Coolier - 新生・東方創想話

凡夫 ~ an innocent edge

2008/12/14 21:46:06
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1.

きっかけは何気の無い一言だった。

「貴方には迷いが多すぎます。良い死に目に会えませんよ」

天人に集められ、非想非非想処に向かう途中のこと。妖怪の山の中腹あたりで、
彼女と行き会い、挨拶代わりの弾幕勝負。
その結果私が勝ち、上述の台詞を彼女に投げかけた。
彼女、霧雨魔理沙は幻想郷でも名の通った泥棒。
様々な人妖から物を掠め取り、それでいて悪びれる様子も無い。
物欲の赴くままに、人の迷惑も顧みず盗みの業を重ねる様は、
まさに迷いの姿そのもの、ろくな死に方をしないであろうことは私でさえ推測できる。
だが、その言葉を受けた彼女はさもおかしそうに腹をよじって笑い始めた。
そして、ひとしきり笑った彼女は満面の笑みを浮かべたまま口を開く。

「いかにも私は迷い多き普通の人間だ。今までもそうだし、これからもそうだ。
 変えようとも思わないな」

けろっとした様子で言い放たれたあまりに無反省な言葉に、私も語気を強めずにはいられなかった。

「なっ、笑い事ではありませんよっ! 今のような振る舞いを続けていれば今に報いを……」

まくし立てるような私の言葉を、彼女は唇の前に立てた指を左右に揺らし、
それに合わせて舌を鳴らして遮り、皮肉たっぷりに唇をひしゃげたまま私に語りかける。

「そんなことは、先刻承知だよ……自分の死に様がろくなもんじゃないことも覚語の上さ」

私の胸に呆れと怒りが交互に湧き起こる。自覚していて尚、改めようとしない。
彼女の行いが無知ゆえのものだとしたら少しは罪も軽かろうが分かった上でのことならば
弁護の仕様も無い悪。

「分かっているなら、どうしてっ?!」

半分金切り声になりながら、彼女に詰め寄った。
不意に彼女は真顔になって、静かな口調で語りだす。

「さっきも言った通り、変えようとは思わないし、変えられるとも思っていない。
 なぜなら私は普通の人間だから……迷いだ悟りだの普段から言ってるお前ならなじみのある言葉だろ?
 迷い多き普通の人間……」

ここまで言って、彼女はあごに手を当てて考え込むそぶりを見せる。

「あら、なんて言ったっけ? 度忘れしてしまったな……」

いつもへらへらとしている彼女が珍しく困ったように考え込む様子に、
私も先ほどまで荒れ狂っていた怒りを冷まされた。迷い多き普通の人間、
本当に何と言っただろうか? 

「魔理沙……」

その名前を呼んでも、彼女は目を瞑ったままうなるばかりだった
ややあって

「ああっ、くそっ、思い出せんっ!」

乱暴に頭をかきむしりながら、歯がゆそうに吐き捨てる。

「まぁ、とにかくそういうことだから……この話はお終い。
 お前も早くしないと宴会に遅れるぜ」

一方的に会話を打ち切り、私に背を向けて歩いて行ってしまった。
つくづく自分勝手だと思う。あのままでいいとは思えない。
そう言い切れる神経が疑わしい。所詮他人事ではあるのだが腹立たしい。
と同時に魔理沙が言いかけていた、「迷い多き普通の人間」という言葉が胸に引っかかり
何とも言えないもやもやした気持ちを抱えたまま私もまた、山を登った。



2.

それから数日、私の気分は未だに晴れなかった。
鬱屈とした気分を木刀にこめて、力任せに振り下ろす。

(いかにも私は迷い多き普通の人間だ)

彼女の屈託のない笑顔が脳裏をかすめる。人がせっかく忠告したというのに、
それを一笑に付すとはどういうことなのだ。
欲に任せて盗みを働くことがいい訳ないだろ? さらにそれを指摘されて悪びれもしない
どのあたりが「普通」だと言うのだ。

「迷い多き……人間」

木刀を振る動作を続けながら、「普通の」という部分を意図的に削り落して彼女の言葉を口に出してみる。
それを意味する言葉は、確かに私も聞いたかとはある。
しかし、喉元まで出かかってところで思い出せなくなってしまう。

「普通の……人間」

今度は「迷い多き」を抜いて呟く。なんとなくこのあたりに答えがありそうだと、
直感的に思ったにすぎない。

(普通……突出したところがない。ごくありふれた、平凡な……)

普通の定義を頭の中で繰り返しながら、木刀を振る。恐らくひどい太刀筋だろう。
これほどまでに心が乱れていては。しかし、頭は考えることをやめてくれない。
本当にあと少しで答えに届きそうなのだ。そう思いながら、十回ほど連続して木刀を振り下ろした時

「わぁっ!」
「うひゃぁっ!」

突然背中をどんっと押され、自分でも分かるくらい間抜けな声を上げて
二、三歩程たたらを踏みながら前方につんのめる。転んでしまわなかったのが不思議なくらいだ。
後ろを振り向けば、案の定してやったりという笑顔を浮かべた幽々子様がお立ちになられていた。

「何するんですかいきなり、もうっ!」

食って掛かる私に構わず、扇で口元を覆い隠し、目を細めるといういつもの表情を浮かべながら
おかしげに、ゆったりとした口調で私にお声をかけてくる。

「うふふふ、あんまり隙だらけだったから。つい悪戯しちゃった」
「ぐぅ……」

実際、自分でも分かるくらい太刀筋が乱れていたのだ。返す言葉などあろうはずも無い。
だから口を突いて出たのは苦々しいうなり声だけだった。

「まぁ、それはさておき」

扇をパタンと閉じ、帯に差し込みながら更にお続けになる。

「随分考え事をしているようだったから、少し気になったのよ……
 そんな状態で稽古をしても成果なんて出るはずが無いでしょ?」

そのお言葉に、私はただ頷くしかなかった。確かにこれだけ心が乱れていては、
何をしたところでよい結果など残せるはずもない。のんきなように見えて、
その実、本当に必要なものを見落とさないその眼力には敬服するしかない。

「実は……」

一人で悩んでいても、何も解決はするまい。私はこの数日頭を悩ます懸案を
幽々子様に話すことに決めた。私が魔理沙に向かって迷いが多すぎると指摘したこと。
魔理沙はそれを一笑に付し、取り合おうとしなかったこと。そして、自分はそれに対して
納得がいかずイラついていたこと。そして、魔理沙が言い掛けていた言葉が頭を占めて
離れないことを。

「……ということがありまして」

目を瞑ったまま、私の言葉を頷きながらお聞きになられていた幽々子様は、
「迷い多き普通の人間」と、幾度か呟いた後、おもむろに目を開き、
正面から私の目を覗き込みながら、ゆっくりと、しかし一語一語を
よどみ無く発音しながら私に語りかける。

「心の忿(いかり)を絶ち、おもての瞋(いかり)を棄てて、人の違(たが)うことを怒らざれ
 人みな心あり、心おのおの執ることあり。彼、是なれば、則ち我、非なり。
 我、是なれば、則ち彼、非なり。我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚ならず
 共にこれ凡夫(ぼんぶ)のみ。是非の理、たれか能く定むべけむや。
 相ともに賢愚なること、鐶の端なきが如し。是を以て、彼の人瞋るといえども、還ってわが失を恐れよ。
 われ独り得たりといえども、衆に従って同じく挙(おこな)え。」

ところどころに格式ばった文語があり、一度でその意味を汲み取ることが出来ず
幽々子様の目を見返しながら、黙ってその言葉を聴くしかない私にむかって、

「共にこれ凡夫のみ」

と、呟いてから更に言葉を続ける。

「迷い多き人間のことは、『凡夫』と言うわ。おそらく魔理沙が言わんとしたのもこれでしょう」
「なるほど、凡夫かっ!」

求めていた答えが見つかったことで、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
確かに、迷い多き人間のことは『凡夫』といい、その字義を紐解けば、平『凡』な
人間(『夫』)、すなわち普通の人間だ。

「それで、先ほどのお言葉の意味は」

魔理沙が自分のことを凡夫と言ったことは分かった。
では、そのことで幽々子様は私に何を伝えようとしたのか。
幽々子様は私の肩に両手を置かれ、一語一語噛んで含める様に

「人と自分の意見が食い違ったからといって、そのことについて腹を立てたりしてはならない。
 人は皆、それぞれに思うところがあるのだから。
 自分が必ず賢いわけでも、相手が必ず愚かという訳でもない。共に、迷い多き人間でしかない。
 どちらが正しくどちらが間違っているかなど、誰が決められようか。
 自分と相手、どちらが賢くどちらが愚かであるかなど、円周の端どこにあるのか決して分からないように
 決め付けることなどできはしない……かいつまんで言えばこんなところかしら。
 魂魄妖夢……先ほどまでのあなたはまるきりこの言葉の戒めるところに反していたわ」

納得がいかなかった。私は間違ったことなど言っていないはずだ。
盗みという明らかな悪行を重ねているものに、それをやめよといって何が悪いのか?
欲のままに振舞う人間に迷いが多いと指摘することの何が間違っているというのか?
そんな思いが顔に出ていたのだろう。幽々子様は少しだけ目つきを鋭くし、

「妖夢。盗人にも三分の理……魔理沙も何か思うところがあって自分は凡夫のままで構わないと言ったはず。
 それをよく聞きもしないうちから、自分は正しく、魔理沙が間違っているだなんて一方的に決め付けるのは
 『我執』……迷いの最たるものだわ」

あまりなお言葉だ。相手は盗みの業を重ねているのだ。誰が見ても間違っている。
罪を罪と指摘することが『我執』だなどといわれては……。
幽々子様はそれすら見透かしたかのごとく。

「妖夢……あなたにせよ、魔理沙にせよ。輪廻にとどまっているということは。多かれ少なかれ皆迷っているの。
 別に魔理沙の盗みを止めさせようとすることが間違っているとは言っていない。
 だけど、あなたはこの世に罪を犯さずに生きられるものなど居はしないということを失念している。
 それを忘れて、相手の行為のみをあげつらい頭ごなしに悪人だなどと言い放つのは『傲慢』……これもまた
 迷いだわ……『共にこれ凡夫のみ』よ」

訥々と言い聞かせるようにおっしゃられた。
確かに、私達は日々の糧を得るために自分以外のものを殺めずにはいられない。
それ以外にも心ならずも他人を傷つけたり、裏切ったりせねばならないこともあろう。
しかし、それならばなるべく少なくするよう努めるのが本道であろう。
罪を犯さずにいられないからといって、勝手気儘が許されるわけも無い。
たぶん、私は不貞腐れた表情を浮かべていたことだろう。そんな私を見咎めたのか、
幽々子様は露骨に眉間にしわを寄せ。一段低いお声になって

「もっと正確に言いましょうか……あなたは自分の意見が聞き入れなかったことが気に食わないものだから
 自分は正しく、相手は間違っているのだということにしたいだけ……そのために無闇に他人を見下し、
 心に無用の怒りを生じさせ、その結果剣が乱れている。『人の違うことを怒らざれ、人みな心あり、心おのおの執ることあり』
 ……本来なら。見解の相違ですむ話なのに、そのことをいつまでも引きずって、心を煩わせるのは……少なくとも覚者の振舞いではないわ」

その言葉に私ははっとなった。確かに、あの時私は自分の忠告を無視されて心に怒りを生じた。
幽々子様の言われるとおり、最初は正義感から忠告したはずだったが、
それを真っ向から否定されたことによって意固地になり、
そんな自分を正当化するために彼女の行状をあげつらい、愚か者と蔑んできた。
それは果たして徳ある者のすることだろうか? そんな自分は迷い無き者と胸を張れるのだろうか?
先ほど幽々子様が「我執」といわれたように、自分の意見に固執しているだけなのではないか?
しかし、魔理沙の行状に理があるとは思えず、やはり自分は間違っているのは彼女なのだという思いは
拭い去る事が出来なかった。
幽々子様は、やや表情をおゆるめになって。

「良いでしょう、今日一日休暇をあげます。この機会に迷いとは何かじっくり考えてみなさい」

そう言って私に背を向け、ひらひらと舞うように去っていってしまった。
後に残された私は考える。じっくり考えよといわれても材料があまりに少なすぎる。
いくら考えても答えなどは出てきそうになかった。
あの様子では、幽々子様が答えを下さるとは思えない。それならばやるべき事は決まっている。
彼女に、私を惑わせた責任を取ってもらおう。そう思い立った私は白玉楼を後にした。



3.

魔法の森にやってきた私は、古びた木の扉に取り付けられた鉄の輪を数回鳴らす。

「いらっしゃいませ、霧雨魔法店です。本日はどういったご用向きでしょうか」

扉が開かれ、上述の言葉と共にさわやかな笑顔を浮かべた家主が顔を出す。

「店主様にお伺いしたい事がございまして」

あまりに板についたその出迎えに、私もつい改まって用件を述べてしまった。

「相談事でございますね、奥へお通ししますのでそこでお伺いいたしましょう」

あくまで「店主」として私に相対する魔理沙、愛想と品のいいその物腰は
どこか彼女に似合っていて、それこそ大店の看板娘にしても違和感の無いほどであった。
……内心、ちょっと羨ましかった。

応接間に通された私は、乱雑に散らかったテーブルの前に座らされた。
部屋の奥から、お茶とお菓子を乗せたお盆を持った魔理沙が現れる。
彼女は、私の斜め向かいに座ると。

「お前、割とノリがいいんだな」

と、すっかりいつもの口調に戻って話かけてくる。

「ええ、あなたが余りに似合わないことをするものだから、つい」
「ひどいな、私はこれでもお嬢様だぜ」

二三こんな軽口を叩き合った後、おもむろに魔理沙が本題を切り出した。

「それで、何の用があってわざわざこんな所まで来たんだ?」

私は今朝の出来事を説明した。

「なるほどね、あのことで幽々子に叱られたか……
 それでお前はそれが納得できずに私に聞きに来たと」

左手で片三つ編みを弄びながら、そう呟く。
……可愛いなんて断じて思っていない。

「はい、貴女と私、ともに凡夫であると言われました」

愚痴をこぼすように言った私の言葉に、彼女は二度三度頷き、

「それだ、凡夫だ凡夫……私が度忘れしてたせいでお前を煩わせてしまったな、
 それは謝るよ」
「謝るところはそこじゃありません」

彼女のあまりにも的が外れた言葉に、思った事が口を付いて出てしまった。

「ん? それじゃ何だというんだ」

ほっそりとしたあごを人差し指と親指で撫でながら、はてなと小首を傾げてみせる。
それを見て、喉元まで出掛かっていた怒鳴り声を思わず飲み込んでしまった。
玄関先からのことだが、どうにも魔理沙の言葉や仕草に調子を狂わされてしまう。
これではいけないと、深呼吸を一つしてから。

「私が言いたいのは、欲の赴くままに盗みを働いて、あまつさえそれを指摘されて
 悪びれもしないのはどうなんだということなんです」

さすがの彼女もこれには返す言葉が無いのか気まずそうに頬をぽりぽりと掻くだけであった。

「なるほどなるほど、つまりお前は私が人より物への執着が強いということを以って
 迷いが多すぎるといったわけか」

うんうんと強く頷いた。あからさまな話題そらしではあったが自覚があるだけよしとしよう。
本当は、さらに反省と改善が必要なのだが。彼女は湯呑みを手にとってずずっとお茶をすすり、
ほおっと息を一つ付いてから。

「たとえばだが」

と前置きして、時間にして数秒黙りこくった後とんでもない事を口走る。

「私がお前の楼観剣と白楼剣を盗んだとしたら……お前怒るか?」
「当たり前だぁっ!」

私は声を張り上げ、大音声が狭い部屋に反響する。
師匠から受け継いだ大事な刀を盗まれて腹を立てずにいられるものか。
聞かれるまでも無いことだ。
魔理沙は私の怒鳴り声に両手で耳を押さえながら、弱々しく抗議する。

「いきなり怒鳴るなよ……たとえばと言ってるじゃないか」
「あなたが言うとたとえばに聞こえない」
「私ってそんなに信用ないかなぁ」

あると思っていたのかと言いたくなるのをぐっとこらえ、
私も気を鎮めるためにお茶を一口飲む。
喉を通り過ぎるちょうど良い熱さの液体と、鮮烈な茶葉の香りによって少し心が落ち着き、
私も先ほどの魔理沙のように、ほおっと大きく息をついた。魔理沙は私の顔色を伺い、
もうしゃべっても大丈夫と判断したのか。こほんと咳払いを一つしてから、

「とにかくだ、私が盗むって事をほのめかしただけでそんなに怒るのは
 お前もその剣に執着しているからじゃないのか?」

とまたとんでもない事を言い出した。

「一緒にするなっ! 少なくともこの二振りは私のものだっ!
 もし貴女が本当にこの刀を盗もうというなら斬って捨てるっ!」

私は半ば本気で殺意を抱いて警告した。だが、今度は魔理沙も動じることなく
きっ、と目つきを鋭くして私を見返しながら。

「お前がその刀に対する執着を満たすために私を殺すというなら……
 お前も私と全く変わるところは無いな」

全く訳がわからない。自分のものを守ろうとする私と、
他人のものを盗もうという彼女、どちらがより悪いかなど自明だ。
それがなぜ一緒なのだというのか。

「だから何度も言うがこの刀は私のものだ、他人のものを盗むのと一緒にするな」

彼女は無表情のまま無言で私の目を覗き込んでくる。
時間にして数十秒、その琥珀色の虹彩を覗き返しても、
彼女が何を考えているのかを読み取ることが出来ない。
そういえば、感情を露にして浮き足立っているのは私だけで、
魔理沙は腹の底を見せようとしない。先ほどからのなかなか核心に触れようとしない語り口と、
絶妙な間の取り方とで会話の主導権を完全に握られてしまっていた。

「何が言いたいんですか?」

ついに私は折れた。彼女のペースに乗せられるのは癪だが、このままにらめっこを続けても埒が明かない。
彼女はそれから数秒ほど沈黙を保った後、天井を見上げてポツリと呟く。

「『わたしのもの』ってのはなんだろうな?」

一人ごちるように投げかけられた言葉に、私は即座に反応した。

「わたしのものは……わたしのものです」

人のものは人のもの、自分のものは自分のもの。自明の事ではないか。
それを否定してしまったら、それこそ無法が横行しよう。
魔理沙は再び私の目を見ながら、私に問いかける。

「その刀、お前が持つ前は、誰のものだった?」
「先代、私の師匠のものでした」

今は、離れてしまった師匠、私の祖父。その厳顔を脳裏に浮かべながら魔理沙の言葉に答える。
あの日、この二振りを私に託して白玉楼を後にした師匠。

「その前は?」
「存じません」

その言葉を受けて魔理沙は意味ありげな薄ら笑いを浮かべる。
人から人へ受け継がれてきたなら
所有権が移り変わるくらい大した問題ではなかろうとでも言いたげに。

「ふーん……」

再び沈黙が二人の間に漂う。私はまたそれに耐え切れなくなった。

「そりゃ、たしかに生まれたときから私のものという訳ではありませんよ、
 だけど、私は正当に譲り受けたのです。だから、今は私のものです」

少なくとも、不当な手段で手に入れている彼女とは一線を画すのだ。
魔理沙は目を瞑り、深呼吸を一つしてから目をやや大きめに見開いて、
少しだけ私のほうに身を乗り出しながらまたポツリと呟くように問うてくる。

「だったら、お前はそれを永久に持っていられるのか?」
「否」

答えは分かり切っている。私もいずれこの剣を手放さねばなるまい。
余計な事を言って揚げ足を取られぬためにもっとも簡潔に答えておく。
もっとも、もう無駄かもしれないが。彼女は軽く首を縦に振り、柔らかい調子で私に促す。

「この部屋を見てみろ」

その言葉に従い。私は自分の周囲を見回す。
何に使うかもわからない道具やガラクタがそこここに渦高く積まれていた。
彼女はまた、お茶を一口飲み小さく息をついて訥々と語りだす。

「この家は、今でこそ私が住んでいるが。いつからここにあるのか、
 私の前に果たして誰が住んでいたのか? さっぱり見当もつかない。
 しかし、今はいないが誰かはいたんだろう。現にこの部屋にも、
 私が集めたモノだけでなく。私以外の誰かのモノだったモノがあふれている
 その誰かが居なくなって、それらは今、私の手元にある。この湯飲みもそうだな」

と、手首を使って湯飲みを左右に揺らす。私はその動きに注目する。

「だが……」

彼女はぱっと手を離した。私ははっと息を飲む。湯飲みがテーブルに落ちる直前、
彼女はもう片方の手でさっと受け止めた。私はほっと息をついた。

「このように、いつうっかり手を滑らせて割ってしまうか分からない。
 ……それでなくても形あるものはいずれ壊れる」

彼女は、湯飲みに残ったお茶を飲み干すと、それをコトリと机の上に置いて、
さらに言葉を続けた。

「そして、それを持っている私もいずれ死ぬ」

時計の振り子の音だけが異様に大きく聞こえた。
コチコチという機械の音が次々に生まれては……死んでゆく。

「いや、私のほうが湯飲みよりよっぽど脆い存在だ。
 仮に私とこの湯飲みが何もない空間に三日間ばかり放り出されたとしよう。
 私は渇きで死に、この湯飲みは、何もなければそこにあり続けるだろう」

遠くのほうで、森の梢が風に揺れる音が聞こえた。
その音は、なぜか私の背中に薄ら寒い物をもたらした。
自分の死を、かくも淡々と言ってのける彼女に私は空恐ろしさを感じていた。

「だから、この家や、本や、魔法具の類が壊れるよりも先に私は死んでしまうだろう。
 その時には、どんなに惜しくともそれらを置いていかなきゃならない……
 この家にかつて住んでいた人たちのように」

彼女は無表情のまま、抑揚のない声で言葉を紡いでいく。

「形あるものは壊れ、命あるものは死す。いつまでも持っている事などできやしない。
 いかに『わたしのもの』と思おうとも、否応なく手放さなきゃいけない時は必ず来る」

彼女はここでいったん言葉を切り、私の目をのぞきこんでくる。
その黄色い目の中に映し出された私の顔は、ひどいくらい狼狽に覆われていた。

「だから、私は思うんだよ。どんなに後生大事に抱えていても、結局死んで行く時には
 置いていかなければならない以上、この家も、本も、湯飲みも……この肉体でさえも
 『わたしのもの』と呼べるものではなく。
 畢竟、『死ぬまで借りてるだけ』にすぎないんじゃないかってな」

彼女が、盗みをする相手に対して口癖のように言っている言葉でその弁を締めくくる。
「死ぬまで借りているだけ」。私も、聞いた時にはなんと勝手な言い分なのかと思ったものだ。
だが、こうして聞いてみるとその言葉は一面の真理を確かに言い当てていた。
諸行無常――万物は移ろい変わり。不変のものなどありはしない。
私の持つ刀にしても、いつ何時折れてしまうかもしれない。
それを持つ私も、代替わりの時にはこの刀を次代に託すであろう、
仮にそうでなかったとしても、やはり私が死ぬ時にはいやでも手放さねばならない。
とすれば、「わたしのもの」という状態も移ろい変わるものでしかなく、彼女の言うように
離れるべき時が来るまで借りているだけにすぎないのだとしたら。

「だがな……」

彼女はバツが悪そうに笑う。

「頭で分かっていても、あれがほしい、これがほしいって思いはなくならない。
 それにこの手癖の悪さは生れ付きでね……直せるとは思っていないよ」

一瞬でも尊敬した私が馬鹿だった。

「知行合一、頭で分かっていても、
 それと正反対のことをやっていては何の意味もありませんよ。
 盗みの言い訳にするなんてもってのほかです」
「人殺しならいいのか?」
「う……」

盗むのなら切り捨てる、確かに私はそう言った。

「そ、そりゃ、殺すこと自体はよくありません。
 だけど、それはあなたがこの刀を盗もうとしさえしなければいいわけで……」
「ふふふふふ……」

彼女はしてやったりという表情で、含み笑いを漏らす。 

「まぁ、つまりはそういうことだ……私は物欲のために盗み、お前は人を斬る。
 どちらも手放さなければならない時まで借りてるにすぎないものにこだわって
 罪を犯すことには変わりがあるまい、物への執着が迷いというなら……お前も迷ってるんじゃないのか?」

私はまた言葉を失うしかなかった。彼女の言葉が迷いの深淵を抉っていたからだ。
諸行無常、万物は流転し、一つとして常住するものはない。
そしてその移ろいゆく物がいつまでも同じ状態で留まっていると思うから。
それを失う時私たちは怒り、悲しみ、嘆き、苦しむ。それが迷いの根源だ。
あまつさえ私はそれにとらわれて、人を害することすらいとわない思っていた。だが、

「しかし、刀は剣士にとってなくてはならないものです。おいそれと失うわけにはいかないのです」
「だったら聞くが、お前が剣の道を歩むに当たってその刀でなければならない
 理由は有るのか?」

私が剣の道を歩むために、楼観剣と白楼剣を用いなければならない理由。
考えた事もなかった。師匠からこの刀たちを託されて以来、
常に手元にあるのが当たり前であったから。それ以外の刀を用いることなど考えた事もなかったのだ。
考え込む私に向かって、彼女はさらに問いかけた。

「質問を変えよう。もし仮にその二つを捨てる代わりにそれらより優れた刀が与えられるとしたら。
 お前はその取引に応じるか?」
「それは……」

私は返答に窮した。

「それは、何だ?」

彼女が返答を促してきた。

「それは……出来ません」
「なぜ? いい刀が手に入るなら、わざわざその二つにこだわる必要はないんじゃないか?」

その言い草に、私はカッとして白楼剣を握り締めて魔理沙のほうに突き出し、声を荒げた。

「確かにっ! この楼白の二刀より優れた刀などいくらでも有りましょう!
 しかし、私にとって……これらは離れ離れになった師匠、祖父との絆なのです
 どんな優れた剣も、それに代わる事など出来はしませんっ!」

彼女は少しだけ目じりを動かして、冷笑的に吐き捨てる。

「肉親の情か……それこそ儚くうつろいやすいものでしかないな」
「そんなことは、ないっ!」

師匠との別れの日の事は今でも鮮明に思い出せる。
厳しくも温かく私を見守り、あの日も「強くなれ」と頭を撫でてくれた。
そこに私は、変わらぬ絆を感じたのだ。

「あるさっ!」

彼女は、今日はじめて怒気を露にして私に詰め寄る。
その怒声には、なんともいえない凄みがあり私は思わず気圧される。

「肉親の絆が、どんなことが有っても変わらないというなら……
 なぜ、親が子を捨て、子が親を殺す!? なぜ……」

その先をまくし立てようとした彼女が、はっとしたような顔をして、
直後気まずそうに目をそらす。

「すまん……取り乱した」

横を向いたまま、荒い息を静めるように呟く。
その横顔が怒りと悲しみに揺らぐ。

「魔理沙、貴女……」

私の言葉に背中を押されたように、彼女はポツリポツリと言葉を吐き出していく。

「私は実家から勘当されている。もう顔も見たくないといわれてな……
 親子だって、所詮は他人に過ぎない……妖夢よ、肉親の絆が
 決して変わらないものだというなら……なぜ私みたいな子供がいるんだろうな?」

私はまたも言葉を失う。変わらないと思っていた私と師匠との絆も魔理沙の言うように
うつろいゆくものでしかないのか? 認めたくはない、だがそれならばなぜ魔理沙は……
胸の中で、その二つの思いがせめぎ合う。
彼女は私を見ることもなく淡々と冷厳な言葉を並べる。

「いや、お前に聞くことでもないか……答えは明らかだ
 今までは大過なく過ごせたようだが、お前のいう絆にしてもお前のじい様がもう生きていないとすれば
 結局はお前の片想いだろ?」
「止めて……」

蚊の鳴くような声で懇願することしか出来なかった。
魔理沙の言葉は、私が心の片隅でひょっとしたらと思いながらずっと目を瞑ってきた事だ。
師匠が、私を思ってくれていたことは疑いようがない。
しかし、もしもうこの世にいないとすれば……師匠からの思いは途絶える。
魔理沙の言うように、私の片想いとなるだろう。
その言葉が正しいのだと頭では理解できる。
しかし、私の感情は頑としてそれを認めることを拒んでいた。私はいたたまれなくなって項垂れる。
彼女はそんな私を横目で一瞥し、深いため息を一つ付いて私に向き直る。

「だが、結局私は捨て切れないんだ……親子の絆だって、絶えるときには絶えるものでしかない、
 そのことを骨の髄まで叩き込まれているはずなのに、諦めきれず、こうして未練がましく腹を立てるんだ」

その言葉の一つ一つが私の心に染み込んでくる。捨て切れないのは私だって同じだ。
剣士として、私がこの二振りの剣にこだわるべき理由などはない。
現に師匠がこの刀を置いて行ったように。だが、それをいくら頭で理解しようと、
私は未だ、この刀への執着を断ち切ることができずにいる。それこそ人を殺めかねないほどに。
ならば、私と彼女の違いはいずこにあるのか? 

「だからと言って、盗みが正当化される訳がありません」

私は最後の抵抗を試みた。思うだけと実行することとでは天と地の差がある。
というより、もはや彼女と私の差はここにしかない。
そんな私の呟きを瞑目して受け止め、もったいぶって口を開く。

「たとえばその刀で、故なく市井の人を斬り殺したら。お前はどうなる?」
「……罪人として捕縛されるでしょう」

私の答えを聞くと、彼女は目を見開く。視線が交差する。
その中に映る私は、やはり追い詰められた表情をしていた。

「それならば、同じ刀で、白玉楼を侵す賊を斬り殺したとしたら?」

魔理沙の視線の鋭さが増す。まるで私の答えに全神経を集中させるがごとく、
身じろぎもせず見つめてくる。私は、退路を断たれたと理解した。
私が白玉楼に仕える剣士である以上、魔理沙の言った状況が絶対に起きないとは断言できない。

「罪人と呼ばれることはなく、場合によっては恩賞すら授けられるでしょう」
「だからと言って、人殺しが正当化されるわけがないよな?」
「…………」

私が剣士として、白玉楼に仕える者である限りいつかは突き当たる矛盾。
人殺しは殺生であり、重い罪には変わりがない。しかし、時と場合によっては許容され、推奨すらされる。
命を奪うことさえ理由如何によっては肯定されてしまう。
もっと言えばそういう時に備えて私は修行を積んでいるのだ。
いくら綺麗事を並べ立てたところで、剣術は人殺しの技だ。
殺生は罪悪であると自覚しながら、人殺しの技術を学ぶ矛盾。
今までは偶々、本来の意味での剣術を振るう機会が無かっただけに過ぎない。
しかし、いざという時にはためらいなく実行するであろう。そのための心構えもある。
それがただの殺人者になるか、剣士として賞賛されるか。
そこに横たわるのは人に許されるかそうでないかの違いでしかない。
それならば、盗みも場合によっては人に許される? 私は逆に質問をしてみることにした。

「あくまで剣士として振るう限りは、正しくなくとも許される。
 屠殺人が家畜を殺すことを咎められないように、霧雨魔理沙……
 なぜ、貴女は盗みを許されている?」

よくよく考えてみれば、彼女が白玉楼の物を持っていった事はない(しようとしてもさせはしないが)。
ただ、風聞によって彼女の行状を知り、私が勝手に憤っていたに過ぎない。では当事者は?
度々盗みに入られると聞く紅魔館から、何の報復も受けないのはどういうわけなのか?
その疑問を彼女にぶつけた。彼女は我が意得たりと、何度か頷いてから、真面目な、
しかしどこか楽しげ口調で語りだす。

「どんなに偉そうなことを言っていても、私は蒐集癖を治せない、
 だから、お前の剣に対する想いが断ち切り難いものであることも理解できる」

彼女は、悪戯っぽく笑う。

「誰しも多かれ少なかれ、物への執着はある。お前のように命のやり取りをしてでも
 守りたいほど大切に思っているものも、中にはあるだろう」

私はその言葉に、二三度頷く。

「だからさ……私はその人が強く執着している物は盗まないことにしている。
 皆それぞれ、断ち切りがたい想いがある事は自分でよく分かるからな……」

人みな心あり、心おのおの執るところあり、今朝方の幽々子様の言葉が胸をよぎった。
言い終えた魔理沙が、神妙な面持ちになって目を伏せる。断ち切りがたい想い、
きっと先ほどの、家族の事だろうなと推測する。
そんな湿っぽい雰囲気を吹き飛ばすように、彼女は面を上げて

「これが理由の一端かな。だから安心しろ、お前の刀を盗む気は無い」

と、人を食ったような笑みを浮かべながらおどけてみせた。
図々しいことこの上ない言い分だ。それでも先ほどまでと違って腹が立たないのは、
私もまた、時と場合によっては彼女のように罪を犯し得るものと納得できたからであろう。
冷静に考えれてみれば、まだ反撃の余地はある。

「もし、仮に……」

私は先ほどの魔理沙のように、唇をひしゃげ勿体をつけた口調で切り出してみる。

「ん?」

彼女は狙い通りに、首を傾げた。

「意図せずに相手の、本当に大事な物を盗んでしまったら……
 貴女はどうします?」

彼女は考え込むでもなくさも当然のように、

「そりゃ私がいっつも苦慮していることだな……如何に注意していても無いとは言い切れない……
 まぁそのときは、素直に物を返して詫びる……非はこちらにある訳だから」

いける。と私は胸の中で呟く。そして、それが顔に出てしまわないように注意しながらあくまで慇懃に

「いい方法を教えて差し上げましょうか?」
「ん?」

興味津々に身を乗り出してきた魔理沙に、私は意地悪く告げてやる。

「最初からしなければいいんですよ」

そうすれば、何を盗んではいけないかなど苦慮する必要はない。
いや、いかに許されていても盗み自体は間違っているのだから、
それを止めるように努めるのは当然のことだ。彼女は白けた表情でこくこくと頷き

「けだし正論だ」

面白くなさそうに言った後

「だが役には立たん」

と斬って捨てる。

「また、屁理屈を並べ立てようとしていますね」

その問いを肯定するかのように、彼女は口を開く。

「お前はかつて、西行妖とかいう妖怪桜を咲かせようとした事があったな」

事実は事実なので、一応首肯はしておく。だが、

「それで何ですか? 確かにあのときは幻想郷の方々に迷惑をかけたとは思いますよ、
 だから、貴女のやることにも目をつむれとでも言いたいんですか?」

と、くぎを刺しておいた。
彼女は「性急な奴め」と呟きながら軽く首を振って、おもむろに続ける。

「確かにそういう意味合いも含まれるが、問題の根はもっと別の所にある
 ……お前は、あの時どんな気持で事に当った?」
「ご命令とあらば……ご期待に添えるようにと……それが務めなれば」
「つまりお前は、そうすることが幽々子のためになると思ってやったわけだな」

一度だけ、しかし強く深くその言葉にうなずく。
主に仕えるものとしてそれ以外の行動原理などあってはならない。
彼女も深くうなずき、何度目かになる瞑想を経た数秒後。

「そのことによって、幻想郷が長い冬に覆われたことはひとまず置く」

そう前置きして目を開き、やはり私をまっすぐに見据えながら重々しく問いかけてくる。

「それは、果たして幽々子にとって良かったことなのか?」

その言葉の意味を、自分なりに精一杯吟味してみる。
あの時、幻想郷中から春を集めた結果、幻想郷は冬に閉ざされ
結果として目の前にいる魔理沙らの介入を招いた。その後は、
少々痛い目には遭ったものの、宴会や花見などで多くの人と交流を持つ
事になり、幽々子様もその状況を楽しんでおられるし、私自身見聞を広める機会ともなった。
西行妖を満開にする事こそかなわなかったが、

「その後の経過を考えれば、結果は良好だったといえるでしょう」

私の言葉を聞いた魔理沙は目つきを鋭くし、

「だが、それは結果論だ」

強く言い切った。そしてそのまま身じろぎもすることなく。

「阿求の書いた本によれば、幽々子が現世に留まっている理由には
 あの妖怪桜の封印が深くかかわっているという……妖夢、あの時にもし
 封印に異変が生じ、その結果幽々子の身にもしもの事があったとしたら
 お前はどうするつもりだったんだ」
「…………」

畳み掛けるような魔理沙の言葉を前に、私はただ押し黙るしか出来なかった。
西行妖は多くの人の命を吸い取ってきた危険な代物であり、
封印によって何とか押さえ込まれていること、
そしてその要にいるのが幽々子様御自身であると知ったのは、だいぶ後になってからのことだ。

「あ、すまん……ちょっと口調がきつくなった」

そう言って、眉間を揉み解すような動作を取る。
その後、極穏やかな顔になって、

「別にすんだことをどうこう言ってお前を責めようって訳じゃない
 ……たださ、人のために良かれと思ってした事でも、
 それとは反対にその人を傷つけたり、窮地に陥れたりしてしまう事だってある」

やんわりと諭すように、緩やかに私に言葉を投げかける。

「自分が正しいと思っていたことでも、人によっては受け入れられなかったり、
 許しがたい事だったり……それが元で諍いが起こってしまう事だってある
 ……別に盗みをしなくとも、人との交わりを過つ可能性は溢れかえっている」
「それは、しかし……」

しかし、なんだろうか? この言葉に対して何を言い返せるのか?
その内容は厳然たる真実だ。普通に話しているだけでも、ふとしたきっかけで口論になったり、
それだけでなく取り返しのつかない悲劇が起こってしまう事だって十分にありえることなのだ。
言葉に詰まる私に、水を向けるように。

「いい方法を教えてやろうか?」

と、問いかけてきた。

「いいえ、結構」

聞かなくとも分かる。そしてその方法が絶対に不可能であることも
なぜならそれは、「最初から誰とも交わらなければ良い」であるからだ。
そんな事になれば、私は生きてはいけないのだから。

「そうだ、私たちは誰ともかかわらずに生きる事なんか出来やしない……
 何をしたって人を傷つける可能性を孕んでいる以上、
 どっかで人に許してもらわなきゃならん……少しわき道にそれたな、私がなぜ盗みを許されているか?」

もともと私が変な横槍を入れたために本筋から外れてしまったわけだ。
だからその話題を続けるのに問題があろうはずは無い。

「どうぞ」

私はその一語以って答えた。彼女はよどみなく続ける。
 
「魔法使いというのは基本的に浪費家だ。
 研究のため次々に消費される材料、機材。それらはいくらあっても足りるという事は無い
 ……そこで問題となるのはその調達だ」

が、最後のほうではちょっと決まりが悪そうな顔をしていた。
彼女は「いいか、怒ってくれるなよ」といってなだめすかすように私の方に右手をかざす。
例に似ぬ腰の低さが、なんとなくおかしかった。

「魔法使いの間では、『必要とあらば盗んででも』という考えは、
 一種の不文律なんだ……例外があるとすれば、それを実行する必要が無い環境にあるもの
 並外れて器用で、高度な副業が出来るか? もしくは強力な出資者が援助をしてくれるか?
 あいにくと私はそのどちらでもないから、浅ましき稼業に手を染めなきゃならん」

ほんの少し前の私なら、大激怒したであろう言い分だ。
しかし、今はそういう考え方もあるのだと平静な気持ちで聞くことが出来た。

「そういうわけで、そこのところが通じるアリスやパチュリーには、
 お目こぼしをいただいてるって訳さ……」

苦笑いをする彼女に私も同じ表情を返すしかなかった。
器用でないからお目こぼしをいただいているのは私にしても同じ事だからだ。 

「だがこれはあくまで、魔法使いの「正しさ」であって。
 いつでもどこでも通る理屈じゃないってことくらいはわきまえているよ」

彼女は遠い目をしながら

「だが、それが難しいんだ。誰しも自分が間違っているだなんて思いたくないから……
 何が是で何が非か、何をすべきかすべきでないか、
 それは時と場合、そして相手によっていかようにも変わってしまうことだろう」

まるで彼女の姓であり気質でもある霧雨のごとく。言の葉の一つ一つが
心に染み込んでくる。音も無く、静かに、しかし何の反発も無く。

「だというのに私たちは、自分の正しさが絶対だと思ってしまう。
 状況によって変わってしまうものを不変と思い、
 『正しい自分』というものにとらわれる……
 もし各々が自分の正しさを際限なく主張し、一歩も歩み寄る事が無けりゃ悲惨な結果にしかならん」
「貴女は、歩み寄れなかったのですね」

彼女は深く頷いた。おそらくは家族との事だろうと推測する。
胸に手を当てて、その言葉を咀嚼してみる。
そもそも、私がここに来た発端は、彼女の行状が
「私から見て」間違っていると思ったから。
しかし、話を聞く限りは彼女には彼女なりの基準があって、
しかもそれはそれなりにうまく行っているという。
だとすれば、私の怒りの根底にあったのは自分の正しさへの盲信、
言い換えれば『正しき我』への『執着』――我執であり、
自分が盲信しているだけの曖昧な『正しさ』で全てを裁けると思っていた驕り――傲慢であったのだろう。
まさに幽々子様の言われたとおりであったわけだ。あまつさえ私はその言葉にすら反発した。
あまりの愚かしさにただ顔を伏せることしか出来なかった。

「しかしな妖夢……あ、これは一般論として聞いて欲しいんだが」

と前置きして

「もっとあれをこうしたい、これをああしたいって思うから人は努力するし、
 自分の正しさを決して疑わないことは不屈の信念とも言い換えられるわけじゃないか?」

彼女は滔々と、深い自信がにじみ出る口調で以って、一語一語を噛み締めるようにして続ける。

「その二つによって人間は発展してきたともいえる。それは人間の美点といってもいいと思う。
 それによって、森を開き、町を作り……日々の食い物の心配が無くなって
 自分を省みる余裕が出来たからこそ迷いを迷いと知る事が出来た……そして悟りを得た聖者も、
 その影で迷いの日暮を送っている人たちの支えがあったから修行に打ち込む事が出来た……
 そういうことがあるから、私はそれらを一概に迷いと切って捨てることは出来ない。
 ゆえに、私はこれからも普通の人間で……迷い多き凡夫だよ」
「魔理沙……」

私の負けだ。言い訳のしようも無く。
生きるということはそれだけで罪深く、魔理沙の言う人の発展にしても多くの犠牲の上に
成り立ったものであろう。しかし、「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるように、
生活が安定してこそ、それ以外の事を気にかける余裕が出来るというのも事実であり、
また、誰しもが世俗を離れて聖者のように暮らせるわけではない。
早い話が、修行を積んでも腹は減るのだ。誰かにまかなってもらわねばならない。
たとえ肉や魚を食わずとも、畑を耕せば虫を殺す。そうせねば生きられないといっても、
それも遅かれ早かれ尽きる命への執着を正当化しているに過ぎまい。
その業を厭うて隠棲しようが、誰かが代わりにやるだけの話だ。
そんな人々に、その迷いを捨てよなどと言い放つのはこの上なく無慈悲で独善的なことだろう。

「思い、上がっていました」

この一語に尽きる。
どんな高邁な真理を説いても人に受け入れられねば意味が無い。
私のやるべき事は、自分の言葉が受け入れられないことを怒るのではなく。
何故受け入れられなかったかを自らに問う事だったのだ。
偉そうなことを言っていても、私達は結局他に寄りかかり、
許してもらいながら生きるしかないのだから。
それを忘れて、我が身の正しさにのみとらわれていた自分が、
人の迷いをどうこう言おうなどとはおこがましすぎる
……「貴女には迷いが多すぎます」今となってはどの口が言えたものかと思う。
なぜなら私もまた、迷い多き凡夫に過ぎないのだから。

「……顔を上げてくれ」

その穏やかな促しに従い、顔を上げると、柔和な微笑をたたえた彼女と目が合う。

「生きることがそれだけで罪深いってのは、覆しようも無い事実だ。
 だから、それを何とかしなきゃって思えるのは、尊いことだと思うし、
 お前が剣の道を究めた先に、迷いを超越した境地があると信じ、それに向かって一生懸命になれるのは、
 私みたいに変な言い訳をつけて開き直ってしまうよりよっぽど素晴らしい……
 散々誘導尋問みたいなことしといて言うのもなんだが、これでもお前の事、尊敬してるんだぜ」

いつもひねくれた言動ばかりする彼女からは想像も出来ないほど率直な賞賛の言葉に、
私は思わず戸惑う。それは彼女にしても同じだったらしく、しまったという顔をした後、
ぷいと横を向いて

「まあ、なんだ。私の生き方が客観的にみて誉められたもんじゃない事は認めるし
 お前の言うことも決して間違っちゃいないが、すました善人面した奴をやりこめるのは
 この上なく愉快なんでね……いい意趣返しになったぜ」

慌てて取り繕うように悪態をついてみせる彼女に、思わず笑いがこぼれた。
考えてみれば皮肉なものだ。倫理上の強者であったはずの私が、身の内にある迷いを突きつけられて、
浮き足立った挙句に不様に言い負かされ、倫理上の弱者であったはずの彼女が、
迷いの深淵を見据えた言葉を以って私の自信を打ち崩した。なぜ、こんなことが起こったのか?
理由は簡単だ。倫理というものも、時と場合によって変わる曖昧なものでしかない。
彼女はそれに気付いていて、私はいなかった。そんな私は確かに、
正しさを鼻にかけた「すました善人面」をしていたのだろう。

 ふと、視界の端に一冊の本が映りこんだので、何とはなしに手にとって開いてみる。
中には、読み方さえ分からない文字の羅列と、これまた何を意味するのか分からない幾何学模様
見ているだけで頭が痛くなる。それでもページをめくっていると茶色がかったページとは異なる、
真白い紙片があり、そこには小さな文字や、数式のようなものが所狭しと書き連ねられている。
おそらく、彼女がこの本の内容を注釈したものであろう。

「まぁ、そういうわけだから相談料はロハにしといてやるよ……っとどうした魔道書がそんなに珍しいのか」

そういいながら彼女が私に向き直る。すっかりいつもの調子に戻って。
私はその紙片と彼女の顔を交互に見比べてみる。がさつで粗野な印象を与える彼女と、
紙片に書き連ねられた丁寧な文字……「欲望があるからこそ人は努力する」
彼女は一般論として聞けと言ったが、自身を「普通の人間である」と言っている以上、
彼女もまたその一般論から外れる存在ではあるまい。派手な魔法の裏に秘められた、
地味な試行錯誤の積み重ね。
それと同様に、彼女の迷いへの見解も、私に対する意趣返しなどで一朝一夕に用意できるものではない、
おそらくは彼女なりに迷いと格闘し、悩み苦しみながら思索を重ねた末に
「自分は迷い多き普通の人間である」という結論にたどり着いたのだろう。
そして、彼女はそれをおくびにも出そうとはしないが……

「クスクスクス」
「何だよ、何だよ気持ち悪いな……人の顔見ていきなり笑い出しやがって」

これが笑わずにいられようか、彼女が努力家であることは誰でも知っている。
彼女はそれを隠そうとしているが……。
同じように、彼女の開き直りとも取れる言葉も、
自身のうちに潜む迷いに悩み悩んだ末に到達しえたものだということも言葉の端々から分かってしまった。
意趣返しなどとわざわざ付け加えるあたりがさらにそれを補強している。
「賢者の信は内は賢にして、外は愚なり」この言葉通り、彼女が何も考えていないように振舞いながら
その裏でその明晰な頭脳を以って、思索に思索を重ねてきたことを隠しきれているならば非常に奥ゆかしいのだが、
それが出来ていないならばまさしくただ格好をつけている――自分の思い描く格好の良さに固執した挙句失敗しているだけだ。

「ええかっこしい……」

茶化すように小声で呟く、散々人の言葉尻を捕まえて好き勝手な事を言ってくれたのだ。
このくらい言い返してもよかろう。

「うるさいな」

まるで母親に小言を言われたように鬱陶しそうな顔をする。
それを見る限り、自分でも思い当たるところがあるようだった。
さらに含み笑いを続ける私を見て不機嫌そうに眉をしかめるが、
やがて観念したようにふっと息をついて、

「ま、分かっちゃいるんだがな、はたからみりゃ滑稽な芝居をしているってのは
 ……それでも止められないのは迷いゆえだ。見逃してくれ」

そういって彼女も、私に同調するかのように笑い始めた。
思えばここに来てから二人して、怒ったり、落ち込んだり、笑いあったりと気ぜわしいが、
それでも不思議と開放された気持ちになるのは、彼女の「普通の人間らしい」不完全さが、
ありのままに感情をさらけ出すことへの躊躇いを無くすからであろう。
完全でないと自覚しているから、人にも完全を求めない。だから、私も肩の力を抜く事が出来る。
ひとしきり笑った後、私は切り出してみる。

「また、来てもいいですか」
「勝手にすりゃいいさ」

彼女は素っ気無く言って、お茶請けの饅頭を包み紙から取り出して一口かじると、
空いた手のひらを上に向けて私の方へかざす。来ればこのように歓迎するということなのだろう。
だから、その気持ちはありがたくいただくことにしよう。そう思って私もお盆に手を伸ばす。
本当はここに来た目的はもう達せられているのだが、折角の休暇だ。ゆっくりと羽を伸ばさせてもらおう。
それにこうして自分に向き合う時間を持つことは決して悪い事ではあるまい。
庭師でも従者でも剣士でもなく、ただ一人の凡夫としての自分に……



――完
この二人の組み合わせが好きで書きました。
冒頭の台詞は緋想天の妖夢勝ち台詞から。これを見た瞬間に
普通の魔法使い+迷いが多い=「迷い多き普通の人間」=凡夫というインスピレーションが浮かび、
それではということで自分の知る限りの事を詰め込んでみたのがこの作品です。
……本当は12月8日にあげるつもりでしたが一週間もずれ込んでしまったのは反省
組合長
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コメント



0.1190簡易評価
13.20名前が無い程度の能力削除
器用なアリスは副業で稼ぎ、パチュリーは出資者から援助を得ている。それはいいです。
では、2人は生まれた時から「器用さ」や「出資者」を持っていたのでしょうか?
そして魔理沙は自身にそれらを付ける為に努力したのでしょうか?
努力して、それでも駄目だったから、「浅ましき稼業」に手を染めるしかなかったのでしょうか?
私には、そうは思えませんでした。
屁理屈や自己弁護をだらだらと読んでいた気分。

「いかにも私は迷い多き普通の人間だ。今までもそうだし、これからもそうだ。
 変えようとも思わないな」

序盤の魔理沙のこの台詞は、そういった努力の放棄を宣言しているように思えてなりません。
それもまた魔理沙、ということでしょうか。
18.40名前がない程度の能力削除
魔理沙の論法を借りるなら、誰かから借りているものを紛失するというのは責任の欠如している証拠ですし、
なにより申し訳が立ちません。また借り物だからこそ、無責任に又貸しする権利も無いと思うのです。

時と場合は移り変わります。しかし自然には移り変わりませんし、また簡単には移り変わりません。
時も場合も物件ではなく思念に属するものです。敷衍して倫理もそうです。
勝手に社会の外で成立したり変わったりするものではありません。

身に染みていますが、屁理屈は厭な物です。失敗すれば自分の語彙の貧弱さに落胆し、
成功すれば自分の奸狡さに落胆します。

万物は流転する。その意見に関しては賛成なのです。
ですから、悩みの無い境地を目指して終わりの無い漂流をする妖夢の方が、
韜晦と後退戦術に彩られた自己肯定に常住する魔理沙よりは理にかなっているかな、とも思うのです。
20.無評価名前が無い程度の能力削除
……妖夢誤魔化されてんじゃん。
23.40Jiyu削除
妖夢が納得しちゃうところと、幽々子が盗人の肩を持つところがやや不自然かと。
この調子だと、ちょっと妖夢が頭が弱い子のような気が。

根底となる魔理沙の思想については、非常に平易でわかりやすかったです。
魔理沙の自由至上主義的な、ある意味達観したものの考え方が真っ直ぐに伝わってきます。
こういう魔理沙でストーリーを書いてみたら面白いかも。
魔理沙の悪漢小説、ううむ。
26.70名前が無い程度の能力削除
物持ちの良い連中から試しに盗んでみたらそれほど熱心には奪い返されなかった、
というのが出発点で、主義や思想が先だった訳ではないと思います。
思想を得たのは盗んだ後の事で、子供が親の顔を窺いながら何か行動をおこして、怒られるか褒められるかで世界の仕組みを知っていく、
という流れと同じだったんじゃないでしょうかね。
魔理沙にとっての泥棒家業の第一歩が何だったのかが知りたいものです。
27.100名前が無い程度の能力削除
・・・人それぞれ言い分がある
上の方々
まさしくこのSSで語られたことをまったく同じに再現してますね
作者さんの感じたことに
己の観点を押し付けています

生有りし人々皆凡夫かな・・・