Coolier - 新生・東方創想話

この“好き”の名前

2009/03/04 15:19:49
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* * * * *



 『痛かったでしょう? もう、大丈夫ですからね……』

 血塗れの腕で、何を言ってるんだろう。
 切り付けられ続けた左腕は、ところどころが肉が抉れ、剥がれて、骨まで見え隠れしていた。
 どう見ても、痛いのはこの妖怪の方なのに。
 左腕ばかりでナイフを受けているから、何かと思ったら、不意に右手を伸ばされた。

 汚れていない方の、腕。
 温かくて大きな手に、頬を包まれた。

 あぁ、そっか。だからか。

 この妖怪はこうしたかったのか。
 そう分かって、おかしくなった。
 だって、自分はもう返り血でいっぱい汚れてる。

 バカだな。
 なんか変な妖怪。

 でも……あったかい。

 いつの間にか、ナイフを握る手からは力は抜けていて。
 ただ、その手の温もりを感じていた。








 (……懐かしい)

 咲夜はゆっくりと目を開けて、ベッドから上体を起こした。
 カーテンの隙間から入ってくる光はまだ弱々しい。ベッドサイドに置いてあるいつも持ち歩いている懐中時計を見れば、その短針は「Ⅵ」と「Ⅶ」の間にある。
 今日は特に何もないので、まだ起床する時刻には早い。でもゆっくりと二度寝と洒落込む時間もない。というか、なんだかそんな気分でもなかった。

 (散歩でもしてこようかしら……)

 咲夜は顔洗って手早く着替えると、寝癖のついた髪を櫛で丁寧に直して、引き出しから、緑色のリボンを取り出した。
 咲夜の涼しげな視線は、鏡から外れてそのリボンへと向かう。
 それはもう大分色褪せてしまった緑色のリボン。随分と草臥れた、しかし大切に大切にされているのが分かるリボン。
 それを指で撫ぜ、咲夜はふっと力を抜くように笑った。
 くしゃっと頭を撫でて。優しく梳いて。それからこのリボンで髪を結ってくれたのもあの大きな手だ。
 咲夜はリボンを持ったままの手を、そっと頬へ当てた。

 「懐かしいわね……」

 今日はどうしたんだろう。あんな夢を見るなんて。

 髪を結い、部屋を出る。
 廊下は冷たく、しんと静かで硬質な空気が流れていた。もう少し時間が経てば、騒がしいメイド達によってこの空気は溶けてなくなる。
 咲夜は静かな紅魔館の空気を少し楽しみながら、音を立てぬように歩いた。
 明るく陽気なのも嫌いじゃないが、こういった静謐とした空気も良い。たまにはちょっとくらい早起きしてみるものいいかもしれない。
 機嫌上々の咲夜は、そのまま外へと向かう。が、外へ出た瞬間に後悔した。

 「寒っ……!」

 キィンっとした張り詰めた冷気が肌を滑っていく。緩く吹く風は、その緩やかさに反してまるで研ぎ澄まされた銀のナイフような威力を持っていた。
 何か一枚着てくれば良かったと、一旦戻ろうかどうか数瞬迷う。しかし戻っていたら時間はなくなる。
 朝特有の静まった清清しさ。東の空に棚引く、紫色の雲。暗い湖面が、徐々に明るさを増す空を映してキラキラと輝き出していく。
 静から動へと変化していく、始まり一時。
 折角のそれが勿体無くて、咲夜はそのまま行く事にした。
 広大な庭を進む。よく手入れをされた植物の葉には、朝露が滴って、まるで真珠でも纏っているかのような神聖な雰囲気を漂わせていた。

 (この庭も美鈴が管理をしているのよね……)

 朝露に濡れる葉に触れる。その雫にも切るような冷たさがあるかと思ったが、指先に感じたのは意外にもやんわりとした冷たさだった。
 あぁ、この植物達はきっと優しいんだろうな。
 なんて、根拠も何もないが、なんとなくそう思って口許に笑みが上った。
 きっとこの植物達の世話をしてるあの妖怪のことが浮かんだからだ。

 東の空が明るくなってくる。西の空にはまだ沈み切らない月がうっすらとある。
 空を見上げながら歩いていると、自然と足は門の前と向かっていた。
 そう気付いて、小さく漏れる溜息ひとつ。最近ここに来る事が多かったから、クセになってしまっているのかしれない。まぁ、普段から外に出る時は大抵ここにしか用はないので仕方ない。
 咲夜は今度は苦笑を一つ零して門の前へ。
 いるかなと思った人物はいなかった。

 (……って、何を期待してるのかしら)

 いくら門番だからと言っても、四六時中ここに突っ立っているわけじゃないだろうに。
 館内のメイド達のシフトを完全に把握している咲夜だが、門番隊のシフトまでは流石に網羅していない。
 来る前にちょっと確認しておけば良かったなとか。ちょっとだけ話したかったなとか。あの手に触れたかったなとか。
 いないと分かると、自分がそんな事を思っていたんだと自覚してまた苦笑が漏れた。

 「咲夜さぁーん!!」
 「え?」

 不意に後方から声が届く。
 反射的に振り返るが、誰もいなかった。

 「こっちですよー」

 声に導かれるまま上方へ視線を向ける。
 屋根の上には、両手をブンブン振って自分を呼んでる美鈴がいた。

 「美鈴? なんでそんな所に……」
 「屋根の修理をしてたんですー。そんなことはいいですから、咲夜さんも早くこっちに来て下さいー!」

 横にブンブンと振っていた腕を今度は前後にブンブン振り、にこにこと笑って来いと叫ぶ。
 何がそんなに嬉しいんだろうか。分からないが、咲夜はとりあえず美鈴の言葉に従ってみる事にした。
 飛び上がって屋根の高さまで上昇する。昨日レミリアが突っ込んで大穴が空いた筈の屋根は器用に修繕されており、美鈴の足許には板きれや鋸、釘に金槌やらの道具や素材が転がっていた。
 しかし、呼んだ張本人を見れば、そこにはぎょっとした顔があった。

 「ちょっ、咲夜さん! こんなに寒いのになんでそんな薄着なんですか!?」
 「え、きゃっ!!」

 グイっと思いのほか強い力で引っ張られて、思わず小さく声を上げてしまう。
 美鈴は自分の着ていた厚手のコートを脱ぎ、それで咲夜を包んで抱き締めた。

 「な、め、美鈴、ちょっと……!!」

 咲夜の華奢な体は、見た目よりも逞しい美鈴の腕の中にすっぽりと収まる。
 予期せぬ事態に叫びたくなるのを必死で堪え、美鈴の肩を押すがビクともしなかった。

 「まったくもぉー。こんなに冷たくなっちゃって……何やってるんですか……」

 耳許で溜息混じりに呟く声。
 美鈴の体温でいっぱいのコート。
 その上からも、美鈴の温もり。
 頬が熱くて、体も熱くて。心臓がバカになってしまったかのように激しく脈打った。

 「べ、別に、さ、寒くないわよ! そ、それよりもこれ脱いでしまったら貴女の方が寒いんじゃないの?」

 上手く思考が働かない。けれど、しどろもどろになりがらもそれだけ言う。
 コートを脱いでしまった美鈴も、酷く薄着だった。というか、あろうことかの半袖のシャツ一枚という格好だ。
 正確には下に微かに透けてタンクトップが見えるので、正確には二枚といったところだろうが、それにしたって薄着なことには変わりない。
 美鈴自身そんなに寒がりではないのと、コートが厚手の物だから重ね着をして動きづらくなることを避けたためだろうが、でも幾らなんでも半袖はない。
 なのに「私のことはいいんです」とピシャリと言い切って美鈴は取り合ってくれなかった。

 (何がどういいんだか全然分からないわよっ……!)

 離れなきゃいけないような気がして、でもこの温かな腕の中にいたいという自分もいて。どうしていいか分からなくなる。
 今の自分は軽くパニックに陥っているだと、頭の中の第三者的な自分が言っているが、その自分はこの状況から抜け出す術を教えてくれることはない。
 ぐるぐる、思考が回る。
 この症状は、この前美鈴のことを「可愛い」と思った時に似ている。
 でも今の方が酷い。
 だって体の自由さえも利かないくらいに、思考が上手く動いてくれないのだから。

 「あ、咲夜さん見て下さい」
 「え?」

 くるりを体を反転されて、東の空が視界を埋めた。
 朝日だった。地平線の向こうから、強い真っ赤な太陽がじんわりと上ってくる。
 キラキラと輝き、空を、大地を、森を、館を染め行く。

 「きれい……」

 朝、昼、夜。
 この館が『悪魔の館』と呼ばれるに相応しい空気を纏うのはやはり夜だろう。そして、一番似つかわしくないのがこの朝の空気だろう。でも、清清しい空気の中で佇む悪魔の館も悪くない。
 だって、朝日に照らされる紅魔館は、こんなにも美しい。

 「ふふ。でしょう?」

 咲夜の呟きに、美鈴はにこにこと笑う。
 早く来いと急かしていたのは、これを見せたかったからか。頭の隅でそう納得していると、美鈴は咲夜を抱えたままその場に腰を下ろした。
 美鈴の膝上に、横向きで抱き締められるような形。戸惑って抵抗したが、美鈴は「だってこうしてないと寒いでしょう?」とだけ言ってまた視線を空へと戻してしまう。
 また頬が熱くなる。
 美鈴の空を見詰める瞳には朝日が映りこんで、なんとも言えぬ繊細な光を灯していて。それがあんまりにも綺麗だったから、何も言えなくなって。

 緑青色の瞳に、朝陽。
 紅い髪が寒風にサラリと流れて、また背中へと戻ってくる。

 抱き締められた腕は、昔と変わらず力強くて。大きな手の温もりも変わらない。
 なんだか泣きたくなるくらいに暖かくて、胸の奥がぎゅっとした。

 気付けば美鈴の視線がこちらに向いていた。
 口許を緩やかに上げて、優しげに目を細めて。その碧の瞳に、銀と蒼が映りこむ。

 「咲夜さんの瞳と髪、とっても綺麗ですね。朝日にキラキラしてて……なんだか宝石みたいです」

 ゆっくりと笑んで、くしゃり頭を撫でる。髪を梳く。それから熱くなっている頬を包んでくれた。
 同じことを思っていたことが嬉しくて、くすぐったくて。それから、その手に触れられたら胸の奥がもっとぎゅっと苦しくなって。
 心臓が、爆発しそうだった。

 「なに、いってるのよ……」

 朝日を見るフリをして、顔を逸らしながら小さく呟く。
 美鈴は「すみません」と笑いながら、視線をまた朝日へと戻した。

 「咲夜さんが一緒だから、今日は一段と綺麗に見えますね~」

 美鈴は嬉しそうに笑ってそう呟いていた。
 返す言葉を探している内に朝日は昇りきってしまい、結局そのまま館へ戻る事になった。
 屋敷のドアを開けると『さくや』が飛び出してきて、今まで咲夜がいた美鈴の腕の中に飛び込んでいった。


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