地上はもう日が沈む頃だった。雲の上では既に星が光っている。
 はじめて見る雲海、この時間帯の薄明かりで赤く染まった雲の上に、群青色の夜空と星々。なんてきれいなんだろう……
 しかしやかましい。
 楽器がぽつりぽつりと浮かんで、音をたてている。聞いていると気が変になりそうだ。プリズムリバー三姉妹は姿を見せない。
「プリズムリバーさーん、お話したい事が、あるのですが」
「ん。なんだい」意外に近くへ長女のルナサが現れ、バイオリンの音は止んだ。
「本ねぇ。昨日、仏曲っていうのを読み始めたんだけど」
「はぁ」
「曲っていうから、音楽関係の本かと思ってたけど、全然違った。遠からずってところかもしれないけど……長いから、もう読むの諦めそう」
「まぁ、詩ですからね……」
「メルラン。本だってさ」
「あーい」トランペットが、私と藤原のまわりをぐるぐる回る。
「あんた、本読むっけ?」とルナサ。
「そうおん!」たぶんメルランの声。
 本の名前?
「そうおん!あははは」
「リリカ、あんたは」
「んー。何かなぁ」キーボードの裏から、赤い服のリリカが現れた。
「時計じかけのぶどう!おもしろいよー」
「稗田には合わなそうだな」藤原が言う。
「そうねー、似合わないね。キミ、純だから読まないほうがいいよ」と、リリカも同調する。なぜ?
「どういう本なんですか?怖いんですか。それか、泥棒とか、放火とか、殺しとか?」
「まぁ、そんなところ。放火はあったかな?」藤原は首をかしげた。
〔プリズムリバー三姉妹、ルナサは仏曲、じゃなくて音楽関係の本かな。
 メルランはそうおん。リリカは時計じかけのぶどう〕

 長い階段。見上げると、目が眩みそうになる。
 なんて空気の清浄なところだろう。息を吸っても、吸った感覚がほとんどない。じきに呼吸を忘れてしまいそう。
「のぼっていいんでしょうか?」
「たぶん……」
 不意をつかれたのは私達だった。かまいたちのような鋭い風が、びゅんびゅん飛んで来た。
 藤原に押されて地面に伏せ、無事には済んだが、藤原の服の袖がちぎれ飛んだ。
「侵入者!もう夕食を作らないといけないのに、こんな時間に来るとは迷惑すぎる!」
 魂魄妖夢が駆け下りてくる。
「あれ?稗田さんと蓬莱人。変な組み合わせだな」
「悪い時間に来てしまって、ごめんなさい。あなたと西行寺さんにお聞きしたい事があるので、通してもらえませんか」
「そうですか。まぁ、それならいいですけど。いや、だめかな?誰も通すなって言われてるし……聞きたい事とは何なのです?」
「本の好みです」
「はぁ。本ですか。とりあえず、幽々子様にお知らせして来ます。そこで動かないで、待ってて」
 妖夢自身は飛んでいったが、半霊はここにとどまり、私達を見張るみたいに、じっとしている。
 静かに待っていると、妖夢が戻ってきた。
「阿求さんはいいそうです。どうぞ、まっすぐ行ってください」
「藤原さんは?」
「だめです。通しません」
「どうして?」
「いいよ。行きたくないから」藤原は首を振る。
「行ったって幽霊ばっかりだろう。西行寺のお嬢さんが、なにかをするってこともなさそうだし。一人で行って」
「ええ、わかりました。それでは……」

 行燈の細い火が一つだけ。広い座敷の四隅は照らされず、丸いちゃぶ台と、その上の湯飲みや急須がやっと見えるばかりだった。
 向かいに座っている西行寺幽々子は、本物の幽霊だが、あまり怖くない。
 出されたものは、あたたかいけれど味がしない。白湯かと思ったら、ほんのりお茶の香りがする。
「妖夢は外だから、私が淹れたのよ。自分で入れるのは久しぶりだから……あぁ、薄いわね」
 茶葉を足す。どばっと。
「あら。入れすぎたわ」
「いえ、渋いのが好きですから」
「そう。私も渋いのが好きよ。さあ、どうぞ」
 湯飲みに入れてくれる。結局、先に入れてくれた薄いのとまざってちょうどよい濃さになった。
「おいしいわねぇ。おまんじゅうが食べたいわぁ」
「すみません。何も持ってこないで」
「いいのよ。ところで、本だったわね。あやめ燈篭、知ってる?」
「ええ、怪談でしたね。半分」
「そう。怪談は嫌い?」
「ちょっと……」
「古三郎が恋しくて、恋しくて死んでしまったお霧の霊がね」
「!?」
「燈篭を提げて、毎夜カラコロ、カラコロと下駄を鳴らして……死霊にほしいままにされる古三郎も、じきに生色をなくしてね……」
「ひえぇ」
「あらー。まだ怖い事言ってないのに」

 階段まで幽々子に送られて来ると、藤原と妖夢が弾幕を飛ばしあっていた。弾幕と火で、そこだけ眩しい。
「きれいねぇ。妖夢ー、もっと上へ飛ばしなさいな」
「花火じゃないんですよ!」と叫びが上がる。
「それはわかっているわよ。弾幕でしょ。だからもっと上へ飛ばしなさいな」
 藤原が笑い出した。と、その背中を刀が切りつける。「しまったっ」妖夢はあわてて刀をおさめた。
「今のは卑怯な切り方だった。あんたに戦意がなかったのに、すまない。この勝負は今はお預けにしよう」
「最初から尋常な始め方じゃなかっただろ。いたた」
「救急箱を取ってくる」と妖夢は行こうとする。
「待って。取ってこなくていい。知り合いのところで、みてもらうから。そのほうが早い」
「それより妖夢、あなたはどんな本を読むの」幽々子が言う。
「えぇ?今は、六重塔ですけど」
「ありがとうございました。では、急ぎますので、失礼します……」
 藤原にぶら下げられ、冥界を出る。

 飛んでいて、血がどんどん流れ落ちてくる。
「大丈夫ですか?」
「うん。ごめん」
「無理はしないで」
 雲の下はまだ少し明るかった。竹の林を飛び越え、永遠亭へ。
 庭に下りると、蓬莱山輝夜が縁先に座っていた。
「あっ、妹紅。それから……?」
「稗田です。藤原さんが怪我をしているので、八意さんにみていただきたいのです」
「そう。ついて来て」
 血が落ちないよう、手布で藤原の背を押さえながら歩く。出血量が多いためか、藤原はふらふらしていた。
 治療の間、通された和室で、私は姿勢を崩して足を伸ばしきっていた。もうだいぶ疲れてしまった。ここが人の家でないなら、寝転がってしまいたい。
「はい、お茶」輝夜がお盆に載せて持ってきた。
「あ。どうも……」
「妹紅と二人で何をしてるの?」
「本の趣味を聞いてまわっていたのです。幻想郷中。まだ終わっていませんけど」
「ふうん。おもしろそう。みんな何て言ってたの?」
「いろいろですよ。戯曲とか、怪談とか、小説、落語も。輝夜さんはどんな本を?」
「私はとにかく長いのがいいの。今はアボガドロナイトを読んでる」
 緑色い果物?
「うちのみんなは、何を読んでるのかしら。イナバ、来てー」
 はい、と出てきたのは、鈴仙・優曇華院・イナバ。
「今、読んでる本を教えて」
「えっ。本ですか?」と、赤面する。「ええと……」
「鈴仙は源氏物語じゃない」言ったのは、てゐ。
「さらさらの日記とか、とんぼ日記とか、いずみの日記とか、そんなのばっかり」
「ちょっと、てゐ!」
 年頃という事だろうか。
「てゐは?」と輝夜。
「わたし本読まない」
「む……あんた、神仙列伝とか、海山経とか読んでるじゃない」
「へぇ、そうなの。長生きしたいのね」
「ちがうもーん」
「永琳は?」
「お師匠様は、わけわかんないのばっかりだね」
 一つずつ書きとめる。

 横になっている藤原を見舞った。台の上でうつ伏せになっている。
「痛いですか?」
「まあね。ま、大丈夫。もう少ししてから行こう」
「いいんですか?あと少しですし、別に、今日中にすべてまわらなくても」
 平気、というように藤原は笑う。仕事だからと思って、頑張ってくれるのだろうか。やっぱりこの人に頼んでよかった。今朝、魔理沙の家で、頼もしいと思ったとおり。
「どうして妖夢さんと戦っていたんですか?」
「あぁ。前にあいつと戦ったとき、幽々子と妖夢二人と、私一人だったのが、公平じゃないから、今日こそいざ尋常に、なんて真面目な顔で切りかかって来たんだ。全然尋常じゃないよね」
「はぁ。妖夢さん、気が短いんですか?」
「知らない。真面目なんだろうな」
 八意永琳が薬瓶を持ってきた。
「行くのなら、これを飲んでいきなさい。出血を止める薬。あまり動いて傷が開くと、縫わないといけなくなるから、気をつけて」
「気をつける」薬をあおる……
「ところで、永琳さんはどんな本を読まれます?」
「本?本は、あのとおり」
 本棚を指差される。確かに、よくわからないものばかり。
〔魂魄妖夢は、六重塔。西行寺幽々子は、あやめ燈篭。
 蓬莱山輝夜は、アボガドロナイト。鈴仙・優曇華院・イナバは、女房文学。
 てゐは、神仙列伝、海山経。八意永琳は、専門書?〕


 夜の山を歩く。狼でも出そうで、少し怖い。
「そういえば、レティさんはいないんですね」
「レティ?」
「冬に出る妖怪です」
「あぁ。夏だからね」
 なぜか山里に出た。古風な集落、かやぶきの家や、農具が散らかっているらしい物置は里と変わらない。ごく普通に人が住んでいそうだけれど、住人の気配はまったくしない。立ち止まっていると、風や葉ずれの音のほか、物音は一切ないのである。
 見ていた建物の影から、顔が出てきた。びっくりして声を上げてしまいそうになった。
 よく見ると、化け猫の橙。
「遊んでー」
「遊んでる暇はないけど、あんたの主人と、主人の主人に会える?」八雲藍と八雲紫の事だ。
「だめ。二人とも忙しいんだから」
「あぁそう。じゃあ、魚を釣りに行こうか」
「魚!行く行く」
 さすが猫らしい。ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。でも、どうして釣りに?
「晩ご飯。焼き魚にしよう」
「それはいいですね。でも、竿がありませんよ」
「そこらへんに、探したらあるんじゃない?」と、あたりの建物を見回す。なるほど、人はいなくても、生活用具は揃っている。
「あるよ。待って、取ってくる」橙が駆けていく。
 さて、小道を伝って山をおりる。藤原も橙も、敏捷に歩いて行くが、私は苦労する。暗くて、木の根っこや石があってもわからないで、転んでしまいそうになる。
「もうちょっと、ゆっくり……」
「先に行ってるよー」橙は一人で行ってしまった。
「藤原さん、手を引いてくださる?」
「そんな事しなくたっていいだろう」
「転びそうですもん。お願いします」
 しぶしぶ、という様子だが、手をとってくれた。おかげで歩きやすい。
 あたりに木々がなくなり、あかるい星空が開けた。石のごろごろした川原まで降りると、橙はもう釣りを始めている。
「釣りはできる?」と藤原に聞かれる。
「できません」
「じゃあ、待って見てて」
 竿は三本あるのだが……「教えてくれますか?」
「うーん。とりあえず、針をつけて……ついてるな。川に投げて」
 びゅうっとしなりをつけて投げる。
「痛っ!私に刺さった」
「ごめんなさい!」
「ああぁ、引っぱるな」
「うるさいよ。魚が寄らないじゃない」橙に怒られる。
 結局、私は見ている事にした。悔しい。
 確か、玄関番の与太郎が釣り道楽、ではなくて、釣りが上手かったはず。習って、大きい魚を釣って藤原に送ってみたい。驚かせられたらいいなぁ。でも、どうせまたお金がうるさいだろう。(いけません、釣りなんて男のする事です)などと見識の浅い事を言って、反対するに決まっている。
 と考えているうちに、橙の竿に魚がかかった。ぱっと引き上げ川原に落とす。元気な魚は石の上をはねまわって、川へ戻ってしまいそうだったが、その前に橙が押さえつけた。そうして……どうやって魚を殺したか、見なければよかった。まぁ、ともかく、藤原も釣り上げた。藤原はすぐに殺さないで、持って来たビクを川に置き、竹の網目から出入りする水へ魚を入れた。
 その後、橙と藤原はもう一匹ずつ釣って、四匹を木の枝に刺し、焚き火で焼いた。香ばしくて、塩がなくても美味しい。
「レモンがほしくなりますね」
「ぜいたくだな」と藤原が笑う。橙は二匹食べた。
 魚のあぶらと、焚き火のいい匂い。
 夜の虫が水辺で細い鳴き声をたて、時折気がついたようにカエルが鳴き出す。
 空を見れば、砂をまいたような星空。みんな銀色に光っている。
「藤原さん。あの、赤い星はなんの星座ですか?」
「コマチ座の頭。まわりの星と結んでみ」
「はぁ。じゃあ、あの四角いのは?」
「エーキ座の頭。まわりの星と結んでみ」
「……あの、見えないくらい小さい星の集まりは?」
「アキュウ座……」と、唇の片端を吊り上げる。
「そういえば、藍様や紫様に、どうして会いたかったの?」と橙。
「しかじか」もう、今日で何回言ったかわからない説明を述べる。
「ふうん。聞いてきてあげようか?」
「ええ、そうしてくれると助かります」
「じゃあ聞いてくるから、待ってて」
 と言って橙は煙と一緒に消えた。
「あと、八雲さんの三人と、スカーレット姉妹と、射命丸さんだけなのですが。射命丸さんはどうやったら会えるでしょう」
「そうねぇ……あぁ。博麗の巫女の噂、聞いた事ある?」
「噂?ありません。霊夢さんの事ですか」
「うん。里の危険思想の組織から賄賂を受け取って、こっそり妖怪狩りをしてるらしいんだけど……組織にとって厄介な人間も、この頃、変な死に方をしてるっていうから、危ないな」
「えぇ!?」
「慧音もこの頃、誰かにつけられてるみたいだって言ってたから、不安だよ」
「ええぇ」
「こら、もっと真剣な顔をしなさい。いいか、慧音が組織の敵なら、あんたも組織の敵だ。慧音と同胞なんだから。だから夜遅くに一人で歩くなよ。霊夢に殺されるかもよ?」
 パシャ!
「ほら、来たよ」
 振り返ると、木の枝の上に誰かがいる。そこから飛び降り、焚き火の前へ来たのが射命丸文だった。
「博麗霊夢さんの、ありもしない噂を立てている怪しい二人組みを撮影成功!……のつもりだったのですが。わざと嘘を言ったのでしょう。何のためです?」
「あぁ、そういう事だったんですね。ええと、本の趣味を聞きたいのです」
「本の趣味?んー、この頃勉強をしているので、そういう本ばかり読んでいますけど」
「どんな本です?」
「修辞学原論です。なんだ、たったそれだけでしたか。面白くないなぁ」
〔射命丸文は、修辞学原論〕

 橙が戻ってきた。
「聞いてきたよ。藍様は、猫街っていう小説。紫様は、プラテーとあたい、だって」
「そうですか。あなたは?」
「私?私ね!藍様が毎日、寝る前に昔話を読んでくれるの。だからたくさん覚えてるよ!」
 昔話か……懐かしい。私も毎晩、母が昔話をしてくれた。今も、頼めば話してくれるだろうか。
「どんな話を知ってる?」と、藤原。
「いっぱい知ってるよ。浦島与太郎とか、金太郎衛門とか、脳を家に忘れてきた妖精の話も、つまようじの剣で鬼を退治した小人の話も、赤頭巾太郎の話も」
「赤ずきんの話、似たのがいろいろとあるけど、一番古い赤ずきんの話だと、豚に食べられて終わりなんだよ」
「嘘!大家さんに助けられないの?」
「うん。大きい豚こそ食い意地が張って危険なんだって、教訓がついておしまい」
「ええー。そうなんだ」
〔八雲紫は、プラテーとあたい。八雲藍は、猫街。橙は、昔話〕

「意外ですね。紫さんは、どんな本を読むのか想像もつかなかったので」
「プラテー、知ってる?」
「ええ」いつ、どの章を思い出しても、切なくなる。
 ちなみに、プラテーとは狐の事だ。暖かい田舎へ療養に来た小説家が、簡素な古屋と一緒に買った、狐のプラテーと過した日々……最初は幼くて元気なプラテー、大きくなるプラテー、老いて、だんだん体が弱っていくプラテー。そして死んでしまう。そういう本だった。
 あとは、スカーレット姉妹だけ。なんだか行きづらい。最後かぁ……
「どうした?行こう」
「えぇ……」

 また一人で紅魔館に通される。
 大テーブルの奥の席で、レミリア・スカーレットはかき氷を食べていた。私は横がわの席に座らせられる。
「シロップが少ない。咲夜、もっとかけてきて」
「もうかけすぎて、氷が溶けているじゃないですか」
「あぁ、氷のせいで薄くなってたのね。じゃあ、氷を足さないで、シロップだけ入れてきて」
 ただのジュースになってしまった。
「で、本ね。プルタルゴスの英雄伝。家が火事になったら、プルタルゴスの英雄伝と、砂翁の全集と、あと誰かの全集だけは抱えて逃げろ、という格言があるのよ。知ってる?」
「いいえ。お恥ずかしながら」
「本にチョコレートつけたくせに、えらっそーに」言いながら、妹のフランドールも、かき氷を持って来た。
「パチェ、怒って喘息の発作起こしてたよ」
「……」
「小悪魔がチョコ取りを言いつけられて、取れなかったら怒られるから、一生懸命になってさぁ……あぁ可哀想だった」
「あんただって、本にしわをつけたり、ベッドに脱ぎ散らした服の上に置いたまま忘れて、くるんで洗濯に出したりするじゃないの!」
「私ね、ポンとかドリルの推理小説が好きなの。クリスのも。おもしろいよ」
「ポン、ドリル、クリス……」妙な名前だ。
「でもチョコよりはいいじゃない」
「どこがよ」
「ね、稗田さんっていったっけ?」突然フランドールに話しかけられる。
「えぇ。なんでしょう?」
「チョコと、本を洗濯するのと、どっちがひどいかな?答えて!正解したら、このかき氷、一口あげる。おいしいよー」
「はぁ……」
 チョコレートならば、まだ何とかなるが、洗濯したら、ひどければ紙がぼろぼろになって完全に読めなくなってしまう。しかし洗濯する前に、誰かが気がつけば無事で済むだろうが……
「……洗濯のほうが、やってしまったなら、取り返しはつきませんから」
「ふうん。そうかなぁ?ねぇ、咲夜。どう?」
「稗田さんのおっしゃる通りですわ」
「あ、そ。じゃあ正解!さぁ、食べて食べて」
 膝にのりかかり、真っ赤なシロップがしたたる匙を口に突きつけられる。
 シロップが落ちて、喉が冷たい。恐る恐る口を開くと、突っ込まれた。
 錆びた味がする。
「ね、美味しいでしょ?誰の血か知らないけどさぁ」
 人間の?
「う……」
「もっと食べていいよ」
 閉じた唇へさらにねじ込んでくる。氷やシロップはほとんど首へ落ちてしまって、胸元がどんどん濡れる。真っ赤……
「フラン!いい加減にしなさい」
「お客様の前で、そんな大声だしちゃダメじゃない。はい、もっと。口開いてよぉ」
「うぅ」横目で咲夜を見ると、助けてくれると思ったのに、咲夜も、吸血鬼姉妹そっくりの目で見ている。どうしよう。
「だんだん美味しくなってくるでしょ?」
 氷で、舌の神経は麻痺してくるけれど。
「ちゃんと食べて。もうひとクチ……」
 喉に押し流す。
「美味しかった?」
「えぇ……」いいえ、とは答えられない。すぐ目の前に相手の顔があるのだから。
「ねぇ。あなたは、もっと美味しそう。何歳?」
「……」
「ちょっとだけでいいから、噛んでいい?いいよね?」
「いけませんよ。フランドールお嬢様」
 咲夜の手が、フランドールの肩にかかる。
「えぇー。だって美味しそうじゃない」
 助かった。
「まぁ、またいずれにしてください」
「……もう、失礼します……」

「お庭に毎年ツバメが来るんですよ。お嬢様がツバメのスープを食べたいとおっしゃったから、ひなを捕まえにのぼったんですけど、親鳥はエサを探しに行っていて、ひなが、きょろきょろして待ってるんですよ。二匹も、狭い巣にならんで。そんなの、どうしても捕まえられないじゃないですか。だから、巣をけずって門の外にくっつけて、隠してしまってから、里へ大急ぎで走って、ウズラの皮をはいだのを買ってきたんです。それを咲夜さんに渡したんですけど……ばれませんでした。もしかしたら、咲夜さんにはばれてたかも……」と紅美鈴。
「あんたは偉い事をしたよ」と藤原。
 逃げてきて、門前。
「稗田、どうした?真っ赤じゃないか」
「早く逃げましょう」
「ん。何かされた?」
「いいから、早く……」
「あぁ。うん」
〔レミリア・スカーレットは、プルタルゴスの英雄伝。
 フランドール・スカーレットは、ポン、ドリル、クリスの推理小説〕

 これで旅行は終わりである。




「レティさんやリリーを除いて、50人。これで終わりです」
「ご苦労さん」
 調べた事をまとめて、整理して、序文は誰に頼もうか……題は、〔読書人伝〕ではおもしろくない。まだ考える事が山ほど。しかしそれよりも、まだ家に帰りたくない。
「これじゃ帰れません」
 真っ赤になった服を見せる。
「家で洗ってもらうといいよ。血は落ちにくいから」
「でも……あ。あと三人、聞いていませんでした」
「もう遅いから、明日か今度にしよう。家の人が心配するよ」
「心配させてやりましょうよ。ねぇ藤原さん」
「今、何時?」
 時計を見る。
「えぇ……19時・47分くらいです」
「嘘。よく見なさい」
「21時・35分。でも針の長さなんて些細な事でしょう?家に帰るより、もうちょっと自由で貴重な時間をですね」
「何言っても聞かないつもり?」もちろん……自信たっぷりで頷く。
「仕方ないな。ただし、服の血がとれたら、ちゃんと帰るって約束する?」
「約束します」
 血は洗ったってとれにくいのに、どうしてそんな約束をするんだろう。
 吊り下げられて夜空を飛ぶ。下はぽつりぽつりと森の焚き火、里の明かり、上は星の光が目をかすめて、最大限に広げた視界中をめまぐるしくかすめる。こんな不思議な景色、見られるって幸せだなぁ。
「何してるの?情けない格好ねぇ。鷲に捕まって食べられにいく小動物みたい」
 通りがかりの夜雀。最悪だ。
 降りたのは永遠亭。
「永琳。なんでも落とす洗剤の新作。あれ貸して」
「何に使う?……あぁ。真っ赤ね。洗ってあげるから、浴衣に着替えて来て」
 卑怯だ!
「そんな、約束が違います!」
「どこが違う。早く着替えろって」
 隣室に押し込まれる。まあ、いいか。さっきの景色を見られただけでも、すぐ帰ってしまわなくてよかった。それに、帰りにもう一度飛べる。
 縁側に誘われて出ると、兎、ではなくイナバ達と輝夜がかき氷を食べていた。
 ここでもかき氷……顔から血の気が引く。
「食べる?」藤原が差し出す。
「無理です」
「かき氷嫌いなの?千人に一人しか、そんな人いないよ。絶対」てゐが匙を舐めながら言う。私とて、千人中の一人ではないのだが、今はダメだ。せめて、かけてあるものが赤くなければ。
 全員のお皿、ことごとく赤い。
「ねぇ、イナバ。もう蛍いない?」輝夜が縁からのり出して、外にあふれているイナバ達に呼びかける。
「いないー」「いないー」
 リグルと藤原の約束を思い出した。ここへ、蛍を連れて来るはずなのだが。
「もうみんないなくなりましたよ。来年まで待ちましょう。五月中には、幼虫の光るのを見られるそうですよ」鈴仙が言う。
「まだいるよ。見たからね」と藤原。
「本当?妖怪の蛍じゃないの?」輝夜は信じない。
「普通のだよ。絶対いる」
「そう?妹紅がそう言うなら、私はもういないって信じるわ」
「なんだよそれ。もしいたら?」
「いたらねぇ。そうね、考えておく」
 わいわいとイナバ達が探しはじめる。みんな竹の林のほうへばかり行き、リグルと約束した、庭は誰も探さない。
 かき氷を食べ終わるまで、藤原は何も言わなかった。一旦は探しに行ったイナバ達が次々と帰って来る。いないと言い、やっぱりいない、と話し合う声も。どうしよう。リグルはどこにいるのか。
「ね。やっぱりいないじゃない」
「あ、そう」冷えて水滴のついたガラス皿を縁に置く。
「あの、蛍は水のあるところが好きみたいですから、池にいるのでは?」と言ってみる。
「そうだ。行ってみよう」真っ先に藤原が立って行く。今まで、わざとじっとしていたのかもしれない。輝夜もそのあとで来る。
 池は確かにある。が、蛍はいない。リグルはどうしたの?
「いないわよ。ここにも……」
「んや。よく見ろ」
 真っ暗で何も見えない……
 失望しかけた時、池の水に光が一つ映った。
「いた!いましたよ」
 指さすと、また見えなくなった。けれど池をまわりこむと、囲いの岩の下に、十数、光っていた。
「いたよ」藤原が、睨むみたいな目で輝夜を見、唇の端をあげて笑った。
「うん。ね、一匹つかまえて」
「ん」
 二人で池の端へ行く。
 向こうの林で、誰かが手招きしているのが、暗闇の中でかすかに見えた。
 リグルだ。こっそり、そのほうへ歩く。
「ごめんね。これだけしかいなかったんだよ」
「いえ。連れてきてくれてありがとう」
「これって告白のシチュエーション作りなの?」
「それはありえない」
 小声で言い合いながら、あちらの話を聞くと……
「蛍だけは、近くで見ても怖くない虫だわ」
「手にのせてみ」
「くすぐったい。腕をのぼってくる。どうしよう」
「で、蛍はいたわけだけど?」
「わかってるわよ。言う事聞いてあげるから、何か言いなさい」
「へぇ。いいかげんだな。まぁそれなら、前の賭けの勝ち負けをナシにしてもらおうか」
「ダメ!だって、ひと月も、妹紅が賭けの約束どおりにするの、待ってたのよ」
「約束は約束。今回の賭けのね」
「じゃあ、ナシにしてあげるけど、そのかわり一か月後にね」
「それは困る!」
「私も困る!」
 …………
「ほら。どこが告白?」
「……そうだねぇ」
 前の賭けの約束って、何だろう?ま、それは二人だけの約束なのだから。

 みごとに血の落ちた、ついでに少し色落ちした、そのうえ火であぶられてあっという間に乾かされてしまった服を着る気持ちは、やはり複雑だった。家のいつもの部屋、女中達の顔を思い浮かべると、ますます嫌気がさす。しかし、帰るしかない。
 洗いたてで硬くなった帯で吊られる。もう、あまり痛くない。
「永遠亭の人が、虫が嫌いって、嘘だったんですね」
「まあね」
「血の海刃物の雨も、嘘ですか?」
「そんな事も覚えてたのか」
「忘れませんよ」
 すぐ、家についてしまう。こういう時って、時間の経つのがとても早い。
 門をくぐると、すぐに、
「おヒイさま!おヒイさま!」
 一番、聞きたくなかったこの声が、真っ先に耳へ入る……
「まぁこんなに遅くなって、何もありませんでしたか!」
「ええ。何も」
「そこのお方、菅原さんでしたか?米原さん?もしかして阿求様を、どこぞ危険なところへお連れしたのではありませんか?それで、こんなに遅く……」
「黙りなさい!」
 家の中を指差す。
 お金はひきつった顔をして、すごすごと引き下がった。
 思い切った事も、やってみるものだ。
「びっくりした。今日一日で性格変わった?」
「変わりましたよ」
 山で焚き火を囲んでいた時に藤原が笑った顔を真似して、唇の片端を吊り上げる。
「いけないな。私が怒られる……」
「文句は誰にも言わせません」
 お吉が、紙の包みを持ってきた。
「これを、藤原様へ」
 礼金だろうか。そういえば、報酬の事をまったく考えていなかった。
「いりません。受け取りたくありません」
 お吉はなお差し出そうとする。
「お金より大切な事のためにこの仕事をしています。だから、お金で結びをつけられたくはありません」
「ですが……」
「お吉、差し上げないでください」
 家の者の言いつけだったのだろう。でも、押し付けは礼儀なんかじゃない。なにより、藤原のポリシーをやぶるのはよくない。
 お吉は深く頭を下げ、家に戻る。
「じゃあ、帰るよ。ゆっくり休みなよ」
「えっ。あの……」
 暗がりにまぎれて、かき消えるように、見えなくなってしまった。

 本にすれば求聞史紀の半分の頁数にもならない。さっさと作ってしまえる。だが、それぞれの本について調べなければならない。作者、内容など。
 皆に聞いて答えを得た本、ほとんどを藤原は知っていた。あとがきを頼めるだろうか?
 そういえば、藤原の好きな本は何か、聞いていない……

『万人は万人皆同じ位にして生れながら貴賎上下の差別は無しという。然れば人品上下、富有り無しは学びによって別が……古より書を読むとは知識を蓄え……』 
 
 なんだこれは。なんとかのすゝめの冒頭じゃないか。

『稗田阿求、求聞史紀を書き終えてからはもはや余生、しかしその若さはウツウツチッキョの日々を許しはせず、ついに思い立って幻想郷をその足で一回り、たった一人の護衛藤原妹紅をつれ、腰には……』

 なにこれ。

『平和な時代に詩文は盛んになると言うが、その華やかな舞台の裏には栄達を狙った黒々しい権力抗争、人の欲がつきものである。しかしそんなものとは無縁のこの幻想郷で、むやみと知識を貪るのでも、出世を狙うのでもなく、各々の自由意志で書を読むという事は、すばらしいばかりでなく、貴重でもある。ウンヌン。シカジカ』

 欠伸をしてしまう。
 序文も誰かに頼もう……

 お礼をちゃんと言えなかった。
 木登りを教えてもらう約束も、ちゃんとはし損ねた。聞き忘れた三人の件も。
 心残りがくすぶって寝つけない。灯りをつけて帳面をめくったり、閉じたりして、もうだいぶ経つ。
 戸を開けた隙間から風が吹いてくる。山の神社で、木の上で吸った美味しい空気を思い出す……
 空では星が動き、さっき真上にあった星がずっと向こうへ移動していた。しかしこの晩は、いつまでも続きそうな気がする。あまりせわしなくて、いろいろな事がありすぎた一日だったから、この一日が、何事もなく、こんなに自然に終わってしまうのが、不思議にさえ思える。
 このまま眠れずに過ごすうち、やがて日がのぼって、夜が明ける、それが信じられない。
 隙間から、夏の小虫が一匹、入り込んだ。灯りを目指して飛ぶけれど、火には飛び入らないで、畳の上をはねまわる。何となくそれを見ていた。いつも目にするものだけれど……虫は徐々に元気なくなって、急にまた活発になったあと、足を投げ出し、倒れてしまった。
 蘇生するだろうか?待ってじっと見つめる。しかし、虫はもう動き出さなかった。一つの命が終わったのだ。
 夜が明ければすべて終わる。この感慨も、なつかしさも、みんな、まったく別のものになってしまう。そう思った。
 そして二度と戻らないだろう。たとえ私は決して忘れないとしても。
 その前に行かなければ。この夜のうちに。
 灯りを吹き消し、そっと襖を開けて廊下に出た……
 家の中は静まり返っている。起きている者は誰もいない。足音を立てないよう、普段の歩きより何倍も遅く、床のきしみにも気をくばって、左右の足を慎重に運ぶ。
 寝息の聞こえる女中部屋、使いの部屋を通り過ぎる間、息苦しいくらい心臓が鳴りあばれて、自分の鼓動が大きすぎ、つい立ててしまう音を聞き逃してしまいそうで、たまらなく不安だった。
 玄関にたどり着き、石床に出ている女中の草履を取った。私のものは靴箱にしまわれている。音を立てずに靴箱を開けるのは不可能。戸は開けられるだろうか。鍵をはずし、開けようとして、ほんの少しずつ力を加えて押すが、抵抗があっていけない。その抵抗を乗り越えれば、必ず戸は軋んでしまう。そんな小さな音でも、気づく人は気づくのだから。見られればおしまいだ。仕方なく、部屋までまたゆっくりと引き返す。
 草履を履いて、戸から外へ飛び降りた。夜風が、夏の夜に思いがけなく寒い。着物をかきあわせ、家の裏へまわる。
 物置のそばに、使用人が用事の際に使う自転車がある。これに乗って行こう。
 けれど、椅子に飛びのると足が届かず、倒れてしまった。
 しまった。がしゃっと大きい音が。これは気づかれずには済まない。
 急いで自転車の下から這い出して、物置の陰に隠れると、誰かが廊下をまわって歩いて来た。
「音がしたよ。怖いね、なんだろう」
「さぁ……」
 お金とお吉だ。二人はすぐ近くまで来る。
「自転車が倒れてる。風なんて吹いた?」
「動物ではありませんか」
 自転車を立て直して、戻っていった。よかった。見つからなくて。
 緊張した鼓動を落ち着かせるため、はやくて浅い息をしながら、しばらくうずくまったままでいた。興奮で体は熱く、手足は震えて、今にも飛び上がりそうになっている。とにかく、行かなければ。
 家へ戻る入り口はない。部屋の戸には、高くて届かないし。もう引き返せない。
 暗がりへ駆け出す。竹林へ……竹林の、どこだろう。ふと、右ひじから手首へ、濡れたものが伝った。左手でさわってみると、生暖かい、血だ。自転車につぶされた時に怪我をしたのだ。だが、怪我などかまっていられない。さっきはいずれの夜明けが信じられなかったのに、今は、太陽がすぐうしろにあって、追い立てられているようなのだ。
 寝静まった家々のあいだに、自分ひとりだけの足音が高く響く。
 誰にも遠慮せず、ひたすら地面を蹴りつづける。あつく燃えるみたいに、軽快に跳ねる心臓は、疲れを一切感じない。うわつく足も、いつまでも走り続けられそうなくらい軽い。過度の興奮がなせるワザ。こんなのははじめてだ……生きていると、強く実感できる。
 誰も夜歩きをしている者はいない。このまま誰にも会わず、里を出られそうだった。しかし……
 角をまがった時、人にぶつかってしまった。下を向いたまま逃げようとしたが、つかまえられて振り放せない。
「どうしました、稗田殿」
「離しなさいっ」
「私です。上白沢です」
 見上げると、確かに上白沢殿だ。驚いた……
「どうして、こんな……?」
「油が切れてしまったので、買いに行ってきたのです。店のものをわざわざ起こして。稗田殿は?」
「あの、藤原さんがどこにいるか、知っていませんか」
「……用事があるのですか?こんな時間なのに」
「えぇ。どうしても……」
「明日になさってはどうです。いや、日付はもう変わっていますが」
「いえ。今じゃないと。お願いします、教えてください」
 少しの間、上白沢殿は腕を組んで黙っていた。困っているようだ。私はその目を見上げ続ける。
「わかりました……来てください」
 と、ため息をつく。
「妹紅は今、うちにいます」
 全身の血流が止まりそうになった。間が悪すぎる。

 藤原は紙に向かっている。戸をおして入ると、こちらを振り返らずに言った。
「慧音。火が消えそう。急いで」
「む……」油壺を持っていく。私は土間に立ちっぱなしでいた。
「問題つくったよ。これ宿題ね」
「うん。それより、稗田殿……」
 藤原がこちらを見る。
「稗田がどうして……慧音、誘拐してきた?」
「まさか」
「違います。私、藤原さんのところへ行く途中、上白沢殿に会ったので、どうしてもってお願いしたんです」
「そう。家を出てきたのか。私の居場所を知らないで、慧音に会わなかったらどうするつもりだった?」
 答えられない。必死だった時、考えもしなかったから。
「ま、いいか。それより、手、怪我してるじゃないか。こっちへ来なさい」
 畳に上がる。明るいところで見ると、左右とも手のひらが真っ赤になっていた。
「ひじを切ったんです。血がついただけで……」
「水を持って来ます」と上白沢殿は立つ。
「ところで、藤原さんは……?」こんなことを聞いていい立場ではないと思ったけれど。
「算術の家庭教師。専属のね」
 算術?
 上白沢殿が戻って、私の右そでをまくりあげる。腕についた血が固まって大変な事になっていた。
 濡らした布で拭いてくれる。
「慧音、1274ひく875は?」
「ええと、399」
「正解……こういうこと。まぁ、来ないとは言ったんだけど」
 今朝、というより昨日の朝、最初に寺子屋へ寄った時の用事だった。
 桶の水で、手のひらの血を洗い落とす。
「あの……ごめんなさい!急に……」
「謝るのなら来なければいいんだ。だけど、それじゃ済まない事だから、来たんだろう?」
 頷く。
「稗田がそう思ったのなら、いいよ。話して」
「私はいないほうが?と上白沢殿。
「いえ、そんな事は」
 と言ったが、立って部屋を出てしまった。
「まあ、話して。何でも」
「はい……えっと、昼間に言い忘れた事なんです。あとででも伝えられたかもしれませんけれど、別の日になったら、もう、言っても同じ意味はなくなると思ったんです。私にとってとても大切な事なので、今のうちに、言わないと……」
「うん。わかるよ」
 藤原の視線が柔らかくなった。
「よく来たね。そういうの好きだよ」
 心のわだかまりが解けて、泣いてしまいそうになるけれど。
「えっと、とにかく、一日、ありがとうございました。藤原さんに護衛してもらわなかったら、私、死んでいたかもしれません。たくさん助けてくれましたし……」
「それはないだろう」
「いえ。次に、お願いがあるのです……たまに、うちへ遊びに来てくれませんか。それで、私を外に連れ出してください」
「一人で出られないの?」
「いつも女中がついて離れませんし、藤原さんのほうがいいです。それに、木登りとか、釣りとかも、教えて欲しいです」
「そう。でも、忙しいんじゃないのか?稗田は」
 確かに、転生のための準備で、生きている間は忙しい。
「平気です。それに、頼んだって、そんなに頻繁に来てくれないでしょう?」
「そうね。わかったよ。気が向いたら行く」
 一気に言おうとして、かえって口が詰まってしまう。他に言う事は……
「あと、聞き忘れた三人なのですが。いつ……」
「あぁ。誰?レティやリリーじゃないよね?」
「妖精三人です」
 サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア。森のどこにいるのかわからない。
「妖精ねぇ。探しづらそうだな。今日の昼にでも、探しに行く?」
「はい!」
「じゃ、もうこんなに遅いんだから、帰って寝なさい」
「ええ……」
 立って、外へ出る。
 外の水場で上白沢殿が筆を洗っていた。
「もうよろしいのですか?」
「はい。すみませんでした……」
 藤原に送られる。
「家まで行く?」
「いえ。一人で行きます。あ……藤原さんは、どの本が好きなのですか?」
「ん?さぁ。まだ」
「まだ?」
 含みがあるらしい……
「では……ありがとうございました」
「うん。それじゃあ、またあとで」
 またあとで。
 
 家は騒然としていた。私のいないのが見つかったのだろうか。塀の壊れた隙間から中をのぞきこむ。
 おもては灯がついて明るい。人があちこちを行き来してそうぞうしく、中からお金の怒鳴り声も聞こえる。女中達を叱りつけてているようだ。どうしよう、このまま入ったら大変な事になりそうだ。
 突然肩をたたかれる。
「阿求お嬢様。私です」
「お吉!どうして……」
 口をふさがれた。あたりに注意して、家のほうを睨んでいる。お由がこんな事をするなんて……
「お台所には、今は誰もいません。皆おもてを探しまわっています。今のうちに入りましょう」
 手を引かれるままに歩く。塀をまわって裏へ。しかし、柵は鍵がかかっていて開かない。
 急に持ち上げられたと思ったら、お吉は私を抱えて、塀を飛び越えていた。
「お吉!」
「お静かに。さぁ、急ぎましょう」
 裏口から台所に入る。人がいないのを確かめて廊下に出て、そのまま部屋にたどり着いた。
 灯りは消えたままになっている。お吉は開いた戸を閉め、たんすから羽織を取って差し出す。
「袖に血がついています。これにお着替えなさってください」
 言われたとおりにすると、布団へ押しやられ、毛布をかぶせられる。……一体、お吉はどうしてしまったのだろう?こんなに機敏に行動するなんて、想像もできなかったのに。
「ずっと、ここで寝ていたように振舞ってください。私もそのようにしますから」
「わかりました」
 あわただしい足音が立ち、お金が廊下を通り過ぎた。直後、引き返して来る。
「おヒイさま!」
 叫びを聞いて、おもてを探していた女中や使用人達も集まって来るようだった。
「どこへ行っていらしたんです!?それに、お吉は、一体何をしていたんだい」
「私は先ほどここへ来たのです。お嬢様はお布団にくるまって寝ていらっしゃいました」
「えぇ……何事です?こんな時間に」
「いえ、さっき、確かにいらっしゃいませんでした……」
「私がどこへ行くというのですか?勘違いをしているのでしょう」
「ですが、確かに……」と言いかけ、白目をむいて倒れてしまった。女中達がお金を抱えて運んでいく。
 ようやく静かになり、相変わらずそばに座っているお吉を見た。
 どう見ても、いつも通り、変わらないけれど……
「助かりました。ありがとうございます」
「いえ……」
「この事は、誰にも」
「はい。わかっております」
 しばし無言になる。
「お吉、私は……」
「おっしゃらなくてよろしいですよ」
「え?」
「阿弥様も、こんな事をよくなさいましたわ」
 !?
 お吉の目が、かすかに黄色く光っている。
「あなたは……」
「ご安心ください。私はいつでもお嬢様をお助けいたしますから。……それでは、お休みなさいませ」
 上巻に引き続き、読んでいそうな本の想像です。
 本の題名や作者名は変えてあります。変えた名前と同名の本や著者名があるかもしれんが、その場合はそれではありません。
 これでおしまいです。拙い文で、すみませんでした。
 読んでくださって、ありがとうございました。
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コメント



0.380簡易評価
5.70名前が無い程度の能力削除
そうおん!てwww
アボガドロナイトwwwwどっかの物理学者と関係があるのか?wwww
鉢さんの題名改変センスに嫉妬。
しかしこの話、よくよく考えてみると凄まじいペースで回っていることに…
7.80たぁ削除
お吉が何者なのか気になるww
8.100名前が無い程度の能力削除
胡散臭い連中はやはり胡散臭い本を読んでいる
というだけでなく、随所に散りばめられた東方ネタに笑いました。

そして、オリキャラタグ要るのかなぁ、と思ってしまった
9.無評価名前が無い程度の能力削除
そうおん!てwwwしゅうぞうかよwww
13.100名前が無い程度の能力削除
ああ、こういう余裕のある妹紅が好きです
他の人も書いていますが改名センスが小気味よい、本の元ネタ探しがこれまた楽し
もこたんに数学習うけーねたんww

なんか終わりかたに含みがあって、
このまま終わるも好し、続いてもなお好し(個人的には続いて欲しい)
14.100名前が無い程度の能力削除
そうおん!知ってる人多いなww

個人的には、「我輩は犬である」がツボ。