Coolier - 新生・東方創想話

友達のつくりかたとQED 1

2009/01/05 23:04:34
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 延々と続くかび臭い螺旋階段を私は下りていった。
 人一人がやっと通れるほどの幅しかないその石段は、495年くらい前に作られたものだった。
 できたころは壁も白く綺麗な階段だったのだが、今ではところどころ壁は剥げ、ほこりとかびの鼻を差す匂いに包まれていた。壁にかかっている明りもところどころ欠けているため、薄暗く不気味だった――夜の眷属たる吸血鬼の目には十分明るいのだが。この階段の手入れもしっかりと行うように言ったのだが、妖精メイドたちは怖がって近寄ることさえできず、修繕されることもなかった。当時のメイド長の報告に私も仕方なく諦めていた。
 やがて、壁の表面がざらざら削れてきた。壁だけではない。踏面も削れ、完全に元の石の色が出てきてしまっていた。その程度はさらに下へ下へと下りていくほど酷くなっていった。膨大な魔力の放出――それによって生まれた灼熱と爆風が階段を焦がした傷痕だった。
 無限に続くと思われた階段も終わりを迎える。正確な数字は覚えていない――地下数十メートルもある長い螺旋階段は、階段の傷からわかるように、想像もできないほどに強い魔力の暴走から、地上を守るために存在していた。常々忌々しいと思ってきた階段だが、実際私たちはそれによって守られていたのだった――実に皮肉な話である。私は力なく自嘲するしかなかった。
 地階にあるのは、二つの、まるで倉庫のもののように巨大な扉だった。そのうち手前側の扉に私は進む。
 改めて見直すと実に大きな扉だった。厚さ数センチの鉄製の扉だそうで、物理的な堅さはもちろん、何重にも複雑な魔法制御式の防御プログラムが施してあるらしい。私は詳しくは知らない。親友が作ってくれたのだが、あの魔女の手製ならば信用できる代物なのだろう。私に似ず、勉強熱心な妹もひょっとしたらわかるのかもしれない。どんな外敵もこの扉を突破することはできないだろう――精々、あの反則的な能力をもった年増くらいなものだ。おそらく、幻想郷で一番安全な地下室だ――もっとも、他に幻想郷に地下室があるかどうかなんて知らないが。
 だが――皮肉なことにも、この扉は敵の侵入を防ぐものではなく、中にいる人物が外に出てこないように見張る門番なのだ。
 この扉はけっこう最近、取り付けたものだ。前の扉は、階段の有様が示すように、立派にその職務を全うして消滅してしまった。
 私は開錠の呪文を唱えた。
 すると、目の前の物々しい扉は音を立てることもなく、横にスライドしていった。隙間から明るい光がこぼれ出す。
 
 「お姉さま?」

 光の向こうから問いかけられた声は、愛らしい少女のものだった。世界で一番美しい声だと私は信じていた。それと同時にぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえた。
 部屋に入ると同時に、私は自分と同じくらいの体格の少女に抱きつかれた。少女は私の胸に顔をうずめ、歓迎の意を表してくれた。私はその絹糸のようにさらさらとしたブロンドの髪を撫でた。
 「良い子にしていたかしら、フラン?」
 私の妹――フランドール・スカーレットは顔を上げ、にっこりと満月のように笑って――うん、とうなずいた。
 私はフランを抱きしめながら地下室を見渡す。
 本来美しい模様が描かれていたカーペットは黒く煤け、妹が愛する純白色の壁もすでに灰色にくすんでいた。部屋にあるのは私の部屋に豪奢なものとは似ても似つかない、簡素な机と椅子、それから小さなベッドだった。少しだけ大きめの本棚には背表紙が変色した本がいっぱいに押し込まれていた。それらの吸血鬼らしくない質素な家具はすべて妹が進んで求めたものだったが、妹の言うとおりのものを与えざるをえなかった自分がとても情けなかった。
 しかし、それだけではない。
 妹は495年間、この地下室から一歩も外に出ることができなかった。

 いかに外界が綺麗なところか。
 いかに世界が美しいところか。
 いかに人生が楽しいものか。

 それを満足に味わうこともできず、妹は永い時間を生きてきたのだ。
 そして、妹をその地獄に束縛しているのは紛れもなくこの私だった。この495年間は私の心が弱いために始まったのだった。
 
 だが、それももうすぐ終わりだ。
 
 フランを閉じ込めてきた495年はやっとエンディングを迎える。

 この事件のQEDを、私は作り上げてみせる。

 「ねえ、フラン、今日はいいものをもってきたわ」
私はフランの頭を撫でながら言った。フランが小首をかしげた。
「いいもの?」
「ええ、」
私は緊張していた。期待と不安が胸を激しく打っていた。心を奮わせながら、私はうなずいた。
「とてもいいものよ、フラン――」
私はスカートのポケットから、一枚の『札』を取り出す。

 「――『友達のつくりかた』よ」

何も書かれていないその札を見せて、私は努めて妹に笑いかけた。フランはきょとんとして、その札と私を交互に見ていた。私は精々気取って、妹に語りかける。

「さあ、友達百人つくりましょう」

495年続いた悲劇にQEDを打つために――







 「それでは、お嬢様、失礼いたします」
十六夜咲夜は主君である私に向かって一礼した。私はそれにうなずき、了解の意思を伝えた。次の瞬間、従者の姿はかき消すように消えた。時間を操る能力で次の仕事にむかったらしい。
「彼女はどうかしら、美鈴?」
私は前メイド長であり、現門番長である紅美鈴に訊いた。彼女は軍隊式の休めの姿勢で私のすぐ側に立っていた。美鈴は苦笑して答えた。
「優秀なのは優秀なのですが、ね。お嬢様の言うとおり、少々愛想がないですね」
「そうなのよ。何とかならないかしら?」
「まあ、時間の問題ですね。今は余裕がないんでしょう。余裕ができれば、人間というのは自然と他人に親切になるものです」
「あら、余裕がなければ、人は他人に優しくなれないのかしら? つまらない話ね」
「すばらしい話ですよ。余裕がありさえすれば人間は見ず知らずの人間にも優しくなることができる。もちろん、悪魔にも、ね」
「なるほど。要は捉え方の問題ね」
私は血の入った紅茶をすすった。美味い。確かに新しいメイド長は有能なようだ。しかし、瀟洒を名乗るにはもう少し愛想が必要だろう。私の向かい側に座っている知識と日陰の少女――パチュリー・ノーレッジは本に目を落としたまま言った。
「まあ、紅魔館で生きていられること自体、優秀性の証明だからね…………でも、よくレミィは彼女をメイド長なんかに採用したわね」
「有能であれば問題はないわ。紅魔館はボランティア団体でも役所でもなんでもないのよ。人格に欠陥があろうと、優秀で忠実であれば何も問題はないのじゃなくて?」
 もっともね、とパチュリーはうなずいた。
 雲一つない、新月の夜――私とパチュリーはテラスで紅茶を飲んでいた。美鈴は久々に話がしたいと思ったので呼びつけたのだった。
風の涼しい春の夜空には、落ちてきそうなほど多くの星がちりばめられていた。しかし、肝心の月は空にはなかった。月のない夜空は少し物足りない気がする。そして――どこか不吉な感じがした。
私は頭上に広がる満天の星空を見て、思わず呟いていた。
「こんなに、月がなくて星が瞬く夜だから――」

「新しいことを始めるのにぴったりね――」

――私の言葉を継いだのは、パチュリーでも美鈴でも、もちろん、私でもなく――――鈴を転がすような、落ち着いた女の声だった。

「久しぶりだな、化物――」
私はテラスの外の虚空に向かって話しかけた。何もなかったはずの虚空に、スッと切れ目が入る。そして、信じられないことに――パッカリと空間が開いた。夜空に空いた穴から、一人の女がテラスに降り立った。相変わらず胡散臭い笑みを浮かべている。

 八雲紫――

 幻想郷の大結界を管理する妖怪だった。

 紫はにやりと笑って言った。
「化物とはご挨拶ね、スカーレット卿。吸血鬼のあなたにそんなことを言われるとは思わなかったわ」
「……ふん、あれだけボコボコにしておいてよく言うよ――――ああ、それと私は公女だ。まだ爵位は継いでない。生憎、爵位を継ぐ前に幻想郷に来てしまったものでね」
構えをとり、私を守るように前に出ていた門番長に、美鈴、下がっていいよ、と声をかけた。美鈴は私と紫を交互に見た後、再び、私の隣で休めの姿勢をとった。パチュリーは知人にやっとわかるくらいに視線を鋭くして、闖入者を睨みつける。私は紅茶に口をつけた。
「…………争いに来たわけではないだろう。何の用事だ?」
そう問うた私に対して、紫は笑みを大きくする。長話になるので、お席をお借りしてもよろしいかしら、と言う。私が首肯すると、女は一つ残っていた私の隣の椅子に座り、優雅な動作で足を組んだ。
「今日はセールスに来ましたの」
「ふん、管理者からセールスマンに転職したか。その胡散臭い笑顔が実にお似合いだな。どうせ、力づくで売り物を押し付けるんだろ。その強引な性格もセールスマンに適格だね」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。今回はお客様のご要望に添える商品をご用意いたしましたわ」
そう言って、紫は宙に生じた空間の裂け目から一枚の紙を取り出して、私の前に置いた。さらにもう一枚取り出し、今度はパチェに渡す。
 真っ白い紙だった。大きさはトランプよりも一回り大きい程度か。私の手の平に納まるには少し大きかった。触感は紙、というより、プラスチックと呼ばれる材質に近い。私はそれを掲げたり、目の前にもってきたりしたが、何も特徴はなさそうだった。
「この紙が、商品か?」
「さようでございますわ」
美鈴に注がせた紅茶に紫は口をつけた。あら、美味しい、と紫は呟いた。
「『スペルカード』というものですわ」
「スペルカード…………?」
「妖怪間の、さらには人間と妖怪の新しい関係性を築くための一大商品ですわ」
紫はにっこりと笑ってみせた。スペルカードという紙を手に取り、じっと見ていたパチュリーは呟く。
「魔法的な装飾が凝らしてあるわね…………魔力だけじゃなく、妖力、霊力に対する順度も高い。何かの『器』なのかしら?」
「ご明察ですわ」
ご説明いたします、と再び、紫は空中の隙間から紙を取り出し、私たちの前に提示した。
 その紙には『命名決闘法』と題が振ってあった。
 紫は開いていた扇子を閉じ、説明を始める。
「このたび、博麗の巫女との間に交渉がございまして、幻想郷をより平和に、より活性化するために、このような『命名決闘法』を採択することになりました。まあ、『命名決闘法』の詳細はお渡ししたコピーに書かれておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。本日、レミリア公女の前に推参いたしましたのは、このスペルカードの性能をご覧に入れるためですわ」
紫は胡散臭く笑い、スカートのポケットからスペルカードを取り出した。彼女はそれを空に向かって掲げてみせた。それから、彼女が何事か呟くと――――スペルカードから膨大な魔力が放出された。
 
 閃光が夜空を翔ける。
 蒼、緋、金、翠――色とりどりの妖力塊が宙を舞う。
 放出されたエネルギーがテラスを眩しく照らした。
 妖力でできた宝石が星の満ちた夜空に散りばめられる。
 その美しい魔力の放出に私たちは一瞬見惚れてしまっていた。

 ――弾幕は星空に紛れ、やがて見えなくなってしまった。

 「いかがでしょう」
紫は自慢げに微笑んでいた。
「…………まあまあだな」
私は胸の中の静かな興奮を悟られないようにするので精一杯だった。だが、紫の微笑はこちらの心のうちを読んでいるのか、深くなった。
「スペルカードはこの弾幕を内に閉じ込めているのです。決闘はスペルカードの弾幕を使って行われるのです」
「――戦闘としては、随分非効率的だな。無駄弾が多すぎる。敵に当てる弾は放出した力の一分もないじゃないか」
「だから、よいのですわ」
紫はカップを傾け、口を湿らせる。
「スペルカードルールは美しいもののが勝つルールです。力の強いものばかりが勝つルールではない。骨を噛み砕く牙も、内臓を一掴みで引きずり出す爪も不要なのです。必要なのは美しい弾幕ですわ。もちろん――力の強いもののほうが有利なのは間違いありませんが。しかし、『弾幕ごっこ』は知恵と勇気が試される決闘です。勝つのは常に心の強いものですわ」
心の強さ、美しさを競い合うゲームなのです、紫はそう言って、また一口、紅茶を飲んだ。
 私は手を組んで、その上にあごを置いた。挑戦的な笑みを紫に向ける。
「弾幕『ごっこ』ね…………所詮、遊びじゃないか」
「ご名答。確かに遊びですわ。ですが、重要なのは遊戯性だけではありません。その儀式性もまた重要なのです」
紫もまた、手を組んで私に挑むような視線を向けた。
「妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。それはまた、妖怪は人間に退治され、人間は妖怪に襲われることに他なりません。幻想郷ではこの関係性が重要なのです。幻想郷は失われたものの辿り着く場所――すなわち、歴史の縮図です。歴史は常に勝利と敗北の両方を含んでいますわ。人間と妖怪の共存する理想郷を目指すには互いの歩み寄りが必要なのは言うまでもないことですが――人間と妖怪が常に逃走し、闘争してきた歴史をなかったことにするのは不可能なことであり、同時に、幻想郷に良い効果をもたらすものではありません。私たちは幻想郷を真の理想郷にするには、歴史の示すとおり、人間と妖怪、両者の勝利と敗北が幻想郷に日常的に――少なくとも忘れてしまうことがないくらいには、必要なのです。ですが、本気で戦い合うことがあれば、幻想郷はあっというまに滅んでしまうでしょう。人間、妖怪、どちらか片方が滅んでしまっても幻想郷はその輝きを失ってしまいます。そのために、死なない程度の殺し合い、儀式的な決闘 ――スペルカードルール――弾幕ごっこが必要なのです」
「………………………………………………………………」
「どうやら、聡い公女様はご理解いただけたようですね」
ふん、と私は鼻を鳴らしてみせた。目の前の幻想郷の管理者を、ありったけの殺意をこめて睨みつける。
「貴様の考えに賛同するなんて、私は言っていないぞ。もし、私が人間と妖怪の共存する世界などというお伽話じゃなく、妖怪らしい、血生臭い闘争を望んでいるとしたらどうするんだ?」
私の視線を正面から受け止め、紫は笑った――――その笑いは不思議にも一人の母親のような笑みだった。
「ありえませんわ」
紫は自信満々に言った。

「あなたはそんな妖怪ではありませんもの」

「………………………………………………………………」
私は思わず黙り込んでしまった。紫は扇子を広げ、口元を隠す。扇子の向こうで彼女が微笑んでいるのがわかった。
「まあ、証拠でしたら、いろいろありますが。メイド長に人間を起用したり、霧の湖から迷い込んだ人間を保護したり、と、とても人間に敵対的には見えませんわ。先の条約――いわゆる吸血鬼条約も律儀に守っていただけているようですしね」
「…………悪魔は契約を守るものなんだよ」
私はため息をつきつつも言った。正直――完敗だった。
「……いいでしょう。そのスペルカードルールに従ってあげるわ」
思わず、口調も敵に向けるものではなく――身内に対するのと同じものになってしまった。紫はにっこりと笑う。
「約束ですわね?」
「契約よ」
「さすがは、公女様。立派な君主様ですわ」
そう言って、紫はまた胡散臭そうに笑った。私は再びため息をついた。パチェは今までずっと事の成り行きを見ていたが、安心したかのように、今頃になって本に視線を落とした。どうやら文句はないようだった。
 だが――――
「紫、一つ訊かせなさい」
「あら、何かしら」
「あんたが最初に言った口上だけど――」
私は紫の金色の瞳を真っ直ぐに見て言った。

「私のご要望に添う――とは、どういうことかしら?」

嫌らしい笑みを浮かべていた紫は、一瞬だけ不意を突かれたように口を引き締めたが――すぐにまた余裕ぶった笑いを見せた。何事もなかったかのように再び、紅茶に口をつけた。

 だが、私は紫が笑みを消した瞬間、哀れむような視線を私に向けたことを見落とさなかった。

 扇子で紫は口を隠しつつ、言った。
「スペルカードは安全な殺し合いをするための道具ですわ」
「それはさっき聞いた」
「スペルカードによって生じた弾幕は、見た目が派手で、その破壊力は兵器として十分のようにも見えますが、そんなことはありません。たしかに無生物の破壊には手加減することはできませんが、生物相手にはその殺傷力はかなりダウンするように設定されております」
「――――随分とご都合主義な話だね。そもそも生物と無生物の定義はどうするのさ?」
「スペルカードは物理的、霊的にもダメージを与えることができますわ。生物は主に霊的にのみ、無生物は物理的にのみ損傷を受けることになります。逆に言えば、生物は物理的ダメージをほとんど受けることなく、無生物は――もちろん、霊的ダメージはありません。人間は身体にダメージがない限り、その精神は死ぬことはまずありませんし、妖怪にとって霊的な攻撃は致命傷になりえますが、スペルカードの出力では殺すのは相当に難しいでしょう。スペルカードの弾幕で二次的に生じた物理現象――熱や爆風ですわね――で人間は怪我をすることはあると思いますが、まあ、そんなの誤差の範囲内ですわ。それゆえ、人間、妖怪ともに『かなり痛い』と感じる程度の弾幕で安全に決闘することができるのです」
「『かなり痛い』、ね……」
「ええ、決闘ですから、緊迫感が重要ですわ」
なるほどね、と私は紅茶を一口飲んだ。背もたれに身を任せる。椅子がギッと軋んだ。
「それが、私にとってどう利益があるのかしら?」
「スペルカードの重要性は儀式性にあると申しましたが、やはり遊びなのですから、遊戯性がございませんとね。もちろん、弾幕ごっこは楽しい遊びだと思っております。私も自分の式と何戦もいたしましたが、やっぱり楽しいゲームでした。『命名決闘』はスポーツにもなるのです」
「スポーツね…………」
「さようです。つまりは……………………」
紫は扇子を勢いよく閉じる。その向こうに紫の笑いが見えた――優しげな笑顔だった。

「室内で運動不足のお子様にも、とっておきのストレス解消法となりうるのです」

「………………………………………………………………」
パチュリーが本から顔を上げた。いつも眠そうな目をきつく細めて、結界の管理者を睨んでいる。私の隣に立っている美鈴も、普段の笑顔からはとても信じられないような厳しい顔で紫を見ていた。
「気づいていたのかしら?」
私はため息をついた。相手を舐めきっていたことを少し後悔する。紫は穏やかな笑みを浮かべてうなずいた。
「ええ、もちろんですわ」
「どうせ、あんたのことだ。この前の戦争のときにもう調査していたんでしょ」
「ご明察ですわ」
私は特に怒っていなかった――無意識ではどうか知らないが、少なくとも意識の中では。私にはこの賢い大妖に何も知らないことがないように思えたのだ。
「セールスマンは副業でして。私の本当の仕事はご存知の通り、境界の修繕をちまちまと行うことと何か危ないものがないか探すことですわ。私は働き者で仕事に忠実なのが売りですから、申し訳ありませんが調べさせていただきましたわ」
「よく言う――申し訳ないなどと万に一つも思っていないくせに」
私はくっくと笑ってみせた。「あら、失礼ですわね」と言いながらも、紫も微笑む。紫は人差し指をピンと立てて、ニヤリと頬を吊り上げた。
「よろしいでしょうか、お嬢様。どんな動物も――遊ぶことから、自分が何者かを理解するものですわ」
「――――――――――――――――――」
「犬などを見てもわかりますね。子犬たちは四六時中、兄弟とじゃれあっているのです。耳を甘噛みしたり、のしかかってみたり、駆けっこをしたり――人間の子供にいたっては、この子たちはまるで遊ぶために生まれてきたのではないかと思うこともありますわ」
「大人でもそうです――」と紫は講釈を続ける。
「かの老獪なイギリス人はゲームの中に人生を見出すと聞いたことがあります。イギリス人に限らず他の人間も成長した後でも遊ぶことを忘れたりいたしません。妖怪にいたっては――言うまでもないことですわ。永い永い生を生き続けるという意味において、我々の存在意義が、遊ぶことであるというのも、決して間違いではないでしょう。どうやら、社会性の高く知能の優れた生き物ほど遊びを重視するようですわね」
「なるほどね――――」
私はうなずいてみせた。
「私たち妖怪も遊びから生のあり方を学ぶことがあるわけだ」
「ええ、その通りです。妖怪も遊びながら成長するのですわ。そして――――」
紫は一瞬、躊躇うような素振りを見せたが――言った。

「まあ、全てが全てではないのですが――人間の子供は幼いとき、よく遊んでおかないと、心に病気を抱えることがあるそうですわね」

「………………………………………………………………」
「遊びは大人になったとき、社会に適応する力をつける訓練なのだそうですわ。遊びが社会性を身につけさせる。他の子とよく遊んでいない子は社会性が十分に育たず、大人になって社会に出ると、社会の重圧に心が潰れてしまうそうです。ですから、遊びは社会に慣れる、つまりは友達を作るための手段でもあるそうですわ――」
それだけ言って――紫はその先を続けなかった。胡散臭い笑みを消して、紅茶に口をつけていた。私は――どんな顔をしていただろうか。ただ、心ががらんどうになったように静かだったのを覚えている。
 しばらくの沈黙の後、私は口を開いた。
「――――――――――――――――――対価は何?」
紫は鋭い目をした。彼女は私の目を真っ直ぐに見つめていた。私も紫の視線を正面から受ける。
「これはセールスなんでしょ? なら私がスペルカードルールを購入した今、あなたは私に何を望むのかしら?」
紫はふっと表情を緩めた。彼女の紅い唇から出てくる言葉は軽やかだった。
「特に何もありませんわ。ただ、ルールを受け入れてくれれば十分です」
「――ふん、相変わらず胡散臭い」
「まあ、胡散臭いとは、失礼ですわね」
「無料より高い買い物はない。まして、売り手があんたならね」
「信用していただけないとは悲しいことですわ――そうですね、なら」
紫は再び扇子を広げ、口元を覆った。その向こうに胡散臭い笑みが浮かんでいるのが想像できる。
「お渡しした『命名決闘法』をごらんください」
「……この紙?」
「ええ、決闘法成立の意義をよく読んでください」
私は左上で金属片(とても小さなかすがいのようなものだった)によって止められている紙を読み、意義の項目を探した。

そこには『命名決闘法の意義は妖怪が異変を起こしやすくする、あるいは人間が妖怪を退治しやすくすることにある』と書かれていた――

 ――本当に食えない奴だ。
 私は八雲紫の聡明さに舌を巻いた。

 「なるほど、要求は『宣伝』ね」
紫は満足そうに笑った。くすくすと笑い声が扇子の向こうから零れてくる。
「本当に利発なお方ですわ。話が早くて助かります」
「――そうだね、最近、日も長くなって鬱陶しくなってきたから――太陽でも隠してしまおうか?」
「実に素晴らしいアイディアですわ」
紫はにっこりとした笑顔でうなずいた。全く――こいつは本当に幻想郷の管理者なのだろうか?
「それで、私が異変を起こせば、人間がやってくるってこと? そいつはちゃんとスペルカードを使ってくれるんでしょうね」
「もちろん、スペルカードの起草者は博麗の巫女ですわ。彼女が創案したのですから、彼女は正々堂々、スペルカードでこの屋敷に攻め入ってくることでしょう」
私はその言葉を聞いて、少し驚いた。
「博麗の巫女が起草したの?」
「ええ、私は最初にそう言いましたが? ――頭がよくて心の広い子ですわ。決闘する価値は十分にあります」
 紫はにやにやと笑って続きを言った。
「現在、幻想郷で嫌われている悪魔の眷属を受け入れることなど、彼女にとっては朝飯前でしょう」
「――――――――――――――――――言ってくれるわね」
「これはこれは。お気に触ったのなら謝罪いたしますわ」
私はきつく紫を睨んではみせたが、内心では愉快に思っていた。確かに吸血鬼戦争に負けてから、紅魔館の幻想郷でのイメージは相当に悪いものになっている。妖怪たちは紅魔館がスペルカードのようなお遊戯に参加するとは決して信じまい。なら、幻想郷で唯一紅魔館と正面から向き合えってスペルカード戦を行えるのは人間――博麗の巫女だけなのだ。
これは紫、紅魔館双方にとって都合のよい話だった。紫はスペルカードルールの宣伝ができる。かつて幻想郷に喧嘩を売ってきた凶暴な吸血鬼どもがスペルカードルールに従うというのだ。その宣伝効果は大いに期待できるものだろう。一方、紅魔館は幻想郷での友好関係を築くのに最初の一歩を踏み出すことができるのだ。しかも相手は博麗の巫女である。妖怪たちと最も交わりの深い彼女を利用すれば、幻想郷での地位確立も容易であることが想像できた。これは大きな一歩だった。
「ところで――」
私は紫に訊いた。
「このスペルカードルール、今のところ何人が知ってるのかしら?」
この問いに紫は今日初めて弱ったような顔をした。苦笑しながら紫は答えた。
「博麗の巫女とその周りの人間、人里の賢者である稗田家当主、あとは宵闇の妖怪といった野良の妖怪が少しと、新しい物が好きな妖精くらいなものですわね……………………」
「随分、成績の悪いセールスマンね」
私は紫から一本とったという気持ちで、愉快に笑ってやった。紫は「あくまで副業ですから、いいんですの」と舌を出した。
 紫は席から立ち上がり、宙にふわりと浮かび上がった。閉じた扇子で虚空を撫でると、そこに空間の切れ目が生じた。隙間の妖怪は開いた穴に身体を滑り込ませながら言う。
「美味しい紅茶をどうもありがとう。お客様の成功をお祈りしておりますわ。今後も、株式会社ボーダー商事をご贔屓にお願いいたします」
空間の向こうへと去りながら、紫は不敵に――だが、少し優しげに――笑って言った。

「努力することね、レミリア嬢。スペルカードルールは努力した者を決して裏切らない。力を磨くように己の強さ、美しさを鍛えなさい。

そして――
スペルカードは一人では遊べない。必ず二人以上で遊ぶ道具なの。

遊びは、弾幕ごっこは、深い知恵と心の寛容さ、勇気――そして何より友情を与えてくれる」

紫は最後に――いつもどおりの胡散臭い笑顔を浮かべた。

「努力なさい、レミリア嬢。それから――可愛らしい妹様にも、よろしく伝えておいてくださいな」
 
幻想郷の管理者は隙間の向こうに消え、やがて、空間の切れ目もそもそも存在しなかったかのように消滅した。







 「なんというか…………」
私の隣で終始無言を保っていた美鈴は呆気にとられたように呟いた。
「実に胡散臭い妖怪ですね……………………」
「ええ、まったくだわ」
「美鈴、お茶のお代わりをちょうだい」と言って、私は空のカップをひらひらと上下させた。美鈴がカップに紅茶を注いでいるのを見ながら、パチュリーは言った。
「レミィ、よく怒らなかったわね――あんなに言われ放題だったのに」
パチュリーの顔には驚きと少しの怒りが浮かんでいた。私は苦笑して答えた。少し情けない気分だった。
「間違ってないからね。私が戦争に負けたのも。妹を閉じ込めているのが私だということも――」
パチュリーは私の言葉を聞いて、むっとした顔つきをした。そして、我関せずとでも言うかのように再び本に視線を戻す。不機嫌そうにページをめくる姿が何ともおかしかった。私は、パチュリーが私のために怒ってくれているという事実が素直に嬉しかった。
 紅茶を入れてくれた美鈴に「ありがとう」と言う。私は新しい紅茶をすすりながら頭を働かせた。

 考えるのはこれからのこと――

 新しく起こさなければならない異変。
 
 巫女と戦うためのスペルカードの調整。

 自分だけでなく紅魔館にいるものすべてに対して、スペルカードルールを徹底させること。

 そして――

 私の妹――フランにスペルカードルールを教えること、すなわち――


 友達のつくりかたをフランに教えなければならない。


 「美鈴」
「はい」
私の短い呼びかけに美鈴が表情を引き締める。私は彼女の様子に頼もしさを覚えながら、言った。
「咲夜に連絡なさい。紅魔館のメイド全員に、一人残さず、スペルカードルールを徹底させるように、と」
「仰せのままに」
美鈴の力強い返事に私は満足する。それから、私は意地になって本に集中している親友に話しかける。
「パチェ」
「何かしら」
パチュリーは相変わらずこちらを見ようとはしなかった。私は普段は私を子ども扱いしながらも、時折私よりも子供っぽくなる魔女に苦笑せざるを得なかった。
「あの子のこと――手伝ってもらえるわよね?」
はっとしたように、パチュリーは顔を上げる。知人にならわかる程度に目を大きく見開いていた。呟くように魔女は言った。
「異変ならともかく――――そっちのほうも、本気なの、レミィ?」
「ええ、本気よ」
「危険かもしれないわよ――」
パチェの声に憂いが聞き取れた。私は心配する親友に不敵に笑ってみせた。
「承知の上だわ」
私は椅子から立ち上がった。春の風がとても涼しかった。満天の星空を見上げながら、私はテラスの手摺に向かって歩いてゆく。手摺に着いたところで、私は両肘を手摺に当て、手を組んでその上にあごを乗せる。そして、一面に広がる幻想郷の美しい景色を眺めた。
 
 霧の湖に空の星々が映っていた。遠く広がる山々は誇り高く星空を背景にそびえている。満天の星空はさながら天上の宝石箱だった。
 
 ――妹はこんなに美しいものを見ることができない。

 友達と遊ぶなんて尚更だ。
 
 妹の自由を奪っている自分が――ひどく情けなかった。

「こんなに、月がなくて星が瞬く夜だから――」

私は一人歌った。

 「今まで果たせなかった願いを叶えましょう――」

 ――私は強く決意していた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
 











 投稿4作目です。
 稚拙な文章ですが、楽しんでいただければ幸いです。

 紅魔郷EXボスのフランですが、実に人気がありますね。
 彼女のキーワードは、破壊の能力、狂気、幽閉された少女、などですが、オリジナル設定が少ないため、結構人によって書き分けがあると思います。とはいえ、意外と皆様方向性が定まっておりまして、周囲のものを無差別に破壊する、子供っぽく純真(純真ゆえに残酷だったりもします)など一定の性格に落ち着いていますね。ギャグでは暴走するお姉さまのツッコミ役、シリアスではその狂気ゆえに他者に拒絶されるキャラクターが多く見られると思います。
 ですが、本編(公式)では彼女もスペルカードルールにのっとって主人公たちに戦いを挑んできます。反則的に強力なスペルとはいえ、彼女もルールに従って決闘をするわけです。じゃあ、誰が弾幕ごっこを教えたんだろう――というのが今回の話の始まりでした。
つくづくaho様のSSの偉大さを感じます。aho様の小説が創想話に与えた影響は相当なものだと思っております。
 レミリア嬢が紅霧異変をスペルカード普及のために起こした、という解釈は他のSSでもありましたね。このSSでは、そこを深く掘り下げてみました。
 今、続きを書いているのですが、なんか王道的なストーリーになっています。まあ、力任せのレミリア嬢ですから、仕方がない。彼女は真っ正直に妹様の狂気と戦っていきます。続きを期待していただければ幸いです。
 しかし、ゆかりんは敬語が似合いますね。儚月抄でも結構、丁寧語使ってますが。
 咲夜さんがいつもの咲夜さんじゃないのは紅魔郷前だからです。瀟洒な咲夜さんは『メイド長はロリコンなのか』で書いてるので、その差を見ていただくのも一興かと存じます(←宣伝乙)
 
 以上の駄文をもって、一度締めさせていただきます。

追記……もっと地の文、上手くならないかなぁ。
 
1/9 誠に勝手ながら総集編を削除いたしました。申し訳ありませんでした。
 
無在
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コメント



0.2800簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
続編に期待します、もちろんいい意味で。
おもしろく読ませていただきました
16.90煉獄削除
これは続きが気になる話ですね!
面白い展開になりそうだ。
続きを楽しみにしていますよ。
23.100丸々削除
ホモ・ルーデンスですか。
しかも曲解されてない方の意味ですか。
言われてみるまで気が付きませんでした。
ああ妬ましいわ。
なるほど本当の意味での「遊び」ですね。
41.100名前が無い程度の能力削除
カード自体はただの紙ですよ
46.100名前が無い程度の能力削除
良い紅魔郷前夜でした。
64.100星ネズミ削除
おもしろかったです。続編も読んできますね