Coolier - 新生・東方創想話

天空の花の都へ

2009/02/07 17:41:22
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 高高度におけるダイナミクスは、地上のそれと決定的にスケールを異にする。
 主役を張るのは、地球規模の気流である。
 地上では建造物や地形に相当する大きさの雲が、生物のように生まれ育ち消える。
 それらの間では、一発が地上では災害に匹敵する大電圧が、湯水の如くやりとりされる。
 例えば、地上の取るに足らない異物が一点紛れ込んだとしても、空は何も変わらない。
 それがたとえ、本質的にその空とあり方を異にする物であったとしても、一顧だにされないのだった。



 紫電の暴圧が行き交う中を、リリーホワイトはただ上だけを目指して飛んでいた。
 冷たく乾いて透明で、自分の好きな季節のそれとは徹底的に異なる大気。この空は彼女の居場所ではない。
 ただ、その上空から僅かな春を感じて、それでリリーは翅を動かしていた。
 遅すぎた今年の春。ようやく感じられたその気配は、どうしてあんなに酷く高い所にあるんだろう。

 その行為はささやかに過ぎて、恐らくは何の結果ももたらさない事は、リリー自身にすら分かり切った事だ。

 視界が閃光に覆われた。

 舌の上に火花が飛ぶ感覚があった次の瞬間に、全てが分からなくなった。
 モンシロチョウの翅は根本から焼け落ち、引き攣った全身の筋肉は強烈な不快感を訴え、そのまま力を失った。
 緩慢に、身体が重力に引かれ始める。

 ささやかな行為が、やはり何の結果も生まず無に帰しつつある中で、リリーは小さな手を空に伸ばした。
 次に目が覚める時には、地上にもちゃんと春が来ていてほしいな。
 そのささやかな願いすら、この空の下では消え入りそうだった。
 春の力がなければ、傷を負ったリリーの身体は元通りにはならない。
 もしこのまま春が永遠に来なかったとしたら。
 その時は、リリーが目を開ける事も永遠に無いのだ。

 上に向け伸ばされたその手は何も掴まず、何にも届かない、ただ伸ばされただけの手のはずだった。
 しかし、その手を掴むものはあった。

「冬の空は、初めてかしら?」

 天空の営みからすれば、取るに足らない大きさの存在である事は変わらずとも。
 それを自覚してなお、空を居場所とする者もまた在る。




「よくやるのよ。こうして宛てどもなく、雲の間を彷徨うの」

 レティ・ホワイトロックはそう言って、リリーを胸に抱いたまま、背面飛行を披露した。
 耳がびゅうと風を切る。

「気流に煽られて、上空の寒気と混じりあい、雪の結晶がゆっくりと成長していくのを、ただのんびりと眺めるわけ」

 背面を真下に向け、面積が最大になったその瞬間に合わせるように、強烈な上昇気流がそこを薙いだ。
 風圧が二つの身体を一気に押し上げる。
 続けて吹いた横風は、逆に身体を横にして受け流す。
 風の吹く予兆を的確に拾っている。
 続けて一手、また一手。
 最小限の力で、着実かつ大胆に高度を稼いでいく。
 上昇気流に沿って雲が出来る。時には雲の壁に沿い、雲の凹凸を回りながら二人は飛んだ。

「地上から見る空はいつも清々しく見えるけど、実際に飛んでみてもそうなのはこの季節だけよ。他の季節は気温が高いぶん湿度も高くて、雲に近づいたりしたらびしょ濡れになっちゃう」

 さきにリリーを打ち落とした雷だが、今となっては問題にならなかった。
 レティが選ぶ経路は、常に稲妻の通り道から外れている。




「もひとつ、雪を被った山々の眺めがあれば完璧ね。と、不服だったかしら?」
 胸に抱かれたリリーの顔を、レティは覗き込んだ。
 リリーは唇を噛んで、鼻の頭を赤くしていた。
 冬の妖怪と春の精、せめぎあう二つの季節の縮図にも見えた。
 今は、圧倒的な優位が冬にある。
「春は――」
「分かってる。近いようね」
 舌足らずなリリーの言葉を、レティは早々に遮った。
 春は近い。リリーの背、翅の焼け残った部分に、微かに光が走っている事から察せる。再生が始まっているのだ。
 しかし、である。
「どう、して?」
 春は近い。
 しかしそれは、レティにとって何を意味するか。
 彼女はずっと冬が続けば良いと考えているのではないか。
「さあ、どうしてかしら」
 レティは答えなかった。
 曖昧な笑みだけを残し、顔を前向きに戻した。


「春は近い、と。けど」
 すんすんと風の匂いを嗅ぐと、レティは顔を曇らせた。


 その表情が暗示した通りに状況が流れるのに、時間はさほど掛からなかった。
 実のところ、レティが予見していたのは天候の崩れである。湿度の高い空気が混じりはじめている。


「高度はこの辺、でいいのね」
 リリーは頷く。
 そこは、無数の雲塊が浮かんでいる只中だった。
 地上から見たら羊雲だろうか。間近でみる雲塊は一つ一つが民家ほどもあり、羊とは似ても似付かなかった。
 さらに性質の悪さもその名にそぐわない。入り組んでいて視界が確保しづらく、このままでは行動が取り辛い事この上ない。
「上下の厚みはそんなに無いか。遠回りになるけど、ひとまず上に出るわ。いいわね」
 雲を見下ろす位置を取るのが最善手だ。
「いい子だから」
 にわかに悲しそうな顔を見せたリリーを宥め透かす。
 待望を前にしてリリーは、気持ちを抑え切れなくなっている。


 天気が崩れつつあるのは、肌で感じられた。
 羊雲はその末端でしかない。


 末端が連なる本体が何かは、雲海の上に出てみれば瞭然だった。
 レティは巨大な暗雲の塊を見て、それから首を上に上げ、それが遥か上まで続いている事を確かめて感嘆した。
「道理で、これは、大物ね」


 それは雲には違いなかったが、尋常でないのはそのスケールだった。
 底面が人間の里をすっぽり覆う程で、高さはそれと比較にならない位に高い。
 雲の塔、あるいはいわゆる入道雲である。
 天の遥か高みまで伸びているというのに、その重苦しさもまた周りの雲を凌駕している。
 というよりも、塔を中心とした集中線の上で、全ての雲が生成消滅を繰り返している。
 傾いた天候がすべて一点、その奈落に向かって滑り落ちているかのよう。
 遠くに目を遣れば、青空は相変わらずに広がっている。
 レティたちは今、まさに悪天候の中心を臨んでいた。


「あそこ」
 リリーの腕がゆっくりと上がり、指がその一点を指す。
「ちょっと、冗談でしょう?」
 リリーは腕を下ろさない。
 指差す先は真正面、入道雲の基を為す雲である。
 広がる雲の中でも、最も暗い部分だ。
「あそこ、春が、ある」
「えっとね、常識から言えば、そんなはず無いんだけど。あそこには雷と雹だけしかないの。他のモノがあったとしても、数秒でバラバラになってしまうわ。まして春なんて、とても」
 リリーは聞く耳なく、ふるふると首を振る。
「何かの間違いだったのよ。出直しましょ。ここでこうしているのだって、そろそろ危ないわ」
 気圧差がそこここに生じ、風は出鱈目に吹く。
 むくむくと膨らんだと思った雲が次の瞬間には砕かれ、せわしなく雲の版図が書き換えられていく。


 そして、ひときわ大きく風がうねった。
 不意打ちに、レティの腕が緩む。


 リリーの身体が、宙へと向けて放り出た。


 くるくると数回螺旋運動をしたリリーの身体が、その後心細げに安定姿勢を取った。
 よく見れば、既に翅が半分ほど再生している。
 リリーは、自らの意思でレティの許を離れたのだ。
 揚力は明らかに充分でない。それ以前に、行為自体が自殺行為だ。

「ッ、まったくこれだから妖精は!」

 レティは直ちにそれを追った。
 気圧差に捕えられ、飛行の自由が利かなくなりつつあるのを感じる。
 構わず、顔を前に向けた。

 その目に一瞬だけ、暖色の光が映り込んだ。
「え?」
 まさにリリーが目指した雲が、一瞬裂け目を見せたように見えたのだ。
 冬の空の常識から言えば、そこには雷と雹しかないはずである。
 何かの間違いか。或いは、本当にそこに何かあるのか。

 しかし判断を鈍らさないために、その事をレティは敢えて頭から追い出した。
 なりふり構わず速度を上げると、リリーには簡単に追い付けた。
 代償として、低気圧の中心に向かう気流に完全に捕えられていた。
「お人好しねえ、私ってば」
 胸に抱いたリリーに、わざと聞こえるように言った。
 リリーは再び泣きそうになる。
「いじめ甲斐、ありすぎなの、貴女は」
 それきり、腕の力をめいっぱい強めて、自身も顔を埋める。
 それでも不十分な程に、乱れた気流が二人を揉みくちゃにする。
 そしてそこに雹までもが混じり始めた。




 ルールの上では、ゲームオーバー。
 レティの知る、冬の空の約束事からすれば、あとは雷に打たれるか、ダウンバーストで地表に叩き付けられるのを待つ事しかない。
 幸いここにいるのは妖怪と妖精。死にはしない。
 このまま目を瞑って、再び目を開けられる時を待つとしよう。




 そして、音が消えた。

「あ……れ?」

 何故、今、音が消えるのだろうか。
 終わりが来たのかとも思ったが、気は確かにあるし、あの世行きになったのでもないようだった。
 気が付くと、全身の加速度と三半規管への揺さぶりもぱたりと静まっている。

 レティは考える。雄大積雲の勢力圏に捕らえられた成れの果てに、どこかに辿り着いたのか。否。レティの経験は、雲の中は以ての外、冬の空の何処にも、こんな場所は無いと主張する。
 凪のような無風。適度な湿度。そして。
「暖かい?」
 そう、まるで。
 何だろう。
 分からないから、そうだ。
 目を開けてみればいい。




 眩しさを堪えながら、翳した手を外すと。

 そこは、雲が開けて出来ていた。
 空に据えられた4本の柱が暖気を纏い、足元の雲海を踏みしめているのだ。
 シャボン膜のように揺らぐ巨大な天幕が、その柱の先には張られていた。
 暖気は、ここと似ていて、それでいて決定的に違うとある場所との境に掛けられた、その天幕が揺らぐたびに、その隙間から吹き込んでいた。
 上の方でも、暖気は雲の天蓋を打ち払いつつある。
 その切れ目から、琥珀色の陽光が差し込んでいた。


 自身も暖気に吹き付けられたレティは、その中に桃色のついた小さな何かが混ざっているのに気付いた。
 桜の花びらだった。


「そっか」
 レティは理解した。
「ここだけ、春なんだ」


 レティに理が分かるはずもなかったのだ。
 極小の花弁を除けば、風物詩の類は何もないはずの風景なのに、強く感じた。
 春。姿を隠さないといけないな、などと条件反射で思ってしまったりもした。


「ほら、あったわよ、春!」

 言って傍らを見ると、はぐれる事なくリリーはそこにいた。
 翅が完全に復元されて尚、直視するに眩しい程の夥しい光が体表面を走っている。


 陶酔するように、しばし光景を眺めていたリリー。
 意を決したように目を瞑ると。
 くるりとそれに背を向けてしまった。


「ちょっと、どうしたの。ここに来たかったんでしょ?」

 リリーは小さく首を横に振る。
 レティには意図が掴めない。

「春は、ここにある」

 リリーが眼差したのは、眼下の雲海と、その向こうの地上だ。

「だから、告げにいかないと」

 ああ。
 そうだった。この娘はこういう妖精なんだ。
 何故か、大笑いがしたい気分に駆られた。
 そうせずに、代わりにリリーの帽子を外して頭をくしゃくしゃと撫でた。




 眼下はまだ重苦しい雲に覆われていたが、何やら普段よりも騒々しい感じがする。
 よく見ていると、そこでぱっと何かが咲いたのが見えた。
 レティはそれに見覚えがある。
 臙脂の四角い二重の陣、あるいは結界。終わらない冬に浮かれていたレティを、少し前に問答無用で打ち落としたのがあれだ。
 使い手の顔を思い浮かべて、レティは思い至った。

「あれに春を告げてあげなさい。ここにこうして春がある事をね。そうすれば、数日中にきっと冬は終わるわ」

 間違いないだろう。これで、長すぎた冬は終わるのだ。
 もう自分の出る幕は終わりである事が、レティには分かった。
 帰るにはどうしよう。などと思案する必要もない事が、よく見ると明らかだった。
 なおも勢力を増す暖気の前に、雲は大分切れ切れになっていて、容易く外に出られる事だろう。

 背中にリリーの目が注がれているのは、分かっていた。

「どう、して」

 先程ははぐらかしたその質問。
 今も答える義理はないが。

「妖怪は、自然に逆らったりはしないのよ。ちょっと打ち落とされて頭が冷えたら、まあ冬ももう沢山かなって。私も私なりにこの異変を調べてみよう、って気持ちが沸かなくもなかったっていうか。季節っていうのは、始まる予兆から、終わりの物悲しさまで、全部合わせてその季節だと思わない?」

 独り言に近い。とりとめのない言葉を連ねてみた。

「はあ、もう、いきなり春の陽なんて浴びせられたから眠くて仕方ないじゃない。がんばってね、私はもう少しだけの冬空を、せめて精一杯満喫させて頂くわ」

 なおもリリーは引き止めたかったのだろうか、何かを言おうとしたが、言葉が浮かばないようだった。
 レティはそれきり振り返る事なく、空の向こうへ消えていった。




 下から吹き上がる風はなおも冷たく、びゅうびゅうと音を立てている。
 リリーは春の気をいっぱいに吸い込んだ。
 この春も、しっかり持っていって伝えよう、とばかりに。
 そして両手をいっぱいに広げ、リリーは冷たい大気へと飛び込んでいった。
みんな飛べるんだし、高高度が舞台のSSがもっとあっても良いと思った。
ちなみに元々は、とある場所でとあるお題が出た時に考えた話です。
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コメント



0.560簡易評価
1.90煉獄削除
良いですね、この二人の会話などとても面白いものでした。
こうしてリリーは春を告げに行くんですねぇ。
良い雰囲気のあるお話でした。
面白かったですよ。
7.100名前が無い程度の能力削除
良かった。レティの話もっともっと!
9.90名前が無い程度の能力削除
ちょっと空想科学小説っぽくていいですね。
春と一緒にラ@ュタも見つかりそうだとうっかり思いました。
冬は寒いけどレティがいなくなるのはさびしいなあ。
14.80名前が無い程度の能力削除
リリー見たさにやってきましたが、
雲の中を飛ぶ描写の深い話が読めてよかった。