Coolier - 新生・東方創想話

射命丸ヴェロシティ

2009/02/09 23:38:46
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 そもそもの始まりは何だったのだろうとふと考えると、今右ポケットの中でクシャクシャになっているぴちゅんぱちゅーん(PN)からのリクエスト『魔理沙を密着取材して頂戴。失敗したら呪恨わ』、もしくは左ポケットの中で四つ折りになっているアリスト照素(PN)からのリクエスト『我望全魔理沙』と言う二通のなんだか異様な念の篭った手紙のせいかもしれないけれど、奇人変人しか居ない魔法使いの誘いに応じたわたしの正義感と好奇心溢れる公正誠実な性格が悪いのかもしれないし、胸ポケットで自己主張するカメラがそもそも新聞記者なんかやっているから、黒い翼を生やして烏天狗をやっているからなんじゃないかと囁き、自らのアイゼンティティを深刻に考えてしまって、好きで烏天狗やってるんじゃないんだよわたしはとバサバサプンプン怒ったりしてしまう。


 だからわたしは自分で適当に結論付ける。

 わたしが、射命丸文であったということが全ての始まりなのだと。


 ここは魔法の森。正確にはその入り口。夜の森は月明かりの届かない深淵の顎。ポッカリと暗闇の喉を覗かせてわたしを待ち受ける。ぴちゅんぱちゅーんとアリスト照素の誘いに見事に乗ったわたしは、いつものカメラを胸ポケットに忍ばせて、佇んでいる。すこしタイトな服を着てきたせいか、胸ポケットに収まっているカメラが、私の呼吸に合わせて苦しそうに衣擦れを起こしていた。
 楽園の素敵な巫女が言うには、異変は、誰かが暇つぶしに起こすものらしい。主に力の強い妖怪が。確かに目の前の魔法の森には、先ほどから絶えること無く星が降り続けているから、コレは絶対異変に違いないと踏んで、取材がてら事の成り行きを見守っているのだ。平たく言えば、見物である。あまねく星の輝く夜空から涙がひとしずくポタリ落ち、それはシューブワワと夜空を滑り、キラキュルキラリン金色に煌く尻尾を靡かせ、まっしぐらに魔法の森へと駆け込んでいく。

 千話一夜のワルプルギス。

 この奇妙が単語が昼間の取材で得た魔法の森の情報の全てであったからまさかこんな事態になっているとは夢にも思わず、昼間の夜だから夢なんて見ている暇なんてないのだけれど、兎も角、良いネタが出来たとキツキツの胸ポケットからカメラを救出し、シャッターをぱしゃりぱしゃりんと切りながら息巻く。気を抜いたら「ファンタースティック!!」などという、今時幻想郷でも幻想になりつつある感嘆句を口にしてしまいそうなので、努めて冷静を装いながら、無言且つ客観的にシャッターを千切りしていくと、レンズ越しに見えるその光景が、なんだかちっとも特別なものではないように感じてしまって、嫌に気分が滅入る。きっとこの空に翼を広げて飛んでいけばさぞかし良い絵をフィルムに収めることができるのだろうけど、星が絶え間なく落ちるこの空は、狂人ですら裸足で土下座し、そのままおたすけぇ! と逃げてしまうような難易度だから、歩いていこうか、それとも命と引き換えに飛んでいこうか、なんて理性と好奇心の天秤をシーソーさせつつ佇んでいるというのが今のわたしの真相だ。

「やぁ、こんばんわ」

 不意に、わたしの後ろで無粋な男の声がする。この声は知っていた。そしてこの声の持ち主も、その性格も、一度は文々。新聞に載せたが、その号の部数が大きく落ち込むことになったので二度と関わりたくない人物の一人である。

「え……あ、はい。こんばんわ。確か……え~っと。ああ、そうでした、魔法の森の入り口に小さな小屋を建てて骨董品屋を嗜んでいる森近さんでしたよね」
「せめて嗜む、じゃなくて営むとくらい言ってくれ」

 精一杯、誠意一杯、説明チックに皮肉を込めて言ってやったが、この男、香霖堂のご主人である森近霖之助にはあまり通じなかったようだ。骨董品と言うネタになりそうな店をやっているにも関わらず、客の少ないこの店。ご主人は妙に内向的で一見さんには冷たい。そのクセ少しばかり商品について聞こうものなら使用法やら注意点やら、様々な薀蓄が小一時間ばかり続く。そんなもんだから物珍しさから訪れる客などそれこそ一度きり、寄り付く客は類友と言うのだろうか、巫女や魔法使いや隙間妖怪等々、……そんな連中が日ごろ通うものだから更に人里からの来訪者は減る始末、素敵な負のスパイラルに陥っている典型的なお店だ。関係者でも無いわたしが見てもそのスパイラルを看破できるのに、当の本人は未だに自分の店が何故売れないのだろうと小首を傾げながら日々薀蓄を披露する。バイトでも雇って店内のレイアウトを少し改装すれば素敵なお店になるのに。わたしの見立てだからこれは間違い無いのだけれど、わたし自身がこの店にそこまでの魅力を感じないのと記事に書き起こすよりも労力がかかりそうなので、この議題はいつもわたしの優先順位の最下層をうろついている。

「営むなんて、それで生活ができる人のことを言うんですよー。ご存じなかったですか?」
「おいおい、あんまりいじめてやるな」

 ハスキーな声が頭上から響いて、相変わらず降り続けている流星の空に目をやると小屋の屋根に足をブラブラさせて腰掛け、蒼い髪を風に揺らしながらわたしを見下ろしている人物と視線がぶつかる。人里の守護者を自称し、脆弱な人間を保護するという奇妙な立場に自分の意思で立ち続けている半妖、歴史を識るという白澤の血を引く上白沢慧音。声の主である。彼女はわたしと香霖堂の主人とのやりとりを見て、わたしが彼をいじめているように見えたのだろう。……間違いないけれど。
 隣にはそんな彼女と手を繋いで同じように足をプラプラさせながらまぬけに口をぽかんとあけて煌く夜空に負けないくらい眼を輝かせながら星屑の行方を眺めている蓬莱の人の形、藤原妹紅。声の主のイイ人。
 二人の記事は既に散々載り尽くしている。コレでもかと言うほど、やれどこで見かけた、やれ何をしていたと言う事実を幻想郷中に知らしめたのだ。それこそ、人里はおろかその辺の野良妖怪に至るまで、彼女達の関係は周知の事実になってしまっている。おかげで二人はある意味開き直り、公然と仲良くする姿があちこちで目撃されているのだ。今日のコレは、そんな目撃例の一例だろう。恥ずかしげも無く、と言う言い方は好きでは無いけれど、やっぱり私がやったことは清く正しく美しい。仲睦まじい二人を眺めているとそんな気分になってくる。記事を書くことで人を幸せにできる。幸せな人を見て、わたしも幸せになる。やっぱりわたしには記者として、ライターとしての才能があるのだ。

「おや、こんばんわ。……何してるんですかねー?」

 デート以外の何物でもないことを知りつつ、わたしはカマをかける。今更隠すような関係でも無いので妹紅はあっけらかんと答える。少々読者に飽きられた感もあるが、ネタの為にシャッターを切ることも忘れない。

「降りそそぐ星屑が綺麗だからさ、こうして慧音と一緒に見晴らしのいい所で星見をしてるんだ」

 慧音は妹紅のセリフに顔を赤らめ、握っていた手をパッと離した。確かに魔法の森の入り口に孤立するように建っているこの香霖堂の屋根からならば、降り注ぐ星屑が一望できる。見物をするだけならばこれ以上絶好のデートスポットは無いだろうし、わたしが紹介すれば一躍定番スポットになるという自信がある。二人が居たという事実を抜きにしても、デートスポット特集が組めそうなのでわたしは頭の中で紙面を想像する。これはかなりイイ線いっているんじゃない、本命の取材の前に良いネタを拾うことができた。問題は魔法の森を眺める行為が、今夜だけで終わってしまったら意味が無いと言うこと。幻想と夢想に満々たこの夜景は今夜限りのことなのだろうか、それとも恒久的に続くものなのだろうか、或いは、誰かが故意に起こしている異変なのだろうか。その事実を解明するほうが先だった。

「わ、私は別に、……その、妹紅がどうしても、と言うからこうして香霖堂の屋根を借りているだけなんだが……。妹紅がどうしても、と言ったからだぞ。こんな珍事、それこそ滅多に無いことだからな。その……こ、後学のためにだな」
「鼻をフンフンならして私を引っ張りまわしたのはどこの誰なんだかねぇ……けーね?」
「……っ。うるさいうるさいっ、もこーのバカ!」

 鮮やかなる哉夫婦漫才。最早定番になってしまっているやり取りの中に、わたしは取材する重大なヒントが隠されていたことに気が付いた。この星降る夜は、滅多に無いことらしい。頭の中でお勧めデートスポットの記事が白紙に戻る。たまにしか見られないデートスポットは正直お勧めできないだろう。

「あのぅ……この、流星雨は一体何なんでしょうかねぇ?」

 ポカポカ音を鳴らしながら可愛く妹紅を叩いていた慧音がわたしの質問に気が付き、はっと我に返る。普段は温厚でクソ真面目。しかしながら自分の大事なことのためなら我を忘れてしまうような、どうしようもない人間臭さがこの上白沢慧音の魅力の一つなのだろうとわたしは推察する。ポリポリと恥ずかしさを隠すように頬をかきながら「今宵は、星の煌きを萃めて魔法使いが魔法を創ろうとしているのさ」などと言う。まるで起承転結の承転をすっとばしてしまったかのようなスピード解決、取材開始前にこの異変の真相が語られてしまった。早くもこの異変の謎と黒幕が魔法使いだと判明してしまった。流石わたし、敏腕新聞記者は一味も二味も違う。この異変のことを知っていたのか知らなかったのかは分からないが、ぴちゅんぱちゅーんもアリスト照素も良い所に眼をつけたものだと感心する。いや、きっと前にしか付いてないんだろうけれど。

「ああ、魔理沙だね。昼間ウチの倉庫を勝手に漁って特別製の炉を持って行ったよ」

 存在自体がわたしの中から消えかけていた香霖堂のご主人がため息混じりに黒幕の名前まで明かしてしまった。おまけにその黒幕に手を貸していたようで、共犯者としてにわかにカリスマが上昇するが、存在感は相変わらずだった。ピカリンと輝きながら堕ちていく流星の逆光を浴びて彼の眼鏡が怪しく光る。断片を繋げるまでも無く、霧雨魔理沙が香霖堂から拝借した特別製の炉とやらで星を萃め、魔法を精製するという事実が浮かび上がってしまった。

「たーまやー」
「妹紅、それは花火の時の掛け声だ」

 一際大きく輝きながら堕ちていくソレに、妹紅が合いの手を入れる。

「かーぐやー」
「妹紅、それは蓬莱山の名前だ」
「いっそのこと花火になればいいのに! 花火になればいいのに!」
「コラ、もこは少し落ち着きなさい!」
「壊さないでくれよ……」

 足をバタバタ、屋根がドタドタ、ご主人はオロオロ。最初は優しく諭すように妹紅を押さえつけていた慧音だったけど、妹紅の足が慧音の鼻先を掠めてポキッと小気味の良い音が響くと豹変し、妹紅の肩を強引に押さえつけて自慢の頭突きを一発。メキメキと何かが陥没したような音を鳴らせて妹紅を沈黙させるとわたしの方を再び振り返った。鼻からは一条のドス黒い液体が流れ出ている。

「ああそうだ。この前のお前の記事、な。中々評判良かったぞ」

 ドクドクと流れる血は留まることを知らず、鼻からつーっと一直線に香霖堂の屋根を紅く染め上げていた。

「えっと……なんでしたっけ?」
「紅茶クッキーのレシピ。寺子屋の子供たちに作ってやったんだが、子供たちにも妹紅にも大評判だった」
「それはそれは、喜んでいただけて何よりです」
「私も手伝った!」

 リザレクションした妹紅が慧音に追従する。

「お前は焼いてつまみ食いしただけだろう」
「紙面が空いてたらまた別のを載せてあげますよ」

 とは言うものの、その類の記事は当分載せる気など無かった。わたしは新聞記者、黒い翼をはためかせ幻想郷の空を欲しいままにし最速の名を以って様々な事象を記事に起こす。そう、事件を追ってこその記者であり、射命丸文であり、文々。新聞なのだ。慧音の言う紅茶クッキーのレシピは言わば苦し紛れの邪道。空白の紙面を埋めるために紅魔館のメイドに突撃インタビューした中から使えそうなものを載せただけだった。わたしは事件を追う記事よりもそんなどうでも良いレシピの方が慧音にうけることを知り、彼女の情報に対するレベルの低さを再認識する。

「その時は、頼む。コレからアイツの家を取材しに行くんだろう? いつだったかヤツから直接聞いたことがあってな」
「何をです?」

 どんな相手だろうと有益な情報を持っているならば引き出すことを厭わない、わたし、射命丸文の数あるポリシーの一つ。聞き返すと慧音は普通の魔法使い、霧雨魔理沙のスペルカードカテゴリーとその精製について、などと語る。何故慧音が彼女の符について知っているのだろうと疑問だったけれど、いつだったか宴会の席で自慢げに自分の符について語っていた魔理沙を思い出し、納得する。反骨の塊だからこそ、「へへん、こんなの私にとっちゃ朝飯前だぜ」なんていう強がりを言ったり、「手の内全てを見せてもまだまだ余裕だぜ」なんて虚勢を張りながら冷や汗混じりに口笛を吹く姿が容易に想像できて、にわかに信憑性が高まってくる。主に私の脳内で。

「それは重畳、よろしかったら是非お聞かせいただけますか?」
「ふむ、良いだろう。レシピの礼もあるし、な」

 慧音は屋根に腰掛たまま、授業を始めた。曰く、魔理沙の使役するスペルカードは特別製らしい。わたし達が使うソレと大きく違っているのは、カード自体に魔力を蓄積させているという点。スペルカードルール制定に絡んだ博麗の巫女を始めとした力のある人間や、わたし達妖怪の使うスペルカードはあくまでもカード、符であり、何ら魔力の篭っていないモノ、いわば紙切れも同然である。「魔力伝達の触媒だね」とご主人が口を挟んだ。元々、わたし達妖怪と渡り合うだけの魔力も才能も無い人間だからこそ、符に魔力を込め、触媒を通じて大火力の魔法を放つ。そういわれてみれば、魔理沙はスペルカードルールが制定されてから、にわかに脚光を浴びるようになった魔法使いだから、強ち間違いでも無いようだ。
 慧音は更に続ける。自分が直接聞いたのは霧雨魔理沙を霧雨魔理沙たらしめる三つの属性についてだと言う、魔の符は使役の符、純粋な魔力がスペルカードを精製する。恋の符は焦がれる符、人を想う心がスペルカードを精製する。星の符は憧れの符、星への願いがスペルカードを精製する。流星雨を仰ぎ見ながら、きっと今夜は星の符を精製しているのではないかなと慧音は呟いた。
 星の符! 霧雨魔理沙という魔法使いは星や月等、天体を冠する符を好んで使うのだ! 本人確認を取る前に、この現象、異変の裏付けまで取れてしまった。

「慧音」

 わたしと一緒に大人しく話を聞いていた妹紅が、何かを思いついたように慧音に話しかける。

「うん? なんだい妹紅」
「なんだかその説明聞いてたら、私にも恋の符くらいなら作れるような気がしてきたよ」

 両手で胸の前にハートを作り、首を斜めに傾けて恋の符を表現する妹紅。まさかの零距離の一撃にようやく止まった慧音の鼻血が決壊した。ふぐっ、と不気味な音を立てて慧音は再び香霖堂の屋根を真紅に染める。

「多分、作れるだろうな。ただ、妹紅の場合は焦れると言うか焦げると言うか跡形も残さないと言うか……」
「今度試してみよう。その時は立ち会ってね」
「ぅ……。ま、まぁ、いいだろう」

 しかしまぁ、この二人のかけあいは尽きることが無い、ネタの尽きることの無い程度の能力なんて、駆け出しの芸人や、新聞記者が泣いて欲しがりそうなものだ。

「丑三つ時、か。月が沈み、この夜が暮れるまでもう間も無い。取材なら早く行った方がいいぞ」

 慧音が星と月を見上げて目を細め、何かを計るように指折り数えた後、わたしに視線を投げて忠告する。幻想郷最速を謳う烏天狗に早くいけと忠告する、それがどんな意味なのか分かっているのだろうか。わたしは再び慧音の評価を下げた。軽くプライドを傷つけられ、今すぐ二人をこの場で縊り殺してやろうかなどとドス黒い感情が湧き上がるのを自らは記者なのだ、という強い使命感で抑えつけ、営業用の笑顔を浮かべて皮肉を込めて言い返す。

「そうですね。地面を這いつくばって進むしかない人たちには短いかもしれませんが、わたしには夜が明けるまでまだまだタップリ時間、あります。真実をこのカメラにおさめ、見事取材を成し遂げて見せましょう。その暁には我が文々。新聞を2部、定期購読してくださいね」
「新聞ができたら拝見させてもらうよ。僕の炉が正しく使われているか、気になるしね」
「おやご主人、まだ居たんですか?」
「まだも何も、ココは僕の家だ。ささやかなる安眠を客でも無い喧騒に阻害されては黙ってはいられないだろう。全く……、先生ももうすぐ帰ってくださいよ」
「ん、あ、ああ。すまないな」

 この星降る夜の前には、彼の存在の希薄さなど些事である。道楽半分にやっているから店の存在も、本人も忘れられるのだ。やるならば文々。新聞みたいにもっと存在をアピールしなければならない。わたしの最下層をうろついている議題がムクムクと鎌首をもたげてきたけれど、そんなことで絶好のネタを逃すわけにはいかない。香霖堂改め文々堂計画はまだ当分、わたしの中に眠っていてもらおう。
 そう、ネタはこの先、魔女の森の霧雨亭にこそある。

「さてと……」

 軽く屈伸して筋を伸ばす。わたしたち天狗の速さの秘訣はこのしなやかさにあるのだ。とりわけわたしは天狗族の中でも身体が柔らかい。全身をバネのように弾ませて一陣の風となる爽快感は、幻想郷最速と呼ばれるわたしにだけ許される特権。飛べば竜巻迅雷、駆ければ疾風怒涛。本気を出したわたしにそんじょそこらの半妖や不死人がかなうわけがない、この有り余る力は取材にこそ全力投球されるべきなのだ。

「それではサックリ取材に行ってまいります。皆様方、ごきげんよう。良い夜を」
「ああ、またな」
「またおいで。今度は客としてね」

 軽く会釈をすると慧音とご主人が答えてくれた。妹紅はわたしの言葉が耳に入らなかったのか、未だに夜空を見上げたままだった。無駄足……などとは決して思わないが、時間配分を考えると釣合いが取れたかどうか怪しいところ。いくら真相を暴いたからといって、それが事実であるとは限らない、必ず自分の眼で確かめるまでは信用しない。射命丸文の数あるポリシーの一つ。

「慧音!! アレ、見て!! 今日で一番大きいよ!!」
「おぉ、見事だなぁ」
「かーぐやー」
「だからそれは蓬莱山の名前だって……」

 夫婦漫才を再会する二人の掛け合いを背に、わたしは暗闇と暗黒の立ちこめる魔法の森へと駆け出した。



◇ ◇ ◇


 走りながらわたしは考える。魔理沙の起こしているであろう異変、流星雨……星を萃めて魔法を精製する、ただそれだけのことだ。もしかしたら異変でもなんでもなく、わたしが気が付かないだけで日常的に起きていることなのかもしれない。現に香霖堂の主人や慧音は滅多に起きない珍しいこと、と認識していた。ならば裏を返せば、それは一度も起きたことの無い異変ではなく、稀に起こりうる自然現象となんら変わりないんじゃないか、ということ。それに博麗の巫女が何も行動を起こしていない。考えてみれば確かに、この幻想郷で異変を起こした『人間』はわたしの知っている限り、居ない。魔理沙ならばやりかねないと言う妙な安心感にも似た自信と、博麗の巫女が動いていないと言う事実、どちらの方がより真実味が在るかと言えば間違いなく後者。しかし、ぴちゅんぱちゅーんとアリスト照素、二人の魔女から同時に魔理沙の取材依頼が飛び込んできたという薄気味悪い符合は無視できないものがある。何か理由があるというのなら、先に依頼者を取材しておけば良かったと軽く後悔するが、再び考え直した。あの巫女は自分が直接被害を受けないと動きそうも無いと言う懸念だ。例えば、流れ落ちた星屑が神社を破壊しただとか、気持ちよく夜空を飛んでいるところに星に頭をぶつけただとか……。いくら推察しようと可能性はイーブンを保ったままな気がしてわたしは考えるのをやめた。
 事実がどこにあるのか、それをわたしが暴き、記事に起こす。ああ、想像するだけで興奮する。記者冥利に尽きると言うものだ。時々、記事に載った人からは批判の声を受けることがあるけれど、そんなのは些事に過ぎない。

 真実、事実を余すところなく幻想郷中に届けるのが文々。新聞の役目であり、射命丸文の崇高な使命なのだから。

 そんなわたしでも、自覚している欠点がある。もし、わたしが自分で自分の欠点を挙げろと言われたら真っ先に、天狗という種族の中ではイチバン真面目な性格であると断言できる。わたしが今居るこの場所は取材地から遠く、魔法の森から数里離れた彼岸。目的地に早くたどり着くんだという使命感と今回の異変に対する謎を考えすぎる余り、走りすぎてしまった。薄い霧が立ち込め夜とも昼とも知れぬこの川原、職業意識の低い死神が上司の雷を恐れずにぐーすかぐーすかと高いびきをかいていた。暇さえあればこうやってサボって夢の中を漂っているので、如何に仕事をサボるべきか、などという命題こそが、この死神に本来課せられた仕事なのではないかと疑ってしまう。侮蔑しつつも一条の涎が煌く寝顔にむけてシャッターを切り、これをネタに閻魔に定期購読を迫る算段をする。転んでもタダでは起きない。起きたときは地面の土を噛み、草を毟り取ってでも何かを得る、それが記者の努め。フィルムを交換してくるりと身体を反転させ、駆けてきた方角に向き直り、空を眺めた。大丈夫。まだ星は降っている。

 瞳を閉じて意識を集中し、すぅ、と深く息を吸い新鮮な空気を肺に送り込む。
 清涼な空の気はわたしを更に加速させる。
 五感が抜き身の刀のように、鋭く、硬く、研ぎ澄まされる。
 深く、永く、肺から空気を送り出すと鋭敏な感覚は更に鋭さを増した。
 毛穴をくすぐる僅かな風のうねり。
 指先に伝わる血脈。
 大地の呼吸が聞こえる。
 脚は軽く、それ自体が翼であるかのようにはばたくことを期待して羽をたたんでいる。
 期待に答える。
 地面を力強く蹴り飛ばす。
 腿が疾風を纏う。
 全身が早鐘を打つ。
 わたしの身体は脈打つ一つの鼓動となって幻想郷に顕在する。
 駆ける。
 彼岸に転がっている石ころが砕かれるのを恐れて逃げ惑う。
 風がわたしの通り道を空けて先へ先へと急がせる。
 風と風との隙間に身体を滑り込ませる。
 走る。
 トクン、トクン。
 鼓動に合わせて大地を奔る。
 音より速く、音より遠くへ。

 やがて、わたししか知らない壁が目の前に現れる。

 音を超えることを阻む、見えない壁。
 加速する。
 大きく振った腕が壁にぶち当たり、千切れそうに悲鳴を上げる。
 構わない。
 我が身は一陣の風。
 正面から音の壁をぶち破る。

 キィンと言う鋭い音を残して音の壁が崩れ去ると、わたしの前には新たな世界が広がっていた。

 静寂――。

 音はわたしの後ろを追いかけている。既に森に入っていた。パキパキと小枝を踏み鳴らしても感触はすれど、何も聞こえない。ざわめいているはずの木々が奇妙に撓り、わたしを出迎えている。夜空の流星はハナからわたしと勝負する気は無いようで、あっという間に視界の後ろへと消えていった。この静寂こそが音との勝利の証。この静寂こそが幻想郷最速のわたしに許された特権。優越感をかみ締めながら笑う。声さえも遥か彼方。
 魔理沙の家が視界に入るとわたしは走るのをやめた。追いかけっこはここまでだった。ピタっと止まると懐から扇を取り出し、もう片手でスカートを押さえ、わたしの後をつけてきているハズの追跡者を迎える。豪、と轟く音がわたしを追いかけてくるのだ。置き去りにされた音の怒りは計り知れない程度の威力を以って地上を疾走している。この威力の音がわたしを追い抜くと目の前の魔理沙の家が吹き飛んでしまう。とてもじゃないが取材どころではない。わたしは振り返り、扇を静かに下から上へと扇ぐ。轟々、音はわたしの扇に誘われるがまま空へと昇り、消えていった。追われるのは、あんまり好きじゃないなと思いながら、扇を懐にしまい、代わりにキツキツの胸ポケットからカメラを取り出した。

「……凄い」

 改めて魔理沙の家を確認すると、わたしは思わず一人感想を洩らす。それも当然だった、目の前には、それこそ目を疑わんばかりの光景が広がっていたのだから。夜空を滑る星屑は魔理沙の家……霧雨亭の真上で先ほどのわたしのように一瞬、ピタっと静止し、滑ってきた速度のまま煙突へと堕ちていく。小さな煙突の縁に星屑が削られ、粉粒のように小さくなった星の欠片が霧雨亭の周囲に散らばり、まるで銀の河の上に家が建っているかのような錯覚を起こさせる。それは絵本の一場面を切り取ったかのように神秘的であり、わたしが知っているどの魔法使いの住居よりも魅力的であり、幻想郷の中でもとりわけ幻想的な光景だった。
 地面に散らばる星を蹴り飛ばしながらミルキーウェイを歩く。霧雨亭の煙突からは白く、細い煙がもうもうと湧き出ていた。あの家に、この異変の黒幕が居るのだ。魔法の精製、それは良い。魔道を極めてこその魔法使いだもの。この幻想的な光景を生み出している魔理沙は一体どんな魔法を精製しているのだろうか、わたしも、読者も、刺激の少ない幻想郷ではそんな些細なことでさえ、娯楽の一環となり得るのだ。思いながらわたしは少しだけ、ほんの少しだけ、この異変の奇妙な点に気がついた。魔法の精製にしては、空気に満ちている魔力が少なすぎるのだ。それが何を意味するのか、今のわたしには分からない。推測よりも目視、星屑を跳ねさせながらわたしは霧雨亭の戸を叩いた。

 コンコンと乾いた音が天の川に響く。と同時に、わたしのお気に入りの髪飾りが消し炭になった。もちろん、この取材は突撃取材、アポなし。玄関の扉にかけてあった『邪魔スパ』などという符が怪しかった。お邪魔しようとドアノブに手を差し伸べた時、キラッと一瞬目の前が光り、おや、と小首を傾げた次の瞬間には、わたしの自慢の白いポンポンとわたしの後ろの森が焦土と化していた。ようするに、この『邪魔スパ』は自動発動の邪魔者避けの符、どうせあの火力バカのことだから「邪魔したらマスタースパーク! だぜ」か何かの略だろう。符に魔力を込めるなんて面倒なことをやりだすとこういう悪知恵も考え付くらしい。極太の光線が流れていった先には香霖堂があったような、もしかしたら文々堂計画は意外と早く実現するのかもしれない。ともかく、コレでは当初予定していた『赤裸々に語る霧雨魔理沙、その愛』と言う見出しが空白になってしまう。苛々して地面をペシッと蹴り飛ばすと星屑がギュルキラリンと跳ね飛んだ。記事が書けなかったでは記者の名折れ、一のネタさえあれば千の記事にするというのに、わたしにはその一のネタすら無かった。

 地面を蹴飛ばす。

 星が弾けた。


◇ ◇ ◇


 銀色の月は少しずつ、今日の役目を終えようとしている。夜が暮れてしまう。慧音の言葉がフラッシュバックし、わたしは急遽取材方針を変更することにした。正面突破ができないのであれば側面の姿をとらえるしか無い。煌々と灯りの漏れる窓にそっと忍び寄り、中の様子を窺う。
 魔理沙の部屋は、一言で言えば汚い。乱雑。大半は香霖堂や紅魔館の図書館から仕入れてきたのであろう数々の魔導書や古書、名刀やマジックアイテムが無造作に部屋に散らかっていた。部屋の一番奥に位置する大きな暖炉には寸胴鍋が置かれ、星屑が溢れている。煙突から入った星は、あの鍋の中へと吸い込まれているようだ。火を生み出しているのは香霖堂のご主人が言っていた特別製の炉だろう。今すぐ煙突から侵入し、あの鍋の中を覗き込みたいのを我慢して静かに取材を続ける。部屋の中央に置かれている机では、七色の液体が試験管の中で泡を立てて踊っていた。異変の黒幕は反対側の窓側に設置されているベッドに腰をかけ、黒ブチの眼鏡をかけ、机の上の出来事などにはまるで関心が無いかのように熱心に本に眼を通している。普段は好奇心を散りばめて世界を斜めにしか見ない瞳が、今は本に書かれているであろう文章を追い、忙しなく左右に動いていた。魔導書を読み解いて新しい魔法の精製実験中なのだろうか。

「ふぁ……ぁ」

 外にまで聞こえる大きな欠伸をすると今まで読んでいた魔導書をベッドに放り投げて立ち上がる。ギギィっと軽く椅子と床が軋み、魔理沙は足の踏み場も無いその部屋の中をまるで弾幕でもグレイズするかのようにすいすいと歩いていく。机の上の試験管を乱暴に掴むと試験管ごと星屑の溢れている鍋に投げ入れた。星の持つ魔力と、おそらく液体に込められていたであろう七色の魔力が混ざり合い、シューッと紫の蒸気が部屋に充満する。

「ゲホッ、ゲホッ」

 魔理沙が好んで使うスペル、マスタースパーク。その名を彼女が宣言したとき、対戦者は戦慄に恐れおののくと言う。回避は絶望とも思わせる圧倒的な弾幕、迫り来る銀色の怒号は相手の魂に容赦なく恐怖を刻み込む。そして『一撃必殺』のタイミングでスペルを発動する霧雨魔理沙という魔法使い。元々は風見幽香の威圧と暴力の象徴であったスペルを、魔法使いの人間が本人よりも上手く使いこなしているという事実が魔理沙を増長させているのだろう。素質も零なら才能もすっからかん。できることと言えば魔法が使えるくらい、それが霧雨魔理沙。だからこそ、マスタースパークと言えば霧雨魔理沙だし、霧雨魔理沙といえばマスタースパークなのだ。そんなマスタースパークを遥かに凌ぐ魔力が、彼女の部屋を包み込んでいたとしたら、並みの妖怪ならば裸足で逃げ出すだろう。魔力を感知できない人間なら目で見た事実のみを信じ、火事かと思い逃げ惑うに違いない。もし、力のある分別ある妖怪が見ていたならば……驚きつつも期待に胸を弾ませることだろう。現にわたしの胸の鼓動は高まっていた。どんな弾幕が生まれるのだろうか、人の身にして分不相応なスペルを振り回し、我が物顔で幻想郷を闊歩する魔理沙。そんな彼女の姿はある意味、微笑ましくも気高いものだった。
 魔力に満ちた紫色の煙が晴れてくると、魔理沙の姿も大分捕捉できるようになる。ケホケホいいながら寸胴鍋を覗き込んでいるようだ。

「むぅ……?」

 魔理沙は納得がいかないようで鍋の中身と手にした魔導書を見比べながら小首を傾げていた。

「おっかしいなぁ……作り方はあっているハズなんだよなぁ」

 どうやら魔理沙は魔法の精製に失敗してしまったらしい。高笑いをしながら自慢の新しいスペルを放つ魔理沙の姿はわたしの想像上の生物となって消えてしまった。蒸気で曇った眼鏡を机の上に置き、珍品奇品をグレイズし、ベッドに身体を沈めると持っていた魔導書を粗末に放り投げた。本は放物線を描き、バサリとわたしがこっそり覗いている窓の前に落ちた。何たる偶然。魔理沙が読み解いていた頁が明らかになる。
 ルーンのような古代文字がびっしり書き込まれている。わたしにはちっとも解読できそうになかったが、挿絵からなんとなく内容は分かる。密集して煌く星屑の周りを銀色の輪が囲んでいる。魔理沙の持つスペルに良く似ている銀幕。もし、完成していればそれはそれは見事な弾幕となって夜空に映えただろう。
 魔理沙はベッドに身体を投げ出したまま、動こうとはしなかった。まるで人形のように、うつぶせになったまま微動だにしない。だからもしかしたら実験に失敗したショックでその若く短い生命を完全燃焼させてしまったのかもしれない。わたしは文々。新聞の号外紙面を妄想しながら魔理沙の様子を見守り続けるのだった。

◇ ◇ ◇

 少しずつ、東の空が明るくなってきた。空を駆ける星は、思い出したように時々滑り降りてきては魔理沙の家の煙突の縁を削りながら炉へと身投げをしている。まだ魔理沙の実験は続いているようだった。ベッドから思い出したように這い出しては投げ出した本を拾い、再び最初から実験を繰り返す。そして決まって紫色の煙が出て失敗し、やる気が無くなって本を投げ、ベッドに身を沈める。
 もう何回繰り返したかも分からない。数えるのも観察するのにも飽きてしまった頃、ふと目を放した隙に魔理沙の姿が消えていた。きっとここからは見ることのできない別の部屋に居るのだろう。テーブルには、いつの間にか朝ごはんが用意してあった。実験は成功したのだろうか、それとも諦めてしまったのだろうか、果たして重要な場面を見逃した感がするわたしは窓に張り付いて眼を凝らす。

「……」

 歯ブラシを口に咥えてぬぼーっと部屋に現れた魔理沙と眼が合ってしまった。わたしは冷や汗をかきながらあははははと笑い返す。魔理沙はわたしをじっと見つめると、ピシッと人差し指でわたしの方を指し、続けて親指で自分を指し、そのまま親指を玄関の方へ向ける。
 わたしは少し考えて、良い方の可能性を選んだ。つまり、「お前、取材に来たんだろう? いいぜ、私が何をしていたか、教えてあげるわ。だから玄関から入ってらっしゃい、うふふふ」と言っているのだ。喜び勇んで玄関に回る。ガチャリ、とドアノブを回す音がした。わたしはすかさずカメラを構え、魔理沙を迎える。

「魔理沙さん! 一体どんなスペルを……むぐ」

 眠そうに眼を擦っていた魔理沙は強引にわたしの口を塞いだ。

「……! んんあ!!」

 口内に広がる刺激で身体が少しずつ、じっとりと汗ばんでいく。

◇ ◇ ◇

 熱く、暑く、灼い。目の前に広がるのは地平線まで続く向日葵畑、まとわりつく濃密な空気と土臭い大地の匂い、空の蒼を覆う入道雲、気が付けば間違いなく夏の中。万の兵を率いた夏と華の権化がわたしの前に佇んでいる。それが何よりの証拠だった。何かがおかしい、全ておかしい。わたしは魔理沙に口をふさがれたはずだったのに何でこんな所で立ち尽くしているのだろう。幻想郷で5本の指に入るくらい危険なこの向日葵畑で……。

「私の向日葵畑へようこそ。歓迎しますわ」

 幽香はアンブレラを優雅にたたみ地面に突き立てクスッと笑いかけ、「往け」と一言。全てを貫く圧倒的な畏怖をその瞳に湛え、自らの兵に命令する。整然と列を成して軍靴を響かせ、稲の兵隊は行軍を咆哮する。その一人一人が幽香の暴力を具現する英霊だった。わたしを襲う、幽香の百万の兵。しかし、悲しいかな幽香のその命は、彼らにとっては「死ね」と言われているようなものだ。相手はよりによって天狗、射命丸文。天狗の中でもとりわけ、正義感に厚く、使命と行動力に抜きん出でたるわたし。腕力は鬼に匹敵し、駆ける姿は風の如し。幽香自身ならまだしも、その力を分け与えただけの雑兵など有象無象に過ぎなかった。ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、兵たちを磨り潰し、蹂躙していく。引き千切られた稲は力を失い、地面へパタリと落ちていく。

 途端に視界は変わった。わたしの部下の名と同じ葉がチラチラと舞い落ちる。紅の雨の中、両手を握り合う二人の少女。

「妖怪よ」
「天狗だわ」

 息のピッタリあった掛け合いをしているのはわたしの良く知る二柱。八百万の末席に名前を連ねる秋静葉様と妹の穣子様だった。

「はて、ココは一体……?」

 ペンをこめかみにトントンと当てて思考を整理するけど、ちっとも理解できない。さっきまでわたしは眼を覆うような眩い夏の中で幽香の率いる兵隊相手に天狗無双をしていたはずだ。

「知らないの?」
「知らないのね」

 二柱はわたしを嘲るように言った。

「ここは紅葉の降る秋」
「ここは実りの秋」
「夏が育んだ豊穣を、秋が慈しみ大地へと還します」

 静葉様が紅葉を手に取ると穣子様の帽子にちょこんと乗せた。

「貴女は今、限りある生命の実りを享受しています」

 質問と返答がかみ合っていないような気がする。

「仰っている意味が良くわかりませんが……」
「天狗はそんなに拘り、無いと思ったけれど、そうでもないのね」
「そうでも無いみたいね。貴女――」

「「グルメなのね」」

 ステレオで二柱が声を合わせた。わたしは思わず「は?」と聞き返してしまう。

「ほっぺたは地上へ置いていきなさい」
「高みを目指すなら翼は不要」
「へ?」

「「いってらっしゃい」」

 パッツン、とゴムが限界まで伸びて切れたような音がした次の瞬間には、わたしは天へと飛ばされていた。音を遥かに凌ぐ速度でグングン上昇し続けるわたし。空中で胡坐をかきながら、一体何がどうしたのだろうと考えてみてもちっとも要領を得ない。ともかく、わたしの身体を飛ばしたのはあの二柱の力であるということは間違いないようだ。現にいってらっしゃいって言ってたし。夏、秋……と来れば次はきっと予想通りだろう。
 ポムッとふわりふわふわな空気の層を抜けた。見渡せば一面の雪景色、の予想は大きく外れ、薄ぼんやりとした光で溢れている世界が広がっていた。雲を突き抜けてたどり着いたところ。四季すらも穏やかに進み逝く中庸の世界、怠惰と退屈が支配する処。

「あら、いつかの天狗じゃない」

 天国に似つかわしい幻想風靡な蒼い髪の乙女。その優雅さからは考えられないくらい大きな欠伸をしながらボリボリと頭をかき、パジャマ姿で出迎えてくれた。地上の文化が実に馴染んでいる、退治されたい子。天人の癖になんとまぁ自堕落なコトだ。

「……ドナタでしたかねー?」
「そのセリフ、ゾクゾクするわ」

 天子はわたしのセリフに身体を震わせ、恍惚な表情を浮かべている。なにこのひと。

「光栄です。では、さようなら」
「はぅん。……んもー。待ってよ、少しくらい話し相手になってくれても良いんじゃない?」

 ああ、わかった。突き放しちゃダメなんだこの人は。頭をフル回転させてやんわりとしたセリフを選ぶ。

「その提案は非常に魅力的なのですが生憎とわたしは天人様と語り合うようなネタなんて持っていませんので。取材が万全なら、貴女を悦ばせる小噺の一つでも差し上げたいところだったのですよ。だから貴女には関わっていられません。取材に戻らないと」
「う、ふふふ。ホントに私の心を穿つような素敵なセリフを吐いてくれますね。全く……久しぶりに五感のうちの一つダケでここまで昇ってきた珍しい人が居るというのに」

 わたしは天子のセリフに何か引っかかるものを感じた。五感のうちの一つ……それで有頂天へ? そんなことってあるのだろうか。いや、現に今、わたしがこうして体験しているワケだし、きっとコレは特ダネになるという予感をヒシヒシと感じつつ、今までの出来事を思い出す。魔理沙に塞がれた口。秋姉妹の二柱のセリフ。幽香との邂逅。天子の言う五感……視覚、嗅覚、聴覚、触覚、それに――。

「ははぁ、なるほど……味覚、ですか。確かにソレならば正に『天にも昇る』気分だったのでしょうねぇ……ん?」

 思わず納得するわたし……ってちょっと待て。しみじみ語ってるけどソレってつまり、『昇天』じゃないか。魔理沙から投与された謎の物体X、おそらくは毒物だろう。哀れ、射命丸文は一撃で昇天してしまったのだ!

「中々どうして、魔理沙ってば面白いものを作るのね。私も興味あるし、今度遊びに行きましょう」
「のの、呑気なこと言ってる場合じゃないですよう! なんで? なんでわたし死んでるんですか!? じょ、冗談じゃありません!! 取材半ばにして名誉の殉死だなんて。報道が! 真理が! 何よりも読者が! こんな展開認めてくれませんよ!!」

 足元のふわふわな雲に無理やり頭を突っ込む。きっと地上に降りればまだ何とかなるはず! 正義は死んではいけないのだ。新聞記者射命丸文、取材中に命を落とすなんて記事が一面を飾るという最悪の想像が脳裏を過ぎる。こんな一大スクープ、他の天狗に書かれたら末代までの恥である。自分の死亡記事は自分で書くと言うのがわたしのささやかなる夢なのだ。

「あっ、ちょっと待ちなさい! そんなことしたらホントに死んじゃう! 私とのピロートークはどうなるのよ!」

 知るか!

 天子の慌てふためく声を最後に、わたしの身体は空中へと放り出される。どうやら脱出に成功したようだけれども、妙に身体が軽い。自分の身体を見てみると白玉楼の半霊のように透き通っていた。霊体、というヤツだろう。早く自分の身体に戻らないと危険が危ない。夜の帳は朝の照り返しを受けてぼんやりとその輪郭を崩していく。夜明けは目前だった。霊体のまま太陽の光を浴びると間違いなく再びこの雲の上へと導かれるだろう。とてもじゃないけれど間に合いそうも無い。途方に暮れるわたしの目の前をキラリンとひとしずくの流れ星。

 わたしは自分の幸運と日ごろの行いに感謝しつつ、流星の尻尾に掴まり魔理沙の家を目指す。霊体となっている身体は流星と同化し、朝焼けが始まろうとしている空を切り裂いて真っ直ぐに進む。少しずつ高度を落とし、風を全身に受けると懐かしい感覚が戻ってくる。

 清涼な空の気はわたしを更に加速させる。
 もっと速く。
 一振りの刀の如く。
 鋭く。
 硬く。
 切っ先は夜空を裂く。
 深く。
 永く。
 空気を吐き出して加速する。
 髪を梳く風。
 指先を伝う空の渦。
 大地が啼いている。
 翼が烈風を生む。
 心の臓が血を滾らせる。
 わたしの身体はまさしく流星。
 速く。
 早く。
 音を追いかけ。
 捉え。
 追い越す。
 そうだ。
 この感覚だ。
 風を。
 駆ける。
 空気の壁。
 切り裂き。
 奔る。

 疾れ!


――静寂の世界はもうすぐそこまで見えている。


◇ ◇ ◇


 目覚めれば天井、気が付けば昼下がり。シュンシュンと言う音が静かに部屋の中に響き、額に乗せられていた濡れタオルが心地よくわたしの熱を奪っていた。身体を半分起こすとどうやらここが魔理沙の部屋だということがわかる。かび臭く、胡散臭い品物で溢れかえっている室内、当の本人はわたしが寝ていたベッドの脇で椅子に腰掛け帽子を深く被り、脚をテーブルに投げ出して寝息を立てていた。魔理沙の寄りかかっている椅子は前脚を空中に浮かせ、残り二本の脚で見事にバランスを取っている。テーブルの上には氷水の入った銀色のボールが置いてあるところを見ると、魔理沙はわたしのことを一晩中看病してくれていたのだろう。暖炉には寸胴鍋の代わりに部屋を静かに鳴らす音の正体である小さなヤカンがぶら下げられていた。ハタリ、と魔理沙の帽子が床へ落ちる。魔理沙は相変わらず器用な姿勢のまま寝息を立てていた。俗世の穢れを知らないかのように、静かに眠る少女。なんて美しい光景だろう。胸ポケットをまさぐり、カメラを取り出すと静かにシャッターを切る。記事に使うのがなんだかもったいなく感じる、そんな一枚だった。
 わたしは魔理沙の寝顔を見ながら物事を順序だてて整理する。まず、魔理沙が作っていたモノ。間違いなくわたしの口にぶち込まれたソレには覚えがあった。所謂、炒飯である。大火力で飯を炒め、香料でほんのり味付けし、お好みで卵や叉焼をトッピング、香ばしくも美味しいソレは人里で愛されると同時に、紅魔館の門番の得意料理でもある。なんの変哲も無いその料理がわたしの口へと投与されたのだ。香霖堂から拝借したという特別製の炉は、星屑を萃めて大火力を生み出すものに違いない。そして符号する二人の魔法使いの依頼……真の意味。料理の腕前をからかわれた魔理沙が今に見てろと大見得を切り、料理本を片手に料理に大奮闘。だとすると開かれていたページに描かれていた挿絵は皿の上に乗った炒飯。大方、事実はそんなところにあるのだろう。まさかその味故に天狗が一人、シャッキリポンと有頂天へ導かれるとは誰も予想はできなかったが。
 やがて意識が完全に覚醒すると何だか腹が立ってきた。確かに看病してくれていた魔理沙には感謝しないといけない。けれど、わたしが倒れるキッカケになったのもまた彼女。しかも無理やり口に炒飯をぶち込んで、だ。ペンを取り出し、軽くペン先を舐めると、この世の穢れを知らずに眠る無垢な少女に、悪魔の手ほどきをする。

☆ ☆ ☆

 目覚めを知らない少女の横で、わたしは静かに原稿を書く。見出しは『昇天!? 至天!? 星屑炒飯!!』なんてどうだろう。魔理沙が目覚めたらレシピも聞き出して隅のワンポイントコーナーに掲載して……慧音が喜んで妹紅に食べさせようとする姿が眼に浮かぶ、わたしの記事はいつだって、幻想郷の真の姿を報道するのだ。レシピを記事に載せるなんて邪道だと今でもわたしは思うが、取材の結果、この真相にたどり着いてしまったのだから仕方が無い。それを伝えるのも報道の正しいあり方だ。
 ペンを紙の上で走らせるとどんどんと思考が冴えてくる。そうだ、この際炒飯を大々的に売り出そう。妖怪でも天に昇るような味、人間にはちょっとキツイからマイルドに調整して、うん、悪くない。店舗は……ちょうど程よい具合に崩壊しかかっている店が魔法の森の入り口アタリにあるはずだ。わたしがこの記事を書くことによって、魔理沙も料理の腕を認められて、香霖堂のご主人も売り上げアップし、妹紅と慧音も笑顔、魔法使い二人の依頼も見事に達成される。誰もが幸せになれる結末。素敵じゃないか。物語はいつだってハッピーエンドこそが相応しい。全ての妖怪と人間が手を取り合って幸せに暮らしていけるような、誰もが夢見ていた素敵な楽園。まるで御伽噺のようねと嘲笑されてしまうような、そんな世界にわたしたちは生きている。この世界に生きているという奇跡、それがどんなに素晴らしいことなのか、気がついてしまったわたしにはみんなに知らせる使命があるのだ。

 真実、事実を余すところなく幻想郷中に届けるのが文々。新聞の役目であり、射命丸文の崇高な使命なのだから。

 わたしは願いを込めて記事をしたためる。

 何処かの誰かが、この世界をもっともっと、もっと好きになれますように。


 『ごちそうさま』


 落書きだらけの眠り姫、その頬に描かれたわたしの気持ちが、寝息にあわせてそっと揺れていた。
 眠りに落ちた妹紅を背負いながら慧音は朝焼けに沈む路を歩き、一人考える。
 果たして、弱者にとっても幻想郷は楽園足りうるのか――と。
沙月
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コメント



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1.80煉獄削除
私が逆に魔理沙の料理は壊滅的な味だと解釈しましたが……。
ただ…ちょっと読みづらかったりした部分があった感じもしましたが、
内容は結構面白いものだったと思います。

誤字?の報告。
>アイゼンティティ
え~っと…アイデンティティではなかったでしょうか?
3.90名前が無い程度の能力削除
最後の一文から察するに香霖の末路は・・・

味がどっちだったのかは結構核心に近い部分と思いますので
もう少しストレートな表現でも良かったんじゃないかなと思いました。
6.90名前が無い程度の能力削除
さりげなくシャッキリポン混ぜるなw
13.90名前が無い程度の能力削除
相変わらず幸せそうなもこけねがいいです