Coolier - 新生・東方創想話

アイオンの雨

2009/06/10 23:20:02
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・新月


「あ、あのっ、すみません!」
 月の無い夜。
 日付が変わろうかという頃、診療所に人がやってきた。
「はい? どうかしたのかしら」
 常備薬を作っていた私は、作業の手を止め立ち上がる。
「もしかして急患?」
 通常、夜間は白沢の娘が付き添いとしてやってくる。
 緊急性が高い場合は彼女だけの場合もある。
 当然だ。幻想郷の夜は妖怪の天下なのだから。
 だが、辺りに彼女の姿は見えない。
 どこか奇妙なものを感じつつも、私はランプを片手に訪問者へと歩み寄った。

 近づくと、訪問者は若い男だということが知れた。
 肉付きは薄く色も白い、この地においては珍しい部類の青年。
 窓際で本でも読んでいそうな外見だが、彼の体からは饐えた臭いが漂ってきていた。
 余程長い間竹林で彷徨っていたのか、あるいは単に不潔なだけか。
 泥に塗れた格好から察すれば、恐らくは前者なのだろう。
 その臭気が不快なことに変わりないのだが。

「いえ、急患とか、そういうわけではないんですけれども」
 予想の範疇ではあったが、私の問いかけは否定された。
 とすれば、道に迷った末に辿り着いたのがこの場所なのだろう。
 筍狩りといった風体でもないし、誰かに会うために竹林へ踏み込んだか。
 最も有力なのは輝夜の美しさに惑わされた、哀れな遭難者という説だ。
「ええっと……ああ、どう言えばいいんでしょう」
「用件があるなら手短にお願いね。まだやることがあるから」
「輝夜との中を取り持ってくれ」などと言われたら、即座にてゐの罠に放り込む心算で問い質す。
 しかし男の言葉は、予想の範疇とは言え、若干の驚嘆を私に与えてくれた。
「八意先生、僕を弟子にしてください!」





・二日月


 男の名は『健治』と言った。
「実は僕、昔は酷く病弱でして」
 然程多くも無い患者を捌き、空いた時間に彼の話を聞いた。
「そんな時、いつも助けてくれたのが先生なんですよ。覚えられてないだろうな、とは思いますけど」
「子供は多かれ少なかれ病を患うもの。残念だけど、覚えてないわね」
「ですよね」
 実のところ、覚えてはいた。
『健治』という名は『健やかに育ち、波乱のない人生を』という願いを込めて付けたのだろう。
 それが彼の病弱さと一致せず、とても皮肉なものに思えたからだ。
 が、それを言って変に懐かれて困る。

「生憎だけど、私の薬は人に教えられるようなものじゃないわ」
 私はやんわりと、考えを改めるよう勧める。
 大方、助けられた自分が今度は助ける側に立ちたい、といった所だろう。
 けれど私の作る薬は、どれも一つ間違えれば致命的な毒となるものばかり。
 とてもじゃないが、他人に預けられるようなレシピではない。
「いえ。薬については、多分さっぱりなんで……それは問題ありません」
 にも関わらず、健治はあっさりと返してきた。
「じゃあ診断の仕方かしら? それだけを学んでも片手落ちだと思うけど」
 もちろん、診察が出来ること自体は無意味ではない。
 患者の状態や症状から正しく病名を推察出来れば、自ずと対処法も分かるのだから。
 しかし此処に来れば私がいる。
 どんな病もたちどころに治して見せる、名医・八意永琳が。
 跡継ぎが必要ならば弟子も取るが、この身にはそれも不要。
 故に診察だけでは片手落ちと言ったのだが――
「片手落ちでも、先生の役に立てるなら、僕、頑張ります!」
 さっぱり伝わっていなかったようだ。
 仕方なく、もう少し噛み砕いて物を言う。
「弟子になっても雑用ばかりよ。ここで修行したところで名医にはなれない」
 ここまで言えば、如何な夢見がちの青少年とて心挫かれることだろう。
「構いません! 僕、先生の下で働きたいだけですから!」
 どうやら、そう思った私が浅はかだったらしい。





・三日月


「師匠。あれ、どうするんですか?」
 私の傍らで鈴仙が面白くなさそうに呟いた。
「どうするって、見ての通り雑用に使うことにしたわよ」
 ウドンゲもとうとう兄弟子ねと言うと、さらに眉を顰めていた。
 これだけでも彼を取り立てた意味があったというものだ。

「いいじゃない。真面目に働いてくれる分には」
「そりゃそうですけど……姫様に無礼を働いたりはしないでしょうか」
 住み込みである以上、輝夜と接触する機会は当然生まれるだろう。
 輝夜が面白がってからかう可能性もあるが……
「その時は、姫が手ずから処断を下すでしょう」
 最悪のケースが訪れたとしても、私はそれに従うだけ。
 いずれにせよ、輝夜が彼の存在を面白がるようなら万々歳である。

「あなたもてゐのように楽しめばいいのに」
 人間を顎で扱き使うのが余程爽快なのか、てゐは彼にあれこれ命令していた。
 一方で兎たちは気ままに遊びまわっている。
 作業効率は普段の二割にも満たないが、別に急ぎの用もない。
「……やっぱり師匠の考えてることはよくわかりません」
 鈴仙は、今日何度目かになる溜息をついていた。





・七日月


「いやあ、素直に言うこと聞く部下って本当いいものですね、お師匠様」
「てゐもあのくらい素直なら便利なんだけどねえ」
 てゐは明後日の方を向いて口笛を吹く。
 彼女が言う素直な部下とは、イナバたちに混ざって掃除をしている彼のことだろう。
「兎に混じってるとやっぱり目立つわね」
「さぼってないかも一発でわかりますから。その辺りは任せてください」
「任せなくても好きに使ってるじゃない」
 いちいち命令を下すのも面倒だから構わないのだが。

「そういえば、彼がやってきて一週間も経つのね」
 日数を指折り数えてみると、あっという間にそれだけの日数が経過していた。
「そうですねえ。あの人間、たった一週間でずいぶん馴染みましたよ」
 鈴仙には毛嫌いされているが、イナバたちとは上手くやっているようだ。
 見方によっては鈴仙の孤立具合が更に際立ったことになる。
 予想外、且つ、面白い展開だ。

「彼は弱音や愚痴を零したりしてないかしら?」
「ありゃ? お師匠様でも人の心配をするので?」
「いいえ。ただの、用済みになった時のためのリサーチ」
「わぁ、素敵ですね。んーっと……そうそう、雑用ばっかりで気が滅入るって言ってました!」
「そう」
 どうやら、まだ弱音は吐いてないらしい。
 見た目に反して堅固な意思を持っているようだ。
 彼の名の健治が転じ、堅持の意を宿したのかもしれない。
 それならば彼が病弱なのも頷ける。

「首切りはいつごろするんですか?」
 目を爛々と輝かせながらてゐが尋ねてくる。
「私か、姫の気が向いた時にでもやるわよ」
 今のところ、そのような予定はない。
 一週間後か、一ヵ月後か、あるいは一年後か。
 いずれにしろ、長い付き合いになることはないだろう。





・十三日月


「永琳。健治、また借りるわよ」
「ええ、どうぞ」
「ああ、姫様、引っ張らないで下さい! せめて、せめてこれを運ぶまでは……!」
「そんなのイナバに任せなさいな。さあ、さあ」
 ……輝夜は彼のことをいたく気に入ったようだった。
 この所、夜ごと部屋に招じ入れては遅くまでつき合わせているらしい。
 団扇で扇がせながら怪談を吹き込むと面白い反応が返ってくるのだという。

「あの男に襲われたらどうするんですか」
「その素振りさえないのよねえ。だから面白いんだけど」
 鈴仙の質問に対する輝夜の答えである。
「時の権力者さえ魅了した私に靡く素振りもないなんて、これ以上無い玩具だわ」
 輝夜がそう言っている内は、この場における彼の立場は保障されたも同然だ。
 ただ、輝夜の興味が彼に注がれているのは、少し面白くなかった。





・小望月


「大変よ、永琳」
 開院準備を進めていると、輝夜が小走りで駆け込んできた。
「姫? どうかなされましたか?」
「健治が熱を出して倒れて寝込んでるわ」
「道理で姿を見せないと思ったら……わかりました、診てきます」
「ええ、お願い」

「すみません、お手を煩わせてしまって」
「いいわよ、別に。弟子の不養生を見逃すわけにもいかないでしょう?」
 調べてみれば何のことは無い、原因自体はただの過労だった。
 毎夜、輝夜の夜更かしに付き合わされ、てゐに酷使されていたのだ。
 普通の人間ならば、倒れない方がおかしいだろう。
 この貧弱な体では尚のことだ。
「あまり寝てないようだけど、いつもはどのくらいに寝床へ?」
「ええと……それは」
 答えに窮したのか、目が泳いでいる。
 質問に答えたのは背後からの声。
「最近は夜明け前まで付き合わせていたわ」
 振り返ると輝夜が立っていた。

「私のせいね、ごめんなさい」
 輝夜はしおらしく振る舞い、目尻に涙を浮かべて見せる。
 所謂嘘泣きだ。
「いえ、僕がやわなだけですから、姫様が気に病まれることは」
 そして彼は、それにまんまとひっかかった。
「そう? じゃあそうしようかしら」
「……病人は静かに寝てなさい。姫もあまりからかわないで下さい」
「ごめんなさい、ついいつもの癖で」
 自分の頭を小突き、ウインクする。
 こんな状況でも輝夜は通常運行だ。
「貴方は今日と明日、部屋で静養してなさい」
「でも」
「労力なら他にいるわ。薬も出さないと。食事は……そうね、鈴仙に用意させようかしら」
「えっ」
 れいせん、という四文字に彼の表情が引き攣るのがわかる。
 あまり好かれていないことは自覚しているらしい。
「いいわね、それ。眺めてていいかしら?」
 輝夜も乗り気だ。
「それは、出来れば、勘弁して頂きたいんですが」
「早速鈴仙に指示してきます。健治、大人しくしてるのよ?」
 名前を呼んで強調すると、彼は観念したようだった。





・望月


「それじゃウドンゲ、今日もお願いね」
「はぁい、わかりましたー。全く、なんで私がこんなこと……」
 鈴仙はぶつくさと文句を垂れながらも看病に向かった。
 実地訓練だと言いくるめたのが功を奏したのかもしれない。
 輝夜が悪い看病の見本を意図せずやってのけるのも、彼女にとっては勉強になるだろう。
「……というか、性格が向いてないだけか」
 看病とは、即ち『相手の欲するところを成す』ことである。
 輝夜の場合、看病が押し付けに発展することがままある。
 それでは病人をますます疲弊させるだけだ。

「まあ、長く臥せってたところで不都合もないけど、ねぇ」
 どうせ短い命には変わりないし。
 けれど、昼になっても今日の来院者数はゼロ。
 せめて話し相手でも居れば退屈を凌げたのに、などと思いながら、私は一日を過ごした。





・十六夜


 彼が病床から復帰した日。
 傍らに彼を引き連れた輝夜が、こんなことを言い出した。
「健治は永琳に返すわ。彼、脆過ぎるし」
「恥ずかしながら帰って参りました」
 どうやら輝夜の中では、ずっと貸し出し中ということになっていたらしい。
「確かにお返し頂きました」
 恐らくこれは輝夜からの用済み宣言だろう。
 看病の際に機嫌を損ねたのか、それとも彼の軟弱さに呆れたのか。
 その辺り、夜にでもじっくり聞くとしよう。
「それじゃあ貴方には仕事に戻ってもらうわけだけど」
「はい! てゐさんの指示を仰いできます!」
「待ちなさい。今日からは私が直接指導するわ」
「へ? あ、はい!」

「こいつがいないと効率落ちるんだけどなあ」
 彼が私の指揮下に移ると知ると、てゐはぼやきながら承諾した。
 まあ、見てないところで扱き使う心算なのだろうけれど。
「まず最初に、言っておくことがあるわ」
「はい!」
 いちいち姿勢を正す様は、まるで軍人のようである。
「医者の不養生は言うまでも無く、弟子の不養生は師の恥と知りなさい」
「はい、申し訳ありませんでした!」
 全身全霊で謝られても困るのだが……原因が分かっているだけに。
「ということで、貴方に診察法を教えることにします」
「え!? 本当ですか!?」
 というか、彼はこんなキャラだったろうか?
 てゐあたりに何か仕込まれたのかもしれない。
 色白なのは相変わらずだが、体付きは以前よりしっかりしてきたように思える。
 あまりにも今更なのだが。
「但し。但しこれは、倒れるなんて無様を晒させないため、限度を知るために教えるのよ」
「はい! ありがとうございます!」
 わーい、やったーなどと、彼は喜んでいた。
 まあ、身内の我儘で振り回してしまったのだから、このくらいの面倒は見てやっても良いだろう。





・立待月


「咳が出て、熱っぽい……と。風邪ですかね、先生?」
「いつ頃からか、他に症状は無かったかも聞きなさい」
「あ、はい! えっと、それらの症状はいつ頃から続いてますか?」
 健治に一通りのことを叩き込んだ後は、実際に診察をさせた。
 患者と直に接触し、経験を積む事が一番の近道だったからだ。
「診察は終わった?」
「はい。やはり風邪かと」
「代わって。はい、もう一度口を開けて……」

 重篤患者は滅多に訪れないこともあり、健治の診断はそれなりの的中率を見せていた。
 病気のバラエティが少ないことも手伝っているのだろう。
 これは、幻想郷が外界から切り離されたことによるメリットとも言える。
 人を経由して感染するケースは、という前提は付くが。
「やっぱり先生は、すごいですね」
 横っ面に突き刺さる羨望の眼差しに、思考を中断する。
「何が?」
「診察の早さもですけど、薬を出すまで一切の迷いがありませんから」
「当たり前でしょ。医者が不安そうにしていたら患者まで不安になるわ」
「ああ、そうか……。病は気からって言いますもんね」
 彼の認識はあながち間違ってはいない。
 が、それは姿勢としての話である。
 分からないうちは素直に聞くようにと、しっかり言い含めておいた。





・居待月


「そういえば、里の医者はもういないのかしら?」
 ふと、そんなことが気になって健治に尋ねた。
「眼鏡をかけたお爺さんのことですか? だったら、結構前に隠居してましたけど」
「やっぱりそうだったの」
 近頃、ちょっとした病気で来院する人が増えていた。
 私ほどではないにせよ、老医の腕は確かだった。
 健治は結構前と言っていたが、隠居後もある程度の面倒は見ていたのだろう。
 最近になって来院者数が増加したということは、恐らくは鬼籍に入ったか……
「それがどうかしたんですか?」
「いえ。ただ、貴方の扱いに関係するかもしれないだけだから、気にしないで」
「それって、僕にとっては結構重要なんですけど」

 健治を里に送り出すべきか否か。
 医者として送り出すならば、漢方を叩き込んでおくのが彼の為でもある。
 が、そうなるとまた別の診察法に頼ることになる。
 薬だけを持たせて里に追い返す、というのもひどい話だし……
「まだまだ先の話になりそうね」
 あまりのんびりもしていられないのだが、仕方ないだろう。





・寝待月


「あ、先生。遅くまでお疲れ様です」
「ええ、お疲れ様。健治、夜更かしは程ほどにしておきなさいよ」
「いえいえ、先生には敵いません」
 日課を終えた後、私は健治の部屋に立ち寄った。
 健治の部屋は輝夜のそれからもっとも離れた場所に位置している。
 私にとっても、健治の部屋に向かうのは遠回り以外の何者でもない。

「このところ、毎晩遅くまで起きてるでしょ。また倒れるわよ?」
 何をそんなに熱心になっているのか。
 疑問に思い手元を見遣ると、漢方医学について書かれた文献があった。
「すみません。わかってはいるんですけど、つい焦ってしまって」
「焦る?」
「情けない話で恐縮なんですが、少しでも早く役立ちたいって気持ちばかりが先行してしまって」
 私はますます首を傾げる。
 手にした書物や言動から察すると、彼は一人前になるための努力をしている。
 それらは私の言に端を発しているらしい。
 健治はその目標が達成された時、私の役に立つことが出来ると思っている……?

「別に、無理をしてまで焦る必要なんてないのよ?」
 弟子を取ったのはただの気紛れ。
 それに、助手など居なくとも、この身一つあれば不足はない。
 役立つために頑張っているというのであれば、それはとんだ見当違いだ。
 私はそういう意味で言ったつもりだった。
 生き急ぐような真似は止めて欲しいという思いも、どこかにあったかもしれない。
「いえ、そうも言ってられません。自分の診断に自信を持てないようでは、まだまだですから」
 けれど、言葉は届かず。
「でも今日のところはこのくらいにしておきます。先生に見つかってしまいましたから」
 笑いながらそんなことをのたまう健治が、私には理解できなかった。





・更待月


「……うん、合格ね」
「本当ですか!?」
「こんなところで嘘なんて言わないわ。私もそこまで性格悪くないわよ?」
「やったー!」
「おめでとうございます、健治さん!」

『漢方をどこまで理解出来たか試して欲しい』
 健治に乞われ、私は課題を出していた。
 患者の訴える症状と、診察により観察された特徴。
 それらを元に処方すべき薬を作るべし。
 試験結果はほぼ満点。
 観察眼のテストは含まれていないが、そちらは問題ないだろう。
「それにしても意外ね。ウドンゲが手伝ってたなんて」
「えっ? あー、いや、それは」
「本当、鈴仙さんには色々面倒見ていただきました。頼れる兄弟子さんです」
「……そりゃまあ、同門のよしみというか、頑張ってる人は応援したくなるっていうか……」
 あれだけ毛嫌いしていたのが嘘のようだ。
 それがなんだか、少し面白くなかった。

「とにかく、これで一応は里に出しても恥ずかしくはないくらいになったわね」
「――はい」
「……え?」
 浮かれた空気が一変する。
 健治はその言葉を予感していたのか、真剣な表情に。
 鈴仙はその言葉が予想外だったのか、呆けた表情に。
「材料はここにあるのを分けてもいいけれど」
「いえ、院を構える前に自分で集めようと思ってます」
「ちょっ……ちょっと」
「そう? それじゃあ、分布地図だけでも渡しておきましょう。薬はもう、自分で作れるわね?」
「ええ。地図は、とても助かります。僕、方向音痴なんで」
「ちょっと待ってくださいよ!」
 鈴仙が叫んだ。





・弦月


「どうしてですか、師匠? どうして、そんな、いきなり」
「……鈴仙さん」
「健治さんは、師匠の役に立ちたくて、それで頑張ってたのに」
 鈴仙が、涙さえ浮かべて熱弁を振るう。
 それを見る私の心は……ひどく、冷めていった。
「なのに、やっと認められた途端、追い出すなんて――」
「鈴仙」
 私の一言で、鈴仙は凍りつく。
「この診療所に医者は二人も要らない。それが、それだけのことが、貴女にはわからないの?」
「――でも!」
「鈴仙さん、ありがとう」
 尚も口を開こうとする鈴仙を、健治が制した。
「人助けをすることが、先生にとって一番の恩返しになる。……そうですよね?」
「そう、なるわね」
 大きく息を吐き、私は二人に背を向ける。
 机に向かい、健治に渡す地図を作る。
 ……ああ、いけない。
 指が震えて、上手く線が引けない。
「出立は、早いほうがいいですよね?」
「そう、ね。貴方の好きになさい」
「ありがとうございます。では」
 その言葉を残し、健治は診察室を出て行った。

「……どうしてですか、師匠。師匠だって……」
 鈴仙の呟きに、答えることは出来なかった。





・逆さまの三日月


 彼を外まで送ると、鈴仙が申し出た。
 夜になっても、朝になっても、彼女は帰ってこなかった。





・晦


「おかえりなさい、鈴仙」
「……ただいまです、師匠」
 患者の来ない診療所を開き続けて、どれほどの時間が経っただろうか。
 偶の往診以外やることがなくなった私は、ぼんやりとした日々を過ごしていた。
 だが、それもつい最近までのこと。
 今ではちらほらと患者が来るようになっていた。

「そろそろ、帰って来る頃だと思ってたわ」
「……はい」
 赤い目をした鈴仙を、私は抱きしめる。
「ししょぉ……」
 何も言わず、何も言えず。
 ただ抱きしめることしか、できなかった。





・朔


「師匠は、気付いてたんですよね? 健治さんの、病気のこと」
「……ええ。姫も、気付いていたわ」
 溜息と一緒に、言葉を吐き出す。
「師匠でも、治すことは出来なかったんですか?」
「……手段を問わなければ、それも可能だったでしょうね」
 そう、生かすだけなら。
「じゃあ、どうして?」
 激昂することなく、鈴仙は静かに尋ねる。
 それがありがたくもあり、哀しくもあった。
「彼の思いを、無駄にしたくなかったから」
 ひどい言い訳だと、私は自嘲する。
「師の為に、立派に生きて欲しかったから」
 怖くなって、遠ざけただけのくせに。

「病に気付いたのは、彼が過労で倒れた時だったわ」
 その時すでに、健治の臓腑は病魔に蝕まれていた。
「臓器の大部分を切除して、人並みの生活を奪えば命は長らえたかもしれない」
 或いはそれも無意味に終わったかもしれない。
「そんな生は、彼の望むところではなかった」
「だから、お薬を渡してたんですね?」
「ええ。……もっとも、薬では進行を遅らせるのが精々だったけれど」
「そんなに酷かったんですか? 師匠の薬でも治せないほどに」
 私は頷く。
「そうね……唯一、完治させることが出来たとすれば、蓬莱の薬くらいなものでしょうね」
「そう、ですか」
 後には沈黙だけが残された。





 彼の墓前に花を供え、手を合わせる。
「……強引にでも、薬を飲ませるべきだったのかしら?」
 私は今でも、そんなことを考えていた。
「そうすれば貴方は、永遠の生を受け入れてくれたのかしら?」
 不死の病を、私の為だけに、患ってくれたのだろうか。
 永久に続く孤独を物ともせず、ただ私だけのために――
 答えは無い。
 彼は彼岸に旅立ってしまったのだから。

「……考えても詮無いことね」
 いつまでも引き摺ってはいられない。
 こうしている間にも、患者が私の帰りを待っているのだから。
「貴方が憧れたのは立派な八意先生だものね」
 立ち上がり、私は背を向ける。
 彼の墓標と、叶わなかった淡い想いに。
「さようなら」
これにて、このお話は終幕となります。
読んで下さった方、本当にお疲れ様でした。

当初の目的はDr.えーりんとの甘酸っぱい話を作ることでした。
物語くらいは、やはりハッピーエンドで終わって欲しいですから。
が、気が付いたらトゥルーエンドでした。
どこで選択肢を間違えた……!
ともあれ、男ならばワンコインという言葉がありますし、
まあ、うどんげルートもいいじゃないかということで。
少しでもお楽しみ頂けたなら、幸いです。


・補足(6/11)

月齢=日数ではありません。
彼女の、あるいは彼女らの心とでも言うべきものです。
(ああ、自前の解説をつけるのがこれほど恥ずかしいとは!)
新戸
arat@live.jp
http://bloodletters.blog64.fc2.com/
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コメント



0.590簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
永琳はやっぱり切ない話が似合いますねw
15.100名前が無い程度の能力削除
不覚にも泣いた