Coolier - 新生・東方創想話

月茶漬け

2009/05/01 23:26:23
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 現世に命を置かぬ者として、何が楽しみかと訊かれれば有明の月と答えよう。従者の妖夢ははっきりしないからと、あまり好いてはいないようだが、それはそれ。主の好みと従者の好みが似通うことなどそうそうない。
 夜が明けても、なお姿を見せる月。朝に顔を覗かせることを妖夢は半端と言い切っていたけれど、幽々子からして見れば雅と言い換えることができよう。朝ぼらけで白む空の、なんと清々しいことか。鶏よりも早く起きて、縁側でそれを眺めるのが幽々子のお気に入りだった。
 とりわけ、冬が良い。冬は空気も澄んでおり、心なしか有明の月も映えて見える。曙は春だと言う輩もいるが、冬の曙もなかなかどうして趣深い。
「っふぁ……おはようございます、幽々子様」
「あら、おはよう」
 何をするでもなく縁側に座り込む幽々子。お行儀悪く、着物の裾から足をぶらぶらさせても、寝起きの従者は咎めようとしない。生真面目で実直な妖夢でも、起きたばかりは頭が働かないのだ。欠伸を噛み殺しながら、勝手の方へと消えていく。
 まだまだ肌寒いこの季節。幽霊だから風邪をひく事は無いものの、頭は寒い寒いと訴えかける。身体に鳥肌が立たずとも、頭がそう言うのだから寒いと言っても差し支えない。だから幽々子は毎回のように、起きた妖夢へお茶を要求するのだ。温かいお茶を。
 あまりにも何度も頼みこむものだから、今では何も言わずにお茶が出てくる。半人前とはいえ、学習能力は人並みにあるのだ。
 紅葉をあしらった盆に急須と湯飲みを乗せて、勝手から妖夢が戻ってくる。珍しいことに、湯飲みは二つあった。
 幽々子の隣で膝をつき、装飾が全くない湯飲みへお茶を注いでいく。息の白さは分からなくとも、湯気の白さは季節を問わずに立ち上る。注がれる音のみならず、その湯気もまたお茶の醍醐味の一つだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
 手渡された湯飲み越しに、温かさが伝わってくる。持っているだけで手が温もる。このままカイロとして懐に入れたい気持ちも覚えた。いっそ湯たんぽでも入れてやろうかと血迷ったものの、それでは火傷しかない。幽霊だけど。するかもしれない。
 試してみる価値は無いので試すことは一生ないだろうけど、そもそも幽霊の一生とは何ぞや。くだらない自問自答を続けているうちに、少しだけ湯飲みの温かさが衰えた。いけない、いけない。熱いお茶は、熱いうちに飲まなければ何の意味もない。
 底を支える左手を傾け、お茶を頂く。冷え切った咥内を通り抜け、喉、そして胃まで一気に温度をあげる。世界に溜息が数あれど、お茶を飲んだ後に勝る安堵の溜息は存在しない。そう断言することが、今ならできる。
 隣では、妖夢が老婆のようにしずしずとお茶を啜っていた。年上の自分が言うのもなんだが、年寄り臭い従者である。
「有明の月を見て、楽しいと思えるようになったのかしら?」
「剣の稽古を楽しいと思った事は有りません故に」
 娯楽のつもりで居るのでは無い。修行の一環として此処に居るのだ。妖夢はそう主張したいようだが、いかんせん幽々子には話が飲めなかった。さて、有明の月が何の修行に繋がるのやら。首を傾げる主を見かねて、妖夢は真剣な顔で口を開いた。
「実は蔵を整理していたところ、祖父の手記を見つけたのです。大半は日常について書かれてものでしたが、その最後のページ。そこに書かれていたのが、『剣術の極意とは即ち、有明の月を眺むる事』と」
 密かに笑壺に入った幽々子は、ばれぬよう妖夢から顔を背けた。妖忌の腕は確かに目を見張るものがあり、妖夢などとは比べる事ができないほど強い。それでいて人にモノを教えるのが上手く、幽々子も何度ともなくお世話になった。
 ただ、悪い癖が一つだけある。偶に煙に巻くのだ。それも自分が分からないからではなく、単にその方が面白そうだからと。そちらの方でも幽々子はお世話になり、迷惑を被った回数も一桁では足りない。妖夢はその言葉に剣術の極意があるのだと本気で信じているようだが、幽々子は一発でそれが戯れの言葉だと見抜いた。
 なにせ、この楽しみを教えてくれたのは他ならぬ妖忌自身なのだから。
『有明の月を見ていると、こう穏やかな気持ちになる気がしませぬか?』
 あの頃の自分は、それに何と答えのだろう。今となっては覚えていないが、少なくとも否定的な返事をしたのは間違いない。なにせ有明の月を好むようになったのが、妖忌がいなくなってから暫くの事だったのだから。
 彼の意志を受け継いでいるつもりは無い。ただ、それの良さに気付くのが少し遅れただけの話。きっと妖忌もどこかで、この有明の月を見ているのだろう。などというのは、些かメルヘンが過ぎたか。妖夢の蔵書をこっそり見ている影響が、思わぬところで出たのかもしれない。
「あの、聞いておられますか幽々子様?」
「聞いてるわよ、聞いてる。メルヘンも過ぎると毒ね」
「は? 騒霊が何か?」
「何でもない、こっちの話」
 一字違いの聞き間違えにも、指摘を入れるつもりはなかった。勘違いして困るものでもなし、そのまま墓まで持っていって貰いたい。半妖だけれど。
「幽々子様は心当たりがありませんか?」
「心当たりって、何が?」
「祖父の残した言葉にです。幽々子様は有明の月がお好きなようですし、少なくとも私よりかは何か気付くこともあるのではないかと」
 些細な勘違いならいざ知らず、さてこちらを話すべきか否か。面白さ優先なら白々しくとも惚けるのが妥当だけれど、妖夢の為を思うのならやはり伝えずにおくのが吉だ。考えてみれば、どちらにせよ答えるという選択肢は無い。
 少し温くなったお茶を飲み干し、僅かに薄れゆく有明の月を見上げる。主に倣って、妖夢も空を見上げた。
「気付いていようがいまいが、それをあなたに伝えるのはどうかしら。剣術の極意というのは、口伝で伝わるようなものじゃないでしょ」
「…………確かに幽々子様のおっしゃる通りです」
 迂闊にも答えを求めた自分を恥じているらしく、妖夢は俯いて唇を真一文字に固く結ぶ。実直な所は評価に値するが、生真面目すぎるのもどうだろう。固いコンクリートよりも柔軟性のある竹の方が丈夫が長持ちするように、人の心にもある程度の柔軟性は欲しいところだ。
 親友の紫曰く、幽々子は柔軟すぎて既に倒れているそうだが、それは今関係ない。落ち込む従者を放っておくわけにもいかず、仕方なく助け船を出すことにした。極意を聞こうとした姿勢は褒められることがなくとも、妖夢が求める先にあるのは祖父のお茶目な悪戯である。少々の助言ぐらいなら、一人前への道を阻害することもあるまいて。
 だからといって、妖忌の企みを暴くのも面白くない。ここは、本当に有明の月が極意と関係あるのだという前提でいこう。話ながら考えていけば、あるいは極意とやらにたどり着けるかもしれない。
「妖夢は有明の月があまり好きじゃないようね」
「はい。朝なのに月があるというのは、どうにも半端で好ましくありません。夜なら月、朝なら太陽とはっきりしている方が私はすっきりします」
「なるほどなるほど。妖夢、少し此処で待っていなさい」
「は、はい」
 立ち上がって、急須を掴む。言いつけ通りに正座した妖夢は、急須を片手に勝手へと向かう主の背中を見つめるばかり。紫なら此処で察するだろうし、霊夢なら気にせずお茶を再開する。不思議そうに見つめるのは、妖夢ならではといったところか。
 勝手へと足を踏み入れた幽々子。棚から茶碗を取り出し、昨日残ったご飯をよそう。ついでにお茶を入れ直して、棚の奥を漁り始めた。上手い具合に海苔とちりめんじゃこが置かれていた。これ幸いと持ち出し、それらを全てお盆に乗せる。
 縁側に戻ってくれば、さすがの妖夢も幽々子の意図を察したらしい。呆れたような顔で、溜息をついた。
「お茶漬けですか。言ってくだされば用意したものを」
「まぁ、たまには私も作ってみたくなったのよ」
 海苔を刻んで、じゃこを振りかける。後はお茶をかけて、適当に醤油を垂らせば出来上がりだ。湯気と共に立ちこめる、香ばしい匂いが食欲をそそった。六時にもならぬ時間だが、思わず空腹の鐘が鳴る。我慢は身体に毒だ。
 箸を使って、器用にお茶漬けを頂いた。有明の月の下、縁側で亡霊がお茶漬けを食べる。何ともシュールな光景だ。
「妖夢。有明の月とお茶漬けの共通点って分かるかしら?」
 一息ついたところで、何気なく尋ねてみる。面食らったように言葉を詰まらせた妖夢は、少しばかりの時間を要して、やがて予想通りの答えを返した。
「分かりません。というか、共通点なんか有るのですか?」
「朝に残る月を半端というのなら、お茶でもなくご飯でもないお茶漬けも半端と呼べるのではないかしら?」
 空を見上げ、茶碗に視線を戻す。
「そう……言えるかもしれませんね」
 あまり納得は出来ていないらしく、歯切れは悪い。幽々子も強引なのは承知していたが、一度吐き出した言葉というのは、なかなか引っ込みがつかないモノである。無視して、先へ先へと話を進めた。
「妖忌は有明の月に極意があると言った。だとしたら、同じようなお茶漬けを食べながら月を見上げることで、何か分かるかもしれないわよ」
「いえ、さすがにそれはどうかと……」
 幽々子もそう思っている。だが一度吐き出した以下略。
「とにかく、食べてご覧なさい」
 食べる手を止めて、茶碗と箸を妖夢に差し出した。困ったように顔を歪めて、箸と幽々子の顔を何往復もする妖夢。
「い、いえですけどこれは幽々子様が食べられていたものですから私が」
「遠慮することはないわよ。これを食べたから怒るほど、私は器が小さくないわ」
「器の問題ではなくてですね、その箸は幽々子様が使われたものですから、私が使うのはどうかと」
 頬が秋の紅葉を思わせるように染まり、唇が小刻みに揺れている。恋する乙女がいるならば、多分似たような反応をするのだろう。さして考えなしにやった行為だが、こうなってくると俄然食べさせたくなる。
 有無を言わさぬ迫力で突き出し、しかし笑顔は崩さない。言外に主の要求を断るのかという圧迫感を醸しだせば、もう妖夢に断る術など無かった。照れくさそうに顔を背け、わかりました、と小声で呟いた。
 恐る恐る箸を受け取り、おぼつかない手でご飯を口へと運ぶ。目を閉じているあたり、まるで嫌いものを食べる子供だ。
 ご飯を咀嚼しながら、妖夢は空を見上げる。有明の月はもう、目を凝らさないと見えないほど薄く、今にも消え去ろうとしていた。妖夢は月が消えるまで、ご飯を咀嚼しながら空を見続けていた。
「幽々子様」
 やがて月が消えた時、妖夢もご飯を飲み込んだ。
「分かりませんでした」
 やはり無理がありすぎたか。滝に打たれて開眼する坊主がいるのだから、お茶漬けを食べながら悟る剣士がいても不思議ではないと一瞬でも思ったのだが、やはり不思議は不思議なままで終わってしまうようだ。幻想郷と言えども、さほど都合がよく出来ているわけではないらしい。世知辛さは外の世界と大差無い。
 残念そうな顔をしつつも、心の中で素直な従者を抱きしめる妄想をしておく。口うるさい所は好きになれないものの、素直すぎて騙されてやすいところは愛くるしくて抱きしめたくなる。前者をお目付役とするならば、後者はさしずめ愛玩動物か。一人で二倍楽しめるのだから、魂魄妖夢には一生半人前でいて欲しい。言葉には出さないが、偶にそう思う。
「幽々子様?」
 妄想が過ぎて言葉も動きも止める主を、心配そうに妖夢が見つめる。祖父のからかいに便乗している主なのに、こうも慕ってくれるのだから愛らしい。そして苦しい。苦しいか。苦しいな、愛らし過ぎて。
「やはり剣の道は、一朝一夕ではないということね」
「はい、そうですね」
 それっぽい言葉で、その場を誤魔化す。真面目な妖夢はそれだけで納得するも、これが紫なら真意を見抜かれ反逆は間違いなかった。いや、そもそも引っかからないか。
 そこでふと、幽々子はある事を思いついた。ただ、それを言葉にするのは勇気がいる。そして幽々子にはそれだけの勇気が無かった。
「やはり日々の鍛錬が一番です。姑息にも近道をしようなどと、思ったのがそもそもの間違いでした。申し訳ありませんが、今日の朝食は少しばかり遅くなりそうです」
 妙なところに火がついたらしく、剣を携えて妖夢は修行場へと足を向けた。幸いにもお茶漬けを既に頂いているので、胃の具合も悪くない。少々の遅れなら、笑って済ませられる。あまりにも度が過ぎれば、堪忍袋にも限界があるが。
 ただ火付け役は自分だろうし、あまり強く言えない。どうしても我慢できなくなったら、言いに行くとしよう。妖夢はまだまだ未熟なれど、夢中になると時間を忘れる。そこは祖父と全く同じで、何度待ちぼうけを喰らわされたか数えるのも億劫なほどだ。
 現に、茶碗やら急須も片づける気配はない。仕方なくそれらを盆に乗せ、勝手へと向かう。従者がやらないのなら、主がやるしかない。
 去り際、幽々子は辺りを見渡した。誰もいないので、安心してその言葉を吐き出せる。
「お茶漬けだけに、お茶を濁して終わったわね。まったく」
 それだけ言い残し、幽々子は家の中へと入っていった。
 有明の月はいない。その言葉に呆れるものなど、空にも地上にもいなかった。
 
 朝のお茶漬けも、また格別。
ズッキーニ
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コメント



0.700簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
ゆゆ様と妖夢はいつまでもこんな感じなんだろうな~
7.90名前が無い程度の能力削除
幽々子様達のこんな底が見えてない感じの会話が好き
10.100名前が無い程度の能力削除
うまい茶漬けがたべたくなった
17.90名前が無い程度の能力削除
ある一場面で二人の性格をよく携えていてと思いました。そして二人がまた日常に溶けていった感じが良かったです
19.90名前が無い程度の能力削除
しっとりとした雰囲気ですね
お茶漬け食べたくなってきたなぁ