Coolier - 新生・東方創想話

夢と知りせば

2009/07/03 22:15:21
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 ※この話は、キャラの能力、設定、世界観についての独自解釈を多数含みます。
  苦手な方は注意してください。


















 北から冬の名残を匂わせる冷たい風が吹きつけてくる。

 北から南へ、上から下へ。

 吹きつけてくる風によって、タンポポや野菊がユサユサと静かにその身を震わせた。

 周囲はひっそりと静まり返っている。

 場所を選ばずに生きようをする野草を除けば、人気はおろか生きもの気配すら乏しく。

 死の残り香だけが靄のように周囲に漂っている。

 ここは無縁塚。

 幽霊達がたどり着く、幻想郷の果ての場所。

 無縁塚と聞くと多くの人妖は一面に咲き誇る血のように赤い彼岸花を連想するが、彼岸花はあくまで秋に咲く野草だ。二年前に起こった異変のような特別な事情がない限り、春には春の花が咲く。

 リリーホワイトが通り抜けたあとに咲くタンポポや野菊達は、鮮烈な彼岸花とは反対に、あくまで穏やかに無縁塚を着飾ってくれる。

 人間も妖怪も、動物すら近づかない無縁塚で、小野塚小町はただ一人たたずんでいた。

 休憩用に自ら用意した石に腰かけて、お猪口を片手に表紙に『若山朴水歌集(3) 別離』と銘の打たれた本をペラペラと捲っている。

 印象は一言でいうなら赤い髪の美女。身長は幻想郷の女性平均よりかなり高め、少し癖のある赤毛で頭の左右に小さなお下げを作っている。服は青地と白地を組み合わせて作った和服、比較的身体の線を隠す服装のはずなのだが、サラシの巻きが甘いのか豊満なプロポーションが必要以上の自己主張を行っていた。

 空は晴天、気温も湿度も上々、こんな気持ちのいい日にホロ酔いで歌を諳んじるのが彼女のお気に入りの過ごし方だ。

 ちなみに彼女は絶賛営業時間中……つまりサボりである。

「今日は気持ちいいねぇ。こういう日はのんびり過ごすに限るよ」

 川から吹いてきた風に意識を中断された小町は、うーんと大きく背骨を伸ばした。

「――じゃあ明日、雨が降ったらどうするんですか?」
「雨か……そんな辛気臭い日に送られるのは幽霊だって御免だろうねぇ」

 背後から聞こえてきた問いに反射的に答えると、小町はピシャーン! と右肩を強かに叩かれた。

「いたっ! おい、いきなり何を……」

 振り向くと同時に、小町はまるでバジリスクににらまれたようにカチンと硬直した。

 彼女の背後に立っていたのは、コメカミにピクピク動く怒りマークを浮かべた四季映姫・ヤマザナドゥ。

 映姫は幻想郷を担当する二人の閻魔の一人で、小町の上司であり、実年齢もかなり年上だ。

 しかし、小町より頭一つ低い身長の小柄な体格に加えて、顔立ちが幼く見える丸顔のため、見た目の年齢は十をいくらか過ぎたくらいの少女にしか見えない。服装はいたってシンプルなのだが、頭に乗っている閻魔帽が派手で非常に印象的だ。本来は閻魔として威厳をもたせるための装飾過多なのだが、明らかにサイズの大きな物をちょこんと乗せているため、愛らしさを強調するアイテムになってしまっている。

「小町、あなたは何を考えているんですか? 晴れの日は休み、雨の日も休み、じゃああなたは一体いつ働くのです」

 映姫は手に持った悔悟の棒で小町の頭をペチペチと叩く。強く打たないので痛くはないのだが、目の前を棒がフラフラ動くのは精神衛生上あまりよくない。

 幼い見た目とは裏腹に映姫は非常にお節介且つ説教臭い性格で、仕事が休みの時は彼岸から現世に出てきて説教をして回るのが習慣になっている。直属の部下であり、サボり癖のある小町がこうして叱られるのも日常茶飯事のことだった。

「あー……あの、そう、今は休憩中でこれから働こうと思っていたんですよ」

 見え見えの言い訳をする小町に、打撃が一発追加される。

「下手なことを言って、これ以上私を怒らせないように。最近じゃ、彼岸でもあなたのことをサボマスターと呼ぶものが出ている有様なんですよ」
「えっ、彼岸でもですか!」

 サボマスターというのは、博麗の巫女が小町に無断で勝手に付けたあだ名でジワジワとだが人里でも広がりを見せている。

 小町にとっては迷惑なあだ名なので、同僚の死神からも呼ばれていると知ると少し凹む。

「それもこれも貴方がだらしないからです。折り目を正し、品行方正に行動すれば誰にも後ろ指を差されたりしないんです。最近では、あなたを解任しては? という話まで飛び出す始末なんですよ、わかっているんですか?」
「えっ、解任ですか?」

 説教の中で飛び出した意外な一言に、小町は大いに動揺した。

 小町の就いている三途の川の川渡しは、是非曲直庁で働く死神の中で一番人気のない仕事の一つで出世から最も縁遠い閑職だ。これ以上左遷のしようはなく、これより下があるとしたら解雇しかない。

 しかし……。

「死神に解雇ってあるんですかねぇ?」

 小町は思ったことをそのまま口にした。

 是非曲直庁は確かに組織としての体裁を取っているが、大元は輪廻転生という世界の法則を円滑に回す為のシステムなのだ。従って、そこで働く死神や獄卒もシステムを回す為の歯車であり、生まれ持って死神や獄卒としての性質を備えている。その為、もし小町が死神を辞めようと思っても辞められるものではないし、映姫が辞めさせようと思ってもそう簡単にはいかないはずだ。

「別に解雇するとは言っていません。逆に私付きの書記官にしようかと、さすがのあなたも監視のある中で堂々とサボれないでしょう」
「ぎゃふん!」

 予想外の言葉に小町の肩ががっくりと落ちた。閻魔付きの書記官は、本来エリートの死神に振られる役職で次の管理職に最も近い仕事といわれている。しかし、職務内容は地味且つ過酷で、二交代制の閻魔に合わせて一日一二時間机に向かい続けなければならない。

「……四季様、もしかして今日はこれを言うために?」

 顔を上げながらおずおずと尋ねる小町に、映姫はコクリとうなずいた。

「そうです! まったく、あなたが相変わらずサボってばかりだからイキナリ脱線したじゃないですか」

 映姫は頬を膨らませてプリプリと怒気を発する。

いつもの事なのだが、子供っぽい容姿のおかげで怒っていてもあまり怖くはない。

「すいません四季様、お願いですから書記官だけは勘弁してください。そんな大役、あたいには務まりません。というか、ずっと机に座って議事録の作成なんて耐えられません」

 恥も外聞もなく小町は映姫に泣きついた。身振り手振りで如何に自分が事務仕事に向かないかをアピールする。

「どうやら、予想以上に有効みたいですね。でも、書記官の仕事くらいあなたには何でもないでしょう小野小町――」
「四季様――」

 『小野小町』の一言をつぶやいた途端、平身低頭だった小町の目じりが釣り上がる。

「私に意味のない言い訳をするのは止めなさい」

 ピシャリと言われて小町は押し黙った。

 直属の上司である以上に、映姫は同僚の死神すら知らない小町の経歴、能力、性格を詳しく知る数少ない理解者の一人だ。どんなに上手く話を作っても即座に看破されてしまうだろう。

「じゃあ、マジな話をしますけど、書記官とか絶対にやりたくないです。そもそも、誰もあたいの後任なんてやりたがらないと思うんですが?」

 現在小町の就いている川渡しは、死神の仕事の中でも閑職中の閑職だ。しかし、誰かがこの仕事をやらないといけないのも事実だ。

 小町を書記官に転属させた場合、現在事務官をやっている誰かが弾かれることになり、真面目に仕事をやっている者からすれば『なんで自分が?』という気分になるはずだ。きっと、お世辞にも愉快とは言えないババ抜きが展開されることだろう。

「確かに問題は多いし、警告も無しにイキナリ懲戒というのもさすがに酷いので、交換条件を持ってきました」
 
 そこで言葉を切って映姫は不敵な笑みを見せる。

「あなたも知っていると思いますが、現在地下で暴れまわっている悪霊の退治。この仕事を引き受けてくれるなら異動の話は無かったことにします」
「ちょっと待ってください! それが本音ですか」

 話のあまりの胡散臭さに小町は思わず眉をひそめる。

 絶対に小町が頷くことのできない異動の話を盾にとって、悪霊退治を押しつける。と、いうのが映姫の本音だろう。ただ、元地蔵の性か、生真面目で融通の利かない彼女がこんな取引めいた真似をするのは非常に珍しい。

「どうします小町、悪霊退治引き受けてくれますか?」
「地下の悪霊って、嫌な話しか聞かないんですけど……」

 映姫の指す地下の悪霊とは、二月前から地下の旧都で暴れまわっている悪霊のことだ。旧都で悪霊によって数名の妖怪が重傷を負う事件が発生した。事態を重く見た映姫達は魂を刈り取る死神・迎え人を派遣して収拾を計ろうとしたが、その迎え人も返り討ちに遭い重傷を負って帰ってきた。現在、三人の迎え人が重傷を負って戦線離脱、かなり手ひどくやられたらしく復帰に二カ月はかかるらしい。

「実は現在怪我で寝ている死神というのが三人とも篁の部下で、泣きつかれたんですよ、私の部下からも誰か出してくれって」
「あの、クソジジイ!」

 小町は憤りあまり、映姫が見ているのを承知で手のひらに拳を打ち付けた。
 
 篁は映姫と共に幻想郷の幽霊を管理しているもう一人の閻魔の名だ。男性で映姫の後輩なのに、容姿が老けていることから女性の死神達はこっそりジジイと呼んでいる。

 映姫は直接言わないが、おそらく篁の側で直接小町を指名して来たのだろう。彼にはそういう老獪なところがある。

「ていうか、そうに、決まっている」

 誰にいうでもなく、確信をもって小町はつぶやいた。

 そもそも無茶な話なのだ。

 通常、閻魔一人に部下として付く死神は十名前後。映姫の場合は小町も含めて十人の死神が部下として仕えている。ただ、内訳は全員が女性で内八人が事務官。

 普通に考えたら、このメンツで重傷者を複数出すような悪霊を退治するのは不可能だ。

「それで、あたいが生贄ですか?」
「小町が一番強いんだから、他に選択肢はないじゃないですか」
「嬉しいんだか、悲しいんだか微妙ですね、それ」

 もはや取引のオブラートに包む必要も感じなくなったのか、堂々と本音を話す。

 映姫の言うとおり、映姫の部下で一番強いのは小町だ。誰か出せと言われたら他に選択肢は考えられない。彼女もそれなりに追いつめられた上で、人事権を使った取引を持ちかけてきたのだろう。

「わかりました。悪霊退治、引き受けます。ただし取引じゃなくて、四季さまに頼まれたから行くんですからね」
「小町、ありがとうございます」

 映姫は小町に深々と頭を下げた。

「水臭いですよ、四季様。『小町、困ったから助けて』って言えば無碍にしないのに」
「そっ、そんなこと上司として言えるわけないじゃないですか!」

 その反応で、胸の内を暴露しているようなものなのだが、おそらく彼女は気づいていない。

 そんな映姫にホイホイ乗せられてしまったことに小町は小さく嘆息する。

 とわいえ、こんな可愛い上司が困っているのだ、助けないわけにはいかないだろう。

 ただ――。

「お願いします小町。この件はきっと、あなたでなければ解決できないでしょうから」

 不意につぶやいた映姫の言葉が、いつまでも小町の耳から離れなかった。


 *


 ――二日後。
 
 かつて地霊異変を巻き起こした穴倉から地下に向かった小町を最初に迎えたのは、行けども、行けども終りのない暗闇と岩肌だった。
 
「霊夢たちは、よくこんな所潜っていったねぇ」

 地下へ向かう通路はほぼ垂直の縦穴で、奈落を思わせる暗闇が足元に広がっている。

「いや、この先にあるのは文字通り奈落か」

 奈落とは仏教用語で地獄を意味するSkt:Narakaを音写した言葉だ。地下世界は旧地獄なので、小町は正しく地獄に落ちていることになる。

 小町は飛ぶというより落下しながら、この先にある地下世界と、待ち受ける悪霊のことを考える。

「まったく、憂鬱な話だねぇ……」

 悪霊とは亡霊の一種で、恨みなどの強い負の感情を糧に実体を保った死者が、生者に害を及ぼしたときにそう呼ばれる。似たような荒御霊に怨霊が居るが、幽霊をベースにした怨霊に比べて実体を保った悪霊の力は格段に強い。

 死神の本分は死者の魂を閻魔の元に送ることにあるので、こうした悪霊退治も決して業務外とはいえないのだが……。

『普通、川渡しにやらせる仕事じゃないよねえ』

 迎え人を三度退けた相手だ、危険度は最高クラスと判断して間違いないだろう。

 納得して引き受けた仕事とはいえ、元を正せば篁チームの尻拭いだ。深く考えれば考えるほどやる気が無くなっていく。

『あたいにできる立ち回りは、直接対決は避けて死体を捜すしかないね』

 悪霊も亡霊の一種であるため、原理的には出没する場所の付近に本人の死体が残っていることになる。この死体が亡霊の弱点で、供養されれば彼らは実体を保てなくなる。

 存在を確認した後、隙を付いて死体を暴く。

 この基本方針を小町は胸に刻んだ。

 とにかく直接対決を避ければいい、小町には『距離を操る程度の能力』があるので逃げに徹すれば確実に逃げ切れる自信がある。

 そんなことを考えながら先に進んでいると、『ニャー』と猫の鳴き声が聞こえてきた。

 提灯をかざしてみると、小町を待ち受けるかのように二本の尾を持つ黒猫が浮いている。

「浮いているってことは、真っ当な獣じゃ無さそうだね」

 小町は落下の速度を落として相手の様子をうかがう。
 
 戦闘になる可能性も十分に考えられる。この暗い中提灯を捨ててしまうのは避けたいが、右腕一本では大鎌は振るえない。

 彼我の距離が相手の顔を確認できる所まで近づいたそのとき、黒猫はニャーという鳴き声と共に火線を放つ。

「ちっ! やっぱり仕掛けてきたか」

 小町は舌打ちと共に提灯を投げ捨て、上に向かって回避運動を取った。下に向かった方が重力を利用してより加速することができるが、空中戦のセオリーを守るならまず高所を確保すべきだ。

 黒猫は小町が上に逃げるのを見て、頭を押さえるように火線を放ちながら追撃をかける。

 それに対し、小町はジグザグの軌道を取って更に上を目指した。

「悪いが、この地形は圧倒的にあたいに有利なんでね」
「にゃ!」
 
 黒猫が焦ったように人間臭い泣き声をあげる。

 ジグザグの軌道で逃げる小町と、一直線に追う黒猫。どちらが速いかは明らかなのに、黒猫は小町に追いつくどころかドンドン離されていく。

 そんな理不尽な状況に黒猫が気づくまでにかかった時間は十秒。

 まさに決定的な十秒だった。
 
「さて、こいつが、かわせるかな?」

 小町は十分に気を手繰り、手のひら一杯に具現化させた寛永通宝を宙に解き放った。弾幕は個人の性質・好みに応じて十人十色の姿を取る。小町は三途の川の渡し守という性質から、六文銭の象徴である寛永通宝を好んで弾幕にしていた。

「最初にカード宣言しとくんだったね」

 弾幕ごっこ比で五割増しの弾幕が黒猫に降り注ぐ。

 しかし、黒猫は体の小ささを生かして反則的な高密度弾幕をくぐり抜ける。

「やるねえ……しかし!」

 弾幕をくぐり抜けようとする黒猫に対し、小町は大鎌を両手で保持して大きく振りかぶった。

「カマイタチ!」
「みぎゃあ!!」

 フルスイングした大鎌から強烈な風が放たれ、動きを拘束された黒猫を弾幕もろとも叩き落した。鎌という武器に込められた言霊を開放する簡単な術だが、威力と速度に優れた烈風は弾幕の追い打ちとしては申し分ない。

 黒猫がなんとか空中姿勢を取り戻した瞬間、その喉元に大鎌の刃がスッと潜り込んでくる。

「ここまでだ。喋れるかどうかはともかく、少なくとも言葉は通じるんだろ?」

 小町がそう呼びかけると、ポン!と煙をあげて一人の少女に姿を変えた。

「ははは……こりゃ、あたいの完敗だ。お姉さん、惚れ惚れするほど強いねえ」

 猫娘は幻想郷の妖怪らしく、悪びれた様子もなくケラケラと笑っている。

 外見年齢は小町より三、四歳くらい下、黒のワンピースに身を包み、頭髪は猫又にかけているのか左右に分けてツーテールにしていた。典型的な妖獣で、それを示すように頭頂からピョコンと猫の耳が伸びている。

「あたしの名前はお燐。お姉さん名は?」
「あたいは小野塚小町、見ての通りの死神さ」
「……小町……死神の小町か……お姉さん、負けを認めるから、この鎌どけてくれないかな? これじゃ身動き取れないよ」
「おお、悪かったね。ただ、この大鎌では怪我はしないから安心しな、こいつは見せかけだけさ」
「どういうこと? って、この鎌、刃引されてる」

 目前にある大鎌が刃引きされているのに気づいて、お燐は驚きの声をあげる。

 見たかった表情が見られた小町は、ニヤリ笑みを浮かべながら大鎌を引いた。

「死神は鎌を持つなんてイメージが定着しているからねえ、これは幽霊たちに対するチョイとしたサービスなのさ。それに、あたいは川渡しだからね、鎌を使って仕事する機会なんて殆どないよ」
「その川渡しさんがどういう用で地下に? あたいはてっきり地上の妖怪がチョッカイかけに来たんだと思って様子見にきたんだけど」
「愛しの閻魔様から地下に降りて悪霊退治をするよう命令を受けてね、お前さん達がどう思うか知らないが、少なくともあたいは地下の妖怪をどうこうする気はない」

 自分が地下へ行く目的を、小町は素直に話すことにした。他の死神がどう考えているか知らないが、目的を隠す理由は思いつかなかったし、上手くすれば地下の住人から敵の詳細を聞き出せるかもしれない。

「悪霊退治ねえ……厄介者を退治してくれるのは嬉しいけど、一体どの悪霊を退治するの? 地下じゃ悪霊なんて珍しくないよ」

 地下世界にいる悪霊はお燐が思いつくだけでも十体以上居ると聞かされて、小町は事態の悪さに思わず手のひらで顔を覆った。

「参ったねぇ……できればサクッと片付けて帰りたかったんだけど」
「閻魔様からどんな悪霊か聞いてないの?」
「どんな悪霊かねえ……」

 小町は記憶を手繰り、是非曲直庁で出回っている悪霊についての噂を思い返す。

「あたいが聞いた話だと、旧都の方に出没すること、若い女を狙うことくらいだねぇ」

 若い女を狙うというのは実年齢を差すのではない。そもそも地下には人間は居ないので厳密な意味で若い女は存在しない。

 小町が退治を依頼された悪霊は、人妖を問わず若い女の姿をした者を襲うのだ。

 女性の妖怪は若い女の姿をとる者が多数派なので、逆説的に地下にいる女性妖怪の大半が被害にあう可能性がある。

「若い女なら誰でもか、怖いもの知らずだなぁ……相手が強い鬼なら確実に返り討ちだよ」
「だが、私が知っている話だと、旧都の住民にも被害者が出ているって話なんだよねぇ」
「そうなんだ! あたいは旧都に住んでないからなぁ。ただ、旧都に出る悪霊を退治するんでしょ?」
「調べるなら、とりあえず旧都に行けってことか」
「よかったら旧都まで案内しようか」
「いいのかい?」
「お姉さんは、一応地底の妖怪を助けるために来てくれたみたいだからね。無碍にはできないさ」

 お燐は、任せろといわんばかりに親指を立てた。


 *


 上空から見た旧都の印象は都というより城塞だった。

 基本的な造りは元となった平安京と同じ。

 市街の中央に大きな中道を通して街を二分し。

 その上で、全ての区画を碁盤目状に整備していくというレイアウトで設計されている。

 規模は幻想郷にある人里の軽く倍。

 見た目だけは、小さな山村を場当たり的に拡張した人里に比べると遥かに洗練されている。

 一つだけ共通点があるとすれば、高い城壁が町の外周をグルリと覆っていることだろう。

「平安京というより、噂に聞く唐の都だね」

 旧都を見て小町が感じたことを一言にまとめるとそうなる。

「なに? その唐の都って」

 お燐は、小町がつぶやいた独り言を耳ざとく聞きつけて質問してくる。

「この町の爺さんみたいなもんさ。この町は外界にあった平安京って都を参考に造られているようだけど、元になった平安京も唐の国の都、長安をモデルに作られているんだ。で、その長安って街は外敵の進攻を防ぐために、この旧都みたいに街の周囲を城壁で囲っていたんだよ」
「つまり……旧都は平安京じゃなくて、長安に似てるってこと?」
「ああ、そういうこと。もっとも、あたいも長安を実際に見たことはないけどね」

 自分でオチをつけてから、小町は苦笑いを浮かべる。

 お燐に先導されて、小町は中道に直接降り立った。

「さて、旧都までやってきたはいいが……誰もいないと、お前さん今は真夜中とかじゃないよねぇ」

 小町とお燐が降りた中道は、平安京でいう朱雀大路に当たり、町で一番の大通りのはずなのだが周囲には猫の子一匹見つからない。

「うんにゃ、みんな酒でも飲んでると思うよ。この街の妖怪は鬼に影響されてみんな酒好きだから」
「人が起きている時間なら、もうちょっと人通りがあってもよさそうなんだけど」

 情報収集のために旧都に来たのに、誰も居ないのでは本末転倒だ。

「旧都の連中は都の奥の方で固まって住んでるから、街中にはあまり出てこないよ」
「おいおい、この辺に住んでいる奴は居ないのかい?」

 周囲を見回してみると、建物は建っているが、どれも人の住んでいる様子はなく、ボロボロで幽霊の好みそうな雰囲気になっている。

「この辺りには怨霊しかいないんじゃないかな? 妖怪は人間みたいにボコボコ増えるわけじゃないからね、旧都の住民は一〇〇……よりは多いと思うけど五〇〇居るかは怪しいところだよ」
「それなのに街の規模は平安京並みか、資材と労力の無駄だねぇ」

 五〇〇以下というお燐の言葉を信じるなら、旧都の人口は人里の十分の一以下ということになる。鬼の建築技術は驚嘆に値するが、これでは多大な労力をかけて廃墟を作ったようなものだ。

「ははは! 幻想郷の巫女もそんなこといってたよ」

 お燐は猫らしい、鈴の鳴るような笑い声をあげた。

 二人は中道を歩いて、妖怪たちが住んでいるという旧都の奥に向かう。

 しばらく歩いていると大内裏の門が見えてくる。

「あれだよ、あれ。旧都の妖怪はみんな大内裏の周辺に住んでるの」

 お燐の言う通り大内裏の周辺には確かに住民が居るみたいだった。近づくにつれて廃屋の割合は減っていき、逆に軒先に物が置かれていたりして生活臭を感じられるようになってくる。

 ただ、通りに出てくる妖怪は誰もいない。

 洗濯物が干されているので、誰もいないなんてことはあり得ないのだが、みんな屋敷の扉越しにこちらの様子をうかがっている。

 そう間も置かず、小町達はその理由を知ることになる。

「うわ、なんか厄介な奴が出てきたよ」

 大内裏へと続く道を歩いていた、二人の行く手を塞ぐように鬼が立っていた。

 鬼の姿を見て、お燐は苦々しい表情で舌を出す。

「見ない顔だね、地上の者かい?」

 小町の前に立ちふさがった鬼は伊吹萃香より少しだけ大人びた、人間でいう十代中盤くらいの外見をしていた。小町との身長差は頭半分くらいで、額から2本の角がちょこんと生えている。顔立ちは美少女と呼べなくもなかったが、頭髪の左右を剃ってトサカを作った俗にいうモヒカンの髪型が全てを台無しにしている。

 鬼の少女は小町を指差して訝しげな視線を向ける。
 
 どうやら小町達は地下の鬼達に歓迎されてはいないらしい。

 お燐が厄介だと言った理由を、小町はようやく理解する。鬼は妖怪の種としては最強の力を誇っている上、この旧都を建設した事実上の支配者だ。もし戦いになれば色々な意味でただではすまない。

「地上というのが幻想郷を指すならその通りだね。あたいは小野塚小町、死神だ」
「別に名前は聞いてない。地上の奴は今すぐこの場から立ち去りな?」

 今度は小町ではなくその背後、旧都の出口を鬼の少女は指差した。

「そういわれても、閻魔様の命令でここに来ているんでねぇ。すまないが、あたいの話を少し聞いてくれないかい?」

 出来るだけ戦闘を避けたい小町は下手にでて様子を見ることにした。腰から実を屈め少女に対して最敬礼の姿勢をとる。

「お姉さん、なにもそこまですること……」
「いいんだ、気にするな」

 小町は毅然とした言葉でお燐を制する。頭を下げるだけで、この状況を打開できるなら安いものだ。

「素直に頭を下げる態度はけっこうだが、あたしは余所者を認める気はない。それに、そんなに簡単に頭を下げちゃ価値が下がるとは思わないのか?」
「そうか、これだけ頼んでもダメかい……」

 あくまで余所者である小町を拒む鬼の少女に対して、彼女は頭を下げたまま親指を小さく動かした。

 ピン! と小町が親指で弾いた物体は次の瞬間、鬼の少女の右目に飛び込んでいた。

「ぐああ!……これは……」
「護身用の炒り豆だよ、目の中に入ると中々に効くだろう?」

 弱点の炒り豆で右目を撃たれた鬼の少女は、目を押さえながらその場にうずくまる。

 小町は不敵な笑みを浮かべながらお燐に向かってパチンとウインクした。

 頭を下げた理由はトラブルを回避するためと、もう一つ相手を油断させるためだ。最初から喧嘩腰なら相手も無警戒に仁王立ちなどしていなかっただろう。

「なんてね……いい根性してるじゃないか!」
「うおっ!」

 鬼の少女は立ち上がり、右目に入っていた豆を指で弾いた。信じられないことに、炒り豆の効果でまぶたは薄っすらと赤くなっているが、彼女の眼球には傷一つない。

「そいつの右目、義眼だよ」
「合点!」

 お燐が、鬼の少女の右目が義眼であることを指摘する。よく見てみると、瞳が濁っているし、白目の光彩も左目と違う。

 炒り豆が効かなかった理由を理解した小町は、気を取り直して大鎌を構える。

「上等だ。あたしの名は、高水甘菜、尋常に勝負!」

 甘菜は小町に向かって一直線に突進してくる。技も術も介さない愚直な突進だが、鬼の身体能力はそれに破砕槌並みの破壊力を与えてくれる。まともに食らえばアバラの二、三本は持っていかれるだろう。

 小町は引くのではなく、左斜めに向けて走った。甘菜の右目は義眼――つまり片目が見えない状態になっている。従って、右目の視界に潜り込めば労せず死角をとることができる。

「その動きは見え見えだ!」

 右手を突き出し、甘菜は花火のような拡散型の弾幕を自分の死角にばら撒いた。彼女が振り向くのとほぼ同時に赤い火花が周囲に飛び散る。

 しかし……。

「消えた!」

 振り向いた先に小町の姿はない。

「そんな足音はこっちから聞こえたのに……」
「気の毒だが、めっかちじゃあたいに勝ち目はないよ」

 その言葉は真後ろから響いた。

 小町の動きは少女が振り向くより速い、大鎌の刃を甘菜の足元に潜り込ませて両足をまとめて刈り取った。
 
 両足を地面から解き放たれた甘菜は、身体を半回転させ、顔面から地面に突っ込んだ。

 なおも立ち上がろうとしたが、小町は間髪入れずに喉元に大鎌の刃を突きつける。

「ここまでだ! 死にはしないだろうけど、好んで痛い思いをする必要もないだろ。こっちも嫌がる相手に豆なんてぶつけたくないしねぇ」
「グッ……」

 歯軋りする音が聞こえてくる。

「この勝負、あたいの勝ちだ。これ以上、文句はないだろう?」

 鬼は好戦的だが、誠実で戦いの勝者を素直に称える妖怪だ。ここまで明確に決着がついたからには、少なくとも目の前の彼女がこれ以上絡んでくることは無いだろう。

「ああ……だが、あたしは大人しく帰ることを勧めるね、死神さん」
「それはどういう――きゃん!」

 どこからともなく飛んできた光線が着弾し、小町と甘菜は吹き飛ばされた。

「不意打ちしたのは謝るよ、すまなかった。ただ、黙って見過ごせる状況じゃなかったからね」

 内裏の方向からユラリとした足取りで近づいてくる鬼を見て、小町は思わず舌打ちする。不幸中の幸いは、怪我らしい怪我がないことだ。おそらく光線の出力がかなり抑えられていたのだろう。

 こちらに歩いてくるのは、額から一本の大きな角を生やした鬼。身長は小町と同じく女性としてはかなり高めで、特徴的なデザインの白い貫頭衣を身につけている。

「やっ、ヤバイ奴がきた」

 お燐がうわずった声をあげる。その表情には、先ほどまでは見られなかった恐れの色が混じっていた。 

「甘菜、手酷くやられたみたいだね」
「姐さん、すいません」

 甘菜は先程とはうって変わって泣きそうな声をあげる。彼女は光線に吹き飛ばされ、身体は小町と正反対の方向に転がっていた。

「まあ仕方ないさ、相手が悪い。そう思うだろ小野小町?」
「小野塚小町だ」

 わざとらしい言い間違いをする勇儀に対し、小町は反射的に言い返す。

「小野塚小町か……すまないね。私の名は星熊勇儀、一応この界隈を仕切らせてもらっている」
「あたいは、宮仕えのしがない死神さ」

 小町は死神の象徴ともいえる大鎌をこれみよがしに掲げてみせる。

「では小町、この落とし前はどうするのかな? この旧都で暴れ、私の仲間を可愛がってくれたんだ、タダで済むとは思ってないだろう」

 勇儀の口調は穏やかだが、闘気が大きく膨れ上がるのを小町は感じる。

『こりゃ、とんでもない化け物だね』

 うっすらと感じられる勇儀の力は、同じ鬼の甘菜と比べても桁違いだ。幻想郷のパワーバランスを担う大妖怪、そう呼ぶに相応しい力を彼女は持っている。

「姐さん、ちょっと待ってよ! 先にいちゃもん付けてきたのは甘菜の方だよ、こっちのお姉さんはそれに応戦しただけだ」

 敵意を隠そうともしない勇儀に対して、お燐は慌てて抗議の声をあげる。

「お姉さんは頭下げて頼んでたのに、そっちの鬼は聞く耳一つ持たなかったんだ。それって、鬼としてどうなのさ?」

 勇儀の実力は痛いほどわかっているが、それでもお燐は引くつもりはなかった。鬼は誠実さを大切にする妖怪として知られている。それだけに、頭を下げた小町に取り合わず力で追い返そうとした甘菜の行動は到底納得できるものではない。

 その剣幕に押されたわけではないだろうが、嵐のような勇儀の敵意がおさまっていく。

「んんっ……甘菜、あいつの言ってること本当なのか?」
「ああ本当だよ。でも、今はよそ者を中に入れるわけにはいかないだろ」

 甘菜は真剣な表情で勇儀と視線を合わせる。その表情は、たとえ負けても引くつもりはないという彼女の意志を何よりも雄弁に物語っていた。

 その場で目を閉じてブツブツと小声で呟きながら、勇儀は何かを考えはじめる。

「死神、死神……死神はやっぱマズイか……」

 十数秒、思案を巡らせた勇儀は、目を開くと同時に鋭い視線で小町を射抜いた。

 さっきまでの敵意を嵐に例えるなら、今向けられた闘気は抜き身の刃を連想させる。

「甘菜の言うとおり、今は余所者に立ち入ってほしくない。特に死神にはね、大方あんたも悪霊退治で派遣されてきたんだろ?」
「ああ、そのとおりだ。悪霊と聞いて、お前さんは何か心当たりがあるのかい?」
「ある――。ただ、お前さんが退治しに来た悪霊は、旧都の妖怪を斬っている。できれば始末は私がつけたいんだが」
「協力することは出来ないの? 追っ手が増えて困ることはないでしょ」
 
 『できれば』という言葉がつくあたり、勇儀は自分で悪霊を倒すことに強くこだわっているとは思えない。

 それなら小町と協力して悪霊を退治した方が、結果として旧都に巣食う危険を早く片付けることができる。犠牲者が出ている以上、早期に決着させるに越したことはないはずだ。

「正直いうと、死神は信用できない。いままで、地獄から派遣された死神はみんな奴に半殺しにされてるからね。だったら、私が直接やった方がマシだ」
「なるほどねぇ。とりあえず、仲間を助けてくれたことには礼をいうよ」

 おそらく、悪霊に返り討ちにあった同僚を助けてくれたのは旧都の妖怪達なのだろう。だとすると、この対応は彼らなりに小町の身を案じているのかもしれない。

「なにしろ鬼を斬るほどの奴だ、私はお前が奴に勝てるとは思えない。それでも戦いたいか? 死ぬ可能性だって低くないよ」
「心配してくれるところ悪いが、あたいは他の連中を違ってちょいとケツに火がついていてね、おめおめと帰るわけにはいかないのさ」
「まあ、そう言うだろうね……いいだろう、ならお前が奴に勝てるか私が見定めてやろう」

 勇儀は攻撃的な笑みと共に、顔よりも大きな酒杯をどこからともなく取り出した。

「結局こうなるか……ところで、これは正式な決闘ってことでいいのかい?」

 無造作に胸元に手を入れて、小町は懐にしまっていたスペルカードを取り出す。

「当然だ。枚数は三枚、それと――」

 勇儀は右手にもった酒盃にトクトクと酒を注いだ。

「私は、この杯の酒を一滴も溢さずに戦うことを誓おう!」

 その言葉と同時に光線が小町を襲った。

小町は光線の掃射範囲を即座に見極め、そつのない動きで弾幕の隙間に身を滑らせる。

 この手のレーザーは威力を高める為の導線が予め敷かれるので、それをキチンと見れば避けるのは容易い。スペルカード戦ならではの仕様ともいえるが今はそれがありがたい。

「お返しだよ!」

 回避行動を取りながら、小町はお燐と戦った時と同じように寛永通宝を実体化させて投げつける。

 放たれた弾幕に対して勇儀が取った選択は身体を盾にして右手の酒盃を守るというものだった。

 酒盃のハンデがあるのでそうせざるえないとはいえ、魔力を帯びた銅銭がバチバチと激しい音を立てながら勇儀の身体を叩き続ける光景は、見ている小町の方が痛くなるほど壮絶なものだった。

 しかし、ハンデがある限りこの勝負は小町に分がある。酒を溢さないために彼女は空中機動に著しい制限を受けているし、酒盃に小町の弾が当たらないように時として身を盾にしなければならなくなる。

 勇儀が自分からハンデを背負ってくれたことは、少しだけプライドに触る気もしたがそれ以上にありがたい。彼女の力は明らかに映姫等の神々に匹敵するレベルに達している。弾幕ごっこなら戦力差を大分カバーすることができるが、それでも地力の差を完全に覆せるわけではない。

「やっぱ痛いな」

 あれだけの攻撃を受けて痛いで済む耐久力に、小町は苦笑する。弾幕ごっこは基本的に様式美と精神力の勝負なので、ある程度の被弾は織り込んで戦うのが普通なのだが、勇儀の耐久力は明らかにその普通を超越している。

『やっぱ、酒盃狙いしかないか』

 死価「プライス・オブ・ライフ」

 小町は迷わず一枚目のカード宣言を行った。具現化するのは今までと同じ寛永通宝、ただし今回は銭通しで一メートルほどの長さにまとめられた物が数十本、彼女を取り囲むように出現する。

「悪いがその酒盃落とさせてもらうよ」

 腕を降って酒盃を指差すと、小町の周囲を取り囲んでいた通し銭が蛇のようにその身を波打たせながら勇儀に迫る。

「そいつは、ちょっとヤバそうだね」

 通し銭が誘導弾だと当たりをつけた勇儀は、迎撃のために光線を乱射する。

「甘い!」

 小町の放った通し銭は蛇のような動きで勇儀の放った光線を回避する。全てではないが、八割以上が光線の迎撃を掻い潜り勇儀の持つ酒盃に迫る。

「ちっ!」

 鬼符「怪力乱神」

 舌打ちと共に勇儀がカード宣言を行う。
 
 すると、勇儀の周囲に壁と呼べるほど大量の紅い弾が出現する。術の解放と共に勇儀の周囲に形成された無数の紅い弾は小町の放った通し銭に襲い掛かった。

 誘導弾対誘導弾、勇儀の作った紅い弾の誘導性は小町の通し銭より高くなかったが、質を量で補い通し銭の大半を叩き落す。
間髪入れずに光線で追い討ちをかけ、酒盃狙いの通し銭を防ぎきる。

「防ぎきったか」

 三枚のうちの一枚を消費してしまったが、小町の感情に焦りはない。相手もカードを一枚使わせているし、なにより勇儀が酒盃狙いの攻撃を嫌がっていることを把握できたことは十分な収穫だ。

 小町は引き続き酒盃狙いの戦術を継続することにした。勇儀の周囲を旋回するように飛行し、酒盃狙いの弾幕を放ち続ける。誘導弾を使ってしまったので一気に決めることはできないが、この戦術を取る限り勇儀は酒盃を守るために防戦一方に追い込まれる。

『これは頂いたかな』

 圧倒的に有利な状況に立ち、小町の顔に余裕の笑みが浮かぶ。いまだ酒盃は健在だが、小町の被弾が牽制に放った光線が数発かすっただけなのに対して、勇儀は何百発と直撃を受けている。このままなら、鬼を根負けさせることもできるかもしれない。

 小町は更に圧力を強める。

 もう何度目になるか判らない銅銭の直撃、勇儀は酒盃を庇いその全てを自分の背中で受け止める。
 
「くううう……」
 
 勇儀の口からうめき声が漏れ、不動の要塞のようだった飛行が僅かに揺らぐ。

 小町は追い討ちをかけようとしたが、それを阻むように光線が放たれる。

「無駄だよ」

 飛行に制限を受けていない小町にあらかじめ導線で掃射範囲が示されている光線をかわすのは容易い。彼女は勇儀から後退し、安全圏に潜り込む。

 再接近するのももどかしく、小町はその場で勇儀に弾幕を放った。

「かかった!」

 小町が弾幕を放つのを見て、勇儀の顔に凄絶な笑みが浮かんだ。

 四天王奥儀『三歩必殺』

 それは一瞬の出来事だった。

 小町は足元から熱が吹き上がるのを感じた。三歩必殺、自分の周囲を除く周囲の全てを吹き飛ばす広域攻撃型のスペル。

 ダメージを受けたことを主張するような勇儀のうめき声から、一連の流れが全てこの攻撃のための芝居だったことを悟る。その芝居に乗った小町はわざわざ距離を取り、自らスペルの攻撃範囲に身を置いてしまった。

 もはや神でも、安全圏に離脱する目は失われている。

 しかし――例外が存在した。

 『脱魂の儀』

 身を焼かれる寸前、小町はスペルカードを展開する。

 この術の効果は敵と己の位置交換。小町の『距離を操る程度の能力』の真骨頂であり、弾幕ごっこにおける彼女の切り札である。

 術の機能によって、物理法則を超越して小町と勇儀の位置が入れ替わる。

「なっ、なんだと!」

 勇儀は生まれて初めて自分のスペルで自分の身を焼くことになった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」
 
 荒い息を吐きながら、小町は勇儀の様子をうかがう。

 術が発動するまでに数分の一秒のタイムラグがあり、三歩必殺を完全にかわしきることはできなかった。刹那の時間とはいえ、全身を焼かれたダメージによって少なからず身体が重い。

 自分の術で全身を焼かれた勇儀は、先程まで小町が居た地点で転がっていた。

 数秒のタイムラグを置いて、勇儀は何事もなかったかのように立ち上がる。

「まいったな、まさか位置の入れ替えるなんて術を使えるとはね。自分の術を自分で食らうのは生まれて初めてだ」

 アレだけの熱量で全身を焼かれているにも関わらず高笑いをあげる勇儀に、小町は今度こそ戦慄を覚えた。

「とんでもない化け物だねぇ」

 どの程度のダメージを勇儀が負っているか未知数だが、小町のダメージも決して軽くない。切り札も使ってしまったし、このまま体力勝負になれば明らかに不利が付く。

 そんな小町の懸念をよそに、星熊勇儀は高らかに宣言する。

「お見事! お前の勝ちだ。中の酒どころか、酒盃ごと吹っ飛んじまったよ」

 そこまで言われて、小町はようやく勇儀の右手が空になっていることに気づいた。

「ふぅ……なんとか勝てたか……」

 勝利の実感は全くない、動きをコントロールされ土俵際に立たされていたのは小町の方だ。

「たいしたもんだ、その強さがあれば私も信用できる。なにはともあれ、まず一献」

 勇儀はどこからともなく酒盃を取り出して、小町に差し出した。


 *


 空を飛びかう怨霊はまるで夜空に輝く星のようだ。

 怨霊たちは、上空低空を問わず飛び回り、青白い冷たい光で世界を照らしている。

 そしてもう一つ、青白い光とは対照的なオレンジ色の光が小町を照らしていた。

 中道の真ん中で炊かれた大きな焚火。
 
 人里で行えば防災上の観点から大変な顰蹙を買うことになる行為だったが、居住密度の極端に低い旧都ではそんなことを気にする妖怪は存在しない。

 小町と勇儀が戦いを繰り広げた決闘場は、いつの間にか宴会場へと様変わりしていた。

 焚き火に吸い寄せられるよう集まった、妖怪達が酒を酌み交わしつつ思い思いの相手と談笑している。

「さ、飲みねえ、飲みねえ」

 右手に持った一合枡にトクトクと酒が注がれていくのを、小町はぼんやりと見つめていた。

「どうしたの? 今日の主賓はお姉さんだよ」

 ちゃっかり宴会に参加したお燐が、小町の脇から上目使いで顔を覗き込んでくる。

「いや、どうにも主役ってやつに慣れなくてねぇ」

 酒が飲めるのも、宴会も、小町は大好きな部類に入るのだが、幻想郷で宴会をするときの小町は、幹事をするか、裏に回ってチビチビ飲んでいるのが常だ。こうやって自分を中心に皆が集まり、勝利を称えてくれる状況が妙に照れくさかった。

「素直に楽しめよ。あの勝負で私と甘菜は小町の力に納得した。周りの奴らは私らの勝負を見て楽しんだ。で、終わったら飲む、それでいいじゃないか」

 左隣りに座った勇儀は、上機嫌な顔でしきりに酒を勧めてくる。横で見ていても何升入れたのかわからないくらい、文字通り浴びるように飲んでいるのだが、鬼だけあって酔いつぶれる様子は微塵も見られない。

 勧められるまま付き合って、小町も一升くらい酒を飲んでしまったので、さすがに体が熱くなってきた。

「それにしても、強いねえ。小町みたいな強い死神、私は初めて見たよ」
「そんなたいしたもんじゃないさ。さっきの勝負だって、ハンデに乗じて星を拾っただけだしねぇ」

 特に最後の方は、こちらの動きを完全にコントロールされていた。勝てたのは、『脱魂の儀』という術をたまたま小町が持っていた、という運のたまものでしかない。

「いいんじゃない? 下の方はすごく盛り上がってたよ、お姐さんの最後の術」

 両手をいっぱいに広げて、お燐がそのときの下の盛り上がりを伝えてくれる。

 幻想郷でも地下でも、弾幕ごっこは無料で見られる格闘興業みたいなものだ。敵の動きをコントロールして完封するより、小町の見せた起死回生の逆転劇のような鮮烈な展開の方が圧倒的に喜ばれる。

 自分が観客になった立場で想像してみて、小町はようやく笑顔を見せた。考えてみたら、初見殺しは勇儀の『三歩必殺』も似たようなものだ。

「それじゃ、そろそろ悪霊のこと話してくれないか? 少なくとも勇儀は、あたいの実力が信頼に足るものだと認めてくれるんだろ」

 中身が半分になった一合枡を一気に飲み干して、小町は勇儀に向き直った。

「いいだろう、少し外すか……甘菜、こっち来てくれ」

 少し離れた場所で仲間の鬼と酒を飲んでいた甘菜を、勇儀は手招きで呼び寄せる。

 勇儀に呼ばれた甘菜の表情は向き直ると同時に真剣なものに変わり、他の集団を避けるようにこちらに近寄ってくる。

 この甘菜の反応だけで、悪霊が明確に旧都の脅威になっていることを小町は思い知った。



 宴会の喧騒から離れ、小町、勇儀、甘菜、そして何故かついてきたお燐の四名は、身を潜めるように建物の影に潜り込んだ。

「さて、なにから聞きたいんだ?」

 勇儀は腕を組み、背中から建物の壁にもたれかかる。その表情は、先ほどまでの上機嫌が嘘に思えるほど真剣そのものだ。

「まずは人相風体だね、どんな奴かわからなければ捜しようがないからねぇ」
「それを説明するのは甘菜が適役だね」

 隣に立っていた甘菜に勇儀が目配せすると、彼女は一歩前に進み出る。

「お前さんが悪霊を見たのかのい?」
「ああ、第一発見者にして、最初の被害者がこいつだよ」

 小町の問いに答えたのは、傍に立つ勇儀だった。

「なるほど、薄々予想はしていたがお前さんも難儀だったねぇ」
「情けないことに脳天かち割られちゃってね」

 気にしていないことをアピールするように、甘菜はおどけてみせた。

 右目は斬られて潰されてしまったのだろう、妖怪なのでいずれ再生はするはずだが、吸血鬼のように高い不死性を持つ種でなければ無くなってしまった臓器の再生には数カ月を要する。

「しかし、手術で髪剃ったのは仕方ないとしても、その髪型はないだろう……どこの世紀末だよ」
「そう? かっこいいと思うんだけどなあ」

 モヒカンの頂点を手のひらで撫でながら、甘菜はブツブツとつぶやく。
 
 どうやら髪型は彼女の趣味らしい。

「それじゃ改めて、悪霊がどんな姿なのか、付け加えて斬られたときの状況をできるだけ詳しく教えてくれないかい」

 無言でうなずいた後、甘菜はゆっくりとした拍子で話し始める。
 
「――二月くらい前の話になるんだけど、旧都の北の外れに川があってね、あたしは釣りに行ってたんだ。橋の近くで釣りしてたんだけど、時間は昼過ぎくらいだったかな……後ろから強烈な瘴気が匂ってきたんだ。地下なんて怨霊の吹きだまりだから、どこも瘴気だらけなんだけど、あれは強烈だった。んで、振り返った先には奴がいた。身の丈は小町や姐さんより頭半分高いくらいで、烏帽子被ってお公家さんみたいな恰好してたけど、公家って感じじゃなかったかな、肩幅の広いガッチリした体格で……そう、私らが京にいた頃の侍と同じ雰囲気だった。あたしにもそいつが亡霊の類なのはすぐわかったんで、追っ払おうと思って霊撃飛ばしたんだけど、悪霊は抜き打ちであたしの霊撃を斬り払って、返す刀でバッサリ。なにせ顔を斬られたからね……それ以降は覚えてない」

 斬られた箇所を教えるために、甘菜は脳天から右目にかけて薄っすらと残る傷痕を指でなぞった。

 彼女の幸運は、頭蓋骨までは割られなかったことだ。顔を斬られて右目を失ったことは不幸だが、もし頭蓋骨を活断して傷が脳まで達していたら、いまだに動くことすらできなかっただろう。

「話を聞く限り、お前さんは太刀の間合いの外から斬られたみたいだね」

 話を聞いていて小町が最初に気になったのは、斬られた状況だった。『霊撃を飛ばした』と甘菜は言った。ということは、彼女と悪霊の距離は飛び道具で打ち合う程度に離れていたことになる。

 直接対峙する可能性のある小町にとって、敵の戦力を分析するための情報は聞き捨てられない。

「遠当ての術か何かだろ、別に珍しいことじゃない」

 興味なさそうに勇儀がつぶやく。確かに彼女の言うとおり、敵に飛び道具があるのは別段珍しいことではない。威力を押さえた気弾で弾幕を作り決闘するのが彼女たちの日常だ。
 
「じゃあ、その悪霊はずっと北の橋に居座ってるの?」
「そうでもないんだよね……甘菜の話を聞いて私も橋でしばらく張ってたんだけど、半日待っても出てきやしない」
「逆にこっちが警戒していない場所で被害者が出る有様でね、死神の連中も含めると、今回の一件でもう八人も斬られてる」

 まるで息を合わせたように勇儀と甘菜はため息をついた。

「ふむ……お前さん達でなにか思いつくことはないのかい? 例えば悪霊の出現した場所に何かしらの共通点があるとか、出現に合わせて何かサインがあるとか、そういうやつ」
「出現場所についての共通点といっても、せいぜい人気のない所、静かな所に出るってくらいかな。宴会してる最中に乱入されたって話は聞いたことはないな」
「静かな所を好むか……旧都じゃ人通りの多い所の方が珍しいだろうねぇ」

 町にやってきた時にも思ったことだが、旧都は町の規模に比して住んでいる者の数が非常に少ない。そのため、妖怪の住んでいない場所は廃墟となり、怨霊の吹きだまりとなっている。

「て、いうか意図的に廃墟にしてるからね。旧都は怨霊を封じる場所でもあるから、怨霊の好む環境を用意してやってるわけ」

 旧都の極端に低い居住密度について、勇儀が補足を入れる。

「やれやれ、道真公みたいに旧都そのものを祟っているなら、ますます厄介だねぇ」

 一筋縄ではいかない状況に、小町は額に皺を寄せた。一所に留まる自縛霊のような悪霊なら、周囲に埋まっている死体を探し出して明日にでも帰れたかもしれないが、そうは問屋が卸さないらしい。

「私たちがつかんでる情報はこのくらいかな……それ以上のことを知っているとすると……」
 
 不意に勇儀と甘菜は、小町の隣に立っていたお燐へと視線を動かす。

「あたいだって、みんなが知ってる程度にことしか知らないよ。それに、もし情報持ってるなら、真っ先にお姉さんに話してるよ」
「まあ、それもそうだな……」

 めぼしい情報がないことで興味を失ったらしく、二人はお燐から視線を外す。

「とりあえず、協力が得られるなら、もっと目撃情報が欲しいところだねぇ。あと、死体が埋まっていそうな場所を教えてくれると助かるんだけど……」
「おい、小町は死体を捜すつもりだったのか?」
「当然だろう、例の悪霊は亡霊の亜種なんだから、死体を探し出して供養すれば労せず払えるじゃないか」

 死体を供養することによる調伏、最初からそれが小町の基本方針だ。捜索段階で面倒の多い方法だが、相手は鬼を斬るほど力のある悪霊だ。直接対決は避けるに越したことはない。

 しかし、小町の言葉を聞いて、勇儀の表情が明らかに不満そうなものに変わる。

「おいおい、もしかしてお前さん、直接対決を挑むつもりだったのかい?」
「当然だろう、鬼を斬るほど力を持った悪霊だぞ、面白そうじゃないか。それに仲間をやられてるんだ、奴に直接ぶち込まないと気が済まない」

 腕を力強く振り上げて、勇儀は握り拳を掲げてみせる。

 理解できそうにないと小町は思ったが、実に鬼らしい回答だ。鬼は戦いを楽しむ種族、勇儀は今回の悪霊騒動もとことんまで楽しむつもりなのだろう。

 方針の違いを巡り、小町と勇儀はにらみ合う。

 しかし、ここまで決定的に平行線だと折衷案の提案すら難しい。

「じゃあ、別々に捜すしかないんじゃない?」

 横から無造作に放たれた一言を聞いて、二人は同時にお燐の方に振り向いた。

 対するお燐は、二人の顔を見比べながら、いつもと変わらない猫っぽい笑みを浮かべている。

「話聞いてると、二人のやり方って全然違うからさ、それなら無理に協力しなくてもいいんじゃないかと思ったんだ。二人で別々の方針で捜索して、一日の終りに情報交換するくらいの協力でいいんじゃないかな?」
「なるほどねぇ」

 なかなか的を射る意見だと小町は思った。

 方針は全く違うが、早期に行動を起こさなくてはならないという考えは、小町も勇儀も共通している。別々に行動することで多少効率は落ちてしまうが、ここで実りのない議論を繰り返すよりははるかに建設的だ。

「仕方ない、面倒だけどあたいは独自に調査した方がよさそうだねぇ」

 明日から足を棒にして探し回ることを想像し、小町はため息をついた。

 犠牲者が出る可能性があるので人海戦術には頼れない。今の小町にできることは目撃情報を集めつつ、囮を兼ねて旧都を歩きまわることだけだ。

「どうだ小町? どちらが悪霊を倒すか、一つ勝負をしないか? 報酬は悪霊を見つけた方に一杯奢るんだ」
「そうだね……まあいいだろう」

 天性のウワバミである鬼に酒を奢るのは少し怖い気がしたが、それで解決が早まるなら安いものだ。

 『ヤバかったら四季様に泣きついて経費で落とそう』と小町は勝手なことを考えるのだった。


 *


 旧都の空は、昨日と同じく怨霊の放つ青白い光に照らされている。

『青い空が懐かしいねぇ』

 地下に暮らしていれば慣れるのかもしれないが、普段地上に住んでいる小町は、昼でも夜でもお構い無しの薄暗い空を見ていると青い空が恋しくなってくる。ハッキリ自覚しているわけじゃなかったが、軽い時差ボケか二日酔いのどちらかにかかっているのかもしれない。

「お姉さん、シャキっとしなよ、これから北の橋に行くんだからさ」

 救いがあるとすれば、案内を買って出てくれたお燐がやかましく話しかけてくれることだろう。彼女の言葉に相槌をうっている間は眠気で意識が朦朧とすることはなさそうだ。

 悪霊退治の段取りについて打ち合わせをしたあと、一眠りした小町が目を覚ました時、勇儀はすでにいなくなっていた。小町より一時間以上早く目を覚まして、悪霊の捜索に行ってしまったらしい。

 出掛けに勇儀に置いてきぼりを食らった甘菜から同行をせがまれたが、負傷で片目が見えない状態ではいざというときに逃げ切れないので置いてきた。どうやら、勇儀にも同じ理由で置いて行かれたらしい。

 小町は、お燐の「現場百回」という言葉に従い、甘菜が襲われたという北の橋に向かっていた。

 悪霊についての情報や旧都の住人の協力を得られたことは大きな収穫だったが、結局のところ小町はまだ昨日地下に降りたばかりなので、悪霊が出現した現場を確認しようというお燐の提案は悪くないものだった。

 二人は堀川沿いの道を通って橋へと向かう。飛べば一瞬で着く距離だったが、悪霊を呼び寄せるための囮も兼ねているので三十分ほどの道のりを歩くことにした。
 
 旧都には飲み水と防災用水確保のために街中に二本の堀川が引かれていて、橋はその堀川に遮られた洛内と洛外を繋ぐために掛けられたものらしい。

「立地条件的に、どう考えても一条戻り橋のコピーだね、その橋は……」

 碁盤目状に作られた街づくりからもわかることだが、旧都は古い京の都を模して作られている。勇儀も建設の際、平安京を参考にしたことはハッキリと認めていた。

 しかし、街の北端にある堀川に掛けられた橋という共通点……ここまで、似ていると参考というよりコピーだ。

「皮肉なもんだねぇ、地下の一条戻り橋で鬼が切られるなんて」
「お姉さん、一条戻り橋って、北の橋のことなの?」
「んっ? お前さんは知らないのか、割と有名な話なんだけどねぇ」

 古くから伝わる一条戻り橋と茨木童子の伝説を、小町は話して聞かせた。

 一条戻り橋と茨城童子の伝説は、大江山の酒天童子退治の外伝とも後日談ともいわれている物語で、酒天童子を退治した源頼光の家来衆、頼光四天王筆頭の渡辺綱が戻橋のたもとで、女に化けて待ち伏せていた茨城童子に襲われるが、鬼の腕を太刀で切り落として逃げのびたという話だ。

「ほええ! お姉さん、見かけによらず物知りだね」
「見かけによらずは、余計だよ」

 しかし、幻想郷にいるときの小町は、いつもサボっているだらしない死神というイメージが染み付いているため。他の知り合いも似たような感想を返すだろう。



 ――そうやって笑っていられるのは橋が見えてくる前までだった。

 北の外れというだけあって、橋の周辺は寂しい所だった。
 
 人が居ないのは旧都の洛内でも似たようなものだが、川と道沿いに植えられた街路樹しかない場所だと、怨霊の寄る辺となる廃墟すら恋しくなってくる。

「これは如何にも悪霊の出てきそうな所だなあ」

 周囲をキョロキョロを見回して、お燐は感心したようにつぶやいた。

 甘菜から襲われたときの話を聞かされているので先入観もあるのかもしれないが、周囲の状況は小町の目から見ても悪霊が出るに相応しい光景だ。

「おいおい、冗談じゃないよ、これは……」

 橋の周辺で起こっている異変を感じ取り、小町は眉をひそめた。

 目的地に近付くたびに、どんどん周囲の瘴気が濃くなってゆくのだ。

 怨霊の吹き溜まりとなっている旧都は、どこもかしこも一定の瘴気で満たされているのだが、この場に渦巻く瘴気の量は、ここが地底であることを勘案してもなお異常なレベルで渦巻いている。
 
 街中の怨霊達が発する敵意ではない、明確に害意を持つ者がこの場所に存在する。

「こりゃ、いきなり当たりかもしれないねぇ……お燐、悪いことはいわないから今直ぐここを離れな。人気の多い所までいけば安全なはずだ」
「お姉さん、どういうこと?」

 周囲に渦巻く瘴気を感じ取れないのか、お燐はキョトンとした顔で小首をひねる。

「ここにヤバイ奴がいるってことさ」

 大鎌を両手で構え、小町は油断なく周囲の気配をうかがった。

「……ううううう」

 まるで地獄の底から聞こえてくるような、低く籠った声が周囲に響き渡る。

 反射的に振り返った小町が見たのは、数百体の怨霊が橋に集まっていく光景だった。青白い冷たい光が集合していき、やがて人を思わせる像を形成していく。

 最終的にそこに在ったのは、橋の上に立つ一人の男の姿だった。烏帽子に若草模様の束帯、腰に太刀を佩いた姿は宮中の武官であることを物語っている。身長は小町より頭半分高く、武官らしいガッチリとした体格の持ち主だが、荒々しさを感じさせない涼しげな面立ちをした二枚目。
 外見的特徴、雰囲気、そして出現した状況。どれを取っても、目の前にいる男が旧都を騒がせている悪霊としか考えられない。

「こっ、こいつ……お姉さん、やっぱこいつ甘菜が話していた……」

 悪霊の放つ激しい敵意に気づいたらしく、お燐の声にも動揺が感じられる。

 しかし、小町は……。

「………………」

 何も言葉を発することができなかった。

 恐怖に我を忘れているわけではない、震えて声が出せないわけでもない。

 ただ、橋の上に立つ悪霊に何を話せばいいのかわからなかった。

「うおおおお!」

 キチガイのような叫び声を上げながら、悪霊が疾走する。彼は腰に佩いた太刀をスラリと抜き放ち、棒立ちになっていた小町に斬りかかった。

 ガキン! と鋼と鋼がぶつかりあう音が響きわたり、小さな火花がパチンと飛び散った。

 悪霊の一撃に反応できたのは、小町が武術として確立された薙鎌術を十分に稽古していたおかげだった。虚を突かれた状態だったにも関わらず、身体に覚えこませた技はまるで自動操縦のように斬撃を防御していた。

 鎌の峰で太刀と押し合いを続ける小町の耳に、ギシギシと鋼の軋む音が聞こえてくる。

「なんで、お前さんがここにいる?」

 我に返った小町は、悪霊相手にそう尋ねるものの……。
 
 答えを待たずに、半身の姿勢からさらに右足で踏み込んで、峰の丸みを利用して太刀を受け流しながら、すれ違い様に鎌の切先で頸動脈を切り裂いた。

 悪霊から血は流れない。その代り、首筋から見てわかるほど圧縮された黒い瘴気が、噴水のように噴き出した。

 敵の背後に走り抜けた小町は、反転すると同時に大鎌を油断なく相手に向ける。彼女の構える大鎌は普段とは違い、刀身全体が白い光に包まれていた。

 斬りかかられてから、一合打ち合っただけで悪霊は頸動脈を斬られ膝をついている。実にあっけない決着だが、結果から推し量れるほど目の前の敵は弱くはない。足は速かったし、斬撃は十分以上に鋭かった。ただ、敵が甘菜に使った遠当てを使わなかったこと、袈裟懸けの斬撃に対して鎌という武器の形状が有利に働いただけだ。

「そんな……刃引きしてるはずなのに……」

 お燐は悪霊がわずか一合で首を斬られるのを見て、口をパカッとあけて放心していた。

 彼女が驚くのも無理はない、彼女は目の前で大鎌の刃が刃引きされているのを確認している。

 霊装召喚の術――。

 お燐は知る由もなかったが、小町が使用したのはスカーレット姉妹が『グングニル』や『レーヴァンテイン』を召喚するのと同質の言霊を介して存在しない武器を召喚する術だ。呼び出す武器は『死神の鎌』、直接斬りつけなければ意味がないため弾幕ごっこでの使用はできないが、死神という種族要素と鎌という器物要素という二つの触媒を利用して召喚するため、殺傷力に比べ力の消耗が非常に少ない。

「もう一度聞く、なんでお前さんがここにいる……答えろ、少将!?」

 小町はさっきと同じ言葉で、今度はさらに強い口調で詰問する。明確な怒気と殺気をまとった彼女の姿は、普段の飄々としている様子からは考えられない。

「うおおおお!」

 叫び声と共に、悪霊は走り出した。

「しまっ!」

 前へ、正面に立つお燐に向って。

 小町は自分の迂闊さを呪う。悪霊の背後に回ることによって、お燐と悪霊を隔てる防壁が無くなってしまった。

「ざけんじゃないよ!」

 小町は「脱魂の儀」で、自分と悪霊の相対距離を入れ替えた。弾幕ごっこでは有効すぎるため回数制限を施しているが、そんな縛りがなければ難しい術ではない。

 位置を入れ替えることでお燐を人質に取られることは防げるが、問題が二つある。

 一つは、位置を入れ替えるだけなので、移動した直後、小町が悪霊に背を向けた状態になってしまうこと。

 もう一つは。敵は遠当てでこちらを切り裂く術を持っている。

 小町は迷わずその場から跳んだ。できるだけ頭、全身を低く保ち、お燐の足元から押し倒すようにタックルする。

「にゃ、にゃ!」
「逃げるよ、しっかり捕まっていな」

 響き渡る猫の悲鳴を無視して、小町は空いた左腕でお燐をガッチリと抱え込む。

 お燐を抱えたまま、小町は全速力で飛びあがった。敵に飛び道具がある以上、一秒でも速くこの場を離れなければならない。

 地上三十メートルまで上昇した小町は首だけで背後の様子をうかがう。

「ちっ!」

 小町の瞳に映ったのは、追撃するために飛び上ろうとする悪霊の姿だった。

 敵の追撃を防ぐために小町は気を手繰る、作り出すのは勇儀との戦いでも使用した誘導弾。弾幕ごっこに対応して威力を落としているため、直撃しても一般人を気絶させるのがやっとの威力しかないが、高い誘導性と自立運動性を両立させた通し銭は時間稼ぎにはうってつけだ。

「行け」
 
 一言、そう唱えるだけで小町の生み出した銭通しは悪霊に向って殺到した。

 もはや小町は振り返らない、バチン! バチン! と誘導弾を切り払う音を聞きながら旧都の空を全力で飛んだ。


 *


 勇儀は朱塗りの柱に背を背もたれにして、ドカリと無造作に腰かけた。

「まさか、正殿で酒飲むことになるとはねぇ」

 勇儀に習い、小町も隣の柱に背をあずける。

 目の前には百平方メートル以上はあるだろう、広大な前庭が広がっていた。

 足元には惜しげもなく砂利が敷き詰められていて。

 白い、ある意味荒涼とした空間が広がっている。

 その前庭をすっぽりと、正殿と同じ朱塗りの柱で支えられた築地回廊が取り囲んでいる。

 二人きりで話したいという小町の提案を聞いた勇儀が案内したのは、大内裏の中、世が世なら朝廷の公式行事が行われる大極殿だった。本来なら朝廷の重心が立つ場所に座り込む女は、とんでもない不敬者だろう。

「しかし、立派な造りなのに誰も住んでいないとはねぇ。本当に希望者は誰もいなのかい?」

 模して造られた代物とはいえ、外見は帝の御殿と変わらない。外に建てられた屋敷と比較しても壮麗さは比較にならない。

「じゃあ、小町が住んでみるか? 止めないけど」
「いや、あたいは遠慮しとくよ」

 一人で住むのに広すぎても困るという考えは人も妖怪も大差はない、どうやら地下にはそれを推しても、御殿に住もうとする変わり者はいないらしい。

「それはそうと、私に相談したいことってのはなんだ? まあ大方予想はつくんだが」
「御察しの通り悪霊のことだよ、今日会ったって話はさっきしたと思うけど……」

 それから悪霊に会った時の詳しい状況を、勇儀に聞かせる。

「――いきなり当たり、しかも斬り伏せるとはねえ。これじゃ、私の立つ瀬が無いじゃないか」

 半ばやけくそ気味に勇儀は酒杯の中身を一気飲みする。彼女は一日中街を散策していたが、悪霊のアの字にも出会えなかった。

「お前さんには悪いが、こればかりは仕方がない。あたいが来れば悪霊が来る、これは必然なのさ」
「それはどういうことだ? まるで悪霊の目的は小町だと言ってるみたいじゃないか?」
「みたいじゃなくて、狙われているのはあたいなんだよ。つまり、当たりだったのは、あたいじゃなくて、向こうさんってことになるねぇ」
「ほう……どういうことだ、小野小町?」

 もはや勇儀の間違いを訂正する気にもならない。いや、むしろこの場は訂正するべきではないだろう。

「あの悪霊は、普通の亡霊の亜種とは似て非なる存在でね。あたいの知り合いなんだけど、化けて出るなんて絶対にあり得ないと思っていたから、今朝は肝を冷やしたよ」

 しかし、その絶対にあり得ない事が現実に起こってしまった。起こってしまった以上、打開するための行動を起こさなければならない。

「その知り合いってのは誰なんだ?」

 勇儀の問いに対し、小町は首を振って答える。

「すまないとは思うが、それは話せない」
「理由は?」
「理由も話せない。悪いが、これは絶対に話せない。お前さんだって、一つや二つあるだろ、どんなに親しい友人でも話せないことって。これはそういうものなのさ」
「わかったよ、それは聞かないでおいてやる」

 非常に頑なな小町の態度に、勇儀は諦めたように吹き出した。彼女も千年以上生きる妖怪だ。小町のいうように、人に話せない、話したくない過去の一つや二つ存在する。

 それに小町は話せないということを正直に話した。少なくとも、嘘をついて誤魔化そうとするよりは遥かにマシだ。

「私がお前さんに相談したいのは、この辺りに野晒しになった死体が集まる場所がないかってことだ。勇儀はこの辺りに顔役だから知らないかと思ってね、供養所でも死体集積所でもいいんだけど」

 正体がわかったおかげで、悪霊の素体になったのは野晒しになった無縁仏だと確証を持つことができた。通常、無縁仏は一か所に集められるので、そこを押さえれば高確率であの悪霊を始末することができる。

「死体の話はお燐にはしなかったのか?」

 訝しげな表情で勇儀は尋ね返す。彼女は、死体のことをお燐に尋ねなかったのが不思議でならないらしい。

「お燐がどうかしたのか?」
「だって、お燐は……」

 そう言いかけたところで会話が途切れる。いや、二人は会話を中断せざるえなかった。

 ガタンと小安殿へと続く扉が破られる。

 濃密な瘴気を共に現れたのは、小町が今朝相まみえた悪霊だった。烏帽子と若草色の束帯、それに見覚えのある面相を忘れるはずがない。

「キィエエエ!」

 扉を破った勢いを保ったまま、悪霊は抜き放った太刀を八相に構えて、風のような速さで接近する。

 今朝、虚をつかれても反応できたのは、小町がすでに戦闘態勢を整えていたからだ。

 しかし、この場の襲撃は彼女にとって完全に予想外、完全に不意打ちだった。

 胸の内で響いたのは『何故?』という思い、なぜここに居る。なぜ、瘴気に気づかなかった。胸の内に去来したいくつもの『何故?』が小町の反応を遅らせた。

「!」

 パシャリ……と、目の前で鮮血が飛び散った。

 反応が遅れた小町をかばうために、勇儀は悪霊の一刀をその身体で受け止めていた、左腕はダラリと垂れ下がり、右肩から腹にかけて斜めに走った刀傷から赤い血が滝のように流れ出る。

「ゆっ、勇儀!!」

 絹を裂いたような叫び声があがる。

 何故という疑問すら塗りこめる勢いで、小町の脳内は真っ赤に染まった。

「うおおお!」

 小町の叫びに呼応するように、鬼の咆哮がこだまする。

 滝のように出血しながらなお、星熊勇儀は崩れなかった。返す刀で彼女を斬ろうとした悪霊の顔面に、右の拳が突き刺さる。

 パーン!!

 鬼が本気で放った一撃によってもたらされたのは、爆発の様な轟音と、空気の爆発そのものだった。

 想像を絶する怪力で殴られた悪霊の身体は、数十分の一秒という短い時間ではあったが超音速まで加速された。衝撃波に身体を削られながら、壁をぶち抜いて大極殿の外まで吹き飛ばされる。

「ま、こんなもんか……小町……あとは、任せた」

 最後に一言つぶやいて、勇儀は糸が切れたようにその場に倒れ伏した。

 柱に立てかけてあった大鎌を手にとって、小町は吹き飛ばされた悪霊へと走る。

 すぐにでも勇儀を外に連れ出したいところだが、悪霊がまだ動ける状態だった場合、身動きの取れない体勢で斬りかかられる可能性がある。先の一撃のダメージは決して軽くないはずだが、怨霊や亡霊のように肉体を持たない連中は半身を吹き飛ばされても戦えるくらいタフに出来ている。

「………………」

 壁の穴を乗り越えて悪霊が這い出してくる。勇儀の攻撃によって大ダメージを受けたらしく、身体は背後が薄っすらと見渡せるほど密度が薄くなり、発する瘴気も半分以下になっていた。

『いける!』

 心の中で勇儀に礼をいいながら小町は大鎌を振り上げる。ここまで力を失った状態なら、死体を供養せずとも調伏することが可能なはずだ。

『……にゃーお』

 大極殿の中に猫の鳴き声が響き渡った。

 その直後、小町と悪霊の間を遮るように、青白い光を発する三〇センチ程の大きさの少女が数体現れる。

「呪妖精……なんで!?」

 呪妖精とは、主に『死霊術師』が妖精をベースにして作る使い魔のことで、最近は横文字を使ってゾンビフェアリーとも呼ばれている。

 妖精とは自然現象が具現化した存在なので、その妖精を生み出した環境が残っていれば蓬莱人並に何度でも蘇ることができる。腕のいい『死霊術師』はその性質を利用して、一回休みになっている妖精に悪霊を憑依させて自由に使役出来る使い魔にすることができるのだ。

 当然、自然に生まれてくる存在ではないので、今ここに居る彼女達は何者かが術で召喚したことになる。

 呪妖精達は瘴気を身にまとって体当たりを仕掛けてくる。その意図が悪霊の援護であることは明らかだが、無視するわけにもいかず小町は大鎌で呪妖精達を切り払った。

 呪妖精の攻撃を小町が捌いている間に、悪霊の姿はどんどん薄くなりやがて見えなくなる。

 全ての呪妖精を落とした頃には、濃密な瘴気は薄くなり、悪霊の気配は綺麗さっぱりと消え去っていた。


 *


 乱入者はいつも唐突に現れる。

 三月前地霊異変の際に地下に現れた巫女も、二月前に甘菜の右目を奪った悪霊も、そして昨日やってきた死神も何の前触れもなく現れて、彼女達を混乱の渦に巻き込んでいく。

 酒好きの鬼達にとって酒宴は、ほぼ日課になっている。

 その場に居る物好きが適当に集まって、酒を飲み、たわいのない話をして騒ぐのだ。

 そんな至福の時間を邪魔する乱入者は、やっぱり何の前触れもなく現れた。

「おい、医者だ、誰か医者を連れてきてくれ!」

 朱雀門から出てきた小町の姿は、一言でいうと血まみれだった。着物の白地が血に濡れて黒く変色し、それでもなお飽き足らず地面にポタポタと鮮血が滴り落ちる。

 彼女は背中に勇儀を背負っていた。グッタリと小町にしな垂れかかり、顔は青白いを通り越して土気色になっている。

 そんな二人の姿を見て、甘菜は意味がわからなかった。

 元山の四天王である勇儀は神にも匹敵する力を有している。

 小野塚小町は、ハンデがあったとはいえ、その勇儀に勝利した。

 そんな二人がボロボロになって朱雀門から出てきた時の衝撃を、甘菜は当分忘れられないだろう。

「小町、いったい何が!?」
「勇儀が斬られた! 説明は後でするから、とにかく医者だ。」

 背負っている勇儀の傷口からは、ずっと血が流れ続けている。斬られた場所が心臓に近すぎるため血が止まらないのだ。

「やっ、ヤマメ、ヤマメの家に連れて行く!」

 先導する甘菜の後について小町も走り出す。怪我人を動かすのが上策とは思えないが、とにかく今は一刻も速く止血の処理をしなければならない。

 背後からパタパタと聞こえてくる足音で、小町の後ろに誰かついて来ているのが判った。おそらく、甘菜と一緒に酒を飲んでいた旧都の妖怪達だろう。

 黒谷ヤマメの家は、朱雀門から走って五分とかからない場所にあった。彼女も他の妖怪達と同じように、大内裏の周辺に居を構えていた。

「ヤマメ! 勇儀が斬られた」

 乱暴に扉を開けて飛び込んできた甘菜の言葉に、ヤマメも驚きを隠せなかった。

 続けて、血まみれの小町と、土気色の顔をした勇儀、そして甘菜と一緒に酒を飲んでいた数体の妖怪が次々とヤマメの家に乱入する。

 ヤマメのことを妖怪の医者だと思っていた小町は、勝手に永遠亭の八意永琳のような妙齢の美女を想像していたのだが、予想に反して彼女は甘菜と同等の外見年齢を持つ典型的な妖怪少女だった。流れるような金髪をポニーテールにして、茶色のジャンパースカートの中に黒いシャツを着込んでいる。年頃の少女が選ぶにしては地味な色合いだが、おそらく彼女の種族が関係しているのだろう。

「どっちを斬られた、前か、後ろか?」
「胸の方を斬られた。血が止まらない」
「お前ら、そこにゴザ敷いて仰向けに寝かせろ、すぐに処置をする」

 ただ、ヤマメは驚いていても甘菜のように取り乱すことはなく、その場にいる妖怪たちに指示を出す。

 指示に従って小町達が勇儀を寝かせている間、ヤマメは道具を用意していた。お茶を飲むために用意していたヤカンの熱湯を桶にそそいで、そこに大き目の縫い針や、鋏を放り込む。

 小町は永遠亭以外に、人里の医者の診察も見たことがあるが、それに比べるとずいぶんと乱暴なやり方だ。

「お前さんが医者なのかい?」
「そんないいもんじゃないよ。私は土蜘蛛でね、ちょっとばかり裁縫が得意だったから街の連中に傷口縫うのを頼まれるようになっただけだよ」

 いつの間にかプルプルと震えていた右手を、ヤマメは左手で押さえつける。

 道具の用意を終えたヤマメは、勇儀の服をハサミでザクザクと切って傷口を検分する。

「姐さん、大丈夫かな?」
「骨まで達してるんだ、大丈夫なはずないだろ! 甘菜、そこのタンスに手術用の布入れてるからあるだけ全部出せ、あと斬られた部分固定しなきゃならないから誰か適当な太さの棒持って来い」

 周囲にいる人間に場当たり的に指示を出しながら処置を進めるヤマメの姿は、野戦病院を彷彿とさせた。

「大丈夫だよ、ヤマメはあたしの顔だって縫ってくれたんだ。姐さんだって絶対に大丈夫……」

 祈るような甘菜の言葉が全てを物語っている気がした。

 もはや小町に出来ることは、処置を進める金髪の少女に全てを託すしかない。


 *


 地下に降りてきて、かれこれ二日が過ぎた。

 空の色が変わらないので正確な時間はわからないが、ここが幻想郷なら今はきっと夜明けなのだと小町は思った。

「おつかれさん……あたいが保証する、お前さんは医者だよ」

 右手に湯飲み、左手に急須を持って小町は土間に下りる。

 ヤマメは土間の柱に背を預け、無造作に足を投げ出して土間に転がっていた。極度の緊張から解放された彼女は、口を半開きにして半ば放心している。

 周囲を見渡すと、思い思いの姿勢で手術を手伝っていた妖怪たちは休息を取っていた。

「茶と水、両方あるけどどっちが欲しい?」
「……水を頂戴」

 リクエストに従って、小町は急須の中に入れた水をヤマメに手渡した。

「ありがとう~、生き返るよ」

 急須を渡すとヤマメは飢えた獣のように中の水を一気に飲み干していく。半リッターばかりを飲み干してゲップをする姿はお世辞にも上品とはいえないが、周りも女ばかりなので気にする者は特にいない。

「落ち着いたかい?」
「ああ、やっと人心地ついたって感じだね」

 二人の視線の先では、上半身を包帯でぐるぐる巻きにされた勇儀が転がされている。

 手術が始まる前は『野戦病院のようだ』という感想をもった小町だが、考えてみたら文明開化前の医療はこんなものだったと考えを改めた。

 焼き鏝を使って強引に止血して、傷口を縫い合わせてから、斬られた鎖骨を添え木で固定する。それを設備も知識も経験も足りない彼女がやってのけたのだからたいしたものだ。

「ところで、私にも聞かせてくれないかな? 姐さんがなんで斬られたのか、聞く権利くらいあると思うんだけど」
「そういえば、お前さんにはまだ話していなかったねぇ」

 甘菜を初めとする他の妖怪達には作業の合間を縫って勇儀が負傷した経緯を説明したのだが、ヤマメだけはまともに話をする時間も無いほど忙しかった。

 ヤマメとは初対面ということもあり、大内裏で起こった出来事だけではなく、地下に降りてから今までに起こったことを一通り説明する。

 話を聞いている間、考え込むように口を噤んでいたヤマメは、真剣な表情で口を開いた。

「小町さん、私はとても不思議なんだけど、なんでお燐に死体のことを聞かなかったの?」
「また、お燐か? 勇儀も大極殿で似たようなことを言っていたけど、あいつはそんなに死体に詳しいのかい」
「やっぱり知らなかったか……お燐は火車だ、そして灼熱地獄の管理人でもある。あいつ以上に死体にも怨霊にも通じてる妖怪は、地下には存在しない」
「火車だって……」

 ………………!

「なるほど……そういうことか……」

 火車――。
 
 その言葉を聞いた瞬間、小町はまるで天啓が降りてきたように全てを理解した。
 
 火車は、罪人の死体を奪うとされている猫の妖怪だ。おまけに旧灼熱地獄の管理を担当しているとなれば、小町の探す死体の在り処を知らないなんてことはまず考えられない。

 お燐が何を狙っているのか――。

「そんなの決まっているじゃないか、あいつは……あたいを殺すつもりだ」

 お燐が悪霊と組んで小町の命を狙っている。

 そう考えると、昨日起こった不可思議な襲撃にも説明がつく。彼女は、案内を装って小町の動きを監視して、孤立したところで悪霊をけしかける算段だったのだろう。

 あの悪霊は周囲の怨霊を取り込んで力を増す性質を持っているはずなので、操霊術で一時的に取り込んだ怨霊を分離させれば大極殿で行った不意打ちも不可能ではない。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、お燐があんたを殺そうとしてるっていうのか?」

 小町の口から飛び出した『殺す』という言葉に、ヤマメは動揺を隠せなかった。地下の妖怪は気は荒いが、気のいい奴らばかりだと彼女は信じている。特定の誰かを、騙し討ちで殺そうと考えているなんてにわかには信じられない。

「状況証拠で見ると高確率でクロだね。まさか、刺客と轡を並べるとはねぇ。あたいも大概、お人よしだ」

 自嘲的な笑みを小町は浮かべる。

「とりあえず本人と話をしよう、こんな欠席裁判みたいな問答で決着をつけるのはよくない……って、お燐はどこにいるんだ?」
「そういえば、昨日の夜から顔を見てないねぇ……もしかして逃げたか?」
「そんな……」

 落胆の色がヤマメの表情に交る。

 しかし、小町はお燐が単純に逃げただけだとは思えなかった。

 二度の不意打ちに失敗したうえ、悪霊は大ダメージを受けた。加えて小町にお燐の正体が割れたので、これからは不意打ちを仕掛けることも難しい。

 こちらも勇儀が重傷を負っているので勝ったとは思いたくないが、現在の状況は小町が若干優位に立っていると思う。

 だが、殺そうとまで思っている相手への復讐を、形勢が不利というだけで簡単に諦めきれるだろうか?

 相手の立場に立って考えてみるとわかる。

 答えは否だ。
 
 敵は間違いなく悪霊の回復を待って、再度攻撃を仕掛けてくるだろう。

 勇儀が重傷で退場しているので障害になるのは小町自身の戦闘力だけ。そして、あの悪霊と小町の力量差は絶対に勝てないというほど圧倒的ではない。つまり、何らかの方法で敵が戦力を増やすことができれば、正面から小町を殺す目がまだ残っているのだ。

「逃げたというより、自分に有利な場所で力を蓄えているんだろうねぇ。お前さん、お燐が行きそうな場所に心当たりはないかい? そんなに外れた場所へは行かないと思うんだが……」
「お燐の行きそうな所か……なら一つしかないな、地霊殿に行ったんだと思う。あいつは、地霊殿の主のペットなんだ」
「地霊殿か……できれば行きたくなかったんだけどねぇ」

 憂鬱な相手との邂逅が避けられないとわかって顔を覆った。

 地霊殿の主である、古明地さとりは『心を読む程度の能力』を持っている。会いたい相手ではないが、こんな状況的では贅沢を言っていられない。

「悪いがその地霊殿の場所教えてくれないか? 恥ずかしい話だが、あたいは行ったことがなくてねぇ」
「なら、あたしが案内するよ」

 案内を買って出たのは、さっきまで土間で寝ていた甘菜だった。

 どうやら、小町とヤマメの話を立ち聞きしていたらしい。

「仕方ないねぇ。怪我しないように気をつけるんだよ」

 小町は諦めのため息を吐いた。

 甘菜は顔見知りだし、悪霊のことも多少は知っている。この場にこれ以上の適任者は存在しない。

「悪いが全速力で行く、あたいにしっかり捕まっているんだよ」

 両肩に手が置かれるのを確認すると、小町は全速力で飛んだ。


 *


 剣山を思わせる険しい山脈が、ここが旧地獄であることを何よりも雄弁に語っていた。

 その麓に立つ地霊殿は、まるで山ブドウのような深い紫色をしている。暗い色のはずなのに、闇夜の中でも決して地味にならない色彩は、漆黒以上に暗い印象を見る者に抱かせる。

 内部の構造も独特だ。

 天井や壁には、決して少なくない数のステンドグラスがはめ込まれていており。灼熱地獄の天窓になっている床は、その全てが鏡面のように磨きあげられている。

 同じ是非曲直庁の箱物なのに、映姫が働いている閻魔殿とは段違いの豪奢な造りになっており。その落差に、小町は呆れるしかなかった。

「やっと着いた……」

 小町の肩から離れると同時に、甘菜は安堵の声を漏らす。

 旧都と地霊殿はかなりの距離があり、烏天狗のような変わり種でなければ飛んでも一時間くらいは必要になる。しかし、小町はその距離をわずか十分足らずで踏破してみせた。

 高速移動は『距離を操る程度の能力』の本領といえるものだが、ただ速いのとは違い、普通に飛んでいるのに周囲の景色がコマ送りになるという独特の移動感は、慣れない者にとってはかなり気持が悪い。

 地霊殿には紅魔館のように門番が置かれていなかったので、少し失礼だとは思ったが二人は無断で入場することにした。

 よく宴会の席で十六夜咲夜が『門番なんて意味がない』と愚痴っていたが、いざ客の立場に立ってみると、ああゆう門番がいて居てくれた方が外部から来る者にとっては頼もしい。

「さて、猫のねぐらまで来たのはいいけど、肝心のお燐はどこにいるのかねぇ」
「多分中庭じゃないかな……前に姐さんから聞いたことがあるんだけど、中庭に灼熱地獄へ続く入口があるんだって」
「なるほど、じゃあ中庭に抜ける通路を探さなきゃならないねぇ」
「でも、こいつらに話通じるのかな?」

 地霊殿に入ってきた二人を取り囲むように、数十体の怨霊が一斉にその姿を現した。彼らは、柱、階段の手摺、壁の出っ張りなどを盾にして、玄関ホールから館内へと抜ける通路を一通り封鎖している。

 時間稼ぎに重点を置いた近代的な軍隊を思わせる配置から考えても、怨霊たちがお燐の統制を受けていることは疑いようがない。

「小町どうするの?」
「どうするって、蹴散らしていくしかないだろう」

 その上で全てのフロアを舐めるように移動して、中庭に抜ける通路を捜し出す。

 小町は手の中に普段よりだいぶ少なめの寛永通宝を作り出す。一発一発の威力を重視するなら、弾の数は少ない方がいい。

「小町……いまさら帰れ、って言われても聞かないからね」

 闘志を漲らせた視線で甘菜は小町を射抜いた。彼女は両手に、火球を一個ずつ作り出してして戦う気は満々らしい。

「めっかちのお前さんに無理はさせたくないんだけどねぇ……仕方ない、お前さんの役目はあくまで援護だ。忘れるんじゃないよ」
「りょ~うかい!!」

 甘菜の放った火球が着弾し、玄関ホールに巨大な火柱が立ち上った。



「そうか、もう来たのか」

 地霊殿の中庭で、お燐は偵察に放った怨霊からの小町襲撃の報告を聞いていた。

 二回目の襲撃が失敗した時点で、小町が近いうちにお燐の正体を嗅ぎつけて地霊殿に乗り込んでくるのは予想していた。

 問題はお燐の予想より小町の襲撃が早かったということだ、そうほんの一時間ほど早い。

 幻想郷では、庭に花を植えるのが一般的らしい。紅魔館や白玉楼には腕のいい庭師がいて、今の季節には美しい桜や薔薇が庭を埋め尽くすと博麗の巫女から聞かされた。

 そんな話を思い出したお燐は、自分の住む地霊殿の殺風景な中庭を一望して少し悲しくなった。

 中庭にあるのは、自分の背後にある灼熱地獄跡へと続く入口と、小石がコロコロと無数に転がっている殺風景な空間だけだ。

 花を植えようなんて考えたこともなかった。

 灼熱地獄跡の入口から絶えず熱風が吹き込み続けていている地霊殿の中庭では、花はおろか雑草一つ生えてこないだろう。

「少将、早く戻ってきて。酷い女がこっちに来るよ」

 この二日間行動を共にした長身の死神の顔を思い出し、お燐は苦々しく唇を噛んだ。

 灼熱地獄に住み、怨霊を従える術を持つ彼女にとって、旧地獄に巣食う怨霊たちは下僕であると同時に友でもある。特に、少将のように意志を持ち、実体の殻をまとうまでに力を持った怨霊は彼女にとって得難い友だった。

 怨霊達は可哀そうな存在だ。生前耐えがたい苦痛を受け、その恨みを捨てきれないために三途の川を渡れなくなった。誰だって平安な、せめて人並な人生を送ることができれば怨霊になんてならずに済む。

 この世界に、彼らが恨みを晴らす相手はどこにもいない。長い年月の中で、死亡し、冥界へ行き、そして輪廻の彼方に消えてしまっている。

 しかし、彼らはそんなことなど知る由もなく。深い地の底で、恨みを抱えて泣き続ける。

 ――だから、これは千載一隅の機会。

 小野小町を倒し、怨みを晴らすことが出来れば少将を怨霊の頚木から解放することができる。そうなれば、彼は永遠にお燐のモノだ。

 現在少将は、怨霊にとって最適な環境である灼熱地獄跡で己の傷を癒している。彼は怨霊や瘴気を取り込むことで力を増す性質を持っているので、回復にかかる時間はそれほど長くかからないが、それでも追い付かないほど小町の逆撃は早かった。

 少将の傷が完全に癒えるまで、お燐はなんとしても時間を稼がなければならない。

「あんたみたいな酷い女のことは忘れて、少将はずっとあたいと遊ぶんだ」

 中庭に飛び込んできた小町に、火焔描燐はそう告げた。



 中庭に降り立った小町は、すぐにでも突っ込んでいきそうな甘菜を手で制して、一歩、二歩と歩を進める。

「久しぶりだねぇ。とりあえず、元気そうで安心したよ」
「白々しい……ここまで来たってことは、あたいの企みには気づいているんだろ?」

 数時間ぶりに再会したお燐には、猫らしい太陽のような笑顔は全く見られなかった。今の彼女を一言で言い表すなら、獲物を前にした猛獣。ネコ科の動物の特徴である大きな瞳孔が一杯に開かれて、攻撃的な笑みを浮かべる姿はまるで野生のトラを彷彿させる。

 いや、彼女は火車だ。それも灼熱地獄を管理するために怨霊を手繰る術を身につけた火車。戦闘力はトラなんかとは比べものにならない。

「まだ、お前さんが悪霊に取り憑かれて正気を失っている、という線を捨てたわけじゃないんだけどねぇ」
「それ、本気で言ってるの?」

 小町は無言で首を振った。

 今までに経験でいくと悪霊や亡霊に憑かれた者は、こんなに感情を表に出すことはない。もっとボーっとして、なにも考えてないような仕草を繰り返す場合がほとんどだ。

 間違っても、今回お燐が見せたような演技しながら監視するなんて真似はできない。

 今回の一件、結果から見るとお燐一人に、旧都も是非曲直庁も振り回されていたことになる。

「なんでこんな事件を起こした?」
「決まってるじゃないか、同じ女として、あんたみたいな酷い女は許せない」
「なるほどね……確かに、あたいはあいつに酷いことしたのかもしれないねぇ」
「少将のことが嫌いなら、なんでキッパリ振ってやらなかったんだ!? お前のせいで少将はこんな所に落ちてきたんだぞ」
「……お前さんは、本当に私が少将に百夜通いを提案したと思っているのかい?」

 小町が放った一言にお燐は押し黙る。

「お前さんも本当はわかっているんだろう。あいつは……」
「うるさい! うるさい! 少将はお前に百夜通えと言われた記憶がある。お前には、少将に百夜通えと言った記憶がある。違うか!?」

 怒鳴り散らすお燐の言葉に、今度は小町がなにも言えなくなった。

 お燐の言うことも決して間違いではない、悪霊……いや少将は小町と会った記憶があって、小町には少将に会った記憶がある。
 
 共通した知識と意識があるのなら、事の真偽など関係ない。

 それが二人にとっての現実なのだ。

「そうだな、その通りだ、お前さんの言うとおり、あたいは酷い女だ……。しかし、旧都の連中は関係ないだろう。あたいを誘き出す為にとはいえ、なんで甘菜達を巻き込んだ!?」

 甘菜は少将に斬られて右目を失った。勇儀は胸をバッサリ斬られていまだに意識が戻らない。小町の前に派遣された死神たちも半死半生の憂き目にあった。

 小町一人誘き出す為の犠牲としては、被害があまりに大きすぎる。

「知るもんか……。旧都の連中はあんたと同じ、みんなさとり様の力を恐れて無視するんだ。そんな奴らがどうなろうと、あたいの知ったことじゃない!」

 感情を一気に吐き出した反動でお燐は、はあはあと荒い息を吐いた。

「これで、聞きたいことは全部かな?」

 お燐は術を手繰り、手の中に怨霊を呼び寄せる。

「これで、言いたいことは全部かな?」

 小町は肩に担いでいた鎌を中段に構える。

「少将が出てくる前にお前を動けなくしてやるよ!」

 怨霊を集めて作った霊撃を小町に放つ。数は弾幕ごっこの十分の一程度、しかし一発一発に並の妖怪なら骨まで溶かす程の瘴気が込められている。

 その霊撃に向って小町は無造作に突っ込んだ。回避運動すら取らない直線の突撃。

「狂ったか?」

 お燐が正気を疑ったのも無理はない。

 しかし……お燐の放った霊撃は小町にぶつかる瞬間、一発残らず消え失せた。

「にゃ!?」

 ズドン! 重く、鈍く、そして柔らかい音が中庭に響いた。

「胃を打った。子宮を打たれなかったことに感謝するんだね」

 大鎌の柄頭が、お燐の水月に突き刺さっていた。

 お燐は身体をくの字に曲げて悶絶している。

「かはっ……かはっ、げはっ……」

 顔色が赤に、それから紫色に変っていく、お燐は身体がくの字に曲がっているため呼吸すら満足に行えない。

「あたいに、怨霊弾なんて使うからだ。死神が怨霊を手繰る術を使えないはずないだろう」

 お燐にとっては無限に感じるほど長い時間。実際には十五秒程の間隔をあけて、小町は鎌を引いた。

「げええ……うええ……げっ……」

 柄頭からようやく解放されたお燐は、血と吐瀉物と、胃液の混ざり物を盛大にぶちまける。

 彼女が味わったのは、神すら逃れることのできない人の弱点の一つだった。

 妖怪だろうと神であろうと人の姿を取る場合、外見だけでなく内臓器官も人と同じ配置、同じ機能を持つものを用意しなければならない。筋肉や関節がなければ動くことが出来ないし、消化器官がなければ物を食べられない。

 小町のような武術を扱うものは、そうした性質を利用して人体の急所に効率よくダメージを与えることができる。鬼のように肉体が丈夫な妖怪ならそういう攻撃にもある程度耐性を持つが、それでも術で強化された攻撃を身体だけで無効化するのは不可能に近い。

 妖怪退治に弾幕は要らない、武術家にとっては棒きれ一本の方が有効な武器になりうるのだ。

「それじゃ、死体の在り処を教えてもらおうか?」

 小町が死体の在り処を、お燐から聞き出そうとしたそのとき――。

 お燐の背後にあった灼熱地獄跡のから、ひときわ大きい炎が噴き上がった。

「来たか……いいだろう、相手になってやるよ、少将殿」


 *


 中庭に降り立った少将の姿は、昨夜とは全く違っていた。

 体格や顔立ちから、少将であることは間違いなさそうだが、今の彼は宮中で身につける束帯ではなく、戦で使う具足を身にまとい、右手には太刀でなく薙刀を握っている。

 肉体を持たない悪霊に鎧の意味があるとは思えない。

 きっと、この姿はこの場でケリをつけようと思う彼の決意の表れなのだろう。

「うおぉぉ!」

 少将は手のひらに黒い光を集めて、空中から小町に向って霊撃を放つ。

 ルーミアが発する闇より遥かに禍々しい黒い光の球を、小町は後ろに飛んで回避した。

 小町をお燐から引き離した少将は、二人の間に着地する。

「ダメだ……少将逃げて。こいつは……この女は強すぎる」

 喋る度に横隔膜が、小町に打たれた胃を圧迫して水月に激痛が走る。それでもお燐は、絞り出すような声で少将に逃げるように懇願した。

 しかし、少将はお燐の言葉を無視して薙刀を下段に構える。

「少将……そんなに、あの女のこと……」

 あくまで小町にこだわる少将に、お燐の表情が暗く沈む。

『――違う』

 落胆するお燐と少将を見比べながら、小町は彼の反応に今までと違うモノを感じていた。

 今までの少将は小町の姿を見ると、赤い布に興奮した牛のように突撃してきた。少将は恨みによって、自我と実体を作り出しているので猪武者になったとしても何の不思議はない。

 しかし、さっき行った攻撃は違う。上空から放った霊撃は小町を傷つけるためではなくお燐から引き離すために放たれたもの、今も薙刀を下段に構え守りを固めている。

 下段は、攻めてくる相手の動きに合わせて素早く突き足払いを繰り出せるが、攻める際には得物を一度振り上げなければならないため、守りに向いた構えだといわれている。

 殺したいほどに小町を憎む少将が、守りを固める理由は一つしかない。彼はお燐を守るつもりなのだ。

『喜びな、最後の最後で、少将殿はお前さんを選んだみたいだよ』

 この瞬間、少将のために殺しさえ厭わなかったお燐の思いがようやく報われたのかもしれない。

「こうして話をするのは、一一〇〇年ぶりってことになるのかねえ」

 守りに入った少将を見て、小町は構えを解いて話し始める。敵を前に、信じられない行為だったが、彼女の表情はいたって涼しげだ。

「まったくバカな男だよ、女の為に悪霊にまで身を窶しちまうんだからさ。一応、あたいにも責任はあると思うから色々考えたんだ、どうすれば少将殿に向き合えるか? どうすれば少将殿に償えるか……結局、一つしか思いつかなかった」

 無造作な足取りで、小町は少将に接近する。

 下段で待ち受けていた少将は、接近する小町に足払いを仕掛ける。

 ガチンと鋼同士が火花を散らす。間一髪で、小町は少将の足払いを受け止めていた。

「……読めた。武芸の腕は相変わらずイマイチみたいだねぇ」

 大鎌の刃と柄で挟み込んで、小町は薙刀の動きをロックする。

 少将は力任せにロックされた薙刀を引っこ抜こうとしたが、その隙をついて小町は蹴りを繰り出した。蹴りに不向きな下駄履きにも関わらず、鞭のようにしなやかな蹴り足が顔の中央を捕える。

 小町の蹴りで鼻の骨を砕かれた少将は、崩れ落ちるようにその場で尻もちをついた。

「立ちな、お前さんの恨みはこの程度じゃないんだろう? 結局、あたいに出来るのは少将殿の思いを全力で受け止めてやることだけ。だから徹底的にやり合うとしようじゃないか」

 呼びかけに答えるように、小町に砕かれた鼻が再生していく。もともと、実体の殻をまとっただけの存在なので、この程度の再生は朝飯前だろう。

 立ち上がった少将は首だけで振り向いて、低く鈍い声で――。

「さがれ」

 と、お燐に向けて、低く籠った声で言葉を発した。

 ポカンと口を半開きにして、お燐は押し黙る。

 恨み以外の感情に乏しい少将が人の言葉を発することは、通常なら考えられない珍事といえた。お燐ですら、少将の言葉を聞いたのは初めてのことだ。

「わかったよ……少将」

 少将が自分を気づかう為に恨み以外の意志を発した。その重大さを何よりも知るお燐は、言葉に従い巻き込まれない場所まで後退する。

 お燐を気遣う少将の態度に、小町は思わず笑い出した。

「なるほど、なるほど……甘菜も巻き込まれないように注意するんだよ。まっ、お前さんなら問題ないだろ」
「了解。これは、小町の戦いみたいだからせいぜい見物させてもらうよ」

 小町と少将の間に浅からぬ因縁があることとを感じた甘菜は、空気を読んで二人と距離を取った。

 心配は無くなったといわんばかりに、少将は薙刀を腰の高さから真っ直ぐ敵に向ける。これは中段と呼ばれる構え方で、薙刀の基本といわれている。突き出した薙刀で相手を牽制しながら攻防を展開できるため、非常にバランスの良い立ち姿といえる。

 今では女子の武器というイメージを持つ薙刀だが、戦国時代に槍に取って変わられるまでは戦の主役は少将の持つ薙刀だった。柄の長さ二メートル、刃渡り五〇センチに達する長柄は明らかに小町の大鎌よりリーチがある。長柄武器の性能は長さに負う部分が大きいので、武器の勝負ではすでに負けていることになる。

 小町は全身満遍なく脱力し、『死神の大鎌』の術によって白く光る大鎌を相手には向けず、右手一本で保持して柄頭をつま先の手前に降ろす。これは、大鎌だけでなく長柄武器全般に共通する自然体の姿勢で、あえて構えないことで敵に動きを読まれることを防ぎ、また無理のない姿勢で全身を脱力しているため、あらゆる技を最速で繰り出すことができる。反面、攻防の準備が事前に出来てないので対応を間違えやすい欠点があり、攻防の判断を的確に行える上級者向けの立ち方と言えた。

『思うとも我も貴方も夢しずく全て忘れて今は踊らん』

 静かに、しかし朗々と小町は歌を口ずさんだ。自分と少将の奇跡的な出会いに対する、祝福と呪い。その両方を想った時、彼女は無意識のうちに一首諳んじていた。

「うおおお!」

 歌に反応するように、少将が攻め込んでくる。薙刀のリーチを活かすため柄を大きく持って、太刀では考えられない間合いから袈裟懸けに振り下ろす。

『速い!』

 繰り出された斬撃は、今まで見た中で一番速く鋭かった。冷静さを取り戻すことで、手の内を絞める、刃筋を立てるといった、細かい、しかし非常に重要な技術を取り戻している。

 少将の攻撃に対し、数十分の一秒で小町は決断した。

 前へと――。

 次に起こった出来事は、見る者全てが首を傾げるような理不尽なものだった。

 少将の斬撃が小町を捉える寸前、彼女はすり足で右側に跳び込んで攻撃をかわし、腰を大きく捻って脇腹に大鎌を突き立てた。

 半ばまで刺さった大鎌を引き抜くと、その傷口からブワッと瘴気が噴出した。耐えきれずに少将はその場で膝を着く。

「そっ、そんな!?」

 あまりの理不尽にお燐が悲鳴をあげる。

 少将の袈裟懸けは十分に速かった。小町の動きは遅くはないが、人知を超えるほど圧倒的なものではなかった。小町が跳び込んで反撃するのは織り込み済み、お燐の見立てならそれでも相討ちは取れる筈だった。 

「相討ち狙い……悪くはないけど、それじゃあたいには届かないねぇ」

 実体を持たない悪霊のタフさを生かし、一切の防御を捨てて相撃ちを狙う。少将の技量が小町に劣る以上、その戦術は決して間違いではない。

 だが、その選択をあざ笑うように小町は片手でクルクルと振り回して、大鎌に纏わりついた少将の瘴気を払う。

「次だ」

 先ほどと同じように自然体で待ち構える小町に呼応して、少将は立ち上がった。

 しかし、次に行われた攻防の結果も同じだった。

 一文字に薙ぎ払った一撃が届く寸前、小町は右手一本で大鎌を繰り出して少将の喉笛を切り裂いた。

 今度は柄に払われて小町の身体は右に大きく吹っ飛ばされたが、喉笛を切り裂かれた少将の被害は比べものにならない。

 起き上った小町はケロリとした顔で、さっきと同じように構える。

「少将殿、アキレスと亀って知っているかい? さあ、次だ……」

 この場に居る他の三名が『ゼノンのパラドックス』を知っているはずも無かったが。攻撃が届かない理由が小町の能力であることを理解して、一様に……悪霊である少将すら息を飲んだ。

 小町が使っているのは、距離を操る程度の能力に『アキレスと亀』で有名な『ゼノンのパラドックス』を組み込んだ妖術で、小町に向ってくる攻撃に対して『アキレスの亀』の仮定と同じように移動する距離を半分に区切り続けることで攻撃を届かなくする。物理法則に大きく干渉する術なので長時間使い続けることはできないが、一秒に満たない時間の起動を連続して行うことで、今のようにあらゆる攻撃に対して後の先を取ることが可能になる。

 喉の傷を再生した少将が、ユラリとした動作で立ち上がる。

 少将の雰囲気に不穏なものを感じて、小町はその様子を注意深く観察した。

 相討ち狙いが二回とも失敗している以上、彼が攻め方を変えてくる可能性は非常に高い。一番に考えられるのは、霊撃を織り込んだ攻撃だ。ただし、小町が今使っている術はたとえ霊撃であっても当たり判定に干渉することができる。

「ちぇええい!」

 立ち上がった少将の取った行動は、小町の予想とは少々異なっていた。彼は霊撃を放つのではなく、薙刀を担ぎあげる八相の構えから間合いギリギリで振り下ろしてくる。

 リーチにおいて相手に勝る場合、自分が一方的に攻撃できる間合いで仕掛けるのは悪い選択肢ではない。小町に懐に飛び込まれて痛い目を見ている現状では尚更だろう。

 しかし、こういう動作の大きい攻撃は相手にかわされるとリカバリーの利かない大きな隙を作ることになる。

 術を使うまでもなく、小町は薙刀の間合いを紙一重で見切って後退する。斬撃が通り過ぎれば、大鎌の刃をどこでも好きな所に叩き込むことができるはず……。

「きゃあ!」

 斬撃をかわしたはずの小町に予想外の痛みが襲ってくる。斬られたとき特有の鋭い痛み、そして続けて襲ってきた衝撃に彼女はその場に倒れ伏した。



 鳩尾から発せられ、脊椎を通って背中から飛び出しそうな痛みに歯をくいしばって耐える。
 
 それを支えるのは『この勝負だけは見届けなくてはならない』と思う使命感。

「……勝った……少将が、勝った……」

 声にならない声で、火車の娘はつぶやいた。

死神の女が崩れる。

 その光景をお燐は一瞬、自分の作り出した都合のいい妄想じゃないかと錯覚した。
 
 それくらい、小野塚小町は強かった。距離を操る程度の能力、操霊術、超人的な武術の腕、お燐にはとっての理不尽の象徴みたいなものだった。

 しかし、勝ったのは少将だ。
  
 千年を超える怨みの果てに、彼が身につけた恐ろしい能力の存在に小町は気づきもしなかっただろう。百夜通いの最後の一夜で力尽き、思いを伝えることの出来なかった少将の身につけた能力の名は。

『想いを伝える程度の能力』

 例え神であっても、少将の思いからは逃れることはできない。そして、彼が小町に対して抱く思いは強烈な怨みだ。

 少将を激励しようと立ち上がったお燐は、そこで信じられないものを見た。

「勇儀……もう回復したの!?」

 お燐が目撃したのは、少将に斬られた星熊勇儀、そして彼女を支えながら飛ぶ黒谷ヤマメの姿だった。



「小町起きろ!」

 背後から聞こえてきた意外な声が小町の意識を覚醒させた。

「この声は……まさか勇儀か?」

 首だけで声のした方向に振り向くと、甘菜の傍にヤマメと彼女に肩を借りて立つ勇儀がいた。まだ胸の傷が塞がっていないらしく、勇儀は上半身に万遍なく包帯が巻かれ、肩に白い襦袢を引っ掛けている。

「これはお前の喧嘩だろうが。譲ってやるからシャンとしな」

 一人では立てないほど消耗しているくせに、勇儀は好き勝手な激励を浴びせてくる。

「まったくオチオチ、寝てられないねぇ」

 激励に答えるべく、小町は上半身で反動をつけて無理やり起き上った。地面に立った瞬間、衝撃で傷口がビシャンと激しい痛みを発し、彼女は一瞬だけ自分の無茶な行いを後悔した。

「だいたいお前さんは怪我人だろうが、なんでノコノコ出てきたんだ? ヤマメも、寝かしてないとダメじゃないか」
「心配だからに決まってるだろう。案の定、苦戦してるじゃないか」
「まっ、そういうことだよ。私じゃ姐さんを止めるなんて無理だからね。精々頑張れ、怪我したらまた小町さんも縫ってやるよ。麻酔無しだけど」

 悪びれもせずに軽口をたたく勇儀とヤマメの姿に、小町は安堵して息を吐いた。

 鬼の生命力の強さに感心すると同時に、大怪我をしているのに地霊殿まで出向いてきた勇儀の律義さに感動を超えて呆れてしまう。しかし、彼女達から発せられる無遠慮な激励で、ずいぶんと気分が軽くなった。無用の緊張が落ちることによって、身体が軽くなったような気さえしてくる。

 振り返った小町の視界に、薙刀を構える少将の姿が見えた。何秒気を失っていたかは定かでないが、手心を加えてくれたことは間違ないようだ。

 続けて、自分の怪我の状態を確認する。

 右肩から鳩尾まで、綺麗に赤い線が走っている。ただし、思ったより出血はたいしたことない。現状は斬られた部分からジクジクと染み出す程度で、もう血は止まりかけている。骨にも異常はないらしく、多少ひきつる感じはするが右腕を動かすことも可能だ。

『戦闘続行は可能か……』

 自分の体がまだ動くのを確認し、小町は決意も新たに少将に大鎌を向けた。

「少将殿……悪いが、手加減する余裕はなくなった。これで決めさせてもらうよ」

 少将が薙刀を担ぐのを確認すると、小町は迷わず前に飛び出した。

 少将の放った術に対して、小町は二つの推論を立てた。

 一つは術の弱点について――。

 傷口から察するに、遠当ての威力では肉は切れても骨までは断てない。これは切り札としてはいささか頼りない威力だ。勇儀や小町相手に積極的に使わなかったのも、この威力不足が原因だろう。

 もう一つは術の特異性――。

 件の術は、小町の使っていた当たり判定に干渉する術の効果を全く受けなかった。また甘菜が食らった遠当ても同じものの可能性が高い。死神と鬼では身体の頑丈さが段違いなので、小町の骨も断てない威力では鬼にかすり傷程度のダメージしか与えられないハズだ。にも関わらず、小町と甘菜の両者に似たような傷を与えていることから、あの術は敵の持つ防御をすり抜ける性質を持っている可能性がある。

 その仮定が正しいとしたら……少将に振らせた時点でアウトだ。

 たとえ威力不足でも、連続して食らったり、顔に直撃したりすれば即座に戦闘不能になってしまう。

 だから、小町は……もう振らせないことにした。

 距離を操ることによって一瞬で詰め、薙刀が振り下ろされる寸前に大鎌の先端で柄を下から突き上げた。

 それはまさに、鎌ならでは防御法だった。

 振り降ろされる長柄を槍や棒で下から突き上げるのは非常に難しい。例えるなら、斬撃を銃弾で受け止めるようなものだ。

 しかし、鎌の場合、刃を横に寝かせることによって横方向の比較的広い範囲をカバーすることが可能になる。

 下から突き上げられて、少将の重心が僅かに後方に流される。

 迷わず小町は大鎌を振り返して、柄頭を少将の顎に叩きつけた。

 流石に打撃程度では沈まないらしく、少将は体勢を立て直して再び薙刀を担ぎあげる。

 しかし、小町はこれ以上、少将に振らせる気はない。

 右手一本で大鎌を繰り出して、踏み込んできた軸足に大鎌の刃を引っ掛ける。

 足を斬られた少将は次に逆一文字に薙ぎ払おうと試みるが、小町は薙刀がスピードに乗る前に鎌の刃を立てて再び柄を突く。

 横の一撃を払われたことで、少将の重心は大きく後方に崩れた。

「これで終りだ!」

 小町は左手の中に怨霊を集め、作り出した怨霊弾を少将の顔面に直接叩きつけた。

 ドン! と鈍い爆発音が響きわたり、頭部を丸々吹き飛ばされた少将はその場に崩れ落ちた。



「はぁ、はぁ、はぁ……」

 地霊殿の中庭に小町の荒い呼吸の音だけが響き渡る。

 絶対に相手に振らせてはいけない状況で、常に相手の先を取り続けるのは想像を絶する重労働だった。息つく暇すらない攻防の連続に脳と肺が激しく酸素を欲している。

 彼女は大鎌を中段に構え、十秒以上経っても残心を解こうとはしない。何しろ相手は悪霊だ、気を抜いた瞬間に後ろから撃たれるなんて事体はシャレにならない。

「……すごい」

 沈黙の中、最初に口を開いたのは勇儀だった。彼女は千年以上生きる大妖怪だが、剣ならともかく長物同士の戦いで、敵の攻撃を全て先で制するなんて絶技を見たのは初めてだ。

 甘菜とヤマメは何が起こったのか理解すらしていない。

 全員が見守るなか、少将の身体は色を失い実体を失っていく。少将の状態は勇儀に殴られた時と同じだ。傷口から力の源である瘴気が流れ出し、実体の殻がその存在を保てなくなっている。

 最初に行動を起こしたのは、やはりお燐だった。

「少将、少将……」

 彼女は満身創痍にも関わらず、目に涙を浮かべて少将に歩み寄る。

 しかし、小町がお燐に得物を突き付けて眼も前に立ち塞がった。

「邪魔をするな、死神!」
「邪魔をするさ、ここまで追い詰めたのにまた回復されちゃ堪らないからね」

 しばらくにらみ合い、それからお燐はその場にうな垂れた。どんなににらんでも、恨んでも、火焔描燐は小野塚小町に敵わない。

「もういいだろう……死体の在り処を話せ」
「いやだ!」
「こいつは十分に苦しんだ。これ以上、こんな所に留め置くのは、お前のエゴだ」
「うるさい、少将はあたいのものだ!」

 エゴといわれて、お燐の頭の中は真っ白になった。理解しているはずの状況判断を忘れて、小町に霊撃を放つ。

「馬鹿野郎!」

 至近距離で放たれた霊撃を小町は何の苦もなく回避した。術で当たり判定に干渉したため、お燐には霊撃がすり抜けたように見えただろう。

 後の先を取って、小町は柄頭でお燐を突いた。

「かは……げほっ、けほっ……」

 腹を押さえてお燐はその場にうずくまった。

「う、うああああん!」

 うずくまったまま、お燐は泣き始める。身体の痛みと、少将を失った喪失感と、自身の無力さに対する怒り。それらの感情がない交ぜにして彼女は激しく嗚咽する。

「小町、やりすぎだぞ」

 小町がお燐を突き飛ばすのを見て、離れて見ていた三人が慌てて駆け寄って来る。

「大丈夫、急所は外しているよ」

 さすがに二度もお燐の内臓を打つ気にはなれなかった。やり方は間違っていたが、彼女の想いだけは理解できるような気がする。

「それでも、女の子の腹なんか打つんじゃないよ……顔色もかなり悪いじゃないか」

 泣きじゃくるお燐の傍に跪いて、ヤマメは背中をさすっている。

「制裁のつもりで、一発胃にぶち込んだからね。ちなみに、今回の騒ぎの黒幕はお燐なんだけど、どうする?」

 小町の問いに、勇儀と甘菜はそろって首を振った。

 幼子のように泣きじゃくる少女を断罪する気にはなれないらしい。

「とすると、後の問題は死体か……お前さん達、悪いけど死体探しを手伝って――」
「その必要はありません」

 セリフを遮るように、静かに澄んだ声が聞こえてきた。

「少将の核になる死体の在り処は、私が知っています」

 小町の胸の内を勝手に吐露しながら、地霊殿の主・古明地さとりが姿を現した。

「古明地さとり……いまま――」
「小町さんの戦いを邪魔しては悪いと思い、影からこっそり覗いていました。逆上したお燐に少将をけしかけられたら堪りませんし」
「じゃあ、こん――」
「お燐が首謀者だと知っていたら、さすがに止めていましたよ。前回といい、今回といい、私はペットに好かれていないんですかねぇ」

 お燐が隠れて悪事を働いていたことに、さとりは嘆息する。

「腹の立つ女だねぇ」

 相手のセリフを遮りながら話すさとりのスタイルに、慣れない小町は苛立ちを隠せない。

「地霊殿を家探しするより、私に案内させた方がいいと思いませんか? 小町さんも出来れば、例の死体を他の方に見せたくないでしょう。何しろ正体は……」

 途中まで言いかけて、さとりは言葉を止める。

「賢明だね、言ったら殺していたよ」

 殺意の込めた視線で、小町はさとりをにらみつけていた。



 周囲をステンドグラスに覆われた廊下を、さとりに先導されて小町は歩いていた。

 死体の正体は極度に小町のプライバシーに関わるため、旧都から来た三人には遠慮してもらった。

 正直、さとりは信用が置けない存在だったが、小町の煮えくり返った腹に内を読めるなら下手な真似はしないだろう。

「あの死体を小町さんに引き渡したら、私は妹に恨まれてしまうかもしれませんね。あの死体、妹のお気に入りなんですよ」
「死体コレクションか、悪趣味としか思えないねぇ」

 さとりの妹、古明地こいしはお燐が集めてきた死体の中で気に入ったものをコレクションして、地霊殿の一室に陳列しているという話だった。

「私もまさかコレクションを核に悪霊が誕生するなんて思いませんでした。今度、やめるように説得してみます……多分、無駄でしょうけど」

 さとりが小町の心理を勝手に話す、会話ともいえない会話を続けているうちに、目的の場所に到着する。

 死体コレクションの陳列場所は、ホラーハウスや蝋人形館を百倍ほど不気味にしたような空間だった。
 
 講堂を思わせる広い空間にガラスケースと結界に保護された死体が所狭しと、並べられている。

 目的の死体はすぐに見つかった。雛段を思わせる一段高い場所に陳列されていたからだ。
 
「さすがに美形ですね。あの子が気に入る理由もわかります」

 死体は小町の予想とは全く違う姿をしていた。オシロイを塗りたくったような青白い肌で、眠るように両目を閉じた姿はどこかの亡霊を連想させる。

「見事なものでしょ、この死体を復元したのはお燐なんですよ。骨格をベースにその人間が最も美しかった時間を再現するんです」
「御託は十分だ」
「そうですね、小町さんが見ても腹立たしいだけですね」

 大きく深呼吸して精神状態を整え、小町は静かに手のひらを合わせた。

 怨霊弾を高出力でぶつければ、この死体を骨も残さず消し去ることができるだろう。

『花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに』


 *


 こうして、小町の冒険は終焉を迎えた。

 小町が少将の魂を彼岸に連れて行ったことで、旧都、是非曲直庁を巻き込んだ騒動は一応の終焉を見た。

 首謀者のお燐には、主のさとりによって地霊殿への無期限の自宅謹慎を言い渡された。

 ほぼお咎め無しに近い処分だったが、少将を失い泣き崩れる彼女の姿を知る勇儀達はそれ以上の断罪を求めなかった。

 小町が帰る直前、同じくさとりのペットらしい地獄カラスが必死に慰めていたが、旧都で見た太陽のような笑顔が戻るのは当分先になるだろう。

 後日、お燐の証言によって得られた情報によると。事の発端は、三か月前に起こった地霊騒動までさかのぼるらしい。

 お燐の手によって、地上に解き放たれた怨霊の中に少将が混ざっていて、彼は地上に出た際に小町を目撃、怨みの対象を見つけたことで自我と能力が大きく活性化することになった。

 核となりうる死体が地霊殿にあったことも含め、人の縁は本当にどこで繋がっているのかわからない。



「ところで、なんで彼は小町を目撃することになったんでしょうか? 怨霊達は博霊神社の周辺にしかいなかったから、普通に考えると小町に出会うはずもないんですが?」

 満面の笑みで四季は小町を問い詰める。

 四季の容姿は幼い少女そのものなのでプリプリ怒っていてもそれほど怖くないのだが、逆にこうして笑顔だと普段の反動もあってとても怖い。

「あ~、それはですね……温泉が出たって噂を聞いて、寒いしひとっ風呂浴びようかなと思ってですね……もちろん休みにですよ。そもそも、怨霊に知り合いがいるなんて予想出来るわけないじゃないですか!」

 小町は映姫の対面で正座させられていた。

 無縁塚の地面に直接座らされているので、小石が当たってかなり痛い。

「風呂って……地下の怨霊が溢れて混乱しているときにホイホイ出ていくなんてあなたは馬鹿ですか! あなたの無責任な行動がなかったら今回の騒動は起こらなかったんですよ」

 映姫は持っていた悔悟の棒で小町の頭をペチペチと叩いた。あまり強く叩かないのは彼女なりに不可抗力だったのも認めているのだろう。

「小町……私はあなたに残酷なことを課してしまったんでしょうか?」

 不意に声のトーンを落として、映姫は悲しそうな顔になる。

 彼女は、小町に過去の因縁との対峙を強いたことを少なからず後悔していた。死神だって心があるし、知らない方が幸せなこともこの世にはある。

「お気持ちは嬉しいですが、やっぱり少将殿との決着はあたいが付けなきゃダメですよ」

 無意識のうちに小町は映姫の頭に手を伸ばしていた。映姫の身長は正座する小町より若干高いくらいしかないので、手を伸ばせば届いてしまうのだ。

「こっ、小町いきなりなにを!」
 
 不意に頭を撫でられた映姫は真っ赤な顔をして後退する。

「いや、四季様が可愛いなあと思いまして」

 上司であることも、年上であることも、当然小町は了解している。

 しかし、こうして照れた時の反応はいつまで経っても見た目相応の少女のままだ。こんな反応を見せてくれる限り、小町が彼女を嫌いになることはないだろう。

 二人の間の、ほのぼのとした空気に誘われるように一体の幽霊がフワフワと近づいてくる。

「小町、話はここまでです仕事に戻りなさい」
「合点です」

 映姫の言葉に、小町はすぐさま立ち上がった。
 
 さすがに本業を止めてまで説教をする気はないらしく、映姫も鞘を納めてくれる。

「コホン……今回の件、原因はともかく、解決にあたってあなたの活躍が目覚ましいものだったのは間違いないでしょう。私が奢るので、仕事が終わったらお酒でも飲みに行きませんか?」
「了解です四季様」

 映姫と酒を飲む約束を取り付けた小町は、上機嫌で幽霊の元へと向かう。

 小町を待っていたのは白い幽霊だった。真っ当に生きて、真っ当に死んだ男の霊。人里の方に行けば、葬式か初七日の行事をやっていることだろう。

 悪霊と怨霊に振り回された三日間があまりに強烈だったので、目の前の無害な幽霊が別の意味で新鮮に映る。

 彼岸へと向かう船の中で、男の霊は残してきた女房ともう会えないのが寂しいとつぶやいた。

 この言葉に、小町は即座に切り返す。

「これは理屈じゃないけどね。一度、繋がった縁はどんなに細くてもどこかで繋がっているんじゃないかと思うんだ。この世は合縁奇縁、転生を繰り返せばそのうち再会できるさ」

 春風を受けながら小町は船を漕ぐ。

 幻想郷は今日も平和である。
『思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを』

 古今和歌集に掲載された小野小町の代表作の一首です。
 先人の名歌を諳んじることが風流とされた時代、女性でありながら多くの亜流を生み出した彼女の文学的才能は、やはり卓越するものがあったんだと思います。

『乙女は夢見るときも恋をする』
 こんな情熱的な歌を詠みながら、多くの貴公子達を袖にした彼女の想いは誰に向かっていたんでしょう。


 *


 まず最初に、こんな駄文に最後まで付き合って下さった方々、とっても、とっても、ありがとうございます。
 こまっちゃん≒小野小町説の1アイディアから書き始めたんですが、なんだかえらい暴走してしまいました。
 次はもうちょっと地に足を付けた話を書きたいです。

 追伸
 
 お燐ファンの人、本当にごめんなさい。
 別に彼女に悪意があるわけではありません。
 ただ、設定的に彼女に知られずに事件を起こすのは不可能だ、という結論に達したので話の盛り上がりに寄与する意味で泥を被ってもらいました。

 7/5

 誤字修正しました。
 ご指摘、ありがとうございます。

 さとりは能力を恐れられて地霊殿に引き籠った設定なので、お燐達も旧都の妖怪に良い印象無いかもって思ったんですが、事件の質が危険すぎるのでちょっと行動が無茶だったかもしれませんね(;-_-)
 ただ、彼女が善玉だと悪霊の正体を即座に見破って、こまっちゃん降りてくる前に決着つきそうだったので……。

 戦闘シーンに関しては要修業ですね。
 筆者は少年漫画汚染率が高い割に、筆力が大したことないので。
 なぎなたの資料とか見てそれっぽくならないか試してみたんですが、盛り上がる構成を書くのって難しいです。

vg69_kai@jk2.so-net.ne.jp
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コメント



0.490簡易評価
1.90煉獄削除
小町と燐・少将の戦闘など面白かったです。
勇儀たちとの戦闘なども良かったですし、そのあとの会話や小町を庇って
怪我をする状況など色々と見応えがありました。
小町も格好良かったと思いますし、お燐も良かったですよ。

誤字の報告
>小町の叫びに呼応するように、鬼の方向がこだまする。
『鬼の咆哮がこだまする。』ではないでしょうか?
2.60名前が無い程度の能力削除
戦闘シーンがひたすらに幼稚だった。技や能力の解説とかもう……。
でも面白かった。
誤字とか気になったとこ
退治された→退治を依頼された
的を得た→的を射る、が今のところ正しい表現みたいです
「うおおおお!」キチガイのような~→キチガイって強烈な言葉にしては普通の叫び声
                  すぐ後の「疾走」「スラリと」とかも合わない気が
青白いお通り越して→青白いを
6.60名前が無い程度の能力削除
なんというか、物語の流れは良かったのにあちらこちらで違和感や説明不足を感じました。

バトルシーン終盤の集合がワザとらしすぎるように感じました。
怨霊の能力も形勢を逆転させた割にあっさりめというか。

それにしてもお燐は情が似合うな。
悪女として振舞うのもいいけど、地霊殿外の旧都の輩に対して敵対意識を持つに至った説明がもっとあった方がいいと思いました。
激情に駆られて何振り構わなくなった、というのでも充分かも知れませんが、小町が来るのが遅くなり多くの被害が出た場合、下手をすれば是非曲直庁との関係や、地底において地霊殿やさとりの立場が危うくなる訳ですし。
仲間を心配して間欠泉に怨霊を混ぜる程に情に厚いお燐らしいとも言えますが、だからといって思慮が浅くなるとは限らないとも思います。
お燐が好きになった理由なんてかんけーね、恋が狂わせた、以上語る必要も無いのかも知れませんが。
歴史上の人物に準える着眼点や、普段は頑張らないこまちの本気をストーリーは面白かったで少々残念です。
次回作に期待したいです。

あ、あとタグがネタバレ
7.80名前が無い程度の能力削除
面白かったです、ちょっと誤字脱字が多いのが残念。

旧都の妖怪はみん大内裏の→みんな大内裏?
茨城童子→茨木童子
お燐は勇儀は自分で→勇儀は
妖精はとは→妖精とは
9.80名前が無い程度の能力削除
のんびりとした導入部から、甘菜、勇儀、少将と緊迫度を増していく戦いを重ねて、
内裏、地霊殿へのクライマックスに繋げ、最後はさとりが幕をひく。
優れた構成力に感服しました。
決着となる戦いも、弾幕戦を生かしつつ(時代的、技能的に)近接戦闘中心の少将と小町の見せ場を勘案していてなかなか見事だと思います。

それだけに、誤字がちょっと残念です。
(私の勘違いでしたらすみません)

本来は閻魔として威厳をもたせるための装飾多可なのだが、
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本来は閻魔として威厳をもたせるための装飾過多なのだが、

小町が退治された悪霊は、人妖を問わず若い女の姿をした者を襲うのだ。
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小町が退治を依頼された悪霊は、人妖を問わず若い女の姿をした者を襲うのだ。

薄っすらと感じられる勇儀の力は、
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うっすらと感じられる勇儀の力は、
または
薄らと感じられる勇儀の力は、

敵の追撃を防ぐために小町は気手繰る、
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敵の追撃を防ぐために小町は気を手繰る。

着物の白地が地に濡れて黒く変色し、
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着物の白地が血に濡れて黒く変色し、

顔は青白いお通り越して土気色になっている。
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顔は青白いを通り越して土気色になっている。

振り降ろされ長柄を槍や棒で下から突き上げるのは非常に難しい。
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振り降ろされる長柄を槍や棒で下から突き上げるのは非常に難しい。

少将体勢を立て直して再び薙刀を担ぎあげる。
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少将は体勢を立て直して再び薙刀を担ぎあげる。

ほのぼのとした空気に誘われるように一体の幽霊はフワフワと近づいてくる。
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ほのぼのとした空気に誘われるように一体の幽霊がフワフワと近づいてくる。
11.100名前が無い程度の能力削除
誤字脱字や多少状況の説明不足があるにしても、物語の優れた構成力でカバーしていて十分面白かった。
12.80名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
14.100彼岸削除
久しぶりに良いものを読ましていただきありがとうございます。