Coolier - 新生・東方創想話

ツッコみ浪漫飛行

2009/03/16 16:02:31
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 私の住処は築二百年、六畳一間の小さな下宿だ。四六時中聞こえる川のせせらぎが証明している通り、立地は最悪といっても過言ではない。
 ちょっとでも三途の川が増水すると、すぐに床上浸水してしまう位置にある。
 見ればふすまは穴だらけ、柱は傷だらけ。四方八方穴すきま風。ゆえに家賃は激安だ。
 良いところといったらその家賃と、日当たりぐらいだ。日焼けしきって黄色くなった畳が物寂しいったらありゃしないけど。

 こんなに貧しいのに、と私は嘆く。
 今日も一日、最低な職場だった。早朝出勤、激務、激務、激務、残業。頭のなかがお花畑な上司、同僚、そして部下。ああもう、考えたくもない。
 部屋の隅に並ぶビールの山から発泡酒を選んで持ってきた。閻魔の薄給では、本物のビールは一週間に一度しか味わえないのだ。
 口当たりが良いばかりでキレもなければコクもない酒をプシュッと開けてまずは一口。

「まっずぅ……」

 めげずにごくごく、みんなのアイドルプリティ閻魔様、四季映姫ちゃんですよーっとプハァー。
 呼ばれて飛びててヤマザナドゥー、あそれヤマザナドゥー。こう見えても不味いお酒のせいでテンションはダダ下がりです。
 いつになくやさぐれてますねって? やさぐれもしますよ。誰にという訳じゃないんですけどね、言ってやりたい。
 こう、グルグルーッと回転してからビッと誰かを指差して、グッと親指を自分に向けて、言ってやりたいんです。
 大事なところなのでよくイメージしてくださいね。はいグルグルー! ビッ、グッ!


「私はツッコみ担当じゃないんだぞ!」


 とまぁ、こういうこと。うだうだやってたらお腹が減ってきたので晩御飯を簡単に用意した。
 ちゃぶ台に並ぶは白飯、たくあん、具抜きお味噌汁、……以上。今時、修行僧だってもう少しまともなものを食べているのだろう。
 けれど、ヨダレがとまらない。庶民の味が染みついた己の舌を引っこ抜きたくなる。閻魔なのに。

「今日も今日とて……」

 お説教だったなあ、とご飯にお味噌汁をぶっかけた。安い、早い、美味い、と三拍子揃った私の主食だ。
 この前親戚の子供が遊びに来た時にご馳走してあげたら、涙ながらに食べていました。泣くほど美味しかったでしょうか、きっとそうでしょう。

 がっつがっつと、ピュアなベージュに染まったご飯をかきこみながら考える。明日も明後日も、きっとお説教三昧なのだろう、と。いったい私、何やってるんだろう、と。
 思えば今まで数え切れないぐらいの説教をしてきたけれど、それは相手に良かれと思ってやってきたのだ。仕事だから、ではない。
 白黒はっきりつけたら『お疲れちゃーん』とかいってゲーセン行く閻魔だっている。むしろ多数派。だから、私のお説教はいわばサービスってやつなのです。
 浮き世は憂き世。出来ることなら死後ぐらい快適な生活をしてもらいたいじゃないですか。そのためのお説教なのよ。
 ところが彼岸のやつらときたら――。


 曰く、えーきちゃんの説教は、説教というより殆どツッコみである、とか。
 曰く、えーきちゃんのツッコみの切れ味はまるで最上大業物。備前長船にも匹敵するであろう、とか。
 曰く、えーきちゃんに一日一回ツッコんで貰うだけで持病の腰痛が治りました、とか。
 曰く、えーきちゃんがツッコんでくれたおかげで彼岸中央大学に現役合格しました! とか。
 曰く、ファミリーが賑やかなのはえーきちゃんのツッコみのおかげさ! ハニーも毎晩喜んでるよHAHA! だとか。


 ビール缶をぐしゃっと潰して投げ捨てる。

「どいつもこいつもっ!」

 いつの間にやら私のお説教はツッコみ扱い。しかも、私の前でボケたらツッコみが入るものと思ってやがるのです。あまつさえ、それを楽しみにしている節まである。
 例を挙げる。今朝方、同僚の閻魔が悔悟の棒を板にして三途の川で水上スキーをしていたのだ。
『やっほー! えーきちゃんおっはよー!』って渡し舟に引っ張られながら満面の笑みで手を振っていた。
 もちろんラストジャッジメントですよ。自機狙い弾はうまいことちょん避けになっていたけれど、放射弾に直撃して沈んでいった。自業自得です。
 夕方なんか蝶結びになって裁きを受けにきた幽霊がいた。もちろん地獄行き、にしようと思ったけど、お茶目が過ぎただけだったので温情判決。
『いったい何を表現してるんです!?』とツッコんでからほどいてやった。生前は芸人だったそうな。バカは死んでも治らないのですよ、マジで。

「はぁ……」

 ツッコんだからってボーナスが出るわけじゃない。それどころか、キレの悪いツッコみをするとダメ出しが飛んでくる。
『今のはもう少しタメが欲しかった』って知るか。『ノリツッコみもアリだったんじゃない?』って知るかよ。

 ここ最近は、私にツッコんで貰うために集まったおバカさんたちが、是非曲直庁舎前(幻想郷支部)に連日長蛇の列を作っている始末だ。
『えーきちゃん焼き』『えーきちゃんプロマイド』『えーきちゃんうちわ』露天まで出ている。もちろん私へのリベートは一切ない。なのに逐一、懇切丁寧な対応を求められる。


『これからも彼岸をよろしくお願いしますね』と握手してからカナディアンバックブリーカー。
『身体に気をつけて頑張って下さい』と笑顔でベアナックル。
『ボケるのも程ほどにね☆しきえーき』とサインを渡すついでに寸勁。


 どうして私一人、馬車馬のごとく働かなければならないのだろう。
 私はもう、彼らの期待に応え続けるのに疲れてしまった。だから決めたのです。


「今後一切ツッコんでやりませんからね!
 風が吹いて桶屋が核の炎に包まれようが、雨降って地殻変動が起きようがスルーよ!
 わかった!? 皆にもそう伝えて下さい!」

 小町を呼び出して、お酒の相手をさせるついでにそう言ってやったのが昨夜の話だ。

「へぇ、そうなんですか。みんな四季様のツッコみを楽しみにしてるってのに。まぁでも――」

 と小町は持参のドンペリ(人が発泡酒飲んでる横でこれですよ。死ねばいいのに)を傾け、「わかりました」と言った。
 妙に神妙な顔をしていたし、分かってくれたんだ、これで明日からはボケもツッコみもない平穏な毎日が訪れるんだ、とその時は喜んだ。





 ところが今、目の前には軍服姿の小町がいる。朝焼けのなか、船上に佇む軍服の死神がいる。
 弓馬折れ力尽き、それでも七生報国の覚悟で刀を振るう兵たちのごとく誇らしげだけれど、どこか儚げでもある面持ちだった。
 これはアリだ。そういえば幻想郷で軍服娘を見たことはありませんし。
 フロンティアスピリットというのは時代を前に進めるために必要なものです。むしろ逆行している気がしますけど。
 素敵よ、小町。元々男前なあなたのことです。またまたファンが増えることでしょう。妬いちゃいますね。

 って、おかしいだろうがっ!

 ギリギリ、ってのは私の手が悔悟の棒に食い込む音だ。
 見れば紺色の背広に輝くイーグルの腕章、――空軍かよ! 右肩にモールまで下げて参謀気取りかっ!
 これは手じゃ足りぬ足を出して良いだけのボケだ! しかしぃっ!
 フライング閻魔スタンプ(ドロップキック)をぶちかます構えになった己の身体をなんとか押さえつけた。

「……どうしたの? その格好」

 悔悟の棒を突きつけながら、まずは事情を訊く。根は良い死神なのだ。小町が嫌がらせなんてするわけないでしょう?
 胸の大きい奴は脳が劣化しているというのが私の持論だけれど、猿だって犬だって雉だってキビダンゴ一つでものの道理をわきまえたじゃないか。いわんや死神をや。
 誰だって話せばわかる、話せばわかるんだから。

「ねえ小町、何があったの? 一体何があなたにそうさせているの? 納得のいく説明をして頂戴?」

 しばし、逡巡する小町。

「イエッサ軍曹! 肯定であります!」

 ビシッと敬礼。

「でやぁ!」

 バキッと真っ二つ。

 私は小町のドタマで棒をへし折って三途の川に投げ捨てていた。まだ月の初めなのに、これで八十六本目ですね。そろそろストックが厳しくなってきました。
 私の生活苦の一因がここにある。一本いくらすると思ってんだよ。

「あなた船頭でしょう!? なんでエアフォースなのよ!?
 っていうかね! いくら幻想郷がフリーダムだからって、せめて役目に合った格好をなさい! あなたはそうやっていつもいつも――」

「あら? ツッコまないんじゃなかったんですか?」

 その一言で固まる私。全身から血の気が引き、リアルお地蔵さんになる。昨夜、私は何と言ったか。


『今後一切ツッコんでやりませんからね!』『今後一切ツッコんでやりませんからね!』『今後一切ツッコんでやりませんからね!』


 自分の言葉がリフレインする。そう、私はもうツッコまないのだ。
 スルーされるボケほど悲しいものはない。私がツッコみさえしなければ、ボケるやつはいなくなるはず、そう思ったのだ。
 決意表明したそばから、あやうく小町の罠にハマるところだった。ってもうハマってるけど……。

「挨拶、ただの挨拶よ。いつもこんな感じでしょう? ルーチンワークをこなしたまでです。
 ツッコむも何も良く似合ってるじゃない、その軍服。見てるだけで身が引き締まるようで素晴らしいわ。
 上司にかけあって来年から制服をそれで統一してもらおうかしら」

 華麗にスルー。あれだけの啖呵をきったのだから早々と撤回するわけにもいかない。する気もない。


 もう一度確認する。私は、何があっても、決して、ツッコまない!


「さーて、報告をお願いします」

「えーっと、ぜんぶで十五霊になりますね――せぇい!」

 小町は船の上で逆立ちした。たゆんたゆんと揺れる渡し舟。
 それが合図だったみたいに、三途の川のヌシが顔を出した。魚類特有の丸い目が私に語りかける。
『シィラカンスでがんす』うるさい黙れ刺身にするぞ――いやいや、今日も艶やかな鱗をしていますね。

 小町の行いは理解はできないが、彼女なりに表現したいことがあるのだろう。

「わかりました。ご苦労様です、引き続きよろしくお願いね」

「はぁい。よろこんでぇ、えーきちゃんのためですものぉ。それワッショイ! ワッショイ!」

 小町は逆立ちしたままで、強烈な水しぶきを上げる船と共に水平線の彼方へ消えていった。
 どうなってんだアレ……、って彼女のことだからあれぐらい出来てもおかしくはありませんね。
 掛け声にもなんら不思議なところはありません。ありません、ありませんったら。無いっつってんだろ。……失礼。
 さ、是非曲直庁舎へ戻ってこの幽霊たちを裁くことにしよう。

「ただいま戻りましたぁ!」

「はやっ! いや、うん、ずい分やる気なのね。っていうか今日はずい分幽霊が多いんだ」

「四季様のためですもの、あたい頑張っちゃいますよ! はいこれ!」

「なにこれ?」

「法螺貝です!」

「法螺貝? どうして?」

「おっきいでしょう!」

「そんなもん見りゃわかりますなぜこんなもん持ってきたのかと私は聞いているのですあなたの仕事はさまよえる幽霊を彼岸に運ぶことであって
 ビッグな法螺貝を嬉々として上司に渡すことではないはずですおわかりですか!?
 あっ、これはツッコみじゃなくて、事実をありのままに述べただけだからね?」

「わかってますよー。四季様がそんなキレの悪いツッコみするはずありませんし」

「だよね、だよねぇええ!」

 握りつぶしてしまわないように、慎重に法螺貝を受け取った。たしかに大物で、これはこれは、素敵な音が鳴りそうだ。

「吹いてみていいかな?」

「どうぞどうぞ! そのために持ってきたんですから!」

「それはそれは、わざわざどうもありがとう」

 法螺貝を天高くかかげ、お腹から勢い良く空気を送り出す。
 プオオオオォオー! ブオオォオオー!
 重低音。私の心情を表しているのだろうか、辺りを鉛のような音が覆った。

「ぷはぁ! 初めてにしてはよく出来たんじゃない!?」

「うんうん、なかなか気合が入った良い音でしたよ!」

「だ、か、ら、な、ん、だ、よ――いやいや音楽って本当に素晴らしいものですねえ」

 この法螺貝を主旋律にした曲を編んでみるのも良いかもしれない。泣いて謝る小町の悲鳴を副旋律にしよう。
 リズムトラックは脳髄が潰れる音をキックにして、頭蓋が砕ける音をスネアにすれば良い。絶望と怨嗟が刻むエイトビート。えーきちゃんゾクゾクしちゃう。

「やっぱり四季様はそんじゃそこらの閻魔とは一味違うね! 理解があります!」

「まぁ嬉しい! でも今はべつにまったくこれっぽちも必要ないから返しておくわ! さ! 引き続きよろしくね」

「アイ・サー!」

「うん、元気が良くてよろしい」

 元気があればなんでも出来ます。去っていく小町の背に風穴を開けてやることだって出来ます。

「ただいま戻りましたぁ!」

「さっすが小町! 仕事が速い! さて、次は何を持ってきてくれたの?」

 能力を使った様子は無いのに音速の壁を破っているのも、もはや気にならなかった。いっそ亜光速に到達してウラシマ効果で未来へ行ってしまえ。

「これっすよ、これ」

 小町が足元の何かをぽんぽん叩く。まったく見覚えがない。

「なんですか? それ」

「三輪車っす!」

「へぇ、そうなんだ。すごいなー、かっこいいなー」

「でしょでしょ! かっこいいだけじゃなくて便利なんですよこれ!」

「見たところ乗り物のようだけど?」

「四季様ぐらいのガキんちょが移動に使うんですよ。まぁ、ほとんど遊び道具みたいなもんですけど」

 三輪車、三輪車ねえ。ガキんちょ、ねえ。おっかしいなあ。ツッコまないって言ってやったはずなのになあ。分かりました、とか言ってたのになあ。
 ツッコみが入らないボケに何の価値があるのでしょうか……? 閻魔のスルーも三度までって言葉を知らないの……?

「とても便利そうですね、けど誰がこんなもん持ってこいと――っ!」

 喉元まで出かかっていた閻魔砲をすんでのところで飲み込んだ。胃が痛いです。
 麦飯をおかずに白飯を食べた時と同じ感覚だった。炭水化物が消化器官のなかでやたらと重苦しいメヌエットを奏でる、あの感覚。

「すごい楽しそう。えーきちゃん興味津々よ」とうそぶく。

「乗ってみますか? 初心者でも簡単に乗れますよ。四季様に似合うと思って持ってきたんですよー」

「そうなの!? ならせっかくだから乗る乗るー!」

 小町は船から三輪車をおろして、私の前に置いてくれた。可愛いピンク色をしていて、間近で見ていると胸がザナザナしてきます。

「はい、そこに――そう、またがって、ちょっと椅子が低いかな、大丈夫か。はいオッケー、そんでペダルに足をかけてください」

「この、前の棒はどうするんですか?」

「ハンドルですね、しっかり握っててください。それで方向転換するんです」

「なんだかドキドキしちゃうなあ。狭心症になりそう……」

 ひん曲げてしまいそうなぐらい、ハンドルを強く握り締めた。分かってくれたと思ったのに――。
 孤立無援で奮闘していたところに、やっと届いた兵糧が全てハッピーターンだった、そんな兵士たちの気分だ。
 バリバリかじって粉まで舐めてから叫ぶことでしょうよ。『ちくしょお! このド外道がっ! いちいち美味しいのがまたムカつく!』と。

 私の決意は前フリではないんです。私は都合の良いツッコみ役じゃないんです。彼岸は芸人の養成所じゃありません。ボケる必要がどこにあるんです。
 粛々と業務をこなせばいいじゃないですか。ボケるヤツさえいなくなれば残業なんか無くなるはずなのです。
 私の身長だって伸びるし、胸とか腰周りだってもっともっとグラマラスになるはずなのです。なんでそれをわかってくれないのでしょう……?

「何事も挑戦っすよ! さ、こいでみて!」

 ひとまず言う通りに、高いほうの右足を下ろしてみる。左足がペダルに押し上げられた。なるほどこういう仕組みか。今度は左足を下ろしてっと――。
 コツを掴んだ私は、リズミカルに進む。キコキコキコキコ。ああ、素敵な音ね。鉄と鉄が軋むこの音、私のなかでも鳴っているわ――ちょっと違うかな。
 介錯に使うポン刀を丹念に研ぐような音、といった方が近いかもしれない。キシキシキシキシ。

「進んでる! 私進んでるよ小町!」

「さっすがえーきちゃんだ! やるねえ、クールだねえ! いなせだねえっ!」

「これはほんとに楽ちんねっ! こんな素敵な乗り物持ってるなんて、小町はやっぱり凄いなあ!」

「あはは! あたぼうよ!」

 小町は照れたみたいに、バチーン! と背中を鎌の柄で叩いてくれた。
 なぜかフルスウィング。すごく痛かった。ここまで強く叩く必要がどこにあるのだろう。
『痛いわ! 痛すぎるわ!』という定番のツッコみを待っているのか。安易なツッコみはボケを殺す、と私は教えたはずだ。

 けれど、この痛みで憑き物が落ちたような気がする。
 そう、我慢することなんて何一つなかったんだ。思いを解き放て、激情をぶつけろ。口で言ってもわからぬならば、行動で示すまで。

「あは」

 静謐なコクピットが私を氷柱のように研ぎ澄ましてゆく。ハンドルを通して伝わるエンジンの拍動が徐々に間隔を狭める。

「……うふふ」

 グリスの匂いが愛おしい。ボルトの一本一本にキスしたい。

「あらら、四季様ー? そろそろツッコんでくれちゃって良いんじゃないっすかー?」

「ツッコ……? え?」

 よく、わからない。そもそもコイツ、誰だっけ?

「ひょっとして、怒って……、ます?」

「……え?」

 何を言っているのだろう。ツッコみ? 怒る? 誰が?
 怒りとか悲しみとか、そんな世界に私は今、いない。求めるのは何もかも忘れさせてくれる高度、加速度。ただ、それだけ。

「すぅ――」

 一度だけ深呼吸。クラッチを切る。スムースにトランスミット。計算し尽くされたハウジングの賜物だろう。
 間髪おかず背中で、ごぅ、という爆音。まだよ、まだもう少しだけ我慢なさい。

「わっ! ちょっ! えぇえ! 四季様ぁ!?」

 音からイメージを膨らませる。大地を削り、砂塵の嵐を巻き起こす、その勇姿を描く。

「爆走特急エーキ52、略して」

「え? え?」

 時が来たのだ。アクセルを目一杯踏み込むっ!

「エゴニ! 行きまぁぁぁあああす!」

 視界が変わった。

「ちょっ、まっ! 待ってぇえええ――!」

 耳障りな声が一瞬で遠ざかった。なぜか、胸がすく。スピードはドラッグだ。

「ははっ、すごい! すごいよこのマシン! 私こんなの初めてっ!」

 目指すは何処! いやいや今は愛機の進むに任せようではないか! 駆ける駆ける地を駆ける!

「いいいいいやっふうううーーー!」

 怨速で過ぎ去っていく景色。火照った頭が空冷される。我がアパートを見つけた。ここではない。
 油圧計を確認。エレベータはご機嫌だ。もう少し速度を上げても構わないだろう。
 スロットルを開く。ぐんっ、とかかるGが頼もしい。突風が顔を襲う。目を細めた。負けるものか、と私は猛る。

「アーララライララライララライ!!」

 紫のケヤキ。ここを曲がれば小町のマンションだ。鍵穴にガムでも詰めてやろうか。惜しいが、違う。
 十一時の方向。是非曲直庁舎が、見えた。

「なるほどね、ハハッ!」

 ハンドルを撫ぜる。お前の気持ちはわかった。私も同じだ。
 しかし、速度が落ちた。その距離およそ十間で停止する。この期に及んでも私はまだ躊躇しているのだろうか。
 いや、違う。これはプレリュードだ。兵は拙速を尊ぶといえども、急いては事を仕損じる。小事を忍ばざれば大事成らず。要するにタメは大事なのだ。

 キコキコキコキコ、と愛機を進めた。見飽きた光景だが、観察といこうじゃないか。
 派手なネオンのエントランス、門扉に『土足厳禁』の張り紙。裏に回れば『ひっかかったな(笑)』と書いてあるのを私は知っている。
 開庁前の庁舎に列を作っている者たちがいた。全裸、半裸、白スク、土建屋コス、土に埋まってるヤツ、
 バーベキューしてるヤツ、耳にキュウリを刺してるヤツ、五右衛門風呂に入ってるヤツ。
 みんな、私のツッコみ待ちなのだろう。朝早くからご苦労なことだ。
 エンジンを一度、ドルンッ、と吹き上げる。誰も彼も怪訝な顔で振り向いた。

「おどきなさい。ケガをしても知りませんよ?」

 軽いざわめきの後、道が出来る。彼、彼女らの瞳に映るのは、私のツッコみへの期待感? だろうか。くだらない。そんなことの為に私はここへ来たのではない。
 ふん――、口上ぐらいは述べてやるか。最低限の礼儀は払ってやるよ。だが、そこまでだ。

「特攻(ツッコ)……まない映姫!」

 その時が迫る。エンジンが爆ぜ、我が憤怒を代弁する! リミッター解除! ギアを最大トルクに! そうだ遠慮などすることはない!

「ただいま推参っ!」

 迫る門扉! 弾き飛ばすっ! ゴォンだなんて、最初はあっけない音。それから破壊音――暴の匂いを漂わすラプソディ。


「ZENKOOOOOO!!」


 ばらばらばらと、塵芥のごとく舞う木片が心地良い。ああ、ここからはノンストップだ! 頼まれても止まってやるものか!


 ――なんだあれ?
 ――えーきちゃんじゃない?
 ――え、マジで、よっしゃ俺脱いでくるわ!
 ――私が先よ! あんたは引っ込んでなさい! ワンパなのよ!


 同僚から用務員まで、色めき立って寄ってくる。癪に障った。


「選べ貴様らっ! 善行かっ、死か!!」


 駆ける駆ける駆ける庁舎を駆ける!

 ――えーきちゃん見てっ! イメチェンしたの、かわいくない? このモヒカングホァ!
 ――すごいなーその三輪車カッコいいなー彼岸じゃうなんちゃってゴハァ!

「のけぇええええい!」

 ――なにそれー超ヤバいんですけドハァ!
 ――ところでうちのワイフがさゲホァ!

 見覚えのある顔を次々と轢き飛ばす! これは歓声? いや悲鳴? それとも嬌声か? 不思議とハイになる。

「あはっ! アハハハッ! 勘違いするなよ貴様らこれはツッコみではなくただの事故っ、業務上過失致傷だ!」

 気分は最高。が――前方に白い壁。白さが硬さの象徴みたいだ。
 ヨーイングは? 不可。この距離では勢いを殺せない。叩きつけられて、古書に挟まった羽虫みたいになるだろう。
 ブレーキ? 冗談。迫る、迫る、壁。どうする? 決まってる。
 機首を上げる。縦にロール。壁を伝い、

「ひゅうっ!」

 インメルマンターン。 ラダーを振って右へ。天井すれすれをフライトする。
 眼下には階段。今まで行儀よく上っていた自分がバカみたいだ。けれど、今は違う。彼岸中に伝えてやりたい。階段はこうして上るものなんだって。
 楽しんでいる暇はなかった。また、壁。スロットルを絞って天井から離れる。左翼のエルロンを使いバンク、ローリング。

「ひゃっほー!」

 ヴァーティカルローリングシザース 。ダイブ気味に廊下へ接地。ラスト・ランだ。キコキコキコキコ。見えてきた。ド派手な看板。

『かなり偉い上司のお部屋――すっげえ偉いんだぞ敬えてめーら――』

 相変わらず居丈高だなあ畜生がっ!

「ポチッとなぁ!」

 49mmバルカン閻魔砲を一発飛ばす。ノック代わりだ。お洒落じゃないか。しかし、ドアに弾かれた。
 大したセキュリティだが、こんなところに金を使っているのか。忌々しい。

「我の三輪車に停止の二文字など無い! 突――っ! 貫っ!」

 ずんっ、と肺腑に刺さるインパクト、ハンドルを握って耐える。轟音がワンテンポ遅れて、蓋をするみたいに耳へ張り付く。良い音。

「はぁっ!」

 ペダルを蹴る。離脱し、転がる。手足を使い体勢を制御。止まらない。強烈なベクトルに引きずられた。
 お気に入りのパンダさんシューズが摩擦で破れた。なんてチャーミングなアブソーバなのだろう。

「ぬぅっ! ぐっ!」

 勢いを殺しきれず壁に叩きつけられる。肩が外れたが、痛覚など既に無かった。
 相棒の姿を見やる。悪趣味なデスクの半分をえぐり、壁を突き破り、爽快な風穴を開けていた。そのままフライ・アウェイ。

 蒼穹にその姿が溶けこむ間際、三輪車が閃光を放った。
 眩い光のなかで、ハンドルが白く気高い翼へと生まれ変わる。私の双眸にはそう映ったのだ。

「なんと――っ! あなたはペガサスだったのね! そうだったのね!
 ならば羽ばたけ! もっと……っ! もっと高くっ! 遠くへっ! 飛べ飛べ飛べ飛べもっと飛べっ!」

 美しい。ああ、けれど、消える……、消えてしまう! 白雪のたなびく国の青雲の向伏す国へ向かうというのか。
 その飛翔を願ったのは私であるのに、いつまでもその勇姿を眺めていたいだなんて、アンヴィバレンツな感情に苛まれた。

 ――ど、どうしたんだね?

 そんな声を聞いた気がした。面倒だな、と思いつつ外れた肩を入れなおす。ごきん、と鈍い音がした。

 ――だ、だいじょうぶかーい? えーきちゃーん?

 私の感傷に水を差す、耳障りな上司の声だ。部屋の片すみに白い山がある。彼はその前にいた。
 自慢のドロワーズコレクションを整理していたようだ。おかげで無事だったのが、酷く残念だった。
 頭には白い帽子。整理している内にノってきて、思わず装着してしまったのだろう。『いつかドロワーズオンリーのパリコレを開催してやる』彼の口癖だった。
 そんな戯言を聞く度に私は『いったいどんな層を対象にしてるんです!?』とツッコんでいたのだけれど、それも今日までだ。


「紙とペンを貸して頂けますか?」


 いざ行かん、ボケもツッコみもない平穏な世界へ。
 辞めてやる、こんな職場。





 ◇





 四季映姫・無職ザナドゥ。それが今の私です。
 後になって気づいたけど、私は号泣していたようだ。何がそんなに悲しかったのか知らないが、割とテンパってたのは間違いない。
 ちょっとやり過ぎたかなって後悔したけど、新手のツッコみとして受け止められたようです。
『凄かった! 歴史に残るツッコみ浪漫飛行だ!』と出て行く際にくす玉まで割られた。
 はぁ……、もはや彼岸にはバカしかいないのでしょうか……。

 しかし、勢いで仕事やめちゃったは良いものの、働かなくてはご飯が食べられない。
 只今、里で就職活動中だ。二、三日生き延びるぐらいの貯金はあるけれども、彼岸にはもう帰りたくなかった。
 宿代なんてないから、野宿をかれこれ一週間続けている。乙女の節度とか、そんなもの、とうの昔に忘れました。
 生きるか死ぬかの日々にあっては、握り飯>恥じらいなのです。
 どこも不況なのですね……。私はけっこう手先が器用なので、仕立て屋さんなんか向いてるんじゃないかと思って履歴書を持って行ってみたけれど、
『その服のセンスじゃねえ』と鼻で笑われた。裁いておきました。

 結局、どこへ行っても門前払いがほとんど。みんな、他者にもっと優しくなるべきです。
 そうすれば、私がこんな風に新聞紙に包まって道端に寝転がることもなくなるのだから
 ――いやいや意外と暖かいのですよ、新聞紙。さらに防寒具+暇つぶし道具と一粒で二度美味しい。
 冷たい風が吹いて、新聞紙がばさばさ鳴った。何日か前の記事ですけど、読んでみましょう。
 日が落ちてしまえば、身を縮めて寒さに耐えるぐらいしかやることがなくなるのだから。


《博麗神社、賽銭箱を百個増設。『景観を壊す』と利用者から不満の声》

《オータムシスターズが経営破たん。大学芋市場への投機失敗が原因か》

《八目鰻屋台に業務停止命令。墨汁を醤油の代わりに使用していた疑い》


 不景気な話題ばかり。世の中カネじゃないとはいいますけど、カネ以外に何を信じれば良いというのでしょう。
「愛ですか?」と口に出してみた。くだらない。愛だけで生きていけるのなら誰も苦労はしない。それに、無職の神様なんか、誰も愛してくれやしない。

「はぁああああぁぁ……」

 ネガティブ一直線な自分の思考に嫌気がさす。むわぁ、と紫色の溜め息が出た。
 ん……、文通コーナー、ねぇ。いまどき流行らないでしょうに。


《北辰一刀流? 天然理心流? ノンノン時代はワシ流チェケラ。PN.お便り待ってるYO忌(♂・ハーフ)》

《老後の暇つぶしに文通なぞいかがじゃろうか。あ、別に若い子でもおk^^b PN.玄G(♂・亀)》


 これ二つ。ツッコみ以前に哀れんでしまった。なんとなくですけど、こうはなりたくないものです。
 ぐぅ、とお腹が鳴った。タンポポやヨモギも不味くはないのだけれど、こう毎日食べているとさすがに飽きがくる。

「はぁ……」

 紅生姜たっぷりの牛丼が食べたいなあ、とがま口財布をぱかりと開けてみる。大量の割引券、だけ、が目に付いた。期限切れてます。でも、なぜか捨てられません。
 なんでこういう券って一枚ずつしか使えないのだろう、世のなか理不尽だ、と地面に潰れる私。

「あら、閻魔様じゃないの?」

 聞き覚えのある声が降ってきた。見上げれば白いエプロン、銀色の髪、独特のヘアキャップ。紙袋を抱えた、メイドさんだ。
 なんだか香ばしい匂いがして、舌の裏によだれがほとばしる。生理現象だ。いやしくなんてないんだから。

「あなたは、いつか」

 ツッコ――、お説教した覚えがあった。あの極悪な当たり判定でへにょるナイフは大罪だろう、とか、
『一つでもボムを減らさないと~』と言ってるくせに撃破後にボム落とすのはボケのつもりですか、とか、違ったかな――ああでもそんなことよりお腹減った。

「なにをしているのかしら、こんなところで」

「お腹をすかせています」

 思わず正直に答えてしまった。恥ずかしいけど、こんな格好で何を今更だろう。新聞紙着て道端で寝てるやつがお腹一杯なはずない。

「それは、また、大変ね」

 メイドさんは目を見開いている。偉そうにお説教たれた閻魔がこんなことになってたらビビるだろう。私だって今の自分の状況にビビってる。
 彼女は、両手に持った紙袋をごそごそあさった。ああ、なんだろうこれ。幸せな香りが辺りに広がる。

「食べる?」

 金色に輝くその棒はフランスパン――あ、バターの香りがあ、あふぅ。瑞々しい黄色のなかに、うっすらとかかる焦げ目が食欲を引き立てる。
 湯気の衣、ひょ、ひょっとして、焼きたてですかぁあ!?

「い、頂けるのですか!?」

「なんだか、見るに忍びなくって」

「いただきますっ!」

『待て』をされてた飼い犬みたいに、むしゃぶりついてしまった。あぁぁぁ、甘みが舌を通して全身に染み渡るようです!

「おいしい?」

「はぐぐ? ……はぐっ! はぐぐぅ!」

 あまりの美味しさに舌が回らず、うまく喋れていたか自信が無いのだけれど、食べながら今日に至るまでの経緯を説明した。
 給金が安いだの同僚やら部下のおふざけが過ぎるだの、愚痴っぽくなっていたかもしれない。

「ふぅん、閻魔にも色々あるみたいね」

「ぎいでぐだざいよおお。はぐはぐあいつらはぐぐおいしぃほんとに私のことなんだと思ってはぐはぐ」

「先に食べてしまったら?」

「うう、人の情けが身に染みまっはぐはぐ」

 気づけばパンは丸々一本私のお腹に入ってしまっていた。
 思い返してみればあのフランスパン、微妙に鉄、というか血の香りがしたけど……、美味しかったので問題無し。

「なんだか餌付けした気分よ」

 と彼女はハンカチを取り出し、私の口を拭いてくれた。ありがたいことだが、もはや口元の汚れぐらい気にはしない。他にも清めるべきところが有り過ぎるから……。

「いやはや、どうも。ご馳走さまでした。このご恩は彼岸にてお返しします。
 ちょっとお洒落な裁判室を都合しますから、いつでも安心して死んで下さい」

「閻魔って、不吉なことを言うのね」

「決してそういうつもりでは……、職業柄というやつです」

「無職なのでしょう?」

「そうでした、あは、あはは」

 乾いた笑い。洒落にならない現実を思い出してしまう。

「本当にありがとうございました。失礼します」

 感謝の念を胸に、背を向ける。行くアテなどないけれども……。
 一見クールな感じのあのメイドさん、すごく親切だった。人を見かけで判断するのはいけませんね。
『お嬢ちゃん、迷子?』とか訊ねてきたやつは腹を切って死ぬべきだ。『ううん、遊んでるのぉ』って誤魔化す私も私なのだが。
 だって、『無職の神様です。ご飯食べさせてください』なんて言えないじゃない。
 そんなことをぐだぐだ考えてたら「ねぇ」という声が背中にかかった。振り向けばもちろん、先程のメイドさんがいた。

「行くとこないなら、うちで働いたら? 人手は足りているけれど」

 彼女はそんな提案をしてくれた。はっとする。ここ一週間探し求めてやまなかった就職の糸口だ。
 しかし、後ろの一言がなかなか複雑な気分にさせてくれる。

「うちというと、お勤めされてるお屋敷ですか?」
「そう、紅魔館。それは湖の孤島に佇む幻想郷随一の建築美。東を歩けばバロック様式、西を歩けばロマネスク。住人だって素敵よ。
 アイパーかかったバリバリの門番(ツッパリ)やら、長ランにドカンの魔女(レディース)、
 極めつけは仏恥義理にマブい悪魔の主(ヘッド)がシャコタンの族車で特攻(ブッコ)む愉快な館よ」

 それは楽しそうですね。ツッコみを辞めた私には気になるところなど何一つありません。ほんとです。

「悪魔の館というと、悪事の片棒を担がされちゃったりするんでしょうか?」

 正直、働かせてくれるのであればなんでも良かった。客引きだってするし、着ぐるみだって着てやります。
 それでも里では『労基法に引っかかりそうだから』と断られることがほとんどだったのだ。
 どういう意味なんでしょうね。わかりませんけど、みんな死ねばいい。
 ただ、悪事にまで手を染めるのは閻魔、いやフリーの神様としてさすがに許容できない。

「まぁ、たまにはそういうこともあるけど」

「あるんかい――ハッ」

「最近はそういうこともないわね。普段はほんとにメイドの仕事しかしていないわ。物足りないぐらいよ」

「メイドがメイドの仕事して、物足りないというのもどうかと思うのですけど」

「とりあえず、やる事やってくれれば衣食住の保証はするわ」

「やらなかったら?」

「そうね、お嬢様の遊び相手にでもなってもらいましょうか? むしろそっちを積極的にお願いしたいぐらいよ」

「まさかババ抜きとか鬼ごっこじゃないですよね」

「最近はそういうのも割とお好みのようだけど」

「託児所みたいなところなんですね……」

 悩んでしまう。衣食住の保証があるというのは、それだけで垂涎ものの好条件だ。
 けれど私、生まれてこのかた白黒はっきりつける以外の仕事をやったことがない。
 果たして務まるのかどうか。仕事内容は? 勤務体系は? 福利厚生は? 逐一尋ねてみたけど、「うーん、どうなのかしら?」と、のれんに腕押し腕まくり。
 メイド長とのことですけど、それで務まるものなんでしょうか。

「それじゃこうしましょう」と彼女は手を叩いた。「社会科見学ってことで」

「はぁ、ものは言いようですねえ」

 気に入らなければいつでも出て行けば良い、って意味だろう。
 それにしても、インターンシップとか、せめて試用期間って言ってくれないだろうか。幼稚園とか小学校じゃないんだから。
 しかし、心は既に決まっていた。いつまでも道端のオブジェになっているわけにもいかないのだ。
 いや、閻魔だからお地蔵さんになってもおかしくは無いのだけれど、お供え物だけで生き延びる自信はない。
 ああでも取れたての大根とか供えてもらったら、それでODENとか、悪くないですねえ。うふ、うふふふ。
 …………。
 らちのあかぬ妄想を断ち切り、平身低頭、誠心誠意で私はお願いする。

「どうかあなた方のお屋敷で働かせてくださいあとフランスパンもう一本ください」

「もう無いわよ」

 こうして私の、社会科見学という名の丁稚奉公が始まった。





 ◇





 あれから一週間が経った。四季映姫・メイドザナドゥ。それが今の私だ。
 放浪生活で服がボロボロになってしまったので、貸して頂いたメイド服を着ずっぱりです。なかなか可愛らしいデザインをしていて、気に入ってたりする。
 ちなみに二番目に小さいのがジャストサイズだった。なんでしょう、何も問題はないのになぜか納得がいかない。

 働き始めて一週間経ったけれど、ここは本当に居心地が良い。湖上にあるからか空気は透き通っているし、
 朝の窓から見える景色はそれだけで一枚の絵画のようで、空いた時間に眺めていると、それだけで感性豊かになるみたいだった。
 芸術で腹がふくらむなら苦労しませんけどね――無粋ですか、無粋ですね。全ては貧乏が悪いのです。

 ――えーきちゃん頑張ってねー。

「はいっ! ありがとうございます!」

 すれ違う同僚の妖精さんがこんな風に声をかけてくれる。まともだ。まとも過ぎて涙が出てきます。
 ここにはバナナの皮を頭にのせた上司も、卑猥な形の幽霊も、渡し船でドリフトする部下もいない。
 皆おどろくほど真面目で、粛々と己の仕事をこなしつつ、ほう(報告)れん(連絡)そう(相談)も欠かさない。
 それでいて実に楽しそうに仕事をしているなんて、いったいどうやったらこんなチームワークを築けるのでしょう。

「ご苦労様」

 この人の力なのかなあ、とここ数日で考えるようになった。労いの言葉をかけてくれたのはメイド長、十六夜咲夜さんだ。
 さん付けですよ、当たり前じゃないですか。目上の人には敬意を払うのが社会人の常識というものよ。人じゃないけど。

「咲夜さん! お疲れ様です!」

 思えばこの方は私を拾ってくれた恩人なのだ。多少は畏敬の念も生まれるってもんです。ついついホウキを握る手に力が入る。

「なんだか板につきすぎてるわね……。ほんとに閻魔なの?」

「はぁ、ひょっとしたらこういうお仕事の方が向いてるのかもしれません。これだけ広いとお掃除も楽しいですねえ」

「つつがなくやってくれてるから良いけど。そろそろお昼休みにしてくれていいわよ」

「了解しました!」

 無駄に元気が良い私の答えに満足したのか、咲夜さんはふっと笑って、去っていった。
 余裕のある仕草だが、ああ見えて恐ろしいほどの仕事量をこなしているのですから底が知れない。仕事仲間を尊敬できるって素晴らしいことだと思う。

「かっこいいなあ……」と思わず呟いてしまった。



 特にあの、白銀のリーゼントとか……。



 きっと、ひどい寝癖だったのでしょう。ワックスで必死に直そうとしているうちに、あんなことになってしまったのでしょう。
 メイド長としてだらしない姿をさらす訳にはいかぬ。そんな心構えの表れなのでしょう。
 私はこんな風に考えて何事もなく掃除を続けることにした。母さん、今日も幻想郷は平和です。

「やーれん善行! そーらん善行!」

 空気に触れているだけで汚れるのが家屋というものだ。特に廊下は常に人が行きかう場所だから、想像以上に汚れ易い。
 花瓶の裏、窓とレールの間、絨毯と壁のちょっとした隙間、清めるべき場所が後から後から出てくる。
 あっという間にホコリの山がこんもりと出来上がった。昨日の昼食を思い出す。オムライス――ああ、ヨダレが溢れて止まりません。
 ささっとゴミを捨てる。いま少し掃除するべき場所があるようだったけれど、食堂へ向かった。
 このまま続けていても私のヨダレで逆に汚してしまうことになりそうだったのだ。過敏すぎる唾液腺が憎たらしい。

「らん、らん、る~♪」

 さてさて、今日のお昼はなにかなあ、うふふ。心なしかスキップ気味だった。

 食堂にはまばらだけど、早番らしき妖精さんたちがいた。
 いやぁ皆さんお行儀良く食べてます! 素晴らしい! お箸でチャンバラするやつも、うどんを鼻から入れて口から出すやつもいません!
 ここの昼食はほんとに美味しい。昨日なんか人目を忍んで皿をぺろぺろ舐めてしまった。
 行儀と食欲を秤にかけたら食欲が勝るぐらい美味しいケチャップだったのだ。
 普通のケチャップじゃないみたいだったけど、何か隠し味を使っているのでしょう。

 給仕当番の妖精さんからパスタの乗ったお皿を受け取る。景色を楽しみながら食べたかったので、窓際の席に座った。
 フォークを取って麺をくるくる巻いて、ぺろりと一口。トマトの風味、ソースの旨味、歯切れの良い麺が渾然一体となって私の舌を攻め立てる……。

「まいうー!」

「ここ、よろしいですかぁ?」

 未踏峰を初制覇した登山家のごとく絶叫する私に、声がかかった。

「あ、ふぁい」

 あらら、ずい分大きなメイドさんもいたものですね。大き目の制服を着ていて、はちきれんばかりの圧力が胸のところにかかっているようです。
 どうも始めまして新入りのメイドですとご挨拶しようとして――。

「ぶほぉ!」

 私の口からパスタが勢いよく飛び出た。見るも無残! MOTTAINAI!

「ふぁんであんたがここに……っ!」

 にっくき元部下・小野塚小町が私の眼前に現れた。いったい何しに来たのだろう。うらぶれた上司の姿を笑いにきたのか。仕事はどうした。
 が、しかし。そうです。決めたのでした。もう二度とツッコんでやんねーぞぉ! って。私は努めて平静を装い、パスタを拾い集めて食べた。
 それから、泣く子も笑う閻魔スマイルを作って、言ってやる。

「どうぞどうぞ」

 完璧だ。ツッコみのツの字もないスルーっぷり。もう誰も私にツッコませることなど出来ぬ。
 極端な話、今この場で小町が破裂しても私はスルーする。『スッキリしましたね』って鮮血のなかで笑う。

「……むぅ」

 小町はなんだか不満げに、私の対面に座った。ツッコみがないのがそんなに悔しいのだろうか。まぁ知ったことではありません。

「似合ってますよぉ、その格好。なんだかそういうお店に来た気になりますねぇ」

 頬杖なんかついて甘ったるしい喋り方しやがって。そういうお店ってどういうお店ですか? えーきちゃんよくわかんなーい。

「それはそれはわざわざどうもありがとう。あなたもなかなか似合ってますよ? どちらのコアなお店で買ってきたのかしら?」

「ここの更衣室からパクってきました。いやぁ、バレないもんですねえ」

「パク――ッ!? いや、べつに、構いませんね。『お前の物は俺の物』なんて格言もありますしね。
 この世の所有権の在り処なんてそもそも怪しいものなんです。
 お好きなものをお好きなだけおパクりになったらよろしいのではないでしょうか?」

 猫型ロボットの逆鱗に触れて時間と空間の狭間に放り込まれても知りませんけど。

「いやぁ、里で聞いたんですよー。
 ベソかいて鼻水たらしながらチュッパチャップスくわえた幼稚園ぐらいの女の子がメイドにさらわれるのを見たって」

「へえ、別人ね。それでわざわざここまで迎えに?」

「いいえ、ちょっと野暮用で。畳の目を数えに来ました」

 まぁ、なんて優雅な嗜みでしょう。

「どうぞごゆっくり。最近彼岸で流行ってるらしいわね」

「ところで良い天気っすねえ! 外に出てトルコ相撲しませんか?」

「お断りします。午後も仕事がありますので。ぬるぬるしたけりゃ一人でして下さい」

「むー、粘りますね。トルコ相撲だけに」

「……そうですね。ふんっ!」

 ちょっと上手い、とか思ってしまった自分をひねり潰したい。

「突然ですけど、実はあたい、この下に何も着てないんですよ」

「ふーん。そういう趣味もあったの。いいんじゃないですか? 涼しげで」

「いやーほんと暑いっすねー! 脱いじゃおっかなー! あたい脱いでも凄いんすよー!」

 わざとらしい大声っ! 周囲の視線が私たちに集まる――わざとやってんのかこいつっ!?

「ちょちょちょっと! 今は冬ですよ! いくら暖房が効いてるからって暑いってこたないでしょう!?」

「……お?」

「今は冬。しかも館は冷暖房完備で適温。暑いということは有り得ない。この命題を否定したいのなら反証を提示せよ」

 危ない危ない。ちょっと気を抜くとこれだ。いっそシカトしてやりたいのだけど、そうするとこいつはムキになって無茶苦茶やりそうな気がする。そんなヤツだし。
 小町は「ぬぅ」と唸ってからテーブルのソース、その蓋を外す。腰に手を当て――、震える喉。一気飲みした。よっぽど好きなのですねー。

「ぷはぁ。ところでラーメンに入ってるあれ、美味しいですよね。なんて言いましたっけ? エンマ?」

「そうです。タケノコを発酵させた歯ごたえのある食材ね、エンマ」

「横書き文章の区切りに打つ――」

「エンマですね」

「百戦」

「えんま」

「えーん、ママー。鼻の穴に彼岸花ツッコまれたよー」

「あらあら可愛そうに、生殺しはいけないわ。私なら全身の穴という穴にツッコ――入れてさしあげますけど?」

 あっぶね。この罠は狡猾すぎる。『えーん、マ』を私がスルーすると踏んだその先に更なるトラップを仕掛けるなど、脳がとろけた乳牛みたいな顔してなんという策士だ。
 全てはここに至る為の布石だったのですね。だが、私は耐えた! ははは、ざまーみろ! 絵札とA、2オンリーのところで革命、スーアンコーをクイタンのみで流してやった気分だ。

「うぅ、まさかこれが通じないとは……」

「終わりですか? 特に話すことが無いのでしたらよそへ行って頂けます?
 食事はゆっくり楽しむものですから、鍋を叩いて起こしにくるステレオタイプな幼馴染みたいに騒がしい死神がいると落ち着かないんですよね」

「…………」

 小町は俯いてしまっている、ふふ。『いつまでも、あると思うな、親とネタ』自分で言ってたことが身に染みていることでしょう、
 ってほくそ笑んでたらバン! とテーブルが鳴って――。

「あーもうどうボケたらツッコんでくれるんですかっ!!」

 やけくそになりやがった。あーもうやけくそになりたいのはこっちなわけであってでー、す、ねっ!!

「知るかぁっ!」

 バーン! と私だってテーブルの一つや二つそりゃあもうあらん限りの力を込めてぶっ叩きたくなり――。
 ガラガラガッシャーンって。

「ああ! テーブル割れ……でも知ったこたかぁ! 出ていけこのドぐされ死神が!」

「愛憎渦巻く彼岸芸能界をあたいにピンで渡っていけってんですか!?
 えーこま姉妹で天下を取るんじゃなかったんですか!?」

「初めて聞いたわそんな話――いやいやそういう話もあったのかもねえ!
 だいたいイーピンもリャンピンもあるかこのサンピン! 人は生まれた時から誰しも一人でっ!
 心の底から交わることなんてできないんです! 一人で生き抜く力がないならさっさとくたばれ! それがサバンナの掟だ!」

「ああ今のはちょっとツッコミっぽい! も……もっと! もっと下さいぃい!」

「欲しけりゃいくらでもくれてやるわぁ! 人は決して分かり合えないんです! 孤独なんです!
 それでも……、温もりを感じることは出来るから……っ! だから私たちは手を繋ぐんです!」

「それはなんか違いません?」

 だっ、だっ、だっ、誰のせいでここまでテンション上がってると思ってんだコノヤロウ!

「いいから出てけぇええ! ラストジャッジメントLv255!」

「へへっ! 効きませんよ! 今時そんな古臭いカンスト数じゃね!
 そもそもあたいと四季様が戦ったら何が起こるかお分かりでしょうがっ!」

「えっ!? ななな、なんですか、私と、小町って……」

「思い出してみなっ! 『六十年目の異変』を!
 チャージの応酬でバカみたいに弾が散らばってさあ、それでも四季様はプルプル避けしてぜんぜん被弾してくれなくてさあ!
 そのうちなんだか動きが鈍ってきてよぉ!」

「はっ! そんな、まさか……っ!」



 ――処 理 落 ち …… っ ! ス ロ ー モ ー シ ョ ン …… ッ!



「うん、まぁ、そういうこともあるんじゃないですか?」

「あるかぁ!」

「小町にツッコまれた! 小町に……、小町に、この私がっ!
 彼岸のツッコみ女帝、彼女の前ではボケも逃げ出すとまで言われたこの私がツッコまれた!
 あは、あはっ、あははっ! アハハハ!」

「四季様にツッコんじゃった! ボケとツッコみが曖昧になるのはグダ芸の極みなのに……、極みなのにっ!」

「あはっ、あははははは! 楽しいねぇ小町!?」

「楽しいっすねぇ! あはははは!」 

 もう何がなんだかわからなくて小町と二人でひたすら高笑いしてたら、目の前に禍々しい空間が開いて、吸い込まれた。私だけ。
 怖くて怖くて閉じていた目を開くと、咲夜さんがいた。その手にはナイフ、いや、ドスを持っていた。
 セーラー服と機関銃、そんな単語が何故か頭に浮かんだ。
 恐る恐る辺りを見渡してみる。血染めの木刀、やたらと高そうな盆栽、鮭をくわえた無骨な熊の彫り物、過剰なまでに力強い『仁義』……。
 ヤクザ屋さんの事務所がテーマなのでしょうか? オッシャレな部屋だなあ……。

「おい」とドスを指で弄びながら、咲夜さんはしゅうしゅう白煙をたてる液体窒素みたいに冷ややかな声を出す。

「おどりゃ、何があったかは知らんがのぅ、ぎゃあぎゃあ騒がれとったらワシの舎弟どもがビビってまうんじゃ。
 そりゃ飯っちゅうんは楽しゅうするもんじゃけえのお、
 ちいとやそっと騒いだところでワシもうるさくは言わんがのお、限度ちゅうもんは知らんといかん」

「は、はい。ほんと、その、さーせん……」

 雰囲気にのまれた私の脳がいくらか、いや、かなりの脚色をしている可能性はあるけれども、こんな感じにお説教された。
 私、閻魔、いや、違う、閻魔だったのに……。でも、悪いのは一方的にこちら(というか小町)だから文句は言えない。
 今朝までは優しかった咲夜さんが、この時ばかりは、蒼く光る眼が怖くて怖くて、私はちょっと涙ぐんでしまった……。

「今日までは真面目にやってくれとったけえ大目にみるがのお、二度目はないで。
 うちの親分は厳しいお方じゃけ、次はケジメをつけてもらわんといかん。わかっとるんか?」

「はい、わかりました……。さーせん……」

「わかったなら行かんかい。午後のシノギが残っとるんじゃろう」

 ケジメとやらが恐ろしすぎるので、言いつけ通り午後のお仕事を片付けることにしたのだけど――。

「あの……」

 去り際に、どうしても気になったので訊ねてみる。

「なに? 私、間違ったことを言ったかしら?」

 少し落ち着いて聞いてみれば、咲夜さんは普通の喋り方だった。ウソォ。

「い、いえ、そんなことないです、さーせん。あの、その……」

 気圧されて、言いよどんでしまう。

「どうして咲夜さんは微妙にグレているのですか……?」

「思春期なのよ」と即答。

「あ、そうなんですか、思春期なら仕方ありませんね……」

 飄々としているように見えて胸のうちには不満が鬱積しているのでしょう。咲夜さんぐらいの年の人間にはそういうことがあると聞きました。
 ツッコみ? 無理に決まってるでしょうそんなもん。有無を言わさず刺されます。
 最後にもう一度「さーせん……」と謝ってから、咲夜さんの部屋を出て、受け持ちの場所へ向かった。

 花瓶の水を換える。「うまいっ! もう一杯!」横から湧いて出た小町に飲まれた。
 絵画の額を外す。「ちぃーす!」小町が挟まってた。
 無視して窓を拭いていると、外に小町。「はぁ~」って息を吹きかけて『ス キ』。
 私も「はぁ~」って息を吹きかけて『くたばれ』って返した。


 冗談でもなんでもない。死ねばいいのに。





 ◇





 やっと、仕事が終わった。昨日までの三倍は効率が悪くて、激しく残業することになった。
 同僚の妖精さんたちの視線は、昨日までの好意的なものとは明らかに異質でした。職場の歪みというものはこうして生まれるのでしょうか……。

 まぁ、色々と疲れたけど、こうしてお風呂に入っていれば鬱憤も吹き飛ぶ。
 香る湯気のアロマが引きつった顔の筋肉をほぐしてくれる。さっき鏡で見た私は、閻魔というより般若だった。
 ぬるめ(200℃ぐらい)の湯につかりながら、くそったれ、失礼、迷惑な死神のことを考える。
 あいつは一体全体どうしてあそこまで、私にツッコませようとするのか。
 ボケに汚染された彼岸といえども人無きにあらず。ツッコみ役ぐらい探せばいくらでもいるはずです。

「……バカだからでしょう」

 あっさり結論が出た。ボケも度が過ぎるとツッコみようが無くなるものだ。大方、方々にスルーされ続けた挙句、仕方なく私を探し当てたのだろう。
 お風呂から上がってパジャマを着た。柔らかな綿が私を優しく包んでくれるようだ。さ、明日のお仕事にそなえて今日は早く寝ることにしよう。
 ふかふかのベッドが私を待っている。今日はほんとに疲れました。疲れ――。

 気持ちはわかるが、落ち着け、私の身体。Vクロスアームロックはさすがにツッコみだ。至極穏やかに、疑問を口にするにとどめる。

「なんで小町がここにいるのかしら?」

 ベッドに横たわって片肘までついて、どうして他人の部屋でここまでくつろげるのか、神経を疑う。

「えーきちゃん、パジャマも可愛いっすねえ。買ってもらったんですか?」

 スルーですか。まぁ、いいでしょう。いちいちシーケンシャルな受け答えを期待していては、こいつの思うツボだ。

「館の備品ですけど何か問題でも?」

「そうなんですか。でも、なんですかその、顔色がやたら悪いくまさん」

「うるさい。サイズが合うのがこれしかなかったの」

 というのはウソで、ほんのり滲む血反吐のワンポイントがプリティで気に入っていた。誰のデザインなんですかね。

「そこは私の聖域よ。あなたのような異端者がいて良い場所ではありません。
 エルサレムで読経するようなもんです。比叡山のモミの木にクリスマスイルミネーションを施すようなもんです。さあ、おどきなさい」

「あ、お休みですか? ならどうぞどうぞ」

 小町は布団に半分くるまって、ベッドをぱんぱん叩いている。そしてまた軍服だ。それパジャマだったんだ。ああもうどうでもいいや。
 頭にくるぐらい艶やかな小町の手をそっと掴んだ。なぜか閻魔より遥かに高い死神の給料。良い物食べているのでしょう。

「おっ? やる気ですね! さっすがえーきちゃん!」

「ぬぅん! 閻魔投げぇ!」

 一本釣りの要領でカーペットに叩きつけてやる。これは決してツッコみではなくて、邪魔なブツをあちらからこちらへ移す、単なる作業に過ぎない。

「おわぁ!?」

 ずしん、という音を予想していたが、ぽよよん、という音がした。

「あいたた、お尻痛い……」

「それだけ弾力があればケガもしないでしょう。さぁ、とっとと出てってください」

「えー、だって行くとこないんですよぉ?」

「知りません。お部屋が欲しけりゃちゃんとした就労手続きを踏んでください」

「泊めてくださいよー。彼岸まで帰るのもめんどくさいしー、可愛い部下じゃないですかぁ」

「元・部下ですし、可愛くもなんともありません。廊下でも屋根裏でも長靴のなかでもどこなりと泊まれば良いじゃない。
 そうだ、新聞紙貸してあげましょうか? 私が一週間お世話になったやつですから穴開いてますけど、すきま風ぐらいなら防いでくれますよ?」

 新聞紙はまだ捨てていなかった。ガムテで補修すればまだまだ使えそうなのに、それを捨てるだなんてとんでもない!

「どんな生活してたんすか……。じゃあもうベッドは諦めますから、せめて部屋にいさせて下さいよー」

「お断りです。とにかく私はもう寝ますから……、さっさと出てけ!」

 灯かりを消して、ベッドに入った。お風呂の前はビシッとしてたシーツとお布団が、小町のせいでぐちゃぐちゃになっていた。
 さらに生暖かい。相当くつろいでたな、あんにゃろう……。
 しかし! うだうだやっていても仕方ない。明日も朝からお仕事なのだ。こんなろくでもない一日にはさっさと終止符を打つべきなのだ。
 ほら、どんなにイライラしていてもお布団に包まってしまえば眠気はすぐ――。

「うぅ、寒いなあ! この部屋は底冷えするなあ!」

 やってこなかった。部屋中にこだまする独り言って初めて聞いた。
 そもそも寒いって、嘘だろう。この館ならどこにいてもシャツ一枚で快適に過ごせるはず。

「うわぁ! 寒いっ、寒すぎる! 凍傷なりそう! 寝るなっ、寝たら死ぬぞ小野塚小町ぃ!」

 ねーよ。
 あ、これは『さぁ寝よう』って意味で、決してツッコみではない。

「あーいや、じっさい割と寒いっすねえ。なんというか心が冷えるといいますか、寝具の重要性を改めて確認したっつーか」

 ぐす、とわざとらしく鼻を鳴らす音がした。

「やっぱ寝るときは何かに包まれていたいってのが、生き物の摂理なんですかねえ」

 ……それはわからないでもないけど。一週間の道端生活を思い出した。
 あの時はほんとに辛かった。仕事が見つからなくて、お金は無くて、お腹は減って、不安で、夜の寂しさったらなかった。

「まぁ勝手に押しかけてきてんのはこっちですからねえ。うん、強くは言えませんよねえ。
 ベッドでぇ! あ、それそれベッドでぇ! そいやっ! そいやっ! ベッド祭りじゃあ! ベッドでぇ! 寝たいだなんて……」

 やっぱり何も聞こえない。私は既に夢のなかなので何も聞こえない。

(あぁ、彼岸花が咲いた野原で赤鬼と青鬼がフリスビーをしている……。フリスビーには鋭利な刃が付いているようです。
 二匹とも緑の血だらけですね。お洒落じゃないですか。
 ん? 私の右手が何か掴んでいる。紐だ。繋いであるのは人面犬。かわいいなあ。こんな良い夢見るの久しぶりだなあ)

「へぇっくしょい! ちきしょい! あ、これはマジくしゃみですよ。花粉症ですかねえ?
 おかしいなあこんな時期にへへっ、へっくしょい!」

 …………。
 マジくしゃみ、っぽく聞こえないこともないけども。

「うぅ……、部下として上司と親交を深めたいと思っただけなのに……。
 四季様がブッチしてバックれたと聞いて取るものも取りあえず幻想郷中を探し回ってたっていうのに……。
 まさかこんな仕打ちを受けるだなんて……およよ」

 ブッチしたわけじゃないし。ちょっと嫌気がさしただけだし。そもそも元はといえばのあなたたちのせいだし。

「今年の春は良い桜が咲きそうだなぁ。なあ先生? それまであたい、生きてられんのかなあ?
 あの葉っぱが落ちたら、きっとあたい死んじまうんだ……」

 どこの木の葉っぱですか? うちわと扇風機と高枝切りバサミ持って駆けつけるから教えて頂戴。

「……あー、その、ネタも尽きたことですし」

 なんだよ、と声には出さない。

「いやぁ、その、言いにくいんですけどね……」

 なら、言わなければ良いじゃない。

「四季様と一緒のお布団で寝たいなあ。せっかくだし? だなんて……」

 訴えかけるみたいな小町の声。

「はぁ」というのは私の小さな溜め息。いったい何を思った溜め息なのだろう。小憎たらしい部下への不満とか、人の世の辛さとか、この館の暖かさとか、
 色々詰まってるような気がしたけど、自分でもよくわからない。
 布団を思いっきりかぶる。

「ぐぅうう! ぐぅうう!」

 我ながら頭にくるぐらいわざとらしい寝息をたててやった。私みたいな乙女がこんな猛々しい寝息をたてるはずないのに。

「……四季様?」

 寝たのかな? と布団をつつかれた。はいはい、もう寝てますからさっさと入ってくればいいでしょうが。

「えーきちゃーん?」

 ぼすっ。――って。

「ぐうっ!? うっ! う……う!」

 の、乗られてる!? しかもっ、ほぼ全体重でしょうこれ! 苦しい、むしろ痛い。
 しかし……っ! ここで起きるのもドタマにくる! なんなのよこいつ!

「ぐううぅうっ! ぐう! ぐう! うーん! あーもうこれ以上ジャージー牛は食べられません!
 ホルスタイン持って来い! 白黒はっきりつけてやっから! ああもう既についてるってか!? あはははは!」

「どんな夢見てるんですか。へへっ」

「オレオが私を挟むぅ……、シマウマが走ってくるぅ……、古風な囚人服のバーゲンセールゥ……」

「お邪魔しちゃいますよー? ほーらもう左足が半分入った。ほれほれ、次は身体も入れちゃいますよ?
 あまつさえぎゅっとしちゃいますよ? ――それ、ぎゅっ!」

「……う」

 頚動脈をぎゅっとされる。小町なりのハグなのでしょう。少し苦しいだけで、何も問題は無い。
 それよりなにより、背中に当たる、この、ふくよかな感触が、うざっ。

「あー、やっぱりベッドは良いですね。布団も四季様のおかげであったかいっすね。
 あたいが入ったからには二倍でも三倍でもあったかくなりますよぉ!」

「…………」

「おやすみなさぁい、四季様。まだ起きてるんでしょ?」

 タヌキ寝入りって難しい。そもそも、なんでタヌキなのだろう。キツネでも似たようなもんじゃないか。そんな感じのくだらないことを考えているうちに、眠りに落ちた。
 っていうかオチた。











 翌朝、起きたときには小町はいなかった。
 夏休みのタイムスケジュールを二十四時間『昼寝』で埋め尽くすようなやつがこんな朝早くからどこへ行ったのだろう。
 熟睡できなかったのか、少々頭がぼんやりする。身体があたたかいことに、おや、と思った。
 ベッドから落ちるか、布団を蹴飛ばしてしまい、肌寒さで目を覚ます、というのが最近の朝だ。
 私はちょびっとだけ寝相が悪いらしい。豪華な寝具に慣れないだけ、という可能性もあるけれど。

「あの子ったら……」

 小町が、お布団をかけなおしてくれたのでしょう。なんだかんだいってアガペーはあるのだ。一筋の光明を垣間見た気がする。
 他者を慈しむ気持ちがあるのならば、いつか私のことだって、もっと深く考えてくれるのかもしれない。
 ボケにツッコむこともなく、サボりを叱ることもなく、極々ありふれた上下関係を築けるかもしれないのだ。それは、なんて平凡で素晴らしい日常なのだろう。
 嬉しくなって勢い良く身体を起こす。


 がさり。慣れ親しんだ、この感触。



「わっ、新聞紙だあ」



 私はすぐさま新聞紙に『メーヴェ』と書いて紙飛行機を作り窓から投げた。メーヴェはひゅるると風に運ばれ湖面に届いた。


「沈め……、とっとと沈んじまえっ!」





 仕事中、同僚の妖精さんたちの表情が冴えなかったのは私のせいだろうか。
 表情筋というのは何百年生きていようがコントロールが難しいものです。怒怒怒怒怒、失礼。
 それでも、小町がいなかったので一日の業務はつつがなく終わった。いつどこから出てくるものかと警戒していたのに、肩透かしだ。
 こっちが肩透かししてやるつもりだったのに、戦わずして負けた気分です。

 楽しい楽しい夕餉の時間が過ぎていく。ものを食べているときは、誰もが幸せで、明るくなるものです。
 だからというわけではないでしょうが、「昨日はどうしたの?」だとか、「あれってお友達?」だとか、妖精さんたちが話しかけてくれる。後者については全力で否定しておいた。
 あれだけの騒ぎを起こしても見放されないあたり、紅魔館は懐が広いところだと思う。

 夕食後はちょっとした団欒の時間だ。この一週間でなんとなく固定されたグループに混じって、他愛のない会話に華を咲かせる。
 ボケもなければツッコみもない、流れていくようなおしゃべりがなんとも心地良い。
「今年の梅は咲くのが遅いね」なんて話題が出ると、「そのぶん、咲いたときはいつもより綺麗なんじゃない?」なんて可愛らしい解釈が出たりなんかして。
『そんな梅はこうしてしまえ』とか言ってチェーンソーを持ち出すヤツはいない。良いよ、君たち本当に良いよ。

「ちょっといいかしら?」

 宴もたけなわとなったころ、咲夜さんに呼び出しをくらった。
 主の部屋に。
 昨日は散々迷惑をかけてしまったわけで、入るなりゴボウでしばかれるぐらいのことは覚悟していたのだけど、そんなことはなかった。
 天幕付きのベッド、威厳の権化みたいに重厚なデスク。実に主らしい部屋だ、というのが最初の感想だ。
 それから、燭台に照らされるカーペットや、ベルベットのカーテンの紅さが、紙にインクを落とすみたいに印象を強めてくる。

「お久しぶりね、閻魔様?」

「はあ、どうも」

 典雅なチェアがくるりと回って、音に聞こえたレミリアお嬢様が姿を見せた。さま付けですよ、当たり前じゃないですか。
 ヒエラルキーの頂点に位置するお方ですよ? もう一個さま付けてお嬢様様でも良いぐらいだ。

「私のブラッディ・フランスパンを掠め取ってくれたんだって?」

 前に恵んで貰ったパンのことでしょうか。勘違いしたデスメタルバンドみたいなネーミングセンス……かっけえなあ。

「哀れな子犬に慈悲を施したまでです。我が主は器の大きいお方ですから」と咲夜さんの助け船、だろうか。

「言われるまでもなくってよ」とお嬢様は楽しげに頷く。

 それにしても閻魔→無職→子犬→メイドってすげえなあ。ダーウィンが聞いたらハゲ頭を軸にヘッドスピンして発狂しますよ。
 咲夜さんはお嬢様の傍らまで歩いてから、苦笑いみたいな、複雑な顔で私を見た。
 私の雇用主さまは、ああ見えてかなりお怒りなのだろうか。こういうときは誠心誠意で――。

「あ、あの、お世話になってます! その、パン食べちゃってすいません!
 お返しします! お返ししますので! さっき食べたミネストローネが混ざっちゃうかもしれないけど返しますから!」

 喉に指ツッコもうとした瞬間、思いとどまる。これはある意味セルフツッコみなんじゃないか、と。

「そんな胃酸でマグネットコーティングされてそうなパン、結構よ。それより――」

 お嬢様は、私の挨拶と謝罪を適当に受け流した。うん、まぁ、下っ端ですからね、ぞんざいな扱いも気になりません。
 卑屈でしょうか、いいえ社会の摂理です。誰かの上に立つものは偉ぶらないといけないのだ。
 私だって閻魔をしていたときは度々誰かを足蹴にしてたものです。頼まれて、ですけど、
『あなたは豚! 豚なのよ! 豚らしくブヒブヒ鳴くが良いわ! これが今のあなたが積める善行よ!』『は、はいぃい! もっとぉ!』ってね。なぜか皆喜んでた。

「――契約よ」

「契約?」

「咲夜の話を聞く限りでは、よくやってくれているみたいだし。そろそろ頃合じゃないかと思ったのよ」

「はぁ……」

 契約だの頃合、具体的な言葉の割りに要領を得ない。

「契約といいますと、雇用契約ですか? サインと判子でどうのこうの、っていう」

「そんなチャチなものじゃなくって、魂と魂の契約よ」

「魂と魂? なんだか大げさですね」

 こっ恥ずかしいですね、と言わないだけの礼儀はあります。

「良いものよ? 絶対に抗えない存在を、己のなかに作ってしまうというのは」

 お嬢様はくすくす笑っている。なぜか、とても楽しそうだった。お仕事の話をしているとは思えなくなる。

「それはつまり、終身雇用ってことで?」

「そうね。あなたは一生私から離れられなくなるのだから、そうなるわね。
 その代わり、私も一生あなたから離れない。素敵だと思わない?」

 素敵、という部分を強調していた。自信の表れみたいだ。なにが素敵なのかは、わからないけど。

「そんなことが出来るのでしょうか」

 突飛な内容はさておき、それが疑問だった。

「閻魔となんてやったことないけれど、どうなるのか楽しみではあるわね」

 チャレンジャーの顔だ。冗談じゃないです、というのが本音だけど、ここは流す。訊くべきことがあった。

「ひょっとして、ここで働く皆さんはそんな感じで?」

「ん、まぁそうなるわね? 咲夜」お嬢様は横の咲夜さんに訊く。

「ん、まぁそうなりますかね? お嬢様」と咲夜さん。

「質問に質問で返すんじゃないの」

 はぁ、この館のチームワークの良さはそういうわけでしたか。
 チーム彼岸がおバカ揃いなのは私の管理能力が欠落していたからではなかったんだ、と安心したけれども、なんだか複雑だった。
 この館の結束は、素晴らしいものだと思ってもいたし、心地の良いものだったから。
 どうなのだろう。それは、誰しも己の拠り所を求めるものだけど、それを超常的な何かに求めるってのは、不自然だ。
 何が自然で、何が不自然だなんて、それぞれが決めることだけれど、私には容易に許容できない。久しぶりに、白黒はっきりつけたくなった。
 自分のなかの、絶対的な基準に従う。それがすなわち、私の能力だ。

 はい! こんなん出ましたけどー!

 ……ってアレ? ピンクと出た。なんだそれ。どう解釈しろっていうのよ。

「この館の居心地はどう?」

 お嬢様は椅子を蹴って近づいてきた。背は、私よりも少し低い。
 下には下がいるんですねって、すこし嬉しくなってしまった。不遜でした、と言葉には出さず頭を下げる。

「とても良いですよ。皆さんとても真面目で、それでいて楽しそうで、見ているだけでも働くことの楽しさを思い出させてくれました。色々と世話も焼いてくれますし、なにより――」

 素直に答えつつも、いちいちボケないのが素晴らしい、とまでは言わなかった。そんなのどこでも当たり前なんだし、多分。

「仕事に嫌気がさしてたの? 閻魔のくせに」
「えぇまぁ……、色々とありまして……」

 正確には、色々とされまして、だ。

「なら、ずっとここで働けばいいじゃない? その為の契約よ」
「と、言われましても、二つ返事というわけには……」
「ねえ」

 彼女の手が、私の顔を捕まえた。優雅なぐらい、緩慢な動きだったのに、なぜか拒めなかった。
 触れられているだけなのに、指一本も動かせなくなる。頭のなかまで握られているようだったけれど、不快ではない。

「いいでしょう?」

 いつの間にか、目前にはお嬢様の顔があった。吸い込まれるような紅い瞳。なぜかそれが、好ましいものに思える。
 目が離せない。彼女がまばたきをすると、どくん、と私の胸が一度強く鳴った。
 自分の感情が理解できなかった。嫌だ、と言えない。そもそも、私は嫌がっていない。
 それどころか、彼女の全てを肯定したい。彼女も、私の全てを受け入れてくれる気がする。
 良いものよ、と彼女は言った。なるほど、と私は思う。確かに心地よくて、頭のなかが整理されたような爽快感があった。
 なったこともないのに、機械の気持ちに似ている、気がした。

「どうなの?」とお嬢様は、唇を歪める。笑っているようだけど、どこか怒っているようにも見えた。
 何を迷うことがあるの? と、私を責めているみたいで、悲しくなる。すぐにでも謝りたかった。

「あの……、わ、私」

 喉がつかえて、うまく伝えられない。焦ってしまう。

「怒ってるわけじゃないの。あなたの素直な気持ちを聞かせて欲しいのよ」

 私の気持ちを見透かしたみたいに、お嬢様は囁いた。風が私の耳を掠めていくみたいな、涼やかな声。
 胸がすっとする。なんで彼女は、こんなにも優しいのだろう? 私を映す大きな瞳や、薄いルージュの唇、白くて透明な肌に、引き寄せられる。
 でも、愛らしさとか、そんな次元で語ってしまうのが憚られるぐらい、魅力的だった。
 私の気持ちは、非の打ち所のない至高の芸術に対して抱くものに、とても似ていた。
 彼女の側にいたい。彼女にも、側にいて欲しい。出来ることなら、お互いが朽ち果てるまで一緒にいたい。
『契約』は、それを保証してくれるという。私は何を迷っていたのだろう? さっさと頷いてしまえ。彼女の手を取れ。
 はい、と言え! シュプレヒコールが頭に響く。それも全て、私の声だ。

「素敵な顔をするのね。あなたは特に、可愛がってあげても良いわ」

 その言葉が決め手だった。私は頷く。そして、はい、と言う。

「は――」

 違う。違う違う! 何かがおかしい。目を瞑る。それでも視界はまだ、紅い。

「……あなたは、間違っている」

 強くは言えなかった。自信がなかった。何が間違っているのかと訊かれたら、答えられない。なのに私は彼女を拒絶している。なぜだろう?

「あら、意外と粘るのね」

 なら、こんなのはどうかしら? と私から離れるお嬢様。
 両手を後ろに組んで、ちょっと前かがみになって、小首をかしげる。彼女は、ラストワードを放った。
 耳を疑う、っていうかストローで鼓膜を突き破って脳に直接メロンソーダを注ぎ込むようなパンチの効いた強烈な呼びかけ――。



 ――おねえちゃん?



 …………。
 私は指先から髪の毛一本まで石化した。バキバキ音をたてて崩れながら、リフレインする。何を言われた? 何と呼ばれた?
 おねえちゃん……おねえちゃん……おねぇちゃん……。おねえちゃん?
 誰に向けた言葉? お嬢様の正面には私、以外にはいないだろう。
 すなわち私、おねえちゃん、お嬢様、私の妹、いもうと。なるほど、そういう設定なわけだ。

「Oh……、NEECHANG?」

 ゼンコォ!ジャーンジャーンげぇっれみりゃ!フハハハこやつめ!大体こんな感じの善行を積みなさい貴様らアハハハ!
 誰かさんと誰かさんが麦畑チュッチュチュッチュチュッチュチュッチュし過ぎる!
 ゼッゼゼゼッゼゼンコォ!満身創痍!そう!残念だが人生にコンテニューは効かぬ!媚びぬ!省みぬ!

「――くぅうっ!」

 血がにじむぐらい唇を噛んで、拳を硬くし、理性を取り戻す。
 何の脈絡もなく妹キャラ、妹キャラて……おかしいだろう……。
 いや、脈絡はあるのだろうか……。でも……。ツッコみ、ツッコみたいけど、違う。そういう話ではない。

「なぜ……っ!? なぜですか!」

「なぁに?」

「ぐっ!」

 頭がくらくらする。真っ直ぐ立っていられない。

「なぜっ! 私が妹を欲しがっていたことを!」

 そうだ、私は幼いときから、ずっと妹が欲しかった。色んな場所に連れて行ってあげたり、一緒に遊んだり、一緒にお風呂に入ったり、一緒のお布団で寝たり。
 私についてきてくれる無邪気な笑顔を、いつも夢想していた。それはどんなに素晴らしい日々なのだろう、と憧れてもいた。
 けれど、母さんに何度お願いしても、『急には無理よ』と断られるばかり。
『ならどうすれば妹が出来るの? わたし頑張るから教えてよぉ』って訊いてもお茶を濁されてしまう。
 焦れた私は彼岸中央図書館でその辺の、まぁ、仕組みを調べた。割と衝撃的だったけれどそれは今関係ない。

「うふふ」

 楽しげな声。直視した瞬間に自分が消えてなくってしまいそうで、チラ見が限界だった。
 お嬢様はぴょこ、ぴょこっと大げさに足を振り上げて、右に左にランダムウォーク、なんだその動きは! ふざけないでよ!
 すごくいたずらっぽくて、キュートで、わずかに残った私の理性が破壊されていく……。

「わたしにはなんでもお見通しなんだからね。おねえちゃぁん?」

「に、二度も呼んだね!?」

 しかもそんな生クリーム漬けのティラミスみたいな声で!

「うーん? わたし、おねえちゃんと一緒に遊びたいなー?」

「あ――、う――あぁあっ!」

 情けなく身体を曲げてしまった。耳を塞ぐ。それでも、純米大吟醸の極上酒のごとく、五臓六腑にレミリア――私の妹――の声が染み渡る……。

「なにして遊ぶ? 鬼ごっこ? トランプ? あっ、でも! 神経衰弱って、わたし弱いからやーよ?」

 私の顔を覗きこむレミリア。唇を尖らせて拗ねたみたいにするおしゃまな顔を、まともに見てしまった。
 ……遊ぶ? はは、そうだなあ。お医者さんごっこなんかどうでしょう? 妹が出来たら是非やってみたかったのです。
 聴診器だって注射器だって人には言えないような歪な道具だって実家に帰れば沢山用意してあります。
 あなたの病名は、そうですねえ、『流行性可憐症(プリティエンザ)』ってところかな?

「えへへ、おねーちゃん……?」

 レミリアは柔らかなその手で、私の手を握った。肌を通して彼女の体温が伝わる。

「な、ななななんですか!」

「えっとね、あのー、ね?」

 私の耳元に口を寄せるレミリア。拒めない、いや、拒めるものか。さくらんぼみたいな妹の唇を、誰が拒めるものか。
 どんな声を聞かせてくれるのですか? ひょっとして耳をはみはみしてくれるの? 大歓迎、ええ大歓迎よ。



 ――大好き♪



 へぇ、そうなんだ。そうだったんだ。嬉しいなあ、レミリアの気持ちが、おねーちゃん凄い嬉しいよ……。
 嬉しくって泣きそうだよ……。ああ、もう、どうにでもなれ。

「レミリア……」名を呼ぶ。

「なぁに? えーきおねえちゃん」私の望み通り、名を呼ばれる。

「レミリアは、私の妹なんですね?」

「うんっ! そうだよ! でも、レミリアなんてかた苦しくってやーなの! レミィって呼んで? ねっ?」

 天真爛漫な答え。蒼穹のごとく澄み渡る笑顔。こんな素敵な子が、私の妹なんだ……!

「レミィ! おねえちゃんと一緒に遊びましょう!」



 ――ククク、やっと堕ちたわね。



 桃色の渦に飲み込まれていく意識のなか、そんな声を聞いた気がした。





 ◇





「ねぇ咲夜、私のチャームも捨てたものではないでしょう?
 閻魔っていったら神の眷属よ。神を従える悪魔、なんとも耽美ではなくて?」

「左様ですか」

「あらやだ、嫉妬してるの?」

「決してそのようなことは」

「ならばヤンキー座りでガン飛ばすのはおやめなさい。
 その髪型も似合わないからおやめなさいって言ったでしょう?」

「あん?」

「ひっ! えーきおねーちゃーん! 咲夜が、咲夜が怖いのぉ……」

 レミィの声がする。私の膝の上で遊ぶ、私の妹。私は、椅子に腰掛けているようだ。

「……どうかしたの? レミィ」

「咲夜が、咲夜がいじめるのぉ……」


 なんだと。許せん。


「咲夜さん! 妹に何をするんです! いくら咲夜さんといえども許しませんよ!? 裁きますよ!?
 お年寄りに席を譲ってようが砂漠に植樹してようが情状酌量の余地無しです!
 人定質問後に起訴状朗読してから処刑です! 軍法会議も真っ青のスピード判決です!」

「……はいはい、わかったわよ」

 咲夜さんは大人しく引き下がってくれた。良かった、と心から思う。恩人を殺めたくはありませんからね。

「さすがおねえちゃん! 頼りになるなぁ。わたし憧れちゃうよぉ」

 まぁ、なんて嬉しいことを言ってくるのでしょう。

「うふふ……、レミィに害を及ぼすものはこの私が許しませんよ」

 なでりなでり、とレミィの柔らかな頬を後ろから撫ぜる。

「やぁん、くすぐったぁい」

「あら、レミィは敏感なのですね。ならばこの辺はどうかしら?」

 と前に回した手でレミィのお腹をさすってみる。

「やぁん、おねえちゃんやめてよぉ」

 口ではそう言いながらも喜んでるみたいだ。もう、素直じゃないんだから、と私の手がヘビのようにレミィの柔肌を伝い、蹂躙する。

「って、ひゃっ、ちょっ、やめっ、いや、ちょっ!」

 これは彼女が求めているからそうしているのであって、このマシュマロのようにぷにぷにふにふにしてて出来立ての食パンみたいに思わず頬をうずめたくなっちゃうようなトレビアンな感触をひたすらに、
 ただもうひたすらに楽しみたいだとか、やましい気持ちはこれっぽっちもない、いやほんとに。

「ちょ、まっ、おま、やっ! んっ! やめっ! おやめなさい!」

 なんだか怒ってるみたいだけど、レミィはそんなこと言わない。きっと、照れているのでしょう。かわいいなあ。
 もっともっと撫でくりまわしてあげよう。やっとめぐり会えた姉妹ですから、ちょっとやそっとの触れ合いじゃ足りないのです。
 倍タッチだ……っ! 愛撫の後は骨も残さない……っ!

「レミィ、どうかしたの? お腹が空いてご機嫌斜めなの?
 おねえちゃんがお夜食作ってあげようか? ソイソースとエッグを絡めたお手軽リゾットなんてどうかしら?」

「お、おねえちゃん、そっ、それは卵かけご飯っていうんだよぉ……ちょっ、ひゃっ」

「そうそう、そうとも言うわね。レミィは物知りなのですねえ」

 妹の賢さが嬉しくなって更に撫で回す。ああ、この感触、この体温、死ぬまで感じていたい。

「やっ、ちょっ、やめてっ、マジで、ひゃっ! マジ無理! お、おねえちゃん!?」

 一際大きく私を呼ぶ声。はっとして手をとめた。

「どうかしたの?」

「どうも何もないわよ……」

「レミィ?」

「いや、そ、そうだ! ねっ! 暇だからゲームでもしましょう!」

「ゲーム? レミィは遊びたいんだ?」

 妹と遊ぶ、私はどれほどその時を待ち望んだことだろう。人には言えないあんな妄想やこんな妄想がいっぱいある。

「うん! そ、そうなの!」

「三人で?」

 これは重大な問題だ。咲夜さんには悪いが私とレミィの間に入り込む邪魔者は取り除かなければならない。
 レミィがイエスと言った瞬間、咲夜さんの首は胴から離れることになる。

「い、いや、わたしと、おねえちゃんで」

 私の殺気に気づいたのか、レミィは怯えたみたいに言った。そういうことなら血を見る必要もあるまい。

「それは素晴らしい! 是非やりましょう!」

「でしょう! 咲夜! 持ってきて頂戴!
 二人で遊べるやつを、えーっと……ひゃっ! また! 何か! ああもうなんでもいいから早く持ってきて!」

「はいはい、かしこまりました」

 と咲夜さんが言った瞬間、私たちの前の机に盤面と石が現れた。仕事の速さに感謝してしまう。
 レミィと一緒に遊ぶ時間を一分一秒だって無駄にはしたくないのだ。
 見覚えがあり、かつポピュラーなこのゲームは――。

「オセロですか! 私これ得意なんですよ! 白黒はっきりつけるのはお手の物ですから!」

「そ、そうなんだあ。じゃ、じゃあ、ここだとやりにくいから、ね。はぁ……」

 とレミィは私の膝から離れていってしまった。残念だ。非常に残念だ。
 膝の上でだって出来るじゃない、って捕まえたかったけれど、妹の言うことだから無碍にはできない。

「それじゃ、わたしは白でやるから、おねえちゃんは黒ね?」

 とレミィは言うけれど、こればっかりは承服いたしかねる。

「レミィが白なら私も白が良い!」

「え、いや、それじゃゲームにならないでしょう?」

「そんなことありません! 私たちの姉妹愛の前にはルールなんて意味をなさないの!」

 姉妹愛。ああ、なんて素晴らしい響きでしょう。

「えぇえ~……」

「いいからいいから! 案ずるより産むが易しですよ!」

 じゃんけんをして先攻後攻を決めた。もちろん、後出しで負けてあげた。これが……姉!
 まずは四つ、中央に白の石を置く。

「じゃ、じゃあ、わたしが先行ね……。とりあえず、ここ……」

 ぱちり。レミィのアラバスターのように滑らかな指が白の石を置く。

「さすがレミィ、わかってるわねえ。それじゃあ私はその隣」

 ぱちり。私も白の石を置く。

「うふふ。これでずっと一緒ですね」

「あ、うん。えっと……、じゃあ、その上に……」

 ぱちり。

「あら! 良いの!? 挟んじゃう! 私、レミィの石を挟んじゃいますよ!?
 待ったは無制限なんだから好きなだけ待ってあげるわよ!?」

「え、え……? 挟むとどうなるのよ? いや、もういいや……。好きにして頂戴……」

「レミィは優しいなあ! そうやっておねえちゃんにハンデをつけてくれているのですね!
 それじゃあ遠慮なく挟んじゃいます!」

 ぱちり! ――挟んじゃった! レミィの石を私の石で挟んじゃった! もう感激! 私飛びそう! 飛んでしまいそう!

「さあ! 次はレミィの番ね! 勝負はこれからよ!」

「つまんねぇ……」

 何か聞こえたけれど、レミィはこんなこと言わない、こんなこと言わないのだ、ふふふ。





 ぱちり、ぱちりと心地良い音を聞きながら、三時間が経過。





「はい、これ全部レミィの石よ」

 盤面を埋め尽くす、一面の白の石。それらを全部積み重ねて、レミィにプレゼントする。これで私の0勝46負だ。

「あ、ありがとうなの……、はぁ……」

「いやあ、おねえちゃん負けちゃったなあ! レミィはほんとに強いなあ!」

 初めからそのつもりだった。妹のためにわざと負けてあげる姉。ああ、なんて美しい姉妹の姿なのでしょう。

「お嬢様、そろそろ」と私たちが遊んでいる間ずっと黙っていた咲夜さんが、懐中時計を見た。

「なによ……」

 何故か気だるそうに答えるレミィ。遊び疲れというやつだろうか。

「いつもでしたら、お休みになられる時間ですが」

「えっ、マジで! それじゃおねえちゃんまた明日ね! ほらほら、さっさと出て行きなさい!」

 レミィは羽をぱたぱたさせながら入口へ走って行き、ドアを開けた。喜色満面といった感じでこっちを見ている。
 言葉通りに解釈すると、レミィは私に、この部屋から出て行け、と言ったことになるけれども、ありえないだろう。
 姉妹とは、同じ家に暮らし同じ釜の飯を食み、一緒のお布団で寝るものだ。言葉をほんの少し補ってあげる必要がある。つまり、こういうことだろう。
『え(ーきおねえちゃん)っ、マジで(楽しかった)! それじゃあおねえちゃんまた明日(も遊ぼう)ね! ほらほら、さっさと出て行きなさい(咲夜)!』
 舌足らずなところがまた、かわいいですねえ。

「咲夜さん、お疲れ様です。それじゃまた明日」と私は微笑みかけた。

「はい、また明日」とドアに向かう咲夜さん。ほらやっぱり正解だった。

「ちょちょちょっとあんたたち! そうじゃないでしょう!?」

「……レミィ? どうかしたの?」

 妹はただならぬ様子だ。そうだ、スキンシップ成分が足りないのだ、と一瞬で判断した私は、レミィに近づく。

「どうもこうもないわよ! あーもう、めんどくさい!
 目を覚ましなさい! 三つ数えたらあなたは目を覚ます! はい、スリーツーワひゃあ!」

 ぺろり、とレミィの頬を舐めた。この味は……お風呂に入りたがってる味だ……っ!

「お風呂ですか! お風呂なのですね!? わかった! おねえちゃん全部わかったよ! 隅から隅まで洗ってあげますからね!」

 そうと決まれば服など邪魔だ、と私は剥ぎ取りにかかる。妹の成長を確かめるのは楽しみでもあり、恐ろしくもあった。
 だが、たとえそこにいかなる結果が待ち受けていようと、おねえちゃんは受けれいれてあげよう。目算だが超えられてはいないはず……、そのはずだ!
 そうであって欲しいような欲しくないような!

「いや、ちょっと! なにするのよ! お風呂って、あんなしんどいものお断りよ! だーもう! 引っ張るなあ!」

 上から攻めるか下から攻めるかで悩んだが、上から攻めることにした。
 白く細い鎖骨があらわになる。興奮など興奮など興奮などしていない。服を着てお風呂に入るやつがあるか? いないだろうが。

「レミィはお風呂が嫌いなのですか? いけませんね! それでも女の子ですか!
 おねえちゃんこればっかりは厳しく行きますよ! さあ脱ぎなさい! 今! ここで!
 何もかも捨てて生まれたままの姿を私の眼前に晒しなさい! これが今のあなたが積める善行よ!」

「そんな善行知らないわよ! おわぁ! 破れっ、破れるって! ああもう咲夜! 助けてぇ! なんとかしなさい!」

 この暴れよう、恥ずかしがっているのだろうか。姉妹なのに、何を遠慮することがあるのだろう。
 私はレミィの前なら何のためらいもなく全裸になれる。レミィも同じはずだ。

「自業自得なのではないですか?」

 と咲夜さんは言うが、これまた理解不能だ。レミィに業なんてものがあるはずがない。たとえあったとしても、私が全部背負ってあげるのだから。

「主がスッパにされかけてんのよ!? それでも従者!? ひっ、いやああ! 離しなさい! このっ、無礼者!」

 まったくききわけがない。わがままも可愛くはあるけれど、時には厳しくしないと妹のためにならないのだ。
 ある時は剛、ある時は柔。姉の道とはかくあるべし。実力行使だ……っ!

「せぇい!」

「わぁああ! ちょっと! なによ!?」

 なにって、お姫様だっこ。……お姫様だっこ!

「咲夜さん! お風呂はどちらですか!?」

「あちらよ」

「ありがとうございます!」

「ちょっ! 咲夜あぁ!」

 待ちに待った時が来たのだ。さあレミィ、お風呂に入りましょう。
 大げさでもなんでもなく、本当に本当に隅から隅まで余すところなく他人には見せられないようなところまでおねえちゃんが洗い尽くしてあげます。
 残り湯でご飯を炊くのも良いですね。レミィのフレーバーが染み渡った白米は、どれだけ甘美な味がすることでしょう。

「熱っ! なにこれ!?」

 ぷしゅう、とレミィの顔に零れたヨダレが湯気をたてた。私ったらはしたない。
 食欲だけによるもの、ではないようですが。他に何の欲が混ざっているというのでしょう。分かりません。分かりませんよ、そんなの……うふ……、うふふふ!
 愛しいレミィを両腕に抱え、栄えある栄光の一歩を踏み出す。その刹那、



 ――四季様ー?



 なんだ……?



 ――四季様、ここですかー?



 なんだ? このノイズは。ひどく苛立ってしまう。見えない羽虫が耳元で遊んでいるような煩わしさ。
 方向性の無い加虐心が胸の内に生まれるのを感じる。

「あっ、いたいたぁ!」

 背後からそんな声がした。耳障りだ。この声は特に耳障りだ。

「もう! ちょっと! いい加減降ろしなさ――ひっ!?」

 私の顔を見たレミィが、ひどく怯えた。

「どうカシたの? レみィ。さァ、お風呂に入りマショう。そして一緒のお布団でおねンネしマシょう」

 私はレミィを安心させてやろうと笑いかけた、つもりだったが、どうしたことか上手く表情を作れなかった。

「…………」

 レミィは答えない。血の気を失っている、と形容するに相応しい顔の青白さだ。
 目の端に涙まで浮かべている。何をそんなに怖がることがあるというのだろうか。

「どうしたの? レミィの傍にはいつも私がいるわ。だから何も心配することはないのよ」

「いや……」

「え?」

「いやあ! 離してえ! バケモノォ!」

 レミィは取り乱している。バケモノとは、何のことかしらん。

「レミィ? わがままも程ほどにしないと、おねえちゃん、ちょっと、怒っちゃう、かも、しれないよ!?」

「痛っ!?」

 いけない。抱える手に思わず力が入ってしまったようだ。

「ごめんなさいね。悪気はないの。ただ、素直じゃないレミィが、おねえちゃんちょっと悲しくって、ね?」

「…………」

 目を、そらされた。本当に悲しくなってしまう。

「何してるんです? 幼女漫談ですか? 新しいっすね! そうでもないかな、あはは」

 さっきよりいく分輪郭のはっきりした声がする。すぐ、後ろにいるのだろう。

「しかし探しましたよ! さあ! 今日という今日はツッコんでもらいますからね!」


 ――そうか。


 この声の仕業か。レミィを怖がらせる、悪いヤツ。

「いきますよぉ! ヘイ、ボブ、昨夜はご機嫌だったようじゃないか――」

「――失せろ」

 振り向かずにそう告げる。顔を見た瞬間、その首をねじ切ってしまいそうな予感が、ひしひしとあった。

「……え? ツ、ツッコみですか、それで? やだなー、そんな邪悪なツッコみ、お客さん引いちゃいますよー?」

「私は失せろと言った」

「え? え?」

「聞こえなかったか? 失せろ、この場から消えて無くなれ、と言ったのだ。
 それが出来ないのなら今すぐこの場で、ああ、速やかに死んでくれ」

「ど、毒舌キャラっすかあ!? アリといえばアリかもしれませんね!
 ギャップで魅せる、なんてのもアリですね! うん!」

「バラバラになるのは、レミィが怖がるから良くないな。そうだな、呼吸を止めてみたらどうだ?
 ものの十分間も止めていれば達せられるだろう。その間、その、癇に障る声を聞かなくて済む、というのは実に良い」

「ちょっと……、四季様、どうしちゃったんです?」

 少し声の温度が下がったか? ヤツはどんな顔をしているのか、振り向いて確かめたい衝動に駆られたが、益体ないことだ。

「どうもこうも無いだろう? 私は、レミィと、お風呂に入る。これ程までに強い願望を抱いたことは未だかつて無い。
 それをなし遂げるためなら手段は選ばん、と言っているのだ。死神の一匹や二匹踏み潰したところで、今の私はなんとも思わんよ」

「…………」

 声が止んだ。顔を合わせずとも伝わったのだ。私が、本気で、小町に殺意を抱いている、ということが。
 ヤツの顔は、さぞや色を失っているのだろう。自分の唇が歪むのを感じる。

「理解したか? 理解したのなら一刻も早く消えてくれ。この部屋は私とレミィの花園だ。
 もう、コンマ一秒だってお前みたいなのに居座られるのは我慢ならないんだよ」

「本気で……、言ってるんですか?」

「愚問だな。いや、口を開けば愚しか述べないお前のことだ。ある意味当たり前の質問なのかもしれないな。
 ま、答えるまでもない、とだけ言っておこう」

「……わかりました」

「そうか。ならば余計な口をきかず、音もたてずに出て行ってくれ」

「それが……」

 小町の声のトーンは上がっていた。私はそれを抑えこむように、冷たい声を絞り出す。

「黙れと言ったはずだが?」

「それが、四季様のボケなのですね……っ!」

 ボケ? ボケだと? この期に及んでこいつはまだそんなフィールドにいるのか?
 私は既に、殺るか殺られるか、洗うか洗われるか、でしか物を考えていないというのに。ウォッシュorダイだ。
 元・部下の頭の悪さにほとほと呆れてしまう。

「あたいは一生ボケに生きるつもりでした。でも、こうなったからには仕方ありません!
 四季様がボケるというのなら、あたいがツッコみましょう!」

「何を的の外れたことを言っている? ボケだ? ツッコみだ? バカバカしい。
 レミィと牛乳石鹸とアジエンス以外、今この場に必要なものがあるのか? 他は全て余分だ」

 そのなかでも、お前の存在がもっとも余分だよ、とは言わなかった。自明なことだ。

「こうなったからには言葉は無粋! 受け取ってください!」

 ひゅんっ、と背後で空気が動くのを感じた。

「これが! あたいのツッコみ――っ!!」

「ふん、お前ごときにツッコみの何がわかると――」

「四季様はそんなキャラじゃないでしょう!?」

 軽く流してやろうと身構えた瞬間、首筋にチリリと焼けるような感覚。
 これは、生物の本能が送るエマージェンシーだ。迷っている暇はなかった。レミィを抱えた手を離す。
 全身の神経を周囲の空気と同化させ、迫り来る危機の位置を見らずして探る。頭上、わずか十センチ。速度は十分。迎撃は、現在の装備では不可。
 残された選択肢は一つ。空いた両手を上げ、ミリ秒単位でタイミングを計る。

「はぁ!」

 パシィッとキャッチ。レミィが床に落ち「むぎゅっ!」と可愛い悲鳴を上げるのとほぼ同時だった。
 捕らえたものをそのまま右に捻り、もぎ取る。もぎ取ったこれは……、いや、ちょっと。くそ、ツッコみたい……! ふざけないでよ、だってこれ……。



 鎌じゃないですか……。



 でも、落ち着け。私は何のために閻魔を辞めたのだ。ツッコみ所なんて何一つない平穏な日々を求めたんじゃないか。
 ここでツッコんだが最後、また、あの馬鹿馬鹿しい日々に逆戻りだ。全てが水泡に帰す。そんな予感がしてならない。

「咲夜ぁ!」と私の足元で尻餅をついていたお嬢様が、泣きながら走っていった。

「怖かったよぉ! あいつってばセクハラするわ突然キレるわ! なんてもん拾ってくるのよ!」

「おーよしよし。でも、先にちょっかいを出したのはお嬢様でしょう?」

 そんな話し声が聞こえたけれど、ちょっかいとは何のことだろう。それを考える余裕はなかった。自分のなかのツッコみ衝動を抑えるのに必死だった。
 私は、この鎌で脳天を割られかけた。それは紛れも無い事実。だけど――。
 そう、そうよ。ハリセンが鎌に変わっただけの話じゃない。両者の違いは、叩かれた者が大げさに痛がって盛り上がるか、本気で痛がって盛り下がるか、という点だけだ。
 そもそも、ハリセンだって打ち所が悪かったら脳出血で死ぬかもしれないじゃないか。何もおかしなところは、ないのだ。
 振り返って、鎌を小町に差し出しながら、私は言ってやる。

「良い鎌をお持ちですね?」

「これでもまだツッコんでくれないんですか!? ちきしょおお!」

 私から鎌を奪い取った小町が、返す刀で切りつけてくる。
 逆上しているのでしょうか? 私にはわかりませんけど、何かつらいことがあったのでしょう。
 ひらりとかわす。

「あらあら! よっ! 太刀筋が単調ですよ? せいっ! 某ヒロカワさんもびっくりのハイパーカリカリタイムですね! ほっ!」

 ひらり、ひらり、とまたかわす。私のグレイズは4000を突破した。鎌はレーザー扱いらしい。へぇ~。
 小町は狂ったみたいに手を止めない。

「このぉ! 変でしょう!? どう見ても変でしょうが!?
 このっ! ツッコんで下さいよお! 『なんで閻魔と死神が殺陣演じてるんです!?』ってさあ!」

「いやいや! よっと、ツルギの舞ならぬカマの舞ってやつでしょう?
 お化粧したオジサマ方が踊ってそうなネーミングですけど、ほっ! 最近彼岸で流行ってるらしいじゃないですか、あらよっと!」

「流行るかぁそんなもん! ああまたツッコんじゃった! もお! やだあ!」

 ギィン、とカーペットに鎌が突き刺さる。
 小町は顔をおさえてうずくまった。改めて見てみると、その髪や衣服がところどころ乱れている。大暴れしたせいだけ、とは思えない乱れっぷりだ。

「うぅ……、もうわかんないっす……。どうしてそこまでツッコみを嫌うんですか? ボケを嫌うんですか?」

「好きとか嫌いとか、そんな話じゃないわ。常識というものはあなたでも知っているでしょう?
 私は逐一それに従って今までツッコんできました。ですが、あなた方は何度ツッコまれても改善するどころか悪ノリの一途。
 馬の耳にデトロイトテクノを聞かせ、のれんにM18対戦車バズーカを打ち込んでいる気分でした。誰にだって限界はあります。私は疲れてしまったのよ」

 そもそも、と一区切りする。言ってやりたいことは山ほどあった。

「なぜ! あなた方はボケるのです! その必要がどこにあるんです! 私は……、私は……っ!」

 この館のように、仲良く、楽しく、みんなと毎日を過ごしたいだけなのに――。
 それを言ってしまったら負けな気がして、言葉に詰まった。

「……議論は尽きました。さあ、出て行ってください。私はこの館でメイド道を究めます。
 見習いメイド→メイド長→メイド大隊長→幻想郷方面メイド指令長官→メイド王→メイド大帝→メイド・ザ・銀河→メイド神、と続くサクセスロードを歩むのです。
 そこにあなたは必要ないわ」

「そんな道、私は歩みたくないのだけど」

 おいおい泣くお嬢様をあやす、咲夜さんにツッコまれた。

「なぜボケるかって……。そんなの、そんなの決まってるじゃないっすか……」

 俯いた小町の顔から、ぽたり、とカーペットに何か零れる。

「小町、あなた……、泣いて……?」

 しかし、零れたのは微妙に粘度を持つ液体、鼻水だった。
 こういう時は先に涙が零れるもんだろう……、いやいや物理的に考えて目より鼻の方が地面に近い位置にあるのだから何も不思議ではない。

「あたいがボケるのは……、ボケると楽しいからです。それの何がいけないんですか……?」

「だからって時と場所ぐらい選び――そーなのかー」

 今まで封印していた究極のスルー技『そーなのかー』である。

「それに……、それに!」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった小町が、私を見上げてくる。久しぶりに、この子のマジ泣きを見たな、と思った。
 ……マジ泣き? なんで?

「ツッコまれると幸せなんですよ!」

「え?」

 幸せ、とはどういうことだろう。

「四季様は違うんですか? あたいたちにツッコむ時、何も感じないんですか!?」

 途惑ってしまう。この告白は、予想外だった。

「そんなの、考える暇もなかったし……、ツッコみが幸せって……、なにそれ。ぜんぜんわかりません」

「ウソです! ツッコんでる時の四季様の顔、すごい輝いてるんですよ!?
 マタタビ嗅がされながらアゴの下をいじくられつつ尻尾と肉球をマッサージされてる猫みたいに!」

「そいつは至れり尽くせりねえ……って、そんな都合の良いこと言ってもツッコまないんだからね?」

 罠、つまりは前フリかもしれない。こいつは意外と狡猾なのだ。

「こればっかりは本当ですよ。信じてください。四季様ならわかるでしょう……?」

 小町の目を見つめる。涙と汗で濡れてはいるけれど、ウソを言うときの目ではなかった。短くない付き合いだから、それが分かってしまう。
 私が、ツッコむことを喜んでいた……? 全身マッサージを受ける猫みたいに……?
 バカな。そんなことが。けれど、小町はウソは言っていない。私が、自分の感情に気づいていなかったというの?そんなことって……。

「形にするのって、大事じゃないですか?」

 私が呆然としていると、小町は唐突なことを言った。

「形?」

「その、あたいがどんだけツッコんで欲しがってるか、形で示したくて」

「どういうこと?」

「これ、四季様に使ってもらう為に持ってきたんですよ」

 小町が背中から何か取り出した。形は見慣れたもの、悔悟の棒だ。しかし色が、黄金に輝くこれは、まさか――あの、伝説の……っ!

「『岩に刺さった王者の棒』!?」

 彼岸に伝わる究極かつ至高の悔悟の棒、それが今、ここにあった。またの名をエクスカリバー。
 神話の時代、とある王族が彼岸の王者としての証をたてるのに使ったという。
 一般にはまず公開されないから、実在しないんじゃないかだとか、どれ使っても一緒だよねバッカみたーいだとか、憶測が憶測を呼んでいたアイテムだ。
 私だって実物を見るのは初めてだった。教科書に三ページぶち抜きで掲載されていたのをよく覚えている。
『三ページって見難いだろ』とか『他に書くことないんですか』とか『もうちょい捻ったネーミングはなかったのですか』とか、閻魔小学校時代の私はツッコんだ。

「なんであなたがこんな伝説の宝具をっ!?」

「彼岸中央博物館の倉庫から持ってきました」

「持ってきたんだっ!」

 すごいなあ! とだけ今は思っておこうかぁ!

「ほんとはもっと早く戻って来たかったんですけどね、どうしても手間どっちゃいました。大変でしたよ」

「それは、そうでしょう。地獄うまい棒二十年分とも三十年分とも言われる逸品ですから、並みの警備ではなかったのでしょう……」

 小町の頑張りが少しだけ嬉しかった。それを察したのか、照れ隠しみたいに鼻の下に指を当てて、小町はへへっ、と笑う。

「それで、そんなにボロボロに?」

 さっきから気になっていたことだ。小町の髪は四方八方に逆立っている。電気系のトラップに引っかかってビリリとなった姿を想像してしまう。

「あ、これは寝癖っす。持ち出すのは簡単でしたよ。倉庫の鍵は開いてたし、
 その棒も、野球バットと一緒のカゴに刺さってたから探すまでもありませんでした」

「あ、そうなんだ……寝癖なんだ……、倉庫も、なんだか体育倉庫みたいで素敵ね……」

 っていうか伝説のアイテムなのにその扱い……。始まりの村の宝箱にラグナロクとかライトブリンガーが入ってるみたいなサプライズじゃないですか。

「大変だったんですよぉ。いつもよりちょっと早起きしたり、
 昼寝の時間を減らしたり……。それもこれも、四季様にツッコんでもらうためにっ!」

「そう、小町は、私のために戦ってくれたのね……」

 睡魔と……。
 どうせなら『イー!』とか叫んでそうなドクロ警備隊とか彼岸のフィクサーとか悪者っぽいのと戦って欲しかったなあ。
 でも、小町は寝癖も直さずここまで必死になって。意地を張っていた私がバカだったのだろうか。
 ツッコめば幸せになる? 小町も私も? そんなことはないと思うけれど、絶対……。

「さあ! どうかこれでガツーンと!」

 小町から棒を受け取る。手に吸い付くこの感覚は、初めてのものだ。まるで重さを感じない。一瞬で極上のシロモノだとわかった。
 ――だけど。私は、まだ納得できない。
 手元の棒を見つめる。刻まれる数多の刻印。歴代の持ち主の名を刻んでいるのだろう。どの名前にも見覚えがあった。
 よくよく見れば、ツッコみ三銃士、地獄帰りの白薔薇、彼岸のグレネードランチャー、などと二つ名を持つ、今や伝説となったツッコみ名士の閻魔の名も数多くあった。
 歴々の名を指でなぞりながら、思いを馳せる。彼らは、自分の役目に疑問を持たなかったのだろうか。
 ツッコみ続けるだけの己が存在に、いかなる価値を見出していたのだろうか。
 私の目が、ある一点で止まる。



 ――え?



 こ、これは……っ!
 私にとって特別な意味を持つ名前に、愕然とした。だって、だって――。
 理解が追いつく間もなく、伝説の棒を伝い、声が聞こえる。聞き覚えはあった。



《映姫……、お聞きなさい……映姫……(テッテッテーデッデッテー)》



 この声はまさかっ!?

(母さんっ!? そんなっ! どうして!?)

《映姫、あなたは良く頑張りました。もう我慢しなくて良いのです(デッデッデッデ、デーン、デデーン)》

(とりあえずバックで流れてる火サスのテーマソングを止めて下さいっ!)

《はいはい、チャンネル変えますね。……映姫、教えたでしょう?
 ツッコみの真髄とは、愛です。愛のないツッコみはただの暴力なのです。
 その死神は、彼岸の者たちは……、ひいては世界中の誰もが、あなたの愛を感じたいがゆえに! ひたすらツッコみを求めるのですよ!?
 ボケは求愛の裏返しです。愛を求める者を拒んでなんとしますか! それでも私の娘ですか!》



 ――愛。
 そうだ、私が小さい時、母さんは教えてくれた。母さんが大事にしていた手鏡を割ってしまった時のことだ。私はそれを隠していた。
 バレるのが怖かった。その手鏡は母さんの母さん、つまりおばあちゃんの形見だったのだ。
 事情を知った母さんは黙って、私を縁側に座らせた。

『ふぇえん、ごめんなさぁああい!』

 泣き喚いていた自分を思い出す。庭にたたずむ母の顔は険しく、でも、声は優しかった。

『映姫、私は今からあなたにお仕置き、いいえツッコみをするけれど、これは決してあなたが嫌いだからではないの。
 愛しているから、ツッコむのよ。そういえば、あなたにツッコむのはこれが初めてね……』

『え? え? あ、あいして? つっこみ?』

 何を言ってるのか、わからなかった。なに言ってんだこのオバサン、と舌打ちした。当時の私は若干荒れていたのだ。

『壊したことを怒っているわけじゃないの。でも、隠していたのは良くないわ。
 天網恢恢疎にして漏らさず。悪事はいつかバレるものなの。心には必ず善と悪、その両方がある。
 ゆえに、誰もが罪を犯してしまう、それは仕方の無いことだわ。
 でもね、だからこそ、悪いことをしたときは正直にならなくてはいけないの。映姫は良い子だから、わかるわよね?』

『う、うん。わかる、わかるよぉ。ほんとにごめんなさぁい!』

 もちろんウソだった。わーいどうやらお仕置きは終わりの流れですねククク、とブラックな笑みを浮かべたものだ。

『そうよね。私の娘だものね。ならばこのツッコみも理解できるはずよね――っ!』

 私の愛を受け取りなさい! と土を蹴って前方宙返りする母さん、そんで私の首を太ももに挟んでから後方宙返りだ。
 孤を描く幼き私のボディ。口から身体の中身が飛び出るみたいな、あれほどの遠心力を受けたことは、後にも先にも無い。

『手鏡でバドミントンするやつがあるかぁ――ッ!!』

 雪崩式フランケンシュタイナーでツッコまれて、私は頭から大地に突き刺さった。
 土のなかは息苦しかったけれど、とても暖かく、ああ、これが母さんの愛なんだ、と実感した。
 私の足を掴んで引き抜いてくれた母さんの瞳は、濡れていた。子供心ながら、私はそのとき母さんの思いを察した。
 あの涙が、愛なんだ。そして、愛ゆえに人はツッコむんだ、って……。
 そう、思いの丈を、愛を伝えるもの、それがツッコみ――。



《あなたは一体、何者なんです!》

 叱咤するみたいな、母さんの声。あのツッコみを思い出してしまった以上、迷いある返事は許されない!

(私は――、私は閻魔! 四季映姫・ヤマザナドゥ! 彼岸のツッコみ番長――母さんの名を継ぐものですっ!)

《そう、あなたは少し疲れていただけなの。ツッコみなさい。これが今のあなたが積める善行よ》

(母さん……母さんっ!)

《私はずっと、あなたを見守っています、GPSで》

(グローバル・ポジショニング・システムですか。知らぬ間に彼岸もずい分進歩したのですね……)

《あなたが今ツッコむべきは私じゃないでしょう?
 あー、眠ぅ……、今日もパートで疲れました。おやすみなさい映姫。寝る前にはちゃんと歯を磨くのよ?》

 ――満足そうな母さんの声――それっきりだった。母さん、ありがとう! 色々とぶち壊しだけど……、ちくしょお! ありがとよお!



 つん、と頬をつつかれて、意識が戻る。

「四季様ー? ぼぅっとして、どうしちゃったんです?」

「小町……」

 私は、確認することにした。

「あ、はい!」

「小町は私のこと、なんだ、というより、どう思ってるの?」

「え? なんですか、急に」

「いいから、素直に答えて欲しいの」

「えー、改まってそう訊かれると、えへへ」

 小町は赤い前髪を両手でいじった。照れているときの仕草だ。

「今だけはボケないで、正直な気持ちを聞かせて? ね? そうしたら、考えてあげるから」

 ツッコんであげることを、と伝える前に、小町は答えてくれた。

「一言で言うと、大好きですよ。って、それじゃあんまりですか?
 真面目だし、かわいいし、なんだかんだいって優しいし、最高の上司です。ツッコみだって、私たちのことを思ってやってくれてたんでしょう?
 やっぱり伝わるんですよ、そういう、なんていうんでしょうか、気遣いみたいなやつが」

「そっか、そうなんだ……」

 そんな風に思っていてくれたのは、正直嬉しい。ツッコみじゃなくてお説教のつもりだったのだけれど……。

「ボケを極限まで活かしてくれるキレの良さ、ってのもありますけど、暖かさが違うんですよ。
 四季様にツッコまれると、なんかこう、胸が暖かくなるんです。だからみんな、四季様のツッコみを欲しがるんじゃないですかねえ。
 もちろん、あたいだってそうですよ? 四季様以外にツッコまれるぐらいならあたいはボケません!」

 そうか、だから小町はあれほどまでに私のお仕事を邪魔していたのだ……。船頭の仕事を強烈にサボってまで……。
 全ては私にツッコまれたいが為に。私の愛を求めるが故に。
 求めよ、さらば与えられん、そう言ったのは誰だったか。求めるのは何だ。愛だ。与えるのは誰だ。私だ。
 感謝するわ、小町。あなたのおかげで目が覚めた。私はもう、迷わない。
 伝説の棒を強く、強く握りなおす。
 五体に力が溢れる。これが、伝説の――いいえツッコみの力……っ! 

「すげぇ! 四季様めっちゃ光ってますよ!?」

 小町の言う通り、私の周囲にはいつの間にか黄金色のオーラが漂っていた。鼻を鳴らしてみると、お味噌汁の香りがした。
 こんなところまで生活臭を漂わせないで欲しいのだけど、これは心優しき閻魔が激しいツッコみの衝動に目覚めた時に生じるという、突込閻魔闘気(ツッコミックオーラ)だ。
 伝説の類いのものだとばかり思っていた。ちなみに何の効果もない単なるエフェクトらしい。邪魔くさっ。

「小町! 今! あなたが望むものを与えてあげます! それも……とびっきりのやつをねっ!!」

「おおお! マジっすか! あたいがどんだけこの時を待ち望んだことかっ!」

「待たせて悪かったわね! さあ! 歯を食いしばりなさい!」

 棒を勢いよく放り投げた。ぐるぐる回転するそれが地に落ちる前に、事は済むだろう。風を切るこの音がBGMだ!

「いくわよおおおぉっ!」

「おおおお!!」

 小町が両手を広げて私を待ってくれている! 私はわき目も振らず、身につけたツッコみ技の全てをもって、ツッコむ!

「これは新聞紙の分よっ!!」

 小町が私にかけてくれた、あの新聞紙。寝冷えしないようにと、そっとかけてくれた、新聞紙。文々。新聞(夕刊)。

「あそこはラブラブしいフラグが立つところでしょうが――っ!!」

 懐に飛び込む! 接近戦こそツッコみの真髄なり! 掌底を作り、身体ごと踏み込み――!



 ―― 撃 壁 背 水 掌 ! ――



「空気読めえぇっ!!」

 ズンッ、と両掌に重い感覚。遅れて衝撃が小町に伝わり、吹き飛んだ。
 腕を伝い、痺れるような感覚が頭まで上ってくる。これは、やはり……。

「どはぁ! このキレ味! この鋭さ!」

 吹き飛んだ小町が壁でぽよんと反射して返ってきた。ゴム鞠か!? しかし――。

「まだまだ! 本番はここから! 今度は鎌の分よ!」

 小町は私にツッコんでくれた。愛用の鎌で。刺されば血が出る本物の鎌で。

「リアル出血で笑う客があるかぁ!」

 更なるダメージアップを狙い空中コンボへ移行。タイミングを見計らって繰り出す私の打ち上げ技は――。



 ―― レ バ ー 入 れ C ! ――



「ってか殺す気かあぁっ!!」

 ハンドスプリングで全身をバネにして蹴り上げる!今度は足元から、何かが上ってくる! 間違いない! これは――快感っ!!

「おぉおお!? 多段技だからこれで3HITっすね!!」

「その通りよ!!」

「くう! 効くねえ!」

 この技は当てるタイミングが難しいから良い子のみんなはプラクティスモードで要練習よ!
 着地と同時に悔悟の棒をキャッチ! 滞空時間長すぎだろって? うるさい! 今ツッコんでるのは私だ!

「さあ! 最後の大技いくわよ!」

「おっしゃあ! どんとこいっ!」

 逆さに落下しながら小町は豊満な胸をどんと叩く! 揺れた! うざっ。
 悔悟の棒を逆手に持ち替え、後ろに構える。

「これは母さんが私の誕生日、とは何の関係もない節分に伝授してくれた技よ!」

 小町が私のために持ってきてくれたこの悔悟の棒。彼岸中央博物館から持ってきてくれた悔悟の棒。

「いくら警備がゆるゆるだからってねえ……っ!」

 タイミングを計る。
 三……。

「扱いがなおざりだってねえ……っ!」

 二……。

「人のものを勝手に持ってくのは――」

 一……っ!

「泥棒でしょうがぁ!」

 今! 放つ!

「でやああああ! 四季家秘奥義!」



 ―― 彼 岸 ス ト ラ ッ シ ュ ! ――



 悔悟の棒から我が閻魔パワーが飛び出し刃となって小町を刻む! なんてことはなく。ガツーン! と打撃音が響いた。

「今すぐ返してこぉおおおい!」

「うひゃああ!」

 小町は加速した。普通に空いてた左手でぶん殴ったのだ。逆手に持った棒で殴ったって効くわけないでしょうが。

 けれど私の身体を走る一瞬の寒気、のちに震える! 五体が、内臓が、脳が、震える! 快感にうち震える!
 ああ! なぜ私は忘れていたのだ。ツッコみって――こんなにも気持ちいい!!

「あああ! やっぱり四季様のツッコみは!」

 ぐるぐる回転しながらめり込む小町の圧力で、壁が軋む。直線的な力に回転を加えることで、その力は二倍にも、三倍にもなるのだ。って丹下段平が言ってた。

「最高ですうぅぅ――!」

 壁を突き破りながら、小町は叫んでいた。一際大きい轟音の後、外へ飛び出す。
 荒々しく開いた穴の先に、満天の星空が見えた。ああ、今は夜だったんだ、と思い出す。

 ――最高っすー! ――最高っすー! ――最高っすー!

 小町の声がフェードアウトしてゆく。

「小町ぃっ!」

 走った。愛すべき部下の最期を見届けるために走った。
 小町が闇夜のカーテンに溶ける。死神のくせに、彼女は黒が似合わない。私がそう思った刹那、辺りを閃光が覆った。眩しくって目を細めた。
 あなたは星に、星になろうというの!? お約束過ぎるんじゃないの!?

 ――いや、違う。

 光のなかで五体を精一杯広げた姿。その背には、その背には……っ! 小町の背には翼が生えていたっ! あの三輪車と同じ、白く気高い翼が生えていた!!

「なんと――っ! 小町は天使だったのね! そうだったのね!
 ならば羽ばたけ! もっと……っ! もっと高くっ! 遠くへっ! 飛べ飛べ飛べ飛べもっと飛べえっ!」

 私は壊れた壁を握り締め、身を乗り出し、喉が千切れんばかりに叫んだ。まるで咆哮だった。気づいたら頬が濡れていた。夜露のせいじゃない。ああ、涙だ。

「小野塚小町! 行ってまいります!」

 小町は翼をはためかせ、天を目指す。ああ! これぞまさに! 究極のボケ! 究極のツッコみ!
 ツッコんだだけでは終わらない! ツッコみのその先にあるものは――大空を翔る浪漫!





 ツッコみ浪漫飛行!!





 ぼろぼろぼろと、涙が溢れて止まらない。なんて美しい姿なのだろう。小町、あなたはその翼でどこへ行こうというの?
 そう、ボケとツッコみの頂を目指すのね。ああ、叶うならばどうか私も連れて行って欲しい。あなたとならどこへだって行ける気がする。
 けれどそれは出来ない。私には地上に使命がある。ツッコみという名の使命がある。
 空に遊ぶ大鳳の気持ちを、地を這う私がどうして知れようか。思いを馳せることしか出来ない。けれどあなたが地上を慮る必要はない。
 駆け巡りなさい。月夜を! 早暁を! 白日を! 春夏秋冬を! そして世界中に伝えてあげるのです! ツッコみの素晴らしさを!

「小町、こまちぃ!」

 懇願するような私の声。何を願うというのだろう。
 私の声に気づいたのか、それとも別の何かが通じたのか、小町は欠けた月を背景に振り返って、こちらを見た。
 薄ぼんやりとしていたが、その顔は笑っていた。笑っていたはずだ。唇が動く。小町の声は届かない。
 私は目を凝らした。あなたは、何を伝えようというの?



『ありがとう、さようなら』



 それは唐突な、お別れの言葉だった。

「小町――っ!」

 小町は月を目指す。きっと、そうだ。そう思えた。それはおそらく、二度と帰ることはない旅路。彼女と過ごした日々が脳裏を過ぎ去って行く……。


 ――四季さまー! おしるこ作ってきましたー。

   ありがとう! ってヘドロじゃねえか!――


 ――四季さまー! サッカーしませんかー?

   いいわよ! でも今すぐそのバットを捨てて来なさい!――


 ――映姫や、肩でも叩いてくれんかのぅ。

   トンタン、トトタン……ちげーよ! 何もかも間違ってるよ!――


 もう、楽しかったあの日には戻れないのだ。失って初めて気づいた。小町の偉大さに。あのボケに、はにかんだ笑顔に、胸に、私は救われていたのだ。
 私はもう辺りを憚ることなく声を上げて泣きじゃくり、嗚咽し、小町を見送ることしか出来なかった――。





「っておかしいだろうがあ! なんでそうなんのよ!?」





 悔悟の棒を投げた。全力で投げた。最後の力を振り絞って、投げた。

「ノリでジョブチェンジすなああああ!」

 投げた棒は小町をホーミングした後、直撃。撃墜した。

「ごちそうさまでしたああああぁぁ……っ!」

 白煙をたなびかせながら、小町は湖面に落ちる。飛沫があがり、やがておさまった。ぷかぷか浮かんでいるようだけど、薄暗くてよく見えない。
 でも、きっとその目には涙が滲み、頬は緩み、月明かりに映える、幸せな顔をしているはずだ。私も多分、同じような顔をしている。
 ご苦労様、と心のなかで唱えた。彼女は成し遂げたのだ。そして、私も――。



 ぺたり、と床に崩れ落ちた。

「ツッコみって……素敵……」

 まだ、余韻が残っている。両手を握ってみると、少し汗ばんでいた。膝は小刻みに震え、胸は鼓動の一つ一つが聞き取れるぐらい高鳴っている。
 きっと今日は良い夢を見ることが出来る。自然とそう思えるぐらい、達成感と爽快感に満ち溢れていた。

「もう、何よこの茶番」

 焦点の定まらない目で、声のした方を見る。私を見下ろす、レミリアお嬢様だ。
 ツッコみに夢中で、すっかり存在を忘れていた。申し訳なく思ったけれど、立ち上がる気力はなかった。

「は、すいません、大変お騒がせしました……」

「ボケだのツッコみだの、バカバカしいったらありゃしないわね。私が死んだらあなたたちみたいなことになるの? ぞっとしないわ」

「お嬢様」と少し離れたところから咲夜さんが呼ぶのだけれど、お嬢様は気づいていないか、無視しているようだった。

「冥界の方がまだマシというものよ。まあ、彼岸とやらの程度の低さは伺い知れたわね」

「あの、お嬢様」

「機会があったら攻め取ってやろうかい? 暇つぶしにもならないかもしれないけれど」

 お嬢様はまたも咲夜さんを無視して、クク、と笑う。ぞくっとする、見覚えのある笑いだった。

「みんなまとめて、私の玩具にしてあげるわ。そうよ、きっとそれでこそ幸せなのよ。
 ねえ、あなたも楽しかったでしょう? 私の玩具になって、幸せだったのでしょう?
 私の手の内でバカみたいにはしゃいで――傑作だったわ! あは、あはは! あは――!」

「お嬢様ってば、聞けよオラ」

「なによ、せっかく久々の高笑いをキメてたってのに。
 空気の読めないメイドはクビよ、クビ――あ、ごめん、ごめんなさい。ガンつけないで、向こう脛蹴らないで……泣いちゃうから」

「あまりそのように、カリスマ分を垂れ流されますと」

「え? 今月のカリスマ分はまだ余裕があるはずでしょう?」

 カリスマ分……? 聞きなれない単語だったが、口を挟む間がなかった。

「カリスマ分は問題ないのですけれど」

「ならいいじゃない。使えるときに使っておかないと月末に困るのよ。
 先月なんか門番がこっそり飼ってた文鳥相手に発揮することになったのよ?
 『所詮お前は籠の鳥、鳴くがいい、喚くがいい。その全てが私の愉悦となる――、あは、アハハ!』だなんて。
 考えてみたらペットなんだし当たり前じゃない、って悲しくなったわ。チュンチュン鳴いてる文鳥が慰めてくれてるみたいで、もっと悲しくなったわ」

「計画性がないからそうなるのですよ。それはさておき、カリスマはともかく、なけなしの妹分まで使ってしまわれたでしょう?」

 お嬢様の顔が青くなる。

「なにそれ初耳」すぐさま、ピコーンピコーンと胸元のブローチがけたたましい音を鳴らし始めた。「えぇぇ! ウソ! 冗談でしょう!?」

 妹分? どうもこの館には造語が多くて困ってしまう。

「元々乏しい妹分をあれだけ放出したとなると、今月分のカリスマだけではとても間に合わないでしょう。
 これはもう……、いくとこまでいってしまうのはないかと」

「いくとこまでって……まさか!?」

「その、まさかです」

「ちょっとあなた!」とお嬢様は私に向き直る。

「は、はいぃ!?」

 素っ頓狂な声を上げてしまった。放心していたのだ。

「今すぐ出て行きなさい! クビよ! クビ! 元はといえばあんたのせいじゃないの!」

 ブローチから出る音がどんどん感覚を狭める。どこか急かしているみたいだった。

「あ……、はぁ、クビ、ですか」

 話しが見えないうちにクビを宣告されてしまったのだけど、私は驚かなかった。もとより、そのつもりだったのだ。
 彼岸に帰ろう。私のツッコみを待っているおバカさんたちがいるのだから。
 ツッコみたい。彼、彼女らの愛を受け止めてやりたい。私の愛を伝えたい。強くそう思っていた。

「元はといえばお嬢様のせいでしょう?」と咲夜さん。

「ああもう! どっちでもいいから早く出て――っ!」とお嬢様が飛びかかってくる。

「わぁ!?」

 ところがその手が私に届く前に、ボンッと弾ける音がして、お嬢様はわた飴みたいな煙に包まれた。もくもく燻る煙に隠れて、姿が見えなくなる。

「ななな、なんですかこれ!?」

「あぁ、やっぱり」と咲夜さんは煙のなかに手を入れ、 

「うー」

 ピンクのベビーウェア、おしゃぶり、ガラガラを身に纏った――乳児を取り出した。

「な」

 絶句する。こんなの、ときめかないヤツは女子じゃない。

「何ですか? この赤ちゃん……、っていうかエンジェル」

 私は目を奪われていた。つぶらな瞳、福々しく豊かなほっぺた、ちょろりと生える柔らかそうな紅毛、
 あ、こっち見て笑った……無垢な笑顔、まさに天使と形容するに相応しい。ラ、ラブリー……。

「お嬢様よ」と咲夜さんは赤ん坊を抱えなおす。

「これが?」思わず指差してしまった。

「これとは失礼ね」

 咲夜さんはむっとしてみせるが、聞けよオラ、とか言ってませんでしたか。

「ど、どうしてこんなことに?」私は当然の疑問を口にした。

「お嬢様はね、許容量を超えるカリスマ分を放出されてしまうと、少々若返ってしまうのよ。
 それに関しては問題なかったのだけどね、ほら、あなたを魅了するのに妹分を使ってしまわれたでしょう?
 知ってるとは思うけれど、お嬢様は姉よ。妹分なんて皆無に等しいわ。なのにあれだけの妹キャラを演じてしまえば、当然妹分にはマイナスが生じる。
 マイナスを補うには、あるところから持ってくるしかない。つまりカリスマね。結果的に深刻なカリスマ切れを起こして、こうなってしまわれたのよ」

「うー! うー!」

 咲夜さんの解説が終わると、ちょっとご機嫌斜めな感じでお嬢様がうなって、おててを振った。
 ガラガラが鳴って、私は思わず微笑む。やだもう、超プリティじゃないですか。
 ってなごんでる場合じゃない。なんですかその理屈。
 思春期でリーゼントのメイドがカリスマ不足で乳児化した吸血鬼を抱えている、ですって?
 なんだこの状況。ツッコめと言われたらいくらでもツッコめますよ。シンプルなのだと『ヤンママかよ!?』とか。
 ――けれど。今となってはわかる。私は初日から気づいていたのだ。ただ、目を瞑っていた。
 この館だってツッコみどころ満載だってことに……。

 空いた時間に図書館へ行ったら、主らしき魔女が使い魔の方に官能小説を朗読させていたことがあった。
 その時は前衛的な語学の授業だろう、と折り合いをつけて流したのだけど、あんな火照った目をした教師を私は知らない。どんなプレイですか。

 館には専属の美容師さんがいると聞いて、実際に行ってみたときもそうだ。『バーバー大清帝国』。ヘアカタログを見たら弁髪しかなかった。
『リッチカールロングなんか似合いそうですねえ』と勧められたけれど、私には違いがわからなかった。わかるわけねーだろ。


「なんなのよ……」


 咲夜さんに聞こえないぐらいに呟く。結局、この世のどこにも、ツッコみどころがない場所なんてありはしなかったのだ、多分。

「まぁ一応、お嬢様の言ったことはこの館では絶対だから、クビね」

「あ、そ、そうなんですか」

 少し残念だけど、と咲夜さんが小声で付け足してくれたのが、嬉しかった。

「うー! うー!」

 無視されていたのがお気に召さなかったのか、不機嫌そうに見上げてくるお嬢様。それを見て咲夜さんは腕を揺らした。
 お嬢様はキャッキャッと笑う。桃色の花が咲いたようだった。この館は悪魔の館なんかじゃなくて、天使の館だったのだ。

 私と咲夜さんは顔を見合わせて笑った。そこで、ああ、と思い至った。
 ツッコみ所がないものって、それはそれで素晴らしいのかもしれないけれど、どこか平坦で、寂しいものなのではないだろうか。
 完璧を求めるのは生物のサガだ。けれど、完璧を求めるために、ツッコみがあるのではない。
 蛮行だって、悪戯だって、奇行だって、欠点だって、痴態だって、全部ひっくるめて愛してあげようじゃないか。そのために、ツッコみがある。そのために、私がいる。
 だから私は、人差し指に愛と、感謝を込めて、

「お世話になりました」と微笑んで、

 お嬢様にツッコんだ。

「うー?」

 薄い桜色のほっぺたは、とても柔らかかった。



 ◇ エピローグ



 伝説の悔悟の棒には、新たに私の名が刻まれることになった。小町と一緒に返しに行って平謝りしていたのだけど、
『あー! いいからいいから! もう使わねえから! ウチさあっても置く場所ねえがら! 持ってきねえ!』と引越しで邪魔になったガラクタみたいに押し付けられた。
 彼岸公務員試験の難易度の低さも頷ける。

 紅魔館をクビになった私は、あっさり閻魔に復職した。辞表は上司の手で預かられていたそうな。
『えーきちゃんなりのボケだったんだろう?』と上司は笑って私の肩を叩いて、迎え入れてくれた。
 ドロワーズさえ被っていなければ理想の上司だったのかもしれない。

 それからというもの、私は彼岸中を飛び回り、一日に千を超える数のツッコみ乱舞を繰り広げていた。そのうちの半分は小町が占めているのだけれど。
 充実した日々だ。充実していたはずだ。
 ツッコめばツッコむほど、彼岸に笑顔が満ち溢れていく。そんな手ごたえがひしひしとあった。それは私の心を満たしてくれた。
 それに、みんな喜んでいた。みんな感謝してくれていた。愛を感じることが出来た。

 ついでに、元々ぶっちぎりでナンバーワンだった私の人気は、更なる高みへと上りつめることとなった。
 一皮向けた私のツッコみの鋭さが、人気に拍車をかけていたのだ。もはや彼岸で私の名を知らない者はいない。
 スリーサイズから好き嫌いまであまねく認知されている。誰ですか、個人情報漏洩させたヤツ。
 おかげで、サングラスとニットキャップがなくては外出も出来ない有り様だ。

 さらにこうして今、出版社に懇願されてエッセイ集まで書いている。


『えーきちゃんのツッコみ哲学~ツッコみは愛~』


 印税は0.1%。まぁ、ボランティアみたいなものだから、『消費税以下かよ!』とツッコむだけで、納得してやった。
 額の多寡ではないのだ。私の思いが、より多くの者に伝われば良い。そう思って書いた。
 しかし、こうして書き上げた今、私の胸にはある一つの疑念があった。これはいくらなんでも、



 ノリと勢いに任せすぎたんじゃないかなあ、って……。
 なんかこの原稿も読み返してみたらネタ帳みたいになってるし……。



 大体、愛ってなんですか。愛なんて、人それぞれの形があるでしょうが。
 そんな曖昧模糊としたモノのために全力で奇行に走るバカがどこにいるんです? いや、バカだから奇行に走るのかもしれませんけど……。
 けれど、ツッコみの素晴らしさは紛れも無い本物なわけで。私は間違っていない。間違っていないはずだ。ならばこの違和感はどこから来ているのだろう?

「ちぃーす! 四季様いますかー?」

 小町の声だ。はーい、と返事をする間もなく、ずかずかと上がりこんでくる音が聞こえる。
 鍵かけときゃよかった。鍵ついてないんですけどね、私のアパート。本がヒットしたらいい加減引っ越そうかしら。

「また来たんですか、今日は散々ツッコんであげたでしょう?」

 私は手元の原稿に目を落としたままで言った。

「いやぁ、禁断症状っていうんですかねえ。いてもたってもいられなくって」

 小町に目を移す。やはり、というべきか、

「今度は体操服ですか。今朝はレオタードでしたね。どっから調達してきてるんです、そういうの」

「あら? 四季様なんか元気ないっすね? どうかしたんですか?」

 さすがにここ一ヶ月で万を超える数のツッコみを受けているだけあって、小町は鋭敏に察してくる。私は思いきって、

「ねえ、小町?」

 訊ねてみることにした。どう訊ねたものか、いまいち自分でもわからないのだけど。

「はいはい! なんでしょう!」

「あなたはどうしてそこまで、私にツッコまれたがるの?」

「え? それは前にも言ったじゃないですか。四季様のことが大好きで、ツッコまれると幸せだから、って」

「それはわかるのだけれど、そう言われても、なんかこう、私のなかでしっくりこないのよ。何かが、決定的に間違ってるみたいな……」

「うーん? 要領を得ませんね。何もおかしなことはないと思いますけど……」

 むむ、と二人して腕を組んで考え込んでしまう。
 ふと顔を斜め上に負けると、曇った窓ガラスが目に入った。その先に満月が霞んで見える。
 そう、ちょっと外に出ればはっきり見えるのに、私はずっと部屋にいるから、ぼんやりとしかその姿を捉えることができない。
 そんな立ち位置の違いが私と、彼、彼女たちの間にある気がしてならないのだ。

「ああ!」と小町が手を叩く。「ひょっとして、こう言えばわかりますか!?」

 彼女は何かに気づいたようだった。

「こう言えばって?」

「あたい、いや、彼岸のヤツらってみんな――」

 欠けていたパズルのピースは、概ねの予想通り、非常にバカバカしい形で満たされることになる。










「ドMなんですよ!」










「なるほどねー!!」

 そういうこと、そういうことだったのですね! ああスッキリした! これでスッキリした!
 このドM! ド変態どもが! ツッコまれてヨダレ垂らすなんておかしいと思ってたんだよ!
 これはケッサクです。笑いが溢れて止まりません。こんなに愉快な気持ちになったのはいつ以来でしょう!

「あは! アハハハハ! そういうことなら何も問題ありませんね! あははっ!」

「問題ないっすよね! あははは!」

「だって私、私ってば!!」

 そう、白黒はっきりつけるまでもない。問題なんて何一つないのよ!
 だって私は。母さん譲りの――。










「ドSなのですからっ!!」









 四季家とはすなわち、古来より受け継がれるドSの血脈。ドMの楽園たる彼岸において、ドSの気質とは稀少なものなのだ。
 そんなことを、恍惚とした顔で私のお尻をぺんぺんする母さんに教えられたあの日を今また、思い出した。
 当時から既に良識ある閻魔として通っていた私にとって、それはあまりにショッキングな告白であり、無意識のうちに記憶の奥深くへと封印していたのだろう。
 だが、己の本質に気づいてしまった以上、もはや目を背け続けることは出来ない。我が名は四季映姫・ドS・ヤマザナドゥである!

 しかれども幻想郷は広い。博麗の巫女を筆頭に、件のメイド長、十六夜咲夜、名だたるドSは枚挙に暇が無い。
 彼の者たちのツッコみに、私のツッコみが果たして及ぶのであろうか。全くの未知数だ。
 ツッコみ、即ちドSの頂を、私は垣間見たに過ぎなかったのだ。それでも――、


「小町! あなたのためにも負けないからね! いつかきっと、ツッコみの天下を取ってみせる!」


 まだ見ぬライバルたちを思い、私は決意を新たにし、どさくさに紛れて袋詰めにした私の下着を持ち去ろうとする小町にアルゼンチンバックブリーカーを決めるのであった。

「おおお! ちょっと角度が浅いけど調子出てきましたね! さっすがえーきちゃんだ!」

 この世にボケがある限り、私は、いいえ私たちは決して歩みを止めないでしょう!
 ああ、大げさな言葉なんて必要ない。






「「ツッコみ最高っ!!」」









<完>
『突っ込み』という漢字表記は字面があまり好みではないので、
語幹である『つっこ』はそのままひらがな表記か『ツッコ』というカタカナ表記にしよう、
というところまではさらっと考えて、まぁひらがなだと文脈によっちゃ読みづらいよね、
とまたまたさらっと考えて、『ツッコ』まではあっさり確定。

困ったのが『み』にするか『ミ』にするかというところです。
活用語尾なわけですからカタカナ表記だと色々不具合が出まくるわけなのですが、
名詞として使う場合は『ツッコミ』の方が統一感があるなあ、とか、
でもそれだと『ツッコみ』と『ツッコミ』が混在するわけで、通して見ると表記揺れにしか見えないよなあ、とか。

段々考えるのが面倒になってきた私はふと、何も考えずに『み』と『ミ』を見比べてみました。
すると、どうにも『み』の方がかわいく思えてきたのです。
左上からちょんっと始まって『な、なによあんた!』ストーンと下に落ちて『あんたなんか大っ嫌い!』ぐるっと回って伸びて『べ、べつにあんたのことなんか……』最後にまたちょんっ、と落とす『だっ、大好きなんだから……』。
『み』と比べるとやはり『ミ』は『好き、好き、大好き!』って感じでちょっと素直過ぎるのではないでしょうか。

私はこうして『ツッコみ』という表記を選ぶに至ったのです、というのは今考えました。

ツッコみ、お待ちしております。
すなふきん
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コメント



0.550簡易評価
1.70名前が無い程度の能力削除
少しタメが欲しかった
2.80名前が無い程度の能力削除
勢いのあるお話ですね
一気に読んでしまいました
なんというかこう…いろいろいいたいことはありますが、
ツッコんだら負けな気がするといいますか…
4.30名前が無い程度の能力削除
起伏がなくて読むのに疲れました
全部読んでないのにコメントしに来てしまった
7.100dododo削除
最高だ
9.90名前が無い程度の能力削除
彼岸は全員Mなのかwww
11.20名前が無い程度の能力削除
柳の下のどじょうを狙って意気込んだもののさっぱり獲れずにあせって水に落っこちたような作品でした。
12.70名前が無い程度の能力削除
>ぬるめ(200℃ぐらい)の湯につかりながら
とありますが、水は100℃以上の温度にならないじゃないか!
と言うツッコミを待っていたんですね、わかります。
13.20名前が無い程度の能力削除
諸所のネタには面白いものがあるのに、それに倍する切れ味の鈍いナンセンスネタの量に全体がグダグダになってしまっている。ネタを詰め込むだけでなく、全体の分量やメリハリを考えてもう少しダイエットさせるべきだったと思う。少なくとも、取捨選択はすべきだ。
「変人」として書かれるべき小町を、最初の赤貧と激務の設定が「自分勝手で嫌な奴」にシフトさせているのが勿体無い。嫌がられているのに付き纏い、別の職場まで追いかけて妨害する。ギャグだと分かっていながらも、悪質なストーカーの匂いが漂ってしまう。テレビのお笑いコントならば誰がどれだけ不幸になっても問題ないが、「東方キャラが」「東方キャラに」している所業なので、どうしても微かなエグ味が拭えない。イジメカッコワルイ、だ。
また、話の主軸である「ツッコミ」が実質的に無意味なファクターになってしまっているのも勿体無い。特にどんなに過激なツッコミでも小町の反応がほぼ一定なので、アイデアを盛り込んだ様々なツッコミ技が「ああ、またツッコんだな」以上の印象を与えてくれない、無駄ネタと化しているのが残念でならない。
ネタは大盛りにすれば良い訳ではない、という話だ。
16.80名前が無い程度の能力削除
いろいろとごちゃごちゃした感はありましたがネタの一つ一つは良いものが揃っていると思います。
だからもう少しだけ小出しに、要所要所で入れることができたなら抱腹絶倒ものに化ける可能性は大いにあると思います。
17.80白徒削除
もう駄目猫の彼岸…っ。
ちょっと勢いが長すぎて途中で疲れてしまいましたが、いや最後までなんとか。
具体的には言えないけど…色々面白かったです。
18.100名前が無い程度の能力削除
辞表を叩きつけてオチが付いたかと思ってスクロールバーを見たときの絶望感が忘れられません。
20.無評価名前が無い程度の能力削除
火サスのテーマソングのところと、
レミィが逆に従えられているところに吹いたwwwwww

突っ込みの超バトルについては、
もう感動的過ぎて腹筋が鍛えられました。
何度も読めるって素敵だぜ・・!
21.100名前が無い程度の能力削除
何。このテンションwwwwwwww
27.無評価名無しの権米 100点削除
他の作品も見たくなった。
28.100名前が無い程度の能力削除
最高にハイッてやつだ!