Coolier - 新生・東方創想話

さつきのえんがわ

2009/05/09 21:10:51
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博麗神社は、今日も暇だった。

今日も、と言わざるを得ない辺り、神社という形態として少々難ありな気がするが、
それは私にとっては、むしろ好都合だ。

無論、私の対面で茶を啜っている巫女にとっては笑えない話……の筈なのだが、
ここ最近はもう慣れてしまったのか、殆ど気にした素振りを見せない。
少し不憫だが、そうなった原因の一つと思われる私には、口に出来ない話題だ。

「いい天気ねぇ……」
「そうね」

皐月の空は、本日も清々しく晴れ渡っていた。
しかし、この皐月という表現、外の世界では某団体の謀略によって、四月であると勘違いしている輩が少なからずいるそうだ。
元々は五月にやっていたんですよ。との言い訳もあろうが、それでは卯月の立場はどうなる。と声を大にして言いたい。
桜のほうも時期がずれ始めてきたそうだし、世も末ね。

「……かり、ゆかりっ」
「……へ? 何?」
「あんたって、時々遠い目してるわよね。何か変なものでも見えてるの?」

別次元に飛びそうになっていた思考が、霊夢の言葉によって現世復帰を果たす。
危ういところだった。いや、マジで。

「うーん……見える、と言えば見えるし、見えないと言えば見えないわ」
「……禅問答はパス」

とりあえず、適当な事を言って逃げる。
妄想してました。等と事実を口にしたところで、私にとっても霊夢にとっても得にはなるまい。

しかし、本当に良い天気だ。
心地よい穏やかな陽気……とするには、少々気温が高すぎるくらい。
夏はもう間近に迫っているという事か。

「いつも思うんだけど、あんたそんな格好してて暑くないの?」

まるで私の心を読んだかのようなタイミングで、霊夢が呟く。

「別に。気温及び湿度が上昇傾向なのは感じ取っているけど、気分を害する程の影響は見受けられないわね」
「……妙な言い回しね」
「知的っぽく見えるでしょ?」
「そんな事しなくっても、あんたが十分痴的なことくらい知ってるわよ」
「あら、光栄ね」

珍しくも霊夢が素直に褒めてくれた。
……筈なのに、何か心が傷つけられた気がするのは何故だろう。
まあ、どうでも良いのだけど。

「でも、それを言うなら霊夢にも当てはまるのではなくて?」
「はあ? 別に知的に見られたいなんて思ったことないけど」
「その前の話よ……髪、いい加減鬱陶しいわよ」
「むぅ」

自覚があったのか、霊夢は口をへの字に歪ませては、お馴染みの赤いリボンで束ねられた髪を、さわさわと弄り始める。
そう。己の胸元まで回してきても余りある程に、伸びっ放しになっているのだ。
それはそれで雰囲気があるのだけど、これから夏を迎えるにあたってはいかがなものだろうか。

「仕方ないでしょ。この所忙しかったから、切る暇なんて無かったのよ」
「忙しい、ねぇ」
「……殴るわよ」
「いやん」

本当に忙しかったというのはあるにせよ、一番の理由は、面倒だったからに違いない。
元々、素材的には素晴らしいものを持っているのに、それに自分自身が一番無関心であるというこの性格は、
歯がゆく感じられる反面、だからこそ霊夢なのだ。とも思えたりする。
……とは言え、これは好機だ。

「それなら私が切ってあげましょうか」
「へ?」

予想外だったのか、霊夢は口をぽかんと空けては、私へと視線を合わせてくる。
要するに、それまではずっと、明後日の方向を向いていたという訳なのだけれども、
日本人は基本的にシャイだから仕方ないわね。
単に嫌われてるだけでは? という突込みが聞こえた気がするけど、私の精神安定の為に無視しておく。

「ちょ、ちょっと待ってよ。あんた散髪なんてやった事あるの?」
「無ければ提案なんてしませんわ。ささ、可及的速やかに縁側へゴーよ」

嘘は吐いていない。
最後にやったのは三百年前、という点を隠してはいるけど。











弾幕がパワーなら、イベントはスピードが命。
特に霊夢を相手にする場合は、多少強引であろうとも、速攻で舞台設定を整えて、
そこに放り込んでしまうのが正しいやり方であると、私の経験が告げている。
まあ、勇み足が過ぎて、本気で切れられた事も多々あるけど、それを恐れていては何も始まらない。

そんな訳で縁側に霊夢を座らせると、ケープを被せつつ、必要な道具を隙間から集めて準備完了。
後始末の手間を考えれば、風呂場のほうが良いのだろうけど、
家庭での散髪とは縁側で行うもの、という日本古来の美しき風習を、私は守りたい。
……家庭?

「……なーんか、凄い不安なんだけど」

眼下のてるてる霊夢から不満気な声が発されるが、気にしない。
明確に拒絶しない=OK
これぞ、霊夢の方程式なり。

「さて、お客様、どのように致しましょうか?」
「……任せるわ。適当に切り揃えて」
「今なら、巷でナウなヤングにバカウケのジャンボカーリーなどがお勧めですが……」
「あんたが先駆者になってくれるなら考えてもいいけど?」
「……失礼しました」

実際のところ、頷かれたら困るのは私のほうだったり。
まあ、ここは普段通りで問題ないだろう。
下手にアレンジを加えたところで、禄な結果は生まれまい。

「かゆいところがあったら言って下さいねー」
「まだ初めてないでしょ」

お約束を放ちつつ、リボンを取り払う。
ばさり、と音を立て、密度の濃い黒髪がケープに沿って流れ広がった。
こうして改めて見ると、本当に伸びたものだ。
多分、私より長いだろう。

「うーん、何だかもったいない気がして来たわ」
「あんたね……自分で切るって言い出しといて、何なのよそれは」
「そうなんだけど、これだけの量だと、使い道の一つぐらいありそうに思えてね」
「馬鹿言ってんじゃないの。大体、髪なんて何に使えるって言うのよ」
「んー、例えば、人形に植えたりとか……」
「……」
「……」

自分で言っておきながら、鳥肌が立った。
多分、霊夢も同じ事を思ったのだろう。身体が硬直している。
藁人形に入れられるほど恨まれているのも困るが、リアル霊夢人形などを作成されてはなおのこと厄介だ。

「安心なさい。終わったら私が責任持って処理するわ」
「いやいや、それ何の解決にもなってないでしょ」
「……って、私も同じ扱いなのね」

泣きたくなったけど、我慢して髪を梳かし始める。
手入れに無頓着なせいで目立たないが、霊夢の髪質は素晴らしいの一言に尽きる。
水分すら与えていないのに、櫛を通してもまったく引っかかる事が無いのは、感嘆を通り越して嫉妬心すら生まれそうだ。
これはもう、千年来の超癖っ毛である私への挑戦状と受け取るべきかしら。

『だったら、そのリボン無双止めましょうよ。明らかに自爆してますよ?』

何故か、心の中で藍が溜息を吐いている。吐きたいのは私のほうだというのに。
大体にして、何だって私は、こんな欧米人風の外見なのだろう。
やくもゆかり、という純日本風の名前でありながら、この金髪碧眼に重心の大きく偏った体型。
昔、妖夢と初めて顔を合わせた時、ないすとぅみーちゅー。と挨拶されたときの衝撃は、今でも忘れない。
……よくよく思えば、魔理沙も同じようなものの筈だが、あの娘もそういった悩みを抱えているのだろうか。
だとすればそれは、とてもとても残酷な事ね。

『あの、私についてのコメントは?』

どうも今日の藍は出たがりで困るわ。
というか、狐が金髪で何の不思議がありますか。



「さて……こんなものかしら」

一通り梳き終えると、新しい櫛と鋏を手に取って準備完了。
……ふぅ。
何か、妙に緊張するわね。

「そ、そ、そ、それでは、切らせて、いた、いたがきます……」
「ちょっ……本当に大丈夫なのあんた!?」
「だ、黙ってて、集中が乱れるわ」

震える手をなだめすかしつつ、鋏を一握り。
しゃきっ。
そんな音と共に、ほんの一摘み程度の髪が、ケープに沿って流れ落ちる。

「……よし」
「な、何がよしなのよ!? も、もういいからストップ! ストップっ!」
「違う違う。勘を取り戻したって意味よ」
「へ?」

軽く制するように言いつつ、行動再開。
しゃき、しゃき、しゃき、と小気味良い音が、縁側を彩り始める。
うん、イケてる。
我ながら職人っぽい感じが滲み出てて、実に良い。

「お、脅かすんじゃないわよ、ちゃんと出来るんじゃない」
「そう言ったでしょう。まあ、実践するのは三百年振りだけどね」
「……」

あ、葛藤してる葛藤してる。
多分、私にとっての三百年とは、どの程度の長さなのか。という件についてだろう。
ちなみに答えを言うと、結構長いものだったりするのだけど、ちゃんと身体が覚えていたんだから問題無いわね。

「ま、安心なさい。少なくとも耳を落とすような間違いはしないって保障するから」
「それ、保障でも何でもない……」



しばしの間、縁側は鋏の音のみが流れる、隔絶された空間となった。
別段、話の種が無かった訳ではないが、私は意図的にそれを封じていた。
特に深い意味はない。
なんとなく、無言の一時というのも悪くはないと思っただけだ。

その間、当然ながら霊夢も無言だったのだが、その理由は私とは別のものだろう。
緊張の抜けた身体。
鋏の奏でる一定のリズム。
そして、丁度良い塩梅に薄くなり始めた、暖かな日差し。
導き出される解は、想像するにあまりにも容易だった。

「……ふぁぁ……」
「おねむ?」
「……変な言い方しないで……でも、正解」
「散髪中に眠気が来るのは、自然の摂理よ。大人しく従っておきなさい」
「うにゅ……」

聞いているのかいないのか、判別する間もなく、霊夢はうつらうつらと船を漕ぎ始める。
その様の可愛らしさに、思わず笑みが浮かんだ。

思えば、何とも珍妙な光景だ。
何せ、幻想郷に名高き……って自分で言うのも変な話だけど、
巷ではそれなりに畏敬やら恐怖やらといった視線で見られているこの私が、人間の娘の散髪をしているのだから。
それも、自分から進んで行っているのだから、とんだお笑い種だ。

……やはり、干渉しすぎだろうか。
人間は妖怪に食われるもの。
妖怪は人間に退治されるもの。
半ば形骸化しつつある概念だが、それが依然として、幻想郷が幻想郷たる所以である事は、私が一番良く知っている。
にも関わらず私は、それを率先して無視している。
酷い矛盾もあったものだ。

いや。そもそもだ。
私は何故、霊夢に干渉したがっているのだろう。
……これは少し難しい。
個人的興味、ないしはその発展系。と定義付けるのは容易だが、
それで全ての説明が付くのかと問われれば、些か答えに窮してしまう。

少々頼り甲斐に欠ける博麗の巫女に、幻想郷の賢者として指導を施している?
それこそ笑い話だ。
他愛もない馬鹿話を交わしつつ、髪を切る行為が指導であるのなら、世の床屋は皆賢者だ。
大体にして、私自身にそうした意思が無いのだから、主張は始めから破綻している。
それならば、もっと即物的な理由……感情に左右された結果とでもしておくほうが、余程的を射ているだろう。

馬鹿らしい。と言い切れれば、どれだけ楽なことか。
これまで私が経験してきた永い永い時も、この問題に直面すると空しく灰燼と帰す。
たかだか、十数年を生きたに過ぎない一人の少女を相手にしてこれなのだから、何とも理不尽な話ではある。

そう、たかが人間だ。
思考を放棄し、霊夢への干渉を止めてしまえば、百年も経過したあたりで、この疑問は時効を迎えている。
それが、妖怪と人間の間にある明確な境界。

では実際にそうしてみるか?
答えは否。
理由も至極明快。
私が、そうしたいと思っていないからだ。

結局のところ、理屈で解決できるものではないのだろう。
側にいたいから、側にいる。
今は、それだけで良い……という事にしておきたい。

もっともこれは、相手の感情を無視した行為なのだが、それはそれ。
妖怪の行為に、常に道理が伴うほうが不自然だとでも言っておこう。



「ん……」

そこでふと、我に返る。
見れば日輪は、記憶にあったものより、大分高度を落としている。
どうやら、知らずの内に、長々と思索に耽っていたらしい。

そして、私の周辺はというと、自らが切り落としたであろう黒髪が大量に散乱していた。
恐らくは無意識の内に鋏を入れ続けていたのだろう。
これがプロ根性というものか。
いや、プロだった記憶なんて無いけど。

それにしても、この私の前に座っている子、誰なのかしら……って。



「……あ……」



比喩ではなく、本当に血の気が引いた。

なんということでしょう。
あの、大海原の如き豊かな霊夢の黒髪が、印旛沼の如きささやかなものに変貌しているではありませんか。
そこには、一切の妥協を許さない、鋏の匠の信念が込められているようです。
……いやいや、ビフォってる場合でなくって。


「(やっちまいましたぁあああああああああああああああああああああああああ!!!)」


博麗神社という、幻想の境界線における日常は、いつでも私を思索の海へと誘う。
そこで溺れた結果がこれだよ。チクショウ。
思索は選ばれた者のみに許された快楽であり、大きく重い責任を伴う。と言ったのは誰だったか。
上手い解釈だと思うが、今はそれが腹立たしい。

「ああ……どうしましょったらどうしましょ……」

覆水、盆に還らず。
霊夢という乙女の命は、私の卓越したカッティング技術により、ことごとく散らされてしまった。
紛れもなく悲劇であり、第三者から見れば喜劇であり、後世に残せば惨劇となろう。

……ともかくだ。こんな浮き足立った状態ではお話にならない。
まずは己の精神の平静を取り戻さなくては。

「……くー……すー……」
「……泡盛……」
「……くー……すー……」
「……よし」

まだ霊夢が目覚めていない事を、八雲式判別法を用いて確認すると、冷静かつ大胆に、かつ迅速に茶の間まで戦略的撤退。
一角にある戸棚……事後承諾によって占有せしめた、保存庫を開け放つ。
中に納められているのは、私の好物兼精神安定剤の一つ、天津甘栗だ。

「……ふぬ……ぬっ」

中心部へと爪を立て、物理的に隙間を作り出すと、そこを基点として両手に力を込め、一息に押し開く。
結果は大概、失敗に終わる。
今回も、左右の力量バランスを取り損ねた上に、力を込め過ぎたせいで実が潰れてしまうという、見るも無残な結果を迎えた。
だが、それでいい。
天津甘栗の醍醐味とは、この苦労して皮を剥く工程にこそあるのだ。
外界においては、既に皮を剥いた状態の甘栗が商品として販売されていたりするそうだが、とんでもない話である。
それはともかく、入手した少ない収穫を、ぱくりと一口。

「もむ……」

ほのかな甘味を噛み締めていると、ざわめき立っていた心が、穏やかさを取り戻して行くのが分かる。
私はこの一連の工程を賢者タイムと呼んでいるのだが、宣言すると大概において妙な反応が返って来るのは何故なんだろう。
藍には泣かれるし、幽々子にはニヤニヤされたし、霊夢には殴られた。
まこと理不尽な話だ。

「……もむ……もむ……」

立て続けに六粒程責め落としたところで、賢者タイム終了。
とりあえず、落ち着いた……気がするので、改めて状況を整理してみよう。


「……くー……すぴー……」
「……」


幸いとでも言うべきか、巫女から尼へと強制的転職といった絶望的状況には至らなかったらしい。
が、それでも流石にこれは切りすぎだろう。
これでは、トレードマークのリボンを結びつける事すら出来そうにない。
私ですら一瞬判別が付かなかったくらいだ。
他の面々が見れば、誰てめぇ。と言い出すに違いないだろう。

『ここは素直に謝るしか無いんじゃないですか?』

今回ばかりは、心の藍の意見にも頷けるものがある。
下手に言い訳を重ねるのは、かえって後々に遺恨を残しかねない。
それは幻想郷の政治的にも拙いし、私の個人的感情からしても否だ。

……が、しかし、だ。
私がそのように素直な妖怪であったならば、幻想郷縁起にあのような書かれ方などはしない。
例えるならば、私は白鳥。
普段は何事も無かったかのように優雅に。
そして今は、水面下の動き……それこそ、死に物狂いで足掻くべき時なのだ。

もし、この様子を第三者が見ていたとするならば、こう言うことだろう。
境界弄くってなんとかすりゃえーやんの? と。
心の底から言いたい。
ロングとショートの境界とか、そんな規定も無いあやふやなものを、どないして弄くれっちゅーねんな、と。
せいぜい私が弄くれるものと言えば、ツルツルとフサフサの境界くらいだが、
今の霊夢は短いながらもフサフサであり、それを弄ったらただの自滅だ。
……まあ、霊夢に対して力による干渉はしたくない、というのが一番大きいのだけれど。

「考える……考えるのよ八雲紫……世の理を打ち砕く、覆水を盆へと還す方法を……って、あるわね」

即効で思い浮かんだ。
凄い。
流石は私だ。

「……ふー……すー……」
「……や……」
「……ふー……すー……」
「OK」

慎重を期して、再度八雲式判別法を用いると、再び茶の間へと退いては、素早く隙間を展開する。
アドレス……良し。
リンク接続……完了。
セキュリティチェック……は、緊急時ゆえ省略。
閲覧、開始。



『……どうしてそこで抱きとめないのよヘタレ……ぼり……』
「(……ログイン中ね)」



少女趣味満載の部屋で、寝転がって煎餅をかじっているメイドの姿が映った。
恥ずかしげもなく足でふくらはぎを掻きつつ、霊気容れに向かって何やら呟いているその様は、
天晴れとしか言いようのないリラックス具合だった。パンツ見えてるし。
これは恐らく、休む時は徹底的に休むという、プロフェッショナルにありがちな性質と見たわ。

「(主人が見たらどう思うのかしらね、これ)」

少し撮影しておきたい衝動に駆られる。
三割くらいの確率で吸血鬼異変の再来となるだろうが、残りの七割は高く買い取ると言いだすに違いない。
……楽しそうだが、今は自重しよう。

「それが貴方の運の尽き……そして、私のターン開始よ」

迷わず、ハンドリリース。
ヒト科、メイド属、十六夜咲夜……驚くほど簡単に捕獲に成功。
よいしょっと。


「ちょ、ちょっと、一体何なのよ! 今ドラマが良いところ……むみっ」


居間へと引き摺り込んだ咲夜に皆まで言わさぬよう、物理的に口を塞ぐと、
決して大きく響かぬよう、それでいて一言一句に魂を込めつつ、私は告げる。

「後生だから、何も言わずに私の話を聞いて。苦情は後ほど受け付けるわ」
「……」

私が必死……もとい、本気である事が分かったのだろう。
咲夜は小さく頷くと、そのまま私の言葉を待つ。

「縁側を見て」
「……」
「……呼んだ理由、分かってくれた?」
「……ええ、大体は。大方、貴方のやらかしの後始末ね」

流石に聡い。
これだけ鋭い癖に、むざむざと捕獲されたのが意味不明だけど、好都合なので良しとする。

「それで、どうかしら。可能?」
「……結論から言うと、無理でしょうね。私の能力はそれほど万能という訳じゃないわ。
 止めるだけならばともかく、進めたり戻したりすることに関しては自信が無いのよ。
 ましてや、一個人の特定部位のみに干渉するなんて、試そうと思った事もないわ」
「……試せば、成功する可能性はあるの?」
「ゼロとは言えないけど……リスクが大きすぎるわ。
 身体と精神の均衡を失うことになるかもしれないし、物理的に危害を加えてしまう可能性もある。
 仮に時間の巻き戻しに成功したところで、それが頭髪の再生という現象に結びつくとは限らないわ」
「……」

咲夜の告げる残酷な事実を前に、自然と肩が落ちた。
万能の力だと思っていたけど、案外使えない。

『今回ばかりは他人のこと言えないと思いますよ』

……鋭い突っ込み、どうも。

「もっとも……それでも構わないと言うのであれば、やってみても良いけど、どうするのかしら?」
「くぅ、何て人間味の薄い発言なの……」
「貴方にだけは言われたくありませんわ」

挙句、立て続けに同じ事を言われる始末だ。
賢者タイム、あまり意味が無かったわね。

「……分かったわ。もう戻って良いわよ」
「ええ、そうさせて頂きます。約束通り、清算は後ほどという事で、ね」
「……はいな」

不遜な言葉だが、非があるのは明らかに私の側故、何も言い返せない。

「……思うんだけど」

隙間に潜り掛けていた咲夜がふと、こちらを振り向く。

「何?」
「いえ……私の干渉する事じゃないわね」

気付いた時には既に、咲夜の姿は消えていた。





「(……何を言いかけたのかしら)」

少し気にかからないでもなかったが、とりあえず思考の外に出しておく。
事は一刻を争うのだ。

幻想郷において不測の事態が発生した際。あてにされる人妖を挙げて行くとすると、
私と咲夜は、恐らく上位三名の中に入ることかと思う。
そのどちらも駄目だった今、残りの一人に照準を定めるのが常道だろう。

……正直なところを言えば、出来る事ならば頼りたくはない。
何を考えているのかさっぱり掴めないし、偽善者っぽいし、本気を出せば凄いんですオーラ出しまくってるし……。

『同属嫌悪って奴じゃないですか、それ』

藍、どれだけ突っ込みたいのよ貴方。

いや、分かっている。
今は個人的感情などは二の次。
私は決意を固めると、全工程を省略して隙間を展開し、そのまま中へと飛び込んだ。
手間ではあるが、この相手の場合、私自身が赴かない事には意味を成さない。
そもそもにして、私が必要としているのは、そいつ自身ではなく、そいつの作ったものなのだ。











果たして、私の空間移動は完璧だった。

基本は和室なのだろうが、内装は完全なる和洋折衷。
専門書や実験器具の類がずらりと並べられている様はいかにもといった感じだが、
それらの中に、X68やら新撰組の衣装やらゴルフクラブやらといった品が、当たり前のように入り混じっているのは何なのだろう。
この雑多な感覚……どこか、見覚えがある気がしてならない。

ああ、分かった。
私の部屋だよ、チクショウ。



何故か悲しくなったので、涙を堪えつつ目標を捜索する。
とは言え、さして広大という訳でもない部屋の事。
肉眼で確認するまでは、さしたる時間を必要とはしなかった。

「……くー……」
「……寝とるがな」

畳の上にベッド直置きというだけでも十分な暴挙なのに、
その上、この時分から熟睡とは、どこまで見上げた心意気だろう。
見てないところだと、どういう生活してるのか分かったものじゃないわね、本当。
私?
イメージ通りだから、まるで問題なし。

「……んー……輝夜ー?……おやつならまだよー……」
「……何処のお母さんよ」

とりあえず、起こす事にする。
咲夜ならともかく、こいつを相手にする場合、面倒でも順序を踏まないと、とんでもない地雷を踏む可能性がある。
所詮は宇宙人。暗黙の了解や、阿吽の呼吸といった、日ノ本の住人たるスキルなど持ち合わせてはいまい。

「起きなさいヤブ医者。ウェイクアーップ!」
「……にゅ……殺し屋……? 違約金払ったほうが良いわよ……」

覚醒するかと思いきや、八意の反応は極めて鈍い。
どうやら、私の推測は当たりだったようだ。
あまり嬉しい事でもないけど。

「何だスキマか……見ての通りシエスタの最中なの……邪魔しないで……」
「貴方のどこにイタリアンの心意気があるってのよ。いいから起きて。というか、起きて下さいませ。平に、平にっ」
「……もう……三分間だけよ……」

一応話は通じていたのか、八意はウルトラマンのような宣言をしつつ、鈍重な動作で身体を起こすと、ようやく私へと視線を向けた。
……つもりなのだろうが、その先にあるのは、爽やかな笑顔の人体標本だ。
スタイルにはそれなりに自信はあるけど、私はあそこまでスレンダーじゃない。
屈辱だけど、突っ込まない。
もはや、一分一秒とて無駄にはしていられないのだから。

「短刀直入に言うわ。即効性の高い毛生え薬、頂戴」
「……一年中そんな帽子被ってるからよ……」
「私ちゃうわ! ハゲともちゃうわ! つーかお前も被っとるやないかい!」

しまった。時間が無いというのに、三連装突っ込みを入れてしまったわ。
ここ最近、ボケに回ることが多かったせいで、突っ込みに飢えていたのだろうか。

「……んもー……じゃー誰よ……」
「匿名希望よ。とにかく、ものごっつい勢いで髪が伸びたりするようなブツは無いの?」
「……はいはい、あるわよー……」

八意は相変わらずの緩慢な動作で、棚をごそごそと漁り出す。
ややあって取り出されたのは、何やら茶褐色の液体の入った、怪しげな小瓶。
何が怪しいかって、『色即是空』とか『一日一善』とか『黄金旅程』といった、
統一感の欠片も無い言葉がラベルに書かれている辺り、危険な香りが充満している。
というか四字熟語が好きなのは分かるけど、ステイゴールドは違うんじゃないかしら。

「だ、大丈夫なの、これ」
「……既にラビットで検証済み……ほんの一口飲むだけで……闘気を放つ金色の頭髪がもっさもっさと……」
「何で飲み薬なのよ! しかも方向性限定されすぎよ! 誰と戦うつもりだってのよ!?」

駄目と分かっていても突っ込んでしまった。
こいつの思うように踊らされているのは自分でも分かっているが、それでも止める事が出来ない。
……所詮、私も芸人体質ということか。

「……もういいわね? ……じゃ、おやすみ……」
「ああっ! 待って! まだ一分あるじゃないの! ウェイト! ピックミーアップ!」
「……いかにも日本人が発する英語ねぇ……」

殴りたい。心の底から殴りたい。
でも殴ったら多分、今日中に博麗神社に帰る事は不可能になるだろう。
だから……ゆかりん耐えます。

「ええと、そういう奇抜なものではなくてですね、地毛の発育を急速に促すという、
 至って単純な効能の薬品を求めている次第なので御座います。如何でしょうか、八意先生」
「……そんなんで良いの?」
「そんなん、では御座いません、それこそが私の求める絶対可憐なアンサーなのです。言わばトンヌラの有用性に捧げるフーガですわ」

もう自分でも何を言っているのか良く分からないが、知ったことか。

「……んじゃ、はい……スグノビールX……」
「わぁ、安直なネーミング」

むしろ安直過ぎる分、かえって安心感があるような気がする。
一応は、こやつとて名の知れた薬師。
看板に偽りのある処方は施さないだろう……と思いたい。

「……後は瓶の説明書き見て……今度こそ、おやすみ……」
「ええ、おやすみ。代金は指定の口座に振り込んでおくわ」
「……ん……」

返事もそこそこに、八意は夢の世界へと帰って行った。
濃密な悪夢を見る事を願いつつ、私は隙間へと踵を返す。
このような魔窟、永井……もとい、長居は不要だ。



「そうやって無様に足掻いてる様は、嫌いじゃないわよ」

……だから、こいつは苦手なのよ。











「……すぴー……かー……」
「……ハーマンカードン……」
「……すぴー……かー……」
「セーフ、と」

三度縁側に舞い戻った私は、手早く確認を済ませると、早速持ち帰った小瓶へと目を走らせる。
『即効性汎用育毛促進剤スグノビールX』とあった。
発毛ではなく、育毛であるのがポイントだろう。
もしも前者であったならば、今頃八意は、全国多数の成人男性から、新世界の神か何かに祭り上げられているに違いない。
……と、そんな事より、効能効能。


※患部に直接塗布してご使用下さい。
※効能には個人差が生じる事があります。
※皮膚にかゆみ、ただれ、発疹などが生じた場合は、気合で耐えて下さい。
※小児の手の届く所に保管するのも、また一興ですが、責任は持ちません。
※安全第一
※諸行無常


何と言うか、不安しか残さない厄介な注意書きだが、もはや後戻りは出来ない。
意を決して瓶の封を切ると、内容物の液体を少しずつ霊夢の髪へとすり込んでいく。

……これでハラハラと抜け落ち始めでもしたらどうしようか。
いっそ自爆して、幻想郷の歴史に幕を下ろしちゃおうかしら。

「……おおぅ……」

私の破滅的思想は、未遂に終わってくれた。
それこそ、植物の成長記録を早回しで見るかの如き勢いで、霊夢の髪が伸び始めたのだ。
ショートからセミショートに、セミショートからセミロングに、セミロングからロングに、ロングからベリーロングに……。
って、ちょっと伸びすぎ。

「ええと、永夜抄、永夜抄……」

以前の霊夢の姿を脳内再生しつつ、鋏を取り上げる。
今の私は、妖怪シザーウーマン。
昼下がりに小粋に姿を現しては、理想的なヘアーカットを済ませて行くという、存在意義の良く分からない妖怪なのだ。



「……くけー……ふごー……」
「……」

時間にすれば、せいぜい十分程度。
だが、永遠とも感じられる程に濃密な時間を終え、私は鋏を持つ手を下ろす。

果たして霊夢は、霊夢へと戻っていた。
いや、当たり前だけど、皆のイメージする霊夢の髪型が出来上がった、という意味だ。

「……ふぅー……」

思わず、大きな溜息が口をついて出る。
ここまで緊張して事に望んだのは、博麗大結界を作り上げた時以来だろう。
いや、綱渡りの度合いという意味では、それ以上かもしれない。
それでも私は、やり遂げたのだ。

『だから自業自得……』

この達成感の前には、幻聴の突っ込みすら心地良い。
……ああ、そうだ。八意には正しい意味で礼をしなければならないだろう。
サークル入場券がいいか、新型PSPがいいか。
そんな事をぼんやりと考えつつ、霊夢に視線を戻したその瞬間だった。


「(ひいっ! 恐怖の日本人形!?)」


心の中に止められただけでも自分を褒めてやりたい。
全精力を込めた鋏匠の名人芸は、まさに台無しだった。
あの安堵していた僅かな間に、霊夢の髪は元の長さを通り越し、床板に広がる程に伸びていたのだ。
やられた。
恐るべきはスグノビールXの効能也……!

「って、感心してる場合じゃないわ! 第三戦開始っ!」

私は再びシザーウーマンと化し、霊夢の髪との死闘を再開する。
だが、敵は余りにも強大。
切り落とした傍から、その髪束の向こう側に新たな髪がお目見えしているという始末だ。
というか、怖いわよこの光景。



「……すぴー……」
「……」



明度が目に見えて落ち初めた縁側に、鋏の音と霊夢の寝息のみが木霊する。
拙い、このままではジリ貧だ。
この忙しなさでは、とても打開案を思索するだけの余裕が生まれない。
ならば……ここは一旦、思い切ってバッサリと行き、時間的猶予を作るべきだろう。

停滞は敵。
故に私は、迷うことなく大きく鋏を入れると、一旦霊夢から距離を取る。
もはや確認をする手間すら惜しい。



「……どうしたものかしら」

本日二度目の賢者タイム突入。

『頼みますから、その名称止めて下さい』

無視。

ともかく、この伸び続ける髪を何とかしなければならない。
八意に聞きに行くというのは却下だ。
どうせまだシエスタの真っ最中だろうし、まともな解法が得られるとも思えない。
恐らくは毛抜け薬などを渡されて終わりだろう。

……いや、よくよく考えれば、スグノビールXなる薬は、歯止めが利かないという一点を除いては、私の希望通りの効能を発揮してくれたのだ。
ならば、その点さえ解決出来れば事は足りる。
即ち。効果が切れてくれれば良いのだ。

「(……薬品なのだから、洗い流せば効能は消えるんじゃないかしら)」

だが、今の状況で洗髪を行うのは少々リスクが高い。
暢気者の霊夢だって、流石に頭に湯を浴びれば目を覚ますだろう。
そうなると、その段階でカットにケリを付けておく必要がある。
もっともこれは、洗髪によってスグノビールXの効能が消えるとの前提あっての話であり、
確実なものとは言いがたい。
ならば……どうしよう。

「(……駄目ね。まだ、考えが纏まらない……)」

やむなく私は、第四戦に突入すべく、縁側へと舞い戻ると、新しい鋏を手に取る。
……何だか、どんどん泥沼に沈んでいる気がするわ。



「……うぞっ!?」



驚きの余り、それまで抑えていた音量が、振り切れる程の大声を出してしまった。
だが、ここは一つ、無理もない話である。という事にして欲しい。
だって……。



「なんで、このタイミングで効果切れなのよぅ……」



全身から力が抜ける。
私の眼下に映っていたのは、ショートカットのてるてる霊夢。
某ゲーム内の双六に例えるなら、ゴール直前に繋がる旅の扉を狙っている内に落とし穴に落ちた。といったところだろうか。
要するに、振り出しに戻ったのだ。

失敗だった。
私はリスクを恐れる余りに、僅かに残されていた可能性を、自らの手で摘み取ってしまった。
効能が切れるのを待ってから、改めてカットする。
それが、解決策だったという事だ。

「「あああ……冷静に考えれば分かる事じゃないの……私のバカバカバカ……」

どうして私は、霊夢絡みになると、こうも駄目妖怪になってしまうのだろう。

『……』

ああ、ついに幻聴にまで見放されてしまったわ。
元々駄目でしょう。とでも突っ込んでくれれば、まだ救われたのに。



「……ふわぁぁぁぁ……んっ」

そして、時は来た。



「んー……ありゃ、もう夕方じゃないの」
「あああああ……」

終わった。
霊夢のすっきりした声が、すべてに終わりを告げていた。
結局、私の足掻きは、文字通りただの悪足掻きに終始しただけだったのだ。

これで八雲紫という妖怪の生は、ある意味終了だ。
これからは集合写真においては、右上に別枠で掲載されれば御の字だろうし、
運良く思い出話に登場出来た際にも、名前の後に(笑)か(仮)あたりが付与されているに違いない。

妖怪の賢者たる身でありながら、人とのささやかなる交わりを求めたことは、それほどまでに大きな罪なのか。
罪なのだから、罰が伴ってしかるべきとでも言いたいのか。
おのれドストエフスキー……。

「へぇー、随分思い切ってカットしたわねぇ。ま、これから暑くなるし丁度いいか」
「……へ?」
「紫? 何よそのポーズ。前衛芸術?」

多分、謝ろうか逃げようか逆切れしようかの判断に迷った挙句の、この体勢の事を指しているのだろう。
人体の限界に挑戦せんと言わんばかりのステキポーズは、正に一人ツイストゲーム。
我ながら、動揺するにも程が……って、そういう問題じゃなくて、だ。

眼前に立つ霊夢からは、危惧していたような負のオーラは微塵も感じられない。
というか、笑顔だ。
いや、私の格好を見て笑っているんだろうけど。

「れ、霊夢、怒ってないの?」
「は? 何がよ。 ……ってまさか、あんた。私が寝てる間に何か仕出かしたの?」
「し、仕出かしたといえばその通りだけど、そうじゃなくて……」

いくら急展開の連続で思考回路が鈍くなっているとはいえ、ここまでくれば私とて気付く。
霊夢はこの散髪の結末に、何ら疑問を抱いてはいない、と。

思えば、当たり前の話だったのかもしれない。
この博麗霊夢なる少女の理。
全てをあるがままに受け入れるという本質は別段、大層な話でも何でもなかったのだ。
……いや、丸坊主だったりしたら話は別だろうけど、それはそれとして、だ。

「ま、いいわ。……にしても、これだとリボン付けられないわね。楽でいいけど」
「……」

言葉が見つからず、ぼんやりと眺めていた私と、振り返った霊夢の視線が合う。
その瞳から感じられたのは、一抹の不安感。

「……ええと……もしかして、変? 似合ってなかったりする?」

固定観念とは恐ろしいものだ。
恐らくは、咲夜が帰り際に言いかけたのも、この事に違いない。
良くも悪くも、他人に関心の薄い彼女だからこそ、己の見たそのままを、感想として抱いたのだろう。
……何と言うか、敗北感を感じないでもないけど、それはそれ。
ともあれ、今の私がすべきは、正直な感想を述べる事だろう。

「ううん、男の子みたいだけど、凄く可愛いわよ」
「って自分でやっといてそれかい」
「褒め言葉よ」

正直、巫女服には些か不釣合いと言えなくもないが、そのギャップがまた堪らなかったりする。
つーか、食いたい。
それはもう、二重の意味でしっぽりと。

「……ねえ、紫」
「ほひ?」
「伸びてたのは認めるけど……いくらなんでもこれ、多すぎない?」

私の精神的快楽に冷や水を浴びせかけるかの如く、痛い所を突いてくる。
縁側……霊夢が座っていた周辺には、それこそ毛玉の大編隊でも訪れたかのような、大量の頭髪が残っていた。
スグノビールXの力も凄いが、それをすべてカットした私も凄い。
結界業を引退したら、美容室でも開こうかしら。

「それくらい伸び放題だったという事よ。さ、不法使用される前に処分しちゃいましょう。ぽいぽいっと」

とりあえず、深く突っ込まれる前に、散らばった髪を隙間へと叩き込んでおく。
……ちなみにこの行為は、不法投棄でも何でもなかったりする。
掃除、嫌いなのに。

「あと、何度も言ってるけど、甘栗食べたならちゃんと片付ける!
 というか、どういう思考形態してれば、散髪中に甘栗なんて食べようなんて思うのよ」
「……ごめんして」
「ったく……」

私を叱りながらも、霊夢は絶え間なく鏡を覗き込んでいる。
やはり霊夢とて女の子。思い切ったイメージチェンジはそれなりに気になるのだろう。
もっとも、負の観想は誰も抱かないだろうというのが、私の見立てだ。
まあ、ギャップを埋めるのに手間取る輩や、邪な感情を抱く変態もいないとは限らないけど。
……変態?

「あ、霊夢。まだ仕上げが終わってないから、もうちょい座ってて頂戴」
「え? 別にいいわよ、これで」
「良くありません。そんなやっつけ……ゲフン。中途半端な仕事をしたとあっては、シザーウーマンの名折れよ」
「三百年も休眠しといて、名折れも何も無いじゃないの……」

恥ずかしさを隠す為か、休まず突っ込みを続ける霊夢を半ば無理矢理座らせると、細部を整えるべく鋏を動かす。
とはいえ、霊夢の言うとおり、殆どもう、弄る部分は無かったりする。
我ながら、あの急場で、よくここまで出来たものだ。

……そういえば巫女さんって本来、髪長くないといけないんじゃなかったかしら。
まあ、良いわ。本人が気にしてないのだし。



「おーい霊夢ーっ! 晩御飯の時間だと私の腹時計が告げているぞーっ! いざ神妙に勝負……」



そんな時だった。
土間声が聞こえたかと思うと、既に軒先には毎度お馴染みの白黒が降り立っていた。
物言いからして、私がいる事は想定していなかったのだろう。
どこか吃驚したような表情をしているが、それ程驚くような事だろうか。

「……あー、何だ、紫もいたのか」
「随分なお言葉ね」

まあ、私がここを訪れるのは、大概が夜も更けた時分だし、そういう意味で意外だったのだろう。

「で、霊夢は何処だ? まさか、食べちゃいましたー、とか言わないよな」
「あんたの目の前にいるでしょーが」

少し怒ったような声で、霊夢が答える。
……何故だろうか。
先刻から嫌な予感がして止まらない。


「悪いけど、弾幕ごっこなら今日はパスよ。慣れるまで微調整狂いそうだし……」
「……」
「って、人の話聞いてる?」
「……」

嗚呼。
図らずも第三者になった私には、魔理沙の心情の動きが、手に取るように分かってしまう。
そして、止めてももう遅いということも。



「だーっはっはっは!! なんじゃそりゃ! 可愛い! 霊夢が可愛くなってる!! だはははははは!!」



やりやがった、この江戸っ娘。
多分、可愛いというのは本心なのだろうけど、爆笑混じりでは台無しだ。
今の霊夢の心情からして、笑われるのが一番堪えるというのに。

「……」

余程ツボに入ったのか、地面を叩いて爆笑する魔理沙を前に、次第に霊夢の顔が紅で染まって行くのが分かる。
多分、今は羞恥が大半だが、それが次第に怒りへと転換されるであろう事は、嫌でも想像が付く。

「ぶははははははははは!! はは、は……」
「……」

ああ、悲しい程に推測通りだ。
魔理沙の笑い声は、みるみるうちに掠れていくし、霊夢の表情は……とても言葉では表現出来ない程にアレだ。
そして、分かっていながらこの場から動けない私もアレね。

「AMEN!」

霊夢、それは巫女じゃなくて神父よ。











先程までの暖かさは何処に行ってしまったのだろう。
そんな事を思うほどに、身も心も寒い夕暮れだった。

一ヶ月間の出入り禁止。
それが私と魔理沙に下された、霊夢からの処分内容。
あの憤怒振りからすれば、割合穏やかな処分で済んだと言えない事もないが、何故私も巻き添えなのだろうか。
……いや、諸悪の根源と言われればそれまでだけど。

「何なんだいったい……私はただ、正直に感想を述べただけだぜ……」
「正直過ぎるのよ、お馬鹿」

もう少し、機を見るに敏な輩だと思っていたが、それ以上に感情に素直だったという事だろうか。
人間的には好ましいと言えなくもないが、今日のあの場面においては最悪だ。



そういう訳で、私と魔理沙は、並ぶように共に帰途へとついていた。
別に私は飛んで帰る必要など無いし、そもそも魔理沙の住処とは方向が違う。
それでも、あえてこうしている理由は一つ。

「何か聞きたい事があるんでしょう?」
「んー……まあ、な」

珍しく、歯切れが悪い。
更に言えば、元々そういう傾向ではあるけれど、今日の魔理沙は特に、一つ一つの言動がわざとらしいように感じられた。
それも、私に対して含んでいるものがあったせいだと考えれば説明がつく。

「霊夢のアレって、お前の仕事か?」
「ええ、そうよ」

質問というよりは、確認だろう。
余程の阿呆でもなければ、状況的にそれ以外に考えられまい。

「そっか。また、思い切って重く切ったもんだなぁ」
「うーん……実を言えば、私にもその気は無かったんだけど、結果オーライといったところかしら。貴方が来るまでは、ね」
「いや、可愛いとは思ったんだぞ? それこそ、首根っこ引っ掴んで、泣き出すまで撫で繰りまわしてやりたいくらいな」
「ほほう、分かってるじゃないの」

ニヤリ、と笑いあう。
ああ、歪んでるわね、私達って。

「って、それは関係無いんだ、今は。
 紫。霊夢が普段、誰に髪切って貰ってたか知ってるか?」
「いいえ。貴方じゃないの?」
「んにゃ。全部、自分でやってたんだよ」
「へぇ……」

霊夢らしいと言えばらしいわね。
セルフカットって結構難しいものなのに、それをあっさりとこなすあたりも。

「へぇ……じゃない。その霊夢が、お前に散髪任せたってのがどういう意味なのか分かってるのか?」
「そんな大袈裟な問題じゃないでしょう。偶々よ」
「私にも絶対に切らせようとはしなかった。って、言ってもか?」

少し驚いた。
確かに、この娘の性格なら、自分から言い出すだろう。
が、霊夢がそれを拒否するというのは意外だった。
日頃の仲睦まじい様を思えば、特にそうだ。

「あいつは自分以外の誰も信用してないんだ。だから、他の誰かに刃物を持たせた上で身を任せるなんて事はしない。
 頭で考えての事じゃない。本能的に拒否するんだ」
「……」
「……って、ついさっきまでは思ってたんだけどなぁ。お前、霊夢に何をしたんだ?」
「言っておきますけど、私は霊夢に対して能力を用いた事は無いわよ」
「知ってる。だから悔しいんだ。あいつが始めて信じた他人が、よりにもよってお前だったって事がな」

そういう事を、本人の前で言うのはどうなのだろう。
勝ち誇って高笑いでもすべきかしら。

「くそう。むかついたから噂流してやる。隙間妖怪が博麗の巫女を餌付けしようと企んでる。とか、そんな類のを……」
「……それは勘弁して。ただでさえあちこちで疎まれているのに、そんな事されたら私、完全に村八分よ」
「自覚あったのかよ」
「あるからこそ、よ。まあ、なったらなったで、事実にしてしまえば問題も無いのかしら」

少し、挑発してみる。
が、この娘は中々に豪胆だった。

「そりゃそうだな」
「ありゃ。怒らないの?」
「妄想妖怪が願望を口にしたくらいで、いちいち怒ってられるか。大体、これでも私は感謝してるんだぜ?」
「感謝した側の物言いとは思えないのだけど」
「うるさいなぁ。乙女心は複雑なんだよ」

意味不明なのに、妙に説得力が感じられるのは何故だろう。

『乙女から程遠い存在だからじゃ……すみません。もう何も言いません』

賢明な判断……と言いたいところだけど、もう遅いわ。
現実の藍にお仕置きする事は既に決定事項だもの。

「もう良いぜ。付き合わせて悪かったな」
「送ってあげましょうか?」
「結構だぜ。口封じに月でも飛ばされちゃ堪ったもんじゃないしな」

そう言うと魔理沙は私から距離を取り、帽子を深く被り直す。



「あいつの信頼、裏切ったら殺すぜ?」



そして、物騒な台詞を残しつつ、瞬時に視界から消え去った。





「……殺す、ねぇ」

出来る出来ないではなく、魔理沙なら本当にやろうとするだろう。
だが、黙ってその通りにされるのは癪に障る。
なればこそ、だ

「殺されないように努力しましょうか」

何故そう思ったのか。
その答えは、やはりまだ、私の中には存在しない。

……帰ったら藍に言おう。
私はまだ乙女だ、と。
きっと、何の事を言ってるのか分からないでしょうけどね。





















それから、丁度一月後。
恐る恐る博麗神社に顔を出してみると、まったく普段通りのポニーテール霊夢が出迎えてくれた。
いやいや、伸びるの早すぎ……って……。

「れ、霊夢、ご機嫌いかが?」
「あら紫。見ての通りよ」

久方振りの再開だというのに、私達の間の空気は、すこぶる重い。
その理由は、霊夢の手にしている、どこか見覚えのある小瓶。

……ああ、成る程、理解したわ。
あの時、処分するのを忘れていたって、そういうオチね。
宣言される前から裏切っていたとか、我ながら斜め上のセンスだと思わない?

「そうそう。こないだのお礼に、今度は私があんたの髪切ったげるわ。感謝しなさいよ」
「ひいっ!? 台詞も表情も穏やかなのに、とめどない恐怖が私を包む!!」





教訓。
馬鹿と鋏は使いよう。
ども、YDSです。
半年振りですが、その前は一年半振りだったので、当社比三倍です。
いや、三分の一か? どうでもいいですね、はい。

東方本編の時系列で見るならば、風神録と地霊殿(緋想天?)の間の話、という事になるでしょうか。
一時期、霊夢の髪えらいもっさもっさしてたなぁ。なんて漠然と思い出していた時に浮かんだのがこの話です。
……もっと、ほのぼのとした話にする筈だったのに、どうしてこうなっちゃうんでしょう。

Q でも、やっぱりゆかれいむなんスね。
A そっスね。ロードっスね。

この二人の話は、大概が霊夢一人称で書いていたせいか、紫視点は書いてて結構新鮮だったり。
ゆかりんはこんなアホの子じゃねぇ。と突っ込まれそうですが、そこはお医者様でも治せぬ病という事でご勘弁を。

しかし、改めて思います。
ゆかれいむ好きにとって、さとりんはネ申だと。
あの台詞だけで、どれだけ多くの妄想が生まれたことか……。
……止まらなくなってきたので、この辺で。
YDS
[email protected]
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コメント



0.4440簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
「育毛の境界」でも弄くれば髪なんていくらでも伸びように………。
 ダメゆかりんかわいいです。
3.100名前が無い程度の能力削除
遠ーい昔、庭にブルーシート敷いて上で椅子に座って散髪してもらってたのを思い出しました
それにしてもゆかれいむには母子家庭的家族愛が似合うなぁ
霊夢さんの信頼の形はとっても分りやすいものだと思う。気づかない賢者様はかなり鈍感。だが、それがいい
マブダチ魔理沙の嫉妬も良い味出してます
面白かったです。次も期待してます。
6.100名前が無い程度の能力削除
記憶している限り、人生において髪型をかけた事の無い私…

ゆかれいむってか、親娘みたいでいいですねい。これが父子だと、息子が親父に反発しながら、自立しる話になっちゃうのですがw
8.90名前が無い程度の能力削除
さすがの切れ味!
八雲式判別法には笑いました。
9.100名前が無い程度の能力削除
ほのぼのゆかれいむをありがとう!!
必死になっちゃうゆかりんかわいいよゆかりん
15.100煉獄削除
霊夢の髪を散髪する紫様が母みたいで良いですね。
ほのぼのとしてますし、考え事をして髪を短く切ってしまって色々な行動をした
ことなど、面白かったですよ。
例の髪が伸びる薬が入っていた小瓶が見つかった後、きっと霊夢に髪を切られたんでしょうねぇ。
16.100名前が無い程度の能力削除
何故かこのゆかりんからは母性、というより父性を感じた
18.90名前が無い程度の能力削除
フースーヤ吹いた
21.100名前が無い程度の能力削除
ああ…次もゆかれいむだ…

一回ツルツルにしてからフサフサでいいじゃんとは思ったナ
22.100名前が無い程度の能力削除
もー所々に仕込まれたネタが最高ーっすっよw
28.100名前が無い程度の能力削除
ゆかれいむは素晴らしいものです
30.100奇声を発する程度の能力削除
やばい!!!激しく笑った!!!

>馬鹿と鋏は使いよう。
物凄く納得してしまったwwwww
42.90名前が無い程度の能力削除
登場人物みんな、とてもいい味出してますね。
ほのぼの感あふれる愛情が感じられて……好きです。
43.100名前が無い程度の能力削除
ベリーショートの霊夢さんはお酒を飲んじゃいけないな。
ステイゴールドは俺のジャスティス。
46.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
でもアレ、永琳よりも慧音に頼んだ方が良かったんじゃね?
59.100名前が無い程度の能力削除
ショートカット霊夢可愛い!
YDSさんのゆかれいむはお馴染みですが、確かに紫一人称は珍しいですね。
性格は相変わらずですがw
61.100名前が無い程度の能力削除
流石えーりん頼りになる!
つーか、かぐやのオカンかよ。
あと妖夢のナイストゥーミートゥーには笑った。

シェスタはスパニッシュじゃなかったっけ?
63.100名前が無い程度の能力削除
きたたああああ!

しかし、藍様の出番が少ないのが個人的に・・・「おやっさん、七味は~?」
79.90名前が無い程度の能力削除
ショートカットだと…?
84.100名前が無い程度の能力削除
ショートカット霊夢とは可愛い。
もさもさ増殖していく髪を想像するとえらい絵にw
ゆかれいむ万歳。
86.100罪憑削除
あーもうYDS氏のゆかれいむはいいなぁもう!!
正直読むたんびにときめきが止まりません!!
ゆかれいむワッショイ!!!

>さとりん 激しく同意
99.90名前が無い程度の能力削除
ショートカット霊夢!
その発想はなかった
107.100名前が無い程度の能力削除
カワイイ
112.100絶望を司る程度の能力削除
まさかの職業替えか霊夢。ほっとくと剣持って紅魔館に突入しそうだww
114.90名前が無い程度の能力削除
ショート霊夢も可愛いし八雲式判別法とか永琳とか小ネタが楽しい!