Coolier - 新生・東方創想話

紫煙る西の空

2009/01/20 20:12:38
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 夢を見た。
 酷い夢だった。
 非道い、夢だった。

 誰が見ても不機嫌と評する他ない表情で、パチュリー・ノーレッジは寝台から身を起こした。
 日が昇れば起き、日が沈めば眠る生活を送っている者たちから見れば、彼女の朝は遅く、夜は早い。要は昼夜逆転の生活を送っていた。
 魔女は眠らなくていいんだろ? 勿体無い話だぜ、とは真昼間に押しかけてくる、つまりはパチュリーの安眠すらも妨害してくる白黒泥棒の言である。
 控えめに言って、大きなお世話だ。惰性で眠っているわけでも、習癖で食べているわけでもないのだから。
 ……まあ、いいことばかりでもないけど。
 頭をふりふり、彼女は立ち上がる。
 夢見は良くなく、寝覚めも最悪だ。
 ……責任を、取ってもらおう。
 半ば以上の八つ当たりを胸の内に秘め、彼女は寝室の扉を開いた。

***

 パチュリー・ノーレッジは夕闇の中、道無き道を歩いている。
 家を出てから既に七日ほどが経っていた。
 人里離れた森の中、十三歳の少女が一人。
 襲ってくださいと言っているようなものだった。
「こんばんは」
 案の定。
 木陰から現れたのは、奇妙な風体をした緑の髪の少女だった。頭から伸びた一対の触角が、彼女が人間ではないことを雄弁に物語っている。
「こんな時間に、こんなところでどうしたの? 道に迷ったんなら、送っていくわよ?」
 らしからぬ物言いに、パチュリーは思わず目をぱちくりと瞬かせた。
 そんな彼女の様子に、少女は小首を傾げるだけ。
「……貴方、妖怪じゃないんですか?」
「妖怪よ?」
 パチュリーの言葉に、少女は指で触角をくるくると巻く。
「なら、どうして」
「私、人間好きだし」
 前代未聞である。少なくとも、彼女はそんな性癖の妖怪など聞いたことは無かった。
「……どうして?」
 少女は黙ってパチュリーの胸元に指を当てる。
「ここに私の友達がいるから、ね」
 息を呑む。
「……なら」
「うん?」
 ある意味刺されるのを覚悟して、彼女は言った。
「それを捨てる、人間は?」
 す、と。少女の瞳が細くなる。
 しかし、それも刹那。
「さあ? それはその時に考えるわ」
 その時までは少なくとも人間だしね、と少女は軽く笑って言った。
 そして、さて、と気を取り直し。
「まだ人間のお嬢ちゃん、それでこれからどうするの?」
 言いながら、少女はパチュリーに手を伸ばす。
「十三歳は、成人です」
 少し笑って、彼女は少女の手をとった。

 紅魔館まで、というパチュリーの言葉に少女は目を白黒させたものだが、特には何も言わず、彼女を抱えて夜空を舞った。
 森を越え湖を渡り、孤島に降り立つ。
「到着」
「ありがとうございます」
「なんの」
 他愛もない言葉を交わし、少女は再び地を蹴った。
 それじゃあ、と。そして、
「その時には、呼んで頂戴」
 何とは言わず、少女は空で一礼した。
 彼女は答えず、ただ同じく頭を下げる。
 蛍のように光り瞬く少女の後姿を見送り、パチュリーは改めて館を眺めた。
 威容。これに尽きる。
 まだ幾分離れているというのに、息苦しさすら覚えるほどの存在感。
 彼女は一度大きく頭を振ると、気を取り直して歩を進める。
 閉ざされた門。
 その前に立ち尽くす門番。
 見たことのない奇妙な緑色の服を着た、赤い髪の少女。仁王立ちで門前に構えている。
 微動だにしなかった。
 目の前にパチュリーが歩み寄ってきたにもかかわらず。
 訝しむ彼女の耳に聞こえてきたのは、すうすうという規則正しい、そして安らかな吐息。
 ……寝息。
 門番の顔面で右手を左右に振ってみるが、起きる素振りすら見せない。
 安心と呆れの綯い交ぜになった溜息ををつき、そしてパチュリーは改めて眼前の門を見上げた。
 自分の力で開けることなど絶対にできないことを確信しつつ、それでもパチュリーは両腕の袖を捲り上げた。
「細腕繁盛は、しなそうですねぇ」
 今にも門を押そうとした矢先の背後からの声に、彼女はぎくりと背を強張らせる。
 そして、錆びた発条のような仕草で振り向いた。
「お、おはようございます」
 想定外の事態に軽い恐慌に陥ったパチュリーがそう口走ると、赤い髪の少女は急におどおどとしだした。
「お、起きてましたよ? さっきは考え事をしていたというか、瞑想していたというか?」
 疑問系で返答してくる。
 自分以上に挙動不審となった少女を見、逆にパチュリーは平静を取り戻したようだった。そのままじっと少女を見詰める。
 じわりと少女の額に汗が滲み……
「すいません! 寝てましたー!」
 平謝りに言ってくる。覿面だった。
 どう見ても年下の少女に平身低頭している様は端から見れば滑稽だが、パチュリーは別に事態を面白くしたい訳でもない。
「あの、顔をあげて下さい。別に責めているわけではありませんから。……門番の方ですか?」
「は、はい! 紅美鈴と申します」
「ご丁寧に。パチュリー・ノーレッジです。お約束無しの訪問で恐縮ですが、御館様にお取り次ぎ頂きたいのですが」
「どうぞ」
 言うが早いか、美鈴はあっさりと門を開け放った。
 流石のパチュリーも、これには目を丸くする。
「……いいんですか?」
「夜ですから」
 言われて彼女は押し黙る。
 紅魔館。
 紅い魔の館。
 即ち吸血鬼の住まう場所。
 確かに。
 そんな所に夜分訪れる者など、礼節ある来客か無謀なる刺客のどちらかだ。
「いずれにせよ、相手をされるのはお嬢様ですから」
 彼女の思考を読んだように、美鈴は言う。
 思わずパチュリーは彼女を見る。にこにこと笑っている美鈴の姿。
 自分がどちらかは、見切られているようだった。
 美鈴が、今度はごく自然に頭を垂れる。
 促されるように、パチュリーは中へと歩を進めた。

 ご案内はできませんが、とは美鈴の言葉だ。仮にも門番である、当然のことだった。
 しかしそもそも館主のもとに赴くだけなら、案内など必要ない。ただただ主回廊を進めば、応接間へと到達するのだから。
 窓の無い回廊を、パチュリーは歩く。
 要所要所に明りは灯っていた。
 だから、目の前の扉の札を見落とすことも無い。
 こくり、と意識せず飲んだ唾の音がやけに大きく響いたような気がした。
 意を決して、彼女は扉を押す。
「ようこそ、紅魔館へ」
 声が響く。
 思いのほか若い、というより幼い声に、パチュリーの表情が訝しげなものとなった。
 忍び笑う声が聞こえる。
 部屋は、暗い。未だ目の慣れぬ彼女にはそこに座る者の姿も、無論顔も見ることは出来なかったが、相手はそうでもないようだ。
「……失礼しました」
「構わないわ」
 慣れているもの、と彼女は寛容に言い、
「そんなところに立っていないで、こちらに座ったら?」
 と続ける。
 パチュリーにしてみれば、是非も無い。ゆっくりと声の主の座る卓へと近寄っていく。
 闇に慣れた目が、館の主を捉えた。
 声相応に、幼い容姿。
 しかし彼女は当然、見た目通りの存在ではない。
 吸血鬼。人外の存在だ。
 そしてそれだからこそ、自分はここに来たのだ。
「パチュリー・ノーレッジといいます」
「レミリア・スカーレットよ」
 いかんなく挨拶を交わし、パチュリーも席に着く。
「夜分遅くに申し訳ないわね」
「……いえ、予定を合わせるべきは私のほうですから」
 予期するべくもない労いの台詞にパチュリーは一瞬言葉を詰まらせつつも、かしこまって言う。
「嬉しいわ。最近は粗忽な者が多くって」
「心中お察しします」
 ありがとう、とレミリアは笑い、
「さて、久しぶりの夜のお客様は嬉しいけれど、余り長引かせるのも悪いわね。こんな辺鄙な所まで、一体何の御用かしら」
「……お聞きしたい事があって来ました」
「聞きたい事?」
 興味深げに小首を傾げる彼女に、パチュリーははいと頷く。
「何かしら?」
「貴方は」
 パチュリーは一度、息を呑んだ。そして続ける。
「吸血鬼だったのですか? それとも、吸血鬼になったのですか?」
「……なんですって?」
 奇妙な彼女の発言に、レミリアは思わず疑問を呈した。
「貴方は生まれながらに吸血鬼だったのですか? それとも自ら吸血鬼になることを選んだのですか?」
 再びのパチュリーの言葉に、彼女は少し考え込む仕草を見せる。
「……吸血鬼にさせられた、とは思わないの? 吸血鬼に血を吸われればその眷族となる。これは本当のことよ?」
「そんな風には、とても思えません」
 会って幾らも経っていない相手に、しかしパチュリーは確信すらこめて言う。
「なるほど」
 そして当の彼女も、その発言に納得したように頷いた。
「ならば答えましょう。私は生まれながらに吸血鬼だった。……これでいいかしら?」
「……そう、ですか。ありがとうございます」
 レミリアの返答に、なぜか彼女は少し沈んだ声音でそう返す。
 そんなパチュリーの様子に彼女は微かに目を細めた。
「私からも一つ質問、いいかしら?」
「はい」
 レミリアの問いかけに、彼女は少し意外そうに顔を上げる。
 その瞳を見つめ、
「どうしてそんな質問を私に?」
「……」
 パチュリーは、押し黙った。
「無理にとは、言わないけれど」
「……いえ」
 しかしそれ以降、彼女は言葉を発しない。
 レミリアも、先を促さなかった。
「私は」
「ええ」
 ようやく続いたパチュリーの言葉に、レミリアは頷く。
「私は、魔女の家に生まれました。母は魔女でした。父も魔女でした」
 レミリアの表情が微かに変わる。
「魔男という呼称は、一般的ではありません。本来の魔女の語源に、性別的な意味合いはなかったのですが」
「……何も言ってないわよ」
 多少たじろいだように、彼女は言う。
 そうですか、とパチュリーは頷いた。
「私は魔女の業を母から、父から、学びました。母は代々魔女の家系でした。でも」
 父はそうではありませでした、と彼女は続ける。
「父は普通の農家だったそうです。母と出会い、そして修行の末、魔女になりました。ものの数年で。ある種の天才ではあったのでしょう」
「結構な事のように聞こえるけれど」
 不思議そうに首を傾げるレミリアに、彼女はいえと首を振る。
「魔女になるということは、虫を捨てるということは、人の摂理から外れるということです。食物を必要とせず、飲物を必要とせず、睡眠を必要とせず」
 そして老衰せず、と彼女は言う。
「私には、分かりません。私はいいんです。魔女の家に生まれ、魔女となるべく育てられたのですから。魔女になるのは当然とすら、言えるでしょう。でも、父は違う。少なくとも母に出会う前は魔女とは無縁の、人としての営みがあったというのに、何故?」
 今までの全てを切り捨てて、ただ一人、飢えず、乾かず、眠らず、老いず。
「私には、分かりません。どうしてそんな選択ができたのか」
 首を振り、彼女は言う。
「だから私は、ここに来ました。先の質問を、貴方にしました。……これで、いいでしょうか」
「ええ。……ありがとう」
「いえ」
 どこか重い、沈黙が落ちる。
「……それで」
 それを破ったのは、レミリアだった。
「貴方はこれからどうするの?」
「そうですね。人里には獣人が多いと聞きますし、そちらに赴こうかと」
 確かに彼らの出生は、吸血鬼のそれに通ずるところはある。
「つまり、明確な当たりがついている訳じゃないのね?」
「? はい」
 微かに眉間に皺を寄せ、パチュリーは答える。
「それによしんば見つかったとしても、貴方の望んだ答えが返ってくるとは限らない」
「……はい」
「なら」
 ぽんと手を合わせ、彼女は言う。
「貴方、ここに残らない?」
「は?」
 寝耳に水な提案に、パチュリーは目を丸くした。
 その表情はいいわね、とレミリアは微笑み、彼女は顔を赤くする。
「……こ、ここに残ると言われても」
 若干動揺を残しながらも、パチュリーは彼女に視線を戻した。
 一体自分に、何を望んでいるのか。
 そもそもここに、自分を必要とする何かがあるのか。
 唐突に、ここが吸血鬼の館であることを思い出す。
 意識を前に戻せば、唇を不満そうに尖らせている御館様の御尊顔。
「その表情、いいですね」
 思わずそんな事を口走っていた。
 レミリアが吹き出し。
 そしてパチュリーも破顔する。
「……ともかく」
 咳払いをして、レミリアが場を戻す。
「そんな事じゃないわ。貴方にやって欲しい事があるのよ。多分貴方にうってつけだし、貴方のためにもなると思うんだけど」
 そして。
 彼女は少々の逡巡の後、こう付け足した。
「多分貴方に話したくなることも、あるから」

 奇妙な物言いにパチュリーは眉をひそめたものだが、結局彼女はレミリアの後ろをついて歩いている。
 話を受けたパチュリーの返答は、現場を見ないことにはなんとも、だった。
 ここよ、というレミリアの声と共に開け放たれた扉の奥を見、パチュリーは言葉を失う。
 彼女の背丈の優に五倍はある書架が、無数に林立していた。
 地下故の暗さにちゃちな洋灯で見渡せる距離はたかがしれてはいるが、それを差し引いても余りにも広大で、余りにも深遠だった。
「どうかしら、紅魔館が誇る大図書館は」
「……これを、誇るんですか」
 ぼそりとパチュリーが呟くと、彼女はたらりと額に汗する。
 本が、散乱していた。あるいは産卵しているかのようだった。
 広大というより荒廃だった。
 正に足の踏み場が無い。
 何しろ棚より床の方に本が多いという有り様なのだ。
 これを誇ると言われても、笑う他無い。
「もしかして、頼み事というのはここの整頓ですか?」
「そうなの。大半が魔法の書物なんだけど、その方面に明るいものがいなくって」
「……にしても、なかなか無茶を言いますね」
「そうなの? 貴方は魔女だし本には慣れ親しんでいるだろうし、こんな風になった時にぱぱっと整頓しちゃうような魔法があるんじゃないの?」
 呆れ混じりに言う彼女に、レミリアはきょとんとする。
 パチュリーはこめかみを押さえた。
 彼女の家にはこれほどの数の本は無かったし、これほどに散らかることもなかった。
 そして何より。
「人は魔法を使いませんよ」
 これに尽きた。
 魔女となるまで、魔法は使わない。自分に課したルールだった。或いはけじめと言ってもいい。
 魔女の業は修めた。故に飛べるし、本の整頓だって出来る。
 しかし彼女は飛ばなかった。
 魔女ではなかったから。
「そこをなんとか」
 可愛らしく片目を瞑り、両手を合わせて、レミリア。
 予想外の挙動に、パチュリーが固まる。
 しばしの硬直の後、ふいと視線を逸らして彼女は改めて館内を見渡した。
「……しかし、何をどうしたらこんな事になるんですか?」
 再び視線を戻しつつ、パチュリーは問う
「……」
 先ほどの茶目っ気ある愛想ある仕草とは反対に、レミリアは気まずげに視線を泳がせた。
 ふうと溜息をつき、
「まあ、今は聞きませんが」
 聞かせたくなったら言って下さい、と言ってパチュリーはしゃがみ込んで一冊本を取り上げた。
「……今は?」
 何かに気付いたように、レミリアはぱっと視線を正す。
「じゃあ……」
「はい」
 パチュリーは軽く頷き、べいと舌を出して見せた。
「魔女は嘘をつきますけど、人は嘘をつきません」
「……それも、どうかしら……」
「出口ってこっちでしたっけ」
「行かないでー!」
 踵を返す彼女に、レミリアがすがりつく。
 自分より小さな相手に抱きつかれるというのも、なかなか斬新な体験ではあった。
「……ともかく」
 見上げてくる彼女に、微笑む。
「宜しくお願いします。レミリアさん」

 言ってしまってから、パチュリーは困惑する。
 何故、こんな事をする気になったのか。
 どうして、こうもあっさりとルールを破る気になったのか。
「それはきっと運命ね」
 とレミリアはしたり顔で言う。
「そう思えば、気も楽ですかね」
 舌は前借りしましょうか、などとぼやいて彼女は出された紅茶に口を付けた。
 場所は先の応接間。
 今日は日が悪い、というパチュリーの一言に二人は早々にあの場を引き上げたのだ。
 がちがちに緊張した侍女妖精の運んできた紅茶は、少々苦かった。
「運命は、あるわ」
 気にした様子もなく、レミリアは杯を傾ける。
「なればこそ、私は此処にいる」
 気取った風に彼女は言った。
 しかしそれに、違和感を覚える。
 まるで、弁舌に勢いをつけているかのようだった。
「パチュリー」
「レミリアさん」
 だからパチュリーは、彼女の言葉を遮った。
「後払いで結構ですよ。……少なくとも明日明後日で、あそこの書物は読みきれませんから」
 せいぜい使わせていただきます、と彼女は片目を瞑ってみせる。
 驚いたようにレミリアはパチュリーを見、そして目を伏せ、ありがとうと囁いた。

「そんなに面白い見せ物でもありませんよ」
 壁際に本を押しのけ確保した床に魔法陣を描きながら、下から三段目の棚に腰掛けるレミリアに言う。
「私にとっては、そうでもないわ」
 足をぶらぶらと振り、両膝に肘をついて頬に手を当て、彼女は興味深げにパチュリーの所作を眺めていた。
 そうですか、と彼女は呟く。まあ、知らぬものには面白く映るのかもしれない。
 円形魔法陣を描き上げたパチュリーは、今度は大きな皿に水を張り、そこに墨を落とした。先ほど描き終えた魔法陣の東側にそれを置き、その周りに、今度は正三角の魔法陣を描く。
 それが終わると、彼女は一礼してから円形魔法陣の中へと踏み行った。そして東を向き、何事かを呟きながら手刀で五芒星を切る。同様の行為を南、西、北の順で行い、再び東に向き直る。
 瞳を爛と見開き、パチュリーは漆黒の水面を見つめて呪文の詠唱を開始した。
「いと高きかたの姿に生れし、我が命に応じよ……」
 いかにも魔法の儀式らしい光景に、レミリアはおおと感嘆の声を上げる。
「天地を揺るがし、海をも沸かせるおそるべき神の名にかけて、われ、汝に命ず……」
 常の細く儚げな声とは正反対の、朗々たる大音声にて最後の一節を唱えあげ……
 咽せる。
 だがそれでも儀式は完成していたようだった。
 彼女の背をさすろうと慌てて降りてきたレミリアの目の前、漆黒の水面をたたえた大皿に五芒星が浮かび上がったかと思うと、そこから無数の影が飛び出してくる。
 鳥の翼を持つその人形たちは、何かに指揮されているかのように、一糸乱れぬ動きで次々に床の本を棚へと収めていった。
 瞬く間に露わになっていく床に、レミリアはパチュリーの背をさするのも忘れて見入る。
「ちょっ、レミっ」
 未だ盛大に咳き込み続けている彼女の必死の呼びかけに、ようやくレミリアは我に返った。
 華奢な背中に手を伸ばそうとして……
 一瞬速く、横手からの人影にその役を奪われた。
 驚いてそれを見る。
 赤い髪。側頭部と背中から伸びる蝙蝠の羽。額に刻まれた五芒星。
 見たことのない顔だった。
 その少女はレミリアににこりと微笑みかけると、ゆっくりとパチュリーの背をさする。
 風が鳴るようだった聞くだに危険そうな吐息は治まり、それでも彼女は憔悴した様子で、ぐったりと赤い髪の少女にもたれかかる。
 何となくむっとしながらレミリアはその様を見、一声かけようとしたところで無数の羽ばたきが帰ってくる。
 本の整頓を終えた鳥たちが、未だ五芒の輝きを放つ大皿へと飛び込んでいった。
 最後の一羽、或いは一人が漆黒の水面に消えたところで、五芒星が光を失う。
「あ」
 という赤い髪の少女の唖然とした声が、整然となった大図書館の中に虚しく響いた。

「ねえパチュリー」
「なんでしょう、レミリアさん」
「……あの子は、うまくやってる?」
 どことなく不満げに、レミリアは問う。
 あの子、とは先日の図書館整理で取り残された赤い髪の少女のことだ。
 やはりというかなんというか、最後に咽せったのが悪かったらしく、少女は帰る術を無くしてしまった。
 土下座までして此処において下さいと言う少女に、流石にレミリアも頷いたが、それを聞くや否やいきなり万歳三唱するを見、少し後悔した。
 窘めようとするパチュリーには両の頬に人差し指をあて、可愛いこぶってみせる。
 なので、小悪魔と呼ぶことに決めた。
「まあ、概ね優秀ですよ。今の所不自由はありません」
 結局仮称小悪魔は、図書館預かりとなった。本の整理とパチュリーの世話が彼女の仕事である。
「そう。ならいいのだけど」
 言ってレミリアは、パチュリーが手ずから淹れた紅茶に口をつける。
 パチュリーも同じく口をつけ、そして顔をしかめた。
 お世辞にも美味いとは言えない。
 レミリアは、何も言わなかった。
「……ごめんなさい」
「これはこれで」
 言って彼女は微笑んで、そしてついと身を乗り出す。
「ねえパチュリー?」
「なんでしょう、レミリアさん」
 それよそれ、と彼女は大仰に手を振るう。
「敬語なんてやめて頂戴よ。別に私は貴方を雇った訳じゃないのよ」
「しかしお世話になっている身ですし」
 あてがわれた部屋、図書館内部の、恐らく館長の執務室であったろう現お茶会の会場をぐるりと見渡す。
「それは図書館整理をしてもらった御礼なんだから、恩に着なくていいの」
「目上ですし」
「長く生きてれば偉いって訳でもってないでしょう。それに私は、見た目通りに扱われるのは慣れているのよ」
「しかし……」
「ああもう!」
 癇癪でも起こしたように、レミリアはばんと卓を叩く。
「私の周りは部下と、恐れるものばかり! いいじゃない! 一人くらい気兼ねない相手が居たって!」
 思いのほかの言葉に、パチュリーは目を見開いた。
 思わず言ってしまったレミリアも、気まずげに視線をそらす。
「……酷い味よね」
 レミリアは、はっと視線を戻した。
 それはパチュリーの言葉だった。
「よかったらお茶の淹れ方を教えてくれない? ……レミリア」
 驚きに眉を上げ、そして笑顔で、
「まかせなさい。とびっきりのを淹れてあげるわ」

「ねえ、レミリア」
「なあに、パチュリー?」
 どことなく満足気に、レミリアは答える。
「あの子は、うまくやってる?」
 あの子とは、パチュリーの小悪魔のことだ。
 図書館預かりとなっていたのだが、今では侍女長まがいのことをやっている。
 本人曰く、
「日和見ずに鳥の陣営についた蝙蝠は、牙がある分鳥より強い」
 とのことだった。先の図書館整理も、鳥たちを仕切っていたのは彼女だったらしい。
 そして侍女妖精も翼ある者たちである。
「そうね、うまくやっているわ。大口をたたくだけのことはあったわね」
 指揮運営はお手の物、と言うだけのことはあったようだ。
「それよりパチュリー」
「何?」
「貴方こそ、どんな具合?」
 自ら淹れた紅茶を啜り、レミリアは言う。
「そうね、なかなかの収穫があったわ。まさか小さな鍵の完全写本があるとは思わなかったし。黒い雌鶏に至っては原書があるなんて! あと黄金の夜明け団の軌跡というのも、とても興味深いわ。外の世界の魔術師集団の手記なんだけど」
「ちょ、待って、待って」
 目を輝かせ、立て板の水ように滔々と語り出したパチュリーを、レミリアは慌てて止める。
 不満げに口を尖らせる彼女。
 そんな顔をされても困る。そんな知識がないからパチュリーに図書館の整理を頼んだのだ。語られても理解出来ないことは火を見るより明らかだ。
 そしてそもそも、レミリアはそういうことを聞いた訳ではない。
「そうじゃなくって。パチュリー、貴方自分の目的がなんだったか覚えてる?」
 言われてパチュリーは左手の平に右肘を置き、右手を顎にあてて俯く。
 そして今度は虚空を見上げ、また俯き、それを数度繰り返した後、ぽんと手をうった。
「べ、別に忘れてた訳じゃないんですよ? ただちょっと分類が甘い棚の整理してたら薔薇十字の栄光を見つけてしまって、昨日完徹したとか、そんなこともないですよ?」
 動揺しているのがまるわかりな語り口調だった。
 そういえば、目の下には隅がある。
 深々と、レミリアは溜息をついた。
「まあ、私は別にいいんだけど……」
 なにやら言いかけた所で、扉を叩く音がする。
「ご歓談の所すみませーん」
 顔を覗かせたのは、件の小悪魔だった。
「レミリア様宜しいですかー? 侍女人員の件なんですけど」
 くぁ、と欠伸を噛み殺し、パチュリーは席を立つ。
「パチュリー?」
「少し休むわ」
「そう。それがいいわ」
 いかにも眠たげな彼女に、レミリアは頷く。
 歩み去るパチュリーに、小悪魔は頭を下げた。
 扉を閉める。
 何やっぱり足りないの、使う部屋が増えましたから、などという会話が微かに聞こえてくるが、それは彼女のあずかり知らぬ領分だ。
「覚えているわ」
 忘れるはずもなかった。
 待っているから、と小さく呟き、パチュリーは再び歩き出す。
 夜の帳が降りた時分に、眠るつもりはもうなかった。

「ねえパチェ」
「……」
 レミリアの呼びかけに、パチュリーは鳩が豆鉄砲でも喰ったような面持ちで本から顔を上げた。
「……パチェ?」
「パチェ」
 指差しながら言う彼女に、レミリアはにこやかに頷く。
「……そんな風に呼ばれたの、初めてだわ」
 口元を手で隠しつつ、パチュリーは視線を彼女から外す。
「顔が赤いわよ」
「煩い」
 意地の悪いにやにや笑いを浮かべるレミリアに、彼女は完全にそっぽを向いた。
 しばし、音がなくなる。
 顔はそのまま、視線はレミリアへと戻し。
「……魔女って、結構珍しいのよ」
 ぼそりと呟く。
 どう反応すべきか、レミリアは小さく首を傾げた。
「だから、私にいたのは父と母だけ」
 いずれ共にはあれなくなる、人はいない。
 人は、いたい。
「思ってたよりもいいものね、友達って。……レミィ」
 顔を戻して、笑う。
 想像以上の切り返しに、今度はレミリアが呆気にとられた。
「……顔が」
「煩い」
 皆まで言わせず、そっぽを向く彼女。
 そしてそのまま、言葉を続ける。
「……私は、久しぶりだわ」
 言葉ほどに、その口調には感慨はなかった。
 遠い目をして、彼女は言う。
「ねえパチェ」
「なあにレミィ」
「覚えてる?」
「ええ」
 なんの躊躇もなく頷く彼女に、レミリアはそうと呟く。
「運命は、あるわ」
 あの時と同じ言葉を、彼女は紡いだ。
「私は貴方に、運命を感じた」
「告白?」
 違いないわ、とレミリアは苦笑する。
「貴方なら、私の今をどうにかしてくれると、確信したの。確信できたの。だからあの時、貴方を引き止めた」
 打算ね、と彼女は自嘲する。
 初めて見るレミリアのその表情に、パチュリーはただ、
「お互い様ね」
 と返した。
 始まりは、そうだった。
 だがだからといって、芽生えたこれが紛いであるということにはならない。
 だから彼女は言った。
「私の運命を教えて、レミィ」
 パチュリーの、友の言葉に言葉がなくなる。
 揺れそうな瞳は見開いて上を向くが、震えそうな声がどうにも誤魔化せそうにない。
 けれど、これだけは。
「ありがとう、パチェ」

「……ねえパチェ」
 ようやく落ち着いたのか、常の声音でレミリアは呼びかける。
「なあにレミィ」
「私って、実は結構いいところのお嬢様だったのよ」
 急に変わった話題に少し眉をひそめつつも、パチュリーは知っているとばかりに頷いた。
「名家って、体面を重んじるの。まあ、だからこそ名家となれたんでしょうけど」
「ええ」
「じゃあ質問。そんな体面を重んじる名門の家から、気を逸した子が産まれたら、どうすると思う?」
 少し、話が見えてきた。
 彼女はしばし考え、
「日の目の当たらぬ所に追いやる。隠す。幽閉する」
「その通り」
 さすがねパチェ、とレミリアは笑うが、彼女は笑わなかった。
「誰が?」
「私だとは?」
「まさかね」
「そう」
 絶対的な信頼。だからこそ、自分も寄せたのだ。
「私にはね、パチェ。妹がいるの。たった一人の、私の大切な妹」
 透き通った表情で、彼女は言う。
「だから、私も……」
 会ったことがなかったのか。
 レミリアが頷いた。
 そして、続ける。
「もう一つ、質問。人の口には戸を立てられない。使用人たちを切り捨てられない。さて、体面を気にする、既に長女のある名家の当主は一体どうすると思う?」
 すぐさま意を察し、パチュリーは目を細める。
 その様子にレミリアは満足げに、そして痛々しげに笑った。
 親指を立て、首をかっ切る。
「だから、私は逃げたの。あの子を連れて」
 本の多い、しかし整然とした室内をぐるりと見渡す。
「この館も、実家から持ってきたのよ。あの子の地下室ごと、根こそぎね」
「……規模の大きな話ね」
 パチュリーの呟きに、レミリアはそうかしら、と首を傾げ、そして言う。
「長かったわ」
 思いを馳せるように、瞳を閉じて。
「ようやく私は運命に会えた。貴方に、会えた」
 開いた瞳は、今度こそ揺らいでいた。
「ねえパチェ。貴方は私を……助けてくれる?」
 その言葉に。
 魔女の業持つ人の子は、ただ一度、しかし大きく頷いた。

***

 遊んでくれるの?

***

 準備は万全。
 だったはずなのに。
 二月を費やして用意した魔法の品々は、微塵に砕かれた。
 ともすればこの身すらも、千々に分かたれていたかもしれない。
 満身創痍ながらも五体満足なのは、割って入ったレミリアのお陰だった。
 レミリアが割って入りながらも、彼女は満身創痍だった。
 驕っていた。浅はかだった。愚かだった。
 高々十三年の研鑽は、四百余年もの間醸成された狂気の前では木っ端も同然だった。
 遠い声。
 うっすらと開く瞳に映るのは、人目憚ることなく涙を流すレミリアの姿。
 ようようと視線をさまよわせれば、不安げに身を抱く小悪魔と、目を閉じ一心不乱に何事かをつぶやき続ける美鈴の姿。
 目を開いた彼女に、レミリアの表情が微かに明るくなる。
「パチェ! よかった……!」
「……レミィ」
「パチュリー様……」
「……なんて顔、してるの」
 悪魔でしょう、と無理に苦笑してみせる。
 美鈴からの言葉はない。
 彼女の延命で、手一杯のようだ。
 延命。
 再びレミリアの顔が暗くなる。
「パチェ、パチェ……! ちくしょう、あの野郎……!」
「……言葉が汚いわよ、レミィ」
 お嬢様でしょう、と諭し、
「それに彼女は……貴方のたった一人の……妹、なんでしょう? 全てを……捨てても、守りたかった、貴方の大切な……妹なんでしょう?」
「そうよ!」
 叫ぶように、レミリアは言う。
「フランは私のたった一人の大切な妹! でも! だから!」
 恥も何も無く、彼女はパチュリーの胸元にすがりつく。
「私をレミィと呼ぶのも! 貴方だけなのよ、パチェ!」

 ああ。
 わかった。
 私は。

 魔女になる。

 最初に気付いたのは、美鈴だった。
 薄暗かったはずの室内に、微かな緑の火が灯る。
 ふと天井に目をやれば、じわりと滲むように、光の粒が現れた。
 一つ、二つ、三つ、四つ……
 無数の光の粒が、パチュリーの執務室を満たしていく。
 やがて光たちは、集い絡み合い。
 光り輝く人の形となった。
 曖昧な、虚像のようなそれは、しかし奇妙に気取った仕草で、まるで舞踏の相手を導く様に、パチュリーに手を差し伸べる。
 否。
 パチュリーの方に、手を差し伸べる。
 それに誘われる様に、彼女の胸元から、三粒の光が立ち上った。ゆらゆらと嬉しげに、それはたゆたい漂う。
 レミリアにはそれが、何かとてつもなく不吉な情景に思えた。
 だから彼女は、パチュリーからの光を逃がすまいと、手を伸ばそうとする。
 しかしそれは横手からの、繁盛しそうもない細腕に阻まれた。
「……パチェ?」
「いいのよ、あれは」
 不思議そうな顔で言うレミリアに、身を起こした彼女は微笑んで首を振る。
 ひらりひらりと舞い遊ぶように姿見せた彼女の光は、輝く手中に溶けるように消える。
「あれはもう、私には必要ないもの。だから返してあげたのよ」
 ね、とそれを見上げると、それは器用に肩をすくめた。
 じゃあね、元人間のお嬢ちゃん。願わくば、もう二度と見えぬことを。
 そんな声が、聞こえた気がした。
 だから彼女は言う。
「じゃあね、律儀な妖怪さん。出来るならまた、会いましょう」
 大仰に、呆れたようにそれは首を振る。
 その拍子に、崩れていく光の人形。
 現れた時と同じように、無数の光の粒へと変じたそれらは、やはり再びゆらゆらと、染み入るように天井へと消えていった。

 心もとなげな蝋燭の火が、光の全てとなる。
「パチュリー様」
「パチュリー様!」
 口々に声をかけてくる、二人。
 残る一人、レミリアは、目の前の光景に脳の処理が追いつかないのか未だ固まったまま。
 脳で思考するのは人間だけだが。
 つまりこの場には、一人としていないのだが。
「心配かけたわね」
 ありがとう、というパチュリーの言葉に、美鈴は恭しく頭を垂れ、小悪魔は安堵の吐息をついた。
 そして小悪魔は彼女に言葉を返そうとして……それを飲み込む。
「太陽の2の護符、新月の鏡……一切の効果は無し……? 練度? 確かに余地はあるけれど。沈めの香は若干……。調合は苦手と思っていたけど。或いは根本が? あれは狂気ではない? ならば土星の6の護符を? でもまだ推測の域を出は……」
 彼女の思考は、次なる手段へと及んでいるようだった。
 そんな彼女の様子に、もはやいつものように、小悪魔は執事よろしくパチュリーの傍らに立つ。
「人が変わったようですね、パチュリー様。生き生きされてますよ」
「人から変わったのよ。誰かから必要とされるなんて喜ばしい限りじゃない? 喉が渇いたわね」
「すごいあからさまだよこの人!」
「魔女よ」
「ですよねー」
 笑顔で一礼して、小悪魔は部屋を出ていく。
 気づけば既に、美鈴の姿も無かった。
 残ったのは、呆気にとられたレミリアのみ。
「どうしたの、レミィ?」
「……いや、貴方こそ大丈夫なのパチェ」
 かけられた声に、ようやく彼女は言う。
「ええ、彼女が壊そうとしたのは人だったから。もう大丈……」
 言いかけて、パチュリーの言葉が止まる。
「ど、どうしたの? やっぱりどこか痛い?」
 急に様子の変わった彼女に、レミリアがおろおろと声をかけてくる。
「痛くは無いけど、或いはもう、駄目かもしれないわ」
「ええっ?」
「ねえレミィ」
 ふと表情を改めて、パチュリーは彼女を見た。
「貴方はまだ、私を必要としてくれる?」
 下らない、きわめて下らない問いかけだ。
 しかし彼女の口調は重い。
 だから。
「当り前じゃない、パチェ」
 殊更気軽く、レミリアは一笑に付した。
「……そう」
 パチュリーが胸を撫で下ろす。
「もう必要ないって言われたら、生きてはいけないところだったわ」
「大袈裟ね」
 幾分むっとしながら、しかし誇らしげに、そして嬉しげに、レミリアは言う。
「……父の気持がわかったわ」
 胸に手を当て、感じ入った様に瞳を閉じる。
 こんな言い方は卑怯だとは思うけど、とパチュリーは前置いて、
「私は貴方のために、魔女になった。……だから」
 薄く切なげに瞳を開き、胸元に置いた右手を伸ばす。
「いなくならないで、レミィ」
 差し出された手に左手を絡め。
 暗き夜を行く紅は、一つ大きく頷いた。 

***

 パチュリー・ノーレッジは、薄暗い廊下を歩いている。
 まだ夕方だというのに、蝋燭台には火が灯っていた。
 吸血鬼住まう紅魔館、窓は極端に少ない。まして、今彼女が歩いているのは館の主の寝室へ到る道。やはり疎らにも、窓はなかった。
 掃除妖精の姿はない。小さな物音一つでも、彼女が目を覚ましてしまうためだ。
 ……なら、起こしちゃっただろうな。
 今更ながら、後ろめたく思う。
 後の祭りだった。

「珍しいわね、パチェ」
 やはりと言うべきか当然と言うべきか、レミリアは既に目覚めていた。寝台の上で胡座をかき、パチュリーを迎える。
 余りお嬢様らしい仕草ではない、とパチュリーは指摘したこともあったが、返ってきたのは「貴方にだけよ、こんな姿を見せるのは」だった。
 見た目は幼女だがとんでも無い悪女である。
「ちょっと、夢見が悪かったから」
「へぇ?」
 片肘をついて、レミリアは小首を傾げた。パチュリーの発言内容にも関わらず、少しばかり嬉しげに。
 虫を捨てた彼女に、睡眠は必要無い。
 ならばどうして眠るのだ、とレミリアは尋ねたものだが、返ってきたのは「貴方が眠るから」だった。
 これを聞いたレミリアは、見ている方が恥ずかしくなるほど喜んだものだが、それは別の話だ。
「どんな夢?」
「悪夢の内容を訊く?」
「じゃあどうしてここに来たのよ」
 正論だった。
 はぅ、と諦めたように溜息をつき、レミリアの隣に並んで座る。
 こんな事を許すのも貴方だけ、らしい。
「貴方が勝手に私の前からいなくなる夢よ」
「ふうん?」
 からかうように見て、呆れたように笑う。
「愚かな夢だわ」
「我ながら」
 苦笑する彼女の手を取り、レミリアはその手を自らの頬へと当てる。
「いるわよ、ここに」
 不覚にも、こみ上げてくるものがあった。
 だがそれは、そう簡単には見せてやらない。
「……元人間としては、心安らがぬ冷たさね」
 だからそう、嘯いてみせた。
 彼女の唇が不満げに尖る。
 そんなレミリアに、今度は苦無く笑いかけ、空いた逆の手も反対の頬に当てる。
「その表情は、いいわね」
 しばしそのまま見詰め合い。
 ややあってするりとその拘束から抜け出すと、彼女はパチュリーの胸元に顔を寄せた。
「パチェは、温かいわね」
 それがいいことなのか悪いことなのかはわからない様子で、しかし気持ちよさそうに目を細める。
 そんな彼女の後頭を抱き、パチュリーは言った。
「ありがとう、レミィ」

「そう言えば、前から聞いてみたい事があったんだけど」
「何?」
 改めて並んで寝台に腰掛け、パチュリーが訊く。
「どうしてこの部屋、こんなに大きな窓があるの?」
 今は厚い帳に閉ざされてはいるものの、明らかに吸血鬼の寝室には不要なもののはずだった。
「ああ、その事?」
 何が面白いのかレミリアは笑って、咲夜よろしく懐中時計を取り出す。
「貴方と毎朝会えるように、ね」
 悪戯っぽく言って、彼女は時間を確認した。
 それを無造作にベッドに放り、パチュリーの手を牽き窓際へ立つ。
 そして、彼女が止める間も無く開け放たれる布帛。
 ほとんど日の落ちた、夕闇。
 レミリアはついと背伸びをし、パチュリーの髪を一房つまみ上げる。
 それは夕闇と同じ色。
 紫煙る西の空だった。
 これが私の最後の抵抗。
 おそらく殆どの方は初めまして。SHOCK.Sにございます。
 時代は地霊殿ですが、私はあいもかわらず紅魔郷です。
 そしてあの方です。
 本編とはまったく関係ございませんが、本作の小悪魔は実在の悪魔をモデルにしております。悪魔が実在するのかはさておいて。
 それではお気に召していただければ幸いです。
SHOCK.S
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コメント



0.2120簡易評価
1.90煉獄削除
いきなり現在から過去の話に飛んだのには
「あれ?」と思ってしまいました。
もう少し、過去話に移行するような準備が欲しかったと感じました。

ともあれ、パチュリーとレミリアの出会い…でしょうか。
過去のパチュリーの喋りがちょっと新鮮で良かったです。
面白かったですよ。

誤字の報告です。
虫を捨てるというこては~
正しくは「虫を捨てるということは」ですよね。
2.90反魂削除
 センス。
 すごくセンスを感じました。
 
 書いてほしいところを書かず、書きすぎなところが沢山あるのにそれでも物語の味がズバズバ伝わってくるのはまさにそうとしか表現しようが無い。
 久々にぞくりとくる作品を味わえました。
3.90名前が無い程度の能力削除
懐かしい名前をみて思わずきた
相変わらず良い作品を書きますな
9.90名前が無い程度の能力削除
面白かった。
ホントに。
19.100名前が無い程度の能力削除
あなたの書く紅魔館は相も変わらず素晴らしい。
20.80名前が無い程度の能力削除
どうか最後とは言わずに、また書いてくださいまし。
26.100名前が無い程度の能力削除
あなたの描く話に出てくるリグルが好きです。
良い話をありがとう。
29.90名前が無い程度の能力削除
なんと懐かしい人が。
貴方の紅魔館は変わらず心地いいですね。
33.100名前が無い程度の能力削除
良いものを読ませていただきました