Coolier - 新生・東方創想話

東方妖幼女(3)

2009/05/11 04:04:42
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 紅魔館南側の湖近くには、洗濯場として使っている場所がある。
 その場所で、朝食時にフランドールが投げ捨て埃塗れになってしまったレミリアのカリスマZUN帽を干している咲夜。
 頭には、美鈴の帽子がちゃんと乗っていた。
 物干し竿にて、レミリアのZUN帽がゆらゆらと気持ち良さそうに風にはためく。
 それを満足げに眺めながら、昼食はどうしようかとのんびり考える。

 やっぱり、こういう時はカレーだろうか。
 なんでって聞かれても困るけど、多分きっと美鈴なら「カレー!」と言うと思ったからで。

 (うちの門番隊って、隊長を筆頭にカレーがよく似合うのよね……)

 なんでかは分からないが、とにかく似合う。
 そして揃ってカレーが大好きだし。
 真夏でも「暑い!」だとか「熱っ!!」だとか、「辛ぇー!!」とか騒ぎながらも、最低でも三杯はおかわりするくらいだ。

 「ふふ。カレーにしようかしら……」

 あのちっちゃなほっぺに、カレーをいっぱに頬張る姿も可愛いだろう。
 咲夜が思わず笑みを漏らしていると、遠くのほうから「メイド長ー!!」と呼ぶ声が聞こえた。

 「?」

 館の方へ足を向けると、全力疾走してくる門番隊員の姿が目に入る。
 隊員は「やっと見つけた!」という表情で駆け寄ってきて、ぜぇぜぇと肩で息をし、膝を震わす。今にも崩れてしまいそうだった。

 「何があったの!?」
 「はっ、はっ、た、た……はっ、隊長、が……」

 そこまでやっと言うが、隊員はその場に膝を付く。
 咲夜は既に走り出していた。

 近道にと、館の中を突っ切る。
 エントランスを通り抜ける時、

 「んぐぅー!!」

 と唸っている、四角いコンクリの塊に頭を突っ込んだ状態の逆さまなカリスマがいたので、

 「お嬢様、遊んでいる場合ではありません! 美鈴が……!!」

 と、注意して先を急いだ。

 「んんー! んぐんぐ!!」
 (遊んでないし! ってか助けてよ!、ちょっ、咲夜……さくやさぁーん!?)

 どうやらレミリアは、主想いの隊員達によって頭をコンクリ詰めにされエントランスの中央にオブジェとして飾られているという状態らしい。
 天井に突き刺さっていた時は見上げなければ有り難味の無いドロチラは見えなかったのだが、今は地上にて逆さま。
 ドロチラどころか、ドロワ全開! という状態で、四角いコンクリの台座の上にて、手足をついてもがいている姿は物凄く滑稽でどうしもない。

 頑張れカリスマ!
 負けるなカリスマ!
 例え最愛の我が娘に蔑ろにされようとも……!!


 咲夜はエントランスを駆け抜け、門へ。
 隊員達が己の身で壁を作り、守りを固める中を飛び越える。
 門前では黒い狼の群れの中で、小さな紅が踊っていた。

 「美鈴!」
 「しゃくやしゃん!?」

 美鈴の傷だらけの顔が、驚きの色に一瞬染まる。
 それが隙となって狼の爪を受けそうになったが、ギリギリのところでかわした。
 咲夜は走りながらナイフを投げる。
 複数のナイフが一直線に飛び、延長線上にいる狼達狙う。
 的確に急所を狙うナイフはしかし、黒狼の体を通り抜けてその後方にある木々に突き刺さった。

 「なっ!?」

 体を通り抜けていった攻撃に、狼が唸る。
 血走った眼が咲夜を捉えた。

 「はっ!」

 だがその瞬間、狼が一匹、二匹と霧散。
 美鈴の気が篭り、うっすらと虹色に光る小さな拳と足が黒狼の体を貫いていた。

 「しゃくやしゃん、ふつーのこうげきはダメでしゅ! れーりょくをこめて、きりしゃいてくだしゃい!!」

 美鈴が叫ぶと同時に、咲夜はホルスターからファイティングナイフを取り出して駆け出していた。
 銀のナイフの刀身が、高圧の霊力を込められて淡く輝く。
 飛びかかってくる狼を上半身を左に捩って紙一重でかわす。左半回転状態になった上半身の動きを、そのまま回転を止めずに遠心力を込めて狼の首を叩っ斬る!
 狼は高い声を上げ、斬った場所から粒子状に分離し霧散した。
 左右から同時に飛びかかってくるのを、半回転する体で視認。
 回転運動は更に高速で続き、一回転しながら左手に抜いた投擲用ナイフを左の狼へ。
 今度は通り抜けるようなことは起きない。
 霊力の篭ったナイフはその体に突き刺さる。
 右から迫ってくる狼の牙を右手に持ったファイティングナイフで受け止め、横へ流す。
 だがそのまま逃がしはしない。横に重なる狼の脇腹へ容赦なく刃を突き立て、切り裂く。

 咲夜の霊力に、美鈴の気に、狼達は霧散していく。
 しかし歪んだ穴から狼は次々に出現してくる。
 倒す数と出現する数は、出現する数の方が少しだけ多かった。


 「はぁ、はぁ、っ……なんか、はぁ、増えてない?」

 二人は黒狼の群れの中心で互いに背を預け肩を弾ませながら、終わりの見えぬ持久戦の気晴らしに少し会話をする。
 咲夜のメイド服の背はぐっしょりと濡れ、額には汗が浮き、頬に流れる。
 その汗は、激しい運動量による発汗が半分、激しい霊力の消耗による冷汗が半分。
 傷は負っていないものの、咲夜の顔には色濃い疲労が汗に混じって浮き出ていた。

 「はっ、はぁ、はぁ……しょーでしゅ、ね……」

 リーチの違いにより、受ける傷は美鈴の方が断然多いか。
 美鈴の頬には浅い爪後が幾筋も走り、剥き出しの腕や脹脛にも牙が掠った痕があった。
 小さな体躯を活かして、狼の下へと幾度となく潜り込み続けた結果、膝の皮膚はグチャグチャになって流血していた。
 頭や四肢に巻いてあった包帯は土に塗れて汚れ、破れ、解けかかっている。身体中に貼っていた絆創膏も湿布も汗で取れかかって、服の中に蟠っている。
 美鈴は軋む肋骨を押さえて、顔を顰めた。

 「大丈夫?」
 「へへ。なんとか」

 傷だらけの体で、無理に笑う顔が痛ましい。
 早く終わらせて、手当てをしてあげたい。
 咲夜は今一度体中に霊力を満たし、迫ってくる狼を切り裂く。

 「しょれよりも、おなかがしゅきまし、たっ!」

 突き立てられる牙をへし折るように、美鈴は固めた小さな拳をいっぱいに振り被って狼の顎を穿つ。

 「ふっ!」

 力強い呼気と共に、無数のナイフが飛び散る。
 一本一本に高圧の霊力が篭ったナイフ。
 当然数が多ければ多いほど、消費する霊力は莫大になる。
 急激な霊力の消費に伴う寒気が背筋を這い上がり、指先や爪先に軽い痺れを覚える。
 弾幕のように無数に飛び散ったナイフは、音を立てて狼達の体へ突き刺さった。

 「はっ!」

 高く飛び上がり、狼の頭へ踵落とし。
 攻撃を喰らった狼は地面に体を減り込ませ霧散するが、隙が大きくなった美鈴を、上から無数の狼が襲う。
 しかし美鈴の踵と地面が接触した瞬間、そこから虹色の弾が爆発でもしたかのようにバラ撒かれ、襲ってきた狼達にカウンターを食らわした。

 一気にかたを付けようと動き出す二人。
 咲夜は「美鈴!」と呼び、視線を合わせる。
 美鈴はコクンと頷くと、とある場所を指差した。

 「あしょこでしゅ! あしょこのくーかんが いちばんひどくゆがんでましゅ。あしょこをきってくだしゃい!」

 美鈴が指差す先、そこからは次から次へと狼が出現してくる。
 なんとなくでしか分からないが、咲夜もそこから違和感を感じた。

 咲夜は霊力を練り上げ、ナイフに込め走る。ただ走る。
 道は美鈴が作る。

 「あぁぁ!」

 歪んだ穴に、銀のナイフを。
 咲夜は両手で柄を掴み、突き立てる。
 濃い瘴気が噴き出す。

 「く、ぅ……!!」
 「しゃくやしゃん!?」

 狼が一斉に襲い掛かってくる。
 美鈴は練り上げた気で虹色の結界を張った。
 狼達はそれに阻まれそれ以上は進めない。
 牙をガチガチと鳴らして結界に牙を立てる。

 「ぅ、くっ……っぅ!」

 咲夜を奥歯をギリッと噛み締め、両手に力を込める。
 美鈴が背にいてくれるから、ただ目の前のことに集中できる。
 銀のナイフが徐々に徐々に、斬り進む。









 ――――その時、遠吠えがした。











 「!?」

 咲夜が斬る空間の歪みから、無数の牙が出現した。
 気を扱い先に気配を感じ取っていた美鈴は結界を素早く解いて、咲夜を突き飛ばす。
 幾重にも重なった鋭い牙が、美鈴を砕く。

 「がっ!!」

 両腕をクロスさせてガードを固めていた美鈴。
 しかし、その小さな体は軽い。
 まるで紙切れのように吹き飛んで、その軌跡で血が踊る。

 「美鈴!!」

 狼の群れの中に落ちる小さな紅。
 止めを刺そうと、血肉を貪ろうと、大口を開ける狼の合間をすり抜け、咲夜は美鈴を拾って群れの外へと転がる。
 狼の牙がメイド服の端を千切っていった。

 「ぐぅ、ぅ、かは、っ、けほっ……」

 美鈴の両腕には大穴が開いていた。
 流血しながら咳き込み、呻く。
 肋骨がまた逝ってしまったらしい。

 「なんか、っ、ぁ゛、はっ……ふきとんで、ばか、げほっ……でしゅ、ね……」
 「しゃべらないでっ!」

 苦しそうに苦笑する美鈴に、咲夜は悲痛な顔で叫ぶ。
 二人を周囲が無数の黒に覆われる。
 青い空に不釣合いな、禍々しい黒い黒い狼の群れ。
 咲夜は「くっ」と呻いて、この状況を打破する為に思考を働かす。

 時を止めて切り抜けるか。
 否。得体の知れない相手に、この能力は使えない。
 この化け物は、時間軸の違うところから現れている可能性が高い。
 その場合咲夜との時間の概念の相違によって、相手の時は止められない。
 しかし、同じ概念を持つ美鈴や紅魔館の者達の時は止めてしまう。

 動かない獲物は獲物じゃない。
 ただの餌だ。

 狼の群れがじりじりと近付いてくる。


 どうする。
 どうする。


 美鈴を抱き締める腕に、自然と力が篭った。

 「しゃくや、しゃ……」

 美鈴は咲夜の腕を弱弱しくだが、押した。

 「めいり……」
 「おじょう、しゃまと、ぱちゅりーしゃまを……わたしたちじゃ、あいしょーがわるしゅぎましゅから……」

 急いだ為に途中で喘息を起こして倒れているであろう魔女と、エントランスにてオブジェの一つと化しているカリスマ。
 そんな事実は知らない美鈴は、ボロボロの体でも構え、狼の前に立つ。
 小さな背中の小さな龍が、早く行けと咲夜に語りかけた。
 咲夜が追い縋る。
 そんな二人の懸命な姿を嘲笑うかのように、黒狼達が高らかに咆哮した。












 「やめてよね、そーゆーダミ声」
 「あぁ、同感だ」









 唐突に落ちてくる声二つ。
 歌うように紡がれた言葉に相槌を打った声は、








 「耳障りだ」








 その声音を氷刃のように変え、言い放つ。
 上空に冷たい空気を感じた時には、幾本もの氷柱が地上へとが降り注いだ。
 悲鳴を上げる間もなく串刺しになる。
 串刺しを免れた狼は、しかし、氷柱から地面を伝って広がる氷塊に囚われ氷漬けとなった。

 辺りの温度が急激に下がる。
 警戒と畏怖と寒気と戦慄に、咲夜の体が震える。

 「チビの割りには、よく頑張ったんじゃないか?」

 声が降ってくる。
 傷ついた美鈴を抱き締め、ナイフを構える。

 「あなた、は……」

 冷たい冷たい空気が下りてくる。
 傍らに降り立ったのは、裾野が斜めに裁断されて左側が長いという変わった形の青いワンピースに白のインナー。
 左腕にはアームウォーマーを纏い、白の手袋を装着した右手には氷の刃。
 腰ほどまである涼やかな青い髪は姫結び。
 青いラインの入った黒いブーツが、凍った大地を踏み締める。
 その者の背には、生成されては溶けて崩れ、また生成される……崩壊と再生を延々と繰り返す大きな氷の翼があった。

 「チル、ノ、しゃ……」

 血混じりの声で、美鈴がその青髪の者を呼ぶ。
 そこにいるのは、長い四肢にスレンダーな肉体を持った、普段とは全く違う理知的な氷の瞳を持った妖精だった。

 「よっ」

 氷精の王が、唇の端を上げて美鈴と咲夜に笑いかける。
 咲夜は事態を呑み込めずに、ただ目の前に立つ女性を見上げた。

 狼達の悲鳴がまた響く。
 凍った大地を砕く轟音と、地響き。
 地面が揺れる。


 「まったく……なんなんだろうね、コイツらは……」


 轟音の中、溜息と共に紡がれる少し低めの声と、草笛の音色。
 巨大な甲虫が堅牢な角を振り上げ、氷像と化した狼達を薙ぎ払い、踏み潰す。
 甲虫の上に立っているのは、軍服の上に黒いマントを羽織い、深緑の髪を後頭部の高い位置で一つに縛っている……蟲の王だった。

 黒狼の群れが全身の体毛を逆立て、吼える。
 身体中に突き刺さっていた鋭利な氷柱は抜け落ち、そこから紫色の血を垂れ流した。
 体内から逆流してきた紫色の血に塗れた牙を剥き、血走った瞳に狂気が滲む。
 歪んだ穴からまた大量の狼の群れが出現していく。


 「ほんとにうっさいなぁ。もうちょっと綺麗な声は出せないの?」

 ――――あたしみたいにさ。


 上空から澄んだ声は、零れてくる。
 歌が、響く。






 ♪ The Lord said to my Loard ♪




 何処の歌なのか。
 何の歌なのか。




 ♪ Sit here at my right side ♪




 外の世界の言葉を用いたただの歌が、ただ心地の良い聲が、大気を震わす。




 ♪ until I put your enemies under your feet ♪





 大きな翼をはためかせ、何処までも何処までも響いていくような声が、虚空へ吸い込まれていく。

 声とは、声帯から発せられる音。
 音とは、揺らぎ。
 歌とは、揺らぎと言霊。

 紡がれていく歌声が、空(くう)を優しく揺らす。
 言ノ葉に乗る霊(たましい)は、傷付いた宙(そら)を撫でる。


 歪んだ穴が塞がっていく。
 空間の歪みが矯正されていく。



 「ざんねーん。もう仲間はこないね~♪」
 「ご苦労様。でも、右にいろってボクのこと?」
 「それもざんね~ん。これはリグルちゃんの歌。右にいろって言われてるのはあたし」

 歌声の主は、蟲の王の隣に降り立った。
 淡いピンク色のインナーの上には、キャミのようなもの。下は黒のホットパンツに、クラレット色のパレオ。そして編み上げのブーツに、首には黒いチョーカーを巻き付けている。
 肩に付く程度の長さがあるふわふわとしたピンク色の髪は毛先が内側へと少し巻いており、髪よりも濃い色の愛くるしい瞳を持つ歌姫。

 明かりの無い闇の中。
 灯火のように響く歌声の持ち主は、蟲の王の言葉にくすりと小さく笑った。


 「じゃ、片付けと行くか。なぁ、ルーミア?」


 氷精が徐に言葉をかけた。
 氷精の傍らに、ぼんやりと闇が浮かぶ。


 紫煙が立ち上った。

 金の髪が闇夜にぽっかりと独り浮かぶ月なら、それを飾る赤いリボンは月明かりの下、肉塊からひっそりと流れ出る血か。
 長い金髪を下の方で緩く結い、瞳は血を貪った後かのように、鬼灯みたいな朱。
 纏っているのは、胸元が開いたビクトリアタイプのドレス。色は漆黒だが裏地は真紅の布が用いられ、ドレスの裾は乱暴に切り裂かれ野生的な雰囲気を醸し出していた。
 黒いシークレットブーツの爪先が、氷の破片に当る。

 闇に蠢き、闇に生き、闇を操り、闇と共に在る妖怪。
 紫煙は、薄い唇に咥えられた黒い煙草からゆるりと上がっていた。


 「そうだな……」


 歌姫とは対照的な闇色の声が、氷精に返す。
 低く響くハスキーな声が、煙と一緒に吐き出される。


 「だがその前に」


 唇の片端を上げ、不敵なのに何故だか紳士的に見える笑みを浮かべた。
 煙草をゆっくりと吸う。

 狼の群れが、咲夜と美鈴を守るように立ちはだかった四人に襲い掛かる。




 「フィールドを整えることにしよう」




 闇の妖怪の唇から、黒い煙が吐き出された。

 闇が広がる。
 一面が黒に染まる。

 光は、一片として無い。


 「さぁ、これでよいか?」


 紫がかった黒い煙が立ち上る。
 煙を気怠げに吐いた口の端が僅かに上がっていた。






 「悪魔の妹」





 闇の中に、禍々しい炎が疾走した。
 悲鳴が至る所で上がる。
 上がり続けて、いつしか周囲全体が悲鳴に包まれた。
 獰猛な獣のような炎の閃光が、縦に横に斜めに疾走する。
 悲鳴は燃え広がる炎に呑み込まれていく。


 「じょーでき」


 闇操りし妖怪の言葉に、答える声一つ。
 上がる黒い炎によって浮かび上がったのは、鋭い牙をギラつかせて笑う悪魔の顔。
 楽しげに、残酷な笑みを浮かべる。
 その瞳は、燃え盛る炎より紅く、流れ出す血よりも赤く。


 「わたしのメイを虐めたんだから……それ相応の覚悟くらいあるよね?」


 血走る狼達の瞳よりも、紅い。
 目の前にいるのは、本物の悪魔。
 狂気じみた瞳に、狼達は本能的に後ずさる。



 炎に張り合うように、冷気が迸る。
 凍る音。砕ける音。蟲の声。草の音。
 闇が蠢く音。


 何も見えない真っ暗闇の中で、聞こえるのは音だけ。
 分かるのは狼の声があっとうまに消えていく気配だけ。
 気配をそのまま辿ろうにも、渦巻く妖気、冷気、闇が、邪魔をする。

 「何が、起きているの……」

 息を呑むように言葉を紡ぐ。
 圧倒されてしまい、咲夜は半ば呆然としていた。
 しかし、不意に腕を掴まれる。
 反射的にナイフを抜き突き刺そうとする寸前、


 「大丈夫。敵じゃないよ」 


 と、優しくて柔らかな風のような声が。

 ふわりと音もなく体が浮く。
 闇の中から抜け出す。

 咲夜と美鈴を抱えて闇の領域から飛び出したのは、シャトルーズグリーン色のシフォンスカートを纏い、上にはクリーム色のカーディガン。
 首には青から淡い緑へと変わるグラデーション色のスカーフをふわっと巻き、青のミュールを履いた、透き通った美しい翅を持った妖精。

 「チルノちゃん達がいるから、もう心配しなくていいからね」

 若葉色の髪をサイドテールで纏めている風の妖精は、にっこりと微笑する。
 微笑みを向けた先には、今にも闇のドームへ突撃しようとしていた門番隊。
 優しい風纏う妖精が咲夜と美鈴をその場に下ろすと、闇の中からもう一匹飛び出してくる。
 ふわふわと舞う羽毛と共に傍に降り立ってきたのは、大きく厳かな翼を持った歌う妖怪。

 「もうちょっとでフィニッシュみたいだから、避難してきちゃった」
 「そっか」

 舌を出してその妖怪、成長したミスティアが茶目っ気たっぷりに笑い、風纏う妖精、大妖精も笑って返した。

 目の前に在る、闇に覆われた真っ黒なドームの中で何が起きているのか。
 闇が突如拡張してくる。
 折角抜け出したのに、また包まれてしまう。
 しかし、大妖精もミスティアも動かない。
 大妖精は安心させるように「大丈夫。ここがギリギリで安全な場所だから」と呟き、闇の中心へと視線を向ける。

 何もかもが真っ黒で、何も見えない。
 しかし中心にはもっともっと濃い闇があった。
 闇の妖怪がいた。

 あれだけいた狼の群れは最早残すところ十数頭ほどか。
 残党は後退りをし、逃げの体勢を取っていた。


 「まぁ、そう急くもんじゃない」



 紫煙が、立ち上る。



 「コーヒーでも一杯如何かな?」


 闇が蠢いた。

 この闇は、目の前の漆黒の妖怪が生み出したもの。
 此処は、闇の妖怪の『自由領域』。


 狼の足に絡みつく。
 そのまま這い上がり、腹部を縛る。
 胴体を締め上げる。


 闇が。

 闇が。

 闇が。



 狼どもが呻く。
 ギリギリと締め上げられた体躯へ、“闇”が入り込んでいく。



 目から。
 耳から。
 口から。
 鼻から。
 毛穴から。
 髪の毛から。
 毛細血管から。




 「私特製のブレンドだ。口に合うといいんだが……」



 闇が、体内と侵入する。
 内側から侵す。
 塗り潰す。
 押し潰す。
 ひき潰す。

 断末魔さえ、闇が呑み込む。

 “痕”は残らない。
 何も残らない。

 ただ真っ黒な闇が広がった。



 「すまない。少々苦かったかな?」


 闇の化身――ルーミアは、煙草を吸い黒い煙をゆっくりと吐く。


 「今度は砂糖とミルクを用意しておこう」


 吸い終えた煙草を手から落とす。
 煙草が落ちた箇所から、すぅーっと闇が消えていった。


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