Coolier - 新生・東方創想話

次は私が

2009/02/15 22:58:52
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「ねぇメル姉、ちょっと聞いてくれない?」

 姉さんは鏡の前でウェーブのかかった薄青色の髪を梳かしながら「なぁに?」といった。
 外からは爽やかな朝の陽射しが差し込んでくる。今日は快晴だ。
 そんな暖かな光を受けて、姉さんはにこにこと笑っている。この人の持って生まれた才能は躁病ではなく、この笑顔であると私は考えている。
 何に対してもポジティブで、前を向くことしか考えていない。後ろを終わったことと割り切れる。
 考えるより行動し、ひたすら自分を高めていける。そんな明るさが、人気につながるんだろう。
 私と言えば、何をするにも計算計算。算するということをしないと、怖くて何もできたものではない。多分、私は臆病なのだ。
 だから姉さんが羨ましいし、少し妬ましい。

「……また紅茶を砂糖で飽和状態にして塩で中和しようとして失敗したの?」
「いや、それやったの姉さんじゃん。あんなの一度やったらもう二度としないよ普通」

 別の例も挙げれば、右頬をトランペットで殴打された時に「じゃあ、反対側からもう一回ぶつければ治るんじゃないかしら」とかいわれて左頬も殴打されたような感じだ。信じられないかもしれないが、実体験である。

「リビングにね、紅茶があるんだけど……あれ、リリカにあげるわ」
「おい! あれだけ飲食物で遊んじゃダメって言ったのに」
「そんな……遊びじゃなかったのに……」
「何でそこをエロく言う」

 姉さんはちょろっと舌を出して「ふふ……」と悪戯っ子みたいに笑う。
 不意に、甘ったるい匂いがした。砂糖菓子のような甘すぎる匂いだ。私は少し気分が悪くなった。
 朝から甘いお菓子なんか食べて、よく胃がもたれないものだと感心する。

「それで、言いたいことって何かしら?」
「実は……ルナ姉のことだけど」

 ルナサ姉さんは優秀だ。頭もいいし、勝負事も強い。何でも出来るといっても、言いすぎではない。
 ただ、どうしてそうなったのか分からないが、性格は暗く、後ろ向きだ。低血圧で朝は十分くらい放心しないと動けない。
 まあ、そこは置いておいて。

「ルナサ姉さん? また牛乳瓶の蓋を勢いよくあけて中身の半分をテーブルにぶちまけたの?」

 それもあんたでしょうが。こんがりトーストが白濁色塗れになった時の切なさを考えてくれ。 

「ルナ姉の癖で、夜中に勝手に人のベットに潜り込んでくるのをさ……」
「止めさせたいの?」
「うん、まあ」
「何で?」
「何でって……危ないじゃん」
「ルナサ姉さんは間違いなんて起こさないと思うけど……」
「いや、ルナ姉が、危ない」
「なるほど」

 そんな優秀なルナサ姉さんは時々、寝ぼけて部屋を間違えているのかワザとかは分からないが、私やメルラン姉さんのベットに潜り込んでくるのだ。
 普段から姉らしく、正しい言葉遣いと上品な仕草で我らが見本となっている姉さんが、夜中目を覚ましてみれば甘えた声で抱きついてきているのだ。最初は思い出せない昔のことのはずだが、その状況と驚きは今でも覚えている。
 普段とのギャップでもうこっちはくらくらなのに、煽情的な温かさが……その上「ん~、リリカ……」とか抱きつかれたら。
 ほんとに、よく耐えてきたな、私。すげえ、私。

「その意見には賛成ね。確かにルナサ姉さんが危ないわ。それにしても、よく耐えてきたわね私、凄いわ、私」

 この姉と思考回路が一緒だったことにショックを受けた。

「……で、そのお姉さまはどこにいるの?」
「私の部屋で放心してる」

 メルラン姉さんは「ふむ」と可愛らしく頷いて、私に向きなおった。ウェーブのかかった髪が微かに揺れた。

「なら、今日は姉さんを問い詰めてみましょう」
「……出来るならやってるよ」
「あれ? 何でやらないの?」

 私とメルラン姉さんはリビングまで歩きながら、話を進めた。
 私たちが住んでいる館は、結構広い。三人で住むには広すぎるくらいだ。
 紅魔館にはどうしても劣ってしまうが、逆に考えれば紅魔館と比較していいくらいには、上等ということだ。
 赤色のカーペットを踏みしめながら、私は答えた。

「ルナ姉の性格を考えなよ。わざとだったとして『何で私のベットに潜り込んでくるの』なんて迂闊なことをいったら、聡明なネガティバーは何と考えるでしょう」

 メルラン姉さんは「んー」と唇に手を当てて、考えた。
 リビングに出ると、人魂が二匹迎えてくれた。この広すぎる屋敷は、私たち三人じゃ掃除もままならない。だから、プリズムリバーファンクラブのモノ達を働かせているのだ。
 報酬はライブの時の特等席券だ。だからここで働きたいというものも多い。
 もともと幽霊とか人魂とかはやることがないし、死ぬわけでもないから、好きなだけこき使っても問題はないのだ。
 私たちは、丸型のテーブルに向かい合って座ると、すぐに紅茶が入ったカップを二つ、運んできてくれた。

「『あれ、私のベットに連れて行ってほしいのかな?』……かしら」
「姉さんの思考でしょ、そりゃ」

 私は呆れ半分で言って、紅茶を啜った。すると、独特なしょっぱさが舌の上を疾走した後、嫌な甘みがその後を追いかけて行った。
 言うまでもない、醤油入りの紅茶であった。
 私は「うえぇ!?」と半狂乱で吐き出しそうになり、無理やりに飲み込んだ。

「……ね?」
「『……ね?』じゃない! 何でダメだとわかって私に出させたの!? 確認取る必要ないだろ!」

 私はキッチンに走って行き、水で口の中をすすいだ。この姉は何を考えているのか。軽く殺意が芽生える。

「……で、何で聞いちゃダメなの?」
「この言い方だと、まるでルナ姉が潜り込んでくるのが不快だと言わんばかりじゃない」
「……なるほど」
「無意識に寝ぼけて、だったとしても同じことだし」

 私は口をキッチンタオルで拭きながら、説明した。メルラン姉さんは紅茶を啜りながら何か考えているようだった。どうせロクな事ではないだろう。
 頼むから、考えないでほしい。とは言えない。
 トランペットはものすごく痛いものなのだ。

「だからこの問題に触れるだけでも、すでに危ないんだよ」

 至極ソフトに、オブラートに五重に包んだ言い方をして「ねえルナ姉、何か寂しいことない?」とか聞いてもマイナス効果だ。逆に布団にもぐり込むという問題にすら気付かせずに鬱にしてしまう可能性すらある。

「触れなきゃいいじゃない」
「それでもいいけど、次に私の理性がもってくれるという保証も自信もないよ」
「私もそんなものよ」

 そんなものじゃ困るんだけどなーという私の感想を無視して、メルラン姉さんは再度紅茶を口に含んで、続けた。

「私の理性ポイントはあと十二ポイントあるんだけど……」
「……あと十二回なら耐えられるってこと?」
「んー……ちょっと違うかな」

 私はまた、姉さん正面に腰掛け、ちゃんとした紅茶を人魂に頼んだ。
 姉さんは人差し指と親指をほんの少しだけくっ付かないようにして「これくらい違うわ」といった。

「……タフネスみたいな感じ?」
「いや、次添い寝されたら、間違いなく十二回は犯」
「それ以上しゃべるな! ていうか全然違うじゃん! 耐える気ゼロじゃん!」

 というか、理性ポイントじゃなくて欲求不満ポイントだろそれ。
 私は我を忘れて、バンバンテーブルを叩きながら叫んだ。紅茶がかちゃかちゃ跳ねる。

「よくよく考えたらね、姉さんは何か……私たちを求めているような気がしてきたわ。きっとそうして欲しいのよ、きっと、きっとね。うふふ、どんなことをシて欲しいのかしら。あんなこと? こんなこと? そんなこと? うふふふふふ」
「……お~い」

 メルラン姉さんは別の世界に旅立ってしまったようだ。ハイライトの無くなった虚ろな眼に、口元だけ引き攣らせた様な笑みを浮かべ、カタカタと身を震わせている。
 正直怖い。近寄りたくない。
 この姉はもう限界だ。早く打開策を練らないと、ルナサ姉さんは二度と立ち直れないようなヒドイ目に遭わせるに違いない。やば、涎でてきた。

 私が涎をぬぐっていると、リビングの扉が開いた。
 すぐに人魂が扉に駆けつける。入ってきたのは言うまでもない、ルナサ・プリズムリバーその人であった。
 ルナサ姉さんは、家の中でも演奏用制服の黒いベストを身につけている。幾分幼い顔立ちがシャキッとした気合いを、あくまで上品に醸し出している。

「おはよう、メルラン、リリカ」

 柔和な笑みを浮かべながら、私たちに会釈する姉さん。ショートカットの金髪がさらりと動いた。

「……お、おはよう、ルナ姉」
「グッモォウニン! マイシスター、ハウユードゥーイン!?」

 絶好調でルナサ姉さんに飛びかかるメルラン姉さん。その姿はカモシカに飛びかかる豹を連想させた。思い込んだら一直線。自重自粛なんて単語は消しゴムでイレイジング。
 私だったら、たまらず逃げ出してしまうか、蛇に睨まれた蛙のようになってしまうところだが、流石はルナサ姉さん。

「……朝から飛ばしてるね」 

 それだけ言うと、べシャリと手のひらを、飛びかかってきたメルラン姉さんの顔に当てた。
 獲物に食らいつくことに失敗した猛獣は、重力にひっぱられて床に顔面を強打した。

「……~~!?」

 そのまま顔を押さえて床をごろごろのた打ち回る有様。まあ、いつもどうりの朝だ。

「二人とも今日の午後からのライブ、忘れてないよね」
「もちろん覚えてるよ」

 今日はメルラン姉さんのソロライブと、私とメル姉のアンサンブルがある。
 私はソロが苦手なので、姉が付き合ってくれるのはありがたいことだ。

「特に、メルラン」

 赤くなった鼻を押さえながら、メルラン姉さんが身を起こした。涙目になりながら「何?」といった。

「初発はあなたなんだから、しっかりしなさい」

 メルラン姉さんは「わかってるわよ、も~」と半ベソをかいていた。こういう時の姉さんは凄く可愛い。ただ、言ったらチューバが飛んでくる。
 「じゃあ、それまでには準備しておきなさい」それだけ言って、ルナサ姉さんは霊魂が持ってきてくれた紅茶をやんわりと断って、自室に戻って行ってしまった。

「……姉さん、大丈夫?」
「大丈夫、この借りは明日ベットで返してあげるわ。ふふふ! ふふふふ!」

 このテンションなら、姉さんのソロは大成功間違いなしだろう。
 しかし、これはいよいよルナサ姉さんをメルラン姉さんの部屋に行かせるわけにはいかない。もともと精神面に病んでいる節を見せるメルラン姉さんが本気でキレたら何し出すかわかったもんじゃない。ああ、恐ろしい恐ろしい。

 そう言えばと気が付いた。
 私が行ってきたライブでルナサ姉さんがいないのは今回が初めてなのではないかと。



 そう、今日のライブにはルナサ姉さんがいない。
 







 うわあ、考えてなかったんだけど私の音じゃあメル姉の超猟奇的な病音を相殺できないよああどうして今まで気がつかなかったんだこの私という天才美少女というものがもういい逃げよう今なら間に合うファンの皆にはあの空に散りましたと言っておくんだ。
 何を言っているのリリカ、敵前逃亡はダメでしょ。やる前から諦めていたら何もできないわよ。さあゴーゴー。
 やってからじゃ遅いんだってちょおおおおおお!
 
 そんなエキセントリックな会話を交わした私たちは、不安や焦りや緊張は何処かあっさりとライブを大成功に導いてしまった。
 演奏しているうちには必死だったもので、終わったら後のことなどさっぱり覚えていない。
 私はキーボードを抱えながら、安堵の息をついて隣で無邪気そうな笑みを浮かべている姉を見た。
 メル姉はライブの片付けまで手伝ってくれる霊にお礼の握手(霊魂の頭を水晶玉を磨くようにキュッキュする行為である)をしていた。どう見ようがよく出来たお嬢さん、またはどこかの貴族の娘様だ。
 身のこなしは余裕が感じられて上品だし素材が悪くないためかどんな表情も悪くない。

「お疲れ、メル姉」
「お疲れ様、リリカ」

 こちらに見せた表情もにこやかで悪意の欠片も感じられない。
 本当に朝の人物と同一なのか自分の頭を疑いたくなってくる。

「今日のライブは大成功だったね、流石だよメル姉。少し見直しちゃったな」
「そうね、今晩のことを考えたらテンションが天井知らずになっちゃってね……ああ楽しみ楽しみむっふっふ」 

 前言撤回。間違いなく同一人物である。

「その為にはこのライブでの暴走はまずいのよ。何がまずいって姉さんは怒るとピューマも裸足で逃げ出すほど怖いもの。夜の元気がなくなっちゃったら困るから抑えるのに必死だったわ」
「靴を履いたピューマなんてそもそもメル姉の頭の中にしか生息してないよ」

 ピューマというおそらくはマイナーな動物を出したのが失敗だと思う。猫辺りにしておけば納得もできたものを。

「それよりリリカ、何でルナ姉が今日の演奏をキャンセルしてたか知らない?」
「あれ? メル姉も聞いてなかったの。実は私も気になってたから後で聞こうと思ってたんだけど」
「ん~、私も聞いてなかったけど……ああ! もしかしたら」
「やっぱり何か言ってた?」
「いえ、これは憶測だけど……買い物に行ったんじゃないかしら」
「ルナ姉の買うものね……あるかなぁそんなの」
「ズバリ! それは私とのお楽しみのための」
「ズバリそれはない!」

 気が付いた時には後片付けは済んでいた。
 私も霊魂たちに礼を言い、次の演奏会の特等席の券を渡して別れた。
 帰り道、夕焼けは赤く何故か優しく感じた。
 メル姉は帰り道でも、一生懸命に考えを巡らせているようだ。
 しかしロクなものは浮かばんだろうなと私は嘆息した。

「……! わかった、きっと今晩の夕食に睡眠薬を入れているのよ。私がイケイケだと思わせて実は姉さんが押せ押せ……そうだ、そうとしか考えられないわ」

 やはりロクな事ではなかった。

「ちょっと考えようよ、メル姉は変な方向に頭を働かし過ぎ。もっと良く思いだしなよ。昨日ルナ姉とどんな話をした?」
「ん~」
「やっぱり思い出せない?」
「参ったわ、受けになんて回ったことがないからどういうリアクションをすればいいものやら……」
「おいこら! 人の話を聞けよ!」
「え、何か言った?」

 ふぉぉぉぉぉぉおぶん殴りてえという私の地を這うような慟哭はもしや地底の国へ届いたかもしれない。
 とにかく握り込んだ掌に爪が食い込んで痛かった、という所が伝わってくれれば私は満足だ。
 この姉とは生まれてからずっと一緒だったが、こんな風に二人だけでとっぷり話すなんてことがなかったのだ。その事実に驚きと喪失感、そして己のメルランという騒霊についての勉強不足を味わう。

「へい、メルシスター。流石に心の草原広大モンゴリアンな私でもそろそろ堪忍袋がブレイクするよ、覚悟はいいかこの野郎!」
「まって、やっぱり心当たりがあるかも」

 私は「おいやっぱり聞いてたのかよ!」と我ながら驚きのスピードで唱えてから地面につんのめった。
 メル姉は空を見上げながら首を傾げていた。疑問詞が浮かんだ眠たげな目だが、そういう時一番鋭いのがメル姉である。

「昨日した話はライブの注意と今日のバレンタインのこととドブ鼠が本当に歌われるほど美しいものなのかという議論と……」
「おいちょっとまってメル姉」
「今の三つの中に心当たりがあった?」
「あったも何も……ほら、わかるでしょ」
「ドブ鼠?」
「何故そこで間違える!? その前だその前!」
「……ライブの注意?」
「阿呆! その後!」
「ドブね」
「無限ループか畜生! 明らかに真ん中のバレンタインのせいでしょうが! 言わせるなよ妹に!」
「バレンタイン……血塗られたバレンタイン……」
「意味不明の上に何て不吉なセリフ吐くんだよ!……ああ! もしや去年意味もなくチョコばかり頬張って鼻血を出した自分を戒めているのか、いやよく分からないけど!」

 メル姉はそうかわかったぞとも言いたげな開けた表情で天を仰いだ。

「ということは姉さん、私たちにチョコレートを」
「そうだね、そうだといいね」
「そのチョコレートに睡眠薬が」
「って何故そっちに走りたがるんだよ! 少し自粛しろよ本能を!」

 この姉はもうだめだ。多分救えない。
 しかしそんなメル姉も、見てる分には優雅な雰囲気を醸し出すお嬢様なのだった。見た目だけは。









 私がボケとツッコミの応酬に疲れ果てて帰宅した時には周りが暗くなり始めているころだった。
 私の背の二倍以上はある扉を開けて中に入ると、キッチンの方に人の気配がした。
 やっぱりルナ姉がチョコレートをお恵み下さる他に夕食の準備までしてくれたのじゃありがたやありがたやと私が手を合わせる前に、メル姉が私の襟首を掴んで思いっきり引き寄せ、私は喉元の鈍痛に喘ぐことになった。

「げほげほ、もういい加減にしやがれよ!」
「待ちなさい、今正面から飛び込むのは危険すぎるわ」

 私はいがいがする喉を押さえた。涙が出てきた。

「危険て、今私が知る限りのデンジャーゾーンはメル姉の周囲二メートル範囲だけだよ」
「恥ずかしがりな姉さんのことだもの、もしうっかり作っているところを見つけてしまったら鶴になってどこか遠くのお空へ飛んで行ってしまうかも知れないわ」
「ないないそれはない」
「こっそり外から見に行きましょ、金銀の織物も欲しいけど鶴も逃すわけにはいかないわ」
「欲張りな奴は酷い目に遭うって相場が決まってるのに」

 こっそり窓から外に出た私たちは、キッチンの対面の庭にしゃがみ込んだ。屋敷が広ければ、庭も広い。遠くに紅魔の湖が見える。
 中からはかちゃかちゃと幾重にも及ぶ食器の摩擦する音が聞こえてきている。幽霊たちにも手伝わせているのだろう。
 私も少し興が乗ってきて覗きたい衝動に駆られるが、顔を出せばルナ姉と顔合わせすることになる。
 隣でしゃがみ込んでいる姉はどこぞのスパイの演出でもしているのか、いつの間にかつけた真っ白の髭をわしわし撫でながら「ターゲットを発見、観察を続行す」とほざいている。幸せな性格で羨ましい。

「メル姉、私は疲れたからもう一人でやってくれないかな」
「何を申すかワトソン君、楽しいのはここからじゃないか」
「言っておくけど、シャーロック・ホームズ氏はスパイなんかじゃないからね」
「探偵もスパイも似たようなものでしょう」
「謝れよ、世界中の探偵とスパイに」

 私が今日何回目かの溜息を吐いていると、メル姉はこっそりと窓ガラスの端っこから覗き始めた。
 いつかの昔、メル姉に無理やり付き合わされてルナ姉のお風呂を覗いたときに、桶を喰らって吹っ飛んだのは私だったなと思いだす。
 私の上で髭がわさわさ揺れてウザったいので引きちぎった。上から「いだぁ!」と聞こえた。

「てて……。な……なんですって!?」
「今度はどうしたの? あんまり大声出したら五月蠅い室内でも聞こえちゃうよ」
「キッチンに姉さんがいない!」
「な……なんだって!?」

 がばと起き上がって室内を見る。
 ガラス越しに見たキッチンは大分ぼろく見えた。ああ、オーブンの下にキャベツの破片が落ちてる。汚いなもう。
 どうやら、夕食を作っていたのは霊魂たちのようだった。
 その中でも一段と輝いているのが一匹、おたまで鍋を掻きまわしている彼はもと三ツ星レストランのシェフだったそうで、生ゴミ当然の代物を高級料理に変えてしまうほどの腕の持ち主だ。
 以前、メル姉が『チョコチップドクテング春雨和え』という混沌極まりない毒物を生み出した時も、どうやったのかは知らないがバナナパフェに作り直してくれていた。三つ星シェフすげえ。
 ただそれよりも衝撃的だったのは、そのバナナパフェを指さして「これよ! これを作りたかったのよ!」とメル姉が喜んでいたことだが。間違っても、和えることによってパフェは誕生しない。

「ならば姉さんはどこへ行ったというのか!」

 流石に予想外の事態、私も考えることにした。
 昨日私は朝食を食べてから一人で散歩をしながら音集めに奔走して、悪友の詐欺ウサギとうっしっしな話をしてついでにお昼を御馳走になって、サスペンダーのチンピラっぽい人と物凄く綺麗な人が褌に晒しで相撲を取ったのを観賞、家に戻って夕食を食べてからすぐに風呂に入って寝たはずだ。
 疲れていたので、夕食後の記憶はほとんどない。ぐっすり眠れた。
 そのせいで朝起きた時に隣に寝ていた姉を見て、自分が何か間違いを起こしてしまったと思って焦った。

「料理長、姉さんがどこに行ったか知らない?」

 料理長こと元学校食堂のおばちゃん(享年 112歳)は堂々とした羽振りと異様なカリスマ性がある幽霊だ。シェフほど輝いてはいないが、不思議に温かな光を醸し出している。ついうっかり恋の相談をしてしまいそうな存在だ。
 もっとも、料理長やシェフは白玉楼の専属である。いつも頼んできてもらうくらいなので姉さんが前もって準備していたのは明白だった。
 料理長はくるりと大儀そうに一回転した。
 どうやら、ルナ姉は少し前に袋を背負って出かけたらしい。どこに行ったのかはわからないそうだが、昨日作っていたチョコを背負っていたとのこと。
 くそう、私としたことが。件の物は昨日作られていたのか。 

「チョコは昨日完成していたの!? うわあああ何たる失態!」
「メル姉は昨日何をしてたの?」
「朝食を食べてから二度寝して、昼食を食べてから昼寝して、夕食を食べてお風呂入って寝た」
「まんまダメ人間だな!」

 ルナ姉と話したのは食べながらだったのか。道理て話が適当だと思った。
 しかし、よくよく考えると別にルナ姉がここにいなくても問題はないんじゃないか。
 あの人はしっかりしていて抜け目ないから私たちの分は絶対と言っていいほど作ってくれていると思うし、無理に追いかけずに家で待っていた方が無難なのでは。

「ダメよリリカ、あの睡眠薬入りのチョコがなければ、私の夜はないわ」
「あんたの頭はそれだけか! というかそれ自体メル姉の妄想の産物だろ!」

 そろそろ喉が痛くなってきた。これだからツッコミは短命なのではないだろうか。
 ルナ姉が持って行ったチョコレートは多分近隣の人に配っているに違いない。
 白玉楼と紅魔館、個人としては風見幽香、このくらいだろう。

「料理長、今日の晩御飯は何人分?」

 思った通り、二人分と料理長は言った。ルナ姉はどこかで食べてくる気なのだろう。

「料理長、私たち急ぐから早くご飯の用意して!……たわばっ!」

 そう言いながら窓から侵入を試みたメル姉は料理長自慢の突っ張りで吹っ飛んだ。
 行儀が悪いと、料理長は怖いのだ。
 転がってぴくぴくと震える姉さんは、見ようによってはエロくないかと脳の片隅で考えた私は大分毒されてきているのだろう。とにかくその純白を隠せと言ってやりたかった。









 もぐもぐと静かな――というよりは空気がしらけてしまっているリビングで、私たちは夕食を食べていた。
 結局、ぐずるメル姉をなだめて家でルナ姉を待つことになったのだ。
 私としては文句のない展開なのだが、メル姉は面白くないと言いたげな顔で、黙って口を動かしている。
 夕食はライスとサラダとコーンクリームスープ、それに厚い肉が付いていた。言わずもがな、全て非の打ちどころのない味だった。
 肉汁の溢れでる分厚いステーキを口に運びながら、私は何となく募った罪悪感に悩まされる。
 我がままなことをさせるのはいいことだとは言えないのに、これだからメル姉はつけ上がるのだ。

「メル姉、このお肉美味しいね」
「美味しくない」
「……このスープさ」
「美味しくない」
「サラダの……」
「美味しくない」
「サラダのドレッシングはルナ姉の手作りなんだけど」
「ドレッシングは美味しい」

 もちろん口で何と言っても、ちゃんとぱくぱく食べている。
 メル姉は気に入らないことがあるとこんな風に拗ねる。
 子供みたいに口を尖がらせて、むすっとしながら空気を暗くする。
 テンションの上がり下がりがとにかく激しいのだ。ある意味ルナ姉よりもたちが悪いかもしれない。

「機嫌直しなよー。メル姉のそんな顔、見たくないって世界にたった一人の妹が泣いてるよー」
「枯れて漬物見たいになるまで泣けばいいじゃない」

 流石に、この物言いにはカチンとくるものがった。

「そんな言い方ないじゃん」
「どんな言い方ならいいっていうのよ」

 突然に起こる睨み合い。
 私は今日一日の理不尽を思い出して、腹が立ちはじめた。
 刺すような視線を放つ姉を、私は黙って睨み返す。

「気に入らないことがあればすぐそれ? 子供じゃあるまいし」
「子供なのはあなたの身なりでしょう」
「なっ……! 身体的な特徴を揶揄するなよ躁病人の大女!」
「何ですって!? このなんちゃってティンカーベル!」

 なんちゃってティンカーベル!? どういう意味だそれは。
 もしや小っちゃい奴とか手のひらサイズとか言いたいのか?
 くそう、ここは絶対に引けるか。今回こそはぎゃふんと言わせてやる。

「……いいわ、気に入らないのら別の方法をとればいいじゃない」
「何をするのさ」
「決まってるでしょ、姉妹喧嘩のルールその十二条」
「『勝負の結果によって後腐れることなかれ』」
「ごめん、十一条の方」
「『決闘は、トランプまたはコインで行う。弾幕を用いた決闘は家が壊れる恐れがあるので、控えるべし』ね。で、これが何?」
「今は姉さんがいないわ、つまり」

 メル姉は、静かに立ち上がった。
 私も持っていたフォークを置いて、立ち上がる。

「表に出ろってことか。いいよ、受けて立とうじゃん」

 メル姉には自信があるのだろう。
 そりゃあ、魔力だけでいえばメル姉は私よりもずっと強い。
 けれど、それだけじゃあないのだ、弾幕は。
 メル姉に自信がある様に、私にも自信がある。
 ルナ姉がいなくなって、無法地帯と化したこの家で、決着をつけてやる。

 そう思案して、玄関に向かおうと踵を返した。
 そこで、私は自分の目を疑った。
 途端に、黒いベストが見えたのだ。私は何かを言う前に、頭にチョップを落とされた。
  
「こら、十一条を復唱しなさい」
「ルナ姉!?」
「姉さん!?」

 メル姉も驚いたらしく、私と同時に声を発した。
 ルナ姉は「ん~?」と疲れた様に頭をかいた。

「帰ってくるの早くない? 夕飯食べてくるんじゃあ」
「いや、チョコを配って来ただけだよ。こんな日に人様の家で御馳走になるなんて、邪魔者もいいとこじゃないか」
「だって夕飯、姉さんの分だけないって」
「私は摂生。味見だったりでちょっと食べすぎちゃったからね、チョコ」
「じゃあ何でわざわざ幽霊を呼んだのさ」
「特別な日だったから、いいもの食べたいかなと思って」

 私は「なんだよそりゃあ」と椅子に座り直した。
 ただ、メル姉だけは、また不機嫌そうな顔でルナ姉をみつめた。

「だったら、一声かけてくれればよかったじゃない」
「言えば遠慮しただろう? お前たちは変なとこで心良いから」

 メル姉は台所の隅の戸棚を開けて、中の物を取り出した。
 私の角度からは見えなくても、それが何であるかなんて簡単に予想がついた。

「姉さん、私は一番最初に三人で交換したかったの。だからそう言う事は黙って計画立てないでよ」

 メル姉は、むすっとした顔で、三日月型のチョコレートをルナ姉に手渡した。上品な黒色のリボンが巻いてあった。
 だから機嫌が悪くなったのか、と私は気が付いた。
 むすっとした顔が少し赤くなっている分、可愛さはいつもの三割り増しだった。
 ルナ姉は笑って、それを受け取った。

「ありがとう、メルラン」
「うんうん、いい話だな――って私の分ないのかよ! 三人で交換ってどんだけ……」
「はい」

 少しばかり傷ついて私が喚き出すと、ルナ姉にそうしたように、メル姉は私にチョコを突き出した。
 星型のチョコレートだった。赤色のリボンが結ばれていた。
 私が一切の行動を止めるとメル姉は「今日は御苦労さま、リリカ」と恥ずかしそうに言った。

「あ……アリガトウゴザイマス」
「あと、さっきはごめん。大人げなかったわ」
「いいえこちらこそスミマセンでした」

 そう言う他ないだろう。私はそれを受け取って、しばし放心した。
 何かとても感動的である。今日は頑張ってよかったと強く思った。
 ところで、いつの間にメル姉はこれを用意したのだろう。渡された星型チョコは、ずいぶん手が込んでいた。

「秘密って、メルランだって昨日私たちに秘密で作っていたじゃないか。朝早くから」
「し……知ってたの?」
「いくら私でも『朝大掃除やるから台所には入らないでね』なんて言われて騙されないよ」
「メル姉、何もしてなさそうに見えてやることはやるんだね。やばい、感動しすぎて涙出てきた」

 確かに、証言では朝食前のことなど言っていない。
 朝食は用意されてあったので、私は昨日キッチンには入らなかったのだ。
 流石私の姉、頭がキレる。

「ほら、私からもリリカに」

 ルナ姉のチョコは、メル姉より少し大きい四角のものだった。
 何てありがたい日なのだ、今日は。

「姉さん、私の分は?」
「メルランは今日の朝黙って一つ食べてただろう?」
「それも見てたの!?」
「数えたからわかるよ、それで一つ足りなくなって困ったんだから。だから今回は無し」
「そんなぁ」

 メル姉は「う~」と言って目を落とした。若干涙が溜まってきている。
 そこでルナ姉は笑って一つ、持っていた袋から取り出した。

「うそだよ、ほら」

 私と同じものだったが、それを受け取ったメル姉は安堵の表情を浮かべていた。
 そして、凄くうれしそうだ。
 そりゃうれしいだろう。私なんて嬉しすぎて泣きそうだし。朝の甘ったるい匂いは、チョコの匂いだったのかと頭の回らなかった自分を恥ずかしく感じた。そこで気が付くべきだったのだ。
 ……とここで、あることに気が付き私は焦りを覚える。
 この二人から、チョコはもらった。
 しかし、しかしだ。
 私は、何の用意もしていない。
 よく考えれば、まずいのでは。

「……」
「リリカ、お前の番だよ?」
「リリカも用意してくれたの? すごい驚きだわ」
「ご……ごめん。私何の用意も……」

 申し訳なさでいっぱいになる胸。毎年メル姉は用意してなかったものだから、私は単純にもらえる側だと思い込んでいた。
 メル姉そんな期待の籠った眼差しで私を見ないで。
 ああ、ごめんなさいシスターズ。来年からはきっと――いやホワイトデーには――。
 ルナ姉はそんな私を変な目で見て、首を傾げた。

「いや、眠たそうな顔で作ったじゃないか。私も付き合わされたんだから、間違いないよ。そこの戸棚」

 ルナ姉は指をさす。
 私は、メル姉がチョコを出した戸棚の隣――普段はストローなどを入れておく戸棚を、開けた。
 まさか、昨日のことは疲れていて覚えていないが、そんなことをしたとは思えない。
 お風呂の後に、すぐに私は寝床へ行ったはずだ。第一、夜に作ったと言うならルナ姉のチョコ作りに気が付くはずである。いくら疲れていても、そういうことに気が回らないほど私は馬鹿ではない。
 私は半信半疑で奥を覗いた。

「あれ……あ……る」

 奥の方に、派手な包み紙に包まれているのが二つ。
 私は目を疑ってしまったが、確かに、ある。

「ほら。途中で寝たから私が寝床まで運んだんだよ」
「まさか……リリカが用意してくれるなんて……感動しすぎて泣きそうよ」

 私はぼーっとそれを眺めてから、二人に渡した。
 まさかそんなことが、いやしかし現にチョコは作られている。なぜ?
 そして、合点がいく。
 だから、ルナ姉は私の私室で寝ていたのだ。
 私は無意識にもチョコを作ってそれを完成させ寝てしまい、親切なルナ姉が私を運んだのだ。
 多分大量のチョコ作りでルナ姉も疲れていたから、そのまま寝てしまったのだ。
 しかし、無意識下でチョコ作りとは、私もなかなかやるな。私すげえ、すげえ私。
 そう自分を褒めていると、こっそりとルナ姉が耳元に近づいてきた。

「今回は貸しだよ? リリカ」

 ……やっぱないよね、そんなこと。
 私はがくりと肩を落として、ルナ姉に感謝するとともに、もう一度湧き上がって来た申し訳なさに苛まれた。

「ありがとう、リリカ」

 メル姉の太陽のような笑顔と感謝の念をぶつけられ、更に落ち込む。
 しかし、その笑顔に気付かされた。
 メル姉の長所はなんだったか。

 私は頭をふって、笑顔を作った。
 次は二人を驚嘆させるようなものを作ってやろう、と心に決める。

 とりあえず私はメル姉の熱い感謝の視線から逃れるため、台所のキャベツの片づけをしようとキッチンに足を向けた。
 再戦はホワイトデーにあり、である。






 こんばんは、BLSです。最後までお読み頂き、ありがとうございます。
 至らないところもあるかと思いますが、この作品を『文字のないメモ帳』にコメントをしてくださった29さんに、捧げます。
 ……一日遅れました。
 遅れた理由は、バレンタインデーに男祭をしていたからであります。二人で。
 クリスマスは……三人だったのに……あのやろー……!
 畜生っ畜生っ……! 幸せになりやがれ!
BLS
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コメント



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5.100名前が無い程度の能力削除
 ルナ姉かっこいいよルナ姉。
12.100名前が無い程度の能力削除
おお、新作だ。
メルランの言動にいちいち吹いてしまいましたw それに突っ込むリリカも苦労が絶えないなぁ。
笑わせるところは笑わせ、シリアスなところではシリアスな雰囲気に、というように使い分けていた所がよかったです。
非常に私好みのスタイルでした。
メルランの気分の向上が激しく、子供っぽい所なんかも上手く性格を表現できていたと思います。
次の作品も心待ちにしています!
13.無評価BLS削除
>>5さん
コメントありがとうございます!
ルナサはかっこいい姉であって欲しいです


>>12さん
そこまで深く読んでいただけるとは、感無量です!
次もがんばります!